1 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2014/08/24(日) 07:45:09.72

不快な表現があるかもしれません


私は電話線をハサミでちょん切った。案外と簡単に切断できるのだと知った。
なぜそんなことをしたのかと言うと、これ以上電話をするのはまずいと思ったからだ。

家の電話だった。
母の顔面が歪む。

「何をしてたの?」

私は聞いた。

「あ・・」

彼女は目を見開きつつ、受話器を床に落とした。




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9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/25(月) 22:58:15.64

受話器が跳ねて、私の足元へ転がって止まる。

「どこに電話していたの?」

「……あ」

あ、とは何だろう。私は受話器を拾い上げて、履歴を確認する。
登録されていない番号だった。

「誰の番号だったの?」

「う……」

う、とは何だろう。母はしゃがみ込み、私を見上げる。

「怒ってないよ」

諭すようにそう言った。

「……うん」

母は、やっと単語で喋ってくれた。



10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/25(月) 23:09:03.89

「夕飯できてるから、一緒に食べよう」

手を差し伸べて、母を起こす。
今年で50に差し掛かる彼女の腕の弾力はなく、ローストチキンの足のようだった。

「卓郎さん」

「……何?」

少し遅れて返事をする。

「明日のデート何を着ていこうかしら?」

「デート?」

「ええ、雨でしょ明日。お洋服汚れてしまうかと思って」

急に流暢に話し始めるので、私は多少戸惑う。

「雨なら、デートは中止かな」

「嫌だわ。楽しみにしてたのに」

「そうは言ってもね」

「じゃあテルテル坊主作りましょうよ」

「……いいよ」



11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/25(月) 23:23:09.99

私は母を食卓へと向かわせて、以前作ったてるてる坊主を母の元へ持って行った。

「実はね、もう作ってあるんだ」

「あら、素敵」

「だから、作らなくて大丈夫。それより、ハンバーグ冷めてしまうよ?」

「そうね。今日のはちょっと、コショウを効かせすぎたかもしれないの」

「大丈夫、美味しくできてるはず」

「やだわ、卓郎さん。褒め上手……あ、いけない。みどりちゃん呼んでくるわね」

「いいよ、呼んでくるから」

母を制止して、私は立ち上がる。
階段を登って、自分の部屋に行ってからまたリビングへと戻った。



12 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/25(月) 23:34:26.79

「もう食べてても良かったのに」

「いいのよ、あら、卓郎さんがいないわね」

「お父さんは、もうすぐ帰るって」

「そう、そうだったわ」

母は頷いた。

「じゃあ、先に頂いちゃいましょう」

「うん、頂きます」

二人の手のひらの乾いた音がリビングに響いた。



15 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 21:57:42.86

父は帰って来ない。先月、大腸ガンで亡くなった。詳しいことは分からないが、気が付いた時には転移が進んでいたのだ。
見つかったその日に、すぐ山3つ越えた隣の市にあるガンセンターへ入院して、そのままこの街へ戻っては来なかった。

「みどりちゃん、学校は最近どう?」

「うん、普通だよ」

「何か面白いことはあった? 高校生になってから全然お友達の話してくれないから、お母さん寂しいな」

「そう?」

「気づいてないのね」

「知らなかった」

口数は元々多くない。母の表情を見て、私はここ何日間かを振り返る。
特に目立って面白いことはなかった。何人かに頼まれごとをして、それだけだ。

「私に似て可愛いんだから、浮いた話の一つくらいあるでしょー?」

「ないかな」

「早く、お家に連れて来てね」

「いたら連れてくる」

「ほんとー?! 待ってる、待ってる」



16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 22:06:09.51

母の楽しみは、私の話を聞くこと。
ショッピングへ行くこと。
ご近所さんと井戸端会議をすること。
夜に、父の帰りを待つこと。

「ねえ、お母さん」

「ん? なあに」

「ううん、なんでもない」

「変なの」

「うん」

「それにしても、お父さん遅いわね。さっきまで、今日はすぐ帰れるって言ってた所だったのよ」

「………」

私は席を立つ。

「あら、もう食べたの?」

「ごちそうさま」

神様、早く朝にして、母の悪夢を覚ましてあげてください。



17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 22:16:46.68

不思議なことに、母は朝になると記憶が戻る。
二人分の朝食を作り、仏壇の湯のみに入れる緑茶を何よりも先に淹れるのだ。
叔母や叔父も最初、母を入院させた方が良いと言っていたのだが、
母の異常な言動は夕方から夜にかけてだけだったので、様子見ということになった。

母の中ではその時間帯、父が家にいたりいなかったりする。
私は自室に戻り、ベッドへ体を預けた。

「……」

私は父であり、娘になる。少し、慣れた。
いや、慣れるように努力したのだ。その努力は今も続いている。
人は、それを異常だと言うかもしれない。

「……」

私も、たぶん、受け止められていないのだ。
階下から、テレビの音が聞こえてくる。
耳を澄ましてそれを聞いているうちに、私は眠りに落ちていった。



18 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 22:31:47.28


朝、私はいつもより早めに家を出た。
昨日の夜よりも多少気落ちしている母に見送られて、私は高校へと向かう前に、人気の少ない朝の公園へと向かう。
スカートのポケットには一枚の手紙。送り主は一つ下の1年生だ。

公園のベンチに座り、携帯を取り出して、手紙に書いてある番号へ電話をかけた。
着信メロディーの甘ったるさに、少し携帯を耳から遠ざける。

『もしもし……』

「もしもし」

『先生?』

「ええ、そうです」

『先生、嬉しい……』

「初めて、ですね。こうやって電話するの」

『うん、ねえ、今どこにいるんですか?』

「公園です」

『そっか、私は今トイレにいるんです』

「そうですか」

『先生のこと考えてたら、ちょっと濡れちゃって』

「はあ」

『また、そんな素っ気ない返事』

「どう返せば喜んでくれるんですか?」

『私のこと分かってるでしょう?』

「……そうですね、では右手であなたの右の乳首をいじりなさい」

『はい……』

「撮みましたね? では、もっと痛いくらいにしてみなさい」



19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 22:37:46.17

『こうですか』

「ええ、そうです。もっと揉みしだいて」

『はッ……い』

「感じていますか?」

『せんせッ……』

「私がそこにいるかのように、キスをねだってごらんなさい」

『ッ……』

「舌を絡ませて、そう、いいですね。もっと、音も立てて」

『じゅるッ……ちゅぱッ……』

「手が止まっていませんか? 誰が止めていいと?」

『んあッ……い』

「そう、では、左の人差し指と中指を口に突っ込んで」

『んぐ』

「私のだと思って、綺麗に舐めまわして」

『れろ……ッんぐ』




20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 22:44:21.04

「もう、十分濡れましたね。入れて欲しいですか?」

『はい、はい、はいッ……いれて下さい』

「素直な子は好きです。では、5本の指全て突っ込みなさい」

『そ、そんなッ……入らない』

「入らないなら、ねじ込みなさい」

『せ、せんせ』

「入れないなら、終わりです」

『や、やだ待って、入れる、入れるから!』

「分かりました。では、受話器を膣に近づけて」

『あ……は、はいッ』

つぷつぷと空気が抜けていくような音。
ぐちゅりぐちゅりと耳を犯す。

「……」

『いッ……』

少し、離れた所から痛がる声がする。

『広がるううッ……』



21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/27(水) 22:55:22.03

と、ドンドン! と音がした。

『いつまで、トイレ使ってるんだ! 早く、出てくれ!』

『んあッ?!』

「ここまでですね、ではさようなら」

『あ、待っ』

私は携帯を切った。彼女の望みを少しは叶えられたのだろうか。
私は立ち上がり、学校へと向かった。

私はボランティアをしている。ただし、学校側の知る所ではない。
このボランティアには私の他に、あと二人いて同じように依頼を請け負っている。共に同じクラスだ。
思春期で盛りの付いた女子高生の欲望を満たしてあげる、簡単なボランティア。
ボランティア、と言うと聞こえはいい。

このボランティア団体の名前と活動内容は同じである。

『イメージプレイ』

つまりは、そういうことだ。



25 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/29(金) 22:34:11.42

始まりは、一人教室でぽつんと席に座っていたある放課後のことだった。
父の死と母の現実逃避が受け止めきれず、友人との会話もほとんどしなくなってしまっていた。

『どうしたの?』

その子は言った。
生徒会で書記をしている――舞という名のクラスメイト。

『……』

私は答えなかった。
舞は眼鏡をかけていた。
それを外して、私にかけた。

『この指何本?』

その問いかけには答えなかった。
答える気力も無く、私はゆっくりと瞬きをした。
眼鏡には度は入っていなかった。

『今、一番欲しいものはなあに?』

『……』

耳をくすぐるような声。
その問いは、私の意に反してイメージを膨らませた。

『……な・あ・に?』

と、彼女は首を傾げた。



常識のある人間ならば、まずおかしいと思うだろう。
私自身、父が亡くなる前ならばこんな団体など毛ほども興味を持たなかったはずだ。
今の私が行っている行為というのは、非常識に逃げ込んでいるだけ。



28 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/31(日) 22:31:37.20

舞は私が答える気がないのを悟ると、急に一枚の用紙を取り出した。

『これにさ、名前書いてくれない?』

『……』

『貸してくれるだけでいいから、みどりちゃんの名前を』

『……』

『そしたら、あなたの望みを一つ叶えてあげる』

その用紙こそ、ボランティア団体設立のための申請書だった。

『望みとかは別に、ない』

『あ、やっと喋ってくれた』

『名前は好きなように使ってくれてかまわない』

『ほんとー!? 嬉しい、ありがとう!』

彼女はすこぶる綻んだ顔を見せた。



29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/31(日) 22:51:26.72

『そのボランティア私にもさせて』

『え、いいの?』

私は、活動内容に目を通す。
人の悩みを聞き、奉仕する。いたってシンプルで曖昧な内容だった。
こんな申請書で通るわけがない。何より、団員数3人というのはすでに規定から外れている。

『いい』

けれど、家にいる時間が苦痛だったのだ。少しでも長く学校に居る理由が欲しかった。

『じゃあ、働いてもらおうかな』

まるで手駒を得たような口調だった。

『……』

『もう一人はまた今度紹介するね』

『うん』

『ところでさ、みどりちゃんはこの学校の女子達が一番頭を悩ませていることってなんだと思う?』

『さあ……』

『そっか、私の調査では恋愛と性行為で悩む人が多いみたい』

『そう』

まるで、獣だ。

『だから、そんな悩める子羊を救うのがこの団体の目的なわけだよ』






30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/31(日) 23:11:22.07

『わかった』

『そんなに軽く返事してくれたの、みどりちゃんが初めて』

彼女は驚いてたが、同時に満足そうにしていた。

『学校には内緒ね』

人差し指を口元に当てる。
学校公認の申請書を書いているのはなんのためなのだろうか。
そんな疑問が頭を過ったが、自分には関係のないことだ。
私は、彼女が何をしたくてこの団体を作ったのかすら知らずに、現在に至る。

最初はただ話を聞くだけ、アドバイスをするだけだった。
しかし、しだいに舞は活動の内容を過激にしていった。
舞が何をしようが、別に構わない。
彼女が誰かの恨みを買おうが、私には関係のないことだ。
彼女と親しくなるつもりはないし、この活動で私自身の不満やいら立ちも解消される。
それで構わない。

教室の前に、良く知る人物――舞が立っていた。
こちらに手を振っている。

「あー、やっと来た。今朝の子、どうだった?」

「どうって?」

「満足してもらえた?」

「最後はアクシデントがあって確認できなかった」



31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/08/31(日) 23:25:03.62

「録音は?」

「した」

もちろん許可などとっていない。

「オッケー、オッケー。そのデータ、私のスマホに送っておいてね」

「分かった」

「しかし、みどりちゃんさ演技というか声真似めっちゃ上手いからビックリした」

「そう? ただ、聞いたまんまを喋ってるだけだけど」

「凡人には難しいのよそれが」

「そうなんだ」

「その特技があればまだまだ活動の幅が広がりそうだ」

「まだ、何か?」

「昨日来てた依頼メールにさ、自分の代わりに彼女を振ってくれってのがあったの」

「彼女?」

「そ、同性同士そりが合わなかったのかもね」

「いつまでにすればいいの?」

「今日中」

「また、急だね」




35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 12:06:21.16

「もうオッケーしちゃったの。ごめんね?」

「かまわないよ」

「ありがと。これ」

舞は電話番号の書かれたメモ用紙と、音楽プレーヤーを取り出した。

「相手の番号と依頼主の声が入ってるから。録音されてる通りによろしく」

「うん」

「とりあえず、お昼に一度かけて。相手が粘ってきたら一度切って、放課後また電話して。すぐかっとなるって言ってたから、対応に気を付けてね」

「同じ高校?」

「いや、他校の生徒さん」

「そう」

「じゃ、終わったら報告よろしくね」

「分かった」



36 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 12:18:09.20

舞は廊下をパタパタと駆けていく。
私はイヤホンを耳につけながら、席へとついた。
自分より少し声質の近い少女の独白が流れてくる。

「……」

別離の哀しみは感じられず、淡々と台本を読んでいるようだった。
もう、好きじゃないだとか、これからやりたいこともあるしとか、
言い訳を並べて、自分の主張をここぞとばかりに吹き込んでいる。

もしかしたら、いつも言いたいことが言えず、抑えつけられていたのかもしれない。
別れの挨拶すらしたくないくらいに。

「……」

一通り聞いて、私は目を閉じる。
彼女の声が自分の声帯から放たれるイメージ。



37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 12:38:36.80

電話越しの彼女の驚いた声。
訴えかけてくる言葉は、どれもすり抜けていく。
それを受け止める情もなければ、責任もない。
無責任なやりとりの後、一方的に幕が下りる。

私はこの二人のことは何も知らない。
怒りも苛立ちも感じない。

カツカツ――

ヒールの音。担任が教室へ近づいてきている。
私は、イヤホンを机の中へ戻す。
ざわついていた教室から、少しずつ声が消えていく。
私も私へと戻る。

朝の依頼主が思い出された。
私は瞼をゆっくりと開いた。
教卓でヒールの音が跳ねた。

柏木先生。

私は視線を転じて、教室の中間地点に座る少女を見た。

ひな子。

彼女の柏木先生を見る目つきは、異常だった。



38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 12:56:25.99

柏木先生は女性でありながら、女子からの人気がとても高い。
中肉中背。たれ目が特徴で、丸みを帯びたショートカットがさらなる幼さを醸し出している。
しかし、外見からは分からない冷静さと生真面目さを持つ。

朝の依頼主の一年生も、柏木先生に全てを捧げんばかりだった。
ひな子も例外ではない。そして、ひな子は私が父の亡くなる前まで親しくしていた友人だった。

今は、挨拶すら交わしていない。
それは私が一方的に関係性を断ってしまったためだ。
私はこの瓶の底のような教室で生きているわけではないし、ここから逃げ出すこともできはしないけれど。
私はいつの間にかその選択肢を選んでしまっていたのだった。

ひな子のことは嫌いではないし、柏木先生への偏愛を除けば、むしろ好きな方だ。
だからだろうか。
このまま崩れていく姿を見られたくはなかったのかもしれない。



39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 13:29:13.16

昼になり、私は一人誰もいない空き教室へと移動した。
多少声を慣らしてから、携帯を取り出して番号を打ち込む。

暗がりの教室は埃っぽかった。
土臭い匂いの中、電話がつながった。

『もしもし……誰?』

「厚子、今電話いい?」

『梨奈!? 何度も電話したのよ!?』

「ごめんね、忙しくて取れなかったの」

『だったら、かけ直しなさいよ!』

「だから、忙しかったの」

『たくッ、まあいいわ、それより何? てか、携帯番号変えたの?』

「うん、携帯変えたの。それでさ、あのね、別れたいの」

『は?』

「別れて欲しいの」

『な、に言ってんの』

「もう好きじゃなくなったんだよね」

『ちょ、待ってよ! なんで、いきなりそんな……』

「いきなりっていうか、前から、考えてたよ。言ってなかったけど」

『相談してくれたっていいじゃない!』

「相談したって、あんた私の話なんて聞かないじゃない」

『ゆ、許さなわよ……別れるなんて!』

「……あんたの許可が絶対じゃないの。分かる?」

『知らない、知らないわよ! お願いよ……、悪い所があれば直すから、ねえ……?』




40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 13:43:48.23

「私、あんたのこと好きだったし、分かりたかった。分かってあげたかった。でも、あんたは私のこと分かろうとした?」

『そんなこと……当たり前じゃん!』

「そっか、やっぱり分かってないんだ。分かってないこと、分かってない。ごめん、もう疲れたわ」

『だめ、絶対ダメ! 私以外なんて、考えられない! 今、学校でしょ!? すぐ行くから!』

予想外の反応に、私は少し焦る。

「は? 何言ってんの……気持ち悪」

『梨奈、私、梨奈のこと好きなの! 手放したくないの!』

私は時計を見る。お昼休みが終わってしまうが、このまま携帯を切っても、彼女はこの学校へ乗り込んでくるだけだ。
そうなると、依頼主の期待を裏切ることになる。私が対応するべきか。
否、ボランティアでそこまで義理立てすることもない。

「……」

『梨奈、待ってて!』

することもないけれど、

「分かった……。でも、今、私行けないから、代理の人にとりあえずあんたの言い分聞いてもらうから」

『代理って……ちょっ』

「駅まで来て」

『まさか、彼氏? ねえ、ちょっと!』

私はそこで電話を切った。



41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 13:59:26.41

面倒なことを受け持ってしまった。
私は教室を出て、職員室へと向かう。
早退させてもらおう。
教師も、今の私には腫物を触るみたいな対応しかしないだろうから。
動きやすいと言えば、そうだ。

職員室で事務処理中の柏木先生に声をかける。

「みどりさん、どうしましたか?」

「気分が優れないので、早退させて欲しいのですが」

「頭痛や腹痛はありませんか?」

柏木先生は、椅子から腰を浮かせて私のおでこに手を当てた。

「ええ、それはありません」

「症状はいつ頃から?」

「今朝からです」

「そうですか」

柏木先生は横髪をかけ直して、私をじっと見つめてくる。
空港の保安検査でもされているような気分だ。

「お母さんは、ご在宅ですか?」

「いえ、パートに出かけています」

「でしたら、私が送りましょう」

「けっこうです」

きっぱりと言い放つと、先生は一瞬眉間に皺を寄せた。

「途中で倒れてしまったら、どうするんですか?」

そして、心配そうに、私の手を握ってくる。
どうやら善意で言ってくれているようだ。




42 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 14:08:04.46

面倒くさい人種だ。
ならば、一緒に来てもらおうか。
駅と、私の家まで。

「分かりました。では、お願いします」

「それでは、帰る準備をして正門で待っていてください」

「はい」



正門まで来ると、すでに黒のワゴンが道路脇に停車していて、先生が中から手招きしていた。
私は一度校舎を振り返る。今は掃除の時間。教室の窓から、こちらを見ている人影があった。

ひな子。

「……」

「どうしました? 早く乗りなさい」

「はい」

私は助手席へと乗り込んだ。



43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 14:32:24.51

ひな子のことだから、この車が先生のだと知っていたに違いない。
今頃、嫉妬で怒り狂っているかもしれない。
私は運転する先生の横顔を見ながら言った。

「すいません、駅の方へ行ってもらってもかまいませんか」

「いいけれど?」

「忘れ物があるんです」

先生が交差点に差し掛かったところでハンドルを切った。
ひな子の心を守ろうと思ったけれど、これでは逆だ。
久しぶりに、苛立ちを感じた。
柏木先生の純粋さと、私自身の立ち回りの悪さに。

駅に着いて、柏木先生に車で待っていて欲しいと伝えた。
彼女はあまりウロウロしないように、と釘を刺して了承した。

駅の構内に入る。制服姿で、腕組みをした少女が椅子に座っていた。
厚子だろうか。私が声をかける前に、厚子らしき少女が立ちあがって、こちらに詰め寄ってきた。

「あんた、梨奈の代理?」

「はい」

「あんたは梨奈のなんなわけ?」

「知人です」

「……ふざけんな!!」

狭い構内で、声が響く。
平日の昼間。田舎の駅にはお客もいなければ、駅員もいない。
彼女が人目を憚る必要もない。

案の定、厚子は私に掴みかかってきた。

「ッ止めてください」

「あんたが梨奈をたぶらかしたんでしょ!? あんなこと言う子じゃなかったのに!」



44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 14:45:56.71

壁に押し付けられるようにして、胸ぐらを掴まれて、私は息苦しさを覚えた。
腕力があるのか、振りほどけない。

「梨奈さんからッ……聞きましたよね?」

「だから、全部あんたが仕組んだことなんでしょうが!! この泥棒!!」

「あなたの気持ちもわかりますが、梨奈さんの本心です」

「……ッなんで、あんたが分かるのよ!? 私の気持ちを!! 梨奈のことを!!」

彼女が右手を挙げた。私が左手を挙げる前に、それは振り下ろされた。
パン――と乾いた音。

「ッ……」

痛みは遅れてやってきた。じんじんと熱くなる。
かなり力一杯やってくれたようで、口の端が切れたようだ。鉄の味が口腔に広がった。
私が本当に恋敵ならば、重い一撃だったのだろう。
ただ、私にとってそれはただの肉体的な苦痛なだけだ。
頬を抑えながら、彼女を見る。

「動じてないんだッ……」

それが癪に障ったのだろう。
続けて二発目。左頬に同じ衝撃。

「申し訳ないですが、何発打っても、何も変わりませんよ。私はただの代理ですから……」

「なんで、なんであんたみたいな奴が……!?」

思い込みの激しい人だ。女性は大抵、思い込んだら頑なだけれど。
彼女の気が済むようにするしかないと思った。なにせ、彼女もまた言葉が通じないのだ。



45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 15:14:52.98

「梨奈の目を覚ましてやんないと……」

彼女はぼそりと呟いて、次に私の鳩尾を殴ってきた。

「ぐッ……」

意識が一瞬飛びかける。

「……梨奈にはもう近づきませんって、誓いなよ」

「……げほッ」

「誓えって……言ってんの! 聞こえないわけ!?」

なぜ、ここまで梨奈という女子に執着することができるのだろうか。
厚子という人間は、梨奈がいなければ死んでしまうとでもいうのか。
鳩尾からせり上がってくる吐き気を抑えつつ、私は息を整える。

彼女の歯ぎしりが、頭上で聞こえた。

梨奈にも同じようにしていたのだろうか。
暴力で押さえつけるような真似を。
そこまで依存させたのは梨奈なのかもしれない。

「梨奈さんから、伝言を言い忘れてました」

厚子の手がピタリと止まる。

「良い人見つけなよ、ということです」

「……ッうぁ……ぅ……」

息苦しさが消える。
サンドバックから解放されて、私は泣き崩れる厚子を見下ろす。
早く戻らないと。先生が待っている。

「それでは、さようなら」

口の端を舐めると染みた。



46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 15:38:00.03

窓ガラスに映った顔を見て、私は頬の赤みに気が付く。

「……」

柏木先生への言い訳を考えている内に、

「みどりさん? 遅いので……」

彼女が現れて、そして私の頬を見て目を丸くした。

「どうしたんですか?」

驚きに満ちた表情の割に、口調は冷静だった。

「虫に刺されました」

やはり、私は言い切った。

「……」

信じるとは思えないけれど、できれば何も聞かないで欲しい。
説明と言い訳の手間も省ける。

「そうですか」

「ええ」

「私は、みどりさんと敵対したいわけでありません」

ふいに、先生は言った。

「では、何がしたいんですか?」

教師に返す言葉ではないが、私は率直に思ったことを口にする。

「あなたの味方になりたい、というのはおこがましいかもしれませんね。私は教師としてあなた以上に、あなたの将来が心配なのです」

「虫刺され一つで、大げさですね」

「たかが、虫刺され。されど、虫刺されです」



47 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 15:44:19.11

それならば、ひな子の欲望でも叶えればいいのに。
私は先生の横を通り過ぎて、車へ向かう。

「みどりさん!」

「まだ、何か」

「待ちなさい」

柏木先生は、ポケットから財布を取り出して自動販売機に小銭を入れ始める。
彼女はペットボトルの水を一本買って、私に手渡した。

「?」

「それで、頬を冷やしなさい」

「……わかりました」

その後、彼女は何も聞かなかった。
その優しさはありがたかった。
説明した所で、何が変わるわけでもない。
意味などない。



48 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 15:57:44.12

車に乗り込んだ途端、携帯に電話がかかってきた。
母だった。

「先生、母から電話がかかってきたので出て構いませんか」

「いいですが……」

柏木先生は前を向いたまま、目を細める。そして、アクセルを踏んだ。
母にはまだ私が早退すること伝えていない。
この時間は、私が学校へ行っているのを知っている。
では、なぜわざわざこの時間に電話してきたのか。
先生が言いたいのは大方そんなところだろう。

「もしもし」

『卓郎さん』

「……」

私は車の電子時計を素早く確認する。
まだ15時だ。早すぎる。

『卓郎さん?』

「……」

私の携帯は父の持っていたものだった。
だから、記憶のない時の母が父へ電話をかける時はいつもこの番号へかける。
番号を変えていないのは、母がその向こうにいるはずの人物がいないと知った時、どんな状態になるかがわからないからだ。

『ねえ、どうした』

そして、私は母を悲しませることが何よりも、何よりも辛い。

「……すまない、どうしたんだ?」

声のトーンを落とす。話し方を変える。
電話越しだと、それだけで人は錯覚できる。
本人だと。



49 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 16:16:09.10

先生がバックミラー越しにこちらを見ているのが分かった。
その視線から逃れるように、私はフロントドアの方へ体を向ける。

『お仕事中だった?』

「大丈夫だよ」

『今日、夕方から雨が降るのに合羽忘れてたでしょ? だから、合羽を持っていこうと思って』

「そうだったのか、わざわざありがとう。大丈夫、事業所のビニール傘を借りて行くよ」

『でも、他の方が忘れてしまった時のものでしょう? お家から近いんだし、それにもう、事業所の入り口まで来てしまったわ。あ、佐々木さんがこちらに手を振ってる』

母は笑いながら言った。

「なんだって」

『電話する時間があるなら、抜けれそうね? 待っているわ』

「ああ、待ってくれ」

からかう母に、私は頭を回転させる。

「今、外に出てるんだ。だから、今日も帰るのが遅くなってしまう。大丈夫、走って帰るよ」

『何子どもみたいな事言ってるの? だめよ、明日デートなのに。風邪を引いてしまったらどうするの』

「……ああ、そうだね。分かった、すまないけれど佐々木に渡してもらえないか?」

『よろしい。じゃあ、佐々木さんから受け取ってね』

「ありがとう」




50 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 16:24:39.75

『あ、それから』

「なんだい」

『お家の電話線が切れてしまっていたの。ネズミにでもかじられたのかしらね?』

「そうかもしれないね。僕が修理に出しておくよ」

『よろしくね』

「ああ」

佐々木さんは事情をよく知っている。
父の部下だった人だ。
上手く話を合わせてくれるだろう。

「じゃあ」

私は携帯を切った。大きく息を吐く。
母の記憶障害がこのまま早まっていけば、一人にさせておくのは危険だ。
かと言って、母を入院させたくなんかないし、母だって必ず拒むだろう。

「……」

「みどりさん、あなた……」

信号待ちで、先生がこちらを見ていた。



51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 18:22:01.80

「何か?」

「今の、お母さんなのでしょう?」

「そうですね」

「……あなたの叔母さんから、まだ混乱しているというのは伺ってはいたのですが」

「はい、母は混乱しているだけです。叔母はあまり詳しくは言いたがらないので、学校へもまだ伝えてはいなかったのですが、母の中では父はまだ生きています」

「いつも、そうやってお父さんの真似を?」

「ええ」

「そうですか……」

「柏木先生、そこの電柱の前で止まってください。左手のブロック塀に囲まれているのが私の家です」

先生は多少ぎこちなくハンドルを握り直して、ブレーキを踏んだ。

「ありがとうございます」

「かまいません」

私は一礼して、シートベルトを外した。

「混乱させてしまって、すいません」

「みどりさん」

「はい」

先生はさらさらと自分の携帯番号をメモ帳に書いて、私の手に握らせた。

「困ったことがあれば連絡を」

「大丈夫です。それに、他の生徒に対して平等に欠けます」

私はそれを付き返す。

「登録しておいてください」



52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 18:31:52.46

その夜、私は舞への報告電話の後、柏木先生の電話番号を登録した。
これは、彼女の仕事なのだろうか。生徒の相談に飢えているのかもしれない。
教師としての職務ではなく、自己満足の正義感を満たしたいのだ、きっと。

否、ひねくれた考えだ。

私は痛む頬をさする。
鳩尾もまだ軋む。

今日はどうかしていた。厚子と梨奈。
あの二人、あの依頼主のために、身を削る価値があったのかと問われれば、ない。
なのに、なぜああまでしたのか。

目を閉じて、ベッドへ体を預ける。
テレビの音。
母はまだ、父の帰りを待っているようだ。
明日はデート。
父は母をどこへ連れていくつもりだったのだろうか。



53 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 18:44:39.45

次の日、私は早朝から校舎裏にいた。
私を呼び出したのは、ひな子だった。

「私は、カツアゲでもされるの?」

軽いジョークを飛ばすと、ひな子は半笑いした。

「そんなことしないもん。昨日のこと」

「ああ」

もしかして、早退したことを気にかけてくれているのかもしれない。
脳裏でそんなことを考えた。これもジョークだ。

「柏木先生とどこに行ってたの?」

ほら、来た。
彼女の頭の中は、昨日の厚子と同じ。
柏木先生のために、容量を使い切っている。

「私の家まで送ってもらった」

「それだけ?」

「それだけ」

「そっか……私、みどりちゃんのこと嫌いになりたいわけじゃないの」

「うん?」

「でも、柏木先生のこと取っちゃったら、みどりちゃんでも何しちゃうかわかんないから」

久しぶりの会話がこれか。



54 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 19:05:10.00

「……なんてね」

彼女は口元を手で押さえる。

「焦った?」

「は?」

「いくら私でも、さすがにそこまではしないもん。それに、柏木先生はただの憧れだから、安心してね」

何に対して安心すればいいのか。

「はー……やっとみどりちゃんとまともに話せたよ」

ひな子は大きく息を吐いた。

「メールしたはいいんだけど、来てくれるか分からなかったし、何話していいかもわかんなかったんだよね。しょうがないから、ブラックジョークをかましてみたんだけど」

「ひどいね」

「思ってた通り、反応が薄い」

「それは仕方がないよ」

「教室でのみどりちゃんは、もっと酷い。まるで手負いの虎みたいな空気だもんね」

「手負いの虎……」

その表現はどうかと思う。

「クラスメイトは近づきたくても近づけないんだから」

「近づきたい人なんて、いないと思う」

「いるもん」

「?」

「私がいるもん。みどりちゃんが思っているよりももっと、私はみどりちゃんが大切なんだから!」

「ありがとう、私もひな子のこと大事な存在だと思ってる」

そんなに風に思っているなんて知らなかった。





57 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 19:58:13.61

知ってたら――知ってたら何だと言うんだろう。

「みどりちゃんが私に何にも言ってくれないから、何も聞かなかったけど……みどりちゃんが悲しいのは嫌だよ」

「悲しいわけじゃない。ただ、私も心の整理ができてないだけで、落ち着かないだけ。だから、暫く私のことは放っておいて」

「そんなこと……」

と、手を叩く音。私は振り返る。

「はーい」

舞だった。

「舞ちゃん……?」

「舞、何?」

「ひな子ちゃん、みどりちゃんちょっと借りていっていいかな?」

「ごめんね、今みどりちゃんと大切な話をしてるの。ちょっと、待ってもらえるかな?」

「いや、いいよ。話すことないから」

「みどりちゃんッ?」

「まあ、みどりちゃん酷いねえ。いいんだよー、私はちょっと待つくらいさー」

ひな子に背を向けて、私は舞と歩き出す。
隣を歩く舞の表情は、あまりにも楽しそうだった。



58 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/09/03(水) 20:23:20.72

ひな子は追っては来なかった。
それでいい。

「話って」

「それがさ、このボランティアが生徒会長にばれちゃって」

「申請書まで書いていたのに、今さら何を言って」

「いやー、それがうっかり今まで録音してたデータも、この間、生徒会室に置いてきちゃったんだよね」

「なに……は?」

「いやーほんとうっかりだよ」

「聞かれたってこと?」

「そうなんだよね」

「最悪だね」

「初心な生徒会長は、内容までは突っ込んでこなかったけど」

「それで、私に何をして欲しいの」

「私意外の部員の話も聞きたいから他の二人を連れて来いって言うんだよねー」

私は軽く溜息を吐く。

「それで、もう一人の部員は?」

「先に行ってるよ」



64 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 14:07:03.10

「学校にばれたの?」

「いやいや、生徒会長に漏れただけだよん」

語尾が上がっている。

「舞、楽しそうだね」

「そう、見える?」

「うん」

「そんな、私を見て、みどりちゃんは何か思うところがあったり?」

「何も、ないよ」

「えー、つまんないなー」

彼女は私に何と声をかけて欲しいのだろうか。求められた言葉が分からずに、舞を見た。
背丈が同じなので、自然視線が重なる。肩より少し長い色素の薄い髪を揺らした。

「もっと、怒っていいのに」

「それは怒られる人の態度じゃない、と思う」

「ああ、逆に怒りにくいのかな?」

彼女が首を捻る。
変な人だ。



65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 14:18:32.24

生徒会の部屋の前に着いて、変な彼女は一段と輝いた笑顔でその扉をノックした。
中から返事があった。

「失礼しまーす」

「失礼します」

書類が積み重なった机を背景に、仁王立ちし腕組みする女生徒がいた。
その横に、おどおどと子リスのような少女。

「泉会長、もしかしてずっと立って待っててくれたんですか?」

「ええ、そうです」

仁王立ちと腕組みを解き、生徒会長――泉は舌足らずな敬語で、

「お二人共、そこにお座りください」

子リスにも同じように、

「邦美、あなたも座りなさい」

子リス――邦美は会長のと思しき――パイプ椅子より幾分座り心地の良さそうな――椅子の横へと座る。



66 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 14:28:55.03

座りながら、邦美と泉会長を交互に見る私に、舞が耳打ちしてくる。

「あの二人は姉妹だよ。似てないでしょ」

確かに。
しかし、どうでもいい情報だった。

「舞、大人しくしてると思ったら、今度は妹まで巻き込んで……」

泉がため息を吐く。
それから震える手で、机の上にあったUSBメモリを目の前に突き出した。

「こんな破廉恥なことをしていたんですか……? しかも、このデタラメな申請書はなんなんですか……」

切れ長の目に射すくめられ、私は少し背筋を正した。

「泉会長、ボランティアしてただけなんですよー。ねえ、邦美?」

急に話題を振られて、邦美はびくつくも首を縦に振った。



67 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 14:36:45.53

「邦美はこんなことをする子ではありませんッ!」

会長が一喝する。その声で、子リスはまた震える。
木の穴ぐらに入りたい、そんな表情をしていた。
と、我関せずと傍観していた私に、会長は視線を転じた。

「あなたは……?」

「同じクラスの、みどりちゃんです」

「どうも」

「みどりさん、ボランティアがしたいなら他にもっと健全なものがあります。良ければ、ご紹介させて頂きますから」

「私は、ボランティアがしたいわけではありません」

会長が固まる。

「だからと言って、舞がしていることを推奨しているわけでもありません」

「え、そうなの?」

舞が言った。
それは知らなかった、というように。



68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 14:52:46.98

「じゃあ、あなたはなぜこんなふざけたことに付き合ってるんですか……」

ふざけたこと。
舞を見る。特に気にしてはいないようだ。

「それは」

理由――。

「興味本位でこういうことをして、ご両親が知ったらさぞ悲しまれますよ」

「そうですね」

「こういうことなんてさ、今のうちにしかできないんじゃない?」

泉は舞を睨む。

「舞、どうしてそんなことを言うんですか……前は、もっと大人しい子だったのに」

「お、お姉ちゃんッ……」

と、か細い声。
邦美が右腕を恐る恐る上げながら割り込んだ。

「なんですか邦美」

「舞さんに、やろうって言ったのは私なのッ……」

「あれ、邦美ちゃんそれ言って良かったの?」



69 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 15:11:44.09

「邦美ッ……それは、本当ですか」

「う、うん……」

「……どっちにしろ、それも含めてお母様に今回のことは報告させて頂きます」

邦美はびくりとした。
泉は、苦虫を噛んだような顔で、舞を見る。

「舞、学校側に直接の被害が出る前に……解散してください」

「親孝行ですね。でもいいんですか? それバラしたら邦美ちゃんまた……」

「家のことは放っておいてくださいッ」

「また、ここに来なくなって、学校でハブられちゃうんじゃないかなって、思ったりするんですけど」

「邦美は大勢でいるのは苦手なんです……むしろ、無理やり学校に連れ出してこんなことをさせている方が」

「あーあ、会長なら分かってくれると思って、せっかくUSBメモリ置いておいたのに……子どもの悪ふざけに大人を巻き込まないでくださいよ」

「度が過ぎていると言っているんです……」

私は半分そこにいないかのような心地で聞いていた。
ともすれば、何かドラマを見ているような。

「まあまあ、邦美ちゃんの意見も取り入れていきましょうよ。ねえ、お姉ちゃんあんなこと言ってるけど、いいの?」

「……お姉ちゃん」

「なんですか」

「あの……その……」

「はっきり言いなさい」

「お母さんに、理事長には言わないで。お願い……お願い」






70 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 15:18:37.37

「邦美……」

「ホントにいいんですか? 言っちゃっても?」

邦美は泉の袖口を掴む。

「……こんなこと続けてもろくなことになりません。もうしないと言うなら、お母様には言いません」

「ほんと……ッ?」

「ええ……その代わり、明日は家にいなさい。いいですね」

「あ……、はい」

会長は持っていたUSBを舞の方へ投げる。

「これは、早く処分してください」

「はーい」

片手でそれを掴み、舞が軽くそう返した。



72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 18:41:28.04

その後、邦美だけが生徒会室に残るように指示され私と舞は解放された。

「同い年とは思えないでしょ?」

笑いながら舞が言った。

「そうだね」

「だよねー。邦美は小さい頃からあんな感じで、泉の過保護っぷりも昔から変わらないよ」

「舞」

「なに、みどりちゃん?」

「邦美は前までずっと学校に来ていなかったけれど、なぜ来なくなったの?」

「お、他人に興味を持つなんて珍しいじゃんか。そうだね、何ていうか心無い人間の一言と言いますか」

「舞は、私に邦美と友達になって欲しいんだよね」

彼女が歩みを止める。
きょとんとしていた。

「察しがいいじゃん。どこで気づいたの」

「邦美が仲間の一人って教えてもらってからかな」

「えー、けっこう早いじゃん」

「クラスの問題児二人を手懐けたかったの?」

舞は吹き出した。

「それもいいかもね」







73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 18:55:25.53

「そう……」

「腹が立った?」

「ううん、物好きだなって思った」

「なんでさ、二人とも単なるクラスメイトじゃん。一緒にいて何かおかしい?」

そういう言葉を照らいもなく言える彼女は、素直に羨ましいと思った。

「おかしくは……ないよ」

「でしょ? さーて、とりあえず活動はいったん停止ってことなんだけど」

「言われたのは邦美だけだね」

「みどりちゃーん、今日はやたら賢いじゃない」

「そう?」

「というか、私の思考に近づいている気がする」

「それは、嫌」

「いけずー」

舞が抱きしめてくる。

「ちょっと、止めて」

「照れてる? 照れてるの?」

「……?」

「わけがわかんない、って顔されると傷つくわー」






74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 19:20:13.94

「舞は、だいたいいつもよく分からない」

「へーへー……」

と、1時間目の予鈴が鳴った。

「あ、HRすっぽかしちゃったか。柏木先生になんて言い訳すればいいやら」

「夜遅くまで勉強していた、でいいんじゃない? 舞はそれで通じると思うけど」

「そんな遅くまで勉強しないって。だいたいそんなキャラじゃないしさ」

彼女は言いながら、私の背中を叩いた。
痛い。

「成績上位者からそれを言われると私は肩身が狭い」

「今度、教えてあげよっか?」

フレンドリー過ぎて気持ち悪かったので、私は首を振った。



75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/13(月) 19:33:40.24

その日、教室に邦美は戻ってこなかった。舞が聞いたところ、早退したらしい。
邦美と同じクラスになってから、話したことは数える程しかなかった。
性格が性格だけに、お互いに歩み寄るということがない。
ボランティア仲間と知っても、なお、彼女との距離は変わらなかった。

放課後、特に依頼もなかったため早々に立ち去ろうと席を立った時だった。

「みどりちゃん、この後まだ時間ある?」

舞に呼び止められ、時計を確認する。
母からの電話はない。
まだ、大丈夫ではあるけれど。

「何か?」

「これ」

彼女が差し出してきたのは、邦美の生徒手帳だった。

「落としちゃったみたいなんだよね。でさ、良かったら届けて来て欲しいな」

「机に置いておくって選択肢は……」

舞は唇の両端を思いっきり釣り上げて、私の手にそれを握らせた。

「ボランティア精神でお願いします」

「……」

しょうがない。
お望み通り、友達を演じてきてあげる。
私にはそれが限界。それ以上、踏み込むつもりはない。



78 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/16(木) 22:24:20.56

舞にもらった簡素な地図を握り締めて、私は邦美と泉の家に向かった。
学校を出て、川沿いを進み、橋を渡り、土手を降りて、スーパー裏手に回ろうとした所で犬に吠えられた。

「……」

振り返ると、邦美が立っていた。

「みどりさん……」

少女の横の丸々と太った柴犬は、今にもこちらへ飛びかかってきそうだ。
息も荒く、私は少し後ずさった。

「今日、どうしたの?」

動揺していた彼女に、私は心配そうに見えるように声をかけた。

「あの、その……お姉ちゃんが帰るように言ったので……」

「だから、帰ったんだ」

そんな理由。
姉の言うことだったら何でも聞くのだろうか。

「ごめんなさい……みどりさん、ありがとう」

「いいけど、あと、別に同い年なんだから敬語じゃなくてもいいんじゃない」

「ご、ごめんなさい……癖なんです」

謝らなくてもいいのに。

「そう言えば、生徒会長と姉妹だったんだね」

「はい、二卵性だからそんなに似てないんです……」



79 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 15:52:33.16

私より頭一つ分は背が小さいためか、俯くと彼女のつむじが見えた。
無意識にそれを眺めていると、さっと手で隠される。

「?」

「あ、その、上から見られるの恥ずかしいんです……」

「ああ、ごめん」

視線を外してやる。
豚のような犬に目を向けると、吠えられた。

「ワン! ワン!」

「だ、ダメよッ、ポーク」

ポーク。犬の名前にしては、豚すぎる。
しかし、あまりにもしっくりくる。

「ぷッ……くすくす」

「な、なんですか?」

「だって……ポークって名前」

「生まれた時から、凄くぽっちゃりしてて……それで」

「そう……なんだッ……ッ」

「そんなに笑わなくても」

笑うつもりはなかったけれど。
肩で息を整えて、私は生徒手帳を取り出した。

「ごめんごめん。あと、これ忘れ物」

「え、届けにきてくれたんですかッ?」

リードを離さんばかりに彼女はビックリしていた。

「そんなに驚くこと?」

「……同級生が会いに来てくれたの初めてで……」

「そう……」




80 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 16:34:08.96

彼女は言ってから、自分の呟いた言葉にまた縮こまっていた。

「舞とは親しそうだったけれど、どういう知り合いなの?」

「舞さんは、幼馴染なんです……だから、家にもたまに訪ねてきてくれるんです」

「へえ……」

「小学校くらいまでは、お姉ちゃんと三人でよく遊んだんです……」

とすると、舞の家もこのあたりになるのか。

「そこの河原で、ポークと追いかけっこしたり、お花の首飾りを作ったりして」

舞も、普通の女の子だったんだろう。
当たり前だけど。

「泉会長はあまり舞に良い印象を持っていないみたいだったけど?」

「それは……私が、その、あまり高校に行かなくなってしまって、1年の時の話しなんですけど……それで舞さんが今回みたいに連れ出してくれた時があって……その際に、ちょっと私が怪我をしてしまったんです」

「うん」

「もう、わかると思うんですけど……私苛められてて、舞さんが一緒に学校へ行ってくれて、リーダーっぽい女の子に怒ってくれたんです」

彼女の中では、まだ清算仕切れていないのか、声が震えていた。

「それで、そのリーダーの子に、その後仕返しされて、今まではいじめられても普通に話してくれてた子からも無視されるようになって……舞さんもそれが分かって、今度は私のクラスに乗り込むって……あ、すいません……こんな話し、聞きたくなんてないですよね……」

「いや、続けて」

私が短く述べると、彼女は溜まったものを吐き出すようにまた口を開いた。

「舞さんが、そうやって行動してくれたのって実は初めてだったんです……私から見ても、大人しくて静かな印象だったので」

「それは、邦美のことが大切だったからなんじゃない?」

「……」

邦美は首を振った。

「いいえ、きっと恨んでいます。お姉ちゃんは、舞さんにいじめのことは理事長である母に任せるから、もう何もしないでと伝えたんです。舞さんは納得はしませんでした。私は、母から特別に個別授業を与えられて……週に1度だけクラスに顔を出すようになりました……。そんな生活だから、友達もできなくて、つまらなくて、寂しいって思って、舞さんに相談してみたんです……お姉ちゃんにバレないように」

「それで、あのボランティア?」





81 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 16:48:03.80

「はい……最初は私のように苛められてる子が減ればなって思って、やろうって言う事になったんですけど、寄せられてれくる相談は、あんなのばかりで……でも、やり始めると、なんだか楽しくなってきちゃって……変ですよね」

「楽しいんだ」

「……はい」

「変わってるね」

「あの、ずっと疑問に思っていたんですが……みどりさんは、なぜ参加してくれたんですか?」

「暇つぶし」

「そ、そうなんですか」

「うん」

「私たちのこと、軽蔑しないんですか?」

「どうして?」

「だって、気持ち悪いじゃないですか……女の子相手に、その、エッチなことを手伝ったりするの」

「でも、需要があるんでしょ」

「……まあ」

「それに、邦美もまんざらじゃないだよね」

それを言うと、彼女は自分で先ほど言った言葉を忘れたかのように、顔を隠す。

「このくらい現実から離れたことしてるとさ、現実が現実じゃないみたいでラク」

私は独り言のように呟いた。



82 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 17:06:10.91

邦美はまだ何か聞きたそうにしていたが、ポークが一声鳴いた。

「……あ、そろそろ私戻らないと」

ポークに引っ張られながら、邦美が頭を下げた。

「変な話ししちゃってごめんなさい。あの、舞さんにもごめんなさいってお伝えしてもらえたらと思います」

「明日会ったら伝えておく」

「あの、最後にいいですか……?」

「何?」

「と、友達になってくれませんか……?」

「いいけど、もう友達だよ」

花が咲いたような笑顔だった。
重たすぎるほどだった。

何度も頭を下げながら彼女が遠ざかっていく。
夕日がほとんど沈みかけていた。
私も帰路に着く。
光の消えた土手は、肌寒かった。

籠の鳥。
籠の暖かさは知っているけれど、籠の外のことをどんどん忘れていってしまうのだろうか。



83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 17:24:44.48

家に帰ると、明かりが灯されていなかった。
買い物に行ったのだろうか、と思ったが玄関に鍵はかかっていなかった。

「お母さん――?」

玄関先の闇が揺れた。

「……あ」

闇が声を発した。

「あなた……」

「……母さん、電気もつけないで何を」

母はゆらりと立ち上がって、靴も履かずに私に抱きついてきた。

「どうした、何が」

「もう、帰ってこないかと……お医者様が、もう今夜が危ないって……ごめんなさい、私、お見舞いにも行けずに……」

「そんなの……」

喉がきゅっと締まる。
上手く声が出せない。
小さく咳払いする。

私だって、その時友達の家に泊まりに行っていた。
携帯の充電だって切れていて。
母は、町内のママ友と旅行に行っていた。
連絡に気がついたのが遅すぎた。

「病院に通ってることも知らなかった……痛いの我慢してたんでしょ……言ってくれれば良かったのに……」

母の腕に力がこもる。
私たち母子は、父のことを何も知らなかった。
父は優しくて、物静かで、何も言わなかった。

暗闇でも母が泣いていたのが分かった。





84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 17:35:40.19

私もいつの間にか瞼が熱くなっていた。
薄紫のわずかな斜陽が母の顔を映す。

少女のように嗚咽を漏らす彼女の頭を優しく撫でた。
母が私の頬を両手で挟む。

「卓郎さん……」

声が近づいてきて、生ぬるい吐息が顔にかかる。
私は、瞬間的に、母を突き飛ばしていた。
どさり、と母が尻餅をついたであろう音が聞こえた。

私は急いで玄関の電気をつけた。

「お母さん!」

母は下から私を見上げて、目をぱちくりさせていた。

「ただいま……」

「おかえりなさい……」





85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/10/19(日) 18:06:40.01

「あら……みどりちゃん、そんなところに立ってどうしたの? もうご飯出来てるから、食べましょ?」

母が立ち上がる。

「あいたッ……お尻どこかで打ったのかしら」

自問自答して、リビングに向かう。
私は立ち尽くしていた。
呼吸が止まっていたのか、息苦しかった。
息を吸って、

「お母さん……!」

もう一度呼ぶと、部屋の奥から声がした。
私は安堵したものの動機は収まらない。

リビングへ行きたくない。
母の顔を見れない。

自室へと駆け上がって、震える手で携帯を開いた。
電話帳を開いて、自分でもよく分からないが、なぜか柏木先生に電話していた。

それから1時間後、母に適当な理由を述べ、私は先生の住むマンションに来ていた。



92 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 15:02:40.72

彼女の部屋は一言で言うと、汚かった。

「……」

「荷物、適当にそこに置いておいてください」

どこに置けばいいのか。
積み重なった本を崩さないように鞄を端に寄せる。

「なぜ、そんな隅に座るんですか?」

柏木先生はお盆の上にお茶を乗せて、私に言った。

「あの、座る場所が」

「その辞典の下に確か座布団が……」

ひょいひょいと辞典類でトーテムポールを作り出していく。

「ありましたね、遠慮せずに座ってください」

「凄い本の数ですね」

ゴミは落ちていない。
全部本だ。

「調べ物をする時に、後片付けをしない癖があって」

「そうなんですか」

片付けをしない、という次元の話しではなかたが、私はそれ以上は聞かなかった。

「案外、だらしないんですね」

「幻滅しましたか?」

「いえ」

「大抵の生徒はこれを見ると、引くんですよ」

「他にもここに来た子がいるんですか?」

「ええ」



93 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 15:14:14.37

誰だろうか。
誰でもいいか。

「お茶、どうぞ」

「ありがとうございます」

「みどりさんが電話で言っていたこと、本当は冗談じゃないかと思っています」

熱い湯飲みから視線を外した。
彼女を見る。

「母に襲われそうになったことですか」

「そうです」

「私は、そう言う嘘を吐く人間に見えますか?」

「いいえ、そんなこと思いませんよ。だから、困っているんです。現実に、今、起こってしまっている事に混乱しています」

「先生は、何かあれば電話をしろと仰いました」

彼女を頼りにしているわけではない。
ただ、逃げ道がそこにあったから使った。

「そうですね、ええ……そう言いました」

「訪ねてきた本人が、案外とあっさりしているから疑っているんですか」

「それもあります……」

「あまり、顔に出ないんです」






94 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 15:25:53.73

「……みどりさん」

「はい」

「こんなことを言うのも気が引けるのですが、お母さんとは上手くいっていますか?」

その言葉に、私はある予想が脳裏を過ぎった。
私が何らかの理由で、母から遠ざかるための演技をしている。
彼女はそう考えているのではないか。

「私と母との仲は普通です」

「お母さんに、その、苛められたりしてるわけではないですよね?」

ああ、そう捉えるのか。

「違いますよ」

「ここには、私しかいませんから隠さなくても大丈夫ですよ」

「それは、本当に杞憂です、先生」

彼女は難しい顔をした。私の目を見ている。
そんなもので、真実がわかるのか。でも、彼女はそれを信じている。
そんな気がした。私は笑いかけた。先生の顔が、戻る。

「そんな怖い顔しないでください」



95 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 15:51:37.96

「疑ってすいません」

彼女の頭の中での、私と母親の人形劇が終わったのだろうか。
先生は湯気の上るお茶を一口口に含んだ。

「いえ」

「けれど、問題は依然解決していないんですよね……」

それには答えず、私はお茶をすすった。

「みどりさんはどうしたいんですか?」

「私ですか」

「ここへ来たということは、お母さんと一緒に暮らすのも難しくなってきているということですよね……?」

「いえ、そういうことでは……母の傍を離れたいとかではないんです。今日は、その、私自身が混乱してしまって……」

その問いかけに、脈が少し早くなったのを感じた。
何かを言い繕っているみたいだ。

「みどりさん、ずっとということではなくて、一時的に病院で診ていただく期間が必要ではないかということなんです」

「それは、はい……いつかは、通わせないといけないと思います」

「……それを判断するのは、みどりさん一人ではしんどいでしょう?」

「まだ、母は日常生活にそこまで支障が出ているわけではありませんから」

「お母さんのこともそうですが、みどりさんにもみどりさんの生活があるでしょう」




96 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 16:11:01.03

「私は、学校へ行くくらいしかしていませんから」

母が入院したら、私はどうなるのか。
考えたことはある。
叔父夫婦に預けられる。
でも、まだ、母は大丈夫だ。

「お母さんと一度話した方がいいのでは?」

「ええ、その時が来たら、話します。でも、母はまだ大丈夫です」

母が入院したら、母はどうなるのか。
どうなるのだろう。
もしかしたら、戻ってこないかもしれない。

まだ、大丈夫だろう。
ご飯だって普通に作れる。トイレだって行ける。買い物だって行ける。
介護が必要なわけじゃない。
遺族年金とかそういうのだってある。
少し、足りない部分はこちらが補ってやればいいだけだ。
時々、変なことを言うけれど、それは名無しの誰かさんだとでも思えばいい。

「相談する方はいますか?」

「前に叔父や叔母がたまに様子を見に来ると言っていましたので」

「お母さんの様子を一番よく見ているのは、みどりさんです。そして、一番支えになれるのもみどりさんですよね。お母さんが変わってしまったことを認めるのはとても苦しいことではありますが、言わなければいけないことはご親戚の方にきちんとお伝えしてくださいね……」

彼女の心配をイヤらしく感じてしまった。
知った風な顔で。
見透かされたような気分。

「ええ、分かっています」





99 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 20:53:53.29

先生はとても優しかった。
一人の人間として。
とても暖かった。
最終的にはそう思えることができた。
それは、私にまだ余裕がある証拠じゃないだろうか。

その晩は柏木先生の所へ泊まった。



次の日、先生の車に乗せてもらい登校した。
私は失念していたことがあった。
柏木先生は、女生徒から熱狂的な支持があること。
彼女のファンが、過激だったということ。

そして、ひな子はやはり柏木先生が好きだったということ。
放課後になり、私は数人の女生徒に囲まれるようにして席に座っていた。



100 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 21:20:21.89

嫌な空気だった。冷ややかな視線が、私の身体を重たくしていた。
貼り付けられたように椅子に座らされていたので、もう一度私は繰り返した。

「先生とは何もなかったから」

「じゃあ、なんで一緒に登校してくるわけ?」

「たまたま拾ってくれただけ」

そう言うと、口々におかしい、ありえないと文句が出てきた。
何と言えば、信じてもらえるのか。
そもそも、信じる気があるのか。

「あんた、前にも一緒に帰ってたじゃん」

「なにそれ、前科持ち?」

「ありえないんですけど」

誰が何を喋ったのか分からなかった。

「ねえ、みどりちゃん」

私は視線を転じる。

「なに、ひな子」

「私、みどりちゃんのこと大切な友達の一人だって思ってる。だから、こんな事で喧嘩したくないの」

「そうだね。私もこんな事で喧嘩したくない」

「だから、本当の事を言って欲しいんだよ」

「それは、もう言ったから」

少し背の高い女子が、机を叩いた。
中に何も入っていない机が驚いたように跳ね上がった。
びくりとしたのは、その子の周りの女子だった。
ひな子が怪訝な目を向けるが、それを無視して彼女は私に言った。

「もうさ、ハブろうよ」



101 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 21:34:49.88

ひな子が真っ先にそれを制した。

「感情的にならないでよ、怒るの分かるけど」

「そ、そうだよ。別にそこまでする必要ないじゃん」

「あんたら抜け駆けされて悔しくないわけ? 何もないなんて嘘に決まってるじゃん。こいつ、いつも影でコソコソして気味悪いし、何やってるか分かんないし嘘くらいつくでしょ」

早口で非常に不愉快なことを言われた。
反論する気にもなれず、私は『は?』と返していた。

「ひな子、ねえ、お願いよ」

ひな子には、ひな子の立場があるようだった。

「分かった……」

ひな子が私を見ていた。
心配してくれているのだろうか。
そんな必要はないと言ったのに。

「好きにすれば」

私はその場にお似合いな台詞を吐き捨てた。




102 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 21:49:32.00

――――
―――
――




友達ができた。
画用紙に描いた絵のような。
嬉しい。
ポークも嬉しい?
私は、ここからここまで嬉しい。
ポークは?
そう、そんなに。
良かった。
お姉ちゃん、明日は学校に行ってもいい?
せっかくのお友達とお話したいの。
ねえ、お母さんいいでしょ?

ノックの音がした。
私は部屋の窓を閉めた。
庭先のポークが一声吠えた。

誰だろうか。
カチャカチャと食器を置く音。
家政婦さんだった。
声もなく。
乾いたスリッパの音が遠ざかる。



103 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 22:01:33.45

「……」

夕飯だ。
お腹は空いていた。
昼ご飯は、食べなかった。
姉が心配して、何度も部屋を訪ねてきた。
昨日のことのようだ。

ノックの音がした。

「邦美、いるんでしょ。入るわよ」

「ま、待ってください」

「また? お昼もそう言って、入れてくれなかったじゃない」

「今、お祈り中なんです」

「そんなもの朝食の時に済ましたでしょ。それより、お夕飯は食べなさい。体に障るわ」

「大丈夫。今日は比較的、落ち着いてます。お昼も薬は飲んだから」

「薬だけなんて、胃を痛めるのよ……」

私は左胸を覆うように、手のひらで抑えた。

「大丈夫でしたよ。ごめんなさい、夕飯は食べますから」

「開けるわよ……」

「はい……」



104 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 22:16:21.84

私はベッドから立ち上がった。

「邦美、座っていなさい」

「はい」

姉は手際よく、机の上にお皿を置いていく。
ナプキンを広げて、私の首へ巻きつける。

「じ、自分でできます」

「いいから、じっとして」

姉の冷えた手が、首筋に当たる。

「お姉ちゃん手が」

「お姉様でしょ。お母様の言いつけを守りなさい」

「あ、ごめんなさい……」

「なんてね。いいわ、二人の時は特別ね。私も敬語じゃないし。お相子。あなたも敬語じゃなくていいわよ」

陶器のような指先が私の首筋に立てられた。
姉の癖だった。
爪を立てるわけでもなく。
ただ、触る。

「冷めないうちに召し上がれ」

「お姉ちゃんは、食べたの?」

「いいえ、今日はまだよ。お父様もお母様もいないから、食べる相手がいなくてどうしようかなってね」

「一緒に食べる?」

「……うん、そうね。一緒に食べましょうか」

「幼稚園の頃みたい」

「食べさせ合ったっけ」

「あの時は、まだ私の方がお姉ちゃんより背が高かったね」

「あなたが姉だとよく言われたから、私いつも怒ってたの」

「そうだったの?」

「そうよ。悔しいじゃない、私の方が先に生まれたのに」



105 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 22:27:27.38

姉はスープを一口口に含んだ。

「あ、先に食べた」

「いいじゃない別に。はい、口開けて」

「じ、自分でできるよ」

「いいから、はい」

「あ……ん」

少し生ぬるい。
コーンポタージュ。

「ねえ、邦美。家ではこんなにいい子なのに、どうして外ではあんなに反抗的なの?」

「そんなことないよ……」

「あるわよ。あまり、過激なことはしないで……体にだって良くないし、発作が起きたらどうするのよ」

「体のことは、私が一番良く分かってるから」

姉が食器を机に置く。
私が先ほど触れていた所に、姉の手が当たる。

「強く押したら壊れてしまうんじゃないかって、いつも思う」

「大丈夫だよ」

「あなたも変わったわね……」

「?」

「私の前で泣き言ばかり言ってたのに、あなたも舞も……」

「今も、そうだよ……うじうじして迷惑ばかりかけてる」




106 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/16(日) 22:39:46.80

「邦美、お願いだから、無茶なことしないで」

「……お姉ちゃん」

「一人で行ってしまわないで……」

私の身体を包むように、姉の腕が回された。

「生徒会長らしくないよ……」

「あなたまで、そんな事……」

「ごめん……」

お姉ちゃんのことが好きだ。
それは彼女も同様で。
傍を離れたくないと。

「いつも、同じ顔なんてできないわよ……」

でも、私の前ではお姉ちゃんなのだ。
私は彼女から、彼女らしさを奪ってしまっているのだ。
それが。
本当に。
苦しい。



108 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 12:48:35.49

そう。
でも。
私だって、いつまでもお姉ちゃんやお母さんに甘えていくわけにはいかない。
一つずつ、準備をしていかないといけない。
人に臆病で、誰かに頼るばかりで。
生きていていいのかとさえ思うけれど。

「お姉ちゃん、私……さっきね、友達ができたの」

「え?」

「ほら、みどりさんだよ」

「……あ、ああ」

「ちゃんと、友達になれるように……頑張るね」

「邦美……こんなことは言いたくないけど、あの、みどりさんって子……私はあまり近寄って欲しくない」

姉が伏せ目がちに言った。

「どうして?」

なぜ、そんなことを言うのだろう。
純粋に疑問に思った。

「みどりさんのことを知っているわけじゃないけど……感情があんまりないというか、不気味だわ」

「もしかしたら、人付き合いが苦手なのかもしれないよ」

「それだけならいいけど……あなたのこと傷つけしまいそうで。それなら、まだ、舞の方が……」

「お姉ちゃん……」

「邦美……私がいるじゃない」

「私ね、友達が欲しいの……」

「でも、もしまた苛められでもしたら……」

「そんなことしないよ」

私は笑った。

「そう言って、前も……騙されたじゃない? 思い出すだけで……」



109 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 12:50:30.53


騙された。
それは、なんだか語弊がある。
騙されたなんて思ってない。信じていた。
一緒に遊んだり、ご飯を食べに行ったり。
それは、全てお金のいることで。
私はお母さんに内緒で自分の預金を引き出した。
私名義の口座にはお金がたくさんあった。
誰も、私がお金を使っていることに気づかないまま。
そんなことを繰り返していた。

その頃、私の心臓には後天性心疾患というくくりで、いくつかの異常が発見された。
症状が少し進行していて、先は長くないかもしれない。誰もそんなことを言わなかったけれど、直感的に分かった。
でも、手術を受けてなんとか持ち直した。
今は薬が手放せないし、激しい動きは難しい。

――君の心臓は、人より少し『動こう』という命令に鈍感なんだ――

小さい頃に、医者が言った。

いつの間にか。私たち姉妹は、あんなに親しかった幼馴染ともあまり話さなくなってしまって。
距離を置いて。3人の輪の中から、彼女を閉め出してしまった。
それは、彼女に心配をかけたくなかったからもあるけれど。
雛を外敵から守るように、高い木の上に巣を作って。
守られている。

「心配性だね……それ、中学の時の話しだよ」

「高一の時だって、体育で怪我させられたじゃない……私もお母さんも気が気じゃなかったんだから」

「舞さんが助けてくれたし」

「あの子は、何もわかってない……」

「そんなことないよ……」



110 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 12:59:28.13

カチャン――
スプーンがお皿を滑り落ちた音だ。

「あ、ご飯食べようか……」

我に帰ったように姉が言った。

「うん」

胸までの黒髪を耳にかけて、彼女はスプーンを掴んだ。



もし、この体があと数分しか動かないと宣告されたら、
私の部屋のベッドに身体を全部投げ出してしまって、
眠るように目を閉じて、
自分の運命に降参して、
お姉ちゃんの名前を呼ぼう。

それが、嬉しいと感じることなのか分からないけれど。
それで笑ってくれたら。
すごく素敵な最後だと思う。



113 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 13:15:45.02

次の日、個別の特別授業だけは受けることになった。
お母さんは教室には行かせてくれなかった。
その部屋だけは、クリーンルームで。
傷をつけられることもない。
もしかしたら、そう信じたいのかもしれない。

みどりさんと話したかったけれど、叶わないと分かって、私は少し気落ちして授業を受けた。
誰も近づかない。
来るのは、特別講師だけ。
優しい人。
私には『割れ物注意』という赤字シールがどこかに貼ってあると思っている人。
いいの別に。
本当のことだから。


「邦美さん、大丈夫?」

「あ、はい」

「そこの英文訳してくれる?」

「はい」

「しんどくなったら、すぐに教えてね」

「ありがとうございます」



114 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 13:28:04.95

休み時間。
窓の外を見ると、クラスメイトが体育をしていた。
普通の授業カリキュラムとは違うから、自分の学年の授業を見ることができる。

「……あ、みどりさん」

舞さんと一緒だ。二人でストレッチをしている。
みどりさんは少し嫌そうだ。
それでも、真面目に二人組でやってりものだから可笑しかった。

「……?」

少し違和感。
あの二人とクラスメイトとの距離があるような。
気のせいかな。
そういうのには敏感になってしまう。

ストレッチが終わると、全員で校庭を走り始めた。
寒そうにして、首を縮めている子が多い。

「寒そう……」

ここは暖房もついている。
送り迎えもしてもらって、寒さを感じることはほんの少しだけ。

窓に手をつけるとひんやりとした。



120 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 17:30:50.72

窓を開けると、生徒たちの声が聞こえた。

「あ……」

カバンの中にあった携帯を取り出す。
カメラ機能を起動させて、ピントを合わせる。
窓ガラスが少し曇っていた。

休み時間はまだあるのを確認して、窓を開けた。
つんと冷えた空気が室内に飛び込んでくる。

「はい、ちーず」

カシャ――電子音。

笑い声。
中学の時に、三人で走ったのを思い出した。
夏の暑い時期。
最初は貧血だと思った。
眠気というか、意識が遠くなることが多くなって。
体育が嫌いになる程には、しんどかったのを覚えている。

今は、走りたくてしょうがない。

「カメラ機能なんて、久しぶりに使ったな……」

そもそも携帯すら、使う時がなくなってしまった。
もしもの時のために持たされている。
使う必要がないことはいいことなのかもしれない。



121 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 17:37:42.77

半周程回って、生徒の一群がこちらに近づいてきた。
手を振ろうか。
ドキドキする。
振り返してくれるだろうか。

「お、おーい……」

まさか。
小さすぎて届くはずがない。

「え?」

みどりさんがこちらを向いた。
隣の舞さんに何か呟いている。
舞さんもこちらを見た。
舞さんが手を振り返してきた。
みどりさんは、ワンテンポ遅れて振り返してくれた。

私は嬉しくて、手の平を開いて手を振ってしまった。
右手の重みがふっと消える。

「あ」

というまに、携帯は視界から消失した。



122 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 17:48:42.26

「大変……ッ」

下を見ると、ちょうど植木に引っかかっていた。
安堵して息を吐く。
窓を閉めて、急いで階下に向かった。

階段を駆け下りて、はっとなる。
歩調を緩める前に、すでに息は上がっていた。
胸の辺りで、ぬめぬめとした塊がローリングしたような気がした。

久々に走って、身体が驚いているだけ。
落ち着いて。
落ち着くの。

前に走ったけど大丈夫だった。
昨日の昼ごはんを抜いただけ。
お姉ちゃんに一つ嘘をついてしまったけど、大丈夫。

上履きのまま外に出た。
植木の前にみどりさんが立っていた。

「みど」

膝がかくんと崩れた。
身体が言うことを聞かず、私はそのまま意識を失った。



123 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 18:08:56.48

すぐに、痛みとともに私は目覚めた。
泥臭い匂い。
誰かに抱えられてる。
そうだ、みどりさん。

「ご、ごめんなさい……私、携帯を」

申し訳ない気持ちで彼女を見た。
彼女は目を見開いて、私を見ていた。

「なに……今の。どうしたの……」

「ちょっと、こけちゃったみたいです…」

「躓くところどこにもなかったけれど」

「よくやるんです……」

「……そう、腕離して」

私は彼女のジャージを握り締めていたことに気づき、ぱっと手を離す。

「立てる?」

「はい……」

ジャージの裾で、私の顔についた泥を拭ってくれた。

「膝擦りむいてるね。保健室に行ったほうがいいよ」

みどりさんは、振り返る。
グラウンドの向こうから、先生が急いでこちらに向かってきているのが見えた。
ほぼ全力で走ってきたのか、息を切らして、私の表情を見て少し歩幅を緩めた。
体調確認をされ、みどりさんに保健室まで付き添うように指示した。
何人かの生徒が、こちらを興味深そうに見ていた。

「わかりました」

彼女は言って、しゃがみ込む。

「おんぶするから、乗って」

「え、いいですッ……重たいし」

「邦美は小さいから大丈夫」



124 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 18:19:34.46

「でも……悪いです」

「保健室少し遠いから。さっさと行ったほうがいいと思う」

確かに足を引きずりながらでは、授業にどんどん遅れてしまう。
それこそ、申し訳ないと思って、私は背中に跨った。

「っしょ」

「……ありがとうございます」

背中に先生と、生徒の視線を感じた。
恥ずかしかった。
誰かにおぶさったのは初めてだった。
みどりさんが身体を反転させる。

「それでは」

先生は、

「あ、ああ」

やや挙動不審に頷いた。



125 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 18:40:43.28

たぶん、あの体育教師は、ひやりとしたと思う。
目の前で、私が地面に突っ伏してしまったのだから。

「邦美って、ほんとに別教室で授業受けてるんだね」

「はい……」

「習うことは同じなの?」

「そうですね……ほとんど同じです」

「楽しい?」

「あんまり……」

「そう」

みどりさんは特に興味なさそうに、その後もいくつか質問してくれた。
社交辞令みたい。私は背中にいたけれど、いないような気持ちがしてしまう。
ちょっと寂しい。

感情があまりない、わけじゃないと思う。
私のことを心配してくれてる。
ほんの少しだけど、それは分かる。
ほんの少し、私に気をかけてくれる。

それくらいの距離感が新鮮で。
軽い。



126 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 18:49:21.15

保健室に到着すると、みどりさんはさっさと授業に戻ってしまった。
私は慌てる保健医に経緯を説明すると、すぐに病院へ行くように言われた。

もしかしたら、埋め込んでいるペースメーカーやリードに異常があるかもしれない。
先ほど、転けた事も話すと、卒倒しそうな顔で電話をかけ始めた。

汚れた服はそのままで、私は迎えを待つことになった。
顔だけは綺麗だ。
みどりさんが拭いてくれたから。

膝の擦り傷は後回しにされた。
じんじんと痛む。
先に、こちらの説明をした方が良かったな。
わずかに後悔した。

そう言えば、私も授業があった。
あの特別講師は、もしかしたら母に怒られるかもしれない。
もしかしたら、辞めさせられるかも知れない。
でも、私が口を挟んだところで、何かが変わるわけじゃない。

ぼんやりと耳の奥でポークの鳴き声がした。



127 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 19:20:02.91

総合病院に運ばれて、心臓以外にも、腎臓や肺の方なども診てもらうことになった。
ペースメーカーの設定を少し変えてあるから、ふらつきや目眩が起きたらすぐに言うように言われた。

その日は病院に泊まることになった。もちろん用意されていたのは個室だった。
いくつかの検査は、予約している他の患者さんとの兼ね合いで明日に受けることになった。
お母さんとお姉ちゃんは一度だけ覗きに来てくれた。ずっとそこにいたいと言う表情だった。
見ているこちらが辛い思いになった。私は大丈夫だよと笑うしかなかった。
私が笑うと、二人も思い出したかのように笑ってくれた。

小説を何冊か置いていってくれたので、私は明日までに1冊は読破しようと思った。
看護婦さんが巡回に来てくれて、異常がないか確認してちょっとだけ会話した。
底抜けに明るく、丁寧な看護婦さんだった。

夜9時。
ふと顔を上げて時計を見ると、そんな時間だった。
首周りが重だるい。
肩が凝っていた。
けっこう長いこと読んでたんだ。

指についていた小さいメーターを見る。
首筋を触ってみる。
小さくあくびをした。

夕方に受けた検査の騒音が、未だに耳の奥で続いている。
気のせいだけれど。

「……」

本に集中していた時は良かったけれど、久しぶりに入院したせいか、落ち着かなかった。
残り3ページ。
首を回してもう一度、文字を追いかける。



128 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 19:41:03.50

読んでいた本の題名は『毎日がエブリデイ』というタイトルだった。
書店の店頭にあったそうだ。
続編に『力こそパワー』というのがあって、それも今隣にある。

たぶん選んだというよりは、店頭にあるから面白いはず、と思ったんだと予想。
お母さんとお姉ちゃんが選ぶ本にしては、俗っぽい。

タイトルを見てから、数秒後に一人で笑ってしまった。
本の中身は、それって当たり前のことだよね、という常識的な知識や処世術がつらつらと書かれていた。
社会人のバイブル! と帯からはみ出さんばかりに印字されている。

パタン――と本を閉じる。
二冊目に行くには少し疲れてしまった。
他にも紙袋に何冊か入っていたけれど、封は開けていない。

もう寝よう。

寝てる間に、何が起きるかわからない。
そういった恐怖は、もちろんあるけど。
不安は不安を呼ぶから。
あまり深く考え過ぎないこと。
多少は楽観的であること。
明日のことは明日になってみないと分からない。
さっきの本の受け売りだけど。

私の周りの人も、そんな風になればいいのに。



129 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 19:51:30.81

目を閉じた。


グラウンドを駆け回っていた。
身体が軽くて、飛べるような気がした。
地面を蹴り上げる。
足は宙に浮いた。
ゆっくりと。
陽の光を受けて。
下を見ると、
みどりさんがいた。

「みどりさーん」

手を振った。
振り返してくれた。
嬉しくて、私は空を飛び回った。
暗転。
私は落っこちる。
私の中の私を操縦していた人が、
大丈夫大丈夫、と楽観的に言った。

私は叫んだ。

みどりさんが両手を広げている。
その手には白いシーツ。
それで受け止める気?

一瞬で、すぽっと収まるように私はシーツに包まれた。
みどりさんが覗き込む。
目を見開いている。
空から女の子が。
後ろの方でそんな声がした。

みどりさんの顔が近づいてくる。

「え、え……あッ、まッ」

キスされた。



131 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/17(月) 20:00:51.54

起きたら、顔の下に本があった。

「いたい……」

どうやら、本とキスしていたようだった。
看護婦さんが来る前に気がついて良かった。

夢の内容がはっきりと残っている。
そのせいか、胸の辺りが苦しい。
病気のせいじゃない。

「……なんで、あんな夢」

夢占いの本があればよかったのに。
地上にはもういたくないってことかな。
でも、私は人間だから、落っこちた。
その先にはみどりさんがいて。
私は幸せな気持ちになっていた。

「昨日、携帯落としたせいで……変なの見ちゃった」

呼吸を整える。
唇を指でなぞる。
本のせいだ。
感触が残っている。

「……」

顔が熱い。

「なにこれ……」



135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) :2014/11/23(日) 22:13:13.02

夢の内容は、朝方にははっきりと覚えていたのに、
昼食後には靄がかかったように思い出せなくなっていた。

何か、恥ずかしい思いをしてしまったような。
一人百面相をしていると、扉がノックされた。
私は顔を上げる。

「はい……?」

誰だろうか。

「こんにちは」

何の変哲もない声で来客はそう挨拶した。
同じ学校の制服。

「……み、みどりさん?」

「忘れ物届けにきた」

「え?」

こちらに近づき、腕を突き出す。

「携帯落としていったから」

「あ……私ったら、また……ありがとうございますッ」

慌てて受け取った。
これで二度目。
きっと呆れているに違いない。

「で、でも、どうしてここが分かったんですか?」

「それは……舞が、教えてくれた」

「舞さんが……」



137 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/25(火) 22:16:02.85

「入院してたとは知らなかった」

「あ、ただの検査なんです……」

「ただの検査で二日も入院するんだ」

心配というより、確認するように彼女は言った。

「私……小さい頃から心臓が人より弱くて」

「そう……」

体のことをみどりさんに伝えるのは抵抗があった。
だって、その情報が彼女の行動を制限してしまうかもしれないから。

「あの、あまり、気にしないでくださいね」

「気にはしてない」

今のみどりさんを一言で表すとすれば、冷血かもしれない。
でも、それくらいでいい。
そのくらいが嬉しい。
唐突に夢の内容が頭に流れてきた。
肝心のオチが思い出せなかった。
私はぽつりと言った。

「私、今朝はみどりさんの夢を見ました」

「へえ、どんなの」

「私が空から落ちるんですけど、それをみどりさんがシーツでキャッチしてくれるんです」

「現実ではキャッチできなかったけどね」

「確かに……」



138 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/25(火) 22:39:40.40

苦笑いで返す。

「じゃあ、もう行くから」

用事は済ませた、と言わんばかり彼女は入口へと踵を返した。

「あ……」

私は右手を伸ばす。
伸びているかどうかもわからないくらい。
ほんの少し。
みどりさんは立ち止まってこちらを見下ろした。

唇が妙に熱い。
もしかしたら、彼女が見つめているのは私ではなくて、私の唇なのかもしれない。
いいや、それは私の妄想に過ぎないけれど。

「なんでも……ありません」

「そお、またね」

「はい」

地上は空よりも遠いのかもしれない。



139 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/25(火) 23:06:38.47

私には地面を歩く感触が分からない。
空の方がよほど近い。
私が人並みに地のかたさを知るよりも早く、
私は空の青さを知るんじゃないかと思う。

なんてロマンティック。
人に言えた話しじゃない。
誰にも教えない。
誰も知らない。

手持ち無沙汰に携帯を開いた。
画像フォルダを展開させて、昨日の写真を眺めてみる。
クラスメイトの人数を数えてみる。
たまに考える。
もしかしたら、この中の誰かが自分と同じ境遇になっていたかもしれない。
私は誰かの代わりを務めているだけで、実は誰もが等しい確率で私になっていたのじゃないかと。
だったら、これは人助け。
神様から与えられた使命。

あ、神様なんていなかった。



140 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/25(火) 23:28:19.95

夕方、漸く私は病院から解放された。
家に戻り、ポークの散歩に出かけようとしたら家政婦さんに止められた。
お母さんは今日は帰りが遅くなるらしい。
お姉ちゃんはもうすぐ帰る。
家政婦は少し冷えてしまった料理を温め直した後、仕事を終えた。

私は食事を済ませてから、ソファーでくつろいだ。
少し張った胃袋が重たい。
瞼が粘着テープみたいにひっついてくる。
ドアベルが鳴った。
お姉ちゃんだと思う。
ポークが嬉しそうに吠えているから。

「邦美……?」

姉の声。
遠慮がちに私を呼んでいる。
私の頭はソファーからずり落ちていく。
返事を返そうとするけれど、そうもいかない。

「帰ってるの……?」



141 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/25(火) 23:46:30.14

ダメだな。
お姉ちゃんが帰ってきたのに。
眠たくて。
昼の検査の疲れが、身体を鉛のように重たくしていた。
ソファーに沈む。
シャツがシワになるから、もしかしたら怒られるかもしれない。

ギイ――と扉の金具が音を立てる。

「寝てるの?」

足音を消しているが、近づいて来るのが分かった。
とても遅い。慎重に、まるで頑固な老人。
数分経っただろうか。
肩に手が置かれた。
顔に生温い風。
呼気。

背筋が震えた。



144 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/26(水) 22:25:42.60

「お姉ちゃん……?」

姉の顔に焦点を合わせた。
彼女が息を吸い込んだのが分かった。
それから、顔を離した。

「邦美、起きてたの?」

「あ……うん」

「起きてるならそう言えばいいじゃない」

「ごめんなさい」

吸い込んだ息を吐き出せないのか、早口で姉は言った。

「ご飯はもう食べた?」

「さっき食べたよ」

私はソファーから上半身を起き上がらせる。

「お姉ちゃん」

「なに?」

視線が泳ぐ。
こちらを見ていない。

「着替えないの?」

カジュアルな藍色のトレンチコートに身を包んだ姉は、

「そうね」

と、答えた。



145 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/26(水) 22:43:19.47

夢の結末が唐突に脳裏に舞い戻ってきた。
そうだ、キス。
どうしてあんな夢を見てしまったのだろうか。
女の子同士で。
嫌じゃないのが不思議。
一目惚れとか、本当にあるのかな。
何に惹かれたのか、分からない。

でも、誰でもというわけにはいかないの。
できない人だっている。
考えられない人だっている。
舞さんとだってできない。
お姉ちゃんと。
できない。
たぶん。
嫌じゃないけど。
私を求めないで。
嫌じゃないから。
私は、人に求められれば誰だっていいから。
嘘でも、罪でも、なんでも。

姉がリビングから去って、私は冷や汗をかいていたのに気がついた。
気持ちが悪くて、シャワーを浴びにお風呂へ向かった。



146 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/26(水) 22:57:43.20

ぬるま湯で汗を流した。少し冷えた手足が湯にあたって痺れたような感覚。
髪を洗う前に、姉が脱衣所で着替えている気配を感じた。
洗濯物をまとめているというわけではなさそうだ。
案の定、お風呂場の扉が開かれた。

「邦美、髪洗ってあげるわ」

「え、大丈夫だよ……?」

「いいから」

「一人でできるのに……」

「ほら、座って」

たぶん、Dカップくらいだったと思う。
私は姉の乳房がたゆむのを、横目でちらりと盗み見た。
それから、両手で自分の胸を隠す。

「なにやってるの?」

「月とスッポンだから……」

「なんのことよ」

「わかんなくてもいいの……」

「?」

姉が小首を傾げる。

「そう言えば、お姉ちゃん。本、ありがと。面白かったよ」

「良かった。店頭にあったのを何冊か見繕ったんだけど、意外と読めたのね」

姉はシャンプーを泡立て始めた。

「はい、目瞑って」



147 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/26(水) 23:14:12.93

「別にいいのに……」

私はしぶしぶ目を閉じる。

「んしょッ……小学校の頃はよくやってたじゃない」

確かに、人に頭を洗ってもらうのは気持ちが良かった。

「もう、高校生だよ……」

「病み上がりのくせに口答えしない」

「ちょっと転んだだけなのに、大げさだよ」

「……そうね」

沈黙。
シャワーの音と湯気が広がる。

「お姉ちゃん?」

肌と肌が直接密着する。くすぐったい。
姉の腕が私のお腹周りに伸ばされていた。

「……大げさにもなるわよ。ホントにびっくりしたんだから」

「検査入院だよ?」

「分かってる……荒立てたいわけじゃない……私がびっくりしただけだもの」

申し訳なくて、私は後ろを振り返る。
大丈夫だったでしょ?
そう言おうとした。
下を向いていた姉が、私を見た。
彼女は笑おうとして、途中経過を間違えたのか、半泣きのような表情を作っていた。

胸が痛くてたまらなかった。

「……ごめんなさい」



151 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/27(木) 22:41:34.61

お姉ちゃんを悲しませるのは嫌。
私のためにそんな顔しないで。

笑っていて欲しい。
誰とどこにいても、家族の繋がりは優しく私を支えてくれる。
お姉ちゃんは分身みたいなもので。
でも、不意に、お姉ちゃんの腕をすり抜けて、ありのままの私が顔を出す。
淫らで幼い自分が。
真面目で弱い自分を隠すように、ワガママを働く。

「邦美が謝る必要なんてないの……」

「……うん」

知らないふりを続けるのは得意だった。
お姉ちゃんの触り方や、視線。
気が付けば気が付くほど敏感になった。
きっと、触りたいんだろうな、と思った。

私は、本当は触って欲しいんだと思う。
でも、ダメだとも思う。
だから、満たされない欲求が漏れ出てしまった。
みどりさんに、押し付けてしまいそうになった。
だって、お姉ちゃんはお姉ちゃんだから。

「お姉ちゃん、今度は私が洗うよ」

返事が早いか、身体を入れ替えて、姉の髪の毛にまんべんなくシャワーをかける。






152 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/27(木) 22:53:44.21

「気持ちいい……?」

撫でるように、頭を洗ってやる。

「ええ……」

すらりと伸びた背中に、角の立った泡が流れ落ちる。
お尻の筋まできて、椅子の上でひしゃげた。
髪の毛から完全に泡がなくなってから、姉に声をかけた。

「はい、おしまい」

「ありがと、上手いじゃない」

「えへへ……どういたしまして」

背中が少し冷えた。早くお風呂に浸かりたい。
そのまま姉の身体を洗おうとスポンジを泡立てる。
その腕が掴まれた。

「邦美、交代」

短い言葉。
私も無言で頷いた。
スポンジを手渡す。
泡だらけの手をそのままに。

「邦美、目を瞑って」

「え……でも」

「いいから」



153 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/27(木) 23:10:55.07

五感の一つがシャットダウンする。
目の前で、姉が深呼吸した。

「?」

「私に内緒でやっていたボランティアだけど……」

「あ、うん……」

「どういうことをしたの?」

「それは……」

「録音されていたような、みどりさんみたいな……え、エッチなこともしたの?」

シャワーの音でかき消されてしまいそうな小さい声だった。

「……」

どう答えたらいいのだろう。
姉はこういうことに関しては、本当に奥手だ。
私にどう答えて欲しいのだろう。

「こ、答えなさい……」

「……彼女の代わりになって、身体をマッサージするくらいしか私はしてないよ……過激なのは、全部みどりさんや舞さんがやってくれたから」

「……そう」



156 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 18:47:56.33

私は答えを探す。
言うなら今かも知れない。

「ボランティアをするにあたって、最初は苛められている子がいないか、舞さんと調べてみた。でも、いなかった。私くらいだった。活動の中で、本当の友達ができたらいいなと思った。大好きになれる友達が欲しかった。それに、私だって、エッチなことに興味だってあるよッ」

「そ、そうだったの……でも、友達なんて……必要ないじゃない」

「違うよ……そんなことない」

「あなたを苦しめるだけよ……」

私は、親友や彼女とか彼氏とか、そんな当たり前の関係に憧れていた。
普通に恋をして、抱きしめ合って、キスをして。
恋愛じゃなくても、誰かの役に立ってみたかった。やりたいことはいくらでもあった。
演技でも良かった。
それを演じることで、私も誰かの輪の中に入っているような気がしたから。

そんな欲求がどんどん私の中で膨らんでいた。

舞さんに相談したのは、私一人では無理だったから。
他に頼れる人もいないし。
彼女は快く引き受けてくれた。でも、きっとそれは表面状でだけ。

今さら、幼馴染面して、きっと彼女は面倒だと思っている。
私に優しくしてくれるのは、舞さんが優しいからだ。
舞さんは、そういう人だから。ほっとけない人だから。

「私がね、高校生でいられるの……今だけでしょ?」

「……く、邦美」



157 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 18:49:37.62

「お姉ちゃんはきっと反対する。でも、何か、何かしたかった。何かを起こさないと、私はきっと一生このままだと思った。私の生きている意味。なんなんだろう。そんなことをぐるぐると考えていると、頭がおかしくなりそうだったのッ」

「あ……」

姉は視線をそらせた。

「そんな顔しないで、お姉ちゃん」

「ご、ごめんなさい……そんな風に、考えていたなんて」

「いいの、良かれと思ってしてくれてたんでしょ……?」

「私も、お母さんも……あなたのこと、何にも分かってなかった」

「……いいの、私大切にされてきて、そこから抜け出せなくなってた。けどね、本当にありがたいと思ってるから……でも、この活動のおかげで、私、今、独りじゃないんだって思えるの」

「あなた……みどりさんが好きなの?」

私が言葉を言い終える前に、姉が言った。

「え」

「……違うの?」

「えっと……あの」

まだ、よく分からない。

「いいの……もう、私に気を使わないで。邦美、私応援するから。今日ね、病院に一度寄って行ったら、みどりさんがいて……少しびっくりした。いい人ね……」

「あ、来てたんだ……」

「もっと仲良くなれたらいいね。今まで、ごめんね、邦美」

「お姉ちゃん……」




158 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 19:03:18.92

「でも、邦美……なんだか変わった。やっぱり、好きな人ができると……強くなるのかな」

「そうかな……?」

姉は、寂しげに笑った。きっと、これで良かったんだ。
私という縛るものがなければ、もっと自由にできる。
姉妹の血が、お姉ちゃんの邪魔になってしまうなら。
私という、かよわい存在が、お姉ちゃんの道を誤らせてしまうなら。

きっと、これで。

「お母さんにも、教室に出れる回数を増やすように……言っておくわね」

「あ、ありがとうッ。お姉ちゃん」

嬉しい。
これで、みどりさんに会う機会が増える。
舞さんと、ちゃんとお話しできる。



159 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 19:15:36.03

「もし、大切な人ができたなら、私ね、お姉ちゃんに一番に伝えるから……」

「うん……」

「お姉ちゃんも……」

「私?」

「そうだよ。お姉ちゃんも、教えてね」

「……ええ」

大好きなお姉ちゃん。
一緒に、一歩ずつ、外の世界に触れていこうね。

「あ、身体洗うよ?」

「お願い……」

「うん!」

私は、軽くなった胸で大きく息を吸った。



162 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 21:18:39.73

次の日、私は学校へ行った。
そして、午前中に教室で授業を受けた。
そこまでは、週一回ペースで通っていた今まで通り。

昼休み。
一つだけ、変わったことがあった。

いつもお昼は特別教室でお姉ちゃんや講師の人とお昼ご飯を食べていた。
今日は違った。
今まで、全く話しかけてこなかったみどりさんがお昼を誘ってくれたのだ。

「屋上がいい? 教室がいい?」

首を小さく傾げて尋ねられた。
可愛い。

「あ、え、えっと……?」

私は質問の意図が分からず、その時頭にたくさん疑問符を浮かべてしまった。
今思うと、初めて人に話しかけられた人みたいで恥ずかしい。

「お昼ご飯、いつもどこで食べてるの?」

「あ、特別教室で、お姉ちゃん達と……」

「そうなんだ。一緒に食べない?」



163 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 21:31:13.87

「い、いいんですか?」

「いいも悪いも、邦美が決めて」

「じゃ、じゃあ、あの……特別教室で」

「いいよ」

みどりさんは、視線を動かした。
私は振り返る。
舞さんが手を振っている。
視線は一つだけではなかった。
教室の黒板の前を陣取っていたグループがこちらを見ていた。
ほとんど関わったことのない子達だ。
確か、一人はみどりさんとも仲が良かったような――。

「邦美」

「は、はい」

「行こう」

「ま、待ってください」

「?」

私は舞さんの所へ駆け寄っていく。

「どうしたのん?」

「舞さんも一緒に……行きませんか」

「そうねー」

「……ダメですか?」



164 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 21:58:10.76

「いいよいいよー。嬉しいなー」

舞さんはカバンから携帯を取り出した。

「ちょっと先約があるから連絡させて」

「あ、そうなんですかッ? だったら……」

「いいのいいの。夕方でもいいし」

そう言って、素早くメールを打ち終わる。

「ささ、行こっか」

「はい」

私は3人でご飯を食べれることが嬉しかった。
誰かを誘うことに対して高揚していた。
今日は何だかなんでもできそうな気がした。
何年ぶりだろうこんな気持ち。

舞さんに付き添って購買に行ったあと、特別教室に着くと鍵が閉まっていた。

「あれ……おかしいな。いつも、お姉ちゃんが先に来て……」

「空いてないなら、屋上行って食べよーよ。時間もないしさ」

「舞が購買で3種類しかないおにぎりをどれにするか迷った挙句、パンにしなかったらこんな時間にならなかったけど」

「やだー、みどりちゃん怒んないでよ」

みどりさんは舞さんにデコピンをお見舞いしていた。
私は、少し違和感を覚えた。
なんだか、みどりさんが前に比べて柔らかくなっている気がする。
もしかして、ちょっと打ち解けてきたのかな。

「邦美、行くよ」

みどりさんが呼んでいる。私ははっとした。
事務的ではない声音。



165 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 22:28:22.12

そんなちょっとした変化を見つけたことが嬉しくて、私はこっそり笑ってしまった。
その日、どうしてお姉ちゃんが来なかったのか。
考えないといけなかった。
でも、私は目の前にある幸せを感じることでいっぱいいっぱいだった。

お昼ご飯を食べながら、舞さんが持ってきたボランティアの内容を聞いた。
こうやって、みんなで共有し合うのも初めてだった。

「私、夕方は先約あるからさ……、邦美は病み上がりだし、みどりちゃんどーう?」

「ごめん、今日は家の用事があるから無理」

「そっかあ。じゃあ、私が行くかー……」

「どんなのが来たんですか?」

「んー、誕生日プレゼント一緒に買いに行ってって」

「ずいぶん可愛らしいですね……」

「うーむ、今までがエロエロだったから、ここいらで息抜きできていいかも」

「舞でも、疲れることあるんだ」

「みどりちゃんは、私を必殺仕事人かなんかと勘違いしてる」

屋上に数秒ほど、無言の時間が漂った。



166 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 22:45:27.95

―――
――



今なら、分かる気がする。

女という性別に生まれたこと。
姉という立場になったこと。
そんなもの、足枷。

たった一つの、ただ一つの真実を、
己の口から伝えられもしない。
好きだとか、
愛してるとか、
言葉にならない想いは、
何の色も付きはしない。

心を弄ぶ、
戯言に過ぎない。

夕方になった。
約束の時間に、白いケーキの箱を持って、舞は現れた。
私は、呆れながら、笑ってしまった。



167 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 22:58:05.32

「久しぶりですねー、会長がこうやって私だけを呼ぶの」

「やめてよ……もう、全部分かってるんでしょ。舞……」

舞は飄々と言って、生徒会室の長机でケーキの箱を広げ始めた。

「なんのことさ……あ、あちゃー……苺が転がり落ちちゃってる」

そろりと取り出したホールのショートケーキ。

「なんでホールケーキなんて買ってきたのよ」

「食べるかなーって思って。ここ、紅茶あるでしょ?」

「あるけど……」

「甘いもの食べたくない?」

「……慰めてるの?」

舞は、私の言葉で顔を上げた。

「慰めて欲しいの?」

「……」

「私は、妹の代用?」

「ち、違う……そんなこと言ってないわ」

目頭が熱くなった。
我慢していたものが溢れそうになって、唇を噛んだ。
やはり、舞は、恨んでいるのだろうか。
私たちのことを。

そう思っているのに、私はどうして舞を呼び出したのだろう。
気がついたら、彼女を呼んでいた。



168 : ◆/BueNLs5lw :2014/11/30(日) 23:21:57.27

「泉……」

「なに……」

「これ、むっちゃ美味しいよッ」

指を舐めがら、舞が満面の笑みを浮かべて言った。

「……どうしたら、あなたみたいになれるのかしら」

「そうだね、まずお湯沸かそう」

「はいはい……」

あんなに冷たくしていたのに、いつもと変わらない彼女。
今まで、どうして壁を作っていたのだろうか。
わからない。
なぜか、邦美の周りは全て敵だと思ってしまって。

「ねえ、私……妹のことが好きだったの」

ポットに水を入れながら、私は独り言のように呟いた。

「うん」

話を聞いてくれるようだ。

「誰かに恨まれてもいいから、あの子のことを守りたいって思ったのにね……本当は私が一番邪魔……だった……」

水道水と共に、瞼から溢れ落ちる涙が流れていく。

「ねえ、やっぱり舞から見ても私……そうだったのかな? 重たかったかな……」

舞の手が蛇口に置かれ、出しっぱなしになった水が止まる。



171 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 18:05:37.47

「重たかったかは邦美じゃないから、分からないよ」

「……ふふ」

重なった手が離れ、ポットを持ち上げて、コンセントを差しに隅へと移動していく。

「邦美の病気ね……成人するまでの生存率は90%以上あるの」

舞に伝えていなかったこと。
彼女は立ち上がる。
いつもの砕けた顔ではなく、
陽気さの欠片もない、窮屈な表情で私を見た。

「でも、それから……お医者様が言うには、年齢が上がるにつれて、どんどん生存率が落ちていってしまう。けど、けどね……おばあちゃんになっても生きてる人もいるからって……大丈夫だって」

母と私がそれを聞かされた時、
頭が真っ白になった。
文字通り、何も考えられなくなった。
邦美に伝えた時、
少しでも希望を伝えたかった。
私たち自身が希望を見失わないように。

「怖かったわ……何がきっかけで悪化するかわからないもの。だから、あなたとも距離をとったのよ。可笑しいでしょ……今、冷静になって思うわ」

「泉が邦美ちゃんのこと、大切にしてたのは知ってたから。変には思わなかったよ。行き過ぎてるなとは感じたけど」

「どっちなのよ……それ」

「どっちもだね」



172 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 18:20:18.60

「でも、あなたは邦美を一人にしてはくれなかった」

「悪かったと思ってるよ」

「嘘よ。私たち家族が、必死にあの子を傷つけないようにしてたのに、あなたはあの子を外に連れ出して、友達を見つけてきて、課外活動まで始めて、教室にも頻繁に顔を出させるし……なんなのよ」

「……」

「なんなの、本当に……」

舞の制服の裾を握り締める。

「なんで恨んでないのよ……」

「恨む?」

彼女は、驚いていた。
予想外の言葉だったようだ。

「だって、あなたを遠ざけて、きつい態度だって取ったのにッ」

「ああ……泉はもともとキツイ性格じゃん」

「舞、あなたね……人が真剣に話してるって言うのに」

「なんていうか、私さ、泉も邦美も好きだから。それだけだよ」

舞は照らいなく笑った。





173 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 18:40:13.13

3人で昔無邪気に遊んでいた頃となんら変わらない。
舞の顔つきも、性格も、行動も、変わってはいなかった。
舞が大人しくなくなったのではなくて、
私たちが余りにも臆病になりすぎていたのだ。

なりたくないものにならなければいけないから。
いつまでも、子どものままではいられなかった。
普通じゃなくなってしまったのだ。

だから、このまま普通に大人になっていく舞が羨ましい。
昼間、家に訪ねてくる舞に嫉妬した。
夜に、嗚咽を漏らすことなく涙を我慢し、
私の部屋へと訪ねてくる妹への罪悪感がたまらなかった。

変わっていく生活が怖かった。
母の過保護に疑問も抱かず、
大好きな妹と二人きりになれるなら、
いいのだと、自分の腹に落として。

子どもでありたかった。
公園に行って夢中で遊び、夕日が暮れれば、
家に帰り夕飯を食べ、熱いシャワーを浴びて、
ふかふかのベッドに入って、明日は何をしようかと、
心驚かせながら眠る。







174 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 18:51:40.44

「泉?」

舞が心配そうに、私の腕を握っている。
すっと、先ほどとは違う涙が頬を流れた。

「私も……私たちも、あなたのこと好きよ……」

彼女の無邪気さからくる心の温かさが、胸を熱くさせていた。

「そっか……片思いじゃなくて良かったよ」

舞は目を細める。
私の目の前で、自然体で。
けらけらと、笑う。
私たちの幼馴染。

どうかいつまでもそのままでいて欲しい。
私たちを照らし続けて欲しい。

「舞……」

「なに?」

「ごめんなさい……」

私は犬のように泣いた。



175 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 19:01:45.79

目を開けると、空っぽになったティーカップが飛び込んできた。
どうやら、生徒会室で眠ってしまったみたいだ。

「ん……」

肩に重みを感じる。
色素の薄い髪。

「舞も……いつの間に寝ちゃったのかしら」

そろそろ家に帰らないといけないのだが。
腫れぼったい瞼をこする。
ポケットから鏡を出すと、案の定赤い。

顔をずぶ濡れにするくらい泣いた。
舞の肩を借りて、背中をさすってもらった。
あやすのは慣れていないのか、少し雑だった。

「ぷ……」

「んあ……」

「おっと……」

口元を手で押さえる。
無防備な表情で、眠っている。
たぶん、私が泣きつかれて眠るまで、
介抱してくれていたのだろう。

「泣きすぎたわ……恥ずかし」



176 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 19:17:47.35

思い返すと、恥ずかしい。
勢いに任せて、妹のことが好きだったと暴露してしまったし。
ただ、鉛のような心が軽くなった気がした。
どっちみち、諦めなければいけなかったわけだ。
踏ん切りをつける意味でも、吐き出してしまって良かった。

「あなたのおかげかもね……」

鼻をぴんと人差し指で跳ねた。
彼女は小さく呻いた。

見たくないものを見ないままにしていたら気付かなかった。
こんなに近くに、私たちを大切に想ってくれる人がいることを。
普通には戻れないけど。
昨日よりは、舞に優しくできると思う。
ううん、違う。
もっと、優しくなりたい。
優しくしてあげたい。

「……そう言えば、この子来月誕生日よね」

邦美と相談して、
作るもよし、買うもよし。

「何にしようかな……」



178 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 19:43:06.01

「んあ……っ」

「起きた?」

「うん……」

目を擦りながら、舞が人差し指を机の端に向けた。

「ケーキ食べ忘れてた」

「あ……」

「食べようよ」

「ええ」

彼女は、寝ぼけた足取りで箱を携える。
生徒会室の包丁で、ケーキを半分に切った。

「それ、どういう意味?」

「半分こ」

やっぱり。

「そんなに食べれません」

「うそー」

「ほんとっ」

「いいじゃん、頑張ってるから、ご褒美だよ」

「頑張ってる?」

「慰めのケーキじゃないよ。わけもわかんないまま、病気に向き合うことになったのに、文句一つ言わずにずっと妹とお母さんを支えてきたお姉ちゃんへ、ご褒美」

「はは……っ」

「えらいえらい! なーんて言える立場じゃございませんが……ちょ、なんでまた泣いてるのさ」

舞はハンカチを取り出す。

「ハンカチ持ってるなら、最初から貸してよ……っ」

「ええっ」

「うそ、ごめんっ……ありがとっ」



179 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 20:20:30.21

じわっとハンカチに染み込んでいく。

「私なんかより……邦美の方がよっぽどえらいわ。一番えらい……目の前のことにあんなに一生懸命だもの……あの子の方が痛いことや辛いことが多いはずなのに。変わろうとしてる、変えようとしてるの……うっ」

「……泣くな泣くな。ケーキ食べるよ!」

「ごめんね、すぐ泣き止むから……ぐずっ」

「しょうがないなあ」

「えへへ……っ……ずっ……」

もう、貯めていたものは出て行ってしまったと思った。

「ティッシュ、はい」

思いっきり鼻をかむと、
鼻の奥がツーンと染みた。

「ほんと、えらくなんかないのよ……っわたし」

「はいはい……」

「……止まらないわねっ……涙」

「そうだねえ」



180 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 20:29:39.89

忙しい母も交えて、
一度きちんと話し合おう。
これからの私たちのことを。

来年の春に、私と邦美が、
それぞれの未来に進むために、
しっかりと考えなくてはいけない。

誰かが考えるんじゃない。
誰かのためにじゃない。
私自身が、私自身の考えで、
自分のために考えよう。

その時、隣にあなたはいてくれるかしら。
舞。



181 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 20:43:13.48

―――
――

月をまたぎ、もうすぐ、冬休み。
生徒会の行事も一通り終わり、
邦美と舞に冬休み明けの行事予定表を渡し終え、
年明け後の最初の全校集会での自作のスピーチを披露した。

「じゃあ、年明けのスピーチはこんな感じでいいですか?」

「はい!」

ぴしりと手を上げる。

「なに、舞?」

「かたいです」

「……どこがよ」

「ここ、ここ! 『目標を立てることはいいことだと思いますが、『今年こそは』という抱負ではなく、必ず達成させるために、何のために何をいついつまでにどういう状態に持っていくのか、具体的に――』のくだり!」

「いいスピーチじゃないですか」

「眠くなります」

「それは、個人的な意見でしょう。ねえ、邦美?」

「……すぅ」

「邦美」

「……っは、はい」

「ほら」



182 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 21:21:55.97

「ね、寝てない、よ……です」

「……はあ」

「ごめんなさい……」

「いいです。かたいのは分かってました。舞に言われるのは癪ですけど」

「かたいかたいかたいかたい……かたっあいたっ」

舞が舌を噛んだので、私はため息を吐いた。

「どうしろって言うんですか」

「知りません」

「ま、舞さん……」

「まーいー……?」

「会長、もうちょっと下々の気持ちになって考えてみてくださーい。というわけで、今日帰るとき学生を観察してみてください」

「何を言ってるんですか?」

「いい案だと思うんですが」

「どこがよ!」

「お姉ちゃん、敬語敬語……」

「あ、っとごほん……」

「締切まだ明日ですよね、明日また見ますから。内容が変わらないなら、まあ、それはそれでいいと思いまーす」

舞はカバンを肩にかける。

「ちょっと……」

「では!」

「あ、こらっ」



183 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/04(木) 21:30:07.34

「逃げちゃったね」

「また、あのボランティア……?」

「うん。今日は、結婚式場に行くらしいよ」

「はい?!」

「あ、あの一人で行くのが不安だって言う子のためになの」

「い、いや、どこから突っ込めばいいのかしら……」

「あはは……」

邦美もそうだが、舞の行動力には驚かされる。

「く、邦美……あの」

自然、二人きりとなる。
実は少しだけ落ち着かない。
情けない。

「みどりさんとはどう?」

「え……そうだね、相変わらずぶっきらぼうだけど、最近はちょっと柔らかくなってきたというか……可愛いかな」

「へ、へえ……」

あのみどりさんを可愛いか。
邦美も随分と大人になったものだ。



194 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/21(日) 09:36:36.94

大人になった。
そんな風に思っていたいだけなのかもしれない。

「でも、あんまり自分のこと話してくれないから……まだよくは知らないんだ」

邦実は指をいじりながら言った。
こんな表情をさせるなんて。
みどりさん、あなたが憎いわ。

「聞いてみればいいじゃない。趣味とか、好きな物なんですかとか」

「ええッ……今さら、聞きずらいよぉ」

そこは引いてしまうのか。
いじらしい。
我が妹ながら、可愛い。
でも、それが、青春。
それも、この子の望んだ、今なのだ。

「遊びに誘ってみたらどう?」

「……頑張る」

先は長そうだ。

「それじゃあ、残っている生徒でも観察しながら帰りましょうか」

「うん」



195 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/21(日) 09:56:23.67

正面玄関へと降りる途中で、邦美達の教室を覗いていった。
2名の生徒が残っていて、こちらの足音に気が付くと、
慌ててこちらを振り返った。
その手にはスプレー缶。

「あ……」

と、漏らしたのは邦美だった。

「あの子たち……知ってるの?」

「うん……」

神妙そうな面持ちで頷く。
彼らの取り囲んでいた机の上は、
色取り取りの落書きがされてあった。
ここからはよく見えないが。
綺麗とは言い難い。
むしろ汚い。
そんなことを考えている場合ではなく、

「あなたたち、何やってるの……」

「何って……」

真顔でこちらを見下ろすように彼女は言った。

「アートですけど」



196 : ◆/BueNLs5lw :2014/12/21(日) 10:02:54.59

「机の上に、スプレーで落書きをするのが……?」

「ええ」

「あれ……みどりさんの机」

「そうなの……?」

なぜ、彼女の机にそんなことを。
いや、それよりも担任を呼んでくるべきか。

「確か、ここの担任は……」

「はあ?」

名前を口に出す前に、彼女は顔をしかめた。

「担任、関係ないんですけど?」

「どんな、恨みがあるか知らないけれど、その机……あなたが弁償するの?」

「知らないし」

「みどりさんを特別擁護したいわけではないけれど、生徒会長としても、姉としてもこの問題を放っておくわけにはいかないの」




201 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/01(木) 23:34:56.08

「・・・それで?」

彼女は冷めた目を作った。
邪魔をするなと。
後には引けないと。
こういう輩と関わると、面倒は避けられない。

いきなりのことで混乱した頭を抑えながら、私は言葉を選んだ。

「何か理由があるなら・・・聞きます」

口調をいくらか和らげる。

「しつこいんだよっ」

彼女は側にあった机を蹴り飛ばした。
邦美の悲鳴が小さく上がる。
少しでもずれていたら妹に当たっていた。

無意識だとは思うが、邦美が胸を庇うように服を握りしめていた。
かなり驚いたのが見てとれた。





203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/01(木) 23:51:46.29

「あなた」

考えるより先に手が出ていた。

「つっ!?」

教室に響く乾いた音。
右の手のひらの痺れ。
痛み。
そして、目の前には表情の全てで怒りをあらわにする女。

「あんたっ!」

私同様に、彼女は怒りに行動が伴うのが早かった。
持っていたスプレーをこちらに掲げる。
とっさに、私は目の前で腕を交差させた。

「お姉ちゃん!」

ガスの放出される音。





204 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/02(金) 00:04:22.21

「ゃっ!?」

「邦美!?」

顔を抑えながら、邦美がうずくまる。
声もなく震える背中。
急いで体を抱き起こすと、顔面を赤色が覆っていた。

「目がっ・・・」

「入ったの?!」

妹は黙ったまま何度か頷いた。
手にも血のように色がこびりついている。
こめかみの奥がチカッとした。








205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/02(金) 00:15:27.75

「いきなり、前に出るからっ」

「あなた、何してくれたの……?」

妹と彼女を交互に見る。
彼女の後ろにいた女子が、口元を抑えながら駆け出した。

今度は逆側のこめかみにチリチリと焼けつく痛み。

「あ、杏奈!? あんた、ふざけんなよ!」

彼女は叫び、走り出そうとする。
私はすぐに彼女の腕を力の限り掴んだ。

「いたあっ!」

「どうするの?」

「は、はあ?」

「妹が失明したら、どうするの?」

この腕を握り潰してやる。




206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/01/02(金) 00:34:13.34

いや、今すぐに潰そう。
再度力を込めるが、脂肪や筋肉にグリグリと指が食い込むだけ。
力が弱すぎる。仕方がない。
彼女の腕をすぐ側の机に押しつけた。

「いたぁっ!?」

もう一度、今度は叩きつけた。
骨にぶつかる鈍い音と机の戦慄き。

「痛い! 痛い! 止めて!」

その声に私は我に帰る。
ぱっと腕を解放した。
彼女は机や椅子を掻き分け教室から飛び出ていく。




209 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/03(土) 23:15:07.50

追いかける?
いや、そんな場合ではない。
それより、邦美だ。

「邦美!」

「お姉ちゃん、だい、じょうぶ」

未だ顔を抑えながら邦美が言う。

「すぐに洗いましょっ!」

「う、うん」

ぐちゃぐちゃになった机や椅子を押し退けて、私は妹を庇うようにトイレへ誘導した。



210 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/03(土) 23:34:36.51

「大丈夫? 洗える?」

「うん・・・」

「洗おうか?」

「大丈夫・・・」

付着したばかりだったからか、水性だからか、流水に混じり色が流れ落ちていく。
私は少しほっとして、息を吐いた。

なぜ、こんなことに。

妹が、なぜ、こんな目に?

「いっ・・・・・・」

「邦美?! 痛いの?」

「あ、ちょっと染みただけだから」



211 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 11:01:44.36

邦美の顔を下から覗きこむ。
目の回りは綺麗になった。きつく縛った瞼。
擦り過ぎたのか、スプレーのせいか赤みがかっていて。

「目、開けられる?」

「もう少ししたら……」

なぜ、こんなことに。
ただ、注意を促しただけで、なぜこんなことに。
それも、私ではなく、邦美が。

邦美の動きが止まる。

「どうし……」

「っつ……」

「痛いのっ?」

開けられないくらい痛いのではないか。

「大丈夫、無理に開けなくていいから……」

無言で首を縦に振る。
その後、いっこうに痛みがとれないことに不安になり、私はすぐに邦美を眼科へ連れていった。



212 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 11:41:48.26

眼科医には状況をざっくりと説明した。医師は、こちらの焦りを中和させるように落ち着いて看護婦へ指示を出す。そして、邦美の痛みが少しマシになってから目の中を洗浄してもらい、目薬を注いでもらった。

待合室にて、邦美は目を抑えないように指示を出されていたため、手のひらを握りじっと耐えていた。

私がその手を握ると妹ははっとして力を抜いた。このまま見えなくなったらどうしよう、とか。母になんて説明すれば、とか。そんなことばかり考え込んでいた。

邦美は。
邦美は何を考えていたのか。






213 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 12:07:47.64

あの二人を恨んでいるだろうか。
馬鹿馬鹿しい。
絶対にそんなこと思うはずがない。
行き場のない怒り。
それを抱いているのは、私だけだ。

邦美はいつだってそうだ。
なら、誰がこの事態にけじめをつけるのか。
私しかいない。

やはり、認めてしまわなければ良かった。
みどりさんを。
結果、こうなることが分かっていたら、近づけたりしなかったのに。だが、もう遅い。
邦美の日常を壊すものは、これ以上いらない。
勝手に、邦美に関わらない所で、やればいいのに。
もう遅い。





214 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 13:44:02.15

病院に着いてから2時間程経った頃。母が真っ青になりながら、息を切らせて駆け込んできた。

「お母様……!」

私は立ち上がる。

「邦美!」

母は邦美が振り向くよりも早く抱き締める。
眉間にしわを作り、邦美の顔に手を添えた。

「お母様……あの」

片目をわずかに開く邦美。

「泉、邦美の状態は?」

「はい。お医者様が仰るには、痛みが引けば大丈夫だろうとのことです」

「大事はないのね?」

「はい」

「そう、外に車を用意しているから、それで帰りなさい」

母はそれだけ伝えると、立ち上がった。
診察室へ向かうようだ。

「邦美、明日から特別教室に戻ること。教室に顔を出すのはもうやめなさい」

背中を向けたまま母は言った。



215 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 14:38:43.00

「え?」

母の方に駆け寄ろうとした邦美の腕を、私は掴んだ。

「お姉ちゃん、離してっ」

「ダメよ」

「お母様! 待って!」

「お母様の言う通りにしましょう……」

「い、いや」

嫌がる邦美を無理やり引きずる。

「だって、せっかく……」

せっかく?
何を言って。
そのせいで、あなたは目を失う所だった。
外は、危険がいっぱいなのに。
巣から落ちた雛鳥が生きる確率は?

分かっていた。
母も私も分かっていたのに。



216 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 14:49:38.03

次の日、妹は部屋から出て来なかった。
目のこともあるため、仕方がないので、私は扉のマスターキーで無理矢理中に入った。

邦美はかたくなに顔を枕に埋めて、こちらを見ようともしない。

「来ないで」

くぐもった声。

「わがまま言わないの。目薬は注した?」

「大丈夫」

様子がおかしい。

「どうなったの? 見せて」



217 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 15:07:42.90

がっちりと握りこまれた手を掴む。
枕を離さない。

「……大丈夫だよ」

「邦美、見せなさい」

「……見ても、何も言わない?」

「保証しかねるけど、努めるわ」

緩慢に邦美はこちらを見やった。

「あっ……」

邦美の両目は真っ赤に腫れている。
顔の上半分だけだと誰か判別が難しいくらいには、湿疹が覆っていた。

両目がうっすらと開かれる。
私の表情を見た妹は、また重そうに目を閉じた。

「アレルギーかな? それとも、お薬の副作用かな? でも……」

ぽつりとこぼす。

「これじゃあ、みどりさんに会いたくても会えないよ」







218 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/04(日) 15:31:18.91

ピンポーン!

「あ、だ、誰かしら」

内心ほっとしてしまい、小さな罪悪感。
邦美が素早く窓から玄関を確認した。

「みどりさんに、舞さん……」

「何ですって……?」

「迎えに来てくれたんだ……」

彼女達がそんなことするわけ。
いや、最近のことを思えばあり得る話か。

「邦美……」

「お姉ちゃん……せっかく来てくれたから私から説明するよ」

「いえ、私がするから、ここにいなさい」

妹は口を開くが、諦めたように、項垂れた。

「うん、お願いね」

あの、悪魔の遣いを会わせる訳にはいかない。



221 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 18:55:01.28

このままやり過ごすことを、妹は良しとしないだろう。
重たい足取りのまま、玄関へと向かう。
朝の光が差し込んでいた。
二人がその中に立っていた。

「おはよー、泉」

「おはよう、泉さん」

「おはよう。どうしたの、急に?」

舞が笑う。

「やー、久しぶりに一緒に登校しようかなって思って」

「そう。とてもありがたいのだけれど、ごめんなさい。妹、少し具合悪いみたいなの。今日は一緒に行けないのよ」

みどりさんが、多少驚いた様子で、

「それは、大丈夫なの?」

あなたでもそんな顔するのね。
大丈夫なわけないじゃない。
気安く心配しないで。

「ええ、すぐに学校へ顔を出すと思うから」

その時は、もう話しかけないでね。

「じゃあ、しょうがないな。泉は行かないの?」

「私は、少し妹を看てから行くわ。ありがとう」

追い立てるように、彼女達に手を振った。
舞の瞳が私を見透かすように動いたような気がして、
どきりとして急いで扉を閉めた。




222 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 19:21:58.76

あなたに何が分かるの、舞。
何ができるのよ。
私は変われない。
心から染み出た汚い水が、
臭い匂いを放って、
誰も寄せ付けなければいいのに。

誰も妹に近づかないで。

玄関の壁づたいに、
私はずるずると床に座り込む。

「……」

母はもう学校へ行ってしまった。
私のことを信頼しているのだ。
妹の世話。
病院のこと。
学校のこと。
成績のこと。
進路のこと。
私が任されている。
私しかいないし、私にしかできない。
私が頑張る理由なんて、
それでいい。




223 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 19:30:15.89

それだけあれば十分だ。

「お姉ちゃん……?」

「邦美……朝ごはんにしましょうか」

顔にマスクをつけて、妹が階段から顔を覗かせている。

「うん……」

とりあえず、今日一日は、明日のことを忘れよう。
妹のことだけを考えていればいい。
私は立ち上がった。
刺さるような陽光が廊下に反射していた。
眩しくて、少しだけ目を細めた。



224 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 19:42:17.76

―――
――


その日、教室の机や椅子が少し乱雑になっていた。

私は、机の上におかしなものを発見した。
マジックの落書きの上から、スプレーで彩られている。
ふいに頭の上に浮かんだ言葉は、傑作、の二文字だった。

私が言葉を発するより早く、舞が言った。

「なんじゃこりゃ」

私は、朝起きてここまで来るのに何をしたかを思い出す。
どうやら、夢ではないようだ。

「さあ」

一言そう呟いた。
クラスメイトの何人かが、こちらを覗いてきた。

「なにこれ!? ひどッ!?」

「これ、みどりさんの机!?」

固有名詞を言ったとたんに、クラス中の視線が自分へ集まったのが分かった。

「そうだよ」



225 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 19:59:46.93

「みどりちゃん、とりあえず拭いとく?」

舞がいつの間に用意したのか、濡れた雑巾を私に渡す。

「そうだね」

「ひどいことする人がいるもんだねー」

舞は雑巾をもう一枚持っていたらしく、
反対側から表面を削るように拭いてくれていた。

「個人の自由なんじゃない」

そう言えば、この間、柏木親衛隊隊長に買い言葉をふっかけたっけ。

「みどりちゃんの許容する自由度高過ぎない?」

「そういう自由を許したのは私だから、仕方ない」

「はい?」

舞はきょとんとして、私を見た。
手はせっせと落書きを消していた。

「ちょっと、ちょっと聞いてないよー?」

「言ってないね。ごめん」

ごめん。
自分自身、その言葉にはっとする。
どうして舞に謝る必要があったのか。
なぜ、そんな気持ちになったのか。

「こういうことがあったら教えること、いいね?」

舞が唇を突き出す。
彼女のお節介はいつものことじゃないか。
舞の顔を見た。

「なにさ?」

とぼけた顔。



226 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 20:11:52.26

「いや……」

いつも通り彼女はとぼけている。
気のせいかと思ったけれど、
そうじゃないのだ。

私が、気がついてしまった。

「なんでもない」

彼女の気遣いに。

「答えになってないのですが?」

「え?」

「だから、何かあったら言ってよってこと」

それは演技で。
お得意のパフォーマンスだと。
私の友人を演じているのだと。
邦美のために。

「みどりちゃんは、3回は聞かないといけないんだからさ」

「そんなことは……」

彼女は、もしかして、本当に私の友達なのだろうか。

「もおー、聞いてる?」



227 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 20:24:18.41

ふと、視線を感じた。
顔をあげずに、斜め前に視線だけを転じる。

あの二人がいる。
ひな子がいる。
そこには、心配そうなひな子の顔、
ではなく、綻んだ表情の獣がいた。

やられた。
私は何を見ていたのか。
彼女の何を知っていたのか。

不思議と怒りは湧いてこなかった。
期待してはいけなかった。
期待した自分が悪い。
良いことと悪いことは交互にやってくるものだ。
いつか起こる、そんな不幸に一喜一憂するなんて、
めんどくさい。
疲れるだけだ。

周りがあるというのは、
それだけ振り回されるということだ。
今日は、北を見て、
明日は南を、
明後日は東を、
ぐるぐると、
考えなければいけない。

私にはそんな余裕がない。
母のことを考えていなければならないのに。
母を少しでも忘れようとしたから、罰が当たったのだろう。





228 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 20:43:47.75

全て、ひな子が仕組んだことだったのか。
理解したくはないけれど。
私は勝手に理想の友人を作り上げてしまったのだろう。

落書きは、柏木先生が来る前に消すことは難しく、
結局、朝のHRまでその話題を持ち込まれた。
議題が解決することはなく、HRは終了。

1限目が始める前に、私は彼女に生徒指導室へ呼ばれた。
自分のクラスで何が起こっているのか、私に何が起こっているのか。
彼女が知りたいのはその二つだった。
ただ、私が話せることはなかった。
最終的に、彼女が私に伝えたことは、
人と馴れ合う方法だった。
否、クラスメイトと仲良くするためにどうすればいいかということ。
それを一緒に考えていこう、ということ。

私は頷いた。
頷くと、彼女は安心したように笑った。
私が問題解決のための意思表示をすることで、
柏木先生が安心するのなら、
いいんじゃないかと思う。

けれど、必死に繋ぎ止めようとするものなんて、
離れてしまうと言っているようなものじゃないのか。
ひな子と友だちになったあの始業式の日から、
もしかしたら、ゆっくりと終わりに向かっていたのかもしれない。

「柏木先生、失礼します」

「ええ」

部屋を出ると、舞が待っていた。

「待ってたんだ」




229 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 21:01:31.63

「まあねー」

私が教室へ向かうと、彼女もそれにならう。
歩幅を合わせてくれている。
なんで、そんなことに気がついたのか。
分からない。

階段を下ろうとした矢先、
階下にひな子らと鉢合わせた。

「……ひな子」

私は彼女を見下ろした。

「ごめん、ごめんね舞」

「もう、そういうのはいいから」

私は言った。

「え?」

ひな子の顔が固まる。
横の二人が、少し焦ったように身動きした。

「嫉妬深い女は嫌われるよ」

言いたいことを整理しながら、私は階段を降りていく。

「なんのこと?」

「ひな子、自分を守るためにその二人を使ったんだよね」

彼女の前に立つ。
舞がやや後ろで、居心地悪そうにしていたのが少し面白かった。

「なんで、そんなこと言うの。みどりちゃん」

両隣の二人が、萎縮していた。
それだけ、ひな子の剣幕は凄みがあった。
後ろで、ひょっと言う鳥の声のようなものが聞こえた。
どんな顔をしているのか見てみたかったが、私はひな子に
最も言いたかった事を告げた。

「さよなら」

私は歩き出す。

「……みどりちゃん。私一人が悪いみたいな言い方しないでよ」

肩を掴まれた。

「痛い、離して」



230 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 21:12:26.66

「あなたが、柏木先生の家に泊まったこと知ってるんだから」

「それが?」

「隠す気もないんだね」

「隠しても、もうしょうがないから」

ひな子の優しさに応えたかった。
だから、隠していたのだ。
その必要がなくなったのに、
なぜ、隠す必要があるというのか。
何もなかったと言う言葉を信じることができない人間に、
通じる言葉があるだろうか。

私は、私の屁理屈を胸中に吐き出して、ひな子の手を払う。
彼女は私を睨みつけた。
前に見たことのある目だ。
大切なものを、自分にとっては大切なのだと信じ込んだものを、
奪われそうになった時に見せた、あの女の子の目に似ていた。

「触らないで」

私は、念押しするように言った。
ひな子が激情したのが分かった。
伸びた手が頬へ来る気がして、私は反射的に目をつむった。

階段に頬を叩く音が響いた。
ひな子が叩いのは、私ではなく、舞の頬だった。

「なに、よ……」

「……あのさ」

舞が私の肩を寄せる。

「舞、なにを……んッ!?」

そして、私の唇を塞いでいた。



231 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 21:22:25.53

「言っとくけど、みどりちゃんは私のだからね。気安く、触らないでくれるかな?」

ひな子は一瞬言葉を失って、

「はは……気持ち悪。へえ、そういうことなんだ……」

「さて、みどりちゃん。行くよ」

舞が私の手を掴んで、引っ張っていく。
そっちは教室と違う方向ではないか。
私は呆然と彼女に導かれる。

「舞、どこに……」

答える前に、生徒会室に向かっているのだと悟った。

「待って、舞、授業が」

「みどりちゃん……」

舞が漸く私を見た。

「見たッ? あの顔……ッ……っくす……くす」

「は?」

「ぎゃふんて言いそうな顔だったよねえ……ぷぷ」

廊下の壁に手を付いて、いきなり笑い出す。






234 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 22:17:35.42

「ねね、そう言えば、覚えてる? 朝にさ校舎裏であの子が言ったこと」

舞が息も絶え絶えに言った。

「私のことが、大切って?」

「そ・れ」

そして、また笑い出す。

「よく覚えてるね」

「傑作ッ」

「……」

最初から、私を潰すためにあんことを言ったのではないのだ。
人を憎むために、恋をするわけではなかっただろうし、
誰かを好きになるために、人を憎みたかったわけでもないだろう。

誰も、誰かを蹴落とそうだなんて、最初は考えてはいなかった。
ただ、見えなくなるだけ。
周りがわからなくなる。
大切な人しか目に入らなくなる。
すぐ近くにいる人間のことを、
忘れてしまう。
思い出せないだけで、
いないわけじゃない。
ここにいる。

「みどりちゃん」

舞が私の頬に手を置いていた。
眼蓋の下をこすられた。

「なに?」

「目から鼻水出てるよ」

「は?」

とっさに、頬に手を当てる。
濡れていた。



235 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 22:25:31.11

自覚すると、鼻がつんとして。
喉がきゅっと萎んだ。

舞が、また手を引いた。
生徒会室の扉を開ける。
これで、二回目。
部屋には誰もいない。

少しだけ懐かしいのは、
一人じゃないからだろうか。

「ほら、ここで泣きなさいな」

眉根を寄せても、涙は止まらない。

「みどりちゃんも、泣き虫だね」

「もって、誰と比較してるの?」

「あ、いや、泉とね」

「そう」

棒立ちになって、涙も拭かず、
私は舞を見た。



236 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 22:34:22.89

彼女の片頬は、少し赤みが差していた。
それを気に留める様子はない。
舞という少女は、そう言う人間だったのだ。

「私、外に出ていようか?」

舞が提案する。

「……ここにいて」

私は彼女の手を掴んだ。
彼女の右手を左手で掴んだ。

「みどりちゃん、初めて私のこと頼ってくれたね」

「そんなことないよ……」

「あるよ」

「ない」

彼女が笑う。
私は、手を離せなかった。



237 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/13(火) 22:51:21.77

私の机に落書きがあったのはたった一度だけだった。
柏木先生にそれを報告すると、生徒指導室に連れて行かれることもなくなった。
ひな子の興味も薄れたのか、彼女が私を気にする風もなく、何週間かが経った。

その日、舞は教室に来ていなかった。
生徒会室を見に行ったが、そこにもいなかった。
特別教室にも行ってみたが、やはりいない。

泉と邦美の姿も、そう言えば暫く見ていない。
人のことを気にするなんて、らしくない。
舞のせいだ。

放課後、母からの連絡が来る前に、
私は舞の家を訪ねた。
舞に電話で聞いたのだが、
少し行くのをしぶられた。

そこまでして行くつもりはなかったのに、
なぜか押し切って、今、彼女の自宅の前にいる。

白塗りの壁。
西日のせいで、今はオレンジだけれど。
家というより、箱のようだ。
赤いポスト。
小さな丸型の庭には何も植えられていないが、
白雪姫に出てきそうな小人が3人ほど、土に埋まっていた。
ガレージには車はなかった。
親はまだ帰ってきていないようだ。

ドアベルを鳴らす。
インターホン越しに、舞の声が聞こえた。



242 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/14(水) 22:53:54.87

『みどりちゃん、私風邪引いてるから早く帰ったほうがいいよ』

「わかった」

私は勝手に扉を開けた。

『あ、こら』

「お邪魔します」

奥から足音。

「もー、何勝手に入ってきてんのさ」

上下スウェット。
くまのスリッパを履いていた。
なんだ、元気そうだ。

「これ、あげる」

「なにそれ?」

「飲み物」

「どこでそんな気遣い覚えたの?」

いちいち嫌味を言わないと気がすまないのか。
それとも、照れ隠しなのか。

「それと、今日のプリント」

カバンからクリアファイルを取り出す。

「どーも……しゅんッ」

舞が新幹線の速度で、私の顔にくしゃみを吹っかけた。

「汚い」

「ごめんてッ」



243 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/14(水) 22:59:35.84

「大人しく寝てなよ」

「分かってるけどさ、みどりちゃんせっかく来てくれたしお相手せねばならんでしょ」

「気にしないでいいから」

「むりむり」

私の用事は終わった。
後は帰るだけ。
ここに長居する理由はない。
でも、まだ、私の門限は来ていない。

「とりあえず、部屋来る?」

舞が言った。

「うん」

「こっち」

うさぎのスリッパを出された。
誰の趣味なのだろうか。



244 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/14(水) 23:29:24.90

舞の小さな背中を見ながら、彼女について階段を上がっていく。
部屋に通されると、そこには普通の子ども部屋が広がっていた。
緑色のカエルの時計。
太陽をモチーフにした机。
部屋の端に、積み木が転がっている。

「はい」

牛のクッションをひょいと私に投げ渡す。

「びっくりした?」

「いや」

「正直に言っていいよ。だいたい、ここ私の部屋じゃないから」

「誰の部屋なの?」

「私の弟の部屋」

「弟?」

「小さい頃に、うちの母親が実家に連れ帰ったんだけどね。だから、今は私が使ったり使わなかったりしてる」

「通りで」

舞がいることに違和感しか感じれなかったわけだ。

「あの頃のまんまってわけさ」





245 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/14(水) 23:49:21.20

小窓から夕日が見える。
河川敷が広がっていて、川の水面は陽光を帯びていた。
その下のベッドに舞が腰掛ける。

いつもよりも、やはり、気だるそうだ。

「で、どうする?」

舞は言った。

「何も考えてなかった」

「えー……もうすぐ父親が帰ってくるからさ、そしたら帰るんだよ?」

「わかった……」

「どうして、そんな寂しそうに言うかな」

「そんなことない」

「帰るのが嫌なわけ?」

舞は特に怒っている様子はなかった。
が、少し呆れていた。

「そうじゃないよ」

「もしかしてさ、私と一緒にいたいの?」

「……」

答え。
質問に対する答え。
私は考えた。
答えはすでに出ていた。

「うん……そうみたい」

「あー、そうなんだ…………ええ!?」



246 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/15(木) 00:08:36.94

「でも、それだけだから」

「それだけって……みどりちゃん」

「教室に、舞がいないと、寂しい事が分かった……自分でも変だと思う」

「寂しい?」

「……そうだね」

「みどりちゃんが、寂しいって」

舞は顔をくしゃっと歪ませた。
笑いをこらえているようだ。

「可笑しい?」

「うんッ……ただ」

「ただ?」

「それね、けっこう嬉しいよ」

自然と溢れた舞の笑顔に、
私は見とれてしまった。



249 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/15(木) 23:13:18.45

「騒がしいのがいないと、落ち着かないから」

「えー、なにそれ」

頬を膨らませる。

「だいたいなんで風邪なんて引いたの?」

「お腹出して寝てたからかなー」

「何やってるんだか」

「ほんとにね」

舞が河川敷に目をやった。

「ねえ」

「んー?」

横顔で返事をする。

「なんで、そんなウソつくの?」

ベッドのスプリングが鳴った。



250 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/15(木) 23:56:13.55

「私には、言えって言ったのに、自分のことは言わないつもり?」

窓ガラスに映った舞は、私を見てはいない。
私を見て欲しい、などとは言わない。
彼女の視線の先がどこなのか知りたかった。

舞の組まれた両手がわずかに動く。
聞こうか聞かまいかと思っていたことを、
続けて私は口に出した。

「邦美、最近見てないけどどうしたの?」

「体調崩した」

「お見舞いに行った?」

「うん、行った。でも、会えなかったんだよね」

「そんなに酷いんだ」

「違う。泉が出て、言うんだよ。今は会えないって」

「生徒会長も、最近見かけないけど、学校来てないの?」

「みたい。ホント、結局、何してたんだか……」

独り言のように舞が言った。

「なーんにも、変わっちゃいなかったね」





254 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 13:33:32.81

私には、幼馴染はいない。
舞、泉、邦美の関係について、共感できる所は少ない。
何が変わり、変わらなかったのか。
知る権利などないだろうけれど。

「邦美に会わせてくれないから……玄関の外でずっと座ってた」

薄く笑う。

「そのうち、おばさんが帰ってきて、私も渋々戻ってきたけど、そしたら風邪引いちゃってたってわけさ」

「そう……」

「他に会う方法が思いつかなくて、意地を通したらもしかしたらって思ったけど、あれは相当嫌われたかな」

「嫌うわけないと思う」

「……ありがと」

確か、邦美は舞が自分を恨んでいる、なんて言っていたことがあったっけ。
あの姉妹は、舞に負い目があるだろうし、少なくとも邦美は憎むようなことはないだろうとも思う。
そんな風に、舞を庇うような考え方をしている自分がやはり少し違和感があるが。

「私、弟がいたって言ったじゃん? だから、邦美がほっとけなかったし、あの二人が仲良くしてるの見ると、なんでか嬉しかったんだよ」

自分のことのように、彼女は言う。

「邦美はあの活動を楽しんでたと思う。違う?」

「だといいんだけど」

「珍しく、弱気だね」

「風邪のせい……かな」

邦美のために用意された活動。
私自身、このボランティアで何も得なかったわけではない。
邦美程、楽しいものではなかったが。
それでも、家と学校とを切り離して考えることができた。
それは、感謝している。
邦美もそうではないだろうか。



255 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 14:29:21.48

舞の気持ちをあの姉妹が無視するとも思えない。

「そう言えば、みどりちゃん。ひな子とはその後どう?」

「聞かなくても分かるよね?」

「国交断絶?」

「そ」

「ごめん」

「何が?」

「や、もっとうまいやり方はなかったもんかとちょっと後悔したりして」

「舞にそんな器用なことができるとは思えないけど」

「うッ……痛いところを」

「気にしなくてもいいよ。そこまでの関係しかなかった、それだけ」

これも風邪のせいか。
うじうじとした舞は珍しい。
もともと、そういう性格なのかもしれない。

「酷いなあ……でも、もし、ひな子があんな行動に出なかったら……って。もっと早く気がついていれば良かった」

「言わなかったのは悪かったって」

「違う。みどりちゃんが悪いわけじゃない……」

舞は声を低くする。何を言おうとしているのだろう。

「舞、何か遠慮してることがあるなら、言って」

彼女の肩に触れる。
舞が喉を鳴らした。
それから、目をきつく閉じる。
ゆっくりと口を開いた。

「邦美がね……」

「うん」

「ひな子の取り巻きが、みどりちゃんの机にいたずらしてるのに遭遇したらしくて、その時相手の持ってた塗料スプレーが顔にかかって……邦美がね、今、片目の視力落ちちゃってるみたいなんだ……」



256 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 15:02:27.19

そうか。
だから、泉は邦美を外に出さなくなってしまったのか。
傷つけられないように。
私に会わせないように。

「……泉は、何か他に言ってた?」

「いや……」

舞は首を振った。
たぶんだけれど、もっと拒絶するような暴力的な言葉を言われたように見受けられた。
彼女にこれ以上言わせるのは酷な話しだろう。

「私が、謝りに行かないといけないね」

「みどりちゃんのせいじゃないんだって。誰も、予想できなかったことだよ」

「原因は私だったよ」

「そんなの、言いだしたらキリないじゃんっ」

唐突に、父のお葬式の日のことを思い出した。
灯明を見守る母。
父の苦しみを分かち合うこともできなくて。
母は十分にその葛藤に耐えた。
忙しくする父をずっと支えてきたのに。
母は十分に苦しんだ。
過去の思い出にとりつかれるほどに。

私は――。
結局、父親のことを何も知らなかった。
話す機会なんて、何度もあったはずなのだ。
亡骸にしがみついて、頭を垂れて謝る母の横で、
私は自分への罰を探した。
父へ償うために。

なのに、また。
同じことを繰り返している。
誰かの恨みを買って、自分に報いがくるならそれでも良いと思ったのに。
自分にこなければ、ただの疫病神ではないか。

「舞、ごめん」



257 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 15:39:56.07

「謝らないでよ……」

「でも」

「謝ったってどうにもならないんだから……」

「ほら」

少し目を細めて、私は言葉尻を濁す。

「でもね……うん。ホント、その通りだから」

「ごめん、みどりちゃん。言い方、悪かったね」

嘆息。
邦美が傷ついたこと。あの姉妹がまた殻に閉じこもってしまったこと。
舞が混乱し、傷つている。
どうして、私ではないのだろう。

「いいよ。舞の気に済むようにしてくれてかまわないから」

「みどりちゃんも、出会ってから変わらないね……」

彼女はやや微笑み、

「冷静で、冷たいのかと思いきや、自虐的で……傷つくことで満足してるみたい」

私は息を吸い込んだ。
すっと伸びてきた舞の手が、私の胸に触れる。

「みどりちゃんも自分のこと、全然話してくれなかったね……」

「聞かなかったから」

「聞いたら、教えてくれたのさ?」

「私のことなんて、面倒なことしかない」

「それが知りたいのに」

「どうして?」

「好きだからだよ」



258 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 16:12:47.89

私は、聞き返そうと思った。
が、その前に舞は布団をかき集めて身体を覆う。

「舞、それは邦美や泉に対するものと一緒でいい?」

彼女は返事せずに、くしゃみを一つした。

「うん、まあ」

くぐもった声。

「……ちょっと違う」

「ふーん……」

布団を引っ張ってみた。

「みどりちゃん、ちょっ……うん、あの、口が滑っただけだから、気にしないでね」

「だろうね。たぶん、野良猫とかを世話してる気分と同じで、情が移っただけだと思うよ」

「ばっさり解析したな……」

「じゃあ、どう違うの」

「……分からない。でも、一緒にいてあげたいって思ったわけですよ」

邦美の枠を埋めるためなんじゃないかと。
恐ろしくネガティブな私が囁きかける。
舞は、自分の保護欲を満たしたいのではと。
自分のエゴを恋愛という包み紙にくるんで、
甘いのではと思わせる。




259 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 16:31:13.70

私を好きになるなんて、変わり者にも程がある。

「舞は、変わってる」

「みどりちゃんに言われたくはないけど」

漸く布団から顔を出す。
彼女に近づいて、キスをした。
驚いた顔が可笑しい。
跳ね上がった動悸が舞に伝わってしまっただろう。
私の薄っぺらなポーカーフェイスが剥がれていく。
彼女が私をまじまじと見ている。
キスのやり方なんて、知らないけれど。
互いに見つめ合うこともないんじゃないか。

私は目を閉じた。
彼女も遅れて閉じたような気がした。

長いキスだった。
舞が親指で、私の手を擦ってきた。
びくりと震えてしまう。
ややあって、彼女の唇は想像していたより熱を帯びていたことが分かった。



260 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 16:58:11.73

舞は、人をすくい上げる側の人間だった。
彼女の手を掴んだ、あの日。
私は彼女を引きずり落としてしまったに違いない。
悪いことは言わない。
私を好きになってもろくなことにならない。
彼女にそう言ってしまえ。
まだ間に合うだろう。
キスなんて社交辞令だ。
彼女にすがりつくな。
舞を本当に必要としているのは、邦美と泉なのだ。

私は――私を必要とする者がいる。
忘れてはいけない。
優しさに埋もれてはいけない。
だって、彼女はすでに背負っているものがあるから。
私を背負わせるわけにはいかない。

なのに、
私は、
ダメだった。

「みどりちゃん……?」

唇を離す。
私は、両目を手で擦る。

「また、泣いてる……」

「……っ……っ」

声は出なかった。
喉が張り付いて、涙だけが流れた。



261 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 17:25:31.29

「ねえ、みどりちゃん」

顔を上げる。
私は目を細めた。
幼い少女が愛を求めるよう。
彼女は眩しい。
そのひた向きさが、私を焦がす。
初めてだった。
偽りなく、
求められること。

彼女が待っているのが分かった。
意を決したように。
私と目があっても、そらそうとはしない。
私は自分の気持ちの整理で手いっぱいだった。
何を言えばいい。
何から。

「どうして、私なの……」

こんなことを聞くつもりじゃないのに。

「ボランティアのこと、バカにしなかった。理由も聞かずについて来てくれた」

「推奨はしてなかったけど……」

「いいのさ。それがきっかけ」

調子を取り戻したのか、
舞は弾むように言った。

「それから、私の言うこと聞いてくれる所も好き」

「主体性のない人間だよ」

「それでいいよ。そこが可愛いから」

仰け反りそうになるが、逃げないように舞が私を抱きしめた。

「自分から聞いておいて、逃げないでよ」

「……っ」



262 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 17:42:01.50

柔らかい。
苦しい。

「あとさ、一緒にいると落ち着くんだ」

「……」

「弟みたいで」

それは、どうかと思う。

「うそうそ。でも、そのぶっきらぼうなのに甘えん坊な感じ似てる」

「私は別に、甘えてなんていない」

「そう? まあ、これからすればいいじゃん」

けらけらと笑う。
不覚にも、その顔に愛おしさがこみ上げる。

「……」

結局、舞のペースに巻き込まれたような気もして、癪だ。

「みどりちゃんは、私と一緒にいて何も感じなかった?」

「まさか、レズ女とは知らなかったから」

私は照れ隠しに意味不明なことを口走る。

「酷い言い方っ。これが初恋なんだから、しょうがない」

「てっきり、泉か邦美のことが好きなのだと……」

「あの二人は家族みたいなもんだから、そういう風に見たことはないよ」

壁際に追い込まれたような気持ちだった。
舞は未だに私を抱きしめている。
何を言えばいい。
こういう時、なんて返したらいい。

キスしたのは、自然とそうしたいと思ったからだ。
体は勝手に動いていた。
言い訳ばかり。
無責任なことばかり。



263 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 17:54:10.50

「みどりちゃん、私を好きになってよ」

体の中に流れ込んでくる、
気持ちの良い声が、
脳みそを麻痺させる。

と、玄関の開かれる音。

『ただいまー』

「あっちゃー、まさしが帰ってきた。最悪のタイミングだよ」

「まさし?」

「うちの父ですね……」

「お父さん……」

私は、はっとなって、携帯を見た。
恐る恐る履歴を見ると、着信が何件もかかっている。
心臓が凍った気がした。
最後の1件だけ留守番が入っている。

「……っ」

「夕飯の準備しないと……ん? どったの、みどりちゃん」

「私、帰る」

「え? あ、えっと、確かに親が帰ってきたらって言ったけど……もすこしくらいなら」

「ごめん、帰らないと」

私は荷物をかき集めて、部屋を出る。
後ろから、慌ただしく舞もついてくる。

「どうしたの? 何かあった?」

「何もないよ」

玄関の所で、振り向く。

「舞、風邪早く治して」

「あ、うん」

舞はきょとんとしていた。

「また、学校で」

そう言い残して、私は扉を開けた。



264 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 18:09:58.01

走りながら、留守電を再生する。

「……」

『もしもし、卓郎さん? 職場にもいないし、心配しています。夕飯はできているので、帰ってきたら食べてください』

すぐに、電話をかけ直す。
が、かからない。

「お母さん……」

家にいるはず。だが、この違和感はなんだ。
我が家では、食事は家族全員でとる。
なのに、帰ってきたら食べてだと、一緒に食事をしないみたいではないか。
気のせいだ。そうだろう。

途中タクシーを捕まえる。
息を整えながら、自分を落ち着けるように、父の職場へ連絡する。
会社の方に母から電話はあったようだが、来てはいないようだった。

今まで、母からの連絡を無視したことはなかった。
だから、これは初めてで、
私はただ怖かった。
隠していた秘密バレてしまうような。
こっそりと飼っていた動物を外に離してしまったような。

お願いだから、家にいて。
お母さん。





267 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 21:21:53.72

家に戻ると、もぬけの殻だった。
作りおいてあった二人分の夕食が、やたら香ばしく、
静けさが強調される。

「どこに……」

家の中をぐるぐると周る。
単純に買い物や散歩ならば30分で戻ってくるだろう。
不安をぬぐい去るように、楽観的な答えを出して、私は母を待った。
しかし、1時間経ってもいっこうに帰って来なかった。

携帯を持たぬ母がどこにいったのかなど分かりようがない。
どうして、着信に気付かなかったのか。
自分への苛立ちと、母に何かあったらという不安が、私の行動を愚鈍にさせる。

手がかりになるようなものは。
ふいに、前に母が未登録の番号に電話をかけていたことを思い出した。
転がるように玄関へ向かう。

「……っ」

すがる思いで電話の履歴ボタンを押した。
良かった。まだ残っている。
携帯へ番号を打ち込む。
数秒無音。
繋がる。



268 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 22:11:14.50

『おかけになった電話番号は――』

私はどきりとして、もう一度番号を確認した。
1桁間違っている。
心臓が脈打っていてうるさい。
かけ直す。

『――はい、全円総合病院ですが』

「全円……」

『もしもし?』

父が倒れた時に一番最初に運ばれた病院だった。
この間、邦美が入院していた――。
私は電話を切る。
まさか、行くわけがない。
父が亡くなったのはそもそもこの病院ではない。
だって、母は今日二人分の食事を用意して待っていたのだ。
それは、父が生きていると思い込んでいるということだ。
では、母は何を求めて夜の街をさまよっているのだ。
父以外に何があるというのだ。
足元がぐにゃりと崩れていく。
この不安定さはなんだ。

携帯電話が鳴った。
番号を見る。
私は目を疑った。
先ほどかけた番号と全く同じだった。
全円総合病院。
通話ボタンを押した。

「はい……」

電話に出たのは、若い女性の看護師だった




269 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 22:23:40.79

看護師は事の経緯をつらつらと話し、
最後に、母を引取りにくるか、
入院させるかという提案をしてきた。
私はその決断を迫られている現状がよく理解できなかった。

代わりに、電話越しではよく分からないため一度そちらに向かうという旨を伝えた。
看護師は多少苛立った様子で、ではお待ちしておりますと電話を切った。

呆然とする暇もなく、私は制服のまま病院へ向かった。
恐れていたことが起きた。
それだけは分かった。
そんな状況。
普通にしていたのに。
どうしてこうやって起こってしまうのだろう。
なぜ、変わらないでいてくれない。
私では、私一人では母を支えられないのか。
しばらくはなんとかなると、
そう思っていたのに。

思っていたいだけだった。





270 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 22:40:50.25

病院へ到着して、私は個室へ連れて行かれた。

「あの……母は」

「あなたのお母さん、先ほどまでひどく混乱した様子だったの」

看護師が言った。
個室の扉を開けると、
ベッドに横たわっている女性――お母さんだった。

「お母さんっ!」

私は駆け寄った。

「今、薬の効果で落ち着いて、眠っているだけよ。安心して。でも、もう、暴れて大変だったんだから」

「何が、あったんですか」

「……旦那さんがここに入院していないかって。名前を調べると、確かに一度運ばれてたけど……もう、別の病院へ移ってるはずよね」

「……はい」

「それをお聞かせしてる最中に、その時の担当医が来て……旦那さんの言葉を伝えたら、急変して……人が変わったみたいに、謝ったり泣き叫んだり」

「ち、父は何て言ったんですか?」

看護師は、喋りすぎたというように口を抑えた。

「ごめんなさい、無神経に……」

感情を抑えるように、押し黙る。

「お願いします。教えてください」

もしかすると、私も暴れると思っているのかもしれない。
私は頭を下げる。

「私の口からは……担当医がまだたぶん部屋にいると思うけど」

「連れて行ってもらえませんか?」

看護婦は押し切られたように、しぶしぶと頷いた。



272 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 23:10:30.06

看護師の背中を見つめながら、私は後に続く。
案内された部屋に入ると、彼女は仕事があるからと出て行ってしまった。

「みどりさん、ですね」

「はい……」

初老の男性。少し痩けた頬。
メガネを外して、私を丸椅子へ座るよう指示する。
ネームプレートには『佐渡―サド―』と書かれていた。
佐渡先生は、申し訳なさそうに言った。

「……患者さんの言葉を遺族の方に話した時、ああいった方もいらっしゃるというのを失念しておりました」

遺族――。
では、先生は、父が死んだことを知っているのか。
私は、そこで気がついた。
担当医とは――。

「先生は、いつから父の担当医なのでしょうか……」

「5年程前からです……ご家族には知らせるなと言われていました」

「そう……だったんですね」

「全く話をする人ではなかったので、それが逆に印象的でした。けれど、穏やかで物腰の柔らかな方でしたね」

私達の知るところのない父。
けれど、やはり私たちの知る父でもあった。

「あの……父が運ばれて来たとき、父はなんて……」

「彼が運ばれてきたときのことは……」

と、佐渡先生は私を見た。
私は頷いた。

「続けてください」

「彼は、山向こうの病院へ搬送される直前に……意識を取り戻しました。そして、こう呟きました」

彼は伏し目がちに言った。

「『娘と家内は……間に合わないだろうな』と」



273 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/18(日) 23:31:43.78

覚悟はしていた。
何を言われても仕方がない。

「みどりさん?」

「ありがとうございます」

私は立ち上がる。

「それが聞けて良かったです。あの、母のことなんですが」

「お母さんのこと、どうしますか?」

「叔母がいるので、相談してから決めます……明日にはお返事します」

相談することすら、頭にないのに。
すらすらとそんなことを言った。
佐渡先生に頭を下げる。

「みどりさん、大丈夫ですか」

「はい。あの」

「なんでしょうか」

「病室へ、泊まってもいいんですか?」

「ええ……下の受付で手続きをしていただければ大丈夫ですよ」



276 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 17:13:10.46

私は先生の教えてもらった通りに、受付で宿泊の手続きを済ませた。
受付より、さらに奥の部屋にいた看護師らが時折私の方をちらちらと見ていたのが、少し気分悪かった。
病室へと繋がる病院の廊下は薄ら寒く、人気はなかった。
窓ガラスから見た外の景色を見て、私は陽が落ち切ったのに気がつき足を止めた。

「……」

真っ暗だった。
ふと、お腹が空いたのを思い出して、病室へ行く前に売店へと踵を返す。
もしかしたら、母も目が覚めたら小腹が空いているかもしれない。
パンかおにぎりでも買っていこう。
着替えはいるだろうか。
確か、服のまま眠っていたような。
家に、作りおいてあった夕飯。
あれは、明日食べよう。

廊下に響く靴音。
私は後ろを振り返る。
誰もいない。

『――間に合わないだろうな』

肩が震えていた。
父は、何度もここに通っていた。
知らなかった。
どうして、教えてくれなかった。
父のことを知ら無さ過ぎて、
私は父の代わりにはなれない。



277 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 17:33:00.63

私は、母の愛した人にはなれない。
この街で出会い、
恋をして、
結婚して、
共に歩んできた、
最愛の男には、
なれない。

父のフリを続けることで、
母を支えることができていると自惚れていた。
穴だらけのおままごとを続けていた。
それみたことか。
女子高生に、
家庭が守れるわけがないのだ。

叔母にこのことを知らせれば、
きっと母は暫く家に戻ってこれないだろう。
母が事実を受け止めることができれば、多少違うだろうが。
悩むことを拒絶した脳が、空想の世界を作り出し、
居心地の良い物語を紡ぎ続ける限り、
母は、次の父とのデートを楽しみに待っているだろう。



278 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 17:53:50.62

「みどりさん……?」

物思いにふけっていた私は、少し遅れて声の方を見やった。

「邦美……それに、泉」

姉妹が二人寄り添い立っていた。
そして、その後ろに彼女らの母親。理事長。
思いも寄らぬ再開に、私は思考が停止する。

「みどりさん、顔色悪いけど大丈夫ですか……?」

邦美が言った。
邦美の顔を確認する。
外見は特に変わりはなかった。

「私の心配より、邦美こそどうなの?」

「私ですか? 私は、大丈夫ですよ。また、学校でお昼ご飯一緒に食べましょうね」

小さく笑う。
その邦美の笑顔をかき消したのは、泉の一言だった。

「大丈夫なわけ……ありません」

そして、続く言葉を泉ではなく、彼女らの母親が言った。

「あなたが、みどりさんね……」

「はい」

「泉から、聞いています。邦美を囮に使ったそうね……」

何を言われたのかわからず、私は聞き返す。

「意味が、わかりませんが……」



279 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 18:18:15.16

「そう……」

感情を抑圧したように、理事長は頷いた。
泉の方を見る。顔をそらされた。
邦美の表情は固まっていた。

「柏木先生から報告は受けておりました。クラス内でいじめがあったと。誰がいじめの主犯かは定かではありませんが、被害者はみどりさんですね? そして、自分がいじめの対象から抜け出すために、邦美を使った。そう、泉から報告を受けています。他にも、ひな子さんという方から、度々邦美を無理に屋外に連れ出していたと伺っています。危険なこともさせていたそうですね」

そこまでまくし立て、
全く息を切らさずに、
理事長は私を見据えた。

どこから理解すれば良いのか。

「確かに、私はいじめのようなものを受けていましたし、邦美を屋外に連れて行くこともありました。ただ、彼女を囮に使ったというのは身に覚えがありません」

「お母様、私……そんなことないです!」

「邦美、怖がらずに……お母様、邦美は脅されているだけです」

姉妹が口々に言った。私は、理事長から目を逸らせなかった。
彼女の眼光が矢のように鋭く私を捉えていたと言った方が正しいだろう。





280 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 18:34:54.83

「泉、いいんです。わかっています。柏木先生から、あなたの素行は伺っています。それに、みどりさんもご両親のこともあり混乱されていたのでしょう?」

心中察します、とでも言いたげだ。
こめかみが痛くて、私は目を細めた。
喉が渇いていた。
水が飲みたい。

「つまり、理事長は、私が父を亡くしてから頭がどうにかなっていて、何をやらかしてもおかしくない、と言いたいんですね?」

私は泉を見た。
怯えるような目つき。
理解できない。
なぜ、こんな嘘を。
そこまでして、私を排除したいのか。
いや、でも。
もし、私が母に同じようなことをされたらどうだろうか。
間接的にしろ、元凶を許せるだろうか。
主犯が分からないなら、
手っ取り早く憎む相手が目の前にいるなら、
そうしてしまうのではないだろか。

「少し、休んだ方がいいでしょうね」

理事長は、言った。





281 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 18:57:40.14

邦美を守ろうとする泉が、母を守ろうとする自分と重なって、
それが滑稽で、
ナルシストじゃないけれど、
少しだけ愛おしく感じてしまった。

けれど、泉はそんなことを知らないだろう。
きっと、分かり合えないままなんだろう。
そのまますれ違っていく。

「もしくは、このまま学校生活に支障があるようでしたら、他校への編入などもできます」

「……いえ、編入するつもりはありません」

「そうですか。柏木先生には、いじめも落ち着いてきていると聞いておりますので、何かあれば相談を」

理事長はその後も、何か私に色々と言っていたのだが、
その後のことはあまり覚えていない。
詰まるところ、邦美には極力近づくなと言いたかったんだと思う。


気がついたら、母の病室の椅子に座っていた。
母が私を見ていた。
びっくりして、息をするのを忘れてたいかのように、私はむせた。



282 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 19:20:57.40

「ここ、病院?」

「あ、うん」

「お母さん、どうしてここにいるの?」

母は、顔をしかめる。

「覚えてないの? 今日、何日か分かる?」

なぜか、そんなことを聞いてしまう。

「わかるわ」

言って、母は壁にかけてあったカレンダーを指さした。
合っている。
母はなぜそんな当たり前のことを聞くのか、という顔をした。
それから、

「みどりちゃん、お夕飯食べた? あなた、顔色悪いわ。どうかしたの?」

おろおろと、母は私の頬を撫でた。

「うん……ちょっと」

少し天然で、優しい。
泣き虫で、忘れっぽくて。
私の話を聞きたがる。
自分のことよりも、
家族のことを考える。

「ごめんね……」

私は母の手を握り締めた。
世界中の誰よりも父を愛し、
私を愛してくれる女性を、
私はとても誇りに思う。



283 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 19:53:28.16

だから、彼女の前でもう泣くことはできない。
きっと、母も同じで。
私たちは、互いに間に合わなかった。
どうしようもない後悔を抱えている。
それでも、互いに守らなければいけない存在があるから。
無理をしてでも、自分を奮い立たせる。
無理がきたら、こうやって病院に運ばれる。
母は頑張った。休んでいいと思う。休んで欲しい。
私も、少し休みたい。

「お母さん、話したいことがあったんだ」

「どうしたの、改まって。怖い話は嫌よ?」

「うん、怖い話」

母は口を尖らす。

「お父さん、亡くなったよね」

「……」

「だから、明日のデートも行けないし、雨の日に傘を会社に持っていかなくてもいい。携帯に電話しても、誰も出ない」

「……」

「それから、私、お父さんじゃない」

母は眉根を寄せた。
こんなことを言って、何になるのか。
私は病室にあったメモ用紙に、今言ったことを震える手で書いた。

「これ、いつも持ってて」

「どうして?」

「あのね……」

「どうして、そんな冗談を言うの?」

「そうじゃないよ」

「みどりちゃんっ」

「冗談じゃないんだよ……!」

母はびくりとして、固まった。
泣きそうな顔をしている。
初めて、母に対して怒鳴ってしまった。

明日は雨だと天気予報が言った時に、
デートは中止だと母に告げると、
今にも泣きそうな表情をするくらいだ。

「あのてるてる坊主も全部私が作ったんだよ?」




284 : ◆/BueNLs5lw :2015/01/20(火) 20:22:37.21

「みどりちゃん、分かるように……説明して、ね?」

諭すように、母は言った。
母の時計は動かない。
こんなことでは、戻らない。
私は我に返る。

「あ……ごめん、疲れてて、それで……変なこと言った」

「学校で、嫌なことでもあった? 言って?」

「ううん……夢、夢と混ざったみたい」

「そうなの……みどりちゃん、お父さんに似て、何も教えてくれないから。心配よ」

「大丈夫だよ。お母さん、貧血で倒れたから……私も気が動転してたみたい。もう少し、安静にってお医者様が言ってたよ」

「わかったわ。ありがとう……病院に連絡入れてくれたの、みどりちゃん?」

「うん……」

「心配かけて、ごめんね。すぐ、元気になるからね。みどりちゃんも、疲れてるでしょ? もう遅いからお家に帰りなさい」

「今日は泊まれるようにしてもらったから」

母は私を心配して、家に戻るように促してきたが、
私はあと少しだけ母のそばにいたくて、
泊まるのを押し切った。



288 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 16:06:19.55

部屋につけてあったテレビを見ながら、私たちはいつも通り過ごした。

「ねえ、卓郎さん」

それには、否定はしなかった。

「……」

外は雨。コメンテーターや、芸人がやいのやいのと話すのに混じって、ガラスを叩く音が聞こえた。
テレビの隅の小さな天気予報を見る。降水確率90%。

「最近、みどりちゃんの様子が変なの」

「どんな風に」

「卓郎さんが死んだ……自分は父親じゃないって」

「あの年頃の女の子は、現実と妄想をあべこべにしてしまいやすいと本に書いてあったっけ」

「あの子、あなたのこと嫌いなのかしら……」

「家でもあまり話さないからね。それに『お父さん大好き』なんて言う子の方が少ないよ」

「もう少し、あなたも自分のこと話してよ」

「ああ……」

「仕事のことでもいいしなんだっていいんだから」

「そうだね」

「それに、私にも」

「……?」

「何か隠してない?」

「どうしてそう思う」

「女の勘かなあ」

「まいったね……実は、デートには行けなくなったんだ」

母は、ため息を吐いた。

「予想はしてたの」

「そうか」

「お仕事ならしょうがないじゃない。いいの、また今度はあなたの十八番だもん」

「すまない」

「変わりに、今日はずっと隣にいること」

「ああ……」

私は立ち上がり、ベッドの脇に座った。
母の頬に軽く唇を寄せて、抱きしめてやる。
約束のデートは破棄された。

「そう言えば、どこに連れて行ってくれるんだったの」

分からない。私は適当に、

「海かな」

そう答えた。



289 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 16:30:20.71

翌朝、私は叔母と叔父に母のことを話した。
電話越しでも、それみたことかと言葉に出さなくても思っているのが分かった。
今から行くから、と叔母が言い電話を切られた。

そして、

「卓郎さん、ただの貧血で大げさね」

「越したことはないよ」

私は完全に母の中で父になっていた。
医者の話では、重度の心理的なストレスのせいでアルツハイマーを発症してしまっている、
とのことだった。不可逆性で進行するため、これから母はゆっくりと赤ん坊へ戻っていく。

「みどりちゃん、ちゃんと学校に行ったか確認して欲しいんだけど。昨日、あの子がどこにいたのか思い出せないの」

「ああ、分かった。僕も、仕事へ行かなくてはいけないんだ。後のことは、姉がしてくれるから言うとおりにするんだよ」

「ええ、本当に申し訳ないわ」

「……じゃ」

手を振る母に見送られて、私は病室を後にした。



290 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 16:44:59.93

病院の外に出る。
まだ、雨が降っていた。
売店で買った傘を挿した。

昨日の服のままだったっけ。
家に帰る気にはなれず、
学校へ行く気にもなれず、
私はふらふらと駅へ向かった。
海へ行こうと思った。
5駅先の切符を買って、
通勤ラッシュが一段落した構内の長椅子に腰かけた。

砂利音。

「どこへ行くのよ」

緩慢に顔を上げた。
切れ長の目。
長い黒髪が湿気のせいで沈むように流れていた。

「泉……いつから」

「病院を出たとき。声をかけたのに、気付かなかったのはあなたの方」

「後ろから、刺せばよかったのに」

冗談で言ったつもりなどなかった。
たじろいだのは泉。

「憎いんなら、そこまでするべきだ」

「……そんなこと、できるわけないでしょ」

「考えなかったの? いや、泉は考えたはずだ。私がいなくなれば、邦美は何も変わることはなかったって」





291 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 16:59:17.95

「考えたわよ。今だって」

「これから、海へ行くからさ……そこで、私が溺死するのを見ててよ」

「私に人殺しになれって言うの。それこそ、邦美と一緒になれないじゃない」

「遺書くらい残すよ、それに泉が止めたことにすればいい。止めたのに、私が泉を殴って止められなかった。見殺しにしてなかったように見せかければいいだけだ」

「……へえ、あなたの方からいなくなってくれるんならせいせいする。行ってやろうじゃない」

「……うん」

彼女は、信じてはいなかった。
自分を脅すために言っている。
泉は当て付け程度にでも思っているのかもしれない。
やれるものならやってみろと。
そんなつもりはないのだ。
泉にしろ邦美しろ、罪悪感を感じることなんてない。
むしろ、それは家族を守るための必要悪で。
そういった信条がぶれてしまえば、誰も守れない。
守り通すことは本当に難しい。
自分の弱さに押しつぶされない、泉が羨ましく思えた。

「なによ」

泉の方を見ていたらしい。
彼女がぶっきらぼうに言った。

「ううん……ごめん」

演技で人は守れない。
ボロが出てしまう。
しょせん、自分以上の役を演じることなんてできないのだ。
演じるには自分を壊すしかなかったのだ。
それができない。
それが怖い。
自分じゃなくなって、いなくなるのは、怖い。

私は私でしかなかったのに。
見栄を張っていた。






292 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 17:12:54.67

一人分の空間を空けて、私たちは座席と腰を下ろした。
会話はなかった。
泉は性質的には私と似ていて、本当は少し居心地が良かったのだ。

互いに、車窓を見ていた。
流れていく、乾いた冬の景色。
このあたりは扇状地となっていて、
狭い山間を抜けた所の土地は、昔、山や田畑が覆っていた。
今は少しずつ開発が進んでいる。
海にも面していて、展望台からは山と海を一望できた。

ふと、両親と展望台のある山に登ったのを思い出した。
目を閉じる。

「私、泉といるの嫌いじゃないよ」

「なによ、突然」

「泉は?」

「嫌いよ嫌い」

「そう」

「わかりきってること、聞かないで」

「それは、悪かった」

車窓に彼女の横顔が映った。



293 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 17:29:28.00

しばらくして、浜の近くの駅に着いた。
化学工場がぽつぽつと立っていた。
埋め立てられた土地の上にこの駅はある。

駅前におじいさんが座っていた。
木工品を削っていて、自分の作品を売っているようだ。

「……」

可愛い招き猫の置物があった。
舞に買っていったら、びっくりするだろうか。
喜ぶだろうか。

「買うの?」

泉が、言った。

「いや」

変だな。
舞のことを考えている。
元気になって欲しいとか。
私がいなくなったら、どう思うかとか。
目的の場所に近づく度に、
どうしてだろうか、
どうして。



294 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 17:34:45.14

別に、いいじゃないか。
たった、1年くらいの、
ただのクラスメイトだったんだから。
時が経てば、忘れる。
忘れたって大丈夫。
私の中にも、
彼女の中にも、
まだ、何も残ってなどいないんだ。

海からの風が顔を叩く。
隣にいた泉が、身震いしていた。

「寒い?」

「寒いわよ」

「ここに残ってもいいよ」

「行くわよ」

気遣ったつもりだったけれど、
逆に火をつけてしまったようだ。
気の強い人。
私が歩き始めると、後ろから着いていくる。

猫みたい。



295 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 17:43:11.68

防波堤を越えると、数人釣りをしていて、その場から少し遠くへ移動した。
波は穏やかだった。
海岸線に沿って私たちは歩いた。
時折、小型の漁船がいたずらに波を立てた。

前方に鼻の形をした大きな岩。
私はポケットに入っていた生徒手帳にさらさらと、
メッセージを書いた。

『疲れた。さようなら』

正直、これ以上何も言うことがないし、
それが全てだった。
私は振り返る。
泉が立ち止まった。

「これ、持ってて」

「手帳?」

「遺書がメモの所にあるから」

私は傘を畳んだ。
雨が顔や腕に当たった。

「ちょ……みどりさん」

どうせ、これからずぶ濡れになるのに、
彼女は何を心配しているのか。
ああ、そうだ。
まだ、冗談だと、思っているのだ。



296 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 17:57:00.25

悪いことをした。
見たくないものをこれから見せられるのだ。
私は靴と靴下を脱いだ。
何か、ドラマとか本とかそういうのに則って。

足元で、水が弾けた。
冷たい。
雨足は先ほどより強くなっていた。
波も心なしか高くなってきていた。
ばしゃばしゃと、先ほどの歩く速度で。
すぐに海水は膝下まで上がってきた。

「みどりさん!」

振り返りはしなかった。
彼女も動いてはいない。
そこまでやるのかと、
びっくりして名前を読んだのだろう。

スカートに海水が染み始め、
腰のあたりまで攻めてきた。
水圧と波の動きで足が取られ、
上手く進めなくなっていた。
冷たい海水が下半身を麻痺させる。

すっと、足場が無くなった。
ドボンと音がして、顔まで海水が浸かってしまう。
服がまとわりついたり、海流に合わせてクラゲのように浮いたり。

「ごほッ……ッごぼ!」

海水を飲み込んだ。
あまりにも塩っぱい。
体はなかなか沈まない。
冷たさを通り越して、痛みが生じていた。
意思とは別に震えている。

いや――別なんかではなかった。
本当に震えている。
海の表面で腕が跳ねた。
私はもがいていた。

「がッはッ……!」



297 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 18:04:20.11

怖かった。
周りは真っ黒な海水で。
空気はない。

足を引っ張られたような気がした。
藻に絡まったのだろうか。
波が顔を越えて、体を沈めんとする。

「げ……ほッ」

――みどり。

(お父さん……?)

父の声だ。
いる。
海の奥深くに。
潜んでいる。
藻を使って、私を呼んでいるのだろうか。

――みどり。

(そこにいるの……)

いや。
最初からそばにいた。
母の目には確かに、父は私のすぐ近くにいた。

(ごめんなさい……間に合わなくて)

何も言わない。
彼は、仄暗い底で、何も言ってはくれない。



298 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 18:14:25.84

ふ、と体の抵抗が消えた。
執着という概念が消えた。
意識が、朦朧とした。

父が見ていた。
腕が上がり、指はゆらゆらとどこかを指す。
上に行けと言っているのか、
下に来いと言っているのか。
どちらが上でどちらが下なのか。

わからない。

彼の口が漸く開いた。
あ、ん、あ、え――。
頑張れ――。

ああ。そうか。
漸く私は気がついた。
それは、私の願望だ。
見殺しにした父に、
まだ、私は応援しもらいたかった。

唯一の味方であって欲しかったのだ。
私は目を閉じた。



299 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 18:23:28.78

胸を押されて、私はその痛みの部分を腕で払った。
何かに当たった。
急に、喉の奥から、液体が込上がってきて、
抑えきれずに吐き出した。

「ごほッ……! おえッ……!」

鼻と目がつんとした。
胃液が混じっていたのか、口の中は塩っぱいのと酸っぱいのが混じる。
いや、一体何と混じって――。

「みどりさんッ!」

「はッ……あッ……ごほッ……ッ」

「良かったなあッ……嬢ちゃん!」

目がかすむ。
記憶が急速に蘇る。
失敗したのだ。

泉に胸ぐらを掴まれる。

「あなたねえ!?」

「お嬢ちゃん、とにかく……屋根ある所行かんと……お、車来たぞ」

寒い。

「すぐに診療所、連れていったるからな」

誰。身体が勝手に動かされた。
そこからは覚えていない。
目が覚めたら、和室へ寝かされていた。




300 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 18:33:25.95

身体がだるい。
頭だけを動かす。
泉がいた。

「起きたの……」

「どこ」

「海の近くの個人経営の診療所」

「そっか」

頭を戻す。
耳の中に水が入っていて気持ちが悪かった。

「ねえ」

「?」

泉は布団の上にあった、私の手を掴んだ。

「……ごめんなさい」

「どうしたの」

「どうして、こんな……」

「あなたが、望んでいたじゃない」

「こんなことをして欲しかったんじゃ……」

「心が腐って死ぬくらいなら、私は身体が死んだほうがいい」

泉の手は気持ちが良かった。
否、私の手が冷たすぎるのか。

「泉、手、暖かいね」

泉の手は震えていた。
彼女は黙ってしまった。

「少し、私の話を聞いてくれる?」

私はぽつりぽつりと自分のことを語った。
吹っ切れていたのかもしれない。
それとも、泉だったからなのか。
自分と、父と母の話を聞いてもらいたかった。
誰かに話したのはこれが初めてだった。




303 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 21:43:47.85

父が亡くなったこと。
母の頭がバカになったこと。
私たちの罪悪感のこと。

私が父として行っていたこと。
母はもう、父が亡くなった事実を知ることはないこと。

ボランティアのこと。
ひな子のこと。
いじめのこと。
柏木先生のこと。
邦美に償いたいということ。

舞が好きだということ。

体の中を0にしたかった。
0になって、軽くなりたかった。
こんな重たい状態だったから、きっと
海に上手く沈めると思ったのだ。
痛みが蘇る。
自分を犠牲にすれば、
誰かが救われるなんて、
そんなこと、
本気で思ってはいない。
助かりたかった。
許されていないという妄想から、
償って、開放されたかった。



304 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 22:17:17.01

話終わった途端、私は疲労感がどっと押し寄せてきた。
息苦しい。
深呼吸をした。
喉が震えた。

そう、
自分だけ助かりたくて。

「どうして、助けたの」

泉を睨んだ。
彼女は肩をびくりとさせた。
彼女の握っていた手が離れていく。
私は追いかけるように、掴んだ。
汗ばんでいた。
陶器のように、滑らかな肌。

「ッ……みどりさん、私」

「あなたも自分さえ良ければそれで良かったんだよね。泉と邦美に償える簡単な方法があった。私はそれを実行した」

「そんなの望んでない……」

「じゃあさ、じゃあ……ねえ、聞くけど」

私は上半身を起き上がらせる。
泉は身じろぎした。
彼女の肩を押した。

「どうすれば良かった? 教えてくれる……ねえ、教えてよ!」

叫んでいた。きっと、怖い顔をしていた。
泉は泣きそうだ。
口元を少し開いている。

「あ……」

言葉にはならなかったようだ。
彼女の服は冷たかった。
濡れていた。
びしょ濡れのまま、私の傍についていたのだろう。


「邦美のことが好きなんだよね……お姉ちゃんは。許せないんだよね」

「ちが……違うの……私」

「違う? 何が」



305 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 22:50:30.81

「わかっていた……邦美は私を庇って、ああなった……。私のせい……だった。あなたのせいなんかじゃないのよッ」

泉は泣きながら言った。

「ッあの子が……ッひ……私から……離れていくのが嫌で……ッ」

「泉……邦美には、私は必要ない?」

「……ッそれは」

「家族が居ればいい?」

泉が顔を横に振る。
涙が、あご下へ落ちる。

「泉がいれば、邦美は満足なの?」

泉は首を振る。

「邦美は泉がいれば満足?」

泉は首を振る。

「私は、最初から……邦美の友だちになるよう舞に言われていた。だから、友だちとして振舞った。そんなつくりものでも、彼女は嬉しそうにしてた。私は、彼女に対してあまりにも不誠実だった……」

邦美と舞と共に、屋上でお昼ご飯を食べたことを思い出した。
身体が震えた。
舞に会いたい。
優しさを教えてくれた彼女に。
一人では、逃げてしまいたくなる。
私の中の舞が、こんなに大きくなっていたなんて。

「結局、私も泉と同じようなことをしていたから……友だちと呼べるような関係ではなかったのかもしれない」

「違うわ……違う。あなたは……友だちだった……」

「そうかな……」

「……あの子にとって、本当の意味で……あなたは最初の友だち……よ」

「泉が言うなら、そうなんだろうね」



306 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 23:04:11.02

ふと、とたとたと足音がした。
ふすまがノックされる。

『起きたんか?』

「あ、は、はい」

「誰?」

小声で聞く。

「院長さんの奥さんよ」

泉は目元を拭いながら、私の下から這い出るように立ち上がった。
私もならって、身を起こす。
数秒後に、ふすまが開いた。

「お風呂沸いたから、入んな」

「ありがとうございます」

「……っしゅ」

「大丈夫?」

「寒い……」

「広い風呂やかんな、二人で一辺に入りー。ほれ、タオルと娘のやけどジャージ」

丁寧に畳まれた衣類を泉は受け取った。
腰から深々とお辞儀する。

「ご迷惑をおかけします」

「まあ、礼儀正しいねー。でも、天気悪い日はあんまあの辺で遊ばれんで?」

「はい、すいませんでした」

「無事で良かった。ほら、さっさと温まってきんな」

地元の人間ではないのか。
所々訛りがあって聞き取りにくい。

「……みどりさん」

「え、あの」

「背中くらい流すから」

泉は真面目だった。



307 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 23:19:06.90

お風呂から出ると、携帯に着信が入っていた。
壊れていなかったのか。
ただ、海水が染み込んで液晶に波紋のようなものが残っている。
相手は舞だった。私は、胸がわずかに高鳴ったのを感じた。

泉は、何か手伝えることはないかと先ほどの女性の所へ行った。
私はもう少しここで休んでいろ、と言われた。

履歴を選択して、ボタンを押した。
今は、授業中かもしれない。
出れないかもしれない。
出なかったら、ショックかもしれない。
変だな。
何をそんなに怖がっているんだ。

繋がった。

「あの、舞」

『みどりちゃん? 今どこ? 大丈夫?』

「舞……ッひ」

急に目頭が熱くなった。
例えようのない安心感。

『どうしたのッ? ええ? みどりちゃん?』

私を呼ぶその声に、
父や母と違うその声音に、

「あの……ッ……ごめッ」

困惑しているであろう彼女に、
私はただただ嗚咽を漏らした。



308 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 23:26:58.87

数時間後、もうくんじゃないよ、と笑いながら奥さんは私たちを見送ってくれた。
迎えに来てくれたのは、舞と舞の父親だった。
たどたどしい私の説明を聞いて、舞は一つ返事で来てくれた。

「で、二人とも学校行くの? え、てかなんでジャージ?」

車の中で、舞がどこから突っ込んでいいのかわからないという顔で聞いてきた。

「ああ、これはもういらないって、くれた」

私は言った。

「お、おう?」

舞はカクカクと頷く。

「学校へは行きたくない」

提案というか、ワガママを言ったのは泉だった。

「ええ?」

舞は挙動不審になっていた。

「私も、行きたくない」

便乗して言った。

「おまえもかッ」

舞の父親は、何も言わなかった。




309 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/22(日) 23:39:30.24

「はあ、というわけでマサシ、我が家にカムバックで」

「おう」

と、一言だけ答えてハンドルを切った。
心なしか笑っているようにも見えた。
舞は、風邪が悪化して早退したことになっているらしい。

「舞、ありがとう」

「電話越しで急に泣き出すんだもん……何かあったとしか思えないからッ。ほんと、舞さんびっくりしましたよ」

「あははッ……」

自然と笑っていた。
フロントミラー越しに、舞が私と泉を交互に見やる。

「喧嘩?」

「うん、そんな所」

「そうね、そうだわ」

「ふーん……」

「いやね、舞。拗ねてるの?」

「別にー……」

「拗ねないで」

「怒ってるんです……二人ともにね」

くるりと振り返る。
にょきっと飛び出した腕。

「なに?」

「どうしたの、舞?」

数秒後、私と泉は『ウルトラアングリーバスター』と名付けられたデコピンを、
1回ずつくらったのだった。




313 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/25(水) 23:07:07.62

舞の家に着くと、彼女は温かい飲み物を持ってくると言って、奥に消えていった。
私たちは彼女の弟の部屋に通された。

「ねえ、みどりさん……」

可愛らしいクッションを抱き抱え、泉が口を開く。

「なに?」

「あなた、本当に舞が好きなのね」

「……悪い?」

「悪くないわよ。ただ、舞が来たとき、あなた本当に嬉しそうにしていたから……死にかけた表情だったのに」

「死にかけたって……。まあ、そうだけど」

覚悟をしていた――つもりだった。
走馬灯なんてものを見ることはなく、未来のことばかりが、
後悔の念と共によぎった。
診療所で目覚めた時、自分のやらなくてはいけないこと、
これからしたいことが脳裏に浮かんできた。

「助けて、とさえあなた言わなかった」

言えなかった、の方があの場合正しい気もする。

「私じゃなくて、あの時いたのが舞だったら……もっと違っていたのかしら」

「……さあ」

泉の手を見た。
小刻みに揺れていた。

「泉、あの」

「私! 私……あなたを殺してしまう所だった」

何。
どうした。

「あの時ね、怖かったの。死んじゃうって……どうして、あんな酷いことを言ったんだろう、どうして……あんな酷いことを……全部、全部謝るから……だから、誰か助けて……そう思った」

揺れる右手を、彼女は左手で押さえ込む。

「都合が良すぎると思う……でも、あなたはこの場にいるから、だから……言わせて欲しい」

「?」

「私のこと、憎くてもいい。許さなくてもいい。だから、邦美と……舞と、友だちでいてね……」



314 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/25(水) 23:39:59.42

何かと思えば。

「あのさ、何か勘違いしてる」

「え?」

「私、泉が憎いなんて思ってない」

「い、いいのよ。気を遣わないで……」

「信じる信じないは勝手だけどね。でも、妹のために自分を捨てることができる泉は……すごいよ。だから、軽々しく、邦美と友だちになろうなんて言えない。こんなにも妹のことを思う泉の気持ちを無視するなんて、できない」

この気持ちは、本物だ。
私は泉を尊敬する。
私は、やろうと思って失敗した。
失敗したがゆえに、海へ行った。
そして、泉を巻き込んだ。

「泉、自分を責めないで」

そして、そこで得たのは。
泉は困惑していた。
憎まれて当然だと、そう覚悟していたのか。
憎むなんてできない。
母を守ろうとしていた時、
周りの人間に母を委ねるのが嫌だった。
好きだから。
愛してるから。
怖い。
けれど、自分に何ができるのか。
本当は、もっといい方法があるんじゃないのか。
それが見つかったら、自分はどこへ戻るのか。

でも、やっぱり、必要なんだ。
背中を押してくれる人。
支えてくれる人。

「私は、泉を応援してる。邦美を守ろうと頑張っている泉を……応援するよ」



315 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 00:04:20.90

自然と、私は泉の手を掴んでいた。
やはり温かい。
ぱたぱた、と泉の履いていたジャージのズボンに水滴が落ちた。
目を見開いたまま、彼女は泣いていた。

「みど……りさん」

私に掴まれて、彼女は涙を拭おうとして手が使えないのに気がついた。
そんな顔で、手を見ていた。
そして、今度は私を見て、鼻をすする。
頬がだんだんと朱に染まる。

「やだっ……私」

狼狽える泉が少し面白くて、私は彼女があまり抵抗できないのを見越して、意地悪く手を握っていた。

「落ち着いて」

「う、ん」

泉が深呼吸する。
彼女の息が漏れる。
こちらに身体を傾けてくる。
泉のおでこが、私の肩へ当たる。
私は手を離した。

「あのさ、怖い思いさせてごめん」

「ほんとよ……」

私たちは似ていた。
それを、今、互いに理解したような気がした。



318 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 09:44:48.85

と、部屋の扉が開いた。

「ねえねえ、焼きそば作ったんだけど……ど、ど」

お盆の上にお皿を三つ並べて、

「ど、どーされた?」

舞が言った。
驚く舞の顔を一瞥する。
言い訳するにも、何に対して言い訳するか思いつかなかった。
なので、私は泉をあやすように背中をポンポンと叩いた。

「あ、あのみどりさん」

この場合、抵抗しない彼女も同罪だと思う。

「仲を深めてた」

「え……えっと」

泉が身体を起こそうとするので、がっちりと腕で抱きしめた。

「よ、よくわかんないけど……仲間外れにするなー!」

お盆を床に置いて、クッションを拾い上げて、舞は私たちの方へダイブした。



319 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 10:14:29.25

―――
――


狐は狡猾。
中学の時、誰かに「女狐」と言われたことがある。
隣のクラスの女子だったっけ。
本気で狩りをしたことのない人間の戯言だった。

欲しいものがあるなら、手を抜かない。
本当に、欲しいのなら。
諦めてはいけない。
妥協して手に入るわけがない。
なのに、手柄と獲物を横取りされた、と言い訳をする。
美しさなんていらない。
最後の最後に手の中にあるなら。



「柏木先生」

職員会議が終わる頃合いを見計らって、私は中会議室の前で彼女を待っていた。

「はい。ああ、ひな子さん」

「あの」

先生は、やや顔を強ばらせた。

「ひな子さんは、みどりさんと仲が良いですよね」

「え? はい、そうです」

「今日、お休みだったこと何か知っていますか?」

「え、いや何も」

みどりちゃんの話なんて、どうでもいい。




320 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 10:40:44.82

「そうですか。一度、お家に伺ってみようと思っているんです」

こめかみに痛みが走る。
落ち着いて。

「たぶん、ただの風邪だと思います。心配し過ぎですって。もちろん、私も……あの、いじめのこととかでみどりさんが悩んでいるのも知ってます。でも、みどりさんは強い人だから、先生は何も心配されなくても大丈夫です。それに、みどりさん自身、もういじめはなくなったと言っていましたよ」

「ひな子さんが言うなら……」

「それより、今度写真部、写真展に作品を出すんです。チケットがあるんですけど……良かったら来週の日曜とか」

「来週の日曜日……」

「先生、写真興味あるって言ってたので」

「ちょっと、待ってください」

彼女は手元の茶褐色のスケジュール帳をパラパラと開く。
私は気づかれないように、横目で中身を盗み見る。
『二年目』と書かれたマス。
なんだろう。
嫌な予感がした。

「ああ、大丈夫ですね」

「あの、先生」

「?」

「二年目って」

「え、あ」

先生は焦りながら、パタリと手帳を閉じた。



321 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 10:50:01.83

「もしかして、彼氏さんとかですか?」

笑いながら、からかうように私は言った。

「ひ、人の手帳を勝手に見ないように」

「ごめんなさい……あの、それで」

「彼氏……まあ、そんな感じですね」

「よく会われてるんですか」

遠距離か。
それとも、近いのか。

「近くに住んでいますよ」

「デートとかもよく行かれるんですか?」

「一緒んに買い物に行ったりもします。……さあ、授業が始まりますから」

踵を返す先生のスーツの袖を掴む。

「好きなんですか……その人のこと」

「ええ」



322 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 11:05:17.28

「あ、あの……私」

先生が困り顔で私を見ていた。

「ひな子さん、もう」

「ちょっと、お腹が痛くて保健室に行ってきます……1限の英語ちょっと遅れていきます。いいですか?」

「そうだったんですかっ? 大丈夫ですか? 早く行ってきなさい」

彼女は肩を抱くように触る。

「一人で大丈夫ですか?」

「は、はい」

口が戦慄いた。
みどりちゃんが、泊まったことを、
いじめの主犯は自分だったことを、
全部ぶちまけてやりたくなった。

だが、それはしなかった。
逃げるように保健室へ向かった。
誰なの。
彼女は独身で、
フリーなんて言ったのは。
そうだ、杏奈だ。
杏奈のせい。
あいつのせいで、滅茶苦茶だ。
全て台無し。

でも、いい。
明確な敵が見つかった。
そいつさえ排除すれば、いい。



323 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 11:16:04.93

柏木先生が泣きながら私を求めるような、
えぐい作戦を考えなければ。
想像するだけで、身悶える。
あのお堅い先生が、身体を開いて、
私を気持ちよくさせてくれるなら。
何だって、する。

下腹部が熱くなってきた。
股下から、とろりと液体が生み出されていた。
欲望を吐き出さなければ気がすまない。
そして、この怒りを抑えなければ。

「失礼します」

保健室の扉を開ける。
誰もいない。

「あの……」

扉にかかっているプレートを見る。
外出中。
では、なぜ鍵がかかっていないのか。
保健室のベッドにカーテンがかかっている。
誰か、寝ている。
隙間が空いていた。

相手も、こちらを見ていた。

「邦美……」

名前を呼ぶと、起き上がった。
右目だけ眼帯をしている。
会うのはかなり久しぶりだった。

「ひな子さん……」

「体調、大丈夫? 寝てなきゃだめだよ、ほら」

私は傍に行って、布団をかけてやった。



324 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 11:29:45.38

「あ、大丈夫ですよ……」

「邦美ちゃん、最近クラスに顔出さないね」

「特別教室を使わせてもらってるんです」

「そっか。寂しいよね。邦美ちゃんがクラスにいないと、なんだか隙間ができたみたいで嫌だよ」

「そんな……私なんてっ」

本当に喜んでいるようだ。
お手軽過ぎて、笑えた。
この子も、使えるかもしれない。
私の遊び道具として。
幸い、顔はいい。
体は小さいが、胸はそれなりにある。
幼さの残るくりっとしたたれ目は、どこか柏木先生を彷彿とさせた。
素材は悪くない。

「そんなことないもん。私、邦美ちゃんとずっと話したいなって思ってた」

「え……あ、だから」

彼女はなぜか、納得するような顔をしていた。

「友だち以上になりたいなって……」

靴を脱いで、ベッドへ入り込む。

「ひ、ひな子さんっ!?」

彼女に覆いかぶさって、

「キスしたいなって……思ってた」



325 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 11:39:23.01

「だ、だめですっ」

敬語がますます、彼女を思い起こさせる。
真似しないでよ。
紛らわしい女。

「私、知ってるよ……エッチな活動してるの」

邦美が息を呑んだ。

「興味、あるんだよね……女の子同士の」

「う……あ」

雰囲気に飲まれやすい子。
手の甲を上からゆっくりと擦る。
熱のこもる互いの息が重なり合って、
顔が火照っていた。

「先生、まだ帰ってこないかな?」

「うん……」

「邦美ちゃん、ちょっとだけでいいの……私と気持ちよくなろう?」

返事は聞こえなかった。
代わりに、震えるように私の身体に抱きついてきた。
内心で、私はほくそ笑んだ。



326 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 11:48:48.87

私が男だったら、
彼女の足をさっさと開かせて、
そそり立つ男根を差し込んで、
乱暴に抜き差ししながら喘ぐ姿を見れたのだけれど。

彼女が男だったら、
私がさっさと挿入の準備をしてあげて、
身体に跨り、滅茶苦茶に腰を振って、
快楽を貪っていたのだけれど。

私たちは女同士。

「邦美ちゃん……」

「だ、だめ……私」

「だめなんて、言わないで」

「み、みどりさんが好きなんです……」

「みどりちゃん……?」

「うん……。だから、だめです」

あの女は。
何度邪魔したら気が済むのか。

「そっか。でも、関係ないよ……」

「え?」

「体だけでもかまわないの……」

「そんなっん!?」

小さな唇に噛み付いた。



327 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 11:58:20.79

面倒な感情は、捨ててしまった方が楽だ。
求めるものだけを求めたい。

「あ、あの……」

「なあに?」

「何か、あったんですかっ?」

「どうして?」

話半ばに、口の端を舐め上げる。
顔を離して、耳をかじる。

「っぁ……だって、私が好きなんて……嘘ついて」

動きを止めた。
今、なんて言った。

「嘘なんかじゃ……」

「分かるんです……。私、そういうの敏感だから、気づいちゃうんです」

「どっちでも、いいじゃんっ」

「良くないですっ」

初めて、彼女は強気に出た。
そんな声も出せるのか。

「悲しいことがあったんじゃないですか……?」




328 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 12:15:26.37

なに、この子。
騙していたのはこちらだったのに。
形成がひっくり返ったとでも思っているのか。

「ないから」

「……私、ひな子さんに友だち面して……こんな風にお話を聞くことはまだ早いというか……私の役割じゃないと思うんですけど……もし、困ってるなら言ってください」

「困ってるよ」

「ひな子さん……」

「邦美ちゃんが、どうやったら私の言うことを聞いてくれるか。私の指を口に含んで、唾液でべとべとにしてくれるか。中に入れて欲しいって、すがってくれるか」

彼女の目を見た。

「それも、本当なんですね……」

邦美は私の手を口元に持っていく。
薄ピンクの唇が開かれて、舌先でちろちろと指を舐められた。
人差し指と中指をまとめて、吸い付く。それから、濡れた口内へ誘われていく。
鼻息が手にかかった。生暖かい感触。

背中が震えた。
下着が濡れて、下半身が痺れる。
従順とは言えないが、これはこれでいいかもしれない。




331 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 19:02:03.27

いつの夢だったか忘れたけれど、柏木先生を組み敷く自分を思い出した。
これが先生だったら。
取り巻き連中を相手にしながら、何度も考えた。

「っ……ちゅるっ」

「……いい子」

しょせん偽物に過ぎなかった。

「これでいいですか……?」

それで、私の望みを満たしたと?

「うん……嬉しいな……とでも言うと思ったかな?」

「え……」

指をシーツにこすりつけて、唾液を拭き取った。

「だめだもん、全然。やっぱり、上っ面だけなんだ。だって、邦美ちゃんその右目の眼帯……」

「これは……事故で」

「純と杏奈から聞いてるよ。スプレーかけられたんだって? 大変だったね」

「……っ」

「分かってたんじゃないの。本当は。私が親玉だって。どうして、お姉様やお母様に言わなかったのかな」

「ひ、ひな子さん」

「あの机の落書きは私が命じたんだよ。もう、わかってるよね。私がみどりちゃんをいじめていた張本人。あなたの目がそうなったのも私のせいだよ」

私は喉を鳴らして笑った。

「誰にも言わなかったね。えらいえらい」

彼女の髪を掴み、引っ張る。
痛みから、邦美は小さく悲鳴をあげた。




332 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 19:33:03.45

「やめっ……てくださいっ」

「ねえ、どうしてこれだけ沢山の人間がいるのに……欲しいものが重なっちゃうんだろうね」

髪を離してやる。

「もし、あなたの身体が壊れたら……先生の責任は重たいだろうな」

邦美が身をよじった。
その顔。
恐怖を感じている顔。
たまらない。
それを我慢しているのが分かった。

「怖いんだ?」

先程まで、高みから見下ろしていたくせに。

「それは……」

「強がらなくていいんだよ。あなたは、どうせ泉みたいにはなれないんだから……。ずっと、そのまま。誰かに見守られて、出来上がった幸せをぬくぬくと味わっておけばいいんだよ。可哀想な子、可哀想、なんて可哀想なんでしょう……」

「私は……確かに、お姉様みたいにはなれないけれど……少なくとも、心は満たされています。あなたよりは……」

私はシーツの中で、拳を握った。

「ひな子さんは……柏木先生のこと……」

手のひらに指が食い込む。

「そうだよ」

「どうして……好きになったんですか?」

「聞いてどうするの」

「怖いから……、ひな子さんのことが分からなくて怖いから。あなたのこと教えてください……」




333 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 20:05:37.22

「っ……あははっ」

「ひな子さん?」

「そんなこと……」

私が最初に伝えたのは、確か写真部の先輩だったっけ。
その後に、みどり。純や杏奈にはその後。

「ねえ、教えるから……屋上行かない?」

「……いいですよ」

「ふふっ……」

ベッドから先に降りて、乱れた服を整えた。
白いシーツにはシワが広がる。
なのに、何もなかった。
それは、私の中では珍しいことだった。
もぞもそと、後ろで衣擦れの音。

「できました」

肩ごしに振り返る。

「来て」

邦美は無言で頷いた。




334 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 20:35:29.22

この学校には生徒が出入りできる屋上と、出入りできない屋上があった。
今、私達は出入りできない方に来ている。
ソーラーパネルの設置に伴って、屋上を二つにわけた。
一つは高台の代わり。避難用になっている。

「あの……」

邦美はおずおずと呟いた。
それを無視する。

鉄の柵をどかして、錆び付いたドアを上へと持ち上げ、手前へと引っ張り、横にずらした。
古い引き扉がサッシからずれながらスライドしていく。鍵の意味を為さない。
たいていの学生や教師は知らないだろう。ただ、私ともう一人を除いて。

頬がひやりとした。風が強い。
コンクリートの床面は、先程まで降っていた雨のせいか濡れていた。
フェンスの向こうに視界の3分の1は田畑に覆われた田舎町が見えた。
海側に近づくにつれ、ビルや家屋が増えていく。

「素敵な景色です……」

「フェンスがあっちの屋上より低いから、広く感じるんだよね」

私は指を指す。

「あれ、時計台」

「よく見えないです」

「眼帯してるからじゃないの? 取れば。どうせ、私しかいないんだもん。遠慮することないと思うんだ」

「……」

邦美はすぐには動かなかった。
ゆっくりと、眼帯を取り外す。

「なんだ、あざになってるのかと思った」

いたって普通。

「ほら、そこ」

「……ごめんなさい。やっぱり見えないです」



335 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 20:50:25.57

「目、悪いんだ」

眼帯。
あざのない顔。

「最近、視力が落ちて……」

ああ、そう言えば純が騒いでいたっけ。
親にバレたらどうしようかとか。
そんなお金ないとか。
これのことか。

「眼鏡、かければ」

「今、作ってるところなんです」

「そ」

「ところで、どうしてここに?」

「私、ここで写真撮ってたの」

「……写真」

「風景や空の写真を撮るのが好きだったから。でも、ある日この場所に柏木先生が来て……デジカメを没収されたんだよ」


『ここは危険ですから、勝手に入ってはいけません』

『ごめんなさいっ』


「可愛く謝ってみたんだけどね。でも、次の日返してくれた。理由がね、うっかりボタンを押して写真を見てしまったから、だって。バカみたいな理由」

「先生、真面目だから……」

「そうだよ。それで、律儀に感想まで言ってきたの。もっと素敵な写真を見せて欲しい。でも、あそこから落ちてしまうかもと思ったら気が気でないから……危なくない所でしろって……」




336 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 21:07:42.13

真剣に言うの。正直うざいと思った。
でも、そんな風に私を見てくれた人、
あの人が初めてだった。

「それから、何度か写真を見せに行った。先生も昔写真部だったって。興味はあったらしくて……顧問よりも熱心に私の写真を見てくれた」

「うん……」

「褒められることもあったし、スポットを教えてもらうこともあった。写真展にも何度か来てくれたの」

「いい先生ですよね……」

「そう……。誰にでも、あの人は優しかった。人の役に立つことが好きとかそう言う……善人」

誰もが同じ立ち位置だった。
なのに、みどりちゃんは抜けがけした。
でも、もうあのお邪魔虫はいない。

「そうそう、みどりちゃんが柏木先生の所に泊まったの、知ってる?」

「え?」

邦美は聞き返した。

「その顔、初めて聞いたんだ。可哀想」



337 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 21:19:38.18

「知りませんでした……。でも、どうして」

「……さあ。でも、そのくせ舞とできてるんだよ。どうにかして欲しいよね」

ほら、妬ましいことだらけだって、思い出させてあげるから。

「うそっ……」

「うそじゃないもん……私の前で、見せびらかすようにキスしてたんだから。私が嘘ついてないって、邦美ちゃんわかるでしょ」

「……みどりさんが」

「あなたもこれで晴れて一人になれたんだよ……おめでとう。結局、みどりちゃんは舞に言われて、あなたと友達になったんじゃないのかなあ? ほら、あの変なボランティア……」

湿った空気の中、私の拍手の音がこだました。
一緒に憎しみあいましょう。
不条理を。
みどりちゃんを。
柏木先生を。
邪魔者を、排除しましょう。

「ひな子さん……さっき、欲しいものが重なるって言いましたよね?」

「……」

「もしかして、柏木先生も……誰か」

「言うな」

「誰か、他に好きな人が」

「言うなって言ってるよね」

「……ひな子さん」

「黙れ」



338 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 21:42:18.81

「もし、そうなら……、私たち同じなんですね」

「同じ? それは負けた人の台詞だもん。私は、まだ諦めていないから」

勝ち取るためなら、例えクラスメイトを壊してもいい。
敗者は常に諦めを実感した者だ。
私はまだあの人のためにできることがある。
彼女に注ぐのは愛ではない。
彼女を動かすのは愛した量ではない。
憎しみの量が悲しみの量が、運命を左右する。

「あなたがここで倒れればいいの。柏木先生に、全てをなすりつけてやるから。安心して眠ってね」

私と柏木先生の歩む道の礎となれることを、誇りに思って。

「……それじゃあ、ひな子さんは幸せにはならないです」

「他の人と一緒になるくらいなら、一生独身でいてくれた方がいいもん。恨むなら、恨めばいい」

私は彼女を押し倒した。
誰も見てはいない。
邦美は抵抗をしない。

「暴れてくれた方が、楽しいけど」

泣いて、助けを請えばいい。
これからの現実が変わることはないけれど。

「死ぬことはないと思うから、安心して欲しいな」

邦美は、顎をわずかに上げた。

「なに……」

目を細めて、眩しそうにしている。

「私、今まであまり空を見ようとして見たことはなかったんです……でも、改めて見るとすごく綺麗」




339 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 22:01:11.64

か細い声だ。
なんて、弱々しい。

私は背後を振り返る。
日射が空全体を霞ませていた。
視点を移動させる。
虹が出ていた。

「……そうね」

唯一、憎むことも愛することもしなくていい。
空に恋をすれば、天使か聖母にでもなれたのに。
汚い地上で、見苦しく這いずり回る。

「地上よりは……よっぽど」

邦美の方へ向き直る。
まだ、空を見ている。

「ちょっと」

「……」

返事をしない。

「無視しないで」

目も開いているし、
呼吸もしている。

「ねえ」

頬を叩いた。
瞬きすらしない。
なに。
この子は、なにをしてるの。



340 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 22:08:22.39

白目も向いていない。
何度も叩いた。

「は?」

混乱した。
指先一つ動かさないのだ。
思いつくまま、私は彼女の細い手首に指を立てた。

「……え」

倒れろと念じたけれど。
死ねなんて思ってない。
そう言えば、なぜ邦美は保健室にいたのだ。
どうして。

「脈が……」

彼女の脇を持って、上体を起こす。
非常に重たい。
頭ががくりと下がり、私は慌てて首筋を持った。
じっとりとした嫌な汗をかいていた。

「冗談でしょ……」



341 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 22:17:37.92

―――
――



「ねえ、電話が鳴ってるわよ」

「私?」

泉が、指を指した方向を見る。
母だろうか。
それとも、叔母か叔父か。

「電話出ていい?」

唇に青のりをつけながら、

「いいひょ」

舞が言った。
見ると、相手は――ひな子だった。

「……」

「出ないの?」

泉が覗いてくる。
神妙な面持ちだ。
いや、私の顔つきが変わったのか。

「出る」

ボタンを押した。

「もしもし――」



342 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 22:30:30.90

変な用だったら切ろう。
泉と舞が耳を近づけてくる。
近い近い。

「なに、今……いそが」

『みどりちゃん……切らないで聞いて。邦美ちゃんの意識がなくて……どうしたらいいかわからなくて』

たどたどしい言葉遣い。

「え」

私が何か言う前に、泉は携帯を奪った。

「どういうこと?!」

『その声、泉さん……』

「いつから意識がないの?!」

『2分くらい前から……』

私がおろおろと手を掻いている間に、
舞は救急車を呼んでいた。

「欠神発作だわ……」

その間に、泉はひな子から状況を聞き出し、
応急処置を施すように指示を出していた。

「はっ……」

私はとりあえず立ち上がって、
リビングで新聞を広げていた舞の父親に、
状況を説明して、急いで車を出して欲しいと頼んだ。



343 : ◆/BueNLs5lw :2015/02/26(木) 22:43:31.28

青ざめたひな子をあの総合病院のエントランスで見たのはそれから30分程経過してからだった。
外来は少なく、ひな子が座っているのがすぐに分かった。
私と舞、そして泉の姿にひな子も気づき、立ち上がる。

一歩前に踊り出た泉が、ひな子に一度深く礼をした。
そして、大きく振りかぶって、

パアアアン――

頬を殴るように叩いた。
ひな子がよろめいて、椅子に倒れこむ。

「っ……」

少し離れて座っていた、
学校の職員――柏木先生が慌ててこちらに駆けつけてきた。
もう一度、叩こうとした泉の身体を後ろから押さえ込む。
舞も、反対側から押さえつけていた。

看護婦が不審そうにこちらを見ていた。







351 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 16:15:51.92

泉の瞳は、『こいつさえ、いなければ……』と言いかねない怒気を帯びていた。

「泉、待って……っ」

舞の手を押しのけて、泉はひな子に掴みかかる。
ひな子の頬は赤く染まっていた。
彼女の視線は、泉ではなく柏木に向けられていた。
泉はそれには気がついていない。

「私、知らなかったんだよ? ちょっと押しただけで、あんな……」

「知らなかったですって……なにそれ」

「保健室で寝てたから、気分転換に屋上に行ってみないって提案して……まさか、こんなことになるなんて」

ひな子は泣いていた。
その真意は――。

「それと、同じことを、あなた邦美にも言えるの……?」

泉は言った。
ひな子がわずかに顔を引いた。

「邦美だけじゃない、みどりさんにも……何がしたいの? ねえ、何がしたいのよ!! 邦美にこれ以上何を差し出せと言うの?! あの子が、何をしたのよ!?」

「わ、私が悪かったから……柏木先生、私、私っ……うっ、どうしたら」

泉を押しのけるように、彼女は柏木先生に抱きついた。

「二人共、落ちついてください……。ひな子さん、大丈夫ですよ。私はあなたの先生ですから。一緒に――」





352 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 21:38:12.31

「一緒に責任を取ってくれるんですかっ」

ひな子が言った。
先生が唯一の味方だと、そう告げるようにすがりつく。
柏木先生は、ゆっくりと頷いた。

「ええ」

「本当に?」

「……ええ」

そして、もう一度自分自身に確かめるように頷いた。
私は、自分の担任にかける言葉を探した。
先生を否定したいわけではなかった。
けれど、この選択に対する不安をなんとかして伝えなければならないと、そう思った。

「ひな子……」

それが、友人だった私の務めのように感じながら。
とてもワガママで、負けず嫌いで、諦めが悪くて、計算高くて、人を信用しないし、
ぶりっ子で、人に弱さを見せるのが苦手で、人に素直に甘えることもできない。
そんな彼女が、今、言わなくてはいけないたった一つの言葉。
責任を取るとか、取らないとか、そんなの後でだってかまわない。
彼女は、そのための機会を失ってはないないのだ。
言わなくてはいけない相手は、まだ彼女の前に存在してくれているのだ。

「ホントにそれでいいの……?」

舞と泉、柏木先生とそしてひな子が私を見た。

「な、なに、なんのこと……」

彼女は、

「こんな時、なんて言わなくちゃいけないのか……ひな子、分かってるんでしょ」

一途に、
誰に頼ることなく、
自分の力で、
誰かを愛することができる人間だ。

私はそれを知っている。
彼女の強さを。

「ひな子、そのままでいいの? ……電話を私にかけてきてくれた時、思ったことがあるんでしょ? それを言えばいいんだよ」



353 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 21:49:42.78

誰でもなく、彼女に。
想いは消えたわけではないから。
勘違いなんかじゃない。
彼女の中に、確かに――。
彼女はあの時、確かに――。


ゴムが床を滑るような音がした。
車椅子の車輪の摩擦音だと、誰もが理解した。

「……邦美、起きたの?!」

小さな身体を使って病室から移動してきたせいか、彼女は少し疲れた顔をして笑った。

「あ、お姉ちゃん……」

立ち上がろうとしたのを、泉が手で制した。

「座ってなさいっ」

「もう、なんともないよ」

「いいから」

邦美は、こちらをぐるりと見回した。
ひな子が目をそらしたのが分かった。

「……みなさん、ご迷惑をおかけしてすいません」

頭を下げる。

「止めてよ、止めて邦美」

「ううん、びっくりさせてしまったから……」




354 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 22:07:34.50

キイ、と車輪が鳴った。
方向転換をして、ひな子の傍に近寄る。

「ひな子さん……」

「なに……」

「電話してくださってありがとうございます」

先ほどの会話を、聞いていたのか。

「あなたは命の恩人です。とても感謝してます」

「う、ん……」

「それから、みどりさん」

「……え?」

急に名前を呼ばれ、抜けた返事を返す。

「もう、私、ひな子さんに言ってもらいました」

喋りつつ、ひな子に向き直る。

「だから、もう怒ってなんていませんよ」

「私、そんなこと……」

「いいえ」

ひな子の言葉をかき消すように、彼女は首を振った。

「もう十分に伝わりました」

憤ったのは泉だったが、舞に羽交い締めされる。

「ね、そうですよね」

計略の似合わない顔で、邦美は言った。

「私は、私は……」

「この唇と胸に、十分に……」



355 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 22:53:37.33

「言ってない! 私が、あなたに……言うわけないよ!」

息を荒げる。

「どうしてですか」

「だって……」

「本当に言わなかったなんて、どうして言えるんですか」

ひな子がびくりとして、後ずさる。
私たちは、ただ見守っていた。

「ちがっ……」

「嘘だったら、分かるって言ったじゃないですか」

嘘には2種類あって。
騙す嘘と気遣う嘘がある。
騙す嘘に気遣う嘘を重ねると、それは信じる足り得る。

「言ってないっ、私は……だって、あなたに……許して欲しいなんて、思ってない!」




356 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 23:07:17.50

ひな子が膝をつく。

「私は……っ」

肩を落とすその姿は、
誰の目にも映っていた。

「ええ、もういいんですよ。許しています……」

「やめてっ……やだっ」

「だから、言ってください」

「……っや」

「もう、言えますよ。ひな子さんなら……ね」

罪を償えない羊が、

「あっ……」

小さく丸まり、
そのまま、

「……ごめっ、んなさいっ」

地面を舐めるように、謝った。



357 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/01(日) 23:27:06.97

憎々しげに聞こえたかもしれない。
誰の耳にも、謝罪には聞こえなかったかもしれない。
けれど、ひな子は機会を与えられ、そして伝えた。

そして漸く、責任と許しを受ける立場に立ったのだ。

「……」

言葉に出すことはかったが、
邦美が間を空けて、
車椅子から降りて、
ひな子の前に同じように膝で立った。
そして、
彼女の肩に手を置いた。
積み木のように、
彼女の傍に、
そっと、
返事を置いたのが見えた気がした。

あまりにもその仕草が綺麗で、
教会にかけてある絵画のようだとさえ思えた。



362 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 10:15:27.38

その後、柏木先生の車で私たちは学校に戻った。
邦美をそのまま病院に残して。
車の中で、3人は今日なぜ学校を休んだのかという疑問を、
先生が素朴に聞いてくるので、返答に詰まった。

別に予定して休んだわけではないし、
3人で企てたわけでもない。
なるべくして、そうなったとしか言い様がない。
誰も答えなかった。
先生もそれ以上は聞かなかった。

「次、休む時はきちんと理由を教えてください」

と、一言だけ述べた。
それを追求しても問題は解決しないと、分かっていたのだろう。
運転席で真っ直ぐ伸びる彼女の背筋は、いつもより強張っていた。



363 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 10:45:16.39

舞はわざとらしく咳き込む仕草をしていたが、もはや、風邪なんて言い訳にならない。
私は隣の舞を見た。泉も舞を見ていた。水分の抜けた粘土のような硬い表情をしていたのに。
泉は少し笑っていた。そんな表情に、舞は優しく目を細めていた。私も安堵して見つめていた。

嫌いじゃないなんて、ひねくれた台詞。
いつの間にか、泉のこと、好きになっていた。
同じ年代の一人の女の子として。
心配してあげたくなる。
励ましてあげたくなる。
好きになってほしい。
分かってあげたい。
分かってほしい。
気になる。
舞も泉に対してそうだったのだ。舞が、泉に抱く感情が分かったような気がした。
同時に、マッチの摩擦によって生じたわずかな熱の存在を意識することにもなった。
抗うには疲れすぎていて、私はいつの間にか車の中で眠ってしまっていた。



364 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 11:14:35.27

それから、数日が経った。


冬休みが近づいていた。
校内ではしばしば噂されていたことがあった。
柏木先生を取り合って、4・5人の女性とが乱闘騒ぎになったとか、
自殺にまで追い込んだとか、病院送りにしたとか。
一人暮らしの先生の部屋に押しかけて、ひと悶着あったとか。
ぱやぱやしたとか。
なんのことやら。
一部、事実を孕みつつ、噂は尾ひれを加えられながら理事長の耳に届いた。
理事長室に呼び出されたのは、柏木先生一人だけだった。





時が経つのは早く、終業式当日となった。
生徒会長――泉の挨拶が終わり、生徒が気だるい睡魔に襲われる中。

「続きまして、離任される先生をご紹介します」

かたん、と。
教諭が列席する椅子の一つが動いた。
やけに響く。
几帳面そうな足音が一人分。
背伸びをする者もいた。
背の小さい先生か。

階段を上がり、ステージへと姿を現した。
スポットライトがあたる。
柏木先生だった。



365 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 11:44:49.80

泉が一礼して、後ろに下がっていく。
柏木先生がぽつりと立って、マイクの位置を少し下げた。

「これまで、大変お世話になりました。いたらない事もあり、ご迷惑をおかけしてしまったこともあります」

一度、言葉を切る。

「それでも、皆さんと共に過ごした時間は私にとって大変貴重なものとなりました。本当にありがとうございます」

腰を深く折った。遠すぎて、表情は分からないのに。
マイク越しに聞こえた、先生の震える声から、これが事実なのだと実感した。
先生が一歩下がり、泉がまた前に出てきて、転勤先を告げる。
同じ系列の学校に行くということだった。
突然のことで、生徒たちのどよめきが波のように伝播していった。
ほどなくして、多くの噂の根源とされた彼女はステージから降板していった。


後ろの席で、クラスメイトの誰かが立ち上がった。
私は振り返りはしなかった。
目を閉じた。
それは私の役目かと問うた。
彼女は何を望んでいたのか。

椅子と椅子の間を、その生徒は通り抜け、
そのまま静かに退場していったようだ。
泉がこちらを見ているような気がした。

「邦美!?」

泉はマイク越しに叫んだ。
立ち上がったのは一人ではなかった。
生徒たちが一斉に振り向く。
動揺を孕んだ目。









366 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 12:04:16.70

しかし、すぐに、

「し、失礼しました。お静かにお願いします……。続きまして――」

生徒達も影の無くなったであろう後方から、すぐに視線を外していく。
多少ざわつきながら、式は進められていった。

私は、邦美がひな子の肩を抱く姿を想像して、小さく息を吐いた。
きっと、まだ難しい。
来るな、と。
見るな、と。
跳ね除けるだろう。
離れたくなんてなかったはずなのに、強がって。
いざ、こうなると破綻する。
馬鹿だ。
何考えて生きてるんだ。
柏木先生を拠り所にして。
敵を増やして。
敵の敵は味方なわけもなく。
理事長は、決定を下した。

でも、もう、会えないわけじゃないよ。
会おうと思えば、いつだって会えるよ。

ありふれた台詞が脳裏をよぎる。
優しい邦美が、
きっとそれを伝えるだろう。



367 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 13:09:09.74

後に、泉に聞いた話だが、柏木先生は噂を受け止め、理事長に謝罪したという。
そして、一切を自分の責任として、自ら辞任を申し出た。
邦美が病院へ運ばれて以降、先生がひな子の名前を出すことはなかった。
理事長は他の先生との兼ね合いもあり、父兄らとの軋轢を生じさせるわけにもいかなかったため、
噂の出処である先生を飛ばすしかなかったということだった。

事実は紆余曲折して残ることになった。
冬休みが明け、教室には真新しい顔が教壇に立っていた。
先生がいなくなって、涙する生徒の姿も少なくなかった。
けれど、何も知らずに赴任してきた新しい先生の自己紹介を聞き、
HRを何度か繰り返していく内に、みな新しい環境に徐々に慣れていった。

それから、もう一つ。
冬休みが明けると、ひな子は教室へ来なくなっていた。
彼女は、今、特別教室で授業を受けているそうだ。
噂が広がり、理事長が自分の娘だけを特別扱いしていることが、
ひな子の母親の耳に入ったそうだ。

彼女の母親は、家にいることはほとんどなく、
邦美がひな子から聞いた話では、家に必要最低限のお金を置いて、
夜はクラブで荒稼ぎしているということだった。
昼間、家にひきこもり始めた娘に危機を感じてか、
特別授業へ参加させるよう理事長に申し出た。

今、あの閑散とした空間に、2人並んで座っている。
気が気ではないのは泉くらいだろうか。
私は。
私は良かったと思っている。








368 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 13:21:09.72

目の前で一緒に昼食をとる邦美とひな子を、扉の隙間から眺めつつ、そう思っている。

「こら! あなたたち!」

「げうっ」

廊下の向こうから、特別講師がこちらに近づいてきた。
一番下でしゃがんでいた泉が立ち上がり、舞の顎に頭突きした。
私は一歩離れて、こちらに気づいた邦美とひな子に手を振った。
邦美が手を振り返す。
ひな子は、そっぽを向いた。
邦美の背に隠れるように。
私はおかしくて、吹き出した。

「泉さん、ここは一般の生徒は立ち入り禁止になっているのは分かっているわよね? いくら、妹さんの様子が気になるからと言って規則は規則よ。分かるわね?」

「は、はい。すいません」

「あなたたちも」

舞と私も、同時に謝った。

「昼休みも、終わるから帰りなさい。理事長には、内緒にしておくから」

「ありがとうございます」

ぺこぺこと頭を下げる泉。
邦美が笑っていた。
ひな子の方を向いて、可笑しそうに笑っていたのだった。






370 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 18:24:50.89

――――
―――



次の季節の訪れを知らせるように、窓ガラスがカタカタと揺れていた。
春の嵐だろうか。沸かした緑茶を小さなお供え用の湯呑に注ぎ、仏壇へそっと置いた。
確か、母が何かここでブツブツと呟いていたのだが、なんて言っていたか覚えていない。
ちゃんと、聞いておけば良かった。今日、お見舞いに行ったらさり気なく聞いてみようか。
こういう時は、なんて言えばいいか。

「お父さん……」

母はまだ入院したまま。
叔母は家に来いと言う。
どうすればいい。
私は、この家を離れたくない。
どうすればいい。
卒業したら働こうと思っている。
それでいい?

モノクロの写真は物言わぬ。
家のベルが鳴る。
時間だ。
玄関を出ると、舞がいた。

「おは」

「待って、すぐ出るから」

「ああ、急がなくてもいいって」

舞の父親に頭を下げて、
ショルダーバックを肩にかけ、
靴を履いて、

「行ってきます」

と、小さく呟いた。




371 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 18:36:14.01

「髪、伸びたね」

車に揺られ、景色を見ていたので、
少し遅れて反応した。

「え、ああ。そうかも」

舞に言われて、髪をつまむ。

「だって、みどりちゃん肩につくかつかないかくらいだったじゃん」

「そうだったけ」

あんまり覚えてない。

「そのまま伸ばすの?」

「どうしよ」

「私と被るから、伸ばしちゃいな。それに、絶対可愛いし」

「よくわかんないけど、舞に言われてもね」

伸ばしてみようかな。
絶対言わないけど。



372 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 18:58:53.29

「私好みにしてやる」

にやりと笑う。

「やれるものなら」

ちょっと、楽しみ。
言わないけど。
ごほん、と咳払いをされた。

「ちょっと、乙女の会話聞かないでくれますぅ」

運転席の彼は首を振った。また、笑っていた。
彼は私たちが男女のそれと、同じような付き合いをしているのを知っていた。
理解がある、というわけではなく、そういうものなのか、と認識したようだった。
娘については放任していたようで、なるほどこんな自由な人間が育つわけだ、と私も納得した。
舞の父は恐ろしく、料理ベタで、この間家に行った際に振舞われたものは、お世辞にも美味しいとは言えなかった。

それがこの間の土曜日のこと。
3人での食事は楽しかった。
その日の夜、舞の部屋に泊まった。
別に何もなかったけれど。
同じベッドの中で、
彼女の腕に頭を抱かれて、
息が苦しいくらいに、
彼女が傍にいることを、
実感した。



373 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 19:11:06.25

一度だけ、キスをせがんだ。
したいと思ったのもなぜなのか分からない。
したいと思った、ただそれだけ。
嫌ならいいけど。
恥ずかしさに、そんなセリフで誤魔化した。

「……」

思い出して、頬が熱くなった。

「みどりちゃん? え、いや、何睨んでんの?」

「元からこういう顔だけど」

猫のように、舞が身体にまとわりついてくる。

「もー、お子ちゃまなんだから」

「しっしっ」

「にゃーんっ」

猫も、まあ、可愛い。



374 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 19:51:32.94

「ほら、餌」

ポケットからチョコを取り出す。
舞が包みを開いて、1秒程で中身を口に放り込んだ。

「お家で飼ってにゃん」

「……」

「なんでもするにゃん」

「へえ」

「悲しいにゃん」

口を尖らせる彼女の頭を、思い切りわしゃわしゃとかき乱してやった。
ふと、彼女とボランティアの契約を交わした時のことが蘇る。

「そういえばさ、なんでもしてあげるって言ってたの思い出したんだけど」

私は口を開く。

「ん?」

舞は私の膝の上で返事をした。
完全に忘れていた、という顔だった。

「思いついたんだけど」

「言ってみんしゃいっ。奉仕の心のままにっ」

やけに強気。
やけくそか。

「いつか、一緒に暮らして」

舞は間を空けて、むせた。



375 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 20:13:28.20

父親でもなく。
母親でもなく。
姉でもなく。
妹でもなく。
兄でもなく。
弟でもなく。
師でもなく。
友達でもなく。

その存在は、不確かで。
どのような役目があるのか分からない。
私の望むものをくれないかもしれないけれど。

これから、私は、
彼女の愛してくれた私を、
大切にしていきたい。
私が私であるために。



「えっと、みどりさんや。どっちがお嫁さんだい?」

「さあ」

「試しに、練習してみる?」

「……いいよ」






おわり



376 : ◆/BueNLs5lw :2015/03/05(木) 20:16:07.85

中々更新できない時もありましたが、以上でおしまいです。
読んで頂いて、ありがとうございました。



378 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/03/06(金) 01:02:15.85

乙!
終わってしまった……
更新の毎回が濃くて面白くて、本当続きが気になる作品でした
切ないけど暖かい終わり方でよかった

次回作も楽しみにしてます!



379 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/03/06(金) 10:26:44.93

乙です
最終的にみどまいが幸せになってくれそうでよかったです
素敵なSSをありがとう



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