A Rabbit's Life (オリジナル百合)【前編】

A Rabbit's Life (オリジナル百合)【後編】



SS速報VIP:A Rabbit's Life (オリジナル百合)
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1: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 13:50:49.41 ID:7xDrI19W0

ハードボイルド風百合
銃は詳しくない
書きためなしなのでのろのろ
たぶん短い





『人類最後の日まで、臆病者は生き続ける』



ヘリの音で目が覚めた。
仄暗い空に向かって飛んでいる。
体が動かない。
先ほどまで、送迎用の車の中で体を揺らしていた気がしたが。
職業安定所はいつの間に空に浮かんだのだろう。

「ラビット、仕事だ」

私は呼ばれて、視線を転じた。
黒の戦闘服に身を包み込んだ男が七人。

「普通の職につけると思うなよ。俺たちの末路は、殺し続けるか、死ぬかだ。最も、臆病者にはもはや関係のないことだが。安心しろ、お前は、今回の仕事で確実にあの世行きだ」

男の言葉に周囲から電流のようなぴりりとした緊張感が走る。
やっと、休めると思っていたのに。
いつも、こそこそと動き回り、
人の顔色を窺い、
止まることなど許されなかった。
逃げ出したというのに、また引き戻されてしまった。
職業安定所は安全だと言った隣の部屋の男の下卑た顔を思い出す。
藁にすがるべきではなかった。

「ドナーが一匹逃げた。施設の森に上手く誘導したが、どうやら故郷が恋しいみたいでな」

「……」

「お前は囮さ。肉の匂いで寄ってくる。お前にたっぷりと年代物をぶっかけておいてやる。ありがたく思え」

指が少しだけ動かせた。
逃げるための思考はまだまどろんでいた。

「おっと、写真を見せてなかったな」

胸ポケットから彼は写真を抜き出した。
目を細めた。
金糸を思わせる肩よりも少し短い髪。
幼さの残る丸い顔。
青色の目。
写真の上に手書きで年齢が書いてある。
16歳。
年下だった。
男は小さく舌打つ。写真を私の顔の上に乗せる。
立ち上がって、降下の準備をし始めた。
何か、呟いている。

「ドナーに選ばれなければ、いい女に育ったろうに」

顔を振ることができた。
写真がはらりと落ちる。
裏にもまだ何か書いてあった。

ケイトス。
彼女の名前だろうか。

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2: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 14:41:46.14 ID:7xDrI19W0

敵はいつも誰かが連れてきてくれた。
みな、真っすぐに私の元へ向かうので、とてもやりやすかった。
敵はいつも同じぐらいの年代の子どもだった。
彼らは言葉を喋れなくされて、戦闘中はずっと唸っている。
ドナーになれなかった者の末路だ。
そいつらを始末するのが、私たちの仕事だった。

親はいたが、小さい街であった小さい暴力団同士の抗争で亡くなった。同年代の子どもと遊んだ記憶はなかった。
だから、この施設に預けられた当初は大人たちが情けをかけて遊び相手を連れてきてくれたのだと思った。
だけど、残念ながらそうではなかった。
大人が連れてきた子どもは、泥人形のようにもろく潰れやすかった。
少しじゃれあっただけで、彼らはすぐに赤い飛沫をまき散らし果てた。
それを見て、周りの大人たちは喜んでいた。

何度も抵抗し、逃げたが、なぜか気が付くとこの場所に戻って仕事をしていた。
抜け出せないと悟ってからは、行動を起こさなくなった。
けれど、時折楽しそうな笑い声が耳をかすめた。
幻聴だと分かっていたけれど。
分かってからは、あまりそういうものに執着しなくなった。
ただ、憧れは胸の中で燻っていた。

体に衝撃。
土と木の匂い。

「起きろ」

みぞおちに蹴りを入れられた。

「ごほッ」

体を丸めてせき込む。痛みに跳ね起きる。
もう一発、今度は頬にブーツの先が当たった。
数メートル程転がって、膝で立ち上がった。
顔に泥がついていた。

「ほら、ナイフくらいやるよ」

男がナイフを放り投げた。



3: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 15:04:34.22 ID:7xDrI19W0

「お前の肉が一番美味いだろうから、それで各部位をそぎ落とすってのもありだな」

くつくつと喉奥で笑う。
他の男達が、散開し始める。
ヘリはまだ上空にいる。
風が吹いている。

「……」

体が動くのを確認する。
耳をつんざくブザー音が唐突に鳴った。
10時の方向から草を踏み潰す音がした。

「来やがったな……ケイトスだ」

私はナイフを拾い上げて、構えた。
足取りの覚束ない少女――ケイトスがゆっくりと立ち止まった。
写真より、気だるげだ。
魂が抜けたような顔。
殺意は感じられない。
むしろ、こちらのむき出しの敵意に怯えていた。
怖いのだろうか。

「説得の通じる相手じゃない。マイケル」

「はい」

「奴がどこまで起きているか分からん。調べてこい」

「はい……」

顔の横に自動小銃を構え、マイケルは生唾を飲み込んだ。
あまり体格は近接戦闘向きではない。
どちらかというと、情報処理能力に長けているので、後方支援に適していた。
彼も自分と同じように完全に仕事を受け入れているわけではなかった。
日が経って間もなかったのだ。一緒に逃げよう、と食堂で彼が言っていたのを思い出す。
私は彼が一緒にいても足手まといになると思い返事はしなかった。




4: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 15:21:58.50 ID:7xDrI19W0

彼の頭が宙を飛んだ。
少女の傍らから、ぶどうの蔓のようなものが伸びていた。

「あれが……ケイトス」

マイケルが呟いた。
彼の体はすぐに絶命した。

「撃て撃て!!」

白煙をまき散らし、
男達は一斉に射撃を開始する。
ケイトスは飛び上がるような仕草を見せ、目の前から姿を消した。

「上だ!」

ケイトスの顔は愛らしい少女のモノではなくなっていた。
猪かオットセイのようなケモノ染みた顔だった。
白い牙が降りてくる。

「近づかせるな! 距離を保て!」

ケイトスの手がびくびくと脈打ち、
骨が皮膚を突き破って大きな爪を形作った。
肉片が地上にばらまかれる。

「完全に覚醒する前に撃ち殺せ!」

猪の瞳に銃弾が当たった。
咆哮が森に轟く。
着地ができずに、少女はぐしゃりと落ちた。

「脳まで貫通したか?」

彼女は動かない。

「ラビット。確かめろ」

こちらに銃口を向け、命令する。
私は黙って従った。



5: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 15:37:35.63 ID:7xDrI19W0

少女の頭部に触れる。
肌ざわりの良くない体毛に包まれた頭を確認する。
血は出ていない。
そもそも、同じ色の血液が変態後に出てくるのか。

「どうだ? 生きているか」

「分からない。呼吸はしていない」

「脈を見ろ、ふざけているのか」

苛ただしく、彼は言った。

「脈は……」

弓を張ったような脈動。
瞬間、体が吹っ飛ばされる。

「うわ!?」

垂直に吹っ飛ばされたようだ。
大きな爪のある方の手で足を捕まれる。
振り回され、青空が2回見えた。
そして、背中を大木に叩きつけられた。

「がはッ……」

意識は残っていた。
他の奴らが、次々に彼女の頭部に噛み千切られていくのを見た。
さっきまで偉そうに威張っていた奴もみんな。
あいつの名前はなんだったっけ。
思い出せない。
そもそも覚える気もなかったし、覚えなくてもいいと言われていた。
どうせ、みんなこうやって死んでいくのだから。

ケイトスの猛襲が止む。
時間が経つと、彼女はまた元の少女に戻っていた。
彼女はこちらに歩み寄って、私を立ち上がらせた。

「ごほッ……」

喜ばしいことに私は人よりも頑丈だった。

「あれ、動かせる?」

始めて聞く同年代の少女の声。
風のように透明感があってふわりとしていた。
先ほどの地鳴りのような咆哮とは違う。

彼女の指さす方を見た。
ヘリが今にも、離れようとしていた。




7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/09/22(火) 16:12:27.73 ID:QlTNePDq0

マイケルは首ちょんぱされた状態で「あれが……ケイトス」 とか呟いたの?



8: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 16:37:18.89 ID:7xDrI19W0

>>7
台詞入れる場所間違えましたね
まあ、それでも意識があったみたいなニュアンスで



9: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 16:57:53.17 ID:7xDrI19W0

彼女のひげは人間の姿を保ったまま出現させることができるらしい。
正確には筋肉と運動神経が発達した触覚のようなものだった。
そのひげがヘリを捉えたのはものの数秒だった。
生憎、私は戦闘機なら訓練を受けていたが、ヘリは扱ったことがなかった。
そのため、中にいるパイロットを脅して操縦させようと提案した。

不規則に揺れるヘリの中で、少女は静かに座っていた。

「あなた」

「……」

誰のことかと思い、振り返る。

「誰?」

名前を聞いているのだろうか。

「……ラビット」

「あなた、どうして一緒に来るの」

ラビットはスルーされたのか。

「どのみち、あそこにいても生きていけない。あんたこそ、どこに行くっていうの」

「故郷に帰る」

「故郷って」

「……分からない」

「なんだよ、それ」



10: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 17:13:53.64 ID:7xDrI19W0

ヘリががたんと傾く。

「どうしたの」

パイロットが舌を噛みそうなくらい早口で、

「燃料が漏れてる!」

さきほど、ひげで締め付けたせいか。

「不時着して、どかんなんて嫌だな」

「あんたら、化け物だからいいだろうさ! 俺は普通の人間だ! 落ちれば死ぬ」

彼の後頭部に銃口をこすりつける。

「なら、今すぐどっかのビルに降下しろ」

「無茶言うな……こんな低いビルしか無いところに降りれるか! 降りるなら、お前ら降りろ」

がたんと扉が開く音がした。
風が吹き込み、体をもっていかれそうになる。

「ここまで、ありがとう。降りるね」

言って、彼女は床を蹴った。
こいつ正気か。
それを確かめる前に私も彼女の後を追っていた。




11: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 17:22:28.17 ID:7xDrI19W0

目を開けると、公園のベンチに座っていた。
ガサガサと音がする。
新聞が体の上にかかっていた。
浮浪者がかけたのか。

「……どこに」

「ここ」

後ろから声。

「どうやって、降りたんだ」

「ひげをいっぱい伸ばして摑まりながら降りた」

「そうか。すごいな」

「あなた」

「ラビットだ」

「……ラビット」

「そうだ」

「お腹空いた」

「何が食べたい」

「お魚」



12: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 17:35:22.27 ID:7xDrI19W0

スーパーマーケットのかごをぶら下げて、私はしばらく自分の選択に戸惑っていた。
仕事中に街に出かけることは珍しくない。
ただ、先ほど命のやりとりをしていた敵と買い物にくるなんてのは間違いなく誰もやったことがない。

「これ、飲みたい」

「トマトジュース?」

「うん」

しかも、初対面の人間に遠慮なく物を買わせるお嬢様となんて。

「お金がない。この後宿を探すんだ。さきほどのミルクは諦めてくれ」

「……」

無言でミルクを抜き取り、代わりにトマトジュースをかごに入れる。

「返す……」

とぼとぼと、食品コーナーに戻っていく。

『なあに、あの子の身なり……』

人の声が耳に入る。
体を見た。
なるほど、ぼろ布みたいになっている。

「おい」

「?」

「これで買い物を済ませて」

財布を放り投げる。
両手でつかんだのを確認して、
カートも前に滑らした。

「終わったら入口に集合」

手ごろなシャツとジーンズを買いに服飾コーナーへ回った。





13: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 18:11:11.79 ID:7xDrI19W0

買い物を終え、私たちは安い宿を探していた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。

「なに」

「男の子みたい」

「別に気にはしないよ」

髪の長さを見れば、分かることだろう。

「どこに泊るの」

「どこでもいいけど」

「あそこは」

目の前を指さす。
大通りの反対側に深夜営業の休憩所が並んでいる。

「あれは違うの」

「違うの?」

「違う」

「あっちは」

「あれも違う」

「どこでもいいって言った」

「言ったけど、営業時間が遅すぎる」



14: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 18:30:56.92 ID:7xDrI19W0

ケイトスは見かけより、いくぶん幼い印象を受けた。
一通りの日常生活、会話はできるがどこかなじまない。
ドナーになる前からこんな感じだったのだろうか。
ケイトスは表情もあまり変わらない。
移植手術後にはよくあることだ、と昔施設の人が言っていたっけ。
提供した体の運動神経が発達する一方で、感覚や自律神経が衰えるとか。
揺れるバスの中、彼女はつり革を大きく振りながらも、相変わらず人形のようで少し不気味だった。
バスで30分程移動し、近場のビジネスホテルに泊ることにした。

「ラビット、飲む?」

私は頷いた。
部屋に入って早々に、少女は、コップを二つテーブルへ置き、先ほど買ったトマトジュースをなみなみと注ぎ始める。
耳を傾けつつ、私はカーテンの隙間から外を見る。
死角の場所を確認。
特に不審な人影はない。
どうやら、追手はいないみたいだ。

「ふう……」

ダブルスのベッドに腰掛ける。

「はい」

「ありがとう」

コップを鳴らす。

「なに」

ケイトスが首を傾げた。

「逃走を祝して」

そう述べ、私はトマトジュースを一息で飲み干した。



15: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 18:58:19.90 ID:7xDrI19W0

寝息が聞こえた。

「……」

この状況でよく眠れる。
こちらが、ケイトスを殺すとは思わないのだろうか。
そして、何の話し合いもしないまま眠ってしまった。
私は鞄に潜ませていた掌程の拳銃を取り出す。

腕を静かにずらし、彼女に照準を合わせた。
ひげは出現しない。
ひげは彼女の意思で動かしているということか。
ならば、寝ている時はかなり無防備になってしまうう。

椅子の上で、膝を抱える。
備え付けのラジオをつけた。
音量はめいっぱい小さくする。
歪みの大きい音楽が流れた。

目をつむる。
もう、殺さなくていいのだろうか。
このまま、この少女と逃げてしまっていいのだろうか。
もう、一人ではない。
でも、彼女は故郷へ帰りたいと言っていたではないか。
ならば、私も国へ帰るか。
誰も待ってなどいない処へ。
長く、この街にいた。
施設の中で大半の時間を過ごした。
仲間と呼べる人間もいなかった。
仲間は次々と消えては増えていった。

中には、ケイトスのように変態に成功した奴らもいたようだ。
変態に成功した奴は、失敗作の処理や、要人の護衛、裏の仕事をしないでいいと聞いた。
そして、どこかの王室か貴族か、とにかくそういう所で一生遊んで暮らせるとも聞いた。
ならば、なぜケイトスは逃げてきたのだろう。
なぜ。




16: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 19:22:49.42 ID:7xDrI19W0

殺されそうになっていた。
やはり、彼女も失敗したというカテゴリーに分類されるのか。
力だけなら、すぐにでも実戦で使えそうだけれど。

「……っくしゅん」

ケイトスはいつの間にかかけていた布団を全てベッドの下に落としていた。

「戦いたくなかった……のか?」

一人、問いかける。
彼女がここにいるのは自分と同じ理由と言うことだろうか。
ならば、彼女は自分が願って止まなかった、仲間。
本当の意味での、仲間となってくれるだろうか。
力もある。
彼女がそばにいれば、追手を退けられる。
布団を拾い上げ、彼女にかけ直す。



19: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 21:44:55.28 ID:7xDrI19W0

逃げて、その後は――。
職業安定所は、ダメだ。
児童誘拐のアジトなのだろう。
この国の失業者の大半はあそこへ行く。
働くあてもない子どもも。
施設の連中はそれを上手く利用していたのだ。
私もかつてそうだったように。
住み込みでどこかで働いて金を稼ぐか。
分かっていたことだが、自分の得意分野と言えば――。

「うん……」

ケイトスが寝返りを打った。
こうやって布団がずり落ちていくのか。
否、うなされているようにも見えた。

「……ッ」

何を見ているのだろう。
額に汗をかいていた。
金髪が張り付いている。
手ではらってやる。
おでこに手のひらを乗せた。
冷たくて気持ち良かったのか、
彼女は眠りながら微笑んでいた。



20: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 21:59:01.07 ID:7xDrI19W0

翌朝、ドアの向こうから聞こえた話し声で目が覚めた。
正確には廊下の端の方だ。

「ケイトス」

椅子からすぐに立ち上がり、小声で少女を呼んだ。
肩を揺さぶる。

「ひげ、出して。逃げるよ」

「ううん……後、五分」

「何言ってるのさ。追手だ」

目をこするケイトスの腕を引っ張って、窓枠に足をかけた。

「ほら、あそこのビルの鉄格子まで」

「届かないよ」

「え」

「昨日はヘリまで届いたじゃん」

「毎日、あんなに長くできないよ」

「じゃあ、どこまでなら届く」

「……このくらい」

彼女は言って、両腕を広げた。

「なんだって」

「小出しでなら」

足音が、ドアの前で止まった。
私は下を見た。
高さはそこまで高くない。
痛みはあるが、私は落ちても大丈夫だろう。
ケイトスは、どこか摑まる場所はないか。
どこにもない。電線に摑まれば、感電するかもしれない。
引き金を引いた音がした。
迷っている場合ではない。

私はケイトスを抱きかかえた。

「え」

「口、閉じてないと舌噛むよ」

私は体を小さく折り曲げて衝撃に備えた。




21: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 22:08:45.10 ID:7xDrI19W0

空に浮かんだ瞬間、

「あ、鳥」

などと間抜けな台詞を吐くケイトス。

「黙って」

すぐに、二人重力によって落下していく。
下にいる人間をどかせないと。

「どっけえええ!」

叫びながら、植木に突っ込んだ。
ケイトスが私の腕から飛び降りる。

「だ、大丈夫か?」

「近寄るな!」

男性が、こちらに手を伸ばす。
パン!

「ひい?!」

銃声。
ハトが驚いて飛び立っていく。

「ケイトス、こっち!」

ケイトスの細い腕を引っ掴み、その群れの下を走り抜けた。





22: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 22:34:20.28 ID:7xDrI19W0

私は走りながら、ケイトスに問いかける。

「昨日のイノシシかセイウチかオットセイみたいなのにはなれないの?」

「今日は無理かも」

「不安定だな」

「うん」

「ま、あんたも普通の女の子ってことだろ。安心したよ。いったん、そこの路地に入ろう」

「……」

壁伝いに体を引き付ける。

「なんで、場所が割れたんだろ」

「誰かが、常に見ているって言ってた」

「誰かって誰」

「アネラ」

「アネラ?」

「ケイトスを守る海の天使だって言ってた」

「誰に言われた」

「ハイジ」

「ハイジって、ドクトレス・ハイジ? あの子ども嫌いの?」

「そう」

「あの人と喋ったことがあるの?」

「お母さんだから」

何食わぬ顔で、彼女はそう述べた。



23: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 23:04:28.96 ID:7xDrI19W0

「お母さん?」

「そう、ママ」

「ママ?」

「イエス、お母さん」

私の知るドクトレス・ハイジは子どもが大の苦手なマッドサイエンティストだった。
失敗作の処理をさせられている時、強化ガラスの向こうにいた研究者の一人だ。
施設に来た際、色々と体の検査を受けた時もいた。
とにかく子どもに触るのも触られるのも嫌だという、過剰な反応が目に付いた。
そんな人物に子どもがいたなんて。

「私を見つけてくれた」

「見つける?」

「廃棄予定だったすでに人として育つ見込みのない受精卵を買い取って、私を生み出してくれた。いい人」

少女はやはり淡々と話す。

「そう……」

「どうしたの」

「いや」

「どうして、そんな苦しそうな顔をするの」

「いやなんでもない……一つ質問。なんで、お母さんのいるあの場所から逃げてきたの」

「お母さんがあそこから出るようにと」

母親の情でも湧いたのだろうか。
どちらにせよ、やはりあの場所に戻るという選択肢はないということだ。
けれど、ならばなぜその『アネラ』という奴はケイトスをずっと監視しているんだ。

「……」

『アネラ』がいる限り、私たちは常に狙われ続けるということか。

「アネラはケイトスを故郷へ導いてくれると言っていた。その時が来れば、現れると」

「その時?」

「その時」

「って、いつ」

「分からない」

「はあ……」



24: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 23:11:59.24 ID:7xDrI19W0

ケイトスは別段悪気もないようだった。
肝心なことは伝えていないドクトレス・ハイジも、このケイトスも実に胡散臭い。
やはり、信用するのはまだ早いようだ。
少し、煽ってみるか。

「ケイトス、今、私たちは何の目的も持ってはいない。私は、このまま平凡に暮らせればそれでいい。だが、お前は故郷へ帰りたいという。施設で廃棄予定だった受精卵のお前に、どんな故郷があるって言うんだ、ええ?」

「故郷はある」

「どうしてあると言える」

「体が、帰りたがっている」

「なら、アネラはどうして今すぐにお前の願いを叶えない。その時とはなんなのか、どうして疑問にも思わない? そもそも、アネラなどいないんじゃないか。お前は、ドクトレス・ハイジに騙され、捨てられたのを曲解しているんじゃないのか」

「……」

「黙っていないで何か言え。自分がおかしいことを認めるのか」

「……」





25: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 23:21:17.22 ID:7xDrI19W0

ケイトスがこちらを見据える。
少し、眉間にしわを寄せて。
怒っているのか。

「そんなに、一辺に言われても……答えれない」

「あーそうかい」

「ラビットは、私を怒らせて何がしたいの」

手首を摑まれる。
なんだ、ばれていたのか。

「私には勝てないよ?」

「昨日はね」

半歩踏みこんで、彼女の懐に潜り込む。
少女の腰に足を回して、仰向けに地面へ押し付けた。

「人間相手なら、負けないさ」

「……」

「……なんか喋れ」

「子どもみたいなことしないで」

「な、私はお前より1つ上だ」

「変わらない」

「1年は大きい」

「全く、変わらない」

「言うねえ」






26: ◆/BueNLs5lw 2015/09/22(火) 23:33:21.59 ID:7xDrI19W0

腰に回した足に力を込める。
ミシッと音が鳴った。

「ッン……」

「痛いか? 痛いだろう。体はただの16歳だからな」

「……ッウン」

「その化けの皮を剥いでやる。言っとくけど、私は手加減と言うものを知らない」

「グッ……」

腕の一本くらい持っていけば、何か知っていることを吐くかもしれない。
まあ、別にそこまでしなくてもいいけど。
力を入れようとしたその時、首筋からお尻の先を何かが這いずった。
体をぱっと離す。
ひげか。

「……ッ」

ナイフを取り出して、顔の前で構える。
いや、ひげは出現していない。
寒気で、鳥肌が立った。
なんだ。

「……いたい」

横に転がって、恨めしそうな目でケイトスが見上げている。
気のせいか。

「どうして、ひげを出さなかった」

「本気じゃなかった。ひげは、人の殺意に反応する」

「へえ」

なら、今のはなんだ。
少女は気づいていない。
首筋を恐る恐る触る。
嫌な汗が指に張り付いていた。



30: ◆/BueNLs5lw 2015/09/23(水) 21:46:19.17 ID:Sp/m1Ivz0

今のが、ケイトスの言う『アネラ』なのか。

「ラビット、何をそんなに怯えているの?」

少女は起き上がって、茶褐色のスカートの土埃を手ではらった。
ケイトスの言っていることがどこまで正しいのか分からないが、
彼女を傷つけると、『アネラ』と彼女自身の『ひげ』が襲ってくることは理解できた。

「ケイトス、一時休戦だ」

「私は、別に戦ってなかったよ」

「……あー、そうだな」

ケイトスに謝るべきか迷ったが、何か悔しいので口には出さなかった。

「とにかく、この街からもっと離れれば、追手も手薄になるし、接触する頻度も少なくなるはずだ」

「歩いて?」

「金はまだある。銀行に行けば、貯めていた分もある」

あの施設の良心と言えば、寝床と食事と仕事を終えると報酬がもらえることだろう。

「お前は貯めてないのか?」

「うん」

「報酬はもらわなかったのか?」

「うん」

「仕事とかあっただろ?」

「ううん」

「じゃあ、何してたんだ」

「小さな動物と遊んでた。ウサギとか」

私は思わず泣きたくなった。




31: ◆/BueNLs5lw 2015/09/23(水) 22:04:32.56 ID:Sp/m1Ivz0

ふいに、路地の奥から、足音が耳をかすめた。
距離はかなり遠いが、足取りの慎重さからして追手だろう。
袖を引っ張られる。

「ラビット」

「なに」

「あれ」

「あれ?」

ケイトスが広場の方を指さしていた。
ピザ屋のバイクが置いてあった。
幸いなことに、エンジンがかかったままである。
なんて、不用心。

「なるほど……」

一人ごちて、周囲をざっと確認する。
彼女の手を引いて、乗り手が一時不在のバイクに向かって走った。



32: ◆/BueNLs5lw 2015/09/23(水) 22:49:17.18 ID:Sp/m1Ivz0

どこにいても逃げられないのかもしれない。
施設の連中からすると、飼い犬がちょっとした拍子に首輪抜けしたようなものかもしれない。
一時の自由を味わうけれど、いつか餌をもらいに私はまたあの場所へ戻ってしまうような気もした。
以前ならば、気持ちで負けてしまったかもしれない。
だが、今は自分以外の誰かがいてくれることに、やはり心強さを感じていた。

「なあ、私の故郷はここからずっと南部にある小さな村なんだ。ここよりも、かなり治安が悪い場所も通るし、命の保証もできかねるけど、追手をまくならちょうどいい。お前は、故郷がどこかまだわからないんだろ? どうだ、一緒に行くか? 何か分かることもあるんじゃないか」

「暑いのは嫌」

「……それとも、安全な所で降ろそうか?」

「ううん。行く」

「なんだよ、それ」

ぶっきらぼうに私は呟いた。

「じゃあ、振り落とされないようにしっかり摑まってて」

ハンドルを回し、スピードを上げる。
少女の腕が腰に回されたのを確認して、もう一度ハンドルを回した。
車を抜かして、人を抜かして、街を横切った。

私の故郷は電気も水道もないような村だ。
カジノもファーストフードもマーケットも存在しない。
あるのは、果樹林などの農園だった。
生まれた所はそこだったが、両親は学校に通わせてやりたいと思ったらしく、
何年も稼いで貯めた財産を、村から引っ越しをするためと、私の学費に注ぎ込んだ。
故郷の村にはおんじとおんばが住んでいた。
だから、たまにそこへ帰ることもあった。

ある日、その村で西部の人間が麻薬の密売をしていたのが発覚して、
その辺りを取り仕切っていた南部の街の暴力団の下っ端組織と抗争になった。
両親はおんじとおんばの様子が気になって、私を置いて村へ出かけた。
けれど、いつまで経っても帰って来ないので、私も一人で村へ戻った。

その時、村で見た光景は悲惨なものだった。




33: ◆/BueNLs5lw 2015/09/23(水) 23:22:48.98 ID:Sp/m1Ivz0

「ラビット、前、信号」

「あ、ああ」

村の記憶はあるが、感情と言うのは残酷なもので、
こちらに連れて来られた時は考えられなかったが、思い出しても錯乱しなくなった。
錯乱していた頃は、よく、ドクトレス・ハイジに罵声を浴びせられたっけ。

「そういえば、お前を逃がしたってことは、ドクトレス・ハイジも危ないんじゃないのか」

「……」

「戻る気はないけどさ」

「私も」

「そ」

けっこう冷酷だな。
分かってはいたけど。
いつか、私が殺されそうになっても、
何もせずに突っ立って見ているかもしれない。
そんな気がしてならない。
ぞっとしない。

「どうでもいいかもしれないけど、ケイトスって……どういう意味なんだ」

「神様が作った海の怪物の名前だって言ってた」

「へえ。お前は何の動物とかけ合わされたんだ?」

「セイウチとクジラと犬」

「悪趣味だな」

「ラビットは……?」

「言わなくても、分かるだろ」

「ウサギ?」

「そ」

「ぷ」

「笑ったのか、今」

「笑ってない」

「……ラビットって言うのはさ、そこからきたコードネームみたいなものだ。本名は捨てたからもう使わないけど」

「うさぎは、いつも周りにたくさんいた。うさぎといると落ち着くから」

「それって、私も含まれてるの?」

「ううん」

「あ、そう」

「みんなどこかに帰りたがってる。でも、みんなどこに帰りたいか分からないみたい」

ケイトスは独り言のようにぼそりと言った。
みんなって、セイウチとかクジラとか犬とかのことだろうか。
この少女の頭の中はいったいどうなっているのか。

「私が言うことでもないけどさ」

一拍置いて、

「帰る場所を故郷にしなくても、出かける先を故郷にしてもいいんじゃない」

そう言うと帰ってきたのは沈黙だった。

「って、脳内の愉快な仲間たちに伝えてみなよ」

「……難しい」

「そ」



38: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 10:54:38.95 ID:76c+O7rs0

あの施設にいる子どものほとんどが、軍事的、政治的な利用目的で肉体強化を受けていた。
科学者連中は子ども達と動物を計算式のようにかけ合わせて、いわゆる化け物を生み出していた。

ケイトスのように、生まれる前から遺伝子操作を受ける者もいる。
そういう子どもは、肉体に動物の本能や習性が顕著に現れることもある。
すでに成長した子どもは、それがほとんどない代わりに、性格ががらっと変わってしまうことも多々あった。
しかし、本人は気づくことはない。
そうなったやつは、だいたい気づかないまま気が狂って死んでいった。

ケイトス、という名前から察するに生まれながらにして化け物だと言うことか。
そんな酷い名前をつける親が、本当に子を愛しているのか疑問だ。


道行くこと、数時間が経った。
高層ビルは遥か後ろに広がっていた。
ブロック塀の低い民家が増えてきた。
道路も舗装されておらず、時折飛び跳ねたバイクの振動で、

「お尻、痛い」

と、ケイトスが小言を呟いていた。
それからしばらくして、ぷすん、とバイクが鳴いた。

「あ」

「どうしたの、ラビット」

「燃料切れみたい」

「お菓子食べる?」

「私じゃなくて、バイクの方」

そうこう言っているうちに、エンジンが回らなくなった。
無我夢中で走っていたようだ。仕方がないけど。

「降りて、歩きながら移動手段を考えよう」

バイクを乗り捨て、徒歩ではなかなかえげつない距離に想いを馳せた。

「果てしない……」




39: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 11:09:21.06 ID:76c+O7rs0

「あとどのくらい」

ケイトスがお腹を抑えている。

「時間にするとバイクなら一日。歩いたら……わからんね。どうした、お腹でも痛い?」

「お腹空いた」

「そう言えば、朝から何も食べてなかったっけ」

お天道様も真上に来ている。

「ご飯にしよう」

そう提案し、周りを見渡す。
小さなバーガーショップを発見。

「おごってやるよ。出世払いな」

「何それ」

「そんなことも知らないのか……」

本当に、ウサギと遊んで過ごしていたのかもな。

「あんたがお金持ちになったら、私に分け前をよこすってこと」

「ふーん、分かった」

「いいんかい」



40: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 11:20:42.85 ID:76c+O7rs0

とれかけた看板がボロ屋を思わせるその店は、すでに来客がいて、
この地域の穴場なのか、よそ者を寄せ付けない雰囲気があった。
というのは、私の勘違いで、

「運が悪かったなお嬢ちゃん達」

「ですね……」

店の店主が縄で何重にもぐるぐるに巻きにされ、床に横たわっていた。
さるぐつわまでさせられている。
んー、んー、と這いずっていた。

フランクな服装の三白眼な中年男性が、懐から拳銃を抜き取ってこちらに向けた。

「物騒なもの向けないでください」

「肝が据わったお嬢ちゃんだな。関心するよ」

私は、ケイトスの腕を引いて背中に隠れるように合図を送ろうとした。
が、腕がない。

「あれ」

「大丈夫?」

「んー! んー!!」

ハゲの店主のさるぐつわをほどいてやっていた。

「ぷはッ!! だれかー!! 誰かきてくれー!!」

「余計なことしやがって!!」

男は引き金を引いた。

「ケイトス!!」

この至近距離で外れるわけもなく、
弾はケイトスの左腕に当たった。
何の悲鳴も発しなかったが、衝撃で、少女は後方に倒れ伏した。









41: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 11:34:12.78 ID:76c+O7rs0

「ケイトス!」

呼んでも返事がない。
気絶したのかもしれない。

「へ」

男が鼻で笑った。
私は持っていたナイフを男の方に投げつけた。

「……ッ」

歪な笑いを浮かべたまま、男が固まる。
ナイフが刺さったのは、男の喉だ。
血が噴水のように、吹き出た。
彼は、すぐに絶命した。

それを見届けてから、すぐにケイトスを介抱する。

「おい、大丈夫か」

「ん……」

どうやらかすり傷のようだ。

「ほんと、こういう時に限って役に立たないひげだな。中距離戦闘向きだよ」

「痛い」

ケイトスは頭を抑えている。

「あ、そっち」

膝で立って、上から頭部を見てみるが特に血も出ていないし、内出血もなし。

「それより、腕出して」

「はい」

右腕の袖を捲って、傷口を見る。
舌を出して、そこを舐めた。

「ん……なにしてるの」

「舐めると治りが早い」

迷信とかではなく、
実際、私の唾液には殺菌作用があるようで、
施設でも何度か実験させられた。
人の肌を舐めることに最初は抵抗があったが、
今では全く動じなくなってしまって、それが悩みではある。

「明日には治ってるよ」

「ありがと」

「ああ」





42: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 11:39:32.01 ID:76c+O7rs0

「お、お嬢さん達……私のもほどいてくれ」

「いいけど、条件があるよ」

「な、なにかね」

ハゲのおじさんが、びくりとした。
人一人が、目の前で死んだのだ。無理はないけど。

「ハンバーガー二人前と乗り物が余ってたら貸して」

彼はほっと息を吐いた。

「持っていけ」

顎で窓の外の方を指した。



43: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 11:49:36.20 ID:76c+O7rs0

古臭いエンジン音。
黒い煙をふかしている。
大丈夫か、これ。

「また、バイク?」

「バイクで十分」

「お尻、痛い」

「文句言うな。はい、これハンバーガー」

手渡して、ハンドルを回す。

「しっかり摑まって食べなよ」

「うん」

「あと、ケチャップ私の服につけないで」

「うん」

「よし、行こう」

バイク、途中で壊れませんように。



44: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 12:12:29.05 ID:76c+O7rs0

国境の検問所に来た頃には陽が沈み、かなりの時間が経っていた。
昼に食べたハンバーガーもすでに消化してしまって、私もケイトスも互いに腹の虫を鳴らせていた。

「さて、ここからが問題だ」

検問所をどうやって抜けるか。
こいつの力は当てにできないし。

「車が停まってる」

「うん?」

ケイトスの視線を追いかける。
車からは親子が出てきて、警備員に執拗に質問攻めにされている。

「ちっ」

「どうしたの」

「あいつら、父娘を装った麻薬の運び屋だ」

運び屋に10代の子どもを使う南部マフィアの下っ端の方だろう。
胸糞悪い。

「よく聞こえるね」

「耳がいいもんでね」

「なんて言ってるの」

「えっと……え」

「なに」

「子どもの胃の中に麻薬が……あるって」

「それって、どういうこと?」

「袋ごと飲み込ませたか、あるいは……切って入れたか」

「うえ」

「酷い……」

許せない。




46: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 13:38:54.93 ID:76c+O7rs0

肌がちりちりと焼け付くような嫌悪感。
麻薬カルテルはこの国最大の汚点であり恥部だ。
ああ、胃が痛い。
胸糞悪い。
いっそ根絶やしにしたい。
ケイトスがもう少し有能なら良かったのに。

「殴り込む?」

私の感情をくみ取ったのか、ケイトスが真顔で言った。

「いや、ここで騒ぎを起こしたくない」

暫く観察するしかない。
が、血が沸き上がってくる。

「くそ……」

「ねえ、あれ何」

「ん?」

帯電するようなオレンジの空に向かって、ケイトスは言った。

「どうでもいいだろ」

今はのんきに星座を観察する気分じゃないっての。

「……」

白く光る金の星。
緊張感のないケイトスは、それをじっと眺めている。
ケイトスには関係のない話だから仕方がないか。

「あれは、金星。ひげを持つ一族の心臓だって言われてる」

「ひげかあ」



47: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 14:03:38.96 ID:76c+O7rs0

検問所に動きが見られた。
父親を装った男は、いわゆる袖の下を警備員に渡していた。

「ケイトス、チャンスだ、行くよ」

「はーい」

バイクをふかせる。
エンジン音に漸く気が付いた間抜け共が、こちらに一斉に拳銃を向けた。

「せーので降りるぞ!」

ケイトスの細い腰を掴んで、

「せーの」

バイクを思い切り踏み台にして、後方へ跳躍。
残された自走式と化したバイクは、一直線に男たちの元へ。

「うわああ?!」

「逃げろ、サンディ!!」

叫び声。
私はケイトスに後ろにいるように指示して、拳銃を構えた。
砂埃が舞う。警備員は横転したバイクの下敷きになっていた。

「ご、ごめんなさいっ。バイクに乗りなれてなくて」

「っ……」

父親役の方は、どうも腰を強く打ち付けたようで、
下半身をふらつかせていた。

「賄賂の現場なんて見たから、手元が滑ってしまって」

「貴様、何者だ……っ」

「……」

「何者?」

ケイトスが後ろから言った。
さあね。知らん。





48: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 14:16:28.51 ID:76c+O7rs0

「あんたに言う義理はないよ。見たとこ、出稼ぎに行ってきた帰りか、故郷を汚す売国奴さん」

「政府の役人の手先か……」

「こんないたいけな少女がそんな犬臭いことしてるわけ……」

そばに倒れていた少女が、
ポケットに手を差し込んだ。
持っていたものは、手りゅう弾。

「馬鹿野郎っ……」

彼女の所へ行って、あれを奪える距離ではない。
指がピンにかけられた。
死ぬ気か。どうしたらいい。
考えている余裕はなかった。

「や、止めろ、サンディ!」

乾いた金属音がした。
一瞬だけ視界に焼き付いた少女の顔は、どことなく解放的だったと思う。

「ケイトス!」

自分でも驚いたが、私はケイトスに覆いかぶさるように彼女を庇った。



49: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 14:23:27.90 ID:76c+O7rs0

耳に思い切り指を突っ込んだ瞬間、えぐるような轟音。振動。
爆風の風圧で、吹っ飛びそうになった。
熱波が、肌を焦がす。
痛みは。
痛みはなかった。

「え……?」

目を開ける。
音が聞こえない。
たぶん一時的なものだろう。

「ラビット、重い」

何を言っているか、口の動きでなんとか分かった。
ケイトスが恨めしそうに見上げている。

「ごめん」

退く。
見ると、ケイトスの傍らから何本かひげが出ていた。
振り返る。
ひげから緑の液体がぽたぽたと垂れていた。

「まさか、これで全部防いでくれたのか」

「うん」

「ありがとう」

頷いて、誇らしそうにしていた。



50: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 14:40:05.73 ID:76c+O7rs0

徐々に聴力が回復してくると、砂埃をまき散らす風の音に交じって、警報が聞こえてきた。

「やばっ、逃げるぞ」

車はどうやら、乗れそうだ。
不幸中の幸いというか。

「これ、借りるよ」

仰向けに横たわる男に言った。
破片が刺さりすぎて、上半身は重症だった。
しかし、息があるようだ。
彼のポケットを漁る。
鍵を発見した。

「ケイトス、前に乗って」

「こっち?」

「あんた、運転できないだろ。逆」

誰かに足を掴まれた。

「うん?」

車の下。
白い腕。

「ひい!?」

蹴り飛ばす。
ずるりと這い出てきたのは、先ほどの少女だった。
確か、サンディと呼ばれていたっけ。
なぜ、無傷なんだ。




51: ◆/BueNLs5lw 2015/09/27(日) 14:50:47.54 ID:76c+O7rs0

しかし、胴体より下を見て唖然となり、また納得した。
彼女は――、

「お前、蛇か……」

「そういうあなたはウサギじゃないですか」

利口そうな喋り方だ。

「なぜ知ってるんだ」

「本能です」

こいつは、蛇とかけ合わされたのか。
まさか、成功例か。

「生まれながらにして化け物。レベル1の成功例です」

レベル1というのは、一種類の動物だけという意味。
ならば、マフィアに飼われる蛇ということか。
ナイフを握りしめる。
少女が、手を挙げた。

「戦闘は得意としません。私が得意なのはただの運びと縄抜けです」



53: ◆/BueNLs5lw 2015/09/28(月) 01:20:01.29 ID:hOUMsezh0

自分は危害を加えるつもりはないと言うことか。

「抵抗しないのは賢明な判断だと思うよ」

私は、彼女にナイフの切っ先を向けたまま、下がるように顎で指示した。
小柄で無垢そうな少女程、大人の男をたぶらかせるにはちょうどいい。
そんな理由で選ばれたのだろうか。
生憎、興味の対象外だ。
少女が、胴体をくねらせて後ろに下がる。

「じゃ、ここで軍が来るのを待ってなよ」

「いいえ、私も乗せて行ってください」

「いや」

答えたのは私じゃない。
割れた窓ガラスからケイトスが顔を出していた。
横目でそれを確認して、サンディに問う。

「なぜ」

「私は、マフィアに雇われているわけではありません。政府の指示で陸軍特殊部隊に所属しています。先ほどは、検問所で不穏な動きがあるため二重スパイとして証拠を掴みに来たのですが……」

「……」

彼女は酷く気怠そうなため息をついた。

「あなたたちが、計画を台無しにしてくれました」




54: ◆/BueNLs5lw 2015/09/28(月) 01:41:31.36 ID:hOUMsezh0

「や、仮にその話が本当だとして、手榴弾を投げたのはあんたなんですけど」

「そうだそうだ」

「ケイトス、ややこしくなるから。ちょっと黙って」

「あなた方が先に攻撃して来たので、警備関係者が本作戦に気づいたのかと思ったのです。作戦がバレたら迅速に、私は自爆することになっています。結果として、車の運転ができる相棒を失ってしまいましたが、止むをえません」

「それは、何というか、ごめん」

「任務以外に口を挟まないようにしています。この事は口外しませんので、私を隣国の首都まで送ってください」

「は、はい」

少女に気圧され、返事をしてしまった。
彼女は、一息吐いて、車に乗り込んだ。
ケイトスがキョトンとしていた。状況が飲み込めていないのだろう。

「あー、ケイトス。彼女、悪い奴じゃないみたいなんだ。途中まで相乗りだから、よろしく」

「よろしくお願いします」

頭を下げる。
ケイトスは無表情で、よろしくと言った。
人見知りか、お前は。
サンディー――本名かどうかわからないが、彼女の言葉を全て信じれる程人ができているわけではない。
不審な行動を起こされないように、警戒しておくに越したことはないだろう。

「……よろしく。私はラビット。こっちは、ケイトスだ」

外装がぼっこぼこになった車のエンジンキーを回し、アクセルを踏んだ。
この車で街中を走るのは狂気だろうな。
背中にサイレンを浴びながら、褐色の大地へと走り出した。



55: ◆/BueNLs5lw 2015/09/28(月) 01:55:59.02 ID:hOUMsezh0

夜の砂漠は危険というのはおんじの代よりも前から言われ続けていたことだ。
どこかでいったん車を止めて休む所を探すか、先を急ぐか。

「早く、行こう」

と言うのはケイトス。
どうやら、サンディが先ほど話していた遺跡を早く見物に行きたいらしい。
遺跡と言うのは、お星さまになったひげの化け物の王様のお墓のことだ。

「ええ、急ぎましょう」

と言うのはサンディ。
一刻も早く連絡を取り合いたいらしい。
せっかち野郎だ。
だから、手榴弾なんてすぐに使いたがるんだろう。

「いや、盗賊に襲われたらどうすんだ」

と言うのは私。
レベル3であるケイトスと、レベル1の成功体であるサンディはいいが、こっちはレベル1の中途半端なウサギだ。
複数に囲まれて、勝機があるとは思えない。
あくまで少数やマンツーマンでのレベルでしか通用しない。



56: ◆/BueNLs5lw 2015/09/28(月) 02:03:27.52 ID:hOUMsezh0

しかし、私の意見は却下された。
どうして2対1になるんだ。
ケイトス、あんた人見知りじゃなかったのか。

「ここからだと、星が見えない」

「頼むから、ひげで天井に穴を開けないでくれよ」

「その手があったか」

「忘れろ」

「……くすくす」

愛らしい声が聞こえた。

「笑ってないで、もう寝なよ」

「いえ、お二人を見ていると飽きなくて。仲がいいんですね」

「全然さ。昨日知り合ったばかりだし」

「昨日?」

「そうだよ」

ケイトスが後ろを振り返る。
舌噛むぞ。

「昨日、こいつに殺されそうになった。今日は、あんたに殺されそうになった」

「ラビットは、殺されそうになった人と仲良くなれるのかな」

ケイトスが言った。

「そうかもね」

サンディはまた笑っていた。



61: ◆/BueNLs5lw 2015/10/02(金) 22:29:32.56 ID:M47JutOg0

「なぜ、二人は行動を共にしているのですか?」

もっともな問いだ。
私はヘッドライトが照らす砂粒を眺めるのに忙しかったので、その質問の答えをケイトスに投げた。

「故郷に帰りたいの」

ケイトスが言った。

「どこなんですか?」

「分からない。私の中の子達は、みんなどこかに帰りたがってる。でも、それがどこなのか分かんないから、ラビットの家に行こうと思う。ラビットが言ってた。出かける先を故郷にしてもいいんじゃないかって」

「まあ、私の家はすでにないから、正確には私の生まれた地に行くってことだよ。そう言えば、サンディは……」

「私は見ての通り、この国の生まれです」

「いや、そんな陶器みたいな見てくれで言われても」

「父が、西部出身だったので、そのせいかと」

私たちが先ほどまでいたのが、西部と呼ばれる地域の中心地と言える場所である。
そして、ここは南部地域である。
西部と言えば白人系の、南部と言えば黒人系の連中が多い。
また、様々な国籍の者が多く先進国でもあるのが西部であり、原住民が多く治安も悪いのが南部である。
ただし、共通してどちらも貧富の格差が激しい。
そして、お金よりも人や薬・武器は、よっぽど安定した通貨であった。

こいつは、家族にでも売られたのだろうか。

「あなたが聞きたいことは分かります」

「まだ、何も言ってないけど」

「父が大病を患っているので、私にはお金が必要なのです。そのために体を政府に売りました。母が南部の原住民の血を濃くひいていたのが幸いし、私はあの施設でもトップクラスの適合率となりました」

「へー……え、原住民って何か関係があるの?」

ふとした疑問を口にする。

「知らないのですか? 確か、座学で習ったはずですが」

いや、忘れた。たぶん、寝てた。
私は首を振る。

「簡単に言うと、原住民は動物により近い人種なのです。特に南部の一部の集落にはこんな伝説が残っています。昔、この世最悪の怪物と戦い敗退した神々は、動物に化けてこの南部の地に長い年月身を潜め、いつしかこの地や自然と一体になった、と。そして、その動物となった神々はいつしか人間と呼ばれるようになった」

「長い」

ケイトスが言った。







62: ◆/BueNLs5lw 2015/10/02(金) 22:48:54.58 ID:M47JutOg0

「ケイトス、つまりさ、お前はもしかしたら南部の原住民の血をひいてるってこと」

「ふーん」

ふーんって。
出生にかかわる重要なヒントだろ、今のは。
いや、ま、いいけど。
サンディは、特に気を悪くした風もなく、

「ただのおとぎ話ですから」

と、興味のなさそうなケイトスを気遣ってか話に終止符を打った。
大人だ。見習えよ、ケイトス。

「じゃあ、あのひげの怪物の王様も何かの動物だったってことか」

「大いにあり得ますね。動物と呼ばれる前、神々と動物の間の何かかもしれませんが」

その後、私は人生に全く関係なさそうなくだらない話をたくさんした。
神話の話、西部と南部の話、村の話、おんじ達の話。
こんなにも人と話すことに飢えていたなんて、初めて知った。
話して、初めて分かったことだった。
長い話が苦手なケイトスには悪いが、まともな話相手ができて、私は自分でも驚くくらい、良く話した。

サンディはそうではなかったようで、さすがに疲れたらしく、
子どもらしい欠伸をしていた。

「ごめん、寝てくれ」

「ええ、そうします」

彼女は、後部座席を全て後ろに倒して、
とぐろを巻く蛇のようにまるまった。



63: ◆/BueNLs5lw 2015/10/02(金) 23:01:34.88 ID:M47JutOg0

「ラビットは寝ないの?」

薄い毛布にくるまって、顔を半分だけ出してケイトスが言った。
砂漠は寒い。かくいう私も、寒い。

「誰が車運転するんだ」

「確かに」

「私のことは気にするな。お前らはしっかり寝て、体力を回復して、ちゃんと戦力になってくれよ」

気遣ってくれているのか。
こちらをじっと見ている。

「どうした?」

「なんでもない」

「なんじゃそりゃ。あ、お前お嬢様だもんな」

移動中の車内ではなかなか寝付けないのかもしれない。



66: ◆/BueNLs5lw 2015/10/03(土) 23:00:52.97 ID:o2RDYwRq0

「お嬢様じゃないよ」

「また、お尻痛いって?」

冗談めかして言うと、少女は首を振った。

「ラビットがウサギになってくれたら、もふもふして気持ちがいいと思って」

「私をクッションにする気か」

潰れるだろ。

「ウサギになれない?」

「なれない」

「どうして?」

「私は適性が少し劣ってたんだろ」

できないと言っているのに、ケイトスは駄々をこねる子どものように私を半目で見ていた。
いや、単純に眠いだけなのかもしれない。

「夜にね」

「ああ」

私は欠伸をかみ殺して返事した。

「たまにウサギがキスしてくれていたの」

舌を噛みそうになって、
私は誤魔化すように咳払いした。

「私は、あんたの母親でも父親でもないから」



67: ◆/BueNLs5lw 2015/10/03(土) 23:07:59.83 ID:o2RDYwRq0

どれだけウサギと仲睦まじかったんだこいつ。

「……」

「そんなに見つめられても困る」

なんで会ったばかりの人間を寝かしつけてやらないといけないのだ。
しかもキスで。

「分かった」

少女は目をつむった。

「はい、おやすみ」

「おやすみ」

車内が急に静かになる。
後ろの蛇は全く寝息が聞こえないくらい、穏やかに眠っているようだ。
これはこれで、多少騒がしさが恋しいかな。

このまま何事もなく、この砂塵の地を抜けられればいいけれど。





68: ◆/BueNLs5lw 2015/10/03(土) 23:22:35.15 ID:o2RDYwRq0

ただ、悪い予感と言うのはいつだって当たるものだ。
そもそも、そういう予感を感じてしまうような選択肢を選んでしまっているのだから、
必然と言えば、そうかもしれない。

車の斜め前方にオレンジの閃光が見えた。
直感で、アクセルを勢いよく踏み込んだ。
車体の加速で、ケイトスが頭を後ろにのけ反らせた。
次の瞬間、爆音と共に車体が大きく揺れた。
ハンドルを左に大きく回す。
右の方から衝撃音。

「わっ」

ケイトスが私の体に体当たりしてきた。

「悪い、何かに摑まってて!」

「な、何事ですか」

サンディが座席の合間から顔を出す。

「狙われてる。当たるとやばいから、ちょっと揺れるよ!」

ドゴオオオン!
3度目のそんな音と共に、両脇の砂が抉れ、噴水のように舞い上がった。



69: ◆/BueNLs5lw 2015/10/03(土) 23:36:33.50 ID:o2RDYwRq0

「一体、何に狙われてるって言うんですかっ」

サンディが早口で言った。

「盗賊だろっ。この辺には多いんだ。だから、言っただろっ。いや、言わなかったかっ?」

「聞いてませんよっ」

「マフィアの二重スパイのくせに、盗賊に会ったことないのっ?」

フロントミラーを見る。
かなり後方で、白煙が上がった。
ノーコン野郎で良かった。

「ありませんよっ」

「そりゃ、運が良かったな!」

加速しつつ、左右にそれる。
砂の上だと、上手くハンドルが切れない。
失速すると、確実に当たる。
アクセルを踏み続けた。
攻撃が中断された。
撃ってこない。
様子見をしているのか。

「サンディ、ケイトス。敵が周囲にいないか確認して」

「視認できる範囲にはいません」

どちらにハンドルを切るべきか。
街まではまだ遠い。

「サンディ、なんか武器積んでないのっ?」

「ハンドガンくらいしか……」

「あーっ、とにかく突っ切るから、二人ともしっかり何かにしがみついててっ」






70: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 00:49:46.05 ID:uB1JBf9F0

火球が車体の上を通り過ぎたような気がした。
砂漠が一瞬閃光に包まれる。
砂丘の陰影がくっきりと浮かび上がった。

「白い海……」

ケイトスがぽつりと言った。
左から衝撃波。

「舌噛むよっ」

ケイトスが唇を結ぶ。

「ラビット、敵の位置が分かりました。並走しています」

「オーケー。ケイトス!」

「なあに?」

「ちょっと、あんた、ここずっと踏んで、ここ持ってじっとしてな」





72: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 18:54:55.44 ID:uB1JBf9F0

ケイトスは一瞬首をひねった。
が、指示に従って、揺れ動く車内の中ハンドルを握り、運転席へ移動する。
私は太ももにまたがるケイトスの下から這い出て、助手席へ。

「ハンドルはこのままっ」

スピードががくんと落ちる。

「もっと踏んでっ、そう」

後ろでサンディが焦燥的な声を出した。

「私が、しましょうかっ」

「大丈夫」

ケイトスが表情を変えずに言った。

「このまま?」

そして、私に確認する。

「ハンドルはな。ペダルの方は踏みながら、そこの数字を確認して、80~100の範囲を行ったり来たりさせておくんだ。絶対動かすな。今、道路の上を走ってるから、逸れたらすぐにスタックするぞっ」

「ラビット……」

「なんだっ」

助手席側の窓を開けつつ敵を確認する。
かなり近い所で、迷彩のジープが並走していた。

「なんか湿っぽい」

「悪かったな!」

ケイトスに構っている場合ではない。
砂漠の上をこれだけ長駆できる相手ということは、
余程の手練れに違いない。



73: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 19:19:17.31 ID:uB1JBf9F0

バウンドする車内で、両足を踏ん張り体を固定させる。拳銃を突き出した。白海を力強く蹴る敵を、真っ直ぐに捉える。
よもや、ここから拳銃で狙おうとは思わまい。スコープでこちらを覗いているとしたら、せせら笑っていることだろう。
二つのサイトから見える水平線の上に、ジープの前輪を乗せた。
相手が撃ってきた。
威嚇のようだ。
また、後方で爆発した。
ウサギ狩りでもしているのか。
遊ばれてるな。
数ミリ、銃口を水平に右へずらす。
1、2、3。
呼吸を止める。
指をトリガーにかけた。
撃つ。
当たった。
前輪に命中。
ジープが狂ったように頭を振った。
そして、砂に埋もれて、しだいに失速していった。

「上等」

私は窓を閉めた。



74: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 19:28:22.99 ID:uB1JBf9F0

「すごい」

サンディが言った。
素直に感心されたのが分かった。

「夜目は効く方なんだ」

振り向いて笑う。
目をきらきらと輝かせている。
止めろよ。
照れくさいだろうが。

「同僚でこのような長距離射撃ができる者はまずいません。どこで訓練を?」

「どこでって、施設でだけど」

「私はそのような精度を磨く射撃訓練はありませんでした……」

「必要ないからだろうさ」

「それは、そうですが」

「……なに?」

「ぜひ、ご指南を」

「え、いや」

「そんな」

蛇少女が私の両肩を掴んで揺さぶった。



75: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 19:50:24.49 ID:uB1JBf9F0

「弟子はとらない主義だ」

別に教える立場になったことなどないが。

「そこをなんとか」

肩まで揉み始める。
ちょっと気持ちがいい。
視線を感じる。
顔を運転席へ向けた。
ケイトスが半目でこちらを見ている。

「ご苦労様」

労ってやった。
ごめん、忘れてた。
頬を少し膨らませている。

「なんだ?」

「別に」

そして、数秒後、車は道路をはみ出して砂漠へ突っ込んだ。



77: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 22:05:37.07 ID:uB1JBf9F0

何とか道路に車を戻し、オアシスに向けて再度出発した。
サンディは『起きています』とかなんとか言いつつ、結局眠ってしまった。
ケイトスは運転に興味を持ったようで、安全運転で走行してくれていた。
ただし、『もっと早く走りたい』などとスピード狂的発言もあったが。

周囲は、砂場から岩場へ移り変わっていた。
夜の色に瞼が重たくなる。

あの施設を抜け出してから、丸2日が経とうとしていた。
いつもの脱出なら、そろそろ施設の自室で目が覚めている頃だろう。
いつもなら。
なにせ、私は、一人で逃げることができない。
そういう体なのだ。
独りだと言う認識が、体に異常をきたす。
周りに自分の知る誰かがいると違うのだ。
孤独が体を蝕む前に、脳が勝手に施設に戻るよう指示してしまう。
もし戻らなければ、死んでしまう。
実際、どうなるかなんて分からない。
ただ、そんな妄想に憑りつかれている。
寂しいと死ぬ。
かもしれない。

だから、これはチャンス。
ケイトスがいつまで傍にいるかは分からないが、しばらくは共に旅をすることになるだろうから。



78: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 22:12:14.14 ID:uB1JBf9F0

それまで、私は自由の身だ。

「ラビット」

「うん……」

生返事で私は答えた。

「何か面白いものあった?」

「え」

突飛な質問に目がさえる。

「笑ってる」

「あ、ああ」

頬に手を添えた。

「ちょっとな」

「変なの」

小鳥のようにケイトスは首を傾げた。



79: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 23:01:38.20 ID:uB1JBf9F0

一時間ほど睡眠をとった。
それから街まではケイトスと運転を交代した。
静かで深い寝息をBGMに、南部最西端の要塞都市に到着した。

ウサギの耳のような白の巨塔のモニュメントをくぐり抜けると、
文化遺産にも指定されている半壊した元城壁が目に入った。
見るのは3度目だ。
1度目は、両親と。
2度目は、施設の人間と。

ぼっろぼろの車はかなり人目についた。
遺産の周りには軍の人間もちらほら警備に当たっていた。
視線があまりにも痛々しかったので、二人をたたき起こして車を乗り捨てた。

西部系金髪少女二人と南部系黒髪の女一人。

「どこから見ても、仲良し三人組に見えるな」

「そうですかね」

「お肉の匂いがする」

ケイトスが鼻をひくつかせる。
交差点の向かいに、屋台が立ち並んでいた。
獣くさい匂いがわきたっている。
店の主人が、丸々焼いた豚の肉をナイフでそいでいた。
それに野菜やチーズ、ケチャップを入れて薄焼きのパンで挟みサンドウィッチのようにして売っていた。
南部じゃ珍しくもない伝統料理である。



80: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 23:17:28.40 ID:uB1JBf9F0

それを二人に奢ってやる。
サンディもケイトス同様にお腹が空いていたようで、
互いに口の端にケチャップをつけて頬張っていた。

「ここから首都までは地下鉄で行くのが手っ取り早いと思うよ」

歩道に立てかけてあったマップを指さして、
ここから駅までの道を辿っていく。

「ふんぐもごうぐ……」

「ケイトス、食ってから言え」

「地下鉄ですか……」

「もごうぐ……」

サンディは顎に指を置き考え込む。
眉根を寄せて、真剣な表情をしていた。

「地下鉄は、危ないのか?」

ならば、他の陸上の手段を考えなければならないな。

「いえ、その……」

「ぬぐ……」

「ケイトス、なに?」

見ると、青ざめた顔で胸を抑えていた。
喉に詰まらせたようだ。
全く、世話が焼ける。
先ほどの屋台で、トマトジュースを買ってきてやり、ケイトスに渡した。

「で、サンディ、地下鉄は無理なんだな」

「無理ではありません」

「じゃあ」

「ただ、地下鉄に乗ったことがないので、不安です」

私はサンディを見下ろした。
サンディはこちらを見上げていた。



81: ◆/BueNLs5lw 2015/10/04(日) 23:33:48.20 ID:uB1JBf9F0

サンディは肩より少し長い髪を端っこの方できゅっと結んだ。
細いうなじは、11歳という幼さを思い出させた。

「地下鉄くらい一人で乗れるようにな」

改札を抜けて、サンディに言った。

「はい……」

恥ずかしそうに少女は俯く。
祭日のためか、人が多く、観光客もかなり来ているようだった。
ケイトスは目を離すとすぐに人波に飲まれていった。
サンディは小さすぎて、すぐに見失った。
結果、私は中心で二人の手を繋ぐことになった。

「いつも、父の部下の車で……送り迎えをしてもらっていたので」

「どこの金持ちだ」

少女はそれ以上深くは説明しなかった。
軍の上層部の人間か、それとも政府の高官か。

「ラビット」

左手を握っていたケイトスが軽く引っ張る。

「ん?」

「遺跡」

彼女の人差し指の先には、ひげの王様の墓の写真が拡大コピーされていた。

「結局、首都に行かなくちゃならないわけだ」

溜息交じりに呟くと、ケイトスが跳ねるように歩き出した。



82: ◆/BueNLs5lw 2015/10/05(月) 00:03:16.79 ID:IBJp3Tii0

1時間程で首都に到着した。
サンディは見慣れた土地に安堵の笑みをこぼしていた。

「ありがとうございました」

私を抱きしめて、彼女は礼を述べた。

「もとはと言えば、こっちが迷惑をかけたんだし気にしないで」

体を離し、握手を求められたのでその手を強く握り返した。

「ケイトスも」

少女の手をケイトスも握り返す。
少しだけ微笑んでいるように見えた。

「次会うときは、互いに敵かもしれませんね」

「恐ろしいこと言うなよ」

言霊ってあるだろ。

「ふふっ」

少女はタクシーに乗り込む。
姿が見えなくなるまでこちらに手を振っていた。

「さーて」

ケイトスに顔を向けた。

「ひげ?」

ケイトスが言った。
旅行気分だな、ほんとに。

「ひげ、行くか」

「うん」

ケイトスが歩き出す。

「と、その前に」

かくんと少女が膝を折った。

「なあに」

「シャワー浴びよう」



83: ◆/BueNLs5lw 2015/10/05(月) 00:14:39.69 ID:IBJp3Tii0

近場の安い宿を借りて、ベッドの上で一息ついた。
仰向けに寝転がると、天井のシミが見えた。
その生活感のある雰囲気に気が緩む。
施設では案外規則正しく生活していたのもあり、昼夜が逆転するとなかなかしんどい。
ベッドのスプリングを使って飛び跳ねる少女はとても元気そうだ。
一足先に綺麗さっぱりしたケイトスを尻目にため息を吐いた。

「元気だな」

「早くシャワー浴びて、遺跡に行こう」

ギシギシベッドが揺れる。
うん、浴びる。
浴びるって。

「早く」

しびれを切らして、ケイトスが私のシャツのボタンに手をかける。
脱がせてくれるのか。
あれよあれよと言う間に、上着をはぎ取られた。

「っくしゅ」

「早く」

「はい……」

すごすごと、私はバスルームへ向かった。



87: ◆/BueNLs5lw 2015/10/05(月) 23:05:18.73 ID:IBJp3Tii0

手早く砂っぽい体を洗い終えて、バスルームから出ると、
すでに準備万端のケイトスが足をぷらつかせてベッドに腰かけていた。
その顔は、『早くー』と言っていた。
遺跡の何がいいのかさっぱり分からないが、一人で勝手に行かない所を見ると、
もしかしたら、多少は気を許してくれているのだろうか。
それとも、案内役が必要だからか。

「今さらだけどさ、なんでそんなに遺跡に行きたいんだ」

新しいシャツに袖を通しながら言った。
ケイトスは長いまつげのくっついた目をぱちくりとさせて、

「お母さんの部屋に、ひげの怪物と遺跡の写真が飾ってあったから……だから」

だから、と言いかけてぼふんと背中をベッドに預けた。

「アネラのことも何か分かるかと思ったの」

アネラ。
ああ、そう言えば、そんなこと言っていたな。

「よく、その写真を見てたから」

あの人にそういう感傷的な所があったことにびっくりだ。

「お母さんのことも分かると思ったの」



88: ◆/BueNLs5lw 2015/10/05(月) 23:40:31.15 ID:IBJp3Tii0

ケイトスの横顔は母親を思い出して甘えたがる子どもの顔ではなかった。
疑問。
謎。
分からないことを知りたがっている。
母親とは何なのか。
それを知りたがっているような気がした。
私は、彼女はドクトリス・ハイジのことを何も知らないのではないかと思った。
いい人、と説明した時のケイトスを思い返す。
あれは、彼女の言葉ではなくて、施設の連中の言葉で、それをすり込みみたいに覚えていたんだとしたら。
彼女は、本当は今も廃棄予定の受精卵のままで。
3匹の獣達の声に従いはするけれど、

「ケイトス、準備できたぞ」

「うん」

彼女自身の帰るべき場所が、本当に外の世界にあるのだろうか。
小走りに扉へ向かう少女。

「ラビット」

こちらに手招きする。

「ああ」

向かう場所を故郷になんて言ったけれど、戯言だ。
何のために進むのか分からなければ、ただの迷子。
こいつは、私よりもよほど一人なのだ。



89: ◆/BueNLs5lw 2015/10/06(火) 00:24:57.58 ID:dJx87+Ps0

遺跡までは観光客に混じり路線バスを使った。
しだいに、視界の上方に積み重ねられた石の建造物が見えてきた。
ここは西部との国境に一番近いこともあり、要塞都市などと言われているが、
その実は観光に力を入れており、外交も盛んな街でもある。
出入り口が緩い分、頭のおかしな連中も入りやすいし、
マフィア同士の小競り合いも日常茶飯事だ。
この街での軽犯罪数は世界の中でもトップ5に入る。

そんな無法地帯に様々な人種が集まっている遺跡というのは、どこか異質だった。
入場料を二人分払い、チケットをケイトスに渡した。
彼女はそれを握りしめる。
100年で滅んだと言う古代文明。
古代の南部に君臨していたひげの王様の墓はもっと南の方らしい。
ケイトスは音声ガイダンスを聞いているにも関わらず、ふらふらと道順から離れようとしていた。

「お嬢さん、どちらに行かれるんですか」

「間違えた」

「手、いる?」

「いらない」

きっぱりと言って進み始めた。
可愛くないなあ。





92: ◆/BueNLs5lw 2015/10/06(火) 23:20:53.34 ID:dJx87+Ps0

遺跡のマップをもらった時に、広すぎて、全て回るのに3時間以上はかかると説明を受けた。
見どころであるピラミッドは大中小の3つあり、ひげの王様の墓でもある最も古く巨大な第一のピラミッドは乾燥して崩れやすくなっているようで、
改修工事のため、今は登る事ができなくなっていた。ケイトスはそれを聞いて残念そうに項垂れていた。

空はよく晴れていた。
強烈な日差しが肌を焦がす。
すれ違う観光客も、どこで一体買ったのか、古めかしいクラウンの高い麦藁帽を被る者も多かった。
色とりどりの刺繍のハンカチーフや飾り紐を地べたに座って売っている老婆の姿もあった。
目が合うと、腕を引っ張られて買うまで離してくれなさそうな雰囲気だった。

「ラビット」

そうこう考えている内に、ケイトスが真っ赤なポンチョにくるまれた、
これまた真っ赤な顔をした深い皺の刻まれた老婆につかまっていた。
老婆は言葉を話せないのか、無言でケイトスを引っ張っていた。
ケイトスも別に困った様子はない。
ただ、動けない状態だった。
困った顔で、ため息を吐いたのは私だった。
口パクで、いりませんと言え、と伝える。
ケイトスは頷いた。

「それ、一つください」

「違う!」

結局、オレンジの刺繍糸を使って作られた花のヘアピンを買わされた。



94: ◆/BueNLs5lw 2015/10/06(火) 23:50:03.60 ID:dJx87+Ps0

ケイトスはヘアピンのつけ方を知らないようだった。

「じっとして」

「ん」

横髪が邪魔くさそうだったので、左耳の上辺りにつけてやった。

「まあ、可愛いんじゃないの」

「ふーん、ありがとう」

ふーん、て。
ただ、その後は一応反省したのか、路傍に座る老人たちには近づかないようになった。
砂利道を行くこと、30分。
中木と石の城壁に守られるようにして、第二の中ピラミッドがそびえ立つ。
上る事はできないが、今宿泊中のホテルよりは確実に大きい。
頂上へと延びる階段の手すり部分には、ウサギのドクロに人間の体をした像が等間隔で配置されていた。
何体かは風化してしまっている。死神の鎌を持っている像もあった。説明書きにはこう書いてあった。
かつてウサギは神々が化けた動物らしく、古代の人々の間ではもてはやされた。
神ならざるウサギとして『聖獣』などと神格化されていた。

「ウサギは敬うべしってさ」

ケイトスに言ってやる。

「ふーん」

だから、ふーん、て。



95: ◆/BueNLs5lw 2015/10/07(水) 00:08:10.11 ID:hU7cCA0r0

二人でピラミッドの周りをぐるぐると回った。
どこから見ても似たような作りだった。
こんなものを作るために、奴隷達はうん十年以上重たい石を運ばされるのか。
ぞっとしない。

「満足したか?」

「うん」

機嫌のいい返事が返ってきた。
好奇心をくすぐられたのか、第一の大きなピラミッドを見に行きたいと駄々をこねられた。

「けどさ、カバーとかシートとかで見れないかもよ」

「それでも見たい」

「分かりましたよ、お嬢様」



96: ◆/BueNLs5lw 2015/10/07(水) 00:26:20.72 ID:hU7cCA0r0

観光客は気のいい人が多く、途中道がよく分からなくなったが、
きょろきょろしていると東洋系の男性が近寄ってきて地図を指して教えてくれたりした。
そして、きょろきょろしていたのは私たちだけではなかった。

「……」

瞼に涙を貯めるタンクがあるのか、
その少年は今にも泣きそうな顔をしていた。
どうした少年。
ケイトスは最初その子を無視したが、
やはり老婆と同じように腕を掴まれた。
絡まれやすい体質なのか。

「ラビット……」

今度は困った声を出した。
珍しい。
少年はそのうちに本当に泣き出してしまった。
ケイトスは子どもが苦手なのか、
おろおろとしていた。

「どーした?」

しゃがみ込んで、少年の目線の高さで話しかける。

「……ママとはぐれた」

鼻水を垂らしながら、彼の赤毛と同じくらい目を真っ赤にさせていた。




102: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 00:30:40.13 ID:UpbHAy9/0

「ママ……?」

私は呟きながら、周囲を見渡す。
こちらを訝しげに振り返る人間はいるものの、
近寄って来る気配はない。
少年の方を見て、笑いながら首を振る。

「うっ……」

「泣くな、男の子だろ」

そう一喝すると、少年はケイトスのひざにすり寄る。
ケイトスはカニのように横歩きして、少年を引きはがそうとしていたが、
少年も負けじとずるずると引きずられる。
どうしたものか。

「お前、名前はなんて言うんだ」

「イアン……」

少年は顔を膝にくっつけたまま言った。

「イアン・トフラー……」

「オーケー、イアン。どの辺まではママと一緒だったんだ」

「……分かんない」

「そうか……」

彼の首に何かかけてあるのを発見。

「それ、ちょっと」

「……?」

彼の首にはスタッフ証がかかっていた。
しかし、彼の顔写真ではない。
女性の写真だった。
この人が母親だろうか。
所属には、国立特殊人類学歴史学研究所調査団と書かれてある。
女性の名前は、

「アドリアナ・トフラー……」



103: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 00:54:33.61 ID:UpbHAy9/0

40代くらい。黒いスーツの上から、白衣を羽織っていた。
どことなく、見覚えのある雰囲気を感じた。
気のせいだろうか。
少年と同じく赤毛。天然パーマを無理やり引き伸ばしたようなストレートヘア。
ネームケースの裏をめくる。
走り書きで携帯の電話番号が書いてあった。
あいにく、携帯なんて持っていない。
地図を広げる。
電話のできるとことがある。
この遺跡の入口だ。
今から行けば1時間くらいかかるだろう。
私はケイトスに、戻って電話をしに行くか、
それともここでイアンの母を待つかどちらにするか尋ねた。

すると彼女はどちらにも首を振った。
そして、指を指す。
遺跡最南に位置するピラミッドの方角へ。

「行こう」

きっぱりと言い放った。
清々しいくらいだった。



104: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 01:17:15.34 ID:UpbHAy9/0

今さらだが、ケイトスは道徳的なネジが何本か欠落していた。
が、私もこのくそ暑い中、彼の子守をしつつ外に立ちっぱなしでいる気にもなれなかった。

「なあ、イアン。第一のピラミッドを一緒に見に行かないか? その間に、ママと出会えるかもしれないし」

ケイトスが若干嬉しそうにしていた。

「はぐれたら、動くなって言われた……」

「ここで一人で待つ?」

少年の頭の中で、天秤が揺れ動く。

「私たちはあんまりのんびりしてる余裕はないんだ。見たい遺跡を見たら、さっさと次の目的地へ行きたい」

少年はケイトスにしがみついたまま、顔をしぼませる。

「僕も行く」

そして、ケイトスの手を握った。
少し、震えているようだった。
それが、ケイトスにも分かったようだ。
観念したように、彼女はその手を握り返していた。



105: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 01:36:29.16 ID:UpbHAy9/0

はたから見ると、先行く二人はまるで姉弟のようだった。
私から見るとどちらも危なっかしい存在であるが。
イアンはケイトスの歩幅に追いつけず、終始小走りで移動していた。
声をかけようと思ったが、ケイトスが自分で気づいて、歩くスピードを緩めていた。

子どもといるだけで、こんなに情操教育になるのか。
納得。時折、ケイトスがこちらを振り返る。
この生き物をどうしたらいいのか、とでも言いたげだ。
困るケイトスが珍しかったので、私は特にアドバイスもせず見守っていた。

暫らく経って、イアンが小石に躓いてこけた。
ついでにケイトスも一緒にこけた。
イアンは足を少しひねったようだった。
ケイトスは、私の方に寄ってきて、

「ヘルプミー」

と言った。

「おぶってやんなよ」

「え」

え、じゃないよ。
ケイトスはしぶしぶと言ったように背中に乗せてやっていた。
施設の連中の一人が言っていたっけ。
人間の社会と言うのは、『思いやり』とか『愛』とかそういうもので結合されてるって。
確かに外の世界にはそれがあるような気がした。



106: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 01:47:13.38 ID:UpbHAy9/0

そういうエゴがあって、そのエゴを受け入れる存在があって、『優しい世界』が作られているのだろうか。
私にとっても、きっとケイトスにとってもこれから触れていかなくてはいけない世界。
長らく、殺伐とした環境にいたものだから忘れていたけれど、昔は、村の年下連中の世話をよく焼いていたのだ。
そう。
私は、お節介な少女だった。
そんなことを思い出しながら、目の前の二人に微笑んでいた。



108: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 11:35:09.02 ID:UpbHAy9/0

ピラミッドからピラミッドを繋ぐ砂利道の途中、1メートル程のコンクリートの円盤があった。
解説によると、他にも何か所かあり、今は全てコンクリートによって固めてあるということ。
地下道だったらしいが、10年前に1度発掘調査が行われた際、有毒ガスなどが発生していたため、人の出入りを禁止したようだ。

地下世界というと不気味な印象を受けるが、この古代文明においては死者が復活するとして崇高な場所となっている。
国の下へ沈んだ太陽が再び復活するように、地下世界は神羅万象の再生が行われると信じられていた。
そこから出土した物に多かったのが、ピューマや狼などの動物体や人の骸骨。そして、玉やナイフなどの黒曜石製品や耳飾り。
そういったものも発掘されたことから、身分の高い人物達の復活の儀式に使われたか、あるいは戦争中の捕虜等がそのための生贄とされたかというのが有力な説らしい。
この遺跡の調査が開始されてからまだ歴史は浅く、未だ謎も多いそうだ。
その謎の最もたるのがひげの王様。
彼は人間でもなく、その他哺乳類にも当てはまらない。
骨の成分率によって出身地を探るアイソトープ分析により、この地域の生まれであることだけが分かっている――。
だからこそ、人々は彼を恐れこの地の神のように祀り上げ、王に据えた――。

細かい字でびっしりと書かれた文字盤から目を離す。
ケイトスもイアンも物珍しそうに別々の方向へ首を伸ばしていた。

「イアンは、どうしてここへ?」

「ママのお仕事についてきたんだ。一人でお家にいると危ないからって……お兄ちゃんは」

「お姉ちゃんだバカやろう。ああ、名乗ってなかったが、私はラビット。こいつはケイトス」

イアンのほっぺたを引っ張る。

「ご、ごめんなさい、ラビット」

「ぷ」

吹き出すケイトスを尻目に、私は彼が言いかけていたことを促した。

「あの、ラビットは観光に来たの?」

私より先にケイトスが答えた。

「アネラのことを知りに来たの」

「おい、それじゃ意味が分からんだろ」

「アネラ? 天使の?」

イアンがキョトンとした顔で言った。



109: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 11:40:05.18 ID:UpbHAy9/0

食いついたのはもちろんケイトスだった。
背中からイアンを降ろし、彼の両肩を掴んだ。

「知ってるの?」

「う、う、うん」

揺さぶられて、まともに返事ができていない。

「教えて」

「え、あ……う」

「もっと優しく尋ねろよ」

ケイトスが揺さぶるのを止める。
作り笑いみたいな顔で、

「お・し・え・て」

「ひい」

「怖いわ」



111: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 12:05:16.26 ID:UpbHAy9/0

ケイトスがこちらを振り向く。
私は普通に聞けと指示を出す。
少女は手を話して、再度質問した。

「知らないの?」

私とケイトスは首を縦に振る。

「絵本に出てくる天使の名前だよ……いつも寝る前にママに読んでもらってたんだ」

「どんな絵本?」

ケイトス、顔、近いよ。

「昔の、お話で……題名は「海の天使」って絵本なんだけど。この辺りの大陸の海からは色々な怪物がせめてきてて、その怪物から人間や動植物を守るよう神様から遣わされたのがアネラなんだけど……悪い人や悪い子には悪い事をしたり教えたりするんだ。でも、良い人や良い子には良い事をしてくれるんだよ……」

「アネラは……」

ケイトスが呟いた。

「いないのか……」

「……いるよ」

イアンが言った。
ケイトスは顔を上げる。

「アネラはいつもそばにいて、そして、いつもぼくを見てくださっているんだ。悪い事をしていないかって。ちゃんと、みんなに優しくしているかって。ぼくはアネラをそばに感じる時があるもん」

少年は信じているようだった。
というより、そういう信仰に近いのか。

「でも今迷子だね」

「う……っ」

少年はまた顔をくしゃっと歪めた。

「でも、こんな美人に出会えたじゃないか。おまえは良い子にしてたってことさ」

彼の頭にぽんと手を置いて、くしゃくしゃと髪をかき混ぜるように撫でた。




112: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 12:18:52.06 ID:UpbHAy9/0

まあ、お兄ちゃんと言ったことは許せんが。
力を込めてやる。

「いた、いたたっ……」

「なんだか悪意がある」

「そーんなことはない」

ぱっと手を離した。
イアンは泡立ったクリームみたいな髪を手ぐしで整えていた。
そうこうして、じゃれつき合っているいる内に、ひげの王様の眠るピラミッドが見えてきた。
見えたは見えたのだが、その台形の建造物は歩けども歩けども近づいた気がしない。

「まだ?」

ケイトスが言った。

「見たら分かるだろ。まだだ」

「疲れた……」

少年がふらふらしていた。
おぶさるのを止めていたケイトスが、心配そうにしていた。
素直に、心配していることを伝えられないようだ。
仕方ないので、私がイアンに言うと、

「がんばる」

と、汗を腕で払いながらケイトスの手を握って再び歩きだした。
私の手を握らなかったのは、私が『お兄ちゃん』だと思ったからか。
というのを、後で気が付いた。



113: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 12:33:22.69 ID:UpbHAy9/0

漸くついた頃には、陽がピラミッドよりも下の位置に見えていた。
太陽が再び活力を取り戻すために地下世界に沈みゆく時間帯。神聖な瞬間が訪れようとしていた。
人はまばらだった。それもそのはずで、遺跡にはブルーシートや赤い網が張ってあった。
立ち入り禁止の板と、3人の警備員が常駐しているようだ。

その大きさと所々に見える石畳や石壁だけは圧巻であり壮麗だった。
一つの山だ。

「やっぱり登れないな」

そう言って、ケイトスを見やると、やはり残念そうにしていた。
ケイトスの背中をぽんと叩く。

「しょうがないさ。改修工事が済んだらまた一緒に来てやるよ」

「……ホント?」

「ああ。一緒に登ろう」

ケイトスがまるく笑った。
そんな顔もできるんだ。

「約束」

「いいよ」

「ふふ……」

嬉しそうにしているケイトスを見て、
私は、またこいつと一緒にこの遺跡を見に来れたらと思っていた。
ここ数日で変わったのは、私もか。



114: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 12:51:01.79 ID:UpbHAy9/0

嫌な音がした。

「……?」

聞きなれた音に似ている。

「ラビット怖い顔してる」

「しっ」

ケイトスの口に指を当てる。
かなり離れた所。
銃声に近い。
だが、音が低すぎる。
違うのか。
この予感は、だいたいそういった状況を招くような位置にいたり、
時間帯であったり、状態であると感じることが多い。
逃走本能だろうか。

サバンナの草食動物のように、
私は視線だけをきょろきょろと動かした。
草むらに何かが倒れるような音がした。
耳の奥が疼いた。
今のは。
また、何かが倒れた。
茂みになっているのは、ピラミッドを挟み自分たちとは反対側の方だ。
今度は女性の悲鳴が聞こえた。
一気に近づいた。
確信した。
襲撃されている。
誰に?

欠伸をしている警備員は、全く気が付いている様子がない。

「おい、あんた……」

彼の額から血飛沫が上がった。
そして、そのまま悲鳴すらあげずに前のめりに倒れこんだ。



115: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 13:03:39.40 ID:UpbHAy9/0

瞬間、私はケイトスとイアンの背中を押してしゃがませた。
わけが分からない様子の二人に、現状を説明している暇はなかった。
低音の女性の声。
否、歌。
その歌が、耳の中をかき混ぜた。

「ッア……?!」

「ラビット……?」

脳みそが溶けてしまうような、強烈な音だ。

「……イアン?」

かろうじて目を開けると、イアンが一人立ちあがってふらふらと大通りへ向かっていた。

「とめ……」

最後まで言えずに、私は崩れ落ちた。
ケイトスは私の意図を理解したのか、
イアンの方へ走り寄った。

「がっ……あ」

だが、ケイトスの行く手を阻むように、

「……っ」

弾痕が地面をえぐっていき、
そして、
イアンの体中に無数の銃弾を貫通させていった。



116: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 13:14:47.89 ID:UpbHAy9/0

イアンは糸の切れたマリオネットのように、地に突っ伏した。
すぐにケイトスが近寄って抱き寄せた。

「はなれ……ろ」

四つん這いでなんとかケイトスの傍ににじり寄る。
どこから撃ってきたのか分からない。
何の目的なのか分からない。
ここにいても死ぬだけだ。
いや、もはやそうなってしまう可能性の方が高い。
それでも、ケイトスだけは守らなくてはいけないような気がした。
そうじゃなければ、人生の無意味さを呪いながら死ぬだけだと思った。

ケイトスの腕に触れた。

「っ……?!」

電気が走ったかと思うような鳥肌が立った。
肉食動物に捕捉された感覚に近い。
何十本ものひげが彼女のうなじの辺りを突き破って飛び出ていた。
銃器の発射音。
ひげが宙を舞った。



117: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 13:27:26.66 ID:UpbHAy9/0

彼女はイアンを地面にそっと置く。
立ち上がって、数本のひげをピラミッドに向かって鞭を打つようにしならせた。
直線状に伸びたそれは、ブルーシートを突き破って、何かに突き刺さった。
飛び出てきたひげには、真っ赤な液体が付着していた。それが地面にぽとぽとと赤い染みを作った。
それを振り払って、
咆哮。
少女の顔はいつかの獣のそれだった。
鋭い白亜の牙が徐々に伸びていく。
前と違うのは、体だ。
手足がおかしい。
何か盛り上がってきている。
他のひげがミサイルのように一斉に遺跡に向かっていった。
そして、いくつもの悲鳴が上がる。
ピラミッドの下段辺りで、爆発が起こった。
瓦礫ががらがらと転がっていく。
そこからひびが一本頂上へと伸びた。

「ケイトス……まずい。遺跡が……」

聞こえていないようだ。
私はケイトスを止めるのを諦め、
イアンをかき抱く。
ネームカードに小さい穴が3つ空いていた。
服も蜂の巣のようになっていて、
そこから体液が染み出ていた。
心臓は、もう停まっていた。



118: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 13:47:52.71 ID:UpbHAy9/0

だが、これは一体――。

「ケイトス……」

ケイトスはもはや私の知る姿をしていなかった。
頭部と四肢は猪のような犬。胴体はオットセイのようにずんぐりとしており薄い体毛に覆われていた。
クジラのような大きなひれが腹から出ていた。

「待ってくれ!」

遺跡から転がり降りるようにして、視界に飛び出てきたのは、原住民のような服装をした男だった。
顔に、青や赤などの絵具か何かでペイントしてある。
両手を挙げて、武器を地に置いた。
ケイトスがそれを無視して狙っているのが分かった。

「ひいっ」

私の方を見て、助けを請うていた。

「ケイトス」

私はケイトスを呼んだ。
返事をしなかった。

「ケイトス……!」

怒鳴った。
聞こえているのか、
動きを止めた。

「ダメだ……」

ケイトスはひげを地面に突き刺した。
そして、しゃがみ込んで、私の胸に鼻先をつけ、顔を埋めた。
くうんくうん、と鼻を鳴らし、その身に悲愴をまとっていた。



119: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 14:11:23.69 ID:UpbHAy9/0

イアンの遺体に手じかにあったシートをかけ、
私と完全に変態したままのケイトスは、
男を縄で縛り、彼を詰問した。
名を、ペドロと言った。
彼は、彼らは国の認めた保留地を持てなかった先住民族の集まり。
政府にジェノサイドを受けた民族の生き残りだと。
ペドロは、自分は平和運動のための革命家だと言った。

「君たちは……」

尋ねられたが教える気にもなれず、
彼を縛ったまま、遺跡の茂みの中にしゃがみ込んだ。
いずれ、騒ぎに気づいた他の警備員がやってくるだろう。
先ほどから殺気立っているケイトスをなだめてはいるが、
こちらに敵意を向けた相手を殺しかねない。

「あんたらさ、どこから来たの」

そう。
爆発物までどうやってこの遺跡に持ち込んだのだ。

「……」

ペドロは喋らない。
ケイトスのひげがひゅんと鳴った。
彼はびくりとした。
そして、意を決したのか口を開く。

「僕は、姉さんのためにも、ここで死ぬわけにはいかない。だから、仕方ないが、教える。地下、地下から来た」



121: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 18:39:44.98 ID:UpbHAy9/0

「地下? それって、あのコンクリートの円盤で塞がれてる所?」

ペドロは無言で頷いた。
どういうことだ。
有毒ガスが充満していると言うのは嘘なのか。

「僕らの襲撃はこれで二度目だ。一度目の襲撃の後にあの穴は塞がれたよ。ケチ臭くコンクリートなんかで埋め立てた所で、というだけさ」

彼は茂みの奥を指さした。
この向こうに、貫通させた所があると言うことか。

「ケイトス、人間に戻れない?」

獣は首を振った。
ケイトスは人目につかないように、
どこか安全な場所に連れて行く必要があった。
彼らがなぜ襲撃したのかは後で聞くとして、
まずはここを脱出しなくてはならない。
ケイトスが前足で、耳の横をひっかいている。
オレンジの刺繍糸でできた花のヘアピンが、ふさふさと伸びた毛に引っかかっている。
私はそれを外してやり、自分のジーンズのポケットに入れた。

「ペドロ、案内して。でも、変な気は起こすな。これは、あんたのために言ってるんだ。相棒は、私じゃ制御できない」

ケイトスが小さく唸る。
彼は両手を上げて、後ずさった。

「一つだけ、教えてくれ」

ペドロが言った。

「『MP』を知っているか?」

「なんだ、それ」

彼がじっとこちらを凝視してくる。

「知らないのか、なら安心だ」

「?」






122: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 19:05:21.07 ID:UpbHAy9/0

興奮状態だったケイトスを暗く小さな穴に入れるのは一苦労だった。
それでもなんとか、粘り強く声をかけ名前を呼び続けた。
ライトの光を怖がるような憶病な所もあり、ほとんど野生の獣のようだった。
それでも、私のことは分かるのか、共に地下道を進んでいる。

「こっちだ」

地上とはうって変わり、ヒヤリとした。
湿っぽく、かび臭い。死臭のようだとも思った。そんな錯覚を起こす。
踏み抜いた地面は柔らかく、
壁は今にも崩れてしまいそうな粘土質でできていた。
ペドロは普通の人間にしては異常に足が速く、また、ケイトスも四足歩行で走っていたため、
徐々に遅れる私を振り返り、ケイトスが背中に乗るように合図していた。
私はケイトスにまたがって、彼女の背中にしがみついた。
身体がだるい。
背に乗り、自分の身体が最低最悪の不調なのだと理解した。
ペドロが速かったわけではなく、自分の足が重たかっただけだ。

歌が聞こえた。
ペドロから聞こえる。
あの、女の歌だ。

「っ……ア」

ケイトスが唸りを上げる。

「な、なんだ」

「そ、その歌を止めて……」

「歌?」

「……っツ」

「僕は何もしていない」

ケイトスは彼の身体に鼻先を押し当てて、
クンクンと臭いをかいでいる。

「なにも、ない!」

彼が叫んだ。
それすらも頭蓋骨を割りそうな程響いた。
耳の奥から溶けた脳が垂れてきたような気がした。
そこで、私の意識はばったりと途絶えたのだった。



123: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 19:15:23.10 ID:UpbHAy9/0

目が覚めた時、右腕の感覚がほとんどない上に、動かなくてびっくりした。
切られてしまったのか。
恐ろしい事が脳裏をよぎった。
おろるおそる確認する。

「ケイトス……」

獣と化したケイトスが、顎を乗せていた。
彼女の耳がピクピクと動く。
大きな瞳が開かれる。
長い舌で、私の顔をひと舐めした。
良かった、無事だったか。
胸ポケットが軽い。
拳銃を抜き取られている。
ジーンズのポケットに入っていたナイフもなくなっていた。
髪留めは無事だったので、ほっと胸をなで下ろす。

「ここは……」

こじんまりとした寝室。
化粧棚がある。
女性客用か。
打ち鳴らした鐘のような頭を抑えて、靴を履く。
身体の平衡感覚が鈍くなってしまったのか、真っ直ぐに歩けない。
ケイトスが支えるように寄り添ってくる。
身体にすり寄って、気遣ってくれている。
まるで、ケイトスではないみたいだった。
けれど、もしかしたら彼女の本心が現れているのか。
素直ではない、彼女の。



124: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 19:35:43.33 ID:UpbHAy9/0

どうも歩けない。
観念して、ベッドの縁に腰かける。
ケイトスがドアの方へ向かう。
扉を前足でひっかいた。
それは合図だったようで、
部屋の外にいた人物が入ってきた。
40代くらいの女性。
彼女も顔にペイントこそ施してなかったが、
先住民族が着るような装束をまとっていた。その上から、薄肌色の生地のマントを被り、赤い帯を腰に巻いていた。
白髪が少し混じった髪を、後ろで団子のようにして束ねている。

「……誰」

「ごほん」

彼女の後ろに控えていた、同じような出で立ちの人間が咳払いをした。

「姉のメンチャだ」

メンチャは穏やかな表情だった。

「メンチャ、付き添いの獣は危険だから、あんまり近づかないで」

メンチャは一度頷き、
腰を深く折って、
顔を上げた。
そして、しゃがみ込んで、
額を床にこすりつけた。
私は面食らった。
一番動揺しているのはケイトスだ。
メンチャはケイトスに向かって、それをやってのけた。

「メンチャ、ぼくは外にいるから何かあったら言ってくれ」

そこでメンチャは漸く言葉を発した。

「分かりました」

その声は聞き覚えがあった。
しかし、今度は脳を震わすことはなかった。




125: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 19:53:02.71 ID:UpbHAy9/0

「歌の人……」

「歌を聞いたのですね」

頭を上げて、今度は私の方を見やる。
私はなぜか素直に頷いて、ゆっくりと質問していた。

「なんですか……その歌は」

「正確には歌ではなく思念のようなものです。古代から我が一族に受け継がれてきた神のご加護と申しましょうか」

メンチャは、それは自分の声であって自分の声ではなく、媒介としているだけだと言った。
そして、少したれ気味の目を薄めた。
目の横の皺が細くなる。
どこか懐かしい顔つきだった。
そうだ。
おんばの表情に似ているのだ。
自分をそのままに受け入れてくれる。
宇宙のような、おんばの顔に似ている。
なぜか、涙が出そうになった。
手の甲ですぐに隠す。
なのに、すぐに涙が溢れてきてしまう。

「辛い事があったのですね。落ち着くまで、ここにいてもよいのですよ」

メンチャは私の手をとり、強く握りしめた。
老婆という程年を食っているわけでもないのに、
彼女の手は乾燥してガサガサとしていた。
しかし、暖かい。
それが、心地よいと感じるくらいに。
暖かかった。



126: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 20:12:25.27 ID:UpbHAy9/0

「食事をお持ちしますね」

そう言って、彼女はまた去っていく。

「……はっ」

ケイトスがこちらを見ている。

「な、なんだよ。見るな、バカ」

別にほだされてない。
メンチャがその後食事を持ってきてくれた。
ケイトスはやや警戒したが、毒が入っていないことが分かると全てぺろりと平らげてしまった。
食べ終わると、少し説明を受けた。

簡単に言うと、彼らは反政府団体。
ペドロは平和運動の革命家だと言っていたっけ。
しかし、話を聞く限り、そして実際の現場を見た限り、民族解放軍として、各地で武装蜂起しているテロリストだと言うことが分かった。

「否定も肯定もあるでしょうが、全ては神の導きのままにあります」

彼女の話には、私たちのいた施設の話も出てきた。
あの施設は各所にあり、政治活動に欠かせない要所だった。
そして、あの施設に子どもを放り込んでいる大本が『南部人的資源公社―Man Power―』。
通称『MP』と言われる準公的組織。
政府は、自分たちの国民として認めなかった先住民族の能力を利用して、
彼らを国有化してしまうルールを作り、その供給から使用、廃棄までの全てを『MP』に一任していた。
先住民はより野生動物に近い遺伝子を持ち、
かけ合せも、普通の人間に比べて失敗が少ない。
確か、前にサンディも同じようなことを言っていた。



127: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 20:31:33.66 ID:UpbHAy9/0

出生前から10代の子ども達が主にターゲットになる。
捕まったら最後で、人間に戻ることはできない。
メンチャには妹と弟があと3人いて、
一番下の弟は、彼らに捕まってから一度も会ったことはないそうだ。

「……」

ふと、鼻に鉄さびの臭いが蘇る。
喋る事もできない、人間の成れの果てのような子どもの映像がフラッシュバックした。
胃の方から、食道を通り、先ほど食べたものを吐き出しそうになった。
今さらだ。
今さら。
手が震えた。
廃棄予定の子ども達が、
怨霊のように、私の周りをぐるぐると回っているような。

「どうしましたか?」

「いや……」

ケイトスが私の指先を舐めた。

「ここは、神のご加護が強い場所です。あまり、負の感情で心を満たさないようにしてください」

怒り狂ったメンチャとペドロの両親も同じように武装蜂起したが、
摑まって留置所に拘束されているらしい。
そして、その両親を助けるためにも、
捕まり続ける仲間を解放し、
これ以上犠牲を増やさないためにも、
彼らは戦い続けると言うのだ。

「けれど、私の妹達は違いました……」

メンチャは心を乱さないようにするためか、
息を大きく吐き出しながら、言った。

「私には、ハイジと、アドリアナという二人の妹がいるのです。二人とも、優れた知恵と能力を持っていました。一人は医学の道に、一人は考古学の道に進みました……そして、どちらも政府側の人間になってしまいました」




128: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 20:38:02.19 ID:UpbHAy9/0

そして、続ける。

「特に、アドリアナは……自分の子どもを目の前で廃棄されたのにも関わらず……いえ、多くを語り過ぎましたね」

「ううん。聞かなくても良かったことなんて、なかった……ありがとう」

身体の震えが止まらない。
寒かった。
ケイトスを抱きしめた。
これが、普通の感覚なのだ。
足りなかったものが、
遅れながら私を満たしているだけだ。
これに耐え切れないような強さもないなら、
私はこれからケイトスと共に行くことさえできない。

「少し、ケイトスと二人にさせて」

メンチャは静かに頷いて、
部屋を出て行った。



129: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 20:46:42.16 ID:UpbHAy9/0

目を閉じると、アネラのことを教えてくれたイアンの顔が瞼の裏に浮かび上がった。
それは、すぐに額から血を流した。
妄執が増幅する。
急いで目を開ける。
ケイトスがいる。
でも、ケイトスじゃない。
怪物だ。
私自身も、化物だ。
イアンはアドリアナの子どもではなかったのか。
また、生んだのか。
知ったことか。
どうしてそんなことまで考えなくてはいけない。
子どもを失う人間の気持ちが、
私に分かるはずもないのに。
脳みそを潰して、
四肢を引きちぎって、
この身を断罪につかえたのなら、
どんなに楽か。

「ケイトス……何か、喋ってくれ」

彼女の耳元で、
私はぼそりと呟いた。

「ケイトス……」

頭がおかしくなりそうだ。
寂しさが押し寄せてきた。
帰りたい。
どこへ。
私の友は、目の前にいるじゃないか。
どこへ行こうと言うんだ。



130: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 20:53:45.16 ID:UpbHAy9/0

私を許してくれる人間の所へか。
それこそ、死んだ奴らは報われないぞ。
何のために殺されたのか、ってね。
ほんと、何のために、
ゴミみたいな扱いを受けたんだ。
狂ってる。
やはり、あの施設を出るんじゃなかった。
戻らなくてはいけないんだ。
外にいたってろくなことはない。
寂しい。

「……」

立ちあがった。
ドアを見た。
呼吸音。
見張りがいる。
窓を見た。
あそこから、飛び降りよう。
大丈夫。
私は頑丈だ。
ちょっとやそっとじゃ、
死なない。

窓枠に手と足をかけた。
5階か。
まあ、大丈夫。
なんとなく振り返る。
ケイトスが見ていた。

「やっぱり、あの施設に帰るよ。故郷に帰ったって、きっとろくなことないし、怖いしさ」

ケイトスは私に近寄り、窓枠の下に座った。

「なんだ、一緒に帰るか」

すると、彼女は口を大きく開いて、
私の手をがぶりと噛んだ。

「…………いっだあああアアア!?」




131: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 21:12:16.98 ID:UpbHAy9/0

ケイトスを思い切り蹴り飛ばす。

「なにすんだ、バカ!」

腹に入った。
がはがはと、唾液をまき散らす。
彼女はただ睨んでいた。

「わかんないって、何が言いたいんだ……」

唸りながら、
私の周りをぐるぐると回る。

「は、なんだ、やるか。本性を現したな」

私は拳を握る。
ケイトスが覆いかぶさってきた。

「こんのっ」

右肘を彼女の頭蓋に向けて放つ。
きゃいん、と悲鳴を挙げた。

「なんだ、犬かよ」

私は近くにあった、羽ペンを右手で掴んだ。

「武器なんてなんでもいいんだよ。ほら、ひげでもなんでも出して来いって」

進むも戻るも立ち止まることも地獄なら、
どこでくたばったって一緒な気がした。

ケイトスが吠える。

「……一人は嫌なんだ。一人じゃ何もできないんだよ、ケイトス。あんたのことを戻してもらうにも、やっぱり一度施設に戻らなきゃいけないんだ。ケイトスと話せないのが辛いんだ。寂しいんだ……」

羽ペンをへし折って、
両手に鋭利な武器を携えて、

「でも、ケイトスは故郷を探すんだろ。だから、あんたはついて来なくていいから……帰って戻る見込みがあるか分かんないしさ」

ケイトスはひげを出現させた。
歯をぎりぎりと鳴らす。

「……怒った?」

私はふっと笑う。

ケイトスは口を大きく開いた。
ひげが矢のようにこちらに伸びてきて、
私はその速さに追いつけず、
両手足を緊縛され、
ベッドの上に転がされた。
その上に、彼女はまたがった。

食べられる、と思った。
だって、私の肉は美味しいから。
もともと、囮だった。
囮肉だった。
私と、ケイトスの関係は、
そんなものだった。



132: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 21:21:20.98 ID:UpbHAy9/0

ケイトスの鼻先が近づいてきた。
私は目をつぶって、
最後だと思って、
笑った。

「……っん?」

ケイトスの口が私の唇に当たっている。
大きな舌が、進入してきた。
異物感に、諦めていた脳が抵抗を思い出す。

なんだ。
何をしているんだ。
唾液がからまって、
生暖かいものが、
口の端を流れていった。
ケイトスが喉を鳴らし、何か、飲み込んだ。

そして、
身体をのけ反らせ、
苦しむように、
喉を押しつぶされているような声を発した。

「ケ、ケイトス……?」

ひげが彼女のうなじに収束していく。
私はさなぎが蝶になるのではなく、
蝶がさなぎから芋虫になるような過程を見ていた。
なんともえぐい。
ベッドの上は、体液でべちょべちょになっていた。
だんだんとヒトの皮膚が覗いて、
そして、
ついに、
獣は、16歳の少女に戻っていた。








133: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 21:31:45.56 ID:UpbHAy9/0

まるで、生まれたばかりのようなケイトスの姿がそこにはあった。
神聖な瞬間を目の当たりにしたような、
そんな高揚感さえあった。

「ケイトス!」

ケイトスを抱きしめようとしたら、
頬っぺたを思い切り叩かれた。

「あぐっ……」

目が覚めた気がする。

「ラビット、さっきから何言ってるのかわからない。人間の言葉を喋ってるのにわからなかった。なら、言葉なんて意味ないよね」

ケイトスは、早口で言った。

「良かった! 戻った!」

嬉しくて、また抱き着こうとしたら、

「聞いて」

今度は反対の頬っぺたを叩かれた。

「あいたっ……」

「でも、私も、ラビットと話せないのはいや」

ゆっくりと、私に腕を回す。

「ラビットの故郷も見たいし、遺跡ももう一回行きたい」

「ケイトス……」

私も彼女の身体を抱きしめた。



134: ◆/BueNLs5lw 2015/10/08(木) 21:54:09.43 ID:UpbHAy9/0

抱きしめて、彼女の感触を確かめた。
彼女が私を必要としているのが分かった。
軽くなっていく思考。
心。
過去の記憶。
誰かが、運んでくる。
両親が作ってくれたバースデーケーキ。
ぽっとロウソクを灯した。
おんじとおんばに手を引かれ、
洋服を街まで買いに行った。
私が、まだ、
ラビットではなく、
一つの生命として名づけられた名前があった頃。

『―――』

私の、寂しさを、受け止めていたもの。
もう、関係のない存在だと諦めていたもの。
切り捨てることのできなかったもの。

そもそも、私は、人間だ。
そして、ケイトスも、人間だ。
だから一緒にいたいと、思えるのだ。

『ラビット』と、『ケイトス』。
二つの生命を必要としあう、互いの存在によって。
そうか、故郷なんてどこでも一緒なのかもしれない。

「ケイトス……」

「なに?」

私はポケットに手を突っ込む。

「私さ、あんたが思う以上にかなり、寂しがりやなんだけど」

「ふうん」

ふうん、て。

「も少し一緒にいてくれないと、死んじゃうかもしんない」

オレンジの刺繍糸で作られた花のヘアピンを、
ケイトスの耳の上につけてやった。

「困る」

ケイトスはそう言って、
頬に軽くキスをして、
私の首に腕を絡ませた。



137: ◆/BueNLs5lw 2015/10/09(金) 23:11:35.35 ID:WZsqSUJC0

暫らくして、誰かが部屋をノックした。
入ってきたのはペドロだった。

「物騒な物音がしたと報告を受けたのだが……っ」

ペドロはすぐに後ろを向いた。

「ふ、服を着ろ! 破廉恥極まりない!」

陶器のような肌を恥ずかしげもなくさらしたケイトスに、
ペドロの声が上ずっていた。
一見30代くらいに見えたが、もっと若いのだろうか。

「悪いんだけど、服がない」

「うん」

そう言うと、ペドロは姉のおさがりだと言って、
白地に青い小さい花がいくつも印刷されたブロードクロースのカジュアルなドレスを持ってきた。
背丈がちょうどケイトスにぴったりだった。

「姉のハイジのものだ」

扉の向こうから、ペドロが言った。
ケイトスは鼻を引くつかせる。
獣の習性が抜けていないのか。

「これ……お母さんの臭いがする」

私はそれで確信した。

「……やっぱり、ハイジって、ドクトレス・ハイジのことだったのか」

ケイトスが服を抱きしめて、顔を埋めていた。

「懐かしい」

「まあ、とにかくケイトスは服を着ろ」

袖を通すと、見事にぴったりだった。

「やはり、君たちはハイジ姉さんの施設の子ども達だったんだな……姉さんは、レベル3を成功させていたのか……」




138: ◆/BueNLs5lw 2015/10/09(金) 23:34:35.15 ID:WZsqSUJC0

「私たちのこと知ってたんだ」

「ああ」

扉の向こうで憎々しげに呟くペドロ。

「可哀相に……」

可哀相?
確かにな。
人が見ればそうかもしれない。
けど、それを人に決められたくはないんだよ。
今、友情を確かめ合った所でね。
生憎、可哀相なんてこと、ないのさ。

「でも、ケイトスにとって、ハイジは生みの親で育ての親だ」

「……ハイジ姉さんが親? それは何か勘違いしているな。……アドリアナ姉さんと言い……どうして最後まで面倒も見れないのに……」

「あのさ、あんた達が遺跡で殺した少年……あいつはアドリアナの息子だろ?」

「イアンのことか」

「そうだ。分かっていたなら、どうして、殺した?」

「イアンは人間ではない。君たちと同じように、何らかの改良が加えられている。そして、彼の父親は『MP』の幹部だ。放っておくことはできない」

「その理屈だと、私たちも殺さないとな」

薄ら笑いを浮かべて、私は言った。



139: ◆/BueNLs5lw 2015/10/09(金) 23:51:22.00 ID:WZsqSUJC0

「メンチャ姉さんの指示があれば」

ペドロは笑ってはいない。
よっぽど狂って見える。

「メンチャは私たちをどうするつもりだ」

「恐らく、僕らの仲間になってほしいのだろうね。特に、レベル3になった者の力と言うのは計り知れない」

その言い方だと、ウサギはいらないみたいだな。



144: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 15:52:28.12 ID:5+2Z8Ano0

「・・・・・・じゃあ、もし協力を要請されたとして、それを拒否して故郷に帰りたいと言ったら?」

ペドロが私を見やる。

「どこに? まさか、施設にか?」

「まさか。私は辺境の村の出身だ。小さいときに、マフィアの抗争に巻き込まれてもう誰も住んでいないと思うけど」

「抗争? ・・・・・・何年前だそれは?」

「もう、10年くらい前になるな」

「そうか・・・・・・」

「?」

ペドロは後頭部を無造作に引っかいた。

「久しぶりに外に出たからね、家族に花の一つでも手向けてあげたいんだけど」

同情を誘うような声を出して、
私は自嘲気味に笑った。



145: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 16:22:53.24 ID:5+2Z8Ano0

「その村の名前は?」

ペドロが聞く。

「ダラムスだ。知ってるのか? ニュースに流れてた?」

「その村、『MP』の下部組織がよく出入りしていたと聞いたことがある。政府に認められてから、彼らは始めのうち西と南を自由に出入りできる権限を得た。麻薬や武器の密輸、売春・・・・・・そういった裏の仕事もやりやすくなってしまって、当時はそういった事件が多発したんだ。民衆が怒って、今は、その権限を見直して、自由に出入りできないけれどね・・・・・・。君は、きっとそれに巻き込まれてしまったんだ」

「たまったもんじゃないな」

はき捨てるように、私は言った。

「ああ。だからこそ、あの腐った豚のような政府に神の捌きを受けさせなきゃならない」

「政府が腐っているのは理解できたけどさ、無差別に人を殺しているあんたらは彼らと何が違う?」

「何もかもさ」

「遺跡の周りにいた観光客や、雇われの警備員たちが、いったいお前らに何をしたって言うんだ」

らしくない。
何を私は憤っているんだ。






148: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 22:17:29.76 ID:kJmJ1G140

「彼らが何をしたかだって? 何もしてないさ。それが彼らの罪だ。泣き叫びながら家族と離ればなれにされる少女を見て、彼らは見て見ぬふりをする。政府に蹂躙されている人々について、どこか遠い世界の話だと思っているのさ。それが、例え昨日まで隣で住んでいた人間だろうとね」

彼は一息吸った。

「そうして、あたかも自分の国で起こっていることではないかのように、日常を享受している。彼らの怠慢が、今の結果なんだ。いつか気づくだろう。彼らが見捨てたのは、自らの神だったと。神は自らを助け尊ぶ者に救いの手を差し伸べるが、決してその逆の行為を許さない」

「残りは殺すってか」

「裁きを受ける。それだけだ」

「何も、殺さなくたって……」

「このまま、黙って同族を殺されるのを指を咥えて見ていろと? 罪深い選択だ。君は、自分の村に降りかかった火の粉を忘れてはいないんだろ?」

「忘れたことはないよ……。ただ、私は……」

自分が汚れるのは別にかまわなかった。
だけど、ケイトスが変わっていくのを見るのは嫌だった。
いつか、私すら忘れて、本当の化物になってしまったら。
彼女はそんなこと気にしないかもしれないけれど。
彼女に、見せてあげたいと思った。
私の感じた故郷を。
私が、見せてあげたいと思ったのだ。

「日常を取り戻したい。あんた達が許せないって言う日常をね」

ペドロは眉間を手の甲で押すような仕草をした。

「君には、まだ分からないようだな」

彼は首を振った。




149: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 22:27:34.35 ID:kJmJ1G140

「大局的な見地を持てば、そうも言ってられない。だが、それを君に、君たちに今すぐ理解してもらおうとも思ってはいない」

彼は、私とペドロを交互に一瞥して、部屋を出ていった。
部屋の前にまた見張りを立てたらしい。
軽く軟禁されているということか。

「ケイトス、ごめんよく分からんかったよな」

「私は、ラビットと一緒がいいよ」

面と向かって言われ、
私は気恥ずかしくて少し顔を背けた。

「どうしたの」

「う、ううん」

「ねえ」

「なんだ」

「ラビットの故郷に連れて行ってくれるんだよね」

「ああ」

「行かないの?」

ケイトスは、不思議そうに首を傾げた。
それを見て、私は呆気にとられて言葉に詰まった。
数秒して、顔が緩んで、

「はははっ……あはははっ……あっはっは!」

笑ったら、至極すっきりした。





150: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 22:43:56.18 ID:kJmJ1G140

「連れて行くさ。一緒に行こう、ケイトス」

彼女の両肩に手を置いて、にやりと笑った。
出会った時からそうだったが、
彼女は行くと決めたら、行く人間だった。
周りのことなんて関係ない。
一人でも行く。
でも、今はちょっと違う。
一人ではない。
ううん。
最初から、私は彼女に惹かれていた。
だから、私が勝手に追いかけていってるんだ。

「ラビット?」

「あのさ、ケイトス。私、あんたのことけっこう好きになったみたい」

「そうなの」

「うん」

ケイトスは考えるようにして、目線を斜め上にした。
実際は、何も考えてなさそうだったが。

「じゃあ、私は、出会った時から好き」

「じゃあってなにさ」

「私の方が早い」

なんのこっちゃい。







151: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 22:57:02.63 ID:kJmJ1G140

「どっちが早くてもいいさ。たぶん、私の方が好きだから」

ケイトスが、私の体にふわりともたれかかる。

「どうした?」

「なんとなく」

少女は頭を振る。

「笑ってる?」

「笑ってないよ」

「うそだ。笑ってる」

彼女の顔を覗き込む。
口元が歪んでいるというか。
笑ってると言っていいか疑問もあったが。
目線が合うと、瞼をぱちぱちと開閉させていた。
なんだろう。
ふっと脳裏で答えが見つかる。

「まさか、照れてる?」

「違う」

「そう」

彼女の目線と同じ高さまでしゃがむ。

「照れてるなら、ちょっと嬉しかったんだけど」

「……照れてないよ」

なんで、こっちを向いてくれないんだ。



152: ◆/BueNLs5lw 2015/10/11(日) 23:07:59.01 ID:kJmJ1G140

少し、気まずい感じになってしまったので、それ以上深堀りするのを諦めた。

「よし、となると。まずは……」

体を反転させて、
後ろの窓を見やる。

「行くか」

ケイトスが私の言葉を復唱する。

「行くか」

彼女の体を持ち上げて、
窓枠に足をかけた。

「忘れ物は?」

「ない」

「髪留めは?」

「ある」

「よーし、せーの……!」

考えるのは苦手だ。
何かを成し遂げようとか、
そういう大それた事は周りの連中に任せておこう。
神様がもしいるなら、
言っとく。
復讐したり、祈ったりする暇があったら、
やりたいことをやらせてもらうよ。

きな臭い町々が私とケイトスの眼前に広がった。
空だけは広く青く、
それだけは確かに、
私のふるさとへと続いていたのだった。



159: ◆/BueNLs5lw 2015/10/12(月) 22:58:32.98 ID:E+BzRnWe0

――――


私と彼女は、南部にある政府専用の病院に来ていた。
その病院の南棟は、隔離病棟になっている。

無菌室。
あるいは、『第二特殊計測者用無菌室』。
私達はその部屋の前に立ち止まった。
ナースがその部屋に住む患者のバイタルチェックと、計器類の動作確認に来ていた。
私は彼女に一礼して、部屋の前の通路にあるベンチに座った。

「あ、座ってください」

そして、隣にいた女性にも声をかけた。

「いいえ、遠慮するわ。ご丁寧にありがとう」

自分の髪よりも、白に近い金髪。年齢は20代後半くらいだった気がする。
歳を推察するのは、年上の女性に対して失礼だろうか。
ただ、私が会った時から、彼女の風貌が変わってなかったので、
そんな疑問を持ってしまうのも仕方がないとは思った。

「サンディ、お父さんの調子はどう?」

白衣を翻して、
彼女は私を呼んだ。

「ごめんなさい。今は、サンディではなかったわね」

「つい、最近まではサンディでしたから。構いませんよ」

「いえ、言い直すわ。ピトン、お父さんの調子は?」

「ハイジは真面目ですね。……相変わらず寝るのが好きみたいですよ」

ピトン。
それが、次の私の名前だった。




160: ◆/BueNLs5lw 2015/10/12(月) 23:24:25.77 ID:E+BzRnWe0

蛇が脱皮するように、私は落屑(らくせつ)と言う現象を人為的に起こすことができる。
落屑とは 表皮角質層の上層部が大小の薄い断片となってはがれ落ちる現象のことを言う。
それによって、私の肌はより白く、真新しいものへと変わる。
そのため、顔形も多少変わる。
一度くらいしか会ってない人間なら、髪の色でも染めてしまえばもう同一人物とは思わないだろう。
今は、ライトブラウンに染めてある。

「ピトン」

「はい」

彼女は軍事関係者の噂では、子ども嫌いとか、マッドサイエンティストとか呼ばれているらしい。

「あなた、歳はもういくつになるのだっけ」

「嫌ですね。忘れたんですか」

「だって、あなたの演技とても上手だもの」

「そうですか」

「ええ」

「……もうすぐ20ですよ。年齢的には」

「あら、そう。すごい」

「あなたには言われたくありません」



161: ◆/BueNLs5lw 2015/10/12(月) 23:37:38.15 ID:E+BzRnWe0

不敵な笑みをたたえ、ハイジは白衣の右ポケットに手を忍ばせた。

「今日は、プレゼントがあってきたの」

出してきたのは、

「ちょ、ちょっとなんですかそれっ」

「ごめんなさい、間違えたわ」

どうして、私の入浴中の写真と間違えるんですか。

「ふざけないでください……あと、捨ててください」

彼女は、無視して私の写真をしまった。
彼女は、小さな女の子が好きだった。
変な噂が流れているらしいが、
それは、ただのカモフラージュなのだと、
私が知る事になったのは、
出会ってから数年経ってからだった。



162: ◆/BueNLs5lw 2015/10/12(月) 23:47:53.87 ID:E+BzRnWe0

彼女が手に持っていたのは、鍵だった。

「鍵ですか?」

「この病院の貸しロッカーの鍵よ」

305と書かれている。
彼女はそれを、私の手に握らせた。

「ロッカーの中に、プレゼントが入ってるから。家に帰ってから開けなさい」

「……」

「その目は何」

「不審な気配しかしませんが」

「どうして」

「野生の感です」

「なら、鍵はいらないの?」

分かっていて、聞いているのだろう。

「……頂きますけど」

「最初から、そう言えばいいのに」



163: ◆/BueNLs5lw 2015/10/13(火) 00:02:08.77 ID:hGRfPonS0

私は鍵を胸ポケットへ忍ばせた。
ガラスの向こうの父親の痩せこけた頬を見つめる。

「そう言えば、ケイトスに会いましたよ」

ハイジの呼吸が少し乱れたのが分かった。

「そう」

「ラビットと王の遺跡に向かうと言っていました」

「ニュースで、遺跡でテロがあったと報道されていたかしら」

「まるで、知らなかったみたいな口ぶりですね」

「どこかの遺跡が襲撃されるという情報は入手していたけれど、それがどこかまでは分からなかったもの。まさか、よりにもよってアドリアナ姉さんの所だったなんて」

「部屋に遺跡の写真を立てかけておいて、何を今さら」

「あなたの写真も飾ってあるわ。そう、拗ねなくてもいいじゃない」

どうして、そうなるんですか。



164: ◆/BueNLs5lw 2015/10/13(火) 00:14:23.70 ID:hGRfPonS0

「私の写真はともかく……」

ブブブ。
部屋の外についてあったアラームが鳴った。

『面会時間が終わりました』

同時に、棟内にアナウンスが響き渡る。

「ピトン、身体は大丈夫?」

「特に異常はありません」

「出ましょうか」

「はい」

ハイジが白衣を翻した。
私はその背を追いかけるようにして、
父の病室である『第二特殊計測者用無菌室』を後にした。



165: ◆/BueNLs5lw 2015/10/13(火) 00:59:05.21 ID:hGRfPonS0

ロイ・ビーンと書かれている札を受付のナースに返して、私はハイジと別れた。
ロイ・ビーンとは私の父親のことだ。

彼は二度殺されかけたことがある。
一度目は、私の母親だ。
私に沸騰したミルクを飲ませようとしたからだ。

二度目は、南部の先住民族の難民キャンプでだ。
そこで、父と私はハイジと会った。父は、当時、難民に食料を運ぶために編成された部隊の隊長として、指揮を執っていた。
難民は政府によって国民として認められた民族の寄せ集めだった。
一部の民族を国民として認めなかったため、民族同士の争いが起こり、武力行使の末、認められた民族が負けるということもあった。

その頃ハイジは、南部の国際援助団体に所属しており、キャンプ地ではその美しい容姿と素早く的確な処置を行うことから、密かに『アネラ』と呼ばれていた。
『アネラ』とは、絵本の登場人物のことだ。元々は、諸外国と戦争状態にあったこの大陸の王の傍に仕えていた女医だったとか、女官だったと言う説もある。

しかし、悲劇は起こった。
何者かによる細菌テロによって、キャンプと部隊はほぼ壊滅。
酷い惨状だった。
私とハイジはなんとか逃げのびたものの、父は動かぬ人となってしまった。



171: ◆/BueNLs5lw 2015/10/14(水) 00:40:38.03 ID:oATT4AcA0

過去の映像が眼前にちらついた。
人々の悲鳴が耳の奥で助けを求めている。
目を抑える。
身体のだるさを覚えた。
少し、疲れているようだ。
胸ポケットを抑えて、
コインロッカーに向かった。


父が死ななかったのは、人柄の良さもあり、ハイジの所属していた団体の設備をすぐに借りることができたためだ。
その後は、援軍との合流による野外病院への引継ぎで、何とか延命に成功した。
しかし、父の延命と引き換えに『蛇』の道を政府から示されることになる。
以前より再三、上層部から私を研究施設へ向かわせるように命令されていたことを、父の部下から聞いた。
逃げ出せるわけもなく、私は索漠とした状態で、まともな判断がほとんどできなくなっていた。
私が、助けを求めたのは、ハイジだった。
彼女は、当時、小児科医として援助団体に参加していた。
テロが起こる前は、彼女に医療や数学等の勉強を教えてもらっていた。
家に帰ることのできない父と行動を共にしていた私は、それがとてもありがたかった。

けれど、ハイジらは、もう次の難民キャンプに向かう準備をしていた。
最初、遠くから、彼女の少し焦げた白衣を見つめていた。
バイクに必要な物資を積み込み、仲間達と共に、
疲弊しつつも、その顔に憂いはなく、眩しかった。
私も連れて行って欲しいと切実に思った。
けれど、父を置いていくことはできなかった。

乾燥してガサガサになった肌に、
ぼろぼろと涙をこぼして、私は無言で彼女の背中に飛びついた。


『サンディ? どうかした?』

『……うああっ……あああっ――』

『サンディ何が』


とても、事情を説明できるような状況ではなかった。
彼女を巻き込んでしまえば、彼女がこれから救う多くの子ども達を見捨ててしまうことになる。
そして、彼女自身も危険にさらしてしまう。

『サンディ……』



172: ◆/BueNLs5lw 2015/10/14(水) 01:08:29.69 ID:oATT4AcA0

ハイジは私の頭の上に頬をのせ、抱き寄せた。

『一緒に行く?』

私は首を振った。

『……そう』

仲間達がハイジを呼んでいた。
行ってしまう。
送り出さなければ。
涙を拭い、
彼女の頬にキスをした。
決然と目の前を見た。

『また、会いましょう。あなたの旅の無事を願います』

ヘーゼル色の瞳が、私を吸い込むように見つめていた。
下唇がわずかに震えるのを、私は我慢できなかった。

『……ありがとう。でも、気が変わった。行かないわ』

『え……』

その言葉の衝撃を私は今でも覚えている。



173: ◆/BueNLs5lw 2015/10/14(水) 01:49:13.66 ID:oATT4AcA0

いつの間にか、目の前にロッカーがあった。
夢から覚めるように、蛍光灯の光に眩しさを思い出す。
305を発見。
鍵を差し込んだ。
私の身長で、ぎりぎり中が見える高さか。
外れた。
中には、茶色の包み紙。
拳一つ分くらいの大きさだ。
『親愛なるあなたへ』と書かれたメッセージカードをはがす。

「?」

取り出すと、そこまで重いものではなかった。
確か、家に着くまで開けるなと言っていた。
なぜ、そんな期待を持たせるようなことを言うのだろう。
期待してしまう。
欲しがってしまう。
幼い身体が、
心についていかない。
もう、彼女に甘えるわけにはいかないのに。
彼女に、もう大きな借りを一つ作ってしまっているから。
これからは、彼女に返していかなくてはいけない。

包み紙を、持っていたショルダーバックに入れる。

共に歩む未来が運命だったならば、彼女に近づけば近づくほど、
人ではない道を選んだ私の存在の理由を知る事ができるような気がした。



177: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 01:20:57.12 ID:PqAmEZ/z0

病院から出ると、父の元同僚であるレヴィが黒塗りの車から手を振っていた。
大柄な割に細い腕をぷらぷらとさせている。

「ごめんなさい。お待たせしてしまいました」

「ピトンを待たせなくて良かったよ。ハイジとは会えたかい?」

「はい」

彼は、父を無くし天涯孤独となってしまった私を引き取ってくれた。
住むところまで提供してくれて、今は共に生活している。
レヴィには彼と同じ西部出身の奥さんがいて、子どもはまだいなかったため、
二人とも私を実の娘のように可愛がってくれた。
彼は元々父と同じ陸軍特殊部隊に所属していた。
今は、西部国防省に勤めていると聞いている。

「今日は、君の好きなテールスープらしいよ。さっき、連絡が入った」

スーツの襟を緩めながら、彼がはにかんだ。
西部の人間が、南部の料理を作ることは滅多にない。
大方の西部人は、南部に対して差別意識を持っている。
父や、レヴィらのような人間は少なからず奇異な目を向けられる。

「そうなんですか? 今朝は別に特別なことをした覚えがないのですが……」

「気まぐれ屋だからね。口うるさい時もあれば、こんな時もあるよ」

私は、母側の南部先住民の血が濃く受け継がれてはいるものの、
外見は父の影響やこの身体的能力のおかげで西部の人間達と全く変わらない。
そのため、この街に住んでも違和感がなかった。
おおよそ、平和な暮らしをさせてもらっている。
それについて、本当に感謝しなくてはならないと思っている。



180: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 14:16:42.44 ID:PqAmEZ/z0

家に着くと、まるで自分の子どもにするような柔らかな笑顔でマリオンが出迎えてくれた。
父に会いに行くと告げた日は、いつも以上に彼らは暖かった。
それが、とても心地良かった。

「ピトン、今日の夕飯はなんだと思う?」

雲のようにふわふわとしたブロンドヘアを弾ませるマリオン。

「テールスープですか?」

答えてから、
私はしまったと思った。
マリオンがレヴィを睨む。

「レヴィ、あなた、言っちゃったの?」

「ご、ごめんよ。マリオン」

レヴィが謝るが、マリオンは唇を尖らせる。

「デリカシーがない人は、嫌われちゃえばいーのよ」

そう言って、私の手を握る。

「じゃあ、手を洗ってお夕飯にしましょう」

「はい」

「マ、マリオンッ」

少し、気恥ずかしい。
まるで少女のように扱うから。
厳格な父には、そのような扱いを受けたことはないから。
もう、少女ではないのに。
甘えてしまう自分が、くすぐったい。



181: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 14:50:09.52 ID:PqAmEZ/z0

マリオンは生まれも育ちも西部だった。
学生時代にレヴィに出会い、恋に落ちて、それからずっと二人で暮らしている。
マリオンは街外れの農家の生まれで、羊や牛の世話ばかりしていたので、世間の話には疎いのだと自分で話していた。
大学に入ってから、漸く、自分の住んでいる国で今何が起こっているのかを知り、
学生運動に参加したとも言っていた。

しかし、レヴィは違った。
彼の父も軍人で、レヴィは幼い頃から私の父とも知り合いだった。
私の父であるロイとレヴィが参戦した『南部先住民族浄化作戦』、いわゆる政府によるジェノサイドによって、
二人は政府への疑問を募らせることになり、以後、共に行動することが多くなった。
非人道的な作戦は幾度となく行われたが、世間一般に報道される際は、テロリストとの討伐作戦としてシナリオが描かれる。
今は政府が直接指揮を執ることはなくなり、『MP』と呼ばれる、準公的組織に委託している。

「ピトン、ハイジは不自由ないって?」

マリオンがスープを装って、
私の前に置いた。
お礼を述べてから、

「ええ」

「いじめられてない?」

「大丈夫だと思いますよ」

私は笑いながら、ナプキンを広げる。

非認可民族の選ぶ道は、
死か実験体か、のどちらかである。
しばし、ハイジのように学習能力の優れた者は、将来的に国益となると判断され、
子どもの頃から親元を離されて、特殊な就学をさせられ、適性にあった仕事を任される。
もちろん、拒否権はないし、拒めば死ぬだけだ。
稀に死を恐れない者もいるが、
そう言った場合、家族を人質に脅されることもある。




183: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 15:13:30.34 ID:PqAmEZ/z0

「ハイジは、僕らより肝が据わっているから、逆に職員を脅しているんじゃないかな」

レヴィがテキーラを開けつつ、苦笑する。
それは、あり得る。

「いつか、お家に呼べたらいいんだけど」

マリオンがため息を吐く。
ハイジは『MP』の用意した寮で暮らしている。
彼女と会えるのは、病院か戦場か実験施設かくらいだ。
特に病院では南部特殊小児科医療の権威とも称されている。
実験施設でも、その手腕を発揮している。
しかし、逆に言えば、彼女はそれ以外は全て行動を制限されていた。

彼女はそれをおくびにも出さない。
国際援助団体で小児科医をしていた時の方が、よほど自由で自分らしくあれただろうに。
それを、私に悟らせることすらない。

あの日、私が彼女を求めなければ彼女は籠の鳥にならずに済んだのに。
日が経つにつれ自責の念は強くなった。
だから、聞いてしまったのだ。
どうして、一緒に来てくれたのか、と。
返ってきた答えは、予想外なものだった。

『ハイジ、前々から聞こうと思っていたことがあるんですが……』

『あら、改まって何?』

『どうして……私と……』

『どうして、あなたに着いてきたかって?』

読まれたことに動揺したが、
私はすぐに頷いた。

『簡単なことなのよ、サンディ』

『?』

『結婚を決める人間は、自由を奪われても、なおたった一人と共にいたいと思うでしょ?』

『はい』

『そういうことね』

『……』



185: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 15:36:33.76 ID:PqAmEZ/z0

私は、頬が熱くなっていくのが分かった。
考える素振りをして、彼女の視線を避けた。
からかうように笑っている所を見ると、
遊ばれただけなのかもしれなかったのに。

しかし、その時、彼女に対する私の中の憧れや敬愛が、
純粋で焦がれるような衝動に変わっていったのだった。
背の高い彼女を見上げて、
胸が高鳴っていったのを覚えている。

それから、私の言葉を待たずに、彼女は軽く私の頬にキスをした。

『嫌だった?』

『……わ、わかりません』

『もう一度した方がいい?』

私は彼女の唇に釘づけだった。
無意識に頷く。

『こんないたいけな少女を無理やり襲ったなんてばれたら、大変。あなたが私を誘ったことにしておいて』

その頃、私はまだ実験施設にいた。
検査用の薄い黄緑色の肌着を着ていて。
彼女は白衣で。
彼女の髪は、今よりも短く、肩につくかつかないか。
その頃から白金の美しい髪だった。
その髪を梳くように、彼女の頭に触れた。

『誘われたら、断れないの』

そう言って、検査用の肌着の肩紐に手をかけ、しゅるりと解いた。




186: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 15:53:45.08 ID:PqAmEZ/z0

「ピトン、スープ冷めるよ?」

レヴィが言った。
私は、現実に戻る。
食事中に思い出すことじゃない。

「いただきます」

スプーンでテールスープを一口すすった。
とても、美味しかった。




レヴィとマリオン。
二人のように私もいつかハイジと、
生活を共にすることができるだろうか。
どうすればいい。
大人になればいいのか。
女になればいいのか。
普通になればいいのか。
けれど、生まれる前のことも、
生まれた後のことも、
自分ではどうしようもなかったことばかり。
ハイジと共に生きたいと願ったことだけが、
私を私たらしめる。
願うだけだ。
それだけは誰にも邪魔されはしない。
ベッドの中で、
彼女の名前を呼び、
愛しさを思い出しても、
誰かが不幸になるわけではない。
繰り返し、想う。
もう、誰も、邪魔しないでと。




187: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 16:24:09.20 ID:PqAmEZ/z0

次の日。
私の所属する部隊に、とある作戦が発表された。
現在、南部で多発している小規模テロの抑制を目的とした、空爆を行うらしい。
投下ポイントは、街外れの村。
ダラムス。
人はもう住んでいないらしいが、民族解放の過激派グループのアジトであるとの情報がリークされていた。
南部に在住する西部軍や、警察は、先住民と繋がっているマフィアに情報を密告する恐れがあると言うことで、
本作戦は南部側に告知することなく決行すると言うことだ。

夕方にはパイロット5人と顔合わせすることになった。
爆撃機に二人一組で乗り込み、空爆が終了次第、
私たちの部隊が残党狩りを行う予定である。
指揮官に説明を受けて、一同は静まり返った。
それもそのはずで、
本作戦は、『無差別の皆殺し』としか言えないものだった。
誰もが、ダラムスが焼け野原になってしまった場面を想像したに違いない。
しかし、それを口に出すことはない。

この作戦では、誰が生き誰が死ぬかなど些細なこと。
失われることで、得られる仕事。
他に稼ぐ方法も知らない私にとっては、
来週の父との面会日にハイジと会う予定の私にとっては、
単純な作戦だ。
きっと、みんな似たようなものだろう。
どこかで、誰かが我慢しなくてはいけないのだ。

全体での説明が終わり、
2つのチームに別れてミーティングを行った。
無線を使わず、信号灯などでコードを送ったりするため、
複雑な文字の羅列の表を渡された。
少人数でこれだけ組み合わせが増えるのも珍しい。
逃げる、という選択はないため、
戦うか死ぬかくらいの、
単純なコードにすればいいのだけれど、
そういう風にはいかないようだ。



188: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 17:03:08.52 ID:PqAmEZ/z0

ミーティングが終わって、指揮官が部屋を出る際に私を呼び止めた。

「ピトン」

「はい」

「少し、いいかな」

私は何事かと思い、扉を閉めた。
彼には、陸軍に入隊した頃からお世話になっていた。

「座って」

「はい」

椅子を引いた。
彼も座る。

「君は、実験施設の子どもたちが、平均で何歳まで生きられるか知っているかい」

「確か、20から30歳だと聞いています」

「そうだ。特に、女性はホルモンの影響で男性よりも筋肉の減りが速く、30歳になる頃には歩行機能が衰え自分で生活することが難しくなる。筋肉は20歳をピークに衰え、老化は30歳をピークに、スピードがとても速くなる」

「ええ。なので、最適な身体の今、このような作戦に携われることを誇りに思います」

不安はある。
明日にはハイジに会えないかもしれない。

「私は、今年で軍を退役する予定だ」

唐突に彼は言った。

「そうだったんですか……私は、何も恩を返せないままで……」

「かまわん。ピトン、そこでだ……私には心残りが一つだけある。君だ」

深いダークブラウンの瞳が、私を見た。

「私ですか」

「そうだ」

「どうして」

「ロイ・ビーンは私の旧友でね。私は、彼に一度命を助けてもらったことがある」

「そうだったんですか……」

知らなかった。

「だから、君に伝えておく。この作戦で、陸軍特殊部隊は廃棄される」

「……その、それは」

一瞬、考えて、受け止める必要があった。
漸く、何を言われたのか理解する。
軍人らしく返そうとも思ったが、
想うだけで言葉にはならなかった。

「もう、必要ない……と判断されたということですか……?」

彼は無言で頷いた。





190: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 20:46:25.29 ID:PqAmEZ/z0

陸軍特殊部隊。正式には西部陸軍特殊部隊。
南部の首都にあるここ西部人区域に基地があり、
総勢20名の10代の男女で構成されている。
20名は全て、実験によって改造を受けた子ども達であった。
私たちは使役される立場。
使い捨てにされる存在。
私たちはそういう人種だった。
いくら、西部人との混血だろうと。
同じだと言うこと。
納得はしなかったが、理解した。
そうだ。
私たちの大半はもうすぐ20歳になる。
そうすれば、身体は弱くなる。
能力が衰えれば、この部隊にいる意味がないのだ。
新しい子ども達を使って、
新しい部隊を立ち上げるのだろう。

「仕方ありません……」

「本当に?」

「それを聞くのは、卑怯です」

「憎くないかね」

彼は言った。

「いいえ」

本当だ。
自らの力の無さを、悔いるばかりだ。

「君が死ぬと、君の父親も処理されることになっている」

「……え」

「彼は、ああなってしまった今でも、死を恐れるような人間ではない。だが、甘い男だった。甘さゆえに、君を残してしまった」





191: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 21:16:26.86 ID:PqAmEZ/z0

指揮官は私を見た。

「君は、南部人との混血ではあるが、認可民族との混血児だと言うことが確認されている」

彼は先ほど説明に使っていた書類の一番下から、用紙を一枚取り出した。
私の顔写真が映っている。
その他、個人データが書き連ねてある。

「君をこの部隊から切り離して、別の世界で幸せに暮らす道を用意することもできる。それも、誰かが血を流すこともない、平和な国に移住することだって不可能ではないのだよ……」

提案されたのだと、遅れて気づいた。
平和というのはラジオやテレビの中だけの空想ではない、と彼は言った。

「私は……」

指揮官は指を組む。
じっと待っていた。

「どうしたらいいのか……わかりません」

「人は皆、平等な価値がある。それは生まれ持った自然な価値だ。しかし、今、この国ではその価値を狂わせているシステムが働いている。西部は善、相対的に南部は悪と言ったようにね。辺り前のことに気が付けないこの国は、もはや腐敗しすぎた……そして、私たちは気づくのが遅すぎた」

耳を澄ませば、
どこかで銃性がする。
女性の叫ぶ声がする。
下卑た商人の笑い声がする。
それは、西部も南部も変わらない。

「私たちも、早くからロイのように行動しておけば良かったんだがね……いや、まあこれはいいさ」

彼は胸元から煙草を取り出した。

「いいかね?」

私は首を縦に振る。
ライターで火を点け、一口だけ吸って、後は机の上にあったまっさらな灰皿に押し当てた。

「君をせき止めているものを当てよう」

「……」

「ハイジだな」

私は動揺を悟られないように、歯を食いしばった。

「明日の朝、また返事を聞かせてくれ。よく考えるんだ。チャンスは、決して、二度訪れない」






192: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 21:46:56.65 ID:PqAmEZ/z0

彼が出て行った部屋は、視界を覆うように半透明の煙が漂っていた。
今、聞いたことを塗りつぶすように。
彼の言った、チャンスという言葉について私は考えた。
なんだろう、それは。
私が父とハイジを見捨てて生きるためのチャンスだろうか。
何を掴める。
幸せな生活?
差別のない世界?
チャンスとは、大きな変化のことだ。
自分が変わるのか、
周りを変えるのか、
とにかくチャンスは希望なんだろう。
けれど、それは誰の希望だろうか。
私の希望なのだろうか。

立ち上がって、窓のそばに立った。
先ほどのパイロット達が、
特殊部隊の仲間と共に食道へ向かっていた。
それを眺める。
ふと、窓ガラスに幼い少女の青白い顔が映った。
嫌気がさして、青い空に視線を移す。
生きていたい。
生きている限り、ハイジのそばにいたい。
例え、明日死のうと10年後に死のうと、
それだけは変わらない。
けれど、それは私の独りよがりだ。
聞かなくては、
彼女に。
何を。
私が行くべきか、行かざるべきかを?
いいや、彼女なら、あるいは、
別の答えをくれるかもしれない。

踵を返して、
私は部屋を後にした。



193: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 22:08:28.33 ID:PqAmEZ/z0

彼女は2、3日は病院に滞在して人手の少ない小児医療を手伝っているはずだった。
私は夜になってから、非常口へ向かい、そこから中へ入り、ハイジを探した。

「お嬢さん」

呼び止められた。
振り返ると、
廊下の薄暗い明かりを浴びて、
老人が一人立っていた。

「そんなに急いで、どこへ行く」

白衣も、入院患者が着るような寝間着も着ていない。
南部の衣装にも見える。
黒と黄色の薄い斑点がついたマントを羽織っている。
ワシのような顔に、深いしわを寄せ、
口元をもごもごと動かしている。
70代くらいか。
この病院の外来にしては、珍しい年齢だ。
行政府の人間だろうか。

「友人の元です」

「会って、どうする」

「話をしに行きます」

「今は、会わぬ方が良いと思うが」

「どうしてですか」

老人はくつくつと笑っていた。

「会わぬ方が良いと思うが」

彼は同じことを繰り返した。
私は首を傾げた。
ふと、彼の右の足元を見た。
黒光りする石が、彼の足と呼ぶべき部分にあった。
義足にしては、鋭利なナイフのようにも見えた。

「幼きナワルよ、植え付けられたトナルに気を付けることだ」

「あの」

一度、瞬きをしただけだ。
だが、その瞬間に彼はいなくなっていた。



194: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 22:18:28.20 ID:PqAmEZ/z0

周囲に窓はなく、
私は眉間を指でつまんだ。
白昼夢と言うものだろうか。
疲れていたのか。
まあいい。
私は、老人の言葉を無視し、
ハイジを探した。

彼女がいたのは、
休憩室だった。
私は、扉の取っ手に手をかけず、
外から、ガラス越しに彼女がいることを確認した。
いたのは彼女だけでなかった。
私よりも少し背の高い、
黒髪を両サイドで縛った少女と一緒だった。
少女が、ハイジの肩に手を置いて、
ハイジの顎を撫でている。
何をしているのだろうか。
喉が鳴った。

何をしているのだろうか。



195: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 22:26:06.00 ID:PqAmEZ/z0

ハイジが笑いながら、少女に語りかける。
少女はそれを聞いて、無邪気に喜んでいた。
少女がゆっくり、ハイジのシャツに手をかけている。
ハイジは拒まない。
机の上に乗って、彼女を上に跨らせた。
少女の体がくにゃりと折れる。
ここからではよくわからない。
上半身が互いに近づきあって、
あれでは、顔と顔がぶつかってしまう。

「ハイジ……?」

呟いた声は、届かない。
扉の向こうの彼女たちには聞こえない。
カツン、と音がした。
横を見ると、先ほどの老人が立っていた。
やはり、右足は黒い石だった。
それが廊下に当たって、
また音を鳴らせた。

「それみたことか。狐のように狡賢い女よの」

しわがれた声が廊下には響かず、
私の耳を通り、脳髄を震撼させる。



196: ◆/BueNLs5lw 2015/10/18(日) 22:33:55.40 ID:PqAmEZ/z0

「あの女は、お嬢さんを利用しようとしていたのだ。だから、優しく接しておったのよ」

なぜ、なんのために。

「それは知らん。それはあの女に聞かねばわからん」

私は老人に何も言っていないのに、
彼は私の問いに答えていた。
まるで、心の中を読まれているようだった。

「ああ、ピトンよ、可哀相な娘」

カツン、と彼は私のそばを離れる。
暗闇に戻るように。

「私は……」

彼の気配は無くなった。
私は、扉の取っ手に手をかけた。
そして、ゆっくりと扉を開いた。




201: ◆/BueNLs5lw 2015/10/19(月) 22:26:30.94 ID:mDOGr4Dl0

部屋の中は、彼女の柑橘系の香水の匂いがした。
二つの影が揺れた。
少女の黒髪が揺れた。
黒い翼を持った天使のようだ、と思った。

「ハイジ……話したいことがあります」

体を起こし、ハイジはこちらに視線を寄越す。

「ピトン、次は来週じゃ?」

乱れた髪をかき上げるハイジ。目を細めている。
黒髪の少女は、こちらに背を向けたまま顔を伏せている。

「急用だったので」

「そう。でも、こちらも取り込み中だから、悪いけど……」

「お願い……します」

声がかすれた。
黒髪の少女が、ハイジの耳元に口を寄せる。
何か、小声で呟いていた。
それからこちらを見て、絡みとるように笑った。
ねっとりとしていた。

「シルビア、よしなさい」

何を言ったのか、私には聞こえなかった。
ハイジは彼女の言葉に、少しイラついているようにも感じ取れた。
私はシルビアと呼ばれた少女を見た。

「何? 泣きそうな顔ね」

シルビアは笑った。
私と同じくらいの背格好。
歳は、少し下だろうか。
私は黙ったままシルビアと視線を合わせる。
そらしてはいけないような気がした。

ハイジは机の上から降りて、
私の方へ歩み寄った。
乱れた白衣を整えることもせずに。



203: ◆/BueNLs5lw 2015/10/19(月) 22:37:44.45 ID:mDOGr4Dl0

ハイジが私のすぐ隣に立つ。
私は後ずさった。
シルビアがまた笑っていた。
大きな長机の上で。すすり笑っていた。
ここが病院の休憩室だと、私は思えなかった。
見たことなどないけれど、
娼婦を呼ぶ部屋とは、きっとこんな気だるげな雰囲気なんだろう。

「ピトン、緊急なら聞くわ……」

ハイジが言った。
声が低い。
怒っているのだろうか。
怖い。
背後がひやりとした。

「でも、短めにお願い」

「彼女は……」

私はシルビアを見た。
ハイジは手のひらで、
シルビアに外で待つように指示した。

「はあい」

軽くステップを踏んで、
少女は私の横を通り過ぎる。



204: ◆/BueNLs5lw 2015/10/19(月) 22:48:56.63 ID:mDOGr4Dl0

扉が閉まる。
重たい音。
とたんに酸素が急激に少なくなったような、
息苦しさを覚えた。
ハイジに一歩、二歩近づいて、彼女の白衣にしがみついた。
足と手はこれ以上動きそうにない。

「ピトン、どうしたの」

口も道連れだ。
躰から、血液がどんどん流れ出ていく。
それは、私の気のせいなのだけれど。
頭の中で巡ってないような心地だった。

「話がないなら、部屋を出なさい」

ハイジは言った。

「……嫌……です」

「じゃあ、私が別の部屋に行くわ」

ハイジは私から離れ、斜め右へ進む。
私は動けない。
風が肌に当たった。
それだけ、分かった。
扉が開かれて、
シルビアの気配が漂ってきた。
私は振り返った。

「待ってくださいっ」

シルビアに駆け寄った。

「なに?」

シルビアが鼻で笑う。

「お願いです、あの、今日は、今日だけでいいから、ハイジと二人にさせてください」



205: ◆/BueNLs5lw 2015/10/19(月) 22:58:57.40 ID:mDOGr4Dl0

ハイジの腕を掴んだ。
彼女の頬を両手で挟み、
精一杯背伸びして、彼女の唇に自分のを当てた。
とても、遠くて、
触れるだけで、
終わるようなキス。

「ふうん」

シルビアが口の形を変える。
彼女を外に残して、
ハイジを部屋に引き戻した。
シルビアは、動かなかった。

「入って、来ないでください。お願いします……お願い」

彼女の姿をこれ以上ハイジの視界に入れないように、
私は扉を閉めた。
シルビアは、透明なガラスから暫くこちらを覗いていた。
私はそれにかまわず、服の上着を脱ぎ始めた。
ハイジが後ろで見ている。
体が熱い。
何かが溶け出している。
いや、体から剥がされていくような。
私は下着だけになって、ハイジを抱きしめた。




206: ◆/BueNLs5lw 2015/10/19(月) 23:09:04.91 ID:mDOGr4Dl0

シルビアは気が付くと、姿を消していた。
だが、そんなことはもはやどうでも良かった。

「ハイジ……っ」

ハイジの体を貪るように、
私は胴体を舐めまわした。
蛇。
まるで、蛇だ。
彼女の汗と私の唾液が混ざる。
彼女の肌はとても白い。
薄桃に染まる突起に吸い付く。
声を抑えて、ハイジは跳ねた。
彼女に巻き付くように、
太ももに腕を絡め、
膝をついて、
ベルトを緩めていく。
ショーツが見えると、
鼓動がいっそう早くなった。

「ピトン」

呼ばれたので、顔を上げた。
柔らかな唇が呼吸を困難にさせる。

「っん……」

どちらともなく嬌声が漏れた。



209: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 13:35:20.19 ID:jK1q/c730

目を伏せて、彼女の甘い蜜を味わおうとした時、
ハイジの背後に、またあの老人が立っていた。
右足の黒い石は、先ほどよりもっと細長くなり、うねうねと動いていた。
私は驚くことはなかった。
老人は頬の皮膚を真横に引きつらせて、こちらを見ていた。

「ピトン?」

ハイジの声が好きだった。
からかうようなその響が。

「ハイジ、私、夢を見ていました。いつも、ベッドの中で見ていました。あなたをここから連れ出して、争いも差別もない平和な世界で旅をする夢です」

ハイジは私の胸を優しく撫でる。

「んっ……」

思わず声が出る。
一度肌を重ねてから、どのくらい時が過ぎたのか。
私はまたこうして触れ合うことを渇望していた。
性的な欲求。
求愛。

「あなたの隣は私でありたいです……」

彼女のショーツに鼻を当てる。
小ぶりで引き締まったお尻をかき抱く。

「ピトン、私もあなたが必要だわ」

ハイジは言った。
老人が、ハイジのすぐ左隣に来て、声もなく笑う。
幻聴が聞こえる。
馬の蹄の音。
硬い地面を抉るような音。
男の悲鳴。
民衆の叫び。
それが、一瞬だけ、わんわんと、耳の中に飛び込んできた。

「嘘つきですね……」

キスをしてもすぐ乾く唇が、言いたくもない言葉を、言ってのけた。




210: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 13:51:43.01 ID:jK1q/c730

ハイジは特別だった。
子どもしかいなかったせいかもしれない。
彼女は大人だったから。
特異な存在は、注目を浴びる。
だから、彼女が悪いのではない。

「これからもたくさんの子ども達を救ってください……愛してくださいね」

「ピトン、言い忘れていたことがあるの」

「なんですか」

「子どもは嫌いなの」

「……」

「でも、あなたは、もう子どもじゃないでしょ」

「……そうでしょうか」

「ええ。だから、好き。好きな子には優しくできないの」

「なんですかそれ……」

「そういう人間なの」

「私のことが好きなら、一緒に行きませんか?」

私は立ち上がる。
老人はまだこちらを見ている。
ハイジの腕を掴む。
彼女は首を振った。

「あなたとはいけないわ。分かって」

分からない。
なんで。
縋るように、私は彼女にまたキスをせがんだ。
けれど、次はしてはくれなかった。



211: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 16:02:12.56 ID:jK1q/c730

「今日ここへ来たのは、デートのお誘いだったのかしら」

困ったように、彼女は言った。
困った顔を繕っていた。

「はい……そう、ですね」

「では、デートは延期ということで」

「……はい」

私は、まだ聞かなくてはならないことがあったし、
言わなくてはいけないことがあった。
けれど、それを言うことで、彼女を困らせてしまうのが分かってしまった。

「プレゼントは気に入ってくれた?」

ハイジは言った。

「もったいなくて、まだ開けてませんでした」

正直に答えた。
そして、ポケットに手を差し入れた。

「今、持っていますよ」

投げつけてしまおうかと思ったができなかった。

「開けて」

そう指示される。
私は言われた通り、それを開いた。
中には木の屑が敷き詰められている。
先端の尖った黒い石。
両端の刃も鋭く削られ、反射によっては虹色に見える。
オブシディアンナイフだった。
刃渡りは中指より少し長いくらい。

「ナイフなんて、物騒ですね」

「観賞するもよし、使うもよし」

「何言ってるんですか。本当に……」

「あなたにあげたのだから、あなたが選びなさい」

ハイジの喉に刺して、
その後、
私の喉に刺して、
その後は――。



212: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 16:13:04.62 ID:jK1q/c730

私は息を吐いて、それをまたズボンのポケットにしまいこんだ。

「殺されたいんですか?」

ズボンを放り投げる。
彼女の方へ。
ハイジの体に当たって、ずるりと落ちた。

「いいえ」

「刺してあげてもいいんですよ」

「あなたの力なら、ナイフなんて使わなくても簡単に私を殺せるでしょうね」

「じゃあ、なんのためにそんなものを……」

「デートは延期しただけだわ。また、それを持って迎えにきなさい」

私じゃなくても、相手はいくらでもいるのに。
なのに、私に待てなんて言うのだ、この人は。

「私は……待っている間に、死んでしまうかもしれませんよ。それも、早いうちに……」

「あら、困る」

目の奥に火がついたように、熱い。
なんて勝手。
私を動かして。
人形のように。
抗えない。



214: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 19:42:16.15 ID:jK1q/c730

このナイフの使い道は――。
殺しに来い、と。
私に、そんなことをさせようなんて。
酷い人だ。憎しみながら愛せなんて。
これが、愛情表現?
馬鹿馬鹿しいほど、分かりにくい。

これから、この人は、一体何人の人間と肌を重ねていくのだろう。
10人? 20人?
考えたくもない。
結局、私は小さな視野の中で、彼女を王子様か何かと勘違いしていたのだ。
私は、私の見たいものしか見ていなかったのだ。
盲目的で、直情的で。
天の使い『アネラ』と呼んでいた難民キャンプの子ども達のように。
己の純粋さに、嫌気が差す。

「近々、とある作戦があります。その作戦で、私は恐らくここへはもう来れなくなります。なので、良ければ父のことをよろしくお願いします」

ハイジがいつまで父に会えるか分からない。
けれど、せめて父の人生の最後の最後に、看取ってくれる人がいるなら。
私は、少しだけ悔やまずに済む。
最後の最後まで、父がいたことを覚えてくれている人がいた。
それが、最愛の人ならばもっと素敵じゃないか。
その光景を見ることはできないけれど、
そんな未来を描きながら終われるなら、
痛みや苦しみの最中でも、
安らぎを見いだせるかもしれないから。

「ロイには私もよくしてもらったもの、もちろんよ」

彼女は笑う。
私は衣服を拾い上げる。

「言いたかったのは、それだけです」




215: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 20:01:07.63 ID:jK1q/c730

次の日の朝。
指揮官に会って、作戦に参加することを告げた。
夜。
レヴィに作戦の概要を打ち明けようかと思ったが、
彼は必ず何か行動を起こそうと躍起になると思い、話すことを止めた。
そして、その次の日の朝。
マリオンよりも早く起きて、朝食を作った。
簡単なものだ。
ベーコンエッグとポテトサラダ。
昨日の夜に買って置いたクロワッサンを、
オーブンで少し焼いただけのもの。
マリオンもレヴィも喜んでくれた。
昼。
自分が死ぬための作戦の訓練に参加した。
脱出方法はないかと探ってみたが、
パイロットの視界から特殊部隊の人間達が消えると、
死んだ、または作戦続行不可能とみなされ、
一体を爆撃するということだった。
夜。
残っていた給料で、本を買った。
10巻くらいまである長編で、作戦までに読み終えたいと思った。
寝る間も惜しんで読んだら、次の日はやはり眠たかった。

一日はゆっくりと過ぎていった。
また、朝が来た。
その日はフリーだった。
もしかしたら、指揮官が融通を利かせてくれたのかもしれない。
買い物に出かけた。
ナイフにつけるための紐を探しに出かけた。
ちょうどいい麻紐があったので、それをぐるぐると巻き付けておいた。
首から下げて、服の中にしまった。

あの日から、
私の後ろにはいつも、
あの老人がいた。



216: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 20:24:37.16 ID:jK1q/c730

何もしてこないし、話しかけてもこない。
振り向けばそこにいるが、私が見ていることに対しても無反応だ。
そして、誰も彼に気づいていない。
私は麻薬の入った袋をお腹に入れたことはあっても、
麻薬を吸入したことは一度もない。

医者に聞いたら、精神安定剤を出された。
それから、本を読みすぎだと言われた。
まるで、私の妄想が過ぎると言われたような気がして、心外だったが、
あながち間違いではないのだろう。
今日は早く寝よう。
本はもう少しで終わる。

服の上からナイフを握りしめる。

「やあ」

家に向かって帰ろうとした矢先、呼び止められる。
私の外見と同じくらいの年齢の少年。
街を歩いていると、たまに話しかけてくれる。
南部の子どもだ。
西部人区域のすぐ隣の街から、
青果店の父親の荷運びの手伝いをしているらしい。
レンガのような赤茶けた肌に、
煤のように黒い瞳と髪。
Tシャツと短パン。
唇がぷっくりとしているのが印象的だった。

「久しぶり。えらく変わったな」

「こんにちは」

「前は金髪だっただろ?」

「ええ」

「何かあったの?」

「何もありませんよ」

「そう?」

心配そうに覗き込んでくる。
大きな瞳がきょろりと回る。

「あのさ、これ、良かったら……」

彼は握っていた拳を開く。

「珍しい花の種らしいんだ。親父がこっそり栽培してるんだけど、俺もこっそり一粒もらった。かなり貴重なものだから、人に絶対あげるなって言われたんだけどあげる」

「そんな大事なもの、もらえません」

突き出した手を押し返す。
彼は少し慌てながらも、

「い、いいからさ。なんか落ち込んでたんだろう? やるよ、ほら」

彼が頑なに言うので、私はそれを受け取った。

「……ありがとう」

「いいって……お、俺、親父の手伝いがあるから、もう戻るわっ! じゃ、じゃあな!」

「あ」

彼はすぐに駆け出した。
前方を見ると、彼の父親がトラックから荷物を運んでいた。
駆け寄って、父親にしがみついて、
何か話している。





217: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 20:52:53.78 ID:jK1q/c730

夕方になって、人が市場に増えてきた。
気が付けば活気のある声が溢れていた。
少年の気遣いを握りしめる。
汗ばんだ手で握りつぶしてしまわないように。
注意して。
胸には、石の冷たさを感じながら。
少年と父親はもう街を出ていったようだ。
トラックはいない。
小さなシャムネコが一匹。
誰かが捨てた生ごみをあさっている。
私も帰ろう。
レヴィとマリオンの待つ家に。
あの少年に会うことはもうないだろう。
彼の想いに答えることもできないだろ。
この街で普通に生を授かっていたなら、
もしかしたら彼と共に歩む未来もあったかもしれない。

ハイジに出会っていなければ。
私が、あの時、ハイジを引き留めなければ。
あの頃、私はなんて呼ばれていただろうか。
うろ覚えだ。
思い出そうとすると、もやがかかったようになる。
もう、振り返りたくないと、思っているのかもしれない。



218: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 21:06:33.69 ID:jK1q/c730

作戦の日の朝。
早朝に出かけると言っておいたら、マリオンが机の上にサンドウィッチを用意してくれていた。
私よりも早く起きて作ってくれたのだ。
今は、リビングで寝ている。
レヴィは昨日深夜まで飲んでいたようで、マリオンの隣で寝ていた。
いつも通りだ。
私はサンドウィッチを全部平らげて、靴を履いた。

「ピトン」

振り返る。
レヴィがよたつきながら、
私を抱きしめてくれた。

「グッドラック」

お酒臭い。

「ありがとうございます」

私も抱きしめ返した。
ごつごつとしていた。
骨と筋肉とお酒でできている。
暖かい人。
陽はまだ地球の裏側。
薄暗い玄関で、彼はなかなか離してくれなかった。
酔っていたから。

「ダンスパーティーに行けなくて残念だよ」

レヴィは言いながら、
玄関の壁伝いに崩れ落ちた。

「ごめんなさい。会員制なんです」

「そーかい……」

私は笑いかけて、
扉を開けた。

「行ってきます」



220: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 23:11:05.25 ID:jK1q/c730

―――
――



しゃがみ込んで何かを一心不乱に見ている少女の背中を軽く蹴る。

「こら、なに休憩してんだ」

「ラビット、隅っこに何かいる」

ケイトスはこちらを振り向きもせずに言った。

「店長にばれたら怒られるんだから……って、お、お姉さん、ちょっとそれサソリ」

「サソリ?」

少女は首を捻る。
右手の人差し指と親指でつまんでいる。

「知らないのかっ。危ないから、ぽいしなさい! ぽい!」

「ぽい」

サソリが彼女の手から離れて、
私の太ももに当たってから、
床にぽとりと落ちた。

「ひいいっ」

ケイトスの体にしがみつく。

「くる、しい」

「なんで、こっちに投げるんだよっ。この脳タリン」

「ノウタリン?」

「脳みそ足りないってこと」

「バカ?」

「そう、バカ」



221: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 23:29:32.10 ID:jK1q/c730

「ちょっと、そこの二人お客さん案内しないかい」

「あ、はいすぐに」

私は頭を下げる。
ふくよかな南部然とした女店主が指示しつつ、
ブリートと呼ばれる軽食のドリンクセットをカウンターに3つ手早く置いていく。
お肉、野菜、ライス、豆、サルサの入ったヘルシーフードで、
この老舗店では数十種類のソースが選べる。

「ケイトス、あれ私運んでくるから、エプロンでつまんでお外にぽいしてきて」

「うん」

大丈夫だろうか。
横目で確認しながら、カウンターに小走りで駆け寄り、
料理をテーブルへ出してから待っている客を案内する。

「こちらのお席へ、どうぞ」

なぜ、こんなところでウエイトレスをする羽目になったかというと、
軍資金を降ろしたくても降ろせなくなってしまったからである。
この辺りには銀行がなく、現地調達あるのみであった。

「お兄さん、ウイスキーお願い」

お兄さんじゃないんだけど。
17歳のピチピチの女の子なんだけど。
あと、この店ウイスキーないんだけど。

「大変申し訳ありませんが、そちらの方はメニューに載っておりません」

棒読みで、謝る。



222: ◆/BueNLs5lw 2015/10/21(水) 23:44:30.95 ID:jK1q/c730

「いやいや、品揃えの悪い店だぜ!」

だん、と机を叩く下っ端マフィア風の男。
自分の笑顔が引きつったのが分かった。

「じゃあ、可愛いお兄さんなんか面白いことしてくんないかなあ!」

お尻をなでられた。
げ、こいつ、そっちの趣味の人か。

「えい」

後ろから声が聞こえた。

「へ?」

肩越しに素早く後ろを見た。
ケイトスが何か投げたのが見て取れた。
サソリが尻尾を揺らして、宙を舞っていた。
男の顔面に当たって、テーブルへ落ちた。

「こ……のクソガキっ!!」

振りかぶって、男はケイトスに掴みかかろうとした。

「あー、もうっ」

その手をケイトスのひげが叩き潰してしまわないように、
男の右手を掴んでテーブルに押し付けた。



225: ◆/BueNLs5lw 2015/10/22(木) 22:58:24.55 ID:Prc4XUWD0

水の入ったコップがカタカタ揺れる。
彼は指先まで刺青の入った反対の手で、私の胸倉を掴んだ。

「うわっ」

頭突きでもするつもりだったのだろう。
しかしそれは叶わない。
彼の体をケイトスのひげが捕獲していた。
ご丁寧に顔まで覆っている。
あれでは、喋ることもできない。
呼吸もできないのでは。

「ケイトス、殺す気か、ばか止めろ」

おでこを引っぱたく。

「あいたっ」

宙に浮いていた男の足が、
鈍い音を立てて床に沈んだ。
彼女の白色透明なひげが元へ戻っていく。

「何やってんだ」

男は意識を失っていた。

「助けたのに、怒られた」

「今のは、やりすぎ」

「でも」

「でもじゃない」

ケイトスは、黙ったまま後ろに下がる。

「なに?」

カウンターの方に引っ込んでいく。

「ちょ……」

私の肩に誰かが手を置いた。
女店主だった。



226: ◆/BueNLs5lw 2015/10/22(木) 23:45:13.04 ID:Prc4XUWD0

数時間後、店から数キロ程離れた田畑に来ていた。
街から切り離されたような場所。
スラム街を抜けた所に緑が広がっていた。

「誰のせいとは言わないけどさ、この暑い中、どうして雑草集めないといけないんだろうな」

「私のせい?」

「分かってるじゃんか」

麦藁帽が揺れる。

「でも、ラビット嫌がってた」

「そりゃ、ゲイに男だと思われながらお尻を触られたら誰だって嫌だろうさ。でも、我慢しなくちゃいけない時だってある」

「なんで」

「あの店の店員だからさ」

「そうなの?」

「雇い主に迷惑をかけたら、あそこで働けなくなるだろ」

「そっか」

「分かったならいいけど」

「でも、ラビットが他の人に触られるのを見るのはイヤ」

ええっと。



227: ◆/BueNLs5lw 2015/10/22(木) 23:55:51.18 ID:Prc4XUWD0

ありがとうと言うべきなのか。

「イヤなんだ?」

「うん」

「なんで?」

「分かんない」

「そっか」

「うん」

雑草を根っこから引っこ抜く。
この畑は雑草しかないのか。
ケイトスは会話が終わったと思ったのか、
立ちあがって生い茂る方へ向かって歩き出す。

背中は汗で濡れて、
白いシャツが透けていた。
女心は複雑だ。
白い下着は見えても、
心は読めない。



228: ◆/BueNLs5lw 2015/10/23(金) 00:37:45.08 ID:nk4L2i9H0

ケイトスが振り返る。

「なに」

「下着、透けてる」

「見ないで、変態」

今、まさに引っこ抜いた土のついた雑草を、

「だって、前にいるからしょうがなっ……やめっ……あ、口に土がはいっ……ぺっぺっ」

こちらへ放り投げてくる。
ケイトスは、さらに奥に進んで、
彼女の背丈よりも長い茎の植物達に囲まれて姿が見えなくなった。
あんな風に、恥じらうような人間だったろうか。
前は、羞恥心があるようには思えなかったけれど。
時間もあまりなかったので、
私は彼女のことは一時放っておいて、
雑草の刈り取りに集中した。
途中、蜘蛛の巣のような白く長い花びらの植物を見つけた。
ケイトスに見せてやろうかと、
声を張ろうとしたが、
一々気にかけてやる必要もないかと思い、
また作業に集中した。

私たちを送ってくれたあの店の従業員がさっきまでいたが、
トイレに行くと言ってスラムの方へ引き返していった。
それから、30分程帰って来ない。
そこで、漸く異変に気が付く。
田畑を囲むように人の足音が近づいてくる。



229: ◆/BueNLs5lw 2015/10/23(金) 00:50:42.35 ID:nk4L2i9H0

なんだ。
身を屈める。
小声でケイトスを呼ぶ。
返事は無い。
草をかき分けて、移動する。
草丈が高いものは揺れると音がした。
土を踏むと、体がぐらぐらと傾いた。
土が柔らかいわけではない。
どちらかというと、乾燥して硬い。
自分が揺れているらしい。
足から力が抜け、膝がかくんと折れた。

「え……」

真っ直ぐに立てない。
ふと、脇を見るとケイトスが寝そべっていた。
別に何か痛そうにしてるわけでもない。
なに寝てるのさ。
声が出ない。
脳がマヒしたような。
酔っぱらったような。
とにかくぐるぐると天地が横転して、
私はひっくり返った。



230: ◆/BueNLs5lw 2015/10/23(金) 01:09:57.65 ID:nk4L2i9H0

寒い。
まるで何も服を着ていないかのような寒気だ。
寒波が到来したのか。
それとも、雪国に連れて来られたのか。
とにかく、何か着たいと思って、
私は目が覚めた。

「……っん」

「目が覚めたかい? 子猫ちゃん」

なんてセンスの無い台詞を吐く男だろう。
彼にそう毒づいてやる前に、自分の手足が縛られていることに気が付いた。
頬や肩、むき出しの腰や太ももが冷たい床に当たっていた。
私は、皮を剥いだ豆のように、つるんとした状態でその部屋に横たわっていた。

はい?

「もう一匹も、ここいらじゃ見ない毛色だ。美しい。舐めたいくらいだ。ああ、いや、あの白い太ももに挟まれるのもいいな」

なんだ。
何を言ってるんだ。

「残念なことに、殻に閉じこもってしまって出てきてはくれないんだけどね」



234: ◆/BueNLs5lw 2015/10/23(金) 23:04:04.76 ID:nk4L2i9H0

この部屋にケイトスはいなかった。
どこだ。

「っごほ……何をした」

「なーんにも。服を脱がしたくらいだ」

「十分恨みを買うレベルだな……」

視界が霞んでよく見えないが、
男が笑ったような気がした。
甲高い声。

「お楽しみはこれからだよ。実験動物の中身がどうなっているのか調べたかったんだ」

彼はかけていた椅子から立ち上がった。
そして、私の体に触れる。
布一枚ない肌に鳥肌が立った。

「触るなっ」

噛みつこうとしたら、避けられた。
気にした様子もなく、また、喋り始める。

「あっちの子はクラゲか何かかい? 脱がしたはいいけど、途中で目が覚めてしまって、そしたら、触手みたいなのが体を覆って、手が出せないんだよ……困ったなあ。君から、何か言ってくれない?」

「あんたら、何者だ……」

「僕ら? 僕らは君と同じ南部の先住民さ。慎ましい農家の生まれだ……君がさっきまでいた店の店主。あれは、僕のママだよ。で、さっきの農園は僕の所有地なわけね。新種のケシ畑はどうだった? 一時間もあそこにいて、粉でも吸っていれば、自分で全裸になって『抱いてください』って、泣いて縋りついたかもね」

私は先ほどから、彼の言った言葉に違和感を覚えていた。
そう。
どうして、私たちのことを実験体だと知っているのか。
しかし、よく思い返せばあの店でケイトスがひげを出してしまったではないか。
あれを見られたに違いない。
けれど、だからと言って、なぜこんな始末に?
この薬物中毒野郎と何の関係があると言うんだ。

「さーて、そろそろ君の裸体を見せてもらおうか」

何か、スイッチの入る音。
私の横たわっている場所が上昇していく。
天井から、アームが降りてきて、光の束が私を照らした。
眩しくて、目を細める。
カシャカシャと床を何かが転がってくる。
ノートパソコンが付属したワゴンカート。
その台の上には銀色に輝く刃物。
ここは、手術室だ。
見たことのある光景。
私がまだあの施設にいた時に、
何度も連れて来られたあの部屋にそっくりだ。



235: ◆/BueNLs5lw 2015/10/23(金) 23:40:09.42 ID:nk4L2i9H0

「不安そうだね。新種のケシから合成した麻酔薬を注射してあるから、痛くないよ? 怖くなーい、怖くなーい。抗コリン作用で、少し目が霞んだり、お漏らししたりするかもしれないけど、気にする程ではないから。こう暑い国だとね、送られてきた薬品もあまり長くはもたないから自分で作る方が早かったりするんだ」

彼は微笑んだ。
今すぐ、ぶん殴ってやりたくなった。

「執刀医は僕だ」

僕?
誰だ。
あんた、誰だよ。

「聞いていなかったけど、君は何と混ざっているんだい?」

「死ね」

「……」

男は黙った。

「まあ、いいさ。君のお友達がさっき教えてくれたよ。ウサギだよね? 君の名前は、ラビット。そうだろ」

心の中で、嘆息した。

「昔、ウサギの角膜に麻酔薬を滴下し、異なった太さの髪の毛で刺激して、ウサギの目の瞬きの変化によって麻酔効果を判定する実験をしたことがあるんだ。大丈夫。ウサギの扱いは慣れてるから」






236: ◆/BueNLs5lw 2015/10/24(土) 00:21:03.68 ID:AYGXP+wO0

彼は壁にかけてあった白衣を掴んで着こんだ。

「痛みや苦しむことがもしあったなら、それは罪に対する罰だと思えばいい」

「罪?」

「そうだよ。同じ地に根を下ろした同族だろうと、のこのこ、敵の懐へ潜り込んで捕まったら世話ないよねえ。今回は長旅ご苦労様。恨むなら、君をこの場に寄越した政府の奴らを恨むんだねえ」

「政府……? あんた、最高に勘違いしてるよ。私は別に政府の工作員でもスパイでもなんでもない」

「証拠はあるのかな」

「証拠なんてない」

彼は嗤っていた。



243: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 02:02:55.54 ID:H82ghVpj0

彼の口に、置いてあるメスを突っ込めたらいいのに。
念じて動くわけもなく。
それから、先ほどから下腹部がむずがゆい。

「この国では、小さな農家は生計を立てていくことすら難しい。だから、こうやって新しいものに挑戦していかなくちゃならない。麻薬は金になる。欲しがる奴はどこにでもいるんだよね。僕らを捕まえる側の人間だって、例外じゃないのに。ねえ、そうだろう?」

国境の警備員を思い出した。
ああいう輩はどこにでもいる。
だから、サンディみたいな子どもが、やらなくてもいいことをする羽目になる。

「世の中、クソ野郎ばかりだと思うよ」

彼はもう一度笑った。
同感だよ、と頷いた。

「最後に言っておきたいことはあるかい?」

遺言ってこと?
そうだな。

「……ケイトス」

私は、ぼそりと呟いた。

「ん?」

そして、もう一度、連れの名前をできる限りの声量をもって叫んだ。



247: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 08:36:31.36 ID:H82ghVpj0

返事はなかった。
代わりに、部屋の扉がみしりときしんだ。

「な、なんだ……」

砂埃がぱらぱらと落ちる。
続いて、ハンマーか何かで扉を叩きつけるような衝撃音が連続した。
亀裂が入る。

「鉄の扉でも用意しておくべきだったね」

私は吐き捨てた。
瞬間、扉は爆発するように一気に瓦解した。
しゅぱん、と小気味良くしなる鞭のような音。

「が!?」

男に当たったようだ。
ワゴンカートに乗っていた手術用具をまき散らせながら吹っ飛んでいく。

「ケイトスっ!!」

ひげをしならせて、白地に青い小さい花が踊るブロードクロースのドレスのすそをふわりと浮き上がらせて、少女が立っていた。



248: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 08:54:37.32 ID:H82ghVpj0

こちらを見やって、

「……えっち」

と言った。

「好きでこうなったわけじゃないんだけど……」

ゆっくりと手をついて起き上がるも、
目の前の空間が歪んでいた。
平衡感覚が戻るまで、ここにいるわけにもいかない。

「出よう」

「そのまま?」

ケイトスは私の胸をまじまじと見つめ、
自分の胸と見比べていた。

「おっきい」

「……ありがとさん」

気絶した男のシャツと白衣をむしりとる。
ズボンはめいっぱいベルトをきつくして、
裾を何回か折り曲げた。

「下着は?」

少女の質問には答えずに、瓦礫と化した扉をまたいで外に出た。



249: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 09:05:17.75 ID:H82ghVpj0

廊下に出た瞬間、お腹の中まで響くような警報がなった。

「逃げるよ」

私は裸足で駆け出した。

「はーい」

緩い返事で、ケイトスも走り出した。
廊下の向こう側から、複数人が移動してくるのが分かった。

「こっちはまずい。逆だ、ケイトス」

「はーい」

反対側に踵を返す。
走るたびに、下腹部に刺激が伝わってくる。
なんだこれ。
脂汗。
揺れる視界が体を揺らす。
ケイトスが肩を支えてくれた。

「大丈夫?」

「ん……ト」

「と?」

「トイレ……探して」

ケイトスから、なんで、という疑問の声が音もなく漂ってきた。



250: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 09:51:28.87 ID:H82ghVpj0

頭の弱いケイトスにも、今、そんなものを探している場合じゃない、ということが分かったようで、

「出口、いこ?」

と憐れむように少し遠慮がちに言われた。
あー、もうどうなっても知らないから。
私は諦めて駆け出した。
何か、出そうで出ない。
ともすれば、もう決壊寸前。
あるいは、もしくは、出て――。
背筋がぶるりとした。
結局、トイレを探して、
扉の前にケイトスを立たせて用を足した。

「ぷ」

「笑うな……ばか」

そこまで広い施設ではなかったが、
ケイトスが最終的に壁をタコ殴りして、
施設の外に出ることに成功した。
その破壊音で居場所がばれてしまったのは言うまでもない。

先ほどまで雇われていた店の女店主が、猟銃を携えて前方に待ち構えていた。

「おばちゃん……」

「あんたらを帰すわけにはいかないんだよ」

「だから、誤解なんだって……。私たちは、別に」

「あの店も、バカ息子も……あんたらの好きなようにはさせん」

銃口が私の頭に向けられる。
ケイトスが今にもひげでおばちゃんを突き殺してしまわんばかりに警戒していた。




251: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 10:07:59.29 ID:H82ghVpj0

後方から、若い男達の声。
振り返ると、ところどころ擦り切れた服を着た青年達が、
それぞれにハンドガンを手にしてこちらに狙いを定めている。
スラムにいそうな身なりだった。
みな、負傷しているようで、頭やお腹、腕などに包帯を巻いていた。
少し血も滲んでいる。

「おばさん、こいつら殺しちまおうよ!」

「よくも先生を……!」

先生って、さっきの変態のことだろうか。
死んでなかったと思うけど。
発砲音。
誰が撃ったのか。
私の横の地面がえぐれ、小石が飛び跳ねた。
とっさに、ケイトスを抱きかかえる。

「へ……女だろうと容赦しねえ」

一番若そうな青年が鼻を鳴らす。
ケイトスをなだめながら、怖がる素振りを見せてみる。
銃口は情けを見せることなく、こちらに向いていた。

「聞いて、私らは故郷の村へ帰りたいだけなんだ」

「故郷?」

おばさんが聞き返す。

「ダラムス。南方の小さい村だよ」



252: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 10:38:25.71 ID:H82ghVpj0

村の名を口にすると、
おばさんの表情が鋭くなった。

「あんたら……元々、ダラムスにいたのかい」

「ああ、でも、もう誰も住んでないだろうけど」

「……そうだね。あんなことさえなければ、平和な村だった」

「私の両親もおんじもおんばも……それに巻き込まれて死んだよ。今日は墓参りに来たんだ」

墓なんて誰も建てちゃいないだろうけど。

「それだけなのかい」

「そうだ。邪魔しないで欲しい」

彼女は、引き金にかけていた指をゆっくりと外した。
後ろの連中はまだ殺気立っている。

「……あんた名前は」

おばさんは猟銃を肩にかけながら、質問した。
ケイトスがふっと息を吐いた。

「ラビット」

「そっちの子は」

ケイトスは答えなかったので、代わりに私が答えた。

「ケイトス」

「あんたら……苗字の方は?」

そんなものを聞かれたのは、生まれて始めてだった。
久しぶりに、父と母の姓を口にした。

「……ナバーロ・トーレス」

「……そうかい」

彼女はそれだけ呟いた。
そして、もう一度。
そうかい、と確かめるように繰り返した。



253: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 11:27:11.54 ID:H82ghVpj0

私とケイトスは、運送用のトラックの後ろに乗せられていた。
果物が積まれた木箱の隙間にケイトスと身を寄せ合って座る。

「おばさん、いいの?」

青年たちが不満そうにして、遠巻きに見ている。
バカ息子もいつの間に目を覚ましたのか、何か叫んでいた。
何を言っているか分からないけど。

「いいんだよ。昔の仕事仲間の孫だ。冷たくはできないよ。あんたら、ちゃんと送ってやんなよ。あの村はラモス一家が占領してよそ者に厳しいからね」

「任せろ、おばちゃん。ラモスのとこのガキは俺の子分だ」

「あんた、歳同じだろう」

小柄な少年が、にこりと笑って座席の窓から私たちを見やる。

「それ、一つくらいなら食べてもいいから」

「ありがと」

運転席にいる大柄な男性は父親だろうか。
彼はおばさんと二言三言会話して、車を発信させた。



254: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 11:39:36.67 ID:H82ghVpj0

レンガのような赤茶けた肌。
それと、黒い瞳と髪。
Tシャツと短パン。

少年は、まさしく少年という感じで、
物騒な人間ばかり相手にしていたこともあり、
助手席で無邪気に父親に話しかける彼を見ていると、心が和んだ。

「ラビット、これ食べていいの?」

お腹を押さえて、ケイトスが箱詰めされたバナナに鼻を寄せる。

「毒が入ってなきゃいいんだけど」

「え」

眉間にしわを寄せて、ケイトスはバナナを掴む。
一房、三本ついている。

「毒?」

「味見してみなよ」

「どうぞ」

「どうぞどうぞ」

バナナを押し付けあう。






255: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 11:47:09.87 ID:H82ghVpj0

トラックがくぼみにはまったのか、
弾みで体が浮き上がった。
バランスを崩してケイトスを押し倒してしまう。

「ラビット、痛い」

「ごめんごめん。頭打った?」

「ううん」

少女の顔の横にバナナが転がっていた。
落とさなくて良かった。
それを掴んで、一本もぎ取る。
皮を半分ほどむいでやった。
彼女の上に馬乗りになったまま、
それを口元に近づけた。

「ま、お一つどうぞ」

ケイトスは仕方がないという風に、口を大きく開けた。

「あんむ」

「美味しい?」

珍しく、丁寧に味わっている。
というか、毒じゃないか確かめている。

「美味しい」

「そりゃ、良かった」

食べかけ部分を私もかじる。

「……甘い」



256: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 12:01:36.22 ID:H82ghVpj0

「あーん」

ケイトスが口を開いて、魚のようにパクパクと動かす。
味をしめたようだ。

「だーめ。今度は座って食べなよ」

「はーい」

「で、自分で食べな」

「えー」

後ろからひげをちょろちょろ躍らせている。
怖い、怖い。

「今日だけ特別だから」

「わーい」

嬉しそうに笑う。

「……」

それに、つい見惚れてしまった。
なんて言うか、感動してしまった。
変だ。
急に。
なに。
今までが殺伐した状況だったからか、涙が出そうになった。
こんなに眩しい存在だっただろうか。
いっこうに口元にバナナを近づけない私に煮え切って、
ケイトスは自分でぱくりと頬張っていた。

故郷は目の前で。
ずっと帰りたいと思っていた。
帰っても一人だとも思っていた。
夢に見たことがある。
家もなく友もなく、一人ぽつんと佇む自分。

今は違う。
彼女がいる。
ケイトスが。



257: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 12:16:52.10 ID:H82ghVpj0

「ケイトス」

「もぐもぐ……うん」

「村に辿り着いてから、それから……どうする?」

少女はバナナをごくんと飲み込んだ。

「私の中のみんなが、納得したら……そこにずっといる」

「納得しなかったら?」

「……」

ケイトスは空を見上げた。

「納得する所まで行く」

「そうか……」

無理やり、連れてきたようなものだしな。
仕方がないか。
でも、彼女と離れるわけにはいかない。

「ラビットも来てくれる?」

ケイトスが私の体に腕を回し、抱きしめてくる。
こんな甘え方、どこで覚えたんだろう。
私も一度空を見上げた。

笑って、細く柔らかな彼女を抱き返す。

「ああ」

指を絡めて、強く握りしめた。




258: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 12:35:25.81 ID:H82ghVpj0

村に着くと、武装した数人に取り囲まれた。
三メートル程のフェンスの前に立ちはだかって、ロケットランチャーのようなものを向けている者もいた。

「荷物を届けに来た」

運転席の男が言った。
武装集団はみな迷彩のマスクをつけていた。
くぐもった声で、

「連絡を受けている。全員、車から降りろ」

彼らの前に立たされ、軽く身体検査をさせられた。
トラックの積み荷も調べた後、

「フェンスを開けろ」

残りの人間が手動でフェンスを引っ張る。

「入っていいぞ」

自分の住んでいた村なのに、この厳重な警戒。
地形は変わってはいないし、懐かしさも込み上げてくるのに、
全く別の人間達が住み着いてしまったことの、物悲しさがあった。



259: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 13:04:31.59 ID:H82ghVpj0

その後、ラモス一家のボスの所まで連れて行かれて、洗礼を受けた。
ボスは気のいい人間で、マフィアとは思えないくらい柔和な印象だった。
彼は、私の住んでいた家がもう昔の抗争で無くなっていることを知り、今日は自分の別宅を使えばいいと言ってくれた。
元々住んでいた所に戻ってきただけなので、でかい顔をされるのは嫌だったが、
それでも、この村が荒廃せずに残っているのはありがたかった。
もちろん、もう地図からは消された廃村ではあるが。

少年と荷運びを手伝って、その日は彼らと他のマフィアの連中と食事をした。
強面な奴らばかりだった。それも、外見ばかりで、酒を酌み交わしていく内に、
鱗がはがれるように、そこには陽気な男たちが歌い踊っていたのだった。

飲むつもりなどなかったが、
断って彼らとの関係を損ねるわけにもいかなかった。
昼間と同じくらいふらつきながら、ボスの別宅に辿り着いた。

「ラビット、大丈夫?」

一切お酒を口にしなかったケイトスが、寝室まで運んでくれた。

「ケイトス……」

彼女を手招きする。

「なあに?」

「ここ、座りな」

ベッドの脇をぽんぽんと叩く。
彼女は何の疑問もなく、素直に従って靴を脱いだ。

「座ったよ」

「ん」

頭の中に妖精がいて、いつもは全く思いつきもしないことを閃かせてくれるのだ。
彼女を抱きしめて、そのまま仰向けに倒れた。
ベッドが弾んだ。

「熱い……」

ケイトスの金髪に顎を突き立てる。

「いた、いたい。ラビット、ぐりぐりしないで。離して」

「いや……」






260: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 13:10:53.14 ID:H82ghVpj0

眠たい。
このまま彼女を腕の中にしまいこんだまま眠ろう。
離さないから。
嫌だって言っても。

「たまには……甘えたい時だってある」

ぼそぼそと、彼女の耳元で囁く。

「どうして?」

ケイトスが言った。

「寂しいから」

「ラビットは、今、寂しいの?」

「いつも、寂しい」

「そうなんだ」

「そうだ……」

彼女の首筋に顔を埋めた。
しっとりとしたうなじが火照った頬にくっつく。

「っ……」

ケイトスが喉を鳴らした。



261: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 13:17:29.20 ID:H82ghVpj0

「でも、ケイトスに出会ってもっと寂しいよ」

「どうして? いつも、一緒だよ」

彼女の指を覆うように握りしめる。
冷たい手が、ひんやりとして気持ちがいい。

「そういうものなんだ」

「……わかんない」

「いいよ……わからなくて」

自分でも理解できないから。
彼女の重みが心地よく、
瞼がとろんと落ちそうになる。

「このまま……寝てもいい?」

聞くと、

「だめ」

と答えた。

「ケチめ」

「寝られないもん」

ケイトスは体を起こして、私の額に軽くキスをした。

「天井じゃなくて、ラビットを見ながら寝る」

私の左腕にしがみつく。



262: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 13:24:54.40 ID:H82ghVpj0

私は額をさする。

「ほっぺたにもして」

注文を付ける。

「うん」

啄むように少女は唇を落とした。

「反対側も」

ケイトスは嬉しそうに、
首を伸ばして唇を押し当てる。

「ラビット……」

天井の光を遮って、
目の前にケイトスの大きな瞳。

「ん?」

「ここ、してもいい?」

彼女は人差し指で私の唇をノックした。
いいのか。
いいか。
うん。

「どうぞ」

彼女の顔が徐々に近づいて、
吐息が鼻の上を撫でた。



264: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 16:07:22.74 ID:H82ghVpj0

そう言えば、前にも一度キスされたっけ。
どこだっけ。
そうそう。
こいつが、人間に戻った時に、したんだ。
いや、されたんだ。
あと、ほんの数センチという所で、私は顔を背けた。

「っつ……」

思い切り反らしたものだから、首が変な音を立てた。
涙目でケイトスを見る。
不服そうだ。

「なんで、よけたの」

「な、なんとなく」

急激に熱が冷めていく。
気だるさは抜けきらない。

「前は避けなかった」

「あれは、そんな暇なかった」

「そうだっけ」

「私も酔ってたとはいえ、悪ふざけが過ぎた……ごめん」



265: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 16:24:40.51 ID:H82ghVpj0

「いいのに」

「いやいや」

私はケイトスと距離をとって、横になった。

「もう寝よう」

少女ももぞもぞと後ろに寝転がった。
それから、体当たりしてきた。

「ちょ、いたっ、なに」

「べつに」

「べつにってことないだろ」

「なら、ラビットのせい」

「はあー、言っとくけど、キスってのは恋人同士とやるもんなの」

「そうなの?」

「普通はな」

「でも、うさぎといつもしてた」

私は頭を抑えた。

「夜にすると、いつも落ち着いた」

「私は、人間だって」

あれ、てことは、今さっき、落ち着いてなかったってことか。



266: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 16:44:10.13 ID:H82ghVpj0

半回転して、ケイトスと向き直る。
何か、してしまったっけ。
酔っていて、うろ覚えだ。
とりあえず、怒っているのか悲しいんでいるのかすら表情に出ない彼女の思考を読み解くのは難しい。
彼女の体を抱き寄せる。

「よくわかんないけどさ、ごめん」

「ハイジが……」

「ん?」

「すぐに謝る奴には騙されるなって」

「何を教えてるんだ……」

「でも、よく分からないのに、謝って欲しくない」

「じゃあ、教えて」

「いや」

扱いにくい奴。
自分で考えろってか。
なんだ。
何かに怒ってるのか。



267: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 18:08:46.14 ID:H82ghVpj0

彼女に再度質問しようと口を開いた時だった。
窓の外が白んだ。
一瞬の閃光。
そして、建物に鉄球でも当たったかのような振動。

「は……?」

部屋のシャンデリアが揺れながら、明滅して消えた。
衝撃は1度ではなかった。
頃がるように窓を覗く。
庭に人がばらばらと集まっていた。
みな、空を見上げて、そして絶叫していた。
瞬きをした瞬間、彼らはすぐに地に伏していった。
エンジン音。
機関銃の音。
戦闘機が二機、ボスの屋敷の上空を旋回している。

「ケイトス! 逃げるぞ!」

少女の腕を掴んで、全力で階下へ降りていく。
次の瞬間、部屋が吹き飛んだ。
衝撃でこちらも、廊下になぎ倒される。

「大丈夫かっ」

「へーき」

「……なんなんだ一体」



268: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 18:27:27.52 ID:H82ghVpj0

一階の応接間が吹き飛んだらしい。
建物ごと破壊する気なのか。
休むことなく、次の爆発が起こる。

「とにかく走れっ」

扉を開けると、燃え盛る炎に囲まれていた。
どこか近くで、女性の悲鳴が聞こえる。
周りを見渡すが、どこにいるか分からない。

「くそ……」

素早く上空を確認する。
戦闘機は、村の中心の方へ去っていく。
またこちらに戻る前に、安全な場所へ避難しなければ。
けれど、このままあの戦闘機を放っておけば村は壊滅する。
逃げる前に、できることはないのか。

「ラビット……」

「戦闘機ってことは、軍の奴らに違いない……大方、マフィアを一掃しに来たんだろう。ここにいると巻き添えを食らう」

「ねえ、ラビット」

「なにっ」

「さっきまでいた男の子無事かな」

積み荷と一緒に乗せてきてくれた男とその息子。
彼らは、食事をした後は、ここに泊まっていくと言っていた。
村の中心に、いくつか寝泊りできる所が残っていて、たぶんそこにいるはずだ。

「分かってる……マフィアを助ける気はないけどさ」

「もう、死ぬ所を見たくない」

「同感だ」



269: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 18:40:27.27 ID:H82ghVpj0

戦闘機以外に、さらに上空に一機。
あれは、爆撃機じゃないのか。
嫌な予感がする。
家屋も人も田畑も森林も木っ端みじんにして、
ここを更地にでもする計画なのだろう。
はた迷惑な話だ。
墓参りさえ、ろくにできていないってのに。

「ケイトス、今夜のひげの調子は?」

「良好」

「オーケイ」

屋敷から村まで続く林を抜け、
崖を滑り降りていく。
見下ろした風景は、すでに焼野原と化していた。

「ひどい……」

屋敷の方へ向かって避難してくる男がいた。
さっきまで、ジョッキを鳴らしあっていた男の一人だった。
彼は、後ろから何かに刺されるようにして絶命した。
彼の後ろには、軍服を着こんだ20歳前後の男性が立っていた。
先に動いたのは、ケイトスだった。
男の太ももにひげを思い切り突き刺した。
男が絶叫して、足を抱えて崖を転がり落ちていった。



270: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 18:56:15.68 ID:H82ghVpj0

崖下まではそこまで高さはない。
男も死んではいなかった。

「ケイトス……落ち着いて。できる限り、殺すな」

なんで。
彼女はそんな顔をした。
確かに、こちらが殺されるかもしれない。
私が言えることではない。
けれど、彼女と平和な世界へ行くことは、
今からでも遅くないのだと、信じたいのだ。
故郷を血の海にしたくない。
それも、ケイトスの手によって。

「もしもの場合は私がやるから」

マフィアの男の体をまさぐる。
拳銃が一丁。
それをズボンのベルトに挟んだ。
崖下に降りて、先ほどの軍人から武器を横取りしようと思ったのだが、
彼の様子がおかしい。
背中が大きく盛り上がって、茶褐色の毛が全身を覆っていく。

「……なんだ、熊か?」

軍服がびりっと引きちぎられた。
顔が前方に飛び出て、立体的な骨格になっていく。




271: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 19:01:55.81 ID:H82ghVpj0

男性だった生物は、雄たけびをあげた。
冗談だろ。
こちらに狙いを定め、太ももを引きずりながら、
四本足で猛突進してくる。

「ケイトス、村へ!」

彼女の手を握りしめて、走り出す。
手負いの熊ほど、狂暴なものもない。
腕だけを後ろに伸ばして、発砲する。
獣の悲鳴。
一度、足を止めたようだが、再度追いかけてくる。

「あんな怪我で走ったら……死ぬぞあいつ」

「死ぬ気なのかな」

ケイトスがぽつりと言った。
なんでだよ。




273: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 19:15:40.41 ID:H82ghVpj0

そこまでして、追い詰めなきゃならないのか。
こんな女子どもに対して?
そりゃ、最初に太もも刺したケイトスは悪かったけどさ。
不可抗力だし。
いや、罠という線も。
陽動?
前方に何か待ち構えているのか。

前後左右に聴覚を集中させる。
誰か来る。
ベルトから拳銃を取り出して、脇をしめて身を低くした。

「ケイトス、ひげは自分の身を守るために使って」

返事はなかった。
しかし、質問を繰り返している余裕はなかった。
乱れた呼吸を整えつつ、照準を定めるため銃口を前へ。
人影。
小柄だ。

「姉ちゃんっ」

先ほどの少年だ。
元々全身黒っぽいせいか、夜に溶け込んでいる。

「お、親父がいないんだ……っお、おれ」

「悪いけど、立ち止まって話している暇はないんだっ」

戦闘機がこちらに向かってきていた。
何かを射出して、また上空へ。
ミサイルだ。

「まてまてまて……っ」

少年とケイトスを抱えて小脇に思い切り飛んだ。




274: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 19:40:20.21 ID:H82ghVpj0

耳に指を素早く突っ込む。
あまり意味はなかったが、それでも全く聞こえないという状況は避けられた。

「二人とも立って」

後方の熊人間の上半身が吹き飛んでいた。
二人に見せないように、先を促す。
なんだ。
本当に死にに来たのか。
仲間も敵も関係ないのか。
最悪だ。
この村をなんだと思っているんだ。
自分たちの所有物だとでも。
目を覚まさせてやる。

「……っ」

少年が泣き崩れている。

「親父を探すんだろっ」

少年の襟首を掴み、無理やり立たせ、背負う。

「しっかり、捕まってろ」

潰れた喉笛のような声で、少年は途切れ途切れに、

「友達がっ……ボスの息子の……そいづ助けようと……親父一緒にっ……合流ずるって……」

「意味が分からないけど、二人とも助ければいいってことか?」

「うっん……うんっ」

しばらくして、家屋は増えてきたが、逃げ惑う人々はいない。
地面に転がっているのは死体ばかりだった。



276: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 20:05:36.26 ID:H82ghVpj0

この短時間で、一体何人死んだんだ。
死体と全壊あるいは家として機能していない建物群の間を通り過ぎる。
時折うめき声が聞こえて歩み寄るも、断末魔にしか過ぎなかった。
硝煙の匂いに、ケイトスが顔をしかめていた。
ケイトスを屋敷においてくるという選択肢を選べなかったのが悔やまれる。

「……親父ー!」

少年が叫ぶ。

「ばかっ」

すぐに口を塞いだ。
敵に見つかったらどうするんだ。

「……あ」

ケイトスが立ち止まる。
少年が私の手を振りほどき、走り出した。
ボスの息子らしき子どもを背負った男性が、
頬を真っ黒にしてこちらへ向かっていた。
宙を引っ掻くように、少年もアンバランスに走り寄った。
と、背筋をおぞましいものが這いずった。
私が視界に捉えたのは、細長い爆弾が10個以上上空にばらまかれた瞬間だった。




277: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 20:17:31.69 ID:H82ghVpj0

「戻れっ!! 爆弾だ!!」

少年一人なら、ケイトスのひげと私の体でなんとか守れるはずだ。
彼は、肩越しにこちらを見やった。
そして、私の言葉が聞こえたにも関わらず、走り出した。

「だめだッ、戻れ!!」

ひげが私の横を通り過ぎた。
少年の体に巻き付いていく。
彼は抵抗した。
暴れて、暴れまくって、
彼をひげでぐるぐる巻きにして、
急いで建物の陰に身を寄せた。
少年を体の下に隠した。

刹那、死の轟音と共に、大地が震えた。



278: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 20:38:37.36 ID:H82ghVpj0

政府の奴は、この村で世界大戦でも開戦するつもりなのか。
瓦礫に埋もれながら、私は村の最後を、故郷の終焉を目に焼き付けた。
視界が真っ暗になった。瓦解していく音も聞こえない。

「……っ」

少年は声を出さずに泣いていたのか。
それとも、また私の耳が麻痺してしまっただけなのか。
彼は憎しむだろうか。
私たちを。
政府を。
それとも、考えることを諦めるだろうか。
少年の体の震えが止まった。
どうしたんだ。
気絶したのか。
分からない。
ケイトスの息遣いが耳の後ろで聞こえた。
少年は息をしていない。

「おいっ……」

だと言うのに、彼はのそりと動いた。
立ちあがっただけではない、質量を増していく。
私とケイトスを圧迫していく。
遮蔽物が崩れて、熱風が舞い込む。
赤銅に輝く瓦礫の中、少年は一人黒い羽を広げて、地を蹴り空を舞った。



279: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 20:46:48.14 ID:H82ghVpj0

許さない――。

少年の姿を呆然と見つめていた私は、はっとケイトスを見やった。

「何か言った?」

「何も……」

互いに傷だらけになっていた。

許さない――。

「……ラビット、何か言った?」

「いや?」

この声はなんだ。
と、かなり上空で爆発が起きた。
爆撃機だ。
中の爆弾も連動して黒煙が上る。
村の外れの方に、破片をまき散らせながら墜落していった。



280: ◆/BueNLs5lw 2015/11/12(木) 21:06:32.07 ID:H82ghVpj0

あの子がやっているのか。

「ああ、可哀想な鷲の子よ」

背後からしわがれた老人の声がした。
ケイトスがひげを出そうとして、老人の眼光に射止められる。

「災いの光よ。紛い物のトナルでは軍神を止められはせん」

「誰だ、あんた……」

「臆病な兎よ。平和を望むなら、エル・ビスカイノへ行くがいい。そこは、ナワルの楽園、トナルの聖地」

「何言って……」

「そこに、誰かいるのですか」

老人の姿が声にかき消される。
無防備かつ不用心に、その軍人は私たちの前に歩み寄った。
10代前半くらいの少女。
この間もこれくらいの女の子が、軍の特殊部隊に所属しているとかなんとか言っていたな。
さっきの熊野郎と言い、この少女も何らかの改良を受けているはず。

「あなたたち……」

少し驚いて、高い声を発した。
少女らしく透明感があった。

「ラビット、それにケイトス……」

「なんで、名前を知ってるんだ……」

彼女は、しまった、と表情に出ていた。
なんだ?

「……サンディです」

私とケイトスは顔を見合わせた。



286: ◆/BueNLs5lw 2015/12/06(日) 23:11:33.44 ID:USrMAA2Q0

もしや、あの蛇少女なのか。
それにしても、髪や肌の色が違うような。
私が疑いの眼差しで彼女を見ると、
サンディらしき少女は、

「この姿では信じられないですよね。構いませんよ」

と別段怒る様子もなく言った。
口調だけで言うと、確かにあのサンディだと思えないこともない。

「それに、今はサンディではなくピトンですから」

「どういうこと?」

ますます混乱した。

「ラビット」

ケイトスが私の袖を引っ張る。

「なに?」

「さっきのじじい、あそこにいる」

目の前の少女がサンディだろうがピトンだろうがどうでもいいのか、
口の悪いケイトスが指を指す方向に、先ほどの老人がいた。
足元には、ボスの息子と空へ飛んで行った少年の父親が黒々と焦げて転がっていた。
私は思わず、顔をしかめた。
こちらまで、焼け焦げた匂いが漂ってきそうだ。
老人は、両手をその二人の死体の上に掲げ、
天に昇りゆく魂が見えるかのように、
手の平を戦火の空へと向けた。



287: ◆/BueNLs5lw 2015/12/07(月) 00:03:40.38 ID:rqLQnJGp0

「あなたたち、あの老人が見えるのですか?」

驚きを隠さずに、少女が言った。

「どういう――」

死体の向こうで、不自然な瓦礫の動き。
生存者か。
しかし、この炎と瓦礫の海の中立ち上がれる者など、
普通の人間ではないということと同義。

「誰だッ」

警戒し、ケイトスを後ろに下がらせる。

「……は? あんたこそ誰?」

影がゆらりと傾いた。
特殊部隊の戦闘服の肩口を、
子気味良く叩き払って、
少女はそう問いかけてきた。
見た所、15、6歳くらいか。

「ティグレ……無事でなによりです」

「ピトン、これが無事に見えるの? オソは? パローマもどこに行ったの?」

ティグレと呼ばれた少女は、
後ろを振り向く。
背中が焼けただれて、
皮膚が赤黒くなっている。
よくその傷で立っていられるな、こいつ。



288: ◆/BueNLs5lw 2015/12/07(月) 00:16:32.51 ID:rqLQnJGp0

「死にました」

「……冗談でしょ? 隊長は?」

「連絡が取れません」

「……戦闘機と爆撃機の連中は?」

ピトンは首を振った。
ティグレは上空を仰いだ。
しかし、先ほどから一機として、
飛んでいる機体はない。
恐らく、全てあの少年に撃ち落とされてしまったに違いなかった。

「ティグレ……」

「空の連中、使えないじゃん……」

ティグレはポケットから戦闘服と同じような深く濃い緑のキャップを目深に被って、
白に近い頭髪を押し込み、地面にどさりと座り込んだ。

「で、あんたたち何? 捕虜? 命令は殲滅だし違うか。じゃあ、あれだ観光客、そうでしょ」

「うん、そう。観光」

ケイトスが平然と答えた。
こいつのこの物怖じしない所、どうにかして欲しい。



294: ◆/BueNLs5lw 2015/12/24(木) 23:20:07.24 ID:va28JfJ00

ティグレは、その双眸に爛々と燃え盛る炎を宿し、ケイトスをじっと見て、そして笑った。

「あんた、同じ匂いがする。血と肉を好む、獰猛な野獣の匂い」

ケイトスは首を傾げた。
それから、自分の体をくんくんと匂い始める。
ティグレは、

「あー、でもバカなんだ。安心した。バカに悪い人間はいない」

言って、手のひらを軽く叩いていた。

「ティグレ、止血剤をかけますから、じっとしていてください」

ピトンは持っていた四角い迷彩のバックのジッパーを引き、
中からスプレー缶を取り出した。

「それ、痛いから……や」

「や、じゃありませんから」

呆れた口調で、ピトンはティグレの背に、
白い泡状の止血剤を吹きかけていた。
初めて見るものだ。西部軍の開発したものか。
ティグレのうめき声をよそに、私はまじまじと見ていた。

「――あづ!!!! も、もういい!! から!! 帰って、あとは、帰って、処置してもらうから!!」

「……ええ」

ピトンはスプレー缶をまたバックに戻した。



295: ◆/BueNLs5lw 2015/12/24(木) 23:41:29.04 ID:va28JfJ00

ティグレは、痛みに耐えるようにして瓦礫中に蹲る。

「って、言っても帰りは徒歩か……。ピトン、乗ってく? その方が早いし」

「いえ、悪いです。しかも、背中が、そんな状態で何を言ってるんですか。あなたは、先に…‥先に……安全な所へ」

「や、基地に戻るでしょ。まがりなりにも上官をおいて行くわけにもいかないんだからさ」

「上官なんて、そんなのもう意味ないですよ」

「は? 何言ってんの。作戦失敗して、頭おかしくなった?」

「……そうなら、いいんですけどね」

ピトンはティグレの傍にしゃがみ込んだ。

「もう、私たちは帰る場所がありません。全員、ここで死ぬはずだった。それが本作戦のもう一つの目的です」

「特攻なんて作戦になかったけど」

「違います。ティグレ。私たちの利用価値が無くなったのです」

ティグレは、ピトンの頬をつねった。

「ピトン、頭打ったでしょ?」

心底心配そうに、頭を撫でる。

「ティグレ、それに、他の特殊部隊の人間には知らされてなかったことです。私は、偶然知る機会に恵まれていた」

「だ、だからさ、なんで、なんのために」

「新しい兵士が、また南部から配給されたということです」

まるで、物みたいな言い方だった。

「困るって。だって、私――」

ティグレは膝を抱えた。



296: ◆/BueNLs5lw 2015/12/24(木) 23:59:00.18 ID:va28JfJ00

彼女が何かを言い終える前に、突風が巻き起こった。
翼の羽ばたく音。

黒い少年が、再び地に降り立った。
少年は、もはや人の姿を保っていなかった。
鷲のようにも見えるが、
顔の嘴はうねり、首も可笑しな角度に曲がっている。
目も、どこにいったのか。
果たして、生き物なのか。

「……」

敵になったのか、味方になったのか。
定かではない。うかつに近づけない。

「……親父は?」

一体、どこの器官で喋っているのだろう。
少年の声が、不気味に響く。
その問いかけにまともに答えられる人間が私しかいなさそうだったため、
仕方なく言った。

「あそこだ」

指を差した。
少年も振り返った。
先ほどのように、感情を爆発させることはなかった。
静かに、見ていた。
目など無いにもかかわらず。



297: ◆/BueNLs5lw 2015/12/25(金) 00:23:19.76 ID:ksyRdt410

「親父を……友達……も助けてッ……ひっく」

嗚咽交じりにそう言って、顔を両手で覆った。

「なんなの、こいつ……」

ティグレは、痛みのせいか顔を歪めて、少年から後ずさる。

「助けてよぉ……ッ」

炭になった父親を、彼は抱きしめた。
甲高い声で、体いっぱいの嘆きを放った。
ティグレにしろ、ピトンにしろ、
少年の声を無視できるほど、大人ではなかったのだろう。
そして、軍人にもなり切れていなかったはずだ。
だって、元は、ただの子どもだったのだから。
性根まで腐るには、時間が短すぎたんだ。

少年が彼女達に復讐しないのはきっとそれが分かっているからなのだ。
そうでなかったとしても、そうであって欲しい。
だから、二人は、少年を見つめることで精いっぱいだったのだ。



300: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 14:56:50.90 ID:LYGwsoPm0

と、車のエンジン音が聞こえた。
そう遠くはない。

「誰か来るぞ……」

誰にともなく、私は言った。
ケイトスが、また我先にと歩き始めようとしたので、
彼女の首根っこを掴んだ。
こいつ、本当に好戦的だな。

「大人しくしてろよ」

「わかった」

白い光が二つ見えた。
こちらに向かってきている。
どうやら、車のヘッドライトみたいだ。
軍用車ではなく、普通の自家用車。
車は、瓦礫に阻まれて、道半ばで停車した。
車から出て来たのは、猟銃を片手に携えたおばさんだった。
その後から、よろけながらおばちゃんの息子が顔を出した。

「なんだい、これは……」

おばちゃんが、信じがたいと言うように頭を振る。
すぐに私たちの存在に気付き、駆け寄ってきた。

「ラビット、何があったんだい……」

言いながら、おばちゃんはピトンとティグレに対して、
猟銃を突き付けた。

「まさか、この子たちは……」

ピトンは何も言わなかった。
ティグレに関しては、膝に顔を埋めたままで、動く気配はない。

「ひッ!?」

息子が悲鳴を発した。
おばちゃんが視線を外し、

「どうしたッ」

「ば、化け物だ!」

少年だったものを指さして、息子は発狂しそうなくらい狼狽えていた。
おばさんも悲鳴こそ上げなかったものの、口元を抑えて後ずさった。



301: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 15:36:50.48 ID:LYGwsoPm0

「その服、チュスなのかい……」

異形の鳥人と化した少年――チュスは、小さく頷いた。

「……チュス、そこにいるのは」

チュスは抱きしめていた父親を隠すように、体を丸める。
羽を大きく広げて、誰の目からも見られないように覆った。

「ラモスの人間は……?」

チュスの体が揺れた。

「みんな死んだ。そいつらのせいだ」

チュスは翼の間から、ピトンとティグレを指さした。
鼻をすすり、立ち上がる。

「空から、爆弾をたくさん落として……」

チュスは、ピトンを睨み付ける。

「あ……」

しかし、言葉を止めた。
彼はピトンをまじまじと見つめ、
気味の悪い顔を彼女へ近づけた。

「君は……」

嘴で突き殺してしまいかねないくらい近づいて、
ティグレが弱弱しく割って入る。

「その嘴で、何をするつもりなのよ」

「え」

そこで、チュスははたと自分の顔を両手で触れた。

「な……んだ……これ」

彼は、もう一度同じセリフを呟いた。



302: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 15:51:38.08 ID:LYGwsoPm0

「なに、あんた気づいてなかったの……あんだけ、空飛び回っておいて」

ティグレは言った。
チュスは嘴を右手で握り、
引っこ抜こうと躍起になった。

「うわぁッ……ああああ――」

自らの変化に怯え、顔中を掻きむしる。
バランスを崩して、父親の上に倒れこむ。

「ああッ……ッあ」

その横に、まるで亡霊のように、
あの老爺が姿を現した。
彼は言った。

「アギラのトナルよ。鷲の子よ。この小さきナワルは太陽に近づき過ぎた。すぐにテクートリが彼を最下層の冥府へと誘いに来るであろう」

ケイトスはひげをしならせ、
彼に突き刺した。
だが、そこには何も無い空間が広がるだけだった。



303: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 16:12:30.98 ID:LYGwsoPm0

「チュス」

おばちゃんが逞しい腕で、
チュスの体を引き寄せた。

「……うああ――!」

「戻れないのかい?」

少年の体を包み込むように、
おばちゃんが彼の体に腕を回した。

「敵は必ずとるから……だから、元のチュスに戻っておくれ。家に帰ろう」

「ダメだよ、ママ。チュスはナワルとして自分で目覚めてしまった。いずれこのことがバレたら、チュスはMPの恰好の餌になる。そうなったら、僕らもただでは済まないよ」

「おまえは、チュスを見捨てるのかい」

「でも、チュスの力は、僕らに災厄しか運ばない」

「お前は、本当にバカ息子だよ。自分のことしか頭にないのかい」

「バカなのはママだよ。あんな戦争孤児ばかり引き取って……チュスを匿えば、何の力もない彼らや、僕やママが一番危険になるんだよ」

「チュスは、おまえの弟みたいなもんじゃないかいッ」

「こんな気持ち悪い弟を持った覚えはないさ!」

息子が怒鳴った。
チュスは怯えて、身を縮こまらせた。




304: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 16:50:20.77 ID:LYGwsoPm0

「それより、この軍人達を始末しないと」

ピトンとティグレを交互に見て、
息子は鼻を鳴らす。

「一人は僕の実験の材料になってもらおうかな」

にやりと笑って、
ピトンの肩に手を伸ばした。
ティグレがかばうように、一歩前に出る。

「やめろ」

事が落ち着くまで傍観していようかと思っていたが、
私は息子の被害者として、見過ごすことができなかった。

「き、きみには関係ないだろう。だいたい、殺されかけたんじゃないのか」

「殺されかけたけど、死んじゃいない」

「どういう理屈だ」

「私がこの二人を引き取る」

引き取ったその後のことは、
何も考えちゃいないけど。

「きみは、やっぱり……政府のスパイだったんだ。そうだろ」

私は、息子の言葉を無視した。

「チュスいいか?」

私は跪いて、
チュスの手を取った。



305: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 17:20:00.22 ID:LYGwsoPm0

「この二人を殺したって、敵をとったことになんかならない。こいつらは命令に従っただけだ。分かるよね、チュス」

チュスは手を握り返す。

「彼らは、作戦に失敗した。そして、もう軍人としての能力に限界が来ている。あの二人は帰った所で、殺処分されるだけなんだ」

「ラビット……」

「チュス、おまえは父親と友達を助けようとした、立派な人間だ。いいやつだ。おまえのお父さんだって、きっと褒めてくれる」

「……俺、もうすぐ死ぬんだ。そうでしょ」

チュスはぽつりと言った。

「そうだ……」

「父さんの所に……行くんだ」

「そうだよ…‥」

「ねえ、ラビット」

「なに」

「あの子を守ってあげて……」

彼の視線の先に、ピトンがいた。
どうして、彼女を。
私は、戸惑いつつ頷いた。
それから、彼は、ポケットに手を入れて、
私の手ひらに小さな植物の種を置いた。

「これ、調べたら……ケシの実だった。悪いことしちゃダメなんだ。いつか罰が当たる」

「……」

「ねえ、名前なんて言ったっけ? あの子」

「ピトンだよ…‥」

少年はピトンの方へ腕を伸ばした。

「あの種、持ってる? ごめんな、あれ、麻薬だったんだ」

ピトンは少年をじっと見つめた。
それから、ゆっくりと胸ポケットから、
全く同じ種を取り出した。

「それ、やっぱり返して……」

ピトンは、いつチュスからその種をもらったのか。
言われて、ピトンはそっとその種を少年に返した。
その手はわずかに震えていた。

「君に悪いことが起こらない様に、俺が向うへ持っていくね」

その言葉を最後に、チュスは息を引き取った。



307: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 22:13:50.18 ID:LYGwsoPm0

チュスの亡骸は、おばちゃんが炎の中へ投じた。彼の身よりは父親しかいなかった。
実際、彼の死を本当に悼むことができたのは、もしかしたら、唯一このおばちゃんだけだったのかもしれない。
あるいは、遠巻きに焼かれていく少年を見ていたピトンも――。
ティグレに支えられるようにして立っていた彼女も、少年の死を哀しんでいたのだろうか。

「ラビット」

「なに、ケイトス」

「冥府ってなに」

「死んだ人間がいくとこだ」

「私も行ける? 一番下まで」

「最下層に行くには死んでから、4年は旅をしないとならないって聞いたけど」

「むり」

「じゃあむりだ」

「残念」

「なんで」

「死んだ人に会えるかと思って」

「……」

死んだ人に会えるなら、
死を恐れることなんてないのにな。



308: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 22:51:28.78 ID:LYGwsoPm0

今頃、冥府の入り口が開いて、
少年が足を踏み入れた頃だろうか。
私の父や母、おんじやおんばも、
そこにいるのだろうか。

目を閉じる。
帰って来ない方が良かったと、
多少は思っている。
まさか、故郷の終焉に立ち会うことになると、
誰が予想しただろうか。

これからも、どこかの村で、
こんな惨劇が起こるのだろうか。

「ピトン。次、爆撃する村とか知ってたりする?」

「いいえ……」

ピトンは首を振る。
代わりに、ティグレが答えた。

「次は、南西の島々よ」

「あんた、そんなこと教えていいのか」

「あんたじゃない。ティグレよ」

ティグレは被っていた軍帽を手に取り、
薪をくべるかのように、炎へ投げ入れた。

「ピトン、私たちは廃棄されたってことでいいのね」

さほど長くない銀糸の髪を後ろにまとめ上げる。
小さな馬の尻尾がうなじからひょこんと顔を出す。

「ティグレはどうするんですか」

「どうせ、死亡確認できなければ、追っ手が来るし、ここから移動した方がいいに決まってる」

先ほどまで憔悴した顔をしていたはずだが。

「私、西部に妹みたいな子がいるから、その子のためにも、絶対に戻らなきゃいけないのよ。あの子、一人で私の帰りを待ってる。だから、殺されない方法を考える時間と、殺されないための仲間が必要なの」

彼女は、獣のような視線を私とケイトスに向けた。

「そのために、あなたたちを利用させてもらうわ」



309: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 23:03:26.14 ID:LYGwsoPm0

「ああ。いいだろ、ケイトス?」

「いや」

私は思わず咳払いしてしまった。

「どうして」

ケイトスの顔を覗き込む。
わずかに、ほんのわずかに、
頬を膨らませている。
なんで、この状況で、
嫉妬してるんだこいつは。

「……ケイトス」

ピトンが、声をかけた。

「私からも、お願いします。彼女を一緒に連れていってあげてください」

「いやいや、あんたも行くでしょ? ピトン」

ティグレがぎょっとして、ピトンの腕を掴む。

「私は……」

「ピトン、あんたは私が守る。彼とそう約束した。何を迷っているかは知らないけど、どこで悩んだって同じだ。行く先で迷えばいいよ」

ケイトスが何か言いたそうにこちらを見ていたが、無視する。
私よりも頭一つ分は背の低い、ピトンとティグレに手を差し伸べる。

「私はラビット、こっちはケイトス」

よろしく。
そう言って、私は小さく微笑んだ。




310: ◆/BueNLs5lw 2015/12/27(日) 23:11:27.09 ID:LYGwsoPm0

「本当に、送っていかなくていいのかい」

おばちゃんが眉根を寄せて、
確認するように問いかけた。
山々の向こうから、太陽が顔を出しつつあった。
もう、朝なのか。
だが、その温かさに救われる。

「大丈夫。おばちゃんこそ、気をつけて」

息子が早く戻りたそうな顔をしていたので、
私は笑って手を振った。
この男だけは、墓場まで恨んでおこう。

「あんたらもね」

エンジンを吹かし、
二人を乗せた車が朝もやの中、遠ざかっていく。





A Rabbit's Life (オリジナル百合)【後編】に続く




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