アイドル。

それは人々の憧れであり、遠い存在。



そう言ったのは、濁ったような、淀んだような、どこかに斜に構えて物事を捉える、そんな目をした男の子だった。

ーーそう、男の子。

自分とそう歳の変わらない、どこにでもいるような普通の男の子。
……いや、どこにでもいるって言うのは、少し言い過ぎかな。あの人みたいなのがいっぱいいたら、正直色々と大変だと思う。

捻くれていて、素直じゃなくて、卑屈で不遜で、でも、本当は優しい男の子。

その在り方は不器用そのものではあったけど、きっと醜いものではなかった。一見しただけでは、表面だけを見るのであれば、それは歪で、とても完璧とは程遠いものではあったけど……



ーーそれでもきっと、それは美しいものだったんだ。






凛「……ねぇ、奈緒」



私は窓の外を流れる雲を見ながら、ぽつりと、言葉を零す。



凛「奈緒にとって、アイドルって何?」



それは、いつかあの少年から問われたこと。
自分に自信が持てず、憧れから目を背けていた、私への問い。

結局その時は答える事が出来なかったけれど、”それ”を探し続け、私は今も歩み続けている。






392: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 02:58:43.56 ID:rz2WyN+/0




奈緒「あん?」

凛「だから、奈緒にとってアイドルは何なのかって、そう訊いてるの」

奈緒「それは……」



言葉を淀む奈緒。その表情は曇っていて……というより、訝しんでいた。



奈緒「……それは、今答えないといけないことか?」



私が押さえる椅子の上で、雑巾を持ちながら。



奈緒「急に真面目なトーンで話かけてくるかと思ったら、まさかそんなどこぞのインタビューみたいな質問をされるとは…」

凛「ごめんごめん、なんか窓の外を見てたら、ふと考えちゃって」

奈緒「そっから連想する時点で謎だよ。……うーん、そうだなぁ」



棚の上を拭きつつ、それでも奈緒は考えてくれている。
なんだかんだ言いつつ、こういう所は素直だよね。



奈緒「私にとっての、アイドルね……」



どこか虚空を見つめるようにしていた奈緒は、そこで腕組みをしたかと思うと、静かに、そして何故だかとても恥ずかしそうに呟いた。



奈緒「……か、可愛さの頂点、かな」

凛「可愛さの、頂点……」






393: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 02:59:38.22 ID:rz2WyN+/0




うん、なるほどね。確かにその言い方は分からなくもない。
女の子の夢、とも言われるくらいだし、間違ってはいないと思う。どこか可愛さに対して憧れのようなものを抱いている奈緒にはピッタリな表現かもしれない。

と、納得している人物がもう一人。



加蓮「ふんふん、なるほどなるほど。つまり奈緒は、可愛さの頂点に立てた、と」

奈緒「なっ、いや別に、アタシがそうって言うわけじゃなくてだな……!」



茶化すように言うのは、いつの間にか側で聞いていた加蓮。壁に寄りかかり、その手にはモップを携えている。



加蓮「いやいや、謙遜することないって~。奈緒は立派なアイドルだし、可愛さの頂点に立ってるとアタシも思うよ♪」

奈緒「~~っ! だ、だから、別にアタシのことじゃ……あーもう、だから言いたくなかったんだよ!」



顔を真っ赤にして、ぷいっとそっぽを向く奈緒。慌てて椅子を押さえ直す。そんなに動くと危ないんだけど……



凛「……それじゃあ、加蓮は?」

加蓮「ん? アタシ?」



ニマニマと楽しそうにしている加蓮に、今度は話を振る。なんとなく始めた話題ではあったけど、聞いていたら何だか興味が湧いてきた。



加蓮「そうだなぁ、アタシにとってのアイドルは……うーん……夢、かな?」

凛「夢、か」

加蓮「あ、今なんか普通だなって思ったでしょ?」

凛「えっ、いや、そんなことは……」



ない、とは言い切れない。正直思った。というよりは、ポピュラーな言い回しだな、という感じだけど。



加蓮「アタシにとっては、ちょっと意味合いが違うんだよね。二つあるっていうか」

凛「二つ?」

加蓮「うん。アタシにとっての夢っていうのは、良い意味じゃなかったから」



そう言う加蓮の顔は、先程までと比べ少し儚げなものになる。
どこか哀愁を感じさせるその表情には、私も、そして奈緒も、覚えがあった。






394: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:00:31.11 ID:rz2WyN+/0




加蓮「夢は叶えるもの、なーんてよく言うけど……アタシにとっては、夢は見るだけのものだったからさ」

奈緒「…………」

加蓮「でも、今は違うよ?」



一転、加蓮の表情は明るくなる。そこにいたのは、私たちが知る、いつもの加蓮。



加蓮「今のアタシにとっては、夢は叶ったもの。そして、これからも更に見続けるものだから」

凛「……そうだね」



思わず、自然と笑みがこぼれる。見てみれば、奈緒も同じ様子だった。

そう。ただ見ているだけだったのは昔の話。
今は夢を叶え、そしてずっと見続けている。加蓮だけじゃなく、私も、奈緒も。


アイドルは、可愛さの頂点であり、夢、か。



凛「…………」

ちひろ「こらこら。三人ともお喋りは良いですけど、掃除もちゃんとしてくださいね」



振り向くと、何やら段ボールを抱えたちひろさんが立っていた。その中身は、やたらに多い白封筒……あ、閉じられた。



ちひろ「午後からは合同レッスンがありますから、午前の内に終わらせちゃいましょう」

奈緒・加蓮「「は~い」」

凛「……ふふ」






395: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:01:36.19 ID:rz2WyN+/0




まるで先生と生徒のようなそのやり取りに、思わず笑ってしまう。

辺りを見てみると、アイドルたちが皆一様に掃除へと勤しんでいる。雑巾がけしている子もいれば、掃除機をかける子に、棚の整理をしている子も。
普段であれば、業者の人たちがやっている仕事ではあるけど、今日は別。それも……



社長『この会社も設立して随分と経つ……たまには、社員皆で奇麗にして労おうじゃないか』



という社長の発言から、こういう事になってるというわけ。確かに、この事務所にはいつもお世話になってるし、良いことだよね。



きらり「こらー! 杏ちゃん! サボってないで、ちゃんとお掃除しないとダメだにぃ!」

杏「うぇー充分きれいじゃーん、もう終わりでよくなーい?」



……まぁ、一部めんどくさがってる子もいるけど。



凛「……けど、そっか」



ふと、事務所の一角へと視線を向ける。

事務スペースにある一つの机。今は誰も使っていない、何の道具も資料も置いていない、どこか空虚さすら感じる、何の変哲もない机。
今は丁度ちひろさんが掃除をしている所だ。その今は使われていない机を、丁寧に拭いている。

けど、なんでだろう。こうして皆で掃除をする時じゃなくても、ああしてちひろさんがあの机を掃除している光景を、よく目にするような気がするのは。

……たぶん、気のせいなんかじゃないんだろうな。



凛「ん……」



不意に、緩やかな風が頬をなでた。

視線を向けてみると、誰かが開けたんだろう。カーテンを揺らしながら、窓が開けている。
その切り取られた青い空を眺めていると、どうしても、あの約束を思い出してしまう。


いつも隣にいてくれた、あの少年との約束。



凛「……あれから、もうそんなに経つんだね」



いつもいた筈の彼は、今はいない。そしてそれが当たり前になってしまった。
そんな風景が、”いつも通り”になってしまった。



これは、






彼がプロデューサーを辞めて、一年程たったある日の出来事。









396: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:02:35.62 ID:rz2WyN+/0











社長の発案による掃除はその後も進み、ある程度片付いたのはお昼前くらいの時間だった。思ったよりも早い。

まぁ、アイドルも含めてこの会社には相当な人数の社員がいるからね。全員で取りかかれば、そりゃあ早く終わるはず。
あまり広いとは言えない事務所だけど、今では思い入れも強い。それだけの時間を、ここで過ごしてきた。

社長だけじゃなくアイドルもそう思ってるんだから、しばらくは移転も無さそうだね。


掃除が終わった後に昼休憩を挟んで、予定通り私たちはレッスンルームへと向かった。既に着替えは済ませている。



未央「私にとってのアイドル……すばり、星だね!」



壁によりかかり、レッスンが始まるまでの待ち時間。
キラン、と。それこそ星のように目を光らせて言う未央。

別に訊いて回るつもりもなかったんだけど、さっきの話をしたら何となく話題が続いてしまった。ちなみに、その奈緒と加蓮は少し離れた所でストレッチをしていた。……加蓮容赦無いなぁ。



凛「星って例えは、また未央らしいね」

未央「でしょ? 遥か高みにある、輝く星。それぞれ違うし、どれも奇麗。まさに、夢は星の数ほどあるって感じ?」

卯月「なるほど~」



こっちは、座ってスポーツドリンクを飲んでいた卯月。



卯月「素敵ですね。さすがは未央ちゃん」

未央「そ、そう?」






397: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:03:27.26 ID:rz2WyN+/0




本人的にはちょっとカッコつけて言ったのかもしれないけど、卯月が屈託のない笑顔でそう言うもんだから、ちょっと気恥ずかしそうにしている。本当に純真だよね。



未央「それじゃあ、しまむーはどうなの?」

卯月「私ですか? 私は、そうだなぁ……」



むーっと、眉を寄せて考え始める卯月。



卯月「えーっとですね……」

未央「うんうん」

卯月「え、えーっと……」

未「……うん」

卯月「う、うぅー……ん~……?」

未央「……し、しまむー? そんなに真剣に考え込まなくても…」



頭から煙が出てくるんじゃないかと、そう思うくらい目をぐるぐるさせている。その様子はちょっと可愛らしいけど、何もそこまで悩まなくても。思わず苦笑する。



卯月「ダメです……何も良い例えが思い浮かびません……」

未央「別に良いって。大喜利やってるんじゃないんだからさ」

凛「そうだよ。卯月は、どうしてアイドルになりたいと思ったの?」



私がそう訊くと、卯月は思い出すかのように、虚空を見つめる。
その瞳、未央に負けないくらい光を灯していた。



卯月「憧れ……だったんです。キラキラしてて、あんな風に、なりたいなって」

未央「良いじゃん、憧れ! 私も分かるよ。っていうか、全世界の女の子の憧れだよね。アイドルって」



確かに、それはその通り。
女の子が一度は思い描く、理想の存在。正に憧れと言うに相応しいね。






398: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:06:08.13 ID:rz2WyN+/0




卯月「えへへ……でも、良いんでしょうか? そんなに普通の答えで」

凛「悪いことなんてないよ。というか、別に私は普通だとは思わないけど」

卯月「え?」

凛「素敵なことだよ。……それに、アイドルを目指すくらい憧れを抱き続けるって、簡単なことじゃないと思うし」



私の台詞に、うんうんと未央も頷いている。
こうして憧れの存在になれた私たちだから分かるんだ。ここまでの道のりは決して簡単なものじゃなかったし、そしてこれからも、きっともっと大変なことが待ち受けてる。



凛「だから憧れを持ち続けている卯月は、凄いよ」

卯月「凛ちゃん……」



嬉しそうに、顔を綻ばせる卯月。ちょ、ちょっとくさかったかな。
そんな顔をされちゃうと、何だか非情に照れくさくなってくる。



未央「っていうか前から思ってたけど、しまむーってある意味普通じゃないよね」

凛「ああ、それは分かるかも。……普通じゃないね」

卯月「え、ええ!? どういう意味ですか!?」



卯月を普通だなんて言ったら、たぶん世の女の子たちに怒られそうだ。


そうして雑談をしていると、レッスンルームの扉が不意に開いた。
今ここにいるデレプロのアイドルたちは大体揃っているから、恐らく入ってきたのは……



千早「失礼します」



落ち着いた声音で、礼儀正しく入ってるくるその人は、私も良く見知った人。
765プロ所属アイドル、如月千早さんだ。

千早さんはこちらに気付くと、近くまで来て挨拶をする。



千早「こんにちは。渋谷さん」

凛「お久しぶりです。千早さん」






399: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:07:13.13 ID:rz2WyN+/0




ぺこっと、思わず深くお辞儀をする。

……初めて会った時から随分経つけど、やっぱり今でも緊張しちゃうな。もちろん、話しかけてきてくれるのは凄い嬉しいんだけど。



千早「今日はよろしくお願いするわね」

凛「はい。こちらこそ」



そう。今日は765プロとデレプロの合同レッスン。

約三ヶ月後に控えている、合同ライブに向けてのレッスンである。

最初話を聞いた時は、本当に信じられないくらい驚いた。
どちらかと言えば、今まではライバルとしてイメージが強かったからかな。まさかこうして肩を並べてライブに挑む日が来るなんて、思いもしなかったよ。



凛「今日は765プロの皆さんは全員参加ですか?」

千早「いえ、私を含めて5人かしら。みんな忙しいから、時間を見つけて来れる時に来るという感じね」

凛「なるほど。確かに、こっちもそんな感じですね」



デレプロの場合、今日来ているのは私と卯月と未央、あとは奈緒に加蓮、もう少ししたら愛梨や蘭子も来るはずだ。だから今日は7人。

……今回765プロとの合同ライブということで、当然ながらデレプロでは出演の選考があった。765プロに比べて、こっちはさすがに人数が多過ぎるからね。

最初は希望を募って、その先は完全に事務所側の抽選。最終的には、デレプロからは15人での参加となった。一応同じくらいの人数に合わせたみたい。

正直、選ばれないことも覚悟してたけど、選ばれて良かったな。こんな貴重な機会もそうそう無いだろうし……

何より、あの765プロと共演できるんだ。
出たくないわけがない。



千早「……元気そうね」

凛「? はい」



何故か、含みのあるように笑う千早さん。
確かに元気ではあるけど、どうして今そんな風に確認したのだろう?



千早「それじゃあ、ああ言って間違いはなかったようね」

凛「何がです?」

千早「何でもないわ」






400: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:08:14.86 ID:rz2WyN+/0




そう言って、また笑う。どういう意味?

首を傾げていると、再びレッスンルームの扉が開かれたのに気付く。



千早「他のみんなも来たみたいね」



入ってきたのは、今日来る765プロアイドルの他の4人。

高槻やよいさん、四条貴音さん、水瀬伊織さん。そして、最後にあくびをしながら星井美希さんが入ってくる。

千早さんが入ってきた時もそうだったけど、765プロのアイドルたちがこうして目の前に現れると、やっぱり凄いね。他のみんなも、少し緊張してるのが伝わってくる。



未央「うわー……凄いねしまむー! 本物だよ本物!」

卯月「はい! やっぱり、オーラってあるんですね!」



ヒソヒソと、何やら興奮して話し込んでる二人。まぁ、気持ちは凄い分かるけど。

とりあえず、今いるメンバーだけでも挨拶をすることに。
各々が挨拶を交わしてる中、高槻さんたちが私に気付いて歩いてくる。



やよい「うっうー! お疲れ様です、凛さん!」

凛「高槻さん、お久しぶりです。四条さんも」

貴音「ええ。お元気そうで……心配はいらなかったようですね」

凛「心配……?」



はて? とまた首を傾げていると、四条さんは千早さんと目を合わせて笑い出す。
どうしたんだろう……なんか視線がやけに生暖かいというか、優しげに感じる。


そう言えば、この3人とは初めてテレビに出演する時に共演した縁があった。因縁の相手、ってわけじゃないけど、私からすれば特別な印象を持っている。今日はいないけど、たぶん美嘉も。

……それに、高槻さんに関してはちょっとしたライバル心みたいなのも。個人的にね。



やよい「? どうしたんですか?」

凛「な、なんでもないよ……です」



危ない、またちょっと敬語が崩れた。どうも苦手なんだよね……
前に千早さんたちに同年代なんだしいらないとは言われたけど、他所の事務所の、その上大先輩だからね。さすがにそれは遠慮した。

早く慣れるよう頑張ろう。






401: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:09:00.01 ID:rz2WyN+/0




あと挨拶していないのは……と、視線を彷徨わせると、やがて一人と目が合った。

相変わらずどこか眠たげな、金髪の少女。



凛「渋谷凛です。よろしくお願いします、星井さん」



いたって普通の挨拶。
けど、星井さんはジッと私の顔を覗き込むように見て、何も言おうとしない。



凛「……?」



不思議に思っていると、しかしすぐに星井さんは笑顔になる。



美希「うん。よろしくなの。凛」



テレビでよく見る、あの無邪気そうな笑顔。

でも、さっきの表情はなんだったんだろう。
まるで、見定めるかのような……



美希「ねぇ、凛」

凛「はい?」

美希「これからストレッチしようと思うんだけど、相手をしてくれないかな?」

凛「えっ」



その申し出に驚く。
いや、別に嫌というわけじゃないんだけど、ちょっと予想外というか。

それにしても、いきなり名前呼びとは凄いフレンドリーだ。



美希「ほらほら、早くやるの」

凛「ちょ、ちょっと…」



手を引っ張られ、比較的空いたスペースに連れてかれる。ほ、星井さんって、こんなに積極的なタイプなの?
確かに765プロの人たちは奇数だし、ペアを作ったら一人溢れるけど……

と、何だか分からない内にストレッチが始まってしまった。

先に開脚をしている星井さんの背中を、ゆっくりと押してやる。
……さすが、柔らかいね。






402: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:10:18.24 ID:rz2WyN+/0




美希「……ねぇ、凛」

凛「なんですか?」



ぐっ、ぐっ、と。
背中を押しつつ、言葉を返す。


その時は、他愛のない話だろうと思って特に身構えてなかった。だからだろう。



星井さんの言った次の言葉に、思わず身体が固まってしまったのは。









美希「プロデューサーのこと、本当に大切に思ってたの?」









その、さっきまでと何ら変わらない声。


それなのに、その言葉はまるで刃物のように、鋭く渡しの胸に刺さった。






凛「…………えっ……」






言葉が、出てこない。

というより、上手く頭が働いていなかった。
突然すぎるその質問を、すぐに理解することが出来なかった。

それでも、星井さんは私の返答を待たずに話し続ける。



美希「はちまん、だっけ? 凛のプロデューサー。この前、少し会ったの」

凛「どうして……」

美希「んーそれは言わない方がいいのかな。まぁ、その内分かるの」



あっけらかんとした物言い。
その内分かるって……彼が、765プロの星井美希と? 一体どんな理由があれば会うことになるのだろう。考えても全然分からない。

けどそれよりも、さっきの質問。






403: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:11:19.47 ID:rz2WyN+/0




凛「……大切に思ってたのかって、どういう意味?」

美希「そのままの意味だよ。詳しくは知らないけど、事情があって辞めちゃったんだよね?」

凛「…………」

美希「それでも、普通にアイドルをやれてるみたいだから。ちょっと気になったの」



何でもない事のように、変わらないトーンで喋る星井さん。
背中をこちらに向けているため、今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。

……それでも、中々踏み込みにくいことを訊いてくるものだ。



凛「…………大切だったよ。凄く」



だから、だからこそ私も、真摯に応えることにした。

きっと彼女も、自分が何を訊いてるか、分かった上で話してると思うから。



凛「もちろん、今でも大切に思ってる。だから約束を守る為に、私はアイドルをやってるんだ」

美希「約束?」

凛「うん。必ずトップアイドルになるって。そうしたら、必ず迎えに行くって約束」



もう一年くらい前にもなる、あの日交わした約束。
思えば、このことを人に話すのは初めてだ。そりゃ、話して回るようなことでもないしね。

そしてそれを聞いた星井さんは、少し面白そうにして声を上げる。



美希「あはっ。迎えに行くって、王子様みたいだね凛」

凛「そ、そんなカッコいいものじゃないと思うけど…」

美希「……まぁ、どっちが先かは分からないけど」

凛「え?」

美希「なーんでもないの!」



すると星井さんは立ち上がり、今度は交代と私を座らせて背中を押す。

そう言えば、今はストレッチの最中だった。






404: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:12:23.86 ID:rz2WyN+/0




美希「さっき、凛は約束の為にアイドルをやってるって言ったよね」

凛「ん、うん」



背中を押しながら、星井さんは再び会話を続ける。



美希「じゃあ、その約束が無かったら、凛はアイドルやらないの?」

凛「え?」



またも、一瞬身体が止まる。
約束が無かったらって……



美希「もしプロデューサーが元々いなかったら、アイドルやってなかったの?」

凛「いや、それは……」

美希「それとも……プロデューサーが『アイドル辞めて結婚してくれー』って言ったら、辞めてた?」

凛「け、結婚!?」



思わず、上ずった声が出る。
け、結婚って、そんなの考えたことも……いや、確かに迎えに行くとは言ったけど。

狼狽する私を見て、星井さんは「大袈裟なの」とおかしそうに笑う。
けど、その後すぐに静かになって言ってくる。



美希「……ごめんね、急に色々訊いちゃって。ただ、ちょっと気になったの」



振り返ると、彼女はジッと私の目を見る。

さっき見せた、あの覗き込むような目。



美希「あんな奇麗な歌を唄う凛が、どんな思いで唄ってるのか」



奇麗な、歌。

どこかで、私の歌を聴いてくれていたのだろうか。だとすれば、その評価を含めてとても光栄なことだ。素直にそう思う。



美希「それに千早さんや、あの春香も気にかけてるみたいだしね」

凛「え?」






405: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:14:09.16 ID:rz2WyN+/0




千早さんはともかくとして、ハルカというのは、あの天海春香さんでいいのだろうか。私は直接会ったことは無いはずだけど……どういうこと?
しかし、星井さんは特に説明はしたりしない。こうい所は本当にマイペースだ。

そして星井さんは、改めて問うてくる。






美希「だから、聞かせてくれないかな。あなたが、どんな思いでアイドルしているのか」






悪意なんて感じない。

冷やかしとか、皮肉とか、そんなものは一切感じない。


ただ純粋に、彼女は”アイドルとして”私に尋ねたいんだろう。


その気持ちに応えるべく、私はーー






凛「……私は」






と、そこで私の声は遮られる。


音の方を見てみれば、今日最後のアイドル、愛梨と蘭子が丁度来たところのようだった。



伊織「アンタたち、いつまで話してんのよ。みんな集まったみたいだからレッスン始めるわよ」

美希「むー、まだ話してるのに。でこちゃんってば厳しいの」

伊織「今日はレッスンしに来たんでしょうが!」



ぴしゃり、と叱ってのける水瀬さん。
こうして星井さんにはっきり言える人は案外珍しいように思う。



伊織「ほらアンタも」

凛「あ、はい」



言われ、慌てて立ち上がる。
すると何故か、水瀬さんは私の近くに寄ってきて小声で話し出した。



伊織「……ごめんなさいね。あの子も、悪気があるわけじゃないの」



言いながら見る視線の先には、ドリンクを取りに行った星井さんの背中。






406: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:15:26.40 ID:rz2WyN+/0




凛「き、聞いてたんですか」

伊織「そりゃ、あれだけ普通に喋ってれば聞こえるわよ」



そこまで言われて気付いたが、他のアイドルたちも少し気まずげにこっちを見ている。そうじゃないのは今来た愛梨と蘭子だけだ。



凛「……まぁ、いいですよ。隠すようなことじゃないし、それに…」

伊織「それに?」

凛「星井さんが言ってたことは、私もずっと思っていたことでもあるから」



苦笑しつつそう言うと、水瀬さんは少し驚いたように目を丸くする。
そしてその後、同じように苦笑い。



伊織「アンタも大概面倒そうな性格ね。……プロデューサーとアイドルって似るのかしら」

凛「え?」

伊織「なんでもないわよ」



最後の方が聞こえなかったので聞き返すも、水瀬さんはさっさと行ってしまう。

……765プロのアイドルって、みんな何か含みのある言い方するよね。高槻さん以外。
あの人がファンになる理由が、ちょっと分かった気がする。



その後合同レッスンはつつがなく進み、予定より少し早めに終了した。
今日は顔合わせも兼ねていたので、内容としては軽いものだ。


そして着替えも終わって各々が帰り支度をしてる中、星井さんは「また明日ね」と去り際に言い残し、他の765プロのアイドルたちと一緒に帰っていった。確かに明日もレッスンはある。

……あの言い分じゃ、明日また訊かれるのかな。


デレプロのアイドルたちもそれぞれ帰宅。レッスン前の会話について誰も触れてこなかったのは、私に気を遣ってくれたんだろう。



未央「しぶりーん、早く帰ろー!」

凛「うん。……あ、ごめん。私ちょっと忘れ物しちゃったみたいだから、先行ってて」






407: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/09(水) 03:17:01.97 ID:rz2WyN+/0




出口の方で待っててくれていた未央と卯月にそう告げ、レッスンルームに戻る。
着替えの入った手提げを忘れちゃ、さすがにまずいよね。

暗い部屋の中、目当ての物を見つけてすぐに戻る。


出口へ向かう途中、しかしそこで思わぬ遭遇をすることになった。






「失礼しまーす……」






扉を開け、キャスケット帽を被った女の子が入ってきたのだ。






「あれ、もう終わっちゃったのかな……顔だけでも出しておこうかと思ったんだけど…」






キョロキョロと辺りを見渡し、そこで、ようやく私と目が合う。

眼鏡をかけ、帽子から少しだけ赤いリボンが見え隠れしてる、この人はーー









凛「……天海、春香さん?」


春香「あなたは……」









お互い目を丸くして、見つめ合う。

こうして、私は彼女と初めて出会った。



恐らく、今一番トップアイドルに近いであろう、彼女と。









416: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:30:59.02 ID:JnIiLH7j0











前にも言ったけど、765プロというアイドルプロダクションは、この業界においてトップの知名度を誇る。

所属人数も、事務所の規模も、そこまで大きくはないと聞いたことがあるけど、それでも765プロは間違いなくトップアイドルへの座へと足を踏み入れている。それだけは確か。


それぞれのアイドルがそれぞれの分野で輝き、様々なことに常に挑戦し、時には、一致団結し最高のライブを届ける。

その輝く姿は、誰をも魅了してやまない。

もちろん、私もその一人。


そして、そんな765プロにおいて一人中心的アイドルがいる。
全員のライブではセンターを張り、765プロのアイドルたちを引っ張っていってる、そんなアイドル。



天海春香さん。



その人が、今、すぐ隣に座っている。

合同レッスンでいつか会う日が来るとは思っていたけど、まさか、こんな二人っきりの状況で偶然会うことになるなんてね。






春香「はい、これ」



レッスン場の廊下にある、備え付けのベンチ。

そこに腰掛けながら、天海さんはこちらに缶コーヒーを手渡してくる。
先程、側の自販機で買っていたものだ。



春香「コーヒーで良かった?」

凛「あ、うん。じゃなくて、すいません……っ」






417: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:32:46.67 ID:JnIiLH7j0




受け取った後、慌てて鞄から財布を取り出す。



春香「あっ、いいよいいよ! これくらい!」

凛「でも……」

春香「お近づきの印ってことで、ご馳走させて?」



ニコッ、と。屈託のない笑顔でそう言う天海さん。

なんとなく、卯月を思い出した。
何と言えば良いんだろう。安心感、というか、素直に可愛らしいと心から思える、そんな笑顔。



凛「ありがとう……ございます」



お礼を言うと、彼女はまた笑ってくれた。


たまたま忘れ物を取りに戻ったことで偶然会った天海さん。
折角会えたのだから、という理由で、彼女はお話をしようと言ってくれた。もちろん私としても嬉しいんだけど……さっきの星井さんの件があるから、ちょっと怖い。

でも、この感じだと大丈夫そうかな。
卯月と未央には先に帰っていてほしいとお詫びのメールを送っておく。



春香「そっか。予定より早く終わってたんだね」

凛「はい。私は、ちょっと忘れものをしちゃったから」

春香「本当、偶然だったんだね~」



何でも、天海さんも重なっていた仕事が早く終わったので顔だけでも出そうと、レッスン場へ足を運んだらしい。
残念ながら入れ違いになってしまったけど、本当に偶然、私とは会うことができた。



春香「合同レッスンはどうだった? 上手くいった?」

凛「ええと……」



その質問に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

レッスン自体は良かったと思う。初日ということもあって軽めではあったし、765プロアイドルの動きを間近で見れたのも貴重な体験だった。






418: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:33:57.13 ID:JnIiLH7j0




……ただ、星井さんとのアレがあったから、ね。
それをわざわざ説明するのもどうかと思うし、なんと言えばいいのか…



凛「レッスンは上手くいったと思います。ただ、その……」

春館「うん?」



な、なんて純真な目で見てくるんだろう。なんだか既視感を覚える。……たぶん卯月だろうけど。
まぁ、どうせその内聞くかもしれないとも思うし、言ってしまっても問題ないかな。



凛「ちょっと、星井さんとお話したんです」

春香「美希と?」

凛「はい。その、私のプロデューサーの件で。……元ですけど」

春香「えっ!?」



声を上げ、思った以上に大きなリアクションを取る天海さん。内容をまだ言っていあいのに、この驚きよう…



凛「もしかして、天海さんも会ったことあるんですか?」

春香「え、ええーっと、そう……だね」



私の質問に、天海さんは何とも答え辛そうに言う。ただ、その返答内容にも驚いた。



凛「美希さんといい、どうして……?」

春香「う、うーん……どこまで話していいのかな……」



聞き取れないくらいの小さな声で、ぶつぶつと何やら呟いている天海さん。
少しの間があった後、彼女は思い至ったように、思いもよらない発言をする。









春香「えっと、そう! 比企谷くんとは、友達なの!」


凛「……………………」









419: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:35:26.07 ID:JnIiLH7j0




なの……なの………なの…………



と、天海さんの言葉が木霊していくのを感じる。

静寂が、辺りを包んだ。



凛「…………天海さん」

春香「な、なに?」

凛「いいんですよ、別にあの人に気を遣わなくても」

春香「どういう意味!?」



いや、だってね……

友達って、そりゃ、最初に会った頃に比べればそういう関係も増えたみたいだけど。



春香「いや、本当だよ? ちょっと詳しくは話せないっていうか、言い辛いんだけど…」



言葉を選ぶように、ゆっくりと話す天海さん。



春香「……友達っていうのは、間違いじゃないよ。もしかしたら、私がそう思ってるだけかもしれないけど」



そう言って、苦笑する。

あの天海さんにこんなことを言わせるなんて。本人はちゃんと自覚してるのかな……してないだろうね。あの人のことだし。



春香「それにほら、LINEのIDも交換してるし」

凛「えっ!?」



今度は私が思わず大きな声を出す。
ま、まさか本当に友達なの……? いや、天海さんは最初からそう言ってるんだけどさ…






420: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:36:33.36 ID:JnIiLH7j0




と、今はそんな話をしてるんじゃなく。



凛「その、星井さんに言われたんです」

春香「言われた?」

凛「はい。……『プロデューサーのこと、本当に大切に思ってたの?』って」



その後の会話も含めて、大体のあらましを説明する。
話してる途中、天海さんはずっと申し訳なさそうな顔をしていた。



春香「ご、ごめんね! 美希がそんなこと話してたなんて…」

凛「いえ、良いんです。別に嫌なわけじゃなかったんで」



これは本当。
確かに凄い驚きはしたけど、言っていたことは、やっぱり向き合うべきことだから。



凛「なんていうか、再確認した気分です。私の気持ちを」



あの人と約束していなかったら、私はアイドルを続けなかったのか。

あの人がいなかったら、私はアイドルになっていなかったのか。

あの人が、結婚しよう、なんて事をもしも言っていたなら、私はアイドルを辞めていたのか。



そんな、誰に訊かれるでもない、誰に答えるでもない、自分への問い掛け。

それを、改めて訊かれただけの話なんだ。



凛「凄い人ですね、星井さん」



苦笑しつつ、素直に思ったことを口にする。
あんなことを面と向かって訊ける人は、中々いない。もちろん、良い意味で。

そんな私の様子を天海さんは少し意外そうな顔で見ていたかと思うと、不意に、安堵したかのように笑みをつくる。



春香「……なんだ」

凛「え?」

春香「もう、凛ちゃんの気持ちは決まってるんだね」






421: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:37:56.49 ID:JnIiLH7j0




その台詞で、今度は逆に私が意表を突かれた。
私が驚いているのが伝わったのか、天海さんは少しおかしそうに笑って言う。



春香「だって凛ちゃん、そういう顔してるから」

凛「……なに、そういう顔って」



私も、つられて笑ってしまった。

そうだよ。
私の気持ちなんて、もうとっくに決まってる。


一頻り笑ったあと、天海さんはやけに嬉しそうに話す。



春香「凛ちゃん、やっと敬語とってくれたね」

凛「えっ……あ、すいません!」

春香「ううん、いいの。私はそっちの方が嬉しいな」



また、あの屈託のない笑顔。



凛「でも、先輩に向かってってのは……」

春香「それ以前に、もう友達でしょ?」



そんなことを言う天海さんに一瞬呆気にとられた後、思わず吹き出してしまう。
今日初めて会った後輩に、それ以前に友達だから、とはね。

何となく、あの人と友達と言うのも頷けてしまった。
この何とも言えない押しの強さに翻弄される姿が、目に浮かぶ。



凛「ふふ……」

春香「な、なんで笑うの? 私、変なこと言ったかな?」

凛「……ううん。全然?」



なんだが、無理をするのがバカらしくなった。
本人が良いと言うのであれば、良いのだろう。そう思うことにした。






422: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:39:08.68 ID:JnIiLH7j0




その後結局レッスン場が閉められるまで話し込んでしまい、すっかり暗くなった頃に別れることとなった。
私はそこまで人見知りってほどじゃないけど、それでも、初めて会った人とこれだけ話せるんだから、天海さんは凄い。



春香「明日は私もレッスンに参加できそうだけど、凛ちゃんは?」

凛「私も明日はいるよ。……どうやら、星井さんもいるみたいだし」

春香「あはは、それは大変そうだね」



苦笑した後、天海さんはふと遠くの街の方を眺める。
つられて見れば、仄かに青さが残った暗い空の向こうに、ついさっき太陽が沈んだであろう微かな灯火が見えた。

その光へ辿っていくように、ぽつぽつと、まるで星のように街の明かりが灯り始めている。

なんだか、いつかの帰り道を思い出してしまう。



春香「……前も、こんな時間だったな」

凛「え?」

春香「ううん。こっちの話」



誤摩化すように笑う天海さんは、改めて私の方へ向き合う。



春香「頑張ってね。……って、私が言わなくても、凛ちゃんはもう頑張ってるよね。あはは」

凛「どうかな。必死ではあるけど、それが頑張ってることになるかは分からないし」

春香「あ、今の言い方比企谷くんっぽい」

凛「……それは、あまり嬉しくないかな」



まさか反面教師じゃなくて、真っ当に似てきているなんてね。そりゃ、見習いたい所もあるにはあるけどさ。



春香「……凛ちゃんも比企谷くんと同じくらい、悩んで考えて、必死に進もうとしてきたんだね」

凛「……それこそ、どうなんだろうね」






423: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:40:15.60 ID:JnIiLH7j0




あの時、私は何もできなかった。

考えることもできず、悩むことすら放棄して、ただただ流れに身を任せてただけ。
そんな私の背中を押してくれたのは、やっぱり彼だった。

あれから一年。彼がいなくても、私なりになんとか頑張ろうともがいてきた。
悩んで、考えて、少しでも前へ、前へと。

でも、それも結局は自分の為なんだ。

そうして足掻いていないと、苦しいから。何もしない方が、じっとしている方が、苦痛になってしまったから。
だからこうして駆け抜けている間だけは、楽でいられる。ただ、それだけ。


そんな私の自分よがりな思いが、本当に、彼と一緒と言えるんだろうか。






春香「大丈夫だよ」






でも、彼女は笑って言ってくれる。

なんてことのないように、背中を、押すように。






春香「だって、二人ともそっくりだもん。私が保証するよ」






たったそれだけの言葉で、ただ笑顔でそう言ってくれるだけで、

何故だか、自分でも信じられないくらい安心することができた。



凛「……ありがとう、天海さん」



しかし私がお礼を言うと、彼女は少しむくれてしまう。
というより、呼び方が気に入らなかったようだ。



春香「もう。春香でいいよ、凛ちゃん」

凛「え? い、いいのかなぁ」

春香「いいの!」



ウインクし、まるでお願いするかのように、力強く言い放つ。
……なら、ここで渋るのも失礼な話か。






424: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:41:21.34 ID:JnIiLH7j0




凛「……ありがとう、春香」



少々照れくさいけど、でも、他でもない彼女の頼みだから。



春香「うん。どういたしまして」



そうして、春香は満足げに微笑んだ。
やっぱり、トップアイドルって凄いんだね。



春香「それじゃあ、また明日ね」

凛「うん。また明日」



手を振り、春香と別れる。
逆方向へと向かって歩き出し、今日は色んなことがあったな……なんて考え出した時、






春香「凛ちゃん!」






突然の呼びかけ。
驚きすぐに振り返る。

5メートルほど離れた所にいる春香。彼女はバレることなどお構い無しに、よく通る大きな声で、私にエールを送ってくれた。






春香「昔の偉い人は言ったよ。……『乙女よ、大志を抱けっ!』」






そう良い残し、彼女は去っていった。


最初は呆気にとられていたが、遅れて笑いが起きてくる。
本当、強敵だなぁ。

あれがいずれ超えなきゃいけない存在なんだから、アイドルは大変だし、面白い。



たぶんその偉い人っていうのは、リボンを付けた笑顔のとてもよく似合う、可愛らしい女の子なんだろうね。









425: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:42:38.68 ID:JnIiLH7j0











765プロアイドルとの予想外の出来事があった、その翌日。


私は少し早めに目が覚めた。昨日あんなことがあったせいかな。なんだか、とても懐かしい夢を見たような気がする。
今日は朝一から合同レッスンがあるし、折角だから早く家を出ることにしよう。もしかしたら、彼女も早く来てるかもしれないし。

……いや、あの人だったらギリギリまで寝てるかな。どうだろ?


手際良く準備を済ませ、両親とハナコに行ってきますとちゃんと挨拶をし、家を出る。
今日は気持ちがいいくらいの快晴だ。


きっと、良いことがある。


レッスン場へ着くと、何故だかほとんどのアイドルたちが揃っている。結構早めに着いたと思ったんだけど、もしかしたら765プロとの合同レッスンだってことで、みんな先に来ていようと気をつけたのかな。

でも、その765プロの人たちも既に全員来ているとは、さすがに予想外。
もちろん、その中には春香もいる。



春香「おはよう、凛ちゃん」

凛「おはよう、春香」



他に人がいる中で呼び捨てにするのは少し勇気が必要だったけど、思ったより周りの反応は小さい。……もしかして、私敬語とか使わないのが普通だと思われてる?


そしてレッスンルームの奥の方。壁に寄り掛かるようにしてる星井さんを見つけた。

星井さんは私に気付くと、いつもと変わらない笑顔で軽く手を振ってくる。
それに私も笑い返し、近くまで歩いて行った。

隣に立ち、寄り掛かるように私も壁へ背中を預ける。






426: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:43:43.36 ID:JnIiLH7j0




美希「おはよ、凛」

凛「うん。おはよう……ございます」



私が取り繕うように後から付け足すと、星井さんはおかしそうに笑い出す。



美希「あはっ、もう敬語なんて使わなくていいの」

凛「そ、そう……かな」

美希「うん。それに昨日もほとんど使ってなかったよ?」

凛「えっ」



そう言われて思い返す。
確かにそう言われれば、そうかもしれない……あれ、なんか会話に集中してたせいで良く思い出せない。たぶん本当に使ってなかったんだろう。



美希「呼び方もミキでいいよ。今更、他人行儀なの」

凛「……なら、遠慮なく」



既に春香に対してそうだし、星井さん…じゃなくて、美希は同い年だ。
これも本人が良いと言うのであれば、遠慮なく呼ばせて貰おう。正直、私としても助かる。

……こんなんだから、敬語が使えないと思われてるのかもしれないけど。ほ、本人が良いって言ってるから良いの!



凛「朝は弱いのかと思ってたけど、随分早く来てたんだね」

美希「むー、レッスンは別なの! っていうか凛、はっきり言い過ぎじゃない?」

凛「あはは、ごめんごめん」



ぷんぷんと怒った風に言うが、全然怖くない。むしろ可愛らしいくらい。



美希「そう言う凛は、来てすぐにミキに会いにきたよね」

凛「ん。まぁ、昨日のこともあったしね」

美希「……じゃあ、聞かせてくれるんだ」






427: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:46:51.78 ID:JnIiLH7j0




期待するかのような、それでいて、穏やかな目で私を見る美希。

どうしてそんなにも私のことが気になるのか、そこが少し不思議に思う。あの星井美希に興味を持たれるなんて光栄だけど、やっぱりちょっと信じられないからね。

私の歌にそこまでの魅力を感じてくれたなら、こんなに嬉しいことはないけど。



凛「私がどんな思いでアイドルをやっているのか……だったよね」



色んなことがあった。



アイドルになっていいのかと悩んだこともあった。

アイドルを続けていいのかと苦悩したことがあった。

私にとってアイドルとはなんなのか。そう、今でもずっと考え続けている。



正直、今でも気持ちが揺らいだり、どうしていいか分からなくなることもある。

でも一つだけ、たった一つだけ、はっきりと言えることがある。



胸を張って、確信を持って、堂々と言えることがある。









凛「楽しいから」









それは、とても簡単なこと。






凛「私は楽しいから、アイドルをやってるんだ」






428: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:48:10.63 ID:JnIiLH7j0




至極単純で、シンプルすぎるその答え。

でも、だからこそ心からそう言える。



凛「歌を唄ってる時は気持ちがいいし、ライブが上手くいけば凄く嬉しい」



美希は、私の言葉に頷いてみせる。



凛「新しい仕事を貰えればやる気が溢れてくるし、ファンから応援されれば思わず舞い上がっちゃう」

美希「うん」

凛「辛いことも、苦しいことも沢山あるけど、でもそれ以上に、アイドルが楽しい」

美希「うん……分かるの」



毎日たくさんレッスンをして、仕事をこなして、くたくたになって眠りにつく。

起きれば、またレッスンや仕事をして、その繰り返し。

非難や中傷もある。応援や賞賛もある。

数え切れない、私もまだ見たことのない景色が、ここにある。






凛「こんな楽しいことを辞めちゃうのは、私は勿体無いなって、そう思うんだ」






それを教えてくれたのは、今は隣にいないあの人だけど。

でも、だからと言って私が手放す理由にはならない。






429: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:49:22.27 ID:JnIiLH7j0




あの人と約束していなかったら、私はアイドルを続けなかったのか。

あの人がいなかったら、私はアイドルになっていなかったのか。

あの人が、結婚しよう、なんて事をもしも言っていたなら、私はアイドルを辞めていたのか。



その問いに対する答えは……否だ。



あの人との約束を叶えたい。

あの人が残した思いを無駄にしたくない。

あの人が背中を押してくれたことを無かったことにしたくない。



でも、それ以上に。



私は、私がやりたいから、アイドルをやるんだ。

それが、私の答え。






美希「……そっか」






じっと聞いていてくれた美希は、目を閉じて満足そうに微笑む。

彼女がほしい答えを、私は返すことができたのかな。



美希「それが、凛の思いなんだね」

凛「ただの我が侭だよ。誰の為でもない自分の為。そんな立派なものなんかじゃないんだ」

美希「そんなことないの。ミキだって、キラキラしたいからアイドルをやってるし」



キラキラしたい……

その例えは、何だかとても美希らしい。会って間もないけど、そんな風に思えた。



美希「もちろん、ハニーに喜んで貰いたいっていうのもあるけどね。あはっ」

凛「は、ハニー?」






430: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:50:30.05 ID:JnIiLH7j0




もしかして、それは765プロのプロデューサーのことを言っているのかな。凄い呼び方だ。



美希「あ。あとこれは本当に興味があるから訊くんだけど…」

凛「な、なに?」

美希「凛は、ハチマンのことを好きだったの?」



また、なんともどストレートなその質問。
でも、正直予想はついてたかな。だから私は、特に言い淀むこともなく言う。



凛「……うん。好きだよ」



思いのほか、簡単にその言葉は出て来てくれた。
気恥ずかしくはあったけど、でも、相手が美希だからかな。こうしてちゃんと口にできたのは。

その答えが何やら嬉しかったのか、美希は「そっか」と言って、また微笑んだ。


そこで、なんとなく気付いた。

たぶん。美希もそうなんだろう。
自分のプロデューサーのことをハニーと呼ぶ彼女も、きっと私と同じで、同じように色んな思いを抱えてるのかもしれない。

だから、こうして歩み寄ってきてくれたのかな。



美希「なんだか甘酸っぱいね」

凛「甘酸っぱい?」

美希「うん。楽しいことや辛いことがあって、好きな人と出会ったり別れたりもして、なんていうか…」

凛「……青春してる?」

美希「そう! まさにそれなの」



青春、ときたか。
美希のその例えに、思わず苦笑してしまう。

それは、またなんとも皮肉が効いてるね。まさか、あの人が嘘であり悪であると言った青春を私が謳歌しているとは。

……うん。でも、確かにそうかも。

その言葉は、なんだか私にはとても素敵に聞こえた。



凛「……私にとってのアイドルは、青春なんだ」






431: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:52:21.24 ID:JnIiLH7j0




他の人には笑われてしまうかもしれない。あの人が聞いても、たぶん苦い顔をするだろう。

でも、私は好きだな。

少なくとも、今隣にいる彼女もそう感じてくれている。



美希「ありがとね、凛。色々聞かせてくれて」

凛「ううん、こっちこそ。良い経験? になったよ」

美希「……ちょっと疑問系なの」



思わずジト目で見られる。
でもこっちだって結構驚いたんだから、これくらいは許してほしいかな。



美希「これからは、ライバルだね」

凛「……美希にそう言って貰えるなら、光栄だよ」

美希「あと、恋バナ友達?」

凛「それは、あまり大っぴらには言えないかな……」



でも、美希が私をライバルと言ってくれたように、私だって負けたくないとずっと思っていた。必ずあの頂きへ行くと、思い続けてきたんだ。



凛「……美希や千早さんや、春香にも。いつか追いついてみせるから」



私のその言葉に、美希はやや挑戦的に、不適に笑う。






432: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:53:54.50 ID:JnIiLH7j0




美希「ふーん? 追いつくだけでいいの?」



その返しには思わずぽかんとしてしまったが、こっちも、負けじと笑い返してやる。



凛「まさか。追い抜いて……トップアイドルを目指すよ」



アイドル。

それは人々の憧れであり、遠い存在。


誰をも笑顔にして、勇気を与えて、元気をくれる。
キラキラしていて、懸命で、美しく、真っ直ぐで。

人々に希望を与え、輝きを見せる、そんな存在。

そんなまるでお伽噺のような、偶像と言われても仕方が無いような存在を、私は目指す。


きっと、それは難しいのだろう。
辛いし、苦しいし、数え切れない程の困難がきっと待っている。道は険しいなんてものじゃない。

もしかしたら、最初から辿り着けるような場所じゃないのかもしれない。
そもそも、そんなものは存在しなくて、ただの幻想なのかもしれない。


けど、私は諦めたくないんだ。



たとえ私が抱いているのが叶わぬ夢で、ありもしないものへの憧れだったとしてもーー






それでも、私は本物になりたい。






本物のアイドルに、なりたいんだ。









433: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:55:32.09 ID:JnIiLH7j0




凛「……全力で、駆け抜けてみせるから」



いつか、彼と約束した時のように。

私は、私へと言い聞かせた。



と、そこでレッスンルームにトレーナーさんが入ってくるのに気付く。

もうそんな時間かと思って準備にかかろうとすると、何やら他のアイドルたちも慌てて動き始めている。
……この様子は、またみんな聞いてたな。

私も美希も、なんだかおかしくて笑ってしまった。



美希「凛、ストレッチしよっか」

凛「うん。よろしく」






その後はレッスンを順調にこなし、お昼頃まで取り組んだ。

昨日も集中してやっていたとは思うけど、でも、それでも頭の片隅には美希との件があったからね。どこか少なからず気持ちが入り切っていなかったかもしれない。

だからその分、今日はちゃんとやれたと思う。
……こうして見ると、やっぱり765プロのみんなは凄いね。



合同ライブまで、あと三ヶ月。

時間はまだ結構あるように感じるけど、きっとあっという間だ。


だから今のこの気持ちも、貴重な経験も、忘れないよう胸に刻んでおこう。









434: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:56:59.68 ID:JnIiLH7j0











月日の流れは、本当に早い。


美希や春香、765プロのアイドルたちと出会ったあの日から、もう三ヶ月。
あれから何度もレッスンを重ね、打ち合わせし、時にはご飯へ一緒にいったり、親睦も深めたりもした。

……美希や春香、千早さんが家まで遊びに来た時は本当に驚いたよ。

どうやら他のアイドルのみんなも、それぞれ交流しているみたい。
春香と連絡先を交換できたと、卯月がとても嬉しそうにしていたのを思い出す。

765プロが憧れなのは、みんな一緒だからね。



そしてそんな日が続いて、今日は遂に、765プロとシンデレラプロダクションの合同ライブ。その当日だ。


きっと上手くいく。そう信じられる。

だって、デレプロも765プロも、みんなどうしようもないくらい素敵で、輝いているって、私が誰よりも知ってるから。


だから、きっと今日は大丈夫。


開場前の待機時間、各々は準備に取りかかったり、気持ちを落ち着かせたりしている。
もちろん私もその一人で、ステージの様子を確かめたり、他のみんなと話したりしてから、控え室に戻った。






凛「……あれ」






しかしデレプロの控え室に戻っても、そこには誰もいなかった。
いや、正確にはスタイリストさんやマネージャーさんが何人か出入りしているけど、アイドルは一人も見当たらない。

たぶん、まだ他の所にいるのかな。もしかしたら765プロの方へ挨拶へ行ったりしてるのかも。






435: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:57:47.78 ID:JnIiLH7j0




ただ少し出歩いて疲れたので、私は座って待つことにする。その内誰か来るだろう。



凛「ふぅ……」

「ステージ、どうだった……?」

凛「ひぁっ!?」



どこからかの突然の声に、椅子ごと倒れそうになるくらい驚く。び、びっくりした……



凛「……輝子。またそんな所にいたの?」

輝子「フヒヒ……落ち着くから」



控え室の机の下、そこを覗けば、思った通り輝子がいた。アイドル衣装で。
っていうか、他にほとんど人がいないのに入る意味はあるのかな……落ち着くんなら良いけどね。



凛「ステージならもう準備万端だったよ。そろそろ開場じゃないかな」

輝子「そ、そうか……いよいよ、だな……」



ぷるぷると、緊張しているのか肩を振るわせる輝子。
でも、不思議と表情に陰りは見えない。むしろ、目をギラつかせているようにすら見える。



凛「……楽しみ?」

輝子「うん。……こんな大きなステージ、立てるとは、思わなかったから……」

凛「ふふ、そっか」



そうやって笑えるなら、きっと大丈夫だね。

なんだか、輝子がとても頼もしく思えた。



輝子「……凛ちゃんは、やっぱり平気そう、だな…」

凛「そんなことないよ。これでも緊張してる」






436: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 22:58:46.64 ID:JnIiLH7j0




こういうライブは何度経験しても慣れるなんてことはない。しかも今日は756プロとの合同ライブ。平気なんてことはなく、強がっているだけだよ。



輝子「でもその割には、最初のレッスンの時、啖呵切ってたよな……」

凛「あ、あれは啖呵とかじゃないから!」



思わず反論してしまう。
いや、確かに追いつくとか追い抜くとか、そんなことを美希(と765プロアイドル)の前で言ったけど、あれは別にそういうつもりじゃなくてね?

しかし輝子は、分かった分かった、みたいなしたり顔で頷くのみ。絶対分かってないでしょ。



凛「……そう言えば、レッスン二日目の時は輝子もいたんだったね。みんなしてばっちり聞いてるんだから…」

輝子「フフ……私、存在感が薄いから……」

凛「ああいや、そういう意味で言ったんじゃなくてね?」



というか、ある意味じゃとてつもない存在感を放ってる気がするけど。
特にライブなんかはそう。その誰もの目を引く存在感に、私も負けてられないと常に思っている。……まぁ、気恥ずかしくて本人には言えてないけど。



凛「……別にあの時の話を聞かれたのは良いんだけどさ。でも、やっぱりちょっと恥ずかしいね」

輝子「なんでだ……?」

凛「だって、結局は私の独りよがりな思いだからね。アイドルの答えとして良いとは言えないでしょ?」



私がそう言うと、輝子は「ふむ……」と頷くようにする。



輝子「……確かに、”アイドルとして”は良くないかもな」

凛「うっ……思ったよりハッキリ言うね…」

輝子「ただ……」

凛「?」






437: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 23:00:14.23 ID:JnIiLH7j0




輝子はそこで言葉を切ると、ニッっと笑みを見せ、真っ直ぐな目で私を見つめる。






輝子「私はそれ以前に……凛ちゃんの親友だから、な……」


凛「っ!」


輝子「あの時の凛ちゃん……かっこ良かったぜ」






フヒヒ……と、何故だか嬉しそうに笑う輝子。

……嬉しいのは、こっちの方だってば。






凛「……ありがとう、輝子」






私もニッと笑みを返し、お互い笑い合う。

全く……こんな台詞を当然のように言えるんだから、本当にニクい。
私には、勿体無いくらいの親友だ。



そうしていると、スタッフさんの一人が開場の始まりを教えてくれる。

ステージ裏に招集とのことで、たぶん他のみんなも直接向かっている頃だろう。



凛「それじゃあ、私たちも行こっか」

輝子「おう……フヒヒ……」






438: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 23:01:19.91 ID:JnIiLH7j0




机の下から出てきた輝子(まだいた)と共に、ステージ裏へと向かう。途中、他のアイドルたち何人かとも合流した。

ステージ裏には、もうほとんどのメンバーが集まっている。
そこには、いつもお世話になっている事務員さんの姿も。



凛「ちひろさん。お疲れ様です」

ちひろ「あ、凛ちゃん。お疲れ様です」



ぺこっとお辞儀。手には、何やら色々な資料を持っている。



凛「もしかして、アナウンスの準備ですか?」

ちひろ「ええ。デレプロのライブでも毎回やらせて頂いてますけど、今回は765プロの事務員さんの音無さんと一緒にやることになりまして…」



ちらっ、と。ちひろさんの視線を辿ってみれば、ショートヘアーのこれまたアイドルのような容姿をした女性がスタッフさんと話をしている。ちひろさんに負けず劣らずの美人だ。

というか、事務員さんがアナウンスをするのは伝統か何かなのかな……?



ちひろ「アイドルのみなさんには敵いませんが、やっぱり緊張しますね」

凛「ふふ……いつもありがとうございます。ちひろさんも、頑張ってくださいね」

ちひろ「はい。凛ちゃんも」



と、そこでちひろさんは何かを思い出したように耳打ちをしてくる。
内容はそこまで秘密にしたいことではなかったけど、一応気を遣ってくれたらしい。



ちひろ「今日のチケット、ちゃんと彼に送っておきましたよ」






439: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 23:02:22.69 ID:JnIiLH7j0




彼……というのは、もう言うまでもないね。

来てくれるかどうかは分からなかったけど、それでも、この晴れ舞台を見てほしいという思いはあった。
無理強いはしたくないし、連絡も特にしていない。チケットが送られても、向こうからも何か返事が来ることは今日まで無かった。



ちひろ「……彼のことです。きっと、どこかで見てますよ」



微笑みながら、ちひろさんはそう言う。



凛「大丈夫だよ」

ちひろ「え?」



たとえあの人が来ていなくても、それでも私がすることは変わらない。
今は隣にいなくても、全力で私は駆け抜けるだけだから。



凛「あの人がどこにいたって、私は歌うし……全力でアイドルをやるよ」



どこかで、今日も私を信じて待ってくれていると、そう信じてるから。



ちひろ「……そうですか」



ちひろさんは最初目を丸くしていたが、その後微笑んで言ってくれる。



ちひろ「彼が残したものは……こうして、今も輝いているんですね」

凛「……まぁ、良くないものも色々と残していった気もするけどね」

ちひろ「それは確かに」



言って、お互い声を出して笑う。

……本当、ただでいなくならないんだから、あの人は。






440: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 23:03:48.66 ID:JnIiLH7j0




ちひろ「それじゃあ、そろそろ準備をお願いしますね」

凛「はい。行ってきます」

ちひろ「行ってらっしゃい!」



踵を返し、集まっているアイドルたちの方へ歩き出す。

しかし向かう途中で、「凛ちゃん!」とちひろさんに再び呼ばれてしまい慌てて足を止めた。
振り返ってみれば、ちひろさんは小さなフラワーバスケットを抱えている。



ちひろ「はい、これ。凛ちゃんにです」

凛「私に? 誰から……」



と、そこでメッセージカードに気付く。
バスケットをちひろさんに預け、開封し、中のカードを取り出す。

カードには、ただ一言。






『 しっかりな。 』






とだけ、書かれていた。






凛「…………」

ちひろ「凛ちゃん?」

凛「……ふふ」



思わず、笑いが零れてくる。

その、不器用さを隠そうともしないたった一言。
何を書くかと悩んで、考え込んで、何とか絞り出したのがこれだと思うと、なんだか無償におかしかった。






441: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/11(金) 23:06:35.31 ID:JnIiLH7j0




凛「……アザレア、か」



フラワーバスケットの花を見て、私の好きな歌を覚えてたんだなと、少し嬉しくなった。
とりあえず、次会った時にはうちの花屋を差し置いてどこでこれを買ったのか、問い詰めなくちゃね。

そんな私の様子を見て、ちひろさんも何だかおかしそうにしている。



ちひろ「……さっきより良い顔してますよ?」



それは、何とも複雑な台詞だ。少し顔が熱くなる。
どうやら、私もまだまだらしい。

隣にいなくたって、こうしてあなたの一押しが、私の力になるんだからね。






凛「ーー行ってくるね」






だから、もう一度私は告げる。

この会場のどこかにいる、あの人に向かって、そう言ってやる。



誰も見たことのないような景色を、キラキラとした最高の光景を。

あの人と、会場にいる全員に見せてあげよう。



今はまだ至らない、未熟なアイドルだけど。

情熱と憧れを手に、ずっと走り続ける。



ステージの、その輝きの向こう側。

そこを目指し、私は駆け出す。






いつか違った道が交わるようにと、思いを込めて。
















448: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:18:00.18 ID:P+l3VGEy0


~エピローグ~






青春とは嘘であり、悪である。



青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺く。

自らを取り巻く環境のすべてを肯定的に捉える。

何か致命的な失敗をしても、それすら青春の証とし、思い出の1ページに刻むのだ。


例を挙げーー






八幡「なんだ、こりゃ」






随分と、懐かしいものが出てきた。

確か、平塚先生へ最初に提出したレポート用紙だよな。再提出を言い渡されて、奉仕部やりながら書いたっけ。


たまには片付けをしようと机を漁っていたら、くしゃくしゃのレポート用紙。内容はリア充への犯行声明。
ふむ……



八幡「我ながら、なんと的を射た文面だろうか。とっとこ」



ぴしっと、レポート用紙のシワを伸ばし、改めて引き出しにしまう。

もしかすれば、こいつが日の目を見る時が来るやもしれん。万が一俺が自伝を書く時が来たら冒頭に載せることにしよう。






449: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:18:51.17 ID:P+l3VGEy0




小町「なーにやってんの。お兄ちゃん」



声に振り返ると、そこには廊下から部屋の中を覗き込んでいる小町。
その格好は寝間着のままで、眠たげに目を擦っている。もしかして起こしちまったか。



八幡「おう。ちょっとヒマだったんで、部屋の片付けをとでも思ってな」

小町「……朝の5時に?」

八幡「朝の5時に」



外からはチュンチュンと鳥のさえずりが聞こえ、窓を見れば空は未だ薄ら暗い。ようやく白んできたと言ったところだ。



小町「……緊張して早く起きちゃったんだね」

八幡「別にそういうわけじゃない。ただ……」

小町「ただ?」

八幡「なんだか寝付けなくて色々してたら、いつの間にか朝だっただけだ」

小町「めっちゃ緊張してるよそれ」



ですよねー
いや、だって、仕方が無いだろ? 今日ばっかりは。

俺が口を尖らせていると、そんな様子を見て小町は呆れたように笑う。



小町「……それじゃ、朝ご飯用意するから」

八幡「いやいいぞ、そんな俺に合わせなくても」

小町「もう起きちゃったし。それに、何かしてないと落ち着かないんでしょ?」



どこまでも見透かされたかのようなその台詞。さすが、長年俺の妹をやっているだけある。
ここは、お言葉に甘えておこう。






450: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:19:27.38 ID:P+l3VGEy0




八幡「悪いな」

小町「いえいえ。……っていうか、やっぱりそのスーツなんだ」



小町が言っているのは、今の俺の格好。
ワイシャツにスラックス。ネクタイをピンでしっかりと留め、ジャケットは既に椅子にかけてスタンバイ。もういつでも出れる格好だ。



小町「新しいのもう一着あるんでしょ? ネクタイも。そっち着てけばいいのに」

八幡「いいんだよ」



小町の提案も、今日くらいは断らせてもらう。



八幡「今日は、これでいい」

小町「……そっか」



小町は微笑むと、それ以上は何も言ってこない。

ホント、出来た妹だ。



小町が用意してくれた朝食をいただき、出かける準備をする。
と言っても、もう既にほとんど終わっているんだが。

両親はまだ寝ているようだが、もう出ることにする。なんだか気恥ずかしいしな。



小町「初日なんだから、しっかりね」

八幡「おう。任せとけ」

小町「言ってるのがお兄ちゃんだからなぁ。小町は不安です」

八幡「どういう意味だそりゃ」



言って、二人して笑う。






451: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:19:56.32 ID:P+l3VGEy0




八幡「……見送り、ありがとな」

小町「お、お兄ちゃんがそんな素直な言葉を……! ちょっと気持ち悪い……」

八幡「うるせぇよ」



ちょっと素直にお礼を言ったらこれである。
……まぁ、日頃の行いがあれだからなんだろうけども。



小町「……今日くらいはね。私も見送りたかったんだよ」

八幡「小町……」

小町「なんだっけ? 門松はおめでたい、みたいな感じ」

八幡「……もしかして、門出を祝う、か?」

小町「そう、それ!」



いや全然似てねぇよ。お前ホントに高二?
よく総武高に受かったなと、今更ながら呆れてしまう。

本番に強いってのは、何とも小町らしいが。



八幡「そんじゃ、行ってくる」

小町「うん。行ってらっしゃい」



玄関の前で手を振る小町を背に、俺は歩き出す。


さて、気合い入れて行きますか。









452: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:20:39.31 ID:P+l3VGEy0


× × ×






八幡「し、失礼しまーす……」



恐る恐る、中を覗き見る。

既に入り口は開いていたので、誰か人はいると思うんだが……



八幡「……変わってねぇな」



相変わらず受け付けらしい物も無く、広いとは言えないオフィス。
ちょこちょこ物の配置は変わっているが、基本的には俺がいた時と一緒だ。

しかし、人の気配は無い。さすがにちょっと早過ぎたか。



八幡「…………ちょっとその辺で時間潰してk…」

ちひろ「おはようございます♪」

八幡「おぁっ!?」



突然の背後からの挨拶に、思わず飛び退くほど驚く。
いや、今気配も音も無かったんだが……

振り返れば、そこには事務員の千川ちひろさんが笑顔で立っていた。

……この人も、まるで変わらない。



八幡「ち、ちひろさん。えっと……お、おはよう、ございます……」

ちひろ「ええ。今日は早いですね、比企谷くん」

八幡「そう言うちひろさんこそ」






453: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:21:22.18 ID:P+l3VGEy0




俺がそう言うと、ちひろさんはやけに嬉しそうにする。



ちひろ「待っていたかったんですよ。……おかえりなさい、比企谷くん」

八幡「……別に、この間も面接の時会ったじゃないですか」

ちひろ「もう! こういう時くらいは素直に、ただいま、って言ったらどうなんです?」



ぷんぷんと、全く怒ったように見えない怒り方をするちひろさん。

……まぁ確かに、今の言い方は我ながら捻くれていた。ただ気恥ずかしいのは勘弁してほしい。



八幡「あー……」

ちひろ「……………」



待ってる。ちひろさんめっちゃ待ってる。

……仕方ねぇなぁ、ホント。



八幡「…………ただいまです。ちひろさん」



俺がそっぽを向きつつ、何とかそうひねり出すと、ちひろさんは満足げに微笑んだ。

こういう所も、相変わらずだな。



社長「おー比企谷くん! 来てたのかね!」



と、そこで奥の方から社長もやって来る。こっちはこっちで相変わらず黒い。



社長「今日からよろしく頼むよ。……よく戻ってきてくれた」

八幡「……はい。こちらこそ、本当にありがとうございます」






454: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:22:08.92 ID:P+l3VGEy0




深く礼をして、感謝を告げる。
本当に、礼を言っても言い足りない。こんな俺を、また引き受けてくれたんだからな。

そしてなんかちひろさんが「私の時より素直……」みたいな非難めいた顔をしているが、スルーしておく。



社長「これからは、きっと前以上に大変な事が待っている。やれるかね」

八幡「ええ。承知の上です。……それに、やり残した事も沢山ありますから」



思えば以前の俺も、ここへ戻ってくるまでの俺も、支えられて、与えられたからやってこれた。
なら、少しずつでも、それを返していこう。

正社員として、ここから俺は再出発するんだ。



八幡「……飲みに行く約束も、忘れてませんしね」

社長「っ! ……それは、嬉しいことを言ってくれるね」



そう言って社長は快活に笑う。
飲める年齢まではもう少しかかるが、それでもその時は必ず付き合おう。これも約束だ。



ちひろ「え、なんですか飲みに行くって。それ、私も入ってます?」



私聞いてないとばかりにちひろさんがしゃしゃり出てくる。いや、あなたはちょっと……
この人も誘うと、なんだか他の酒豪アイドルたちも寄ってきそうでなぁ……それは勘弁してほしい。

社長は一つ咳払いをすると、仕切り直すように改めて話し始める。この人も流したな……



社長「それじゃあ、比企谷くんに今日一日の仕事を今ここで命じよう」

ちひろ「あれ、今私スルーされました?」

社長「それはズバリ……」



勿体ぶる社長に、俺も何となく身構える。

俺の、初仕事。



社長「手始めとして、今日一日アイドルとの交流をするんだ!」

八幡「……ん?」






455: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:22:40.94 ID:P+l3VGEy0




アイドルとの、交流?



社長「もうしばらくすれば、アイドルたちもどんどんと事務所へやってくる。積もる話もあるだろう。よろしくやってくれたまえ」



社長はそう言うが、それはつまり、ほとんど自由にしていいってことだよな?
初日にいきなり、そんな事をしてて良いのだろうか……?

俺の不安が通じたのか、社長は不適に笑う。



社長「安心したまえ。明日からはビシバシ働いてもらう。期待してるよ、君」



そりゃまた、何とも安心できない言葉だ。
しかし社長がそう言うのであれば、謹んで受けよう。

俺の、初仕事。



ちひろ「……あの子も、すぐに来ますよ」



そう言って微笑むちひろさん。

……それじゃあ、情けない姿は見せられないな。



今日から、俺はプロデューサーなんだから。









456: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:23:20.67 ID:P+l3VGEy0


× × ×






未央「ヒッキ~~! 待ってたよー!!」



会うや否や、ぐわーっと、しがみつきにかかって来る元気娘。
思わず相手がアイドルということも忘れてアイアンクロー。しかしそれでもなお向かってくる。くっ……こ、こいつ……!



八幡「こ、この、そんな寄るんじゃない……!」

未央「そんなこと言わずに~」

卯月「わ、私も……」



一緒にいた卯月まで手をもじもじさせているので、絶対に来るんじゃないと目で制す。そんな可愛くしょぼんとしたってダメ! つーか、お前は無駄に力強ぇな!

なんとかかんとか、ひっぺがす。



八幡「ったく、お前らも変わんねぇな」



その遠慮が無いとことか。



卯月「八幡くんも、お元気そうで何よりです」

八幡「お前らと会ったら体力が減ったけどな」

未央「またまた~目の保養になったからプラスの方が多いでしょ?」






457: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:23:54.57 ID:P+l3VGEy0




それ自分で言う?

……まぁ、見た目が良いのは間違いないから何も言えん。っていうか、口が避けても言ってやらん。



八幡「まぁ、なんだ……」

卯月・未央「「?」」



そんなキョトンとしやがって……
言わなくもいいと思ったが、初日だからな。面倒な上に気が乗らないことこの上ないが、一応言っといてやる。



八幡「……改めて、これからよろしくな」



そう俺が気恥ずかしさMAXで言うと、二人は目を丸くし、お互いを見て、盛大に吹き出した。舐めてんのか。
こんだけの覚悟を持って言ってやってんのに、酷い奴らだよ。

けどま、



未央「うん! これからもよろしく!」

卯月「よろしくお願いしますね♪」



と、本当に良い笑顔を見れたんだから、チャラにしといてやろう。

……むしろ、プラスの方が多いくらいだよ。









458: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:24:30.60 ID:P+l3VGEy0


× × ×






瑞樹「そうね。わかるわ」



どこか遠い所を見つめ、何とも哀愁漂うオーラの川島さん。



瑞樹「月日の流れっていうのは、本当に早いわよね。……残酷なくらい」

レナ「本当、その通りね」



なんで兵藤さんまで……と思ったが、そうか。そういう事か。

つまり、この人も……



早苗「年齢なんて、アイドルには関係ない、関係ないのよーー!!」



思った通り、荒れに荒れている。
何年ぶりにお会いしましたね~なんて、そんな話題を振ったのがいけなかったらしい。俺のせい?



八幡「そうか。三人とももう、さn…」

楓「ストップよ比企谷くん。それ以上はいけないわ」



無駄に切なげな顔で諭すように言う楓さん。

しかし止めるのが遅かったのか、早苗さんは素早く俺の首をホールド。というかロック。技の衰えを感じさせない。ってか絞まってるぅーー!



早苗「女性に、年齢の話を、するなって、言ったでしょうがー! おかえり比企谷くん!!」

八幡「だ、だから、言い出したのはそっち……!」



つーか、最後のは締めながら言うことじゃねぇ! ギブギブギブギブ!



楓「……これで、また飲みに行けますね。ふふっ」



何やら楓さんは嬉しそうに笑っているが、そんな事より助けてほしい。この人なんとかしてー!



瑞樹「若いって、良いわね……」

レナ「あれ止めなくてもいいの?」









459: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:25:11.93 ID:P+l3VGEy0


× × ×






パシャリ、と。スマホから音が鳴る。



莉嘉「もっかいもっかい! 次はアタシのケータイね!」

美嘉「オッケー、それじゃ別の角度でー…」



イエーイとばかりに、もう一枚。

忙しなくスマホを弄りつつ、さっきからあっちへこっちへ色んな角度で写真を撮りまくっている。つーか、いちいちケータイ変えんでも後で送ればいいだろ。



八幡「なぁ、もういいか?」



いい加減うんざりしてきたので、鬱陶しさを隠そうともせずにそう言う。

しかし姉はともかく妹の方は未だ満足できていないようで…



莉嘉「えー! 好きなだけ撮ってやるって言ったじゃん。まだダメだよ!」

美嘉「だってさ」

八幡「さいですか……」






460: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:25:42.67 ID:P+l3VGEy0




久々に会ったからと言って、何をそんなに撮る必要があるのか。八幡、誰かと写真を撮るなんて経験が無いので分かりません。……ここ、笑うとこだぞ。



莉嘉「……だって、八幡くんがまたいなくなっちゃったら、撮れないかもしれないじゃん」

八幡「……っ」



俯き、そんなことを言う莉嘉に思わず口を噤んでしまう。

……ったく、んなこと言うなよな。自惚れちまうぞ、俺。



八幡「……別に、今日じゃなくたって大丈夫だろ。そんな心配する必要ねぇ」

莉嘉「え?」

八幡「ここに来れば、いつでも俺なんて会える。見たくなくたって顔見ることになんだから、覚悟しとけ」



我ながら捻くれたもの言い。
だが、それでも莉嘉には充分だったようだ。



莉嘉「……えへへ。ダメだよ、今日もいっぱい撮るし、これからも嫌になるくらい撮るんだから!」

美嘉「……だってさ」

八幡「そうかよ」



正直それは本当にマジで勘弁してほしいが……まぁ、千葉のお兄ちゃんはみんなシスコンだからな。
たとえ妹っぽいってだけの女の子でも、その力を遺憾なく発揮してやろう。仕方なくな。

と、そこで不意に袖を引かれる。






461: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:26:12.95 ID:P+l3VGEy0




美嘉「ねぇ、さっきの台詞……」

八幡「あん?」

美嘉「アタシも、信用していいんだよね?」



小悪魔的な笑みで、ジッと俺を見てくる美嘉。そ、その訊き方はちょっと卑怯じゃないですかね。
まぁ、俺の返す答えなんて決まりきってはいるんだが。



八幡「ああ、骨を埋める覚悟だよ」



あんだけ働きたくないと言っていた俺が、まさかこんな台詞を吐くことになろうとは。
昔の俺に聞かせてやりたいぜ。



美嘉「……そっか」



うんうんと、何そんなに満足しているのか頷いている美嘉。



莉嘉「ほらほら二人とも、次撮るよー?」

美嘉「オッケー! ほら、もっと笑って。……は、八幡」



言って、みるみる顔を赤くしていく美嘉。



美嘉「あ、つ、次はアタシが撮るから、二人で並びなよ、ほら!」

莉嘉「お姉ちゃん、照れるくらいなら言わなきゃいいのに」

八幡「本当にな……」



こっちまで恥ずかしくて、そっち見れねぇよ。畜生め。









462: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:26:49.67 ID:P+l3VGEy0


× × ×







光「やっぱり、Wの世界観と繋がってるんじゃないかと思うんだよね」

八幡「まぁ、確かに見た目もそれっぽいし、財団Xあたりが絡んできそうな気もするな」

光「でしょ? ……あ~でもビルドも楽しみだけど、エグゼイド終わっちゃうのか~」

八幡「最初は正直ゲームと医者ってどうなんだと思ったが、予想に反した面白さだったな。正直俺の中では、平成二期だとかなり上位に入る」

光「アタシもだ。くぅ~……最後どうなんのかなぁ」

麗奈「……アンタたち、何の話してんの?」



呆れたように言う小関。いたのか。



光「あ、今度映画一緒に行こうよ! 麗奈も一緒に!」

麗奈「いや、アタシは別にそういうの興味ないし」

八幡「つーか、お前まだ見に行ってなかったんだな。意外だ」

光「ううん、行ったよ! 2回!」



まさかの3回目。好きだなホント……俺も特典目当てで何回か行くことはあるけどさ。主にアニメ映画。



光「じゃあ約束な!」

麗奈「いや、アタシ行くって言ってn…」

八幡「本当はあんま良くないんだがな。変装はしっかりな」

光「おう!」

麗奈「聞けぇ!」



諦めろ。こうなると光は折れない。


ヒーローは諦めないのが常だからな。









463: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:27:28.86 ID:P+l3VGEy0


× × ×






李衣菜「だーかーらー、こっちの衣装の方が絶対ロックだってば!」

みく「別にロックである必要もないでしょー!? もっと可愛い方が絶対良いにゃ!」



ぎゃーぎゃーわーわーと、姦しく何やら言い争っている二人。

まぁ、意見をぶつけ合うのは良いことだ。少なくとも、ろくろを回すような手つきで延々と話し合いしてるよりかはな。……だが、もうちょい静かにやってほしい。



八幡「……いっつもこんな感じなんすか」

夏樹「まぁな。ユニット組んでからはよく目にする光景だよ」



苦笑しつつ、その様子を眺めている木村先輩。
特に仲裁したりもしない所を見るに、もう慣れたもんなんだろうな。



菜々「はいはい、コーヒーをお持ちしましたよ~」



と、そこへ安部さんの差し入れ。この人も相変わらず変わらんなぁ……今いくつなんだろうか。



夏樹「二人とも、コーヒー飲まないか」


みく「ネコミミはアイデンティティーなの! これは絶対なの!」

李衣菜「そんな取り外し出来るアイデンティティーなんていらないよ!」

みく「にゃっ!? と、とってつけたようなロックよりはマシでしょー!?」

李衣菜「なんだとー!?」


夏樹「……ダメだこりゃ」

菜々「あ、あはは」



まぁ、変わらないようで安心したよ。……したのか?









464: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:28:12.67 ID:P+l3VGEy0


× × ×






廊下を歩いていた時に急に声をかけられたのは驚いたが、その顔を見てもっと驚いた。まさか、向こうから話しかけられるなんてな。



モバP「就職おめでとうございます、比企谷さん」

八幡「ありがとうございます」



そう祝ってくれたのは、十時愛梨のプロデューサーだ。

廊下に備え付けてあるベンチに座り、話を聞く。



モバP「今日からもう仕事に?」

八幡「ええ。……と言っても、社長の計らいで今日は見学みたいなもんですけど」



自分で言って苦笑する。本当、こんなダベっているだけで良いんだろうか。



八幡「十時、相変わらず色んな所で見ますよ。さすがですね」

モバP「そう言って貰えると、嬉しいです」



お世辞でもなんでもなく、これは本当に思っていること。

かつれ俺が参加した、『プロデューサー大作戦』という企画。そしてその優勝者、総選挙を行い見事一位となったシンデレラガール……


それが、十時愛梨だ。


十時自身もそうだが、その手伝いをしたこの人も、さすがと言うほかない。



モバP「……でも、凄いのはあなたもですよ」

八幡「え?」

モバP「あなたが担当していた彼女も、あなたがいなくなってからも、ずっと頑張っている。ずっと輝き続けている」






465: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:28:40.70 ID:P+l3VGEy0




そう言う十時のプロデューサーは、笑っていた。



モバP「彼女が活躍するのを目にする度に、あなたに負けられないと僕はずっと思っていました」



その言葉に、素直に驚く。

まさか、この俺なんかのことをそんな風に思っていたとは。



モバP「これからよろしくお願いします」

八幡「ええ。こちらこそ」



同僚としてだけではなく、ライバルとして。

告げなくても分かる。お互いがお互い、負けたくないと思っている。
きっと、これも悪い関係じゃない。



愛梨「プロデューサーさーん、そろそろ出る時間ですよー?」



見ると、遠くの方で十時が手を振って呼んでいる。俺に気付くと、彼女はぺこっとお辞儀をした。



モバP「ああ! ……それじゃ、僕はもう行きます」

八幡「ええ」



この二人が、俺とあいつがいずれ超えなきゃならない相手。
そして、更にその先にも、超えるべき奴ら沢山いる。

一筋縄では、いかなそうだ。



愛梨「プロデューサーさん、なんだか今日は熱いですね~」

モバP「ちょっ、こら愛梨! こんなとこで脱ぐな!?」



……たぶん。









466: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:29:20.05 ID:P+l3VGEy0


× × ×






鷺沢「比企谷さん……これを、どうぞ」



そう言って渡されたのは、何やらリボンの巻かれた包み。
形状と重さからして、恐らく中身は本だろうな。それもハードカバーの。くれたのが鷺沢さんなら尚更だ。



八幡「あの、これは……?」



本というのは分かるが、それを何故くれたのかが分からない。
困惑しつつ尋ねると、鷺沢さんは微笑みながら説明してくれる。



鷺沢「所謂……就職祝い、というものです。私のおすすめの本ですので、是非」



就職、祝い……?

一瞬、脳が理解しなかった。そうか、世の中にはそんなものが存在するのか。都市伝説だと思ってた。



美波「ごめんね、私は用意してなくて…」



一緒にいた新田さんが何やら申し訳なさそうにしているが、別に全く気にしていない。というか、わざわざ用意していた鷺沢さんに驚いたわ。






467: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:29:49.73 ID:P+l3VGEy0




八幡「その、ありがとうございます。新田さんも、お気持ちだけで嬉しいです」



ここは素直にそう言っておく。デレプロきっての常識人二人だ。さすがの俺も皮肉の一つも言えやしない。



新田「ううん。今度、ごはんでもご馳走するよ。プロデューサーさんも一緒に♪」

八幡「それは、なんというか、できれば遠慮したいですね……」



あの金髪眼鏡の美人プロデューサー、苦手なんだよな……
まぁ、いつかお礼を言いたいとは思ってたけどさ。



鷺沢「読み終わったら、是非、感想を聞かせてくださいね……」

八幡「ええ。……そういう約束でしたからね」

鷺沢「っ! ……はい」



笑顔で頷く鷺沢さん。
この人がおすすめする本だ。きっと、面白いんだろうな。

また、楽しみが一つ増えた。









468: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:30:26.45 ID:P+l3VGEy0


× × ×






まゆ「どうやら、リボンがまた結ばれたようですね」






驚いた。そりゃもう驚いた。

不意に、なんてもんじゃない。音も気配もなく、どこからともなく現れた。



八幡「…………頼むから、もうちょい普通に話しかけてくれ」



一息つこうとしていた所だったから、余計に驚いた。こいつも相変わらずどこか人間離れしてんな。



八幡「ところで、お前が今持ってるそれはなんだ?」

まゆ「これですか? これは今営業に出てるプロデューサーさんに付いてる発信器を探知する端末で…」

八幡「もういい分かった。もう充分だ」



あれ、おかしいな? 前に会った時はコイツ恋愛アンチじゃなかったっけ?
恋は盲目、とは言うが、ここまで人が変わるとちょっと怖い。

あまり踏み込みたくはない話題なので、話を変えよう。






469: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:30:52.33 ID:P+l3VGEy0




八幡「……それで、最初なんて言ったんだ?」

まゆ「リボンですよぉ。……今度は、解けないようにもっと固結びをしてくださいね」

八幡「あー……」



そういや、そんな話をしたこともあったな。よく覚えてる奴だ。



八幡「分かんねぇぞ。どれだけ解けないくらい固く結んでも、切れちまえば終わりだ」



もちろん、そんなつもりはない。
けど、なんとなく照れくさいので、いつものように捻くれたもの言いをしてしまった。

だが、それでも彼女は不適に笑う。



まゆ「ふふふ……なんだ。知らないんですか?」

八幡「あん?」



小指を立てて、まるで恋する乙女のように、歌うように彼女は言う。



まゆ「リボンがある限り、何度だって結び直せるんですよ?」









470: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:31:40.50 ID:P+l3VGEy0


× × ×







蘭子「フゥーーーハッハッハァーー!!!」

八幡「絶好調だなお前……」



会うや否や、キレッキレの動きでポーズを決める蘭子。

しかし、その距離は何故だか遠い。



八幡「なぁ、なんでそんな離れて……」

蘭子「ちょっ、少々待て眷属よ! それ以上は、その、とにかく寄るなっ!」

八幡「…………」



ズザザーっと、すかさずポーズを取りながら後ずさる蘭子。
え、なに、どゆこと?



八幡「……そんなに俺と近寄りたくないか」

蘭子「えっ!? あ、いや、そういう意味じゃ、なくて…」

八幡「じゃあどうしたってんだ」



何か納得のいく理由を教えてくれないと、俺体臭キツいのかな? とか、もしかして近いだけで不快なの? とか、普通に傷ついて今夜枕を濡らすことになる。久々だな……昔はよくあった。あったのかよ。



蘭子「え、えっと、その…」

八幡「…………」

蘭子「いざ久しぶりに会うと……何を話せばいいのか、分からなくて……」



恥ずかしそうに、震える声でそう言う蘭子。
よくよく見てみれば、その大仰なポーズは顔を隠すようにしているだけにも見える。耳赤いし。

どうやら、絶好調に見えたのは俺の勘違いだったらしい。


だから、俺はこう言ってやったのさ。






471: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:33:31.19 ID:P+l3VGEy0




八幡「アホかお前」

蘭子「えぇっ!?」



ガーン! と、ショックを受けたように思わずポーズを解除する蘭子。やっと顔が見れたが、ちょっと涙目になっている。



八幡「そんなの、俺だってそうだっつの」

蘭子「え……?」

八幡「会わせる顔が無いってのに、こうして色んな奴に会って回ってんだ。ちったー見習えよ」



なんとも情けないその台詞。だが、そう言いたくもなる。

これでも、結構な勇気をもって歩き回ってるんだぜ?



蘭子「……ふふ」

八幡「なに笑ってんだ」

蘭子「だって、変わってないから」



安堵するかのように笑う蘭子。

変わってないのはお前も一緒だよ。どいつもこいつもな。



八幡「つーか、お前はもう少し大人っぽくならんのか。もう高校生だろ?」

蘭子「なっ、わ、我とて、以前よりも更に魔力が増大し、深淵なる闇の業火を…」

八幡「あー分かった分かった」



こいつは、当分中二病を卒業する気は無さそうだな。

つーか、卒業したらただの可愛いアイドルになっちまうんだが。



八幡「……そろそろメシの時間だが、なんか食いに行くか? 二代目シンデレラガール」

蘭子「っ! うん!」



そんな雑な誘いでも、蘭子は嬉しそうに頷いてみせる。思わず熊本弁を忘れるくらい。
……どうやら、相当頑張ったみたいなだから。少しくらい褒めてやっても、あいつも怒らないだろ。


しかしこうして女の子をメシに誘えるくらいには成長したんだから、誰か一人くらいは変わったね~とか言ってほしいぜ、本当。









472: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:33:59.33 ID:P+l3VGEy0


× × ×






思わず、身体が固まった。

食後にコーヒーでも飲もうと、自販機まで来たのはいいのだが……




常務「…………」

八幡「お、お久しぶりです」



まさかの、あの強面常務のお出ましだ。
いや、この人は元々いたから、お出まししたのは俺なんだが……



常務「……挨拶に来ないと思えば、まさか昼休みに出くわすとはな。比企谷」



いちいちトゲのある言い方をする人だ。いや、確かに上司に真っ先に挨拶しなきゃならんのはその通りなんだが……
とりあえず、大人しく謝罪しておこう。



八幡「す、すいません。常務」

常務「違うな」

八幡「へ?」



違う、とはどういう意味だろう。そう思っていると、常務は仏頂面のまま、表情も変えずに言ってのける。



専務「今は専務だ」






473: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:34:33.78 ID:P+l3VGEy0




まさかの昇格だったー!
ま、まさか俺のいない間に、専務になっているとは……いや、無い話じゃないんだろうが、さすがに予想外だ。



八幡「……すいません、専務」

専務「以後気をつけろ」



そう言ってブラックコーヒーを飲む専務。

しかし相変わらず寡黙ではあるが、なんだか以前よりも印象が柔らかくなった気がするな。本当に気持ち、ってレベルだが。もしかしたら、あいつの影響か?

そんな風に思っていると、その噂のあいつがやってきた。なんだかデジャヴを感じる。



ライラ「おや、八幡殿。お久しぶりございますー」



何とも言えない間延びした話し方。こいつはこいつで変わらんな。



八幡「おう。……その分じゃ、アイドルは順調そうだな」



あれから、ちょこちょことライラの姿を目にすることも増えてきた。今じゃ、結構な知名度を誇るんじゃないか? 無事にアイドルを続けられているようで、俺としても何よりだ。









474: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:34:59.25 ID:P+l3VGEy0




ライラ「はい。これも、プロデューサー殿のおかげでございますですねー」

八幡「ほう」

専務「…………」

八幡「……企画が終わっても、まだ担当プロデューサーなんですね」

専務「……それが何か?」



ギロッと、いつも以上の眼光で睨まれた。怖い……

けど確か、あの時は企画の一般プロデューサーが足りないから、臨時的にライラの担当になったんだったよな。それが、今もこうしてプロデューサーとしてやってるんだ。



専務「……何を笑ってるんだ」

八幡「いえ、なんでもないっす」



そりゃ、頬を緩むだろ。

しかしそんな俺の態度が面白くないのか、専務はコーヒーを飲み終わるとさっさと行ってしまう。
去り際、こんな言葉を残して。



専務「もうヘマはするなよ。……人手が足りなくなるのは、私も困る」

ライラ「また、一緒にアイス食べるでございますよー」



専務を追うように、ライラも手を振りながら去っていく。

……期待に応えられるよう、頑張りますよ。


自分に出来ないことをやれって、あなたに頼まれましたしね。









475: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:35:42.88 ID:P+l3VGEy0


× × ×






奈緒「な、な、なんでアタシには教えてくれなかったんだよぉーーー!!!」



つんざくような非難めいた叫び。というか非難。

あまりの声の大きさに、俺も加蓮も耳を塞ぐ。



加蓮「あれ、言ってなかったっけ? おっかしいなー」

八幡「ちひろさんに聞いてたんじゃないのか?」

奈緒「き、聞いてないぞ!?」

加蓮「んー何人かに直接教えてたみたいだったけど…………あ、そっか。そういえばあの日奈緒いなかったから、アタシが伝えておくって言ったんだった」

奈緒「かれぇーーーーんっ!!」



アハハーごめんごめん、と頭をかきながら笑う加蓮。全然悪びれる様子ねぇなオイ。



奈緒「ったく、普通にお前がスーツ着て事務所にいるもんだから、こっちはめちゃくちゃビックリしたんだからな」

八幡「いや、俺に言われても…」



伝え損なったちひろさんと加蓮に言ってくれ。

そしてそこで奈緒は一旦静かになったかと思うと、こっちをジッと見て、睨むようにする。一体どうした。



奈緒「……………んん、……あー……」



チラチラと、俺の方を見て、俯いての繰り返し。
そして意を決したかのようにもう一度睨み、やっとこさ口を開いた。



奈緒「……………………おかえり」

八幡「おう」

奈緒「だぁー! なんでアタシがこんな恥ずかしい思いをしなくちゃならないんだよ!」

八幡「だから、俺に言われても…」



見事な逆ギレである。そんなに恥ずかしいなら言わなきゃ良いのによ。
それでも言わないと気が済まないってんだから、生きにくい性格だな。






476: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:36:13.23 ID:P+l3VGEy0




加蓮「それじゃあ、アタシからも」



と、便乗するように加蓮もこっちに向き直り、満面の笑顔で告げる。



加蓮「おかえり、八幡さん」

八幡「お、おう」



こいつはさすがだな……言われたこっちが恥ずかしくなる。

そんな様子を奈緒が「そのメンタルが羨ましい……」とジト目で見ている。気持ちは分かる。



加蓮「……でもホント、戻って来てくれて良かったよ」



さっきまでのイタズラっぽい笑みとは違い、安堵したかのような顔になる加蓮。



加蓮「あなたが育てたアイドルなんだから、最後まで面倒みてよね?」



期待するかのような、その眼差し。
直視するのもこっぱずかしく、目を逸らす。つーか、育てたつもりも特に無いんだが……



奈緒「まぁ、確かに中途半端に逃げるのは良くないよな」



習うように、奈緒も勝ち気な笑みを浮かべて言う。



奈緒「責任はちゃんと取れよ、比企谷」



……本当、遠慮の無い友達だよ。

こんなんだから、俺もほだされるんだ。
だから、仕方なく返事をしてやる。



八幡「……へいへい」



なんともやる気の無さそうな、照れ隠し満載の返事。
けど、これが俺の精一杯だ。


それでも奈緒も加蓮も、満足そうにしてるんだから、許してくれ。









477: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:36:40.51 ID:P+l3VGEy0


× × ×






休憩スペースでちょっと一休み……と言っても、元々今日は仕事らしい仕事はしてないんだが。

自販機でMAXコーヒーを買い、ソファに座ってゆっくりする。なんだが、こうしているのも懐かしい。
そういや今は炬燵は無いんだな。あれも季節感ゼロだったし大分謎だったが。



杏「うー……疲れたー」



そこにやって来るは、仕事終わりなのかやたらとぐったりした杏。
まぁ、こいつの場合レッスンとか何やってもその後ぐったりしてたけど。



八幡「お疲れさん」

杏「お疲れー。もう、杏はダメだよ……ぐはっ…」



わざとらしいうめき声を上げ、反対のソファへと倒れ込む。



八幡「なんか飲むか」

杏「甘いものを……」

八幡「あいよ」



確か炭酸は平気だったはず、と。テキトーにコーラを買って、渡してやる。



杏「サンキュー」






478: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:37:21.12 ID:P+l3VGEy0




起き上がり、ごくごくと良い音を立てて飲む杏。
その後ふぃ~と何ともオッサンみたいな仕草で口元を拭う。そして、目が合い一言。



杏「え、なんでいんの」



今更かい。



きらり「杏ちゃん? ここにいたの……って、あー! はっちゃーん!」



そこへ諸星登場。駆け寄り、手を握ってぶんぶんと振ってくる。いや、ちょっ、そんなに軽々しく手を握るとか青少年の心を玩ばないで!



きらり「今日からだったもんね! やっと会えたにぃ~」

八幡「お、おう。お疲れさん」



俺がたじろいでいると、杏が納得したように頷いていた。



杏「あーそう言えば正社員として入るって言ってたもんね。今日からだったんだ」



何ともあっけらかんとしたその言い方。だが、その気持ちは俺も少し分かる。



杏「……たまにオンラインで会うし、ソシャゲでログインしてるの確認できるから、あんまり久しぶりな感じしないなぁ」

八幡「俺が心に留めたことをあっさり言うんじゃない」



まぁ、そこがお前の良い所だけどよ。









479: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:37:53.12 ID:P+l3VGEy0


× × ×






八幡「……やっぱ、懐かしいな」



丁度人が少ないのを見計らって、事務スペースへとやってくる。
目の前にあるのは、かつて俺が使っていたデスク。

正式にここの社員になったとは言え、またここを使っていいかは分からないからな。今はこうして眺めているだけ。

何も物が無いのを見る限り、特に誰も使ってはいないようだ。……その割には、何故か奇麗にしてあるが。



八幡「ちょっとくらいなら……」



ちひろさんや社長なら構わないと言いそうなもんだが、念のため周りに人がいないことを確認し、座ってみようと椅子を引く。



輝子「フヒヒ……」



キノコの精が、そこにいた。



八幡「…………」

輝子「だ、黙って椅子を戻さないで……」

八幡「冗談だ」



改めて椅子を引いて、そこへ座る。
……こうしてると、本当に懐かしいな。

正直に言えば、輝子ならここにいるんじゃないと思ってやって来た。






480: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:38:24.19 ID:P+l3VGEy0




八幡「どうだ、元気にやってるか?」

輝子「フフ……ちひろさんに許可を貰って、ここを正式にキノコの栽培場所として使わせて貰ってる。……見よ、この新たなフレンドを」

八幡「聞きたいのはそういうことじゃないんだが」



まぁ、たまにLINEとかで連絡は取ったりするから、上手くやってることは知ってるけどよ。



八幡「あんまり俺が戻ってきても驚かないんだな」

輝子「フヒヒ……まぁ、ね」



俺の質問に、いつもとなんら変わりなく、さも当然のように、輝子は言う。



輝子「八幡のことだから……帰ってくると、思ってた」

八幡「そんなん分かるのか」

輝子「分かる。……親友、だからな」



そうして、また笑う。

……そうか。



八幡「……親友なら、分かっても仕方ないな」






481: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:38:50.98 ID:P+l3VGEy0




そんなことを言われてしまえば、俺も納得するしかない。
やれやれ。何かもお見通しだぜ。


俺がそう言って笑うと、輝子も嬉しそうに微笑んだ。



輝子「……あ、そろそろ、来るな」



不意に、輝子がケータイを見ながらそう呟く。



八幡「来る?」

輝子「八幡。外に、行くんだ……」



真剣な目でそう告げる輝子。

まさか、来るってのは……



八幡「……ああ。分かった」



椅子から立ち上がり、すぐに出口へと向かう。
チラッと背後を見てみれば、机の下から掲げるように腕を突き出す輝子の姿。

その手は、健闘を祈るように親指を立てていた。
ターミネーターかよ、お前は。



……けど、サンキューな。









482: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:39:38.03 ID:P+l3VGEy0


× × ×






事務所の外へ出てみれば、気持ちの言い風が吹いていた。


朝出た時は早過ぎて気付かなかったが、今日はどうやら快晴みたいだな。気温も丁度良いし、仕事初日としては最高と言える。

まぁ、もう既に半日以上は終わってしまったんだが。



事務所の前に立ち、ぼーっと空を眺めながら待つ。

輝子はそろそろ来るとか言ってたが、辺りに人影は無いし、特に誰か来る様子も無い。
っていうか今更だが、来るのってのはあいつのことで良いんだよな? 宅配便とかじゃないよね?



八幡「…………」



……しかし、こうして事務所の前に立っていると思い出すな。

あれは最初の最初、初めてここへやって来た時。
今もしてるこのネクタイを見てニヤついてる時に、あいつに見られたんだっけ。あん時は、まさかその女の子が俺の担当アイドルになるなんて思いもしなかったな。

思わず、笑みが零れる。

本当に、懐かしいーー









483: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:40:16.87 ID:P+l3VGEy0









「なに、ニヤニヤしてるの?」









よく通る、済んだその声。



不意を突かれてかなり驚いたが、それでも、動揺はない。

今日は、いつ会えるのかとずっと考えてたからな。


振り向けば、そこには思った通りの人物。


容姿は特に変わらない……と思ったが、ちょっと大人っぽくなったか?
もしかしたら、少し背が伸びたのかもしれない。元々高い方なのにな。


……相変わらず、まっすぐな目をしてやがる。



凛「もしかして、アイドルのプロデューサーになれるのが嬉しかったの?」



イタズラっぽく笑って言うその台詞は、いつかの真似事か。
なら、俺も返す答えは決まってる。



八幡「ちげぇよ。……このネクタイ、妹に選んで貰ったんだ」

凛「知ってる」



そうして、俺たちは笑い出した。

……ああ、本当に、俺は戻ってきたんだな。






484: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:41:16.79 ID:P+l3VGEy0




八幡「昼過ぎから出社とは、随分と社長出勤だな。うちの社長なんて6時前にはいたぞ」

凛「午前は直行で収録があったんだよ。っていうか、それはうちの社長が特殊なんでしょ?」

八幡「どうしても俺より早く会社にいたかったらしい」

凛「社長らしいね」

八幡「あと、ちひろさんもな」



久しぶりに会ったってのに、話すことはこんなことばかり。



凛「あ、そう言えば春香がまた会いたいって言ってたよ? みんなでお茶でもしようって」

八幡「……そういや、LINEでそんなことも言ってたな。っていうか”春香”?」

凛「それもだよ、そもそもなんでLINEのIDを交換してるんだか」

八幡「ま、まぁ、おいおい説明してやるよ」

凛「どうだか」



笑って、他愛のない話をする。



凛「あのフラワーバスケット、どこで買ったの?」

八幡「どこって、普通に近所の花屋だが」

凛「ふーん。……うちじゃなくて、他所の花屋で買ったんだ?」

八幡「いや、さすがにお前んとこは無理だろ……ちょっと考えたけど」

凛「考えたんだ……」



もっと、話さなきゃならないことがあったと思ったのに。



凛「そのスーツ、久しぶりに見たよ」

八幡「社会人は最低二着はあった方が良いって聞いたから、もう一着買ったけどな」

凛「でも、今日はそっちを着てきたんだ」

八幡「……まぁ、な」

凛「……そのネクタイピンも」

八幡「…………まぁ、な」



話したいだけ話して、いつの間にやら、もう事務所の前で随分と話し込んでいた。






485: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:41:58.00 ID:P+l3VGEy0




凛「…………ねぇ」



向かいに立っていた凛は俺の近くまで歩いてくると、隣に立ち、ふと事務所を見上げた。

俺も、それに習う。



凛「もう、いなくなったりしないんだよね」



こっちを見ずに、そう問いかけてくる凛。



八幡「なんだ、俺がいなくてもトップアイドルを目指すんじゃなかったのか?」

凛「もう、またそうやってひねた言い方をする…」



拗ねたようなその物言い。

自分でも悪いと思うが、これが俺なんでね。諦めてくれ。



凛「これはただの確認だよ」



そう言って、凛は強気に笑ってみせる。



凛「私は私がなりたいから、トップアイドルを目指す。一人でも、走り続ける覚悟はある。……けど」

八幡「…………」

凛「……あなたが隣にいてくれれば、きっともっともっと、遠くまで行けると思うんだ」



そう言う凛の瞳は、キラキラと輝いている。

まだ見ぬ景色を見通すように、輝きの向こう側を、見定めるように。






486: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:43:00.97 ID:P+l3VGEy0







凛「私の、隣にいてくれる?」






俺を見て、凛は再び尋ねてきた。






八幡「……そんな今更な質問、すんなよな」





だから、俺は決まりきった、ずっと思い続けていた答えを返す。






八幡「当たり前だろ。……俺が、隣にいたいと思ってるからな」





約束のために。

凛のために。

そして何より、俺のために。



俺は、ここへ戻ってきたんだ。



そんな俺の答えに、凛は「そっか」と言って、満足したよう微笑んだ。



凛「……本当に、先に迎えに来て貰っちゃったな」

八幡「あ?」

凛「なんでもないよ」






487: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:44:49.92 ID:P+l3VGEy0




上手く聞き取れず聞き返すが、凛は笑って流すのみ。

いや、なんかすげぇ気になるんですけど……



凛「それより、そろそろ事務所入ろうか。ちひろさんとか探してるかもよ」

八幡「あ、おい!」



俺を放って、さっさと行こうとする凛。

……本当、決めたらどこまでも行こうとする奴だ。



一度は辞めて、それでもこの場所に焦がれ、俺はまた戻ってきた。

隣にいたいと、凛を、トップアイドルにしたいと、またやってきたんだ。


どうやら人生ってのは、簡単には終わらないらしい。



好きになった女の子はアイドルで。

だからこそ辞めたプロデューサーに、俺は、再びなった。



……本当に、おかしな話だよな。

もしも自伝を書くんなら、最後の〆はこうしようと思う。



いつかの再提出の、更にやり直し。









凛「ほら、早く。プロデューサー!」



八幡「……ああ」









やはり俺の青春ラブコメは、まちがっている。



















488: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:45:54.28 ID:P+l3VGEy0

というわけで、これにてシリーズ完結です! ありがとうございましたっ!!



491: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:49:48.98 ID:P+l3VGEy0

本当に、四年間もありがとうございました。長いこと待たせてしまって申し訳ない……



492: ◆iX3BLKpVR6 2017/08/12(土) 23:52:08.77 ID:P+l3VGEy0

これまで読んでくれて、本当に感謝しかないです……!
依頼は明日あたりに出しますので、ご感想や質問等頂けると嬉しいです。

繰り返しになりますが、本当にありがとうございます!



489: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/08/12(土) 23:47:12.90 ID:n9Hu7dAZ0

乙。盛大に乙。
本当に面白いSSだったよ。



490: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/08/12(土) 23:47:55.50 ID:nzIdWN2w0

おつ よかった




※四年間お疲れ様でした!




元スレ
SS速報VIP:八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「またね」

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1465225109/