SS速報VIP:モバP「幸子の事を本当に理解してあげられたのだろうか」
1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 14:56:25.26 ID:dNOLliTfo
とある雑居ビルのドアを、ボクは勢いよく開けた。
幸子「おはようございます!」
バタン
「おはよう。今日も元気だな」
ここは、ボクが所属するアイドル事務所。
突然スカウトされた時は驚いたけれど、今はトップアイドルに向かった頑張っています。
幸子「おはようございます!プロデューサーさん!」
幸子「今日は、ボイスレッスンでしたよね!」
「そうだな。まだまだ仕事が無くてすまんな」
ボクの担当プロデューサーである、いかにも新人サラリーマンといった風貌の男性は、すまなそうに軽く頭を下げた。
幸子「全くですよ!」
幸子「カワイイボクがもっと活躍できるように、頑張ってくださいね!」
ボクがトップアイドルを目指す理由は、世間にボクがカワイイと認めさせる為にほかならない。
しかし、ボクがいくらカワイイといってもまだまだ新人アイドル。下積みのレッスンや仕事が大事だとは、いやというほど聞いた。
「よし、じゃあ行くか」ガタッ
幸子「はい!カワイイボクとレッスンなんですから、ボク以上に頑張ってくださいね!」
学校が終わってからは、レッスン漬けの毎日。
ボクはすぐにでも、テレビ番組とかに出演したいけれど、プロデューサーさん曰く
「アイドルがバラエティに出るのは、まだまだ先だ。まずはCDデビューが先だな」
という事らしい。
ボクの言うことを聞き入れてくれなかったのは、不満だけれどその反面、とても大切にされていると感じる。
そんな1ヶ月ぐらい前の出来事を思い出していると、いつの間にかボクを乗せた車はいつものレッスンスタジオに着いていた。
「今日はトレーナーさんと俺で、3時間みっちりしごいてやるからな」
幸子「一刻も早く、カワイイボクに相応しいCDを出せるようにお願いしますね!」
プロデューサーさんの爽やかな笑顔に負けないぐらいの、ボクはカワイイ笑顔を返した。
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2: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 14:57:09.18 ID:dNOLliTfo
ーーー
「おはようございます!今日も宜しくお願いします」
幸子「おはようございます!」
プロデューサーさんの後に続いて、ボクもいつものレッスンスタジオに入室する。
部屋の中はカラオケボックスぐらいの広さしかなく、機材などはオルガンが置いてあるだけ。
小さな事務所故に、金銭面でも大変なんだろうと思う。
「おはようございます。よろしくね、幸子ちゃん」
トレーナーさんも、プロデューサーと同い年ぐらいの女性で、垢抜けない感じが親しみやすい。
幸子「宜しくお願いします!」
ボクも軽く頭を下げた。
レッスンが始まると、プロデューサーさんもトレーナーさんもとても真剣な表情になる。
「ほら!しっかりお腹から声を出す!」
幸子「は、はいっ!」
以前のボクは、アイドルなんてもっと簡単なトレーニングを適当にこなして、適当にテレビに出演しているというイメージしかなかった。
そう高をくくっていたボクは、初めてボイスレッスンを行なった時は衝撃を受けた。
声を出すだけで、あれほど疲れるとは思わなかった。
ダンスレッスンも、カワイイボクに似つかわしくない醜態だった。
しかし、今でも注意される事は多いけれど、以前よりは声もダンスも格段に良くなったと誉めてもらえた。
「はい、今日はおしまいよ。お疲れ様」
トレーナーさんは、ニコニコしながらボクにレッスンの終了を告げてくれた。
幸子「あれ?もう終わりですか?」
「一生懸命やっていたからな。時間も忘れるぐらい集中してたって事だろ」
「最初と比べたら、すごい成長だ」
プロデューサーさんの笑顔や言葉は、裏を感じさせない純粋さがある。
幸子「ボクはカワイイですからね!そこら辺のアイドルと、一緒にしてもらったら困りますよ!」
幸子「プロデューサーさんはそんな事も分からないから、ボクがCDデビューできないんですよ!」
いつも通り、プロデューサーさんを冗談混じりに責めると、思いもよらない言葉が返ってきた。
「おっと、忘れるところだった」
「さっき社長から電話がかかってきて・・・・・・。おめでとう!CDデビューが決まったぞ!」
幸子「え?本当ですかっ?!」
このプロデューサーさんが嘘をつける性格ではないし、質の悪い冗談も言わない事を知っていても確認してしまう。
「やったね!幸子ちゃん!」
トレーナーさんからも、お祝いの言葉をもらえた。
幸子「と、当然ですよ!カワイイボクなら、もっと早くても良かったぐらいですね!」
本当は”ありがとう”と笑顔でお礼を言いたかった。
人前では素直になれない性格が、ボクの唯一の欠点だった。
それでもプロデューサーさんは、まるで心を見透かしているように笑顔で何度もおめでとうと言ってくれた。
ーーー翌日ーーー
幸子「おはようございます!」ガチャ
パーン
「CDデビュー!おめでとう!」
事務所のドアを開けると、事務員のちひろさんがクラッカーを持って立っていた。
幸子「ボクはカワイイですからね!これからもっと、もっと!売れっ子になりますよ!」
「そうね!幸子ちゃんが売れっ子になれば、事務所も大きくなって安泰ね!」
幸子「カワイイボクが居れば、事務所が大きくなるなんて時間の問題ですよ!」
声高に宣言していると、後ろから声が聞こえた。
「よっ、おはよう」
幸子「おはようございます!プロデューサーさん!」
「CDデビューが決まったからには、いつも以上に厳しくいくぞ!」
幸子「カワイイボクのCDが、売れないはずないじゃないですか!」
「油断はするなよ」
プロデューサーさんは、いつもの爽やかな笑顔でボクに釘を差した。
「それで、CD発売までのスケジュールなんだけどな・・・・・・」
そう言って見せてくれたスケジュール帳は、まだまだ空白が目立っていた。
発売日は3ヶ月後で、収録は2ヶ月後と全部決まっていた。
予定に加えて、プロデューサーさんはこんな事も教えてくれた。
「アイドル活動を始めて1ヶ月でCDデビュー。かなり早さだ」
「他のアイドルからの妬みとかもあるだろうけど、何でも相談してくれよ」
何気ない言葉だけど、嬉しかった。
幸子「カワイイボクに嫉妬なんて、今に始まった事じゃないですから、大丈夫ですよ!」
ーーー
収録までの2ヶ月間は、風のように過ぎ去った。
平日は学校が終わればすぐに事務所に向かい、直接レッスンスタジオに行くことも珍しくなかった。
休日はレッスン場に篭り、練習に明け暮れた。
まだCDデビューの話は秘密だったので、友達にも話すことはできなかったけれど、理由も訊かずに”頑張って”と応援してくれた。
まだデビュー前なのに、ボクは既にトップアイドルに成れたかのような気分だった。
初めての収録スタジオは、とても緊張した。
幸子「お、おはようございます!」
緊張で声が上ずってしまった。
プロデューサーさんは何度も打ち合わせをしているようで、スタッフさんと談笑をしていた。
なんだかボクだけが気後れしているようで、プロデューサーさんに負けた気分だった。
しかし、いざ収録を始めてみると色んな人に誉められた。
「綺麗な声をしているね」
「音程もバッチリですよ」
幸子「ありがとうございます!」
ボクは、初めて心からの言葉が出せたような気がした。
だけどプロデューサーさんに
「良かったな」
と誉められると、本当に言いたい事は心のがどこかに隠れてしまう。
「スタッフさんは、カワイイボクにメロメロですね!」
無事に収録も終わり、CD発売までの1ヶ月間もまた、一瞬のように感じた。
ーーー
CD発売日は、宣伝も兼ねてのミニライブを行うことになり、プロデューサーさんは事務所に居ることも少なく、ボクと挨拶を交わす事も日に日に減っていった。
なぜか、寂しい気分になった。
ミニライブ開始の3時間ぐらい前に現場に着くと、プロデューサーさんが陣頭指揮を取っていた。
その後姿は、初めてプロデューサーさんがプロデューサーらしく見えた。
幸子「おはようございます!今日は宜しくお願いします!」
「おっ、やっと来たな。おはよう!」
スタッフさんは忙しいらしく、ボクの方を向いて挨拶をしてくれたのは、プロデューサーさんだけだった。
ミニライブ開始直前にはボクの緊張はピークになり、脚が震えてちゃんと立てるか心配なほどだった。
震えるボクをプロデューサーさんは、
「いつもの幸子を見せてやればいいだけだ!」
そう一喝して、どこかに行こうと歩き出した。
ボクは咄嗟にプロデューサーさんの袖を掴んだ。考えるよりも先に体が動いた。
幸子「ぷ、ぷ、プロデューサーさんが緊張しているみたいですから、ぼ、ボクの可愛さでほぐしてあげますよ!」
引きつっているボクの変な笑顔を見て、隣の椅子に座ってくれた。
「・・・・・・いつもの幸子らしくないな」
幸子「そんな事ありませんよ!早くカワイイボクをファンの人に見せたくて、ウズウズしてるだけですよ!」
「そうか」
プロデューサーさんはニッコリと微笑んでくれた。
その笑顔を見ると、CDデビューが決まる前のアノ日常に戻れた気がして、脚の震えが止まった。
だけど心臓はドキドキしたままで、穏やかではなかった。
ーーー
幕の内側に立つと、すぐ目の前にたくさんの人が居ることが熱気で伝わってきた。
その熱気が、またボクの脚を震わせた。
どこからかプロデューサーさんの声が聞こえた。
舞台袖に目を向けると、プロデューサーさんがいつもの笑顔で小さなガッツポーズをしていた。
アナウンスが流れ、幕の向こう側が更にざわめいた。
もうボクの脚は震えてはいなかった。
間もなくして、幕が左右に開かれた。
ワアアアアアアーッ
想像していたよりもたくさんの人に、目眩を覚えながらも、ボクは張り切って第一声を放った。
幸子「みなさーん!ボクは、カワイイですかーっ?」
ーーー
ミニライブは大成功で幕を閉じた。
「やったな!大成功だ!」
プロデューサーさんは、心底嬉しそうな顔をしていた。
幸子「ステージでのボクは、どうでしたか?!」
「最高に可愛かったぞ!」
プロデューサーさんは、親指をグッと立てた。
幸子「と、当然ですね!言っておきますけど、これは確認ですからね!」
ライブ中や、ライブ後の握手会でも散々”カワイイ”と言われたけれど、プロデューサーさんに”カワイイ”と言われたのが一番嬉しく思えた。
ーーー
お仕事が増えたのはとても嬉しかったけれど、同時に悩みも増えていった。
忙しくて登校が出来ない日も、珍しくはなかった。
ボクの学校はエスカレーター式で、滅多に落第などはしないけれど、勉強も頑張ってこなしていた。
勉強を疎かにしていれば、プロデューサーさんはきっと、
「仕事を減らすから、学業を優先しろ」
と言われると思う。
駆け出しで一番大切な時期だとちひろさんにも言われたし、ボクもその通りだと思う。
だけど、ボクはそれを免罪符にしているのかもしれない。
幸子「あれ?」
ある日、学校に行くとボクの上履きが無くなっていた。
靴箱を間違えたかと思って確認してみたけれど、そこは間違いなくボクの靴箱だった。
それからも、ボクの私物がしばしばゴミ箱内に落ちている事があった。
しかし、今のボクにそんな事に気を遣っている暇はなく、無視をしていれば嫌がらせもなくなるだろうと軽く考えていた。
そんな事が1週間ぐらい続いたある日、ボクの靴箱に1枚の紙切れが入っていた。
ファンレターなどの綺麗な便箋とは違い、ただのノートの切れ端のようだった。
”[ピーーー]!消えろ!ブス!学校に来るな!”
書き殴られた手紙の中には、まだピカピカなカミソリの刃が入っていた。
ボクはその日、体調不良とだけ保険医に告げ、涙目になりながら家に帰った。
ーーー
「よし!今日もカワイイボクは頑張りますよ!」
昨日の事が原因であまり眠れなかったけれど、もう忘れようと自分を奮い立たせた。
午前中はお仕事があるが、午後からは学校に行かなければいけない。
プロデューサーさんに相談しようと、何度か電話をかけた事もあったけれど、いつも留守番電話だった。
かけ直してはくれるけれど、ボクもまた忙しくて直接話すことは出来なかった。
何度かすれ違った事もあったけれど、本当に挨拶を交わす程度でじっくりと話なんて無理だった。
幸子「お疲れ様でした!」
午前中のお仕事を難なく終えると、嫌でも昨日の紙切れを思い出してしまう。
お昼休みで騒がしい時に登校するのは、何度経験しても不思議な気分だった。
恐る恐る靴箱を開けてみた。そこには変な紙切れも、ゴミが入ってもいなかった。
幸子「ほっ」
ボクは胸を撫で下ろし靴を履き替えた時、左足の親指に違和感を覚えた。
幸子「靴に何か入ってたのかな?」
靴を脱いで確認してみると、白いハイソックスの指先が紅く滲んでいた。
思わず蹲ってしまったボクを、通りがかりの先生に見つかり、保健室へと連れて行かれた。
足の怪我を手当てしてもらった後は、教室に戻るフリをして家へと帰った。
幸いにも今日は金曜日なので、気持ちを切り替える為にもレッスンの時間までは、家でゆっくりと過ごす事にした。
ーーー
幸子「お疲れ様でした!」
いつも通りに仕事を終えて、携帯電話の電源を入れると同時に電話がかかってきた。
珍しくプロデューサーさんからの電話にでられた。
「おっ!久しぶりに繋がったな」
「どうだ?仕事の調子は?」
幸子「カワイイボクが、調子悪い訳ないじゃないですか!」
「良かった良かった。最近は全然見に行けなくて悪いな」
プロデューサーさんは、残念そうな顔をして話していると電話越しでも分かった。
幸子「超売れっ子のボクのプロデューサーさんですからね!忙しいのは分かっていますよ」
「そうだな。それでな、少し話があるんだが事務所に来れるか?」
「時間は・・・・・・」
幸子「行けます!今からですか?!」
ボクは、はやる気持ちを抑えきれずにプロデューサーさんの言葉を遮って、返事をしてしまった。
「じゃあ、今から来てくれるか?」
幸子「し、仕方ないですね!忙しいですけど、プロデューサーさんの為に仕方なく行きますよ!」
そう言いながらも内心はウキウキしていた。
「じゃあ、事務所で待ってるからな」
ーーー
ボクはいつも以上に勢いよく、事務所のドアを開けた。
幸子「おはようございます!」
「おはよう。幸子」
事務所の中にはプロデューサーさんしか居なくて、空気もどことなく重かった。
幸子「カワイイボクと久しぶりに会えたのに、嬉しくないんですか?」
「嬉しいよ。幸子は俺に会えて嬉しいか?」
プロデューサーさんの思いもよらない問に、たじろいでしまう。
幸子「そ、そんな事ありませんよ!プロデューサーさんがカワイイボクに会えて嬉しいのは、当然ですけどね!」
幸子「ボクは忙しいなか、急に呼び出されて迷惑しているだけですよ!」
笑顔が隠しきれずに、ところどころでニヤついてしまったボクは、プロデューサーさんにどんな風に見られただろう。
「それはすまなかった」
プロデューサーさんは少し頭を下げながら謝り、一拍おいて話を始めた。
「それで、話というのはだな・・・・・・」
「幸子に業界最大手の事務所から、移籍の話がきてるんだ」
ボクはあまりの突拍子もないプロデューサーさんの話に、何も言葉が出なかった。
驚いて唖然としているボクを無視して、プロデューサーさんは話を続けた。
「俺も突然の話で驚いている。しかも移籍先はウチとは比べ物にならないほどの事務所だからな」
幸子「えっ?!あ、はい・・・・・・」
どう反応していいのか分からなくて、口ごもってしまう。
「プロデューサーとしては、是非このチャンスを活かしてほしいと思う」
幸子「えっ・・・・・・」
プロデューサーさんは、ボクの事を大切にしてくれていると思っていた。
プロデューサーさんが、ボクをトップアイドルに導いてくれると思っていた。
「しかも待遇は、トップアイドルと遜色ない・・・・・・」
幸子「そうですか」
幸子「プロデューサーさんは、ボクに移籍してほしいんですね」
すぐ近くに居るプロデューサーさんにも聞こえないぐらいの声量で、力なく答えた。
「違うっ!」
プロデューサーさんの、聞いたことがない大きな怒鳴り声に思わず後ずさりした。
「す、すまん」
「しかし今の意見は、プロデューサーとしての意見だ。俺個人としては・・・・・・」
ゴクリ
生唾を飲む音がとても大きく聞こえるほど、事務所は静まり返っていた。
「移籍しないでほしい。しかしそれは輿水幸子のアイドル人生が終わるかもしれない」
幸子「そ、それはどういう意味ですかっ!」
ボクも声を荒げてしまう。
「相手は業界最大手の事務所だ・・・・・・。分かるだろ?」
幸子「圧力・・・・・・ですか」
それは弱肉強食の社会では、当たり前のように存在する理不尽な力関係。
強い後ろ盾があれば、簡単にのし上がられるかもしれない。
幸子「それでもボクは・・・・・・」
もうボクの答えは決まっている。しかしそれを発するのは、躊躇ってしまう。
ボクに決定権があるとはいえ、もし断ればプロデューサーさんや今の事務所に迷惑がかかるはずだ。
そう考えると、あと一言がなかなか出せない。
「答えは今じゃなくていい。相手の方も1ヶ月先まで待ってくれるそうだ」
幸子「そう、ですか・・・・・・」
久しぶりのプロデューサーさんとの会話が移籍話・・・・・・。
以前の無駄な世間話をしてた頃が、まるで夢のように思えた。
つづく
あの日から、何日が経ったんだろう。
ただただ、繰り返される日々を過ごしていた。
平日は学校には行かずにカラオケボックスなどで自主練習をしたり、ランニングをしたりして過ごした。
声を思いっきり出したり、体を動かせば気が晴れると思っていたけれど、結局は何も変わらなかった。
ーーー
ある日、学校から両親に連絡が入ったようで、母親に呼び止められた。
幸子「ちゃんと自主学習はしてるから」
素っ気なく答えたボクに、母親はなにも言ってくれなかった。
ーーー
ベッドで横になりながら、嫌でも考えてしまう。
幸子「移籍・・・・・・か・・・・・・」
プロデューサーの元を離れてでも、トップアイドルを目指すのか。
もしくはアイドル生命が絶たれる覚悟で、プロデューサーさんとトップアイドルを目指すのか。
トップアイドルになって今以上のたくさんの人に、カワイイという事を認めさせたい。
これは大きな夢だが、その夢を与えてくれたのは他でもないプロデューサー。
考えれば考えるほど、ボクの頭は混乱していった。
ーーー
そして答えが出せないまま、1ヶ月が瞬く間に過ぎてしまい、プロデューサーから電話がかかってきた。
「今から事務所に来れるか?」
幸子「はい・・・・・・」
私生活では、すっかり以前の元気が無くなっていた。
「じゃあ、待ってるからな」
プロデューサーさんはそう告げると、電話は一方的に切れた。
ーーー
気が付くと事務所の前に立っていた。
道中の記憶はない。きっと何も考えられなかったのだろう。
幸子「おはようございます」
いつも通りにドアを開けるが、いつも通りの元気は出なかった。
事務所にはプロデューサーさんが1人で突っ立っているだけで、いつもデスクワークをしているちひろさんの姿はなかった。
「おはよう、幸子」
久しぶりにプロデューサーさんと会えるのに、以前のように喜べなかった。
「まだ中学生の幸子には、重すぎる決断だとは分かっている。まずは謝らせてくれ」
深々と頭を下げて、「すまなかった」と謝られた。
だけどボクは、そんな事はどうでも良かった。むしろ決断をボクに委ねてくれたプロデューサーさんも、相当辛かったと思う。
幸子「カワイイボクに、こんな決断を迫るなんて、本当に酷いですよ・・・・・・」
「すまん」
別にプロデューサーさんに、謝ってもらいたいわけじゃない。
だけどボクの口は、プロデューサーさんを責めるような言葉ばかりが出てくる。
幸子「この1ヶ月間、本当に辛かったんですよ!分かりますか!」
罵倒にも聞こえるボクの文句を、プロデューサーさんは何も言わずに相槌を打ちながら聞いてくれた。
幸子「誰にも相談できなくて、苦しくて、考えがぐちゃぐちゃになって・・・・・・」
幸子「いっその事、プロデューサーさんが決めてくれれば良かったんですよ!」
幸子「ボクはプロデューサーさんのお陰で、まだまだ駆け出しですけどアイドルに成れました・・・・・・。」
これまで溜めていたものが、喉の奥から一気に出てきてしまう。
幸子「そのプロデューサーさんが、移籍しろと言うなら!・・・・・・こんなに悩む事も苦しむ事もありませんでした」
プロデューサーさんは悪くない。仕方のない事だって分かってるけど、納得できない。
幸子「全部プロデューサーさんのせいですよ!どうしてくれるんですか!」
いつの間にか、ボクの頬には涙が伝っていた。
幸子「もう、ボクは・・・・・・一体、どうしたらいいんですか」
今のボクは、可愛さの欠片もない。それでも、涙は止まらない。
「それは、幸子が決めることだ」
プロデューサーさんの言っている事は正しい。正しいからこそ、ボクの胸を締め付ける。
幸子「ボクには・・・・・・どちらかを選ぶことなんて・・・・・・できませんよ」
ボクは嗚咽混じりになりながらも、必死にプロデューサーさんに訴えかけた。
「幸子。お前はトップアイドルに成って、何がしたいんだ?」
幸子「・・・・・・ボクは、日本中の人に・・・・・・ボクがカワイイと、認めさせてあげるんです!」
ボクは顔を上げて、力強く答えた。
「・・・・・・そうだよな。いつも言ってたよな」
プロデューサーさんは、昔を思い出すように天を仰ぎながら答えた。
「・・・・・・幸子は、幸子の夢を、追ってほしい。それが俺の夢、でもあるから」
1つ1つの言葉を出すのが、とても辛そうに見えた。
「俺の担当するアイドルを・・・・・・トップアイドルにしてやりたい」
幸子「そんな事を言われたら、ボクはもう・・・・・・ここを離れるとしか、言えないじゃないですか・・・・・・」
止まりかけていた涙が、また溢れ出してきた。
ボクはその場に座り込み、プロデューサーさんの前にも関わらず、号泣した。
ーーー
幸子「行ってきますね!」
ボクは大手を振って、事務所を後にする。
プロデューサーさんとちひろさんは、笑顔で見送ってくれた。
社長は以外にも涙もろいみたい。
幸子「カワイイボクが居なくなっても、プロデューサーさんなら大丈夫ですよね!」
誰に届く事もない言葉は、打ちっぱなしの雑居ビル内だけで反響して、消えた。
ーーー
移籍したボクは、慣れない職場環境にあたふたしながらも、トップアイドルへの道を駆け上がった。
新しいプロデューサーは、口の周りに立派な髭が生えており、いつもサングラスをしているいかにもベテランの顔だった。
時々、大きな事務所だからゴリ押しだと言われる事もあるけど、ボクの夢は現実へと変わり、デビューから1年5ヶ月という異常な早さで武道館単独ライブの日を迎える事ができた。
幕の内側に立つと、いつも舞台袖を見てしまう。
あのCDデビューのミニライブの時のように、プロデューサーさんがそこで観ていてくれる気がした。
いつの日か、今のプロデューサーに訊かれた事があった。
「いつもライブが始まる前に袖を見ているが、何かのジンクスか?」
幸子「そうですね!袖で観ていてくれる人が、居る気がするんですよ!」
「誰も居ないはずだが、霊的な何かか?」
幸子「違いますよ!」
プロデューサーさんを幽霊呼ばわりされて、ついムッとしてしまう。
だけど次の瞬間には、満面の笑みで答えられた。
幸子「カワイイボクが、大好きになってあげた人ですよ!」
幕が徐々に上がり、会場のボルテージは一気に上がる。
スポットライトの真ん中に立つ小さな少女は、大きな会場を埋め尽くしているたくさんのファンに笑顔で問いかけた。
幸子「みなさーん!ボクは、カワイイですよねーっ?」
おわり
P「まるで夢のようだな」
幸子「ボクがいくらカワイイからって、ビックリですよね!」
幸子「いきなり主演映画なんて・・・・・・」
P「本当にな」
P「それに名前も”幸子”で同名だし、ストーリーも今の境遇に似てるし」
幸子「本当に夢のようでしたね・・・・・・」
俺と担当アイドルの1人である輿水幸子は、事務所の液晶テレビを使い、幸子が主演している映画を観ていた。
P「短編映画だけど担当アイドルが映画主演とか、活躍してくれると俺も嬉しいよ」
幸子「そう、ですよね!」
俺はにこやかに答えたが、幸子はあまり元気がないようだ。
P「いつもの元気はどうした?」
幸子「プロデューサーさんは、よく元気でいられますね」
P「あっ、あれだな。映画とか見終わると、喪失感って言うのか・・・・・・」
幸子「違いますよっ!」
幸子は言葉を遮って、大声で否定した。
幸子「違うんですよ・・・・・・」
P「・・・・・・今日はもう遅い、家まで送るよ」
俺が帰り支度を始めると、幸子も無言で支度を始めた。
ーーー
幸子「プロデューサーさんは映画を観て、どう思いましたか?」
事務所を出発して、しばらくしてから幸子が話しかけてきた。
P「面白かったよ。幸子の演技も素晴らしかった」
幸子「・・・・・・映画のように、上手くいくんですか?」
いつもの幸子とは違い、神妙な面持ちがバックミラー越しに見えた。
P「そんな事は誰にも分からない。だからこそ挑戦する意義があるんだ」
俺はそれだけ言うと、バックミラーの角度を変えて運転に集中した。
後ろから、とても悲しそうな声が聞こた。
幸子「どうして移籍話は・・・・・・フィクションじゃないんですか・・・・・・」
終
元スレ
ーーー
「おはようございます!今日も宜しくお願いします」
幸子「おはようございます!」
プロデューサーさんの後に続いて、ボクもいつものレッスンスタジオに入室する。
部屋の中はカラオケボックスぐらいの広さしかなく、機材などはオルガンが置いてあるだけ。
小さな事務所故に、金銭面でも大変なんだろうと思う。
「おはようございます。よろしくね、幸子ちゃん」
トレーナーさんも、プロデューサーと同い年ぐらいの女性で、垢抜けない感じが親しみやすい。
幸子「宜しくお願いします!」
ボクも軽く頭を下げた。
レッスンが始まると、プロデューサーさんもトレーナーさんもとても真剣な表情になる。
「ほら!しっかりお腹から声を出す!」
幸子「は、はいっ!」
以前のボクは、アイドルなんてもっと簡単なトレーニングを適当にこなして、適当にテレビに出演しているというイメージしかなかった。
そう高をくくっていたボクは、初めてボイスレッスンを行なった時は衝撃を受けた。
声を出すだけで、あれほど疲れるとは思わなかった。
ダンスレッスンも、カワイイボクに似つかわしくない醜態だった。
しかし、今でも注意される事は多いけれど、以前よりは声もダンスも格段に良くなったと誉めてもらえた。
3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 14:57:40.05 ID:dNOLliTfo
「はい、今日はおしまいよ。お疲れ様」
トレーナーさんは、ニコニコしながらボクにレッスンの終了を告げてくれた。
幸子「あれ?もう終わりですか?」
「一生懸命やっていたからな。時間も忘れるぐらい集中してたって事だろ」
「最初と比べたら、すごい成長だ」
プロデューサーさんの笑顔や言葉は、裏を感じさせない純粋さがある。
幸子「ボクはカワイイですからね!そこら辺のアイドルと、一緒にしてもらったら困りますよ!」
幸子「プロデューサーさんはそんな事も分からないから、ボクがCDデビューできないんですよ!」
いつも通り、プロデューサーさんを冗談混じりに責めると、思いもよらない言葉が返ってきた。
「おっと、忘れるところだった」
「さっき社長から電話がかかってきて・・・・・・。おめでとう!CDデビューが決まったぞ!」
幸子「え?本当ですかっ?!」
このプロデューサーさんが嘘をつける性格ではないし、質の悪い冗談も言わない事を知っていても確認してしまう。
「やったね!幸子ちゃん!」
トレーナーさんからも、お祝いの言葉をもらえた。
幸子「と、当然ですよ!カワイイボクなら、もっと早くても良かったぐらいですね!」
本当は”ありがとう”と笑顔でお礼を言いたかった。
人前では素直になれない性格が、ボクの唯一の欠点だった。
それでもプロデューサーさんは、まるで心を見透かしているように笑顔で何度もおめでとうと言ってくれた。
4: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 14:58:06.21 ID:dNOLliTfo
ーーー翌日ーーー
幸子「おはようございます!」ガチャ
パーン
「CDデビュー!おめでとう!」
事務所のドアを開けると、事務員のちひろさんがクラッカーを持って立っていた。
幸子「ボクはカワイイですからね!これからもっと、もっと!売れっ子になりますよ!」
「そうね!幸子ちゃんが売れっ子になれば、事務所も大きくなって安泰ね!」
幸子「カワイイボクが居れば、事務所が大きくなるなんて時間の問題ですよ!」
声高に宣言していると、後ろから声が聞こえた。
「よっ、おはよう」
幸子「おはようございます!プロデューサーさん!」
「CDデビューが決まったからには、いつも以上に厳しくいくぞ!」
幸子「カワイイボクのCDが、売れないはずないじゃないですか!」
「油断はするなよ」
プロデューサーさんは、いつもの爽やかな笑顔でボクに釘を差した。
「それで、CD発売までのスケジュールなんだけどな・・・・・・」
そう言って見せてくれたスケジュール帳は、まだまだ空白が目立っていた。
発売日は3ヶ月後で、収録は2ヶ月後と全部決まっていた。
予定に加えて、プロデューサーさんはこんな事も教えてくれた。
「アイドル活動を始めて1ヶ月でCDデビュー。かなり早さだ」
「他のアイドルからの妬みとかもあるだろうけど、何でも相談してくれよ」
何気ない言葉だけど、嬉しかった。
幸子「カワイイボクに嫉妬なんて、今に始まった事じゃないですから、大丈夫ですよ!」
5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 14:58:51.64 ID:dNOLliTfo
ーーー
収録までの2ヶ月間は、風のように過ぎ去った。
平日は学校が終わればすぐに事務所に向かい、直接レッスンスタジオに行くことも珍しくなかった。
休日はレッスン場に篭り、練習に明け暮れた。
まだCDデビューの話は秘密だったので、友達にも話すことはできなかったけれど、理由も訊かずに”頑張って”と応援してくれた。
まだデビュー前なのに、ボクは既にトップアイドルに成れたかのような気分だった。
初めての収録スタジオは、とても緊張した。
幸子「お、おはようございます!」
緊張で声が上ずってしまった。
プロデューサーさんは何度も打ち合わせをしているようで、スタッフさんと談笑をしていた。
なんだかボクだけが気後れしているようで、プロデューサーさんに負けた気分だった。
しかし、いざ収録を始めてみると色んな人に誉められた。
「綺麗な声をしているね」
「音程もバッチリですよ」
幸子「ありがとうございます!」
ボクは、初めて心からの言葉が出せたような気がした。
だけどプロデューサーさんに
「良かったな」
と誉められると、本当に言いたい事は心のがどこかに隠れてしまう。
「スタッフさんは、カワイイボクにメロメロですね!」
無事に収録も終わり、CD発売までの1ヶ月間もまた、一瞬のように感じた。
6: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 14:59:28.12 ID:dNOLliTfo
ーーー
CD発売日は、宣伝も兼ねてのミニライブを行うことになり、プロデューサーさんは事務所に居ることも少なく、ボクと挨拶を交わす事も日に日に減っていった。
なぜか、寂しい気分になった。
ミニライブ開始の3時間ぐらい前に現場に着くと、プロデューサーさんが陣頭指揮を取っていた。
その後姿は、初めてプロデューサーさんがプロデューサーらしく見えた。
幸子「おはようございます!今日は宜しくお願いします!」
「おっ、やっと来たな。おはよう!」
スタッフさんは忙しいらしく、ボクの方を向いて挨拶をしてくれたのは、プロデューサーさんだけだった。
ミニライブ開始直前にはボクの緊張はピークになり、脚が震えてちゃんと立てるか心配なほどだった。
震えるボクをプロデューサーさんは、
「いつもの幸子を見せてやればいいだけだ!」
そう一喝して、どこかに行こうと歩き出した。
ボクは咄嗟にプロデューサーさんの袖を掴んだ。考えるよりも先に体が動いた。
幸子「ぷ、ぷ、プロデューサーさんが緊張しているみたいですから、ぼ、ボクの可愛さでほぐしてあげますよ!」
引きつっているボクの変な笑顔を見て、隣の椅子に座ってくれた。
「・・・・・・いつもの幸子らしくないな」
幸子「そんな事ありませんよ!早くカワイイボクをファンの人に見せたくて、ウズウズしてるだけですよ!」
「そうか」
プロデューサーさんはニッコリと微笑んでくれた。
その笑顔を見ると、CDデビューが決まる前のアノ日常に戻れた気がして、脚の震えが止まった。
だけど心臓はドキドキしたままで、穏やかではなかった。
8: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 15:00:44.58 ID:dNOLliTfo
ーーー
幕の内側に立つと、すぐ目の前にたくさんの人が居ることが熱気で伝わってきた。
その熱気が、またボクの脚を震わせた。
どこからかプロデューサーさんの声が聞こえた。
舞台袖に目を向けると、プロデューサーさんがいつもの笑顔で小さなガッツポーズをしていた。
アナウンスが流れ、幕の向こう側が更にざわめいた。
もうボクの脚は震えてはいなかった。
間もなくして、幕が左右に開かれた。
ワアアアアアアーッ
想像していたよりもたくさんの人に、目眩を覚えながらも、ボクは張り切って第一声を放った。
幸子「みなさーん!ボクは、カワイイですかーっ?」
ーーー
ミニライブは大成功で幕を閉じた。
「やったな!大成功だ!」
プロデューサーさんは、心底嬉しそうな顔をしていた。
幸子「ステージでのボクは、どうでしたか?!」
「最高に可愛かったぞ!」
プロデューサーさんは、親指をグッと立てた。
幸子「と、当然ですね!言っておきますけど、これは確認ですからね!」
ライブ中や、ライブ後の握手会でも散々”カワイイ”と言われたけれど、プロデューサーさんに”カワイイ”と言われたのが一番嬉しく思えた。
9: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 15:01:46.58 ID:dNOLliTfo
ーーー
お仕事が増えたのはとても嬉しかったけれど、同時に悩みも増えていった。
忙しくて登校が出来ない日も、珍しくはなかった。
ボクの学校はエスカレーター式で、滅多に落第などはしないけれど、勉強も頑張ってこなしていた。
勉強を疎かにしていれば、プロデューサーさんはきっと、
「仕事を減らすから、学業を優先しろ」
と言われると思う。
駆け出しで一番大切な時期だとちひろさんにも言われたし、ボクもその通りだと思う。
だけど、ボクはそれを免罪符にしているのかもしれない。
幸子「あれ?」
ある日、学校に行くとボクの上履きが無くなっていた。
靴箱を間違えたかと思って確認してみたけれど、そこは間違いなくボクの靴箱だった。
それからも、ボクの私物がしばしばゴミ箱内に落ちている事があった。
しかし、今のボクにそんな事に気を遣っている暇はなく、無視をしていれば嫌がらせもなくなるだろうと軽く考えていた。
そんな事が1週間ぐらい続いたある日、ボクの靴箱に1枚の紙切れが入っていた。
ファンレターなどの綺麗な便箋とは違い、ただのノートの切れ端のようだった。
”[ピーーー]!消えろ!ブス!学校に来るな!”
書き殴られた手紙の中には、まだピカピカなカミソリの刃が入っていた。
ボクはその日、体調不良とだけ保険医に告げ、涙目になりながら家に帰った。
10: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 15:02:21.52 ID:dNOLliTfo
ーーー
「よし!今日もカワイイボクは頑張りますよ!」
昨日の事が原因であまり眠れなかったけれど、もう忘れようと自分を奮い立たせた。
午前中はお仕事があるが、午後からは学校に行かなければいけない。
プロデューサーさんに相談しようと、何度か電話をかけた事もあったけれど、いつも留守番電話だった。
かけ直してはくれるけれど、ボクもまた忙しくて直接話すことは出来なかった。
何度かすれ違った事もあったけれど、本当に挨拶を交わす程度でじっくりと話なんて無理だった。
幸子「お疲れ様でした!」
午前中のお仕事を難なく終えると、嫌でも昨日の紙切れを思い出してしまう。
お昼休みで騒がしい時に登校するのは、何度経験しても不思議な気分だった。
恐る恐る靴箱を開けてみた。そこには変な紙切れも、ゴミが入ってもいなかった。
幸子「ほっ」
ボクは胸を撫で下ろし靴を履き替えた時、左足の親指に違和感を覚えた。
幸子「靴に何か入ってたのかな?」
靴を脱いで確認してみると、白いハイソックスの指先が紅く滲んでいた。
思わず蹲ってしまったボクを、通りがかりの先生に見つかり、保健室へと連れて行かれた。
足の怪我を手当てしてもらった後は、教室に戻るフリをして家へと帰った。
幸いにも今日は金曜日なので、気持ちを切り替える為にもレッスンの時間までは、家でゆっくりと過ごす事にした。
ーーー
幸子「お疲れ様でした!」
いつも通りに仕事を終えて、携帯電話の電源を入れると同時に電話がかかってきた。
珍しくプロデューサーさんからの電話にでられた。
「おっ!久しぶりに繋がったな」
「どうだ?仕事の調子は?」
幸子「カワイイボクが、調子悪い訳ないじゃないですか!」
「良かった良かった。最近は全然見に行けなくて悪いな」
プロデューサーさんは、残念そうな顔をして話していると電話越しでも分かった。
幸子「超売れっ子のボクのプロデューサーさんですからね!忙しいのは分かっていますよ」
「そうだな。それでな、少し話があるんだが事務所に来れるか?」
「時間は・・・・・・」
幸子「行けます!今からですか?!」
ボクは、はやる気持ちを抑えきれずにプロデューサーさんの言葉を遮って、返事をしてしまった。
「じゃあ、今から来てくれるか?」
幸子「し、仕方ないですね!忙しいですけど、プロデューサーさんの為に仕方なく行きますよ!」
そう言いながらも内心はウキウキしていた。
「じゃあ、事務所で待ってるからな」
11: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 15:02:50.93 ID:dNOLliTfo
ーーー
ボクはいつも以上に勢いよく、事務所のドアを開けた。
幸子「おはようございます!」
「おはよう。幸子」
事務所の中にはプロデューサーさんしか居なくて、空気もどことなく重かった。
幸子「カワイイボクと久しぶりに会えたのに、嬉しくないんですか?」
「嬉しいよ。幸子は俺に会えて嬉しいか?」
プロデューサーさんの思いもよらない問に、たじろいでしまう。
幸子「そ、そんな事ありませんよ!プロデューサーさんがカワイイボクに会えて嬉しいのは、当然ですけどね!」
幸子「ボクは忙しいなか、急に呼び出されて迷惑しているだけですよ!」
笑顔が隠しきれずに、ところどころでニヤついてしまったボクは、プロデューサーさんにどんな風に見られただろう。
「それはすまなかった」
プロデューサーさんは少し頭を下げながら謝り、一拍おいて話を始めた。
「それで、話というのはだな・・・・・・」
「幸子に業界最大手の事務所から、移籍の話がきてるんだ」
ボクはあまりの突拍子もないプロデューサーさんの話に、何も言葉が出なかった。
驚いて唖然としているボクを無視して、プロデューサーさんは話を続けた。
「俺も突然の話で驚いている。しかも移籍先はウチとは比べ物にならないほどの事務所だからな」
幸子「えっ?!あ、はい・・・・・・」
どう反応していいのか分からなくて、口ごもってしまう。
「プロデューサーとしては、是非このチャンスを活かしてほしいと思う」
幸子「えっ・・・・・・」
12: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 15:03:22.38 ID:dNOLliTfo
プロデューサーさんは、ボクの事を大切にしてくれていると思っていた。
プロデューサーさんが、ボクをトップアイドルに導いてくれると思っていた。
「しかも待遇は、トップアイドルと遜色ない・・・・・・」
幸子「そうですか」
幸子「プロデューサーさんは、ボクに移籍してほしいんですね」
すぐ近くに居るプロデューサーさんにも聞こえないぐらいの声量で、力なく答えた。
「違うっ!」
プロデューサーさんの、聞いたことがない大きな怒鳴り声に思わず後ずさりした。
「す、すまん」
「しかし今の意見は、プロデューサーとしての意見だ。俺個人としては・・・・・・」
ゴクリ
生唾を飲む音がとても大きく聞こえるほど、事務所は静まり返っていた。
「移籍しないでほしい。しかしそれは輿水幸子のアイドル人生が終わるかもしれない」
幸子「そ、それはどういう意味ですかっ!」
ボクも声を荒げてしまう。
「相手は業界最大手の事務所だ・・・・・・。分かるだろ?」
幸子「圧力・・・・・・ですか」
それは弱肉強食の社会では、当たり前のように存在する理不尽な力関係。
強い後ろ盾があれば、簡単にのし上がられるかもしれない。
幸子「それでもボクは・・・・・・」
もうボクの答えは決まっている。しかしそれを発するのは、躊躇ってしまう。
ボクに決定権があるとはいえ、もし断ればプロデューサーさんや今の事務所に迷惑がかかるはずだ。
そう考えると、あと一言がなかなか出せない。
「答えは今じゃなくていい。相手の方も1ヶ月先まで待ってくれるそうだ」
幸子「そう、ですか・・・・・・」
久しぶりのプロデューサーさんとの会話が移籍話・・・・・・。
以前の無駄な世間話をしてた頃が、まるで夢のように思えた。
つづく
17: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 21:24:10.13 ID:dNOLliTfo
あの日から、何日が経ったんだろう。
ただただ、繰り返される日々を過ごしていた。
平日は学校には行かずにカラオケボックスなどで自主練習をしたり、ランニングをしたりして過ごした。
声を思いっきり出したり、体を動かせば気が晴れると思っていたけれど、結局は何も変わらなかった。
ーーー
ある日、学校から両親に連絡が入ったようで、母親に呼び止められた。
幸子「ちゃんと自主学習はしてるから」
素っ気なく答えたボクに、母親はなにも言ってくれなかった。
ーーー
ベッドで横になりながら、嫌でも考えてしまう。
幸子「移籍・・・・・・か・・・・・・」
プロデューサーの元を離れてでも、トップアイドルを目指すのか。
もしくはアイドル生命が絶たれる覚悟で、プロデューサーさんとトップアイドルを目指すのか。
トップアイドルになって今以上のたくさんの人に、カワイイという事を認めさせたい。
これは大きな夢だが、その夢を与えてくれたのは他でもないプロデューサー。
考えれば考えるほど、ボクの頭は混乱していった。
ーーー
そして答えが出せないまま、1ヶ月が瞬く間に過ぎてしまい、プロデューサーから電話がかかってきた。
「今から事務所に来れるか?」
幸子「はい・・・・・・」
私生活では、すっかり以前の元気が無くなっていた。
「じゃあ、待ってるからな」
プロデューサーさんはそう告げると、電話は一方的に切れた。
18: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 21:24:53.35 ID:dNOLliTfo
ーーー
気が付くと事務所の前に立っていた。
道中の記憶はない。きっと何も考えられなかったのだろう。
幸子「おはようございます」
いつも通りにドアを開けるが、いつも通りの元気は出なかった。
事務所にはプロデューサーさんが1人で突っ立っているだけで、いつもデスクワークをしているちひろさんの姿はなかった。
「おはよう、幸子」
久しぶりにプロデューサーさんと会えるのに、以前のように喜べなかった。
「まだ中学生の幸子には、重すぎる決断だとは分かっている。まずは謝らせてくれ」
深々と頭を下げて、「すまなかった」と謝られた。
だけどボクは、そんな事はどうでも良かった。むしろ決断をボクに委ねてくれたプロデューサーさんも、相当辛かったと思う。
幸子「カワイイボクに、こんな決断を迫るなんて、本当に酷いですよ・・・・・・」
「すまん」
別にプロデューサーさんに、謝ってもらいたいわけじゃない。
だけどボクの口は、プロデューサーさんを責めるような言葉ばかりが出てくる。
幸子「この1ヶ月間、本当に辛かったんですよ!分かりますか!」
罵倒にも聞こえるボクの文句を、プロデューサーさんは何も言わずに相槌を打ちながら聞いてくれた。
幸子「誰にも相談できなくて、苦しくて、考えがぐちゃぐちゃになって・・・・・・」
幸子「いっその事、プロデューサーさんが決めてくれれば良かったんですよ!」
幸子「ボクはプロデューサーさんのお陰で、まだまだ駆け出しですけどアイドルに成れました・・・・・・。」
これまで溜めていたものが、喉の奥から一気に出てきてしまう。
幸子「そのプロデューサーさんが、移籍しろと言うなら!・・・・・・こんなに悩む事も苦しむ事もありませんでした」
プロデューサーさんは悪くない。仕方のない事だって分かってるけど、納得できない。
幸子「全部プロデューサーさんのせいですよ!どうしてくれるんですか!」
いつの間にか、ボクの頬には涙が伝っていた。
幸子「もう、ボクは・・・・・・一体、どうしたらいいんですか」
19: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 21:25:50.99 ID:dNOLliTfo
今のボクは、可愛さの欠片もない。それでも、涙は止まらない。
「それは、幸子が決めることだ」
プロデューサーさんの言っている事は正しい。正しいからこそ、ボクの胸を締め付ける。
幸子「ボクには・・・・・・どちらかを選ぶことなんて・・・・・・できませんよ」
ボクは嗚咽混じりになりながらも、必死にプロデューサーさんに訴えかけた。
「幸子。お前はトップアイドルに成って、何がしたいんだ?」
幸子「・・・・・・ボクは、日本中の人に・・・・・・ボクがカワイイと、認めさせてあげるんです!」
ボクは顔を上げて、力強く答えた。
「・・・・・・そうだよな。いつも言ってたよな」
プロデューサーさんは、昔を思い出すように天を仰ぎながら答えた。
「・・・・・・幸子は、幸子の夢を、追ってほしい。それが俺の夢、でもあるから」
1つ1つの言葉を出すのが、とても辛そうに見えた。
「俺の担当するアイドルを・・・・・・トップアイドルにしてやりたい」
幸子「そんな事を言われたら、ボクはもう・・・・・・ここを離れるとしか、言えないじゃないですか・・・・・・」
止まりかけていた涙が、また溢れ出してきた。
ボクはその場に座り込み、プロデューサーさんの前にも関わらず、号泣した。
ーーー
幸子「行ってきますね!」
ボクは大手を振って、事務所を後にする。
プロデューサーさんとちひろさんは、笑顔で見送ってくれた。
社長は以外にも涙もろいみたい。
幸子「カワイイボクが居なくなっても、プロデューサーさんなら大丈夫ですよね!」
誰に届く事もない言葉は、打ちっぱなしの雑居ビル内だけで反響して、消えた。
20: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 21:26:23.18 ID:dNOLliTfo
ーーー
移籍したボクは、慣れない職場環境にあたふたしながらも、トップアイドルへの道を駆け上がった。
新しいプロデューサーは、口の周りに立派な髭が生えており、いつもサングラスをしているいかにもベテランの顔だった。
時々、大きな事務所だからゴリ押しだと言われる事もあるけど、ボクの夢は現実へと変わり、デビューから1年5ヶ月という異常な早さで武道館単独ライブの日を迎える事ができた。
幕の内側に立つと、いつも舞台袖を見てしまう。
あのCDデビューのミニライブの時のように、プロデューサーさんがそこで観ていてくれる気がした。
いつの日か、今のプロデューサーに訊かれた事があった。
「いつもライブが始まる前に袖を見ているが、何かのジンクスか?」
幸子「そうですね!袖で観ていてくれる人が、居る気がするんですよ!」
「誰も居ないはずだが、霊的な何かか?」
幸子「違いますよ!」
プロデューサーさんを幽霊呼ばわりされて、ついムッとしてしまう。
だけど次の瞬間には、満面の笑みで答えられた。
幸子「カワイイボクが、大好きになってあげた人ですよ!」
幕が徐々に上がり、会場のボルテージは一気に上がる。
スポットライトの真ん中に立つ小さな少女は、大きな会場を埋め尽くしているたくさんのファンに笑顔で問いかけた。
幸子「みなさーん!ボクは、カワイイですよねーっ?」
おわり
21: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 21:26:59.18 ID:dNOLliTfo
P「まるで夢のようだな」
幸子「ボクがいくらカワイイからって、ビックリですよね!」
幸子「いきなり主演映画なんて・・・・・・」
P「本当にな」
P「それに名前も”幸子”で同名だし、ストーリーも今の境遇に似てるし」
幸子「本当に夢のようでしたね・・・・・・」
俺と担当アイドルの1人である輿水幸子は、事務所の液晶テレビを使い、幸子が主演している映画を観ていた。
P「短編映画だけど担当アイドルが映画主演とか、活躍してくれると俺も嬉しいよ」
幸子「そう、ですよね!」
俺はにこやかに答えたが、幸子はあまり元気がないようだ。
P「いつもの元気はどうした?」
幸子「プロデューサーさんは、よく元気でいられますね」
P「あっ、あれだな。映画とか見終わると、喪失感って言うのか・・・・・・」
幸子「違いますよっ!」
幸子は言葉を遮って、大声で否定した。
幸子「違うんですよ・・・・・・」
P「・・・・・・今日はもう遅い、家まで送るよ」
俺が帰り支度を始めると、幸子も無言で支度を始めた。
22: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/04/26(金) 21:27:37.35 ID:dNOLliTfo
ーーー
幸子「プロデューサーさんは映画を観て、どう思いましたか?」
事務所を出発して、しばらくしてから幸子が話しかけてきた。
P「面白かったよ。幸子の演技も素晴らしかった」
幸子「・・・・・・映画のように、上手くいくんですか?」
いつもの幸子とは違い、神妙な面持ちがバックミラー越しに見えた。
P「そんな事は誰にも分からない。だからこそ挑戦する意義があるんだ」
俺はそれだけ言うと、バックミラーの角度を変えて運転に集中した。
後ろから、とても悲しそうな声が聞こた。
幸子「どうして移籍話は・・・・・・フィクションじゃないんですか・・・・・・」
終
SS速報VIP:モバP「幸子の事を本当に理解してあげられたのだろうか」