SS速報VIP:モバP「猫」



1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:19:57.94 ID:lRlRNO1c0

物心ついた時、あるいはそれ以前から重度のアホという爆弾を抱えていた俺は、長じて後にも糞便や陰茎の幼児語を連呼しては馬鹿笑いをするといった発作が止まず、当時傾倒していたパンクバンドに影響されて買った安物のエレクトリックギターを滅茶苦茶に掻き鳴らしつつそれをやったところ、何故かうけた。爆発したのだ。それは俺が。俺のアホが。
調子に乗った俺は周囲の反対を押し切り、と言うと多少は理性のある人間のようだがそんなことは全然なく、表立った言動以上に内面がアホな俺は、心ある人たちの制止をまったく無視して高校を中途で廃すと単身上京した。
それで俺は案の定、何者でもなくなった。

東京に出て5年、いまだにアホを克服できないどころか極貧生活が続いたお陰で心までひねくれ卑しくなりつつあった俺は、ライブハウスで会った他人同然の奴の家に厄介になったり、ファンなどと抜かす女のヒモになったり、酷い時なんかは腐朽した空き家に無断で住み着いたりして、普段は時給1050円のビル清掃のアルバイトで糊口を凌いでいた。
バンドはまったく売れなかった。そんならそんでやめちまえばいいんじゃねえのってな話ではあるのだが、そうなった場合俺は本当に何者でもなくなってしまい、こんな、こんなアホな俺でもせめて、バンドマンと呼ばれるポジションには着いていたかった。
この先のやけに長い人生をいち掃除夫として、あんな、ビルの階段を上から下まで、腰をこごめて嘆息と魂とを鼻と口から垂れ流しながら右往左往するだけの仕事で終えるなんて。
でもそれが仕事。カネを貰える分バンドなんかより社会的に認められている、俺の仕事。
そんな、そんな人生おらやんだ。

最近になってそうした煩悶が夜毎俺を苛むようになり、忘れるため眠るために安くて強い酒に手を出すと、あとは一瀉千里。
昏倒するまで飲んでは朝、宿酔でがんがんする頭を垂れ、ビルの社員食堂から漂ってくる煮物揚げ物の臭いにえづきながら掃除。
半分死んだようになって仕事を終えると、休んでなんかいられない。またあの恐ろしい夜が来てしまう。
帰り道の途中にあるスーパーマーケットで焼酎とよい加減な肴を買い込み、今夜もこれで眠れるぜ、よかったなあなんて、問題の根本的な原因からは目を背けつつ、とりあえず今を、今夜を凌ぐためだけの生活を続けるようになった。

きっかけは一匹の猫。鉢割れっちゅうんだろうか、白地に上から黒いペンキを被ったような、基本的に黒いのだけれども鼻から下と腹全体が白く、脚も靴下を履いたように先っぽだけ白いのが愛らしい。首輪もしていない、野良または地域猫であった。
そいつはいつものように酒を買うためにスーパーマーケットに向かう俺の前を悠々と横切ると、だだっ広くやけに空きの目立つ駐車場に入っていった。俺はなんとなく追いかけてみる気になった。
金属製の看板には「月極駐車場 空アリ 月21,000エン」と書かれており、看板を殴ったり曲げたりする不埒者とその都度いい加減な修正を加える所有者もしくは中途半端な良心を持つ通行人との攻防によって、かえってべこべこに変形し、錆び付いていた。
いやな場所だ、と思った。駐車スペースの所々にはアスファルトの舗装をぶち抜いて雑草が生えているのだけれども、アホな草どもには人工物をものともせず生きることで生命の強さをアッピールし、見るものを感動させるといった気概まではないらしく、大部分が枯れていた。
俺は看板の折れ曲がって形成された皺に沿って錆び付いてるさまと、アスファルトのひび割れから腐ったように生えている雑草との間に、きちんと解明したところで心が荒むだけで終わるような共通性のようなものを感じながら、ただ猫の跳ね上がった長い尻尾だけに視界のピントを合わせて付いていった。
尻尾の先に貧乏臭い瀬戸物の皿が見えると、俺は嬉しくなった。
この駐車場は腐朽した猫の通り道ではなく、野良または地域猫の安息の地であるということが分かったからである。


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2: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:21:03.55 ID:lRlRNO1c0

つまるところこの黄色く干からびた飯粒のついた皿はこの界隈の人間と猫との交流の証であり、心中でチョボ六と名付けた鉢割れの後を付いて回っても一向に焦ったり逃げたりする気配がないところを見ても、この駐車場に住み着く猫が人間に慣れているということが容易に推察されるのである。
チョボ六は皿についた飯粒の臭いを嗅ぐと仰向けに寝転がり、にゃあ、と一声鳴いた。
俺は喉をしばらくの間こりこり掻いて、かしこいな、かしこいなと案内の労をねぎらってやると、その場を後にした。
チョボ六に飯を買うためである。

普段は工業用アルコールと呼んで差し支えないランクの安酒と充填豆腐に乾き物、プラスチックみたいなチーズを鱈のすり身を蒸したもので挟んで何かしらの加工を施した通称チーズ鱈など、下品も下品、げぼげぼんな品物を仕入れるためだけに利用しているスーパーマーケット。
だが今日の俺は今日から俺は一味違う。なぜならばチョボ六との邂逅を経て俺自身、守るものができたからである。
以前テレビで見たことのある、子持ちで葬儀屋とプロボクサーの二束の草鞋を履く人曰く、失うものがないよりも守るべきものがある方が強くなれる、とのことである。まったくもってその通りであると思う。
今日までの俺のように、死んでないという理由だけで生きてる人間なんてものは、弱い。酒なしでは眠ることすらできないくらい、弱い。
でもチョボ六と出会ってからの俺はどうだろう。あの愛らしい姿表情仕草。俺は俺の金でチョボ六を守る。それによって俺の心が満たされる。俺が活きる。生きる。ここまで完成された信頼関係があるものかは。というのは反語。

「チョボ六、飯だぞ」

購入したものをぶる下げて声を掛けつつ駐車場の猫スペースに入っていくと、一人の少女とまともに目が合った。どうやら俺の他にもチョボ六の愛らしさにやられた人間がいたらしい。

「お兄サン、この子と知り合い?」

「ついさっきからね」

「変なのー」

抜群といっていいほどのスタイルの良さではあるが、あどけなさの残る顔立ちや初対面の俺に対して気後れすることなく軽口を叩くあたり、年齢は十代半ばといったところだろうか。
ライブ会場でたまに見るような、黒を基調にした衣服を着用して顔中あちこちピアスを空け、前髪だけ藁色に染めているような崩れた十代とは違い、自由に伸び伸びと人生を歩んできたかのようなそんな印象を受けた。
そんな純粋で健全な印象とは裏腹に、ニット地のワンピースから伸びる長い脚はぞくぞくするような色気を放っていて、おそらくあと十年もすればとんでもなくセクシーなオネエチャンに成長することだろう。でもその時には俺はどうしようもなく年を食ったおっさんだ。
まったくもって嫌になる。




3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:21:37.17 ID:lRlRNO1c0

「君は?」

「みくも同じだよ。ついさっきからの知り合い」

「変なの」

「んふふっ」

どうやら少女の名前はみくというらしい。個人的に一人称を自分の名前で呼ぶ女というのは苦手で、なんというか「可愛い私」を周囲に印象付けようとする、単語ひとつで聞き手の感情に何らかのエフェクトを掛けようとするかのような了見にさもしさを感じてしまい、聞くたびに心がぬらぬらするのが常であったが、みくの場合なぜかそれが自然に受け入れられ、心も平穏なままというのは一体どういうことなのだろう。
そんなことを考えていると会ったばかりの少女を値踏みしている俺自身への嫌悪感で心がぬらぬらしそうだったので、みくと二人でチョボ六に食い物を与えることにした。

はたから見れば仲の良い兄妹に見えたかもしれない。みくは物怖じしない性格の上に話好きのようで、猫が大好きで猫カフェ巡りが趣味ということ、大阪出身であること、そして自分がアイドル候補生であることなどを、俺みたいな胡散臭い男にも包み隠さず話した。
俺は聞き上手たらしく相槌を打ちながら聞いていたが、内心ではみくがアイドルを目指して上京してきたことに、まるで5年前の何も知らなかった俺が少女の姿と人生を借りて現れたかのような恐怖を感じていた。

アイドル。パンクの対極に位置する存在である。
いつまで経ってもうだつの上がらない俺みたいな半端者がいうのもおこがましいが、ロックやパンクは芸術家、アーティストである。
これは評価にあたって彼ら自身の才能や生き様を中心にスポットが当てられるからで、極端な話、専門的な知識は必要ない。パンクにおいては技術もいらない。
要はそいつらに常識的な良し悪し関係なく「尖った部分」があればよいわけであって、公共の場での奇行や醜態、目上の者に対する態度の悪さなども却ってファンに評価される場合が多い。
上下関係の厳しい芸能界と密接な関わりを持つテレビ局からすればこうした非常識なロックやパンクなんて奴らは扱いにくくてしょうがないのだが、ロック、パンクな奴らも下手にテレビに出てへこへこしようものならファンにそっぽを向かれるので態度を改めるわけにもいかない。悲しいジレンマである。
有史以来多くの芸術家がそうであったように、21世紀の今でもロックやパンクといった連中の大半は貧乏しているのが現実である。
まあ、低い身分や貧乏生活で醸成された反骨精神こそがロック、パンクの真髄であるのだけれども。

これに対し、アイドルというのは「職人」である。尖った部分もあるにはあるがそれはあくまでも個人や所属グループのイメージを壊さない程度に留められており、逆に歌や踊りなどの技術は一定の水準に保たれる。
そして何時いかなるときでもその「一定の水準」は確保しなければならず、ロックやパンクのようにステージ上で「今日は気分が乗らねえから帰る」なんてことは許されない。
芸能界にどっぷり漬かる存在であるがゆえに上下関係でも厳しく躾けられ、ファンも含めた周囲からは常に媚びることが求められる。
苦労は多いが芸能界において常識があるというのは大きなアドバンテージであり、また見た目も華やかなのでテレビ局としても扱いやすく、音楽番組で大御所と共演なんてこともできるし、ドラマや映画出演のチャンスもある。
もちろんこれは成功すればの話であり、売れないまま中途半端に女優を名乗り、通販番組において潰れた布団圧縮袋を見て「ほんとにぺしゃんこ」とか言っていたりするだけの元アイドルもかなりの数に上る。
これはアイドル寿命、つまりアイドルとして人前で歌ったり踊ったりできる期間が極端に短いからで、せいぜい長くて10年。これも50代や60代、あるいはもっと上の爺が現役で活動しているロック、パンクの業界とは異なる。
結論から言えばどちらも厳しい世界である。

そんな世界に飛び込まんとするみくに、俺はなにか助言めいたことでもしてやりたいと思った。で、言った。




4: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:22:20.50 ID:lRlRNO1c0

「アイドルか……楽しい?」

「うーん、まだよくわかんない」

そりゃそうだ。何が助言だ。俺としてはここでみくから悩みを聞き、年長者として気の利いたアドバイスでもしようと思っていたのだが、考えてみればみくはまだ候補生。駆け出しのさらに一歩手前みたいなもので、つまるところ業界については悩みや課題以前の漠然としたイメージしか持っていない。
更に言うならば俺自身業界のことについて別段詳しいわけでもなく、偶々ライブに居合わせた業界関係者の話を小耳に挟んだ程度である。
すまねえみく、俺はやっぱりアホだったのだ。今更ながら口惜しいわい。
自責の念にかられてふるふるしている俺の隣でみくはチョボ六の白い腹を撫でていたが、そのうち独り言のようにぽつりと言った。

「何か個性が欲しいかなー」

「個性?」

「そう。キャラってやつ?ああいうのがみくにもあった方がいいかなーって」

「おほほん」

思わず変な声を上げてしまったが反応を見せないあたり、みくは自分のキャラクターについてよほど真剣に悩んでいるのだろう。
しかし個性だとかキャラみたいなものに関しては腐れパンクの俺でもある程度は助言できそうで、みくには悪いが渡りに舟である。
手助けしたいのか単に先輩風吹かしたいだけなんかどっちなんじゃ。ぼけ。
反省した俺はみくに撫でられてうひゃうひゃ喜んでいるチョボ六を見てしばし考え、言った。




5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:22:50.37 ID:lRlRNO1c0

「語尾に“にゃ”とかつけてみ」

「にゃ?」

英語圏の人ならワット?とかパードゥン?になるのだろうか。みくの「何言ってるのか全然わからない」って表情。その目。
正直一瞬怯んだが、みくのぽかんと開いた口から覗く八重歯を見るにつけ、俺はいけると確信した。

「猫、好きなんだろ?」

「うん、大好き」

「なら、猫になればいい」

「……」

「……」

沈黙。夕焼けをバックに見つめ合う俺とみくは何だかこれから命のやり取りを行う西部劇のガンマンみたいで、次にチョボ六の鳴いたときが勝負。
さあチョボ六鳴いてごらん、と思ったら鳴かない。視界の端で捉えた感じおそらく寝てるかもしくはそれに準じた態勢に入っている。これじゃあ勝負が始まらない。どうしよう。さっきの確信は早くも揺らぎ、頼むみく、せめてなにか言ってくれ。

「それにゃっ!」

「おぼん」

沈黙に耐えかねてチョボ六に意識を向けていたところへさしてみくが元気に猫っぽい発声をしたものだから、俺はまたもや変な声を上げてしまった。完敗である。
どうやら俺の案はみくにとってかなり魅力的だったらしく、提案した俺が恥ずかしくなるくらい、そしてまどろんでいたチョボ六が不機嫌になるくらいにゃあにゃあ言いながらチョボ六に構っていた。

いい加減にキレたチョボ六が、宥めようとした俺の手を引っ掻いて逃げ出すという形でこの奇妙な会合は終わった。

日々の生活に少し、張り合いが出てくるようになった。相変わらずバンドも売れず掃除夫のままだったが、チョボ六との触れ合い、そして2、3日おきに顔を見せるみくとの交流は、俺の不定形な日常の中に何か確かなもの、揺るぎないものを作り上げていった。
みくは俺から猫キャラを提示された次の日、早速所属事務所で自分がいかに猫キャラをものにしているかというプレゼンテーションを行い、これを採用されたらしく、よほど嬉しかったのか普段の口調まで猫っぽく喋る有様である。
さすがにやり過ぎじゃないかとは思ったが、本人が喜んでにゃあにゃあ言っているのを無理に止めるのも野暮な感じがして、内心恥ずかしさで脳内がうわわわわっとなるのを堪えているうち、みくの猫語に対する抵抗感が薄れていった。慣れというのは恐ろしいものである。
精神の健康は身体にも影響を及ぼした。酒はまあ、嗜む程度。でも夜はあの煩悶に苛まれることもなく、ぐっすりと眠れるようになった。
これでバンドが売れればなあ、なんてささやかな欲が顔を出すようになった頃であった。




9: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:24:27.98 ID:lRlRNO1c0

いかな状況下においてもやっぱり多少の野性味、ワイルドさっていうのは大事にしたいもので、例えば飯を食うときなんかも通常は膳の上に一汁三菜、座して黙して三角食べ。個人的にこの「三角食べ」の「食べ」の部分に何かもやもやした気に食わない部分があるのだけれどもそれは今は置いといて、ちまちまこれを食らうなんてのがまあ基本。
そこへ野生の、まあ21世紀の今になっても猿のような人は山ほどいるがそれはそれとしてもっと昔の、人間と猿との見分けがつかなかったような時代まで遡ったかのような形式で、つまり食材から調理法、食い方に至るまでをあえて単純化し、あえて野蛮な食い方をしてみる。
つまりはこの鳥ささみ。味付けなんてほぼ皆無だし、火を通してあるものの生臭い汁、旨みの詰まった肉汁というより何かもっと学術的に鶏の血液または組織液などと呼びたくなる液体を啜っているかのような不快感。現代の舌の肥えた人間にとっては食えたもんじゃない。
でも俺は食う。なぜなら人類が進化の過程において忘れてしまった野性味こそが、俺の体現すべきロックなのだと思ったから。
俺は猫用おやつの鳥ささみをあてに麦焼酎を湯で薄めたものを飲みながら、努めてそんなことを考えていた。
そうでもしないとみくのことを思い出してしまいそうだったので。

それでもやっぱり強迫観念に駆られて飲む酒では酔えなくて、鳥ささみのパッケージを見るだけでも、チョボ六やここの所顔を合わせるたびに「今日も駄目だったにゃ」なんて明るく話していたみくの顔、そしておよそ2時間前の、腐朽した駐車場の隅でチョボ六を抱いて黄昏の中、静かに泣いているみくのやけに小さな後姿と、それを見た俺が逃げるようにその場を立ち去ったこと、何もかもが頭から離れなかった。
もうみくは泣き止んだだろうか。すっきりして帰っただろうか。チョボ六は腹を減らしているだろうか。ささみは食ってしまった。申し訳ないことをした。

本当は俺は全部わかっていたのだ。極度にシステム化された昨今のアイドル業界、数値化された観客からの声援の量を競うライブ対決で、ライバルアイドルに勝利しないと活動範囲が広げられないなんてえげつないルールの下、みくが負けに負け続けていたこと、普段の態度は空元気によるものだということも。
暗黙の了解というのだろうか。俺もパンクなんて一言も話さなかったし、みくもアイドル活動の実態についてはほとんど話さず、俺をライブに呼ぶこともなかった。演者と観客という関係を、俺は意図的にきっちりと、みくはやや曖昧に避けていたのである。
それというのも、他愛もない話をしながらチョボ六と触れ合う時間が、まるでぬるま湯に浸かるかのごとく心地よかったから。
だけど結局それは逃げ以外の何物でもなかった。俺は賢い大人のふりをしながらその実、自分というものの判断材料をみくにさらけ出さないことによって保身を図っていただけだったのだ。

きっとそれじゃあ駄目なんだろう。
俺は覚悟を決めた。




10: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:24:56.64 ID:lRlRNO1c0

ここは東京都渋谷区原宿。猫耳アイドル前川みくと、期待の新人島村卯月のライブ対決が行われる会場である。
ステージの前には開演時間の遥か前から詰め掛けている男たちが、彼らの言葉を借りると「嫁探し」、つまるところ新人アイドルの発掘についてあれこれ話していた。
厳密に言えば彼らはアイドルのファンではない。これはライブ対決がそのまま新人アイドルのお披露目会場となっているシステムの都合上必要なことで、どちらを応援するか、そして出演するアイドルのファンとなるかどうかは観客に委ねられている。つまり彼らは応援というより、一歩引いて選定・選別のために会場に訪れているということで、通常の演者と観客によって形成されるライブのような一体感もなく、どちらかというと弛緩した雰囲気が流れていた。
しかし今回のライブ対決は一味違う。
俺のバンドが前座として出演するからである。

鳥ささみを食いながら決意したあの日から俺は狂奔した。寝る間も惜しんでシフトを増やし、馴染みのライブ会場で耳ざとい奴からアイドルのライブ対決の情報を根掘り葉掘り聞きだして、みくの所属事務所を含めた方々の芸能プロダクションに電話を掛けまくった挙句、呼ばれもしないのに吊るしスーツ着用の上で受付のお姉さんや事務員相手に土下座、出てきた担当者にも土下座、代表が直々に出てくる会社もあってまた土下座。
東京に出てきて5年、苦労の中で卑屈になっていたお陰で身についた、自分を殺して相手を立てる嫌な処世術、頭に浮かんだのを自分なりに確立し、それでも実行には移さなかったような、フィクションの世界にしか存在しないようなサラリーマンぶりを存分に発揮して、今回異例ともいえる新人アイドルのライブ対決におけるパンクバンドの前座という無理矢理なパフォーマンスを実現したのである。ちなみにバンドメンバーは二つ返事でOKした。まったくもってノリだけはいい奴らだ。
みくはおそらく何も知らない。ただ昨日会ったときにこんなやり取りをしただけである。

「そういや、俺が普段何してるか話したっけ?」

「話してもらってないにゃ。だからみくの中でお兄サンは猫好きニート確定にゃ」

「明日になったら教えるよ。ところでニートの綴りってNEETでいいんだっけ?EのどっちかがAだっけ?」

「多分Aはないにゃ」

その後の俺は普段からは考えられないような饒舌さでみくに下らない話題を振り続け、みくのスケジュール的に駐車場には顔を出せないはずの、昨日時点での明日、つまり今日俺の正体を教えるという話を押し流すことに成功した。
さぞかしみくは訝しがったことであろう。でもそれでいい。今日という日付と、俺を関連付けてくれれば。




11: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:25:23.26 ID:lRlRNO1c0

開演10分前です、なんて女性の声でアナウンス。どこかで聞いたことがあると思ったら俺が土下座した事務員、鮮やかすぎるほどの緑色のスーツに太いおさげを右肩から垂らした女、確か名札に手書きの平仮名で「ちひろ」と書いてあって、そのちひろさんの声だった。
漢字で表記すると「千尋」であろうか。通常かかるビジネスの場において名札に下の名前を表記することはほぼありえないことから察するに、「千尋」は苗字であろう。なかなか洒落ていると思う。
世界的にアイドル市場が大きくなりつつある昨今、外国人を相手取った際に漢字だと読み違える可能性もあることを考えると、名札の表記一つ取っても配慮がよく行き届いていると思う。そのうちに「Chihiro」なんてローマ字表記に変わったりするのだろうか。
くだらないことを10分考え、俺はステージに立った。観客は歓声をあげるどころかステージもろくに見ておらず、携帯電話で話をするものもちらほら見かけた。
会場を包むこの無関心な感じ。まばらな拍手と「お前らなんかお呼びじゃねえんだよ、さっさとアイドルを出せ」と言わんばかり、というか言葉以上に物語る空気。俺はぞくぞくした。5年前の高校で俺が起こしたアホの爆発。あの時もこんな空気だったことを思い出したので。

俺は爆発した。

正直なところ何を歌ったのかは覚えていない。脳内では会場のあちこちから馬鹿でかい観覧車が飛び出し、それらは七色の火花を散らしながら高速で回転しだすとそのまま車輪のごとくあたりを駆け巡った。空を覆うぶ厚い黒雲が割れるとその切れ目から一億の猿が叫びながら落ちてきて、観覧車に乗りこむと回転はさらに加速、水分という水分が蒸発し、雲の裂け目は瞬く間に大きな大きな穴となって世界を光線が包んだ。その光線の一条一条は全部うどんで、地面に突き刺さると瓦礫とともに地中から金塊とともに米俵や鯛や餅や宝石なんかが噴出して爆発し、あたりは光に包まれて、でも俺はその中でたった一つのこと、こんなアホなことをしてでもみくに伝えたかったことを叫び続けていた。

「絶対に俺は、お前たちは、お前は絶対に、曲げるな。曲げるなよ、絶対に自分を曲げるな」

演奏を終えると熱狂した観客の野太い歓声で会場は割れんばかりになっていた。俺は舞台袖でふりふりした衣装を着、猫耳付きのカチューシャを付けて固まっているみくに笑いかけると、口の動きだけで「似合ってるよ」と言ってステージを降りた。
俺の役目は終わったのだ。




12: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:25:56.60 ID:lRlRNO1c0

あれから1ヶ月。過去最高の盛り上がりを見せたステージの後、大きな満足感の中で俺たちのバンドは解散した。
そして俺はと言うと、あろうことかあの時みくの対戦相手であった島村卯月の所属するプロダクションで働いていた。

まったくもって訳がわからないが、俺に土下座されて折角組んだライブをよりによって頼んできた張本人に滅茶苦茶にされ、にもかかわらず俺をスカウトした代表いわく「ティンときたから」とのことであった。大変失礼だがこの代表もかなりのアホである。

「研修お疲れ様。今日から君にはプロデューサーとして働いてもらうよ」

慣れない挨拶回りや電話番できゅうきゅう言っていたところへ、またぞろ代表が妙なことを言い出した。

「プロデューサー?俺がですか?」

「あのステージを作り上げたのは君だ。今後も是非その調子で頼むよ」

「そ、そのことはもう勘弁してください」

「言ってたじゃないか、“自分を曲げるな”って。それにもう君の担当アイドルも決まってるんだ。移籍にあたっては苦労したけどね」

相変わらず言動のあちこちが無茶な代表はそう言うと、社長室の閉じられたドアに向かっておおい、と声を掛けた。

「はーい」

聞き覚えのある声。開いたドアから頭より先に猫耳が覗いて、鉢割れの猫を抱いたニット地のワンピース姿。
俺はなぜだか涙が溢れそうになって堪えきれず視線を落とすと、年齢に不相応な色気を放つ脚を見て、あと十年もすればとんでもなくセクシーなオネエチャンに成長することだろう、でもその時には俺はどうしようもなく年を食ったおっさんで、でもそれはそれで悪くないかもしんねぇ。なんて思って。
それでつい、照れ隠しを言ったのである。

「よろしくな、チョボ六」



おちまい




13: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/23(木) 23:27:42.55 ID:lRlRNO1c0

改行入れる場所が掴めないままに書いたらとんでもないことになりました^p^

お粗末様でございました



17: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/24(金) 00:40:28.53 ID:dFjid1J80


表現が独特で面白かったです(小並感)



19: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/05/24(金) 07:05:27.04 ID:di6m82y/o

超面白かった!乙


元スレ
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