きっかけは、いつもそう。予期なんかしていないときに、不意に訪れる。その瞬間にならないと、何が起こるか分からないのだから。

「昨日、女子生徒にアイドルにならないかと声をかける事案が起きました。近くに警察がいたため、事なきを得ましたが、まだ変質者は捕まっていないようです。特に女子は気をつけて帰宅してください」

帰りのSHRで、先生がそんなことを言っていた。なんでも道行く女の子にプロデューサーを自称する男性が、『君可愛いね、アイドルにならない?』と声をかけているみたい。所謂スカウトマンだと思うけど、学校は変質者として見ているようだ。

仮にその男の人が本当に芸能関係者でも、スカウトなんて東京みたいに大きな街でやるものなんじゃないかな? 熊本まで来るなんて、なかなか物好きな人かも。

「私には関係ないかな」

誰にも聞かれないようにぼやく。本物のスカウトさんだとしても、学校の言うように単なる変質者だとしても、私には縁のない話。
もしかしたら、後者は有るかもしれないけど、有って欲しくないと心から願う。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1358658641




2: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:12:56.51 ID:PdoUiVix0

「ねぇねぇ美穂ちゃん! 今日って忙しかったりする?」

「え?」

さっきの先生の話をぼんやり考えていると、後ろから焦った表情の友達が声をかけてきた。どうしたんだろう。

「実はさ、今日臨時の委員会があるんだけど、歯医者を予約してて、もう出なきゃ間に合わないんだ。お願い! 代わってくれないかな? ダメ?」

土曜日のお昼に歯医者はやっていたかな? とちょっとした疑問が浮かんだけど、友達は両手を合わせて必死でお願いする。
うーん、そこまでされたら、代わってあげなきゃと思ってしまうよ。

「うん、良いよ」

「ありがとう美穂ちゃん! 今度この埋め合わせは絶対するから! じゃあね!」

彼女はそう言って、駆け足で教室を出る。

「えっと、これは……、クリスマス実行委員会?」

机の上にはクリスマス実行委員会とデカデカと書かれたファイルと、提出しないといけないであろう書類の山。
クリスマスパーティーに向けての会議かな、結構時間がかかっちゃいそう。



3: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:19:14.35 ID:CKewekyd0

私の学校には、一風変わった行事がある。それがこの、12月に行われるクリスマスパ-ティーだ。
クリスマスパーティーと言うのはそのままの意味で、全校生徒が集まってクリスマスを祝うという行事で、他の学校には無い珍しい行事なため、それを楽しみに、わざわざ外部からこの学校を受験する人も居るらしい。

こんなイベントがあるため度々勘違いされるが、この高校はミッションスクールと言うわけじゃない。
少しだけ、イベントごとが好きな普通の公立校だ。

「今年の開催日は……、あっ」

12月16日は私の誕生日。イベントと日が重なっただけなのに、それだけでなんとなく、特別な誕生日になる。
そんな気がしていた。

「そろそろ行かないと。でも、どの教室だろう?」

友達に聞き忘れていた。周りの子も知らなさそうなので、私は職員室まで降りて、先生に場所を尋ねる。どうやら隣の教室だったらしい。わざわざ一階まで降りたのに、この仕打ちはちょっぴり辛い。

「お腹すいたな……」

昼食を食べる時間もあまりなさそうだ。大丈夫かな……。



4: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:21:23.96 ID:MUgLCSgB0

「はぁ、疲れたよ……」

腕時計を見ると、もう14時を過ぎている。委員会は私が思っていた以上に大変なものだった。

お昼ご飯を食べずに委員会に出席したから、時々お腹の虫は鳴いてしまうし、代理出席でこれまでの会議の内容を把握していなかったため理解が追い付かず、1人てんやわんやしてしまい、それを見かねた委員長さんがその都度補足説明をしてくれた。
結果、委員会はその分終わるのが遅れてしまい、周りの皆に迷惑をかけてしまった。

教室を出る時は、それはもう申し訳ない気持ちでいっぱいだった。もし次も頼まれたのなら、キッパリと断っていると思う。
それでも強引に迫られると、受けちゃいそうだけど。

「バス、間に合うかな……。急がなきゃ」

玄関を出た私は、バス停まで走る。土曜日と言うことで、バスはそこまで通っていない。次のバスを逃してしまうと、30分間バス停で待たないといけない。

ベンチはあるけども、屋根はついていない。春とか秋はまだ大丈夫だけど、夏は日差しがガンガン照りつけるし、雨の日はベンチも濡れてしまい、立って待たないといけない。
だからここを利用する人たちからは不評だったりする。雨の日なんか、待つぐらいならわざわざその次のバス停まで歩くなんて人もいるくらいだ。

だけど私は、木々から漏れる暖かな日差しを、体一杯に浴びることの出来るこのバス停が大好きだった。
友達に言ったら、変わってるねって言われちゃったけど、共感されなくても、ここは私だけのベストプレイスだ。



5: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:22:18.76 ID:MUgLCSgB0

「あっ、行っちゃったか」

お目当てのバスは。バス停に着く少し前に行ってしまったようだ。次の停車まで30分もある。
さて、どうしようかな?

「ふぁあ、眠くなっちゃった……」

秋の爽やかな風と心地良い陽光の中、ベンチに座ると不思議と眠気が襲ってきた。背もたれに体を預けて、誘いに抗わず眠りの中へと飲み込まれていく。

大丈夫、20分ぐらいしたら起きるから――。

私の意識は、夢の世界へ。さてさて、今日はどんな夢を見るのだろうか。



6: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:23:18.16 ID:MUgLCSgB0

――

きっかけはいつも予期せずに訪れる。例えそれが人生を変える出会いだとしても、その時にならないと分からないのだ。

プロデューサーの心得その1 とにかく足を使え!

「君、アイドルに興味あったりしない? え? 間に合ってる? いや、間に合ってるってどういう……」

心得その2 勧誘は1人に対して3回まで。それ以上やってダメなら、諦めよう。

「あの! 芸能事務所でプロデューサーをしているも者なんだけど……。へ? 通報する? いやいや、全然怪しい者じゃないからね! ほら、名刺! 知らない事務所だから怪しい? いや、今はまだ無名だけど、いつかは……って110番するのは止めてください!」

心得その3 ティンときたその直感を信じよう!

「ねぇ君! 行っちゃった……。はぁ、上手くいかないなぁ」

断られたのは彼女で何度目だろうか。10人目からは数字を数えていない。とにかく、沢山断られたということだけは分かる。
恐らく人生の中で、これほど女性に振られるなんて経験はそうないだろう。



7: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:25:54.07 ID:MUgLCSgB0

「はぁ、今日明日中に1人勧誘、本当に出来るのか?」

と言うよりも、どうしてこうなった? 全てはあの日、バイトの同僚の代わりにシフトに入ったからこうなったんだ。

『アイドルプロデュースをしてみないか?』

バイト先にやって来た眼鏡のおじさんは俺にそう言った。なんでも新しく事務所を設立するにあたって、新たにプロデューサーを雇う必要が出来た、とのことだった。

どうして俺に話したか聞くと、一言『ティンと来たから』とだけ答えると、面食らった俺を強引に事務所へと連行していった。仕事中にもかかわらずだ。
その間わずか数分、実に見事な手際だ。

事務所に着くなりおじさんは俺にこう言った。

『今週中に1人スカウトして、プロデュースして欲しい』

『は?』

唐突な展開に困惑する俺をよそにおじさんは話を続ける。どうやら返事してもいないのに、俺はプロデューサーになってしまったようだ。

その後おじさん(実は社長だった!)と事務員さんから色々な説明と説得を受けて、少々強引な形で俺は芸能事務所に就職してしまった。
ホンの数分で話が進んでしまったため、正直言って今でも実感がない。プロデューサーとマネージャーの違いを答えろと言われると、正しい返答が出来ないと思う。



8: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:27:23.94 ID:MUgLCSgB0

それでも俺は、この仕事をしてみたいと思えた。どうしたかは分からない、ただこれも縁だ、運命だと考えると、契約書にハンコを押さざるを得なかったのだ。

そう言えばあの時、どこからともなく俺の名字のハンコを持ってきたけど、最初から俺は狙われていたのだろうか?

プロデューサーに就任してしまった日から、俺は目についた女の子に声をかけまくった。
ある時は新手のナンパと勘違いされ、ある時は通報されて、またある時は逆に俺が勧誘されてしまった。……男性にだ。どうもあっち系のビデオの男優を探していたらしい。話を聞かなくてよかったと心から思っている。女性経験より先に男性経験とは御免こうむりたい。

東京、横浜、名古屋。どんどん西に向かって、燻っている原石を探し続けるも、俺の勧誘の仕方が悪いのか、事務所が全くの無名なのがいけないのか、それとも最近の若い子はアイドル自体に興味がないのか、結果は芳しくなかった。
そして先日、更に西へ向かい、俺の実家がある熊本にやって来たと言うわけだ。

「しかし、町並みはあまり変わらないな。このお店、まだあったんだ」

何年か振りに熊本に帰って来たけど、学校への道は殆ど変わっておらず、どこか安心出来た。
日々目まぐるしく変わっていく都会は俺に合っていないのかもしれない。

「さっきの子、○○高の生徒だよな。制服も変わってないんだな」

懐かしさで胸が一杯になるが、帰省で熊本に来たわけじゃない。今の俺はプロデューサーだ。すべきことは、未来のトップアイドルを見つけ出すこと。
そのためにも、とにかく声をかけなければ。

「ん? あのバス停、まだ屋根がないんだな。市もそれぐらい作ってあげたらいいのに」

学校への道を歩いていると小さなバス停を見つける。俺も学生時代あのバス停を利用していたものだ。



9: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:29:39.44 ID:MUgLCSgB0

「ベンチは出来たんだ。おや? 誰か寝てる?」

見るとベンチに座ったまま眠っている少女が1人。俺は起こさないように彼女に近づき隣に座る。

「えーと、寝ているのかな?」

程よく暖かい陽だまりの中、彼女はすぅすぅと可愛らしい寝息を立てている。気付かれないようにそっと顔を覗き込む。

第三者が見たら間違いなく通報するだろう光景。だけど今ここには、彼女と俺しかいない。まるで時間が止まってしまったかのような感覚。
いや、止まってなんかない。空から揺れ落ちて来た白い羽が、時の流れを主張していた。風に揺られながら、羽は彼女の頭の上に落ちる。

「……この娘、可愛いな」

名も知らぬ少女は、猫のように眠っているだけだ。ただそれだけなのに、俺は彼女に心を奪われた。
今なら社長の言ったことが、分かった気がする。

「ティンときた」

俺は彼女をプロデュースしたい。自分の中で今までふわふわとしていたものが、確固たるものに変わっていく。
上手く説明は出来ないけど、この子なら俺の全てを賭けたいと思えたんだ。



10: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 14:31:19.21 ID:MUgLCSgB0

「ん、んん……」

「へ?」

両膝にかかる心地よい重み。さっきまで覗いていた顔が、今は膝の上。

「すぅ……」

「え、えーっと……。どうしよう」

思ってもなかった展開に、少しドギマギしてしまう。彼女は何も知らず、俺の膝に羽のついた頭を預けている。このまま動いてみようものなら、ベンチに頭をぶつけてしまう。それは可哀想だ。

「あのー。バス来ました、よ?」

「ふにゅぅ」

向こうから排気ガスを吐きながら、えっちらほっちらゆっくりとバスがやって来る。焦る俺と対照的に、彼女は一向に起きようとしない。

バスのドアが開くと、お婆ちゃんが降りてくる。お婆ちゃんはこちらを見るとにっこりと笑い、歩いていく。どうやら何か勘違いをさせてしまったみたいだ。バスの運転手は、『で、乗るの?』と言わんばかりにこっちを見ている。

「あはは、次の奴に乗ります。すみません」

運転手は軽く頭を会釈すると、バスのドアは閉まり遠く小さくなっていく。本当なら、彼女を起こすべきだろう。だけど俺は、もう少し彼女の寝顔を見続けていたいと思っていた。

彼女が目覚めたのは、5分ぐらいしてからのことだった。



13: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 23:54:36.60 ID:VrgbnNIw0

「うーん、今何時……」

ゆっくりと意識が覚醒していく。今は何時だろうか、バスはまだ来ていないかな……。
あれ? 頭に当たるこの感触は何だろう……。ベンチじゃない? 恐る恐る目を開けると――。

「おはよう。って言えばいいのかな?」

「え?」

「や、どうも」

上から少し戸惑ったような男の人の声。あ、あれ? 今私、男の人の膝で寝ていた?

「どうかしたかな? 顔が赤くなって……」

「え、ええええ!?」

驚きのあまり頭を勢いよくあげる。それが間違いだった。

「痛い!」

「あだっ!?」


見事顎に頭突きをかましてしまい、男の人は苦悶の表情を浮かべていた。



14: ◆CiplHxdHi6 2013/01/20(日) 23:59:37.51 ID:+EVvMsl30

「す、すすすみましぇん!」

「き、君の方こそ大丈夫かな? 頭痛くない?」

顎を抑えながら彼は私を気遣ってくれた。私からすると、彼の方が重体だ。

「ここちらこそぉ! 御顎さん大丈夫ですか!?」

あまりにテンパってしまい、自分でも何を言っているか分からない。後で思い返して恥ずかしくなること必至だ。

「お、俺は大丈夫だよ。ほら、御顎さんもぴんぴんしてるし」

「ほ、本当にゴメンナサイ!!」

「ははは、大丈夫だって……」

そうは言うものの、若干涙目になっているし、強がっているようにしか見えない。

私は彼に謝り倒し、彼はその全てに気にしないで良いよと言ってくれる。全力のキャッチボールを繰り返している内に、2人とも落ち着いて来て、いつものペースに戻ることが出来た。

「え、えっと! 隣にす、座った時に、わ、私が倒れこんできた、ってことですか!?」

といっても、私は極度の緊張しいで恥ずかしがり屋なので、普段から落ち着きがないと言われたりする。
特に初対面の相手だと、もう聞いていられない。



15: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:01:34.52 ID:WGR/FjQ80

「まぁ、そうなるかな。でも起こすのも悪い気がしてさ。凄く気持ちよさそうに眠っていたし」

「す、すみません……。もし乗りたかったバスに乗れなかったら……」

「いや、謝らなくていいんだよ? あんな気持ちの良いお日様の中、眠くならない方が無理があるって」

仕方ない、仕方ない! と彼は笑いながら言ってくれる。それすら私に気を使ってくれてるように感じてしまい、申し訳なくなるけど、いつまでも彼を困らせるわけにもいかない。

「ふぅ……」

よし、落ち着こう。深呼吸して……。

「それにさ、俺別にバスに乗る気はないんだよね」

「へ? そうだったんですか? だ、だったらどうしてベンチに座って……」

「いやさ……。うん、えっと君、名前は?」

顔を掻きながら彼は名前を聞く。どうしたんだろう?

「名前、ですか? 小日向、小日向美穂です」

後で考えると、この時よく素直に名前を教えたものだと思う。もし彼が変質者だったなら、どうなっていたことか。



16: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:05:11.61 ID:WGR/FjQ80

「小日向美穂、か。良い名前だね。君にピッタリの名前だ」

「ええ!?」

名前を褒められたのなんて、いつ以来かだろうか。しかも初対面の相手にだ。
恥ずかしそうにはにかんだ笑顔で、そんなクサい台詞を吐く彼の顔を私はまともに見ることが出来なかった。

「も、もしかして気に障った? 俺本心で言ったんだけど……」

しまった! と言うように彼は慌ててフォローを入れる。

「い、いえ! ありがとうございまする!」

「まする?」

「うぅ、そこは繰り返さないでください!」

「あっ、ごめん」

リンゴの様に赤くなっているであろう顔を見られないように、彼の視線から顔をそむけた。



17: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:07:27.46 ID:WGR/FjQ80

「えっと、小日向さん?」

「な、なんでしょうか?」

「あのさ、実は俺、こういうものなんだ」

彼は胸のポケットから長方形のケースを取り出すと、私に名刺を見せる。

「シンデレラプロダクション プロデューサー――、へ? プ、プロデューサー?」

「そっ、プロデューサー」

「プロデューサーって、あのプロデューサーさん?」

「どのプロデューサーのことを言っているか分からないけど、多分君が思っている通りだよ」

何となくだけど理解は出来た。でもどうしてそんな人がここに……。

「で、起き抜けに凄い話をするけど……、小日向さん」
「アイドルに興味が有ったり、しない?」

アイドルに興味が有ったりしない? あれ? これって……。

『昨日女子生徒にアイドルにならないかと声をかける……』

「先生が言ってた人?」



18: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:09:46.71 ID:WGR/FjQ80

「へ?」

「そ、その! せ、先生が、言ってたんです。アイドルにならないかって、こ、声をかける事件が有ったから気を付けるように、と……。ええ!?」

「な、何!?」

言ってから気付く。この名刺がもし偽物だったら? 本当に変質者だったら?
私は無意識のうちに彼から距離をとってしまう。

「あー、マジか。道理で皆俺を避けるわけだ。あのさ、小日向さん。こんなんでも俺、一応ちゃんとしたプロデューサーなんだよね。実績も何もなくてさ、信用に値しないかもしれないけど」

真剣な眼差しで私を見ながら彼は言う。おもむろに携帯を取り出し、何かを検索し始めると、私に画面を見せた。

「シンデレラプロジェクトスタート?」

トップにでかでかと書かれている一文を、素直に音読する。そのままスクロールしていくと、魔法使いと可愛い服を着た少女の絵。シンデレラと魔女かな?

「うちのホームページだよ。これで信用出来るかは分からないけど、ちゃんとした事務所ってことを分かって欲しいんだ」

彼の顔と携帯画面を交互に見る。はっきり言って怪しいことこの上ない話だ。
だけど私は、何でだろうか、彼の言っていることに嘘はない、嘘を吐いている目じゃない。そう感じていた。



19: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:19:23.87 ID:3Xd4X3ze0

「は、はい。ちゃんとした事務所ってことは分かりました。あれ? ってことは……」

私今、アイドルに、スカウトされている?

「どうかな。小日向さん、アイドルに興味ないか」

「えええええええ!?」

「のわっ!!」

急に大声を出した私に驚いて、彼は大袈裟にのけぞる。

「こ、小日向さん?」

「わ、わ、わ、わたっ」
「私が、アイドルぅ!?」

「とりあえず、落ち着こうか小日向さん。ほら、深呼吸深呼吸」

「お、落ち着いていられましぇんよぉ! だ、だだってぇ! あ、あ、あ、アイドルですよ!? む、無茶苦茶です! そ、そんな髪形を変える感覚で言われても、こ、ここ困ります!!」

「まぁ無茶苦茶な話かもしれないね。正直俺も、実感が湧いてないし」

私が落ち着いたのは、バスがやってきた後のことだった。ベンチに座っておきながら乗らない私たちを、運転手さんはしかめっ面で見ていた。



20: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:26:11.53 ID:m5gr+6SD0

「落ち着いたかな?」

「は、はい。すみません。ご迷惑をおかけして」

「仕方ないさ。急に言われたら君じゃなくとも驚くよ」

「えっと、聞いていいですか?」

彼がアイドルを探していること、私がスカウトされたということまでは理解出来た。
だけどこれだけはどうしても解せなかった。

「どうして……私なんですか? 私なんかより、もっと素敵な人、たくさんいるはずです」

アイドルにスカウトされる人って言うのは、もっと可愛らしかったり、もっと美人だったりするはず。言ってくれれば、学校の可愛い子を紹介だってする。アイドルに興味がある子だっているだろう。
なのに彼は、どうして私なんか……。

「……と来たから」

「へ?」

「ティンと来たんだ! 君ならトップアイドルになれる。そう確信したんだ!」

「えええ!? わ、私がトッピュアイドル!?」

「そうだよ! トップアイドルさ! 誰からも愛され、人々に夢を与える。そんな素敵なアイドルに君ならなれる、そう思っている! だから」
「俺は君をプロデュースしたい。誰よりも魅力的な女の子にしたいんだ」



21: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:31:20.97 ID:m5gr+6SD0

彼の言葉に、納得するに値する根拠なんてものは、どこにもなかった。
第一テレビに出ているだけでも十分凄いのに、その上トップアイドルなんてエリート中のエリート、ほんの一握りしかいない。

確かに、私だって女の子だ。テレビの向こう側で輝いている彼女たちに憧れたことだってある。
でもそれは、私には縁のない話だから、と割り切っていたから憧れることが出来たんだと思う。

だけど今、彼はそんな現実味のない夢物語に、私と一緒に描いていこうと言っている。
普通の女の子だった私を、普通じゃない世界へと誘っているんだ。

「――さん」

アイドルになる、つまりそれは熊本から出ることを意味している。家族と離れ、友達とも別れて、知り合いのいない東京で1人戦うということ。

「私にはやっぱり……」

私の名前は小日向美穂、17歳。12月16日生まれのO型、何のとりえもない普通の女の子。
恥ずかしがり屋で、緊張しいで不器用で気弱で。
歌って踊るアイドルたちの姿をテレビの前で見ている方が似合っているのに。

アイドルになったとしても、きっと彼を失望させてしまうだろう。ネガティブな感情が私の中でぐるぐると巡る。
ゴメンナサイ――。そう言ってしまえば何も考えなくていい。

だから私は……。



22: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 00:34:38.07 ID:m5gr+6SD0

「小日向さん、俺を信じて欲しい」

貴方を信じる?

「そして俺が信じている、君自身を信じて欲しいんだ」

「私を……、信じる?」

「そう。君なら出来る、俺が導いてみせる。夢のステージへ」

夢のステージ。カメラに映る彼女たちは、とても素敵に輝いていて――。
私も、彼女たちのように輝けるのかな? 自分に自信を持てるようになるのかな?

「だから小日向さん、俺と一緒に頑張ってくれますか?」

私は……。

「はい!」

力強く、そう答えた。

暖かな木漏れ日の中、生まれた決意。これが私と、彼のファーストコンタクトだった。



25: 2話 普通の女の子、最後の3日間 ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 16:47:31.08 ID:CC66keqQ0

――

ティンときたその直感を信じろ。一体何のことか分からなかったけど、彼女に出会ったときそれを身を持って体験した。

体に電撃が走る、と言えばいいのだろうか。彼女が言ったように、もっと可愛い子はいた。綺麗な子もいた。

だけど今まで声をかけた女の子以上に、俺は彼女をプロデュースしたいと思った。
顎に頭突きを食らったことなど、些末なことだ。

臭いセリフを吐くと、運命の出会いとでも答えるだろう。きっとおじさんが俺をバイト先から連れ去ったのも、彼女に出
会うためだ。そう考えてすらいた。
彼女との出会いは、ノルマとかそんなものを忘れてしまうぐらいだった。

「えっと、プ、プロデューサー、で良いんです、よね?」

「あ、うん。小日向さん、ありがとう。俺を信じてくれて」

ようやく乗れたバスはがたがたと揺れている。車窓から見る景色も懐かしくて、学生時代のことを思い起こさせる。
高校の時の俺は、こんなことになるなんて予想だにしていなかっただろう。

「……」

隣の席に座る彼女はまだ慣れていないのか、恥ずかしそうにこちらを見ており、目が合うと逸らされてしまう。
悪意はないだろうが、少し傷つく。



26: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 16:51:24.25 ID:l8lX0WEF0

「そうと決まれば、親御さんに説明しないとね。小日向さん、ご両親は何時ごろに揃う?」

「えっと、お父さんの仕事が17時ごろに終わるから……。家に着くころには帰っているかと思います」

「さてと、気合を入れてかからないとな。なんせ目に入れても痛くないぐらい可愛い娘さんを預かるんだ。覚悟を決めなきゃね」

「か、可愛いって……。恥ずかしいです」

まるで結婚報告に行くみたいだな、なんてくだらないことを考える。もしそれを彼女に言ってしまえば、顔から血を出してしまうぐらい照れてしまいそうだ。
小日向さんのお嫁さん姿か……。

「プロデューサー? 顔、真っ赤ですよ?」

どうやら俺も顔に出ていたようだ。小日向さんは笑いながら指摘する。

「き、気にしないでくれ!」

「ふふふっ、プロデューサーさんも一緒なんですね」

「むぅ」

ふんわりとした柔らかな微笑。いつの日か彼女の笑顔が、日本中を幸せにする。そう思うと、俄然やる気が出てきた。



27: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 16:55:35.87 ID:fZBvJDmy0

「えっと、私の家ここです」

バスから降りて、少し歩くと小日向と書かれた表札を見つけた。どうやら彼女の家はここらしい。
――懐かしいな。そう心の中で呟く。

「君の家、ここだったんだ」

「へ? プロデューサーさん知っていたんですか?」

彼女は不思議そうに俺を見る。

「いや、そう言えば小日向さんには話してなかったかな。俺さ、この町出身なんだよね」

「ええ! そうだったんですか? 意外です……」

「そっ、だからこの町でスカウトしていたんだ。俺の実家、ここから10分ぐらい歩いたら有るよ」
「でも小日向さんの家ってここだったんだ。結構大きい家じゃんか、だからどんな人が住んでいるんだろうってずっと気になってたんだ。なるほど、小日向さんが住んでいるのなら納得だな」

「そ、そんなこと言われても……。照れちゃいます」

つくづく、縁と言うのは不思議なものだ。家が近いとはいえ普通に生きていれば、こんな形で彼女と交わることもなかっただろうに。



28: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 16:58:38.01 ID:fZBvJDmy0

「俺もさ、子供ころは大きくなったらこんな家に住んでやる! って意気込んでたっけか。いや、懐かしい懐かしい」

「ふふっ、でもお父さんローンを無茶して組んだらしくて、毎日ひぃひぃ言ってますよ。プロデューサー、ちょっと待ってくださいね」

「あっ、うん」

小日向さんはそう言って、家の中へ入っていく――。

「ちょっと待った」

「へ?」

俺が呼び止めると、彼女はキョトンとした表情で俺を見ていた。彼女に近づいて、頭に付いたままのそれを取る。

「きゃっ」

「良し、取れた。さっきのさっきまでこれの存在を忘れていたよ」

「え、えっと……。羽ですか?」

「うん、見事なまでに白い羽。小日向さんが寝ていた時に付いたんだけど、教えるタイミングを逃しちゃってさ。それに、自然なもんだから取るのを忘れちゃってて。何の鳥だろうね、ハトかな?」



29: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:04:48.87 ID:8ZvqKFDn0

「そ、そうだったんですか。ってことは、い、今の今まで、ずっと付いていたんですよね? う~、何でバスに乗る前に教えてくれなかったんですかぁ」

「ははは、ごめんごめん」

「はぁ、絶対皆笑ってましたよ……」

しょんぼりとする小日向さんをよそに、俺は羽をかばんの中に入れた。

「あれ? それ、持って帰るんですか?」

「あー、うん。記念品ってとこかな」

なんせ彼女との最初の思い出なのだ。なんとなくだけど、取っておきたいと思えた。
使い道を聞かれると困るが、スケジュール帳のしおりなんかにちょうどいいかも知れない。

「え、えっと。き、気を取り直して。呼んできますね?」

今度は呼び止めず、家に入る彼女を見守る。数分程外で待っていると呼びに来た。

「プロデューサーさん、入って大丈夫ですよ」

「よし! 行くか」

ネクタイをビシッと決め、顔を叩いて気合を入れる。さぁ、戦いの始まりだ。



30: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:12:17.25 ID:8ZvqKFDn0

「失礼します!」

「……」

ドアを開けると、険しそうな表情をした男性。父親だろうか?

「お父さん、この人がプロデューサー。私をスカウトしたの」

「シンデレラプロダクションの――です。本日は小日向美穂さんを是非ともわが社のアイドルとしてスカウトしたく、参じました」

「……こちらへどうぞ」

抑揚無く言われ、少し怖くなる。でもここで怖じ気つくわけにいかない。

数分後。

「いやー、君がこの町出身だったなんてね! 驚いたよ」

「は、ははは……」

「母さん! 彼にもお酌お酌! 美穂、プロデューサー君のお椀が空になってるじゃないか。入れてあげなさい」

「はいはい、待ってくださいねっと。失礼しますね」

「プロデューサー、お、大盛りが良いですか!?」

「じゃ、じゃあありがたく貰っておこうかな、うん」



31: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:15:05.91 ID:3Xd4X3ze0

結論から言うと、俺は小日向家に歓迎された。最初こそどこの馬の骨か分からない男の登場に、
ご両親は良い顔をしていなかったと思う。

だけど俺が小日向さんをトップアイドルにしたいこと、責任を持って最後まで面倒を見ること、
何より小日向さん自身がアイドルを目指したいと自分の言葉で伝えると、少しずつ表情は緩んでいった。

ただ、受け入れられた最大の理由は、俺がこの町出身だったということだろう。嫌な沈黙が続く中、
小日向さんがご両親に俺が近所の出身だということを言ってくれた。

するとどうだろう。ご両親は少し驚いた表情を見せるも、次第にローカルな話題へと移行していった。
どこの学校出身か、どこの美容院に行っていたか、美味しいだご汁のお店はどこか。とにかく話題は尽きない。
特に小日向さんと同じ高校出身と言う話は大いに盛り上がった。どうやらご両親も母校は同じだったようだ。

結果、思っていた以上にスムーズに話は進んでいった。素性も分からないような人間よりも、同郷の人間に預ける方が良いということだった。

「美穂がこうやって自分で何かを始めたいって強く言ったのは、初めてでした」

とは御袋さんの談。その表情は、嬉しそうにも寂しそうにも見えた。

「以上で用件はすべて終わりですね。それでは、失礼いたします」

「待ちたまえ! 折角なんだ、食べていきなさい」

「え? ですが」

「構わん構わん! ささっ、座りたまえ!」

難しい契約の話もそこそこに終わらせて、お暇しようとするも親父さんに捕まっていまい、
小日向家で晩御飯を頂いて今に至る、と言うわけだ。



32: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:18:12.20 ID:3Xd4X3ze0

「ねぇプロデューサー君、どうして美穂をスカウトしたの?」

熊本名物の代表格である馬刺しをつついていると、御袋さんが聞いてきた。

「彼女ならきっとトップアイドルになれる、そう思ったんです」

「ふーん、そうなんだぁ」

御袋さんはなぜかニヤニヤしながら俺のコップにお酒を注いでくれる。何か変なことを言っただろうか?

トップアイドルになれると言うのはお世辞じゃなくて、本心からそう思っている。
確かにもっと探せば、より良い原石はいるかもしれない。
だけど、輝かせたいと、魅力を日本中に伝えたいと本当に思えたのは、彼女が初めてだった。
そしてきっと、今後彼女以上の女の子は現れることは無いだろう。そう断言しても良い。

「そうだぞ! 君の眼は正しいじょ! うちの美穂は世界一可愛い!! キュートしゅぎる!」

「わっ!」

酔っぱらって俺の肩に手をやる親父さん。ゴメンナサイ、お酒臭いです。



33: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:25:06.67 ID:3Xd4X3ze0

「お、お父さん! ゴメンナサイ、プロデューサー。お父さん、絡み酒しちゃうタイプで。強くないのに……。ほら、お父さん。プロデューサーが困ってるでしょ?」

小日向さんは俺から親父さんを引き離そうとするが、親父さんはそのまま眠ってしまう。
これじゃあ失礼しようにも出来ないな。

「あ、あのー。お父さん?」

「わらひは君のとうはんではない!」

「うわぁ!」

恐る恐る声をかけてみると、突然叫びだし、また眠ってしまう。『お父さん』というワードに反応してしまったのだろうか。

「お父さん、寝るなら布団で寝ないと!」

「まぁまぁ、お父さん、寂しいのよ。お酒でも飲まないとやっていけないぐらいにね」

御袋さんも遠くを見るかのような、寂しそうな目をして言う。

「え?」

それもそうだ。一緒にご飯を食べて感じたけど、ご両親は小日向さんのことを何より愛している。
だから、本当は家を出て行って欲しくないのだろう。
でも彼らは、彼女の夢を選んでくれた。俺たちの活動を認めてくれた。

ならばそれに全力で答えるのが、プロデューサーだ。



34: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:26:59.14 ID:3Xd4X3ze0

「プロデューサー君。お願いだけど、時々で良いから、美穂の顔を見せてくれないかしら?」
「忙しくなるのは分かっているけど、やっぱり私たちも寂しいのよ」
「無茶言っているのは分かっている、でもそうでもしないと、お父さんも辛いと思うの」

「はい。約束します」

間の抜けた寝顔を見せる親父さんを一瞥して、俺は答えた。心なしか、小日向さんも少し安心した顔をしている。
やっぱり彼女も覚悟していたとはいえ、親から離れるということが、不安だったのだろう。

「ありがとう。それより、プロデューサー君」

「はい、なんでしょうか?」

「君、美穂がタイプなの?」

「ぶっふ!」

「お、おおおお母さん!? プ、プロデューサーさん! 大丈夫ですか!? お茶入れますね!」

「美穂、それお酒よ?」

「ま、間違えました!」

突然御袋さんがそんなことを言うものだから、想いっきり咽てしまう。もし口に何か含んでいたなら大惨事だっただろう。



35: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:30:11.33 ID:3Xd4X3ze0

「い、いきなり変なこと言わないでくださいよ!」

「あら、ごめんなさい。でもその反応は、図星かしら?」

「え、えっと小日向さん。今の気にしなくていいからね、ね?」

「は、ははい! そ、そですよねぇ! 私が好みなわけないじゃないでしゅか! もうお母さんったらもう!」

ニヤニヤと笑う御袋さんに、顔を真っ赤にしている男女2人。

「あ、あはは」

「う~」

互いに顔を見るのが恥ずかしくなり、そっぽを向いてしまった。これじゃあまるで初心な中学生カップルだ。
いや、彼らの方がまだ堂々としているか。

「そうだ、プロデューサー君はどうするの?」

「えっと、実家がこのあたりなんで、家に帰ります。また明日、学校の方にも説明しなくちゃいけませんし」

事務所の方にも連絡しないといけないし、小日向さんの新しい家や学校の入学手続きもしないといけない。
アイドル候補生を見つけるだけで仕事が終わるわけじゃない。むしろその後の方が大変だ。



36: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:36:11.21 ID:3Xd4X3ze0

「そう? 泊まっていけばいいのに。美穂の部屋で」

「ぶっ!」

「お、お母さん!?」

「冗談よ、冗談」

だからそう言うこと言わないでください。

「は、ははは……。すみません、今日は晩御飯ありがとうございました」

「こちらこそ。プロデューサー君、美穂のこと、よろしくお願いしますね」

「はい! 任せてください。それでは失礼し」

「プ、プロデューサー!」

ドアノブに手をかけ、出ようとしたところで、小日向さんに呼び止められる。
相変わらず恥ずかしそうにこっちを見ているけど、深く呼吸をした後、覚悟を決めたように口を開く。

「私、頑張りますから! だから、一緒にトップアイドリュ目指しましょう! うー、噛んだぁ」

「ああ、頑張ろうな!」

彼女はやる気だ。俺はプロデューサーとして、ファン第一号として、彼女の夢を叶えてやりたい。



37: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:40:21.61 ID:3Xd4X3ze0

――

「うーん、どうしよう」

プロデューサーが帰った後、私は机に置かれた紙と睨めっこしていた。

プロフィール作成、それが私のアイドルとしての初めての仕事らしい。出身地から生年月日、……恥ずかしいけどスリーサイズ。そこまでは別に悩む要素もないため、すらすらと書けた。

だけど問題はこの3つ。

「趣味と意気込み、アピールポイントかぁ……」

私にはこれといった趣味がない。クラブや習い事をしていたというわけでもなく、読書とか料理も趣味かと言われると違う気がする。

私は本当にどこにでもいる普通の女の子だ。ただ普通の女の子でも、1つや2つ趣味があるだろうから、
それすらもパッと出てこない私は、逆に普通じゃないのかもしれない。

「奇をてらった方が良いのかなぁ」

例えば宝くじを買うのが趣味とか。夢を追うアイドル、それはそれで良いかも。

「ないなぁ……」

そこまで考えて、私は今まで宝くじを買ったことがないことに気付いた。嘘を書いてたって仕方ない。



38: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:42:56.59 ID:3Xd4X3ze0

「うーん、困ったなぁ」

あれこれ悩んでみたものの、結局私は翌日の日曜日になっても思いつかず、1日を終わらせてしまった。
プロデューサーの話によると、明後日には熊本を出て活動を開始していくらしい。
本当に急な話だなぁと、他人事のように思う。

「1日、無駄にしちゃったかな」

0時を過ぎたあたりで、ちゃんと友達と思い出を作っておくべきだったと後悔してしまった。
そう言えば、彼女たちは私がアイドルになるということすら知らないんだよね。

「私、本当にアイドルになれるのかな」

プロデューサーを信じていないわけじゃない。お父さんもお母さんも彼を信じているし、私が一番彼のことを分かっているつもりだ。
トップアイドルになれる。そんなファンタジーも不思議と実現するんじゃないかな? と思っていた。

だけど今私は自分の持つ誰にも負けない魅力はなんなのか、それすらも分からないでいる。

「寝ちゃおう」

このまま起きていても、思いつかないだろう。なら明日、じっくり考えよう。



39: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:47:38.49 ID:jvMp+QHM0

月曜日。朝起きるとプロデューサーからメールが来ていた。どうやら学校には話が付いたようだ。

「……」

今ならまだ間に合う。怖くなりました、自分には出来ません。そう言えてしまえばどれだけ楽なことか。
でも逃げるのは嫌だった。変わるって決めたんだから……。

「そうだ。みんなに聞いてみよう」

私自身が分からないなら、友達に聞いてしまえばいいんだ。
きっと私が知らない、私の魅力を知っている人もいるかもしれない。

「みーほちゃん!」

「ひゃい!? な、何!?」

「あー、ごめんごめん。驚かせちゃった?」

学校に着くといきなり、無邪気な笑みを浮かべる友達に肩を叩かれた。

「そうそう、聞いたよ? アイドルになるんだってね! 学校中その話題で持ちきりだよ?」

「え? もう知ってるの!?」

「何でも昨日部活中の子がさ、偶然聞いちゃったんだって。そこからはもう凄いスピードで広まったわけですよ」



40: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:48:54.89 ID:Va8gMOpo0

学校に行くまでの道のりで、バスの中で、私はジロジロと見られている感覚に陥っていたけど、
どうやらそういう事みたい。情報の伝達の速さに、只々驚くばかりだ。

「ってことは美穂ちゃん東京に行くのかぁ、寂しくなるね」

「うん。自分でもまだ、あんまり実感がない、かな」

アイドルにスカウトされたのがほんの2日前のこと。私の住んでいる世界は、急激に変わり始めようとしていた。

「あっ、忘れてた。これ、実行委員会のファイル」

鞄の中からファイルを取出し、友達に渡す。今となれば、この高校生活最後のクリスマスパーティーも、
私は参加出来ないのだ。なんと言うか、皮肉な話。

「ありがとう美穂ちゃん! でも困ったな、美穂ちゃんに埋め合わせできる前に東京に行っちゃうのかぁ」

そうだ、彼女に聞いてみよう。

「えっと、じゃあ1つお願いしていい?」

「お願い? 何なりとどうぞ!」



41: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:51:32.17 ID:Va8gMOpo0

「今こんなの作っているんだけど、自分の魅力って分からなくて……」

プロフィール表を机の上に置くと、友達はそれを物珍しそうに手に取って、蛍光灯の光を浴びせてみる。
そんなことしても、何も浮かんでこないと思うけどな。

「シンデレラプロダクション……。うわっ、本格的だねー。どこの事務所か知らないけどさ」

「新しく出来たばっかりだから仕方ないよ。で、今趣味と意気込みと自己PRで悩んでて。意気込みは自分で考えなきゃいけないんだけど、自分がアピールできるところって、パッと出てこなくて」

「成程、私の魅力って何? ってとこね。そうだねぇ、美穂ちゃんのアピールポイントは……」

友達は私の顔とプロフィール表を交互に見ながら、少し考えるそぶりを見せる。
やっぱり私の魅力って、そうないのかな……。

「どうかな……」

「やっぱ笑顔、じゃない?」

「笑顔?」

得意げに言う彼女の3文字をそのまま返してしまう。



42: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 17:53:22.30 ID:Va8gMOpo0

「そっ。まぁぶっちゃけちゃうと、美穂ちゃんのいいところなんて数えきれないほど有りますよ」
「誰にでも優しいし、恥ずかしがり屋だけどいざって時にはしっかりするし、とにかく可愛いし!」
「その中でも、私は美穂ちゃんの笑顔が一番好きかな」

「か、可愛い……」

「今真っ赤になっている美穂ちゃんもすっごく可愛い! よっ、日本一!」

友達が大声で囃し立てるものだから、予鈴が鳴っても私の周りにはぞろぞろと人が集まってくる。

「小日向さんの良いところ? そうだね、やっぱり癒し系ってとこじゃない?」

「いや、ここは敢えて脱ぐと凄いんですって書くべきだよ」

「お前は何を言っているんだ」

その後先生がやって来るまで、私の良いとこ探し会議は続いた。

「ふふっ」

破られたレジュメには、みんなの考える私の魅力が裏っ側まで羅列されている。
自分でも思っていた以上に多くて、なんか嬉しい。



43: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:03:07.60 ID:hmA1Na8q0

お昼休みの時間。私の席は窓際の日の当たる場所。ご飯を食べた後はやっぱり眠くなってしまう。
プロデューサーの言葉を借りるなら、こんないい場所で寝ない方がおかしいんだ。
あっ、これってある意味趣味になるのかな……。

「美穂ちゃん?」

「ん? なぁに?」

「あ、眠かった? ごめんね話しかけて」

「ううん、少し気持ちよくて。すぅ」

「あらま、寝ちゃったか」

「すぅ、すぅ……」

予鈴の音で目覚める。プロフィール表を見ると、趣味の欄に『ひなたぼっこ』と丸っこい字で書かれていた。



44: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:05:05.20 ID:hmA1Na8q0

「知っている人は知っていると思いますが、小日向さんが東京でアイドルとして活動するために、転校することになりました。小日向さん、前に来てくれる?」

「は、はい!」

授業後のSHRで、私は皆の前に立っていた。

「え、えーっと……」

クラスの人数34人と1人の先生。私はその人数だけでも、心臓がバクバクとしていた。

「す、凄く急なんですけど、私アイドルに、なっちゃいました! あ、あの! 私、絶対みんなのこと忘れましぇん! だから、応援してください!」

何回噛んだか覚えていない。これがドラマの撮影だったなら、監督に怒られたと思う。

「美穂ちゃん頑張れー!」

「応援しているからね!」

「こらこら、泣かないでよね。先生まで泣いちゃうじゃない」

割れるような拍手の中、クラスメイトの皆は私に温かい言葉をかけてくれる。
それがとても嬉しくて、私は涙を流していたのだろう。先生がハンカチで私の目元を拭いてくれた。



45: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:08:17.38 ID:hmA1Na8q0

「それじゃあ今日は美穂ちゃんの門出を祝って! パーッとやっちゃいましょう!」

友達の合図で大いに盛り上がる皆。私は彼らに流されていくように、色んな所へ行った。
ボーリングをして、プリクラを取って、買い物をして。最後の思い出を作るかのように、私たちは今を全力で楽しんだ。

「あー、楽しかった! ねぇ美穂ちゃん! またこっちに帰ってくるよね?」

解散してバス停へ向かう途中、友達が尋ねる。

「うん、月に一回ぐらいだと思うけど、お母さんたちに顔を見せなさいって。だからその時、また遊べるかな」

「そっか、だよね。その時また遊ぼうね!」

屈託のない笑顔で彼女は言う。この笑顔も、私が与えたのなら、素敵なことだと思う。

「うん。ありがとう」

「じゃあ私はここで、美穂ちゃん。バイバイ」

「うん、バイバイ」

帰ってプロフィール表を作ろう。今ならきっと、一番の私をアピールできると思う。



46: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:09:03.92 ID:hmA1Na8q0

アイドル名 小日向美穂
ふりがな  こひなたみほ
年齢    17
身長 155cm 体重42kg
B-W-H    82-59-86
誕生日  12月17日
星座   射手座
血液型 O型 利き手 左
出身地  熊本県
趣味   ひなたぼっこ
意気込み ファンの皆様に愛されるアイドルになります!
自己PR みんなを笑顔にするのが好きです! 私の笑顔で、幸せな気持ちになってくれたらうれしいです!



47: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:14:37.06 ID:hmA1Na8q0

「こんな感じかな?」

プロフィール表を書き上げて、ほっと一息。あれだけ悩んでいたのに、きっかけ1つでこんなに楽にできるものとは思わなかった。

「明後日、かぁ」

明後日の朝、私は熊本を旅立つ。東京に何が待っているか分からない。良いことばかりじゃないかもしれない。
それでも私は、頑張るしかないんだ。

「美穂、入っていいか?」

明日は準備をしないといけない。早く寝ようとすると、お父さんがドアの向こうからノックした。

「う、うん。良いよ」

「じゃあ入るよ」

お父さんが私の部屋に入るのなんて、久し振りかもしれない。いつもは恥ずかしがって入れようとしなかったけど、今日だけは特別なんだ。

「美穂、プロデューサー君は確かにいい男だ、私が保証しよう。だけど、どうしても乗り越えることの出来ないことがお前たちを待っているかもしれない。辛くなったら、いつでも帰ってこいよ」

「お父さん……」

「アルバムをさ、見ていたんだ。あんなに小さくて泣き虫だった美穂が、アイドルになりたいって言えるまで強くなった。親として嬉しくも、寂しくもあるな」



48: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:16:49.92 ID:hmA1Na8q0

「そういう事、言わないでよ……。私まで寂しくなるよ」

「ああ、悪かった」

いつもと違ってしんみりとした父親に、私まで寂寥感に苛まれてしまう。

「だがな、美穂。これだけは覚えておいてくれ。私たちは、何があってもお前たちの味方だ。どんな時でも、お前たちを応援しているよ」

「ありがとう、お父さん」

「美穂、そろそろ寝なさい。明日の準備があるのだろ?」

「うん、お休み」

「お休み」

今生の別れと言うわけじゃない。その気になれば戻れる距離だし、嬉しい時も辛い時も電話をするだろう。それでも、寂しい物は寂しい。

私はまだ17歳、結婚できる年齢だとか、十分大人だと言われても、まだまだ子供だ。
だけど私はこれから待っている未来に心を震わせていた。勿論不安もある、だけどそれ以上に期待が大きいのだ。

どんな人に会うのかな?
アイドルとしてやっていけるかな?

色々な感情がない交ぜになったまま、私はベットに潜り込んで携帯を見る。
携帯に張られているプリクラには、恥ずかしそうに下を向く私と、クラスメイト達の笑顔。皆私を応援してくれるんだ。

そうだよね、私は1人じゃない。



49: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:17:55.11 ID:hmA1Na8q0

翌日、私は朝から準備に追われていた。必要な物を業者に送ってもらい、荷物をまとめる。

「ふぅ、終わったぁ」

17年間の思い出が詰まっていた私の部屋は、すっかり綺麗になってしまった。全ての作業が終わり、時計を見ると17時。
どうしようかなと考えていると、母親が私の部屋に入ってきた。

「美穂、終わった?」

「あっ、うん。どうしたの、お母さん」

「お父さんがね、どこかに食べに行かないかって。美穂が食べたいところどこでも連れて行ってくれるってさ」

「私の食べたいもの?」

「そう、思いっきり贅沢しちゃいなさい!」

私の食べたいもの……。回らないお寿司? ステーキ? 熊本ラーメン? どれも違う気がする。

別に特別じゃなくても良いよね?

「ううん。私はやっぱり、お母さんのご飯が食べたいかな?」

「ええ? そんなので良いの?」



50: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:20:59.92 ID:hmA1Na8q0

予想外の答えが帰って来たのか、お母さんは面食らった顔をしている。

「うん。特別な物ってそのままもう会えないみたいで……。ダメかな?」

「そっか。美穂がそういうのなら、そうしましょうか。今日は腕によりをかけて作っちゃうわよ!」

「ありがとう、お母さん」

アイドル前夜、私は家族と過ごした。献立も豪華な物じゃない、極々普通の晩御飯だ。特別なものなど、何一つない。

「「「ご馳走様でした」」」

暖かな食事も終わる。明日からは1人で全部済ませなくちゃいけない。
守ってくれる人はいるけど、それでも自分の行動全てに責任を持たないと。

「それじゃあ……、美穂これあげる」

「お母さんこれは?」

「お料理の本よ。忙しいからって外食ばかりしちゃだめよ? 少しは自分で作れるようにしないとね」

お母さんが愛読していたお料理本だ。数冊束になっていて、持つとちょっと重かった。



51: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:22:48.97 ID:hmA1Na8q0

「ありがとう、お母さん。自炊頑張ってみるね」

「あー、美穂。ちょっと耳貸しなさい」

「?」

言われるままにお母さんに耳を傾ける。お母さんはお父さんに聞こえないように声のトーンを落として、

「これで練習して、プロデューサー君に美味しいお弁当作ってらっしゃい。ポイント高いわよ?」

「お、おかあさん!?」

とてつもない爆弾を投げかけてくれました。

「ふふっ、冗談よ」

「そ、そそういう冗談はやめてよぉ、もう!」

「? 美穂、どうかしたのか?」

「い、いや! なんでもないよお父さん!」

今の会話をお父さんに聞かれていたらどうなっていたのだろう。
プロデューサーの身に何か起こるかもしれないので、黙っておく。



52: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:32:02.69 ID:hmA1Na8q0

「さて、美穂。これを持って行きなさい」

「これは、通帳?」

緑色の郵便通帳とカード……、口座?

「ああ、今まで渡していなかったが、自分で管理していかないとな。無駄遣いはするんじゃないぞ?」

「あ、うん……」

 真剣な目をするお父さん。一体いくら入っているのだろうかと、恐る恐る通帳の中身を確認する。

「え?」

私は思わず言葉を失う。そこに書かれていた数字は、100万円。こんなに軽いのに、目が飛び出るほどの価値があるなんて。

「お、お父さん! これ……」

「何かと入用だろう? 大学入学用に取っておいたのだが、事態が事態だからな」

「それでも! 100万円は多すぎるよ。受け取れないよ……」



53: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:36:49.96 ID:hmA1Na8q0

うちも決して裕福とは言えない。家のローンもまだあるし、毎日毎日お母さんは家計簿に頭を捻らせている。
それなのに、100万円を私に託そうとしている。

「良いんだ、美穂。私たちは、お前に夢を叶えて貰いたい。娘が自分の夢を叶えることが、私たち親の夢なんだから。100万円ぐらい、投資してやるさ」

「お父さん……」

「それに、東京は物価が高いからな。言っておくが、無駄遣いするんじゃないぞ?」

「娘が親を心配しないの! なくしちゃダメよ?」

余裕もないはずなのに、お父さんとお母さんはそれを億尾にも出さずニッコリと笑う。

――ずるいよ、そんなの。受け取るしかないよ。

「ありがとう、お父さん。いつかきっと、返すから」

夢は1人で見るものじゃない。応援してくれる人がいて、初めて見ることが出来るんだ。

「ねぇ、お父さん。お母さん、お願いがあるんだけど……」

熊本最後の夜、私はお父さんとお母さんと川の字になって眠った。突然の提案に、2人とも恥ずかしそうにしていたけど、布団に入ると幼い頃のように私の耳元で子守唄を歌ってってくれた。
こうやって甘えることが出来るのも、最後かもしれない。

「私、頑張るから」

寝静まった2人を起こさないように呟いた。



54: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:39:22.85 ID:hmA1Na8q0

「美穂ちゃん、向こうでも頑張ってね!」

朝も早いというのに、空港には友達たちが集まっていた。学校は大丈夫なのか? と聞いてみたら、先生が『課外授業です』と言って笑っていた。

みんなとこれ以上思い出を紡いでいくことが出来ないのは残念だけど、彼女達と過ごした時間はきっと忘れないだろう。
ううん、忘れたくない。

「えーと、クラス一同から、寄せ書きの贈呈です!」

可愛らしいクマさんの絵が描かれた色紙に、先生とクラスメイト1人1人のメッセージがギッシリと書かれていた。

――頑張れ!
――向こうに行っても忘れないでね!
――絶対CD買います!
――実は好きでした!!

短いものから3行以上使った長いもの、中に大胆な告白も。色とりどりのペンで書かれたメッセージが、私の心を揺さぶる。

「いい友達を持ったな、美穂」

「うん。お父さん、お母さん、みんな。今まで、ありがとうございました! 私、頑張ります!」

パチパチパチと拍手が起きる。でもここは空港なので、他のお客さんもたくさんいるわけで……。



55: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 22:40:24.67 ID:hmA1Na8q0

「あのー、盛り上がってるとこ悪いんですけど、そこに集まられたら他のお客さんが乗れないので、少し動いてくれますか?」

「え? あっ、その……」

見ると両親とクラスメイト以外にも、全く知らない人たちが集まってきていた。えっと、やじ馬さん?

「しし、失礼します!」

恥ずかしくなって顔を隠すように、飛行機へと走る。パシャリって音がしたけど、もしかしたら写メられた?

「う、うぅ。最初からズッコケちゃったよ……」

座席に座ってため息を1つ。本当にこんな私でも、アイドルとして輝けるのかな、プロデューサー?

『俺の信じている君自身を信じて欲しい』

そうだよね、自分自身を信じなきゃね。

轟々と鈍く響く音を立てて、飛行機は動き出す。窓の遠く向こうでは、みんなが手を振っている。
私は彼女たちに答えるように手を振り返す。

何度も何度も、見えなくなっても私は手を振り続けた。

「大丈夫、私は出来るんだ!」

バイバイ、みんな。私、トップアイドルになって見せます!



56: 3話 美穂/都会へ行く ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:05:40.99 ID:hmA1Na8q0

「えっと、ここで待っていればいいのかな?」

大きな鉄の塊に揺られること1時間半。私は東京羽田空港に着いていた。意外とすぐについて、ちょっとビックリ。
これならいつでも熊本に帰ることが出来る。

手持無沙汰になった私は時計を確認する。プロデューサーが迎えに来るまで、まだ少しだけ時間がある。
少しこの辺りをブラブラしてみよう。

「うわぁ、東京って凄いなぁ」

まるで早送りをしているかのように、人々は行き来する。この中に飛び込んで行ったら、そのまま流されてしまいそう。

「キャッ!」

そんなことを考えながら歩いていたからかな、私は何もないのにつまずいてしまい、すってんとこけてしまう。

「いたた……、頭打っちゃった」

ヒリヒリとする額を抑える。たんこぶは出来ていなくて一安心。

「お客様、大丈夫でしょうか?」

立ち上がろうとすると、手を差し伸べられていることに気が付いた。



57: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:09:21.77 ID:hmA1Na8q0

キャビンアテンダントの人かな、凄く綺麗な人だ。やっぱり都会の女の人って、みんな美人――。

「お客様?」

「あっ、はい! え、えっと、ごめんなさい! だ、大丈夫ですす!」

心配そうにこちらを覗き込むCAさんの顔があまりにも近かったものだから、不覚にもドキってしてしまった。
も、勿論そ、そういう性癖はない……、はず……。

「そ、その! ありがとうございました」

「どういたしまして」

軽く会釈するとCAさんは歩いていった。仕事の邪魔、しちゃったかな。

「でも今の人、本当に綺麗だったなぁ。私と大違いだよ」

青くスラッとした制服を着ているからか、歩いているだけでも凛々しく見える。それに比べて私は……。自信を無くしちゃいそうだ。

あの人もステージに立てば、きっと素敵なアイドルになれるはず。プロデューサーさんも、ああいう人をスカウトすればいいのに。



58: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:10:15.92 ID:hmA1Na8q0

「そんなことないさ。小日向さんには小日向さんの良さがある」

「へ?」

「待たせたね、小日向さん」

「え? プロデューサーさん?」

私の名前を呼ぶ声に振り返ると、そこにはプロデューサーさんが。

「少し早く来ちゃってね。ブラついていたら小日向さんが転んでいるのを見つけてさ」

「み、見てました?」

「あー、うん。バッチリと」

バツの悪そうに私から目を逸らす。

「わ、忘れてくださぁい!」

「うわっ!」

ポカポカと彼の胸を叩く私。自分の顔を見ることは出来ないけど、きっと涙目になっているんだと思う。

「小日向さん、俺としては凄く嬉しいんだけど、人の目があるといいますか……」

「へ?」

ああ、どうして私は自分から目立つようなマネをしてしまうんだろう。ちらほらと私たちを見て笑う声が聞こえてくる。
あっ、今誰か写メった!



59: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:13:54.87 ID:hmA1Na8q0

「う~、どうしてこうなっちゃうかな……」

「あはは、名前が売れれば、これの比じゃないぞ?」

「そ、それなら! 売れなくていいです!」

「それは困るかな。ご両親と約束しちゃったし……」

「そ、そうですよね! ほ、程々に売れます!!」

「それも困るかな、うん」

トップアイドルになるという決意はどこへやら。プロデューサーは面白そうに私を見ているけど、私は結構いっぱいいっぱいだ。

「早速だけど動こうか!」

「は、はいぃ! ま、参りましょう!」

「おーい、そっちは逆方向だよー!」

嗚呼、穴が有ったら入りたい――。ホームセンターでスコップでも買おうか、真剣に悩んじゃいました。



60: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:23:25.01 ID:hmA1Na8q0

――

「えーと、プ、プロデューサー! 今からどちらに向かうんですか!?」

「まず一旦小日向さんの新居を案内しておかないとね。引っ越し作業は終わっているみたいだから、手荷物を置いて事務所に向かうかな。そこで色々とすることが有るんだ」

「す、すること、ですか?」

自分も確認するように、口に出す。

まず社長と事務員さんを紹介しなくちゃいけない。緊張しいな彼女だけど、この2人なら大丈夫だろう。
次に衣装合わせ。これは男の俺じゃなくて、事務員の千川ちひろさんが担当する。
最後にあいさつ回り。昨日まで本当に普通の女の子だった彼女の知名度は当然0だ。だからここでお世話になる皆様へと、小日向さんの顔と名前を売らなくちゃいけない。
作曲家の先生、レッスンを見てくださるトレーナー、宣材を撮ってくださるスタジオのスタッフ。
すべきことは山積みだ。全部終わるころには、2人ともクタクタになっているだろう。

「うん。今日からバリバリ活動していくんだけど、その前に」

「な、なんでしょうか?」

この問題を解決しなくちゃいけないな。



61: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:25:30.19 ID:hmA1Na8q0

「ねぇ、小日向さん」

「は、はい!」

「やっぱり、まだ慣れない?」

「え? 慣れない?」

俺の質問の意図をつかめなかったのか、キョトンとした顔を見せる。
その反応も可愛らしいと思えるのは、彼女の才なのか、俺が入れ込み過ぎているからなのか。

「まっ、無理はないかな。良く知らないような男と2人っきりで車に乗っているんだし」

「あっ、そ、そうですね」

「うっ、そう素で返されたらくるものがあるな」

だけどまぁ、仕方ないことかもしれない。

熊本から出たばかりの少女が、全く知らない東京で、ほんの4日前に出会ったばかりの男と2人っきりのドライブ。
彼女じゃなくても身構えてしまうだろう。



62: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:27:44.68 ID:hmA1Na8q0

それに彼女はかなりの緊張しいだ。恐らくこうやって父親以外の男性と2人っきりになるという経験も少なかったのだろう。

さっきの空港でもそうだった。俺の存在を意識していないときはプロデューサーと普通に呼べるのに、いざ俺を目の前にすると上手く呼べない。
彼女らしくて微笑ましく思えるけど、アイドルとしては落第点だろう。寧ろ強引に自分を売り込める子の方が大成するはずだ。
だけど俺は、彼女をトップアイドルにすると誓ったんだ。雪の上を歩くようにゆっくりでも良い、小日向さんが安心して活動できるように、俺は走り回らないと。

「そうだなぁ。目的地に着くまで結構時間があるし、それまでさ、互いのことをもっと知るってのはどうかな?」

「た、互いのことをもっと知る?」

「そっ。アイドルとプロデューサーってさ、いわば二人三脚で頑張って行かなくちゃいけない。そのためにも、俺は小日向さんのことを知りたいし、俺のことを君に知って欲しい」
「どうかな? 勿論、やましいことなんか聞かないよ? 好きな食べ物だったり、好きなことだったり、他愛のないことをね」

よくよく考えると、俺自身彼女のことをほとんど知らなかった。それで良くプロデュースするなんて言えたものだ。
まあ、これからたくさん知って行けばいいか。

「わ、分かりました! それじゃあ、えーと……」

難しい問題を解くように、少し真剣な表情を浮かべる小日向さん。そこまで深く考えなくていいのに。

「じゃあ俺から聞くね。小日向さんの好きな食べ物は?」

「え、えっと! 私の好きな食べ物は……」



63: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:32:52.64 ID:hmA1Na8q0

「へぇ、そうなんだ。ちょっと意外だったかも」

「そ、そうですか? 友達にもよく言われるんです。それじゃあ私の番ですね」

「さっ、なんでも聞いてくれ!」

「好きな動物を教えてください!」

「動物? そうだな、昔犬を飼っていたっけか」

ラジオから流れる新人アイドル(実はパーソナリティーの1人は小日向さんと同い年だったりする)のラジオをバックに、俺と小日向さんは会話のラリーを続けていた。

最初こそはぎこちなく、恥ずかしそうに答えていた彼女も、俺と話すことに慣れてきたのか、
少しずつスムーズに言葉を紡げるようになっていく。

好きな科目、好きな番組、好きな動物。決して特別なことなどしていないし、気の利いたことも言えない。
だけど俺たちは徐々に距離が近づいている、そう感じていた。

「そうなんですか。私はクマが好きなんです」

「クマが? これまた意外なのが飛んできたな。猫とかが好きだと思っていたけど」

日向ぼっこが大好きな猫は、彼女そっくりだ。美穂にゃんか……。

『は、は、恥ずかしいけど頑張りますにゃん!』

方針としては有りかもしれない。



64: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:36:41.67 ID:hmA1Na8q0

「猫も好きですけど、クマが一番です。赤ちゃんのクマってすっごく可愛いんですよ。ギューってしたいぐらいです!」

「そういや、その服もクマの絵が描かれてるね」

「はい。友達が誕生日にくれたんです」

幸せそうな表情で答える小日向さん。クマと聞くと、どうしても獰猛な動物の代表として出てしまうのだが、
それを口にするのも可哀想なので黙っておく。

そう言えば昔、ヤクザゲーかと思ったらマタギをしていたゲームが有ったっけか。

「そうだな、いつかクマの赤ちゃんと共演できる日が来ればいいね」

「はい! わ、私、頑張りますね! あっ、これ見てください! クラスメイトの皆がくれたんですけど、この絵が可愛いんですよ」

「ははっ、今運転しているから、また後で見せてもらうよ」

「あっ、ごめんなさい……」

手ごたえは十分に感じることが出来た。小日向さんも俺に対して、遠慮がなくなってきている。

そうこうしている内に、新居が近づいてきた。楽しい時間と言うものは、本当に早く過ぎていく。



65: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:37:51.98 ID:hmA1Na8q0

「そろそろ着くから。最後に一つ。小日向さんの好きなことって何かな?」

「私の好きなこと、ですか?」

「そっ、好きなこと」

「私の好きなことは……、笑わないですか?」

伏し目がちに俺を見ると、小声で答える。何か変わった趣向でも持っているのだろうか。

「ん? 笑わないよ。言ってごらん」

「本当ですか? じゃ、じゃあ言いますよ。私、日向ぼっこが好きなんです」

「日向ぼっこ?」

「はい。や、やっぱり、可笑しいですか? うぅ、変な趣味って思われちゃったかな……」

見る見るうちに顔が真っ赤になっていく。

そう言えば、彼女と初めて出会った日も、木漏れ日暖かなバス停で、無防備に寝ていたっけか。
あの寝顔に、俺はティンと来たんだ。

もしも彼女が日向ぼっこをしていなかったら、俺は他の誰かをプロデュースしていたのだろうか。
そんなこと考えても仕方ないか。



66: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:39:31.68 ID:hmA1Na8q0

「変だとは思わないよ。日向ぼっこ、気持ちいいもんね」

「は、はい! 気持ちいいです! そ、その、暖かなお日様の中でのんびりすると、嫌なことも忘れられちゃうんです」
「あっ、わ、私のお勧めはやっぱりあのバス停ですね! 木の間から漏れる陽光が、、眠りの世界へ優しく誘ってくれるんです。こ、今度プロデューサーもどうですか?」

「ッ、あはは!」

「ええ!? わ、笑わないって言ったのに! 酷いです!」

「ご、ごめんごめん……。小日向さんがここまで盛り上がるなんて思わなかったからさ。堪えるのは無理だったよ」

「も、もう! プ、プロデューサーなんか知りません!」

「あ、あはは……。ごめんなさい」

その後小日向さんが顔を真っ赤にして止めてくれるまで、俺はひたすら謝り続けた。
しかし小日向さんがここまで語ってくれるとは驚きだった。日向ぼっこ、恐るべし。

しかし日向ぼっこ、か。彼女のために仕事を取って……、ってそもそも日向ぼっこだけの番組って需要あるのか?

「申し訳ございませんでした!」

「あ、あの。わ、私そこまで怒ってないですし、ってそもそも怒ってなんかないです。なんか、ごめんなさい……」

担当アイドルに謝らせる新人プロデューサー。社長が見ていたら、減給ものだな。



67: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:40:39.88 ID:hmA1Na8q0

――

「さぁ、着いたよ。ここが小日向さんの新しい家だよ」

「は、はい! す、素敵なおうちですね」

「まだ中を見ていないだろ? 高校生のひとり暮らしってことで、あんまり豪華なところではないけどね。」

プロデューサーから荷物を預かり、ドアの鍵を開ける。

「し、失礼します!」

「プッ……! 小日向さん、ここ君の家なんだから、失礼しますは違うよ」

「そ、それもそうですね! えっと、ただいま!」

他の人の部屋を見たことがないから、比べるのもおかしな話だと思うけど、私の部屋は1人暮らしをするには広い方だと思った。
いや、まだ荷物を空けてないからそう見えるだけかな。部屋には梱包された段ボールの山が1か所に纏められている。

「あっ、ここ。お日様が当たるんですね」

「そうだな。日当たりも良く、事務所や学校へもバスがあるから、立地はいい方だと思うぞ」

ベランダに出ると、暖かな陽だまり。洗濯物も良く乾きそうだ。ここに布団を置いたら、気持ちよく眠れる自信がある。

少し遠くを見てみると、緑色のバスが止まっているのが見えた。残念ながら向こうには、ベンチも屋根もないみたいだ。



68: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:45:06.18 ID:hmA1Na8q0

「さてと、ここでゆっくりしていたいのも山々なんだけど、小日向さん。事務所に行こうか」

「あっ、はい!」

いつまでもベランダで暖まっているわけにもいかないみたい。名残惜しいけど、これからいつでも出来るんだから我慢しておく。

キャリーバックを置いて、貴重品とポーチだけを持って部屋を出る。えっと、忘れ物ないよね?

「じゃあ行こうか」

「はい。えっと、……行って来ます!」

返事を返してくれる人はもういない。それはとても寂しいことだけど、私たちは繋がっている。笑顔で私を見守ってくれている。

たとえどんな遠くに行っても、この絆だけは切れることは無いんだから。



69: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:46:40.49 ID:hmA1Na8q0

「さぁ、ここが今日から君の所属する事務所、シンデレラプロだ」

「あのー、社長さんと事務員さんってどのような方ですか?」

「あ、気になる? どちらも優しいくて良い人だよ、小日向さんの活動を、最大限サポートしてくれるよ」

そう言ってもらえて、一安心。もしヤクザさんみたいな人が出てきたら、私は泣いて熊本へと逃げ帰っていたと思う。

「ふぅ、良し!」

緊張で心臓はバクバクと鳴っている。正直言うと、やっぱりまだ怖い。
だけど同時に、新たな出会いを楽しみにしている私もいる。まだ見ぬ2人に不安と期待を抱いて、事務所の扉を開けた。

「ただ今戻りました!」

「し、失礼します!」

事務所の中へ一歩踏み出す。靴1つ分ぐらいの小さな一歩だったけど、私にとっては月に降り立った一歩よりも、大きな一歩だ。

「ほう、彼女が……」

「あら、プロデューサーさん。それに、美穂ちゃんですね。ようこそ、シンデレラプロへ!」

「は、はい! こ、こ、小日向美穂です! き、今日からお世話になります! よろしくお願いいたします!」

なんと言ったかは覚えていない。その時私の頭の中は真っ白だったから。
嫌われないかな?
変な子と思われないかな?
色々心配していたけど、口に出すと消えてしまった。



70: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:49:21.49 ID:hmA1Na8q0

「うむ、元気があっていい子だ! 君を信じて良かったよ、プロデューサー君」

「そうですね、社長。2人とも、もっとこっちに来ませんか? 今お飲み物入れますね。プロデューサーさんはコーヒーですよね? 美穂ちゃんはコーヒーと紅茶、どちらが良いですか?」

「えーっと、じゃあ紅茶でお願いします」

「分かりました! じゃあ美穂ちゃん、少し座って待っていてくださいね」

事務員さんは人懐っこい笑顔で私を座らせると、棚からティーセットを取出し、慣れた手つきでお茶を煎れる。

「はい、どうぞ」

「すみません、わざわざ。いただきます」

「あ、ありがとうございます。えっと、いただきます」

プロデューサーさんがカップに口をつけるのを確認して、私も真似るようにカップを口に近づける。
ふんわりと甘い香りが鼻を通っていく。何の香りだろう。

「美味しい……」

私はお茶のことに詳しいわけじゃないけど、この紅茶が美味しいということだけは分かる。
元々の美味しさもあると思うけど、やっぱり煎れてくれる人の技量が高いのかな。私が今まで飲んだ紅茶の中で、一番美味しい。

「ふふっ、ありがとうございますね」

事務員さんは相変わらずニコニコと笑っていて、それに釣られて私も頬が緩んでしまう。



71: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:51:13.86 ID:hmA1Na8q0

良く見ると胸に手書きの名札が。えっと、ちひろ?

「あっ、自己紹介が遅れましたね。私、この事務所で事務員をしている千川ちひろです」

「そして私がこの事務所の社長の、――だ。分からないことが有れば、なんでも聞いてくれ」

ちひろさんと社長か。うん、プロデューサーさんが言っていた通り、優しそうな人で良かった。

だけど1つ、ちょっとした疑問が。

「え、えっと、1つ聞いていいでしょうか?」

「うむ、何でも聞きなさい」

「私以外のアイドルさんって、いないんですか?」

そう、今この事務所には私を合わせて4人しかいない。もしかしたら今仕事中の先輩がいるかもしれない。

だけど事務所内を見渡してみると、とてもそんな形跡はない。それどころか、本当に芸能事務所か尋ねたくなるぐらいだ。

「もしかしてプロデューサーさん、説明してなっかったんですか?」

「うっ、そう言えば出来たばかりとしか言っていませんでしたね……」

ちひろさんの質問に、プロデューサーさんは苦い顔をする。えーと、まさかこれって……。



72: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:54:53.12 ID:hmA1Na8q0

「す、すみません。こ、これってつまり……」

「君の考えている通りだよ。わが社の所属アイドルは、」

その続きは聞きたくない!! 普段信仰しない神様に祈ってみる。
だけど、現実はなんと残酷なことか。社長の言葉は、私の一縷の望みを破壊してしまった。

「……小日向君、君一人だ」

「えっと、その……。大丈夫! 小日向さんならいけるって!」

「そ、そうですよ! ほら、美穂ちゃんだけだから、仕事を独占ですよ!!」

仕事独占かぁ。それはとても嬉しい話……。

「え、ええええええ!?」

分かってはいたけど、お約束のように悲鳴を上げる。

お父さん、お母さん、クラスの皆。私のアイドルライフは、前途多難です。



73: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:55:55.07 ID:hmA1Na8q0

「その、すまん! ちゃんと説明していなくて……」

「い、良いんです! プ、プ、プロデューサーさんが悪いって訳じゃありませんし……、それに確認しなかった私も悪いんですから!」

「いや、これは俺が悪い!」

「そんな! 私が悪いです!」

1人では出来ないこと、みんなとならば出来ること。いつだったかそんな歌があったっけ。
だけど今私が置かれている状況は、まさに一人ぼっち。流石にこの展開は予想もしていなかった。

自分たち以外に人がいてもお構いなしに、私とプロデューサーは互いに謝罪の応酬を繰り広げる。
私が悪い、俺が悪い。どちらも折れずに平行線。

「あー、2人とも良いかね?」

「「は、はい!」」

そんな私たちの不毛なやり取りを、社長さんが鶴の一声で終わらせる。優しそうな人だと思ったけど、
やっぱり社長と言うだけあって貫禄が凄い。

「コホン。この事務所は新しく設立したばかりの事務所でね。言ってしまえば0からのスタートを切るということなんだ」

「わ、私が第一号ってこと、ですか!?」



74: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:57:54.98 ID:hmA1Na8q0

「うむ、この事務所として最初に売り出すアイドルは、他でもない君だよ」

言ってしまえば、それは個人事務所と同じこと。この事務所も、社長さんもちひろさんもプロデューサーも、私一人のためだけに動いてくれる。
それは、なんと贅沢な話だろう。

「責任重大、と思っているのかね?」

「え?」

まるで私の心を覗いているかのような社長の言葉。こんな状況に立たされて責任を感じるななんて、無理な話だ。

「確かに、この事務所の存続は君にかかっているだろう。嘘をいくら言ったところで、その事実は変わらない。だが」

社長は優しい目で私を見て続ける。

「彼が信じた子だ。大丈夫、君ならトップアイドルになれる。輝くステージで新たな時代を切り開くことが出来る。私も確信しているよ」

「で、でも私は……」

きっと最後のチャンスだ。ごめんなさい、そんなの無理です――。
どうしてだろう。そう言うことも出来たはずなのに、私は口にしたくなかった。
弱音を吐かないように、口を強く噤む。

「小日向さん、俺は君となら出来る。――そう信じている」

「プロデューサー……」



75: ◆CiplHxdHi6 2013/01/21(月) 23:59:06.42 ID:hmA1Na8q0

初めて出会った時から、そう自信満々に答えるプロデューサー。本当に、どこからそんな自信が来るんだろう。

「私もそう思いますよ。大丈夫ですよ、美穂ちゃん!」

「この事務所の歴史をさ、作って行かないか? シンデレラプロを大きくするんだ。そうすれば後輩たちも出来る」
「それに、アイドルはこの事務所だけじゃないさ。群雄割拠のこの時代、いくつもの事務所があるし、色々なアイドルたちもいる。君と同世代の子から、小学生まで幅広くね。ライバルも仲間もいる、君は1人じゃないよ」

1人じゃない――。私には応援してくれる皆がいる。夢を託してくれた両親がいる。そして何より、
こんな私を信じてくれる人たちがいる。それだけで十分だ。

大丈夫、私は変われるはず。

「おっ、良い目をしているね。気合は十分ってところかな?」

「はい! わ、私ここで頑張ります! トップアイドルになります!!」

「良く言った! 目指せトップアイドル!」

きっとうまくいく。どうしてかと聞かれても答えられないけど、なんとかなるんだ。
そう思えたのは、ちょっとした進歩なのかな。



76: ◆CiplHxdHi6 2013/01/22(火) 00:04:09.86 ID:xv/jrWvY0

「それじゃあ美穂ちゃん、今から衣装合わせしましょうか」

「え? 衣装合わせですか?」

ちひろさんはいつの間にか数着の衣装を持ってきていた。今からこれを着るのかな?

「それでは今から着替えますので、社長とプロデューサーさんはしばらく出ててくださいね! さてと、美穂ちゃんは脱ぎ脱ぎしましょうね!」

「え? きゃあ!」

プロデューサーと社長を強引に外に追いやると、ちひろさんは私の服を脱がせ始めた。
素肌に触れる彼女の手は不思議と暖かく、心地よい……、って何を考えているの私!?

「それじゃあまずはこの服を着ましょうか」

「あ、あの! 服ぐらい自分で着れます!」

そうでも言っておかないと、ちひろさんに着せ替え人形みたく遊ばれてしまっていただろう。
流石にこの状態は寒いので、受け取った服を着てみる。



77: ◆CiplHxdHi6 2013/01/22(火) 00:05:57.62 ID:xv/jrWvY0

「まぁ! とても似合ってますよ」

「そ、そうですか?」

「鏡を見てみましょう! ほら!」

明るい口調の彼女に促されるまま、大きな姿見を見る。

「こ、これが私?」

「はい! 社長とプロデューサーさんも呼んできますね」

鏡には、不安そうな顔をして、とてもじゃないけど外で歩くには恥ずかしそうな、
だけど可愛らしいピンク基調の服を着た私が映っている。

「ほう、なかなか様になっているじゃないか」

「そ、そうですね……」

うんうんと頷いている社長の隣で、何故かプロデューサーは恥ずかしそうにこちらを見ている。

「あ、あのー。プ、プロデューサー? ひょっとして、に、似合ってませんか?」

「い、いやそう言うんじゃなくて」

そうは言うけど、妙に歯切れが悪い。どうかしたのかな……。



78: ◆CiplHxdHi6 2013/01/22(火) 00:09:02.76 ID:xv/jrWvY0

「美穂ちゃんが可愛いから、見惚れてるんですよ!」

「ええ!?」

「なっ! ちひろさん! 変なこと言わないでください!」

「か、可愛いですか……?」

どうやら図星だったようで、プロデューサーの顔もみるみる赤くなっていく。
彼は私から目を逸らそうとするも、ちらちらとこっちを見ている。却ってそっちの方が恥ずかしいです。

「でもプロデューサーさんも良いと思いませんか? 美穂ちゃんにピッタリですよね」

「そ、そうですけど……」

「ならば良しってことで! さぁ、お2人は出てってくださいね! 今から着替えますから」

「ま、まだ有るんですか?」

「こっちが良いかなぁ?」

「き、聞いていますか!?」

男性陣を追い出し、ちひろさんは鼻歌を歌いながら、服を選んでいる。私の言葉も耳に入っていないみたいだ。

ちひろさんプレゼンツの小日向美穂改造計画は、プロデューサ-が次に入っている予定を思い出すまで続いた。



79: ◆CiplHxdHi6 2013/01/22(火) 00:11:12.89 ID:xv/jrWvY0

「はぁ、疲れたぁ……」

あの後、時間がギリギリになっていることに気付いたプロデューサーは、私を連れて今後お世話になる方々へのあいさつ回りに向かった。
ついさっきまでテレビ局やスタジオを回っており、家に着いたのは22時過ぎだ。
夜も遅く危険なため、プロデューサーに送って貰えたんだけど、プロデューサーはこの後もまだ仕事があるみたいだ。

「アイドルって大変だなぁ……」

シャワーも浴びずにそのままベッドに吸い込まれていく。まだ本格的に活動が始まっていないのに、この疲労感。
その上明日からは学校もある。学業と仕事の両立については特に言われなかったけど、
それは言わなくても分かるよね? って意味だと思う。

アイドル活動のせいで学生の本分である勉学がおろそかになっちゃ、本末転倒だもんね。

「今日はお疲れ様でした。お仕事頑張ってください、と」

今もどこかで汗を流しているであろうプロデューサーにメールを送る。
絵文字もないようなシンプルなメールだけど、私の気持ちが伝わってくれたらうれしいな。

「シャワー、浴びなきゃ……。すぅ」

立ち上がろうとするも、柔らかく暖かな布団の誘惑には勝てず、私はそのまま意識を失っていく。
こうして私の東京デビューは、あっちにこっちにドタバタしながらも幕を閉じた。



83: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:24:07.59 ID:HK3OE0J80

「って昨日シャワー浴びてないんだった!」

朝起きてすぐに、昨日そのまま寝ていたことを思い出し、慌ててシャワーを浴びる。勿論風邪をひかないように念入りに体を拭く。活動を初めて、いきなり体調を崩すようじゃダメだもんね。

「行って来ます!」

自炊をしなさいと言われてもいきなりは無理だった。買いだめしていた菓子パンで朝ご飯を済まして、
私は新しい学校へと向かう。

今度はどんな出会いがあるのだろう?

学校行きのバスに揺られていると、プロデューサーからの返信が来ていることに気付く。受信時刻は深夜2時。
それまで頑張っていたのかな?

『ありがとうな、小日向さんも大変だと思うけど、一緒に頑張ろうな』

「あっ、可愛いかも」

私のために選んでくれたのか、文末には可愛らしいクマさんの絵文字。それを見て私はホッコリする。



84: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:31:19.02 ID:HK3OE0J80

「えへへ」

携帯電話を見て頬を緩ませる女の子。周囲の人は、恋人からのメールを見ているとでも思うのかな。

「あっ、降ります!」

メールをずっと見ていたからか、バスが学校についていたことに気付かなかった。
気付いた時にはもう遅い、バスは次の停車駅へと向かっていく。

幸い次の停車駅が歩いて2分程度の場所だったから、なんとか遅刻せずに済んだ。


「え、えっと! 小日向美穂です! そ、その! よろしくお願いします!」

新しいクラスは3年2組。あと3カ月ほどで卒業だというのに、急にやって来た転校生にクラスの皆は不思議なものを見るような目で見ていた。
私と言うとやはり癖はそう抜けず、緊張と恥ずかしさのあまり碌に自己紹介が出来なかった。

馴染めなかったらどうしようという私の心配とは裏腹に、転校生の宿命と言うべきか、
休み時間私はクラスの皆に取り囲まれた。



85: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:33:03.78 ID:HK3OE0J80

「ねえ小日向さんってアイドルなんでしょ?」

「え、ええ? ど、どうして知っているんですか!?」

「ふっふっふ、都会の情報力舐めちゃいけないよ? ってのは冗談で、昨日先生から聞いていたんだ。明日から転校生が来る、しかもその子はアイドルになるため上京してきた子だってね」

「そっ。だからみんな食い入るように見ていたんだよ。アイドルって言うからどんな可愛い子が来るんだろうって。学校中その話題で持ちきりだったよ?」

「しかしこの学校もすごいね。まさかアイドル2人目とは」

え? 2人目?

「わ、私のほかにもアイドルさんがいるんですか?」

「あっ、先生から聞いてない? まぁ結構忙しいみたいだから、あまり学校に来れてないけどね。今日は来てるんじゃないかな」

「ど、どんな子ですか!?」

「隣のクラスなんだけどさ、多分小日向さんも知っている子だよ。最近CDデビューも果たしたし。おっ、噂をすれば何とやらってね」

目くばせする方向には、ちょっと癖っ毛な黒髪をなびかせながら、駆け足で私の席に向かってくる女の子。
あれ? この子、どこかで見たことあるような……。



86: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:35:24.70 ID:HK3OE0J80

「ねぇ、貴女が小日向さん?」

「は、はい。そうです……」

「? 私の顔に何かついている?」

「し、島村卯月……、ちゃん?」

「ピンポン♪ 新人アイドルの島村卯月です! と言っても、実は芸歴1年ぐらいあるから新人でもないんだけどね。私も名前が売れてきたって事かな?」

島村卯月――。芸能界に入ったばっかりの私でも、彼女の名前は知っている。最近CDデビューを果たした新人アイドルで、私にとっては先輩にあたる人だ。
そう言えば昨日車の中で聴いていたラジオも、彼女がパ-ソナリティーだったっけ。

そんな凄い人が、私と同じ学校、しかも隣のクラスだなんて。何と言う偶然だろう。

「うん、話に聞いていたけど凄く可愛いなぁ。ねえ、美穂ちゃんって呼んでいい?」

「え、ええ?」

「美穂ちゃんは熊本から来たんだっけ? 私あんまり知らないんだけど、熊本ってどんなところ?」

「え、えっと……ば、馬刺しが美味しいです」

「馬刺し? うーん、お父さんは好きだけど私はあまり食べてことないかなぁ。今度分けて貰おうっと。他には他には?」



87: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:41:08.84 ID:HK3OE0J80

「そうだ! 熊本弁ってどんなのかな? ばってんとか?」

「え、あの……。その……」

戸惑う私をよそに、島村さんは話を続ける。

「うーづーき、落ち着きんしゃいな」

「あっ、ゴメン。同じ学校にアイドルの子が来るって言うもんだから、少し興奮しちゃって……」

私の顔に困惑の表情が浮かんでいたのだろうか、島村さんはバツの悪そうな顔を浮かべる。

「こらこら。嬉しいのは分かるけど、卯月のペースで話し過ぎなのよ」

「あ、あははは……。気に障っちゃった?」

「い、いえ! 大丈夫です、問題ありません! え、えっと熊本は、ラーメンもあります。熊本ラーメンは凄く美味しいです!」

折角話題を振ってもらったのに、英文をそのまま訳したような事しか言えない自分がそこにいた。
こういう時、歌うように言葉を紡げる人が羨ましくなる。
次振られた時に同じ踵を踏まないよう、熊本について勉強しておいた方がいいかも。よくよく考えると、今まで住んでいた町のことをほとんど知らないでいた。



88: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:42:05.99 ID:HK3OE0J80

「熊本ラーメンか。そういうのもあるんだ。今度学食のおばちゃんに作って貰おうかな」

「いくらあんたの注文でもそれは無理だっつ-の!」

「あだっ! 頭を叩くなんて酷いよー!」

涙目の島村さんを中心に、ドッと笑いが起きる。

「ホント酷いと思わない? 私一応アイドルだっていうのに、この仕打ち。芸人じゃないのにさ。美穂ちゃんからも言ってあげてよ! 卯月ちゃんをもっと労わろうって!」

「え、えっと……、でも楽しそう、かな」

「そんなー! あだっ! だから叩かないでって! スリッパは勘弁!」

「ふ、ふふふ!」

目の前で繰り広げられるコントのような光景に、思わず笑いが生まれてしまう。

「美穂ちゃんも笑ってないで助けてよー!」

「あはは、ごめんなさい、可笑しくて……」



89: >>83~ 4話 フォレスト・ガンプのチョコレートボックス ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 00:58:23.75 ID:XZXluIZA0

「はぁ、芸能人と言うのは辛いものだなぁ。でも、美穂ちゃんの笑顔が見れたからよしとしますか!」

「え?」

島村さんは眩いばかりの笑顔を私に向ける。こんな素敵で楽しい笑顔が出来る人っていたんだ。

「美穂ちゃんさ、凄く良い笑顔をしていたよ。疲れなんか吹き飛んじゃうような、癒し系ってやつかな?」

「あんたにはない要素よね」

「だからそういうこと言わないでよ、もう! あっ、話を戻すね。アイドルになったばっかりで凄く不安かもしれないけど、その笑顔が有ればみんなを虜に出来るよ! 私が保証してあげる!」

「島村さん……」

「あー、ダメだよ。島村さんなんて。服屋の名前みたいで結構気にしてるんだからね。卯月ちゃんって呼んでくれるかな?」

「は、はい! えっと」

「ハイじゃなくてうん! 敬語とか使っちゃダメ!」

「でも、しま卯月ちゃんの方がデビューが早いから」



91: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:04:05.61 ID:XZXluIZA0

「そんなの、たかだか12ヶ月程度だよ? カレンダー12枚めくっただけじゃん。それに、私も同世代のアイドル友達欲しかったし! 今組んでいる2人って年下コンビだからさ。お姉さんは辛いのですよ」

「凛ちゃんだっけ? 黒髪の子の方がアンタより数倍大人びてるけどね」

「もう! これでも頑張ってるの! だから、タメ口で良いよ。クラス隣なんだしさ」

「う、うん。分かった、卯月ちゃん」

「美穂ちゃん、私たち友達だからね。アドレス交換しようよ」

「あっ、うん。ちょっと待って」

卯月ちゃんとアドレスを交換すると、私も私もと行列が出来ていた。途中でチャイムが鳴ってしまったため、
後ろの人まで回らなかったけど、この学校の皆も私を受け入れてくれた。卯月ちゃんと言う心強い仲間が出来た。
携帯電話のアドレス帳には、新しい名前がたくさん。まだ顔は憶えれていないけど、これから憶えて行かないと。

「そうだ、みんなにもメールしなきゃ」

不意に熊本の皆の顔が浮かんでくる。みんな元気しているかな? 
昨日別れたばかりなのに、もう数ヶ月会っていないかのような錯覚さえ感じていた。




92: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:07:54.30 ID:XZXluIZA0

「私は元気にやってるよ、っと」

新たなクラスの皆と卯月ちゃんと撮った写真を添付して、送信。

『卯月ちゃんじゃん! 今度帰ってきた時はサインお願いね!』

送ってすぐに返事が返ってくる。どんなに離れていても、熊本の皆との思い出は色褪せないし、
これからも紡いでいける。でも今は、こっちの生活に慣れないと。

「うん、頑張ろう!」

東京での生活も、何とかなりそうだ。



93: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:09:30.27 ID:XZXluIZA0

「へぇ、島村卯月が同じ学校だったんだな」

学校が終わると私はバスに乗って事務所へと向かった。今日の予定は、人生初のレッスンだ。
プロデューサーの車に乗ってレッスン場へ向かう。

「はい。凄く可愛い子で、笑顔が素敵なんです」

「あの笑顔は人気があるからなぁ。お、そろそろかな。小日向さん、テレビつけて御覧」

「? はい」

プロデューサーに言われるままテレビをつける。映し出された小さな液晶の中には、3人の女の子。

その中の1人を、私は知っている。

「う、卯月ちゃん!」

テレビに映る卯月ちゃんは、あの眩しい笑顔を見せてステージに立つ。バックの2人は卯月ちゃんの言っていた年下のユニットメンバーかな。
卯月ちゃんよりも大人びている黒髪の少女と、子供っぽさが抜けきっていない元気そうな子。
この2人も、私より先にデビューしたってことだよね。

「~♪」

「わぁ……」

テレビから流れてくる可愛らしい歌声、見惚れてしまうようなパフォーマンス。私は彼女たちに心を奪われてしまった。
これが本当に数か月前にデビューしたばかりの子たちなんだろうか?
彼女は本当に、クラスの皆に弄り倒されていた卯月ちゃんなんだろうか?

もしこれを生で見ていたのなら、溢れんばかりのパワーに圧倒されていたと思う。



96: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:25:28.78 ID:GubJlyN50

「どうだい、凄いよな。彼女たちも小日向さんと同じように、数か月前にデビューしたばかりなんだ」
「New Generation Girls、略してNG2。デビュー以来飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍している、アイドル界の超新星だ。まだまだ完成度は荒削りだけど、3人の持つパワーがファンを魅了し続けている。今最も勢いのあるユニットだね」

「やっぱり卯月ちゃん、凄いんだ」

それに比べて私は、とネガティブな感情が生まれそうになる。私一人だけだったなら、
きっと心が折れていたかもしれない。

でも――

「凄いさ。ここに立つまでどれだけ努力したか、想像もつかないな。だけどさ、小日向さんも負けちゃいない。君には君の良さがある。だから、これから目いっぱいレッスンして、歌を出して、追い付いてやるんだ。いや、追い越してやろう!」

「は、はい!」

でも私は1人じゃない。卯月ちゃんに負けないぐらい、素敵な仲間がいるんだから。

「そうそう、NG2だけど、実はもう1つ、あだ名が有るんだとさ。と言っても、彼女たちのモットーみたいなもんだけどね」

「そうなんですか?」

「トライエイト。本当はそう言う名前になるんだったとか」

「どういう意味です?」

トライ……挑戦だよね? エイトは8?



98: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:36:38.47 ID:R8BCImKC0

「アイドルアカデミー大賞とアイドルアルティメイトって知ってる?」

「は、はい! それは私でも知ってます」

アイドル駆け出しの私でも、それは知っている。ただどう違うかと聞かれると、答えに困ってしまうけど。

「簡単に説明すると、アイドルアカデミー大賞――IAは5つの部門賞と、対象の6つが有るんだ。部門賞と言うけど、簡単に言うと地域ごとでの活躍を評価される、いわばローカル賞ってとこかな。大賞はそれと別に、色々と条件が有るらしいけど、詳しくは知らないんだ。ノミネートされるためにも、CDの売り上げランキング20位以内など結構厳しいんだ」
「アイドルアルティメイト――IUもニュアンスとしては似ているけど、こっちは予選を勝ち進んでいく、トーナメントみたいな感じかな。昔は世界一のアイドルを決める大会だなんて言われていて、予選や本選で敗退すれば、敗者の汚名だけが残って引退するアイドルも少なくなかったとか。最近はIAに押され気味だけど、こちらも由緒ある番組だ」

「はぁ……」

なんとなくは理解できたけど、それが8とどういう関係が有るんだろう。今のところ7つしかないけど……。

「で、最後にこれは先の2つとはカラーが違うんだけど、新人賞のようなものだな。それら8つすべてに挑むということで、トライエイトだとさ」

「卯月ちゃん達、本当にすごいんですね……」

ただただそんな感想しか思い浮かばない。私が思っている以上に、彼女たちは必死で頑張っているんだ。

「それと、8が3つって意味もあるんだ」

「8も3つ? どういう意味ですか?」



99: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:43:16.75 ID:CXYzUeKC0

「ああ、これはどうなんだろうと思うけど……。3人のカラーが、朝、昼、夜ってなっているんだってさ」

「朝昼夜?」

「そもそも1日を3等分したところで、朝昼夜になるってのも変な話だけどね。服とか本人のキャラクターがそれを表しているんだとさ」

本人のキャラクターか。卯月ちゃんは……、

「朝かな? 卯月ちゃんは」

「正解。言われなきゃわかんないけどさ。ちなみに、昼は本田未央、夜は渋谷凛ってとこかな。俺も実際に会ったわけじゃないけど、番組とかのインタビューを見る限り、納得はできたかな」

「トライエイトか……」

「彼女たちは欲張りにも、全部狙おうとしている。かつて伝説と呼ばれたアイドルもいたけど、彼女が活動していた時期はIUだけだったからね。8つとも制覇するとなると、それはもうこの世界に未来永劫名前が刻まれる。銅像が建つレベルだよ」

いつか彼女たちとも戦わなくちゃいけない日が来るのだろう。私は、本当に行けるのだろうか――。

「ううん、行ける!」

何度だって言ってやる。私は1人じゃない。



100: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:44:28.79 ID:CXYzUeKC0

レッスンスタジオに着いた私は、更衣室でジャージに着替えて、トレーナーさんの指示に従って体を動かす。

「ワンツーワンツー!」

「はぁ、はぁ……」

「はい、そこまで!」

「ぜぇ、ぜぇ……」

「うーん、動きが悪いわけじゃなんだけど、体力が足りてないですね」

「そうですね。実際には歌いながらやっているわけですし、もっとハードですよね」

――分かってはいた。事務所の皆は優しくて、学校の皆も私を受け入れてくれて、アイドルの友達も出来た。
滑り出しこそは順風満帆に見えたけど、当然厳しいことも辛いこともあるって理解していた。

だけど心のどこかで、体育の延長だと甘い考えを抱いていたのかな、ダンスレッスンがここまで大変な物とは、思ってもいなかった。
きっとボーカルレッスンとビジュアルレッスンも同じぐらい、下手するとこれ以上に厳しいかもしれない。

「お疲れさん、はいスポドリ。あっ、一気飲みはするなよ? 却って疲れるからな」

「あ、ありがとうございますぅ……、ふぅ」

息も切れ切れな私に、プロデューサーはスポーツドリンクを渡す。言われた通り、キャップを空けて少しだけ飲む。
うん、美味しい。



101: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:46:21.82 ID:CXYzUeKC0

「ふぅ、少しだけ回復しました」

「あんま無茶するなよ? と言っても、多少無茶をしてほしいというジレンマがあるんだけどな」

プロデューサーの言いたいことも分かる。無茶してでも頑張らないと、私は彼女たちと戦うことすら出来ないんだ。

「さてと、レッスンのプログラムを変えないと。小日向さんに今足りないものは、ズバリ体力」
「まぁ最初からダンスレッスンについてこれる子なんてそうそういないんですが、小日向さんの場合は特に顕著で、体育以外で体を動かしたことがほとんどないみたいですし、まずは体力づくりを中心にしていきましょう」

これまでしてきた運動らしい運動と言うと、家の周りを散歩するぐらいだ。
こんなことならもっと体育に積極的に参加しておくべきだったな、と少し後悔。

「ですので!」

「ですので?」

「近くに公園があるんですけど、そこを1周。それから始めます」

近くの公園ってあの公園のことかな? ここに来る途中見えたけど、結構広かった気がする。

「皇居ランってやつですか」



102: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:47:10.30 ID:CXYzUeKC0

「皇居?」

「あー、小日向さんは知らないのかな。皇居外苑」

「えっと、名前ぐらいは」

たまにニュースとかで見たことが有る。ジョギングをしている人が多かった記憶があるけど、
そこを走ってくるのかな。

「確かこの後は予定がなかったはずですよね、プロデューサー」

「ええ、そうですね。学校帰りと言うこともあって、複数のレッスンを受ける時間もなかったんで。それに今日は初日なので、ゆっくりと慣れていこうと考えていましたから」

「ちょうどいいです。小日向さん。時間をかけても、途中でウォーキングを混ぜても構いません。とにかく皇居外苑を1周走って来てください。それで今日のレッスンは終わりです」

「わ、分かりました!」

「よし、行ってこい!」

プロデューサーに背中を押されるように、私は外へ――。



103: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:48:44.30 ID:CXYzUeKC0

「いい返事ですね。ですが、プロデューサー。走るのは彼女だけじゃありませんよ」

「へ? 俺?」

ハトが豆鉄砲を食らったような間の抜けた顔のプロデューサーを、トレーナーさんは冷ややかな目線で見ていた。

「当然です。何担当アイドルだけに走らせようとしているんですか! あなたも一緒に走ってきてください! 終わったら連絡くださいね」

「え、マジですか? 俺今スーツなんですけど」

「マジです。大マジです。ジャージ貸しますから着替えてくださいね。はい、行ってらっしゃい!」

トレーナーさんに背中を蹴飛ばされるかのように、御揃いのジャージに着替えさせられたプロデューサーと私は、皇居外苑へと向かう。

「俺途中で倒れたりしないかな……」

「あはは……」

走る前から浮かない顔のプロデューサー。彼も運動は苦手なのかもしれない。少し親近感が湧いた。



105: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:50:24.88 ID:CXYzUeKC0

――

「お、おーい……。小日向さぁん、生きてるかぁ?」

「な、何でしょうかぁ、プロデューサー……、はぁ、はぁ」

皇居外苑1周5km。20歳を超えた身には中々キツイものがあった。運動不足なのは小日向さんだけじゃなくて、俺もだった。
これは明日筋肉痛コースだろうな……。

途中歩きつつ、子供に追い抜かされつつもなんとか5kmを走り終えた俺たちは、まさに満身創痍と言う言葉がしっくりきた。
立つこともままならず、木の下で2人して寝ころんでいるのだった。

「そう言えば、終われば連絡くださいって言ってたな、あの人。えーと、トレーナーさんトレーナさんっと」

「あ、トレーナーさんですか。今、走り終えました。へ? これを毎日しなさい? そ、そんな殺生な! ちょ、切れてしまった……」

「い、今毎日って言いましたか?」

「そ、そうみたいです、はい。毎日30分、走りなさいと」

ああ、なんと言うことだろう。1日の1/48はジョギングに費やされることが決定してしまったのだった。



107: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:53:45.99 ID:3pUpAZcC0

「が、頑張って体力をつけきゃあ!」

「小日向さん!?」

小日向さんは立ち上がろうとするも、まだ足に疲れが残っているのか、膝から崩れ落ちる。

「え、えへへ……。まだ足元がおぼつかない、のかな」

「大丈夫? 怪我してない!?」

「だ、大丈夫です。こんなに走ったのって、初めてですから。プロデューサー、も、もう少しだけこうやって寝ころんでいませんか?」

そう言って小日向さんはゆっくりと目を閉じる。日向ぼっこならぬ、夕日ぼっこってとこだろうか。
まだ紅く色づいていない葉が風に揺られて、小日向さんの顔に落ちるも、気づいていないようだ。羽と言い、何かと落ちてくるな。

「そうだな。実を言うと俺も結構来ているんだ。だからゆっくり……」

「すぅ、んにゅう」

「していてね、小日向さん」

木々の合間から見え隠れする夕日に照らされて眠る彼女は、それはもう可愛くて可愛くて。
このまま時間が止まればいいのに、そう思えるほどだった。

「やっぱ俺、入れ込み過ぎかな……」



108: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:56:55.85 ID:3pUpAZcC0

勿論担当するアイドルが世界一可愛いと信じていないと、この業界を歩いていけないだろう。
それでもだ。初めてのアイドルに入れ込み過ぎてないだろうか?

「距離感がうまく掴めないな」

遠からず近からず。プロデューサーとアイドルの距離は、男女の友達同士と同じと言うわけにもいかない。

「すぅ……」

俺の悩みをよそに、小日向さんは可愛らしい寝息を立てて夢の中。隣で寝転がると、俺まで眠ってしまいそうだ。

「そうもいかないんだけどさ」

俺たちに止まっている時間なんかない。だけど今は、こうやってゆっくりしていても誰も怒らないはず。

「プロデューサーさん、流石ですぅ……」

「どんな夢を見ているんだろう」

流石とまで言われる夢の中の俺はどんな奴なんだろう。出来ることなら、現実の俺よりもしっかりしていて欲しいものだ。
夢の中ぐらい、彼女に不自由をさせたくない。

「俺もしっかりしなきゃなぁ」

起きている彼女に認められるプロデューサーになる。当面の目標はそれにしておこう。



109: ◆CiplHxdHi6 2013/01/23(水) 01:57:35.71 ID:3pUpAZcC0

「ん、んん? 私、寝てたのかな……」

「おはようさん。いや、おそようって言った方が正しいのかな」

「い、今何時ですか?」

「あー、7時まわっちゃったかな」

「す、すすみません! 私寝すぎちゃって……」

「気にしなくていいよ。良いものも見れたし」

「い、良い物? な、なんですかそれ?」

「教えなーい」

「き、気になっちゃうじゃないですかぁ!」

「あはは、ごめんごめん。そうだ、小日向さん。晩御飯食べて帰らないか? 初レッスンお疲れ様ってことで、好きなものご馳走するよ。もちろん、俺の財布が許す限りね。東京グルメを案内するよ」

「そ、そうですか? じゃ、じゃあ! 前テレビでやっていたんですけど……」

なんとか誤魔化せたかな。携帯で時間を確認するふりをして、画像ファイルを見る。

幸せそうな寝顔を見せるお姫様がそこには写っていた。



114: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 14:28:31.38 ID:3OVXkzW40

「はぁ、はぁ……」

「ふぅ、疲れた……。小日向さん大丈夫?」

「え、ええ。5分だけ休ましてください」

「そうだな、その後レッスン場へ向かうか」

「は、はい!」

初レッスンの日から2週間、私たちは1日たりとも休まず皇居外苑を走っていた。
走り始めた頃は、1周した後にはもうヘトヘトで、次のレッスンに行くような体力は残っていなかったけど、
徐々に体力がついてきたのか、息が切れることも少なくなってきた。

むしろジョギングを楽しむ余裕が出来てきたと思う。暖かな日差しの中、風を切って走る。実に気持ちいい。

「ふぅ……、やっぱりここは落ち着くなぁ」

走り終わった後、芝生に寝転がる。心地よい疲れの中、私は木漏れ日を体いっぱいに浴びていた。

「光合成をしているみたいだ」

なんてプロデューサーは茶化すけど、成程あながち間違っていないかもしれない。麗らかな光の中で、疲れを癒す私の姿は花のようにも見えるのだろう。
出来るなら、可愛らしい花が良いな。



115: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 14:30:50.78 ID:3OVXkzW40

「さてと、時間だ。いつまでもゆっくりしたい気持ちは分かるけど、今日もレッスンを頑張ろう。特に今日のレッスンは、1週間学んだことをどれだけ活かせているかもチェックするテストでもあるな」

「テスト、ですか」

「そっ。そろそろレッスンだけじゃ飽きてて来ただろ?」

「い、いえ! そんなことないですよ」

とは言うものの、彼の言うように新しいステップへと踏み出したい、と考えている私がいるのも事実。
まだまだ早いと思うし、出過ぎた真似をと言われても仕方ないと自覚しているけど、それだけ活力が有り余っているんだ。

今の私は、結構ハイな気分だ。

「で今日のテストの結果では、CDデビューを早めることになる、そう考えておいてくれ」

「ええ!? シ、CDデビューですか?」

「ああ、突貫工事みたいに感じるかもしれないが、小日向さんは良くやってくれている。だからここらで、お茶の間に出てやろうってわけ」

いつか来るだろうと身構えていたCDデビュー。1か月先か2か月先か、はたまた1年後かと考えていたから、まさか所属して2週間でそんな大きな話がやってくるとは思ってもなかった。
やっぱり芸能界はスピードが違う。すると決めたら即実行、それがこの世界で生きていく秘訣なんだと思う。



116: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 14:36:48.21 ID:b1SlOW8T0

「で、でも早くないですか?」

「まっ、そうかもしれないな。だけど実際には振り付けや歌詞を覚えて、何より発表の場を自分の手で掴まないといけないから、結構時間がかかるんだよな。新曲を発表して、ランキングに入るのが4週間後ってとこだな」

「自分の手で掴む、ですか?」

「ああ、社長からも説明はあったと思うけど、オーディションに参加して勝つことで、楽曲を披露する場を作ることが出来るんだ。ファンを増やすには、何よりも露出が一番だからね」

「オーディション……」

小学校の頃の学芸会であったっけ。恥ずかしがり屋な私はいつも、木の役Bだったり、村人Dだったり喋らない役ばっかり選んでいた。
だからこういうオーディションと言う物自体、人生初体験だ。

「今日のレッスンはそのオーディションの練習、と思ってくれればいいさ。ダンス、歌唱、ビジュアルを複合的に見る事になるな」

プロデューサーはさらに続ける。

「まぁ実際のところ、一口にオーディションって言っても色々あるんだけどね。バラエティ番組なら審査員との面接があるし、ドラマや映画の場合演技力が試されるんだけど」
「今俺たちが目指しているのは、新人アイドルの登竜門。音楽番組『ファーストホイッスル』。聞いたことないかな」

ファーストホイッスル? 最初の笛?



117: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 14:40:20.45 ID:b1SlOW8T0

「えっと、熊本では映っていなかったと思います」

「あー、そうなのか。関東では人気の番組なんだけどなぁ。で、そこの番組でピックアップされたアイドルの多くは大きな成功を収めているんだ。君の友達の卯月ちゃんもこの番組で華々しくデビューしたんだ」

「卯月ちゃんも、ですか?」

「そう。彼女の今の活躍も、この番組で取り上げられたってのが大きいかな。とはいえ、当然競争倍率は激しい。初参加で合格できるほど甘いオーディションでもないのも事実。卯月ちゃん達だって何回か落ちているはずだ」

「そんな!」

信じられなかった。TVで見た彼女たちのパフォーマンスは、今の私がどうあがいても勝てるものじゃなかったのに、それでも落とされてしまうなんて。

「意外かい? でも彼女たちも最初は素人に毛が生えた程度だったんだよ? ここでの挫折が彼女たちの糧になったんだろうな、ファーストホイッスルに出演するために、彼女たちは合宿までしたって言うし、今の彼女たちが有るのは、この番組のおかげって言っても過言じゃないかな」

挫折を味わっても、周りとの実力差を思い知らされても、逃げずに夢を見続けることが出来る子だけが、輝くステージに立つことを許されるんだ。
華やかな世界の裏は、いつも厳しく泥臭い。

「それに、前に行ったトライエイト。――その8つ目がこれだ。正確には1つ目と言った方がいいかもしれないけどね」

「トライエイト……」

つまりそれは、卯月ちゃん達が目標の1つを達成したということを意味している。



118: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 14:53:20.74 ID:/H7YTZ6L0

「確かに、IAとIUが年に1回だけに対して、ファーストホイッスルは週単位だ。まぁ野球中継や他番組の特番との兼ね合いでだったりで放送されない日もあるけど、それでもチャンスは多い」
「これだけ聞くと簡単な話かもしれないけど、実際のところは相当ハードだ。1年間通して1度も合格できない人だってざらにいる」
「まずはファーストホイッスルに出場すること。それが俺たちの目標だよ」

「そんなに大変なオーディションなんですか……」

「ああ、詳しくは俺も把握し切れてないんだけど、そん所そこらのオーディションとは一線を画しているな。見学は自由だから、一度どんなものか見てこようとは思うけどね」

「そのオーディションの予行演習が」

「そっ、今日のテスト。オーディション内容は非常にシンプルなものだからね。アイドルの3要素、ダンス、歌唱、ビジュアル。それをトレーナーさんに見て貰って、OKサインを貰うことが合格条件だ」
「足りないようなら、まだまだ基礎が出来てないってこと。CDデビューは遠くなるって考えておいて」

「分かりました。私、頑張ります!」

「よしっ、じゃあレッスン場に戻るか。何、いつも通りにやればいいさ。平常心平常心」

そう言って笑うプロデューサー。平常心、か――。
ダンスより歌唱力よりビジュアルよりも、私に一番足りないものだと思う。

「ううん、大丈夫!」

今日まで毎日頑張って来たんだから!



119: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 14:56:36.01 ID:/H7YTZ6L0

「エン、エ、エントリーナンバーい、1番! こ、小日向美穂でしゅ! よ、よろ、よろしく! おねっ、お、お、お願いします!!」

「小日向さん、肩の力抜いて、ね?」

「は、はいぃ!」

たった4人。目の前にいるのは、私もよく知っている人ばかりなのに、私が立っているのはレッスン場の木の床なのに、見られていると考えただけで、私はもう頭の中が真っ白になった。
心臓の鼓動は張り裂けそうなぐらいバクバクして、足はガクガクと震えている。第3者が見ると脅されているようにも見えたかもしれない。

「いつものレッスン通りにすれば大丈夫ですよ。だからほら、平常心です!」

ちひろさんにまで心配されてしまう。ああ、緊張しいな自分が恨めしい。

「は、はい! へ、へい、平常心……」

うう、ダメだぁ。いつも通りであろうとすればするほど、私の緊張は高まっていくだけだ。

「プロ、プロデューサー……」

 情けない声を上げる私を、プロデューサーはじっと見据えている。そのまま時間が過ぎ去ってしまえばいいのに――。そう思っていると、彼は柔らかい笑みを浮かべた。

「小日向さん、俺たちを審査員と思っちゃだめだよ。そうだな……、クマのぬいぐるみとでも思ってくれ」

「ク、クマのぬいぐるみ……?」



120: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:06:10.09 ID:/H7YTZ6L0

「そっ、なら少しは緊張がほぐれないかな」

みんなをクマのぬいぐるみと思う? 私は目を閉じて、4人の姿をクマのぬいぐるみに置き換えてみる。
えーっと、社長はちょっと太めのおじさんパンダかな。ちひろさんは可愛らしい女の子のクマで、トレーナーさんはなんとなく厳しい目をしたクマ。
プロデューサーは……、ちょっとだけ格好良いクマ。本当に、ちょっとだけ。

ゆっくりと目を開ける。そこには4匹のクマのぬいぐるみがいた。どうしてだろう、ほんの少しだけ、緊張は解れていった。

「大丈夫かな?」

「うん、行ける」

自分に言い聞かせるように、私は小さく呟く。一歩前に出て、クマデュ-サーに目で合図。

「よし、行くか! ポチッとな」

 ラジカセのスイッチが入り、アップテンポな曲が流れてくる。今日まで何度も聴いた曲だ。振り付けも、歌詞もちゃんと覚えている。アピールするタイミングもバッチリだ。そしてなによりも、

「キラメキラリ 一度リセット そしたら私のターン♪」

私は今、こうやって歌って踊っていることを楽しんでいる。

「フレーフレー頑張れ 最高♪」

もしもこれが観客一杯のドームの中だったなら? 輝くサイリウム、割れんばかりの歓声。
それはとっても、気持ちが良いんだろうな。



121: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:08:04.31 ID:/H7YTZ6L0

「え、えーっと……。ど、どうでしょうか?」

曲が終わり、恐る恐る問いかける。気が付くとクマのぬいぐるみは、元の皆に戻っていた。

「そうですね……」

トレーナーさんは腕を組んで考えるそぶりを見せる。私たちは息をのんで続きの言葉を待った。

「合格点を上げてもよろしいかと」

「ええ!? 本当ですか!?」

「やったね、小日向さん!」

プロデューサーはまるで自分のことのように、大きなガッツポーズを見せる。社長とちひろさんも拍手をしてくれていた。何だか、照れちゃうな。

「小日向さん! ほらっ!」

「え?」

満面の笑顔のプロデューサーは右手を私に向ける。パー?

「チョ、チョキ?」



122: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:09:59.39 ID:/H7YTZ6L0

「いや、ハイタッチしようと思ったんだよね」

予想していたものと違う行動をとってしまったからか、プロデューサーは決まりの悪い表情で私の右手を見ている。

「へ? そ、そうですよね! な、何やってたんだろ私……」

「ははは、じゃあ気を取り直して……、ハイター」

「コホン、盛り上がってるところ悪いですけど、少しいいですか?」

「ーッチってあれ?」

空振り。なんとなく、気まずく感じた。見るとプロデューサーも恥ずかしそうにしている。

トレーナーさんは私たちを見渡して口を開いた。

「確かに技術に関しては、曲を出しても良いレベルに達していると思います。ですが、小日向さんの致命的な弱点はまだまだ克服出来そうにないですね」

「私の致命的な弱点、ですか?」

「みなさん十二分に理解していると思いますけど、彼女は極度のあがり症です。彼女の魅力の一つと言ってしまえば反論できませんが、それが通用するほどこの業界は甘くありません」



123: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:18:45.66 ID:/H7YTZ6L0

厳しい口調を崩さずに続ける。確かにそうだ。いくら練習しても、私のこの性格だけはどうにもならなかった。
観客が自分と親しい間柄の人間ばかりでも、私は緊張してしまい、なかなか一歩を踏み出せなかったんだから。

「とりわけ今目指しているファーストホイッスルのオーディションは、大物Pを筆頭にそうそうたるメンバーが審査をします。ベテランの方でもこのオーディションだけは受けたくないと言うぐらいのものなんです。合格したアイドル達も2度と受けたくないと口をそろえて言うでしょう」
「小日向さんは今のままじゃ間違いなく、異質すぎる場の空気に飲み込まれてしまいます。この場の数十倍、いや百倍も緊張してしまうでしょう。折角高いポテンシャルを持っているのに、活かせないのは勿体ない。ですので」

「えっと、舞台度胸をつける必要があるってことですか?」

「イグザクトリー。オーディション自体は何回でも受けることが出来るとはいえ、経験不足のまま上げるわけにもいきません。ですのでレッスンの回数よりも、営業活動を中心に活動すればどうでしょうか?」

我が意を得たりといった顔で答える。つまりそれって、イベントに参加するって事かな?

「うむ、今のランクだとデパートの屋上でのイベントが関の山かもしれんが、ちょうど良い機会だ。小日向君も本番慣れすることが出来るし、君も今後行うだろうライブの進行を学ぶべきだ」

デパートの屋上と言われても、いまいちピンとこなかった。私の家の近くにあったデパートの屋上には、200円で動くパンダの乗り物があったことぐらいしか覚えていない。
勿論ほかにも何かしら有ったはずだ。アイドルが活動していたかもしれない。だけど私には、揺れ動くパンダの背中に乗っていた記憶しかなかった。

そもそも熊本まで来てデパートの屋上というのも奇特な話だと感じたけど、名前を売るためには、あっちこっち地道に活動していかなくちゃいけないのだろう。

まるで白鳥だ。水面を優雅に泳いでいるように見えても、その下で必死にバタ足している。
テレビに出て活躍している人たちも、涙なしでは語れない苦労話があるんだろうな。



124: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:21:39.31 ID:tfxWAd3D0

「厳しいことを言いましたが、逆に言えばファーストホイッスルを乗り越えることが出来れば、活動は軌道に乗ったともいえるでしょう。小日向さん、質問はありますか?」

「えっと、実は私あまり知らないんです。一応プロデューサーからこんな番組だっていうのは聞いているんですけど、熊本では放送していませんでしたし」

「そうですね。確か今日の夜、再放送があったはずです。どんな番組かはそれを見てもらうとして、オーディションについて説明しますね」

再放送か。覚えておこう。

「は、はい。お願いします」

トレーナーさんの話をまとめるとこうだ。
私たちが目指しているファーストホイッスルは、現状の音楽業界を憂う1人の大物プロデューサーによって企画された番組で、スポンサーも殆どつかず、プロデューサーと数人の有志が私財を投げ打って放送しているとのことだ。

つまりスポンサーによる援助がない代わり、外部から一切の干渉を受けないと言う、ある意味聖域とも呼べる番組だ。いくらなんでもそんな無茶なと思ったけど、例のプロデューサーに賛同した有志の方々の名前を聞いて納得した。
これだけのビックネームが後ろ盾にいるなら、何をやっても許されるはず。

そしてこの番組の最大の特徴は、出場者を毎回オーディションで決めているということ。プロデューサーが言うには、普通番組に出演するには事務所の営業力が必要で、うちの様な弱小事務所はつけ入る隙がないらしい。
ゴリ押しと呼ばれるものは、事務所の必死なプロモーションの賜物だそうだ。



125: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:34:07.30 ID:IcBRxbpM0

「さっきも言いましたが、この番組はスポンサーをほとんど取っていません。ゆえに、実力のないアイドルをゴリ押しするなんて真似は絶対に出来ないんです」
「いくら大手の事務所でも、彼らに楯突くことは業界から追放されることを意味していますからね」

成程、権力の正しい使い方ってこういうことを言うのだろうか。悪用されないことを微力ながら願っておく。

「え、えっと……。逆に言えば、参加者全員に平等にチャンスがあるということですよね?」

「その通りです。どんな無名事務所出身でも、彼らの目に留まることが出来れば、出演可能になります。過去の放送を見ても、決して珍しい事例ではありません」
「最近では、NG2の3人がそれに当たるでしょう。彼女たちが所属している事務所も、こことそこまで大きさが変わらないはずです」

「そうなんだ……」

そう言えば、私は卯月ちゃんたちのことを余り知らない。テレビに映っているところや、学校での彼女を知っているけど、その笑顔の裏では大変な思いをして来たに違いない。
そんな素振り一切見せずに笑っている彼女を、心から尊敬する。

「まぐれやお情けで合格できない分、真に実力だけが評価されますから、小日向さんにとっても大きな自信につながるはずです。それに他の番組も注目しています、ファーストホイッスルに出たということは、立派な履歴書になるんです」

「うむ、そのためにも早速プロデュース方針を固めてくれたまえ」

「そうですね。営業中心にプロデュースしていきましょう。小日向さん、また忙しくなると思うけど、ついて来てくれるかな?」



126: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:35:04.55 ID:IcBRxbpM0

「は、はい!」

「頑張ってね、美穂ちゃん!」

これから挑もうとしている難関に対する不安はもちろんある。だけどそれよりも、私はCDデビューが決まったことが嬉しかった。
どんな曲が来るんだろう? 可愛い歌かな? きっと鏡を見ると、不思議とニヤついている私の顔があったんだろうな。

「えへへ……」

「嬉しそうだね、小日向さん」

「ふぇ? い、いやこれは……」

「あはは、喜んでて良いんだよ? 俺も小日向さんのCDデビューが決まって嬉しいし。確かに課題は多いけど、これから潰していければいいさ」

「も、もう笑わないでくださいよー!」

私だけじゃない、ここにいるみんな嬉しいんだ。社長も表情は緩く、ちひろさんは普段の3割増しぐらいの笑顔で私を祝ってくれる。トレーナーさんも心なしか嬉しそうだ。



127: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:38:35.30 ID:IcBRxbpM0

「はぁ、今日も疲れたなぁ」

今日のカリキュラムをすべて終わらせて、家に着いた私はそのままベッドへダイブする。ふかふかの布団が心地よく、そのまま眠ってしまいそうになるけど、何とか体を起こしてお風呂に入る。

「ふぅ……」

少し熱いぐらいの湯船に入ると、疲れが流されていくような気がした。なんとなく、お婆ちゃんみたいなこと言ってるな私。

「ふふふーん♪」

喉の調子を整えるようにハミング。狭い浴室ではエコーがかかって、いつもより上手に歌えている気がする。飽くまで気がする、だけど。それでもモヤモヤと立ち込める湯気が幻想的なムードを出していて、私は気持ちよく歌えていた。
幸い隣に人はいないらしく、今のところ苦情は来ていない。だから誰にも聞かれてはいないはず。

「そう言えば、ファーストホイッスルの再放送をやっているって言ってたっけ。確認しておかなきゃ」

タオルで体を拭いているときに思い出し、ドライヤーで髪を乾かして、テレビをつける。

「あれ? 卯月ちゃん?」

なんという偶然だろう。今日の放送は、卯月ちゃんたちNG2の3人だった。シックなスーツを身に纏った大物プロデューサーに案内されてソファーに座る。
どことなく動きがぎこちなく、3人とも緊張しているように見えた。



128: ◆CiplHxdHi6 2013/01/24(木) 15:40:58.30 ID:IcBRxbpM0

それもそうか。なんせ司会は番組を知らなかった私でも知っているレベルの超大物だ。若々しく見えるけど、それでも結構なお歳を召していたと思う。後でウィキペディアでも見てみよう。

「やっぱり凄いなぁ」

ここにやって来るまでのオーディションに4回も落ちたこと、強化合宿で海に行ったこと、これからの活動のこと。CMを挟んでレッスン中の様子が映されたり、学校での素の彼女たちが紹介される。

「あっ、私の教室だ」

卯月ちゃんの学生生活ということで、私の通っている学校が映っている。クラスの皆もカメラにこっそり映ろうとしているのが、なんだか微笑ましい。

『~♪』

番組の終わりは、3人による特別ステージ。オーディエンスは大いに沸き上がり、テレビ越しに見ている私も、そこに交じっているような気分になった。

「私も頑張らないと」

歌い終わった3人はやり切った顔をしていて、眩しいぐらいに輝いていた。エンディングテーマと共に次回ピックアップされるアイドルが映される。
えっと、この番組は9月の再放送……。

「本当に少し前だったんだ」

9月の頃の私は、こんな世界に来るなんて毛ほども思っていなかった。大学に行って、どこかに就職して、結婚して。言ってしまえば極々普通の生活がずっと続く、そう信じていたのに。

あの時委員会に代理で参加しなかったら?
あの時バスに間に合っていたら?
あの時寝過ごしてしまわなかったら?

『人間万事塞翁が馬』って、こういうことを言うのかな。ううん、たらればの話をしても仕方ないよね。それでも、こう思うのは許されるはず。

『人生は、チョコレートの箱みたいなもの。開けてみるまで中に何が入っているか分からない』

明日食べるチョコレートは甘いのか、苦いのか。分かっていたらワクワクなんてないよね。



131: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 11:57:30.79 ID:giGauOep0

――

「あら、プロデューサーさん! お早いですね」

「ええ、ですがちひろさんには負けますよ。一体何時に来ているんですか?」

そもそも彼女は家に帰っているのだろうか? 朝は誰よりも早く事務所の鍵を開けて、夜は一番最後に出て鍵を閉める。毎日そんな生活が続いているんだ。

「それは、乙女の秘密ですよ!」

「さいですか」

いや、それ以前に彼女は謎が多すぎる。知っているのは名前と物凄く有能ということだけで、年齢も出身もここに来た経緯もよく知らない。
俺よりも年下なのか年下なのかすら、はっきりしていないぐらいだ。恐らく年上だと思うが、間違っていたら申し訳ない。

大体俺がここに来たときは、アイドルもプロデューサーもいない出来立て事務所だった。社長はどこから彼女を引っ張ってきたんだろう?

一度社長に聞いてみたけど、適当にはぐらかされた記憶が有る。ただその時の社長の目が、何となく悲しそうに見えたからそれ以上は聞かなかったが。

一体彼女は何者なんだろうか? その笑顔の下に、何を隠しているのだろうか? 気になる。



132: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 11:58:54.21 ID:giGauOep0

「さて、後は小日向さんを……」

「あれ? プロデューサーさんお忘れですか? 美穂ちゃんは実家帰省中ですよ」

「あっ、そういやそうでした。ちゃんとスケジュール帳にも書いていたのに、何で間違えたかな?」

昨日の夜の便で熊本に帰ったんだっけか。今頃ご家族やクラスメイト達と楽しんでいるところだろう。
昨日まで殆ど休みなしで頑張って来たんだ、少しぐらいの休養は必要だ。

「ふふっ、プロデューサーさんにとって、美穂ちゃんはいて当たり前の存在でしたか? はい、コーヒー」

「ありがとうございます。ちひろさん、それどういう意味です? いただきます」

事務所での1日の始まりは、ちひろさんお手製のコーヒーの香りを楽しむ事から始まる。小日向さんは紅茶派らしいけど、俺は程よく苦いちひろブレンドを気に入っていた。
下がりゆく気温が冬の訪れを知らす朝、暖かいコーヒーはいつも以上に美味しく感じる。

傍らにはニコニコと笑う可愛らしい事務員、ああ、なんと素敵な職場だろうか――。

「そのままの意味ですよ。彼女がここに来てから、プロデューサーさんは四六時中美穂ちゃんのことばかり考えていたじゃないですか。流石にオムライスにケチャップで小日向と書き始めた時はビックリしましたよ」

「ぶふっ!」

「おはよう、今日も早」

笑顔で爆弾を投下さえしなければ、の話だが。



133: >>131 5話ステージ オブ ドリームス ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:06:14.29 ID:giGauOep0

「プロデューサーさん、大丈夫ですか!?」

手際よく布巾を持ってくる元凶たる事務員。焦っているように見えても、それすら本心か怪しいもんだ。

「ち、ちひろさん……。あなた狙ってやったでしょ?」

「な、なんのことでしょうか~? っと拭かないと……」

「今日と言う今日はいくらちひろさんで、も……」

「……」

目の前には、コーヒーまみれのナイスミドル。元々色黒なお方だったのに、余計黒くなってしまった。

「えっと、コーヒーも滴る良い男?」

「さ、さぁて! 仕事に戻らないと……」

今日の予定はなんだっけなー……。

「……2人とも、そこに直りたまえ」

「「はぁい……」」



134: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:10:34.53 ID:X3ylg2iq0

「はぁ……、ちひろさんが悪いんですよ? あんなこと言われたら誰だって驚くに決まってるじゃないですか」

「本当に面目ないです……」

爽やかな朝のはずが、床を雑巾で拭く羽目になりました。小日向さん、今日も我が事務所は通常営業です。

「というよりも、何でちひろさんがそれを知っているんですか。あの時喫茶店に俺1人で行きましたよ?」

「たまたまなんですよ、たまたま! たまたまプロデューサーさんがいたんです!」

「何回も連呼しないでください」

何でよりによってそのタイミングでやって来たんだこの人は。確かにあの日、俺はオムライスの上にケチャップで小日向と書きかけていた。
かけていたというのは、小日のところまで来て我に返ったからだ。

なんて恥ずかしいことをしているんだ俺は――。勢いよくオムライスを掻き込んでいた俺の顔は、小日向さんに負けないぐらいに赤かったことだろう。

「仕方ないじゃないですか。だって小日向さんのCDデビューをかけたテストの日だったんですよ?」

「仕方ない? それとこれは違う様な」

「違いません。あの日緊張していたのは小日向さんだけじゃない、俺だってそうでした。きっと社長もトレーナーさんも、ちひろさんも同じ気持ちだったはずです」



135: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:14:59.73 ID:X3ylg2iq0

あの場には今までになかった緊張感があった。練習通りにパフォーマンスが出来るか不安だったのは、彼女はもちろん、俺たち全員もだったんだから。

「それは否定しませんけど……」

「ほら。だから頭の中が小日向さんでいっぱいになるのは不可抗力」

「でもオムライスに名前を書くのは」

「ああああ! もう忘れてください!」

「うふふ、忘れようにも強烈過ぎて忘れられませんよ?」

「何でもしますからぁ……」

「今何でもするって言いましたよね? それじゃあ……」

仕方ない話だとは言うものの、確かに俺は小日向さんがいて当たり前、と思っていたのかもしれない。
事実毎日のように彼女に付きっ切りだったんだ。それが日課となっていたぐらいだ。

しかし今はまだ彼女だけだが、いずれ活動が軌道に乗っていくと、所属アイドルも増えていくだろう。

事務所としてはそうなって欲しいが、なんとなく寂しいなと思ってしまう自分もいるわけで。

「シャキッとしろ、俺」

彼女が帰ってきた時にあたふたしないよう、スケジュールはちゃんと組んでおかないとな。



136: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:18:12.42 ID:aTL/Eu4B0

「ふぅ、楽しかったなぁ」

夜空を駆ける飛行機の中、私は心地よい疲れに包まれながら、この2日間のことを思い返していた。

プロデューサーと両親が約束していた通り、私は熊本に一時帰省していた。
一時と言っても2日間だけで、東京に戻ったらまた忙しいアイドル活動が待ってい
る。送られてきたスケジュールを確認すると、予定は11月一杯に埋まっていた。

内容はデパートの上でのイベントや小さな商店のPRイベントなど、決して華やかとは言えない仕事ばかりだけど、
それでも無名と言っていいような存在の私に与えられた数少ないチャンスだ。
しっかりとこなして自信につなげたい。

そして12月の頭には私たちの目標、ファーストホイッスルのオーディションが入っていた。

少し早くないですか? そうプロデューサーに尋ねると、どうやらトレーナーさんがやや強引に組み込んだそうだ。
プロデューサーとしても、結果がどうであれ現在の自分の力量を確認する意味でも参加すべきだと考えていたようで、私のオーディション初挑戦は、驚くほどすんなりと決まっていった。

『それまで営業とレッスン、休みは殆ど有りません。覚悟しておいてくださいね!』

とはトレーナーさんの談。あの時の彼女の笑顔は、どういうわけか恐怖しか感じなかった。
当分の間、帰ってすぐにベッドに飛び込む日々が続くんだろうな。お母さん、私はまだまだ自炊が出来そうにありません。



137: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:23:56.31 ID:4lfaEScL0

『帰ってきたら、これまで以上に忙しくなるが、オンとオフの切り分けは大切だ。節度を守った上で、存分に楽しんできなさい!』

熊本に帰る前、社長は私にそう言ってくれた。熊本から戻ってきたら、今度はいつ実家に帰ることが出来るか分からない。

だからやり残したことの無いように、私は休暇を楽しんだ。

両親と日帰りで温泉に行き、次の日友達と遊びに行ったファームランドでは、パラグライダーに初挑戦。最初は怖かったけど、勇気を出して飛んでみれば気持ちの良いものだった。

クラスの皆や事務所の仲間にお土産も買ったし、当分帰らなくても大丈夫なぐらい満喫できたと思う。

「プロデューサーもいたら、もっと楽しかったのかな?」

よくよく考えたら、東京に来てから毎日のようにプロデューサーたちに会っていた。だから熊本への飛行機の中、隣に座る人が見知らぬおじさんだったのが、少しだけ新鮮に思えた。

いつも隣の運転席には彼が座っていたし、皇居ランだって並走してくれていた。プロデューサーはどんな時も、当たり前のように私のそばにいたんだ。
そしてそれは、これからも。楽しいことも辛いことも、彼と一緒に経験していくんだ。

「それじゃあまるで夫婦みたい」

なんとなくそんなことを思ってしまう。夫婦か――。



138: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:35:23.91 ID:4lfaEScL0

『ただいまー』

『お、お帰りなさい! あ、あなた! お、おふ、お風呂にしますか? それとも御飯ですか? それとも……わ、わた、わわちゃし!?』

『それじゃあ美穂と行こうかな』

『あーれー!』

「な、なんてことを想像しちゃっているんだろう私は……」

「お食事はいかがですか?」

1人恥ずかしさの悶絶していると、CAさんが声をかけてきた。そう言えば小腹がすいたかな。
お土産を食べるわけにもいかないし、何か軽い物を買おう。

「えっと、それじゃあ……。あっ、あなたは?」

「あれ? 憶えていてくれた?」

「は、はい。凄き綺麗な人だなーって思ってましたから」

「ふふっ、ありがとうね」

「い、いえ……。それよりも私のことを憶えていた方がビックリです」



139: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:39:06.99 ID:4lfaEScL0

「こういう仕事だから人にたくさん会うんだけど、貴女みたいに可愛い子は嫌でも憶えちゃうわよ」

「か、可愛い……」

「ほら、そういう赤くなるところとか特にね」

CAさんは悪戯っぽい笑顔で私を茶化す。

「相馬さーん、チーフが呼んでいますよー!」

「あっ、今行きます! ごめんなさいね、仕事中じゃなかったら貴女と喋っていたかったんだけど、チーフ怒ると怖いからさ。それじゃあ、良いお旅を」

相馬さんと呼ばれた彼女はウインクを残して、去っていく。流石CAさんと言うべきか、立ち振る舞いから何から何まで、優雅な人だ。
それでいて、どこか子供っぽくてそのギャップが可愛らしい。

どうしてか分からないけど、相馬さんと仲良くなれそうな、そんな気がした。

「あっ、買うの忘れてた」

小腹はすいているけど、早足でギャレーに消えていく相馬さんを呼び止めるのも悪い気がして、そのまま目を瞑って軽い眠りにつく。
着陸したときにアナウンスがあるから、それを目覚ましにしよう。

「すぅ……」

軽くと言っておきながら、結局他のお客さんが全員出た後、相馬さんに起こされたというのは、恥ずかしからヒミツにしておく。



140: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:40:01.95 ID:4lfaEScL0

「よっ、小日向さん。熊本はどうだった?」

「プ、プロデューサー!」

夜も遅いというのに、人の波が途切れない羽田のロビーで、プロデューサーが私を待っていてくれた。

「そ、その、すみません。私の出迎えでこんな遅い時間まで待っててもらって」

「いやいや、気にすることは無いさ。女の子をこんな遅い時間に1人にさせるわけにいかないしね。プロデューサーとして当然だよ」

「ありがとうございます」

「さてと、帰るかな。あっ、これあげる。小腹すいてるでしょ?」

プロデューサーは鞄の中から板チョコを取り出すと、私の手に置いた。

「え、良いんですか?」

「帰ってちゃんと歯を磨くならね」

「も、もう! ちゃんと磨いていますよ! えっと、いただきます」



141: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 12:47:28.62 ID:4lfaEScL0

「たぁんとお食べ」

「プッ! わ、笑わせないでくださいよ! 割れちゃったじゃないですか」

「あはは、悪い悪い」

お婆ちゃんみたいなことを真顔で言うプロデューサーがなんだかおかしくて、ついつい吹き出してしまう。
力が入り過ぎたのか、板チョコは少しだけ割れてしまう。食べれないわけじゃないけど、なんだか勿体無い。

「もう、プロデューサー。これ、あげます」

「あげますって元々俺のだけどね」

「貰ったんだから私のものです!」

割れた板チョコの片割れをプロデューサーにあげる。うん、美味しい。ちゃんと帰って歯を磨かなきゃ。

「小日向さん。明日からまたきつい日々が続く。しかも今度は営業活動もあるからね。舞台度胸しっかりつけないとな」

「は、はい! 頑張ります!」

十分なぐらい私は休日を楽しんだんだ、明日から気合を入れていかないと!



145: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:43:27.97 ID:pe1Ol84g0

とある日曜日、私とプロデューサーは郊外にあるデパートに来ていた。
来ていた、と言っても買い物じゃなくて、屋上で行われるプチイベントに参加するためだ。

『大きなイベントじゃないけど、舞台度胸をつけるには本番をこなすことが1番だからな』

プロデューサーが言うように、今の私に足りないものは『余裕』だ。授業中先生に当てられただけで緊張しちゃうような私だけど、ずっと甘えたことを言っているわけにいかない。
ならば数をこなして慣れるしかない。スケジュール帳にはイベントの予定がぎっしりと詰まっている。

昨日の夜もちゃんと練習したんだ、事務所の皆の前で歌えたんだし、きっと大丈夫――。



「え、えっと……、その! こ、小日向美穂です!? きょ、今日は土曜日ですね!?」

「なんで疑問形やねん。それと今日は日曜日」

「うぅ~、ごめんなさい」

「さぁ、もっかい!」

「は、はいぃ……」



146: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:44:43.53 ID:pe1Ol84g0

結果から言うと、私の初舞台は散々なものだった。簡易なステージに立った私を待っていたのは、

「み、みみ……、皆しゃん初めましてぇ! こ、こ、こひ! 小日向、美穂です!」

「わぁ、姉ちゃんダレ?」

「ボクもステージに上っていい?」

「え、ええ!?」

彼らからしたら、風変わりな服を着た私の存在は珍しいものなんだろう。
足がガクガク震えている私を嘲笑うかのように、子供たちはステージに上がり込んできた。

「こら! 降りなさい!」

「邪魔しちゃダメでしょ!」

「えー!?」

「掴まてみろよ鬼婆ー!!」

「ぬわんですってええええ!!」

お母さんが降ろそうとするも、子供たちはステージの上を縦横無尽に駆け回る。



147: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:46:33.60 ID:pe1Ol84g0

「プ、プロデューサー!?」

泣きそうな目でプロデューサーに助けを求める。

「小日向さん! ちょっと待ってて! 今行くから」

プロデューサーは子供たちを降ろすため、ステージに上るが……。

「さぁ、降りようね」

「やだよーだ!」

「カンチョー!」

「アーッ!」

「プロデューサー!?」

「いい加減下りなさーい!!」

見る人が見れば、地獄絵図だっただろう。子供たちは楽しみたいという欲望のまま暴れ、保護者の方は頭に角を生やして追いかける。
頼みの綱のプロデューサーも、強烈な一撃を食らったためか、お尻を抑えて蹲っていた。



148: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:49:06.97 ID:pe1Ol84g0

――グダグダ。その不名誉な4文字がこれほど似合う舞台も、そうないだろう。

その後、なんとか子供たちを降ろすことに成功し、ステージは再開されるが、あんまりな出来事が起きすぎてしまい、
テンパりにテンパった私は、練習の時に出来ていた動きが全くできず、無様にもステージでズッコケてしまう。
その結果、

「きゃっ!?」

「ちょ! こひな、たさん?」

「白色だー!」

「やーい! 白色白色ー!」

「え? み、見ないでええええ!」

カメラが有るなら放送事故。本年度のNG大賞を取れる自信が有った。 
もしもこのステージが有料だったならば、全額返金した上で迷惑料を払わなないといけない出来になっていただろう。

「いやぁ、大盛り上がりでしたね! 依頼してよかったですよ! 次もお願いしますね!」

「あ、あはははは……、はぁ」



149: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:50:03.42 ID:pe1Ol84g0

ただ幸いと言うべきか、お客さんたちはコントのような時間を大いに楽しんだらしく、主催者からも苦情が入ることは無かった。
下着を見せてしまったのも、まぁ盛り上がったから良かったということにしておく。

そうでもしないと、本気で凹んでしまいそうだ。

「なぁ、小日向さん」

「な、なんでしょうか……」

「俺たち、アイドルとプロデューサーだよな?」

「そ、そうですね」

「お笑い芸人じゃない、よな……」

「「はぁ……」」

「……練習しよっか」

「はい」

そんなこんなで、私の初舞台は記録的大失敗に終わってしまった。そして、冒頭に戻る。



150: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:55:49.74 ID:pe1Ol84g0

「こ、小日向美穂です! 今日はお集まりいただきありがたくございます!」

「はい、もっかい!」

不測の事態が起きすぎたとはいえ、初めから緊張していたのも事実だ。子供たちの暴走がなくても、緊張のあまりどこかミスをしていただろうとプロデューサーは言う。
反省会がてら、私は舞台の撤収を待ってもらい、挨拶の練習をしているというわけだ。

「お姉ちゃんがんばれー!」

「デュフフ、初々しいですなぁ」

物珍しさからか、観客たちは帰らず私の練習を見守っている。

「小日向美穂です! 今日はよろしくお願いします! やった! 言えました!」

「良し! これだけやれば、もう緊張することもないだろう」

「よ、良かったです……」

気が付くと、本番の時以上に人が集まっていた。歌ってもないのに、観客席の皆は拍手の雨を降らせる。
嬉しいような、情けないような。



151: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:57:42.52 ID:pe1Ol84g0

「さてと、これからどうするかな」

「え、えっと! だったらデパートの中見て回りませんか!?」

「ん? そうだな、時間もあるし。ブラブラして帰るか」

「はい!」

ステージの撤収を手伝った後、私たちはデパートの中を目的もなく歩いた。
目についた美味しそうなものを食べたり、事務所の皆にお土産を買ったり、ゲームセンターで遊んだり。

はた目にはデートとして見られていたのかもしれない。でもその時は、気にもしてなかったんだけど。

『フルコンボだドン!』

「す、すごいです!」

「結構このゲーム得意なんだよ。さてと、お次は何を……」

「あっ」

装飾のライトが眩しく点滅しているクレーンゲームに、私は目を奪われた。
乱雑に置かれているぬいぐるみの中にちょこんと、クマのぬいぐるみがあったから。



152: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:58:44.13 ID:pe1Ol84g0

「可愛いですね、こいつ」

「クマのぬいぐるみか。小日向さん、欲しい?」

「え? で、でも取れないと思います」

「どうかな。やってみるね」

そう言ってプロデューサーは100円を入れると、慣れた手つきでクレーンを操作していく。

「よし、狙い通り!」

アームはお目当てのぬいぐるみの上で止まると、そのまま掴んで元の場所に戻っていく。

「ありゃっ」

もう少しで開口部だってところで、他のぬいぐるみに引っかかって落ちてしまう。

「くそー、もう少しだったんだけどなぁ。もういっちょ行くか」

プロデューサーは悔しそうにもう一度100円を入れようとする。

「あ、あの! わ、私がやってみてもいいですか!?」



153: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 21:59:46.14 ID:pe1Ol84g0

「やってみる? それじゃあ100円入れるね。やり方は大丈夫かな?」

「は、はい。何回か挑戦したことありますし。で、でもアドバイスいただけたら嬉しいです」

「それじゃあ俺がそこって言ったら止まってね」

「分かりました!」

何回か挑戦したことが有るだけで、成功したことは一度もない。だけどプロデューサーもいるし、上手くいくかな。

「そこっ」

「え、ええ?」

「あらま、行きすぎちゃったな」

プロデューサーの合図に上手く反応が出来ず、アームはぬいぐるみを大幅に通り過ぎて行った。
仕方なしに続けるも、上手くつかむことが出来ず、開口部の上で虚しく開くだけだった。

「はぁ、やっぱりダメなのかな」

「もう一回やる?」

「あっ、はい。お願いします」

100円を入れて再挑戦。結局クマのぬいぐるみが私の手に渡ったのは、プロデューサーが2回目の両替を終わらせた後だった。



154: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:02:57.60 ID:pe1Ol84g0

「え、えっと……、その……無駄遣いさせちゃいましたよね?」

「あ、あー。気にしなくて良いよ。忙しいから特に使い道なんかなかったし、そのぬいぐるみが2100円のものと考えたら良いさ。気に入ってるみたいだし、ファン1号からのプレゼントだと思っていて」

「は、はい! 大切にします!」

ギュッと抱きしめたぬいぐるみの柔らかな感触に、説明しようのない心地よさを感じた。
それはこの子がフワフワだからか、彼からの初めてのプレゼントだからか。

「そ、そうだ! あれ、一緒に撮りませんか?」

ゲームセンターと言えばこれもある。プリクラだ。

「プリクラ? 小日向さんと?」

「い、嫌ですか?」

「そうじゃないよ! で、でもなぁ……」

「何ですか?」

「あ、うん。何でもないよ! さて、どれにしようか。俺こういうの詳しくないからさ、小日向さんが選んでよ」

そうは言うものの、プロデューサーはあまり乗り気じゃないようにも見えた。私と写るの嫌なのかな……。



155: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:03:40.42 ID:pe1Ol84g0

「そうですね……、あっ、これとか可愛いですよ!」

「じゃあそれにしようか」

私とプロデューサーはプリクラ内に入る。中はあまり広くなく、否応なしにくっつかなくちゃいけない。

『ポーズをとってね!』

「えっと、どうしよう」

「ねぇ小日向さん」

『3』

「な、何でしょうか?」

「これ、完璧デートだよね……」

『2』

「ふぇ?」

「え? 気付いてなかった?」

『1』

「えええええええ!?」

「のわっ!」

『はい、チーズ!』

出来上がったプリクラには、恥ずかしそうに真っ赤な顔をした2人と、私に抱きつぶされるクマのぬいぐるみ。
色々あって恥ずかしい1日だったけど、楽しかったな。



156: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:05:31.59 ID:pe1Ol84g0

――

デパートの上の悲劇から数日、俺たちは順調に仕事をこなしていた。いや、本当に順調かどうかはさておき、小日向さん自身のスキルアップに繋がって来たと思う。
最初は自己紹介も満足にできなかった彼女だけど、今ではステージやイベントを楽しめるぐらいには余裕が出来てきた。

学校生活も慣れたようで、移動中に度々学校での出来事を嬉しそうに話して来る。
尤も、その半分ぐらいは卯月ちゃんだったりするのだが。
悲しい哉、アイドルなんてものは、オンでもオフでも話題を集め続ける宿命なのだ。

「いよいよ明日ですね」

「ええ、そうですね。あっ、ありがとうございます」

ちひろさんのコーヒーを飲みながら、カレンダーに大きく書かれた文を読み上げる。

「ファーストホイッスルオーディション。やっぱり早いものですね。なんだかんだ言いながらも2ヶ月ですかね? 俺が社長に強引に連れてこられて、熊本で小日向さんに出会って、彼女をプロデュースすることになって」

まさに光陰矢のごとし。1日1日を無意味に過ごしてきたわけじゃないけど、それでもあの時こうしていたら、
ちゃんとしていれば、と後悔は残る。

「たらればに縋っても仕方ないんですけどね」



157: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:09:51.13 ID:pe1Ol84g0

年寄り臭いことを呟く。過去なんて変えようがないんだ、後悔するぐらいならまっすぐ進まなければ。
なんのために目が前についているのか? なんのために足は前に向かっているのか? 熱血教師みたいなことを考えた自分が少し恥ずかしい。

「私たちは前に行くしかないんですよ。大丈夫です、プロデューサーさんと美穂ちゃんなら、きっと上手くいきますよ!」

「そうなれば嬉しいですね」

「なりますよ。これまで頑張って来たんですから」

上手くいく、か。明日のオーディション、正直受かるなんて思っちゃいない。それはちひろさんだってそうだろう。だから上手くいく、とニュアンスをぼかしたんだ。

当然最初から諦めているわけじゃないし、記念受験だなんて言いたくない。
小日向さんには全力を出してもらわないと困るし、あの場の空気をしっかりとその身に覚えて欲しい。

明日のオーディションの参加目的は、現状把握の意味合いが一番強いのだ。

「そういえば」

ちひろさんは不意に何か思い出したように尋ねる。

「プロデューサーさんはオーディションを見学したんですよね? 私行ったことがないから分からないんですけど、どんな感じでしたか?」



158: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:12:22.29 ID:pe1Ol84g0

「先週の話ですね。トレーナーさんの言うように、ベテランでも2度と受けたくないとぼやくのも納得しましたよ。あの空気はただ事じゃない」

実は参加申請の際に、オーディションを見学させてもらえた。
俺はその時の光景を忘れてはいない。いや、忘れることが出来ない。

それほどまでに、強烈な印象を与えたんだ。

会場に入ると、俺以外にも多数の芸能関係者が、用意された閲覧席に座っていた。気分はまるで審査員だ。

「確かにこれはキツイな」

関係者はアイドル事務所の人間だけじゃない。連日ワイドショーを盛り上げる芸能記者だっているし、
おこぼれを貰いたい他の番組の制作スタッフも観客として並んで座っている。

舞台の上から見ると、壮観な光景だろう。加えて――。

「見学に来られた皆様、こんにちわ。『ファーストホイッスル』プロデューサーのタケダです。5分後より公開オーディションを始めますが、その際にいくつか注意点がございます。皆様大人ですので、間違いはないと思いますが念のため説明しておきます」

審査委員長を務める大物プロデューサーと、彼を支持する業界の大御所たち。彼らの手の届く距離で、アイドルたちはパフォーマンスをしなければならない。
とてもじゃないが、俺はあの場に立ちたいと思えなかった。

プロデューサーによる注意喚起が終わると、参加するアイドルたちが入場してくる。今回の参加アイドルは50組。
アイドル1人1人のパフォーマンスを、彼らはひたすら審査し続けるのだ。かなり大変なことだろう。



159: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:19:49.27 ID:pe1Ol84g0

3分と言う短い時間の中で、厳正な審査を行わなければならない上に、50人続くのだ。
途中休憩を挟むにしても、彼らの集中力は相当削られていくはず。

課題となる演目は自由なため、同じ曲と踊りを見続けるだなんてことは無いのがまだ救いだろうか。

「……俺が耐えれるかな」

誰にも聞かれないように、こっそりと呟く。と言うのも、来週のオーディションの参加者の順番を決める抽選会が、終わった後に行われるのだ。
一応途中退席も認められているが、小日向さんが戦っていくアイドルたちのレベルを見極めるためにも、途中で抜けるわけにいかない。

ビデオ撮影でも出来れば後でゆっくりと見れたんだろうが、禁止されているため、自分の瞳で確認しなければ。

「まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください。それでは、エントリーナンバー1番、服部瞳子さん」

「はい」

プロデューサーは淡々とした口調で参加者の名前を読み上げている。この時点から審査は始まっているのだろう。
俺の位置からは見えないけど、審査員たちは返事をしたアイドルたちの顔をしっかりと見ているはずだ。
不慣れなのか、返事の後に怯えたように震えるアイドルが数人いるのが、何よりの証拠だ。



160: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:27:14.99 ID:pe1Ol84g0

「全員揃っていますね。それではこれより、審査を始めます。合格者の上限は決まっていません。皆様のパフォーマンスの完成度次第では、全員出場と言うこともあります」
「当然逆もまた然り。私たちが求める水準に達していないと判断すれば、残念ですが皆様揃って落選という結果になります」

実にこの番組らしい言葉だ。一切の妥協を許さない方針を取っているため、見せれるレベルじゃなければ舞台に上げない。放送スケジュールが合っても、出せないものは出せないのだ。
普通の番組じゃ有りえない話だが、しがらみも何もなく、全て自分たちの責任で運営しているファーストホイッスルでは可能なのだろう。

「脅すようなことを言いましたが、私たちとしては皆様が未来の音楽業界を引っ張っていく存在だと信じています。気張らず、自分の出せる最高のパフォーマンスを私たちにお見せください」

気張らずなんて言っても、この場で自分を保つなんてそうそう出来るものじゃない。

アイドルたちの顔を見ると、初めてのオーディションなのか既に半泣きになっている子、リピーターだろうかさっさと始めてくれと言わんばかりに闘志を燃やす子、と様々な表情が浮かんでいる。

彼女たち1人1人にここに至るまでの物語が有るんだ。だけど血を吐くような努力をして来ても、
このステージに上がることが出来るアイドルは、ほんの一握り。

小日向さんは、輝けるのだろうか――。

「俺が信じなきゃダメだな」

後ろ向きな思考をシャットダウン。そして、オーディションは始まった。



161: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:30:20.79 ID:pe1Ol84g0

「それではオーディションを始めます。エントリーナンバー1番からよろしくお願いします」

「はい!」

タケダ氏の合図で、1番のアイドルが前に出る。えっと、確か服部さんだっけか? 何回か参加しているのか、緊張はほとんど感じなかった。

「ふぅ、今日こそは行ける!」

「?」

どこからか、そんな声が聞こえた。

大人しそうな彼女からは想像のつかない軽快な音楽が流れだすと、服部さんはパフォーマンスを始める。
トップバッターと言うことでプレッシャーもあるかもしれないが、そんなものはどこ吹く風、彼女はキレのあるダンスで審査員にアピールをする。

「ありがとうございました」

「はい。それではエントリーナンバー2、よろしくお願いします」



162: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:32:07.66 ID:pe1Ol84g0

「ふぅ、認識が甘かったな……」

25人終わったところで、10分の休憩が入る。自販機の暖かいコーヒーを飲みながら、俺はオーディションのことを思い返していた。

新人ばかりが参加するオーディションだなんて、良く言ったものだ。
プレッシャーのあまり満足なパフォーマンスが出来なかった子もいたが、新人とは思えないようなクオリティを持つアイドルも少なくなかった。
この番組でなければ、当の昔に出演しているだろう。

特に1番の服部さんは気迫が違った。こう言ってしまうのもなんだが、彼女のパフォーマンスは鬼気迫るものがあったぐらいだ。

執念に憑りつかれていると言ってしまえばいいのだろうか? 彼女の後に踊った子が少し可哀想になったぐらいだ。

「まさに戦場、だな」

この会場の中で、小日向さんは埋もれてしまわない様に、パフォーマンスを見せなければならない。きっと彼女のことだ、順番が後になればなるほど、自信を失っていくだろう。

そればかりは運で決まってしまう。今日の俺の運勢は5位。微妙な運勢だが、是非とも若い番号が欲しいところだ。

「さてと、そろそろ戻るかな」

空になったカップをゴミ箱に投げ入れて、会場へと戻る。後25人、きちんと見て帰らないと。



163: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:34:56.60 ID:pe1Ol84g0

「さて、以上で全員のパフォーマンスが終わりました。結果発表は10分後、この場所で行いますので遅れないよう気を付けてください。それでは本日は皆様、お疲れ様でした」

タケダ氏は簡単に挨拶をすると、審査員たちを率いて部屋を出て行く。これからの10分間は、彼女たちにとっては永遠に感じるのだろうか。

参加アイドルたちも緊張が解けたのか、軒並みホッとした顔をしている。中にはその場にヘタレ込んでしまう子までいた。

「ふぅ、疲れるもんだな……」

さて、俺はどうしたものか――。

「おや?」

「プロデューサーさん、どうでしたか?」

「そうですね……、今までで一番だったと思います」

「本当?」

「はい! だから今回こそは、上手くいきます」

「そうなれば良いわね」

会場を出ると、何やら聞き覚えのある声が。

こっそりと聞き耳を立てると、エントリーナンバー1番の服部さんと、担当プロデューサーが会話していた。



164: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:37:40.96 ID:linE/gGI0

「だから……、もう少し頑張ってみませんか?」

「……そう言ってくれるのは嬉しい。だけど、もう限界だと思うの」

「そんな! 俺のプロデュースが悪いのなら、もっといいプロデューサーを探します! 瞳子さんの魅力を引き出せるような人に引き継ぎます」

「ううん、そういうのじゃないの。ただ、夢を見続けるのになんか疲れちゃって。社長さんも言っていたでしょ? 1年で芽が出なければそれまでだって」
「この1年間、私たちはファーストホイッスルへの出場を賭けて頑張ってきた。どこの誰よりも、合格へと執念を燃やしてきた自信は有るわ」

「なら……」

「でも、それだけじゃダメだったのよ。親にね、何時までアイドルの真似事しているんだって言われちゃったの。私もいい歳だから、身を固めなさいって」
「だから、今日と来週でおしまい。それがダメだったなら、私は夢を諦める」
「ごめんなさいね、折角私を選んでくれたのに、結果を出せなくて。行きましょう、そろそろ結果発表だし」

「……すみません」

浮かない顔をした服部さんたちは、近くにいた俺に気付かずに会場へと入っていく。

「……他人事じゃないよな」

1年で芽が出なければそれまで。

厳しいことを、と思うかもしれないが、うちの業界では半ば常識となっている文句だ。



165: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:42:13.20 ID:linE/gGI0

今テレビに出ているアイドルたちの多くは、熾烈な生存競争に勝ち残り、1年以内に結果を出してきている。サイクルの速い業界と言われるのも、こういった裏事情があるのだろう。

確かに俺たちはまだ始まったばかりかも知れない。だけど、着々とタイムリミットは迫ってきていることを痛感させられる。

「俺も戻るか」

誰もが夢を見ることが出来るわけじゃない。見続けるのだって、辛いんだ。

悲しいけれど、それが芸能界。俺たちが駆け上ろうとしている茨の道だ。

「まだまだだよな。俺も」

ふぅと一息ついて、席に座る。少しして、審査員たちが会場に入ってきた。
どうやら、審査結果が出たようだ。先ほどまで騒がしかった会場が、真空状態のように静かになる。

「大変長らくお待たせしました。それでは、今週放送のハローホイッスル出演者を発表いたします」

バラエティ番組ならここでドラムロールが流れるんだろうな。

「……」

タケダ氏はアイドルたちの顔を一瞥してから、重々しい口を開いた。



166: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:47:10.73 ID:linE/gGI0

「エントリーナンバー22番、エントリーナンバー39番。以上の2組が、今回のオーディション合格者です」

「やった! お姉ちゃん受かっちゃったね!」

「ほ、本当なんだよね? プロデューサー?」

「やったにゃー! プロデューサーちゃん、みくやったにゃん!」

合格したユニットだろうか、脇目も振らずに大声を出して喜んでいる。

その一方で、悔しさに涙を流すアイドルたち。明と暗が一瞬にして別れてしまった。

「コホン。喜ぶのも構いませんが、それは後にしてと。さて、今回のオーディションはここ数回で最もレベルの高かったものだと感じました」
「新人アイドルたちのレベルが上がっていくことは実に喜ばしいことですが、私たちの理想に近いアイドルと言うのは、なかなか現れません」

タケダ氏の理想? とやらが合格の決め手なのだろうか。
随分主観的な気もするが、名だたる彼らが言うぐらいだから、きっと音楽業界にプラスとなる影響を与えることなんだろう。

「しかし幸運なことに、今回は2組、私たちの理想とする音楽を紡いでくれるであろうアイドルが誕生しました。今回残念な結果となってしまった方も、是非ともまた挑戦してください。その時には、私たちの理想の音楽を紡いでくれることを心より期待しております」

そう言い残して、タケダ氏たちは出て行く。それと入れ替わるように、局のスタッフが駆け足で入って来た。



167: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:48:34.72 ID:linE/gGI0

「えー、これより来週のオーディションの抽選会を始めます! 参加申請をされた方は、5階会議室までお越しください!」

「5階か。エレベーターは込みそうだし、階段で行くか」

小日向さんと走っていたため、階段を上ってもしんどくない。

「お集まりの皆様、これより抽選会を始めます!」

さっきの会場で見た人もいれば、抽選会から参加する人もいるようだ。ざっと数えてみると72人。さっきよりも多いな。

「……」

やはりと言うべきか、服部さんのプロデューサーも参加している。
彼らの話が本当ならば、次のオーディションは背水の陣と言うこと。今日以上に仕上げてくるに違いないだろうし、なによりあれだけ執着心を見せていた彼女だ。
後のアイドルたちにとって、大きなプレッシャーになるに違いない。

だから彼らより前の数字が出ることを祈っておかないと。

「多くの参加希望頂きありがとうございます。参加申請の際にお渡しした番号札の順番で、クジを引くようお願いいたします」

そう言えばそんなのがあったっけ。確認すると、番号は40番。これまた中途半端に後ろの方だ。



168: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 22:51:22.50 ID:linE/gGI0

「40番の方、クジをお引きください」

「あっ、はい!」

係員に誘導され、ガラガラの前に立つ。商店街のくじ引きみたいだなぁ。とのんきなことを考えていると、
係員の目が早くしてくれって言っているように見えたので、ガラガラを回す。
そう言えばこれの正式名称って何だったっけか?

2、3回回して、小さな玉が出てくる。書かれている数字は……。

「7、72……」

「シンデレラプロさん、72番です」

この時ばかりは、本当に彼女に申し訳ないことをしたと思った。なんてくじ運の悪さだ。
自分以外の全員が終わった後で、パフォーマンスを行わないといけない。唯でさえ時間がかかって集中力が切れてしまうと言うのに、悪いことは立て続けに起こるもので。

「○△プロさん、71番です」

「うげっ、マジかよ」

泣きっ面に蜂。不幸にも、直前の71番は、服部さんたちのプロダクションだった。



169: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 23:00:36.57 ID:4am+QG6p0

「えーと、大丈夫ですよ! ほ、ほら! こういう順番性のオーディションって、最初の人が基準になるから、後の方が良いって言うじゃないですか。後だしジャンケンですよ、後だしジャンケン!」

俺の話を聞いていたちひろさんは、努めて明るく振る舞おうとしている。
難しいところだが、彼女の言うとおり、くじ引きと違って最初にするよりも、後の方が有利なのかもしれない。

だが一番最後となると、プレッシャーが半端ない。1人3分、25人ぐらいで休憩を一回挟むとしても、だいたい3時間半も拘束されることになる。
今日でも結構疲れたのに、72人となると想像もしたくない。

「うむ、確かにハードなオーディションだ。前でも後でも、違うプレッシャーがかかるからね」

「社長!」

何時の間にやら社長が俺達の会話に参加していた。

「だが、この試練を乗り越えなければ彼女はアイドルとして輝くことは出来ない。ファーストホイッスルはゴールじゃない、通過点なんだ」

「はい。それは重々承知しています」

ゴールじゃなくて通過点か。まぁあのオーディションで満足してしまうようじゃ、これ以上上に行けないか。
今ひとたび、意識を改めないと。



170: ◆CiplHxdHi6 2013/01/25(金) 23:01:37.16 ID:4am+QG6p0

「こんにちわ! 遅れてすみません。日直の仕事があって……」

「ああ、こんにちわ。時間はまだ大丈夫だから、そこまで慌てなくてもいいよ」

そうこうしている内に、小日向さんもやって来た。今日の予定はレッスンだ。
ここの所イベント尽くしだったし、そろそろオーディションに向けての最終調整といかなければ。

「あ、あのプロデューサー?」

「ん?」

「どうしたんですか? 難しい顔をして」

「あっ、ちょっと考え事をね。心配させてごめんね」

危ない危ない、顔に出ていたようだ。

「えっと、今日もよろしくお願いしますね」

「ああ、頑張ろうな」

今は彼女の未来のためにも、頑張らないと。



176: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:12:13.16 ID:vIrwZa5y0

――

朝起きて、ご飯を食べて、歯を磨いて。いつも通りの朝を過ごす。

『今日の天気は一日中晴れでしょう』

「晴れ、か」

いつも見ている朝のニュース番組。可愛らしいお天気お姉さんは晴れと予報した。
なんとなくだけど、今日は幸先がいいように感じた。

「そろそろ来るかな」

着替えを済まし、荷物をまとめる。貴重品良し、ハンカチ良し、衣装良し。

荷物の確認が終わったタイミングで、ピンポンとチャイムが鳴る。

「あ、はい! 今行きます」

冷たいドアノブを回し、ドアを開けると見知った顔。というよりも、私の半身のような人。

「おはよう、小日向さん。準備できた?」

「おはようございます! だ、大丈夫です」

いつもと同じようで、違う一日。今日は初めてのオーディションだ。



177: >>176~6話 儚き花道 ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:14:32.52 ID:TfIUvaqr0

「こ、ここがオーディションか、会場、で、ですか?」

「はは、入る前から緊張してどうするの」

「き、き、緊張するなって方が、む、無理です!」

プロデューサーは笑っているけど、私はとても笑えそうになかった。
なんせ私にとって、人生初めてのオーディションがこんな大きな舞台なんだ。
こんなことになるのなら、学芸会で積極的になればよかったのにな。
木の役に甘んじ続けてきた自分を今更になって恨む。

「まぁ適度な緊張は必要だよね。特に今回は72人の大トリを務めるんだ。するなってのも、無茶振りみたいなものか」

「う~」

順番ばっかりはどうしようもないことだ。運が悪かったと受け入れるしかない。

『ごめん小日向さん! 俺のくじ運が悪いばっかりに、一番最後になってしまった!』

『ええ!? え、えっと何人中、ですか?』

『……72』

『へ?』

『72人中、72番なんだ』

『えええええ!?』



178: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:16:24.35 ID:9NEMz1Ms0

あの時は流石に泣きそうになった。よりによって、私の様な新参者が一番最後とは。

ううん、ネガティブになっちゃダメだ。前だけを見て行かなくちゃ。
それに、一番最後なんだから、後の人のパフォーマンスを見てビクビクする必要もない。

「やるしかないんですよね」

「遅かれ早かれここに挑むつもりだったんだ。今の自分がどの程度通用するか、試してきて欲しい」

「はい!」

「よし、行くか!」

プロデューサーと拳を付き合わせ、会場へと入る。
オーディション自体は13時からだけど、集合は10時だ。

何でも参加者同士の交流の場でもあるとのことで、本番までの間、一緒に柔軟をしたり昼食をとったりして、
情報交換に努めて欲しいと言う主催者の配慮らしい。

そう言えば。恥ずかしながら私の同業者の友達は、卯月ちゃんしかいないのだ。
ここで同じ喜びや悩みを共有する仲間を見つけるのも、悪くないかもしれない。



179: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:18:01.04 ID:9NEMz1Ms0

「さてと、10時きっかしに説明があるから、遅れないようにな」

「はい」

時計を見るとまだ10分程度ある。今のうちにお手洗いを済ませておこう。

「皆様、おはようございます。ハローホイッスル総合プロデューサーの、タケダです」

10時になり、説明が始まる。

タケダさんによると、今回のオーディション参加者は、欠席者0の72名。

前にプロデューサーが行ったときには50人だったらしいけど、今回のオーディションは、
クリスマス時期の特番のオーディションらしく、いつもより参加者が多いとのことだった。

確かにクリスマスの特番なら、視聴率も高いだろうし、注目される可能性も上がるだろう。

「オーディションの時間まで、まだ有ります。その間、会場はお好きに使えますので、最終調整のほど、よろしくお願いいたします」

そう言って、タケダさんは会場を出て行く。



180: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:19:24.75 ID:9NEMz1Ms0

「えっと、どうしよう」

見ると周りのアイドルたちは、柔軟を始めていた。
お手洗いに行っている間に、グループがいくつかできていたみたいで、私は取り残されてしまう。

今更混ぜてって言いにくいし……。

「ねぇ、良かったら一緒に柔軟しない?」

「え?」

どうしようかと考えていると、後ろから声をかけられる。

「貴女、ここ始めてっぽいし。あの子たちは前回も組んでいたから、入りにくいのは確かね」

透き通った綺麗な声だ。振り向くと、声に負けず劣らず綺麗な女の人が。この人も、アイドルなのかな?

「え、えっと……」

「自己紹介がまだだったわね。私の名前は服部瞳子。瞳の子で瞳子なの。貴女は?」

「こ、小日向美穂です! う、美しい穂波で美穂です! その、よろ、よろしくお願いいたします!」



181: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:21:30.82 ID:9NEMz1Ms0

「よろしくね、小日向さん。緊張しなくてもいいわよ、ほら深呼吸深呼吸」

「は、はい! スーハー、スーハー。ふぅ」

「落ち着いた? それじゃあ始めましょうか」

服部瞳子と名乗る彼女に対する第一印象は、どことなく憂いを身に帯びている、
失礼な言い方をすれば、未亡人。そんな感じがしていた。

大人っぽいって言えばそれまでなんだけど、なんだろう。

なんとなくだけど、彼女1人だけ、ここにいる皆と何かが違う気がする。
上手く言えないけど、ほのかな違和感を覚えた。

「よいしょ、よいしょっ」

「あら、結構体柔らかいのね」

「そうですか? 褒められたの初めてかもしれないです」

そんな違和感も、一緒にストレッチを始めたころには忘れていた。
教え慣れているのか、瞳子さんのアドバイスはとても参考になった。

もちろんトレーナーさんやプロデューサーの指導を否定するわけじゃないけど、
経験に基づく情報と言うものが、一番役に立つのだ。



182: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:27:27.99 ID:9NEMz1Ms0

卯月ちゃんも先輩と言えば先輩だけど、私と同世代でそこまで芸歴が変わらないし、
本人も教えるのは苦手と言っていたっけ。

だからこう、先輩アイドルが出来たのも初めてのことだった。
いや、これまでクラブに縁が無かった分、先輩と呼べる人自体初めてだ。

「それじゃあ次は私の方、やってくれるかしら」

「は、はい!」

交代。深く息を吐き続ける瞳子さんの背中を押すと、そのまま地面にくっつきそうなぐらいに曲がっていった。

「凄く柔らかいんですね」

「日々の練習の成果よ」

その後一緒に準備運動をして、昼食を取ることになった。

「ちょっと待ってて、プロデューサーを呼んでくるから」

「あっ、それなら私も!」

確か営業先から急なトラブルがあったって言ってたけど、もう終わっているかな。
とりあえずかけてみる。2回ほどのコール音で、プロデューサーは出てくれた。



183: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:28:19.90 ID:9NEMz1Ms0

「えっと、もしもし?」

『あっ、小日向さん。さっきは悪いね、1人にさせちゃって。こっちの用事も終わったから、今から戻るよ』

「あっ、そうじゃないんです。お昼ご飯、一緒に食べませんか?」

『お昼? そうだな、お邪魔しようかな。どこで食べるの?』

「えっと、分からないです。誘われたんで」

『誘われた? ああ、アイドルにね。でもそれじゃあ、俺はお邪魔じゃない?』

「いえ、誘ってくださった方も、プロデューサーを呼ぶって言ってましたし大丈夫だと思います」

むしろ全く知らない相手2人と食べるのは、まだ少し怖いから大歓迎だ。

『そう? まぁ情報交換の場にはちょうどいいか。今会場?』

「はい」

『分かった。すぐに向かう』

プロデューサーが戻ってきたのと、瞳子さんがを担当プロデューサーを引き連れてきたのは、ほぼ同時刻だった。



184: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:30:12.06 ID:XsX61rbU0

「あれ? 彼ら?」

「はい。ってプロデューサー、知っているんですか?」

「い、いやそう言うのじゃないんだけどさ……」

「?」

「あー、気にしなくていいよ。嫌いな人だとか因縁があるとかそういうのじゃないから」

妙に歯切れの悪い答えが返ってきた。

どうやら前のオーディションの時に会ったことが有りそうな反応だけど、対する瞳子さんたちは初対面のようで、
プロデューサーに初めましてと挨拶をする。

「シンデレラプロと言いますと、僕たちの後ですね」

「ええ、どうもくじ運が悪く、一番最後になっちゃいましたね」

「ははは。でも早いうちに終わっても、残りの人たちのパフォーマンスを見ることしか出来ないんですよね。死刑宣告を待つ囚人の気持ちを味わえますよ?」

「そ、それはご勘弁願いたいですね」



185: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:31:46.40 ID:RvstfWhS0

少しだけ大丈夫かなと危惧していたけど、プロデューサー同士で気が合うようで、
なんだかんだ言いながらも仲良くやっているようだ。

さっきの反応が気になるけど、今は触れなくても問題ないかな。

「それじゃあ行きましょうか。この辺で美味しいところ、案内してあげる」

瞳子さんに連れられて、私たちは小さな喫茶店へと足を運ぶ。

「あら、瞳子ちゃん。いらっしゃい」

「マスター、4人なんだけど、空いている?」

「大丈夫だよ。瞳子ちゃんたちなら、混んでても顔パス余裕だよ」

瞳子さんはマスターと顔馴染みらしく、日当たりのよい窓側の席に案内される。
窓から射す陽光は心地よく、お腹いっぱい食べたなら気持ちよく寝ることが出来るだろう。
と言うより、今の状態でも眠れそうだ。

尤も、これからのことを考えたら、ガッツリ食べるのはよろしくない。歌って踊るんだ、程々にしておこう。

「それじゃあ、このオムライスをください」

「あら、お目が高いわね。このオムライスは、マスターの一押しなのよ。ここに来るたび、私も頼んでるの。オムライス2つね」

同じメニューを選んだからか、瞳子さんは嬉しそうに説明する。



186: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:33:13.91 ID:bfJKtpVn0

「それじゃあ僕は、カツカレーで。どうしますか?」

「じゃあ、俺も」

「了解しました。オムレツ2つ、カツカレー2つ入ります!」

若い従業員さんは注文を聞き終えると、軽やかな足取りで厨房に入っていく。

「あれって……」

店内を見渡していると、壁に掛けられていた写真に、瞳子さんとマスターが映っていることに気付いた。

「ああ、あれね。私、ここで働いていたのよ」

「そうだったんですか……」

写真の彼女は、今の彼女と違って、明るい笑みを浮かべていた。
従業員一同と未来のトップアイドルって書かれているから、お客さんが撮ったのかな。
写真を見ただけで、仲の良い雰囲気が伝わり、素敵な職場なんだなと感じた。

「大分から東京に出てからね、雇ってもらってたの。その時に、彼にスカウトされたの」



187: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:37:02.09 ID:63EvW3Xn0

お隣の県出身なんだ。なんだか意外だった。個人的に、北の方出身な感じがしていたから。
どうしてかと聞かれると、彼女の持つ憂いや寂しさと言うものが、何となく北っぽかったからだ。

うん、理由になってすらいない。

「はい。たまたまこの店でお昼を食べようとした時に、接客してくれたのが瞳子さんなんです。あの写真を撮ったのも、僕なんです」

「そうだったわね。彼ったら、注文を聞きに来た私の手を取って、いきなり『アイドルになりませんか!?』って言ったの。流石にあれは面食らったわよ」

「あ、あはは」

服部Pははにかみながら、水を飲み干す。
やっぱりどのアイドルも、きっかけはいつやって来るのか分からないんだ。
その日瞳子さんがシフトに入っていなかったら、こうして彼と出会うこともなかったんだろう。

この世界に入って、つくづく縁と言うものの意外さを思い知らされるようになった。

一期一会――。いい言葉だ。

本来は茶道の言葉らしいけど、私がその言葉を知ったのはとある映画のタイトルから。
英語の授業でみたその作品の、主人公のどこまでもひたむきな生き様は、未だに私の心の中に残っている。



188: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:37:54.56 ID:63EvW3Xn0

「お待たせしました、オムライスです」

オムライス2つは運ばれてくるも、カレーはまだまだ時間がかかるみたいだ。

「えっと、いただいていいですか?」

「どうぞどうぞ。気にする必要なんてないさ」

「じゃ、じゃあ頂きます!」

スプーンを持って、ふんわりとしたオムライスを口に入れる。

「美味しい……」

「言ったとおりでしょ?」

「はい! こんな美味しいオムライス、初めてです!」

お母さんの作ったオムライスも好きだけど、今回はこちらに軍配が上がった。
半熟卵の柔らかな食感がたまらなく、口の中で蕩けるようだ。

もしこれをまかないとして出してくれるなら、アルバイトの面接を受けようかなと思えた。



189: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:47:25.66 ID:XsX61rbU0

「喜んでもらえて、何よりね。私もいただきます」

オムライスを半分ぐらい食べたところで、カツカレーもやって来る。
2人がこれを頼んだのは、縁起を担ぐ意図でもあったのだろうか。

「頂きます。うん、美味しい」

昼食会は和やかに進む。これからオーディションが待っているということを忘れそうになったぐらいだ。
順次ご馳走様を言っていき、最初に来たにもかかわらず、一番最後に食べ終わったのは私だった。
3人を待たせてしまったようで、申し訳ない。

「そろそろ会場に戻りましょうか。最終調整もしておきたいし」

「そうですね。すみませんね、お邪魔しちゃって」

「いえいえ、お気になさらず。それでは、オーディションお互い頑張りましょうね」

「はい! 瞳子さん、頑張りましょう!」

プロデューサーたちは気合十分だ。
私もただオーディションを受けて終わるだけじゃなくて、何かしら得て帰りたいと考えていた。



190: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:50:54.71 ID:XsX61rbU0

「行きましょうか、瞳子さん」

「……そうね、――で―わりにするのよ」

「え?」

今、何って言ったんだろ?

「ううん、何でもないの。頑張りましょうね」

「あ、はい」

会場へと戻る2人の背中を見送る。私たちも行かないと。

「……」

「プロデューサー?」

「あ、ああ。ゴメン。少し考え事をしてて」

「?」

やっぱりプロデューサーの様子もおかしい。何かを隠しているように見えた。
鈍い私でも、それぐらいは分かる。



191: ◆CiplHxdHi6 2013/01/27(日) 15:59:05.31 ID:eiADEd+i0

「俺達も戻ろう」

「はい」

だけど私には、彼に何を隠しているか聞く勇気は無かった。
今まで私に嘘なんか吐かなかった彼が、こう隠し事をするのは初めてのことだったから。

「……」

それは多分、彼が嘘を吐くのが苦手だからだと思う。
気付いているのだろうか? 本人は沈黙を選んでいるつもりでも、その表情は雄弁だ。
それが却って私と彼との間に、測り様のない距離を感じることになってしまった。

「天気、怪しくなってきた?」

空を仰ぐと、太陽は隠れて曇って来ている。どうやら予想は外れたのかもしれない。
泣き出しそうな曇天が、なんとなく瞳子さんと重なってしまう。

『……そうね、――で―わりにするのよ」』

別れ際に見せた瞳子さんの思いつめた表情が、何か不吉な出来事を暗示しているかのように思えてしまった。



194: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 00:37:02.56 ID:Bs+Ws+ai0

「あっ、メール着てる。卯月ちゃん?」

集合10分前、携帯電話の電源を切ろうとすると、4件のメールが来ていたことに気付く。
携帯ショップから1通、どこから私のアドレスを知ったのか迷惑メールが2通。
そして最後に、私の友達卯月ちゃんから可愛くデコレートされたメール。

『美穂ちゃん今日ファーストホイッスルのオーディション受けるんだよね! 私からアドバイス出来ることはないけど、美穂ちゃんなら大丈夫だよ! 自分を信じてね!』

自分を信じて、か。そうだよね、みんなが信じる私を信じなくちゃ。

「小日向さん。前も言ったように、緊張するのならみんなクマにしちゃえばいいんだ。見ているのは人じゃない、ぬいぐるみだってね」

プロデューサーはそうアドバイスして、席へと戻る。向かい合う形になっているけど、距離は離れている。
その間に置かれた席に、審査員たちが座るみたいだ。

今までは傍に彼がいたけど、今日は遠いところから私を見守っている。
隣に座るのは仲良くなった瞳子さんだ。
だけどオーディションが始った時、彼女は超えるべきライバルとなる。

私は1人で、この戦いに挑まなくちゃいけないのだ。



195: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 00:38:27.07 ID:Bs+Ws+ai0

「ふぅ……」

深く息を吐いて緊張を和らげる。心臓はまだバクバクしているけど、少しだけマシになった気がした。

だけどそれは、気がしただけで。

「みなさん集まっていますね。まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください」
「それでは、エントリーナンバー1番、多田李衣菜さん」

「はい」

タケダさんが淡々とした調子で、参加者の名前を挙げていく。
1、2、3……。それが私にとって、時限爆弾のカウントダウンに聞こえて仕方なかった。

「エントリーナンバー71番、服部瞳子さん」

「はい」

「エントリーナンバー72番、小日向美穂さん」

「ひゃ、ひゃい!!」

爆発!

落ち着いたはずの心臓の鼓動は、近づくにつれて早くなり、60番ぐらいからもう頭の中が真っ白だった。



196: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 00:47:23.23 ID:Bs+Ws+ai0

当然と言うべきか、名前を呼ばれて『はい』と2文字答えるだけなのに、私は噛んでしまった。
それでも、一切笑いが起きないのは、この場の持つ異様すぎる空気のせいだろうか。

沈黙が続くぐらいなら、大きく笑い声をあげられた方が気が楽なのに。

「緊張しているんでしょうか?」

タケダさんはお面を被っているかのように、何を考えているか分からない表情で、私に問いかける。

「す、すみません……」

「いえ、責めているわけじゃありません。緊張するということは、決して悪いことではありませんからね。適度な緊張は、パフォーマンスに締まりを与えます」

「は、はい……」

タケダさんは怒っているわけじゃないと思うけど、私だけこう取り上げられると、余計緊張してしまう。

「……!」

遠くに座るプロデューサーも、少し困っているように見えた。
声を出せないので、そんな目をしないでください、と目線で合図しておく。



197: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 00:53:18.82 ID:25yFBgbT0

「全員揃っていますね。それではこれより、審査を始めます」

タケダさんは相も変わらず冷然と進める。
この調子で実は私、サイボーグでした。と言われても納得しちゃいそうだ。

「初めて参加された方に説明しますが、本オーディションは、合格者の上限は決まっていません」
「皆様のパフォーマンスの出来如何によっては、全員合格も全員不合格とも有り得ます」
「ところで、特別番組枠と言うことで合格者上限が多いのでは? と考えた方もおられるかもしれませんが、私どもとしては妥協してステージに上げるということをしたくありません」
「残念ながらその様な特別措置はない。そうお考えください」

これはプロデューサーから聞いていたことだ。
ただ全員不合格はまだしも、全員合格、舞台に上げますよ。だなんてそんな極端な例は有り得ないと思うけど、
思いっきり番組を私物化している彼らならやりかねない気がする。

番組の私物化なんて言うと、ネガティブに感じるけど、彼らは彼らなりの信念でこの番組を作って来たんだ。

情に絆されず、あらゆる誘惑にも負けず。自分たちが認めた高い水準を持つアイドルだけを、
ステージに上げ続けることで、ファーストホイッスルは芸能界最後の砦となっていったのだろう。



198: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:05:04.17 ID:AKZLggD+0

「質問は有りませんか?」

タケダさんは私たちを見渡し尋ねるが、誰1人答えようとしない。
仮に有ったとしても、質問できるような空気じゃないから仕方ないことだろう。
だから私は完全に油断をしていた。

「72番小日向さんでしたか? 何かありますか?」

「へ?」

感情を感じさせない目が、私を射抜く。え、えっと。今タケダさん、私を指したよね?

「わ、わた、私ですか!?」

「はい。別に無理にとは言いませんが」

そうは言っても、何か言わないといけない空気が私を包んでいた。
周囲のアイドルや、観覧席のみんなの視線が私に集まる。

「そ、そうですね……。タ、タケダさんたちの! り、り理想を教えて、くれますか?」

「ほう」



199: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:19:57.73 ID:7Za/wyzT0

とっさに出てきたのが、彼らの理想だった。
スポンサーの力を借りず、私財を投げ打ってまで、彼らがこの番組を続ける理由が、なんとなく気になったからだ。

「……」

「え、えっとその……」

審査員の皆様は能面のように表情を一切変えない。不味いを質問しちゃったのだろうか?

「この番組の有るべき姿は、いわばそれは私たちの理想と言うことになります。私たちは常にそれが伝わるよう、番組を作っていましたが、どうやら努力が足りなかったようですね。それに関しては、私たちの責任です」

顔は眉1つ動いていないけど、少しだけ残念そうに答えた。

「そ、そういう意味では……」

居心地が悪くなって、すぐに訂正する。タケダさん達が悪いんじゃない。
地元じゃ映っていなかったからと研究を怠った私が悪いのだから。

「いえ。事実オーディションに参加された方の中にも、なんとなく参加されているという人も少なくないでしょう」
「それを否定するつもりはありませんが、折角参加して下さるのでしたら、少しでも私たちの理想に共感して下さればと思います」
「ファーストホイッスルの理想はずばり、音楽の原点回帰です」



200: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:36:10.57 ID:wt+CnIhh0

「音楽の原点回帰、ですか」

抽象的な返答に少しだけ困惑するも、なんとなく意味が伝わった。

「はい。かつて私たちは、音楽業界の現状に疑問と憂いを抱き、ファーストホイッスルの前身ともいえる番組を作りました」
「オールドホイッスル、聞いたことが有りますでしょうか? 今の若い方には馴染みが薄いかも知れませんが、そこで私たちは極上の音楽を目指していました」

オールドホイッスル――。私がまだ小学生になる前の番組だったはず。
幼い頃の話であまり記憶にないけど、こっちは熊本でも映っていたと思う。

「老若男女誰からも愛され、口遊めるような音楽。そこには国境も思想も関係ありません。素晴らしい音楽だけが、心に届くのです」
「しかし私たちの努力叶わず、オールドホイッスルは終了しました。後ろ盾となっていた方の失脚もあり、局としても数字の取れない番組をいつまでも残していくわけにもいかなかったのでしょう」

タケダさんはさらに続ける。

「ですが、私たちの理想に共感した若い力が台頭してき、名前を変えて再び始めることが出来ました」
「ファーストホイッスルは、その若い力を中心にピックアップしていっています。これからの音楽業界を牽引する存在を、私たちは求めているのです」
「拝金主義に溺れず、ただ純粋に素晴らしい音楽を届けること。それが私たちの使命であるとともに、皆様に求めていることでもあります」

10年20年、もしかしたら100年以上愛されるような音楽を、彼らは目指している。
そしてその歌を紡ぐに値する存在か、このオーディションで見極めているのだろう。



201: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:45:02.38 ID:50Yp0Th50

「簡単にですが、ご理解いただけましたでしょうか?」

「は、はい。ありがとうございます」

「他に質問はございますでしょうか?」

やっぱりみんな手をあげない。タケダさんもそれ以上追及することは無く、先に進める。
もしかすると私、目をつけられたのかな……。

「ないみたいですね。それでは早速始めましょう。エントリーナンバー1番の方、お願いいたします」

「はい」

ロックな音楽が会場に響き、1番の彼女はパフォーマンスを始める。
それがこの戦いの始まりを告げる、ファンファーレ。

オーディションは始まった、もうどこにも逃げることは出来ない。



202: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:46:28.49 ID:50Yp0Th50

「ふぅ……」

「おっ、いたいた。小日向さん!」

「プロデューサー」

2度目の休憩中、自販機の前でプロデューサーと再会。
長時間拘束されているためか、彼の顔にも明らかな疲労が見えていた。
それは私も同じことだろう。

「ふぅ、慣れないもんだなぁ。前回ならさっきの子で終わってたのに、後1時間チョイあるもんなぁ。小日向さん、体は固くなってない?」

「あっ、大丈夫です。さっき少し体を動かしていましたから」

「そうか、なら大丈夫だな」

プロデューサーは自販機でコーヒーを買うと、私の隣に腰掛ける。いつもぐらいの距離で、少しだけ安心。

「プロデューサーから見て、どの子のパフォーマンスが良かったとかありますか?」

「俺から見て? そうだな……」

コーヒーを美味しそうに飲んでいる彼に聞いてみる。
私からしたら緊張しっぱなしだったため、みんな凄いなと言う小学生レベルの感想しか出なかったけど、
プロデューサーと言う目線から見たら、違って見えるのかもしれない。



203: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:51:58.51 ID:wt+CnIhh0

「俺が審査員なら目をかけるのは、トップバッターのロック娘とか、後42番の子かな」

難しそうな問題を考えるように腕を組んで答える。

「特に最初の子は、小日向さんと同様今回がファーストホイッスル初挑戦と言うことらしいけど、本番慣れしている印象があったかな」
「ロック調の曲で、自分の個性をアピールしていたし。粗削りだけど、今後出てくるだろうな」

彼女の堂々としたアピールは、とても初挑戦とは思えなかった。
場の空気に潰されることなく、自分のカラーを出し続けるのは、とても難しいことだ。
それを彼女は、難なくやってのけたのだ。

それに、トップバッターであれだけ出来ると言うのも、相当なものだと思う。

「で、42番の子はなぁ……」

眉を八の字にして困った表情を見せる彼。それも仕方ないだろう。
いくら緊張して周りが見えなかった私ですら、彼女のパフォーマンスとキャラクターは鮮烈に残っているぐらいだ。

「なんと言っても存在感が他の子と桁違いだ。その上、あれだけのパフォーマンスを見せるとは、単なる色物って訳じゃなさそうかな」

42番、名前は確か諸星きらりと言う芸名のような名前だっけ。
今参加者の誰よりも背が高く、口を開けば独特の喋り方で、どこか可笑しなテンション。
プロデューサーは色物だなんて失礼すぎる表現をしたけど、その言葉が一番しっくりと来たから始末に負えない。



204: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:57:04.17 ID:VuV8MICW0

しかしパフォーマンスは、色物という嫌な評価を覆す出来だった。
ダンスや歌の完成度は言うまでもない。
加えてアピールのタイミングや、右に倣えを強要されそうな場の空気をものともしない、
鋼の様な強心臓は私も見習いたいぐらいだ。

「しかも話によると、彼女のプロデューサーは、以前この番組でデビューした双葉杏の担当だと聞くし、油断ならない相手だな」

同じプロデューサーが担当している双葉杏と言う人がどんな人かまでは分からないけど、
この番組でデビューしたぐらいなんだから、凄く意識の高い人なんだと思う。

「飽くまで新米プロデューサーの一意見だから、参考になるかは微妙だよ? それに、他人を気にしても意味がない」
「俺たちがすべきことは、自分の最良をやり切るんだ。誰かに影響されるんじゃない、自分の芯を持ってね」

コーヒーを飲み終えた彼は立ち上がって背伸びをする。
私もそれに倣って、隣で背を伸ばす。うん、気持ち良い。

「俺のマネ?」

「はい、マネっ子です」

「まっ、こうでもしなくちゃ寝ちゃいそうだしな。さてと、行きますかね」

「はい」



205: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 01:58:21.13 ID:VuV8MICW0

「休憩終了3分前です! そろそろ会場にお戻りくださーい!」

係員さんが休憩の終わりを知らせる。私の番まで後1時間と少し。
それまでの間に、逸る気持ちを抑えないと。

「あれ?」

会場に入る前、どこか浮かない顔をしている瞳子さんのプロデューサーを見つける。
何か有ったのかな?

「小日向さん、調子はどう?」

「え、えっと……、バッチリかどうか分からないですけど、少し落ち着いたかなと思います」

「それなら安心ね。さぁ、あと少しがんばりましょう」

椅子に座ると隣の瞳子さんが声をかけてくる。さっきのことを聞こうかと思ったけど、
あまり触れて欲しくないことかもしれないので、そっとしておく。
それが原因で、瞳子さんにプレッシャーを与えちゃうのは本意じゃない。

「それでは、オーディションを再開します。エントリーナンバー51番の方、よろしくお願い致します」



206: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 02:03:20.98 ID:e2d/qQta0

タケダさんの合図で、オーディションは再開した。
51、52、53……。3分刻みで、出番と言う爆弾は私へと近づいていく。
60番頃から私は、他人のパフォーマンスが気にならなくなっていた。

そう言うと落ち着いてきたかと言われそうだ。
聊か語弊のある言い方だったかな、実際はそれ所じゃなくて、他人のを見ている余裕なんてなかっただけ。
淡々と進んでいき、70番のアイドルも終了する。

次は瞳子さんの番だ。心の中で、こっそり彼女に頑張れとエールを送る。

「エントリーナンバー71番、服部瞳子です」

彼女に合っているゆったりとした曲が流れてくると、瞳子さんは私たちの目の前で舞い踊る。
その姿を見る人は、彼女を何と形容するだろうか?

顔こそは見えないものの、私には瞳子さんが何かに憑りつかれているようにしか見えなかった。
それは私だけじゃなかったと思う。この場にいる全員が、彼女のパフォーマンスに、
どうしようもないまでの『執念』を感じていたんだ。

彼女に対して覚えた違和感は、こういうことだったのか。



207: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 02:05:04.34 ID:kHR5r67A0

タケダさんは飽くまで表情を崩さず、瞳子さんを見続ける。
私があの席にいたなら、きっと泣きそうになっているだろう。

「……ッ!」

瞳子さんのプロデューサーが、苦虫を潰したかのような顔で彼女を見ている。
彼も瞳子さんに伝えたい言葉があるはずだ。

だけどそれは、届かない。

「……ありがとうございました」

「瞳子、さん」

「……」

曲が終わり、瞳子さんは一礼すると席に戻る。私の隣に座った彼女の顔を、私はちゃんと見ることが出来なかった。

怖かったから?
優しくしてくれた瞳子さんのそんな顔を見たくなかったから?

理由は分からないけど、体がそうすることを拒絶していた。

怖い。踊るのが、歌うのが怖い。そう思ったのは、始めてだった。



208: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 02:10:11.63 ID:kHR5r67A0

「次が最後ですね、エントリーナンバー72番。お願いいたします」

「は、はい! こ、小日向美穂です! よろしく、お願いいたします!」

――目を瞑る。聴衆を全てクマにしよう。
――目を開ける。そこには真剣な表情の審査員と、厳かな空間。
200を超える数の瞳は、前から後ろから私を見つめていた。

そして、場の空気に合わないような、明るいイントロが流れてくる。

その後のことは良く覚えていない。

「きゃっ」

「――!」

ただ気が付いた時には、止まらない音楽の中、響くはプロデューサーの声。

私の天と地は、逆転していた。



211: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 21:46:23.85 ID:Bs+Ws+ai0

「……」

「あー、うん。小日向さん、ちょっとちょっと」

「……何でしょうか?」

審査結果を待つ間、プロデューサーが心配そうに私のもとへとやって来た。

「その、何が有ったんだい?」

「何って……」

「確かに緊張はしたと思う。あれだけの人の前で歌い踊るのなんて、初めての経験だったから。今までそのような機会を用意出来なかった俺たちが悪いんだけど、今日のパフォーマンスは……」
「正直言って最悪だった。いつもの君なら、もっと出来ていたはずなのに」

いつもは失敗しても、小日向さんなら出来る、大丈夫! と笑顔で励ましてくれた彼が、
悔しそうに唇を噛みしめている。

初めてのことだった。彼がここまで悲しそうな顔をしたのは。



212: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 21:50:40.97 ID:Bs+Ws+ai0

「怖かったんです」

「怖かった?」

「はい。瞳子さんのパフォーマンスを見て、私は自分を失ってしまいました。言い訳に聞こえますよね? 人のせいにするなんて、私最低ですよね」

自分の技術不足が悪いのに。
飲み込まれてしまった自分が悪いのに。
優しかった彼女に責任を押し付けてしまった。本当に最悪だ。

だけどプロデューサーはそれを責めることなく、あたかも自分が悪かったかのように頭を下げた。

「すまない、小日向さん」

「え? どうして、プロデューサーが頭を下げるんですか?」

「こうなることぐらい、分かっていたのに……!」

この時の唇を強く噛みしめる彼の表情を、私は一生忘れないだろう。
それぐらい、辛そうに見えたのだ。今まで私にそんな素振り、一切見せなかったのに――。

「審査結果発表が始まりますので、出演者の方は会場にお戻りください!」



213: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 21:54:38.85 ID:InrPCXEI0

意味深なことを口走ったものの、最後まで聞くことは出来なかった。
プロデューサーはどうしてか、瞳子さんたちを見た時に、担当アイドルに先輩が出来て喜んだというわけでなく、
しまったと言いたげに複雑な表情を浮かべていた。

プロデューサー。一体貴方達の間に、何があったんですか?

「全員帰って来たね。それでは、審査結果を発表します。今回のオーディション、合格したユニットは……、42番、64番、69番の3組です」

「にょわー! 合格したにぃ!」

「いだだだ! 骨が折れるって!!」

合格したユニットだろうか、所々から嬉しい悲鳴が上がる。
42番は記憶に残っているけど、64番と69番は私自身がそれ所じゃなかったため、あまり憶えていない。
当たり前だけど、私の名前は呼ばれなかった。
72人の中で、一番出来の悪いパフォーマンスを見せてしまったんだ。

名指しで侮辱されても仕方ない。私以外合格、私だけ不合格でも納得しただろう。

「さて、今回のオーディションは72人といつもより大人数で行ったため、皆様に残る疲労も相当なものだと思います」
「学校の先生のようなことを言いますが、家に帰るまでがオーディションです。下手に寄り道せず、予定のない方はゆっくりと休んで明日からの活動を頑張ってください」
「それでは、これにてオーディションを終了致します」



214: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:08:24.33 ID:InrPCXEI0

タケダさんはそう締めくくって、会場を出て行く。
それに倣って、アイドルたちもぞろぞろと立ち上がって、帰る用意を始める。

「あら、貴女は帰らないの?」

「瞳子さん……」

隣に座る瞳子さんも、荷物をまとめて出ようとしていた。
彼女の顔は、つきものが落ちたような、そんな穏やかな顔だ。
数十分前の彼女と同一人物とは思えないぐらい。

「すみません。少しだけ、お話しませんか?」

「私と? プロデューサーを待たせているんじゃないの?」

「大丈夫です。少し遅れるって連絡しますから」

「そうね……、風に当たりましょうか。この部屋は熱気で熱いし、ちょっとぐらい寒いぐらいがちょうど良いわね」

「分かりました」

荷物を持って、瞳子さんについていく。
会場の近くのベンチで2人隣り合って座る。空を見上げると、今にも崩れそうな天気。
やっぱり予報は大外れだった。



215: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:21:48.14 ID:InrPCXEI0

「まずは、お疲れ様。初めてのオーディション、どうだった?」

「えっと、何も考えれませんでした。変な話かもしれませんけど、私じゃない誰かが、私を操っている。そんな感覚でした」

「変でもないわよ。私も似たようなものだったし。ちょうど今年の1月かしらね? この場所で、私も初めてのオーディションに挑んだの」

瞳子さんは懐かしそうに笑うと、今にも泣きだしそうな曇天を仰ぐ。

「私も彼も右も左も分からないペーペーだった。だからでしょうね、新人アイドル対象なんて謳い文句の地獄の1丁目、ハローホイッスルにいきなり挑戦しちゃったのよ」

「ッ! そ、そうだったんですか……」

地獄の1丁目だなんて、仰々しい例えがなんか面白くて、噴き出しそうになってしまう。
うん、あながち間違ってないよね。
その先に2丁目の3丁目もあるのだろうか。

「結果はボロボロ。踊っている途中で靴ひもほどけてこけそうになるし、歌詞を間違えるし。本当に、最悪だったわ」
「その時から、私たちはこのオーディションに合格することに必死になった」
「毎回のように参加して、営業や他番組のオーディションで経験を積んで、あのステージに立ってやるんだってね」



216: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:23:14.94 ID:InrPCXEI0

「いつしかそれが、私の夢になっていたの。屈辱を晴らしてやるだなんて、他の皆からしたら小さな夢かもしれないけど、それでも私にとってはアイドルとしての行動理念になっていた」

夢――。それは誰にでもあるものだ。
私の夢も、他人からしたらちっぽけだなと言われてしまうかもしれない。
だけど夢の大きさは、他人に測れるものじゃない。

「……でもね、疲れちゃったのよ。夢を見続けることに、縛られることにね」

「え?」

「私ね、今日のオーディションがダメだったなら、アイドルを引退するつもりだったの」

「そんな!」

驚く私をよそに、自嘲するように彼女は話し続ける。

「アイドルの期限は1年間。その間に結果が出なければ、そこまでの存在なの。もちろん私たちは頑張って来たわ。自分達は輝ける、特別なんだって。でも、無理だった」
「彼も喫茶店の皆もいつでも応援してくれた。頑張ってください、瞳子さんなら出来ます! 根拠なんてどこにもないのにね、凄く心強かった」
「だけど、どれだけ期待されても、私は出来なかったの。私より後にオーディションを受けた子が合格して、いつの間にか自分は何をしているんだろうと思っちゃって」



217: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:29:41.29 ID:6qexn7kK0

「だから、辞めちゃうんですか?」

「ええ。今日のオーディションは、背水の陣だったのよ。これがダメなら、私は大分へ帰る。プロデューサーと約束していたことなの。一方的にだけどね」
「彼は何度も説得してくれた。凄く嬉しかった。きっと今まで頑張れてこれたのは、彼がいたからなんでしょうね。それが恋心かどうか、分かったもんじゃないけどね
「でも、彼はこんな所でまごついてちゃダメなのよ。私なんかよりも、魅力的な子はいっぱいいた。事務所からも打診されていたはず」
「だけど彼は、最後まで私と共にトップを目指すって言ってくれた。格好悪くても泥臭くても2人で夢を掴もうって決めたのに」

だから彼は、あんな顔をしていたんだ。
だから瞳子さんは、鬼と見紛うほど必死だったんだ。

自分たちはまだ夢が見れるってことを証明したかったんだ。

「結果は、今日もダメだった。1年間挑んで、1度たりとも受からなかった。これ以上続けても辛いだけだから……」

そんなことない、瞳子さんならいけます! 口に出すのは簡単だ。
だけどそれは、彼女を縛り付ける無責任な言葉。
私は彼女の独白を、ただただ黙って聴くことしか出来なかった。

「人の夢って、どうしてこんなに儚いんでしょうね……」

彼女に与えられた花道は、とても儚いもので――。



218: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:31:46.89 ID:/qA7RzT50

「小日向さん、あなたは……こうなっちゃダメよ」

恨み節とも取れる彼女の言葉が、私の中で何度も何度もリフレインする。
リフレイン――。動詞だと止めるって意味なのに、名詞にすると繰り返すだなんて正反対の意味になるのはどうしてだろうか。

どうせなら、すぐにでも止めて欲しかったのに。

その後、瞳子さんのプロデューサーが彼女を迎えにきた。
口調こそは軽かったものの、なんとか明るく振る舞おうと無茶しているのが、私にも分かった。
きっと瞳子さんも気付いていただろう。それぐらい、ごまかし方が下手だった。

2人が去ったベンチで、私は1人項垂れる。
彼女たちはどうなるのだろうか?
瞳子さんは、どうするのだろうか?

今後の自分の身の振り方を考えなくちゃいけないのに、浮かび出てくるのは憂いを帯びた2人の姿。

「雨だ」

ポツポツと降り出した雨は、徐々に強まって滝のように降りしきる。すぐに雨宿りできるところに行けばいいのに、
私はその場から動く気になれなかった。雨に濡れてもお構いなしだ。

「聞きたくなかったよ……」

今、私の頬を伝うのは、雨なのか、それとも――。



219: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:34:38.10 ID:/qA7RzT50

「……風邪ひくよ」

「……」

雨が当たらなくなったなと思うと、プロデューサーが近くのコンビニで買った傘を差してくれた。
急いできたのだろう、値札が付いたままだ。

この場所には私と彼しかいない。世界から隔離されているとまで感じるぐらいの静寂。
耳に入るのは雨音と、雨が傘に当たって弾ける音だけ。

先に口を開いたのはプロデューサーの方だった。

「本当なら、服部さんと引き合わせるべきじゃなかった。こう言っちゃ彼女たちに失礼だけど、彼女の覚悟を知ると、きっと小日向さんは傷つくと思ったんだ」

「……プロデューサーは知っていたんですね」

「偶然だけどな」

「プロデューサー、1つ聞いていいですか?」

「何かな」

傘を差したまま、びしょ濡れになったベンチに座る。
一瞬冷たそうに顔をゆがめるも、すぐに真剣な眼差しになる。この切り替えしは流石と言うべきか。



220: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:36:46.41 ID:/qA7RzT50

「夢って、本当に叶うんでしょうか?」

「叶うさ、俺たちが見続ける限りな」

「そればっかりですね。……人の夢って儚いんですよ?」

憶えたばかりの言葉を使う子供の様に、瞳子さんの言葉を真似る。

「だけど眩しくもある。一瞬のきらめきだとしても、俺達は必死にしがみ付こうとするんだよ。……小日向さんは、どうしたい?」

「私は……」

私は……。その続きは、紡がれなかった。

「……少し、考えてみようか」

「はい、そうします」

雪に変わりそうなぐらい寒いのに、雨は相変わらず傘に弾かれて飛び散る。
私たちは2人して黙り込んだまま、電池の切れたかのようにベンチに座っていた。

帰ろうか、と彼が言ってくれたのは時計の長針が一周したころだった。

雨は止まない。私の心も、雨模様。季節外れの、梅雨が来た。



221: 7話 Naked Romance ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:46:22.41 ID:/qA7RzT50

――

「先日のオーディションが響いているみたいですね」

音楽に合わせて踊る彼女を見て、トレーナーさんは険しい顔のまま、俺に話しかける。

「ええ、そうですね」

「確かに彼女にとって、良いオーディションじゃなかったと思います。詳細な順位が発表されたわけじゃありませんが、話を聞く限り、参加者の中ではダントツ最下位だったみたいですし」
「ですが、それを差し引いても、ここまでモチベーションが下がるとは。何かあったんですか?」

初めてのオーディションから1週間、俺たちはいつものように活動するはずだった。
はずだったというのは、小日向さんのモチベーションが俺達の予想以上に下がってしまったことで、活動に身が入らなくなったのだ。
レッスンをして、イベントに参加して、リベンジを誓う。
そうなればと願っていたのだが、彼女が受けた傷はそう簡単に癒えやしなかった。

「結果もあると思いますけど、仲良くなった先輩アイドルが引退したことも尾を引いているんです。彼女にとって初めての先輩でしたから、尚更だと思います」

「先輩アイドルですか?」

「ええ。ほんの少しだけの間でしたが、小日向さんも彼女に懐いていましたから]



222: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:52:19.25 ID:cyWxZk1/0

裏切られた、そう思っていても不自然じゃない。今まで純粋なまでに夢に向かって走り続けた彼女に、
夢を諦めると言う現実を突き付けてしまった。しかもそれが、彼女と仲の良くなったアイドルなんだ。
誰が悪いなんてことは無い。責めることも出来ない。それが、芸能界なんだから。

「でもこのままじゃ、あの仕事は……」

「あの仕事?」

「いえ、こっちの話です。少し、イベントの依頼が有りまして」

「そうですか。ですが、今の状況だと、いい結果は出ないかもしれません」

「……ですね」

オーディション後の話だが、服部さんの担当プロデューサーは、所属事務所の新人アイドルをプロデュースし始めたようだ。
結果が思うように出なかったとはいえ、1年近く1人のアイドルを育て続けた経験は嘘を吐かない。
今後彼が俺たちの前に姿を現すこともあるだろう。その時には、小日向さんは先輩になっているんだ。

「はぁ……」

後輩アイドルにはとてもじゃないけど、今のままの姿はお見せできない。



223: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:54:40.12 ID:cyWxZk1/0

服部さんのことだが、プロデューサーによると地元の大分に帰ったらしい。
これからどうするかまでかは聞けなかったが、プロデューサーは彼女を諦めたわけじゃないらしい。

『夢破れたとしても、もう一度夢を見てもいいんですから。彼女がステージに帰ってこれるよう、僕も頑張らないといけませんし』

一番つらいのは彼なはずなのに、そんなことはどこ吹く風。服部さんを諦めるなんて、微塵も考えていなかった。

『それに、僕がプロデュースした子らを見て、戻りたくなるかもしれませんしね。その時は、もう一度夢を見ます』

吹っ切れたのか、そう言って笑う顔は晴れやかだった。

「俺も見習わなくちゃな……」

誰にも聞こえないように、こっそりと呟く。

「休憩終了! それでは、先ほどのセクションからもう一度」

「……はい」

「小日向さん、気のない返事をするぐらいなら、今日はもう良いです。着替えて帰ってください」

「わかりました……」



224: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:56:38.69 ID:cyWxZk1/0

反抗もせず、小日向さんは更衣室へ向かう。
恥ずかしながらも、食らいついていた彼女はどこに行ってしまったんだ!?

「はぁ、これは重症ですね。少しでも、食いついて欲しかったんですが……。結構ショックです」

トレーナーさんは残念そうに言う。先のオーディションでの失敗、夢を見続けることの虚しさと辛さ。
重すぎるダブルパンチから、彼女はまだ立ち上がれそうにない。

「俺たちも早く吹っ切れないとな」

「ええ。このままじゃ彼女、逃げ出してしまうと思いますから。私に出来ることあれば、言ってくださいね」

「その時はお願いします」

本当に、俺はまだまだだ。

担当アイドル1人のやる気すら出せなくて、何が目指せトップアイドルだ。



225: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 22:58:49.87 ID:cyWxZk1/0

「どうしたものか……」

事務所で弁当をかき込みながら呟く。
弱気なことを言うと、どうすればいいか分からなくなっていた。
励まし続ければいいのか?
きっぱりと切ってしまえばいいのか?

こんな時、彼女を導いてやるのがプロデューサーなのに。自分が情けない。

「何か、悩み事かね?」

「ああ、社長」

「最近小日向君が不調続きと聞いていてね。君もそのことで、頭を抱えているのでは?」

「ははは、お見事です」

流石社長、お見通しと言うわけか。

「伊達にこの業界に長くいないさ。初めてのオーディションで立ち直れない傷を負ったアイドルと言うのは、案外いるものだよ」
「その中には、磨きつづければ輝いただろう原石もいた。本当に、勿体無い話だ」



226: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 23:00:16.30 ID:wrFwgcFh0

「ええ、全くです」

最初は誰だって夢を見る。だけど辛い現実や、自分の力不足を嘆くうちに、夢を見ることに疲れてしまう。
叶いもしない夢を見るのは時間の無駄、そう考えると前に進めなくなってしまうのだ。

服部さんが珍しいわけじゃない。むしろこの業界では、新陳代謝の様なもの。
彼女が夢を諦めた時、ほかの場所で新たな夢が生まれただろう。

そうして、この業界は回っている。

「彼女に関してもそうだ。彼女は未来を創ることの出来るアイドルだと信じている」
「だけどなにより、君が彼女を信じなければ、彼女は誰と共に進めばいいか分からなくなる。今はマイナスでも、きっとプラスへと戻ってくれるさ」

「そうですね、少し悩み過ぎていたかもしれません」

「うむ。それとだね、もしも彼女のモチベーションがなかなか上がらないというのなら、1つ大技があるよ」

「大技ですか?」

「そうだ。アイドルのモチベーションを上げるには環境を変えると言うのも1つの手。そうだね、例えば……」

「例えば?」



227: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 23:01:47.36 ID:CO342Vao0

もったいぶるように少しだけ溜める。

「CDデビューを早める、とかね」

「CDデビューを早める、ですか」

「現段階では、オーディションやイベントではカバー曲を中心にしているはずだが、思い切って彼女だけの曲を作ればいい。小日向君とともに成長し、育っていく歌をね」

確かにファーストホイッスルにむけてのレッスンやイベントめぐりで、CDデビューのことはうやむやになっていた。
なるほど新曲か。確かにモチベーションを上げるには一番だろう。

「彼女だってアイドルになったからには、自分だけの歌を歌いたいだろう。彼女の適性に合う曲を作るのは大変だと思うが、時間はあるんだ。最良の選択を頼むよ」

「はい」

新曲か。作曲家の先生に相談して……。

「ん? 電話?」

ブルブルと震え、ポケットの中で携帯が着信を知らせる。



228: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 23:03:25.73 ID:TOf1byaM0

「私に構わず出たまえ」

「すみません、失礼いたします。もしもし?」

『もしもし。えっと、シンデレラプロのプロデューサーさんですか?』

「はい、そうですが……。失礼ですがどちら様でしょうか?」

『あっ、そうですね。自己紹介がまだでしたね。私、音楽プロデューサーのタケダの下で修業している者なんですが』

「タケダさんのお弟子さん、ですか?」

『まぁそう言うところです』

タケダさん自体経歴から何まで謎の多い人物だけど、弟子がいたなんて初耳だ。
声を聴く感じ、俺とそこまで年齢が離れているという感じではない。

しかし弟子か。一体なにを教わっているのだろうか。



229: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 23:09:47.15 ID:lxl7O3Kn0

『彼の下で音楽表現や作曲を学んでいるんです。えっと、自己紹介はこんな感じで……。急な話ですみません。今お時間よろしいでしょうか?』

「へ? まぁ、大丈夫ですが」

『良かった! それでは、今から喫茶店にてお会いできますか? きっとあなたたちにとっても悪い話じゃないと思うんです。小日向さんも連れてこれたらありがたいんですけど』

「彼女は今学校が終わったところですかね。少し時間がかかるかもしれませんが」

『大丈夫です。それでは、お待ちしておりますね』

そう言い終わると、タケダさんの弟子を名乗る男は電話を切った。
一方的に話が進んでしまったが、話してみた感じ、詐欺とかではなさそうだ。

「どうかしたのかね?」

「いや、タケダさんの弟子って人から電話がかかって来まして。社長ご存知でしたか?」

「ふむ、彼か……」

「社長?」

「あっ、いや。気にしないでくれ。もしかしたら詐欺か何かと考えているかもしれないが、安心したまえ。彼のことだ、きっとうまい具合に話を進めてくれるだろう」



230: ◆CiplHxdHi6 2013/01/28(月) 23:12:02.85 ID:I9lGBhGc0

どうやら社長も知っている人物のようだ。なら信頼しても大丈夫しそうだな。

「こんにちわ。遅くなりました」

慣れてきて前ほどどもらなくなったのは嬉しいことだけど、小日向さんの浮かない顔は見たくない。
これが何かの切っ掛けになればいいが……。

「グッドタイミング! 小日向さん、今日のレッスンはお休みだよ」

「え?」

「少し予定が出来てね。今から喫茶店に行くよ」

「は、はい」

訝しげに首を傾ける彼女を連れて、待ち合わせ場所へと向かう。

そう言えば、お弟子さんの名前聞いてなかったな。名前も知らない相手を信頼すると言うのも妙な話だけど、
今の俺達は藁にも縋りたい気持ちだった。

どうかこの出会いが現状を打破してくれますように。



237: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:30:56.09 ID:yeaMvKYi0

「あっ、こっちです!」

喫茶店に入った俺たちを、線の細い声が呼びかける。
装飾が眩しいクリスマスツリーの近くの席に、彼は座っていた。

電話で聞いた声は若く感じたけど、会ってみると意外と歳を食っているみたいだ。30前ぐらいだろうか?

「すみません、お忙しい中お呼びしちゃって。あっ、何か頼みますか?」

メニューを開いてこちらに渡す。時期が時期だけに、内装からメニューまでクリスマス一色に染まっている。
俺はいつものようにコーヒーを、小日向さんはミルクティーを注文する。
お弟子さんは俺たちが来る前に飲み終わったのか、テーブルには空のグラスとお皿だけ置かれていた。

「えっと、プロデューサー、こちらの方は?」

「タケダさんのお弟子さんだそうだ」

「初めまして。で良いのかな?」

名も知らぬお弟子さんは、嫌味のない爽やかな笑顔で答える。



238: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:33:38.89 ID:Jy4Yy5L30

「えっと。実はオーディションも見ていたんだけど、気づいてませんよね?」

「へ? あの場にいたんですか?」

「はい。でもまぁ、僕余り目立つタイプじゃないですから。小日向さんも気付いていなかったでしょ?」

「は、はい。そ、そんな余裕ありませんでしたから。その、えっと。申し訳ないです」

「ふふっ、そう固くならなくて結構ですよ。弟子なんて大層なこと言っても、僕が一方的に教えて貰ってるだけですし」

「あのー、そろそろ用件を教えてくれたらありがたいんですけど」

「そうですね、そのためにお呼びしたんですし。さてと、今回お呼びした理由は、こちらを聞いて欲しかったんです」

「iPodですか?」

そう言って彼は使い古されたiPodを取り出す。長い間使っていたのか、表面は若干剥げている。

「えっと、実は僕、作曲活動もしているんです。と言っても、この曲が初めてなんですが」

「作曲?」

「はい。ですが曲を作ったところで、誰かが歌わないと形になりません。僕が歌うわけにもいきませんし、ピッタリな子いないかなって探していたんです」
「そうしたら、小日向さん。貴女に会えました」



239: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:40:15.29 ID:VAeBXtes0

「わ、私、ですか!?」

お弟子さんは驚く小日向さんをよそに続ける。

「そういう事です。先日のオーディションで確信しました。彼女こそ、この曲にふさわしい、命を与えて一緒に成長できると。本当に驚きましたよ」

正直言うと、願ってもなかった展開だ。ちょうど新曲で彼女のやる気を上げようと考えていた時に、お弟子さんの提案。
渡りに船だ。

「で、ですが……、わ、私! この前のオーディションは散々でした」

「確かに、先日のオーディション。小日向さんのパフォーマンスは、お世辞にも良かったと言えません。緊張していた以外にも要因はあったのでしょうが……。それは本人が一番理解していると思います」
「ですが、この曲はそんな彼女にこそ歌ってほしいんです。恥ずかしがりながらも、どこまでもひたむきな小日向さんにこそ、歌う資格があるんです」

お弟子さんは活き活きとした顔で語る。

「すみません、イヤホン一つしかないんで、共有してくれたら有り難いんですが」

「え、えええ!?」

喫茶店に流れるクリスマスソングをかき消すぐらい響いた、小日向さんの悲鳴。
なんだなんだと視線を一身に浴びて、彼女は赤くなる。
お弟子さんはそれを達観したように笑っていた。



240: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:42:39.39 ID:VAeBXtes0

「あのね、順番に聞いたらいいんじゃないの? 小日向さん、先に聞きなよ」

「そ、そうですね! でも……、一緒に聞きませんか?」

「は?」

「えっと、その方が時間も短縮できますし……」

ちょっと言っている意味が分かりません。

「と、とにかく! 聞いてみましょう」

「なんだかなぁ」

一組のイヤホンを2人で共有。なんだこのカップル的な行動は。
こうすることで自然と距離が近くなり、小日向さんはまた赤くなっている。役得、なのか?

「それじゃあ再生しますね。これ、歌詞カードです」

イヤホンから可愛らしいイントロが流れてくる。歌詞カードを見ると、タイトルは『Naked Romance』と書かれている。
Naked……、どういう意味だっけ?

「Naked Romance――。訳するなら、ありのままの恋心ってとこでしょうか」

「ありのままの恋心ですか……」



241: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:45:01.48 ID:VAeBXtes0

「わぁ……」

小日向さんも曲に夢中なのか、リズムを取りながら声にならないため息を吐く。
彼の言うとおり、この曲と小日向さんの親和性は高いだろう。

恥ずかしがり屋だけど、秘めた気持ちに気付いて欲しい、か。聞けば聞くほど、彼女のためにある曲だと思えてきた。

「えーっと、どうでしょうか? 自分で言うのもなんですけど、結構いい感じにできていると思うんですけど」

お弟子さんはそう言うと、恥ずかしそうに笑っていた。

「そうですね。貴方の言うとおり、小日向さんにピッタリの曲だ。小日向さんはどう思う?」

「え、えっと! す、す素敵な曲だなぁと思いました」

「気に入って貰えて何よりです。どうでしょうか? この曲を、彼女の武器にするのは」
「アイドルを創る要素は歌唱、ダンス、ビジュアルの3つのパフォーマンスをするその人自身、時に可愛く、時に格好よく着飾る衣装、そして歌の3つです」
「この歌は、小日向さんを昇華させる、夢を叶える力がある。そう信じています」

自信たっぷりに言うお弟子さんが、とても眩しく見えた。



242: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:45:50.70 ID:VAeBXtes0

「え、えっと……。私……」

「小日向さんは、歌いたいかい? Naked Romanceを、自分のものにしたいかい?」

「……たいです」

「え?」

「したいです! は、恥ずかしい歌詞ですけど! 私歌いたいんです!!」

喫茶店中に彼女の想いが響く。お客さんたちはなんだなんだと見ていたが、
ノリの良さそうな高校生が拍手をし出すと、周囲もそれに釣られて拍手を始めた。

「は、恥ずかしいよ……」

「人気者ですね。小日向さん、そう言ってくれて嬉しいです。どうかこの曲を、君の歌声に乗せて人々の心に届けてくださいね」

「は、はい! わ、私やってみます!」

彼女の眼は、さっきまでのそれと違った。今の彼女なら、アメリカだって走って縦断出来るだろう。



243: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:47:38.84 ID:VAeBXtes0

「あの、プロデューサー。色々とご迷惑をおかけしました。もう私は、逃げたりなんかしませんから」
「瞳子さんがもう一度ステージに上りたいって思えるように、頑張りたいんです」

お弟子さんが帰った後、彼女はそう俺に言った。

「そうか、そうだよな。服部さんも小日向さんの頑張りを見たら、希望を持ってくれるかもしれないしな」

「はい。だから……、私ハローホイッスルに合格したいんです。この曲で、リベンジを果たしたいんです」

「それならば、もっと厳しい毎日が君を待っているよ。それでも、頑張るかい?」

「はい!」

オドオドせずに、はっきりと答える。決意は固いようだ。

「そうか。なら、この仕事を受けよう」

「この仕事ってなんですか?」

「コホン! 12月16日、君の誕生日だけど仕事が入ったんだ」



244: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:51:38.53 ID:VAeBXtes0

「仕事ですか?」

「そう。気になるかい?」

「ええ……、まぁ」

昨日までの府抜けた彼女への罰を与えるように、わざとらしくじらしてみる。CMでも挟んでやろうか。

「それがビックリするよ? なんと、熊本だ」

「熊本? はっ、まさか」

どうやら彼女も感付いたたようだ。12月16日、その日――。

「そう、そのまさか。○○高校クリスマスパーティー、そこで小日向さんとNaked Romanceの初お披露目としよう」

「……! はい!」

驚く素振りを見せるも、すぐに彼女は芯の通った返事をする。

しかし、こんな形でクリスマスパーティーに参加することになるとは。

「人生、ホント何が起こるか分かったもんじゃないな」

「何か言いました?」

「ううん何でもないよ」



245: ◆CiplHxdHi6 2013/01/30(水) 23:55:52.10 ID:VAeBXtes0

――

「新曲、クリスマスパーティー……。色々あり過ぎたなぁ」

暖かなベッドの中、今日までのことを思い返してみる。

あのオーディションから数日間、私のモチベーションは劇的に下がっていた。
彼女のせいにするのは卑怯だけど、夢破れた瞳子さんの影がいつも付きまとっていたんだ。

情けない。今の私がいたらそう思ったことだろう。

「美穂ちゃん……」

活動中だけじゃなく、学校でも私はどんよりとしており、卯月ちゃんもそんな私を見て、悲しそうな顔をしていた。

「美穂ちゃん、悩みがあるなら聞くよ? あんまり参考にならないかもしれないけどさ、私これでも先輩アイドルですから」

「卯月ちゃん」

私を刺激しないように、無理をして明るく振る舞っているように見えてしまい、
瞳子さんの隣にいた彼の姿と被ってしまう。



246: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 00:00:25.85 ID:VfdonjwP0

「卯月ちゃん……。卯月ちゃんは、夢がなくなっちゃうって考えたことある?」

なんて意地悪な質問だろう。そんなこと、私だって考えたくないのに。
現実なんか、見たくないのに――。

「へ? 夢がなくなる? うーん、あんまり考えたくないかなぁ。私の好きな歌の歌詞にさ、こんなのが有るんだ。夢は叶うもの、私信じてるってね」

「その歌、私も知ってるよ」

カラオケで友達が歌っているの聞いたことがあるな。前のオーディションでも誰かが歌ってたっけ。

「私たちさ、夢はでかく見てるんだ。言ったら笑われちゃうかもしれないけど、逃げずに夢を見ていたいんだ」
「それは凛ちゃんと未央ちゃんも一緒だと思う。だから今日まで頑張ってこれた。地獄の特訓も乗り越えたし、ファーストホイッスルにも合格した」
「信じていれば叶う、って都合の良い話はないかもしれないけど、信じなくちゃ叶う物も叶わないんだよ。多分ね」

「信じる……」

「ごめんね、もっとうまく話せたら、美穂ちゃんの悩みをこうカキーン! って打ち返せるんだけどなぁ」

目に見え無いバットを持つと、その場でバッターの真似をする。

「今のじゃ三振かなぁ……」



247: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 00:04:05.56 ID:VfdonjwP0

「でも、これは美穂ちゃんが乗り越えないと意味がないと思うんだ。私は美穂ちゃんの悩みを100%理解できないし、それは逆も同じじゃないかな。きっと私の悩みも、100%理解できないと思う」
「だからこそ、分かり合おうとするんだろうね。私は美穂ちゃんの力になれなくて、もどかしいよ」

「ううん。そんなことないよ」

「そう言ってくれると、私も救われるかな? あっ、そろそろ戻らないと! また悩みがあれば、お姉さんが相談に乗るよ! それじゃ!」

そう言って笑う彼女に、少しだけ救われた気がした。だけどすぐに、後ろ向きな私が出てくる。

それは卯月ちゃんだからだよ。
卯月ちゃんは、才能が有るから出来るんだよ。
夢を叶えることが出来たんだよ。

私には、無理なんだ――。

「ちがうのに……」

声にならない嫌な感情が私の中で犇めき合う。

こんなの、嫌なのに――。



248: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 00:05:58.26 ID:VfdonjwP0

「グッドタイミング! 小日向さん、今日のレッスンはお休みだよ」

「へ?」

その日、事務所で待っていたのはレッスンお休みのお知らせ。
ただその割には、プロデューサーが嬉しそうに見えたのが気になった。

「えっと、何かあるんですか?」

「さぁ? 喫茶店に来るようにしか言われてないしね。俺もよく分からない」

クリスマス気分で浮かれる街の中、彼はそう言った。隠し事をしているって感じじゃなさそうなので、
本当に何も知らないのだろう。

「でも、悪くない話……らしいよ?」

「え? それどういう意味ですか?」

「着いてからのお楽しみかな」

結局何一つ理解できないまま、私たちは喫茶店へと入る。
私たちを呼び出したのは、癖っ毛ときれいな肌が特徴的な、眼鏡の男の人だった。
見た感じプロデューサーよりも年下に見えたけど、こう見えて意外と歳を食っているのかも。



249: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 00:09:47.79 ID:VfdonjwP0

話によると彼は先のオーディションの審査員タケダさんのお弟子さんらしく、この前も見に来ていたらしい。
当然私にその場に誰がいたかなんて憶える余裕なんてなく、彼とは初対面だ。

「貴女に歌ってほしいんです」

彼が呼んだ理由は至ってシンプル。私に曲を提供するとのことだった。

CDデビューについて胸を躍らせていてのは事実だけど、先のオーディション以降、
そんなことを考えている場合でもなかったから、彼の申し出には正直面食らった。

自分で言うのもあれけど、あの結果を見て大事な楽曲を提供したいと思うだろうか?
私なら、間違いなく与えないだろう。

だけど彼は、私と共に成長して欲しいと言ってくれた。歌が成長するというのは、
比喩表現だと思うけど、いまいち真意がつかめなかった。

だけど曲を聴いたとき、その意味が分かった気がした。

Naked Romance――。

ありのままの恋心、と彼は訳した。
気付いて欲しいけど、気づいて欲しくない。

そんなアンビバレンスな恋心を綴ったこの曲は、これでもかと言うぐらい恥ずかしくも甘い歌詞のオンパレードで、
男性ながらそんな歌詞を考えるお弟子さんの頭の中を覗いてみたいと思ってしまったぐらいだ。



250: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 00:20:56.23 ID:VfdonjwP0

だけど、最初に聞いて歌詞を見た時、不思議と私の中に吸い込まれていくような感覚があった。

プロデューサーは私を初めて見た時、電流が流れたと言っていた。
なるほど、今ならなんとなくその言葉の意味が分かる気がする。

どうしてか分からない、この曲と私に重なる部分があったのだろうか?

恥ずかしがり屋な女の子の恋。私に置き換えてみると、相手は誰だろう?
考えただけで、恥ずかしくなってくる。

それでも、どれだけはにかんでしまっても、私はこの曲を歌いたいと思うようになっていた。

「私、歌いたいんです!」

ここまで強く答えることが出来たのも、この曲の魔法だろう。お弟子さんは魔法使いか何かだろうか。
この曲の魔法なら、きっと瞳子さんに希望を与えることが出来る。そんな気もしていた。

そして12月16日、私の誕生日。プロデューサーは熊本での母校のクリスマスパーティーの仕事を持ってきた。
Naked Romanceもその時にお披露目となるだろう。

プロデューサーは頑張ろうと言ってくれた。昨日までの私とさよならしないと、先に進めないよね。



254: 8話 12月16日 ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 15:51:35.30 ID:uD2rPRIb0

0100-0424-0913

「あっ、もしもし。卯月ちゃん?」

「美穂ちゃん。どうしたの、こんな時間に?」

「ううん。今日はごめんね。少し、気が立ってて」

「気にしなくていいよ。美穂ちゃんだってそういう日が有るんだろうし。悩み、解決した?」

「まだ、分からないけど……。多分、上手くいくと思う」

「ふふっ、なら私の話も無駄にならなかったって事かな」

「うん。ありがとう、卯月ちゃん」

「どういたしまして」

「あっ、そうそう。話変わるけどさ……」

その後、他愛のない話を続ける。卯月ちゃんの趣味は長電話だ。
私たちは夜も遅いと言うのに、くだらない話で盛り上がった。
美味しいスイーツの店、クラスの○○君に彼女が出来た。どんな話題でも、彼女は楽しそうに話してくれる。

やっぱり持つべきものは、友達なんだろうか。彼女と話すことで、私の気持ちは軽くなっていく気がした。



255: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 15:54:59.55 ID:uD2rPRIb0

「ふぅ、久しぶりだな熊本!」

「こ、声が大きいです……」

12月15日。私たちは熊本に帰ってきていた。空港前でバスに乗り、数回乗り継いで学校へと向かう。
2ヶ月ぐらいで大きく町が変わるなんてことは無く、見慣れた光景が私をノスタルジックな気分にさせる。

「先生!」

「まぁ小日向さん! お久しぶりね」

「お久し振りです、先生」

「あら、そう言えば君がプロデューサーだったんだっけ。ずいぶんと様になって来たじゃない」

「ありがとうございます」

学校に付いた私たちを待ってくれていたのは、元担任の先生。忙しいのか、心なしか前に比べて痩せているように感じた。

プロデューサーとも親しげに話す先生を見て、彼の母校もここだったことを思い出す。

「でも私の教え子2人とこういった形で再会するなんてね。変な感じ」

「はは……。先生の方は元気ですか?」

「そうでもないわね。最近は入試やセンターも近いから、教師も忙しいのよ」



256: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 15:56:15.38 ID:uD2rPRIb0

師走ってやつだろうか。そう言えば、私は4月になればどうするのだろう。
アイドルになってから大学進学について、特に考えてなかったけど……。

「あっ、美穂ちゃん! おっひさー!!」

「会いたかったよー!」

「! みんな! 久しぶり!!」

職員室の前で話していると、クラスメイトだった皆が駆け寄ってくる。

「あっ、美穂ちゃんのプロデューサーさんですね! 私たち、小日向美穂応援団です!」

「へ? 小日向美穂応援団? 小日向さん、そうなの?」

「いや、初耳です……」

ポカンとしている私たちをよそに、彼女たちは続ける。

「そうですよ! 私たち、東京で頑張っている小日向さんを徹底的に応援する会なんですよ」

「はぁ、それはどうも……」

ご丁寧に、名刺付だ。プロデューサーはおずおずと自分の名刺を取り出し、交換する。



257: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 15:57:33.70 ID:uD2rPRIb0

「この子たち、生徒会や先生方に直談判したのよ。今年のクリスマスパーティー、小日向さんをゲストとして呼んでほしいって」

「そうだったんですか……」

「そうそう! だからさ、今から行くよ!」

「へ? 行くってどこに」

「被服室! 被服研究会が、今回のクリパのために小日向さん専用コスチュームを作ってくれたんだから、着てみようよ!」

「え、ええええ!? たた、助けてプロデューサー!!」

私は応援団の皆に担がれると、そのまま被服室まで連れて行かれる。プロデューサーに目で助けを求めるも、

「あ、あはは」

「そ、そんな~」

情けなく笑って手を振っていた。

「さてと! 美穂ちゃん、これが今回のために用意した衣装だよ」

被服室に着くなり、彼女たちは淡いピンク色の服を見せる。



258: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 16:00:47.62 ID:uD2rPRIb0

「そう? でも似合うと思うよ?」

この服、ミニスカサンタだよね?

「こ、これを着て明日出る、の? スカートがその……」

「うん。そのつもりで作ったし」

「ほ、他になかったの? い、今からならまだ事務所に取りに」

「問答無用! つべこべ言わずに着替えなさーい!」

「きゃあああ!」

被服室に響く悲鳴。私は暴徒と化した応援団たちに取り押さえられ、強引にサンタ服を着させられる。

「ふっふっふ、準備できたし、プロデューサーさんも呼んでこないとね」

「安心しなよ、美穂ちゃん。絶対プロデューサーさんもこれにはイチコロだよ!」



259: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 16:03:53.14 ID:bIjtFrhz0

衣装は学校で用意してくれるとは聞いていたけど、こんな衣装って聞いていない。
もし事前に知っていたら、私は他の衣装を持ってきただろう。

きっと、私にこの服は似合わない。なんとなく、そんな気がする。

「イ、イチコロって……」

「あっ、プロデューサーさーん! こっちですよ、こっち! 早くしないと美穂ちゃんのあられもない姿が全世界に発信されちゃいますよー!」

「ええ!?」

廊下の方で友達がとんでもないことを言っている。もちろん嘘だと思うけど、

「小日向さん!! 大丈夫!?」

「プロデューサー!」

彼は必死な表情でドアを開けてくれた。それが何となく嬉しくて、表情がほころんでしまう。

「って小日向さん? そ、その服は……」

「へ? え、あ、あの! こ、これはえーっと……」



260: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 16:08:03.58 ID:BM+hqL9K0

「プ、プ、プロデューサー! 着替えましたけど、へ、変じゃないですか!?」
「あのっ、こっ、こんな可愛い格好、わ、わたしなんかが着ちゃっていいんですか?」
「似合います、か? あぁぁダメっ、恥ずかしい……」

プロデューサーは目のやり場に困ったように頬を掻く。私を横目で見て、すぐに逸らすと、

「あー、うん。似合ってるよ、凄くね」

「そう、ですか?」

「うん。可愛いと、思うな」

そうはにかんで笑う。恥ずかしいのは私だけじゃなかった。赤くなる彼に少しだけ安心する。

「それじゃあこれで準備は終わりかな。あのー、リハとかってします?」

「リハーサルか……。出来るのかな?」

「まぁ講堂も準備出来てるでしょうし。言ってくれたら捌けさせますよ?」

「そうだね、じゃあお言葉に甘えようか。小日向さん、曲、準備できてる?」

「は、はい! ばっちしです!」



261: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 16:09:08.25 ID:RNt+7avK0

とはいえ、実は新曲を人前で発表したことがない。

トレーナーさんとプロデューサーは見てくれていたけど、こうやって舞台に立って歌うのは初めてだ。

「そうか。それじゃあ講堂に行こうか」

「はい」

「それじゃあごゆっくり~」

「あれ? みんなは来ないの?」

「まだ一般流通していない新曲なんでしょ? だから私たちは明日聞きたいの」

「そっ! 美穂ちゃんが最初に聞かすべき相手は、この人だろうしね」

「お、俺?」

友達たちに指差され、プロデューサーはキョトンとする。

「小日向さん? いつも聞いてるっちゃ聞いてるんだけど……」

困惑しきったプロデューサーは、私の顔を気恥ずかしそうに見ている。
だけど私の方が、恥ずかしい思いをしていたわけで。



262: ◆CiplHxdHi6 2013/01/31(木) 16:13:54.85 ID:g260FkSM0

「え、えっと。ス、ステージで歌うのは初めてです! だから、き、聞いて欲しいんです!」
「プ、プロデューサーに、一番最初に聞いて欲しいんです」

この時の私は、ファーストホイッスルのオーディション以上に緊張していた。
聞いてくださいなんて珍しいセリフじゃない。
それなのに、私は自分の持てる勇気全てを振り絞って言葉を紡いでいた。

1番最初にファンになってくれた彼に、誰よりも先に聞いてもらいたかったから。

「そう? それじゃあ観客第一号になっちゃおうかな」

「は、はい。よろしくお願いします」

「んじゃ講堂の連中捌けさせますね。向かっといてくださいな」

「了解っと。行くか、小日向さん」

そんな私の葛藤を知ってか知らずか、プロデューサーはいつも通り笑って、講堂へと足を向ける。
私はその後ろを、カルガモの子供みたいについて行った。



267: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:07:22.27 ID:wX4Wgdch0

講堂への廊下は、明日の準備に追われているのだろうか、忙しそうに生徒たちが行き来している。
せわしなさの余り、恥ずかしい衣装を着ている私のことなんか眼中にないようだ。
うん、その方がいい。

「クリスマスパーティーか、懐かしいな」

プロデューサーは廊下の窓に飾り付けられた雪の結晶を見て呟く。

「やっぱりプロデューサーも楽しみにしていたんですか?」

「あー、それなんだけどさ。実は俺、参加したことないんだ」

「え?」

「何故かさ、3年ともインフルエンザにかかったりして体調崩して、参加できなかったんだよね。だから俺、準備してた記憶しかないんだ」

「そ、そうだったんですか。お気の毒、ですね」

初耳だ。それが本当なら、彼はこの高校での最大の楽しみを知ることなく卒業していったのだろうか。

「でもこうやってまた来れるなんてね。俺、結構楽しみにしているんだ。学生の頃に出来なかったことが、今になってチャンスがやって来た。これも小日向さんのおかげかな?」



268: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:13:50.65 ID:dyaKJ5Ug0

「いえ、そんな……」

そう言う彼の表情はどことなく嬉しそうで、見ているこっちまで明日が楽しみになって来た。

「でも明日どうすっかね? 出たことないから、クリスマスパーティーの楽しみ方が分からないんだな、これが」
「後夜祭とかあるんでしょ? オクラホマミキサー的なの」

「えっと、例年通りであればあると思いますけど」

クリスマスパーティーには、後夜祭と言うのがある。そう銘打っているけど、舞踏会と呼んだ方が正しいかもしれない。

男女同士が組んで、華やかな音楽に合わせて舞い踊る。イメージするなら、魔法学校のダンスパーティー。
そんな映画の世界のような光景が、この学校では行われているのだ。

実際は木造の講堂なので、いまいちムードにかける気がしないでもないが、
それでもこの舞踏会こそがクリスマスパーティーの本番だ! と語る人もいるぐらいの盛り上がりを見せる。

気になる男女が、手を取り合い踊る。この高校における生活で、一番ロマンティックな時間だろう。

去年までの私はと言うと、もちろんそんな恥ずかしいことが出来るわけがなく、友達と講堂の隅っこに座ってお喋りをしていた。
言ってしまえば、クリスマスパーティーを100%楽しめたわけじゃない。
尤も、特に気になる相手もいなかったので、100%楽しむ必要もなかったけど。



269: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:17:45.63 ID:dyaKJ5Ug0

「後夜祭にも嫌な思い出があってさ。当時好きだった子を誘おうとしたら、その日に俺が倒れちゃって」
「風邪が治って学校に行ったら、なんと! その子は友人と付き合い始めたんだ」
「なんでも、一緒に踊ってから気になりだしたんだと。あん時はショックのあまり寝込んでしまったな」

「そ、それは可愛そうです」

「それもまぁ、いい思い出なのかね。今頃皆何しているのかなぁ」

懐かしそうに漏らす彼は、寂しそうに目を細めていた。遠く散らばっていった友達のことを思い返しているのだろうか。

「あ、あの! だったら」

「だったら?」

だったら明日、一緒に踊りませんか? 私と一緒に、思い出を作りませんか?

「い、いえ。何でもないです。すみません……」

そう言えたら良かったのに。ホンの少しの勇気を持てたら良かったのに。

「? 変な小日向さん」

やっぱり私は、まだまだ変われていない。



270: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:24:32.46 ID:wX4Wgdch0

「わぁ……」

「驚いた、こりゃ結構本格的だな……」

いつもは校長先生の味気ないお話をしているステージの上は、クリスマス仕様に飾り付けられて、綺麗に輝いていた。
去年一昨年も凄かったけど、今年はこれまで以上に気合が入っているようにも感じた。

私は全校生徒が見ている前で歌うのだ。
この装飾も私のためだけに用意されたように思えて、不思議と嬉しくなる。

「しかし寒いな……。小日向さん、その服寒くない? コート貸すよ。気が利かなくてごめん」

そう言って彼はコートを貸してくれる。さっきまで彼が着ていたこともあって、ほんのりと暖かさが残っている。
不思議と不快に感じない。むしろ心地良いぐらいだ。変態みたいに聞こえるかもしれないけど、私はそう感じた。

「うー、さぶっ」

今度はプロデューサーが寒そうにする。
それなりの歴史がある講堂には、暖房装置はついておらず、冬の集会にはカイロが欠かせなかった。

今着ているフェアリーサンタ(友人命名)は肌の露出も多く、正直言うと寒い。
コートを取ってしまえば、余計冷えてしまうだろう。



271: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:36:03.93 ID:wX4Wgdch0

「プロデューサー、コート着ますか?」

「え? いいよ、小日向さんが風邪ひくよりかはマシだよ。さびっ」

身体を震わせている人に言われても説得力が無い。私は彼にコートを返す。
彼の温もりが無くなっちゃうのが少しだけ勿体ないけど、風邪をひかれるよりマシだ。

「えっと、返します。私、プロデューサーにも明日元気で来て欲しいですし。寒いですけど、踊ってたら温まると思います」

歌って踊るというのは、テレビで見て感じる以上にハードだ。
特に明日は3曲続けて披露することになっている。
全部終わったころには汗で体が濡れていることだろう。

「そっか。でも風邪ひかないように気を付けないとな。それじゃあ小日向さん、やってみようか」

「は、はい!」

煌びやかなステージに上がる。表彰状にてんで縁の無かった私が、アイドルとして上ることになるなんて。
本当に、何が起こるか分からない。

講堂には私と彼しかいなく、それが余計広く感じさせた。明日には一杯の人が集まっているんだ。
考えただけで心臓は早くなるけど、今はリハーサル。緊張するなら、今のうちにしてしまえ。



272: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:45:20.64 ID:wX4Wgdch0

プロデューサーが音楽をかける。最初に流れてきたのは定番のクリスマスソング。
この時期になると、どこもかしこもこぞって流しているため、
名前を知らない人はいても、このメロディを知らない人はいないだろう。

次に流れてきたのは、先のオーディションでも披露した曲。今回披露する3曲の中では一番馴染んでいる曲だ。
目の前にいるのが彼だけならば、私はこれだけ楽しく歌えるのに。

そして最後に、Naked Romance。
初のお披露目は、いつも私のそばにいてくれた彼のためだけに。

この曲に、ありったけの心を込めて。

「……」

「え、えっと。どう、でしたか?」

歌い終わり、恐る恐る彼の顔を見る。いつもと同じく、どこか柔らかな笑みを浮かべたまま、口を開いた。

「うん、良かったよ。掛け値なしにね」

その言葉だけで、私の緊張は一瞬にして緩んだ。終わった後に緩んでも、仕方ないけど。



273: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:47:11.90 ID:wX4Wgdch0

「ほ、本当ですか?」

「嘘なんかついても仕方ないだろ? やっぱり、彼の言っていた通りだ。この曲は、小日向さんに歌われるために生まれたんだと思う」

「言い過ぎです……」

「そうかな? でも俺はそう思ったよ。俺以外の人が聞いても、同じ感想を持つと思う」

彼の褒め文句は少しオーバーなぐらいに感じたけど、妙に納得できた。
実際歌ってみると他の曲よりも入り込むことができたからだ。

老若男女問わず親しめる、シンプルな曲調と口遊みやすいキュートな歌詞がその秘訣だろう。

歌に命を与えて欲しい。

そうお弟子さんは言っていたけど、私に出来たのだろうか?

「俺はさ、こう思うんだ。誰にでも一曲、ぴったりと合う運命の曲が有るんだって」

「運命の曲?」

「そっ。その曲に出会えるかどうかは、本当に運次第でさ。もしかしたらアイドルなんてものは、その運命の一曲を探すために歌い続けるんじゃないかな?」



274: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:54:37.11 ID:wX4Wgdch0

プロデューサーは私にコートを着せながら、ロマンチックなことを言う。
良いこと言っただろ? と言わんばかりの目が可笑しくて、私は彼に乗ってあげることにする。

「それじゃあ私は、目標を達成しちゃいましたね。引退、しちゃおっかな?」

出来る限り、悪戯っぽく笑ってやる。

そうすれば、彼は慌てたような顔をするから。

「うっ、そう言われたら反論できないな……」

「ふふふっ、冗談です」

「心臓に悪いこと言わないで……」

「いつものお返しです」

冷たい空気が張り詰める講堂で、2人の笑い声が響いた。その後、最終調整として音響の確認をしたり、MCの練習をしたりして時間を過ごす。

その間、生徒たちも気を利かしているのか、その間誰も入ってこなかった。
講堂の外は時間が止まっているのかと思うぐらいに静かで、私たちは集中して作業を終えることが出来た。



275: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 01:58:38.17 ID:3sA8doxW0

一通り終わらせ、プロデューサーが買ってきた紅茶を飲む。うん、暖かい。
隣の彼はやっぱりと言うべきか、コーヒーを飲んでいる。そんなに飲んでいると、
カフェイン中毒になってしまわないか心配になってくる。

「さてと。明日はお祭りみたいなもんだ。クオリティうんぬんよりも、全力で楽しんで欲しいな。高校生活最後のお祭りだからね。俺も舞台裏から見ているから」

「はい。でも」

「でも?」

「私は、プロデューサーにも楽しんで欲しいんです」

「俺も?」

「はい。作れなかった想い出を、作って下さい」

「想い出、か。その時と変わらずいるのって、先生しかいないけどね」

「大丈夫です、私がいますから」

「そうだね」

やることがなくなった私たちは、明日に向けて帰ることにする。



276: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:02:33.60 ID:WInxdYHZ0

講堂を出た時、ドアに友達の悪戯か、『ただ今男女逢引中! 入ったらシメる♪』だなんて物騒な張り紙が貼られていたことに気付いた。
この丸っこい字は、彼女だな。

「はぁ、男女逢引中って誤解を生む言い方を。2人っきりにさせたのあの子らじゃん」

「そ、そうですね……」

男女という言葉に、少しだけドキリとする。
普段はそうでもないのに、こうやって意識させられると、彼の顔をまっすぐに見れなくなってしまうのだ。
そんな私と対照的に、プロデューサーは興味なさそうに溜息をついている。それはそれで悲しかったり。

「さてと、先生たちに挨拶して帰るかな」

「はい。そ、そうだ。プロデューサー」

「ん?」

「プロデューサーさえよければですけど! 今日、うちで晩御飯食べていきませんか?」

「良いの?」

「多分お父さんとお母さんも喜びますから」

「んじゃお邪魔しちゃおうかな」

「やった! それじゃあ帰りましょう!」



277: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:17:00.74 ID:m3a2f3Jc0

お母さんにプロデューサーも来ることを伝えると、『大丈夫』と言う3文字がすぐに帰って来た。

「そうだ。返信っと」

私はあることを思いついて、お母さんに返信する。1分もせずに『りょーかい♪』と気楽な返事が返って来た。

「ふふっ」

「ん? どうかした?」

「秘密です!」

「秘密? なら聞けないか」

数時間後の彼の反応が、恥ずかしくも楽しみだ。

職員室に向かって先生に挨拶した後、私たちはバスに揺られて家へと向かう。

「んん……」

「プロデューサー。寝ちゃいましたか」

疲れているのか、隣に座る彼は幸せそうに寝息を立てて眠っている。
無防備に寝顔をさらしていて、ちょっぴり可愛い。



278: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:21:57.61 ID:m3a2f3Jc0

「赤ちゃんみたい」

バスはゆりかごで、イヤホンから漏れる歌は子守歌。今の彼はちょっとやそっとで起きそうにない。

するとどうだろう、不意に悪戯心が湧いてきて、彼の寝顔を写メってやりたいと思うようになった。

「ふふっ」

パシャリ。彼はシャッター音にも気付いていないようで、一向に起きる気配がない。もう一度――。

「きゃっ」

バスが急に止まり、車内は大きく揺れる。どうやら、バスの前にボールが転がって来たらしい。

「あ、あのー。プロデューサー?」

「んにゃ……」

「い、いつかの逆、なのかな?」

揺れた反動で、彼は頭を私の方に寄せる。ちょっとした衝撃はあったはずだけど、
それでも彼は夢の中。寝つきが良いったらありゃしない。



279: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:25:37.47 ID:wX4Wgdch0

「う~、これはこれで恥ずかしいよ」

一番後ろの席だから、見られることは無いにせよ恥ずかしいシチュエーションに違いはない。
私は目的地に着くまで、彼の重みを感じながら過ごすことになった。

「あれ? 俺寝てた?」

「はい、すっごく気持ちよさそうに」

バス停について目を覚ます。バスの運転手さんは出るなら早く出ろと言わんばかりにこっちを見ているので、
寝ぼけているプロデューサーを押しながら、バスを降りる。

「いやぁ、すまない。ここんとこ忙しくて、碌に寝る時間がなくてさ。ふぁーあ」

「いえ、別に気にしてませんから」

「そう?」

「はい。別にプロデューサーが私の肩に頭を寄せて眠っていたことなんて、気にもしていませんよ?」

「うっ、マジっすか」

キリっと決めた顔よりも、困ってはにかんだ表情の方が好きだ。
だから彼を困らせちゃうことを言うことも好きになって来た。
私も少し、彼を困らせる術をマスターしてきたと思う。

いつまでも、気弱なままの私と思ったら大間違いですよ?



280: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:27:32.26 ID:m4aG+cr80

――

「プロデューサー君! 久しぶりだね」

「はい、こちらこそ挨拶に向かえず申し訳ございません」

「いやいや、気にすることは無いよ。ささ、入りたまえ」

「それじゃあ失礼します」

「ただいまー」

小日向家の皆様はあの日と変わらず、俺を暖かく迎え入れてくれる。

「ねぇ、プロデューサー君。美穂とはどう? 上手くいってる?」

「うーん、どうでしょうかね……」

俺は御袋さんの質問にはっきりと答えることが出来なかった。
つい最近まで、俺と彼女の足並みはバラバラで、このままアイドル活動を継続することも難しいんじゃないか?
と考えていたぐらいだ。

新曲やクリスマスパーティーの準備を経て、少しずつ回復して来たと言っても、
正直なところ、まだ心の中にはしこりがあった。



281: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:33:09.81 ID:m4aG+cr80

「私も美穂の年頃は難しかったからね。まぁ、あの子は寝たら嫌なことも忘れる子だから心配しなくてもいいわよ」

「そう言ってもらえると気が楽になりますね」

勿論そんなにのんきな子じゃないのは知っている。だけど今は、御袋さんの言葉を信じたいと思った。

「ねえ、お母さん」

「うん?」

小日向さんは何やら御袋さんに耳打ちしている。話を頷きながら聞いていた御袋さんは次第ににやにやと笑いだす。

嫌な予感しかしない。心なしか、わが社の事務員様を思い出してしまった。
彼女も笑顔で、碌でもないことを言う人種だった。帰る前にお土産買っとかないと。何が好きかな……。

「悪いんだけど、お父さんとプロデューサー君はお風呂に入っててもらえるかしら?」

「へ? お風呂ですか? お父さんと?」

思いがけない申し出に面食らう。

「そっ。家のはそこまで広くないから、歩いたとこに銭湯あるの知ってるでしょ? 2人で行ってきてくれる?」



282: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:34:59.29 ID:m4aG+cr80

「は、はぁ……」

「裸の付き合いと行こうではないか、プロデューサー君」

親父さんに促されるように、俺は小日向邸を出る。タオルも何も持っていないんだけどなぁ。

何年か振りに入った銭湯は、何一つ変わっておらず、在りし日にタイムスリップしたかのようにも感じた。

俺と親父さんは隣並んで湯船につかっていた。こうやって誰かと一緒に風呂に入るのも、いつ以来か。
高校の修学旅行が最後だったかな。

「ところで、プロデューサー君」

「はい、何でしょうか?」

「美穂は、アイドルとしてやっていけそうかね?」

湯気の立ちこめる中、親父さんは真剣な表情で尋ねる。
娘のことが心配になるのも仕方ない。
ランクの低さゆえに目立った露出も決して多いと言えないし、目に見える彼女の活動を見ていないのだろう。



283: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:39:54.62 ID:BwdWwPTC0

「小日向さんは、そうですね。きっかけを掴むことが出来たと思います」

「きっかけ? 何かな、それは」

「曲です。彼女が歌うために生まれたような、曲に出会えたんです。それはとても幸運なことだと思うんです」

怪我の功名だが、Naked Romanceとの出会いは、俺たちにとって大きな転機になるのは間違いないだろう。
あの曲にはそれだけのパワーがあるし、小日向さんの魅力を120%引き出すことが出来るはずだ。
それは明日、証明されると信じている。

「そうか……。だがプロデューサー君、今日の美穂を見た時、何か悩んでいる。そう感じたんだ」

「……ええ、やはり分かってしまうものなんですね」

「伊達に17年、いや18年間父親をしていないからね。君も、子供が生まれたらわかる。どんなに自分をごまかしても、家族ってのは分かってしまうんだ」

「成程、貴方には勝てそうにないです」

俺は彼女の近況を親父さんに話した。
オーディションで惨敗したこと、初めてできた先輩の夢が破れる瞬間を見てしまったこと、
アイドルとしての在り方を見つめ直していること。洗いざらいすべてを、彼に伝える。

正直殴られても仕方ないと思ったし、アイドルを辞めさせると言われても反論できなかったかもしれない。

彼女がこうなったのも、俺の責任だ。もっとしっかりしていれば、彼女を傷つけることもなかったのに。



284: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:43:13.93 ID:BwdWwPTC0

「そうか……」

親父さんは俺の話を黙って聴いてくれた。彼にだって思うことはあっただろう。
だけど彼は、俺を責めるなんてことはしなかった。

「美穂にとって、いい経験なのかもしれないな」

「え?」

「親がこういうのもあれだが、美穂はこれまで挫折と言う挫折をしたことがなかったんだ」

「それはどういう」

「何かを目指すって事が初めてなんだよ。いつもそれなりにこなしてしまうから、こういう高すぎる壁にぶち当たったことも、誰かが傷つくところを見たこともなかった。だから今、戸惑っているんだろう」

言われてみればそうなのかもしれない。
これまで彼女は勉強もそれなりにこなしてきたし、クラブ活動に参加していなかったから、
大きな目標に向かって努力すると言う経験が少なかった。

それなのに今、トップアイドルと言う高い高い理想と、シビアすぎる現実に、彼女はぶち当たっている。
その厳しい世界に誘ったのは、他でもない俺たちだ。



285: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:45:25.86 ID:BwdWwPTC0

「だから、君が自分を責めることは無い。大丈夫、私たちを信用しなさい。美穂は必ず、元気になるから。それに」

「それに?」

「私たちは、君に美穂を預けて正解だと思っているんだ。美穂と一緒に悩んで、時に反発することはあっても、共に未来へ向かってくれている」
「きっと君は、美穂の喜びを自分の喜びのように感じてくれて、美穂の悲しみを一緒に背負ってくれる男だと信じているよ」

「それは、ありがとうございます」

結婚前のお婿さんとお義父さんの会話みたいですね、なんて言ったら湯船に沈められそうなので黙っておく。

「さて、湯当たりしちゃう前に家に戻るか」

「はい」

お風呂から出て、親父さんからコーヒー牛乳を渡される。
どうして風呂上りに飲むコーヒー牛乳はこんなに美味しいのだろうか。科学的に誰か証明して欲しいものだ。

「男の付き合いってやつだな。うちに息子はいなかったから、こういうのに憧れていたんだ。あー、美味い!」

親父さんは嬉しそうに言うと、腰に手を当ててコーヒー牛乳を一気飲みする。



286: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:50:02.16 ID:GMdc79k60

「俺なんかで良かったんですか?」

「何。私は君のことを息子が出来たみたいに思っているよ。母さんも同じだろう」

「そう言われると、照れますね」

本当に、優しい人たちだ。
こんなどこの馬の骨か分からない人間に、ここまで親切にしてくれるのだから。
余りに人が良いもんだから、詐欺師に引っかからないか心配になって来た。

「今のままじゃ、俺も似たようなもんだな」

「何か言ったかね?」

「いや、何でもないです。しっかし美味いなぁ、コーヒー牛乳」

俺も小日向さんをトップアイドルにしないと、それは詐欺師と一緒だ。

「それは何としても回避したいな」

色んな人の期待を背負って彼女は歌い踊る。小日向さんの夢は、俺の夢でもあるし、彼女を信じている皆の夢でもある。
プロデューサーとしてすべきことは、その夢を現実にするため導くこと。

俺も1度、プロデューサーとしての自分を見つめ直すかな。



287: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:53:04.77 ID:GMdc79k60

――

「どうかな、お母さん」

「うーん。形はいびつね……。あまり練習できてないんでしょ?」

「ま、毎日忙しくて……」

台所にお母さんと一緒に並び、夕飯の準備。男2人を追い出したのは、私がご飯を作って驚かそうと思ったから。
いつも私を応援してくれているお父さんと、こんな私を信じつづけてくれた彼への感謝の気持ちを、
手料理という形で示したかったのだけど――。

「危ないわねー。ほら、包丁で切るときはこうして……」

「ご、ごめんなさい~」

折角お母さんから託された料理本も、忙しさを言い訳に殆ど読めていない。
結果朝は菓子パン、昼は学食、夜はお弁当か外食。それが私の基本ルーティンになりつつあった。

時間があるときは自炊もするが、それでも人に見せれたものじゃない。
本当なら出すのも烏滸がましいぐらいなんだけど、不意に作ってみたくなったのだ。

何がトリガーになったか分からないけど、こういう風に突発的に体が動くことは珍しくない。



288: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:56:45.20 ID:GMdc79k60

「で、出来たの、かな?」

危うげで慌ただしくも、なんとか準備を終わらせる。見てくれは不恰好だけど、気持ちは入っているはずだ。
塩と砂糖も間違えていない、はず。

「まぁ、及第点ってところかしら。でもこれじゃあ、まだまだね。プロデューサー君も美穂に気がいかないわよ?」

困ったように言うけど、お母さんの顔はニヤニヤとしている。私のリアクションを楽しみにしているのだろう。
そして私は、彼女の望んだ通りのリアクションを取ってしまうのだ。

「も、もう! そう言うのじゃないよ! プ、プロデューサーは……」

プロデューサーは、何だろう?

「あらあら、顔紅くしちゃって。朗報よ、美穂。プロデューサー君は……」

「ただいまー」

「失礼します」

「あら、帰って来ちゃった。美穂、料理机に並べといて」

「あっ、うん」

お母さんは何かを言おうとしたけど、2人が帰ってきたため中断される。
変わらずニヤニヤとしている辺り、禄でもないことを言おうとしたんだろうなというのが見て分かった。



289: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 02:58:16.55 ID:GMdc79k60

「みんな揃ったわね。それじゃあ頂きます」

「頂きます」

家族とプロデューサー合わせて4人での食卓。数週間前に熊本に帰ったばかりだったから、
両親と食べるご飯はあまり久しぶりと言う感じがしない。

ただ違うのは、私の目の前に椅子が置かれていること。そこに座っているのは、プロデューサーだ。
こうやって並ぶと、お兄ちゃんのようにも思えてきた。それ程自然に我が家の団欒に交じっている。

「ねぇ、プロデューサー君。御味はどう?」

プロデューサーは私の作った肉じゃがを口に入れる。私はそれを、ドキドキとしながら見ていた。
審査員はどう評価するか?

「味付け、前と違いますか?」

「ッ!」

「少しアレンジしてみたの」

アレンジと言うと聞こえがいいけど、実際は私が調味料の配分を間違えただけ。いつもより味が濃いのはそのせいだ。



290: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:00:43.46 ID:GMdc79k60

「これは……」

お父さんも味の違いに気付いたらしく、私を見る。どうやらお父さんはお見通しのようだ。

「どうかしら?」

「そうですね。俺は今日の味の方が好きですよ。うちの味になんとなく似ていますし」

「本当ですか!?」

「わぁ! ど、どうしたの小日向さん……。身を乗り出しちゃって」

「あぅ、す、すみません……」

褒められたのが嬉しくて、ついつい行儀の悪い行動に出てしまった。
彼は私が作ったということに気付いていないみたいだ。

「プロデューサー君、実は今日の夕飯はね、美穂が全部作ったのよ」

ここでネタ晴らし。正確にはお母さんの力も多分に有ったので、7,8割って所かな。
それでも、この肉じゃがは私1人で頑張ってみた。だから、褒められたのがすごく嬉しい。



291: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:02:40.23 ID:GMdc79k60

「だと思ったよ。いつもの母さんの味付けと違うからな。銭湯に行っている間に作っていたんだろ?」

流石お父さん。よく分かっている。

「そ、そうなの?」

落ち着いていたお父さんと対照的に、プロデューサーは意外だと言ったように、驚きを隠しきれないようだ。

「小日向さん、料理も出来たんだ」

「ま、まだまだ勉強中です。見てくれも、不恰好ですし」

「でも筋は良いと思うな。味も俺好みだし」

感心するように、肉じゃがを食べる。気に入って貰えたようで何よりだ。

「良かったじゃない、美穂。気持ち伝わって」

「えへへ」

「き、気持ちだと!? ま、ままさか美穂! プププロデューサー君と、そ、そんな関係に!」



292: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:06:05.11 ID:GMdc79k60

「ち、違うよ!」

「なってません!」

「まぁまぁ、お父さんも落ち着いて。ほら、これでも飲んで」

「ああ、すまないな。つい自分を見失いかけてしまった」

お母さん、お父さんが飲んでるの、お酒だよね?

「わぁがこひぃにゃたけの美穂のキュートさわぁ、しぇかいいちぃぃぃぃぃ!」

「お父さん……」

「すぅ……」

案の定、お父さんは酔いつぶれて眠ってしまう。
さっきまで執拗なぐらいに絡まれていたプロデューサーの顔にも疲労が見えていて、なんだか申し訳ない。

「プロデューサー君、悪いんだけどお父さんを部屋に運んでくれないかしら? お布団はこっちで用意しておくからさ」

「分かりました。えっと、行きますよ……」

「ぐすぅ……、美穂は渡さんぞぉ……。おとといきやがれぇ」

夢の中で誰かと戦っているお父さんを引っ張るようにして、プロデューサーは歩き出す。



293: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:08:20.99 ID:GMdc79k60

「お母さん、お父さんこうなるの分かっててお酒飲ませたでしょ?」

「さて、何のことかしら?」

誤魔化すように口笛を吹くお母さん。微妙にできていなくて、空気の音がフーフーと言っているだけのが滑稽だ。

「ふぅ。今日はご馳走様でした。美味しかったよ、掛け値なしにね」

「え、えっとお粗末様、でした?」

皿洗いを終えると、プロデューサーが帰る準備をしていた。いったん中断して、彼を玄関まで見送る。

「それじゃあ明日、頑張ろうな」

「はい!」

「すみません、失礼しま」

「あー、そうだプロデューサー君。今日泊まって行かない?」

ドアを開けて出ようとしたところで、お母さんがそんなことを言った。

「へ? 泊まってって……。俺の家、歩いて10分程度のところなんですけど」



294: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:10:13.42 ID:GMdc79k60

「まあ良いじゃないの。ほら、パジャマならお父さんの貸してあげるから!」

「え、ちょっと!?」

お母さんはスーツを引っ張ると、強引に引き戻す。

「お父さん、お酒飲んだらなかなか起きないのよ」

「は、はぁそうですか。でもそれが何の関係……」

「ああ、もうじれったいわね! 美穂の部屋で寝なさいって言ってるのよ! お母さん公認よ?」

「へ?」

え、えっと……。お母さん? 何を言ってるのかな?

「お、お母さん。私はどこで寝たらいいの?」

「どこって、自分の部屋で寝なさいよ」

だ、だよね。うん、何一つおかしいところはない。
ほとんどの荷物を東京に持って行ったけど、布団ぐらいはあるはずだ。
部屋の主なんだから、そこで寝るのは間違っていない。当たり前のことだ。



295: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:12:45.17 ID:GMdc79k60

「それじゃあ俺は?」

「プロデューサー君も美穂の部屋で寝なさい」

うん。おかしいところしか見当たらない。

「えええええ!? い、い、一緒に!?」

「いやいやいや! それはまずいです! 男女7つにして同衾せずって言うじゃないですか! それに、俺と小日向さんはアイドルとプロデューサーですし……。もしもパパラッチがいたら!」

「いるわけないじゃない。まだまだこんなヒヨっ子アイドルなのに。それに、家の中から出ていく方がアウトじゃない? 親がいても、親公認って書かれるだけよ?」

「うっ……」

悲しいかな、ヒヨっ子アイドルと言われても反論できなかった。ほとんど名前が知られていないようなアイドルに、
パパラッチがわざわざ熊本まで来るなんておかしな話だ。

「で、でもそれは恥ずかしいよ! 来客用の部屋とかあるでしょ?」

「そうですよ! なんなら俺、リビングで寝ますし」



296: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:18:12.60 ID:GMdc79k60

「風邪ひいちゃうわよ?」

「それは困りますけど……」

それ以上に選択肢がそれしか無いのも困る。嫌と言うわけじゃないけど、うん。私にはムリだ。

ただお母さんの性格上、プロデューサーを何としてでも帰そうとしないだろう。
このまま問答を続けていても、不毛に思えてきた。

仕方ない。覚悟、決めます。

「はぁ。分かったよ、お母さん。プ、プロデューサー! 私の部屋に行きましょう」

「え? 小日向さん?」

「は、恥ずかしいことこの上ないですけど! 風邪ひいて、明日楽しめないのは嫌です、から。ダメ、ですか?」

「ほら、泊まって来なさい! 良いわね!」

「わ、分かりました……」

「よろしい。それじゃあ美穂、プロデューサー君を案内なさい」

どうしてこういう展開になったのだろうか?
お母さんの思い付き行動は今に始まったことじゃないけど、今回に関しては悪意しか感じない。



297: ◆CiplHxdHi6 2013/02/01(金) 03:20:34.46 ID:CqgFcykH0

「えっと、その……。ごめんなさい。お母さん、一度こうと決めるとなかなか折れなくて」

「あ、あははは……。元気なお母さんだね、うん」

困ったように乾いた笑いが生まれる。

「その、何もない部屋ですけど……」

「……有るね」

「……そ、そ、そうですねええええええ!?」

目を疑った。隣り合わせの2つの布団を、いつの間に用意したのだろうか?

「ま、まあ! ひ、1つの布団じゃないだけ良心的、かな?」

「そう、ですか……?」

「良心的だよ。そう言うことにしよう! うん」

良心のハードルがやけに低い気がするのは、私だけだろうか。



302: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:16:48.16 ID:Spl3yrEa0

「……」

「……」

当然眠れるわけがない。年頃の娘が男の人と同じ部屋というシチュエーションは、私には無縁だと思っていた。
ドラマでその手のシーンがあった時、私はいつも目を逸らし耳をふさいで見ないようにしていた。
とてもじゃないけど、凝視するなんてことは出来ないのだ。

しかし今、私はプロデューサーと同じ部屋にいるわけで。

「……眠れない?」

「はい。眠れるわけがないです」

背中を向け合っても、そこに彼がいると感じるだけで私の心臓は張り裂けそうになる。

「プロデューサーは」

「ん?」

「こうやって、女の人と同じ部屋で寝たことってあるんですか?」

聞いた後になって気付く。なんと恥ずかしい質問をしているのだろう。
普段の私なら絶対に口に出ないような言葉だ。
今の異様すぎるシチュエーションが、私を饒舌にさせたのかもしれない。



303: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:19:59.76 ID:9rHw4NbN0

「いや、無いよ。てんで女の子に縁がなかったからさ。御袋ぐらいかな」

「そう、ですか」

てっきり過去にお付き合いしている人がいるものだと思っていたから、彼の返答は意外だった。

つまりそれが意味することは。

「私が、初めて、で、ですか?」

「あー、うん。そうなるのかな? も、もちろん! 変な意味はないからね」

私は彼が出会ってきた女性で初めて、こう隣り合って寝ていることとなる。
絶対口には出せないけど、嬉しいような気もするのは女としてのサガなのか。

きっと今の私は、過去最大に顔を赤らめていることだろう。彼に見られないように、布団に顔をうずめる。

「そう言えば」

話題を変えよう。その方が、2人のためだ。



304: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:23:23.32 ID:9rHw4NbN0

「私、殆どプロデューサーのこと知らないです」

「俺のこと? あんまり話してなかったからね」

「不平等です」

「へ? そうなの?」

「私のこと、たくさん知っているのに、私はプロデューサーのこと、全然知りませんから」

10分歩いた先に生まれて、同じ高校出身で、犬派で、肉じゃがは濃い目が好きで、
クリスマス時期になると体調を崩しやすくて、どこまでも一途なほどに私を信じてくれる。

そんなプロデューサー。

だけど、まだまだ私の知らない彼の姿があるはずだ。それを知りたいと思うのは、
パートナーとして当然のことだと思う。

「例えば……。そうだ。高校時代のお話とか」

「高校時代? あんまり面白くないぞ?」



305: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:35:11.87 ID:5CoAxHtd0

「それでもです。どんな話でも楽しめる自信、ありますから」

「そう? 高校時代の話って言ってもどういう事話せばいいんだか」

どうしたものかと困る彼にきっかけをあげよう。インタビュアーは新人アイドル小日向美穂。
私は頭に思い付いたことを聞きつづけた。

初恋のこと、友達のこと。他愛のない話から、彼の価値観を形成させた経験まで。
私の質問に、彼は苦笑いを浮かべながらも答えてくれた。

そうしている内に、時計は1時を過ぎていた。何時間話し続けていたのだろうか。
気が付くと、隣の彼は眠りの世界へダイブしていた。

「寝ちゃいましたか?」

「すぅ、すぅ」

返事はない。ただ寝ているだけのようだ。明日も早いし、私も寝よう。

と決めて目をつむったのが、1時間ほど前のこと。



306: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:39:32.75 ID:5CoAxHtd0

「うう……、眠れないよ」

ヒツジを数えても目は冴えてしまう。
男の人と2人っきりと言う異質なシチュエーションが、私を中々眠らせないのだ。
相手はプロデューサーだ。車内じゃ隣の席で寝れるのに、場所が場所なためそうもいかなかった。

「んん……」

背中から聞こえる寝息がくすぐったい。意外なほど、彼は寝つきが良い。
1人緊張している私がバカに思えるぐらいだ。

「プロデューサーは、気にならないのかな」

そこは大人の余裕だろうか、それとも疲れて眠るという選択肢しかないだけか。
体を起こして、彼の顔を覗き見る。

「どんな夢、見ているんだろ」

「ゴメンな小日向さん……。俺のせいで」

「え?」

私の言葉に呼応するように、寝言で答える。夢の中の彼は、私に何をしたと言うのだろうか。



307: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:46:09.23 ID:5CoAxHtd0

「俺がちゃんとしていれば……、すぅ」

「プロデューサー」

再び深い眠りに落ちる。

「夢の中でも、私のこと思ってるんですね」

彼は最初からずっと私を信じてきていた。例えどんな惨めな姿を見せても、彼はずっとそばにいてくれた。

「ありがとうございます。そして、ごめんなさい」

たった一度の挫折で、私はどうして世界一不幸な人間と思っていたのだろうか。
むしろ幸福だ。応援してくれる親や友達がいて、彼がいて。

「――」

どれくらい経っただろうか。心の中からこみ上げてくる激情は、涙となって私の頬を伝う。

「プロデューサー、私……」

「泣かないで良いんだよ、小日向さん」

不意に私の手のひらに暖かな感触。触れ合うは、彼の手。



308: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:49:13.34 ID:HL/s7Ge60

「え?」

「……ゴメン、少し前に起きてたんだ。そうしたら、君が泣いていた」

「そう、なんです、か」

「ああ。ホント、情けないよな。担当アイドル泣かせちゃって」

「ち、違うんです。これは……嬉しいんです」

「嬉しい?」

「はい。ずっとプロデューサーは、私を信じてくれていましたから。それが凄く、嬉しいんです」

涙は悲しみだけじゃない。時に心震わす喜びも、こらえきれない涙となる。

今の私は、そんな単純なことに気付けただけなのに、ポロポロと涙を流していた。

彼の前で泣いたのは、2度目だったかな。1度目は、オーディションの後。悔しさと虚しさで、私は頬を濡らせた。
だけど今は違う。



309: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 12:58:56.54 ID:s/LHtQJD0

ごめんなさい、そんな言葉はもうたくさんだ。

だから私が彼に言うべき言葉は――。

「ありがとう、プロデューサー。私、明日輝いてみせます」

「そうか。期待しておく」

「はい。その期待、裏切ってみせます」

「ああ、楽しみだよ」

2人して笑い合う。どうやら彼も眼が冴えてしまったらしく、私たちは眠くなるまで色々な話をした。
今度は私が、インタビューに答える番だった。

「プロデューサー」

「ん? どうかした?」

「ううん。何でもないです」

彼となら、沈黙も不思議と苦痛じゃない。手と手は繋がれ、互いの暖かさを感じ合う。
私らしくないかな? だけど、彼の手は魔法の手だ。
子供の頃、お父さんと手を繋いでた、そんな優しい感覚。

結局2人が眠りについたのは4時過ぎのこと。

「な、ななななななんじゃこりゃあああああ!!!」

翌日早く起きたお父さんが私の部屋で、手を繋いで寝ている私たちを発見して、ちょっとした騒動になったのは、また別のお話。



310: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 13:17:22.71 ID:jqE+L8cJ0

12月16日。その日、私は18歳になった。

朝の食卓は3人で囲む。プロデューサーは、般若が如きお父さんから逃げるように家に帰って行った。
後程現地で落ち合う予定だ。

「おめでとう、美穂」

「ああ。18歳か、時間の流れは早いもんだな。あんな小っちゃかった美穂が、こんなに大きくなって」

「もう、お父さんったら」

大きくなったと言っても、私は同い年の女子の中では背が低い方だ。
ひんそーでちんちくりんと言っても差し支えないだろう。

「美穂、誕生日プレゼントって言うには面白くないかもしれないけど……」

両親は私に可愛くラッピングされた箱を渡す。

「えっと、開けてみて良い?」

「ああ、開けてみなさい」

お父さんに促され、箱を開ける。
ラッピングされた包装紙を破り過ぎないように慎重にし開けたため、結構時間がかかってしまった。



311: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 13:27:28.77 ID:sz5mHxUa0

「これ、カチューシャ?」

中に入っていたのは、雪をイメージしたかのような、白いカチューシャ。被ってみると、ちょうどよくフィットした。

「美穂に合うかなて、お父さんが買ってきたの」

「これを買うの、結構恥ずかしかったんだぞ?」

可愛らしいカチューシャを片手に並ぶお父さんの姿を想像すると、笑いが込み上げてきた。

「ぷっ、それは面白いよ」

「むう……。そう笑うこともないじゃないか」

「ふふっ。でも、ありがとう。今日、これ付けてみるね」

フェアリーサンタは淡いピンクのサンタ服だ。だから少々ミスマッチな気がするけど、親からのプレゼントなんだ。
つけていると、そばに2人が見守ってくれているような気がする。

「それじゃあ、行って来ます」

「行ってらっしゃい」

「私たちも見に行くぞ」



312: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 13:33:17.22 ID:sz5mHxUa0

クリスマスパーティーは例年学校関係者だけが参加できるイベントだけど、
今年は近隣の方々にも招待状を送っているらしい。

ここまで力を入れているのも、先生が言うには私がいるからだそうだ。

『折角なんだし、多くの人に見て貰った方が良いでしょ?』

とは先生の談。本番は、生徒たちだけじゃなくて、近くに住んでいる人たちも見に来るということ。

私はこの町に、錦を飾れるのかな――。

「美穂ちゃん、誕生日おめでとう!」

「おめでとう!」

「ハッピーバースデー! 良いですね!」

学校に着くなり私は友達から祝いの言葉を投げかけられる。18歳最初の朝は騒がしく慌ただしい。

今日の予定としては通常授業を行い、17時からパーティーが始まる。私のステージは、19時ごろだ。

それまでの間、私は久し振りの教室で授業を受けることになった。
これはプロデューサーが学校の方にお願いしたらしい。

もう一度、このクラスで過ごさせてほしい。そう先生に言ってくれた。



313: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 13:35:53.56 ID:sz5mHxUa0

「勿論です。彼女はずっとクラスの仲間ですよ」

先生はプロデューサーのお願いを、当然でしょと言った感じで受け入れた。
制服こそは東京での制服だけど、熊本を出た日から変わらない陽だまりの席に私は座って、授業を受けていた。

センター試験も近いため、殆どの授業は試験対策に費やされたが、体育の授業は通常通り行われる。
寒い体育館で、入試のことなんか忘れてバスケットボールに興じる。
この時期の数少ない娯楽だからか、いつもよりみんな体育を楽しんでいるように見えた。

「えいっ」

「ナイスシュート!」

「えへへ」

周りも私に気を利かせてくれたのか、気が付いたらボールが回って来た。
その度にゴールに入れてみよう! と頑張ってみたけど、シュートが入ったのは一回だけだった。
幸先が良いのやら悪いのやら。

お昼ご飯は友達と学食で食べる。メニュー表を見ると、いつの間にやら新しいメニューが出来ていた。
折角なので新しいメニューのオムライスを頼んでみる。あの喫茶店で食べたものに比べると、
味が劣るけどそれでも美味しくいただけた。



314: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 13:45:09.13 ID:mEXP0bBX0

「よっ。結構楽しんでる感じ?」

「プロデューサー。どこにいたんですか?」

「あー。用務員さんを手伝ってたんだ。特にすることもなかったしな」

「スーツ、汚れちゃってますね」

「だな。用務員さんに服借りりゃよかったかな……」

空いていた私の席の隣に座る。さっきまで花壇整備をしていたのか、見慣れたスーツに土がついていた。
それがアンバランスで少し可笑しい。

「プロデューサー、ネクタイずれちゃってます」

「あっ、ホントだ」

「直してあげますね」

私の手は吸い寄せられるようにネクタイへ飛んでいき、真っ直ぐに整える。

「はい、出来ました」

「あ、ありがと」

「ほうほう……」

「グレートですよ……こいつぁ……」



315: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 14:08:31.67 ID:DM50EuQS0

「え? あっ、これは! そ、その……」

見事なまでに自爆をしてしまう。あたふたする私を、周囲は微笑ましく見ていた。

「ところで。プロデューサーさんは」

「ん? 俺?」

「美穂ちゃんのどこが好きなんですか?」

「なっ!?」

「ちょ、ちょっと……」

「あっ、美穂ちゃん赤くなっちゃって。きゃーわいっ!」

不意を突かれて赤面した私を見て、友達は悪びれる様子もなくけらけらと笑う。

「えっと、答えなきゃダメ?」

「勿論! さもないと今ここで美穂ちゃんの服、脱がしちゃいますからね」

「ええええ!?」

なんと不条理!



316: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 14:15:53.98 ID:sGHOy29L0

「さぁどうしますかー? 早く答えないと美穂ちゃんのストリップショーが始まっちゃいますよ?」

「きゃはん!」

手をわきわきしながら、友達は私の服に手を掛ける。この目は、本気です。

「そ、それは困るな……」

答えて欲しいけど、答えて欲しくない。そんな相反しあう気持ちが私をよぎる。
だけど羞恥心の方が俄然強くて。

「プロデューサー! 答えて欲しくないけど、答えて欲しいです! じゃないと私お嫁に行けなくなります!」

「服脱がされる方が嫌だよね。そうだなぁ、小日向さんの好きなところは……」

「好きなところは?」

バラエティ番組なら、ここでドラムロールが流れるだろうな。ジャカジャカジャカ、ジャン!

「真っ直ぐなところかな」

頬を掻きながら答える。そのサインは、彼も恥ずかしがっている証拠だ。



317: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 14:25:48.21 ID:sGHOy29L0

「真っ直ぐ、ですか?」

「うん。恥ずかしがり屋で内気な子だけど、決めたことには頑固なぐらい頑張ってさ」
「時々挫折することが有っても、すぐに立ち直れる。俺はそんな彼女が、好きだな」

「好き……」

「あっ、今の好きはだね! ライクと言いますか……」

「で、ですよね。そう、ですよね!!」

「あー、見てらんねーっす。爆ぜちゃえ爆ぜちゃえ」

聞いてきたのはそっちなのに、友達はうんざりしたように言う。

「やっぱ脱がす!」

「ええ!? 嘘吐き!」

「あははは……」

「笑ってないで助けてください! きゃああ!」

プロデューサーは困ったように見てるだけだ。本当に服を脱がされそうになるけど、何とか振りほどく。



318: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 14:30:23.14 ID:sGHOy29L0

「でも良かったね、美穂ちゃん。プロデューサーは好きなんだって」

「真っ直ぐかぁ。美穂ちゃん、真面目だもんね」

「も、もう……」

好き。その言葉にドキッとしたのは、男の人に初めて言われたからだろう。
だからプロデューサーじゃない誰かに同じセリフを言われても、きっと同じようにドキドキするはずだ。

でも、死ぬまでに決められている分の鼓動を、一気に消化しそうな勢いなのは、
ずっとそばにいてくれた彼のせいなのかな。

本当はいけないことだと思う。でも、どうしてなのかな。
彼の好きがライクだったことが、少しだけ、ホンの少しだけ胸を締め付けた。

当然だ。私たちアイドルは、夢を与えるお仕事。ファンの前では、優等生でいなくちゃいけないのだ。
ワイドショーでも度々そんな話題が上がる。裏切られた、ファンの皆はそう思うのかな。

この世界に来た時点で、私とプロデューサーは、誰よりも近い他人で有り続けないといけない。
でもこの世界に来なければ、彼に会えなかった。

「さて、俺はもう一仕事してくかな。それじゃあ小日向さん、授業後にね」

「はい」



319: ◆CiplHxdHi6 2013/02/02(土) 14:33:08.81 ID:sGHOy29L0

だけど私は――。

「あっ、プロデューサー」

「ん? 何かある?」

「いえ、頑張ってくださいね」

私は、少しだけ彼との関係を進めたいと思ってしまった。まだチャンスはある。
今日こそ、言ってみよう。

どんな反応するのかな。やっぱり、困ったみたいに笑うのかな。
想像しただけで、おかしいな。

私のこと、美穂って呼んでください。

驚きますか? プロデューサー。私も、こう呼ばれたいと思うようになって、驚いています。

「覚悟して下さいね、プロデューサー」

彼に聞こえないように、そっと宣誓。



324: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 00:50:04.10 ID:QsRdE57o0

『メリークリスマス!! 乾杯!』

『乾杯!』

校長先生の合図の下、私たちは乾杯を始める。もちろん、飲んでいるのはお酒じゃなくてリンゴジュースだ。
ブドウジュースならもう少し、ムードが合ったかも。

講堂の端からはクリスマスソング。吹奏楽部が奏でるBGMが耳に心地いい。

「美穂、乾杯」

「乾杯」

「お父さん、お母さん。乾杯」

両親は私を見つけると、グラスをぶつけ合う。彼らのグラスの中身も当然ジュースだ。
もしお酒なんか入っていたら、お父さんは何をしでかすか分からない。

「しかし、懐かしいなぁ。学生時代に戻った気分になるよ」

「そうね。あの時とほとんど変わっていないわ。私たちは変わっちゃったけどね」

思い出に浸るように、しみじみと会場を見渡す2人は、どこか嬉しそうに見えた。



325: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 00:55:29.57 ID:QsRdE57o0

「美穂に話したことあったかしら? 私たち、このイベントで出会ったのよ」

「そう。その時母さんは生徒会長で、俺は遅刻の常習犯だったな。所謂、不良ってやつだ」

「懐かしいわね。貴方ったら、クリスマスパーティーに出たそうなのに、不良ぶって行かないとか言っちゃって。最後の年、先生に無理矢理頼まれて、私が迎えに行く羽目になったのよ」

共通の思い出で盛り上がった2人は昔話を始める。

その日、お母さんは一緒に踊るパートナーがいたけど、先生に頼まれてサボってたお父さんを連れ戻しに行ったこと。
戻ってきたらパートナーは別の女子と踊っていたから、仕方なしにお父さんと踊ったこと。それが2人の出会いだった。

身近な2人の間の抜けたロマンスは、格好良いものじゃなくて、どこか情けないものだ。
ラブの後にコメディをつけて良いだろう。

それが2人らしくて可笑しく、私は笑いをこらえるのに必死だった。

「生徒会長にならなかったら、今頃美穂は生まれてなかったのかもしれないのよね。本当に、出会いっていつも意外よ」

「出会いは意外、かぁ……。いい言葉だね」

「だな。母さんに会えたのも、俺が不良ぶってたからだしな」

「何正当化しているんだか」



326: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:03:16.66 ID:QsRdE57o0

まさにそうだ。彼に出会わなかったら、事務所の皆にも卯月ちゃんたちにも、相馬さんにも服部さんにも出会わなかったんだ。
私の世界を、彼が拡げてくれたんだ。
きっとこれから出会う人たちも、予測の出来ない物語を紡いでくれるはず。
それが良い方向に行くか悪い方向に行くか分からないけど、不安よりも期待が大きい。

「おーい、小日向さーん!」

「あっ、プロデューサー! ってどうしたんですか、その恰好」

遠くから手を振る彼は、何故かサンタ服を着ていた。人の波をかき分けて、彼はこっちにやって来る。

「スーツにジュース零しちゃってさ。濡れたまま居るのも気持ち悪いしで服を貸してもらったんだ。まぁ、衣装は気にしなくていいよ。メリークリスマスっと」

彼がグラスを突きだしたので、私たちも乾杯をする。

「そうなんですか。結構似合ってますよ? 御髭もあれば完璧です」

「そう? それは嬉しいんだか、悲しいんだか。ってやばっ! それじゃ舞台裏で待ってるから! 着替えは忘れずにね!」

「へ?」

そう言って彼は逃げるように駆け出す。どうかしたのかな?



327: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:14:18.20 ID:QsRdE57o0

「まてー!」

「サンタさんをつかまえろー!」

「プレゼントはボクのものだー!」

「海賊王に俺はなるー!!」

「あっ、そう言うことだったんだ」

小さな子供たちがプロデューサンタさんを追っかけて、元気よく講堂を駆け回る。子供は風の子とは良く言ったものだ。
私が彼らぐらいの時は、猫の如く炬燵に入ってうとうとしていた記憶しかないな。

東京の皆は意外と言っていたが、熊本は盆地なため、夏は暑く冬は寒い。北国から引っ越してきた子も寒い寒いと嘆いていたっけ。
火の国熊本だなんて言っても、冬はストーブや炬燵がフル活動するのだ。
現にこの講堂も、ストーブをあちらこちらから持ち寄って暖めている。電気代大丈夫なのかな?
そうするぐらいなら、講堂自体に空調を付ければいい気もするけど、そんなお金は無いのだろう。

「ねーねー。おねーちゃん」

「ん? なぁに?」



328: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:23:37.32 ID:Nizr98Jw0

制服をちょいちょいと引っ張られたと思うと、腰ほどの身長の男の子が私を呼んでいた。
プロデューサンタを追っかけている子供の1人かな。

「聞きたいんだけどー」

子供たちの目線に合わすように、腰を落とす。半袖半パンと言う、見ている方が寒くなりそうな姿をしているけど、
彼らは全くと言うほど寒そうにしていない。やっぱり元気が有り余るぐらいがちょうど良いのかな。

「おねーちゃん、サンタさん知らない?」

「サンタさんって、若いサンタさん?」

「うん。髭の生えてない弱そうなサンタさん。どこ行った?」

弱そう、か。可哀想な言われようだ。でも確かに、こんな元気な子供5人に囲まれたら、結構大変だろうな。

「サンタさんは……。あっちに行ったよ」

プロデューサンタを助けても良かったけど、子供相手に嘘を吐くのは悪い気がして、正直に教えてあげる。

「ありがとー! プレゼント貰うぞー!」

「ごめんなさい、プロデューサンタ。どうか御無事で」

結局プロデューサンタは捕まってしまったらしく、私より後に舞台裏にやって来たときには、
既にぼろぼろの状態だった。



329: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:35:29.87 ID:jhloCZJC0

「さ、最近の子供は元気が有り余ってるね……。俺、転職してもサンタクロースだけはならないようにするわ……」

「お疲れ様です、プロデューサンタ」

これから始まると言うのに、プロデューサーは息も切れ切れでへばりこむ。彼らはプレゼント貰えたのだろうか。

「うん。小日向サンタも結構様になってるよ」

「そうですか? でもやっぱり、恥ずかしいです」

「あれ? そのカチューシャ……」

「あっ、気付きました? これ、私への誕生日プレゼントなんです。へ、変でしょうか?」

ピンク色のサンタ服に、白雪の様なカチューシャ。私はあまり気にならなかったけど、
第三者から見てこの組み合わせはどうだろうか。

「いや、可愛いよ。なかなかいい感じにマッチしてると思う」

「そ、そうです! か?」

「うん。きっとお客さんも、そう思うよ」

彼のお墨付きがあると、不思議と自信が出て来た。きっと彼は、私専用のセラピストだ。



330: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:43:36.06 ID:jhloCZJC0

姿見に映る私を再確認する。フェアリーサンタ。こんな服、一生着ることなんてないと思っていた。
だけど今、私はアイドルとして身に包んでいる。テレビの中で歌い踊った、彼女たちのように。

「見てみ。小日向さん。みんな、君のステージを見に来ているんだ」

「わぁ……」

本番5分前と言うこともあって、盛り上がっていた講堂も静かになり、今か今かと私の登場を待っている。
全校生徒と近隣の皆様、合わせて人数は500人近くいるだろう。
今までこなしてきたステージよりも、多くの人が来てくれた。

そのうちの何人が、私を初めて見るのだろうか?
そのうちの何人が、私のファンになってくれるのだろうか?
そのうちの何人が、もう一度私のステージを見てくれるのだろうか?

「小日向さん。失敗しても気にせず続けること。ショーマストゴーオンだ。君を採点する存在はいない、精一杯楽しんでおいで」

「は、はい!」

ステージはいつも一期一会だ。

リピーターがいたとしても、いつも同じ人ばかりなんてことは有り得ないし、
あまり考えたくないけど、私のステージが最期の光景になる人だっているかもしれない。

今日その時の私を見れるのは、その時だけ。
プロデューサーは失敗しても気にするなと言ってくれたけど、そう思うと足がすくんでしまう。



331: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:47:46.40 ID:jhloCZJC0

「小日向さん?」

私の異変に気付いたのか、彼は私に近寄る。

「怖い?」

「えっと……。凄く怖いですし、やっぱり恥ずかしいです。そのっ、プロデューサーが言うように、私は楽しめるんでしょうか?」

後数歩先に進めば本番だと言うのに、私はまた怯えてしまう。緊張と、羞恥心と、不安。
それぞれが混じり合って、筆舌にしがたい気持ちになる。
だけど――。

「楽しめるさ。だから自信を持ってほしい。君は、立派なアイドルだから」

冷たくなった私の手を優しく包んでくれる彼の手は、不思議と暖かくて。
私の中に彼の想いが伝わるような、そんな感覚。

大丈夫だ。私には、彼が付いている。彼が信じる、私を信じよう。

「なら」

「ん?」

「なら、約束してください。プロデューサー、このステージが上手く行ったら。私のこと」



332: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:49:31.68 ID:jhloCZJC0





「み、みみ……美穂って! 私のこと、美穂って呼んでください!!」



333: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 01:55:39.22 ID:jhloCZJC0

「なっ!? 小日向、さん?」

講堂中に響いた私の声。観客たちはなんだなんだと騒がしくなる。

「もし、上手く行ったなら。名前で、呼んでくださいね」

名残惜しいけど、手を離す。

「あ、あははは……。行ってらっしゃい」

私の申し出にプロデューサーはポカンとするも、すぐにいつも通り笑って拳を付き出す。
私も同じようにグーを作って、軽くぶつける。
すると私の中で渦巻いた嫌な感情は消え去って、緊張こそしているけど、気分は晴れやかだ。

気合は入った。言いたかったことも言えた。後は、最高のパフォーマンスを魅せるだけ。

「うん、行ける」

プロデューサーは目で私を見送る。少しの間、猶予をあげます。私の歌が終わるまでに、覚悟決めてくださいね?

さぁ、ステージの始まりだ。



334: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:03:58.70 ID:jhloCZJC0

「み、みなさん! こんばんわ! こひ、こ、ここ小日向美穂でしゅ!」

意気揚々と出たのは良いものの、早速噛んでしまう。

「よっ、待ってました!!」
「美穂ちゃーん!!」

友達が拍手を始めると、周囲もつられて手を叩き出す。
私と彼らの間には垣根なんかなくて、手を伸ばせば届きそうな距離にいる。

講堂をぐるりと見渡すと、さっきの子供たちはお母さんに捕まっていた。
ステージに上がられたら困るもんね。少しだけ、我慢しててね。

「え、えっと! 私は東京でトップアイドルめ、目指して頑張っています! き、今日は、呼んでくれてありがとうございます!! その……、全力で楽しんでってください!!」
「まずは1曲目! クリスマスソングの定番です! 神様のbirthday!」

1週間と2日ほど早いけど、私からのメリークリスマスは歌に乗せて。
イントロに合わせて踊り出すと、オーディエンスもリズムに乗り始める。うん、いい感じだ。

特別だよ誰だって主役になれるから、か。
去年なんか、この曲をBGMにお使いに行っていた様な子なのに、大出世だ。

「わぁっ」

気が付くと音楽に合わせて、吹奏楽部の演奏も。
どんどん華やかに、軽やかに。空を飛んでいる心地で、私はステージにいた。



335: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:06:23.98 ID:jhloCZJC0

「神様のBirthdayでした! えっと、次の曲は」

キラメキラリ。そう言おうとすると、吹奏楽部が勝手に奏で始める。誰もが知っている、あの曲を。

「え、ええ? この曲って……!」

ハッピーバースデー。完全に不意を突かれた私は、笑っていいのか泣いていいのか分からず、
へんてこりんな表情をしていたことだろう。

「ハッピーバースデー美穂ちゃん! 誕生日、おめでとう!!」

「キャッ!」

パン! 観客たちは一斉にクラッカーを引っ張って、その音に驚いて私はその場にこけてしまう。
今度は下着を見せるへまはしなかった。もし見せてしまえば、私はアイドルを廃業していただろう。

悪戯の成功したオーディエンスは、私が何を話すか心待ちにして見ている。

「あ、ありがとうございます? えっと……、18歳になっちゃいました?」

「何で疑問形やねーん!」

「うぅ……」

友達のヤジで、会場は大いに盛り上がる。プロデューサー、やっぱり私MCは苦手です。



336: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:14:14.82 ID:jhloCZJC0

「そんな18歳になったばかりの美穂ちゃんに、プレゼントが有りまーす!!」

友達がそう言うと、舞台裏から大きめの箱を持って生徒が現れる。この人、クリスマス実行委員会の委員長さんだ。

「お誕生日おめでとうございます、小日向さん」

「あ、ありがとうございます。あ、開けちゃっていいですか?」

「どうぞ。我々生徒一同からのプレゼントです!」

「え、えっと……。失礼します。こ、これは……」

リボンをほどいて箱を開けると、そこには大きなクマさんが。

「美穂ちゃんの大好きなクマさんのぬいぐるみです! 抱き心地は保証するよ!」

言われて抱きしめてみる。不思議と体にフィットして、抱きしめたまま眠れそうなぐらい、気持ち良い。

「み、みなさん……。ありがとうございます! こ、こうやって18歳の誕生日を、みんなに言わって貰えて凄く嬉しいです!」

力いっぱいお辞儀をすると、カチューシャがずれてしまう。慌てて直す私を見て、会場はまた大盛り上がり。
歌っている時より沸いているように見えて、複雑な気持ちになる。

ならば、歌で盛り上げるだけ。



337: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:17:15.31 ID:jhloCZJC0

「次の曲は、皆さん一緒にノリノリになってください! キラメキラリ!」

今度は最初から吹奏楽部の伴奏つきだ。
伴奏に負けないように、マイクの音量を上げて一番後ろの人まで聞こえるように歌う。

フレーフレー頑張れ さあ行こう フレーフレー頑張れ最高♪

自分を奮い立たせるような応援歌が、私のテンションを上げる。
いつもよりも、ダンスのテンポが上がっているかもしれない。
だけどそのリズムが気持ちよくて、のびやかに歌えた。

きっと今なら、オーディションも何も怖くない。辛い現実だって吹き飛ばせそうだ。

「!」

一瞬だけ、プロデューサーと目が合う。困ったように笑う彼を見て、私も微笑み返す。

どうですか? 私輝いていますか? 盛り上がってますか?
そんなこと、心の中で聞いてみたり。



338: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:18:58.92 ID:BDChzCsH0

「楽しい時間もあっという間に過ぎちゃいました。えっ、えっと! 聞きますけど、楽しんでるの私だけじゃないですよね? 独りよがりとか、ないですよね?」

「当たり前じゃーん!!」
「心配性だなー!」

「良かったぁ……」

皆も盛り上がってくれていたようでホッと一安心。客に心配されるアイドル。それってどうなんだろう。

「最後の曲になっちゃいました。えっと。この曲は、ここで初披露する、生まれたての歌なんです」
「Naked Romance――。ありのままの恋心、どうか皆様の心に何かを残すことが出来れば、嬉しいです」

プロデューサーに目で合図をする。彼は頷くと、音源のスイッチを入れてイントロが始まる。

大丈夫、歌詞はちゃんと覚えてる。口に出すのは恥ずかしいぐらい甘々な歌詞だけど、
このメロディに乗せれば不思議と紡げる。

それに今の私は、何でも出来そうなぐらい浮かれている。羞恥心なんかなんのその。

だってそこに、彼がいるから。

ありのままの恋心。恋なんて数か月前の私には理解の出来ないものだったのに。
今なら、声高に言える。
私は、恋している。世界一素敵で、どうしようもないぐらい恋をしている。



339: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:20:27.89 ID:BDChzCsH0

スキスキスキあなたがスキ
一目見ただけでそれが感じられたの
ドキドキドキ胸が鳴るの
ドンドンテンポあげて
キラキラキラトキメイてる
凄くあなたの事スキなんだもん
いつもその笑顔をずっと私だけに向けてね

チュチュチュチュワ 恋してる
チュチュチュチュワ 止めどなく

「――!」

歌詞を紡げば、浮かんでくるのは貴方との日々。
笑い合って、時に擦れ違って。これからもきっと、そうしていくんでしょうね。

ずっと、ずっと。そうなれば良いのにな。

「ありがとうございましたぁ!!」

ねぇ、プロデューサー。こっそり教えてあげますね。今は言う勇気が無いから、心の中で。

私、貴方がスキです。ダイスキです!



340: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:22:36.35 ID:BDChzCsH0

「ブラボー!!」
「美穂ちゃんサイコー!」
「結婚してくれえええええ!」
「おい誰だ今私の娘に結婚してくれとか言ったやつは! 私が相手してやる!!」

「わぁ……」

講堂に割れんばかりの拍手の雨が響き渡る。
そしてばらばらだったそれは、徐々に一定のリズムになっていく。

「アンコール! アンコール!」

「え、えっと……。プロデューサー? どうしましゅ?」

「あはは……。完全に失念してたな」

噛んじゃった。それは良いとして、アンコールのことを完全に忘れていた。
えっと、歌えそうな曲歌えそうな曲……。

「あっ」

ティンと来た。壁の時計の下に、ちょうどいいものが。



341: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:26:16.96 ID:BDChzCsH0

「え、えっと皆さん知っている曲なんでしょうか? 歌える人は一緒に歌ってくださいね」

「コホン! 火の山のー 燃ゆるー想いー 学びー合いー 高めー合いー」
「友とー行けー 師とー進めー 肥後のー里ー」
『揺るぎーなきー 心をー練らん』
『津田南高校 わが母校』

「こ、これでお終いです!!」

アンコールで校歌を歌うようなライブなんて、後にも先にもこれだけだろう。
でもみんな知っている曲だし、会場と一つになれたのは良かったかな。

鳴り止まない拍手の中、私は上手く言葉で表現出来ないけど、充足感を感じていた。

「これがライブ、か……」

なるほど。病み付きになっちゃいそうだ。



342: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:28:39.61 ID:BDChzCsH0

「お疲れ様!」

舞台裏に捌けた私を、プロデューサーが笑顔で待っていた。拍手はまだ止まる気配を見せない。

「プロデューサー! 私、どうでしたか!?」

「ああ、最高だったよ。会場も大盛り上がりでさ、みんな君のファンになったこと間違いなしだよ!」

「えへへ……。あのっ、プロデューサー。や、約束! 憶えてますよね?」

「え? えーと、なんのことやったかな……」

「どうして関西弁なんですか。ステージに上がる前の約束です」

「あ、ああ。約束、なんだよねぇ……。勢いで言っちゃったって今更言えない」

頬を掻きながら、私の目を見ないようにしている。もう、いじらしいなぁ。

「プロデューサー! 卯月ちゃんやちひろさんのことは下で呼ぶのに、私は名字だなんて不公平です」
「それに、今日私誕生日です! プレゼントはそれが良いんです」

「え? それで良いの?」

貴方からもらえるプレゼントで、一番嬉しいのがそれなんです。



343: 勢いで行っちゃった→勢いで言っちゃった ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:31:13.24 ID:BDChzCsH0

「いやさぁ、そうは言いますが結構恥ずかしいんだよ?」

「私はもっと恥ずかしいことをしてきましたよ。それが嫌なら、今からNaked Romanceステージで歌ってきてください」

「うげっ、それは勘弁願いたいな」

私は勇気を出しました。次は貴方の番です。

「わ、分かったよ……」

こういうことを言うと呆れられそうだけど、実は舞台に立っていた時以上に緊張している。
今か今かと彼の唇を、震えながら見つめる。

「コホン! み、美穂ちゃん?」

ブッブー!

「えっと、ステージ頑張ってきてくださいね。私音源入れてあげますから」

「……美穂」

ピンポンピンポン!

「はい、プロデューサー!」

名前で呼んでくれたことと、お気に入りの困った顔。私にとっては、最高のプレゼントだ。
舞台裏の姿見に映る私は、なんとも意地の悪い笑顔を浮かべていた。



344: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:33:41.24 ID:QsRdE57o0

「それとプロデューサー」

「何かな? こひ美穂」

直ぐ訂正したからセーフにしておく。

「一緒に、踊りませんか?」

「ほえ? 踊るって?」

「ダンスパーティーですよ」

ロマンチックな音楽が流れる中、楽しそうに踊る生徒たち。見ると私の知っている顔も踊っている。
あの子、彼が好きなんだ。ちょっと意外かな。

「えっと、私と想い出を作りませんか?」

言えるか心配だったけど、意外なほどすんなりと誘うことが出来た。自分でもびっくりしてる。

「でも俺、ダンスなんかしたことないし。恥かくよ?」

「私も同じです。ソシアルダンスなんか、専門外ですよ。だからお似合いじゃないですか? ビギナー同士、恥をかきましょう」

「なんだか積極的だな……」

それはきっと、ライブが終わったままのテンションだから。
いつもの状態だったなら、言えずに間誤付いてしまってただろう。



345: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:38:21.42 ID:/cDda66r0

「それじゃあ……。シャルウィーダンス?」

「喜んで」

彼の手を取り、ステージを降りる。こういう時は、彼にエスコートして欲しかったかも。

「足踏んだらゴメンんぎゃ!!」

「すみません! 踏んじゃいました」

1、2、3♪ 2、2、3♪

軽やかで美しいワルツのリズムに合わせて、慣れないながらも周囲を真似て踊ってみる。
足を踏んだり踏まれたり、絡んでこけそうになっても、私たちは踊り続けた。

「――!」

途中お父さんが鬼のような表情でプロデューサーをにらんでいたけど、彼は気付いていたのだろうか?

「学生の時、体調管理しっかりしてたらなぁ」

「今を楽しみましょうよ。昔好きだった人じゃなくて、私と踊ってくださいね」

「なんだかなぁ」

困った困ったと言いながらも、彼も楽しそうだ。
煌びやかな宴は続き、9時を過ぎたころにすべてのプログラムが終了する。



347: 訂正 ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:47:55.47 ID:QsRdE57o0

「あれ? プロデューサー、誰と話しているんだろ?」

着替えを終えた私は、サンタ服姿のままのプロデューサーが同じ年齢ぐらいの男女と話しているのを見つける。

「あら、今日の主役さん」

「この子がお前のプロデュースしているアイドルか。近くで見れば見るほど、可愛いな」

「おいおい、それを彼女の前で言うんじゃないの」

私に気付いた3人は、こっちへと手招きする。

「えーと、プロデューサー。この人たちは?」

「俺の高校の時の同級生だよ」

そうか。近隣の人も来ているってことは、OBOGもいるのか。彼の同級生がいてもおかしくはないか。

「こんばんわ、美穂ちゃん」

「こいつにセクハラとかされてない?」

「してないっての! こいつの言うことは無視するのが一番だよ。昔からさ、虚言癖が有ってさ。俺の親戚は日高舞だー! とかホラを言いふらすような、残念な奴なんだ」

「そういう言い方酷くないか!? つーか別にホラじゃないし」

「日高舞は日高舞でも、同姓同名のお婆ちゃんなのよね。まぁ、彼が虚言癖有ることに変わりはないかな」



348: ホラをとか→とかホラを ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 02:55:21.37 ID:aMsdfb5s0

懐かしい日々を思い出してか、3人は笑い合う。きっと学生時代、仲が良かったんだろうな。
今までプロデューサーのプライベートなことはほとんど知らなかったから、こんな顔もするんだなって新鮮な気持ちになった。

「それじゃあ俺達はこの辺で」

「じゃあね。美穂ちゃんも、頑張ってね。CD買うからね!」

「は、はい! ありがとうございます!!」

2人は私たちに手を振って、出口のあたりで、指と指を絡める。
外と対照的に明るい照明に反射して、彼らの薬指が一瞬光った。

「恋人同士だったんですか」

「はぁ、なんであいつらいるんだか……」

「プロデューサー?」

「昨日さ、クリパ休んだら友達に彼女が出来たって話したでしょ? それが、あいつらなんだわ」

つまりあの女の人は、プロデューサーが昔好きだった女性だ。胸大きい方が好みなのかな。

「あっ、あー。それは……、ご苦労様です」



349: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 03:02:32.59 ID:pP/vwput0

「しかも、結婚するんだとさ。別に未練があるわけじゃないけど、親友2人がこういう関係になられると、なんか変な感じと言うか……」

「未練はないんですか」

「そりゃ昔のことだしね」

うん。良かった。

「小日向さん?」

「違います」

「あっ、悪い。美穂、友達らが呼んでるよ?」

「へ?」

遠くの方から、友達の声が響く。考え事をしていて、完全に気付いていなかった。
その考え事も、正直碌なものじゃなかったけど。

「また会えなくなるからさ、帰る前に話して来たら?」

「あっ、はい! プロデューサーも、一緒に行きましょう」

私たちは友達の方へ駆け出す。
祭りの終わった講堂は、片付けが進められていて、いつもの冷たい建物へと戻りつつあった。



350: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 03:05:27.27 ID:m5VP33iC0

とはいえ、もう遅い時間なため、撤収作業もそこそこに、生徒たちは家へと返っていく。
残った分は、明日の朝から片付けなくちゃいけないんだけど、私は朝一の飛行機で東京に帰ることになっている。

だからみんなとはここでお別れだ。

「えっと、ごめんなさい。手伝えなくて」

「美穂ちゃんはゲストなんだから気にしちゃダメだって」

「そーそー。だからうちらのことは置いといて、プロデューサーさんと東京にかえればいいの!」

「ありがとう。私頑張るね」

「CD出たらクラスの皆で買うからね! 1人3枚がノルマだよ!」

「後、今日録画してた映像、今度送っておくね」

「助かるよ。あっ、事務所の住所はこれね」

私は気付かなかったけど、ライブの模様は映像研究部が撮影していたらしい。
どうやらプロデューサーがお願いしたようだ。



351: ◆CiplHxdHi6 2013/02/04(月) 03:07:56.10 ID:m5VP33iC0

「いつでも見返すことが出来るしね。今日のライブは、美穂のバースデーライブだからさ」

皆に祝って貰えて、名前で呼んで貰えて。人生で最高の誕生日だった。
今日のことを、お婆ちゃんになっても忘れないだろう。

18歳か――。後数ヶ月もすれば、高校も卒業して、大人への階段を上っていく。
いつまでも、子供のままじゃいられない。もっとしっかりしなきゃ。

「あれ? プロデューサーさん、美穂ちゃんの事名前で呼んでます?」

「ホントだ。小日向さん小日向さんって他人行儀だったのに。何かありました?」

「あっ、いや……」

「その反応は図星っすね! いやぁ、いい歳こいてなに可愛い反応しているんですか!」

「か、可愛いって言わないでくれ!」

友達に指摘され、プロデューサーは言葉に詰まる。
フォローを入れて欲しそうに私を見るけど、敢えてスルーしてやる。
そうすれば、また彼の困り顔が見れるから。

「別に照れることでもないでしょうに。ねぇ?」

「可愛いプロデューサー!」

「うるさいやい!」

その後、お父さんとお母さんが来るまでプロデューサーは弄られ続けた。
それと、お父さんの前でうっかり美穂呼ばわりをしたものだから、追い掛け回されたのも別の話。









元スレ
SS速報VIP:美穂「小日向美穂、一期一会」