356: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:20:32.51 ID:eiHp7f1B0
12月17日。クリスマス1週間前。
俺とこひな……、美穂は飛行機に乗って東京へと向かっていた。
もう少し熊本でゆっくりさせたかったけど、仕事も学校もあるからそうもいかない。
ご両親に挨拶を済まして、俺たちは空を駆けているというわけだ。
そう言えば、彼女と飛行機に乗ったのは今回が初めてだった。
「すぅ……」
朝早く出たため、彼女は寝足りなかったみたいだ。クマのぬいぐるみを抱きしめてスヤスヤと眠る彼女は、
とても安心しているように見えて、こちらの不安まで消してくれそうだ。
「あらっ、寝てるのね。残念」
「へ?」
「あっ、いえ。何でもありません」
「あれ? あなた確か……。前に空港で」
「? キャビンアテンダントしてましたから空港で会うとは思いますけど」
確かにそうだけど、俺は彼女の顔を憶えている。どこで見たんだっけか……。
357: >>306 8話 シロクマのプロデューサーくん ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:30:14.26 ID:QUPKkO0U0
「お客様?」
「いや、今のど元まで出てるんです。えーと、えーと……」
会ったとすれば空港か飛行機だ。俺が今年空港に来たのは、美穂を迎えに来た2回と、今回だけ。
その時に彼女に出会っているはず。いや……、見ているはずだ。
「思い出した! 美穂とぶつかったCAさんだ」
美穂が初めて東京に来た日、よそ見をしていた彼女はCAさんにぶつかってこけたんだっけか。その時の人だ!
なんだか小骨が歯に引っかかったみたいで気持ち悪かったけど、思い出せてスッキリとする。
「美穂と……。お客様、彼女のお兄さんでしょうか?」
彼女は俺を訝しげに見る。確かに、知らない人から見れば俺と美穂は兄妹のように見えるのか。
こんなに可愛らしい妹がいたら、それはもう人生勝ち組な気もするが。
「えっと、なんと言えばいいか。プロデューサーなんです、こう見えて」
「はぁ、ご丁寧にどうも……」
とりあえず名刺を渡す。CAさんは対処に困っているようだ。
「ってプロデューサー? まさか美穂ちゃん、アイドルなんですか?」
「と言っても、駆け出しの中の駆け出しですけどね」
「道理で可愛いわけだ。成程、先輩になるって事ね」
俺の説明に、うんうん頷いて納得するCAさん。着ている服が服なだけに、どんな行動も様になるな。
CA風衣装を着た美穂。うん、悪くないかもしれない。
「ん?」
先輩になるってどういうことだ?
「実は私、今日でCA辞めるんです」
「そうなんですか。でもそういう事、話しちゃっていいんですか?」
「まぁ美穂ちゃんに聞いて欲しかったんだけど、気持ちよさそうに寝てるから起こせないし。プロデューサーさん。よかったら伝えておいてくれます?」
ひょっとして彼女が辞める理由って……。
「相馬夏美はアイドルになるって」
「あ、アイドルですか!?」
「起きちゃいますよ、美穂ちゃん」
相馬さんと言う彼女は、口元に人差し指を立てて静かにするよう注意する。
結構な大声が出たはずだけど、美穂には聞こえていなかったみたいだ。
ギューとクマさんを抱きしめて、夢の中。そんなに気持ちいいのだろうか。今度貸してもらおう。
「あっ、すみません。でもCAからアイドルですか。そりゃ驚きますよ。大転身じゃないですか」
そもそもCAになることだって相当難しいはずだ。それでも、彼女はアイドルになると言う。
その覚悟は相当なものだろう。
「確かに、デビューとしては邪道よね。アイドルって呼べる歳でもないし」
「いくつなんですか?」
「それ、失礼よ? レディーの扱い方分かってる?」
「す、すみません」
さっきまでの丁寧な彼女はどこへやら、遠慮なしに攻めたててくる。
というか、普通に会話してるけど、職務は全うしなくていいのだろうか。
「でもまっ、今年25歳になった身だから、周囲は何やってんだって思うのかしらね」
「女性はいつだってシンデレラになれるんですよ」
極論30歳を過ぎようが、チャンスは転がっているんだ。
年齢が大事なんじゃない、大切なのは輝きたいと思うハートだと俺は思う。
だから、服部さんだって、まだまだ若造なんだ。
「あら、口説いちゃう? 残念だけど、私はもう予約済みだからね」
「それは残念です。きっと見る目のあるプロデューサーなんでしょうね」
「どうかしらね? 飛行機酔いしてて薬を持ってきたらスカウトされたわ。私以外の子もスカウトされたんじゃないかしら?」
それは女神に見えちゃうな。
「そういう運命なんですよ。ふとした切っ掛けが、思ってもなかった展開へ誘ってくれるんです」
縁は異なもの味なもの。人と人の巡り合いは予測出来やしない。シナリオ一切なしのアドリブだ。
だからこそ、人生は面白い。20代前半で何悟ったこと言ってるんだろうな、俺は。
「本当にそれよね。私もこのチャンスに、賭けてみたいと思うわ。もしどこかで会った時、その時はよろしくね。あっ、そうだ。これ、美穂ちゃんにあげといて」
「アドレスですか?」
「いつ会えるか分からないしね。同業者の連絡先知ってて損はないでしょ?」
「そうですけど。分かりました、渡しておきます」
「それじゃあ、またどこかで。Have a good flight!」
破られたメモとウインクを残して、相馬さんは去っていく。CAと言うこともあって、英語の発音は見事だ。
また強力なライバルが、誕生したのかな。
「んにゅう……。相馬さんもう食べれません……。テイクアウトです」
「まだまだ起きそうにないな」
美穂は夢の中でいち早く、相馬さんと共演しているようだ。
それがいつの日か正夢になった時、彼女はどんな顔をするのだろうか。きっと驚くだろうな。
「しかし暇だな。なんか聞くか」
相馬さんやCAさんたちを付き合わすのも悪いし、美穂はとてもじゃないが起こせやしない。
機内に取り付けられたヘッドホンをかけて、適当にチャンネルを合わせる。
「そっか。今日は12月17日か」
流れてきた曲のタイトルはズバリ12月17日。今日のためにあるような曲だ。
余り有名な曲と言えないかもしれないが、俺はこの曲が好きだ。
昔嵌ったゲームの主題歌と言うこともあるけど、こんな渋い大人になれたらなぁと憧れたものだ。
しゃべればしゃべるほど ドツボにはまる
これで良いのかい 本当にこれで良いのかい
あっちょっと待てよ 冷静になろうぜ
風邪をひくぞ 車に戻ろう
出来るなら、夜に聞いた方がムードはあったかな。朝一のフライトじゃ、無理して背伸びしているみたいだ。
「いつか俺たちもそうなるのかな」
俺たちは恋人じゃない、プロデューサーとアイドルだ。だからこそ、強い信頼関係で結ばれなくちゃいけない。
今は考えたくない。だけどいつかアイドルを辞めて、別々の道を行くことになるのかな。
学業を優先したい、もっと他にやりたいことが見つかった。いくらでも有り得る。
「そん時は、素直に応援してやんないとな」
夢の形は1つじゃない。
プロデューサーとしてじゃなくて、1人のファンとして彼女の活躍を見続けていたいんだ。
「そろそろ着くかな。起こしてあげなくちゃ」
戻れない場所まで後数分。これからまた、俺たちは戦わなくちゃいけない。
その先に何が待っているか分からない。だけど、意地でも駆け抜けなくちゃ。
「美穂、もうすぐ着くよ」
まだ下の名前で呼ぶのは慣れない。小日向さんと呼んでいた期間の方が長いんだ。仕方あるまい。
でも昨日、島村卯月やちひろさんに見せた小さな嫉妬が、可愛く見えたのは彼女に黙っておく。
「小日向さーん、着陸しますよー」
クマをお供にした眠り姫は、声を掛けてもなかなか起きず、結局機内から降りたのは俺たちが最後だった。
「ふぁあ……。よく寝ました」
「お疲れのとこ悪いけど、今から学校だろ?」
「そうですね……。凄く眠いです。なかなか寝かせてくれなくて」
夢見心地の彼女は立ったままでも寝ちゃいそうだ。
どうやら昨日の夜は友達が泊まりに来たらしく、朝まで大盛り上がりだったらしい。
今頃彼女たちも、眠い眠いと嘆きながら後片付けをしているに違いない。
「出席日数は問題ないけど、あんまりこっちを優先させるのもダメだしね。学校の時は学校の時で、ちゃんと過ごすように」
「ふぁい……すぅ」
「立ったまま寝ないの。そうだ。眠気覚ましに面白い話してあげようか?」
「にゃんでしゅか……」
風船みたいに飛んで行っちゃいそうな彼女の意識を、引きずり起こしてやろう。
「相馬夏美さんがアイドルになりました」
「そうでしゅか……ってええええええ!? そ、相馬さんが!? CAの相馬さんですよね!?」
「おっと!」
おっ、良い反応だ。目も冴えただろう。
「うん。相馬さんが」
「本当ですか……。凄いですね、相馬さん。アイドルになっちゃうなんて」
君もアイドルだろ、と突っ込むのは野暮かな。
「ってあれ? プロデューサー。相馬さんのこと知ってるんですか?」
「あー、君が寝ている間にね。今日限りでCAを辞めてアイドルになるんだとさ」
「そ、それなら起こしてくださいよ……。私だって、相馬さんとお話ししたかったのにぃ」
プロデューサーは意地悪ですと言って、ぷくーと頬を膨らませる。
思いっきり突いてやりたい衝動に駆られたけど、抑えておく。
「そんなこともあろうかと、相馬さんからのプレゼントだ。アドレスと電話番号。同業者だから知ってて損はないでしょ」
「ありがとうございます! 夜にでもかけてみますね」
今かけても忙しくて対応が出来ないだろう。もしかしたら、もう別の飛行機に乗っているかもしれないし。
しかしCA系アイドルなんて、斬新だな。その内、婦警アイドルとか極道系アイドルとか出てくるんじゃなかろうか?
「そんな物好きな人もいるのかね……」
想像するだけで面白すぎる。まっ、有り得ないわな……。
「プロデューサー?」
「ああ、こっちの話ね。バス乗って、荷物置いたら学校に行きますか」
誕生日プレゼントやら、お土産やら着替えやらで美穂の荷物はいっぱいだ。彼女の荷物を持って、バスまで運んでやる。
「ありがとうございます」
「こういうのは、男の仕事だしね。そうそう。家に帰って眠いからってベッドにダイブしちゃだめだよ?」
「し、しませんよー!」
1回家に帰って学校に行っても、2時間目の終わりぐらいには着くだろう。
アイドルと言っても、彼女の本分はあくまで学生、学業が重要だ。文武両道しっかり頑張って欲しい。
「プロデューサーはどうするんですか?」
「俺は事務所に行くよ。色々仕事詰まってるし。今日は昨日のライブを見て、反省会でもすっか」
ちひろさんに対応は頼んでいたけど、ちらほらと仕事が入ってきているらしい。
それに、ファーストホイッスルオーディションもある。やるべきことは、たくさんだ。
「それじゃあプロデューサー。また後で」
「ああ、勉強頑張ってきなよ?」
手を振る彼女を見送る。別にそこまで遠い旅でもないんだけどなぁ。
「クマの人気に嫉妬しそうだ」
にしてもあのクマのぬいぐるみを、いたく気に入ってるみたいだ。抱きかかえて、片時とも離そうとしていない。
「俺も行くか」
昼から出勤と言うことになっていたから、どこかのネカフェで時間をつぶすか。あのマンガ、続きが気になっていたし。
――
「うーん。このまま寝ちゃいそうだなぁ」
荷物を部屋に置いて、ベッドに横たわる。そんなことしたら、眠くなるだけだ。
「ダメ! 行かなくちゃ。みんな待ってるし」
プロデューサーの言った通りになるのも嫌だ!
なんとか誘惑を断ち切り、私は体を起こす。
「えっと、今何時かな」
時計を見ると、2時間目が始まったぐらいの時間。今から行けば、途中から入れるかな。
「君は、お留守番しててね。プロデューサーくん」
名前が付くと、より愛着がわく。彼(彼女?)にプロデューサー君と命名したのは、私の友達だ。
最初は恥ずかしかったけど、今では慣れて愛おしいぐらいになっている。
ギュッと抱きしめると、暖かくて気持ちいい。
ずっとこうしていたいけど、愛すべきモフモフプロデューサー君とは暫しのお別れだ。
「行って来ます!」
帰ってきたら、またうんと遊んであげるからね。
「みーほちゃん! お誕生日おめでとう!」
「卯月ちゃん! ありがとう!」
4時間目が終わり、学食で何か食べようと立ち上がると軽快な足取りで卯月ちゃんがやって来る。
「ごめんね。本当は昨日言いたかったんだけど、携帯電話壊れちゃって」
そう言って彼女は、見事にひび割れた携帯電話を見せる。
「いやさ……。一昨日女の子にぶつかっちゃってさ、その拍子に携帯落として、しかもその時に踏んじゃって。気分転換に、新しいの買っちゃった」
「それは、大変だったね」
「まーね。でも、新しいのに変えれて良かったかな。使いやすいし、これ」
同じ色の別機種をポケットから出す。CMで見たことのある最新機種だ。
「そうそう。その子結構変わってたんだ。私は気にしてないって言っても、その子は御免なさい、私不幸をまき散らすんです! って言ってきかなかったし」
随分とネガティブな子だ。不幸って伝染するものなのかな?
「北海道からこっちに来たみたいだけど、あんなに急いでどうしたんだろ」
「北海道から? 転校してきたのかな」
「かもね。またどっかで会うかも。それでだけど美穂ちゃん。恥ずかしい話、携帯が壊れてアドレスも全部消えちゃったんだ。だからまた教えてくれると嬉しいな」
長電話が趣味な彼女からすれば、それは死活問題だ。
「あっ、ちょっと待って。今送るね」
「ありがとう! ねえ美穂ちゃん、今からご飯食べよ。誕生日プレゼントになるか分からないけど、今日は私が奢るよ」
「そう? それじゃあ、貰っちゃおうかな」
2人で並んで学食へ行く。自分で言うのもなんだけど、アイドル二人並んでいると、結構目立って周囲からの視線を集めてしまう。
「~♪」
「上機嫌だね、卯月ちゃん」
「そう? 私はいつもこんな感じだよ?」
といっても、視線を集めているのは専ら卯月ちゃんの方だ。
ファーストホイッスル出演アイドルと、駆け出しペーペーアイドル。当然の扱いだ。
下手すれば、私がアイドルってことを知らない子もいるんじゃないかな。
「「いただきまーす」」
出来立てのクリームシチューを食べる。温かくて美味しい。心までポカポカしてきそうだ。
隣の卯月ちゃんは、いつの間にか出来たメニュー、熊本ラーメンを食べている。
この学校に転校してきた日に言ったとおり、彼女は学食のおばちゃんたちに頼んだみたいだ。
そこまでして熊本ラーメンを食べたかったのかな。卯月ちゃんの行動力には敬服しちゃう。
「そうだ。前から聞きたかったんだけど、美穂ちゃんのプロデューサーってどんな人?」
「私のプロデューサー?」
「うん。そう言えばあんまりその話したことないなーって思ってさ。良い人?」
「うん。どんな時でも私を信じてくれる、とっても素敵な人。それと」
頭の中に昨日の彼が浮かんでくる。
『……美穂』
『ごめん! 今足踏んだぁ! 踏まれたぁ……』
恥ずかしそうに私を名前で呼んでくれて、困った顔で下手っぴなワルツを踊る彼。
思い出すと、にやけてきちゃう。
「ふっふーん。成程ねぇ。乙女してますねぇ」
「え? えっと! う、うう! 卯月ちゃんが思ってるのと、ち、ちが! 違うよ!」
卯月ちゃんは意地の悪い笑みを浮かべる。うぅ、弱み握られちゃったかな……。
「そんな緩んだ顔見せちゃって。全然説得力ないよ? 安心して、これは私たちだけの秘密にしておいてあげるからさ。ホントは良くないことかもしれないけど、私応援するよ?」
「うん。ありがとう」
良くないこと、か。アイドルとなった以上、恋愛はタブーだ。ただ、頭では分かっていても、
この気持ちはどうにもならない。何とも恋心とは、難儀なものだ。
「そう言う卯月ちゃんはどうなの? プロデューサー」
「私のプロデューサー? どう言ったらいいんだろ。一言でいえば、プラダを着た悪魔、かな」
「へ? 映画?」
「いや、そのままの意味だよ。プラダスーツを着た悪魔みたいな人」
悪魔みたいな人ってどういう意味だろう。凄く怖いプロデューサーなのかな。
頭に鬼の生えた彼を想像してみる。うん、全然似合わないや。
「怖い人?」
「厳しい人だよ。だけど、私たちのことを考えて行動してくれてるし、面倒見は凄く良いかな。凛ちゃんも未央ちゃんも慕ってるしね」
「卯月ちゃんは好きなの?」
「うん。大好きだよ!」
なんだ、卯月ちゃんも乙女してるじゃないか。人のこと言えてないよ?
「でも、美穂ちゃんの好きと私の好きは一緒にはならないかな」
「どういう意味?」
「見たら分かるよ」
卯月ちゃんは携帯を弄って、写真を見せる。
そこに映っていたのは、ステージ衣装に身を包んだNG2の3人と、
「だって、プロデューサー女の人だし」
プラダスーツを着た美女が真面目な顔をして立っていた。
「だから、好きになったらそれはそれでいろいろ問題がある、かな?」
「凄い美人……」
「だよね。ホント、プロデューサーがアイドルになっちゃえばいいのにさ。そう思わない?」
アイドルと言うよりかむしろ、その堂々たる佇まいは、大女優そのもの。
写真を見るだけで、妙な迫力がこちらまで感じれた。
「私たちの事務所自体は出来て1年もないんだけど、プロデューサーは若いのに結構凄い経歴の持ち主でさ。これまでにも多くのアイドルをプロデュースして来たんだって」
名前を挙げたら、美穂ちゃんも知っている面々だと思うよ。と言ってプロデュースしてきたアイドルの名前をあげる。
挙げられた名前は全員、テレビで活躍している人たちだ。確かに、この実績は凄い。
「そんな彼女だけど、社長と個人的な親交があったみたいで、その縁で私たちの事務所に来てくれたみたい」
「縁か……。卯月ちゃんたちはラッキーなのかな」
「かもね。実はさ、私って某大手事務所の公開オーディションで落ちた時に、たまたま見ていたプロデューサーに拾われたんだ。貴女には才能が有る、私に賭けてみないかって」
初耳だった。私みたいに、てっきり道端でスカウトされたものかと思ってたけど、
彼女は最初からアイドルになるべく、自分からオーディションを受けてチャンスを狙っていたんだ。
「凛ちゃんはプロデューサーが渋谷でスカウトしたんだけど、未央ちゃんも別のオーディションから引っ張ってきたの。だから私たち、プロデューサーに足向けて寝れないんだ」
「そうだったんだ」
そのプロデューサーが有能と言うのは、彼女たちの活躍を見れば一目瞭然。
ファーストホイッスル出演以降、彼女たちをテレビで見ない日はない。
3人セットじゃなくても、どこかしらで必ず一人は出ているぐらいで、
今一番勢いのあるアイドルユニットと言って過言じゃないだろう。
私は彼女たちの活躍を見て、いつ寝ているんだろうと見当違いな感想を抱いたものだ。
「色々あったなぁ。3人で組んでの最初のオーディションは、主催者側のお情けで合格したようなものだったし、ファーストホイッスルも落ちる度、土日を丸々使って強化合宿したり」
「ここまで来たっていうのも実感が全然沸かないや。だってさ、ほんの数か月前まで、私たち会うこともなかったような普通の女の子だったんだよ?」
「それがさ、こう憧れた世界で頑張って来て。ようやく波に乗れてきて。もしかして私たち、夢を見ているのかな?」
胡蝶の夢、か。彼女たちも、戸惑っているんだ。
「……」
どんな時も笑顔を見せる彼女が、時折見せるアンニュイな表情。
こう言ったら彼女に笑われそうだけど、とてもセクシーに思えた。
「卯月ちゃん、えいっ」
「へ? 痛っ!」
「卯月ちゃんたちは凄いよ。これは、夢じゃないよ」
「いだだだ! 美穂ひゃん! ほっぺつねらなひで!」
そんな柄にもないことを言う卯月ちゃんの頬っぺたを、強く引っ張ってやる。
「夢じゃないでしょ?」
「肉体的苦痛を受ける必要はなかったよね……」
虫歯になったみたいに、右の頬を抑える卯月ちゃん。何だかそれが面白い。
「うふふっ」
「あー! 笑ったなぁ! いただき!」
「あっ! 私のクリームシチュー! えいっ!」
「ゆで卵取られた! 美穂ちゃんやったなぁ!!」
やられたらやり返す。気弱な私でも、ハンムラビ法典の精神に乗っ取っているつもりだ。
チャイムが鳴るまで私と卯月ちゃんは、互いのお昼ご飯を奪い合う。
アイドル2人がそんなことしていたものだから、いつの間にかギャラリーも出来ていた。
昼休みが終わって、冷静になる。なんと恥ずかしいことをしていたのかと、顔が赤くなってしまうのは、いつものことだ。
――
「そうですか。渋谷凛がソロデビューですか」
「はい。ファーストホイッスルのオーディションに受かって、そこで発表するみたいです」
事務所にて、俺はちひろさん達とお土産の陣太鼓を食べながら、ライブの映像を見ていた。
たまたま終わったぐらいのタイミングで、トレーナーさんが事務所に来た。
どうやら、俺に報告したいことが有るとのことだった。
渋谷凛、ソロデビュー。
俺たちが熊本に行っている間に行われたファーストホイッスルオーディションにて、彼女は再び合格したらしい。
「なるほど、向こうはNG2としてだけでなく、個々のアイドルの活動としてもプロデュースしていく方針のようだね」
「そうみたいですね、社長。つまり、次は島村卯月と本田未央のどちらかが、ソロでやって来ると言うことですか」
それぐらい容易に想像がつく。
本来なら、慌ててソロデビューをするよりかは、じっくり時間をかけて行う方が戦略としては正しいだろう。
しかし彼女たちは、トライエイト。IA全制覇とIU制覇をもくろむ集団だ。この時期にソロで出すということは、
ソロでのファンを増やし、そのままNG2の売り上げに取り込むと言う戦法だろう。
「恐らくは。別に彼女たちぐらいの売れっ子ならば、どの番組に出てもいいのですが、敢えてファーストホイッスルに出ると言うあたり、本気度がうかがえますね」
3人ユニットをまとめ上げるだけでも相当な物なのに、今度は3人別々にプロデュースと来た。
その上ファーストホイッスルに出演と言うことだ。ベテランやスターダムに立つアイドル達ですら、
2度と受けたくないと躊躇するあのオーディションを、渋谷凛は制したのだ。
「タケダ氏の性格を考えれば分かると思いますが、一度合格したからと言っても、2度同じように出演させるというのは、かなりレアなケースです」
「彼が気に入ったアイドルでも、要求されるレベルに達しなかった場合、容赦なく落とします」
「渋谷さんはユニットでとは言え、一度合格したアイドルです。絶対に落とせないそのプレッシャーの中、彼女のパフォーマンスは見事な物でした。私が今まで見てきたアイドルの中で、最高峰と言っても差し支えありません」
「最高峰、ですか」
トレーナーさんがそこまで言うんだ。本放送の日はチェックしておかないと。
「まぁ私もこの業界に入って日が浅いので、見分が狭いと言うのもありますけどね。それに、今の小日向さんなら、ファーストホイッスルに合格する日も遠くないと思っていますよ」
昨日のライブと同じぐらい、自分のパフォーマンスが出来たなら、美穂も並み居る強敵たちと渡り合えるだろう。
それに、彼女にはNaked Romanceがある。曲に頼り切ってしまうのはいけないが、他のアイドルにはない美穂だけの切り札だ。
「うむ。やはり、あの曲の力は大きいね。小日向くんも短期間で、見事に自分の曲にして見せた。簡単なように見えて、それって難しいことなんだ」
そればっかりは、俺には分からない感覚だ。なんせ美穂は、Naked Romanceとの組み合わせが良かったのか、
渡されてからあっという間に曲を完成させてしまった。
美穂からすれば、新しい英単語を覚えるようなことだったかもしれないな。
確かに、高い歌唱力、上手なダンス、ずば抜けたビジュアルを持っている美穂以上のアイドルはたくさんいるだろう。
だけど、この曲を一番可愛く素敵に歌えるのは、美穂しかいないはずだ。
「今の勢いなら、きっと乗り越えられますよ! 頑張りましょう、プロデューサーさん!」
「うむ。CDデビューも近い。来年2月に行われるIAのノミネート発表に間に合うか分からないが、とにかく小日向くんと新曲を、方々にアピールするんだ」
「デビュー時期が遅かったとはいえ、残された期間は短いです。私もレッスン内容を詰めますので、プロデューサーはスケジュール管理をしっかりとお願いします」
「はい」
IAにノミネートされるには、ある週のチャートでランク20までに入り込まないといけない。
正直今の実績じゃ、そんなこと夢のまた夢だが、ファーストホイッスルに合格してそこで発表できれば、
世間の美穂への関心は、劇的なまでに上がるはずだ。
これまでファーストホイッスルに合格したアイドルは、放送後ランクが一気に上がる傾向にある。
どこまでブーストが効くか分からないが、賭けてみる価値はあるな。
加えて、美穂はまだ知らないかもしれないが、実はファーストホイッスルは来年から全国で放送されるようになる。
熊本のようにこれまで映らなかった地域でも、放送されるのだ。
つまり、全国的にファンを増やすことが出来、ブーストの効力も強くなるはずだ。
逆に言えば、それは他のアイドルも同じこと。これまで以上に、熾烈な競争が予想される。
だけど、美穂ならいける。やれるんだ。そう思えば、不思議と勇気が湧いてくる。
「~~♪」
DVDの中の彼女は、恥ずかしそうにしながらも、集まった観客を魅了している。
高校だけじゃない。ちゃんとテレビに出て、みんなに自慢しなきゃ勿体無い。
「それが俺の責任だよな」
俺が見出した女の子は、こんなに可愛くて素敵なんだってね。
「こんにちわ!」
夕方ごろ、美穂が事務所へ駆けてくる。走って来たようで、息も切れ切れで肩で呼吸をしている。
「おっ、来たか。それじゃ、反省会と行きますか」
「えっと、それなんですけど……」
「ん? どうかした?」
「今日はお客さんがいると言いますか……」
「あっ、失礼しまーす!」
ドアの陰からひょっこりと、美穂と同じ制服を着た少女が現れる。
「へ? 島村卯月? 何で?」
同じ高校だから、制服が同じなのはまぁ良い。いや、それよりも何で彼女がここにいるんだ?
「今日はオフなんです。だから、美穂ちゃんの事務所に遊びに来ちゃいました。貴方が美穂ちゃんのプロデューサーさんですか? 初めまして、島村卯月です!」
早口で説明して、ぺこりとお辞儀をする島村卯月。初めましてと言われても、彼女は今を時めく人気アイドルだ。
美穂と同世代のアイドルと言うことで、テレビでいつも活動をチェックしているため、あまりそんな気がしない。
しかし直接会ったのは初めてだけど……、思ってた以上にオーラがないな。
良くも悪くも庶民的と言うか。そこが彼女の魅力なんだろうけど。
「えっと……、どうも。美穂のプロデューサーです。学校では美穂がいろいろ世話になってるみたいで」
「とんでもない! 私の方こそ、美穂ちゃんにいろいろ助けてもらってますよ! あっ、これお土産です」
「ご丁寧にどうも。だけどこれは、結構高い奴じゃない?」
「お近づきのしるしにです。うちのプロデューサーからも、お土産は値段に誠意が出るって言われてますし。後で事務所に請求しますからお気になさらず」
渡されたお土産はテレビでも紹介された、割と値の張るお菓子だ。
女子高生がホイホイ買えるものでもないが、財布に余程余裕があるのだろうか。
「卯月ちゃんのプロデューサー、凄い人なんですよ」
「ああ、よく知ってるよ。会ったことは無いけどね」
業界入りたての頃は知らなかったが、NG2のプロデューサーは、かなりの凄腕で評判だ。
彼女たちだけじゃなくて、それまでに多くのアイドルをスターダムに輩出した、いわばエリートプロデューサー。
「今最も勢いのあるアイドルがNG2ならば、今一番勢いのあるプロデューサーは間違いなく彼女だろうね。私も彼女のことは良く知っているよ」
社長は懐かしむように言う。
彼のことは全くと言っていいほど知らないけど、もしかしたらNG2プロデューサーとも接点があるのかもしれない。
それなら、彼女がここで働いても良かった気がするが、先に取られちゃったのかな。
「こんにちわ。お茶は飲みますか?」
「あっ、わざわざすみません。それじゃあ、頂いちゃいます」
「ちひろさんのお茶、すごく美味しいんだ。卯月ちゃんも気に入るよ」
「……美味しい! こんなに美味しいお茶、初めてかも!」
「ふふっ、ありがとうございます」
屈託の無い眩しい笑顔を見せる卯月ちゃんのせいで、何故か裏にどす黒いものを感じさせるちひろさんの笑顔が際立ってしまった。
言ったら怒られそうなので、黙っておくけど。
「そうそう。おたくの事務所の凛ちゃん、ソロデビューするんでしょ? 3人プロデュースして、今度は個人でも曲を出すとは、大変じゃないかな?」
「え? そうなの、卯月ちゃん」
美穂は知らなかったみたいで、隣の彼女に確認を取る。
「あれ? それテレビで言ってましたっけ?」
卯月ちゃんは頭に?マークを浮かべる。そう言えば、まだ各メディアで発表していないのか。
「トレーナーさんが教えてくれたんだ。先日、彼女がファーストホイッスルのオーディションにソロで合格したってね」
「やっぱりそう思いますか? 正解です!」
「つまりそれって、卯月ちゃんもソロデビューするって事?」
何かを考えるように、卯月ちゃんは目を瞑る。少しして、目を開くとニコリと笑う。
「別に言っても大丈夫かな? 別に禁止されてないし。プロデューサーさんの言うように、うちの事務所はNG2の3人のソロデビューを決定したんです」
「その第一弾が凛ちゃん、第二段が私、トリを務めるのが未央ちゃんなんです。私も近いうちにファーストホイッスルのオーディションが有るんですよ」
「そうなんだ。怖くない?」
「前は3人だったから、怖くないと言えば嘘になっちゃうけど。でも、夢が叶うところまであと一歩なんです。だから、楽しみですよ私」
やっぱり彼女は凄い子だ。怖いだなんて言ってても、目の前の夢から逃げずに立ち向かおうとしている。
「頑張ってね、卯月ちゃん。私も、頑張るから」
「うん。一緒に頑張ろう、美穂ちゃん」
仲良くハイタッチする2人。きっと彼女は、美穂にいい影響を与えてくれるはずだ。
転校先に卯月ちゃんがいたのは、本当に偶然のことだけど、つくづく人の縁に恵まれている子だ。
「それじゃ、昨日のライブ再生するかな。卯月ちゃんも見る?」
「あっ、良いんですか? 美穂ちゃんのステージを見るのって、初めてなんですよね」
「卯月ちゃんも見るの? なんだか恥ずかしいかも」
「もう、美穂ちゃんったら。私との間に、恥じらいは無しだよ?」
「それじゃあ、小日向美穂クリスマスライブの始まり始まり~」
JKコンビは映画館と勘違いしているのか、ソファーに座りお菓子を食べながら待っている。
「んじゃ再生するよ」
DVDを再生。高校生が撮影した作品であるため、カメラワーク等は仕方ないが、それでもよく撮れているもんだ。
ただ美穂はカメラの存在に気付いていなかったみたいで、カメラ目線になることはそんなになかった。
「この衣装可愛いね」
「これ、学校の皆が作ってくれたんだ」
「良いなぁ。私も作って貰おうかな?」
反省会と銘打ったものの、女子高生2人が静かに見ているわけがない。美穂も1人の観客として、自分のステージを楽しんでいるみたいだ。
「まっ、これはこれでいっか」
流れてくる曲を一緒に歌ったり、MCで噛んだ彼女を笑ったり。2人は仲睦まじくライブを見ている。
どこが悪かったかと聞かれると、どこも悪くなかったって答えそうだ。
「ふぅ、楽しかったな。美穂ちゃんの普段見れない部分が見れて良かった」
うーんと気持ちよさそうに背伸びをする卯月ちゃんと美穂。案外2人は似ているのかな。いや、それとも似てきたのか。
「昨日のライブは凄く盛り上がったけど、苦手なダンスやアピールのタイミングがずれたりと課題は残ってる。オーディションではそこも見られるからね」
前回のオーディションは評価以前の問題だったが、こうやってライブを成功させることは出来た。
美穂にとって大きな自信になってるはずだし、こっちには美穂の魅力を120%引き出せる切り札が有る。
「次にファーストホイッスルオーディションを受ける時、前と一緒じゃ意味がないからさ。明日からまたレッスンに営業に忙しくなるけど、しっかりついて来ること。いいね?」
「はい!」
「いい返事だ! それじゃあ、今日はもう上がっても大丈夫だよ。明日に向けて、しっかり休んでね」
「えっと、それじゃあ失礼しますね」
「美穂ちゃん、今日美穂ちゃんちに泊まっても良い?」
「え? 良いけど、卯月ちゃんの家は大丈夫なの?」
「家結構放任主義だから大丈夫だよ。明日美穂ちゃんの家から学校に行けばいいしね」
「そう?」
「だから、今日は色々話そうよ!」
恋人みたいに腕を組んで(卯月ちゃんが一方的にだが)事務所を出る2人。
あんまり夜更かしするなよ、と言っても無駄かなぁ。卯月ちゃん、朝まで起きてそうだし。
「ホント仲良いですね、2人」
「仲良きことは美しき哉。うちの事務所は他にアイドルがいないからね。小日向くんにとっては、島村くんとの関係はアイドル活動に潤いをもたらしてくれる大事な絆だよ」
「ですね。結構感謝してるんですよ、卯月ちゃんには」
実力もネームバリューも、今はまだまだ差がある。だけどいつか、この2人で組んでみるのも悪くないかもしれない。
それを、向こうのプロデューサーが受け入れるかどうかは分からないが。
鼻で笑われないように、着実に実力をつけて行かないと。
「スケジュール確認して帰るか」
仕事はあらかた片づけたので、たまには俺も早く帰ろう。
「来週はクリスマスイブか」
聖なる夜なんて言っても、俺達は普通に過ごすんだろうな。こういう時だけ、恋人がいればと思ってしまう。
「そうだ! パーティーなんてどうですか? 美穂ちゃんさえよければですけど!」
ちひろさんがお茶を煎れながらそんなことを言う。パーティーか、悪くないかな。
「俺は何もないですけど、ちひろさんはあるんじゃないですか? クリスマスに予定とか」
「有りませんよ! 私は仕事が恋人ですから! プレゼント交換とか楽しいじゃないですか」
ちひろさんぐらい可愛い人なら、男も放っておかないと思ったけど、彼女はさほど異性に興味がないらしい。
そういや、浮いた話何一つ聞かないもんな。と言うより、プライベートが謎に包まれ過ぎている。
「良いじゃないか、クリスマスパーティー。仕事が終わった後、事務所に来なさい。私は飾りつけを担当しよう」
「それじゃあ私はメニューを用意しますね! 美味しいもの、持ってきますよ!」
「ははは、決定なんですね」
社長も乗り気みたいだ。しかし……。
「私の顔に何かついているかね?」
「いや、サンタクロースってこんな感じなのかなって思って」
「?」
サンタ服を着て髭を生やせば、子供に追っかけられそうだなこの人。ただ俺と違って、プレゼントをくれそうな気もする。
「とりあえず連絡しておきますか」
もしかしたら美穂もクラスの皆とクリスマスを過ごす予定が有ったり、卯月ちゃんと過ごすということもあるかもしれない。
いや、もしくは……。
「……男と2人で過ごすとか、無いよな?」
一番洒落にならないケースだ。他人の色恋に口出しするのもあれだけど、
『性の6時間です!』
「のわあああ!! ウソダドンドコドーン!!」
もしそうならば、立ち直れなくなりそうだ。親父さんの気持ち、良く分かりました。
「有り得ませんよ! 美穂ちゃんが一緒にいたい人は……」
「へ? 居たい人は?」
「ふふっ、自分で考えてくださいね!」
「もったいぶらないでくださいよ!」
ちひろさんは鼻歌を歌いながら、事務所の掃除を始める。えっと、とりあえずは安心していいのかな?
しばらくして、美穂から返事が返ってきた。
『行きます!』
語尾にはいつか俺が使ったクマの絵文字がデコレートされている。美穂はクリスマスパーティー参加、と。
「クリスマスに女子高生と過ごすことになるなんてな」
ヤラシイ意味はない。恋人同士のクリスマスと言うよりかは、家族で過ごすようなものだ。
社長パパがいて、トレーナーママがいて。ちひろさんは……、姉か妹かのどっちかで、美穂は末っ子だ。
だから、決して特別な意味はないんだけど……。
「入れ込み過ぎなのかな……」
美穂は可愛いし、良い子だ。それは誰よりも理解している。きっと同級生だったなら、間違いなく恋をしていただろう。
だけど、それ以上を求めちゃいけない、美穂は俺だけのものじゃない。いずれこの国に名を轟かすアイドルだ。
誰からも愛されて、彼女もファンを愛して。抜け駆けは、ご法度。
俺はプロデューサーなんだぞ? 理性をちゃんと保っておかないと。
「どっかで飯食って帰ろうかな。ちひろさんもどうです?」
「そうですね、少し事務作業が有るんで、その後で良いですか?」
「じゃあそれで。どこか美味しいところないですかね?」
「おお、それなら良い所があるよ。今日は私のおごりだ、存分に食べたまえ」
何時の間にやら社長もパーティーインしていた。そう言えば、この3人でどこかで食べるって言うのは初めてかもしれない。
ちひろさんの仕事を手伝って、早く終わらせる。
社長に連れられて入ったのは、政治家が秘密の会合をしていそうな、高級料亭だった。
「い、良いんですか? 凄く場違いな気がするんですけど」
「構わんよ。ささっ、財布のことは気にしないでくれ」
社長はそう言うけど、俺とちひろさんは緊張しっぱなしだ。
粗相をやらかさないか?
マナーを注意されるんじゃないか?
わいわい楽しく食べれればいいなと考えていたのに、却って息がつまりそうだ。
まぁそんな心配事も、美味しい料理とお酒の前では消えてしまうのだが。
「こんな美味しい料理、初めてです!」
「だろう? 私も昔からよく通っていてね。老舗でありながら、その名前に胡坐をかかず、進化し続けている。日に日に美味しくなる料亭なんか、ここぐらいじゃないかな」
社長はお酒を飲んで、顔を赤らめている。隣に座るちひろさんは、瓶のオレンジジュースをちまちまと飲んでいる。
「ちひろさん、お酒飲めないんですか?」
「はい。私、未成年ですから」
バヤリース片手に、ニコリと笑って答えるちひろさん。そうか、未成年だったのか……。
「ええ!? そうだったんですか!? てっきり年上かと……」
「ふふっ、冗談ですよ。でも年上に見られていたなんて、少し悲しいです」
「あっ、いや。それは……。ほら、ちひろさん仕事もしっかりしてますし! 大人の魅力ってやつですよ!」
「ふふっ、そうですか? 喜んで受けておきますね」
色気よりかは可愛さの方が強いけど、誤魔化しておく。未成年と言われても、違和感はない。
試しに美穂のベージュ色した制服を着せてみる。うん、幼く見えるかな。
美穂、卯月ちゃん、ちひろさんの3人で並んで、成人は誰か? と道行く人に聴けば、きっと答えが割れるはずだ。
ただ、さっきも言ったように仕事に対する姿勢や、美穂や俺に接する態度から、年上と思っていた。
実際俺より1つ2つ上だろうし。
「さぁ飲みたまえ! 今日は私のおごりだぞ!」
社長は見えない誰かと話している。これは、送って帰らなくちゃいけないか?
「ふぅ、食った食った……」
料亭での食事を終わらせ、タクシーで家へと帰る。結構食べたが、社長は本当に全額払ってくれた。
うちの事務所には現在利益がほとんどないが、社長だけあって元々の資産が多いのだろう。
『これで頼むよ』
一瞬だけチラッと見えた黒いカードが、それを物語っている。
「今頃2人は恋バナでもしているのかね」
ゆんたくパーティー中の2人を思い浮かべる。女子が2人集まれば、1人足りなくても姦しくなる。
特に卯月ちゃんはその手の話題がすきそうだ。美穂は恥ずかしがりながら、一方的に追い詰められていることだろう。
「好きな人、いたりするのかね?」
この業界で恋愛は非常に線引きが難しいトピックだと思う。
男性アイドルに関しては、多少認められている(当然ファンからしたら堪ったものじゃないが)のに、
女性アイドルが色恋沙汰となれば、間違いなく炎上する。
まったく、恋は盲目とは良く言ったものだ。
偶像崇拝が行き過ぎたファンは、彼女たちに清らかであることを望み続ける。
『自分のものにならなくても、誰かのものにならなければ、それでいい』
そう考えてしまうんだ。
アイドルである前に1人の女の子だ――。
そんな理屈も、『だったらアイドル辞めちまえ!』という暴論で、強引に論破されてしまう。
「どれが正しいのかな」
ファンが見ているのは、テレビやステージに上がっているアイドルだ。
そのプライベートな部分は、知れば知るほど、彼女たちへの失望も大きくなる。
「その域にも達していないけどさ」
記者からすれば、無名アイドルの恋愛ネタなんて面白くもなんともない。パパラッチに狙われるようになると、ある意味一人前になったという証拠でもあるのだ。
「あれ? メールが来てた。美穂からだ」
何の気なしに携帯を開けると、受信件数一件。料亭で鳴らすと迷惑になる気がして、マナーにしていたんだっけか。
「仲良さそうで何よりだな」
添付されたファイルには、クマの絵がプリントされた御揃いのパジャマに着替えて、仲良くピースをする2人の写メが。
眩い笑顔の卯月ちゃんに対して、美穂は柔らかく微笑んでいる。
「あっ、クマさんだ」
枕元には、件のクマさんが自己主張していた。
「全く。早く寝ないさい、と。」
お泊り会が楽しみなのも分かるけど、アイドルの資本は身体だ。
はしゃぎ過ぎて体調崩しちゃ本末転倒、流石の俺も怒鳴らざるを得ない。
「羨ましいなぁ、こういうの」
しかしまぁ、大目に見てやるか。なんだかんだ言っても、美穂は自分のことは自分で管理できるし。
それに、大人になると、こんなことも出来なくなる。
仕事が終わって家に帰っても、毎晩毎晩明日のことを考えて、つかの間の休みを楽しむ余裕は減っていく。
だから彼女たちが素直に良いなと思ってしまった。別に昔は良かった、楽しかったと言うつもりはないけど、
この歳になってしまえば、青春なんて言葉は俺には似合わない。
まだまだ若いけど、それでも10代と20代の壁は、高いんだ。あの頃には、戻れやしない。
「変わらなくいて欲しいもんだな」
これから先、どんな困難があっても、2人を引き裂く非常な選択が有っても。
それでも卯月ちゃんと美穂は、ずっと親友で有り続けるだろう。
――
「美穂ちゃん、寝た?」
「ううん。卯月ちゃん、眠れない?」
「はしゃぎすぎちゃったかなぁ。目が覚めちゃった」
「私もかな。明日も学校あるのにね」
「もう少し話そうよ」
いつもは1人の部屋に、今日は卯月ちゃんが泊まっている。
この部屋に住み始めて、誰かを家に上げたのは初日のプロデューサー以来のことだった。
お泊りとなると、卯月ちゃんが初めてだ。
『そうだ! 今からゲーセン行かない?』
卯月ちゃんの思いつきで、反省会の後私たちは、事務所の近くのゲームセンターで思いっきり遊ぶことにした。
協力プレイでシューティングゲームをして2人ともまとめて瞬殺されたり、エアホッケーをして大敗したり、
リズムゲームで戦って均衡した勝負をしたり。
アイドルじゃなくて、普通の女の子としてつかの間の休みをエンジョイした。
『はい、チーズ!』
2人で撮ったプリクラは、私のスケジュール帳に貼られた彼とのプリクラの隣に、ピタリと貼られている。私の宝物が、また1つ増えた瞬間だ。
バス停の近くのファミレスで晩御飯を食べて、銭湯に入って。
私の部屋の風呂は、1人暮らし仕様なため、2人で入るにはかなり狭く、
『なら銭湯に行こうよ!』
と、卯月ちゃんの鶴の一声で決まった。
私たちが入った時は偶々すいていたので、広いお風呂を2人だけで堪能することが出来た。
『ふぅー! 広いねー! ねぇ、泳いで競争しない?』
『い、いくら誰もいないからって、それはどうかな……』
実は泳ぎたくなる気持ちも分かるけど、流石に子供みたいなのでやめておく。
『じゃあ一人で泳ごうかな。って足釣った!』
『卯月ちゃん! 大丈夫!?』
湯船は浅いので、事なきを得る。準備運動は大切だよね。
家に帰って来た私たちは、御揃いのパジャマに着替えて、日が変わるまで他愛のない話をし続けた。
と言っても、8割ほどが私とプロデューサーとの事の話題だったけど。
『美穂ちゃんはどこが好きなの?』
『手を握った?』
『出会った時のことを教えてよ!!』
卯月ちゃんはこちらに反撃のチャンスを与えず、矢継ぎ早に聞いてくる。
『ほ、他の話とか無いの?』
『ないよー! だってさ、恋バナが一番楽しいじゃん!』
『卯月ちゃんは聞いてるだけじゃんかぁ。卯月ちゃんは無いの?』
と私が反撃したところで、
『私は仕事が恋人だから!』
『もう!』
お手本のような返答を帰してくる。卯月ちゃん、汚いよ。
時計は静かに時を刻み、気が付くと2時前だ。寝よう寝ようとしても、2人ともなかなか眠れずにいた。
いつもの私なら、ベッドに入るとすぐに寝ちゃうのに。卯月ちゃんがいるからかな。
「そのクマさんって抱き心地良い?」
「うん。すっごく癒されちゃう」
モフモフした我が家のアイドルプロデューサーくんを抱きしめて、眠ろうとする。
そろそろ寝ないと、明日に支障が出ちゃいそうだ。
夜更かししてしんどいからレッスン休みますなんて言えば、トレーナーさんやプロデューサーに何を言われるか。
温厚な彼でも、流石に怒ると思う。
「寝付けないけど、目を瞑れば眠れるかな。美穂ちゃん、おやすみ」
「うん。おやすみ」
1人用のベッドで、くっつくように眠る。私はベッドの下で寝ても良かったんだけど、卯月ちゃんが風邪ひくからと言って2人で使うことになった。私は壁側だから大丈夫だけど、卯月ちゃんは転がるとそのまま落ちてしまう。
「すぅ……」
「こ、こっちなら落ちない、かな?」
卯月ちゃんの防衛本能がそうさせているのか、私の方に転がって寝息を立てる。
隣の彼女の呼吸と暖かさを感じながら、私も夢の世界へと旅立った。
12月24日、世間は浮かれるクリスマス。日本では、この日だけキリスト教信者が増えると言う。
先週の誕生日が高校のクリスマスパーティーと被っていたこともあって、私の中でクリスマスは、
既に終わったような感覚でいた。もういくつ寝るとお正月だ。また年が変わってしまう。
「それじゃあ、来年の活躍を願って……、乾杯!」
「「乾杯!」」
「か、乾杯です!」
それでも目の前に、豪勢なパーティー料理が出されていると、今日は特別な日なんだと意識せざるを得ない。
別に何回でもそういう日があっても良いかな。
「これ、ちひろさんの手作りなんですか?」
「はい! 腕によりをかけて作っちゃいました。といっても、所々買ってきたのもありますけどね」
そうは言うものの、半分以上の料理はちひろさん作だ。
仕事だけでなく料理も出来るとは、流石ちひろさんと言うべきか。
理想の女性像を実体化したみたいで、憧れてしまう。
私もこれぐらい作れればなぁ……。
「そうだ。美穂、ファンからクリスマスプレゼントが届いているよ」
「え? ファンですか? 私に?」
「そんなに驚くことは無いだろ? 派手とは言えないけど、これまで地道に活動してきたんだ。曲を出さなくても、付くファンもいるさ。ほら、これなんかさ。手紙付きだよ」
手紙を見ると、子供からのメッセージ。一緒についていたお母さんの手紙には、
いつぞやのデパートではご迷惑をおかけしましたと書かれていた。
デパート、迷惑……。
「あの子、かな?」
「あー。ステージで暴れまわった子か。あの時を思い出すと古傷が痛むよ……」
幼稚園児ぐらいだったかな? まだ慣れていないひらがなで、不器用ながらも私への応援が書かれていた。
「これは嬉しいです」
「美穂の絵か。結構特徴掴んでるんじゃないか?」
「えー? そうですか?」
プレゼントは、色とりどりのクレヨンで私の顔が描かれている色紙だ。
似ているかと聞かれると、反応に困っちゃうけど素直に嬉しい。
「これまでやって来た営業や活動の成果だよ。安心しなよ、美穂。君を応援してくれる人は、たくさんいるんだよ」
「はい」
クリスマスプレゼントの量は存外に多く、持ち運べそうにない。
なので後でプロデューサーが車に乗せて運んでくれることになった。帰ってから開けてみよう。
「おお、そうだった。今日はファーストホイッスルの特番だったね」
社長は思い出したかのように言うと、テレビの電源をつける。
「あの人たちだ」
タケダさんに紹介されているのは、先のオーディションに合格したアイドルたちだ。
だから顔を憶えているし、とりわけ諸星きらりちゃんは印象に残っている。
そう言えば、渋谷凛ちゃんの放送はいつになるんだろう。次かな?
『にょわー☆』
『ほう。いいセンスだ、掛け値なしに』
マイペースすぎるきらりちゃんに対しても、タケダさんは淡々と進行する。
温度差が違い過ぎて、一種の放送事故みたいだ。
「なるほど、タケダさんが気に入りそうな子だね」
「社長?」
タケダさん、きらりちゃんみたいな人が好みなのかな。
「いや、昔のことを思い出してね。確かに、彼女のキャラクターと、タケダさんの理想は一致しているかもしれないな。時代を経ても老若男女問わず口ずさめる音楽。彼女のような天真爛漫なアイドルには、もってこいだ」
ステージ上で踊る、いや縦横無尽に暴れてる彼女はとにかく楽しそうだ。
『にょわー☆』みたいな独特の口調も、子供受けは良さそうだし、なんだかんだ言っても実力が桁違い。
恐らく今日の特番も、彼女の独壇場と言ってもいいはずだ。
他のアイドルも凄い。アピールやダンスも参考になる。だけどそれ以上に、彼女は目立ってしまう。そう言う星のもと生まれたんだろう。
色物なんかで終わらせないパフォーマンスを持って、彼女は完成するんだ。
「……」
改めて私が乗り越えようとしている試練が、途方もないぐらい険しいことを痛感させられる。
抜け道なんてどこにもない、直球勝負のステージ。私は、そこに立たないといけない。
「はいはい、そこまで。そんな深刻な表情しないの!」
不安に苛まれて、難しい顔をしていたのかな。私の顔を一瞥して、プロデューサーは呆れたみたいに笑う。
「美穂だって負けちゃいないよ。諸星きらりと同じぐらい、いやそれ以上にステージを楽しめれば。見ている人も幸せになれるはず」
「ほら、幸せって人から人へと渡っていくものだと思うんだ。だから、そんな浮かない顔してちゃ、楽しめるものも楽しめないよ?」
「だからさ、笑って笑って! 今日はクリスマスなんだよ? だから、パーッと楽しまなくちゃ。ね?」
プロデューサーはそう言うと、リモコンを片手にテレビを消す。
きらりちゃんの消えたテレビの液晶には、渋い顔をした私がほんのりと映っていた。
「ううん。ダメですよね、後ろ向きになっちゃ」
後ろ向いても何も始まらない。真っ直ぐ目標を見据えよう。
「美穂ちゃん、ジュースとお茶、どっちが良いですか?」
「あっ。それじゃあオレンジジュースで」
だけど今すべきことは、パーティーをとことん楽しむこと。この日を逃したら、また1年間待たなくちゃいけない。
「ん? どうした?」
「ふふっ、何でもないですよ?」
それでも、私の隣に彼がいるのなら。特別な日なんかじゃなくても、素敵に世界は彩られる。
365日全てが、スペシャルな日。明日を、未来を心待ちに出来ちゃいそうだ。
年末。私は仕事がないので、熊本へと帰って実家で年を越す。
家族と過ごすことが出来たのは嬉しいけど、アイドルとしては、スケジュールが空いていたのは残念で仕方ない。
「いつか私も立つのかな」
年越しそばを食べながら紅白歌合戦を見て呟く。大御所歌手から、今を時めくアイドルまで。
今年を沸かしたオールスター夢の競演だ。
そしてそのステージには、彼女たちもいた。
「あっ、卯月ちゃん!」
NG2の3人も、紅白に出場している。しかも初出場枠と言うことで、名誉ある紅組のトップバッターを務めている。
結成して1年と3ヵ月ほど、CDデビューも9月に果たしたばかりの超スピード参戦だ。
『こ、この舞台に上がれて嬉しいです?』
『精いっぱい頑張りましゅ!』
『は、はぴっ! はっぴーにゅーにゃあ!?』
舞台慣れしているであろう彼女達からも、この大舞台は別格らしく、緊張がありありと伝わってくる。
だけど一度音楽が流れると、さっきまでの緊張はどこへやら、3人は完璧なパフォーマンスでオーディエンスを魅せた。
「やっぱり凄いな……」
トレーナーさんが言うには、来年発表されるIA大賞最有力候補が彼女達らしい。
紅白歌合戦にも出るぐらいの知名度と実力だ。全部門制覇も十分あり得るみたいだ。
「そんな卯月ちゃんが家に泊まりに来たんだよね」
実はアイドルとしての卯月ちゃんを、直で見たことは無い。だからテレビの中やラジオ越しの遠い存在というよりも、
隣のクラスの卯月ちゃんって感覚の方が強いのだ。
「自慢できちゃうかも」
そんなのんきに構えてられる場合じゃないけど。
『ありがとうございましたー! よいお年をー!!』
気が付くと0時になっていて、一年が終わり新しい年が始まった。今は回線が混雑しているだろうから、明日の朝、みんなにあけましておめでとうとメールを送ろう。
今年もよろしくお願いしますね、プロデューサー。
「私も頑張らなきゃ!!」
輝くステージで最高のパフォーマンスを見せた彼女たちに刺激を貰う。私も早く追い付かなくちゃ!
「発売、されちゃいましたね」
「ああ。CDデビュー、おめでとう」
「本当に、早いですね」
1月23日、私はついにCDデビューを果たした。
ランキングが出るのはまだ先だけど、私たちは製品化されたCDを感無量と言った気持ちで見ていた。
「Naked RomanceがCDショップに並ぶんだよ。こうさ、美穂の写真のジャケットがみんなの手に届くんだ」
私の歌声が世間へと流通する。不思議な感覚だ。帰りにCDショップに寄ってみよう。
そこで見つけないと、これが夢の世界じゃないかと思ってしまうから。
「集計が出るのはまだ先だけど、それまでの間テレビに出たりフェスに参加したりして、名前を売らなくちゃいけない」
「最初のリリースだから、きっと望んだような結果が出ないかもしれないけど、やれることはやっていこうな」
「はい!」
スケジュール帳には白い部分が殆どなく、びっしりと予定が詰まっている。次の休みは当分先だ。
そして2月には、ファーストホイッスルオーディションが待っている。
怖いかと聞かれると、そんなことはないと答えることは出来ない。
だけど同時に、楽しみと思えるようにもなって来た。この曲で誰かが幸せになれるのなら、私は頑張れる。
――
1月終わり。俺はファーストホイッスルのオーディションを見に来ていた。
ライバルたちの力量を見定める目的もあるけど、一番の目的はオーディション後に行われる抽選会だ。
来週、俺たちはファーストホイッスルに再挑戦する。
美穂は十分力をつけてきたし、IAのノミネート条件である、ランキング20位以内に入らなければいけない週、
俗にいう運命の36週にギリギリ間に合うのが、来週の放送だ。
つまり裏を返せば、その日は今まで以上の混戦が予想される。
勝てばかなりのブーストが期待できるが、負ければそれまでの事だ。
俺たち以外のプロダクションも、ラストチャンスとこの放送枠を狙っている。
それはそうと。美穂は今日受けなくて運が良かったかもしれない。
「凛ちゃんに続いて、卯月ちゃんも合格と来たか」
NG2のソロデビューラッシュ第2弾、島村卯月。
普段の彼女からはオーラなんて大層なものは感じないけど、いざパフォーマンスを始めると、
アイドルとして強く輝きだす。
今日のオーディション内容に順位をつけるなら、間違いなく彼女が1等賞だ。
もしこの場に美穂がいたなら、どうなっていただろうか?
卯月ちゃんのパフォーマンスに負けじと、焦ってしまったかもしれないな。
このオーディションは、マイペースに挑むのが一番だ。
「あれ? 美穂ちゃんのプロデューサーさんだ」
結果発表が終わり、抽選会場へと向こう途中、卯月ちゃんが駆け寄ってくる。
着替える時間もなかったのか、衣装はオーデションの時のままだ。
「やぁ、卯月ちゃん。お疲れ様。凄く良かったよ」
「そうですか? ありがとうございます! プロデューサーさんは見学に来てたんですか? 美穂ちゃんも来てます?」
「美穂はレッスン中だよ。俺は来週の抽選に来てるんだ」
「来週かぁ。ってことは、未央ちゃんと戦うって事か。うーん、どっち応援すればいいんだろ……」
「やっぱり未央ちゃんが来たか……」
美穂がCDを出した日、本田未央も曲を出していた。
あちらは敏腕Pによる業界とのコネや、彼女自体の実力もあってか発売された時から方々で話題になっていた。
俺たちも宣伝活動を頑張っているつもりだけど、それでも彼女たちの戦略に比べ見劣りしてしまう。
「美穂が委縮しなければいいけど」
紅白に出場したと言う肩書のついたアイドルと、番組出演を賭けて同じオーディションを受ける。
合格者枠1って決まっていたなら、勝ち目はなかっただろう。
だが、枠の決まっていないファーストホイッスルならば、勝てなくとも合格を目指せる。
「あーあ。来週見れたら良かったんですけどね。私、お仕事があって応援に行けないんです。だから、オーデには未央ちゃんとその付き人で凛ちゃんがいると思いますよ?」
「君たちのプロデューサーは、卯月ちゃんに付くって事か」
「そうですね。私の受ける仕事、結構大きいんですよ。それに、凛ちゃんは私よりも大人ですからね」
凛ちゃんこと渋谷凛は非常にクールで落ち着いた印象を与える。
最年長でユニットのリーダーをしている卯月ちゃんの目の前で言うと、
自覚があるにしても失礼な気がするから黙っておくが、彼女よりもリーダーっぽく見えるぐらいだ。
一方の本田未央はユニットのムードメイカー。底抜けに明るく、いい意味でウザいと評される、
裏表のない性格でファンから愛されている。もちろん実力は2人に負けちゃいない。
とりわけ、審査員や観客へのアピールに関しては、天性の才能を持っている。
自分の魅力を理解して、最大限アピールする。簡単そうに聞こえるかもしれないけど、
それが出来れば誰だってトップアイドルになれる。
とにかくアピールは加減が難しいのだ。
やり過ぎると、作っていると思われて純粋に見れなくなるし、だからと言って何もしなければ印象に残らない。
彼女のアピールは、そんな計算を一切感じさせない自然なものだ。やるべきタイミングで、やるべきアピールをする。
自分の適性と限界を正しく把握していないと、出来ない芸当だ。
女子高生としての学力はどうか知らないが、アイドルとしてはかなり賢いだろう。
「未央ちゃんは合格してほしいけど、美穂ちゃんにも合格してほしいんですよね。どっち応援すればいいんだろう?」
同じユニットの仲間か、違い事務所の親友か。確かに、悩ましいな。
「両方すればいいんじゃない? 選考基準は勝ち負けじゃないしさ」
「そうですよね! 2人に頑張れって言っておこっと! あっ、すみません。足止めしちゃって。抽選会ですよね?」
「おっと。忘れるところだった! それじゃあ卯月ちゃん、またね!」
「はい! 美穂ちゃんに頑張れって言っておいてください!!」
卯月ちゃんは手を振って去っていく。しかし未央ちゃんが来たか。十分予想できたはずなのに、失念していた。
「運が悪いのは、来週の方じゃないか?」
嘆いても仕方ない。抽選会へ行こう。今日の運勢は、悪くなかったはず。前みたいに大トリは勘弁願いたいな。
「久し振りです!」
「おっふっ!」
会場に入るや否や、勢いよく肩を叩かれる。急なことで驚いて振り向くと、見知った顔が。
「服部さんのプロデューサー! ここにいるってことは、抽選会に?」
「はい。でも今は、瞳子さんのプロデューサーではないんですけどね」
「あっ、すみません」
地雷を踏んでしまう。しかし俺からすると、やっぱり服部さんの印象が強い。
「いえいえ。僕自身、まだ瞳子さんのこと諦めてませんし。光栄なぐらいですよ。でも今は、事務所がオーディションで獲得した子を担当してるんです」
「今日も来ているんだけど、どこに行ったんだろう。お手洗いに行くって行ったきり、帰ってこないや」
だいたい2ヵ月前のことだったかな。
瞳子さんのプロデュースを中断した後、別のアイドルをプロデュースし始めたとまでは聞いているけど、
一体どんな子をプロデュースしているんだろう。
「プロデューサーさーん! どこですかー?」
「噂をすればなんとやらってやつですね。愛梨ちゃん! こっちだよ!」
「ゆ、揺れとる……」
間延びした声の主は、胸を揺らしながら走ってくる。まさか、この子が服部Pの新しいアイドルか?
「居ました! 酷いですよプロデューサーさん! 先に行かれちゃ場所が分からないじゃないですか。ってあれ? この人、どなた様ですか?」
愛梨ちゃんと呼ばれた彼女は、服部さんとは全く似通っていない。服部さんをCoolと表現するならば、彼女はPassion。
服装といい喋り方といい、どこか緩い雰囲気を醸し出してるのも、服部さんと対照的だ。
見た感じ高校生かな?
「紹介しますね。彼女は今僕がプロデュースしているアイドルの」
「あっ、自己紹介ですか? 十時愛梨って言います!」
十時愛梨。名前を言われて、ピンときた。確か美穂と同じ日にCDデビューを果たしたアイドルの1人だ。
所属事務所が服部Pと同じと思っていたら、まさか彼がプロデュースしていたとは驚きだ。
「それと、これでも大学1年生です」
「大学1年? てっきり高校生かと思ってた……」
ということは18歳か19歳になるわけか。正直とてもそうは見えない。
同じぐらいの身長の未央ちゃんと同じ歳だと勝手に思っていた。
「この人は、シンデレラプロのプロデューサーさんだよ。同じ日にCD出した小日向美穂ちゃんのプロデューサー」
「始めまして。小日向美穂はご存知ですか?」
「あっ、あの可愛い歌の子ですか! チュチュチュチュワとか私好きですよ? えっと、サインとか貰っちゃっていいですか!? ここに書いてください! んしょ」
そう言ってペンをこちらに渡すと、愛梨ちゃんは服を脱ぎだそうとする。って服!?
「こらこら! ここで脱がないの!」
「えー。暑いんですよー、ここ。暖房効き過ぎですよ。プロデューサーさんもそう思いませんか?」
「だからっていきなり脱ぎだされるとビックリするかな、うん」
冬だから当然つけるに決まっている。外に出れば嫌でもありがたみが分かるはずだ。
尤も、節電ブームの影響か、そこまで温度を上げてはいないと思うが。
それとだ。
「えーと。愛梨ちゃん。俺にペンを渡されても困るんだけど」
「へ?」
この子、天然なのかな……。
「美穂は今日、レッスン中でいないんだ。だからこの場では渡せないかな?」
「そう言えばそうですね。プロデューサーさんが書いてくれるわけじゃないですし」
サインは俺に書かせるつもりだったのか? しかもさっき服に書かせようとしていなかったか?
「ははは、見ての通り結構抜けている子なんですけど、実力はかなりのものです」
「デビューから1ヶ月もしていないんですけど、事務所総出で彼女をプッシュしていますし、この番組以外のオーディションも勝ち上がってきてます。ポテンシャルの高さはNG2の3人にも負けていないと思いますよ?」
「えっへん!!」
大きく大きな胸を張る。
彼女のことはよく知らないが、1年近くファーストホイッスルを見続けた彼がそこまで言うんだ。
1、2ヶ月でこのオーディションに立つぐらいだし、その才能は本物だろう。
彼らは本気で1発合格を狙っているのかもしれない。
「抽選会を始めますのでー、参加希望の方は渡した番号順にくじを引きに来てください!」
「おっと。そろそろ僕たちも行きますね。それでは、また来週お会いしましょう」
「失礼しまーす」
係員の指示で、抽選会が始まる。くじを引く順番は20番目。良い番号が残ってますように――。
「ってなわけで、美穂の順番は18番だ。野球ならエースナンバーだな」
「それって、何人中ですか?」
あまり言いたかないんだよな。今回に関しては。
「……109人中18番だよ」
「ひゃ、109人!? お、多すぎませんか!? 煩悩の数以上ですよ!?」
「ぼ、煩悩っすか……」
そりゃあ驚くよなぁ。前回の72人ってのもびっくりなのに、今度は3ケタの参加者だ。
審査をする彼らの心労は絶えないだろう。合掌。
係員も過去最大数の参加人数だと言っており、始まる時間が前倒しになったぐらいだ。
途中昼休憩が挟まれるにしても、アイドルにとっても見学者にとってもハードな1日になることは間違いない。
「どうしてそんなに受けるんですか?」
「仕方ないよ。運命の36週に食い込める最後のチャンスだから、それに縋るアイドルも多いだろうし、全国放送になったからね。熊本でも映るってことさ。まぁそれ以上に、合格人数が決まっていないというのが一番大きいかな」
「納得しました。競争率、凄いんですね」
「それと。来週さ、本田未央が参加するんだ」
「ええ!? 本田未央って、あの未央ちゃんですか!? NG2の!?」
「ああ。これが合格者1人だとかだったら、勝ち目がないと参加を見送るところも多いんだけど、ファーストホイッスルはそうじゃない」
「あっ、そっか!」
合格できるかはタケダさんたち次第で、トップになる必要もない。
ゆえに相手がオーディション荒らしだろうと関係ないのだ。
しかし未央ちゃんが出ることで、参加を見送った団体も少なくないはずだ。本当なら、何人参加したのだろうか。
考えただけでぞっとする。一日で終わるのか?
「確かに相手は紅白出場アイドル、しかも3人の中で最もアピール上手と言われている本田未央。紛れもなく強敵だ。だけど、俺たちだって負けるわけにいかない」
「だから、自信を持つんだ。前の失敗は、恥ずかしがることなんかじゃない。むしろ誇ってもいいぐらいだよ。この失敗のおかげで、私はもっと輝けましたってね」
「はい! 頑張ります!」
今回のオーディション、1月23日にCDデビューを果たしたアイドルは、美穂を合わせて5人とも参加している。
『わかるわ』
地方局の女子アナからアイドルへ転身と言う、異色の経歴を持つ川島瑞樹。
『ウッヒョー! なんというか、ロックですね!』
美穂と同時期に活動を始めた、ロック系アイドル多田李衣菜。
『暑いですねー。服脱いで、これ衣装でした……』
服部Pのもと、力をつけてきた超新星十時愛梨。
『みんな! お待たせ!』
そしてNG2最後の刺客、本田未央。強敵ぞろいで、今回のオーデも一筋縄ではいかないだろう。
だけど――。
『わ、私! 負けません!!』
美穂も彼女たちと十分戦えるはずだ。時間はまだある。営業を入れつつ、来週への調整といかなくては。
「2ヶ月ぶりなんでしょうか?」
「かな。俺はちょくちょく来てるけどね」
「でも。私と一緒なのは、2回目です」
オーディション会場を前にして、俺たちは立ち尽くす。
「いい天気だ。外れなきゃいいけどさ」
空を仰げば雲一つない快晴。それだけで、不思議と俺の心は落ち着いていけた。
「……」
「あれは……」
美穂はと言うと、広場に設置されているベンチを見て物思いに更けている。
あのベンチは、服部さんと別れた場所だ。美穂にとって、良い思い出は残っていない。
「えいっ」
「あたっ! なにするんですかぁ!」
軽く凸ピンすると、アホ毛がふわりと揺れる。そう言えば、ご両親も同じ場所にアンテナが立ってたっけか。
「いやさ、辛気臭い顔してたからついついやっちゃったよ」
「ついついでデコピンしないでください~!」
「ははは、ゴメンって」
涙目でポカポカ叩いてくる。最初のころに比べると、本当に距離が近くなったなぁ。
「美穂はさ、まだ服部さんの事気がかり?」
「まだ、夢に出てくるんです。雨の中、あのベンチで悲しそうな顔をする瞳子さんが。夢と思えないぐらい、リアルに」
「変ですよね。雨の冷たさだって感じちゃうんですよ? ちゃんと前に行かなくちゃいけないのに。私は、まだあの日のまま」
美穂は浮かない顔で答える。きっと彼女は、あの日のことを一生忘れないだろう。
「忘れろとは言わない」
「え?」
「乗り越えることは、忘れることじゃないんだ」
悲しいことも、嬉しいことも取りまとめて一歩先に進むこと。それが、俺達に残された最良の手段だ。
「悲しい顔がよぎるなら、嬉しそうな服部さんの顔を見ればいいんだ。美穂が夢を叶えてトップアイドルになれた時、服部さんはまたステージに上がるよ」
「俺たちは、あの時の俺たちとは違う。技術もパフォーマンスも格段に進化していってる。だから、自信を持って楽しんでおいで」
「楽しむ……」
「歌って踊れて、見ている人がいればそこは立派なステージ。オーディションだろうがライブだろうが、観客を魅せればいいんだよ」
今ここで、美穂が歌いだしただけでもステージになるんだ。観客はファン一号の俺だけだ。
「私に、出来るんでしょうか?」
「出来るよ。つーか出来てたじゃん。クリスマスパーティーとかさ!」
12月16日。あの講堂にいた人は漏れなく美穂のパフォーマンスに心を奪われた。
全く美穂を知らない人も、彼女の同級生たちも、アイドル小日向美穂のライブで幸せになったんだ。
「で、でも! 今日はオーディションです。もし失敗したら……」
ラストチャンス。その言葉が美穂の小さな身体に重くのしかかる。前みたいにこけたら? そう考えているのかな。
「そうだな。じゃあこうしようか。ランプの精って知ってる?」
「えっと、アラジンですか?」
美穂でも知っているか。だいぶ昔の作品だけど、今なお愛され続けている名作だ。
「うん、それ。願いを3回まで叶えるってやつね。千夜一夜物語ってやつの内の1つなんだけど、それはまぁいいか。」
「それがどうしたんですか?」
「なに、簡単なこと。美穂が今日のオーディションを乗り越えることが出来たなら、どんな願いでも3つ叶えてあげるよ」
「へ?」
ランプの精改め、ランプのP、ここに誕生。
――
「なんでも、ですか?」
突拍子もないことを言われて聞き返してしまう。ランプの精のお話は、小学校のころに見たことが有る。
どんな内容だったかは忘れたけど、願いを3つ叶えるランプの精の存在だけは鮮明に憶えている。
『もし美穂ちゃんなら、どんな願いが良い?』
その時の担任の先生は微笑みながら、そう聞いてきたっけ。
私、なんて答えたんだろう?
今の私なら、なんって答えるんだろう?
「あっ、家が欲しいとかそう言う金銭的にヤバいのはパスでお願いしたいかな。それと願い無制限とか言うのもね」
「どう? やる気出た?」
物で釣られているみたいで、少しだけムッとしてしまう。
だけど彼なりに、私を力づけようとしてくれているんだ。それはとても嬉しい。
うん、何時までも逃げちゃダメだ。決めたんだから。
ファーストホイッスルに絶対合格するって。変わってみせるって。
「そうですよね。失敗するのを怖がっちゃダメですよね」
もっと怖がるべきは、見てくれている人、応援してくれている人が楽しめないと言うこと。
私のパフォーマンスで素敵な気持ちになってくれたなら。
「プロデューサー。私、容赦しないかもしれませんよ?」
「お、お手柔らかにお願いしたいかな?」
「ふふっ」
言ってしまった手前、冗談でしたと言えずに困った顔をする。そんな律義で抜けている彼が、可愛く感じた。
「おっと、時間だ。それじゃあ行こうか、美穂」
「はい」
会場へ一歩一歩近づいていく。不安はあるし、やっぱり怖いものは怖い。
心の中では雲が覆い始めている。
だけど――。
「あっ」
「えへへ。入るまで、こうしていてください」
「はは……、パパラッチに見つからないよう祈っておくか」
「大丈夫ですよ。そんな悪趣味な人、いません」
暖かくて大きな彼の手と、私の小さな手を重ねると、どんな悪天候でも光が射す。
私のちっぽけな不安も、消えてしまうんだ。
「あの、プロデューサー」
「何かな?」
「このオーディションに合格したら、私と……」
「あー、ちょいちょい。そこのTPOをわきまえないカップルさん? ちょっと良いかな?」
「おっふっ!」
「きゃっ!」
彼の暖かさを感じていると、不意に後ろから声をかけられ勢いよく手を離す。
「あれ? 邪魔しちゃった感じ?」
「そ、そそそんなことないですよ! ってあれ?」
振り返ると、困ったようにこちらを見ている少女がいた。ってこの子……。
「ほ、本田未央?」
「そうでーす! みんなのアイドル、本田未央でっす! あっ、本田味噌じゃないからね。そこ重要だよ?」
星が出そうなウインクをして、彼女はお辞儀をする。
「っておや? もしかしてキミは……みほちー?」
「へ? みほちー? 私のことですか?」
「うーん、そっちのプロデューサーさんに『みほ』って名前は有り得ないかな」
『みほちー』と呼ばれたのは初めてのことだったから、少し驚く。
しかも名前を知っててくれたなんて。卯月ちゃん伝いに聞いたのかな?
「しまむーから話は聞いてるよ? 学校に仲のいいアイドルがいるってさ」
「あのプライベートの話題0で、アイドルの話しかしなかったしまむーにも、友達がちゃんといたんだとしぶりんと安心したっけ」
「結構失礼なこと言ってるよね、君」
「?」
どうやら未央ちゃんは他人とは違った呼び方をするみたいだ。しまむーは卯月ちゃんで、しぶりんは凛ちゃんだろうな。
「プロデューサーからCDは買うよう言われたけど、ジャケットの写真より可愛いな。でも、私も負けてないけどね! ってか私が可愛い!」
またもやウインク。あざとい位のキャラクターも、彼女の明るい口調と、
3人の中で1番のアピール上手と言われるだけあってか、不思議と嫌味に感じない。
「何が可愛いんだか」
「あだっ!」
パシン! 丸められたパンフレットで未央ちゃんの頭は叩かれる。
「いたた……、なにするのしぶりん~」
「遅刻する方が悪い。これが私じゃなくて、プロデューサーだったなら、今頃どうなっていることか」
「そ、それは想像したくない! しぶりん、黙っててくれるかな?」
「いいともっ! って言うと思う?」
「そ、そこをなんとか渋谷様ー!! 私目は道に迷ってただけなんです!」
「会場、目の前じゃん」
「うぐっ、この2人が悪いんだよ! 目の前でいちゃつき出すからさぁ、ちょっかい出したくなって」
「この2人? あっ……。そういうこと」
目の前で繰り広げられる漫才を、私たちはポカンと眺めていた。えっと、状況が読めない……。
「えっと、凛ちゃん?」
未央ちゃんの参戦はあらかじめ聞いていた。だけど、凛ちゃんがどうしてここに? まさかまた参加するの?
「そっか、驚くよね。私、今日は未央のプロデューサー代行なんだ。私たちのプロデューサーは、卯月についてるからさ」
プロデューサーと言うことでか、凛ちゃんは学校指定の黒い制服をきっちりと着こなしている。
心なしか、第一ボタンを締めているのが窮屈そうに見えた。どちらかと言うと、スケバンみたいな印象もってたし。
「アンタらのことも、卯月から話を聞いてるから知ってるよ。小日向美穂と、そのプロデューサー。悪くないかな」
「へ? 悪くない?」
「あっ、こっちの話ね。気にしなくていいよ」
「う、うん」
「それじゃあ、会場で。ほら、未央。行くよ」
「ちょっとちょっと! 引っ張らなくても行けるって!! 一緒に合格しようねー!」
ずるずると凛ちゃんに引きずられながら、未央ちゃんたちは会場入りする。
「俺たちも行くか」
「は、はい」
もう一度手をつなぎたかったけど、また誰かに見られると怖いので我慢する。
それに、十分すぎるぐらい彼のエネルギーは貰えたから、大丈夫。
「えへへっ」
本番前に、もう一回だけ補給しておこっと。
「小日向さーん! 久しぶりですね!」
「貴方は……、瞳子さんのプロデューサー!」
「1週間ぶりですね」
前回と同じ内容の説明が終わり、柔軟をする相手を探していると、懐かしい顔が私の前に現れた。
隣には、スタイルのいい女の子もいる。新しい担当アイドルかな?
「すっかりアイドルも板についてきたってとこかな? そうそう、彼女の紹介はまだだったね。この子は十時愛梨ちゃん。今僕がプロデュースしているアイドルだよ」
「十時愛梨です! 小日向美穂ちゃんですよね? サイン貰っていいですか?」
「へ? サイン?」
そう言って愛梨ちゃんは私のCDと黒ペンを取り出す。えっと、これに書けばいいのかな?
CDの発売イベントとかで、サインを書くことにも慣れた。
「小日向美穂っと」
丸っこい字で小日向美穂と書いてやる。
「ありがとうございますね!」
喜んでくれて、何よりかな? 変な感じがするけど。
「愛梨ちゃん、君もアイドルなんだよ?」
「あっ、そういえばそうですね。サインいりますか?」
「え、えっと……。じゃあこのスケジュール帳にお願いします」
「ちょっと待ってくださいね!」
何だろう。かなり天然さんなのかな? サインを自分から書こうとする人、初めて見た。名刺交換?
「十時愛梨です!」
「あ、ありがとうございます?」
悪い人ではないと思うし、凄く可愛いんだけど、彼が前プロデュースしていた服部さんとは、
何から何まで違う彼女に、私は少し戸惑う。
服部Pの好み、変わったのかな?
「美穂、一緒に柔軟したらどうかな?」
「そうですね。愛梨ちゃん、柔軟しませんか?」
「えっと、よろしくです!」
「よいしょ、よいしょ」
「ふぅ……。私こんなに体やわらかかったっけ? 美穂ちゃんのおかげです?」
「コツがあるんだよ。こう息を吐きながら……」
「おおー!」
前回服部さんに教わったことを、愛梨ちゃんに実践してみる。こうやって技術は伝わっていくのかな。
いや、よくよく考えれば、愛梨ちゃんは私にとって初めて出来た後輩アイドルだ。
相馬さんも後輩アイドルと言えば後輩アイドルだけど、アイドルとしての彼女に会ったことがないし、
電話やメールをしても向こうの方が年上なため、敬語使ってどちらが先輩か分からなくなる。
「あれ?」
周りを見渡すと、すぐ近くにさっきの2人が。
「んしょ、んしょ……。あー、体曲がるなぁ。すっごく曲がるなぁ。誰かが手伝ってくれたらもーっと曲がるんだよなぁ。残念だねぇ」
「未央、今のあんた相当ウザいよ?」
「いやさ、私だって他のアイドルと柔軟したいよ? だけどさ、なまじ売れちゃったから、みんな遠慮しちゃってしぶりんと虚しくやってるわけですよ」
「虚しくってどういう事」
「あだだ! 急に曲げないで! あー、こういう時に一緒にやってくれるみほちーとか、小日向さんとか、美穂ちゃんとかいればなぁ!」
チラッ、チラッ。
「どこかにいないかなぁ、アホ毛のキュートな女の子とか、クマさんと一緒に寝てそうな女の子とか」
「あー、美穂?」
「ですよね。あのー、未央ちゃん。一緒にしますか?」
「待ってました!」
「はぁ、なんかゴメンね。うちのバカが」
「バカって酷いよしぶりん!」
気にしないようにしていたけど、チラチラとこっちに目を向けてくるので、未央ちゃんも混ぜて柔軟をする。
「あれ? プロデューサーどこに行ったんだろ」
柔軟を終わらせ一息つくと、プロデューサーと凛ちゃんの姿がないことに気付く。
「えっと、プロデューサー何か言ってましたか?」
「いや、僕は知らないよ。2人ともどこ行ったんだろう?」
どうやら服部Pも知らないみたいだ。
「一緒にお手洗いに行ったとか?」
愛梨ちゃん、それは流石にないよ。
「ふっふーん。さては逢引とか? きゃー! しぶりんたら大胆!」
「え、えええええ!? あ、ああああ逢引!? それ、マジですか!?」
逢引って、逢引だよね!? プロデューサーと、凛ちゃんが!?
「み、みほちー、冗談だよ……。そんな驚かなくても」
「あっ、えっと、その……」
気が付くと、周囲の視線を集めてしまっていた。そんなに大声を出したら、目立つに決まってるのに。
「あ、アイダホバーガー、割引、です?」
「その、なんと言いますか。スンマセン」
プロデューサー、早く帰ってきてください……。
――
「少し、付き合ってくれる?」
「へ?」
「時間取らせないから」
アイドルたちが柔軟していた中、凛ちゃんが耳元でそう言った。何やら用があるみたいだったので、彼女について外に出る。
「コーヒー飲む?」
あの日と同じベンチに座って、コーヒーのプルを開けると深い香りが鼻を通る。
「ありがと。お金いくら?」
「いや、良いよ。年下の女の子に払わすのも悪いし。120円ぐらいなんだしさ、気にしなくて結構だよ」
「多分こっちの方が儲けてるよ? でも、ありがたくいただいとくよ。ありがとう」
「どういたしまして」
そりゃ今を時めく売れっ子アイドルなんだ、どれだけお金が有っても、使う暇もないだろう。
それに、この子はしっかりしているし、無駄遣いするようなこともないはず。
近いうちに納税長者番付に名前が出てきそうだ。
「未央が迷惑かけてなきゃいいけど」
「まさか。美穂も愛梨ちゃんも、大先輩と柔軟出来て嬉しいだろうし」
「大先輩だなんて。それ程でもないよ。ただデビューが早かっただけ」
「それでもこのスピードでここまで来たのは凄いと思うよ? いくら敏腕Pが付いてるとは言え、オーディションや仕事をするのは君たちだ」
プロデューサーは、主人公じゃない。飽くまで、アイドルという原石を輝かせるための裏方でしかない。
だけどその原石がただの石なら、どんなプロデュースをしても石ころは石ころだ。
NG2が化け物じみているのは、3人が3人とも、偽りなく才能に溢れているということ。
そして、天才プロデューサーの腕により、日本一の女の子たちへと変わりつつある。
「褒めても何も出ないよ?」
「そうかな。それより、どうして俺を呼び出したんだ?」
「ねぇ。もしも美穂が、他の事務所に移るってなったら。アンタならどうする?」
「え?」
「移籍。この業界じゃ珍しくないでしょ」
彼女の言うように、アイドルの移籍は良くある話だ。
こういう言い方をするのも少し心苦しいが、アイドルは1人の女の子であると共に、商品価値を持つ存在でもある。
金銭で引き抜かれるということもまま有ることだし、今以上の環境を求めて事務所を変えるということも少なくない。
「もしもの話だから、そんなに深刻に考えなくていいよ。街頭アンケートみたいなもの」
そうは言うが、急に言われると返答に困ってしまう。
美穂が移籍する。これまで、考えてこなかったわけじゃない。認めたくなかっただけだ。
「俺は……」
もしもの話でも、リアルに感じてしまう。凛ちゃんからすれば、笑って気楽に答えて欲しかったのかもしれない。
「も……。し美穂のことを俺以上に輝かせることが出来る人がいれば、その人に任せたいと思う」
「意外だね。てっきり美穂は俺のアイドルだ! 手放すものか! って言うと思ったのに」
そう言えたら、どれだけ心強いだろうか。
「美穂には、才能が有ると信じている。俺が美穂を輝かせきれていないのなら、それは罪だ」
「ふーん。信じてるんだね、美穂を」
「ああ。だからこそ、もっと上に行くべきだ」
理想は常に高く持っている。美穂とともに駆け抜けて、トップアイドルになる。
だけど俺が足枷になっていたのなら? それはアイドル小日向美穂を殺しているのと同じことだ。
「まぁ、何でもいいや。興味深い話聞けたしね。美穂には黙っておくから安心して」
「軽蔑したかい? 美穂の両親に託されている人間なのに、こう弱腰でさ」
美穂にはいつも前向きな言葉をかけてるけど、俺だって不安でいっぱいなんだ。情けない――。
「まさか。しないよ。アンタが美穂の事、心から大切に思っているってのは伝わったし」
「へ?」
「俺より上手くプロデュース出来る人間に託したいだなんて言っても、そんな悔しそうな顔してたら、嫌なんだろうなてのがひしひしと伝わって来たよ」
「美穂は、幸せ者だね。それだけプロデューサーに思われて」
「凛ちゃん、君は」
「勘違いしないでよ。私だって、プロデューサーのことを信頼してるし、あの人以上のプロデューサーはいないと確信している」
「厳しい人だけど、私たちの成功を心から喜んでくれる人だし、あの人がいなかったら私達3人は出会うことすらなかったからさ」
「感謝してるんだ。だから私たちは、彼女の夢、トライエイトを果たす。それが、私たちから贈れる、プロデューサーへの最大の恩返しだからさ」
その眼には一切の迷いはなく、ただ頂点だけを見据えていて。
このオーディションも、落ちるなんて考えていない。既にIA、IUにまで目を向けて準備をしているはずだ。
「戻ろう。そろそろ柔軟も終わってるだろうし」
「そうだね」
『美穂を俺以上に輝かせる人がいれば』と言ったが、そんなやついて堪るか。
俺は、彼女をNG2に負けないぐらい素敵な女の子にして見せる。
「今日それを証明するんだ」
負ければ腹を切るぐらいの覚悟を胸に、俺達は会場へと戻る。今更しても、遅いのに。
「結構良い顔してるよ」
「そりゃどうも」
それでも、彼女たちと同じ覚悟は出来た。
「プロデューサー! どこに行っていたんですか!?」
会場入りすると、美穂達がスポーツドリンクを飲みながら待っていた。
服部Pも飲んでるってことは買ってもらったのかな。
「ああ、ちょっとお手洗いにね」
「凛ちゃんとですか?」
「へ? あー、そうだよ?」
「ええええ!?」
冗談のつもりで返したが、美穂は本気で驚いている。
「さいてー」
ボソリと冷淡に吐き捨てられた言葉が、鋭い刃となって胸に突き刺さる。渋谷様、目が怖いです。
「ここのお手洗いって男女兼用なんですか?」
「んなわけあるかーい! しっかし、とときんって天然だよね。一番年上なのに」
未央ちゃんと愛梨ちゃんも仲良くなって何よりだ、うん。
「わ、私がお手洗いに行ってる間に! ここ来ない! でくださいね!!」
「いや、いかんがな」
「漫才してる場合じゃないよ。ほら、始まっちゃう」
時間は開始5分前。美穂の順番は109人中18番だ。25番目が終わった後に昼休憩に入ることを考えると、早いうちに出来て良かっただろう。
「みほちーは18番か。私は何と! 109番です!」
「プロデューサー、クジ運は悪いもんね」
「そんなことないよ! むしろラッキー? 全部持って行けるってのも、乙なもんだし!」
大トリは今オーディション1番候補の、未央ちゃん。普通なら一番最後になると気が滅入りそうなものだが、
彼女はむしろ楽しもうとしている。なんという強心臓。これが、紅白出場アイドルの余裕だろうか?
「えっと、私って何番でしたっけ?」
「愛梨ちゃんは63番だよ」
「中途半端ですね」
愛梨ちゃんは63番か。このオーディションは初めてらしいが、緊張しているように見えない。
果たしてどんなパフォーマンスを見せるのか。非常に気になる。
――
「じゃあ未央、私あっちで見てるから」
「りょーかい! しぶりん、寝ちゃダメだよ?」
「アンタと一緒にすんな」
「あだっ!」
「ったく、頑張ってよね。アンタの合格で、私たち3人胸張っていけるようになるんだから」
「うん。プロデューサーに見て貰えないのは残念だけど、絶対合格してみせるからね」
――
「やっぱりドキドキしちゃうなぁ……」
「愛梨ちゃん、緊張するかもしれないけど、気楽に行こう。最高のパフォーマンスを見せるんだよ。良いね?」
「気楽に……。はい! 頑張るんです!」
「それと、待ってる間だけど、暑いからって服脱がないこと。いいね?」
「え? ダメですか?」
「ダメだよ! それじゃあ、愛梨ちゃん。頑張って」
――
「俺も戻るかな?」
「あのっ、プロデューサー!」
「ん? どうした、美穂」
「えっと。わ、私の手。その、握って、く」
「どう? 気持ち、落ち着いた?」
「はい。とっても、幸せな気持ちです」
「その気持ちを、みんなに伝えるんだ。それがきっと」
タケダさんの、いや俺たちの理想なんだ。
「みなさん集まっていますね。まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください。それでは、エントリーナンバー1番、白菊ほたるさん」
「はい」
「――エントリーナンバー18番、小日向美穂さん」
「はい!」
ファーストホイッスル、リベンジマッチが始まる――。
――
14、15、16。3分刻みで、私の順番に近づいてくる。
『きゃっ』
あの日のことは、忘れようにも忘れることが出来ない。
最低な失敗をして、先輩との別れが有って、全部に投げやりになって。
もう2度と、ここに立ちたくないとまで、思っていた。それぐらい、私の心に大きな傷を残した。
「あっ……」
会場にいそいそと入ってくる影。タケダさんのお弟子さんだ。名前はえっと……――さん。
彼は私の姿を確認すると、柔らかく微笑む。私も微笑み返してみる。それぐらいの余裕はあった。
「17番、輿水幸子ですよ!」
後3分で、私はもう一度立つ。これが、IAノミネートへの最後のチャンスだ。
生まれてきて18年間で、一番長い3分になるだろう。
「……」
タケダさんは1mmたりとも表情を変えない。その姿は、お面を被っているが如し。
「ありがとうございました!」
自信満々な17番の子が席に座る。――私の番だ。
「ありがとうございました。それでは、エントリーナンバー18番の方、よろしくお願いいたします」
会場の空気は張りつめたままだ。油断をしてると、飲み込まれちゃう。
だったら、私が飲み込んじゃえば良いんだ。
ここにいる人すべてに、幸せな時間を与えることが出来たなら――。
「うん、行けるっ」
小さく呟いて、自分を盛り上げる。プロデューサーと離れていても、彼の暖かさはまだ残っている。
今でも、私の手を握ってくれているように感じた。
私は始まったばかりだ。限界を悟るなんて、まだまだ先のこと。
「エ、エントリーナンバー18番! 小日向美穂、です!」
観客はクマさんじゃない。私と同じ人間。
だから、恐れることなど何もない!
聞いてください、Naked Romance!!
(凄い……! こんなに気持ちよく歌えるなんて)
曲が流れて踊り出すと、私の光景は、味気のない会場は一瞬にして煌びやかなライブ会場へと変わった。
色とりどりのサイリウムが振られて、ここにいる皆が私の歌を聞いてくれている。
恥ずかしいけど、すっごく楽しい!
(これも、曲の魔法かな?)
私と一緒に成長する曲。歌えば歌うほど馴染んで行って、踊れば踊るほど軽やかに、私の体の一部のように。
甘くてキュートで、あれだけ怖かったみんなの視線も、今の私にはカンフル剤だ。
テンションは、最高潮! 止まる気がしません!
会場に座る皆の心に、何か伝わったかな? もしそうなら、凄く嬉しいな。
「――♪」
プロデューサー。私、今最高に楽しいです!
「あ、ありがとうございましたぁ!!」
人生で一番長い3分だとか言っておきながら、ふたを開ければあっという間に終わってしまった。
もう一度歌いたい。そんな欲求が私の体を電流のように駆け巡る。
「小日向さん、でしたね」
「え?」
肩で息をしながら座ろうとすると、タケダさんが急に声をかけてきた。
えっと、なにかやらかしちゃったのかな?
「良い曲に出会えましたね。それは、凄く幸運なことです。その出会いを、大切にしてくださいね」
「は、はい!」
怒られるどころか、褒められたのかな?
人との出会いはもちろんのこと、曲との出会いも一期一会。
もし自分とともに育って行ける曲に運よく出会えたら、全身全霊を込めて命を与えないといけない。
それがアイドルの、使命なんだ。
私の世界を大きく変えたこの曲に、命を与えることが出来たのが、誇らしく思う。
「失礼しました。それでは、エントリーナンバー19番の方、よろしくお願いいたします」
「えんとりーなんばー19番、小早川紗枝といいます。よろしゅう頼んます」
人事を尽くした。後は天命に身を任せるだけ。
神様がいるのなら、私のパフォーマンスどう思ったかな? 盛り上がってくれたら、それはとても良いことだ。
「美穂!」
「プロデューサー!」
休憩時間に入り、昼ご飯をどうしようと考えているとプロデューサーが私の肩を叩く。
「どうでしたか? 私の、パフォーマンス」
「驚いたよ。クリパの時以上の完成度だったよ。もしこれがオーディションじゃなくてライブだったなら、観客も大盛り上がりさ」
「本当ですか!? えへへ、嬉しいな」
「今まで25人のパフォーマンスを見てきたけど、美穂が一番だと思うよ」
「もう!」
褒め殺しが炸裂する。今回は私も自信が有るので、素直に喜んでおく。
「そうだ。お昼どうしますか?」
「そうだな。あの喫茶店でとるか?」
瞳子さんが働いていた喫茶店だ。オムライスを思い出すだけで、お腹がすいてきた。
今日はもう終わったから、何も気にせず食べてもいいんだ。
「良いですね! 行きましょう、プロデューサー」
「だね。でも折角だから、服部Pも誘ってみるか」
プロデューサーはそう言って服部Pに連絡をする。
「愛梨ちゃんと一緒に向かうそうだ。俺らも行こうか」
「はい!」
「よし、出発進行! ほら、しぶりんも急いで!」
「アンタホント遠慮ないよね」
マスターたち、私のこと憶えているかな? とウキウキしながら会場を出ようとすると、
何時の間にやら声が増えていた。
「え?」
「へへっ、会いたかった?」
「ねぇ、私らも混ざって良い? 自分の分は自分で払うからさ」
乱入するのが好きな2人だなぁと思いました。
凛ちゃんと未央ちゃんも、一緒に食べることになりました。友達がどんどん増えていきます。
「いらっしゃいませ。おや、君は服部さんと来てた」
「小日向美穂です。席空いてますか?」
「ああ、大丈夫だよ。今日はまだお客さんが少ないし」
昼前と言うことで混んでいるかと思ったけど、案外空いていた。6人座れる席を用意してもらい、私たちはメニューを決める。
「ねぇみほちー。おススメってどれ? このあんこ入りパスタライスってすごく気になるんだけど」
食べ合わせが悪そうな料理だ。頼んでみたいとも思わない。罰ゲーム用?
「おススメかぁ。オムライスが凄く美味しいよ」
「じゃあ私はそれで! 言っておくけど、私はオムライスに対しては結構うるさいクチだからね」
「適当なこと言わない。初耳だよ」
「それじゃあ私もオムライスで。あっ、頼んだら絵とか描いてくれますか?」
「愛梨ちゃん、メイド喫茶じゃないんだからさ。僕はカツカレーで」
「じゃあ俺もそれでお願いします」
「私もオムライスで」
女子4人はオムライス、男性2人はカレーを頼む。前も同じメニューだったっけ。
「新しい写真だ」
オムライスが来るまで暇なので周りを眺めていると、壁に掛けられている写真が増えていることに気付く。
12月○日……、前のオーディションの次の日だ。
『また会おう、服部さん』
大分に帰る前に撮った写真かな。一晩明けて吹っ切れたのか、瞳子さんの表情は晴れやかだ。
「瞳子さん、見ててくださいね」
私は貴女に、何も恩返しが出来ていない。同じステージに立つことすら叶わなかった。
私の活動を見て、少しでもこの世界に戻りたいと思ってくれたなら、それ以上嬉しいことは無い。
「お待たせしました」
他愛のない話をしている内に、料理が到着する。
「コホン! それじゃあここにいる3人の! 合格を願って……、乾杯っ!」
「騒がしい!」
「あだっ! しぶりんドイヒーだよドイヒー!」
「TPOをわきまえないアンタが悪い。あっ、うちらのことは気にしなくていいよ。いつものことだし」
何故か音頭を取った未央ちゃんの頭に、丸めたメニューが竹刀のように降りかかる。
凛ちゃんは怒らせると怖いというのがよく分かった。
「それじゃあ気を取り直して、いただきます! うん、これは美味しい!」
「あっ、猫の絵描いてくれてますね! 食べるのが勿体無くなりました……」
「美味しい。こんなにふわふわしたオムライス、初めてかも」
オムライス初体験の3人も気に入ったみたいだ。作ったのは自分じゃないのに、自分の事みたいに嬉しくなる。
「食べ終わったら戻りましょう。デレプロの2人はもう終わっちゃいましたけど、僕らはまだ先ですし。体が硬くならないようにしとかないと」
「美穂からすれば、長い時間待つのキツイかもしれないけど、他の子のパフォーマンスを見るのも勉強だよ」
前と違って早いうちに終わったので、私はじっくりとみんなのパフォーマンスを見ることが出来た。
皆凄いなぁ、と小学生みたいな感想を持ったけど、突出してるなと思ったのは、
『よろしゅう頼んます』
私の次にパフォーマンスをした小早川紗枝ちゃんと、
『川島瑞樹です。よろしくお願いいたします』
休憩に入る前の25番、川島瑞樹さん。
紗枝ちゃんは他のアイドルと一線を画している。会場を間違えた、と言われても仕方なかっただろう。
京都出身なのか、はんなりとゆるやかな京言葉を操り、衣装も変わっていて、
まるでかぐや姫の様な和装でオーディションに臨んでいた。
扇子片手に華やかな演舞を披露した彼女は嫌でも目立つ。
下手すれば私の印象が薄れてしまうんじゃないかと危惧してしまうぐらいだ。
そして川島さん。彼女はプロデューサーから事前に聞いていた人だ。
1月23日にデビューシングルを出したアイドルの1人で、今回のオーディション参加者の中で最年長だという。
なかなか短いスカートを穿いていたのは、自分に絶対の自信があるからかな。
元地方局のアナウンサーと言うこともあって、全く緊張しているように見えなかった。
歌声も艶やかで、他のアイドルにはない魅力をアピールできていたと思う。
「自分だけの魅力、かぁ」
癒し系とか小動物みたいって良く言われるけど、それは私の武器になっているのかな。
もう一度自分の適性や魅力と向き合ってみよう。新しい発見があるかもしれないし。
「考え事?」
スプーンの止まった私を、プロデューサーが心配そうに見ている。
「あっ、そう言うのじゃないです。ただ川島さん凄かったなぁって思って」
「凄かったねー。なんというか、新人アイドルなのにベテランの風格、年期感じるあだっ!」
「そういうこと言わないの」
凛ちゃん未央ちゃんの漫才も慣れてきた。大体未央ちゃんが地雷を踏んでるから、擁護しようもない。
「でもああいう大人って憧れちゃいません? 私も憧れられたいです」
愛梨ちゃんのそのスタイルの良さは誰だって憧れると思う。時々プロデューサーが、目のやり場に困っているし。
「でもさ。私は美穂のパフォーマンスも好きだよ。正直驚いたし」
「うんうん! タケダさんが進行止めて声かけたぐらいだからね」
「そうですよ! 流石ですね! ですよね、プロデューサーさん」
「ええ。前回の時より格段に進化しています。瞳子さんがいたら、驚いたでしょうね」
何が流石なのか分からないけど、手放しに褒められると照れてしまう。
「大丈夫、美穂はナンバーワンだよ」
「はいっ」
うん、自信が出てきたぞ。胸を張って、結果発表まで待とう。
「休憩の後だけど、次に要チェックなのは多田李衣菜かな。ロックなアイドル志望らしいけど、どう来るかな」
李衣菜ちゃんは前のオーディションでも一緒だった。
初参加かつトップバッターでありながら、堂々としたパフォーマンスを見せていたっけ。
あれからどう進歩しているんだろう。
「おっと、そろそろ戻らないと。無理せず早く食べてくれ」
「ちょ! それ矛盾してるよ!」
「グダグダ喋りながら食べる方が悪いんでしょっと」
「あー! しぶりん私の食べないでよ! 一気に流し込むぞ!」
「あっ、未央ちゃんそんなことしたら!」
「んがぐぐっ!」
掻き込んだオムライスが喉に詰まり、苦しそうに胸を叩き始める。
「言わんこっちゃない。水飲みなよ」
「さ、サンキュ……。いやぁ、お見苦しい所をお見せしちゃった。でも、パフォーマンスに直ちに影響はないからね。あしからず♪」
ウインクしながら自信満々に言う。調子のいい性格の未央ちゃんだけど、
なんだかんだ言っても実力は折り紙つきだ。日本中が認めているところだろう。
今回のオーディション参加者の中でも際立っていて、109人中109人と言うのも、
彼女が望んだ順番のように感じていた。
最後の最後で、彼女は全てをかっさらっていくつもりなんだ。それだけの自信と、実力が彼女には有る。
「んじゃ、行きますか!」
残り74人。結果発表はまだまだだ。私たちは会場へと戻る。
でもその前に。
「あのっ、プロデューサー」
「ん?」
「またパワー、貰っていいですか?」
「へ? 美穂?」
彼の返答を待たず、私は彼と手を繋ぐ。なんというか、図々しくなってきたかも私。
「もう出番は終わったよ?」
「結果発表までありますから」
「大丈夫だって、美穂は必ず合格する。だから不安に思うことなんてないんだ。どっしりと構えておくんだ」
「でもきっと……。他のアイドルのパフォーマンスを見て、不安になっちゃいますから。だから、勇気を貰うんです」
「何事にも動じない、強いハートを私に下さい」
「こんなので、伝わるのかい?」
「はい。だってプロデューサーは魔法使いですから」
「魔法使い?」
彼が魔法使いで、私はシンデレラ。だったら王子様は……、一人二役。
「こうしているだけで、私は強くなれます」
「そっか。満足した?」
「はい。十分です」
――
「それじゃあ戻ろうか」
「はいっ!」
「……」
「……」
「見ましたか、しぶりんや」
「うん。あれはどうなの? アイドルとして、プロデューサーとして」
「いいんじゃないの? 中学生カップルみたいでさ」
「中学生でも、あそこまで恥ずかしいことしないよ」
「しぶりんもプロデューサーが男の人だったならやってたかもよでっ!」
「変なこと言うな! ほら、戻るよ。行った行った!」
「ふぁあい……」
「今は良いかも知れないけど、あの2人の未来は……」
――
「あの子、凄いね」
「あー。やっぱそう思う?」
「うん。パフォーマンスの質が他の子よりも高い水準だし、なにより曲にマッチしている」
「だね」
凛プロデューサーが耳元でつぶやく。マッチしている、か。仰る通りで。
エントリーナンバー47番、多田李衣菜。
前回はイケイケのロックだったが、今回は緩めの曲調に落ち着いたみたいだ。
個人的にはこっちの方が彼女に合っている気がする。
言ってしまえば、彼女は美穂にとってのNaked Romanceのように、
自分と共に成長する、生きていく曲を手に入れたのだ。それは、先の川島さんも同じだ。
「凛ちゃんは」
「ん?」
「自分にしか歌えないって歌ある?」
「変なこと聞くね。カラオケ行けば入ってんだし、みんな歌えるよ」
そう返されると、返答に困ってしまう。共通認識かと思ってたけど、そうでもないのかな。
「えっと、聞き方が悪かったかな」
「嘘。言いたいこと分かってるからさ」
「要は、私にマッチした曲って事でしょ? あるよ。というかその曲だからCD出したんだし」
「デビューシングルのこと?」
「うん。有名な作曲家の先生に私に合っているだろう曲を数曲作ってもらって、その中からチョイスしたんだ」
「なるほどね。敏腕Pのコネは侮れないな」
「まあね。ほら、次の子始まるから静かにしよ」
「すんません」
人生経験はこっちの方が長いけど、業界人としては彼女は俺より1年近く前にデビューしている。
相手は美穂より年下の女子高生なのに、変にへこへこしてしまう。貫禄の違いか?
「来たか……」
「どんなパフォーマンスを見せるか、楽しみだね」
「愛梨ちゃん、頑張れっ!」
エントリーナンバー63番、十時愛梨。服部Pの事務所の秘密兵器らしいが、如何なものか……。
「次の方、どうぞ」
「えっ? 私ですか? 十時愛梨です。エントリーナンバーは64」
「十時さんは63番ですね」
「あっ、ごめんなさい。63番みたいです」
タケダさんを前にしても、天然ボケは炸裂する。
「ビジュアルタイプかな。CDで聞く限り歌も上手かったけど、幾分か補正はあるだろうし」
凛ちゃんの言うように、見たところダンスは苦手でビジュアルアピールに強そうだけど……。
音楽が流れだし、パフォーマンスが始まる。ダンスはやっぱり不得手っぽいけど、俺達の予想は大きく裏切られる。
「なっ」
「凄い……」
「よしっ」
プロデューサーズは3者3様のリアクションを見せる。
凛ちゃんは感嘆の溜息を溢し、服部Pは始まったばかりなのに大きくガッツポーズをして、
俺は思ってもいなかった切り札に言葉が詰まってしまった。
男性諸君の視線を集めてしまいそうな完成されたスタイル。彼女のアピールポイントはそこだと思っていた。
それは俺以外も同じだろう。きっとこの会場にいる人のほとんどが、愛梨ちゃんの本質に気付いていなかったと思う。
そのスタイルすら、どうでもいいと思えるほどの歌声。それこそが彼女の本当の武器だ。
プロの歌手でも、ここまで歌える人は数少ない。のびやかに通る歌声が会場を包み込む。
愛梨ちゃんは、ここにいる全員を見事に騙したのだ。
「こりゃ驚きだな」
CDで聞いて、彼女の歌は上手だと思っていた。ただ録音技術の発達もあって、ある程度修正が聞くようになっている。
だからライブでの生うたとのギャップが大きいアイドルも少なくない。
実際俺も、彼女についてはそうだと思っていた。だけど生で見た彼女はどうだ? 正直言って、化け物じみている。
「ありがとうございました!」
愛梨ちゃんのパフォーマンスが終わると、あちらこちらから小さな拍手が聞こえてくる。
オーディションで拍手が起きるなんて前回今回と見て、初めてのことだった。
アイドルたちの席を見ると、美穂も未央ちゃんも拍手をしていた。
「――」
ただどういうわけか、未央ちゃんは複雑な顔をしている。
「はぁ。私らだってオーデで拍手は貰ったことないのに。これが才能ってやつ? 目に見える才能って、結構エグイね」
凛ちゃんが少し悔しそうに漏らす。なるほど、そいつは複雑だろうな。
NG2に次ぐ超新星、十時愛梨――。とんでもない子がやって来た。
「未央が焦らなきゃいいけど」
最後にそう弱々しく呟いて、凛ちゃんはメモ帳片手に黙って見学するようになった。俺もそれに倣って静かに見守る。
――
「ふぅ……」
最後の休憩時間、私はすっかりぬるくなったスポーツドリンクを飲みながらボーっとしていた。
もうすることがないというのは、気が楽だ。
それでも、待ち続けるのも結構辛い。もう一度プロデューサーから勇気貰おうかと考えていると、
「あっ、美穂ちゃん。隣良いですか?」
「愛梨ちゃん。お疲れ様、かな?」
愛梨ちゃんがよいしょと言って私の隣に座る。
(視線感じちゃうなぁ……)
行きかう人々は私たちに視線を寄せる。それもそうだろう。
私はともかくとして、愛梨ちゃんは人を惹き付ける何かを持っている。
それは努力してどうにかなるものじゃない。生まれつき持っている、才能の様なものだ。
「愛梨ちゃんは、デビューしたのが12月なんですよね?」
「うん。それがどうかしました?」
「ううん、何でもないよ」
2ヶ月ほどでここまでの力をつけているのは、服部Pたちの努力の賜物か、それとも愛梨ちゃんの素質か。
認めるのは少し悔しいけど、私は後者だと思う。
スタイルの良さは言わずもがな、圧倒的な歌唱力は2ヶ月でどうにかなるものじゃない。
元々の素体が優れているという証拠だ。
「ここでゆっくりしていたいですねー。はぁ、肩が凝っちゃった」
どれだけ努力しても到達出来るか分からない世界へ、彼女はほんの少しの時間でたどり着いたんだ。
生まれた時からアイドルになることを宿命つけられていた、そう考えると不思議としっくり来る。
「んしょ、んしょ……」
疲れたように自分の肩をもむ愛梨ちゃんは、可愛いと思うと同時に恐ろしくも感じた。
底が見えない――。彼女はまだまだ進化し続けるだろう。
「嫉妬しちゃうなぁ」
「?」
仲良くなった子が褒められるのは嬉しいことだ。だけど、手放しに喜べない自分もいるわけで。なんとも複雑な気持ちだ。
「あっ、そろそろ時間だ。戻りましょう!」
「……えいっ」
飲み干したペットボトルを、ゴミ箱に向けて投げてみる。
勢いよく飛んだそれは、ゴミ箱のふちに当たってコロコロと転がる。
「惜しいですね」
「……上手く行かないなぁ」
ゴミはゴミ箱へ。そのままにせず、ちゃんとゴミ箱に入れる。格好悪い所、見せちゃったな。
「よしっ、気合入れて聴くぞ!」
残り24人。1時間と数分だ。また緊張しちゃうんだろうなぁ。しても何も変わらないのに。
「頑張れ、未央ちゃん」
ここにはいないお調子者にエールを送っておく。
「108番の方、ありがとうございました」
煩悩の数、終了。そして最後を飾るのは、この人。
「本田未央! です。よろしくお願いします!」
「あれ?」
未央ちゃんも緊張しているのかな。心なしか、焦っているように見えた。
「……ッ」
ぎこちなく審査員の前に立つ彼女に、少し違和感。
「あっ、うん。そうだよね。ふぅ……」
だけどその違和感はすぐに修正される。何かを見つけたのか、震える身体は落ち着いていく。
「にっ!」
「?」
未央ちゃんはこっちに振り向きニコリと笑った。やっぱり、気のせいだったのかな。
――
「108番松山久美子さんか……」
「?」
先ほどパフォーマンスをしていたアイドルの名前を呟くと、メモを始める。
審査が始まった時から、彼女は時々こうやってメモを取る。一体何を書いているんだ? 採点ごっこ?
「見ないでよ、変態」
「いや、見てないって。って変態ってなんだ変態って」
「女子とお手洗いに行ったとか言う人のこと。ほら、未央の出番……。はぁ、やっぱりこうなるか。休憩中にメンタルケアしとくんだった」
「へ?」
困ったように溜息をつく凛ちゃんは視線をステージの上の未央ちゃんに向ける。
「ああなった未央は失敗しやすくなるの」
「あらま」
似ているのだ。アイドルになりたての頃の美穂に。
舞台慣れしているはずなのに、ファーストホイッスル特有のプレッシャーのせいか、
未央ちゃんは素人目にも分かるぐらいにガチガチになっていた。
「愛梨のパフォーマンスが毒になったね……」
「へ?」
「未央の悪い癖。自分より出来てると思った相手が出ると、焦ってしまうんだ。現在進行形でその症状が出てる」
逆に言うと、美穂のパフォーマンスは取るに足らないものだったって訳か。うん、複雑だ。
「――」
「手話?」
「うちらのサイン。大声出してエール贈るわけにいかないでしょ?」
凛ちゃんの手が放つメッセージの意味は分からないけど、ちゃんと未央ちゃんに届いたみたいで。
「あっ、うん。そうだよね」
いつもの調子を取り戻したみたいだ。いったん後ろに振り返る。彼女の目線の先は、美穂?
音楽が流れると、未央ちゃんはテレビで見た以上に軽快でダイナミックなパフォーマンスを魅せる。
愛梨ちゃんに隠れてたけど、彼女も何気にスタイルがいい。
「これが未央ちゃんか……」
「生で見るのは初めて?」
「恥ずかしながらね」
「じゃあとくとご覧あれ。なんてね」
映像媒体で満足していた自分がバカみたいに思えてきた。アイドルは生で見てナンボだ。
ダンスの完成度、歌唱力でなら他のアイドルが勝っている部分もあるだろう。
とりわけ歌唱力に至っては、愛梨ちゃんと言う化け物がいるし。
「感服するよ」
だけどそれ以上に、彼女のアピール技術は天賦のものが有った。
ベストなタイミングで、ベストなアピールが出来る。簡単そうに聞こえて、かなり難しいテクニックだ。
未央ちゃんはその難しさを感じさせないアピールを連発する。
こればっかりは、現役アイドルの中でもトップクラスの実力と思っていいだろう。
「ありがとうございまーす!」
ウインクを残して、曲が終わる。
「気が利くね」
「そりゃどうも」
2人でこっそりと拍手をしてみる。ブラボーって言っても良かったかな。
「ありがとうございました。それでは、結果発表までしばらくお待ちください」
全てのパフォーマンスが終わり、タケダさんたちはそう言い残して会場を出る。
会場を覆っていた緊張感は一瞬にして消えて、アイドルたちの顔に疲れが浮かんできた。
「ドキドキの結果発表か……」
合格者は未定だが、大体いつも多くても3組だ。美穂はその中に滑り込むことが出来るか――。
「今回レベル高かったですね」
凛ちゃんのいた席に美穂が座る。凛ちゃんは未央ちゃんと話しているみたいだ。
「最後のチャンスだからね。NG2みたいに、再登場って人は流石に居ないみたいだけど」
それぞれの思惑、夢、意地がぶつかり合ったハイレベルなオーディション。
それでも、ステージに立つことが出来るのは一握り。
「プロデューサー。私、合格できるでしょうか?」
不安げに尋ねる。パフォーマンスの後はハイな気分だったけど、
その後冷静になっていくにつれて、他のアイドルに引け目を感じてきたのだろうか。
「んーっ。天命さんを待つしかないな」
座りっぱなしだったので、背伸びをするととても気持ちが良い。
「そうですね。私たちに出来るのは、それだけなんですね」
「美穂が望んだ答えじゃないかもしれないけど、それがベストな返答だな」
「いえ。大丈夫です。少し、気が紛れました」
今日まで俺たちは人事を尽くしてきたつもりだ。だから後は、なるようにしかならない。
「大変お待たせしました。これより、結果発表に移ります」
「ほら、席に戻りなさい」
「はい」
審査員たちの登場に、騒々しかった会場は一気に静まる。心臓の鼓動は響き、緊張が走る。
「今回のオーディションは非常にレベルの高いものでした。運命の36週が絡んでいるとはいえ、皆様の熱意は十分に伝わってきました」
「私たちも、審査員と言う立場で皆様のパフォーマンスを見ることが出来て、とても誇らしく思います」
「ですが、私たちの理想の音楽を体現したアイドルはまだまだ少ない。どうか、今回合格した方々が、理想に共感して浸透させてくれることを、願っています」
アイドルたちも担当プロデューサーたちも、まだかまだかとタケダさんの言葉を待っている。
「……」
祈るように目をつぶる服部P。
「ふぅ」
あくまで態度を崩さず、余裕を見せる凛ちゃん。
「行けるっ」
そして俺の心臓は爆発寸前。早く行ってくれないと、心臓麻痺で倒れそうだ。
「前置きが長くなりましたね。合格したユニットは……」
「18番、25番、47番、63番、109番の5人です。おめでとうございます」
「今、18番、って言ったよね……」
おれゆめみてるとかないよな? ほほをつねる。うん、いたい。
「うん、言ったね。おめで」
「いよっしゃあああああ!!」
「うっし!」
「ちょ、2人ともうるさいって!」
女子高生に注意されるいい大人2人。と言っても、凛ちゃんもなんだかうれしそうな顔をしている。
「御三方、喜ぶのは構いませんが、程々にお願いしますね」
アイドルより盛り上がったら、怒られるわな……。
「あっ、すみません」
「……私まで巻き込まれたじゃん」
「後でコーヒー奢るからさ」
「私、言うほどコーヒー好きじゃないんだけど」
――
「18番、25番、47番、63番、109番の5人です。おめでとうございます」
ずっと続くかと思われた沈黙の後、タケダさんはそう言った。
「え、えっと……18番?」
自分の番号札を確認する。18番だ――。
「やっ」
「いよっしゃあああああ!」
「うっし!」
「ちょ! 2人ともうるさいって!」
「御三方、喜ぶのは構いませんが、程々にお願いしますね」
「った?」
私以上に喜んでいるプロデューサーたちが微笑ましい。でもこれ、夢じゃないよね?
「いたひ」
頬を思いっきりつねる。痛みはある。つまりこれは、現実だ。
「ここまで、来れたんだね」
不意に目から流れる涙。そっか、今日の私は、嬉しくて泣いているんだ――。
「それではファーストホイッスルのオーディションを終了いたします。合格者とその関係者は打ち合わせがございますので、残っていてください」
そう締めくくられて、今回合格できなかった参加者は会場から出て行く。
「プロデューサー。これ、夢じゃないですよね?」
さっき確認したのに。それでも、自分の置かれている状況がファンタジーじみていて、いまだに信じられない。
彼も同じだったのか、右頬が少し赤くなっている。
「ああ、夢じゃないよ。俺たちは1つ、夢を叶えたんだ」
「あんまり、実感がないです」
「そう言うもんじゃない? 夢って」
今日までどれだけの時間。この日のために費やしてきたのかな。学校以外の時間は殆どかけたはずだ。
だけどオーディションは3分間だけで、ファーストホイッスルも1時間番組。
そのうち、私がピックアップされる時間はさほど長くないだろう。
5人もいるんだ、1人1人の時間は長く取れないはず。
「皆さん集まりましたね。まずは合格、おめでとうございます。素晴らしいパフォーマンスでした、掛け値なしに」
「さて、打ち合わせと行きたいのですが、その前に説明しておきたいことが。今回は5人と言う本番組始まって以来最大の合格者数が出ました」
やっぱり5人って言うのは珍しいことなんだ。他の番組ではそうでも無いけど、
この番組に関しては合格者は人数は決まっていないと謳っていながら、多くても3組ぐらいだったのに。
「私どもとしても嬉しいことですが、同時に尺の問題を機にされている方もおられると思います」
私の心を見透かしているかの様な発言に、ビクリとしてしまう。
「そこは心配いりません。今回の放送は2時間枠の特別編成と言うことになりましたので」
急な話で少し驚く。2時間番組ってことは、それなりに時間を使ってくれるってことだよね?
「ファーストホイッスルの後に放送される番組でトラブルがあったみたいで、放送延期と言うことになりました。そこで生放送をしている私たちに、尺埋めをしてほしいということで話が来ました」
「あまり手放しで喜んでいいものでもありませんが、折角のチャンスです。皆様には今日以上のパフォーマンスを期待しています。それでは、打ち合わせと行きましょうか」
打ち合わせが始まると。私は頷くことしか出来なかった。
難しい話は、プロデューサーがしてくれるから、とりあえず、『はい』と言っておけばいいんだ。
「それじゃあこの方が……」
「なるほど。それではこれで。問題は有りませんか?」
「いえ、大丈夫です」
そんな私と対照的に、大人たちに混じってあれこれ意見を言う凛ちゃんの姿が格好良く見える。
「皆様、お疲れ様でした。それでは本放送もよろしくお願いします」
長い打ち合わせが終わって、背伸びをする。体中の緊張がどこかに飛んでいく気がして、すっきりとする。
「結構な時間だね」
時計を見ると、19時過ぎ。10時間近くこの場所にいたんだ。
「えっと、結構家から遠かったから……」
今から家に帰るとなると、21時前になるかな。疲れないわけがなかった。
「そうだ、プロデューサー。お弟子さん見ました?」
「あー、そう言えば来てたっけ。話しかけようとしたんだけど、忙しそうだったから結局話せなかったな。ファーストホイッスルの収録の時にでも会えるんじゃないか?」
「そうですね。その時にちゃんとお礼しないと」
「だな」
このオーディションを乗り越えることが出来たのは、Naked Romanceを作曲して、私に託してくれた彼の力が大きい。
だからちゃんと私の口から言いたかった。ありがとうございましたって。
「いないっぽいし、長居するのもあれだな。帰ろうか」
「はい。えっと、失礼いたしま」
「あーっと、ちょい待ち!」
晩御飯をどうしようかなと考えていると、未央ちゃんが両手を広げて通せんぼをする。
「それされちゃ出れないんだけど……」
「折角だよ? 折角こうさ、事務所も経歴も違うアイドルたちが集まってんだよ?」
「それも何の因果か、同じ日にCDデビューしたアイドルばかりね。未央の場合はソロとしてだけど」
そう言えばそうだった。李衣菜ちゃんも川島さんも、1月23日にCDを出したんだ。
本当に偶然と言うのは恐ろしい。私たち5人は、1月23日会とでもいうべきかな。
「親睦を深めないというのは、どうかと思わない? だから私は思うわけですよ! 食事会開こうと。ビバ、情報交換の場だよ!」
「アンタは外食したいだけでしょうが」
「良いじゃんかぁ。祝勝会だよ、祝勝会」
「収録が終わった後も打ち上げとか言ってそうだね」
「どうする美穂?」
祝勝会か……。
「ん? どうかした?」
「い、いえ。プロデューサー、私たちも行きませんか?」
「だね。俺も皆さんのプロデュースに興味が有りますし」
「んじゃ決定だね。良い場所知ってるからそこにしよう! きっと満足するよ?」
とりあえず未央ちゃんに任せておこう。祝勝会は楽しみだけど、本当は――。
「お酒はナシでな。俺車で来てるし」
彼と2人でしたかったけど、今日はわいわいはしゃいじゃおう。
「さぁ着きましたよ!」
会場から歩いて3分ほど。緑の看板が目印だ。
「ここが未央ちゃんの一押しなわけ?」
「ここ、ファミレスじゃん」
噂のサイ○リアだよね、ここ。初めて見た。
「満足する場所じゃん! 安価で美味しイタ飯が食べれるんだよ? 少なくとも、私はいつものって言えばいつものが届くぐらい通ってるよ」
もっと豪勢な所に行くものと思っていたから拍子抜けしてしまう。
いくら売れっ子と言っても、やっぱり普通の女子高生と何ら変わりないんだ。
「飲み屋か。味と値段は否定しないけどさ。みんなは良いの?」
「私、このお店に入ったことないんです」
「へ? そうなん?」
「仕方ないか。熊本にはこの店ないからな。というか九州じゃ福岡にしか置いてないんだ」
「あらま。それじゃあ、デレプロコンビは大丈夫だね!」
「プロデューサー、そんなに美味しいんですか?」
「あーそうだね。コスパは良いかな。安くて美味しいってのはクリアしてるかも」
この歳になってサイ○リア初挑戦だ。妙にドキドキする。
「美穂ちゃん見てると懐かしいですね。秋田にもサイ○リアは無かったんですよ。だから初めて入る時、おめかししちゃいました」
愛梨ちゃんって秋田出身だったんだ。九州出身の瞳子さんと東北出身の愛梨ちゃん。逆の方がしっくりくるのはキャラクターのせいか。
「私は大丈夫ですよ! 講義の間とか良く行ってますし」
そう言えば愛梨ちゃんって何学部なんだろう。意外に理系だったりして。
「私は全然オッケーだよ。新しいヘッドホンとギター買ったばかりでお金がヤバかったとこだし」
ロック系アイドルを目指すだけあって、ギターとヘッドホンは必需品みたいだ。
「まぁ、15、6歳の子からすればご馳走なのかしらね?」
川島さんは大人の余裕を見せている。きっといいお店沢山知っているんだろう。
「それじゃあゴーゴー! あっ、10名で禁煙席で良いですよね?」
アイドル5人とそのプロデューサたち。はた目から見ればどう映るのだろうか? お見合い?
――
「ううん……」
「お疲れさんだな」
ラジオから流れる心地よいクラシックが子守唄となったのか、美穂は深い眠りに落ちた。
赤信号に捕まるたび、隣の寝顔をのぞいてみる。急ブレーキをかけても、起きやしないだろうな。
『はい、チーズ!』
ファミレスでの祝勝会は大いに盛り上がった。殆ど初対面と言っても良かった5人だったけど、
会計を済ます頃には一緒に写真を撮るぐらいには仲良くなったみたいだ。
『それじゃあまずは自己紹介タイムから!』
仕切り上手な未央ちゃんのおかげだろうな。彼女がうまい具合に場を盛り上げてくれた。NG2のムードメイカーは伊達じゃない。
「社長に話してみるか」
未央ちゃんは写真をブログに貼ると言っていたけど、美穂もブログないしTwitterを解禁してもいいかもしれない。
ファンとの交流の場としては最適だけど、使い方を誤れば取り返しのつかないことにもなる。
まぁ美穂はしっかりしてるし、そこん所を外すと思わないけど。
「しかし……、あれはなんだったんだろ?」
良いことばかりに思えた今日だけど、1つ引っかかることが。
それは、凛ちゃんのこと。
『見ないでよ、変態』
彼女のプライベートなことが書かれた手帳なら分かる。だけどあの手帳は……違った。
祝勝会をしめて、会計の後のことだった。支払いを終わらせ、俺たちは店を出る。
その時、凛ちゃんはポケットから手帳を落とした。
「おっ、凛ちゃん。手帳落とし」
いきなり吹く強い風。落ちた手帳は風でめくれて、偶然にも付箋の張られたページで止まる。
「ッ!」
「凛ちゃん?」
「いや……。何でもないよ。さっ、出ようよ。美穂なんかもう眠そうだしさ」
「あっ、美穂? 起きてるかー?」
慌てたように拾われて、凛ちゃんは何事もなかったかのように振る舞う。
だけど書かれていたのは、嫌でも興味を惹かれる内容。そして、俺に一抹の不安を与えるものだった。見えたページには、こう書かれていた。
Project Southern Cross ファーストホイッスルオーディション報告
108番、松山久美子――Type Passion 未央や先のオーディションに参加していた―――羽と同系統のアイドル。
ビジュアルアピールに特に―――あるみたいで、特に綺麗に見られるという技術については未央と十時愛梨以上。
スタイルも良くダンスも非凡な才を感じたけど、―だけは苦手みたいだ。評価はA。
32番、神谷奈緒――Type Cool 系統としては―や加蓮に近いか。
恥ずかしがり屋な一面があるも、振り切れた後の爆発力のあるパフォーマンスは好感が持てる。
個人的にだけど、照れた顔が案外――――。きっと―たちともうまく行けるはず。
後―が太い。好景気なんだろうか? 評価はA-。
18番、小日向美穂――Type Cute 親友の卯月と同じタイプ。
パフォーマンス自体は際立っているわけじゃないけど、―――節に溢れたNaked Romanceとの親和性が非常に高く、
今回のオーディションの――を最も体現できていたと思う。
――と並んだ時のバランスとも、悪くないか。担当プロデューサーとある種の―――の関係? が気にかかる。
評価はA。
一瞬のことだったから、所々虫食いされてたり、合っている自信はないけど、だいたいこんな感じだった。
今更確認のしようはないけど、網膜に残るほどのインパクトがあったのは事実だ。
自分でもよくここまで憶えれたものだと感心する。
「Project Southern Crossってなんだ?」
その一文がなければ、俺は凛ちゃんが参加アイドルたちの評価を個人的にしいているものだと考えていただろう。
だけど、余りにも怪しすぎる。そのせいで、彼女に疑念が生まれてしまった。
何故その3人なのか?
なんたらかんたら羽? と加蓮って誰だ?
あの反応は一体?
南十字星プロジェクト? どういうこっちゃ。沖縄にでも行くのか?
「なんだかなぁ」
メモ帳を一切手放さなったのは、俺の隣で同じように参加者を採点していたからだろう。
それに一体どういう目的があるか分からないけど、俺は得体のしれないもの不安を感じていた。
虫の知らせと言うのか? なんだか、嫌な予感がする。
「気にしても仕方ないか……。ほら、美穂。着いたよ」
家に着いたのは22時半だ。この後俺は帰って溜まっていた仕事をしなくちゃいけない。
眠る時間も惜しいぐらい、忙しくなっていく。
「んん……。あれ、私寝ていたんですか?」
「それはもう、気持ちよさそうに。よだれついてるよ」
「へっ? み、見ないでください!」
そっぽを向いて口元を拭く。反応が小動物みたいで可愛く、さっきまでの不安も少しだけ和らいだ。
「えっと、送って下さり有難うございます」
「今日は疲れただろ? 早く寝て明日の活動に支障が出ないようにしないとな。本番当日になって風邪ひきましたじゃざまぁないからね」
「はい。それじゃあプロデューサー、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
彼女の部屋まで送る。管理は徹底されているけど、もし悪質なファンが出待ちしていたら洒落にならない。
「誰もいないよな?」
まだいないと思うけど、パパラッチがうろついている可能性も無きにしも非ず。
厄介なことに巻き込まれる前に、立ち去ろう。
「ふぅ……」
車に戻って一息つく。ここでたばこでも蒸かしていれば、絵になっていたかもしれないな。
そんなガラでもないし、アイドルを預かる立場としちゃタバコはご法度だ。
「よし、俺ももうひと頑張りすっかね」
事務所に戻ってしなければいけないことは山ほどある。流石にちひろさんも帰っているだろう。
こういう時、事務所の鍵はドアの前に置かれた植木鉢に埋められている。なんと古典的な隠し技だろうか。
「行くかっ」
色々と思うことはあるけど、まずは美穂が一つ夢を叶えたことを素直に喜ぼう。
「おめでとう、美穂――」
――
電話の向こうから流れる待ち歌は、私のソロデビューシングル。彼女のこういう気の利いたところが、私は好きだ。
「もしもし、プロデューサー? 私だけど」
「うん。今日のことはさっきメールした通りだから。十時愛梨はどうだったって? うん、未央が焦ってたよ。経験の差で何とかなったけど、結構ヤバかったかも」
「うん。彼女はユニット向きじゃないかな。残念だけどね」
「でも収穫も多かったよ。その3人は実際に見て貰う方が早いかな。きっといい感じにマッチすると思うよ。そっちは収穫有った? そう、それは残念だね」
「報告遅くなってごめんね。それじゃあまた明日。お疲れ様です」
ええ、さようなら。そう言って彼女は電話を切る。
「ふぅ。これで、後は帰るだけだね」
「しぶりん、プロデューサーと電話してたの?」
「うん。報告をいくつかさ」
「ご苦労様だねぇ」
私がプロデューサーに代わってオーディションを見に来ていたのは、未央の付き添いという理由だけじゃない。
この場に来れない彼女に代わり、任務を果たしていたところだ。
任務と言うと、言い過ぎな気がするけど。まぁ視察って所だ。
「うーん。あれにみほちーを巻き込むってのはどうなんだろうね?」
「巻き込むって人聞きが悪いね。間違ってはないけどさ」
立場で捉え方が変わってくる。もし私が美穂たちの立場なら、迷惑な話と思うのだろうか。
「こう言っちゃなんだけど、みほちーは……、あれだよ、あれ。ほら、あれだって。分かるでしょ?」
未央は語彙力が有る方じゃない。あれだよあれと言って私たちを悩ますけど、付き合いは長いんだ。
アンタの言いたいことは大体分かる。
「プロデューサーに依存してるって言いたいんでしょ?」
「そうそれ! それが言いたかった! しかもプロデューサーの方もみほちーにべた惚れって感じだし。良いなぁ、ああいうの」
「うん。見てて面白かった。だから、気が引けるよね」
恋は盲目、乙女の原動力とは良く言ったものだ。色恋沙汰は私にはよく分からない感覚だけど、私らも似たようなもの。
ここまで頑張ってこれたのも、彼女がプロデューサーだったからだ。
でもあの2人は、互いに依存し合っているようなもの。プロデューサー自身は自覚が無いのかも知れないけど、
話してみて分かった。彼も大概美穂に依存している。
「あの人からしたら、そんな都合知っちゃこっちゃないんだろうけどさぁ。どうなるかな? しまむーは喜びそうだけど」
どうだろうか。卯月の性格なら、却って申し訳なく感じそうだ。
私たちと違って、あの2人のことをよく知っているから。
当然、美穂の想いにも気付いているだろう。それが、彼女を突き動かしているということも。
「さぁね。先のことなんて、誰にも分からないよ」
どう転がるか分からない。私たちは、プロデューサーが振ったダイスに身を任せるしかない。
例え良くない方向に転んでも、あの人と心中する覚悟は出来ている。卯月と未央も、同じ気持ちだろう。
でもそれに、彼女たちを巻き込むのは……、ううん。あの人のことだ、上手くやってくれる。
いつだって、最良の結果を掴んで来たんだから。
「アンタらは、どう出る?」
気分は悪の組織の幹部。うん、案外こういうのも悪くない。
――
「バレンタインディキッス♪」
ラジオから昔のアイドルソングが流れる中、私達は甘いチョコレートの匂いに包まれる。
「まだまだ混ぜなきゃダメっぽいですね」
「チョコを作るのも大変ですよ?」
明日2月14日はファーストホイッスル収録日、そしてバレンタイン。
『そんなものお菓子メーカーの陰謀ですよ』
だなんてプロデューサーはぼやいていたけど、
『え? 欲しくないですか? 残念です、作ってこようと思ったのに』
『喜んでもらいますとも!』
と、ちひろさんがあげると言うと、イヌみたいに喜んでいた。
『あだっ!』
『ごめんなさい、足踏んじゃいました』
何とも嫉妬深くなったものだ。それもこれも、彼が悪い。
欲求には素直な彼と、悪意はないけどチラチラ煽るように見てきたちひろさんにムッとして、
ならば私も! と気合を入れて朝からチョコレートを作ってみることにした。
幸いと言うべきか、今日は仕事がない。失敗しても、夜までに何とかなるだろう。
「少し温度下げますか……」
だけど私は生まれてこの方チョコレートを作ったことがなく、勝手もよく分からなかったので、
大学のお菓子作りサークルに所属している愛梨ちゃんに手伝ってもらうことになった。
「ところで美穂ちゃんは誰に渡すんですか? あの人とか?」
「ほ、他にもいますよ! もちろん、プロデューサーにもあげますけど!」
「あの人ってだけしか言ってないですよ? と言ってもあの人って呼べるほど共通認識している男性はいない……ってなにいってるんだろ、私!?」
「さぁ? 分からないです」
愛梨ちゃん的にはカマをかけたつもりだったみたいだけど、逆に本人が混乱してしまった。
お父さん、プロデューサー、服部P、社長、会えればお弟子さん。親しい男性はこの5人だ。
後、友チョコも作ろう。卯月ちゃんはもちろん、共演する皆に用意するのもいいかも。
ただお父さんだけは郵送って形になるから、郵便局が閉まるまでに出来なさそうなら、市販のものを送るしかない。
「あっ、服に付いちゃった」
この部屋暑いですねぇ、という理由でなかなか際どい格好をしている愛梨ちゃんの胸のふくらみに、
溶けたチョコレートがポトリと垂れる。
しかもそれがホワイトチョコだったから……、なんというか、扇情的?
「舐めちゃえ。うん、甘い」
「……愛梨ちゃん?」
愛梨ちゃんの恐ろしい所は、一切の計算なくすべて天然だということ。
もしここにいるのが私じゃなくて、男の人だったなら? 想像するのも恥ずかしい展開が待っているに違いない。
「どうかしました?」
愛梨ちゃんのサークル、男性多いんだろうな。
「そう言えば愛梨ちゃんはチョコを作らないんですか?」
「私はもう作ってますから! これだけど……」
「凄い、本格的だ……」
「こう見えて、ケーキ作りは得意なんですよ? ケーキ作りでトップアイドル目指すなら、すぐになれるんだけどなぁ」
写メられていたのは、可愛らしくデコレートされたハート形のチョコレートケーキ。
街のケーキ屋さんでも売ってそうな出来だ。流石製菓研と言うべきか。
パティシエアイドルってのも彼女らしくていいな。
「美穂ちゃんも作ります?」
「えっと、ここまで本格的なのじゃなくてもいいかも……」
それこそ明日までに出来るか分からない。
「残念。じゃあどんな形が良いとかは?」
「そうですね……」
ハート形は流石に恥ずかしい。でも彼には、特別なチョコをあげたい。乙女心は複雑だ。
「あっ、プロデューサーくん」
周りを見渡すと、ベッドで寝ている彼の姿が。
「うん?」
「プロデューサーくんです!」
「へ? プロデューサーくんって……、あの人? 流石にヒト型は難しいです……」
「え? あっ、その……。プ、プロリューサーくんってのは、あのクマさんのことでして! ちょうどホワイトチョコも溶かしてるからちょうどいいかなぁって!」
自分でもテンパって何を言っているか分からない。鏡に顔を映せば、トマトが映っているはずだ。
「あー、クマさんの名前ですか。良い名前ですね!」
「そ、そうですよね! ねっ!」
愛梨ちゃんが天然でよかった。心からそう思った。
「クマの型紙なら、直ぐに作れますね。作っちゃいましょう」
慣れた手つきで型紙をクマの顔の形にする。ネズミとかには見えないはずだ。
「ここに流し込めばいいんですよね?」
「そうですよ。それであとは冷蔵庫に入れれば、完成です!」
本当ならもっと早く終わったんだと思うけど、私の手つきが拙いこともあって必要以上に時間がかかってしまった。
「美味しく出来たかな……」
「美穂ちゃん、こういうのって心がこもってたら美味しくなるんですよ。そうテレビで言ってました」
「テ、テレビでですか……」
「あれ? 製菓研の先輩だったかな? えっと、とりあえず料理はハートなんです! ハートイートなんです! ラブイズオーケーってリーダーも言ってました!」
「リーダーって誰ですか?」
「リーダーって……誰でしょ?」
どこかピンとのずれた励ましだけど、そう言ってもらえると助かる。
料理は愛情が最高の調味料だ! とは母親の談。
私なりに、心を込めて作ったんだ。きっと美味しいはず。
「そういえば、愛梨ちゃんは誰に渡すんですか?」
「サークルの皆とか、後プロデューサーさんかな。いつもお世話になってますし。あのチョコレートケーキは、プロデューサーさん用ですよ」
あんな凄い物を渡されて、本命だと思わない人はいないだろう。つまり愛梨ちゃんは彼のことを――。
「でもプロデューサーさん、一途だからなぁ……。分が悪いかも」
「へ?」
「あっ、こっちの話です! やることなくなっちゃいましたね」
誤魔化すように取り繕う愛梨ちゃん。彼女も彼女で乙女しているんだ。
「そうですね、テレビでも見ますか?」
この時間は何をやってたっけ? 適当にザッピングしてみる。
「あっ、川島さんだ」
「温泉リポートですね。良いなぁ、温泉」
たまたまついたチャンネルでは、タオルを巻いた川島さんが温泉リポートをしていた。
湯気の中映る彼女は、なんとも色っぽい。
「川島さんトーク上手いなぁ。尊敬しちゃいます」
愛梨ちゃんが言うように、川島さんはトークが抜群に上手い。
当然人生経験の差もあるんだろうけど、アナウンサー出身と言うこともあってか、
時間通りに話をまとめることも出来て進行を妨げないトークは凄いと思った。
でもどうしてアイドルに転向したんだろう。気になる。
「他には何やってるんだろ」
これまた適当に変えると、今度は李衣菜ちゃんが映っていた。スタジオのセットを見るに、クイズ番組かな?
『残念不正解! お前は本当にロックのことを理解しているのかーっ!?』
『へ? ぶはっ!』
ブブーとブザーが鳴ったと思うと、頭上から大量の粉が降ってきて李衣菜ちゃんは真っ白になる。
『正解はBのリップ&タン! ローリング・ストーンズのロゴマークですね!』
『けほっ、けほっ……。これまたロックですね……』
何を言っているか分からなかったけど、どうやらロック関係のクイズに不正解だったということらしい。
そう言えば前の祝勝会でも、ロックが好きだと再三言う割には、同じくロック趣味の凛ちゃんの振る話題にあまりついて行けてなかったっけ。
『私の本気、見てみない? ホンダ味噌……って五月蠅いな!』
つけっぱなしのテレビから、未央ちゃんの声が。彼女の明るいキャラクターが人気のお味噌のCMだ。
ソロでのCDデビューを果たしてから、彼女もピンの仕事が増えてきた。
もう誰も、NG2のオレンジだなんて呼ばないだろう。
それは卯月ちゃん凛ちゃんにも言えることだ。ファーストホイッスル合格後、2人もピンの仕事が倍増したらしい。
『来た仕事は全部受けるようにしてるんだ。おかげで体がいくつあっても足りないかな?』
とは卯月ちゃんの談。疲れたと言いながらも、本人は忙しい日々に満足しているみたいだった。
「みんな頑張ってますね」
「他人事……?」
「私も頑張ってますよ! でも、色々実感が湧かないんですよねー。つい2か月前まで、私もテレビの前で次のドラマの主役誰だろって思いながら見てたんですし。変な感じです」
のんきなことをいう愛梨ちゃんだけど、彼女もファーストホイッスル合格と言うことで、
ドラマの主役と言う大きな仕事が入ったのだ。
デビュー間もない新人アイドルがドラマ主演と言うだけでも話題になるのに、それも天下の月曜9時だ。
ファーストホイッスルの放送が終わった後には、どれだけの反響があることか。
「美穂ちゃんも大きな仕事入ったじゃないですか?」
「うん。熊本の方だけどね」
周りの皆の世界が変わって行く中、かく言う私も合格後仕事が増えてきた。
その中で最も大きいのが、ホームグラウンド熊本での仕事、銀幕デビュー。
「私に出来るかな?」
「お似合いだと思いますよ?」
熊本で撮影される時代劇映画に、私はお姫様役として出演することが決定したのだ。
『この役は貴女しかありえない!』
『えええ!?』
オーディションを見に来ていたらしい映画のスタッフさんが、109人のアイドルの中から私を選んでくれた。
『えっと、小早川さんの方がお姫様っぽいと思いますけど……』
驚かないわけがない。だってあのオーディションには、現代のかぐや姫こと(勝手に私が呼んでるだけだけど)小早川さんがいたんだ。
私なんかより、数百倍お姫様役に適任だ。
それでもスタッフさんは、熊本を舞台にするとのことで地元生まれの私を使いたいと言うこと、
そのお姫様役に小早川さんはマッチしないなど説明をして、プロデューサーの説得の元、仕事を引き受けることにした。
後で知ったことだけど、この映画は結構なお金がかかっているみたいで、放映どころか撮影もまだまだ先なのに、
既にあちこちで話題になっているらしい。
『有名な監督に、主演俳優も大物俳優とイケメンアイドルのコンビだ。美穂の役もかなり重要な役回りを持ってるし、これは波が来たか? 乗るしかないぞ、このビッグウェーブに!』
映画に初挑戦ということで緊張している私を尻目に、プロデューサーは自分のことのように喜んでくれた。
撮影が始まるのは桜が咲くころ。熊本城に咲き乱れる桜は、それはもう圧巻の一言。
その中でお姫様の服を着るんだ。なんとロマンチックなことだろう。
「あの服可愛かったな」
可愛らしい赤い着物を着ると、はるか昔にタイムスリップしたみたいな感覚に陥った。
撮影が楽しみで、私の心はすでに弾んでいる。
でもその前に、ファーストホイッスルを忘れちゃいけない。
「明日の放送、楽しみですね」
「はい」
2時間――、実際にはCMが有るからもっと短いけど、その間丸々私たちのために使われる。
緊張するとともに楽しみでもある。それは他の4人も一緒だろう。
「皆見てくれるかな?」
明日の放送のためにレッスン風景の撮影を行ったり、東京と熊本の2つの学校にも撮影クルーは向かったみたいだ。
インタビューを受けたよ! とテンションの高いメールが届いていたことを思い出した。
お父さん、お母さん、学校の皆。明日私は、全国放送デビューを果たします。
きっと、明日の放送が終われば、私の周りの世界はすっかり変わっていることでしょう。
もう、普通の女のじゃない。アイドル小日向美穂だ。その姿、見てください。
「瞳子さん、見ててくださいね」
ううん、瞳子さんだけじゃない。今夢を見ている人、挫折しかけている人にも見て欲しい。
夢は叶う物だってことを、私の手で証明したいから。
それと――。
「プロデューサー、私頑張ります」
今まで私のそばにいてくれた貴方に、感謝の思いを込めて。
――
「プロデューサーさん、チョコレートですよ!」
「ちひろさん、ありがとうございます」
世間は男も女も浮かれる2月14日。つまりバレンタインだ。
お前たちはお菓子会社の手のひらに踊らされているだけだ! と強がってみても、
貰えたら貰えたらで結構テンションが上がる。
要は参加できるかどうかでしかないんだな、うん。
「ちなみに、もっとチョコが欲しいなら有料になりますけど」
「それは……結構です」
「冗談ですよ。プロデューサーさんにそんな商売しませんよ」
「あはは……」
どうだか。でも市販の奴じゃなくて、手作りなのはとても嬉しい。義理だとしても感激するレベルだ。
「開けてもいいですよ?」
開けてみると、抹茶パウダーが撒かれたトリュフチョコレートが。色合いも目に優しい。
「疲れた時にはチョコレートが一番ですからね!」
「1つ頂きますね。うん、美味しいですよ」
「喜んでもらえたならなりよりですね」
「ちひろさんも食べます?」
「それじゃあ1つ貰いましょうか! あーん」
「ちひろさん?」
餌を欲しがる雛鳥みたいに口を開ける。これ、入れて欲しいのかな……。
「あーん」
「あ、あーん」
1つつまんでちひろさんの口に入れてやる。事務所に来るなり何をしているんだろうか俺たちは。
「我ながら良い出来ですね! でも、口移しの方がよかったかも?」
「意味分かってますか、ちひろさん」
「~♪」
この人は茶目っ気が過ぎるところがある。俺も彼女が冗談で言っているのが分かっているから、本気にしてはいないが。
チョコレートをスタジオに持って行くわけにもいかない。事務所の中の冷蔵庫に保存しておく。
今日も残業になりそうだし、事務所に戻ってから食べよう。
「ん? 美穂、どうかした?」
学校帰りの身のまま、自然と俺の隣にいたけどさっきから一言も喋らない。静かなること林の如し。
「い、いえ! 別に何でもないです!」
「?」
で、声をかけたらかけたで慌てるし。どうかしたんだろうか?
「今日の収録は19時からだね。それまでレッスンの時間だね。特に忙しくなってくると、レッスンの時間がおろそかになりがちだ。限られた時間を有効に使おう」
美穂は小さく頷く。俺、何か隠されてる?
「小日向さん、プロデューサー。これあげます」
レッスンスタジオに着くと、トレーナーさんから可愛くラッピングされた長方形を貰う。
「今日はバレンタインですから。レッスンの後にでも食べてくださいね」
意外な人からチョコレート。トレーナーさんもイベント事には参加する人なんだな。
こういう浮ついたことには興味なさそうだったから意外だ。
「ありがとうございます」
「私も貰っちゃっていいんですか?」
「何時も頑張ってますからね。所謂友チョコって奴ですよ」
微妙にニュアンスが違うような。
「ごめんなさい。私、トレーナーさんに用意できてなくて」
「気にしなくていいですよ。これ、さっきデパートで買ってきたやつですし」
「えっと、今度持って行きます!」
「そうですか? じゃあ楽しみにしておきましょうか? でも、レッスンは手を抜きませんので。それじゃ今日は……」
――
「はぁ、上手く渡せないなぁ」
テレビ局の近くの公園のベンチで、1人箱と睨めっこする。
「気持ちはだれにも負けていないのに……」
どうにもこうにもタイミングが合わない。渡そうとすれば、誰かが渡してチャンスがなくなってしまう。
事務所じゃちひろさんがこれ見よがしに私を仰って来るし、レッスンスタジオでもトレーナーさんが持ってきてるし。
「何で車の中で寝ちゃったんだろ」
彼の隣は安心できる。だから気持ちよく眠れるんだけど……。車の中で渡しておけばよかったと後悔しちゃう。
さっきだってそうだ。テレビ局なら大丈夫かと思っていたけど……。
「あのっ、プロデュー」
チョコレートあげます! 場所が変な気がするけど、気にしないで渡そうとすると、
「あっ、美穂と変態P」
「変態P言うなし」
楽屋の裏からファサっと、渋谷の凛ちゃん登場。
「凛ちゃんも仕事?」
「今日も未央の御守。今月は卯月強化月間なの。だからプロデューサーはいないよ?」
「なんじゃそりゃ。でもま、今日もよろしく」
「よろしく」
この2人のことだけど、オーディションの時隣に座っていたらしく、
いつの間にやら互いに遠慮なしで物事を言える関係になっているらしい。
そういう関係じゃないのは分かっているけど、担当アイドルとしては少し複雑だ。
「そうだ。2人に良いものあげようか?」
「お金くれるの?」
「違うよ。アンタ結構ゲスイよね、発想が。まっ、オークションに出せばそれこそ高値で売れるかもね。アイドルお手製チョコレートとかさ。今日はバレンタインだからさ」
「へ? くれるの?」
「アンタのは余りものだからね。美穂のはちゃんと作った奴だから安心して。それじゃ、また後で」
私たちにチョコレートを渡して、凛ちゃんは去っていく。
「余りものって言っても、これは凄いぞ?」
プロデューサーの言うように、凛ちゃんのチョコレートは手間暇かけて作ったであろうチョコレートケーキだ。
愛梨ちゃんのそれに比べると大きさは小さいけど、それでもクオリティは高い。
余りものと言うよりも本命チョコにしか見えなかった。
「早めに食べた方が良さそうだな。食べようよ」
「は、はい」
そう言って彼はカフェテリアの椅子に座わる。
「そう言えば、さっき美穂何か言おうとしていたけど、何だったんだ?」
「あっ、いえ。何でもないです」
「? しかし悔しいけどおいしいなこれ……」
向かいの席で、首をかしげながらチョコケーキを食べるプロデューサー。私もフォークを貰って食べてみる。
「美味しいけどなんだろう、この味は」
少し不思議な味がするけど、フォークは止まらない。後で歯を磨かなきゃ。
芸能人は歯が命、昔から言われていることだ。
「私だって負けてないと思うけどな……」
形はアレかもしれないけど、味には一応自信は有る。お菓子作りの申し子たる愛梨ちゃん監修で作ったし、
学校の皆や事務所の2人からは好評だった。
『ど、どうかな?』
『美穂ちゃん筋が良いよ! きっとプロデューサーさんもイチコロだよ!』
『こ、声が大きいよー!』
と卯月ちゃんも褒めてくれた。だから渡して恥ずかしくない出来だと思う。
だけどこんなものを見せられたら、とてもじゃないけど私のチョコレートは渡せそうになくなる。
「はぁ、何やってるんだろ私」
渡せないんじゃない、渡そうとしていないだけだ。
タイミングが悪いからって言い訳を続けて、逃げているだけなんだ。誰かと比べられるのが怖いだけなんだ。
「まだまだ時間はあるよね」
そろそろファーストホイッスルが始まる。この番組にはタケダさんの意向で台本がない。
ありのままの姿のアイドルと仕事がしたいという考えらしいけど、緊張しいな私からすれば結構大変なことだ。
「練習したから大丈夫だよね?」
だから私は、過去の放送のDVDをトレーナーさんから借りて、番組の傾向を予習しておいた。
毎回毎回同じことを言っているわけじゃないけど、それでも何となくタケダさんの振る話題の傾向はつかめたと思う。
ここまでしている人はまずいないだろう。人より緊張しやすい性分なので、徹底的にしないと心配なんだ。
それを卯月ちゃんに話すと、美穂ちゃんらしいねって笑われたっけ。
「試験みたい」
プロデューサーをタケダさん役にしてシミュレートも行った。対策もバッチリだ。
――多分。
でも最終的には、アドリブでなんとかしなくちゃいけない。そう思うと早速緊張してしまう。
過去の放送を見ても、私ほど緊張している人はいなかったはずだ。
いくらありのままの姿と言っても、噛み噛み緊張系アイドルなんて誰も望んじゃいないだろう。
「チョコを渡すのも緊張しちゃうし……。なんてみんな心臓が強いんだろう」
本当のところは私が蚤の心臓過ぎる、の間違いなんだろうけど愚痴らずにいられなかった。
聞いてくれる人なんていないけど。
「おーい、美穂ー。そろそろ始まるぞー?」
「今行きまーす!」
私を呼びに来たプロデューサは1人。よし、今がチャンス……。
「プロデ」
「あっ、美穂ちゃんのプロデューサーさん! ハッピーバレンタインです!」
「へ? くれるの?」
「お世話になった人に配ってるんです! それじゃあ私はこれで。またいつか会いましょう!」
「いや、同じ仕事に美穂が出るんだけど……行っちゃった。さっき美穂俺のこと」
「な、なんでもないですよ!!」
「のわっ! そ、そう強く言わなくてもええやないですか……」
今日の運勢、最下位だっけ? 思わずため息をついちゃう。
ことごとくタイミングというタイミングが外れて、チョコを渡せそうにない。
「この部屋暑いですねー。脱いで良いですか?」
「ちょちょ! 服全部脱げてるよ!?」
「放課後ボヨヨンアワー、ロックだねぇ」
「なるほど、ニンジンはアンチエイジングにいいのね。勉強になるわね」
「はぁ……」
その後もチャンスはあったけど、どうにも上手く行かず、本番まで残り30分になってしまった。
「どったのみほちー。溜息付いちゃって」
アイドルたちの控室。私たちは更衣を終わらせて、本番が始まる瞬間を待つ。
格好だけは準備万端だけど、浮かない顔をしている私は心の準備がまだだった。
「あっ、味噌ちゃん」
「残念未央ちゃんです! みほちーは信じてたのにとんでもない裏切られ方しちゃったよ! これだから本田味噌のCM嫌だったんだよね……」
「ごめんなさい。少しボーっとしちゃって」
「後少しで本番だよ? そんなんじゃ、テレビの前のファンは喜ばないって! ほらっ、スマイルスマイル! シャキッとしないとね!」
パシンと背中を叩かれる。そうだよね、これとそれとは別のこと。、ちゃんと割り切って頑張らないと……。
「あら、小日向さん。どうかしたの?」
「悩み事ですか?」
「本番前だけど、相談に乗ろうか?」
思い思いの行動をしていた3人も、私の周りに集まってくる。
皆心配そうな顔して私を見ているけど、その悩みの内容が、他の人からすれば至極しょうもない
(私からすれば死活問題だけど)ことなので、なんだか申し訳なくなる。
「あっ、もしかしてチョコレート渡せてないとか?」
「え、えっと……」
流石に愛梨ちゃんには見透かされていたか。どう言葉を紡げばいいか分からず、詰まってしまう。
「ビンゴみたいね。若いっていいわねぇ、ホント……。はぁ、私まで鬱になって来たわ」
「いやいや、川島さんも十分イケてますって!!」
「チョコレートねぇ。もしかしなくても、あの人だよね。いやぁ、乙女ですなぁ」
「うぅ……」
「あ、やっぱりそうだったのね」
「もしかして隠してるつもりだった? 顔に出てたよ?」
どうにもこうにも周知の事実だったみたいで、余計恥ずかしくなる。
プロデューサーがプロデューサーならアイドルもアイドル。私たちに隠し事は無理なのかな……。
「青春だねぇ、まさにロックって感じだね。Fコードでカートコパーンみたいな?」
「い、いまいちロックが何のことか分からないかな……」
「それ、カート・コバーンの間違いよね。全然意味が分からないわ」
頷きながら李衣菜ちゃんは1人納得している。どのあたりがロックだったのだろうか。
「なら話は早いわね。チョコレートを渡せばいいのよ」
「でもそれが出来ればこんなに悩んでませんもんね。その気持ち、よく分かりますよ?」
「小日向さんのキャラクターじゃ、難しい話かもしれないわね……。どうしたものか」
「すみません。変な話に付き合わせちゃって。その、皆さんありがとうございます」
本番まで時間がないのに、みんな私のために悩んでくれる。申し訳なさで一杯になるけど、同時に嬉しくも思った。
「気にしなくていいよ! みほちーが心地よく仕事するために必要なことだしさ」
「なんなら呼び出しちゃうとかどうですか? 私ら空気呼んで出ていきますよ?」
「思い切って生放送で愛を叫ぶとか! すっごくロック!」
「同時にアイドル生命も終わるわね、それ」
川島さんの言うとおりだ。テレビで告白せずとも、彼に特別な思いを持ってしまった時点で、
私はアイドルとして失格なのかもしれない。
そう言われたら受け止めるしかない。だけど難儀なことに、この気持ちはどうしようもない。
彼の笑顔を思い出すだけで、私の心は満たされる。部屋の暑さが、私を火照らせる。
「でもあなたぐらいの歳なら、仕方ないかしら? かく言う私も、高校のときは恋に恋をして日常が輝いて……」
「かーわーしーまさーん? あー、ダメだこりゃ。自分の世界に入っちゃった」
「美穂ちゃん。私たちは皆、美穂ちゃんの仲間です! 美穂ちゃんの恋を応援していますよ?」
「まー、うん。邪魔する理由なんてないかな?」
彼女たちの応援が私の背中を押す。本番開始まで10分ちょい。
行くなら今しかない!
「えっと! わ、私! 今から渡してこようと思います!」
「行ってらっしゃい、美穂ちゃん!」
「よし来たっ! 頑張れー!」
「そう、あれは音楽室で先輩と2人っきりに……」
「川島さんは放っておいていいと思うよ? ほら、時間ないんだしゴーゴー!」
彼のいる楽屋へ走る。もう逃げない、このチョコを、気持ちを届けるんだ。
――
「凛ちゃん、チョコ美味しかったよ」
「そう? 気に入ってくれたなら良いけどさ。ホワイトデー、期待しといてあげる」
「現金な子だなぁ」
プロデューサーたちの控室で、俺たちは本番を待つ。
ちゃっかり凛ちゃんも混じっているけど、俺よりも芸能界は長いんだよな。この部屋じゃ俺が一番の下っ端だ。
『まあ色々あるの。問題ある?』
と言っていたが、前のメモ帳の件もあって、その色々が気にかかって仕方ない。
担当Pは卯月ちゃんについているみたいだけど、一体どういうつもりだろうか?
ひょっとして凛ちゃんはプロデューサー志望なのか? メモ帳に書かれた3人をプロデュースしたいとか?
「んなわけないよな」
そこまで考えてみたけど荒唐無稽すぎて呆れてしまう。
渋谷凛プロデューサーと言うのも面白いけど、あの子の性格からしたら、
今はトップアイドルという目標しか見据えていないだろうし。
「そう言えばあれって、ブランデーか何か入れた?」
「うん。少し大人向けにしてみたかな。間違えて入れすぎたかなって思ったけど、そうでもなさそうだね」
「程よい感じだったよ」
芳醇でまろやかな味はそれが原因だろう。芳醇な味って言っておいて、自分でもよく分からないんだけど。
「私のほかからチョコもらえた?」
「貰ったよ? 事務員のちひろさんに、トレーナーさん。後、愛梨ちゃんとか局のスタッフの人にもね」
「なんだ、結構モテるんだ。やるじゃん」
「まさか。義理でしょ」
「まっ、そうだよね」
「聞いといてその反応は酷いなぁ」
来月の14日は出費がかさんじゃいそうだ。そう思うと、何とも言えない気持ちになる。
「あれ? 美穂からもらってないの?」
「ん?」
「あの子のことだから、真っ先に渡しそうなものなのに」
貰えて当たり前というスタンスをとるのもどうかと思うけど、
言われてみれば、美穂から貰えていないのは少し残念な気持ちになる。
「そんな悲しそうな顔しないでよ。見てるこっちも気が滅入るし」
「そのつもりはなかったんだけど」
「分かりやすいよ? 愛梨のとこのプロデューサーに聞いてみなよ。きっと顔に出ますよねって答えるからさ」
「いや、良いよ。しかし、もうここまで来たんだな」
後数分で本番だ。美穂のパフォーマンスが全国に流れることになる。
一緒に頑張ってきた身として、これ以上嬉しいことは無い。
だけど同時に、寂しくも思ってしまう。親の気持ちってこういうものなのかな。
「感無量?」
「まあね」
デパートの屋上での大失敗も、挫折しかけたオーディションも、クリスマスパーティ-も全てが懐かしく感じる。
これからもっと、彼女は思い出を作っていく。その傍らに、俺がいることが出来れば。それだけで十分だ。
「私らもさ、初めてこのステージに立つ前は緊張したよ。美穂程じゃないかもしれないけどさ」
「卯月が衣装を忘れてプロデューサーが取りに帰ったり、未央が緊張のあまり気を失いかけたりさ。私も本番2分前にお腹が鳴って、大変だったな。流石にあの時はプロデューサーもてんやわんやしてたよ」
「2回目はこっちも慣れたもんだったから、100点の出来だったと思うけどね。それでも緊張はするよ」
「今日なんて未央が出るのに、私も緊張している。プロデューサーの気持ちがよく分かるね、これ」
凛ちゃんは懐かしそうに目を細める。その表情はいつもの彼女より柔らかく感じた。
「ん? 未央からメールだ。はぁ? あのアホ、何考えてんだか」
「どうかした?」
「いや、どうにも。ちょっと私ら部屋離れるから。貴重品見といてね。後さ」
「後?」
「この部屋の監視カメラって壊れてるんだよね。それじゃよろしく」
そう言って凛ちゃんは楽屋を出る。うん? 私ら?
「あっ、僕らのもお願いしますね」
「へ? みなさん出てくんですか?」
「ええ、まあ。呼ばれちゃったもので」
「はぁ……。行ってらっしゃい」
服部Pと一緒に他の2人も部屋を出てしまう。担当アイドルの方で何かあったのか?
急に心配になって携帯を確認する。
「俺は来てない、な」
来ていたのはメールマガジンが2件。美穂からは来ていな――。
「え、えっとプロデューサー。いますか?」
と思ったら、メールじゃなくて本人が来ました。
「えっと、何かあった?」
ドアを開けて中に入れてやる。走って来たのか衣装が少し崩れて、顔もいつもより赤くなっている。
「そ、そのですね……」
「顔も赤いし。大丈夫か? 熱が有るとか」
「ち、ちち違います! その! ど、どうしても! 今、プロ、プ、プロデューサーにお渡ししたいものがあったんです!」
「俺に? まさか……」
「はい。そ、そ、そのまさかです! 受け取ってください!! うぅ、やっと言えたよぉ……」
「お、おい!?」
安堵の表情を浮かべると、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「すみません、ようやく言えたと思ったら、力抜けちゃって……」
「もうすぐ本番だぞ!? 立てる?」
「あはは……。ごめんなさい」
力なく笑う彼女の手を取り立ち上がらせる。
「ずっと渡そう渡そうとしていたんだけど、なかなか渡せなくて。だから今、渡します」
そう言うことだったのか。しかしプロデューサーズといいアイドルズといい空気を読み過ぎだ。
もっと気楽に渡してくれたら良かったのにと思ったけど、美穂にとっては、
生放送番組に出ること以上に緊張することなのかもしれない。
「ありがとう、美穂。開けて良いかな?」
「はい、良いですよ」
リボンをほどいて、箱を開ける。中から出てきたのは、少し溶けた白クマのチョコレート。
「あ、あれ? チョコが溶けてる……。そんなぁ」
「楽屋とか暑かったからね」
「せっかく作ったのに……」
目からこぼれる一筋の涙を、サッとハンカチで拭ってやる。彼女に影響されたのか、ハンカチに書かれた絵はクマさんだ。
「そんな顔しないでよ。俺はさ、美穂から貰えたことが凄く嬉しいんだ」
「本当ですか?」
「そりゃあもう。一生自慢できるよ」
「ちひろさんとか、凛ちゃんよりも嬉しいですか?」
「もちろんだよ」
優劣をつけるのも失礼な話だけど、それだけは譲れなかった。彼女は俺にとって、特別なんだから。
「えへへ。すっごく嬉しいです」
美穂の頬を濡らした涙は止まり、いつもみたいに恥ずかしそうに笑顔を見せてくれた。
きっと誰もを魅了し、優しい気持ちにさせるその笑顔を、もう少し自分のものだけにしていたかったと思うのは、
プロデューサー失格なんだろうか?
そんなことを考えていると、不意に体に心地良い重みが。
「み、みみ美穂!?」
「少しだけ、こうしていていいですか?」
ぬいぐるみのように抱き着かれた――。柔らかな身体も、彼女の暖かさも。彼女を構成するすべてが俺を困惑させる。
「か、監視カメラある……」
『この部屋の監視カメラって壊れてるんだよね』
凛ちゃん。俺にどうしろと言うんですか――。
――
「もちろんだよ」
彼は意地悪な問いに対して即答してくれた。ちひろさんも凛ちゃんも。私より魅力的な女性だ。
だけど彼は私が一番だって言ってくれた。
それは私がプロデュースしているアイドルだからじゃなくて、1人の女の子として彼に選ばれたみたいに思えて、
私は言葉に出来ない思いで胸がいっぱいになる。
だって彼は嘘がつけないから。顔に全部出ちゃっている。気恥ずかしそうにしている彼が愛おしくて。
「えへへ、すっごく嬉しいです」
「み、みみ美穂!?」
「少しだけ、こうしていていいですか?」
「か、監視カメラある……って壊れてるんだっけか……? 美穂、このままじゃダメになる。だから……」
「今だけは、一緒にダメになりましょう。大丈夫です、ちゃんと頑張りますから」
誰かに見られているとかどうでも良かった。ただ今は、こうやって彼の匂いを、暖かさを感じていたかった。
「ねぇ。チョコ、食べて良いかい?」
彼は私の身体を優しく離すとチョコに目をやる。このまま置いていても溶けちゃうだけだ。
なら、まだ形がしっかりしているうちに食べて貰いたい。
「はい。食べてみてください」
「でもよく出来てるなぁ。食べるのが勿体無く感じるよ」
「チョコは食べるための物ですよ」
程よい部屋の暑さが、体中をめぐる熱さが私を少し大胆にさせる。
私はチョコを掴んで彼の目の前で止めてやる。
「美穂?」
「今日ちひろさんとしたこと、私にもしてください」
「ちひろさんとしたことって……」
「あーん」
「ははっ、もうどうにでもなーれ。あーん……」
彼は一瞬躊躇したけど、観念したように乾いた笑いを漏らし、そのまま耳の部分を齧る。
「美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。良く出来てるし。美穂も食べてみなよ」
「それじゃあ……。願いを1つ使っていいですか?」
3つ願いをかなえる。そう言ったのは彼だ。本番前の高揚感と、部屋に2人っきりと言う事実が私を突き動かす。
きっと、今までで一番慌てた彼の顔が見れると思うから。私は少し、いじわるをするんだ。
「へ?」
「目を瞑って、その場から動かないでくださいね」
「そんなので良いの?」
彼はキョトンとしている。そんなことで願いを使っていいのか? そう思ってそうだ。
「はい。何が有っても、驚かないでくださいね」
「あー、うん。目、瞑った」
「んっ……」
彼の言葉をさえぎるように、私は唇を重ねた。
「み、みみみみみ美穂?」
「は、初めてのキスは、チョコの味です、ね……」
「そ、そそそそうでしゅね!?」
甘くて、溶けちゃいそうで。もう一度したい欲求に駆られるけど、何とか自分を律する。
「とても甘かったです。プロデューサー、私頑張れそうです」
「そ、それはぁ! よ、よ良かったね? え、えっと! その! テンションで!? 本番行こうか!!」
「ふふっ」
ぎこちなく我を取り戻そうとする彼が可愛くて、笑いがこぼれちゃう。
「行きましょう、プロデューサー!」
「あっ! 鍵! 鍵締めさせて!」
本番5分前。今日の私は、何でも出来ちゃいそうだ!
「あっ、帰って来ました!」
「ちゃんと渡せたかしら?」
「はい!」
舞台裏ではすでにみんなスタンバイしていた。
「おっ、やりますね! そんじゃその調子で、愛も叫んじゃいましょうよ!」
「いやいや! ファーストホイッスルも終わりかねないからねそれ!」
「ふふっ」
私は幸せに包まれている。きっと今の私なら、歌に乗せて幸せな気持ちを届けることが出来るはずだ。
「そうだ。折角だし、円陣組まない?」
「あっ、良いねそれ!」
「エンジンを組み立てるんですか?」
「エンジンじゃなくて、円の陣ね」
「あー、それですか。組みましょう組みましょう!」
未央ちゃんの合図で私たちは円陣を組む。こういう体育会系のクラブみたいなノリは初めてだけど、
これからこの5人で番組を盛り上げるんだと考えると、もっともっとテンションが上がる。
「えっと、かけ声はどうしますか? ヘイヘイホー! とか?」
「十時さん、それは木を伐る時にだけした方がよさそうね」
「Hey Hey Ho! あれ、イケてません?」
「それは演歌ね」
「あはは……」
本番前と言うのに、この緩やかさ。この5人の持つ、独特の空気は好きだ。
「コホン! 僭越ながら、私が音頭を取らせてもらうよん! それじゃあ番組、盛り上げるぞー!」
『おー!』
気合は入った。一生一度かもしれないファーストホイッスルを、全力で楽しもう。
一期一会。最高のパフォーマンスを、みんなに。
「行きましょう。私たちの、夢の舞台へ」
――
「どうしたの、顔真っ赤だよ? キスでもされた?」
「ぶふっ! な、何を言いますか」
「冗談だったんだけど……。ホント嘘つけないね」
全ての元凶は、おそらく彼女のチョコケーキだ。ほんの少量のブランデーで、美穂は酔ってしまったのだろう。
馬鹿げてるけど、親父さんを見るとそれしか考えられない。彼女の家系は代々お酒に弱いのだろうか。
「後で賠償請求するからね」
「却下。あんたも逃げなかったんじゃないの?」
「逃げれなかったよ。目を瞑ってください、動かないでくださいって命令されたし」
「アンタらそう言う関係なの? 流石に引くよ。近づいたら社会的にやっつけちゃうよ?」
「違うよ! 美穂の願い3つ聞くことになってるの」
「なに? ランプの魔人?」
「そういうこと」
美穂のお願いは残り2つ聞かなくちゃいけない。
とりあえず今回みたいなことの無いように、ガイドラインを作っておかないと。
いくら酔っていての大胆な行動と言われても、俺はとんでもないことをしてしまったんだ。
腹を斬れと言われたら、斬らないといけないぐらいの重罪だ。
「本番始まるよ?」
よしっ、今は忘れよう! 美穂の晴れ舞台をちゃんと目に焼き付けないとな。
『とっても甘かったです、プロデューサー』
「止めてくれえええ!」
「うわっ!?」
あはは、あの感触を忘れろだなんて方がむーりぃ……。ほら、また鮮明に浮かんできて……。
「ムワアアアアアア!」
「うるさいって!」
「デレプロさんと渋谷さん! お静かに!」
スタッフさんに怒られてしまう。またもや凛ちゃんは巻き添えだ。
「す、すみません」
「気を付けてくださいよ?」
「私、また巻き込まれたんだけど……」
「いやホントすみません」
凛ちゃんは蔑むような目で俺を見る。一部の人からすればご褒美なんだろうか。
「アンタ本当にこらえ性ないよね。騒ぐならカラオケにでも行けばいいよ。奢ってくれるなら、付き合ってあげるから」
「結局奢らないといけないんですか……」
言い換えれば、1000円弱で未来のトップアイドルとカラオケに行けるということなんだよね。
それはそれで凄いことを言ってるんだけど、凛ちゃんは気付いているのだろうか。
「ほら、黙って見ようよ。私らに出来ることって、それだけだからさ」
「だね。頑張れ、美穂」
年下の子に怒られて、目が覚める。さっきのことはさっきのこと。
今は美穂の全国デビューを喜ぼうではないか。
――
19:00。ファーストホイッスルが始まった。
「極上の音楽と、新たな可能性を貴方に。ファーストホイッスル、司会のタケダソウイチです。世間ではバレンタインと言うことで、なにやら町は浮かれていますね」
「バレンタインデイキス、誰もが一度は口遊んだことが有ると思います。この曲のように、世代を超えて愛される曲と言うものが、私たちの理想です」
「今宵このステージに立つ5人は、私の理想を近い将来体現してくれる、新たな時代を切り開いてくれると確信しています」
「それでは紹介しましょう。本日のゲスト、川島瑞樹さん、小日向美穂さん、多田李衣菜さん、十時愛梨さん、本田未央さんの5人です」
「よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
「あっ、私の番? よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
「本田さんは先の放送の渋谷さん、島村さんと続いて2度目の登場ですが、後の4人は初めてですね。こちらこそよろしくお願いいたします。今宵も素敵な歌声とエピソードをお楽しみください」
タケダさんの落ち着いた進行は耳によく、緊張も不思議と溶けていくように感じた。
それでも、まだ足はガクガクと震えているんだけど。
「あっ」
CM中周囲を見渡してみると、プロデューサーと目が合った。
冷静になるにつれて、さっき私はなんてことをしてしまったんだと恥ずかしくなってしまう。
浮かんでくるフラッシュバックは、この舞台に立っていることよりも私の心臓をドキドキさせた。
「ううん、後悔はしていない」
我ながら卑怯だと思う。彼の虚を突いてキスをして、何事もなかったかのように振る舞って。
ちょっとした悪女だ。私には似合わない称号だけど。
「CM明けまーす!」
「よしっ、頑張るぞっ」
私のメインは名前の順で2番目。まずは私たちのお姉さん、川島さんのターンだ。
「ふぅ、やっぱり緊張するものね……」
「川島さん、頑張ってくださいね」
「ええ。貴女もね」
ウインク1つ残して、彼女はメインの席へと向かう。
タケダさんは表情を変えず、そのまま動こうとしない。実に省エネだなと変なことを考えてしまった。
「ファーストホイッスル。まず最初のお客様は、地方局アナウンサーから異色の転身を果たした川島瑞樹さんです。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
基本的にこの番組は、タケダさんとのトークと、アイドルのライブで構成されている。
落ち着いたトーンで話すタケダさんとは対照的に、大舞台であわあわするアイドルの初々しい姿が見れるというのも、この番組の魅力らしい。
「関西に仕事で行ったときに、テレビのニュースで一度拝見したことが有ります。まさかこのような形で会うことになるとは。人生予測がつかないものですね」
「ではここで、川島さんのアナウンサー時代の映像を見てみましょう」
こちらが準備をしてきたように、タケダさんも出演アイドルのことを勉強してきているようだ。
「へ?」
『17時のニュースです。毎年恒例の褌祭が今年も行われ、多くの観光客でにぎわいました』
川島さんもアナウンサー時代の話題を振られることは予測していても、タケダさんが見ていたこと、
しかも当時の映像をそのまま持ってこられることまでは考え付かなかったみたいで、珍しく狼狽えている。
だけど真面目な番組なのに、チョイスしたニュースの内容が褌祭の開催という、
何とも言えない話題なので、笑っていいのか悪いのか反応に困っちゃうな……。他になかったのかな。
「そ、それはありがとうございます。本当に縁と言うものはどう転がるか分かりませんね」
「ええ、全くです。しかしアナウンサーと言う仕事もやりがいはあるはず。それでもアイドルに転向したというのは、何か目的があってのことでしょうか?」
私もそれは知りたいな。
「何かをみんなに伝える手段の1つとして、私は報道の道に進みました。確かに毎日が充実していましたが、それでも伝えきれない何かがあると気付いてしまったんです」
「その時でした。担当プロデューサーに声をかけられたのは。私が取材に行った芸能事務所のオーディションで、アイドルになりませんか? と」
「流石に面喰いましたね。後2,3年で30歳になるっていう女子アナ捕まえて、スカウトしてくるなんて」
「でもアイドルとしてなら表現できる、伝えることが出来るものもあると感じたんです。そればっかりは、直感なんですが」
「なるほど。もしアナウンサーになっていなければ、アイドルにもなっていなかったと」
「ええ。実際局アナ時代の経験は生きていますから。そう考えると、私は運が良かったんでしょうね」
「川島さんの楽曲、Angel Breeze。物語性の強いこの曲が、貴女に出会えたこともまさしく幸運と言えるでしょうね。この曲は川島さんをイメージして作られたと聞きましたが?」
「そう聞いています。作曲家の先生が私の局アナ時代を知っている方で、仕事はやりやすかったですね」
「それはピッタリな曲になるはずですね。それでは準備のほど、よろしくお願いいたします。川島瑞樹で、Angel Breeze」
「ふぅ……」
川島さんのステージが始まった。次は私だ。大丈夫、行けるに決まっている。
「――」
舞台裏からひょっこりと、プロデューサーはこぶしを突き出す。
「えいっ」
私も彼と同じように突き出して、コツンとぶつける振りをする。
「川島さん、ありがとうございました。CMの後は、小日向美穂さんにお話を聞いてみましょう」
「CM入りまーす! 小日向さんはスタンバイお願いします!」
「みほちー、行ってらー」
「行ってらっしゃい」
「愛を叫んできなよー!」
「あ、あはは……。遠慮します」
夢のステージに、私は立つ。見ていてくださいね、瞳子さん――。
「本日2人目のゲストは、デビュー以来地道な活動を経て、このステージへの切符を手に入れた小日向美穂さんです。よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いいたしましゅ!」
あぁ、いきなり噛んじゃった。
「緊張していますか?」
「は、はい……」
「気を楽にして楽しんでくださいね。ありのままの小日向さんで大丈夫ですよ」
それがなかなか難しい。うん、平常心平常心……。
「さて、小日向さんと言うと、先の放送でゲストで来られた島村卯月さんと同じ学校に転入したと聞きましたが」
「卯月ちゃんは熊本から来たばかりの私に優しくしてくれました。事務所が出来たばかりで、所属しているアイドルは私だけなので、卯月ちゃんの存在は大きかったと思います。NG2の2人とも仲良くなれましたし」
「なるほど。小日向さんのパフォーマンスは島村さんの影響が大きいように感じましたが、それが関係しているのかもしれませんね」
自分ではそう思ったことは無いけど、無意識のうちに真似ているのかも。一番テレビで見ているのが卯月ちゃんだし。
「さて。昨年の12月16日、小日向さんの熊本の母校である津田南高校にてクリスマスパーティーというイベントが行われました。その時の映像をお借りしているので、一緒に見てみましょうか」
「へ? クリパの映像?」
突然スクリーンに、クリスマスパーティーの映像が映し出される。これ、事務所で見たやつだ!
「可愛らしい服ですね。これは、自分で用意されたんですか?」
「こ、これはあの……、熊本の友達が作ってくれたんです!」
「ほう。離れていても仲が良いというのは、羨ましいですね。デビュー曲であるNaked Romanceはこのステージで初披露だったということですが、元々あった曲に、小日向さんがマッチしていたから託した。と弟子は言っていましたね」
「初めてのファーストホイッスルオーディションの時に、私を見てこの人しかいないと感じたんだそうです」
「運命とでもいうべきでしょうか? 事実、小日向さんとこの曲の組み合わせは見事と言ってもいいでしょう。実にマッチしています」
「私も仕事柄、曲を提供することもありますが、普通は歌手を見て曲を作りますね。しかし、彼女の場合は違う。Naked Romanceに足りなかった最後のピースこそが、彼女だった。こればっかりは、奇跡以外の何物でもありません」
「そうですね。この曲との出会いに感謝しています」
奇跡か。もしもあの日オーディションに行かなかったら、この曲に出会えなかったのかもしれないな。
曲のこと、アイドル活動のこと。トークはゆるやかなテンポで進んでいく。
「小日向さんの方から言っておきたいことはありますか?」
「えっと、1つだけいいですか?」
「ええ。どうぞ、お構いなく」
私の言葉が、誰かの心に響くならば――。
「私は……。1つ夢を叶えました。ファーストホイッスルのステージに立つ。アイドルになってから最初に出来た目標で、私を動かす原動力でした」
「もし今、途方もない現実にぶち当たって、夢を諦めてしまいそうなら、見つめ直して欲しいんです」
「その夢は本当に叶わないものなのか、逃げているのは夢じゃなくて自分じゃないかって」
「何を偉そうに、そう思うかもしれません。ですが、誰かが夢を叶えることが出来たなら、誰だって夢を叶えることが出来る。そう信じています」
「だから……、瞳子さん。待っています」
「……。小日向さん、準備のほどをよろしくお願いいたします」
タケダさんは黙って聴いてくれた。私の話が終わると彼はステージに立つように促す。
「それでは聴いていただきましょう。小日向美穂で、Naked Romance――」
アイドルならば、パフォーマンスで語れ。誰かの言葉らしいけど、その通りだよね。
「あっ、小日向さん!」
「お弟子さん! お久しぶりです」
収録終了後、お弟子さんが声をかけてきた。
実年齢より(何歳かは知らないけど)幼く見えることもあってか、スーツがいまいち似合っていない。
「こちらこそ。前はすみませんね。挨拶も出来なくて」
「いえ。私の方こそちゃんと報告が出来なくて申し訳ありませんでした。あっ、チョコレート」
「ん?」
「今日、チョコレート作って来たんです。よかったらどうですか? 楽屋から取って来ます」
「良いんですか? それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな?」
楽屋に戻ってチョコを取ってくる。この時私は、プロデューサーに渡したチョコが既に溶けていたことを忘れていた。
「あっ、溶けてますね」
「そ、そうでした。暖房がきいていて、それで……」
「あの楽屋の空調壊れたみたいなんですよね。ホント、早く直せばいいのに。でも、僕はこういうのも好きですよ? うん、十分食べれますよ。ホワイトデーは何かお返ししないといけませんね」
相も変わらずニコニコとしている。人柄の良さがにじみ出てくるようだ。
『so I love you I love you♪』
「あっ、ちょっとすみませんね。もしもし、――ちゃん?」
懐かしい曲が流れたと思うと、彼の着信音だったらしい。
そう言えば、あの歌を歌ってたアイドルと、何となく似ているような……。
「うん、終わったから今から帰るよ。楽しみにしている。じゃあ切るね」
電話しているときの彼は、いつも以上に優しそうな表情を見せていた。
相手はきっと、彼の特別な人なんだろう。
「えっと、お邪魔しちゃいました?」
「いえ! 気にしなくて大丈夫ですよ。そうだ、あのスピーチですけど」
「スピーチ?」
歌う前に言ったあれのことだよね。
「僕もああやって、テレビで私信を流したことあるんですよ!」
「へ? それ、どういう……」
「Welcome to the Dazzling World! 輝く世界へようこそ! それじゃあ小日向さん、また会いましょうね!」
「あっ、アキヅキさん! 行っちゃった……」
手を振りかけていく彼の背中を見送る。輝く世界か。私をそんな世界に連れて行ってくれたのは、彼なんだね。
「おーい! 美穂ー!」
「プ、プロデューサー……」
キラキラ輝くステージが終われば、私はただの女の子に早戻り。
さっきまであれだけ大胆なことが出来ていたのに、彼を見ただけで私の身体と心を羞恥心が支配する。
蛇に睨まれたカエルの気持ちが少しだけわかった。動けないのは恐怖じゃなくて、恥ずかしさゆえだけど。
「あー、正気に戻っちゃったか」
「へ?」
「いや、こっちの話。なんかさ、未央ちゃんが川島さんの家に泊まろうとか言ってたけど、美穂は行くかい?」
「川島さんの家ですか? 皆行くんですか?」
「みたいだね。明日学校休みだしさ」
川島さんの家か――。皆行くみたいだし、楽しそうだ。
「じゃ、じゃあ私も! 私も行きます」
「そう? それじゃあ川島Pが送ってくれるみたいだから、今から合流すれば良いよ」
「プロデューサーはどうするんですか?」
「俺は仕事が有るからね。それに、女子会に介入するほど空気が読めない人じゃないよ」
「そ、それじゃあプロデューサー! お、お疲れ様でした!」
「ああ、お疲れ。それと美穂」
「何ですか?」
「変なこと言うかもしれないけどさ、俺嬉しかったんだよね。ファーストキスが美穂でさ」
顔を赤らめて、恥ずかしそうに言う。ファーストキス――。それは私にとっても、彼にとっても変わりない事実だった。
「ふぇ!? ど、どどどういう!?」
胸を突き破りそうなぐらいのドキドキは加速する。
「その……、さ。美穂がトップアイドルになって、俺が一番のプロデューサーになってさ。その時美穂を……」
「えっ?」
一瞬の静寂。世界が私たち2人を置き去りにしたような感覚に陥る。
「俺は……」
「みほちー! いたいた!」
だけどそんなことは有り得ない。元気いっぱいな未央ちゃんの声が、私たちの世界を破壊する。
「のわっ! み、味噌ちゃん……」
「アイドルがアイドルならプロデューサーもプロデューサー!? おたくら私になんか恨みでもあるの!?」
私と同じ間違いをしたことが、何故か嬉しかった。
「い、いや。急に未央ちゃんが来たもんで……」
「QMK!? それは置いといて! みほちー、今から川島さんの家でパジャマパーティーするんだけど、どう?」
「うん。行くよ」
「オーケーオーケー。それじゃあ、行きますか。あっ、でもみほちーは着替えてからね」
「あっ」
「そのままでもいいけどさ、風邪引いちゃうよ? んじゃ早くしてねー!」
未央ちゃんに言われてステージ衣装のままでいたことを思い出す。
このまま外を歩くのは流石に恥ずかしい。
「それじゃあ美穂、お疲れ様。明日迎えに行くよ」
「あっ、はい。プロデューサー、おやすみなさい」
「おやすみ、美穂」
「じゃーねー! 言い忘れてた! 着替え終わったら入り口に来て! 待ってるからさ!」
「あっ、うん」
結局、彼と2人で祝勝会が出来るのはいつになるんだろう? 気長に待つとしよう。
「うぅ……」
思い出すだけで顔が真っ赤になる。きっと今夜は、それを追及され続けるんだろうな。
「あっ、メール来てる」
着替えを終えて携帯を確認すると、卯月ちゃんと相馬さんと見たことのないアドレスからメールが来ていた。
『お疲れ様! 美穂ちゃん凄く可愛かったよ! 見ていてこっちが幸せになったぐらい!』
幸せそうな卯月ちゃんの笑顔が頭に浮かぶ。ちゃんとテレビの向こうに伝わったんだ。
『お疲れ様。やっぱり先輩なだけあって、凄かったわよ。私も今度ファーストホイッスルのオーディション受けてみようかしら?』
相馬さん、頑張ってくださいね。諦めずにいれば、きっと上手くいきます。
『おめでとう、小日向さん。貴女のステージ、凄く輝いていたわ』
「? 誰だろう?」
名前が書かれておらず、誰からのメールか分からない。
「みほちー! 早く早く!」
「あっ、今行きまーす!」
携帯をポケットに入れて待ってくれている4人に合流する。
もしかしたら前にアドレスを教えて貰って、登録していないままの人かもしれない。
後で確認しておこう。それで無かったら、ちゃんと名前を聞かないと。
「それじゃあ突撃! 川島さんのお宅訪問へレッツラゴー!」
「あんまり騒ぎすぎないようにね?」
今日は寝ずに盛り上がるんだろうな。楽しみだ。
――
「ふぅ、どうしたものかね……」
暖かいコーヒーを飲みながら、局の近くのベンチで物思いに更ける。
『今日はお疲れでしょうから、そのまま直帰で大丈夫ですよ!』
仕事が終わった後携帯を確認すると、ちひろさんからメールが来ていた。
本当ならやらないといけない仕事はあるけど、なんとなくする気にもならなかったので、
今日は彼女の好意に甘えることにした。
メールといえば。
「美穂に届いたのかな?」
彼にアドレスを教えていいかと聞かれて、俺はこっそりと教えた。
アイドルの個人情報だ。本当は許されることじゃないけど、教える相手が彼女なら問題はないだろう。
美穂も彼女の連絡先を知らないんですと寂しそうにしていたし。メールの差出人を見て驚く彼女の顔が容易に浮かぶ。
「あの顔に弱いんだよな、俺」
いや、美穂の全部に弱い、の間違いだ。
彼女と思い出を作っていくにつれて、彼女の全てが愛おしいと思えるようになってしまったのだ。
今日だってそう。
美穂達の躍動感あふれるパフォーマンスを生で見たことと、美穂からキスをされたこと。
その2つの出来事が、俺の心を逸らした。
もしあの時未央ちゃんが来なかったら、俺は止まっていなかっただろう。
『その時美穂を……』
「俺の恋人にする、か……」
俺と美穂は、プロデューサーとアイドル。その言葉の意味は軽いものじゃない。
実際アイドルと結婚したプロデューサーも少なくはないが、それは同時にその子のアイドル生命を奪うことと同意義だ。
美穂はまだまだ輝ける。トップアイドルという途方もない夢も、少しずつ現実味を帯びてきた。
だけど俺はどうだ? 美穂の未来を、チャンスを奪ってしまいそうなぐらい、彼女に惹かれてしまった。
「ホント、ダメダメプロデューサーだな」
コーヒーを一気に飲み干す。甘みが口の中に広がるけど、俺の表情は苦々しいものだったに違いない。
「えいっ」
放たれた空き缶は大きく弧を描いてすとんとゴミ箱に落ちた。
「へー、やるじゃん。ナイスシュート」
パチパチパチと拍手が聞こえたと思うと、俺の目の前に凛ちゃんが月の光に照らされて立っていた。
「なんだ、凛ちゃんか」
「何黄昏てんの」
「別にー。ふと無性に考えたくなるときだってあるんだよ」
「ふーん。年寄くさいね」
女子高生にそう言われると結構傷ついてしまう。これでも一応、若くあり続けようと努力しているのだが。
「五月蠅いやい。凛ちゃんは川島さんの家行かないの?」
「ステージに立ってないし。だからあの5人と一緒に盛り上がる資格がないよ。そもそも私明日も朝から晩まで仕事有るし」
「ご苦労なことで」
今年に入ってからのNG2の3人の労働量には、本当に頭が下がる。
チャンネルを変えても、彼女たちが映っているということも珍しくない。
本来ならゴリ押しと視聴者に忌避されてしまうところなのに、彼女たちの実力がそれを許さない。
人気者の宿命かアンチスレがにぎわうことが有っても、それ以上に彼女のファンが多いのだ。
「他人事みたいに言わないでよ」
「凄いのは事実じゃないか」
それぞれの個性を活かして、新たなステージに到達しようとしている彼女たちを止めるものは何もない。
「アンタらも直に忙しくなるよ。ファーストホイッスルの効果は、ビックリするほど凄いんだから」
とびとびの予定が書かれたホワイトボードも真っ黒になるのかね。そう考えると何かこみあげてくるものがあるな。
「来週だよね。ランキング20位以内に入らないとノミネートされないってやつ」
「運命の36週? 途中にデビューした俺らからすれば不公平この上ないんだけどさ」
アイドルのデビュー時期は同じではない。スタートラインが違うのに、ゴールは同じというのも変な話だ。
「来年狙えばいいんじゃないの?」
「まさか。諦めたわけじゃないよ。今日の放送のブーストで、Naked Romanceが食い込める余地は十分あるよ」
来週のランキングチャートの結果次第だが、美穂もIAにノミネートされる可能性はある。
それがダメだとしても、夏にはIUがあるんだ。そっちに切り替えて、頂点を目指していくのがプロデュースとしては定石だろう。
「楽しみにしといてあげる。でさ、お願いがあるんだけど」
「ん? 何かな?」
「アンタここに何で来た?」
「車だけど……」
「なら良かった。夜も遅いしさ、車で送ってくれない?」
「へ?」
車で送ってって、プロデューサーが迎えに来るんじゃないのか? 卯月ちゃんの方に付いてるといっても、もう終わっているはずだ。
「ここまでプロデューサー呼ぶのも悪いじゃん」
「先読みされた!? じゃあタクシー呼べばいいんじゃないの?」
「お金かかるじゃん。結構遠いもん」
それはご尤もだ。いくら売れっ子と言っても金銭感覚は女子高生と変わりない。
給料全額が凛ちゃんの懐に入るわけでもないしな。意外と質素な生活をしているかもしれない。
「それに、NG2の渋谷凛が夜のドライブに連れて行ってって誘ってるんだよ?」
それはまぁ魅力的な話だ。1000人に頼めば1000人とも車を出してくれるだろう。
「そういうのは恋人が出来てから言いなよ。いや、それ以前に俺と2人でいるとこすっぱ抜かれたらどうすんのさ? 仲のいい友人ですが通用すると思えないけど?」
凛ちゃんは将来が約束された人気アイドルだ。ここで俺とのやり取りを記者にでも撮られてみろ、取り返しのつかないことになる。
いくら何もしてませんと説明したところで、世間が納得すると思えない。週刊誌も必要以上に煽って来るだろう。
「そん時は丸坊主にしようか?」
「やめなさい。黒髪ロングが良いんだから」
ショートヘアの凛ちゃんも見てみたい気もしないでもないが、色々と波紋を呼んでしまいそうなので止めておく。
「冗談だって。まぁそこは任せてよ。私たちだってマスコミ対策ぐらいちゃんとしてるよ。マスコミもあの人相手にケンカ売るようなことはしたくないだろうしね」
「へ?」
「こっちの話。それにアンタだから頼んでるんだけどな。まさかヒッチハイクしろって言う気? どうなっても知らないよ?」
「それは困る! 洒落になんないよ! はぁ……」
どうかなられたら大変なことになる。これ以上言っても無駄か、仕方ない。
観念したように溜息が自然と出てしまう。
「乗せてってくれる?」
「はいはい、分かったよ。ガソリン代、そっちに請求しとくからね」
「ケチだね。そんなんじゃ女子にモテないよ?」
いちいちキツイことを言わないといけない性分なのか?
「あーあー聞こえない! ほら、駐車場に止めてるから行くよ」
「了解っと」
「ねえ、凛ちゃん」
「何?」
「俺は凛ちゃんの家に送るよう頼まれたはずだよね」
「そうだったっけ? 家って言った覚えはないんだけど」
「そういう屁理屈は聞いてないよ! えーっと、ここ。どこですか?」
「夜景綺麗でしょ? 私たちのお気に入りの場所」
ここは小高い丘の上。どこを見渡しても渋谷家は見つからない。というか民家がない。
「私の家、あそこだよ。花屋やってる」
そう言うと凛ちゃんは遠くの方に指をさす。あー、うん。全然見えない。
「へぇそうなんだ、じゃあ薔薇の花でも買いに行こうかな……って遠いよ! 豆粒みたいな大きさじゃんか! 見えるわけないって!」
「それとうちの店さ、薔薇の無い花屋なんだよね。お母さんがバラ科の花のアレルギーでさ、取り扱ってないんだ」
「それはまぁ難儀なことで」
勝手な想像だけど、薔薇って花屋で一番売れるんじゃないのか? それを置いてないのは、花屋としては痛手な気もする。
「私は好きなんだけどね。棘があるけど、それでも愛される花。なんか私に似てるなって思って。愛されるってのは願望だけど」
「言い得て妙だね」
確かに刺々しくクールな性格の彼女にはピッタリだな。凛ちゃんは自信が無いのかもしれないけど、
十分なくらいファンからも愛されていると思うけどな。
「良い所だよ、ここ。こうやって星を仰ぐとさ、自分の悩みはちっぽけなものだなぁって感じるんだよね」
服が汚れるのもお構いなく、凛ちゃんは仰向けになって寝転ぶ。
「アンタも寝転がってみたら? 気持ちいいよ?」
「よっと……。東京でも、こんなに星が見れるんだな」
いつから夜が明けて来たか分からなくなる都会のネオンから離れて、小さな星々で出来た海を仰ぎ見ると、
ここが同じ東京だということを忘れてしまいそうになる。
ただただ綺麗で――、ロマンチックな気持ちにさせる。
「田舎から来たばっかの人みたいなこと言うね」
隣の子が毒舌を吐かない限りは。
「一番最初のオーディションの後、プロデューサーが私達3人を連れて来てくれたんだ」
「見てご覧、あの町の光の数だけ人が生きている。貴女たちはあの光に負けないぐらい輝きなさい、光の数だけファンを増やしなさい。ってね」
「可笑しいよね。私たち3人の初オーディションは、本当に散々だったのに。3人が3人とも自己嫌悪に陥って、解散しちゃうんじゃないかって思ったのに。プロデューサーはそんなこと言うんだよ?」
「君たちもそう言う時が有ったんだね」
「むしろ無い方が有り得ないよ。愛梨みたいな天才だって、いつかは壁にぶち当たる。才能が有っても、1人で何かを成し遂げるなんて不可能だよ」
「だね。良く分かるよ」
「話戻すね。レッスンの時とか厳しくて怖い人だと思ってたから、怒られるのも覚悟してたのに、自信満々に私に任せなさいって言ってくれてさ」
「この人は私たちを信じてくれている、だから信じようって決めたんだ」
もしプロデューサーが男の人だったら、今頃3人とも恋い焦がれていたかもね、と小さく呟く。
「オーディションに受かった時も、落ちた時も、CDデビューが決まった時も。私たちはここに来て寝転がった。最初の頃の気持ちを忘れたくないからね」
「ここは、私たち4人にとって大切な場所なんだ」
テレビでも見たことがないぐらい、柔らかな表情で語る。クールで格好良いアイドル渋谷凛は1つの姿、これが素の彼女なんだろう。
「そうか……。3人とも本当にプロデューサーのことが好きなんだね」
「うん。好きだよ。だからあの人と一緒に、トップを目指したい。そのためには、後ろを向かないって決めたから」
「もたもたしてたら、アンタら置いてくからね? 悪いけど、止まる気がしないし」
「奇遇だね。俺らもここで満足するほど目標は低く設定していないよ」
「ふふっ、期待しといてあげる。それじゃ、行こっか。そろそろ家に帰らないと、お母さんが心配しちゃうし」
「今度はちゃんと家まで送らせてくれよ?」
2人同時に立ち上がり、服に付いた土を叩き払う。
「あっ、流れ星」
車に戻ろうとすると、キラリとこぼれる一筋の流れ星。
「――」
「願い言えた?」
「心の中でね。なんとかギリギリ」
トップアイドル、トップアイドル、トップアイドル。色々省略してるけど、伝わってくれただろう。
これで俺がトップアイドルになるなんてオチは勘弁願いたいが。
「ねぇ、凛ちゃん」
「ん? 何?」
「どうして、俺をここに連れて来たの?」
NG2とそのプロデューサーにとって、ここは犯すことの出来ない聖域のはず。なのに彼女は、俺を招待してくれた。
「……何でだろう? なんとなく、かな」
「なんとなくって」
「なんとなくはなんとなく。それ以上でも以下でもないよ。私もよく分からないや。良いじゃん、私が良いって言ったんだしさ。でも、アンタは特別なのかな」
「へ?」
「そうだ。美穂でも連れてきたらいいよ。きっと喜ぶから」
「その一言が余計だって……」
でもまぁ、美穂は喜ぶだろうな。
『メープルナイト。この番組は高垣楓がお送りします』
丘から車で走ること20分。ラジオから流れるしっとりとした音楽が良いムードを作るけど、俺たちは会話を交わすことなかった。
「ここで良いよ」
凛ちゃんの指示に従って車を走らせていたが、花屋に着く前に止めて欲しいと言われた。
「ん? 良いの? 花屋はまだ先じゃ」
「大丈夫。花屋の前にスタンバってるかもしれないし」
パパラッチか。いつもと違う車で、しかも別事務所のプロデューサーが送っていたとなると、
あちらさんに好き勝手邪推されちゃいそうだしな。
「あー。そういうことね。でも大丈夫? ストーカーとかいたら」
「これでも私たち、護身術は教えて貰ってるから。アンタより強いと思うよ?」
卯月ちゃん未央ちゃんはともかく、凛ちゃんは本当に強そうだから困る。
『キェェェェェ!!』
木刀とか持って暴れてても違和感があまりないな。言ったら怒られそうだし黙っておこう。沈黙は金だ。
「そうですかい。それじゃあ、またね」
「うん。ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
手を振る彼女が家に入ったことを確認して、俺も帰ることにする。
「とりあえず明日は美穂を迎えに行かないとな」
川島Pから送られていたメールを見て住所を確認する。なんだ、川島家結構近いじゃん。
『ブラックホールに消えたやつがいる~』
「懐かしい曲だな……」
ラジオから流れる歌を口ずさみながら、俺は闇夜の中を車で駆けて行く。
何となく今日は、1人で当てもなく流したい気分になったのだ。
――
「ブラックホールに消えたやつがいる~」
デレデレデレデレデ
「あ・れ・は なんなんじゃ なんじゃ なんじゃ にんにんじゃ にんじゃ にんじゃ」
「川島さんやっぱり上手いなぁ」
「でもなんでこの曲歌ってるんだろ……。時代を感じるよ」
「ノリノリですねー」
「三味線ロック……。有りですね!」
夜も遅いというのに何盛り上がっているかというと、川島さんの部屋には家庭用カラオケがあったのだ。
『今日は寝ずに恋バナ大会だよ! ま・ず・は! 恋するはにかみ乙女みほちーから!』
『わ、私!?』
『そりゃあねぇ。あの後何が有ったか、根掘り葉掘り聞かせてもらいますよ!』
最初こそは乙女のパジャマパーティーらしく、私に対して集中砲火を放っていたけど、
川島さんがゲーム機を持ってきた頃から雲行きが変わってきた。
『あれ、これカラオケじゃないですか!』
『ストレス発散にはちょうどいいのよ。折角だからする?』
『え? 良いんですか? 近所迷惑とか』
『このマンション防音がしっかりしているから、どんなに騒いでも聞こえることは無いわよ』
『良いですねー! 私カラオケ好きですよ! 何歌おっかな……』
『それじゃあ一番! 本田未央! 持ち曲歌いまーす!』
『待ってましたー! フッフー!』
と言った風に恋バナはいったん中断、川島さんプレゼンツのカラオケ大会が始まったのだ。
『あ、あれ!? み、みんなの恋の話は!?』
『カクレンジャー 忍者 忍者』
『え、えー!? 酷い!』
私に聴きたいことだけ聞いておいて、自分たちの話題には全く触れなかったことにムッとしたけど、
カラオケなんて久しぶりだ。騒いでも問題がないというのなら、目一杯楽しんじゃおう。
『忍者戦隊カクレンジャー』
「ふぅ、気分が良いわね。スッキリしちゃうわ」
「流石川島さん! 実にロックで痺れましたよ!」
「どの辺がロックなのかしら?」
「次みほちーだよ?」
「あっ、うん。それじゃあ……」
この曲にしよう。リモコン取出しポパピプペ。
『Dazzling World』
「おっ、ダズリンじゃん」
「コホン。so I love you I love you♪」
ああ、そうだったんだ。今になってようやくパズルがそろった。気付くのが遅いぐらいだよ。
タケダさん、アキヅキさん、そして私。世代を超えて、思いは受け継がれていく。グルグルと輪り、人々の心に残っていくんだ。
アキヅキさんの託した思いを、私は大事にしていかなくちゃ。
「え、えっと。ありがとうございました?」
「美穂ちゃん良かったですよ。次は私ですね!」
「あれ? メール来てる」
歌い終わって一息つくと、携帯が光っていることに気付いた。アドレスは……、さっきの名無しさんだ。
『ごめんなさい。名前を書くのを忘れていたわね。服部瞳子です』
「瞳子さん!!」
予想外の名前に思わず叫んでしまう。もしこの部屋の防音設備が整ってなかったなら、隣の部屋の人が怒って殴り込みに来ていただろう。
「へ? トウコサン?」
「あっ、ごめん。大声出しちゃって」
「そう言えば、本番中も瞳子さんって言ってましたよね」
「小日向さんの知り合い?」
「はい。私にとって、初めての先輩なんです」
本当は卯月ちゃんだけど、彼女は同級生なのであまりそんな気にならない。
「服部さんのことですか? 私のプロデューサーが、私の前にプロデュースしていたアイドルなんです」
「とときんの前の女ってとこだね!」
「その言い方はどうかと思うわよ」
「えっと……。これ、瞳子さんが見てくれてたってことだよね? 良かった……」
ホッと一息ついて、彼女に返信する。
『見てくれたんですね! ありがとうございます! もし今日の放送で、またアイドルに戻りたいって思ってくれたなら凄く嬉しいです』
「かえって来るかな……」
歌え騒げと皆が盛り上がる中、私は落ち着いた気持ちでいた。
今日の放送で、彼女を勇気づけることが出来たなら。
眠くなるまで宴は続く。私は彼女からの返信を待ち続けたけど、プロデューサーが迎えに来ても、返事は来なかった。
――
「き、緊張するな……」
「そ、そそそうですね!」
「2人とも、緊張しても仕方ないですよ。ほら、堂々と待ちましょう!」
「うむ。人事を尽くしてきたはずだ。後は、天命を待つしかないよ」
「そ、そうですね。よーし、深呼吸深呼吸……」
私と彼は思いっきりちひろさんに背中を叩かれる。それでも私のドキドキは止まることを知らず、加速していく。
世間では大学の合格発表が行われているのだろうけど、私にとっても合否発表の日だった。
IAノミネートのカギを握る、運命の36週。それが今日のランキングだ。
「どっとっぷTV今週のランキング発表!」
「来たっ!」
「うぅ……」
天に祈るような気持ちで、私は結果を待つ。お願い、どうか――。
43位 New 小日向美穂 Naked Romance
「43位……」
今まで積み上げてきたものが、砂のように崩れ落ちていくように。私はガックシと項垂れてしまう。
「クソッ、力及ばず、か……」
「落ち込まないでくださいよ、2人とも。初登場でこれは結構すごいことですよ? ね、社長!」
「ちひろくんの言うとおりだよ。たらればの話をするのは趣味じゃないが、もし君たちが出会うのがもっと早ければ、20位以内には入っていただろうね」
「それでも、デビューで43位というのは誇ってもいいことだよ。胸を張りたまえ。君たちは良く頑張った」
社長たちはそう言うけど、私は嬉しさよりも悔しさが勝っていた。
「私、悔しいです」
「悔しいと思えるのは、それだけ必死で頑張って来たってことだよ。私たちは、君たちの活動をよく知っている。私から賞を与えたいぐらいだよ」
「それに、これで君たちのプロデュースが終わったわけじゃない。これからリベンジのチャンスはいくらでも有る。IUでトップを目指して、頑張って行こうじゃないか」
「……はい!」
IAはダメだった。したくないけど、時間が足りなかったと言い訳ができるかもしれない。
だけどIUはそうもいかない。純粋な実力勝負だ。
私だって、もう新人という括りにはならないだろう。
「美穂、今まで以上に大変な日々を過ごすことになると思うけど、1つ1つ着実にこなしていこうな」
「プロデューサー、お願いしますね!」
「それにさ……。こういうこと言うと怒られそうだけど、IAに受からなくてよかったかなって思ってるんだ」
「へ? どういう意味ですか?」
「IAにノミネートされたアイドルのプロデューサーには、ハリウッドで1年間研修を受ける権利を得るんだ。だからノミネートされていたら、彼はアメリカへ飛び立っていただろうね」
初耳だった。IAにノミネートされたら、何かしらご褒美が有るんじゃないかと思ってたけど、
プロデューサーがアメリカに行くことになっていたなんて。
凄く名誉なことのはずなのに、私は受からなくてよかったかな、なんて思ってしまった。
本当に甘いよね、私は――。
「ふむ、1位はNG2か……。それに21位に十時君も入っている」
「本当に恐ろしいですね。愛梨ちゃん、普段はポンコツな子なのにステージ映えするしなぁ」
「ポンコツって……言い過ぎですよ」
ランキングはホームページでも見ることが出来るそうで、1位から100位までサッと眺めてみる。
栄えある1位はやはりというべきかNG2だ。そして個人として、3人とも20位以内に入っている。
言い換えれば、20ユニット中4組がNG2というわけだ。流石としか言いようがない。
「過去にユニットと個人でランクインするということもあったけど、3人というのは初めてかもしれないね。新たな世代、か。私も歳を取るわけだ」
感慨深そうに社長は漏らす。
「でも、愛梨ちゃんは凄いです」
「うん。こいつは驚いたよ。あの子は本当に底が知れないな」
驚くべきは、21位の愛梨ちゃん。ボーダーラインの20位までにギリギリ入っていないけど、
デビューしてわずか2、3ヶ月でここまで上り詰めたことが、彼女の才能の恐ろしさを物語っている。
言い換えれば、愛梨ちゃんの才能と努力以上に、20位以上のアイドルは努力しているってことだ。
「服部Pも鼻が高いだろうな」
「この勢いで、瞳子さんも戻ってきてくれればいいけど……」
「そうだね。服部Pにとって、服部さんは特別なアイドルなんだろうしね。もちろん、愛梨ちゃんがおざなりってわけじゃないよ?」
服部Pも愛梨ちゃんに真摯に向き合っていることぐらい分かっている。そうでもないと、ここまでの結果は残せない。
だけど愛梨ちゃんのことを思うと、歯がゆくも思う。
愛梨ちゃんの原動力であるプロデューサーの原動力は、今でなお瞳子さんなんだから。
携帯のバイブが着信を知らせる。一瞬だけ彼女から返事が来たことを期待したけど、内容はくだらない迷惑メールだった。
瞳子さんから返信は未だに返って来そうにない。こちらから催促する話でもないし、
彼女の気持ちが整理出来るまで、気長に待つしかないよね。
「さぁ、今日は帰りなさい。明日から、また頑張ろうではないか」
「はい。失礼いたします」
「バイバイ、美穂」
事務所を出て、誰もいない最終バスに乗る。私1人だけ乗せているのに、わざわざ一番後ろの席を選んでしまうのは、
誰に対して遠慮してしまっているのだろうか。
――
美穂が帰った事務所で、残った仕事を片付けていると社長が声をかける。
「さっきのことだが」
「? なんでしょうか?」
「君は、本当にアメリカに行く気はなかったのかい?」
ハリウッド留学は非常に魅力的な話だ。ショービジネスの世界で生きる者なら、
一度は夢見る輝かしい世界だ。
事実俺も、プロデューサーという仕事をしていくにつれて、ハリウッドへの憧れは生まれてきた。
ポンとお金を出されたら、喜んで飛ぶだろう。英語だって必死で勉強し直す。
だけど皮肉なことに、ハリウッドへの憧れが強くなると同時に、美穂に対する思いも変質していった。
俺は彼女に恋している、独占したいと思っている。それは否定しようのない事実。
「俺のすべきことは、美穂をトップアイドルに導くことですから」
その言葉に他意はない。彼女に出会った時から、変わることのない願いはたった1つだ。
「そうか……。しかし、君も分かっているはずだ。いずれ、小日向くんだけを見ることが出来なくなる日が来ることを」
「事務所の経営の軌道が乗ってこれば、新たなアイドル候補生とプロデューサーをスカウトしようと考えている。君にとっては耳にタコが出るぐらい聞いた話だろうが、我が事務所は小日向くんの個人事務所じゃないからね」
「それは……、分かっています」
何度も言われて、何度も自分に言い聞かせたことだ。
俺たちは現状に満足しちゃいけない。美穂にも偉そうに言ったことなのに、自分に跳ね返ってくる。
「でもまあ、逆に言えば他に手を回す余裕が出来たぐらい、小日向くんは活躍してくれているということ。彼女を導いたのは、他でもない君だよ」
「ありがとうございます」
「さてと、私も帰るとしようか。どうかね? 一杯」
「奢っていただけるのなら」
「言うようになったじゃないか。ちひろくんも来るかい?」
「いえ。今日中に仕上げないといけない仕事が有りますので。御2人で楽しんで来てください!」
「では、今日は男同士の飲みと行こうか!」
「お供します」
あーだこーだ考えても進まない。今はIUに向けて、頑張って行かないと。
――
3月20日。天候は晴れ。熊本城は満開の桜に包まれていた。
「カーット! 小日向さん今のは最高だった! それじゃあいったん休憩取りましょう!」
「ふぅ……」
春の強い風が吹き、桜のシャワーが私たちに降りかかる。
「なんというか、なかなか幻想的な光景だな。タイムスリップしたみたいだ」
「やっぱりそう思いますか?」
今回は歴史ものの映画の撮影なので、出演者は皆時代劇衣装を着ている。カメラが回れば、一瞬にして戦国時代にタイムスリップしちゃうんだ。
「うん。しかし……よく似合ってるよ、その着物」
「えへへ。紗枝ちゃんに着付けを教えて貰ったんですよ。どうですか?」
くるりくるりと回ってみる。この歳になって自分で着付けが出来ないのもどうかなと思っていたところなので、
紗枝ちゃんの存在は実にありがたかった。
「紗枝ちゃんって……。あぁ、小早川さんね。一緒のレッスンスタジオにいた着物の子……で当ってるよね?」
「そうですよ。私の後輩アイドルです」
後輩の部分を強調して答えてやる。
小早川紗枝――。京都言葉を流暢に操り、マイクの代わりに扇子を持ち舞い踊る、前代未聞の純和風アイドルだ。
彼女の名前を知ったのはファーストホイッスルオーディション。私の後にパフォーマンスをしたのが彼女だった。
その時はそんな子もいたなぁって程度だったけど、ある日のレッスンスタジオにて。
『あれ? あなたは……小日向はんではおまへんどすか』
『へ? おまんがな?』
『私です。憶えてはりますか? 小早川紗枝どす』
『小早川紗枝……あっ、前のオーディションにいた!』
名前が分からなくても、姿を見れば一発で思い出せる。レッスンスタジオというのに、彼女は着物を着ていたからだ。
『光栄どす、小日向さん』
『えーと、でも小早川さんがどうしてここに……』
『それはレッスン以外にないでしょう!』
トレーナーさんが言うには、彼女がいつもレッスンをしているスタジオが、急な都合で使えなくなったらしく、
今日だけレッスンを代わりに見て欲しいと頼まれたらしい。
確かに、レッスンスタジオにアイドルが来る理由なんて、それしか無いだろうけど。
『そういうことです。よろしゅう頼んます』
『こ、こちらこそよろしくお願いします! 小早川さん』
『紗枝でええですよ』
『そうですか? じゃあ、紗枝ちゃんって呼びますね』
『そうだ! これも何かの縁。折角ですので、小日向さん。小早川さんに色々教えてあげてください』
『わ、私がですか!?』
『ええ。教えるのも良いレッスンになりますよ、先輩さん』
『あんじょう頼んます』
と交流が生まれて今に至る。
ちなみに紗枝ちゃんは佇まいから大人っぽく見えるけど、
私の方が芸歴も年齢も上だったみたいで、いろいろ教えて欲しいとちょくちょくメールが来る。
本当の意味での後輩は、彼女が初めてだ。
相馬さんも愛梨ちゃんも私より年上だったしね。
『れっすんみてもらえまへんか?』
見た目に違わないというと失礼な気もするけど、機械関連は苦手なのか、
メールはいつも全文字ひらがなというのが、なかなかに微笑ましい。
「紗枝ちゃんも一緒に仕事できれば良かったんですけどね」
「今回は縁がなかったな。小早川さんに合う役が有るかと聞かれあら、微妙なところだし」
「残念です」
流石に紗枝ちゃんのためだけに役を作ってくださいとは言えない。今のスタッフ、キャストがベストメンバーであれば、
私はそれに恥じない演技をするまでだ。
「まっ、小早川さんもこれから台頭してくるだろうし、今後に期待だね」
「ですね」
いつか一緒のステージに上がることが出来るのかな? 想像しただけで楽しみになってくる。
「休憩終わりまーす! それじゃあシーン72から……」
「よしっ、美穂行って来なさい」
「はい。プロデューサー」
撮影再開。台本もちゃんと読み直したし、みんなの足を引っ張ら無いよう頑張らなくちゃ!
――
「カーット! カットカーット!!」
「ホント、可愛いな」
赤い着物を着こなし手毬をつく彼女を見て、心の中で思ったことがそのまま出てしまう。
「IAのノミネート発表が良い感じに作用してくれたかな」
IUで戦える力をつけるべく、美穂と毎日を全力で駆け抜けてきたが、ここ最近の彼女の仕事に対する情熱は並々ならぬものじゃない。
やっぱり親友たちがノミネートされたことが、美穂にとっていい刺激となったのだろう。
ダントツの支持を得てノミネートされたNG2と、20位以内に食い込むことは出来なかったものの、
IA協会による予備選考を1位通過したことで選ばれた愛梨ちゃん。
特にこの2組のノミネートは、美穂のハートに火をつけるのには十分なぐらいだった。
『愛梨ちゃんにも先を行かれちゃって悔しいですけど、IUでは絶対リベンジして見せます! プロデューサー、一緒に頑張りましょう!』
愛梨ちゃんの超スピードノミネートに少なからずショックを受けてしまうんじゃないかと危惧したが、
そう力強く宣言する美穂を見ると、杞憂に終わってしまった。
「強くなったのかな」
いや、初めて出会った時からそうだった。彼女は自信なさげで気の弱い性格だけど、
これと決めたら貫き通す芯の強い子だったじゃないか。
高校も卒業して、美穂はより一層大人へと近づいていく。いつの日か、一緒にお酒を飲んだりするのだろうか。
「発想がお父さんだな……」
ここ4か月ほどで一気に老けたような気がする。気のせいかな?
ああ、お父さんといえば。
「母さん! 美穂が! 美穂が!」
「美穂ちゃーん! 可愛いぞー!!」
「お父さん、あまりはしゃぎすぎると怒られちゃうわよ? ねえ、プロデューサーくん?」
「ほ、程々にお願いしますね? 君らも、あんまり叫ばないの!」
撮影場所が美穂のホームグラウンド熊本ということで、小日向パパとママ、小日向美穂応援団の皆様が応援に駆け付けてくれました。
彼らとはクリスマス以降だけど久しぶりに会ったけど、相も変わらず美穂バカっぷりを発揮していて安心してしまう。
今日は生で美穂の仕事振りを、しかも戦国姫小日向美穂を見れるということで、みんなテンションが高く、
さっきも騒がしくし過ぎてスタッフさんに注意を食らったところだ。
どうにも美穂の周りには、本人以上に喜び騒ぐ人が集まるみたいだな。俺も含めて。
「でも七五三も恥ずかしがってた美穂が、お姫様の服着て映画に出るなんてね」
「美穂ちゃんは最高です! よ」
「ああ、涙腺が弱くなってきたよ……」
「もう、お父さんったら」
恥ずかしからと七五三を嫌がるロリ美穂か……。容易にシチュエーションが想像出来て頬が緩んでしまう。
「やっぱり、君に美穂を預けて正解だったよ。ありがとう、プロデューサーくん」
「そうね。最初は少し不安だったけど、美穂とも上手くやってるみたいだし。合格点を上げて良いかしらね?」
「合格点?」
御袋さんはニタニタといやらしい笑みを浮かべる。あー、この笑顔は良くないことが起きる前兆――。
「それはもちろん、美穂の旦那さんに決まってるじゃない」
「許さんぞおおおおお!! 一〇〇年早いわあああ!」
「のわっ!」
案の定親父さんが噴火する。そういや最近阿蘇山噴火してないなぁ。
「美穂を嫁にしたければ、私を倒してからにしろおおお!!!」
「お、落ち着いてください!!」
「ラウンド1……ファイッ!」
「君らも煽らないで!! お願いだから!」
「一撃で仕留めてやるぞおおおお!」
「カーット! その人たち! 騒ぐんならどっかに行ってくれ!! 撮影の邪魔!」
「あっ、すんません」
そりゃ監督も怒るだろう。ちらりと美穂を見ると申し訳なさそうに俯いていた。美穂は悪くない、悪いのは俺たちだ。
「はいはい、お父さん。殺り合うなら邪魔にならない所でしてくださいね」
「良し分かった!」
「解説は私がしますよー!」
「いやいや止めてくれませんか!? ぎゃおおおおん!」
「カーット! いい加減にしてくれー!」
その後俺と親父さんは監督にこってりとしぼられましたとさ。
「もう……。プロデューサー、お父さんが迷惑かけてごめんなさい」
「いや、俺も同罪みたいなものだよ。クランクアップお疲れさん」
撮影がひと段落ついて、美穂の登場パートの撮影は終了する。
初の大役ということで、最初の内は緊張のあまりガチガチだったけど、次第に場の空気にも慣れていき、
小日向美穂にしか出来ない、お姫様を演じることが出来たんじゃないかと俺は思う。
監督も、この役は美穂が演じたことで命が生まれた! と太鼓判を押してくれた。もしかしたら、次回作にも呼ばれるかもな。
「それ歩きづらくない?」
「歩きづらいですけど……、でももう着ることがないのかなぁって思うと寂しく思えちゃって。ちゃんとスタッフさんの許可は得てますよ?」
桜散る道をぎこちなく姫装束で歩く彼女は、とても現実離れした可愛さを持っていて。
着ている服が物珍しいのもあってか、観光客の視線を集めてしまう。
「ママー、お姫様がいるよー!」
「あら、本当ね」
ふふん、ボウヤ。この子をアイドルの世界に連れて行ったのは俺なんだぜ。と心の中で自慢する。
「私がお姫様だったなら、プロデューサーはお殿様かもしれませんね」
殿様かぁ。殿様って言ったら、真っ先にバカ殿が出て来てあまりいい印象が無いんだよな。
でもこんな可愛いお姫様と一緒に入れるなら、殿様というのも悪くない。
「その服、汚さないように気を付けなよ? えっと、この辺に……。おっ、いたいた」
「こっひはほー!」
「お父さん、もうお酒飲んでる……。プロデューサーは飲み過ぎないでくださいね」
父親のだらしない姿に呆れたように溜息をつく。でもその言葉、ブーメランだよ。
「ああ、うん。美穂も間違えて飲んじゃわないようにね」
「?」
あの日みたいなことが起きたら、言い訳のしようがない。間違いなく親父さんに阿蘇山に投げ込まれてしまう。
咲き誇る桜の下、小日向家と小日向美穂応援団は花見をしていた。撮影を見て帰るだけじゃ味気ないと、御袋さんが提案したみたいだ。
「さぁ! プロリューシャーくん! 君も飲たまへ!」
「は、はぁ。ではいただきます」
親父さんにお酌してもらいちびちびと飲む。今日は車じゃないので、お酒は解禁だ。
しかし何でこう桜の下で飲むお酒は美味しいんだろうね。
「こうやってお花見するのって久しぶりです」
「俺もだな。地元民なのに熊本城で花見したことなかったし」
「それは、熊本県民失格ですね」
「そ、そこまで言われるとは思ってなかったな……」
「ふふっ、冗談です。プロデューサーの熊本城での初花見を一緒に過ごすことが出来て、私は嬉しいですよ」
お酌を注ぎながらそんなこと言う彼女に不覚にもドキリとしてしまう。
「なぁ、美穂」
「どうかしましたか?」
「今からさ、2人で」
「よーし! お父さん歌っちゃうぞぉ!」
「フー!! お父さーん!!」
「曲はぁ、マイプリティドーターの持ち曲のぉ、Naked Romance!」
「待ってましたぁ!!」
「お父さん!?」
言葉の続きはかき消されて、黄色い声援が残る。
小日向美穂応援団はわいわいと騒ぎ、親父さんはどこから取り出したのかマイク(ラムネ)片手に、娘の曲を歌い始める。
カラオケ音源はというと、スマホから流れているみたいだ。
「チュチュチュチュワ! 恋しちゃってるぜぇ!」
「いよっ! お父さん日本一ー!」
「お、お父さん……」
美穂からすれば堪ったもんじゃないだろうが、この光景は笑われても仕方ない。
顔を真っ赤にしたおっさんが、あの恥ずかし可愛い歌を熱唱するというシチュエーションの破壊力は抜群だ。
どこからかともなく写メられた音もしたし。着物を着ている美穂よりも目立ってしまっている。
撮るべきはむしろ美穂じゃないのかね。まぁ隠し撮りしてるようなら、プロデューサーとしてガツンと言うけどさ。
「チュチュチュチュワ! テンキュー!」
歌い終わると周りから笑いと喝采が生まれる。親父さんは至って満足げだ。娘の方はというと、
「あ、穴が有ったら入りたいです……」
スコップを渡したら、そのまま掘り進んじゃいそうなぐらい顔を真っ赤にしている。
「あー、なんと言うか……。ドンマイ?」
「プロデューサぁ……。逆勘当ってありますか? もしなければ願いを1つ使ってお父さんを一撃でシトメテ……」
訂正、スコップを渡したら切りかかってしまいそうだ。だんだんと彼女の瞳からハイライトが消えていく。ヤバいって!
「早まるな! そ、そうだ! この辺散歩しないか? あの人らは勝手に盛り上がるから、俺らだけでさ」
親父さんたちに邪魔されて言えなかったけど、ようやく言えた。
「2人でですか?」
「そう! ほら、撮影も終わってるだろうし、城に行ってみない? 撮影じゃなくて、普通に。観光客としてさ」
「え、えっと。分かりました。2人でか、えへへ……」
なんとか思いとどまってくれたみたいだ。美穂にそんな病んだ表情は似合わない。
誰かを幸せにする笑顔こそが、彼女の最高の武器だ。
「おじ様素敵ー!」
「アンコール行くぞー! だいたいどんな雑誌をめくったってダーメー」
「溜め息出ちゃうわー! フォー!!」
そんな俺の苦労はどこ吹く風、諸悪の根源の親父さんと、煽り続ける応援団はさらに盛り上がる。
あの子ら、酒飲んでないよな? 素面だよな?
「私もうここにはいたくないです。恥ずかしい……」
「……ですな」
「あら、2人でどこかに行くの? 良いわねぇ、青春よねぇ。私もこういう服着てデートしてみたかったわねぇ」
「あはは……」
「こっちは気にしなくていいわよ。お父さんマイクを持つとなかなか離さないから」
こっそり抜け出そうとするも、御袋さんに捕まってしまう。どうやら邪魔する気は更々ないようだ。
「あっ、ちゃんと節度を守ったお付き合いをしてね! プロデューサーくんもオオカミさんにならないようにね!」
「じゃあ美穂、行こうか」
「あっ、はい」
御袋さんの戯言は無視するのが一番だ。きっと振り向けばあの悪戯っぽい笑顔をしているんだろうな。
「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよぉ!」
異様な盛り上がりを見せる小日向パパリサイタルをBGMに、俺たちは歩き出した。
目指すは熊本城。お姫様の帰還だ。
――
「はぁ、お父さん……」
どうにも私の周囲には私以上に騒がしい人が集まるみたいで、やはりというべきか、
騒ぎ過ぎて何回も撮影が中断してしまったぐらいだ。
『カーット!』
あの時の監督の顔は思い出したくない。鬼と形容するのも生易しい位の形相だった。
その怒りを向けている相手が、スタッフや私たち出演者じゃなくて、私のお父さんとプロデューサーだったというのも、なんとも情けなくなる。
撮影は無事終わり、監督さんも、
『娘の晴れ舞台だから舞い上がったのかね?』
と笑ってくれたけど、それでも申し訳なさでいっぱいだった。
「もういっちょ行くぞー!」
お酒に酔って熱唱する父親と盛り上がる友達を背に、プロデューサーと一緒に歩き出す。目指すは熊本城だ。
あの場所に居続けたら、羞恥心のあまり我を失ってしまいそうだった。
「やっぱり歩きにくいですね」
着物が似合うのと着慣れるのはまた別の話だ。私はこれまでてんで着物に縁が無かった。
有ったとしても七五三ぐらいで、だいぶ前の話。
撮影中は動くシーンも少なく、なんとか出来たけど、はた目から見れば、ぎこちなく歩く私は滑稽に映ることだろう。
「着替えた方がよかったんじゃないの?」
「い、いえ! 今日はこの着物でいるって決めたんです」
1日中着続けたら願いが叶うなんてことは無いけど、なんとなく返却するのが勿体無く感じた。
どうか今日1日だけは、戦国姫でいらせてください。
「まぁそう言うなら無理強いはしないよ。そうだなぁ……。背中、貸そうか?」
「へ?」
「ほらっ。おんぶする形になれば美穂も歩かなくて済むでしょ? こけて足をくじく前にさ」
そう言って彼は、乗ってくれと言わんばかりに手を後ろに回してしゃがむ。
「え、えーと……」
「ほら。お乗りくださいまし、お姫様」
「わ、分かりました。それじゃあ、失礼します」
こうやって負ぶってもらったのって、小学校の時以来だ。
足をくじいて泣いた私を、お父さんは背負って歩いてくれた。
調子外れな鼻唄を一緒に歌いながら、家へと帰る。あの時のお父さんの大きな背中は忘れることが出来ない。
ふとお父さんの背中と、目の前の彼の背中が重なって見えた。
もちろん2人は別人だ。共通しているのは、私に対して厳しいようで甘いところ。私の喜びを、私以上に喜んでくれる人。
だからこそ、私は彼に惹かれていったのかな。
「よっと」
「重く、ないですか?」
ホイホイ言われるままに乗ってみたけど、大丈夫だよね? 最近少し太った気もするけど……。
「いや、全然。気にするこたぁないよ。軽い軽い」
「そ、それなら! 良かったです!」
彼も強がっているようには見えないので、一安心。
「それでは美穂姫、お城へと参りましょう」
紳士的な口調でそんなことを言うもんだから、急に恥ずかしさがこみあげてくる。
顔は見えないけど、彼は笑いながら言っているんだろう。
「み、美穂姫は恥ずかしいです!」
「あはは、ごめんごめん」
私が来ている衣装のせいもあるけど、プロデューサーが馬のように思えてきた。
ニンジンを吊るせば走ってくれるのかな?
「プロデューサーの背中、大きいですね」
「そう? 中肉中背とは言われるけど、背中が大きいなんて初めて言われたや。というより、こう誰かをおんぶしたこと自体そう無いから、言われようもないんだけど」
「お父さんみたいです」
「お父さん、か。喜んでいいのかな?」
「はい。喜んじゃってください」
きっとそれは、私から彼へと送る最大級の褒め言葉だ。
「~♪」
「鼻唄歌って。上機嫌だね」
男の人の背中に負ぶさっているだなんて、恥ずかしくて気がどうにかしちゃいそうなシチュエーションなのに、
服越しに伝わる彼の温度が私の心を落ち着かせる。
彼の体温の効能はランダムだ。ある時は私をドキドキさせて、またある時は安らかにしたり。
本当に不思議な生き物だ。学会に提出すれば、きっと人類の役に立つことだろう。
「ふふっ」
「どうかした?」
ノーベル賞を受賞する彼の姿を想像するだけでおかしくて、笑ってしまう。
「お城に着けば」
「ん?」
「お殿様の服って借りれますか?」
「さぁ。どうだろうね。そもそも有るのかな? スタジオじゃないし」
「もし借りれたら、プロデューサー、着てみてください」
「オレェ?」
「あだっ! 筋違えるかと思ったよ」
素っ頓狂な声をあげてこちらに振り向くけど、首が曲がりきらず痛そうな顔をする。
「はい。私が着ても、仕方ないと思います」
「それは違いないけどさ」
「それに、お姫様がいれば、お殿様がいてったいいじゃないですか」
「俺なんかで良いの?」
「プロデューサーだから良いんですよ」
「まっ、借りれたら着てみるか。似合わないからって、笑わないでよね」
「笑いませんよ」
熊本城は撮影スタジオじゃないから貸してくれると思えないけど、
彼がお殿様の服に着替えたら、お城の高い所から夕暮れの桜並木を2人っきりで見下ろしてみよう。
「さてと、着いたよ」
きっと、何物にも代えることの出来ない光景が待っているはずだ。だって隣に、彼がいるから。
「夕暮れやっとあの子といい感じ、ってか」
「それ、どこかで聞いたことあります」
川島さんが歌ってたっけ。不思議と今の状況にマッチして、恥ずかしさがこみ上げてきた。
「昔の戦隊ヒーローの歌だよ。しかし、壮観だなぁ」
「はい。こんな光景を今まで見てこなかったなんて、勿体無かったです」
「同感だよ」
2人揃って地元民失格だなと小さく笑う。
結局お殿様の服を借りることは出来なかったけど、隣に彼がいることに変わりはない。それだけで十分だ。
沈みゆく夕日が照らす桜並木は、ほんのりと紅に染まり神秘的で。
ここから飛び込んだら、そのまま異次元へと飛び込んで行けるんじゃないかと思えたぐらい。
「えいっ」
こんな光景はもう二度と見ることが出来ない。そう思うと自然に携帯を取り出して、何枚か写メっていた。
「少し遠いですね」
「写真に残すより記憶に残したいよね、こういう光景はさ」
距離があるので、大きくは撮れなかったけど、私はこれでも満足だった。
網膜に深く焼きついた光景は、忘れろという方が無理な話だ。
そうだ。後でブログにアップしてみよう。記念すべき初投稿にふさわしい写真だ。
「そうだ」
「ん? どうかした?」
いつまでも見ていても飽きの来ない光景だけど、ここに来て桜を見るだけと言うのも何か勿体なく感じた。
だからこんな突拍子のない提案もしちゃうのも、仕方ないことだろう。
「ここで踊ってみて良いですか?」
「踊る? その恰好で?」
「いえ。折角の衣装なんですし、踊ってみようかなって思って」
激しい踊りは無理でも、紗枝ちゃんのように緩やかな舞は問題ないよね。
何回かレッスンを一緒にしたので、それっぽい動きは出来るはず。
「じゃあ見てて上げるよ」
「はい。それじゃあ……」
BGMは遠くから聞こえる花見客の喧騒。きっとお父さんはまだはしゃいでいるんだろうな。
記念だからと貰えた撮影小道具のセンスを開き、紗枝ちゃんっぽく踊ってみる。
アイドルたるもの、何事にもチャレンジだ。余裕が出来てきたら、日舞を学んでみるのも面白いかも。
「あっ、プロデューサー。お酒、どこから持ってきたんですか?」
「ん? 本当はダメなんだろうけどさ、気分だけでも殿様になろうかなって」
「もう、殿。飲み過ぎはダメですよ?」
「ふふっ、苦しゅうないぞ」
なんて言ってみるけど、目の前の彼にちょんまげが生えたみたいで、お城で2人っきりという異常な状況も手伝って、
私もムードに酔ってしまう。身も心もお姫様になって、彼を喜ばすように舞い続ける。
今だけはお殿様だけのお姫様、あなただけのアイドル。
「どうでした?」
緩やかな舞も、見ていた以上にしんどいもので、息も切れ切れに彼に尋ねてみる。
「うん。舞も結構良かったね。今後のプロデュースの参考になったよ」
うんうんと頷く彼も満足そうで、小さくガッツポーズをする。
「さあて、あんまり長くいるわけにもいかないし、そろそろ親父さんが禁断症状おこしそうだ」
どうだろう? お父さんのことだから、歌い疲れて寝ているんじゃないかな?
「帰りますか。ほいっ」
行きと同じように、おんぶをする準備は万全だ。
「それじゃあお言葉に甘えて……」
正直に言うと、負ぶってもらう必要は全くない。
歩きにくいのは確かだけど、そこまで距離があるわけでもないし、彼も軽いと言っても、
女の子1人背負って歩くんだ。しんどいことに変わりないだろう。
だけどこう、彼とくっつくと心が満たされるようになってしまったので、
私からすれば願ったり叶ったりだったりする。
日に日に意地悪な女の子になっていくのは、貴方のせいですよ?
「あら、美穂。足怪我したの?」
「何々? 美穂ちゃんプロデューサーに乗っちゃってるの?」
「え、えっと。着物だと歩きにくいだけ、だよ」
「ぐごー、ぐごー。美穂はわたしゃない……ぐごー」
花見のシートに戻ると女性陣が迎えてくれた。周りを巻き込んで騒ぎ倒したお父さんはというと、
気持ちよさそうにいびきをかいて眠っている。
起きていても騒音、寝ていても騒音。普通にしている分には真面目な人なんだけどな。お酒って怖い。
「嘘だぁ。本当は美穂ちゃん。プロデューサーさんの背中に胸を押し付けてたんじゃないの?」
どうなんどうなん? と小突きながら、友達が囃し立てる。
「え、ええ!? そ、そそそんなことないよ! で、ですよね!?」
「そ、そうだね! な、何もなかったね!」
目は泳ぎ、声は上ずるプロデューサー。本当にこの人ときたら、正直な人だ。
って私無意識のうちに押し付けてたってことだよね!?
「プ、プロデューサー!?」
「お、俺は知らないよ! 何も!」
声から顔まで、彼のあからさますぎる対応は、周囲を煽るのに十分な材料だった。
「ははぁん。これはクロですなぁ」
「美穂も女の武器を自覚し始めたころかしら?」
「うぅ……、そんなつもりなかったのにぃ」
「あはっ! あははははっ! 笑っとけ笑っとけ!」
「プロデューサーも笑ってないで助けてくださいよー! 気をしっかりしてください!」
お母さんたちに囲まれて逃げ場を失った私たちは、やいのやいのと良いように弄られる。
「ぐごー、ぐごー」
救いがあるとすれば、迷惑なぐらい騒ぎ立ててもお父さんが起きなかったことかな。
もしお父さんに胸を押し当てていたなんてことが耳に入ったら、プロデューサーは桜の下に埋められちゃう。
「ふぅ、今日も疲れたなぁ」
花見から帰って、久しぶりに実家に帰る。
殆どの荷物は東京にあるけど、やっぱり17年間過ごした部屋は落ち着く。
懐かしい匂いが有ると言えばいいのかな? いつ帰ってきても、私を優しく迎え入れてくれるのだ。
「直ぐに東京に戻らないといけないか……」
ファーストホイッスルに出たことで、私のスケジュール帳はギッシリと埋められるようになった。
仕事が増えてウハウハなんだけど、こう実家に帰る時間が取れなくなったのは寂しい。
今回だってそう。映画の撮影という仕事で熊本に来ただけ。
ホテルよりも実家の方がいいだろうと言うプロデューサーの配慮があって、私は実家に帰ることが出来た。
この仕事がなければ、東京で他の仕事をしていたはずだ。
毎日忙しいけど、アイドル活動も軌道に乗って来て、とても充実している。
だけど悲しいことに、人間は満足できない生き物。売れ始めたら売れ始めたで、いつもどおりの日々が恋しくなってきた。
それは単なるわがままだ――。自分にそう言い聞かせてベッドに横になる。
「あっ、ブログだ」
今日撮った写真を眺めていると、ブログに投稿しようと考えていたことを思い出す。
小日向美穂Official blog。投稿件数は0。出来立てだから仕方ないよね。
タイトルの名前は、事務所のみんなで考えて決まったものだ。こういうのって、名前決める時が一番楽しかったりするよね。
『クマさんダイアリー』、『美穂さんは明日も頑張るよ』、『こひなたですが?』……と色々な案が出たけど、
悩みに悩んで私が選んだのは、
『小日向美穂、一期一会』
映画のタイトルから名前を借りたけど、自分でもいいタイトルだと思う。
この業界に入ってから、私は多くの出会いと別れを経験した。
それは私たちが生きていくうえで、これからも避けては通れないことだ。
確かに別れは辛いことだ。だけどその度、新しい出会いに期待する。
これからも素敵な出会いがたくさんありますように、本気の私を見て貰えますように――。
そんな願いを込めてブログのタイトルに決めた。
「うーん、でもどう書けばいいかな? 日記なんてつけたことないし……」
プロデューサー曰く、業界内ではゴーストライターを使って、ブログをやっていることの方が多いみたいだけど、
私は自分の言葉でファンと交流を持ちたいから、助けを借りずに自分で書くことにした。
プロデューサーも私ならそう言うと思っていたみたいだったけど、いざ書こうとなるとなかなか言葉を紡げない。
「他の皆はどういうこと書いているんだろ?」
そう言えば未央ちゃんはブログやっているって言ってたよね。本田未央と検索っと。
本田未央 不憫
本田未央 ブログ
本田未央 ミツボシ
本田未央 NG2
本田未央 本田味噌
検索結果には思わず首を傾けたくなるようなワードもあったけど、ブログはキチンと見つかった。
『ガチャをひいたら私です!』
「どういう意味なんだろう、このタイトル……」
プロフィールには語感で決めたと書いてるけど、妙にリズム感が有って面白いタイトルだ。
「えっと、顔文字かぁ……」
タイトルの意味は分からなかったけど、ブログの書き方は非常に参考になる。私も真似してみよう。
仕事のこと、友達とのこと。テレビでは見られない素の未央ちゃんが、ありありと書かれていた。
コメント数もビックリするぐらい多く、彼女の人気っぷりを物語っている。
「あっ、オーディションの後の写真だ」
参考として読むつもりだったけど、読んでいくうちに夢中になっていき、最初の投稿まで読破してしまった。
『今日から頑張ります!』
そう名付けられた初投稿には、卯月ちゃんと凛ちゃんと見覚えのある女性が写っている。
というよりも、この写真は見覚えがある。卯月ちゃんに見せて貰ったものと同じだ。
だから4人目の彼女はNG2のプロデューサーさんだよね。結局今の今まで会ったことは無いけど、
3人の話を聞くに、厳しいけど優しい人と言うのは共通認識みたいだ。
「このころはまだコメントが無いんだね」
デビューして数ヶ月の間は、コメントも片手で数えるぐらいしかなかったけど、徐々に増えていって、
IAノミネートした今となれば、コメント数も4ケタをゆうに超えている。
「凄いな……」
何気ない彼女の日常に、これだけ多くの人がコメントしている。実際見ているだけの人もいるから、
読者はもっともっといるだろう。ただただ感嘆の溜息だけがもれるばかりだ。
「いけない! 夢中になっちゃった!」
時計を見るとまだ日は変わってないものの、どうやら長い間読み更けいたようだ。
「えーと……。変に難しい言葉使わなくていいよね?」
頭の中で思いつくままに書いていく。
「こんな感じで良いかな? プロデューサーに確認してもらおうっと」
書き上げた内容をコピペして、彼にメールする。一応誤字脱字は無いよう確認したつもりだ。
「~♪」
音楽プレイヤーで李衣菜ちゃんおススメの洋楽ロックソング集(実は同じ事務所の別の子が作ったらしい)を聞きながら待っていると、
曲が終わったと同時に彼から返事が帰って来た。何と言うナイスタイミング。
『読んだよ。問題はないと思うよ? 美穂らしさが出てて。強いて言うなら、初投稿だからこれから応援してくれる人に向けて自己紹介的なのをした方がいいかもね』
「あっ、本当だ。忘れてた」
いきなり投稿して桜が綺麗でしたって言うのも変だよね。自己紹介文も考えなくちゃ。
事務所のHPに載っているプロフィールを引用して……、こんな感じで良いかな?
自己紹介
シンデレラプロダcクション所属アイドルの小日向美穂 (コヒナタ ミホ)と申します!
主にお仕事情報や、日常のワンシーンの写真を載せて、コメントとかを書いていこうかなと思ってます!
タイトルの一期一会は、私の好きな言葉です。これからもたくさんの出会いがあること、
そして読んでくださった皆様にも素敵な出会いがあって欲しいと願って付けました。
よろしくお願いします!
プロフィール
ニックネーム 美穂
性別 女性
誕生日 20??年12月16日
血液型 O型
職業 アイドル
出身地 熊本県
将来の夢 目指せ、トップアイドル!
20XX年 3/20
『初めてでドキドキしますね!』
始めまして、小日向美穂ですっ(*´(ェ)`)ノ
アイドルやってます!
こうやってブログを書くのも、少し恥ずかしいんですけど、ファンの皆様と近い距離で交流出来たらなと考えています
お仕事情報とか、写メが中心になるかなと思いますが、頑張ってやっていきたいです
この写真は今日私の地元熊本で撮った写真です! 熊本城から見る桜って、凄く綺麗ですね。ロマンチックでお勧めです
後この姿は、今年の夏に全国で放映される映画『戦国SAGA』での私の役どころ戦国姫です!
初の映画出演と言うことでドキドキ(/(エ)\)していますけど、凄く面白い映画になっていますので、公開を楽しみに待っててくださいね!
ブログのこともアイドルのことも、まだまだ始まったばかりですが、よろしくお願いします!(。・(エ)・。)/
完成したものをもう一回彼に送る。今度はOKの指示が出たので、そのまま投稿する――
「こ、このボタンを押せば……」
はずだったけど、やれ見られるのが恥ずかしい、やれコメントで文句言われたらどうしようと葛藤して、
書き込むまでに洋楽ロックが2曲終わってしまった。
「せーのっ」
投稿。最初だから緊張しているだけ、次からはちゃんと出来る! と自分を鼓舞する。
「コメントとかちゃんとつくかなぁ……」
未央ちゃんのブログを見た後なので、余計心配になってくる。
「み、見ない方がいいよね! うん! 明日見よう!」
反応が有れば嬉しいけど、もしコメントが無かったらと思うと怖くなり、布団に潜り込ん夢の世界へと逃げ込もうとする。
「眠れない……」
ひだまりの下じゃいくらでも寝れるのに、こういう時に限って眠れなくなるのはどうしてだろう。
「確認……しちゃおうかな?」
投下したのが2時間程前。おっかなびっくり携帯を開けて、ブログへと飛ぶ。
『初めてでドキドキしますね!』コメント(373)
「ええっ!? ウソっ!」
多くて10有れば良いかなぐらいで考えていたから、この数字には驚きを禁じ得なかった。
「え、えっと……。どういうこと? え?」
予想外のコメント数に意識が飛んでしまいそうになるけど、何とか持ち直す。最初の投稿なのに、なんでこんなに……。
「ま、まさか……。炎上している!?」
炎上するような要素は無いはずだ。それなのに、このコメントの数。一体何がどうなって……。
「確認しなきゃ……」
恐る恐るコメント欄を見る。
1 トミコさん
ブログ開設したんですね
小日向さんの姿、いつもテレビで見ています
頑張ってください。私も頑張ってます
2 F見Y衣さん
初コメです! 小日向さんのブログが始まると公式HPに書かれていたので、飛んできました
毎日が忙しいと思いますが、お体に気を付けて頑張ってくださいね!
3 キバゴさん
キバー!(頑張ってください!)
「炎上、してない?」
一通りのコメントを確認して、ホッと一息。事務所の方でフィルターがかかっているのか分からないけど、
私に対する中傷コメントは今のところ0だった。
「公式HPに書かれていたって……。もしかしてリンク貼ったのかな?」
正直なところ突発的にブログを始めたようなものだから、方々にアナウンスが出来ていなかったけど、事務所のHPを確認すると、
私のブログへのリンクが新しく出来ていた。こんな遅い時間なのに、ちひろさんがしてくれたのかな。
「ありがとうございます、ちひろさん」
このお礼はお土産でしよう。く○モングッズとか喜ぶかな?
「私も世間に認知され始めたってことだよね?」
373件。もしかしたらこれからも増えていくと思うけど、これだけのファンが私を応援してくれている。
「えへへっ、やる気出ちゃうな」
このまま小躍りしたい衝動に駆られたけど、夜も遅いのでやめておく。
「これ1件1件コメント返しってのは、難しいかな……」
出来ることならしてみたいけど、一度やると今後も続けなくちゃいけないし、プロデューサーも首を縦に振らないだろう。
直接交流できるツール故に、それに伴う危険も重々承知している。
「今考えても仕方ないかな?」
流石にこんな時間に彼にメールをするのも気が引ける。疲れているだろうし、明日相談してみよう。
「結構時間立っちゃったな。起きれるかな?」
目覚まし時計をちゃんとセットしたことを確認し、布団を被る。
明日も朝の便で帰らなくちゃいけないし、心配事も解消されたので、今度こそ眠気に従って夢の世界へ飛び込もう。
「ごめんね、眠かったでしょうに」
枕元には東京から持ってきたプロデューサーくん。結構大きな荷物で持ち運びには不便だけど、
これが有ると気持ちよく眠れる気がするので、遠くの仕事の時は持って行くようにしている。
「おやすみなさい」
「」
当然彼はしゃべらないけど、なんとなくおやすみって言ってくれている気がして。
心地良い眠りへの切符を持って、夢の世界に。良い夢見れると良いな――。
「お客様?」
「いや、今のど元まで出てるんです。えーと、えーと……」
会ったとすれば空港か飛行機だ。俺が今年空港に来たのは、美穂を迎えに来た2回と、今回だけ。
その時に彼女に出会っているはず。いや……、見ているはずだ。
「思い出した! 美穂とぶつかったCAさんだ」
美穂が初めて東京に来た日、よそ見をしていた彼女はCAさんにぶつかってこけたんだっけか。その時の人だ!
なんだか小骨が歯に引っかかったみたいで気持ち悪かったけど、思い出せてスッキリとする。
「美穂と……。お客様、彼女のお兄さんでしょうか?」
彼女は俺を訝しげに見る。確かに、知らない人から見れば俺と美穂は兄妹のように見えるのか。
こんなに可愛らしい妹がいたら、それはもう人生勝ち組な気もするが。
「えっと、なんと言えばいいか。プロデューサーなんです、こう見えて」
「はぁ、ご丁寧にどうも……」
とりあえず名刺を渡す。CAさんは対処に困っているようだ。
358: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:32:44.53 ID:A7qt6XWr0
「ってプロデューサー? まさか美穂ちゃん、アイドルなんですか?」
「と言っても、駆け出しの中の駆け出しですけどね」
「道理で可愛いわけだ。成程、先輩になるって事ね」
俺の説明に、うんうん頷いて納得するCAさん。着ている服が服なだけに、どんな行動も様になるな。
CA風衣装を着た美穂。うん、悪くないかもしれない。
「ん?」
先輩になるってどういうことだ?
「実は私、今日でCA辞めるんです」
「そうなんですか。でもそういう事、話しちゃっていいんですか?」
「まぁ美穂ちゃんに聞いて欲しかったんだけど、気持ちよさそうに寝てるから起こせないし。プロデューサーさん。よかったら伝えておいてくれます?」
ひょっとして彼女が辞める理由って……。
「相馬夏美はアイドルになるって」
359: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:35:06.55 ID:A7qt6XWr0
「あ、アイドルですか!?」
「起きちゃいますよ、美穂ちゃん」
相馬さんと言う彼女は、口元に人差し指を立てて静かにするよう注意する。
結構な大声が出たはずだけど、美穂には聞こえていなかったみたいだ。
ギューとクマさんを抱きしめて、夢の中。そんなに気持ちいいのだろうか。今度貸してもらおう。
「あっ、すみません。でもCAからアイドルですか。そりゃ驚きますよ。大転身じゃないですか」
そもそもCAになることだって相当難しいはずだ。それでも、彼女はアイドルになると言う。
その覚悟は相当なものだろう。
「確かに、デビューとしては邪道よね。アイドルって呼べる歳でもないし」
「いくつなんですか?」
「それ、失礼よ? レディーの扱い方分かってる?」
「す、すみません」
さっきまでの丁寧な彼女はどこへやら、遠慮なしに攻めたててくる。
というか、普通に会話してるけど、職務は全うしなくていいのだろうか。
360: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:37:44.05 ID:WHuA5tMt0
「でもまっ、今年25歳になった身だから、周囲は何やってんだって思うのかしらね」
「女性はいつだってシンデレラになれるんですよ」
極論30歳を過ぎようが、チャンスは転がっているんだ。
年齢が大事なんじゃない、大切なのは輝きたいと思うハートだと俺は思う。
だから、服部さんだって、まだまだ若造なんだ。
「あら、口説いちゃう? 残念だけど、私はもう予約済みだからね」
「それは残念です。きっと見る目のあるプロデューサーなんでしょうね」
「どうかしらね? 飛行機酔いしてて薬を持ってきたらスカウトされたわ。私以外の子もスカウトされたんじゃないかしら?」
それは女神に見えちゃうな。
「そういう運命なんですよ。ふとした切っ掛けが、思ってもなかった展開へ誘ってくれるんです」
縁は異なもの味なもの。人と人の巡り合いは予測出来やしない。シナリオ一切なしのアドリブだ。
だからこそ、人生は面白い。20代前半で何悟ったこと言ってるんだろうな、俺は。
361: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:43:22.06 ID:EtZw8drE0
「本当にそれよね。私もこのチャンスに、賭けてみたいと思うわ。もしどこかで会った時、その時はよろしくね。あっ、そうだ。これ、美穂ちゃんにあげといて」
「アドレスですか?」
「いつ会えるか分からないしね。同業者の連絡先知ってて損はないでしょ?」
「そうですけど。分かりました、渡しておきます」
「それじゃあ、またどこかで。Have a good flight!」
破られたメモとウインクを残して、相馬さんは去っていく。CAと言うこともあって、英語の発音は見事だ。
また強力なライバルが、誕生したのかな。
「んにゅう……。相馬さんもう食べれません……。テイクアウトです」
「まだまだ起きそうにないな」
美穂は夢の中でいち早く、相馬さんと共演しているようだ。
それがいつの日か正夢になった時、彼女はどんな顔をするのだろうか。きっと驚くだろうな。
362: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:48:07.03 ID:pu8Xk2HK0
「しかし暇だな。なんか聞くか」
相馬さんやCAさんたちを付き合わすのも悪いし、美穂はとてもじゃないが起こせやしない。
機内に取り付けられたヘッドホンをかけて、適当にチャンネルを合わせる。
「そっか。今日は12月17日か」
流れてきた曲のタイトルはズバリ12月17日。今日のためにあるような曲だ。
余り有名な曲と言えないかもしれないが、俺はこの曲が好きだ。
昔嵌ったゲームの主題歌と言うこともあるけど、こんな渋い大人になれたらなぁと憧れたものだ。
しゃべればしゃべるほど ドツボにはまる
これで良いのかい 本当にこれで良いのかい
あっちょっと待てよ 冷静になろうぜ
風邪をひくぞ 車に戻ろう
出来るなら、夜に聞いた方がムードはあったかな。朝一のフライトじゃ、無理して背伸びしているみたいだ。
「いつか俺たちもそうなるのかな」
俺たちは恋人じゃない、プロデューサーとアイドルだ。だからこそ、強い信頼関係で結ばれなくちゃいけない。
今は考えたくない。だけどいつかアイドルを辞めて、別々の道を行くことになるのかな。
学業を優先したい、もっと他にやりたいことが見つかった。いくらでも有り得る。
363: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:49:59.04 ID:MrbQa1SK0
「そん時は、素直に応援してやんないとな」
夢の形は1つじゃない。
プロデューサーとしてじゃなくて、1人のファンとして彼女の活躍を見続けていたいんだ。
「そろそろ着くかな。起こしてあげなくちゃ」
戻れない場所まで後数分。これからまた、俺たちは戦わなくちゃいけない。
その先に何が待っているか分からない。だけど、意地でも駆け抜けなくちゃ。
「美穂、もうすぐ着くよ」
まだ下の名前で呼ぶのは慣れない。小日向さんと呼んでいた期間の方が長いんだ。仕方あるまい。
でも昨日、島村卯月やちひろさんに見せた小さな嫉妬が、可愛く見えたのは彼女に黙っておく。
「小日向さーん、着陸しますよー」
クマをお供にした眠り姫は、声を掛けてもなかなか起きず、結局機内から降りたのは俺たちが最後だった。
364: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:52:54.82 ID:7t7uHi6D0
「ふぁあ……。よく寝ました」
「お疲れのとこ悪いけど、今から学校だろ?」
「そうですね……。凄く眠いです。なかなか寝かせてくれなくて」
夢見心地の彼女は立ったままでも寝ちゃいそうだ。
どうやら昨日の夜は友達が泊まりに来たらしく、朝まで大盛り上がりだったらしい。
今頃彼女たちも、眠い眠いと嘆きながら後片付けをしているに違いない。
「出席日数は問題ないけど、あんまりこっちを優先させるのもダメだしね。学校の時は学校の時で、ちゃんと過ごすように」
「ふぁい……すぅ」
「立ったまま寝ないの。そうだ。眠気覚ましに面白い話してあげようか?」
「にゃんでしゅか……」
風船みたいに飛んで行っちゃいそうな彼女の意識を、引きずり起こしてやろう。
「相馬夏美さんがアイドルになりました」
365: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 01:55:02.79 ID:7t7uHi6D0
「そうでしゅか……ってええええええ!? そ、相馬さんが!? CAの相馬さんですよね!?」
「おっと!」
おっ、良い反応だ。目も冴えただろう。
「うん。相馬さんが」
「本当ですか……。凄いですね、相馬さん。アイドルになっちゃうなんて」
君もアイドルだろ、と突っ込むのは野暮かな。
「ってあれ? プロデューサー。相馬さんのこと知ってるんですか?」
「あー、君が寝ている間にね。今日限りでCAを辞めてアイドルになるんだとさ」
「そ、それなら起こしてくださいよ……。私だって、相馬さんとお話ししたかったのにぃ」
プロデューサーは意地悪ですと言って、ぷくーと頬を膨らませる。
思いっきり突いてやりたい衝動に駆られたけど、抑えておく。
366: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:00:09.47 ID:091k+hjP0
「そんなこともあろうかと、相馬さんからのプレゼントだ。アドレスと電話番号。同業者だから知ってて損はないでしょ」
「ありがとうございます! 夜にでもかけてみますね」
今かけても忙しくて対応が出来ないだろう。もしかしたら、もう別の飛行機に乗っているかもしれないし。
しかしCA系アイドルなんて、斬新だな。その内、婦警アイドルとか極道系アイドルとか出てくるんじゃなかろうか?
「そんな物好きな人もいるのかね……」
想像するだけで面白すぎる。まっ、有り得ないわな……。
「プロデューサー?」
「ああ、こっちの話ね。バス乗って、荷物置いたら学校に行きますか」
誕生日プレゼントやら、お土産やら着替えやらで美穂の荷物はいっぱいだ。彼女の荷物を持って、バスまで運んでやる。
「ありがとうございます」
「こういうのは、男の仕事だしね。そうそう。家に帰って眠いからってベッドにダイブしちゃだめだよ?」
「し、しませんよー!」
1回家に帰って学校に行っても、2時間目の終わりぐらいには着くだろう。
アイドルと言っても、彼女の本分はあくまで学生、学業が重要だ。文武両道しっかり頑張って欲しい。
367: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:03:02.61 ID:ComK+f5f0
「プロデューサーはどうするんですか?」
「俺は事務所に行くよ。色々仕事詰まってるし。今日は昨日のライブを見て、反省会でもすっか」
ちひろさんに対応は頼んでいたけど、ちらほらと仕事が入ってきているらしい。
それに、ファーストホイッスルオーディションもある。やるべきことは、たくさんだ。
「それじゃあプロデューサー。また後で」
「ああ、勉強頑張ってきなよ?」
手を振る彼女を見送る。別にそこまで遠い旅でもないんだけどなぁ。
「クマの人気に嫉妬しそうだ」
にしてもあのクマのぬいぐるみを、いたく気に入ってるみたいだ。抱きかかえて、片時とも離そうとしていない。
「俺も行くか」
昼から出勤と言うことになっていたから、どこかのネカフェで時間をつぶすか。あのマンガ、続きが気になっていたし。
368: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:05:25.80 ID:IaTw3m3O0
――
「うーん。このまま寝ちゃいそうだなぁ」
荷物を部屋に置いて、ベッドに横たわる。そんなことしたら、眠くなるだけだ。
「ダメ! 行かなくちゃ。みんな待ってるし」
プロデューサーの言った通りになるのも嫌だ!
なんとか誘惑を断ち切り、私は体を起こす。
「えっと、今何時かな」
時計を見ると、2時間目が始まったぐらいの時間。今から行けば、途中から入れるかな。
「君は、お留守番しててね。プロデューサーくん」
名前が付くと、より愛着がわく。彼(彼女?)にプロデューサー君と命名したのは、私の友達だ。
最初は恥ずかしかったけど、今では慣れて愛おしいぐらいになっている。
ギュッと抱きしめると、暖かくて気持ちいい。
ずっとこうしていたいけど、愛すべきモフモフプロデューサー君とは暫しのお別れだ。
「行って来ます!」
帰ってきたら、またうんと遊んであげるからね。
369: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:08:22.71 ID:Zp5PameL0
「みーほちゃん! お誕生日おめでとう!」
「卯月ちゃん! ありがとう!」
4時間目が終わり、学食で何か食べようと立ち上がると軽快な足取りで卯月ちゃんがやって来る。
「ごめんね。本当は昨日言いたかったんだけど、携帯電話壊れちゃって」
そう言って彼女は、見事にひび割れた携帯電話を見せる。
「いやさ……。一昨日女の子にぶつかっちゃってさ、その拍子に携帯落として、しかもその時に踏んじゃって。気分転換に、新しいの買っちゃった」
「それは、大変だったね」
「まーね。でも、新しいのに変えれて良かったかな。使いやすいし、これ」
同じ色の別機種をポケットから出す。CMで見たことのある最新機種だ。
「そうそう。その子結構変わってたんだ。私は気にしてないって言っても、その子は御免なさい、私不幸をまき散らすんです! って言ってきかなかったし」
随分とネガティブな子だ。不幸って伝染するものなのかな?
「北海道からこっちに来たみたいだけど、あんなに急いでどうしたんだろ」
370: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:11:33.84 ID:WHuA5tMt0
「北海道から? 転校してきたのかな」
「かもね。またどっかで会うかも。それでだけど美穂ちゃん。恥ずかしい話、携帯が壊れてアドレスも全部消えちゃったんだ。だからまた教えてくれると嬉しいな」
長電話が趣味な彼女からすれば、それは死活問題だ。
「あっ、ちょっと待って。今送るね」
「ありがとう! ねえ美穂ちゃん、今からご飯食べよ。誕生日プレゼントになるか分からないけど、今日は私が奢るよ」
「そう? それじゃあ、貰っちゃおうかな」
2人で並んで学食へ行く。自分で言うのもなんだけど、アイドル二人並んでいると、結構目立って周囲からの視線を集めてしまう。
「~♪」
「上機嫌だね、卯月ちゃん」
「そう? 私はいつもこんな感じだよ?」
といっても、視線を集めているのは専ら卯月ちゃんの方だ。
ファーストホイッスル出演アイドルと、駆け出しペーペーアイドル。当然の扱いだ。
下手すれば、私がアイドルってことを知らない子もいるんじゃないかな。
371: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:15:08.35 ID:pu8Xk2HK0
「「いただきまーす」」
出来立てのクリームシチューを食べる。温かくて美味しい。心までポカポカしてきそうだ。
隣の卯月ちゃんは、いつの間にか出来たメニュー、熊本ラーメンを食べている。
この学校に転校してきた日に言ったとおり、彼女は学食のおばちゃんたちに頼んだみたいだ。
そこまでして熊本ラーメンを食べたかったのかな。卯月ちゃんの行動力には敬服しちゃう。
「そうだ。前から聞きたかったんだけど、美穂ちゃんのプロデューサーってどんな人?」
「私のプロデューサー?」
「うん。そう言えばあんまりその話したことないなーって思ってさ。良い人?」
「うん。どんな時でも私を信じてくれる、とっても素敵な人。それと」
頭の中に昨日の彼が浮かんでくる。
『……美穂』
『ごめん! 今足踏んだぁ! 踏まれたぁ……』
恥ずかしそうに私を名前で呼んでくれて、困った顔で下手っぴなワルツを踊る彼。
思い出すと、にやけてきちゃう。
372: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:18:32.63 ID:eiHp7f1B0
「ふっふーん。成程ねぇ。乙女してますねぇ」
「え? えっと! う、うう! 卯月ちゃんが思ってるのと、ち、ちが! 違うよ!」
卯月ちゃんは意地の悪い笑みを浮かべる。うぅ、弱み握られちゃったかな……。
「そんな緩んだ顔見せちゃって。全然説得力ないよ? 安心して、これは私たちだけの秘密にしておいてあげるからさ。ホントは良くないことかもしれないけど、私応援するよ?」
「うん。ありがとう」
良くないこと、か。アイドルとなった以上、恋愛はタブーだ。ただ、頭では分かっていても、
この気持ちはどうにもならない。何とも恋心とは、難儀なものだ。
「そう言う卯月ちゃんはどうなの? プロデューサー」
「私のプロデューサー? どう言ったらいいんだろ。一言でいえば、プラダを着た悪魔、かな」
「へ? 映画?」
「いや、そのままの意味だよ。プラダスーツを着た悪魔みたいな人」
悪魔みたいな人ってどういう意味だろう。凄く怖いプロデューサーなのかな。
頭に鬼の生えた彼を想像してみる。うん、全然似合わないや。
373: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:19:46.08 ID:05a4cCXn0
「怖い人?」
「厳しい人だよ。だけど、私たちのことを考えて行動してくれてるし、面倒見は凄く良いかな。凛ちゃんも未央ちゃんも慕ってるしね」
「卯月ちゃんは好きなの?」
「うん。大好きだよ!」
なんだ、卯月ちゃんも乙女してるじゃないか。人のこと言えてないよ?
「でも、美穂ちゃんの好きと私の好きは一緒にはならないかな」
「どういう意味?」
「見たら分かるよ」
卯月ちゃんは携帯を弄って、写真を見せる。
そこに映っていたのは、ステージ衣装に身を包んだNG2の3人と、
「だって、プロデューサー女の人だし」
プラダスーツを着た美女が真面目な顔をして立っていた。
374: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:23:22.10 ID:aBpPTbTe0
「だから、好きになったらそれはそれでいろいろ問題がある、かな?」
「凄い美人……」
「だよね。ホント、プロデューサーがアイドルになっちゃえばいいのにさ。そう思わない?」
アイドルと言うよりかむしろ、その堂々たる佇まいは、大女優そのもの。
写真を見るだけで、妙な迫力がこちらまで感じれた。
「私たちの事務所自体は出来て1年もないんだけど、プロデューサーは若いのに結構凄い経歴の持ち主でさ。これまでにも多くのアイドルをプロデュースして来たんだって」
名前を挙げたら、美穂ちゃんも知っている面々だと思うよ。と言ってプロデュースしてきたアイドルの名前をあげる。
挙げられた名前は全員、テレビで活躍している人たちだ。確かに、この実績は凄い。
「そんな彼女だけど、社長と個人的な親交があったみたいで、その縁で私たちの事務所に来てくれたみたい」
「縁か……。卯月ちゃんたちはラッキーなのかな」
「かもね。実はさ、私って某大手事務所の公開オーディションで落ちた時に、たまたま見ていたプロデューサーに拾われたんだ。貴女には才能が有る、私に賭けてみないかって」
初耳だった。私みたいに、てっきり道端でスカウトされたものかと思ってたけど、
彼女は最初からアイドルになるべく、自分からオーディションを受けてチャンスを狙っていたんだ。
375: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:26:15.22 ID:7t7uHi6D0
「凛ちゃんはプロデューサーが渋谷でスカウトしたんだけど、未央ちゃんも別のオーディションから引っ張ってきたの。だから私たち、プロデューサーに足向けて寝れないんだ」
「そうだったんだ」
そのプロデューサーが有能と言うのは、彼女たちの活躍を見れば一目瞭然。
ファーストホイッスル出演以降、彼女たちをテレビで見ない日はない。
3人セットじゃなくても、どこかしらで必ず一人は出ているぐらいで、
今一番勢いのあるアイドルユニットと言って過言じゃないだろう。
私は彼女たちの活躍を見て、いつ寝ているんだろうと見当違いな感想を抱いたものだ。
「色々あったなぁ。3人で組んでの最初のオーディションは、主催者側のお情けで合格したようなものだったし、ファーストホイッスルも落ちる度、土日を丸々使って強化合宿したり」
「ここまで来たっていうのも実感が全然沸かないや。だってさ、ほんの数か月前まで、私たち会うこともなかったような普通の女の子だったんだよ?」
「それがさ、こう憧れた世界で頑張って来て。ようやく波に乗れてきて。もしかして私たち、夢を見ているのかな?」
胡蝶の夢、か。彼女たちも、戸惑っているんだ。
「……」
どんな時も笑顔を見せる彼女が、時折見せるアンニュイな表情。
こう言ったら彼女に笑われそうだけど、とてもセクシーに思えた。
376: ◆CiplHxdHi6 2013/02/05(火) 02:30:04.66 ID:7t7uHi6D0
「卯月ちゃん、えいっ」
「へ? 痛っ!」
「卯月ちゃんたちは凄いよ。これは、夢じゃないよ」
「いだだだ! 美穂ひゃん! ほっぺつねらなひで!」
そんな柄にもないことを言う卯月ちゃんの頬っぺたを、強く引っ張ってやる。
「夢じゃないでしょ?」
「肉体的苦痛を受ける必要はなかったよね……」
虫歯になったみたいに、右の頬を抑える卯月ちゃん。何だかそれが面白い。
「うふふっ」
「あー! 笑ったなぁ! いただき!」
「あっ! 私のクリームシチュー! えいっ!」
「ゆで卵取られた! 美穂ちゃんやったなぁ!!」
やられたらやり返す。気弱な私でも、ハンムラビ法典の精神に乗っ取っているつもりだ。
チャイムが鳴るまで私と卯月ちゃんは、互いのお昼ご飯を奪い合う。
アイドル2人がそんなことしていたものだから、いつの間にかギャラリーも出来ていた。
昼休みが終わって、冷静になる。なんと恥ずかしいことをしていたのかと、顔が赤くなってしまうのは、いつものことだ。
382: 時間空いたから少しだけ投下 ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:21:03.30 ID:Q9PUFEK40
――
「そうですか。渋谷凛がソロデビューですか」
「はい。ファーストホイッスルのオーディションに受かって、そこで発表するみたいです」
事務所にて、俺はちひろさん達とお土産の陣太鼓を食べながら、ライブの映像を見ていた。
たまたま終わったぐらいのタイミングで、トレーナーさんが事務所に来た。
どうやら、俺に報告したいことが有るとのことだった。
渋谷凛、ソロデビュー。
俺たちが熊本に行っている間に行われたファーストホイッスルオーディションにて、彼女は再び合格したらしい。
「なるほど、向こうはNG2としてだけでなく、個々のアイドルの活動としてもプロデュースしていく方針のようだね」
「そうみたいですね、社長。つまり、次は島村卯月と本田未央のどちらかが、ソロでやって来ると言うことですか」
それぐらい容易に想像がつく。
本来なら、慌ててソロデビューをするよりかは、じっくり時間をかけて行う方が戦略としては正しいだろう。
しかし彼女たちは、トライエイト。IA全制覇とIU制覇をもくろむ集団だ。この時期にソロで出すということは、
ソロでのファンを増やし、そのままNG2の売り上げに取り込むと言う戦法だろう。
「恐らくは。別に彼女たちぐらいの売れっ子ならば、どの番組に出てもいいのですが、敢えてファーストホイッスルに出ると言うあたり、本気度がうかがえますね」
383: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:28:40.43 ID:h1C+uALE0
3人ユニットをまとめ上げるだけでも相当な物なのに、今度は3人別々にプロデュースと来た。
その上ファーストホイッスルに出演と言うことだ。ベテランやスターダムに立つアイドル達ですら、
2度と受けたくないと躊躇するあのオーディションを、渋谷凛は制したのだ。
「タケダ氏の性格を考えれば分かると思いますが、一度合格したからと言っても、2度同じように出演させるというのは、かなりレアなケースです」
「彼が気に入ったアイドルでも、要求されるレベルに達しなかった場合、容赦なく落とします」
「渋谷さんはユニットでとは言え、一度合格したアイドルです。絶対に落とせないそのプレッシャーの中、彼女のパフォーマンスは見事な物でした。私が今まで見てきたアイドルの中で、最高峰と言っても差し支えありません」
「最高峰、ですか」
トレーナーさんがそこまで言うんだ。本放送の日はチェックしておかないと。
「まぁ私もこの業界に入って日が浅いので、見分が狭いと言うのもありますけどね。それに、今の小日向さんなら、ファーストホイッスルに合格する日も遠くないと思っていますよ」
昨日のライブと同じぐらい、自分のパフォーマンスが出来たなら、美穂も並み居る強敵たちと渡り合えるだろう。
それに、彼女にはNaked Romanceがある。曲に頼り切ってしまうのはいけないが、他のアイドルにはない美穂だけの切り札だ。
「うむ。やはり、あの曲の力は大きいね。小日向くんも短期間で、見事に自分の曲にして見せた。簡単なように見えて、それって難しいことなんだ」
そればっかりは、俺には分からない感覚だ。なんせ美穂は、Naked Romanceとの組み合わせが良かったのか、
渡されてからあっという間に曲を完成させてしまった。
美穂からすれば、新しい英単語を覚えるようなことだったかもしれないな。
384: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:34:48.80 ID:h1C+uALE0
確かに、高い歌唱力、上手なダンス、ずば抜けたビジュアルを持っている美穂以上のアイドルはたくさんいるだろう。
だけど、この曲を一番可愛く素敵に歌えるのは、美穂しかいないはずだ。
「今の勢いなら、きっと乗り越えられますよ! 頑張りましょう、プロデューサーさん!」
「うむ。CDデビューも近い。来年2月に行われるIAのノミネート発表に間に合うか分からないが、とにかく小日向くんと新曲を、方々にアピールするんだ」
「デビュー時期が遅かったとはいえ、残された期間は短いです。私もレッスン内容を詰めますので、プロデューサーはスケジュール管理をしっかりとお願いします」
「はい」
IAにノミネートされるには、ある週のチャートでランク20までに入り込まないといけない。
正直今の実績じゃ、そんなこと夢のまた夢だが、ファーストホイッスルに合格してそこで発表できれば、
世間の美穂への関心は、劇的なまでに上がるはずだ。
これまでファーストホイッスルに合格したアイドルは、放送後ランクが一気に上がる傾向にある。
どこまでブーストが効くか分からないが、賭けてみる価値はあるな。
加えて、美穂はまだ知らないかもしれないが、実はファーストホイッスルは来年から全国で放送されるようになる。
熊本のようにこれまで映らなかった地域でも、放送されるのだ。
つまり、全国的にファンを増やすことが出来、ブーストの効力も強くなるはずだ。
逆に言えば、それは他のアイドルも同じこと。これまで以上に、熾烈な競争が予想される。
385: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:37:19.10 ID:wMUZ0ThU0
だけど、美穂ならいける。やれるんだ。そう思えば、不思議と勇気が湧いてくる。
「~~♪」
DVDの中の彼女は、恥ずかしそうにしながらも、集まった観客を魅了している。
高校だけじゃない。ちゃんとテレビに出て、みんなに自慢しなきゃ勿体無い。
「それが俺の責任だよな」
俺が見出した女の子は、こんなに可愛くて素敵なんだってね。
「こんにちわ!」
夕方ごろ、美穂が事務所へ駆けてくる。走って来たようで、息も切れ切れで肩で呼吸をしている。
「おっ、来たか。それじゃ、反省会と行きますか」
「えっと、それなんですけど……」
「ん? どうかした?」
「今日はお客さんがいると言いますか……」
「あっ、失礼しまーす!」
386: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:41:55.17 ID:9UBfSnyj0
ドアの陰からひょっこりと、美穂と同じ制服を着た少女が現れる。
「へ? 島村卯月? 何で?」
同じ高校だから、制服が同じなのはまぁ良い。いや、それよりも何で彼女がここにいるんだ?
「今日はオフなんです。だから、美穂ちゃんの事務所に遊びに来ちゃいました。貴方が美穂ちゃんのプロデューサーさんですか? 初めまして、島村卯月です!」
早口で説明して、ぺこりとお辞儀をする島村卯月。初めましてと言われても、彼女は今を時めく人気アイドルだ。
美穂と同世代のアイドルと言うことで、テレビでいつも活動をチェックしているため、あまりそんな気がしない。
しかし直接会ったのは初めてだけど……、思ってた以上にオーラがないな。
良くも悪くも庶民的と言うか。そこが彼女の魅力なんだろうけど。
「えっと……、どうも。美穂のプロデューサーです。学校では美穂がいろいろ世話になってるみたいで」
「とんでもない! 私の方こそ、美穂ちゃんにいろいろ助けてもらってますよ! あっ、これお土産です」
「ご丁寧にどうも。だけどこれは、結構高い奴じゃない?」
「お近づきのしるしにです。うちのプロデューサーからも、お土産は値段に誠意が出るって言われてますし。後で事務所に請求しますからお気になさらず」
渡されたお土産はテレビでも紹介された、割と値の張るお菓子だ。
女子高生がホイホイ買えるものでもないが、財布に余程余裕があるのだろうか。
387: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:43:41.27 ID:h1C+uALE0
「卯月ちゃんのプロデューサー、凄い人なんですよ」
「ああ、よく知ってるよ。会ったことは無いけどね」
業界入りたての頃は知らなかったが、NG2のプロデューサーは、かなりの凄腕で評判だ。
彼女たちだけじゃなくて、それまでに多くのアイドルをスターダムに輩出した、いわばエリートプロデューサー。
「今最も勢いのあるアイドルがNG2ならば、今一番勢いのあるプロデューサーは間違いなく彼女だろうね。私も彼女のことは良く知っているよ」
社長は懐かしむように言う。
彼のことは全くと言っていいほど知らないけど、もしかしたらNG2プロデューサーとも接点があるのかもしれない。
それなら、彼女がここで働いても良かった気がするが、先に取られちゃったのかな。
「こんにちわ。お茶は飲みますか?」
「あっ、わざわざすみません。それじゃあ、頂いちゃいます」
「ちひろさんのお茶、すごく美味しいんだ。卯月ちゃんも気に入るよ」
「……美味しい! こんなに美味しいお茶、初めてかも!」
「ふふっ、ありがとうございます」
屈託の無い眩しい笑顔を見せる卯月ちゃんのせいで、何故か裏にどす黒いものを感じさせるちひろさんの笑顔が際立ってしまった。
言ったら怒られそうなので、黙っておくけど。
388: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:49:20.91 ID:wM3QKd0d0
「そうそう。おたくの事務所の凛ちゃん、ソロデビューするんでしょ? 3人プロデュースして、今度は個人でも曲を出すとは、大変じゃないかな?」
「え? そうなの、卯月ちゃん」
美穂は知らなかったみたいで、隣の彼女に確認を取る。
「あれ? それテレビで言ってましたっけ?」
卯月ちゃんは頭に?マークを浮かべる。そう言えば、まだ各メディアで発表していないのか。
「トレーナーさんが教えてくれたんだ。先日、彼女がファーストホイッスルのオーディションにソロで合格したってね」
「やっぱりそう思いますか? 正解です!」
「つまりそれって、卯月ちゃんもソロデビューするって事?」
何かを考えるように、卯月ちゃんは目を瞑る。少しして、目を開くとニコリと笑う。
「別に言っても大丈夫かな? 別に禁止されてないし。プロデューサーさんの言うように、うちの事務所はNG2の3人のソロデビューを決定したんです」
「その第一弾が凛ちゃん、第二段が私、トリを務めるのが未央ちゃんなんです。私も近いうちにファーストホイッスルのオーディションが有るんですよ」
389: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:50:42.67 ID:wM3QKd0d0
「そうなんだ。怖くない?」
「前は3人だったから、怖くないと言えば嘘になっちゃうけど。でも、夢が叶うところまであと一歩なんです。だから、楽しみですよ私」
やっぱり彼女は凄い子だ。怖いだなんて言ってても、目の前の夢から逃げずに立ち向かおうとしている。
「頑張ってね、卯月ちゃん。私も、頑張るから」
「うん。一緒に頑張ろう、美穂ちゃん」
仲良くハイタッチする2人。きっと彼女は、美穂にいい影響を与えてくれるはずだ。
転校先に卯月ちゃんがいたのは、本当に偶然のことだけど、つくづく人の縁に恵まれている子だ。
「それじゃ、昨日のライブ再生するかな。卯月ちゃんも見る?」
「あっ、良いんですか? 美穂ちゃんのステージを見るのって、初めてなんですよね」
「卯月ちゃんも見るの? なんだか恥ずかしいかも」
「もう、美穂ちゃんったら。私との間に、恥じらいは無しだよ?」
「それじゃあ、小日向美穂クリスマスライブの始まり始まり~」
390: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:54:06.45 ID:k1Uy2Q8M0
JKコンビは映画館と勘違いしているのか、ソファーに座りお菓子を食べながら待っている。
「んじゃ再生するよ」
DVDを再生。高校生が撮影した作品であるため、カメラワーク等は仕方ないが、それでもよく撮れているもんだ。
ただ美穂はカメラの存在に気付いていなかったみたいで、カメラ目線になることはそんなになかった。
「この衣装可愛いね」
「これ、学校の皆が作ってくれたんだ」
「良いなぁ。私も作って貰おうかな?」
反省会と銘打ったものの、女子高生2人が静かに見ているわけがない。美穂も1人の観客として、自分のステージを楽しんでいるみたいだ。
「まっ、これはこれでいっか」
流れてくる曲を一緒に歌ったり、MCで噛んだ彼女を笑ったり。2人は仲睦まじくライブを見ている。
どこが悪かったかと聞かれると、どこも悪くなかったって答えそうだ。
「ふぅ、楽しかったな。美穂ちゃんの普段見れない部分が見れて良かった」
うーんと気持ちよさそうに背伸びをする卯月ちゃんと美穂。案外2人は似ているのかな。いや、それとも似てきたのか。
391: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:57:29.27 ID:wMUZ0ThU0
「昨日のライブは凄く盛り上がったけど、苦手なダンスやアピールのタイミングがずれたりと課題は残ってる。オーディションではそこも見られるからね」
前回のオーディションは評価以前の問題だったが、こうやってライブを成功させることは出来た。
美穂にとって大きな自信になってるはずだし、こっちには美穂の魅力を120%引き出せる切り札が有る。
「次にファーストホイッスルオーディションを受ける時、前と一緒じゃ意味がないからさ。明日からまたレッスンに営業に忙しくなるけど、しっかりついて来ること。いいね?」
「はい!」
「いい返事だ! それじゃあ、今日はもう上がっても大丈夫だよ。明日に向けて、しっかり休んでね」
「えっと、それじゃあ失礼しますね」
「美穂ちゃん、今日美穂ちゃんちに泊まっても良い?」
「え? 良いけど、卯月ちゃんの家は大丈夫なの?」
「家結構放任主義だから大丈夫だよ。明日美穂ちゃんの家から学校に行けばいいしね」
「そう?」
「だから、今日は色々話そうよ!」
恋人みたいに腕を組んで(卯月ちゃんが一方的にだが)事務所を出る2人。
あんまり夜更かしするなよ、と言っても無駄かなぁ。卯月ちゃん、朝まで起きてそうだし。
392: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 12:59:59.58 ID:wMUZ0ThU0
「ホント仲良いですね、2人」
「仲良きことは美しき哉。うちの事務所は他にアイドルがいないからね。小日向くんにとっては、島村くんとの関係はアイドル活動に潤いをもたらしてくれる大事な絆だよ」
「ですね。結構感謝してるんですよ、卯月ちゃんには」
実力もネームバリューも、今はまだまだ差がある。だけどいつか、この2人で組んでみるのも悪くないかもしれない。
それを、向こうのプロデューサーが受け入れるかどうかは分からないが。
鼻で笑われないように、着実に実力をつけて行かないと。
「スケジュール確認して帰るか」
仕事はあらかた片づけたので、たまには俺も早く帰ろう。
「来週はクリスマスイブか」
聖なる夜なんて言っても、俺達は普通に過ごすんだろうな。こういう時だけ、恋人がいればと思ってしまう。
「そうだ! パーティーなんてどうですか? 美穂ちゃんさえよければですけど!」
ちひろさんがお茶を煎れながらそんなことを言う。パーティーか、悪くないかな。
393: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 13:02:03.22 ID:wMUZ0ThU0
「俺は何もないですけど、ちひろさんはあるんじゃないですか? クリスマスに予定とか」
「有りませんよ! 私は仕事が恋人ですから! プレゼント交換とか楽しいじゃないですか」
ちひろさんぐらい可愛い人なら、男も放っておかないと思ったけど、彼女はさほど異性に興味がないらしい。
そういや、浮いた話何一つ聞かないもんな。と言うより、プライベートが謎に包まれ過ぎている。
「良いじゃないか、クリスマスパーティー。仕事が終わった後、事務所に来なさい。私は飾りつけを担当しよう」
「それじゃあ私はメニューを用意しますね! 美味しいもの、持ってきますよ!」
「ははは、決定なんですね」
社長も乗り気みたいだ。しかし……。
「私の顔に何かついているかね?」
「いや、サンタクロースってこんな感じなのかなって思って」
「?」
サンタ服を着て髭を生やせば、子供に追っかけられそうだなこの人。ただ俺と違って、プレゼントをくれそうな気もする。
394: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 13:06:17.94 ID:wMUZ0ThU0
「とりあえず連絡しておきますか」
もしかしたら美穂もクラスの皆とクリスマスを過ごす予定が有ったり、卯月ちゃんと過ごすということもあるかもしれない。
いや、もしくは……。
「……男と2人で過ごすとか、無いよな?」
一番洒落にならないケースだ。他人の色恋に口出しするのもあれだけど、
『性の6時間です!』
「のわあああ!! ウソダドンドコドーン!!」
もしそうならば、立ち直れなくなりそうだ。親父さんの気持ち、良く分かりました。
「有り得ませんよ! 美穂ちゃんが一緒にいたい人は……」
「へ? 居たい人は?」
「ふふっ、自分で考えてくださいね!」
「もったいぶらないでくださいよ!」
ちひろさんは鼻歌を歌いながら、事務所の掃除を始める。えっと、とりあえずは安心していいのかな?
395: ◆CiplHxdHi6 2013/02/06(水) 13:07:58.79 ID:wMUZ0ThU0
しばらくして、美穂から返事が返ってきた。
『行きます!』
語尾にはいつか俺が使ったクマの絵文字がデコレートされている。美穂はクリスマスパーティー参加、と。
「クリスマスに女子高生と過ごすことになるなんてな」
ヤラシイ意味はない。恋人同士のクリスマスと言うよりかは、家族で過ごすようなものだ。
社長パパがいて、トレーナーママがいて。ちひろさんは……、姉か妹かのどっちかで、美穂は末っ子だ。
だから、決して特別な意味はないんだけど……。
「入れ込み過ぎなのかな……」
美穂は可愛いし、良い子だ。それは誰よりも理解している。きっと同級生だったなら、間違いなく恋をしていただろう。
だけど、それ以上を求めちゃいけない、美穂は俺だけのものじゃない。いずれこの国に名を轟かすアイドルだ。
誰からも愛されて、彼女もファンを愛して。抜け駆けは、ご法度。
俺はプロデューサーなんだぞ? 理性をちゃんと保っておかないと。
「どっかで飯食って帰ろうかな。ちひろさんもどうです?」
「そうですね、少し事務作業が有るんで、その後で良いですか?」
「じゃあそれで。どこか美味しいところないですかね?」
「おお、それなら良い所があるよ。今日は私のおごりだ、存分に食べたまえ」
何時の間にやら社長もパーティーインしていた。そう言えば、この3人でどこかで食べるって言うのは初めてかもしれない。
399: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 01:32:48.47 ID:mi1pCfax0
ちひろさんの仕事を手伝って、早く終わらせる。
社長に連れられて入ったのは、政治家が秘密の会合をしていそうな、高級料亭だった。
「い、良いんですか? 凄く場違いな気がするんですけど」
「構わんよ。ささっ、財布のことは気にしないでくれ」
社長はそう言うけど、俺とちひろさんは緊張しっぱなしだ。
粗相をやらかさないか?
マナーを注意されるんじゃないか?
わいわい楽しく食べれればいいなと考えていたのに、却って息がつまりそうだ。
まぁそんな心配事も、美味しい料理とお酒の前では消えてしまうのだが。
「こんな美味しい料理、初めてです!」
「だろう? 私も昔からよく通っていてね。老舗でありながら、その名前に胡坐をかかず、進化し続けている。日に日に美味しくなる料亭なんか、ここぐらいじゃないかな」
社長はお酒を飲んで、顔を赤らめている。隣に座るちひろさんは、瓶のオレンジジュースをちまちまと飲んでいる。
400: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 01:47:00.73 ID:mi1pCfax0
「ちひろさん、お酒飲めないんですか?」
「はい。私、未成年ですから」
バヤリース片手に、ニコリと笑って答えるちひろさん。そうか、未成年だったのか……。
「ええ!? そうだったんですか!? てっきり年上かと……」
「ふふっ、冗談ですよ。でも年上に見られていたなんて、少し悲しいです」
「あっ、いや。それは……。ほら、ちひろさん仕事もしっかりしてますし! 大人の魅力ってやつですよ!」
「ふふっ、そうですか? 喜んで受けておきますね」
色気よりかは可愛さの方が強いけど、誤魔化しておく。未成年と言われても、違和感はない。
試しに美穂のベージュ色した制服を着せてみる。うん、幼く見えるかな。
美穂、卯月ちゃん、ちひろさんの3人で並んで、成人は誰か? と道行く人に聴けば、きっと答えが割れるはずだ。
ただ、さっきも言ったように仕事に対する姿勢や、美穂や俺に接する態度から、年上と思っていた。
実際俺より1つ2つ上だろうし。
「さぁ飲みたまえ! 今日は私のおごりだぞ!」
社長は見えない誰かと話している。これは、送って帰らなくちゃいけないか?
401: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 01:54:43.25 ID:mi1pCfax0
「ふぅ、食った食った……」
料亭での食事を終わらせ、タクシーで家へと帰る。結構食べたが、社長は本当に全額払ってくれた。
うちの事務所には現在利益がほとんどないが、社長だけあって元々の資産が多いのだろう。
『これで頼むよ』
一瞬だけチラッと見えた黒いカードが、それを物語っている。
「今頃2人は恋バナでもしているのかね」
ゆんたくパーティー中の2人を思い浮かべる。女子が2人集まれば、1人足りなくても姦しくなる。
特に卯月ちゃんはその手の話題がすきそうだ。美穂は恥ずかしがりながら、一方的に追い詰められていることだろう。
「好きな人、いたりするのかね?」
この業界で恋愛は非常に線引きが難しいトピックだと思う。
男性アイドルに関しては、多少認められている(当然ファンからしたら堪ったものじゃないが)のに、
女性アイドルが色恋沙汰となれば、間違いなく炎上する。
まったく、恋は盲目とは良く言ったものだ。
偶像崇拝が行き過ぎたファンは、彼女たちに清らかであることを望み続ける。
『自分のものにならなくても、誰かのものにならなければ、それでいい』
そう考えてしまうんだ。
402: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 01:59:48.28 ID:mi1pCfax0
アイドルである前に1人の女の子だ――。
そんな理屈も、『だったらアイドル辞めちまえ!』という暴論で、強引に論破されてしまう。
「どれが正しいのかな」
ファンが見ているのは、テレビやステージに上がっているアイドルだ。
そのプライベートな部分は、知れば知るほど、彼女たちへの失望も大きくなる。
「その域にも達していないけどさ」
記者からすれば、無名アイドルの恋愛ネタなんて面白くもなんともない。パパラッチに狙われるようになると、ある意味一人前になったという証拠でもあるのだ。
「あれ? メールが来てた。美穂からだ」
何の気なしに携帯を開けると、受信件数一件。料亭で鳴らすと迷惑になる気がして、マナーにしていたんだっけか。
「仲良さそうで何よりだな」
添付されたファイルには、クマの絵がプリントされた御揃いのパジャマに着替えて、仲良くピースをする2人の写メが。
眩い笑顔の卯月ちゃんに対して、美穂は柔らかく微笑んでいる。
「あっ、クマさんだ」
枕元には、件のクマさんが自己主張していた。
403: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:06:51.72 ID:mi1pCfax0
「全く。早く寝ないさい、と。」
お泊り会が楽しみなのも分かるけど、アイドルの資本は身体だ。
はしゃぎ過ぎて体調崩しちゃ本末転倒、流石の俺も怒鳴らざるを得ない。
「羨ましいなぁ、こういうの」
しかしまぁ、大目に見てやるか。なんだかんだ言っても、美穂は自分のことは自分で管理できるし。
それに、大人になると、こんなことも出来なくなる。
仕事が終わって家に帰っても、毎晩毎晩明日のことを考えて、つかの間の休みを楽しむ余裕は減っていく。
だから彼女たちが素直に良いなと思ってしまった。別に昔は良かった、楽しかったと言うつもりはないけど、
この歳になってしまえば、青春なんて言葉は俺には似合わない。
まだまだ若いけど、それでも10代と20代の壁は、高いんだ。あの頃には、戻れやしない。
「変わらなくいて欲しいもんだな」
これから先、どんな困難があっても、2人を引き裂く非常な選択が有っても。
それでも卯月ちゃんと美穂は、ずっと親友で有り続けるだろう。
404: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:11:24.96 ID:mi1pCfax0
――
「美穂ちゃん、寝た?」
「ううん。卯月ちゃん、眠れない?」
「はしゃぎすぎちゃったかなぁ。目が覚めちゃった」
「私もかな。明日も学校あるのにね」
「もう少し話そうよ」
いつもは1人の部屋に、今日は卯月ちゃんが泊まっている。
この部屋に住み始めて、誰かを家に上げたのは初日のプロデューサー以来のことだった。
お泊りとなると、卯月ちゃんが初めてだ。
『そうだ! 今からゲーセン行かない?』
卯月ちゃんの思いつきで、反省会の後私たちは、事務所の近くのゲームセンターで思いっきり遊ぶことにした。
協力プレイでシューティングゲームをして2人ともまとめて瞬殺されたり、エアホッケーをして大敗したり、
リズムゲームで戦って均衡した勝負をしたり。
アイドルじゃなくて、普通の女の子としてつかの間の休みをエンジョイした。
405: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:14:27.34 ID:mi1pCfax0
『はい、チーズ!』
2人で撮ったプリクラは、私のスケジュール帳に貼られた彼とのプリクラの隣に、ピタリと貼られている。私の宝物が、また1つ増えた瞬間だ。
バス停の近くのファミレスで晩御飯を食べて、銭湯に入って。
私の部屋の風呂は、1人暮らし仕様なため、2人で入るにはかなり狭く、
『なら銭湯に行こうよ!』
と、卯月ちゃんの鶴の一声で決まった。
私たちが入った時は偶々すいていたので、広いお風呂を2人だけで堪能することが出来た。
『ふぅー! 広いねー! ねぇ、泳いで競争しない?』
『い、いくら誰もいないからって、それはどうかな……』
実は泳ぎたくなる気持ちも分かるけど、流石に子供みたいなのでやめておく。
『じゃあ一人で泳ごうかな。って足釣った!』
『卯月ちゃん! 大丈夫!?』
湯船は浅いので、事なきを得る。準備運動は大切だよね。
406: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:16:49.12 ID:mi1pCfax0
家に帰って来た私たちは、御揃いのパジャマに着替えて、日が変わるまで他愛のない話をし続けた。
と言っても、8割ほどが私とプロデューサーとの事の話題だったけど。
『美穂ちゃんはどこが好きなの?』
『手を握った?』
『出会った時のことを教えてよ!!』
卯月ちゃんはこちらに反撃のチャンスを与えず、矢継ぎ早に聞いてくる。
『ほ、他の話とか無いの?』
『ないよー! だってさ、恋バナが一番楽しいじゃん!』
『卯月ちゃんは聞いてるだけじゃんかぁ。卯月ちゃんは無いの?』
と私が反撃したところで、
『私は仕事が恋人だから!』
『もう!』
お手本のような返答を帰してくる。卯月ちゃん、汚いよ。
時計は静かに時を刻み、気が付くと2時前だ。寝よう寝ようとしても、2人ともなかなか眠れずにいた。
いつもの私なら、ベッドに入るとすぐに寝ちゃうのに。卯月ちゃんがいるからかな。
407: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:19:28.87 ID:mi1pCfax0
「そのクマさんって抱き心地良い?」
「うん。すっごく癒されちゃう」
モフモフした我が家のアイドルプロデューサーくんを抱きしめて、眠ろうとする。
そろそろ寝ないと、明日に支障が出ちゃいそうだ。
夜更かししてしんどいからレッスン休みますなんて言えば、トレーナーさんやプロデューサーに何を言われるか。
温厚な彼でも、流石に怒ると思う。
「寝付けないけど、目を瞑れば眠れるかな。美穂ちゃん、おやすみ」
「うん。おやすみ」
1人用のベッドで、くっつくように眠る。私はベッドの下で寝ても良かったんだけど、卯月ちゃんが風邪ひくからと言って2人で使うことになった。私は壁側だから大丈夫だけど、卯月ちゃんは転がるとそのまま落ちてしまう。
「すぅ……」
「こ、こっちなら落ちない、かな?」
卯月ちゃんの防衛本能がそうさせているのか、私の方に転がって寝息を立てる。
隣の彼女の呼吸と暖かさを感じながら、私も夢の世界へと旅立った。
408: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:22:32.78 ID:mi1pCfax0
12月24日、世間は浮かれるクリスマス。日本では、この日だけキリスト教信者が増えると言う。
先週の誕生日が高校のクリスマスパーティーと被っていたこともあって、私の中でクリスマスは、
既に終わったような感覚でいた。もういくつ寝るとお正月だ。また年が変わってしまう。
「それじゃあ、来年の活躍を願って……、乾杯!」
「「乾杯!」」
「か、乾杯です!」
それでも目の前に、豪勢なパーティー料理が出されていると、今日は特別な日なんだと意識せざるを得ない。
別に何回でもそういう日があっても良いかな。
「これ、ちひろさんの手作りなんですか?」
「はい! 腕によりをかけて作っちゃいました。といっても、所々買ってきたのもありますけどね」
そうは言うものの、半分以上の料理はちひろさん作だ。
仕事だけでなく料理も出来るとは、流石ちひろさんと言うべきか。
理想の女性像を実体化したみたいで、憧れてしまう。
私もこれぐらい作れればなぁ……。
409: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:26:22.34 ID:mi1pCfax0
「そうだ。美穂、ファンからクリスマスプレゼントが届いているよ」
「え? ファンですか? 私に?」
「そんなに驚くことは無いだろ? 派手とは言えないけど、これまで地道に活動してきたんだ。曲を出さなくても、付くファンもいるさ。ほら、これなんかさ。手紙付きだよ」
手紙を見ると、子供からのメッセージ。一緒についていたお母さんの手紙には、
いつぞやのデパートではご迷惑をおかけしましたと書かれていた。
デパート、迷惑……。
「あの子、かな?」
「あー。ステージで暴れまわった子か。あの時を思い出すと古傷が痛むよ……」
幼稚園児ぐらいだったかな? まだ慣れていないひらがなで、不器用ながらも私への応援が書かれていた。
「これは嬉しいです」
「美穂の絵か。結構特徴掴んでるんじゃないか?」
「えー? そうですか?」
プレゼントは、色とりどりのクレヨンで私の顔が描かれている色紙だ。
似ているかと聞かれると、反応に困っちゃうけど素直に嬉しい。
410: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:27:57.26 ID:mi1pCfax0
「これまでやって来た営業や活動の成果だよ。安心しなよ、美穂。君を応援してくれる人は、たくさんいるんだよ」
「はい」
クリスマスプレゼントの量は存外に多く、持ち運べそうにない。
なので後でプロデューサーが車に乗せて運んでくれることになった。帰ってから開けてみよう。
「おお、そうだった。今日はファーストホイッスルの特番だったね」
社長は思い出したかのように言うと、テレビの電源をつける。
「あの人たちだ」
タケダさんに紹介されているのは、先のオーディションに合格したアイドルたちだ。
だから顔を憶えているし、とりわけ諸星きらりちゃんは印象に残っている。
そう言えば、渋谷凛ちゃんの放送はいつになるんだろう。次かな?
『にょわー☆』
『ほう。いいセンスだ、掛け値なしに』
マイペースすぎるきらりちゃんに対しても、タケダさんは淡々と進行する。
温度差が違い過ぎて、一種の放送事故みたいだ。
411: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:32:15.70 ID:mi1pCfax0
「なるほど、タケダさんが気に入りそうな子だね」
「社長?」
タケダさん、きらりちゃんみたいな人が好みなのかな。
「いや、昔のことを思い出してね。確かに、彼女のキャラクターと、タケダさんの理想は一致しているかもしれないな。時代を経ても老若男女問わず口ずさめる音楽。彼女のような天真爛漫なアイドルには、もってこいだ」
ステージ上で踊る、いや縦横無尽に暴れてる彼女はとにかく楽しそうだ。
『にょわー☆』みたいな独特の口調も、子供受けは良さそうだし、なんだかんだ言っても実力が桁違い。
恐らく今日の特番も、彼女の独壇場と言ってもいいはずだ。
他のアイドルも凄い。アピールやダンスも参考になる。だけどそれ以上に、彼女は目立ってしまう。そう言う星のもと生まれたんだろう。
色物なんかで終わらせないパフォーマンスを持って、彼女は完成するんだ。
「……」
改めて私が乗り越えようとしている試練が、途方もないぐらい険しいことを痛感させられる。
抜け道なんてどこにもない、直球勝負のステージ。私は、そこに立たないといけない。
412: ◆CiplHxdHi6 2013/02/08(金) 02:33:48.06 ID:mi1pCfax0
「はいはい、そこまで。そんな深刻な表情しないの!」
不安に苛まれて、難しい顔をしていたのかな。私の顔を一瞥して、プロデューサーは呆れたみたいに笑う。
「美穂だって負けちゃいないよ。諸星きらりと同じぐらい、いやそれ以上にステージを楽しめれば。見ている人も幸せになれるはず」
「ほら、幸せって人から人へと渡っていくものだと思うんだ。だから、そんな浮かない顔してちゃ、楽しめるものも楽しめないよ?」
「だからさ、笑って笑って! 今日はクリスマスなんだよ? だから、パーッと楽しまなくちゃ。ね?」
プロデューサーはそう言うと、リモコンを片手にテレビを消す。
きらりちゃんの消えたテレビの液晶には、渋い顔をした私がほんのりと映っていた。
「ううん。ダメですよね、後ろ向きになっちゃ」
後ろ向いても何も始まらない。真っ直ぐ目標を見据えよう。
「美穂ちゃん、ジュースとお茶、どっちが良いですか?」
「あっ。それじゃあオレンジジュースで」
だけど今すべきことは、パーティーをとことん楽しむこと。この日を逃したら、また1年間待たなくちゃいけない。
「ん? どうした?」
「ふふっ、何でもないですよ?」
それでも、私の隣に彼がいるのなら。特別な日なんかじゃなくても、素敵に世界は彩られる。
365日全てが、スペシャルな日。明日を、未来を心待ちに出来ちゃいそうだ。
417: 9話 ファーストホイッスル~美穂と未央と、ときどきとときん ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:20:17.39 ID:qXgxmKRw0
年末。私は仕事がないので、熊本へと帰って実家で年を越す。
家族と過ごすことが出来たのは嬉しいけど、アイドルとしては、スケジュールが空いていたのは残念で仕方ない。
「いつか私も立つのかな」
年越しそばを食べながら紅白歌合戦を見て呟く。大御所歌手から、今を時めくアイドルまで。
今年を沸かしたオールスター夢の競演だ。
そしてそのステージには、彼女たちもいた。
「あっ、卯月ちゃん!」
NG2の3人も、紅白に出場している。しかも初出場枠と言うことで、名誉ある紅組のトップバッターを務めている。
結成して1年と3ヵ月ほど、CDデビューも9月に果たしたばかりの超スピード参戦だ。
『こ、この舞台に上がれて嬉しいです?』
『精いっぱい頑張りましゅ!』
『は、はぴっ! はっぴーにゅーにゃあ!?』
舞台慣れしているであろう彼女達からも、この大舞台は別格らしく、緊張がありありと伝わってくる。
だけど一度音楽が流れると、さっきまでの緊張はどこへやら、3人は完璧なパフォーマンスでオーディエンスを魅せた。
418: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:28:27.45 ID:qXgxmKRw0
「やっぱり凄いな……」
トレーナーさんが言うには、来年発表されるIA大賞最有力候補が彼女達らしい。
紅白歌合戦にも出るぐらいの知名度と実力だ。全部門制覇も十分あり得るみたいだ。
「そんな卯月ちゃんが家に泊まりに来たんだよね」
実はアイドルとしての卯月ちゃんを、直で見たことは無い。だからテレビの中やラジオ越しの遠い存在というよりも、
隣のクラスの卯月ちゃんって感覚の方が強いのだ。
「自慢できちゃうかも」
そんなのんきに構えてられる場合じゃないけど。
『ありがとうございましたー! よいお年をー!!』
気が付くと0時になっていて、一年が終わり新しい年が始まった。今は回線が混雑しているだろうから、明日の朝、みんなにあけましておめでとうとメールを送ろう。
今年もよろしくお願いしますね、プロデューサー。
「私も頑張らなきゃ!!」
輝くステージで最高のパフォーマンスを見せた彼女たちに刺激を貰う。私も早く追い付かなくちゃ!
419: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:29:58.17 ID:qXgxmKRw0
「発売、されちゃいましたね」
「ああ。CDデビュー、おめでとう」
「本当に、早いですね」
1月23日、私はついにCDデビューを果たした。
ランキングが出るのはまだ先だけど、私たちは製品化されたCDを感無量と言った気持ちで見ていた。
「Naked RomanceがCDショップに並ぶんだよ。こうさ、美穂の写真のジャケットがみんなの手に届くんだ」
私の歌声が世間へと流通する。不思議な感覚だ。帰りにCDショップに寄ってみよう。
そこで見つけないと、これが夢の世界じゃないかと思ってしまうから。
「集計が出るのはまだ先だけど、それまでの間テレビに出たりフェスに参加したりして、名前を売らなくちゃいけない」
「最初のリリースだから、きっと望んだような結果が出ないかもしれないけど、やれることはやっていこうな」
「はい!」
スケジュール帳には白い部分が殆どなく、びっしりと予定が詰まっている。次の休みは当分先だ。
そして2月には、ファーストホイッスルオーディションが待っている。
怖いかと聞かれると、そんなことはないと答えることは出来ない。
だけど同時に、楽しみと思えるようにもなって来た。この曲で誰かが幸せになれるのなら、私は頑張れる。
420: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:34:30.98 ID:qXgxmKRw0
――
1月終わり。俺はファーストホイッスルのオーディションを見に来ていた。
ライバルたちの力量を見定める目的もあるけど、一番の目的はオーディション後に行われる抽選会だ。
来週、俺たちはファーストホイッスルに再挑戦する。
美穂は十分力をつけてきたし、IAのノミネート条件である、ランキング20位以内に入らなければいけない週、
俗にいう運命の36週にギリギリ間に合うのが、来週の放送だ。
つまり裏を返せば、その日は今まで以上の混戦が予想される。
勝てばかなりのブーストが期待できるが、負ければそれまでの事だ。
俺たち以外のプロダクションも、ラストチャンスとこの放送枠を狙っている。
それはそうと。美穂は今日受けなくて運が良かったかもしれない。
「凛ちゃんに続いて、卯月ちゃんも合格と来たか」
NG2のソロデビューラッシュ第2弾、島村卯月。
普段の彼女からはオーラなんて大層なものは感じないけど、いざパフォーマンスを始めると、
アイドルとして強く輝きだす。
今日のオーディション内容に順位をつけるなら、間違いなく彼女が1等賞だ。
421: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:36:26.01 ID:qXgxmKRw0
もしこの場に美穂がいたなら、どうなっていただろうか?
卯月ちゃんのパフォーマンスに負けじと、焦ってしまったかもしれないな。
このオーディションは、マイペースに挑むのが一番だ。
「あれ? 美穂ちゃんのプロデューサーさんだ」
結果発表が終わり、抽選会場へと向こう途中、卯月ちゃんが駆け寄ってくる。
着替える時間もなかったのか、衣装はオーデションの時のままだ。
「やぁ、卯月ちゃん。お疲れ様。凄く良かったよ」
「そうですか? ありがとうございます! プロデューサーさんは見学に来てたんですか? 美穂ちゃんも来てます?」
「美穂はレッスン中だよ。俺は来週の抽選に来てるんだ」
「来週かぁ。ってことは、未央ちゃんと戦うって事か。うーん、どっち応援すればいいんだろ……」
「やっぱり未央ちゃんが来たか……」
美穂がCDを出した日、本田未央も曲を出していた。
あちらは敏腕Pによる業界とのコネや、彼女自体の実力もあってか発売された時から方々で話題になっていた。
俺たちも宣伝活動を頑張っているつもりだけど、それでも彼女たちの戦略に比べ見劣りしてしまう。
422: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:41:18.69 ID:qXgxmKRw0
「美穂が委縮しなければいいけど」
紅白に出場したと言う肩書のついたアイドルと、番組出演を賭けて同じオーディションを受ける。
合格者枠1って決まっていたなら、勝ち目はなかっただろう。
だが、枠の決まっていないファーストホイッスルならば、勝てなくとも合格を目指せる。
「あーあ。来週見れたら良かったんですけどね。私、お仕事があって応援に行けないんです。だから、オーデには未央ちゃんとその付き人で凛ちゃんがいると思いますよ?」
「君たちのプロデューサーは、卯月ちゃんに付くって事か」
「そうですね。私の受ける仕事、結構大きいんですよ。それに、凛ちゃんは私よりも大人ですからね」
凛ちゃんこと渋谷凛は非常にクールで落ち着いた印象を与える。
最年長でユニットのリーダーをしている卯月ちゃんの目の前で言うと、
自覚があるにしても失礼な気がするから黙っておくが、彼女よりもリーダーっぽく見えるぐらいだ。
一方の本田未央はユニットのムードメイカー。底抜けに明るく、いい意味でウザいと評される、
裏表のない性格でファンから愛されている。もちろん実力は2人に負けちゃいない。
とりわけ、審査員や観客へのアピールに関しては、天性の才能を持っている。
自分の魅力を理解して、最大限アピールする。簡単そうに聞こえるかもしれないけど、
それが出来れば誰だってトップアイドルになれる。
423: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:52:37.45 ID:qXgxmKRw0
とにかくアピールは加減が難しいのだ。
やり過ぎると、作っていると思われて純粋に見れなくなるし、だからと言って何もしなければ印象に残らない。
彼女のアピールは、そんな計算を一切感じさせない自然なものだ。やるべきタイミングで、やるべきアピールをする。
自分の適性と限界を正しく把握していないと、出来ない芸当だ。
女子高生としての学力はどうか知らないが、アイドルとしてはかなり賢いだろう。
「未央ちゃんは合格してほしいけど、美穂ちゃんにも合格してほしいんですよね。どっち応援すればいいんだろう?」
同じユニットの仲間か、違い事務所の親友か。確かに、悩ましいな。
「両方すればいいんじゃない? 選考基準は勝ち負けじゃないしさ」
「そうですよね! 2人に頑張れって言っておこっと! あっ、すみません。足止めしちゃって。抽選会ですよね?」
「おっと。忘れるところだった! それじゃあ卯月ちゃん、またね!」
「はい! 美穂ちゃんに頑張れって言っておいてください!!」
卯月ちゃんは手を振って去っていく。しかし未央ちゃんが来たか。十分予想できたはずなのに、失念していた。
「運が悪いのは、来週の方じゃないか?」
嘆いても仕方ない。抽選会へ行こう。今日の運勢は、悪くなかったはず。前みたいに大トリは勘弁願いたいな。
424: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:55:28.96 ID:qXgxmKRw0
「久し振りです!」
「おっふっ!」
会場に入るや否や、勢いよく肩を叩かれる。急なことで驚いて振り向くと、見知った顔が。
「服部さんのプロデューサー! ここにいるってことは、抽選会に?」
「はい。でも今は、瞳子さんのプロデューサーではないんですけどね」
「あっ、すみません」
地雷を踏んでしまう。しかし俺からすると、やっぱり服部さんの印象が強い。
「いえいえ。僕自身、まだ瞳子さんのこと諦めてませんし。光栄なぐらいですよ。でも今は、事務所がオーディションで獲得した子を担当してるんです」
「今日も来ているんだけど、どこに行ったんだろう。お手洗いに行くって行ったきり、帰ってこないや」
だいたい2ヵ月前のことだったかな。
瞳子さんのプロデュースを中断した後、別のアイドルをプロデュースし始めたとまでは聞いているけど、
一体どんな子をプロデュースしているんだろう。
「プロデューサーさーん! どこですかー?」
「噂をすればなんとやらってやつですね。愛梨ちゃん! こっちだよ!」
425: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 14:59:32.18 ID:qXgxmKRw0
「ゆ、揺れとる……」
間延びした声の主は、胸を揺らしながら走ってくる。まさか、この子が服部Pの新しいアイドルか?
「居ました! 酷いですよプロデューサーさん! 先に行かれちゃ場所が分からないじゃないですか。ってあれ? この人、どなた様ですか?」
愛梨ちゃんと呼ばれた彼女は、服部さんとは全く似通っていない。服部さんをCoolと表現するならば、彼女はPassion。
服装といい喋り方といい、どこか緩い雰囲気を醸し出してるのも、服部さんと対照的だ。
見た感じ高校生かな?
「紹介しますね。彼女は今僕がプロデュースしているアイドルの」
「あっ、自己紹介ですか? 十時愛梨って言います!」
十時愛梨。名前を言われて、ピンときた。確か美穂と同じ日にCDデビューを果たしたアイドルの1人だ。
所属事務所が服部Pと同じと思っていたら、まさか彼がプロデュースしていたとは驚きだ。
「それと、これでも大学1年生です」
「大学1年? てっきり高校生かと思ってた……」
ということは18歳か19歳になるわけか。正直とてもそうは見えない。
同じぐらいの身長の未央ちゃんと同じ歳だと勝手に思っていた。
426: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 15:01:46.39 ID:qXgxmKRw0
「この人は、シンデレラプロのプロデューサーさんだよ。同じ日にCD出した小日向美穂ちゃんのプロデューサー」
「始めまして。小日向美穂はご存知ですか?」
「あっ、あの可愛い歌の子ですか! チュチュチュチュワとか私好きですよ? えっと、サインとか貰っちゃっていいですか!? ここに書いてください! んしょ」
そう言ってペンをこちらに渡すと、愛梨ちゃんは服を脱ぎだそうとする。って服!?
「こらこら! ここで脱がないの!」
「えー。暑いんですよー、ここ。暖房効き過ぎですよ。プロデューサーさんもそう思いませんか?」
「だからっていきなり脱ぎだされるとビックリするかな、うん」
冬だから当然つけるに決まっている。外に出れば嫌でもありがたみが分かるはずだ。
尤も、節電ブームの影響か、そこまで温度を上げてはいないと思うが。
それとだ。
「えーと。愛梨ちゃん。俺にペンを渡されても困るんだけど」
「へ?」
この子、天然なのかな……。
427: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 15:05:32.60 ID:qXgxmKRw0
「美穂は今日、レッスン中でいないんだ。だからこの場では渡せないかな?」
「そう言えばそうですね。プロデューサーさんが書いてくれるわけじゃないですし」
サインは俺に書かせるつもりだったのか? しかもさっき服に書かせようとしていなかったか?
「ははは、見ての通り結構抜けている子なんですけど、実力はかなりのものです」
「デビューから1ヶ月もしていないんですけど、事務所総出で彼女をプッシュしていますし、この番組以外のオーディションも勝ち上がってきてます。ポテンシャルの高さはNG2の3人にも負けていないと思いますよ?」
「えっへん!!」
大きく大きな胸を張る。
彼女のことはよく知らないが、1年近くファーストホイッスルを見続けた彼がそこまで言うんだ。
1、2ヶ月でこのオーディションに立つぐらいだし、その才能は本物だろう。
彼らは本気で1発合格を狙っているのかもしれない。
「抽選会を始めますのでー、参加希望の方は渡した番号順にくじを引きに来てください!」
「おっと。そろそろ僕たちも行きますね。それでは、また来週お会いしましょう」
「失礼しまーす」
係員の指示で、抽選会が始まる。くじを引く順番は20番目。良い番号が残ってますように――。
428: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 15:07:11.19 ID:qXgxmKRw0
「ってなわけで、美穂の順番は18番だ。野球ならエースナンバーだな」
「それって、何人中ですか?」
あまり言いたかないんだよな。今回に関しては。
「……109人中18番だよ」
「ひゃ、109人!? お、多すぎませんか!? 煩悩の数以上ですよ!?」
「ぼ、煩悩っすか……」
そりゃあ驚くよなぁ。前回の72人ってのもびっくりなのに、今度は3ケタの参加者だ。
審査をする彼らの心労は絶えないだろう。合掌。
係員も過去最大数の参加人数だと言っており、始まる時間が前倒しになったぐらいだ。
途中昼休憩が挟まれるにしても、アイドルにとっても見学者にとってもハードな1日になることは間違いない。
「どうしてそんなに受けるんですか?」
「仕方ないよ。運命の36週に食い込める最後のチャンスだから、それに縋るアイドルも多いだろうし、全国放送になったからね。熊本でも映るってことさ。まぁそれ以上に、合格人数が決まっていないというのが一番大きいかな」
429: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 15:17:13.62 ID:qXgxmKRw0
「納得しました。競争率、凄いんですね」
「それと。来週さ、本田未央が参加するんだ」
「ええ!? 本田未央って、あの未央ちゃんですか!? NG2の!?」
「ああ。これが合格者1人だとかだったら、勝ち目がないと参加を見送るところも多いんだけど、ファーストホイッスルはそうじゃない」
「あっ、そっか!」
合格できるかはタケダさんたち次第で、トップになる必要もない。
ゆえに相手がオーディション荒らしだろうと関係ないのだ。
しかし未央ちゃんが出ることで、参加を見送った団体も少なくないはずだ。本当なら、何人参加したのだろうか。
考えただけでぞっとする。一日で終わるのか?
「確かに相手は紅白出場アイドル、しかも3人の中で最もアピール上手と言われている本田未央。紛れもなく強敵だ。だけど、俺たちだって負けるわけにいかない」
「だから、自信を持つんだ。前の失敗は、恥ずかしがることなんかじゃない。むしろ誇ってもいいぐらいだよ。この失敗のおかげで、私はもっと輝けましたってね」
「はい! 頑張ります!」
430: ◆CiplHxdHi6 2013/02/10(日) 15:28:18.43 ID:qXgxmKRw0
今回のオーディション、1月23日にCDデビューを果たしたアイドルは、美穂を合わせて5人とも参加している。
『わかるわ』
地方局の女子アナからアイドルへ転身と言う、異色の経歴を持つ川島瑞樹。
『ウッヒョー! なんというか、ロックですね!』
美穂と同時期に活動を始めた、ロック系アイドル多田李衣菜。
『暑いですねー。服脱いで、これ衣装でした……』
服部Pのもと、力をつけてきた超新星十時愛梨。
『みんな! お待たせ!』
そしてNG2最後の刺客、本田未央。強敵ぞろいで、今回のオーデも一筋縄ではいかないだろう。
だけど――。
『わ、私! 負けません!!』
美穂も彼女たちと十分戦えるはずだ。時間はまだある。営業を入れつつ、来週への調整といかなくては。
434: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 21:57:11.11 ID:WL4AFhYm0
「2ヶ月ぶりなんでしょうか?」
「かな。俺はちょくちょく来てるけどね」
「でも。私と一緒なのは、2回目です」
オーディション会場を前にして、俺たちは立ち尽くす。
「いい天気だ。外れなきゃいいけどさ」
空を仰げば雲一つない快晴。それだけで、不思議と俺の心は落ち着いていけた。
「……」
「あれは……」
美穂はと言うと、広場に設置されているベンチを見て物思いに更けている。
あのベンチは、服部さんと別れた場所だ。美穂にとって、良い思い出は残っていない。
「えいっ」
「あたっ! なにするんですかぁ!」
435: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:02:28.28 ID:355pu5qE0
軽く凸ピンすると、アホ毛がふわりと揺れる。そう言えば、ご両親も同じ場所にアンテナが立ってたっけか。
「いやさ、辛気臭い顔してたからついついやっちゃったよ」
「ついついでデコピンしないでください~!」
「ははは、ゴメンって」
涙目でポカポカ叩いてくる。最初のころに比べると、本当に距離が近くなったなぁ。
「美穂はさ、まだ服部さんの事気がかり?」
「まだ、夢に出てくるんです。雨の中、あのベンチで悲しそうな顔をする瞳子さんが。夢と思えないぐらい、リアルに」
「変ですよね。雨の冷たさだって感じちゃうんですよ? ちゃんと前に行かなくちゃいけないのに。私は、まだあの日のまま」
美穂は浮かない顔で答える。きっと彼女は、あの日のことを一生忘れないだろう。
「忘れろとは言わない」
「え?」
「乗り越えることは、忘れることじゃないんだ」
悲しいことも、嬉しいことも取りまとめて一歩先に進むこと。それが、俺達に残された最良の手段だ。
436: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:05:07.44 ID:355pu5qE0
「悲しい顔がよぎるなら、嬉しそうな服部さんの顔を見ればいいんだ。美穂が夢を叶えてトップアイドルになれた時、服部さんはまたステージに上がるよ」
「俺たちは、あの時の俺たちとは違う。技術もパフォーマンスも格段に進化していってる。だから、自信を持って楽しんでおいで」
「楽しむ……」
「歌って踊れて、見ている人がいればそこは立派なステージ。オーディションだろうがライブだろうが、観客を魅せればいいんだよ」
今ここで、美穂が歌いだしただけでもステージになるんだ。観客はファン一号の俺だけだ。
「私に、出来るんでしょうか?」
「出来るよ。つーか出来てたじゃん。クリスマスパーティーとかさ!」
12月16日。あの講堂にいた人は漏れなく美穂のパフォーマンスに心を奪われた。
全く美穂を知らない人も、彼女の同級生たちも、アイドル小日向美穂のライブで幸せになったんだ。
「で、でも! 今日はオーディションです。もし失敗したら……」
ラストチャンス。その言葉が美穂の小さな身体に重くのしかかる。前みたいにこけたら? そう考えているのかな。
「そうだな。じゃあこうしようか。ランプの精って知ってる?」
437: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:12:36.07 ID:355pu5qE0
「えっと、アラジンですか?」
美穂でも知っているか。だいぶ昔の作品だけど、今なお愛され続けている名作だ。
「うん、それ。願いを3回まで叶えるってやつね。千夜一夜物語ってやつの内の1つなんだけど、それはまぁいいか。」
「それがどうしたんですか?」
「なに、簡単なこと。美穂が今日のオーディションを乗り越えることが出来たなら、どんな願いでも3つ叶えてあげるよ」
「へ?」
ランプの精改め、ランプのP、ここに誕生。
438: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:13:54.63 ID:355pu5qE0
――
「なんでも、ですか?」
突拍子もないことを言われて聞き返してしまう。ランプの精のお話は、小学校のころに見たことが有る。
どんな内容だったかは忘れたけど、願いを3つ叶えるランプの精の存在だけは鮮明に憶えている。
『もし美穂ちゃんなら、どんな願いが良い?』
その時の担任の先生は微笑みながら、そう聞いてきたっけ。
私、なんて答えたんだろう?
今の私なら、なんって答えるんだろう?
「あっ、家が欲しいとかそう言う金銭的にヤバいのはパスでお願いしたいかな。それと願い無制限とか言うのもね」
「どう? やる気出た?」
物で釣られているみたいで、少しだけムッとしてしまう。
だけど彼なりに、私を力づけようとしてくれているんだ。それはとても嬉しい。
うん、何時までも逃げちゃダメだ。決めたんだから。
ファーストホイッスルに絶対合格するって。変わってみせるって。
439: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:15:12.09 ID:355pu5qE0
「そうですよね。失敗するのを怖がっちゃダメですよね」
もっと怖がるべきは、見てくれている人、応援してくれている人が楽しめないと言うこと。
私のパフォーマンスで素敵な気持ちになってくれたなら。
「プロデューサー。私、容赦しないかもしれませんよ?」
「お、お手柔らかにお願いしたいかな?」
「ふふっ」
言ってしまった手前、冗談でしたと言えずに困った顔をする。そんな律義で抜けている彼が、可愛く感じた。
「おっと、時間だ。それじゃあ行こうか、美穂」
「はい」
会場へ一歩一歩近づいていく。不安はあるし、やっぱり怖いものは怖い。
心の中では雲が覆い始めている。
だけど――。
440: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:22:46.21 ID:355pu5qE0
「あっ」
「えへへ。入るまで、こうしていてください」
「はは……、パパラッチに見つからないよう祈っておくか」
「大丈夫ですよ。そんな悪趣味な人、いません」
暖かくて大きな彼の手と、私の小さな手を重ねると、どんな悪天候でも光が射す。
私のちっぽけな不安も、消えてしまうんだ。
「あの、プロデューサー」
「何かな?」
「このオーディションに合格したら、私と……」
「あー、ちょいちょい。そこのTPOをわきまえないカップルさん? ちょっと良いかな?」
「おっふっ!」
「きゃっ!」
彼の暖かさを感じていると、不意に後ろから声をかけられ勢いよく手を離す。
441: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:26:35.51 ID:355pu5qE0
「あれ? 邪魔しちゃった感じ?」
「そ、そそそんなことないですよ! ってあれ?」
振り返ると、困ったようにこちらを見ている少女がいた。ってこの子……。
「ほ、本田未央?」
「そうでーす! みんなのアイドル、本田未央でっす! あっ、本田味噌じゃないからね。そこ重要だよ?」
星が出そうなウインクをして、彼女はお辞儀をする。
「っておや? もしかしてキミは……みほちー?」
「へ? みほちー? 私のことですか?」
「うーん、そっちのプロデューサーさんに『みほ』って名前は有り得ないかな」
『みほちー』と呼ばれたのは初めてのことだったから、少し驚く。
しかも名前を知っててくれたなんて。卯月ちゃん伝いに聞いたのかな?
442: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:33:34.37 ID:355pu5qE0
「しまむーから話は聞いてるよ? 学校に仲のいいアイドルがいるってさ」
「あのプライベートの話題0で、アイドルの話しかしなかったしまむーにも、友達がちゃんといたんだとしぶりんと安心したっけ」
「結構失礼なこと言ってるよね、君」
「?」
どうやら未央ちゃんは他人とは違った呼び方をするみたいだ。しまむーは卯月ちゃんで、しぶりんは凛ちゃんだろうな。
「プロデューサーからCDは買うよう言われたけど、ジャケットの写真より可愛いな。でも、私も負けてないけどね! ってか私が可愛い!」
またもやウインク。あざとい位のキャラクターも、彼女の明るい口調と、
3人の中で1番のアピール上手と言われるだけあってか、不思議と嫌味に感じない。
「何が可愛いんだか」
「あだっ!」
パシン! 丸められたパンフレットで未央ちゃんの頭は叩かれる。
「いたた……、なにするのしぶりん~」
「遅刻する方が悪い。これが私じゃなくて、プロデューサーだったなら、今頃どうなっていることか」
443: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:36:00.14 ID:355pu5qE0
「そ、それは想像したくない! しぶりん、黙っててくれるかな?」
「いいともっ! って言うと思う?」
「そ、そこをなんとか渋谷様ー!! 私目は道に迷ってただけなんです!」
「会場、目の前じゃん」
「うぐっ、この2人が悪いんだよ! 目の前でいちゃつき出すからさぁ、ちょっかい出したくなって」
「この2人? あっ……。そういうこと」
目の前で繰り広げられる漫才を、私たちはポカンと眺めていた。えっと、状況が読めない……。
「えっと、凛ちゃん?」
未央ちゃんの参戦はあらかじめ聞いていた。だけど、凛ちゃんがどうしてここに? まさかまた参加するの?
「そっか、驚くよね。私、今日は未央のプロデューサー代行なんだ。私たちのプロデューサーは、卯月についてるからさ」
プロデューサーと言うことでか、凛ちゃんは学校指定の黒い制服をきっちりと着こなしている。
心なしか、第一ボタンを締めているのが窮屈そうに見えた。どちらかと言うと、スケバンみたいな印象もってたし。
「アンタらのことも、卯月から話を聞いてるから知ってるよ。小日向美穂と、そのプロデューサー。悪くないかな」
444: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:38:53.36 ID:355pu5qE0
「へ? 悪くない?」
「あっ、こっちの話ね。気にしなくていいよ」
「う、うん」
「それじゃあ、会場で。ほら、未央。行くよ」
「ちょっとちょっと! 引っ張らなくても行けるって!! 一緒に合格しようねー!」
ずるずると凛ちゃんに引きずられながら、未央ちゃんたちは会場入りする。
「俺たちも行くか」
「は、はい」
もう一度手をつなぎたかったけど、また誰かに見られると怖いので我慢する。
それに、十分すぎるぐらい彼のエネルギーは貰えたから、大丈夫。
「えへへっ」
本番前に、もう一回だけ補給しておこっと。
445: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:44:28.34 ID:355pu5qE0
「小日向さーん! 久しぶりですね!」
「貴方は……、瞳子さんのプロデューサー!」
「1週間ぶりですね」
前回と同じ内容の説明が終わり、柔軟をする相手を探していると、懐かしい顔が私の前に現れた。
隣には、スタイルのいい女の子もいる。新しい担当アイドルかな?
「すっかりアイドルも板についてきたってとこかな? そうそう、彼女の紹介はまだだったね。この子は十時愛梨ちゃん。今僕がプロデュースしているアイドルだよ」
「十時愛梨です! 小日向美穂ちゃんですよね? サイン貰っていいですか?」
「へ? サイン?」
そう言って愛梨ちゃんは私のCDと黒ペンを取り出す。えっと、これに書けばいいのかな?
CDの発売イベントとかで、サインを書くことにも慣れた。
「小日向美穂っと」
丸っこい字で小日向美穂と書いてやる。
「ありがとうございますね!」
喜んでくれて、何よりかな? 変な感じがするけど。
446: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:46:45.56 ID:355pu5qE0
「愛梨ちゃん、君もアイドルなんだよ?」
「あっ、そういえばそうですね。サインいりますか?」
「え、えっと……。じゃあこのスケジュール帳にお願いします」
「ちょっと待ってくださいね!」
何だろう。かなり天然さんなのかな? サインを自分から書こうとする人、初めて見た。名刺交換?
「十時愛梨です!」
「あ、ありがとうございます?」
悪い人ではないと思うし、凄く可愛いんだけど、彼が前プロデュースしていた服部さんとは、
何から何まで違う彼女に、私は少し戸惑う。
服部Pの好み、変わったのかな?
「美穂、一緒に柔軟したらどうかな?」
「そうですね。愛梨ちゃん、柔軟しませんか?」
「えっと、よろしくです!」
447: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 22:54:28.96 ID:WL4AFhYm0
「よいしょ、よいしょ」
「ふぅ……。私こんなに体やわらかかったっけ? 美穂ちゃんのおかげです?」
「コツがあるんだよ。こう息を吐きながら……」
「おおー!」
前回服部さんに教わったことを、愛梨ちゃんに実践してみる。こうやって技術は伝わっていくのかな。
いや、よくよく考えれば、愛梨ちゃんは私にとって初めて出来た後輩アイドルだ。
相馬さんも後輩アイドルと言えば後輩アイドルだけど、アイドルとしての彼女に会ったことがないし、
電話やメールをしても向こうの方が年上なため、敬語使ってどちらが先輩か分からなくなる。
「あれ?」
周りを見渡すと、すぐ近くにさっきの2人が。
「んしょ、んしょ……。あー、体曲がるなぁ。すっごく曲がるなぁ。誰かが手伝ってくれたらもーっと曲がるんだよなぁ。残念だねぇ」
「未央、今のあんた相当ウザいよ?」
「いやさ、私だって他のアイドルと柔軟したいよ? だけどさ、なまじ売れちゃったから、みんな遠慮しちゃってしぶりんと虚しくやってるわけですよ」
448: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:03:18.63 ID:QAsoEWzq0
「虚しくってどういう事」
「あだだ! 急に曲げないで! あー、こういう時に一緒にやってくれるみほちーとか、小日向さんとか、美穂ちゃんとかいればなぁ!」
チラッ、チラッ。
「どこかにいないかなぁ、アホ毛のキュートな女の子とか、クマさんと一緒に寝てそうな女の子とか」
「あー、美穂?」
「ですよね。あのー、未央ちゃん。一緒にしますか?」
「待ってました!」
「はぁ、なんかゴメンね。うちのバカが」
「バカって酷いよしぶりん!」
気にしないようにしていたけど、チラチラとこっちに目を向けてくるので、未央ちゃんも混ぜて柔軟をする。
「あれ? プロデューサーどこに行ったんだろ」
柔軟を終わらせ一息つくと、プロデューサーと凛ちゃんの姿がないことに気付く。
449: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:04:13.28 ID:QAsoEWzq0
「えっと、プロデューサー何か言ってましたか?」
「いや、僕は知らないよ。2人ともどこ行ったんだろう?」
どうやら服部Pも知らないみたいだ。
「一緒にお手洗いに行ったとか?」
愛梨ちゃん、それは流石にないよ。
「ふっふーん。さては逢引とか? きゃー! しぶりんたら大胆!」
「え、えええええ!? あ、ああああ逢引!? それ、マジですか!?」
逢引って、逢引だよね!? プロデューサーと、凛ちゃんが!?
「み、みほちー、冗談だよ……。そんな驚かなくても」
「あっ、えっと、その……」
気が付くと、周囲の視線を集めてしまっていた。そんなに大声を出したら、目立つに決まってるのに。
「あ、アイダホバーガー、割引、です?」
「その、なんと言いますか。スンマセン」
プロデューサー、早く帰ってきてください……。
450: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:08:01.02 ID:QAsoEWzq0
――
「少し、付き合ってくれる?」
「へ?」
「時間取らせないから」
アイドルたちが柔軟していた中、凛ちゃんが耳元でそう言った。何やら用があるみたいだったので、彼女について外に出る。
「コーヒー飲む?」
あの日と同じベンチに座って、コーヒーのプルを開けると深い香りが鼻を通る。
「ありがと。お金いくら?」
「いや、良いよ。年下の女の子に払わすのも悪いし。120円ぐらいなんだしさ、気にしなくて結構だよ」
「多分こっちの方が儲けてるよ? でも、ありがたくいただいとくよ。ありがとう」
「どういたしまして」
そりゃ今を時めく売れっ子アイドルなんだ、どれだけお金が有っても、使う暇もないだろう。
それに、この子はしっかりしているし、無駄遣いするようなこともないはず。
近いうちに納税長者番付に名前が出てきそうだ。
451: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:09:25.88 ID:QAsoEWzq0
「未央が迷惑かけてなきゃいいけど」
「まさか。美穂も愛梨ちゃんも、大先輩と柔軟出来て嬉しいだろうし」
「大先輩だなんて。それ程でもないよ。ただデビューが早かっただけ」
「それでもこのスピードでここまで来たのは凄いと思うよ? いくら敏腕Pが付いてるとは言え、オーディションや仕事をするのは君たちだ」
プロデューサーは、主人公じゃない。飽くまで、アイドルという原石を輝かせるための裏方でしかない。
だけどその原石がただの石なら、どんなプロデュースをしても石ころは石ころだ。
NG2が化け物じみているのは、3人が3人とも、偽りなく才能に溢れているということ。
そして、天才プロデューサーの腕により、日本一の女の子たちへと変わりつつある。
「褒めても何も出ないよ?」
「そうかな。それより、どうして俺を呼び出したんだ?」
「ねぇ。もしも美穂が、他の事務所に移るってなったら。アンタならどうする?」
「え?」
「移籍。この業界じゃ珍しくないでしょ」
452: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:11:11.88 ID:QAsoEWzq0
彼女の言うように、アイドルの移籍は良くある話だ。
こういう言い方をするのも少し心苦しいが、アイドルは1人の女の子であると共に、商品価値を持つ存在でもある。
金銭で引き抜かれるということもまま有ることだし、今以上の環境を求めて事務所を変えるということも少なくない。
「もしもの話だから、そんなに深刻に考えなくていいよ。街頭アンケートみたいなもの」
そうは言うが、急に言われると返答に困ってしまう。
美穂が移籍する。これまで、考えてこなかったわけじゃない。認めたくなかっただけだ。
「俺は……」
もしもの話でも、リアルに感じてしまう。凛ちゃんからすれば、笑って気楽に答えて欲しかったのかもしれない。
「も……。し美穂のことを俺以上に輝かせることが出来る人がいれば、その人に任せたいと思う」
「意外だね。てっきり美穂は俺のアイドルだ! 手放すものか! って言うと思ったのに」
そう言えたら、どれだけ心強いだろうか。
453: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:15:25.01 ID:QAsoEWzq0
「美穂には、才能が有ると信じている。俺が美穂を輝かせきれていないのなら、それは罪だ」
「ふーん。信じてるんだね、美穂を」
「ああ。だからこそ、もっと上に行くべきだ」
理想は常に高く持っている。美穂とともに駆け抜けて、トップアイドルになる。
だけど俺が足枷になっていたのなら? それはアイドル小日向美穂を殺しているのと同じことだ。
「まぁ、何でもいいや。興味深い話聞けたしね。美穂には黙っておくから安心して」
「軽蔑したかい? 美穂の両親に託されている人間なのに、こう弱腰でさ」
美穂にはいつも前向きな言葉をかけてるけど、俺だって不安でいっぱいなんだ。情けない――。
「まさか。しないよ。アンタが美穂の事、心から大切に思っているってのは伝わったし」
「へ?」
「俺より上手くプロデュース出来る人間に託したいだなんて言っても、そんな悔しそうな顔してたら、嫌なんだろうなてのがひしひしと伝わって来たよ」
「美穂は、幸せ者だね。それだけプロデューサーに思われて」
454: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:17:32.19 ID:QAsoEWzq0
「凛ちゃん、君は」
「勘違いしないでよ。私だって、プロデューサーのことを信頼してるし、あの人以上のプロデューサーはいないと確信している」
「厳しい人だけど、私たちの成功を心から喜んでくれる人だし、あの人がいなかったら私達3人は出会うことすらなかったからさ」
「感謝してるんだ。だから私たちは、彼女の夢、トライエイトを果たす。それが、私たちから贈れる、プロデューサーへの最大の恩返しだからさ」
その眼には一切の迷いはなく、ただ頂点だけを見据えていて。
このオーディションも、落ちるなんて考えていない。既にIA、IUにまで目を向けて準備をしているはずだ。
「戻ろう。そろそろ柔軟も終わってるだろうし」
「そうだね」
『美穂を俺以上に輝かせる人がいれば』と言ったが、そんなやついて堪るか。
俺は、彼女をNG2に負けないぐらい素敵な女の子にして見せる。
「今日それを証明するんだ」
負ければ腹を切るぐらいの覚悟を胸に、俺達は会場へと戻る。今更しても、遅いのに。
「結構良い顔してるよ」
「そりゃどうも」
それでも、彼女たちと同じ覚悟は出来た。
455: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:19:24.59 ID:QAsoEWzq0
「プロデューサー! どこに行っていたんですか!?」
会場入りすると、美穂達がスポーツドリンクを飲みながら待っていた。
服部Pも飲んでるってことは買ってもらったのかな。
「ああ、ちょっとお手洗いにね」
「凛ちゃんとですか?」
「へ? あー、そうだよ?」
「ええええ!?」
冗談のつもりで返したが、美穂は本気で驚いている。
「さいてー」
ボソリと冷淡に吐き捨てられた言葉が、鋭い刃となって胸に突き刺さる。渋谷様、目が怖いです。
「ここのお手洗いって男女兼用なんですか?」
「んなわけあるかーい! しっかし、とときんって天然だよね。一番年上なのに」
未央ちゃんと愛梨ちゃんも仲良くなって何よりだ、うん。
456: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:24:22.83 ID:QAsoEWzq0
「わ、私がお手洗いに行ってる間に! ここ来ない! でくださいね!!」
「いや、いかんがな」
「漫才してる場合じゃないよ。ほら、始まっちゃう」
時間は開始5分前。美穂の順番は109人中18番だ。25番目が終わった後に昼休憩に入ることを考えると、早いうちに出来て良かっただろう。
「みほちーは18番か。私は何と! 109番です!」
「プロデューサー、クジ運は悪いもんね」
「そんなことないよ! むしろラッキー? 全部持って行けるってのも、乙なもんだし!」
大トリは今オーディション1番候補の、未央ちゃん。普通なら一番最後になると気が滅入りそうなものだが、
彼女はむしろ楽しもうとしている。なんという強心臓。これが、紅白出場アイドルの余裕だろうか?
「えっと、私って何番でしたっけ?」
「愛梨ちゃんは63番だよ」
「中途半端ですね」
愛梨ちゃんは63番か。このオーディションは初めてらしいが、緊張しているように見えない。
果たしてどんなパフォーマンスを見せるのか。非常に気になる。
457: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:29:57.29 ID:GzMKCAOP0
――
「じゃあ未央、私あっちで見てるから」
「りょーかい! しぶりん、寝ちゃダメだよ?」
「アンタと一緒にすんな」
「あだっ!」
「ったく、頑張ってよね。アンタの合格で、私たち3人胸張っていけるようになるんだから」
「うん。プロデューサーに見て貰えないのは残念だけど、絶対合格してみせるからね」
――
「やっぱりドキドキしちゃうなぁ……」
「愛梨ちゃん、緊張するかもしれないけど、気楽に行こう。最高のパフォーマンスを見せるんだよ。良いね?」
「気楽に……。はい! 頑張るんです!」
「それと、待ってる間だけど、暑いからって服脱がないこと。いいね?」
「え? ダメですか?」
「ダメだよ! それじゃあ、愛梨ちゃん。頑張って」
458: ◆CiplHxdHi6 2013/02/11(月) 23:32:17.78 ID:GzMKCAOP0
――
「俺も戻るかな?」
「あのっ、プロデューサー!」
「ん? どうした、美穂」
「えっと。わ、私の手。その、握って、く」
「どう? 気持ち、落ち着いた?」
「はい。とっても、幸せな気持ちです」
「その気持ちを、みんなに伝えるんだ。それがきっと」
タケダさんの、いや俺たちの理想なんだ。
「みなさん集まっていますね。まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください。それでは、エントリーナンバー1番、白菊ほたるさん」
「はい」
「――エントリーナンバー18番、小日向美穂さん」
「はい!」
ファーストホイッスル、リベンジマッチが始まる――。
463: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:09:31.68 ID:BjX4c2Ht0
――
14、15、16。3分刻みで、私の順番に近づいてくる。
『きゃっ』
あの日のことは、忘れようにも忘れることが出来ない。
最低な失敗をして、先輩との別れが有って、全部に投げやりになって。
もう2度と、ここに立ちたくないとまで、思っていた。それぐらい、私の心に大きな傷を残した。
「あっ……」
会場にいそいそと入ってくる影。タケダさんのお弟子さんだ。名前はえっと……――さん。
彼は私の姿を確認すると、柔らかく微笑む。私も微笑み返してみる。それぐらいの余裕はあった。
「17番、輿水幸子ですよ!」
後3分で、私はもう一度立つ。これが、IAノミネートへの最後のチャンスだ。
生まれてきて18年間で、一番長い3分になるだろう。
「……」
タケダさんは1mmたりとも表情を変えない。その姿は、お面を被っているが如し。
「ありがとうございました!」
自信満々な17番の子が席に座る。――私の番だ。
464: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:16:19.53 ID:x9uYMRtc0
「ありがとうございました。それでは、エントリーナンバー18番の方、よろしくお願いいたします」
会場の空気は張りつめたままだ。油断をしてると、飲み込まれちゃう。
だったら、私が飲み込んじゃえば良いんだ。
ここにいる人すべてに、幸せな時間を与えることが出来たなら――。
「うん、行けるっ」
小さく呟いて、自分を盛り上げる。プロデューサーと離れていても、彼の暖かさはまだ残っている。
今でも、私の手を握ってくれているように感じた。
私は始まったばかりだ。限界を悟るなんて、まだまだ先のこと。
「エ、エントリーナンバー18番! 小日向美穂、です!」
観客はクマさんじゃない。私と同じ人間。
だから、恐れることなど何もない!
聞いてください、Naked Romance!!
465: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:18:11.65 ID:x9uYMRtc0
(凄い……! こんなに気持ちよく歌えるなんて)
曲が流れて踊り出すと、私の光景は、味気のない会場は一瞬にして煌びやかなライブ会場へと変わった。
色とりどりのサイリウムが振られて、ここにいる皆が私の歌を聞いてくれている。
恥ずかしいけど、すっごく楽しい!
(これも、曲の魔法かな?)
私と一緒に成長する曲。歌えば歌うほど馴染んで行って、踊れば踊るほど軽やかに、私の体の一部のように。
甘くてキュートで、あれだけ怖かったみんなの視線も、今の私にはカンフル剤だ。
テンションは、最高潮! 止まる気がしません!
会場に座る皆の心に、何か伝わったかな? もしそうなら、凄く嬉しいな。
「――♪」
プロデューサー。私、今最高に楽しいです!
「あ、ありがとうございましたぁ!!」
人生で一番長い3分だとか言っておきながら、ふたを開ければあっという間に終わってしまった。
もう一度歌いたい。そんな欲求が私の体を電流のように駆け巡る。
466: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:22:51.40 ID:x9uYMRtc0
「小日向さん、でしたね」
「え?」
肩で息をしながら座ろうとすると、タケダさんが急に声をかけてきた。
えっと、なにかやらかしちゃったのかな?
「良い曲に出会えましたね。それは、凄く幸運なことです。その出会いを、大切にしてくださいね」
「は、はい!」
怒られるどころか、褒められたのかな?
人との出会いはもちろんのこと、曲との出会いも一期一会。
もし自分とともに育って行ける曲に運よく出会えたら、全身全霊を込めて命を与えないといけない。
それがアイドルの、使命なんだ。
私の世界を大きく変えたこの曲に、命を与えることが出来たのが、誇らしく思う。
「失礼しました。それでは、エントリーナンバー19番の方、よろしくお願いいたします」
「えんとりーなんばー19番、小早川紗枝といいます。よろしゅう頼んます」
人事を尽くした。後は天命に身を任せるだけ。
神様がいるのなら、私のパフォーマンスどう思ったかな? 盛り上がってくれたら、それはとても良いことだ。
467: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:29:24.38 ID:x9uYMRtc0
「美穂!」
「プロデューサー!」
休憩時間に入り、昼ご飯をどうしようと考えているとプロデューサーが私の肩を叩く。
「どうでしたか? 私の、パフォーマンス」
「驚いたよ。クリパの時以上の完成度だったよ。もしこれがオーディションじゃなくてライブだったなら、観客も大盛り上がりさ」
「本当ですか!? えへへ、嬉しいな」
「今まで25人のパフォーマンスを見てきたけど、美穂が一番だと思うよ」
「もう!」
褒め殺しが炸裂する。今回は私も自信が有るので、素直に喜んでおく。
「そうだ。お昼どうしますか?」
「そうだな。あの喫茶店でとるか?」
瞳子さんが働いていた喫茶店だ。オムライスを思い出すだけで、お腹がすいてきた。
今日はもう終わったから、何も気にせず食べてもいいんだ。
468: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:31:14.95 ID:x9uYMRtc0
「良いですね! 行きましょう、プロデューサー」
「だね。でも折角だから、服部Pも誘ってみるか」
プロデューサーはそう言って服部Pに連絡をする。
「愛梨ちゃんと一緒に向かうそうだ。俺らも行こうか」
「はい!」
「よし、出発進行! ほら、しぶりんも急いで!」
「アンタホント遠慮ないよね」
マスターたち、私のこと憶えているかな? とウキウキしながら会場を出ようとすると、
何時の間にやら声が増えていた。
「え?」
「へへっ、会いたかった?」
「ねぇ、私らも混ざって良い? 自分の分は自分で払うからさ」
乱入するのが好きな2人だなぁと思いました。
凛ちゃんと未央ちゃんも、一緒に食べることになりました。友達がどんどん増えていきます。
469: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:32:07.76 ID:x9uYMRtc0
「いらっしゃいませ。おや、君は服部さんと来てた」
「小日向美穂です。席空いてますか?」
「ああ、大丈夫だよ。今日はまだお客さんが少ないし」
昼前と言うことで混んでいるかと思ったけど、案外空いていた。6人座れる席を用意してもらい、私たちはメニューを決める。
「ねぇみほちー。おススメってどれ? このあんこ入りパスタライスってすごく気になるんだけど」
食べ合わせが悪そうな料理だ。頼んでみたいとも思わない。罰ゲーム用?
「おススメかぁ。オムライスが凄く美味しいよ」
「じゃあ私はそれで! 言っておくけど、私はオムライスに対しては結構うるさいクチだからね」
「適当なこと言わない。初耳だよ」
「それじゃあ私もオムライスで。あっ、頼んだら絵とか描いてくれますか?」
「愛梨ちゃん、メイド喫茶じゃないんだからさ。僕はカツカレーで」
「じゃあ俺もそれでお願いします」
「私もオムライスで」
470: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:34:29.11 ID:x9uYMRtc0
女子4人はオムライス、男性2人はカレーを頼む。前も同じメニューだったっけ。
「新しい写真だ」
オムライスが来るまで暇なので周りを眺めていると、壁に掛けられている写真が増えていることに気付く。
12月○日……、前のオーディションの次の日だ。
『また会おう、服部さん』
大分に帰る前に撮った写真かな。一晩明けて吹っ切れたのか、瞳子さんの表情は晴れやかだ。
「瞳子さん、見ててくださいね」
私は貴女に、何も恩返しが出来ていない。同じステージに立つことすら叶わなかった。
私の活動を見て、少しでもこの世界に戻りたいと思ってくれたなら、それ以上嬉しいことは無い。
「お待たせしました」
他愛のない話をしている内に、料理が到着する。
「コホン! それじゃあここにいる3人の! 合格を願って……、乾杯っ!」
「騒がしい!」
「あだっ! しぶりんドイヒーだよドイヒー!」
「TPOをわきまえないアンタが悪い。あっ、うちらのことは気にしなくていいよ。いつものことだし」
471: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:36:03.10 ID:x9uYMRtc0
何故か音頭を取った未央ちゃんの頭に、丸めたメニューが竹刀のように降りかかる。
凛ちゃんは怒らせると怖いというのがよく分かった。
「それじゃあ気を取り直して、いただきます! うん、これは美味しい!」
「あっ、猫の絵描いてくれてますね! 食べるのが勿体無くなりました……」
「美味しい。こんなにふわふわしたオムライス、初めてかも」
オムライス初体験の3人も気に入ったみたいだ。作ったのは自分じゃないのに、自分の事みたいに嬉しくなる。
「食べ終わったら戻りましょう。デレプロの2人はもう終わっちゃいましたけど、僕らはまだ先ですし。体が硬くならないようにしとかないと」
「美穂からすれば、長い時間待つのキツイかもしれないけど、他の子のパフォーマンスを見るのも勉強だよ」
前と違って早いうちに終わったので、私はじっくりとみんなのパフォーマンスを見ることが出来た。
皆凄いなぁ、と小学生みたいな感想を持ったけど、突出してるなと思ったのは、
『よろしゅう頼んます』
私の次にパフォーマンスをした小早川紗枝ちゃんと、
『川島瑞樹です。よろしくお願いいたします』
休憩に入る前の25番、川島瑞樹さん。
472: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:39:39.47 ID:x9uYMRtc0
紗枝ちゃんは他のアイドルと一線を画している。会場を間違えた、と言われても仕方なかっただろう。
京都出身なのか、はんなりとゆるやかな京言葉を操り、衣装も変わっていて、
まるでかぐや姫の様な和装でオーディションに臨んでいた。
扇子片手に華やかな演舞を披露した彼女は嫌でも目立つ。
下手すれば私の印象が薄れてしまうんじゃないかと危惧してしまうぐらいだ。
そして川島さん。彼女はプロデューサーから事前に聞いていた人だ。
1月23日にデビューシングルを出したアイドルの1人で、今回のオーディション参加者の中で最年長だという。
なかなか短いスカートを穿いていたのは、自分に絶対の自信があるからかな。
元地方局のアナウンサーと言うこともあって、全く緊張しているように見えなかった。
歌声も艶やかで、他のアイドルにはない魅力をアピールできていたと思う。
「自分だけの魅力、かぁ」
癒し系とか小動物みたいって良く言われるけど、それは私の武器になっているのかな。
もう一度自分の適性や魅力と向き合ってみよう。新しい発見があるかもしれないし。
473: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 21:41:05.12 ID:x9uYMRtc0
「考え事?」
スプーンの止まった私を、プロデューサーが心配そうに見ている。
「あっ、そう言うのじゃないです。ただ川島さん凄かったなぁって思って」
「凄かったねー。なんというか、新人アイドルなのにベテランの風格、年期感じるあだっ!」
「そういうこと言わないの」
凛ちゃん未央ちゃんの漫才も慣れてきた。大体未央ちゃんが地雷を踏んでるから、擁護しようもない。
「でもああいう大人って憧れちゃいません? 私も憧れられたいです」
愛梨ちゃんのそのスタイルの良さは誰だって憧れると思う。時々プロデューサーが、目のやり場に困っているし。
「でもさ。私は美穂のパフォーマンスも好きだよ。正直驚いたし」
「うんうん! タケダさんが進行止めて声かけたぐらいだからね」
「そうですよ! 流石ですね! ですよね、プロデューサーさん」
「ええ。前回の時より格段に進化しています。瞳子さんがいたら、驚いたでしょうね」
474: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:01:36.81 ID:Mne2aDBS0
何が流石なのか分からないけど、手放しに褒められると照れてしまう。
「大丈夫、美穂はナンバーワンだよ」
「はいっ」
うん、自信が出てきたぞ。胸を張って、結果発表まで待とう。
「休憩の後だけど、次に要チェックなのは多田李衣菜かな。ロックなアイドル志望らしいけど、どう来るかな」
李衣菜ちゃんは前のオーディションでも一緒だった。
初参加かつトップバッターでありながら、堂々としたパフォーマンスを見せていたっけ。
あれからどう進歩しているんだろう。
「おっと、そろそろ戻らないと。無理せず早く食べてくれ」
「ちょ! それ矛盾してるよ!」
「グダグダ喋りながら食べる方が悪いんでしょっと」
「あー! しぶりん私の食べないでよ! 一気に流し込むぞ!」
「あっ、未央ちゃんそんなことしたら!」
「んがぐぐっ!」
掻き込んだオムライスが喉に詰まり、苦しそうに胸を叩き始める。
475: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:06:19.00 ID:Mne2aDBS0
「言わんこっちゃない。水飲みなよ」
「さ、サンキュ……。いやぁ、お見苦しい所をお見せしちゃった。でも、パフォーマンスに直ちに影響はないからね。あしからず♪」
ウインクしながら自信満々に言う。調子のいい性格の未央ちゃんだけど、
なんだかんだ言っても実力は折り紙つきだ。日本中が認めているところだろう。
今回のオーディション参加者の中でも際立っていて、109人中109人と言うのも、
彼女が望んだ順番のように感じていた。
最後の最後で、彼女は全てをかっさらっていくつもりなんだ。それだけの自信と、実力が彼女には有る。
「んじゃ、行きますか!」
残り74人。結果発表はまだまだだ。私たちは会場へと戻る。
でもその前に。
「あのっ、プロデューサー」
「ん?」
「またパワー、貰っていいですか?」
476: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:11:50.01 ID:QupQHEfu0
「へ? 美穂?」
彼の返答を待たず、私は彼と手を繋ぐ。なんというか、図々しくなってきたかも私。
「もう出番は終わったよ?」
「結果発表までありますから」
「大丈夫だって、美穂は必ず合格する。だから不安に思うことなんてないんだ。どっしりと構えておくんだ」
「でもきっと……。他のアイドルのパフォーマンスを見て、不安になっちゃいますから。だから、勇気を貰うんです」
「何事にも動じない、強いハートを私に下さい」
「こんなので、伝わるのかい?」
「はい。だってプロデューサーは魔法使いですから」
「魔法使い?」
彼が魔法使いで、私はシンデレラ。だったら王子様は……、一人二役。
「こうしているだけで、私は強くなれます」
「そっか。満足した?」
「はい。十分です」
477: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:26:24.51 ID:2pZaYt5W0
――
「それじゃあ戻ろうか」
「はいっ!」
「……」
「……」
「見ましたか、しぶりんや」
「うん。あれはどうなの? アイドルとして、プロデューサーとして」
「いいんじゃないの? 中学生カップルみたいでさ」
「中学生でも、あそこまで恥ずかしいことしないよ」
「しぶりんもプロデューサーが男の人だったならやってたかもよでっ!」
「変なこと言うな! ほら、戻るよ。行った行った!」
「ふぁあい……」
「今は良いかも知れないけど、あの2人の未来は……」
478: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:27:39.18 ID:2pZaYt5W0
――
「あの子、凄いね」
「あー。やっぱそう思う?」
「うん。パフォーマンスの質が他の子よりも高い水準だし、なにより曲にマッチしている」
「だね」
凛プロデューサーが耳元でつぶやく。マッチしている、か。仰る通りで。
エントリーナンバー47番、多田李衣菜。
前回はイケイケのロックだったが、今回は緩めの曲調に落ち着いたみたいだ。
個人的にはこっちの方が彼女に合っている気がする。
言ってしまえば、彼女は美穂にとってのNaked Romanceのように、
自分と共に成長する、生きていく曲を手に入れたのだ。それは、先の川島さんも同じだ。
「凛ちゃんは」
「ん?」
「自分にしか歌えないって歌ある?」
479: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:30:09.40 ID:2pZaYt5W0
「変なこと聞くね。カラオケ行けば入ってんだし、みんな歌えるよ」
そう返されると、返答に困ってしまう。共通認識かと思ってたけど、そうでもないのかな。
「えっと、聞き方が悪かったかな」
「嘘。言いたいこと分かってるからさ」
「要は、私にマッチした曲って事でしょ? あるよ。というかその曲だからCD出したんだし」
「デビューシングルのこと?」
「うん。有名な作曲家の先生に私に合っているだろう曲を数曲作ってもらって、その中からチョイスしたんだ」
「なるほどね。敏腕Pのコネは侮れないな」
「まあね。ほら、次の子始まるから静かにしよ」
「すんません」
人生経験はこっちの方が長いけど、業界人としては彼女は俺より1年近く前にデビューしている。
相手は美穂より年下の女子高生なのに、変にへこへこしてしまう。貫禄の違いか?
480: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:31:58.68 ID:2pZaYt5W0
「来たか……」
「どんなパフォーマンスを見せるか、楽しみだね」
「愛梨ちゃん、頑張れっ!」
エントリーナンバー63番、十時愛梨。服部Pの事務所の秘密兵器らしいが、如何なものか……。
「次の方、どうぞ」
「えっ? 私ですか? 十時愛梨です。エントリーナンバーは64」
「十時さんは63番ですね」
「あっ、ごめんなさい。63番みたいです」
タケダさんを前にしても、天然ボケは炸裂する。
「ビジュアルタイプかな。CDで聞く限り歌も上手かったけど、幾分か補正はあるだろうし」
凛ちゃんの言うように、見たところダンスは苦手でビジュアルアピールに強そうだけど……。
音楽が流れだし、パフォーマンスが始まる。ダンスはやっぱり不得手っぽいけど、俺達の予想は大きく裏切られる。
481: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:39:27.69 ID:2pZaYt5W0
「なっ」
「凄い……」
「よしっ」
プロデューサーズは3者3様のリアクションを見せる。
凛ちゃんは感嘆の溜息を溢し、服部Pは始まったばかりなのに大きくガッツポーズをして、
俺は思ってもいなかった切り札に言葉が詰まってしまった。
男性諸君の視線を集めてしまいそうな完成されたスタイル。彼女のアピールポイントはそこだと思っていた。
それは俺以外も同じだろう。きっとこの会場にいる人のほとんどが、愛梨ちゃんの本質に気付いていなかったと思う。
そのスタイルすら、どうでもいいと思えるほどの歌声。それこそが彼女の本当の武器だ。
プロの歌手でも、ここまで歌える人は数少ない。のびやかに通る歌声が会場を包み込む。
愛梨ちゃんは、ここにいる全員を見事に騙したのだ。
「こりゃ驚きだな」
CDで聞いて、彼女の歌は上手だと思っていた。ただ録音技術の発達もあって、ある程度修正が聞くようになっている。
だからライブでの生うたとのギャップが大きいアイドルも少なくない。
実際俺も、彼女についてはそうだと思っていた。だけど生で見た彼女はどうだ? 正直言って、化け物じみている。
482: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:43:20.58 ID:2pZaYt5W0
「ありがとうございました!」
愛梨ちゃんのパフォーマンスが終わると、あちらこちらから小さな拍手が聞こえてくる。
オーディションで拍手が起きるなんて前回今回と見て、初めてのことだった。
アイドルたちの席を見ると、美穂も未央ちゃんも拍手をしていた。
「――」
ただどういうわけか、未央ちゃんは複雑な顔をしている。
「はぁ。私らだってオーデで拍手は貰ったことないのに。これが才能ってやつ? 目に見える才能って、結構エグイね」
凛ちゃんが少し悔しそうに漏らす。なるほど、そいつは複雑だろうな。
NG2に次ぐ超新星、十時愛梨――。とんでもない子がやって来た。
「未央が焦らなきゃいいけど」
最後にそう弱々しく呟いて、凛ちゃんはメモ帳片手に黙って見学するようになった。俺もそれに倣って静かに見守る。
483: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:47:00.06 ID:2pZaYt5W0
――
「ふぅ……」
最後の休憩時間、私はすっかりぬるくなったスポーツドリンクを飲みながらボーっとしていた。
もうすることがないというのは、気が楽だ。
それでも、待ち続けるのも結構辛い。もう一度プロデューサーから勇気貰おうかと考えていると、
「あっ、美穂ちゃん。隣良いですか?」
「愛梨ちゃん。お疲れ様、かな?」
愛梨ちゃんがよいしょと言って私の隣に座る。
(視線感じちゃうなぁ……)
行きかう人々は私たちに視線を寄せる。それもそうだろう。
私はともかくとして、愛梨ちゃんは人を惹き付ける何かを持っている。
それは努力してどうにかなるものじゃない。生まれつき持っている、才能の様なものだ。
484: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:53:09.62 ID:QupQHEfu0
「愛梨ちゃんは、デビューしたのが12月なんですよね?」
「うん。それがどうかしました?」
「ううん、何でもないよ」
2ヶ月ほどでここまでの力をつけているのは、服部Pたちの努力の賜物か、それとも愛梨ちゃんの素質か。
認めるのは少し悔しいけど、私は後者だと思う。
スタイルの良さは言わずもがな、圧倒的な歌唱力は2ヶ月でどうにかなるものじゃない。
元々の素体が優れているという証拠だ。
「ここでゆっくりしていたいですねー。はぁ、肩が凝っちゃった」
どれだけ努力しても到達出来るか分からない世界へ、彼女はほんの少しの時間でたどり着いたんだ。
生まれた時からアイドルになることを宿命つけられていた、そう考えると不思議としっくり来る。
「んしょ、んしょ……」
疲れたように自分の肩をもむ愛梨ちゃんは、可愛いと思うと同時に恐ろしくも感じた。
底が見えない――。彼女はまだまだ進化し続けるだろう。
485: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:56:14.33 ID:40gUGq6Y0
「嫉妬しちゃうなぁ」
「?」
仲良くなった子が褒められるのは嬉しいことだ。だけど、手放しに喜べない自分もいるわけで。なんとも複雑な気持ちだ。
「あっ、そろそろ時間だ。戻りましょう!」
「……えいっ」
飲み干したペットボトルを、ゴミ箱に向けて投げてみる。
勢いよく飛んだそれは、ゴミ箱のふちに当たってコロコロと転がる。
「惜しいですね」
「……上手く行かないなぁ」
ゴミはゴミ箱へ。そのままにせず、ちゃんとゴミ箱に入れる。格好悪い所、見せちゃったな。
「よしっ、気合入れて聴くぞ!」
残り24人。1時間と数分だ。また緊張しちゃうんだろうなぁ。しても何も変わらないのに。
「頑張れ、未央ちゃん」
ここにはいないお調子者にエールを送っておく。
486: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 22:57:36.22 ID:2pZaYt5W0
「108番の方、ありがとうございました」
煩悩の数、終了。そして最後を飾るのは、この人。
「本田未央! です。よろしくお願いします!」
「あれ?」
未央ちゃんも緊張しているのかな。心なしか、焦っているように見えた。
「……ッ」
ぎこちなく審査員の前に立つ彼女に、少し違和感。
「あっ、うん。そうだよね。ふぅ……」
だけどその違和感はすぐに修正される。何かを見つけたのか、震える身体は落ち着いていく。
「にっ!」
「?」
未央ちゃんはこっちに振り向きニコリと笑った。やっぱり、気のせいだったのかな。
487: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:01:49.36 ID:SVjuui8a0
――
「108番松山久美子さんか……」
「?」
先ほどパフォーマンスをしていたアイドルの名前を呟くと、メモを始める。
審査が始まった時から、彼女は時々こうやってメモを取る。一体何を書いているんだ? 採点ごっこ?
「見ないでよ、変態」
「いや、見てないって。って変態ってなんだ変態って」
「女子とお手洗いに行ったとか言う人のこと。ほら、未央の出番……。はぁ、やっぱりこうなるか。休憩中にメンタルケアしとくんだった」
「へ?」
困ったように溜息をつく凛ちゃんは視線をステージの上の未央ちゃんに向ける。
「ああなった未央は失敗しやすくなるの」
「あらま」
似ているのだ。アイドルになりたての頃の美穂に。
488: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:05:18.67 ID:SVjuui8a0
舞台慣れしているはずなのに、ファーストホイッスル特有のプレッシャーのせいか、
未央ちゃんは素人目にも分かるぐらいにガチガチになっていた。
「愛梨のパフォーマンスが毒になったね……」
「へ?」
「未央の悪い癖。自分より出来てると思った相手が出ると、焦ってしまうんだ。現在進行形でその症状が出てる」
逆に言うと、美穂のパフォーマンスは取るに足らないものだったって訳か。うん、複雑だ。
「――」
「手話?」
「うちらのサイン。大声出してエール贈るわけにいかないでしょ?」
凛ちゃんの手が放つメッセージの意味は分からないけど、ちゃんと未央ちゃんに届いたみたいで。
「あっ、うん。そうだよね」
いつもの調子を取り戻したみたいだ。いったん後ろに振り返る。彼女の目線の先は、美穂?
489: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:18:47.42 ID:7mLCnIXc0
音楽が流れると、未央ちゃんはテレビで見た以上に軽快でダイナミックなパフォーマンスを魅せる。
愛梨ちゃんに隠れてたけど、彼女も何気にスタイルがいい。
「これが未央ちゃんか……」
「生で見るのは初めて?」
「恥ずかしながらね」
「じゃあとくとご覧あれ。なんてね」
映像媒体で満足していた自分がバカみたいに思えてきた。アイドルは生で見てナンボだ。
ダンスの完成度、歌唱力でなら他のアイドルが勝っている部分もあるだろう。
とりわけ歌唱力に至っては、愛梨ちゃんと言う化け物がいるし。
「感服するよ」
だけどそれ以上に、彼女のアピール技術は天賦のものが有った。
ベストなタイミングで、ベストなアピールが出来る。簡単そうに聞こえて、かなり難しいテクニックだ。
未央ちゃんはその難しさを感じさせないアピールを連発する。
こればっかりは、現役アイドルの中でもトップクラスの実力と思っていいだろう。
490: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:20:13.58 ID:YN5Lkg5G0
「ありがとうございまーす!」
ウインクを残して、曲が終わる。
「気が利くね」
「そりゃどうも」
2人でこっそりと拍手をしてみる。ブラボーって言っても良かったかな。
「ありがとうございました。それでは、結果発表までしばらくお待ちください」
全てのパフォーマンスが終わり、タケダさんたちはそう言い残して会場を出る。
会場を覆っていた緊張感は一瞬にして消えて、アイドルたちの顔に疲れが浮かんできた。
「ドキドキの結果発表か……」
合格者は未定だが、大体いつも多くても3組だ。美穂はその中に滑り込むことが出来るか――。
「今回レベル高かったですね」
凛ちゃんのいた席に美穂が座る。凛ちゃんは未央ちゃんと話しているみたいだ。
「最後のチャンスだからね。NG2みたいに、再登場って人は流石に居ないみたいだけど」
491: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:23:18.19 ID:BXtAv2ap0
それぞれの思惑、夢、意地がぶつかり合ったハイレベルなオーディション。
それでも、ステージに立つことが出来るのは一握り。
「プロデューサー。私、合格できるでしょうか?」
不安げに尋ねる。パフォーマンスの後はハイな気分だったけど、
その後冷静になっていくにつれて、他のアイドルに引け目を感じてきたのだろうか。
「んーっ。天命さんを待つしかないな」
座りっぱなしだったので、背伸びをするととても気持ちが良い。
「そうですね。私たちに出来るのは、それだけなんですね」
「美穂が望んだ答えじゃないかもしれないけど、それがベストな返答だな」
「いえ。大丈夫です。少し、気が紛れました」
今日まで俺たちは人事を尽くしてきたつもりだ。だから後は、なるようにしかならない。
「大変お待たせしました。これより、結果発表に移ります」
「ほら、席に戻りなさい」
「はい」
492: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:27:58.61 ID:BXtAv2ap0
審査員たちの登場に、騒々しかった会場は一気に静まる。心臓の鼓動は響き、緊張が走る。
「今回のオーディションは非常にレベルの高いものでした。運命の36週が絡んでいるとはいえ、皆様の熱意は十分に伝わってきました」
「私たちも、審査員と言う立場で皆様のパフォーマンスを見ることが出来て、とても誇らしく思います」
「ですが、私たちの理想の音楽を体現したアイドルはまだまだ少ない。どうか、今回合格した方々が、理想に共感して浸透させてくれることを、願っています」
アイドルたちも担当プロデューサーたちも、まだかまだかとタケダさんの言葉を待っている。
「……」
祈るように目をつぶる服部P。
「ふぅ」
あくまで態度を崩さず、余裕を見せる凛ちゃん。
「行けるっ」
そして俺の心臓は爆発寸前。早く行ってくれないと、心臓麻痺で倒れそうだ。
「前置きが長くなりましたね。合格したユニットは……」
493: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:28:54.02 ID:BXtAv2ap0
「18番、25番、47番、63番、109番の5人です。おめでとうございます」
494: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:31:08.19 ID:BXtAv2ap0
「今、18番、って言ったよね……」
おれゆめみてるとかないよな? ほほをつねる。うん、いたい。
「うん、言ったね。おめで」
「いよっしゃあああああ!!」
「うっし!」
「ちょ、2人ともうるさいって!」
女子高生に注意されるいい大人2人。と言っても、凛ちゃんもなんだかうれしそうな顔をしている。
「御三方、喜ぶのは構いませんが、程々にお願いしますね」
アイドルより盛り上がったら、怒られるわな……。
「あっ、すみません」
「……私まで巻き込まれたじゃん」
「後でコーヒー奢るからさ」
「私、言うほどコーヒー好きじゃないんだけど」
495: ◆CiplHxdHi6 2013/02/15(金) 23:33:30.67 ID:BXtAv2ap0
――
「18番、25番、47番、63番、109番の5人です。おめでとうございます」
ずっと続くかと思われた沈黙の後、タケダさんはそう言った。
「え、えっと……18番?」
自分の番号札を確認する。18番だ――。
「やっ」
「いよっしゃあああああ!」
「うっし!」
「ちょ! 2人ともうるさいって!」
「御三方、喜ぶのは構いませんが、程々にお願いしますね」
「った?」
私以上に喜んでいるプロデューサーたちが微笑ましい。でもこれ、夢じゃないよね?
「いたひ」
頬を思いっきりつねる。痛みはある。つまりこれは、現実だ。
「ここまで、来れたんだね」
不意に目から流れる涙。そっか、今日の私は、嬉しくて泣いているんだ――。
503: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:08:27.05 ID:sYzhGMjy0
「それではファーストホイッスルのオーディションを終了いたします。合格者とその関係者は打ち合わせがございますので、残っていてください」
そう締めくくられて、今回合格できなかった参加者は会場から出て行く。
「プロデューサー。これ、夢じゃないですよね?」
さっき確認したのに。それでも、自分の置かれている状況がファンタジーじみていて、いまだに信じられない。
彼も同じだったのか、右頬が少し赤くなっている。
「ああ、夢じゃないよ。俺たちは1つ、夢を叶えたんだ」
「あんまり、実感がないです」
「そう言うもんじゃない? 夢って」
今日までどれだけの時間。この日のために費やしてきたのかな。学校以外の時間は殆どかけたはずだ。
だけどオーディションは3分間だけで、ファーストホイッスルも1時間番組。
そのうち、私がピックアップされる時間はさほど長くないだろう。
5人もいるんだ、1人1人の時間は長く取れないはず。
504: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:10:17.64 ID:+2bDKIh10
「皆さん集まりましたね。まずは合格、おめでとうございます。素晴らしいパフォーマンスでした、掛け値なしに」
「さて、打ち合わせと行きたいのですが、その前に説明しておきたいことが。今回は5人と言う本番組始まって以来最大の合格者数が出ました」
やっぱり5人って言うのは珍しいことなんだ。他の番組ではそうでも無いけど、
この番組に関しては合格者は人数は決まっていないと謳っていながら、多くても3組ぐらいだったのに。
「私どもとしても嬉しいことですが、同時に尺の問題を機にされている方もおられると思います」
私の心を見透かしているかの様な発言に、ビクリとしてしまう。
「そこは心配いりません。今回の放送は2時間枠の特別編成と言うことになりましたので」
急な話で少し驚く。2時間番組ってことは、それなりに時間を使ってくれるってことだよね?
「ファーストホイッスルの後に放送される番組でトラブルがあったみたいで、放送延期と言うことになりました。そこで生放送をしている私たちに、尺埋めをしてほしいということで話が来ました」
「あまり手放しで喜んでいいものでもありませんが、折角のチャンスです。皆様には今日以上のパフォーマンスを期待しています。それでは、打ち合わせと行きましょうか」
打ち合わせが始まると。私は頷くことしか出来なかった。
難しい話は、プロデューサーがしてくれるから、とりあえず、『はい』と言っておけばいいんだ。
505: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:12:59.42 ID:7p5hTnAy0
「それじゃあこの方が……」
「なるほど。それではこれで。問題は有りませんか?」
「いえ、大丈夫です」
そんな私と対照的に、大人たちに混じってあれこれ意見を言う凛ちゃんの姿が格好良く見える。
「皆様、お疲れ様でした。それでは本放送もよろしくお願いします」
長い打ち合わせが終わって、背伸びをする。体中の緊張がどこかに飛んでいく気がして、すっきりとする。
「結構な時間だね」
時計を見ると、19時過ぎ。10時間近くこの場所にいたんだ。
「えっと、結構家から遠かったから……」
今から家に帰るとなると、21時前になるかな。疲れないわけがなかった。
「そうだ、プロデューサー。お弟子さん見ました?」
「あー、そう言えば来てたっけ。話しかけようとしたんだけど、忙しそうだったから結局話せなかったな。ファーストホイッスルの収録の時にでも会えるんじゃないか?」
506: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:14:55.92 ID:7p5hTnAy0
「そうですね。その時にちゃんとお礼しないと」
「だな」
このオーディションを乗り越えることが出来たのは、Naked Romanceを作曲して、私に託してくれた彼の力が大きい。
だからちゃんと私の口から言いたかった。ありがとうございましたって。
「いないっぽいし、長居するのもあれだな。帰ろうか」
「はい。えっと、失礼いたしま」
「あーっと、ちょい待ち!」
晩御飯をどうしようかなと考えていると、未央ちゃんが両手を広げて通せんぼをする。
「それされちゃ出れないんだけど……」
「折角だよ? 折角こうさ、事務所も経歴も違うアイドルたちが集まってんだよ?」
「それも何の因果か、同じ日にCDデビューしたアイドルばかりね。未央の場合はソロとしてだけど」
そう言えばそうだった。李衣菜ちゃんも川島さんも、1月23日にCDを出したんだ。
本当に偶然と言うのは恐ろしい。私たち5人は、1月23日会とでもいうべきかな。
507: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:18:37.86 ID:7p5hTnAy0
「親睦を深めないというのは、どうかと思わない? だから私は思うわけですよ! 食事会開こうと。ビバ、情報交換の場だよ!」
「アンタは外食したいだけでしょうが」
「良いじゃんかぁ。祝勝会だよ、祝勝会」
「収録が終わった後も打ち上げとか言ってそうだね」
「どうする美穂?」
祝勝会か……。
「ん? どうかした?」
「い、いえ。プロデューサー、私たちも行きませんか?」
「だね。俺も皆さんのプロデュースに興味が有りますし」
「んじゃ決定だね。良い場所知ってるからそこにしよう! きっと満足するよ?」
とりあえず未央ちゃんに任せておこう。祝勝会は楽しみだけど、本当は――。
「お酒はナシでな。俺車で来てるし」
彼と2人でしたかったけど、今日はわいわいはしゃいじゃおう。
508: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:24:10.78 ID:7p5hTnAy0
「さぁ着きましたよ!」
会場から歩いて3分ほど。緑の看板が目印だ。
「ここが未央ちゃんの一押しなわけ?」
「ここ、ファミレスじゃん」
噂のサイ○リアだよね、ここ。初めて見た。
「満足する場所じゃん! 安価で美味しイタ飯が食べれるんだよ? 少なくとも、私はいつものって言えばいつものが届くぐらい通ってるよ」
もっと豪勢な所に行くものと思っていたから拍子抜けしてしまう。
いくら売れっ子と言っても、やっぱり普通の女子高生と何ら変わりないんだ。
「飲み屋か。味と値段は否定しないけどさ。みんなは良いの?」
「私、このお店に入ったことないんです」
「へ? そうなん?」
「仕方ないか。熊本にはこの店ないからな。というか九州じゃ福岡にしか置いてないんだ」
「あらま。それじゃあ、デレプロコンビは大丈夫だね!」
509: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:33:39.80 ID:u33FsEqN0
「プロデューサー、そんなに美味しいんですか?」
「あーそうだね。コスパは良いかな。安くて美味しいってのはクリアしてるかも」
この歳になってサイ○リア初挑戦だ。妙にドキドキする。
「美穂ちゃん見てると懐かしいですね。秋田にもサイ○リアは無かったんですよ。だから初めて入る時、おめかししちゃいました」
愛梨ちゃんって秋田出身だったんだ。九州出身の瞳子さんと東北出身の愛梨ちゃん。逆の方がしっくりくるのはキャラクターのせいか。
「私は大丈夫ですよ! 講義の間とか良く行ってますし」
そう言えば愛梨ちゃんって何学部なんだろう。意外に理系だったりして。
「私は全然オッケーだよ。新しいヘッドホンとギター買ったばかりでお金がヤバかったとこだし」
ロック系アイドルを目指すだけあって、ギターとヘッドホンは必需品みたいだ。
「まぁ、15、6歳の子からすればご馳走なのかしらね?」
川島さんは大人の余裕を見せている。きっといいお店沢山知っているんだろう。
「それじゃあゴーゴー! あっ、10名で禁煙席で良いですよね?」
アイドル5人とそのプロデューサたち。はた目から見ればどう映るのだろうか? お見合い?
510: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:44:29.70 ID:u33FsEqN0
――
「ううん……」
「お疲れさんだな」
ラジオから流れる心地よいクラシックが子守唄となったのか、美穂は深い眠りに落ちた。
赤信号に捕まるたび、隣の寝顔をのぞいてみる。急ブレーキをかけても、起きやしないだろうな。
『はい、チーズ!』
ファミレスでの祝勝会は大いに盛り上がった。殆ど初対面と言っても良かった5人だったけど、
会計を済ます頃には一緒に写真を撮るぐらいには仲良くなったみたいだ。
『それじゃあまずは自己紹介タイムから!』
仕切り上手な未央ちゃんのおかげだろうな。彼女がうまい具合に場を盛り上げてくれた。NG2のムードメイカーは伊達じゃない。
「社長に話してみるか」
未央ちゃんは写真をブログに貼ると言っていたけど、美穂もブログないしTwitterを解禁してもいいかもしれない。
ファンとの交流の場としては最適だけど、使い方を誤れば取り返しのつかないことにもなる。
まぁ美穂はしっかりしてるし、そこん所を外すと思わないけど。
511: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:51:00.50 ID:2gb/6va20
「しかし……、あれはなんだったんだろ?」
良いことばかりに思えた今日だけど、1つ引っかかることが。
それは、凛ちゃんのこと。
『見ないでよ、変態』
彼女のプライベートなことが書かれた手帳なら分かる。だけどあの手帳は……違った。
祝勝会をしめて、会計の後のことだった。支払いを終わらせ、俺たちは店を出る。
その時、凛ちゃんはポケットから手帳を落とした。
「おっ、凛ちゃん。手帳落とし」
いきなり吹く強い風。落ちた手帳は風でめくれて、偶然にも付箋の張られたページで止まる。
「ッ!」
「凛ちゃん?」
「いや……。何でもないよ。さっ、出ようよ。美穂なんかもう眠そうだしさ」
「あっ、美穂? 起きてるかー?」
512: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 14:58:38.98 ID:Km9N3++Z0
慌てたように拾われて、凛ちゃんは何事もなかったかのように振る舞う。
だけど書かれていたのは、嫌でも興味を惹かれる内容。そして、俺に一抹の不安を与えるものだった。見えたページには、こう書かれていた。
Project Southern Cross ファーストホイッスルオーディション報告
108番、松山久美子――Type Passion 未央や先のオーディションに参加していた―――羽と同系統のアイドル。
ビジュアルアピールに特に―――あるみたいで、特に綺麗に見られるという技術については未央と十時愛梨以上。
スタイルも良くダンスも非凡な才を感じたけど、―だけは苦手みたいだ。評価はA。
32番、神谷奈緒――Type Cool 系統としては―や加蓮に近いか。
恥ずかしがり屋な一面があるも、振り切れた後の爆発力のあるパフォーマンスは好感が持てる。
個人的にだけど、照れた顔が案外――――。きっと―たちともうまく行けるはず。
後―が太い。好景気なんだろうか? 評価はA-。
18番、小日向美穂――Type Cute 親友の卯月と同じタイプ。
パフォーマンス自体は際立っているわけじゃないけど、―――節に溢れたNaked Romanceとの親和性が非常に高く、
今回のオーディションの――を最も体現できていたと思う。
――と並んだ時のバランスとも、悪くないか。担当プロデューサーとある種の―――の関係? が気にかかる。
評価はA。
513: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 15:04:45.15 ID:Cu29clJd0
一瞬のことだったから、所々虫食いされてたり、合っている自信はないけど、だいたいこんな感じだった。
今更確認のしようはないけど、網膜に残るほどのインパクトがあったのは事実だ。
自分でもよくここまで憶えれたものだと感心する。
「Project Southern Crossってなんだ?」
その一文がなければ、俺は凛ちゃんが参加アイドルたちの評価を個人的にしいているものだと考えていただろう。
だけど、余りにも怪しすぎる。そのせいで、彼女に疑念が生まれてしまった。
何故その3人なのか?
なんたらかんたら羽? と加蓮って誰だ?
あの反応は一体?
南十字星プロジェクト? どういうこっちゃ。沖縄にでも行くのか?
「なんだかなぁ」
メモ帳を一切手放さなったのは、俺の隣で同じように参加者を採点していたからだろう。
それに一体どういう目的があるか分からないけど、俺は得体のしれないもの不安を感じていた。
虫の知らせと言うのか? なんだか、嫌な予感がする。
514: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 15:05:58.99 ID:Cu29clJd0
「気にしても仕方ないか……。ほら、美穂。着いたよ」
家に着いたのは22時半だ。この後俺は帰って溜まっていた仕事をしなくちゃいけない。
眠る時間も惜しいぐらい、忙しくなっていく。
「んん……。あれ、私寝ていたんですか?」
「それはもう、気持ちよさそうに。よだれついてるよ」
「へっ? み、見ないでください!」
そっぽを向いて口元を拭く。反応が小動物みたいで可愛く、さっきまでの不安も少しだけ和らいだ。
「えっと、送って下さり有難うございます」
「今日は疲れただろ? 早く寝て明日の活動に支障が出ないようにしないとな。本番当日になって風邪ひきましたじゃざまぁないからね」
「はい。それじゃあプロデューサー、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
515: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 15:09:13.10 ID:Cu29clJd0
彼女の部屋まで送る。管理は徹底されているけど、もし悪質なファンが出待ちしていたら洒落にならない。
「誰もいないよな?」
まだいないと思うけど、パパラッチがうろついている可能性も無きにしも非ず。
厄介なことに巻き込まれる前に、立ち去ろう。
「ふぅ……」
車に戻って一息つく。ここでたばこでも蒸かしていれば、絵になっていたかもしれないな。
そんなガラでもないし、アイドルを預かる立場としちゃタバコはご法度だ。
「よし、俺ももうひと頑張りすっかね」
事務所に戻ってしなければいけないことは山ほどある。流石にちひろさんも帰っているだろう。
こういう時、事務所の鍵はドアの前に置かれた植木鉢に埋められている。なんと古典的な隠し技だろうか。
「行くかっ」
色々と思うことはあるけど、まずは美穂が一つ夢を叶えたことを素直に喜ぼう。
「おめでとう、美穂――」
516: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 15:11:04.56 ID:3WWwKLw+0
――
電話の向こうから流れる待ち歌は、私のソロデビューシングル。彼女のこういう気の利いたところが、私は好きだ。
「もしもし、プロデューサー? 私だけど」
「うん。今日のことはさっきメールした通りだから。十時愛梨はどうだったって? うん、未央が焦ってたよ。経験の差で何とかなったけど、結構ヤバかったかも」
「うん。彼女はユニット向きじゃないかな。残念だけどね」
「でも収穫も多かったよ。その3人は実際に見て貰う方が早いかな。きっといい感じにマッチすると思うよ。そっちは収穫有った? そう、それは残念だね」
「報告遅くなってごめんね。それじゃあまた明日。お疲れ様です」
ええ、さようなら。そう言って彼女は電話を切る。
「ふぅ。これで、後は帰るだけだね」
「しぶりん、プロデューサーと電話してたの?」
「うん。報告をいくつかさ」
「ご苦労様だねぇ」
517: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 15:15:52.72 ID:IP0djuFD0
私がプロデューサーに代わってオーディションを見に来ていたのは、未央の付き添いという理由だけじゃない。
この場に来れない彼女に代わり、任務を果たしていたところだ。
任務と言うと、言い過ぎな気がするけど。まぁ視察って所だ。
「うーん。あれにみほちーを巻き込むってのはどうなんだろうね?」
「巻き込むって人聞きが悪いね。間違ってはないけどさ」
立場で捉え方が変わってくる。もし私が美穂たちの立場なら、迷惑な話と思うのだろうか。
「こう言っちゃなんだけど、みほちーは……、あれだよ、あれ。ほら、あれだって。分かるでしょ?」
未央は語彙力が有る方じゃない。あれだよあれと言って私たちを悩ますけど、付き合いは長いんだ。
アンタの言いたいことは大体分かる。
「プロデューサーに依存してるって言いたいんでしょ?」
「そうそれ! それが言いたかった! しかもプロデューサーの方もみほちーにべた惚れって感じだし。良いなぁ、ああいうの」
「うん。見てて面白かった。だから、気が引けるよね」
518: ◆CiplHxdHi6 2013/02/16(土) 15:23:52.10 ID:cFB5QiZf0
恋は盲目、乙女の原動力とは良く言ったものだ。色恋沙汰は私にはよく分からない感覚だけど、私らも似たようなもの。
ここまで頑張ってこれたのも、彼女がプロデューサーだったからだ。
でもあの2人は、互いに依存し合っているようなもの。プロデューサー自身は自覚が無いのかも知れないけど、
話してみて分かった。彼も大概美穂に依存している。
「あの人からしたら、そんな都合知っちゃこっちゃないんだろうけどさぁ。どうなるかな? しまむーは喜びそうだけど」
どうだろうか。卯月の性格なら、却って申し訳なく感じそうだ。
私たちと違って、あの2人のことをよく知っているから。
当然、美穂の想いにも気付いているだろう。それが、彼女を突き動かしているということも。
「さぁね。先のことなんて、誰にも分からないよ」
どう転がるか分からない。私たちは、プロデューサーが振ったダイスに身を任せるしかない。
例え良くない方向に転んでも、あの人と心中する覚悟は出来ている。卯月と未央も、同じ気持ちだろう。
でもそれに、彼女たちを巻き込むのは……、ううん。あの人のことだ、上手くやってくれる。
いつだって、最良の結果を掴んで来たんだから。
「アンタらは、どう出る?」
気分は悪の組織の幹部。うん、案外こういうのも悪くない。
522: 10話 ショコラ~変わる世界と変わらない想い~ ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:17:20.29 ID:2vZMyEXY0
――
「バレンタインディキッス♪」
ラジオから昔のアイドルソングが流れる中、私達は甘いチョコレートの匂いに包まれる。
「まだまだ混ぜなきゃダメっぽいですね」
「チョコを作るのも大変ですよ?」
明日2月14日はファーストホイッスル収録日、そしてバレンタイン。
『そんなものお菓子メーカーの陰謀ですよ』
だなんてプロデューサーはぼやいていたけど、
『え? 欲しくないですか? 残念です、作ってこようと思ったのに』
『喜んでもらいますとも!』
と、ちひろさんがあげると言うと、イヌみたいに喜んでいた。
『あだっ!』
『ごめんなさい、足踏んじゃいました』
何とも嫉妬深くなったものだ。それもこれも、彼が悪い。
523: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:20:50.93 ID:Hkm3QVIs0
欲求には素直な彼と、悪意はないけどチラチラ煽るように見てきたちひろさんにムッとして、
ならば私も! と気合を入れて朝からチョコレートを作ってみることにした。
幸いと言うべきか、今日は仕事がない。失敗しても、夜までに何とかなるだろう。
「少し温度下げますか……」
だけど私は生まれてこの方チョコレートを作ったことがなく、勝手もよく分からなかったので、
大学のお菓子作りサークルに所属している愛梨ちゃんに手伝ってもらうことになった。
「ところで美穂ちゃんは誰に渡すんですか? あの人とか?」
「ほ、他にもいますよ! もちろん、プロデューサーにもあげますけど!」
「あの人ってだけしか言ってないですよ? と言ってもあの人って呼べるほど共通認識している男性はいない……ってなにいってるんだろ、私!?」
「さぁ? 分からないです」
愛梨ちゃん的にはカマをかけたつもりだったみたいだけど、逆に本人が混乱してしまった。
524: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:25:26.47 ID:Hkm3QVIs0
お父さん、プロデューサー、服部P、社長、会えればお弟子さん。親しい男性はこの5人だ。
後、友チョコも作ろう。卯月ちゃんはもちろん、共演する皆に用意するのもいいかも。
ただお父さんだけは郵送って形になるから、郵便局が閉まるまでに出来なさそうなら、市販のものを送るしかない。
「あっ、服に付いちゃった」
この部屋暑いですねぇ、という理由でなかなか際どい格好をしている愛梨ちゃんの胸のふくらみに、
溶けたチョコレートがポトリと垂れる。
しかもそれがホワイトチョコだったから……、なんというか、扇情的?
「舐めちゃえ。うん、甘い」
「……愛梨ちゃん?」
愛梨ちゃんの恐ろしい所は、一切の計算なくすべて天然だということ。
もしここにいるのが私じゃなくて、男の人だったなら? 想像するのも恥ずかしい展開が待っているに違いない。
「どうかしました?」
愛梨ちゃんのサークル、男性多いんだろうな。
525: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:29:40.12 ID:bxTxdVg30
「そう言えば愛梨ちゃんはチョコを作らないんですか?」
「私はもう作ってますから! これだけど……」
「凄い、本格的だ……」
「こう見えて、ケーキ作りは得意なんですよ? ケーキ作りでトップアイドル目指すなら、すぐになれるんだけどなぁ」
写メられていたのは、可愛らしくデコレートされたハート形のチョコレートケーキ。
街のケーキ屋さんでも売ってそうな出来だ。流石製菓研と言うべきか。
パティシエアイドルってのも彼女らしくていいな。
「美穂ちゃんも作ります?」
「えっと、ここまで本格的なのじゃなくてもいいかも……」
それこそ明日までに出来るか分からない。
「残念。じゃあどんな形が良いとかは?」
「そうですね……」
ハート形は流石に恥ずかしい。でも彼には、特別なチョコをあげたい。乙女心は複雑だ。
526: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:32:10.69 ID:bxTxdVg30
「あっ、プロデューサーくん」
周りを見渡すと、ベッドで寝ている彼の姿が。
「うん?」
「プロデューサーくんです!」
「へ? プロデューサーくんって……、あの人? 流石にヒト型は難しいです……」
「え? あっ、その……。プ、プロリューサーくんってのは、あのクマさんのことでして! ちょうどホワイトチョコも溶かしてるからちょうどいいかなぁって!」
自分でもテンパって何を言っているか分からない。鏡に顔を映せば、トマトが映っているはずだ。
「あー、クマさんの名前ですか。良い名前ですね!」
「そ、そうですよね! ねっ!」
愛梨ちゃんが天然でよかった。心からそう思った。
「クマの型紙なら、直ぐに作れますね。作っちゃいましょう」
慣れた手つきで型紙をクマの顔の形にする。ネズミとかには見えないはずだ。
527: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:36:42.91 ID:wAtttuLQ0
「ここに流し込めばいいんですよね?」
「そうですよ。それであとは冷蔵庫に入れれば、完成です!」
本当ならもっと早く終わったんだと思うけど、私の手つきが拙いこともあって必要以上に時間がかかってしまった。
「美味しく出来たかな……」
「美穂ちゃん、こういうのって心がこもってたら美味しくなるんですよ。そうテレビで言ってました」
「テ、テレビでですか……」
「あれ? 製菓研の先輩だったかな? えっと、とりあえず料理はハートなんです! ハートイートなんです! ラブイズオーケーってリーダーも言ってました!」
「リーダーって誰ですか?」
「リーダーって……誰でしょ?」
どこかピンとのずれた励ましだけど、そう言ってもらえると助かる。
料理は愛情が最高の調味料だ! とは母親の談。
私なりに、心を込めて作ったんだ。きっと美味しいはず。
528: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:38:28.21 ID:wAtttuLQ0
「そういえば、愛梨ちゃんは誰に渡すんですか?」
「サークルの皆とか、後プロデューサーさんかな。いつもお世話になってますし。あのチョコレートケーキは、プロデューサーさん用ですよ」
あんな凄い物を渡されて、本命だと思わない人はいないだろう。つまり愛梨ちゃんは彼のことを――。
「でもプロデューサーさん、一途だからなぁ……。分が悪いかも」
「へ?」
「あっ、こっちの話です! やることなくなっちゃいましたね」
誤魔化すように取り繕う愛梨ちゃん。彼女も彼女で乙女しているんだ。
「そうですね、テレビでも見ますか?」
この時間は何をやってたっけ? 適当にザッピングしてみる。
「あっ、川島さんだ」
「温泉リポートですね。良いなぁ、温泉」
たまたまついたチャンネルでは、タオルを巻いた川島さんが温泉リポートをしていた。
湯気の中映る彼女は、なんとも色っぽい。
529: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:42:16.23 ID:wAtttuLQ0
「川島さんトーク上手いなぁ。尊敬しちゃいます」
愛梨ちゃんが言うように、川島さんはトークが抜群に上手い。
当然人生経験の差もあるんだろうけど、アナウンサー出身と言うこともあってか、
時間通りに話をまとめることも出来て進行を妨げないトークは凄いと思った。
でもどうしてアイドルに転向したんだろう。気になる。
「他には何やってるんだろ」
これまた適当に変えると、今度は李衣菜ちゃんが映っていた。スタジオのセットを見るに、クイズ番組かな?
『残念不正解! お前は本当にロックのことを理解しているのかーっ!?』
『へ? ぶはっ!』
ブブーとブザーが鳴ったと思うと、頭上から大量の粉が降ってきて李衣菜ちゃんは真っ白になる。
『正解はBのリップ&タン! ローリング・ストーンズのロゴマークですね!』
『けほっ、けほっ……。これまたロックですね……』
何を言っているか分からなかったけど、どうやらロック関係のクイズに不正解だったということらしい。
そう言えば前の祝勝会でも、ロックが好きだと再三言う割には、同じくロック趣味の凛ちゃんの振る話題にあまりついて行けてなかったっけ。
530: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:50:43.60 ID:dMuu+1JB0
『私の本気、見てみない? ホンダ味噌……って五月蠅いな!』
つけっぱなしのテレビから、未央ちゃんの声が。彼女の明るいキャラクターが人気のお味噌のCMだ。
ソロでのCDデビューを果たしてから、彼女もピンの仕事が増えてきた。
もう誰も、NG2のオレンジだなんて呼ばないだろう。
それは卯月ちゃん凛ちゃんにも言えることだ。ファーストホイッスル合格後、2人もピンの仕事が倍増したらしい。
『来た仕事は全部受けるようにしてるんだ。おかげで体がいくつあっても足りないかな?』
とは卯月ちゃんの談。疲れたと言いながらも、本人は忙しい日々に満足しているみたいだった。
「みんな頑張ってますね」
「他人事……?」
「私も頑張ってますよ! でも、色々実感が湧かないんですよねー。つい2か月前まで、私もテレビの前で次のドラマの主役誰だろって思いながら見てたんですし。変な感じです」
のんきなことをいう愛梨ちゃんだけど、彼女もファーストホイッスル合格と言うことで、
ドラマの主役と言う大きな仕事が入ったのだ。
デビュー間もない新人アイドルがドラマ主演と言うだけでも話題になるのに、それも天下の月曜9時だ。
ファーストホイッスルの放送が終わった後には、どれだけの反響があることか。
531: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 00:58:33.70 ID:YS+GyKaT0
「美穂ちゃんも大きな仕事入ったじゃないですか?」
「うん。熊本の方だけどね」
周りの皆の世界が変わって行く中、かく言う私も合格後仕事が増えてきた。
その中で最も大きいのが、ホームグラウンド熊本での仕事、銀幕デビュー。
「私に出来るかな?」
「お似合いだと思いますよ?」
熊本で撮影される時代劇映画に、私はお姫様役として出演することが決定したのだ。
『この役は貴女しかありえない!』
『えええ!?』
オーディションを見に来ていたらしい映画のスタッフさんが、109人のアイドルの中から私を選んでくれた。
『えっと、小早川さんの方がお姫様っぽいと思いますけど……』
驚かないわけがない。だってあのオーディションには、現代のかぐや姫こと(勝手に私が呼んでるだけだけど)小早川さんがいたんだ。
私なんかより、数百倍お姫様役に適任だ。
532: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 01:07:59.57 ID:uOS8Ia8f0
それでもスタッフさんは、熊本を舞台にするとのことで地元生まれの私を使いたいと言うこと、
そのお姫様役に小早川さんはマッチしないなど説明をして、プロデューサーの説得の元、仕事を引き受けることにした。
後で知ったことだけど、この映画は結構なお金がかかっているみたいで、放映どころか撮影もまだまだ先なのに、
既にあちこちで話題になっているらしい。
『有名な監督に、主演俳優も大物俳優とイケメンアイドルのコンビだ。美穂の役もかなり重要な役回りを持ってるし、これは波が来たか? 乗るしかないぞ、このビッグウェーブに!』
映画に初挑戦ということで緊張している私を尻目に、プロデューサーは自分のことのように喜んでくれた。
撮影が始まるのは桜が咲くころ。熊本城に咲き乱れる桜は、それはもう圧巻の一言。
その中でお姫様の服を着るんだ。なんとロマンチックなことだろう。
「あの服可愛かったな」
可愛らしい赤い着物を着ると、はるか昔にタイムスリップしたみたいな感覚に陥った。
撮影が楽しみで、私の心はすでに弾んでいる。
でもその前に、ファーストホイッスルを忘れちゃいけない。
「明日の放送、楽しみですね」
「はい」
533: ◆CiplHxdHi6 2013/02/17(日) 01:15:14.42 ID:Z0TPSJFv0
2時間――、実際にはCMが有るからもっと短いけど、その間丸々私たちのために使われる。
緊張するとともに楽しみでもある。それは他の4人も一緒だろう。
「皆見てくれるかな?」
明日の放送のためにレッスン風景の撮影を行ったり、東京と熊本の2つの学校にも撮影クルーは向かったみたいだ。
インタビューを受けたよ! とテンションの高いメールが届いていたことを思い出した。
お父さん、お母さん、学校の皆。明日私は、全国放送デビューを果たします。
きっと、明日の放送が終われば、私の周りの世界はすっかり変わっていることでしょう。
もう、普通の女のじゃない。アイドル小日向美穂だ。その姿、見てください。
「瞳子さん、見ててくださいね」
ううん、瞳子さんだけじゃない。今夢を見ている人、挫折しかけている人にも見て欲しい。
夢は叶う物だってことを、私の手で証明したいから。
それと――。
「プロデューサー、私頑張ります」
今まで私のそばにいてくれた貴方に、感謝の思いを込めて。
538: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:17:33.33 ID:/pcHgEj60
――
「プロデューサーさん、チョコレートですよ!」
「ちひろさん、ありがとうございます」
世間は男も女も浮かれる2月14日。つまりバレンタインだ。
お前たちはお菓子会社の手のひらに踊らされているだけだ! と強がってみても、
貰えたら貰えたらで結構テンションが上がる。
要は参加できるかどうかでしかないんだな、うん。
「ちなみに、もっとチョコが欲しいなら有料になりますけど」
「それは……結構です」
「冗談ですよ。プロデューサーさんにそんな商売しませんよ」
「あはは……」
どうだか。でも市販の奴じゃなくて、手作りなのはとても嬉しい。義理だとしても感激するレベルだ。
539: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:18:46.45 ID:/pcHgEj60
「開けてもいいですよ?」
開けてみると、抹茶パウダーが撒かれたトリュフチョコレートが。色合いも目に優しい。
「疲れた時にはチョコレートが一番ですからね!」
「1つ頂きますね。うん、美味しいですよ」
「喜んでもらえたならなりよりですね」
「ちひろさんも食べます?」
「それじゃあ1つ貰いましょうか! あーん」
「ちひろさん?」
餌を欲しがる雛鳥みたいに口を開ける。これ、入れて欲しいのかな……。
「あーん」
「あ、あーん」
1つつまんでちひろさんの口に入れてやる。事務所に来るなり何をしているんだろうか俺たちは。
540: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:23:13.48 ID:/pcHgEj60
「我ながら良い出来ですね! でも、口移しの方がよかったかも?」
「意味分かってますか、ちひろさん」
「~♪」
この人は茶目っ気が過ぎるところがある。俺も彼女が冗談で言っているのが分かっているから、本気にしてはいないが。
チョコレートをスタジオに持って行くわけにもいかない。事務所の中の冷蔵庫に保存しておく。
今日も残業になりそうだし、事務所に戻ってから食べよう。
「ん? 美穂、どうかした?」
学校帰りの身のまま、自然と俺の隣にいたけどさっきから一言も喋らない。静かなること林の如し。
「い、いえ! 別に何でもないです!」
「?」
で、声をかけたらかけたで慌てるし。どうかしたんだろうか?
「今日の収録は19時からだね。それまでレッスンの時間だね。特に忙しくなってくると、レッスンの時間がおろそかになりがちだ。限られた時間を有効に使おう」
美穂は小さく頷く。俺、何か隠されてる?
541: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:27:30.01 ID:/pcHgEj60
「小日向さん、プロデューサー。これあげます」
レッスンスタジオに着くと、トレーナーさんから可愛くラッピングされた長方形を貰う。
「今日はバレンタインですから。レッスンの後にでも食べてくださいね」
意外な人からチョコレート。トレーナーさんもイベント事には参加する人なんだな。
こういう浮ついたことには興味なさそうだったから意外だ。
「ありがとうございます」
「私も貰っちゃっていいんですか?」
「何時も頑張ってますからね。所謂友チョコって奴ですよ」
微妙にニュアンスが違うような。
「ごめんなさい。私、トレーナーさんに用意できてなくて」
「気にしなくていいですよ。これ、さっきデパートで買ってきたやつですし」
「えっと、今度持って行きます!」
「そうですか? じゃあ楽しみにしておきましょうか? でも、レッスンは手を抜きませんので。それじゃ今日は……」
542: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:32:00.83 ID:/pcHgEj60
――
「はぁ、上手く渡せないなぁ」
テレビ局の近くの公園のベンチで、1人箱と睨めっこする。
「気持ちはだれにも負けていないのに……」
どうにもこうにもタイミングが合わない。渡そうとすれば、誰かが渡してチャンスがなくなってしまう。
事務所じゃちひろさんがこれ見よがしに私を仰って来るし、レッスンスタジオでもトレーナーさんが持ってきてるし。
「何で車の中で寝ちゃったんだろ」
彼の隣は安心できる。だから気持ちよく眠れるんだけど……。車の中で渡しておけばよかったと後悔しちゃう。
さっきだってそうだ。テレビ局なら大丈夫かと思っていたけど……。
「あのっ、プロデュー」
チョコレートあげます! 場所が変な気がするけど、気にしないで渡そうとすると、
「あっ、美穂と変態P」
「変態P言うなし」
楽屋の裏からファサっと、渋谷の凛ちゃん登場。
543: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:35:21.20 ID:/pcHgEj60
「凛ちゃんも仕事?」
「今日も未央の御守。今月は卯月強化月間なの。だからプロデューサーはいないよ?」
「なんじゃそりゃ。でもま、今日もよろしく」
「よろしく」
この2人のことだけど、オーディションの時隣に座っていたらしく、
いつの間にやら互いに遠慮なしで物事を言える関係になっているらしい。
そういう関係じゃないのは分かっているけど、担当アイドルとしては少し複雑だ。
「そうだ。2人に良いものあげようか?」
「お金くれるの?」
「違うよ。アンタ結構ゲスイよね、発想が。まっ、オークションに出せばそれこそ高値で売れるかもね。アイドルお手製チョコレートとかさ。今日はバレンタインだからさ」
「へ? くれるの?」
「アンタのは余りものだからね。美穂のはちゃんと作った奴だから安心して。それじゃ、また後で」
私たちにチョコレートを渡して、凛ちゃんは去っていく。
544: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:42:08.06 ID:c3rzcAQU0
「余りものって言っても、これは凄いぞ?」
プロデューサーの言うように、凛ちゃんのチョコレートは手間暇かけて作ったであろうチョコレートケーキだ。
愛梨ちゃんのそれに比べると大きさは小さいけど、それでもクオリティは高い。
余りものと言うよりも本命チョコにしか見えなかった。
「早めに食べた方が良さそうだな。食べようよ」
「は、はい」
そう言って彼はカフェテリアの椅子に座わる。
「そう言えば、さっき美穂何か言おうとしていたけど、何だったんだ?」
「あっ、いえ。何でもないです」
「? しかし悔しいけどおいしいなこれ……」
向かいの席で、首をかしげながらチョコケーキを食べるプロデューサー。私もフォークを貰って食べてみる。
「美味しいけどなんだろう、この味は」
少し不思議な味がするけど、フォークは止まらない。後で歯を磨かなきゃ。
芸能人は歯が命、昔から言われていることだ。
545: タイプミス言われていることファ→言われていることだ ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:47:17.88 ID:c3rzcAQU0
「私だって負けてないと思うけどな……」
形はアレかもしれないけど、味には一応自信は有る。お菓子作りの申し子たる愛梨ちゃん監修で作ったし、
学校の皆や事務所の2人からは好評だった。
『ど、どうかな?』
『美穂ちゃん筋が良いよ! きっとプロデューサーさんもイチコロだよ!』
『こ、声が大きいよー!』
と卯月ちゃんも褒めてくれた。だから渡して恥ずかしくない出来だと思う。
だけどこんなものを見せられたら、とてもじゃないけど私のチョコレートは渡せそうになくなる。
「はぁ、何やってるんだろ私」
渡せないんじゃない、渡そうとしていないだけだ。
タイミングが悪いからって言い訳を続けて、逃げているだけなんだ。誰かと比べられるのが怖いだけなんだ。
「まだまだ時間はあるよね」
そろそろファーストホイッスルが始まる。この番組にはタケダさんの意向で台本がない。
ありのままの姿のアイドルと仕事がしたいという考えらしいけど、緊張しいな私からすれば結構大変なことだ。
546: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:53:53.96 ID:VISTR6d60
「練習したから大丈夫だよね?」
だから私は、過去の放送のDVDをトレーナーさんから借りて、番組の傾向を予習しておいた。
毎回毎回同じことを言っているわけじゃないけど、それでも何となくタケダさんの振る話題の傾向はつかめたと思う。
ここまでしている人はまずいないだろう。人より緊張しやすい性分なので、徹底的にしないと心配なんだ。
それを卯月ちゃんに話すと、美穂ちゃんらしいねって笑われたっけ。
「試験みたい」
プロデューサーをタケダさん役にしてシミュレートも行った。対策もバッチリだ。
――多分。
でも最終的には、アドリブでなんとかしなくちゃいけない。そう思うと早速緊張してしまう。
過去の放送を見ても、私ほど緊張している人はいなかったはずだ。
いくらありのままの姿と言っても、噛み噛み緊張系アイドルなんて誰も望んじゃいないだろう。
「チョコを渡すのも緊張しちゃうし……。なんてみんな心臓が強いんだろう」
本当のところは私が蚤の心臓過ぎる、の間違いなんだろうけど愚痴らずにいられなかった。
聞いてくれる人なんていないけど。
547: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:57:59.24 ID:VISTR6d60
「おーい、美穂ー。そろそろ始まるぞー?」
「今行きまーす!」
私を呼びに来たプロデューサは1人。よし、今がチャンス……。
「プロデ」
「あっ、美穂ちゃんのプロデューサーさん! ハッピーバレンタインです!」
「へ? くれるの?」
「お世話になった人に配ってるんです! それじゃあ私はこれで。またいつか会いましょう!」
「いや、同じ仕事に美穂が出るんだけど……行っちゃった。さっき美穂俺のこと」
「な、なんでもないですよ!!」
「のわっ! そ、そう強く言わなくてもええやないですか……」
今日の運勢、最下位だっけ? 思わずため息をついちゃう。
ことごとくタイミングというタイミングが外れて、チョコを渡せそうにない。
548: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 21:59:16.09 ID:VISTR6d60
「この部屋暑いですねー。脱いで良いですか?」
「ちょちょ! 服全部脱げてるよ!?」
「放課後ボヨヨンアワー、ロックだねぇ」
「なるほど、ニンジンはアンチエイジングにいいのね。勉強になるわね」
「はぁ……」
その後もチャンスはあったけど、どうにも上手く行かず、本番まで残り30分になってしまった。
「どったのみほちー。溜息付いちゃって」
アイドルたちの控室。私たちは更衣を終わらせて、本番が始まる瞬間を待つ。
格好だけは準備万端だけど、浮かない顔をしている私は心の準備がまだだった。
「あっ、味噌ちゃん」
「残念未央ちゃんです! みほちーは信じてたのにとんでもない裏切られ方しちゃったよ! これだから本田味噌のCM嫌だったんだよね……」
549: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 22:00:23.62 ID:VISTR6d60
「ごめんなさい。少しボーっとしちゃって」
「後少しで本番だよ? そんなんじゃ、テレビの前のファンは喜ばないって! ほらっ、スマイルスマイル! シャキッとしないとね!」
パシンと背中を叩かれる。そうだよね、これとそれとは別のこと。、ちゃんと割り切って頑張らないと……。
「あら、小日向さん。どうかしたの?」
「悩み事ですか?」
「本番前だけど、相談に乗ろうか?」
思い思いの行動をしていた3人も、私の周りに集まってくる。
皆心配そうな顔して私を見ているけど、その悩みの内容が、他の人からすれば至極しょうもない
(私からすれば死活問題だけど)ことなので、なんだか申し訳なくなる。
「あっ、もしかしてチョコレート渡せてないとか?」
「え、えっと……」
流石に愛梨ちゃんには見透かされていたか。どう言葉を紡げばいいか分からず、詰まってしまう。
550: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 22:04:20.79 ID:VISTR6d60
「ビンゴみたいね。若いっていいわねぇ、ホント……。はぁ、私まで鬱になって来たわ」
「いやいや、川島さんも十分イケてますって!!」
「チョコレートねぇ。もしかしなくても、あの人だよね。いやぁ、乙女ですなぁ」
「うぅ……」
「あ、やっぱりそうだったのね」
「もしかして隠してるつもりだった? 顔に出てたよ?」
どうにもこうにも周知の事実だったみたいで、余計恥ずかしくなる。
プロデューサーがプロデューサーならアイドルもアイドル。私たちに隠し事は無理なのかな……。
「青春だねぇ、まさにロックって感じだね。Fコードでカートコパーンみたいな?」
「い、いまいちロックが何のことか分からないかな……」
「それ、カート・コバーンの間違いよね。全然意味が分からないわ」
頷きながら李衣菜ちゃんは1人納得している。どのあたりがロックだったのだろうか。
551: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 22:05:34.04 ID:VISTR6d60
「なら話は早いわね。チョコレートを渡せばいいのよ」
「でもそれが出来ればこんなに悩んでませんもんね。その気持ち、よく分かりますよ?」
「小日向さんのキャラクターじゃ、難しい話かもしれないわね……。どうしたものか」
「すみません。変な話に付き合わせちゃって。その、皆さんありがとうございます」
本番まで時間がないのに、みんな私のために悩んでくれる。申し訳なさで一杯になるけど、同時に嬉しくも思った。
「気にしなくていいよ! みほちーが心地よく仕事するために必要なことだしさ」
「なんなら呼び出しちゃうとかどうですか? 私ら空気呼んで出ていきますよ?」
「思い切って生放送で愛を叫ぶとか! すっごくロック!」
「同時にアイドル生命も終わるわね、それ」
川島さんの言うとおりだ。テレビで告白せずとも、彼に特別な思いを持ってしまった時点で、
私はアイドルとして失格なのかもしれない。
そう言われたら受け止めるしかない。だけど難儀なことに、この気持ちはどうしようもない。
552: ◆CiplHxdHi6 2013/02/18(月) 22:07:14.95 ID:VISTR6d60
彼の笑顔を思い出すだけで、私の心は満たされる。部屋の暑さが、私を火照らせる。
「でもあなたぐらいの歳なら、仕方ないかしら? かく言う私も、高校のときは恋に恋をして日常が輝いて……」
「かーわーしーまさーん? あー、ダメだこりゃ。自分の世界に入っちゃった」
「美穂ちゃん。私たちは皆、美穂ちゃんの仲間です! 美穂ちゃんの恋を応援していますよ?」
「まー、うん。邪魔する理由なんてないかな?」
彼女たちの応援が私の背中を押す。本番開始まで10分ちょい。
行くなら今しかない!
「えっと! わ、私! 今から渡してこようと思います!」
「行ってらっしゃい、美穂ちゃん!」
「よし来たっ! 頑張れー!」
「そう、あれは音楽室で先輩と2人っきりに……」
「川島さんは放っておいていいと思うよ? ほら、時間ないんだしゴーゴー!」
彼のいる楽屋へ走る。もう逃げない、このチョコを、気持ちを届けるんだ。
558: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:12:09.96 ID:hu7IoBBy0
――
「凛ちゃん、チョコ美味しかったよ」
「そう? 気に入ってくれたなら良いけどさ。ホワイトデー、期待しといてあげる」
「現金な子だなぁ」
プロデューサーたちの控室で、俺たちは本番を待つ。
ちゃっかり凛ちゃんも混じっているけど、俺よりも芸能界は長いんだよな。この部屋じゃ俺が一番の下っ端だ。
『まあ色々あるの。問題ある?』
と言っていたが、前のメモ帳の件もあって、その色々が気にかかって仕方ない。
担当Pは卯月ちゃんについているみたいだけど、一体どういうつもりだろうか?
ひょっとして凛ちゃんはプロデューサー志望なのか? メモ帳に書かれた3人をプロデュースしたいとか?
「んなわけないよな」
そこまで考えてみたけど荒唐無稽すぎて呆れてしまう。
渋谷凛プロデューサーと言うのも面白いけど、あの子の性格からしたら、
今はトップアイドルという目標しか見据えていないだろうし。
559: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:15:37.65 ID:hu7IoBBy0
「そう言えばあれって、ブランデーか何か入れた?」
「うん。少し大人向けにしてみたかな。間違えて入れすぎたかなって思ったけど、そうでもなさそうだね」
「程よい感じだったよ」
芳醇でまろやかな味はそれが原因だろう。芳醇な味って言っておいて、自分でもよく分からないんだけど。
「私のほかからチョコもらえた?」
「貰ったよ? 事務員のちひろさんに、トレーナーさん。後、愛梨ちゃんとか局のスタッフの人にもね」
「なんだ、結構モテるんだ。やるじゃん」
「まさか。義理でしょ」
「まっ、そうだよね」
「聞いといてその反応は酷いなぁ」
来月の14日は出費がかさんじゃいそうだ。そう思うと、何とも言えない気持ちになる。
560: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:22:38.52 ID:kC3yNoMt0
「あれ? 美穂からもらってないの?」
「ん?」
「あの子のことだから、真っ先に渡しそうなものなのに」
貰えて当たり前というスタンスをとるのもどうかと思うけど、
言われてみれば、美穂から貰えていないのは少し残念な気持ちになる。
「そんな悲しそうな顔しないでよ。見てるこっちも気が滅入るし」
「そのつもりはなかったんだけど」
「分かりやすいよ? 愛梨のとこのプロデューサーに聞いてみなよ。きっと顔に出ますよねって答えるからさ」
「いや、良いよ。しかし、もうここまで来たんだな」
後数分で本番だ。美穂のパフォーマンスが全国に流れることになる。
一緒に頑張ってきた身として、これ以上嬉しいことは無い。
だけど同時に、寂しくも思ってしまう。親の気持ちってこういうものなのかな。
561: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:28:53.38 ID:kC3yNoMt0
「感無量?」
「まあね」
デパートの屋上での大失敗も、挫折しかけたオーディションも、クリスマスパーティ-も全てが懐かしく感じる。
これからもっと、彼女は思い出を作っていく。その傍らに、俺がいることが出来れば。それだけで十分だ。
「私らもさ、初めてこのステージに立つ前は緊張したよ。美穂程じゃないかもしれないけどさ」
「卯月が衣装を忘れてプロデューサーが取りに帰ったり、未央が緊張のあまり気を失いかけたりさ。私も本番2分前にお腹が鳴って、大変だったな。流石にあの時はプロデューサーもてんやわんやしてたよ」
「2回目はこっちも慣れたもんだったから、100点の出来だったと思うけどね。それでも緊張はするよ」
「今日なんて未央が出るのに、私も緊張している。プロデューサーの気持ちがよく分かるね、これ」
凛ちゃんは懐かしそうに目を細める。その表情はいつもの彼女より柔らかく感じた。
「ん? 未央からメールだ。はぁ? あのアホ、何考えてんだか」
「どうかした?」
「いや、どうにも。ちょっと私ら部屋離れるから。貴重品見といてね。後さ」
「後?」
「この部屋の監視カメラって壊れてるんだよね。それじゃよろしく」
そう言って凛ちゃんは楽屋を出る。うん? 私ら?
562: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:35:50.90 ID:kC3yNoMt0
「あっ、僕らのもお願いしますね」
「へ? みなさん出てくんですか?」
「ええ、まあ。呼ばれちゃったもので」
「はぁ……。行ってらっしゃい」
服部Pと一緒に他の2人も部屋を出てしまう。担当アイドルの方で何かあったのか?
急に心配になって携帯を確認する。
「俺は来てない、な」
来ていたのはメールマガジンが2件。美穂からは来ていな――。
「え、えっとプロデューサー。いますか?」
と思ったら、メールじゃなくて本人が来ました。
「えっと、何かあった?」
ドアを開けて中に入れてやる。走って来たのか衣装が少し崩れて、顔もいつもより赤くなっている。
563: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:38:10.78 ID:kC3yNoMt0
「そ、そのですね……」
「顔も赤いし。大丈夫か? 熱が有るとか」
「ち、ちち違います! その! ど、どうしても! 今、プロ、プ、プロデューサーにお渡ししたいものがあったんです!」
「俺に? まさか……」
「はい。そ、そ、そのまさかです! 受け取ってください!! うぅ、やっと言えたよぉ……」
「お、おい!?」
安堵の表情を浮かべると、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「すみません、ようやく言えたと思ったら、力抜けちゃって……」
「もうすぐ本番だぞ!? 立てる?」
「あはは……。ごめんなさい」
力なく笑う彼女の手を取り立ち上がらせる。
564: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:44:45.36 ID:Xblp3Xnk0
「ずっと渡そう渡そうとしていたんだけど、なかなか渡せなくて。だから今、渡します」
そう言うことだったのか。しかしプロデューサーズといいアイドルズといい空気を読み過ぎだ。
もっと気楽に渡してくれたら良かったのにと思ったけど、美穂にとっては、
生放送番組に出ること以上に緊張することなのかもしれない。
「ありがとう、美穂。開けて良いかな?」
「はい、良いですよ」
リボンをほどいて、箱を開ける。中から出てきたのは、少し溶けた白クマのチョコレート。
「あ、あれ? チョコが溶けてる……。そんなぁ」
「楽屋とか暑かったからね」
「せっかく作ったのに……」
目からこぼれる一筋の涙を、サッとハンカチで拭ってやる。彼女に影響されたのか、ハンカチに書かれた絵はクマさんだ。
「そんな顔しないでよ。俺はさ、美穂から貰えたことが凄く嬉しいんだ」
「本当ですか?」
565: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:56:37.82 ID:B25JS1S60
「そりゃあもう。一生自慢できるよ」
「ちひろさんとか、凛ちゃんよりも嬉しいですか?」
「もちろんだよ」
優劣をつけるのも失礼な話だけど、それだけは譲れなかった。彼女は俺にとって、特別なんだから。
「えへへ。すっごく嬉しいです」
美穂の頬を濡らした涙は止まり、いつもみたいに恥ずかしそうに笑顔を見せてくれた。
きっと誰もを魅了し、優しい気持ちにさせるその笑顔を、もう少し自分のものだけにしていたかったと思うのは、
プロデューサー失格なんだろうか?
そんなことを考えていると、不意に体に心地良い重みが。
「み、みみ美穂!?」
「少しだけ、こうしていていいですか?」
ぬいぐるみのように抱き着かれた――。柔らかな身体も、彼女の暖かさも。彼女を構成するすべてが俺を困惑させる。
「か、監視カメラある……」
『この部屋の監視カメラって壊れてるんだよね』
凛ちゃん。俺にどうしろと言うんですか――。
566: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 00:59:01.14 ID:cA9B4RG80
――
「もちろんだよ」
彼は意地悪な問いに対して即答してくれた。ちひろさんも凛ちゃんも。私より魅力的な女性だ。
だけど彼は私が一番だって言ってくれた。
それは私がプロデュースしているアイドルだからじゃなくて、1人の女の子として彼に選ばれたみたいに思えて、
私は言葉に出来ない思いで胸がいっぱいになる。
だって彼は嘘がつけないから。顔に全部出ちゃっている。気恥ずかしそうにしている彼が愛おしくて。
「えへへ、すっごく嬉しいです」
「み、みみ美穂!?」
「少しだけ、こうしていていいですか?」
「か、監視カメラある……って壊れてるんだっけか……? 美穂、このままじゃダメになる。だから……」
「今だけは、一緒にダメになりましょう。大丈夫です、ちゃんと頑張りますから」
誰かに見られているとかどうでも良かった。ただ今は、こうやって彼の匂いを、暖かさを感じていたかった。
567: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:04:10.69 ID:0BXlSo+V0
「ねぇ。チョコ、食べて良いかい?」
彼は私の身体を優しく離すとチョコに目をやる。このまま置いていても溶けちゃうだけだ。
なら、まだ形がしっかりしているうちに食べて貰いたい。
「はい。食べてみてください」
「でもよく出来てるなぁ。食べるのが勿体無く感じるよ」
「チョコは食べるための物ですよ」
程よい部屋の暑さが、体中をめぐる熱さが私を少し大胆にさせる。
私はチョコを掴んで彼の目の前で止めてやる。
「美穂?」
「今日ちひろさんとしたこと、私にもしてください」
「ちひろさんとしたことって……」
「あーん」
「ははっ、もうどうにでもなーれ。あーん……」
彼は一瞬躊躇したけど、観念したように乾いた笑いを漏らし、そのまま耳の部分を齧る。
568: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:07:05.42 ID:cA9B4RG80
「美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。良く出来てるし。美穂も食べてみなよ」
「それじゃあ……。願いを1つ使っていいですか?」
3つ願いをかなえる。そう言ったのは彼だ。本番前の高揚感と、部屋に2人っきりと言う事実が私を突き動かす。
きっと、今までで一番慌てた彼の顔が見れると思うから。私は少し、いじわるをするんだ。
「へ?」
「目を瞑って、その場から動かないでくださいね」
「そんなので良いの?」
彼はキョトンとしている。そんなことで願いを使っていいのか? そう思ってそうだ。
「はい。何が有っても、驚かないでくださいね」
「あー、うん。目、瞑った」
「んっ……」
彼の言葉をさえぎるように、私は唇を重ねた。
569: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:11:36.38 ID:cA9B4RG80
「み、みみみみみ美穂?」
「は、初めてのキスは、チョコの味です、ね……」
「そ、そそそそうでしゅね!?」
甘くて、溶けちゃいそうで。もう一度したい欲求に駆られるけど、何とか自分を律する。
「とても甘かったです。プロデューサー、私頑張れそうです」
「そ、それはぁ! よ、よ良かったね? え、えっと! その! テンションで!? 本番行こうか!!」
「ふふっ」
ぎこちなく我を取り戻そうとする彼が可愛くて、笑いがこぼれちゃう。
「行きましょう、プロデューサー!」
「あっ! 鍵! 鍵締めさせて!」
本番5分前。今日の私は、何でも出来ちゃいそうだ!
570: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:13:02.77 ID:cA9B4RG80
「あっ、帰って来ました!」
「ちゃんと渡せたかしら?」
「はい!」
舞台裏ではすでにみんなスタンバイしていた。
「おっ、やりますね! そんじゃその調子で、愛も叫んじゃいましょうよ!」
「いやいや! ファーストホイッスルも終わりかねないからねそれ!」
「ふふっ」
私は幸せに包まれている。きっと今の私なら、歌に乗せて幸せな気持ちを届けることが出来るはずだ。
「そうだ。折角だし、円陣組まない?」
「あっ、良いねそれ!」
「エンジンを組み立てるんですか?」
「エンジンじゃなくて、円の陣ね」
「あー、それですか。組みましょう組みましょう!」
571: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:20:18.02 ID:XcdboBzl0
未央ちゃんの合図で私たちは円陣を組む。こういう体育会系のクラブみたいなノリは初めてだけど、
これからこの5人で番組を盛り上げるんだと考えると、もっともっとテンションが上がる。
「えっと、かけ声はどうしますか? ヘイヘイホー! とか?」
「十時さん、それは木を伐る時にだけした方がよさそうね」
「Hey Hey Ho! あれ、イケてません?」
「それは演歌ね」
「あはは……」
本番前と言うのに、この緩やかさ。この5人の持つ、独特の空気は好きだ。
「コホン! 僭越ながら、私が音頭を取らせてもらうよん! それじゃあ番組、盛り上げるぞー!」
『おー!』
気合は入った。一生一度かもしれないファーストホイッスルを、全力で楽しもう。
一期一会。最高のパフォーマンスを、みんなに。
「行きましょう。私たちの、夢の舞台へ」
572: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:22:26.22 ID:XcdboBzl0
――
「どうしたの、顔真っ赤だよ? キスでもされた?」
「ぶふっ! な、何を言いますか」
「冗談だったんだけど……。ホント嘘つけないね」
全ての元凶は、おそらく彼女のチョコケーキだ。ほんの少量のブランデーで、美穂は酔ってしまったのだろう。
馬鹿げてるけど、親父さんを見るとそれしか考えられない。彼女の家系は代々お酒に弱いのだろうか。
「後で賠償請求するからね」
「却下。あんたも逃げなかったんじゃないの?」
「逃げれなかったよ。目を瞑ってください、動かないでくださいって命令されたし」
「アンタらそう言う関係なの? 流石に引くよ。近づいたら社会的にやっつけちゃうよ?」
「違うよ! 美穂の願い3つ聞くことになってるの」
「なに? ランプの魔人?」
「そういうこと」
573: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:25:50.63 ID:XcdboBzl0
美穂のお願いは残り2つ聞かなくちゃいけない。
とりあえず今回みたいなことの無いように、ガイドラインを作っておかないと。
いくら酔っていての大胆な行動と言われても、俺はとんでもないことをしてしまったんだ。
腹を斬れと言われたら、斬らないといけないぐらいの重罪だ。
「本番始まるよ?」
よしっ、今は忘れよう! 美穂の晴れ舞台をちゃんと目に焼き付けないとな。
『とっても甘かったです、プロデューサー』
「止めてくれえええ!」
「うわっ!?」
あはは、あの感触を忘れろだなんて方がむーりぃ……。ほら、また鮮明に浮かんできて……。
「ムワアアアアアア!」
「うるさいって!」
「デレプロさんと渋谷さん! お静かに!」
スタッフさんに怒られてしまう。またもや凛ちゃんは巻き添えだ。
574: ◆CiplHxdHi6 2013/02/20(水) 01:30:52.80 ID:XcdboBzl0
「す、すみません」
「気を付けてくださいよ?」
「私、また巻き込まれたんだけど……」
「いやホントすみません」
凛ちゃんは蔑むような目で俺を見る。一部の人からすればご褒美なんだろうか。
「アンタ本当にこらえ性ないよね。騒ぐならカラオケにでも行けばいいよ。奢ってくれるなら、付き合ってあげるから」
「結局奢らないといけないんですか……」
言い換えれば、1000円弱で未来のトップアイドルとカラオケに行けるということなんだよね。
それはそれで凄いことを言ってるんだけど、凛ちゃんは気付いているのだろうか。
「ほら、黙って見ようよ。私らに出来ることって、それだけだからさ」
「だね。頑張れ、美穂」
年下の子に怒られて、目が覚める。さっきのことはさっきのこと。
今は美穂の全国デビューを喜ぼうではないか。
579: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:26:20.46 ID:D/l3Tsec0
――
19:00。ファーストホイッスルが始まった。
「極上の音楽と、新たな可能性を貴方に。ファーストホイッスル、司会のタケダソウイチです。世間ではバレンタインと言うことで、なにやら町は浮かれていますね」
「バレンタインデイキス、誰もが一度は口遊んだことが有ると思います。この曲のように、世代を超えて愛される曲と言うものが、私たちの理想です」
「今宵このステージに立つ5人は、私の理想を近い将来体現してくれる、新たな時代を切り開いてくれると確信しています」
「それでは紹介しましょう。本日のゲスト、川島瑞樹さん、小日向美穂さん、多田李衣菜さん、十時愛梨さん、本田未央さんの5人です」
「よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
「あっ、私の番? よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
「本田さんは先の放送の渋谷さん、島村さんと続いて2度目の登場ですが、後の4人は初めてですね。こちらこそよろしくお願いいたします。今宵も素敵な歌声とエピソードをお楽しみください」
タケダさんの落ち着いた進行は耳によく、緊張も不思議と溶けていくように感じた。
それでも、まだ足はガクガクと震えているんだけど。
580: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:27:44.08 ID:D/l3Tsec0
「あっ」
CM中周囲を見渡してみると、プロデューサーと目が合った。
冷静になるにつれて、さっき私はなんてことをしてしまったんだと恥ずかしくなってしまう。
浮かんでくるフラッシュバックは、この舞台に立っていることよりも私の心臓をドキドキさせた。
「ううん、後悔はしていない」
我ながら卑怯だと思う。彼の虚を突いてキスをして、何事もなかったかのように振る舞って。
ちょっとした悪女だ。私には似合わない称号だけど。
「CM明けまーす!」
「よしっ、頑張るぞっ」
私のメインは名前の順で2番目。まずは私たちのお姉さん、川島さんのターンだ。
「ふぅ、やっぱり緊張するものね……」
「川島さん、頑張ってくださいね」
「ええ。貴女もね」
ウインク1つ残して、彼女はメインの席へと向かう。
タケダさんは表情を変えず、そのまま動こうとしない。実に省エネだなと変なことを考えてしまった。
581: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:29:16.34 ID:D/l3Tsec0
「ファーストホイッスル。まず最初のお客様は、地方局アナウンサーから異色の転身を果たした川島瑞樹さんです。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
基本的にこの番組は、タケダさんとのトークと、アイドルのライブで構成されている。
落ち着いたトーンで話すタケダさんとは対照的に、大舞台であわあわするアイドルの初々しい姿が見れるというのも、この番組の魅力らしい。
「関西に仕事で行ったときに、テレビのニュースで一度拝見したことが有ります。まさかこのような形で会うことになるとは。人生予測がつかないものですね」
「ではここで、川島さんのアナウンサー時代の映像を見てみましょう」
こちらが準備をしてきたように、タケダさんも出演アイドルのことを勉強してきているようだ。
「へ?」
『17時のニュースです。毎年恒例の褌祭が今年も行われ、多くの観光客でにぎわいました』
川島さんもアナウンサー時代の話題を振られることは予測していても、タケダさんが見ていたこと、
しかも当時の映像をそのまま持ってこられることまでは考え付かなかったみたいで、珍しく狼狽えている。
だけど真面目な番組なのに、チョイスしたニュースの内容が褌祭の開催という、
何とも言えない話題なので、笑っていいのか悪いのか反応に困っちゃうな……。他になかったのかな。
582: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:30:39.19 ID:D/l3Tsec0
「そ、それはありがとうございます。本当に縁と言うものはどう転がるか分かりませんね」
「ええ、全くです。しかしアナウンサーと言う仕事もやりがいはあるはず。それでもアイドルに転向したというのは、何か目的があってのことでしょうか?」
私もそれは知りたいな。
「何かをみんなに伝える手段の1つとして、私は報道の道に進みました。確かに毎日が充実していましたが、それでも伝えきれない何かがあると気付いてしまったんです」
「その時でした。担当プロデューサーに声をかけられたのは。私が取材に行った芸能事務所のオーディションで、アイドルになりませんか? と」
「流石に面喰いましたね。後2,3年で30歳になるっていう女子アナ捕まえて、スカウトしてくるなんて」
「でもアイドルとしてなら表現できる、伝えることが出来るものもあると感じたんです。そればっかりは、直感なんですが」
「なるほど。もしアナウンサーになっていなければ、アイドルにもなっていなかったと」
「ええ。実際局アナ時代の経験は生きていますから。そう考えると、私は運が良かったんでしょうね」
「川島さんの楽曲、Angel Breeze。物語性の強いこの曲が、貴女に出会えたこともまさしく幸運と言えるでしょうね。この曲は川島さんをイメージして作られたと聞きましたが?」
「そう聞いています。作曲家の先生が私の局アナ時代を知っている方で、仕事はやりやすかったですね」
「それはピッタリな曲になるはずですね。それでは準備のほど、よろしくお願いいたします。川島瑞樹で、Angel Breeze」
583: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:35:56.28 ID:D/l3Tsec0
「ふぅ……」
川島さんのステージが始まった。次は私だ。大丈夫、行けるに決まっている。
「――」
舞台裏からひょっこりと、プロデューサーはこぶしを突き出す。
「えいっ」
私も彼と同じように突き出して、コツンとぶつける振りをする。
「川島さん、ありがとうございました。CMの後は、小日向美穂さんにお話を聞いてみましょう」
「CM入りまーす! 小日向さんはスタンバイお願いします!」
「みほちー、行ってらー」
「行ってらっしゃい」
「愛を叫んできなよー!」
「あ、あはは……。遠慮します」
夢のステージに、私は立つ。見ていてくださいね、瞳子さん――。
584: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:39:18.90 ID:D/l3Tsec0
「本日2人目のゲストは、デビュー以来地道な活動を経て、このステージへの切符を手に入れた小日向美穂さんです。よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いいたしましゅ!」
あぁ、いきなり噛んじゃった。
「緊張していますか?」
「は、はい……」
「気を楽にして楽しんでくださいね。ありのままの小日向さんで大丈夫ですよ」
それがなかなか難しい。うん、平常心平常心……。
「さて、小日向さんと言うと、先の放送でゲストで来られた島村卯月さんと同じ学校に転入したと聞きましたが」
「卯月ちゃんは熊本から来たばかりの私に優しくしてくれました。事務所が出来たばかりで、所属しているアイドルは私だけなので、卯月ちゃんの存在は大きかったと思います。NG2の2人とも仲良くなれましたし」
「なるほど。小日向さんのパフォーマンスは島村さんの影響が大きいように感じましたが、それが関係しているのかもしれませんね」
自分ではそう思ったことは無いけど、無意識のうちに真似ているのかも。一番テレビで見ているのが卯月ちゃんだし。
585: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:41:29.79 ID:D/l3Tsec0
「さて。昨年の12月16日、小日向さんの熊本の母校である津田南高校にてクリスマスパーティーというイベントが行われました。その時の映像をお借りしているので、一緒に見てみましょうか」
「へ? クリパの映像?」
突然スクリーンに、クリスマスパーティーの映像が映し出される。これ、事務所で見たやつだ!
「可愛らしい服ですね。これは、自分で用意されたんですか?」
「こ、これはあの……、熊本の友達が作ってくれたんです!」
「ほう。離れていても仲が良いというのは、羨ましいですね。デビュー曲であるNaked Romanceはこのステージで初披露だったということですが、元々あった曲に、小日向さんがマッチしていたから託した。と弟子は言っていましたね」
「初めてのファーストホイッスルオーディションの時に、私を見てこの人しかいないと感じたんだそうです」
「運命とでもいうべきでしょうか? 事実、小日向さんとこの曲の組み合わせは見事と言ってもいいでしょう。実にマッチしています」
「私も仕事柄、曲を提供することもありますが、普通は歌手を見て曲を作りますね。しかし、彼女の場合は違う。Naked Romanceに足りなかった最後のピースこそが、彼女だった。こればっかりは、奇跡以外の何物でもありません」
「そうですね。この曲との出会いに感謝しています」
奇跡か。もしもあの日オーディションに行かなかったら、この曲に出会えなかったのかもしれないな。
586: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:42:22.19 ID:D/l3Tsec0
曲のこと、アイドル活動のこと。トークはゆるやかなテンポで進んでいく。
「小日向さんの方から言っておきたいことはありますか?」
「えっと、1つだけいいですか?」
「ええ。どうぞ、お構いなく」
私の言葉が、誰かの心に響くならば――。
「私は……。1つ夢を叶えました。ファーストホイッスルのステージに立つ。アイドルになってから最初に出来た目標で、私を動かす原動力でした」
「もし今、途方もない現実にぶち当たって、夢を諦めてしまいそうなら、見つめ直して欲しいんです」
「その夢は本当に叶わないものなのか、逃げているのは夢じゃなくて自分じゃないかって」
「何を偉そうに、そう思うかもしれません。ですが、誰かが夢を叶えることが出来たなら、誰だって夢を叶えることが出来る。そう信じています」
「だから……、瞳子さん。待っています」
「……。小日向さん、準備のほどをよろしくお願いいたします」
タケダさんは黙って聴いてくれた。私の話が終わると彼はステージに立つように促す。
「それでは聴いていただきましょう。小日向美穂で、Naked Romance――」
アイドルならば、パフォーマンスで語れ。誰かの言葉らしいけど、その通りだよね。
587: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:49:40.09 ID:D/l3Tsec0
「あっ、小日向さん!」
「お弟子さん! お久しぶりです」
収録終了後、お弟子さんが声をかけてきた。
実年齢より(何歳かは知らないけど)幼く見えることもあってか、スーツがいまいち似合っていない。
「こちらこそ。前はすみませんね。挨拶も出来なくて」
「いえ。私の方こそちゃんと報告が出来なくて申し訳ありませんでした。あっ、チョコレート」
「ん?」
「今日、チョコレート作って来たんです。よかったらどうですか? 楽屋から取って来ます」
「良いんですか? それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな?」
楽屋に戻ってチョコを取ってくる。この時私は、プロデューサーに渡したチョコが既に溶けていたことを忘れていた。
「あっ、溶けてますね」
「そ、そうでした。暖房がきいていて、それで……」
588: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:51:19.42 ID:D/l3Tsec0
「あの楽屋の空調壊れたみたいなんですよね。ホント、早く直せばいいのに。でも、僕はこういうのも好きですよ? うん、十分食べれますよ。ホワイトデーは何かお返ししないといけませんね」
相も変わらずニコニコとしている。人柄の良さがにじみ出てくるようだ。
『so I love you I love you♪』
「あっ、ちょっとすみませんね。もしもし、――ちゃん?」
懐かしい曲が流れたと思うと、彼の着信音だったらしい。
そう言えば、あの歌を歌ってたアイドルと、何となく似ているような……。
「うん、終わったから今から帰るよ。楽しみにしている。じゃあ切るね」
電話しているときの彼は、いつも以上に優しそうな表情を見せていた。
相手はきっと、彼の特別な人なんだろう。
「えっと、お邪魔しちゃいました?」
「いえ! 気にしなくて大丈夫ですよ。そうだ、あのスピーチですけど」
589: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 00:58:03.74 ID:mDUpCBWj0
「スピーチ?」
歌う前に言ったあれのことだよね。
「僕もああやって、テレビで私信を流したことあるんですよ!」
「へ? それ、どういう……」
「Welcome to the Dazzling World! 輝く世界へようこそ! それじゃあ小日向さん、また会いましょうね!」
「あっ、アキヅキさん! 行っちゃった……」
手を振りかけていく彼の背中を見送る。輝く世界か。私をそんな世界に連れて行ってくれたのは、彼なんだね。
「おーい! 美穂ー!」
「プ、プロデューサー……」
キラキラ輝くステージが終われば、私はただの女の子に早戻り。
さっきまであれだけ大胆なことが出来ていたのに、彼を見ただけで私の身体と心を羞恥心が支配する。
蛇に睨まれたカエルの気持ちが少しだけわかった。動けないのは恐怖じゃなくて、恥ずかしさゆえだけど。
590: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 01:02:28.27 ID:mDUpCBWj0
「あー、正気に戻っちゃったか」
「へ?」
「いや、こっちの話。なんかさ、未央ちゃんが川島さんの家に泊まろうとか言ってたけど、美穂は行くかい?」
「川島さんの家ですか? 皆行くんですか?」
「みたいだね。明日学校休みだしさ」
川島さんの家か――。皆行くみたいだし、楽しそうだ。
「じゃ、じゃあ私も! 私も行きます」
「そう? それじゃあ川島Pが送ってくれるみたいだから、今から合流すれば良いよ」
「プロデューサーはどうするんですか?」
「俺は仕事が有るからね。それに、女子会に介入するほど空気が読めない人じゃないよ」
「そ、それじゃあプロデューサー! お、お疲れ様でした!」
591: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 01:03:35.91 ID:mDUpCBWj0
「ああ、お疲れ。それと美穂」
「何ですか?」
「変なこと言うかもしれないけどさ、俺嬉しかったんだよね。ファーストキスが美穂でさ」
顔を赤らめて、恥ずかしそうに言う。ファーストキス――。それは私にとっても、彼にとっても変わりない事実だった。
「ふぇ!? ど、どどどういう!?」
胸を突き破りそうなぐらいのドキドキは加速する。
「その……、さ。美穂がトップアイドルになって、俺が一番のプロデューサーになってさ。その時美穂を……」
「えっ?」
一瞬の静寂。世界が私たち2人を置き去りにしたような感覚に陥る。
「俺は……」
「みほちー! いたいた!」
592: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 01:07:17.63 ID:JhM1bxj30
だけどそんなことは有り得ない。元気いっぱいな未央ちゃんの声が、私たちの世界を破壊する。
「のわっ! み、味噌ちゃん……」
「アイドルがアイドルならプロデューサーもプロデューサー!? おたくら私になんか恨みでもあるの!?」
私と同じ間違いをしたことが、何故か嬉しかった。
「い、いや。急に未央ちゃんが来たもんで……」
「QMK!? それは置いといて! みほちー、今から川島さんの家でパジャマパーティーするんだけど、どう?」
「うん。行くよ」
「オーケーオーケー。それじゃあ、行きますか。あっ、でもみほちーは着替えてからね」
「あっ」
「そのままでもいいけどさ、風邪引いちゃうよ? んじゃ早くしてねー!」
未央ちゃんに言われてステージ衣装のままでいたことを思い出す。
このまま外を歩くのは流石に恥ずかしい。
593: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 01:08:29.94 ID:mDUpCBWj0
「それじゃあ美穂、お疲れ様。明日迎えに行くよ」
「あっ、はい。プロデューサー、おやすみなさい」
「おやすみ、美穂」
「じゃーねー! 言い忘れてた! 着替え終わったら入り口に来て! 待ってるからさ!」
「あっ、うん」
結局、彼と2人で祝勝会が出来るのはいつになるんだろう? 気長に待つとしよう。
「うぅ……」
思い出すだけで顔が真っ赤になる。きっと今夜は、それを追及され続けるんだろうな。
「あっ、メール来てる」
着替えを終えて携帯を確認すると、卯月ちゃんと相馬さんと見たことのないアドレスからメールが来ていた。
594: ◆CiplHxdHi6 2013/02/21(木) 01:13:07.20 ID:FVYnaIir0
『お疲れ様! 美穂ちゃん凄く可愛かったよ! 見ていてこっちが幸せになったぐらい!』
幸せそうな卯月ちゃんの笑顔が頭に浮かぶ。ちゃんとテレビの向こうに伝わったんだ。
『お疲れ様。やっぱり先輩なだけあって、凄かったわよ。私も今度ファーストホイッスルのオーディション受けてみようかしら?』
相馬さん、頑張ってくださいね。諦めずにいれば、きっと上手くいきます。
『おめでとう、小日向さん。貴女のステージ、凄く輝いていたわ』
「? 誰だろう?」
名前が書かれておらず、誰からのメールか分からない。
「みほちー! 早く早く!」
「あっ、今行きまーす!」
携帯をポケットに入れて待ってくれている4人に合流する。
もしかしたら前にアドレスを教えて貰って、登録していないままの人かもしれない。
後で確認しておこう。それで無かったら、ちゃんと名前を聞かないと。
「それじゃあ突撃! 川島さんのお宅訪問へレッツラゴー!」
「あんまり騒ぎすぎないようにね?」
今日は寝ずに盛り上がるんだろうな。楽しみだ。
601: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 22:25:45.57 ID:0/GxdVmL0
――
「ふぅ、どうしたものかね……」
暖かいコーヒーを飲みながら、局の近くのベンチで物思いに更ける。
『今日はお疲れでしょうから、そのまま直帰で大丈夫ですよ!』
仕事が終わった後携帯を確認すると、ちひろさんからメールが来ていた。
本当ならやらないといけない仕事はあるけど、なんとなくする気にもならなかったので、
今日は彼女の好意に甘えることにした。
メールといえば。
「美穂に届いたのかな?」
彼にアドレスを教えていいかと聞かれて、俺はこっそりと教えた。
アイドルの個人情報だ。本当は許されることじゃないけど、教える相手が彼女なら問題はないだろう。
美穂も彼女の連絡先を知らないんですと寂しそうにしていたし。メールの差出人を見て驚く彼女の顔が容易に浮かぶ。
603: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 22:30:47.21 ID:ewNDOCTq0
「あの顔に弱いんだよな、俺」
いや、美穂の全部に弱い、の間違いだ。
彼女と思い出を作っていくにつれて、彼女の全てが愛おしいと思えるようになってしまったのだ。
今日だってそう。
美穂達の躍動感あふれるパフォーマンスを生で見たことと、美穂からキスをされたこと。
その2つの出来事が、俺の心を逸らした。
もしあの時未央ちゃんが来なかったら、俺は止まっていなかっただろう。
『その時美穂を……』
「俺の恋人にする、か……」
俺と美穂は、プロデューサーとアイドル。その言葉の意味は軽いものじゃない。
実際アイドルと結婚したプロデューサーも少なくはないが、それは同時にその子のアイドル生命を奪うことと同意義だ。
美穂はまだまだ輝ける。トップアイドルという途方もない夢も、少しずつ現実味を帯びてきた。
だけど俺はどうだ? 美穂の未来を、チャンスを奪ってしまいそうなぐらい、彼女に惹かれてしまった。
605: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 22:36:13.52 ID:qWPV03uO0
「ホント、ダメダメプロデューサーだな」
コーヒーを一気に飲み干す。甘みが口の中に広がるけど、俺の表情は苦々しいものだったに違いない。
「えいっ」
放たれた空き缶は大きく弧を描いてすとんとゴミ箱に落ちた。
「へー、やるじゃん。ナイスシュート」
パチパチパチと拍手が聞こえたと思うと、俺の目の前に凛ちゃんが月の光に照らされて立っていた。
「なんだ、凛ちゃんか」
「何黄昏てんの」
「別にー。ふと無性に考えたくなるときだってあるんだよ」
「ふーん。年寄くさいね」
女子高生にそう言われると結構傷ついてしまう。これでも一応、若くあり続けようと努力しているのだが。
607: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 22:44:28.85 ID:RzCASZ090
「五月蠅いやい。凛ちゃんは川島さんの家行かないの?」
「ステージに立ってないし。だからあの5人と一緒に盛り上がる資格がないよ。そもそも私明日も朝から晩まで仕事有るし」
「ご苦労なことで」
今年に入ってからのNG2の3人の労働量には、本当に頭が下がる。
チャンネルを変えても、彼女たちが映っているということも珍しくない。
本来ならゴリ押しと視聴者に忌避されてしまうところなのに、彼女たちの実力がそれを許さない。
人気者の宿命かアンチスレがにぎわうことが有っても、それ以上に彼女のファンが多いのだ。
「他人事みたいに言わないでよ」
「凄いのは事実じゃないか」
それぞれの個性を活かして、新たなステージに到達しようとしている彼女たちを止めるものは何もない。
「アンタらも直に忙しくなるよ。ファーストホイッスルの効果は、ビックリするほど凄いんだから」
とびとびの予定が書かれたホワイトボードも真っ黒になるのかね。そう考えると何かこみあげてくるものがあるな。
609: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 22:48:13.63 ID:KqYSEhvy0
「来週だよね。ランキング20位以内に入らないとノミネートされないってやつ」
「運命の36週? 途中にデビューした俺らからすれば不公平この上ないんだけどさ」
アイドルのデビュー時期は同じではない。スタートラインが違うのに、ゴールは同じというのも変な話だ。
「来年狙えばいいんじゃないの?」
「まさか。諦めたわけじゃないよ。今日の放送のブーストで、Naked Romanceが食い込める余地は十分あるよ」
来週のランキングチャートの結果次第だが、美穂もIAにノミネートされる可能性はある。
それがダメだとしても、夏にはIUがあるんだ。そっちに切り替えて、頂点を目指していくのがプロデュースとしては定石だろう。
「楽しみにしといてあげる。でさ、お願いがあるんだけど」
「ん? 何かな?」
「アンタここに何で来た?」
「車だけど……」
611: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:00:59.07 ID:yD1upE5y0
「なら良かった。夜も遅いしさ、車で送ってくれない?」
「へ?」
車で送ってって、プロデューサーが迎えに来るんじゃないのか? 卯月ちゃんの方に付いてるといっても、もう終わっているはずだ。
「ここまでプロデューサー呼ぶのも悪いじゃん」
「先読みされた!? じゃあタクシー呼べばいいんじゃないの?」
「お金かかるじゃん。結構遠いもん」
それはご尤もだ。いくら売れっ子と言っても金銭感覚は女子高生と変わりない。
給料全額が凛ちゃんの懐に入るわけでもないしな。意外と質素な生活をしているかもしれない。
「それに、NG2の渋谷凛が夜のドライブに連れて行ってって誘ってるんだよ?」
それはまぁ魅力的な話だ。1000人に頼めば1000人とも車を出してくれるだろう。
「そういうのは恋人が出来てから言いなよ。いや、それ以前に俺と2人でいるとこすっぱ抜かれたらどうすんのさ? 仲のいい友人ですが通用すると思えないけど?」
凛ちゃんは将来が約束された人気アイドルだ。ここで俺とのやり取りを記者にでも撮られてみろ、取り返しのつかないことになる。
いくら何もしてませんと説明したところで、世間が納得すると思えない。週刊誌も必要以上に煽って来るだろう。
613: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:02:19.30 ID:yD1upE5y0
「そん時は丸坊主にしようか?」
「やめなさい。黒髪ロングが良いんだから」
ショートヘアの凛ちゃんも見てみたい気もしないでもないが、色々と波紋を呼んでしまいそうなので止めておく。
「冗談だって。まぁそこは任せてよ。私たちだってマスコミ対策ぐらいちゃんとしてるよ。マスコミもあの人相手にケンカ売るようなことはしたくないだろうしね」
「へ?」
「こっちの話。それにアンタだから頼んでるんだけどな。まさかヒッチハイクしろって言う気? どうなっても知らないよ?」
「それは困る! 洒落になんないよ! はぁ……」
どうかなられたら大変なことになる。これ以上言っても無駄か、仕方ない。
観念したように溜息が自然と出てしまう。
「乗せてってくれる?」
「はいはい、分かったよ。ガソリン代、そっちに請求しとくからね」
「ケチだね。そんなんじゃ女子にモテないよ?」
いちいちキツイことを言わないといけない性分なのか?
「あーあー聞こえない! ほら、駐車場に止めてるから行くよ」
「了解っと」
615: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:04:33.44 ID:yD1upE5y0
「ねえ、凛ちゃん」
「何?」
「俺は凛ちゃんの家に送るよう頼まれたはずだよね」
「そうだったっけ? 家って言った覚えはないんだけど」
「そういう屁理屈は聞いてないよ! えーっと、ここ。どこですか?」
「夜景綺麗でしょ? 私たちのお気に入りの場所」
ここは小高い丘の上。どこを見渡しても渋谷家は見つからない。というか民家がない。
「私の家、あそこだよ。花屋やってる」
そう言うと凛ちゃんは遠くの方に指をさす。あー、うん。全然見えない。
「へぇそうなんだ、じゃあ薔薇の花でも買いに行こうかな……って遠いよ! 豆粒みたいな大きさじゃんか! 見えるわけないって!」
「それとうちの店さ、薔薇の無い花屋なんだよね。お母さんがバラ科の花のアレルギーでさ、取り扱ってないんだ」
「それはまぁ難儀なことで」
勝手な想像だけど、薔薇って花屋で一番売れるんじゃないのか? それを置いてないのは、花屋としては痛手な気もする。
618: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:06:53.98 ID:yD1upE5y0
「私は好きなんだけどね。棘があるけど、それでも愛される花。なんか私に似てるなって思って。愛されるってのは願望だけど」
「言い得て妙だね」
確かに刺々しくクールな性格の彼女にはピッタリだな。凛ちゃんは自信が無いのかもしれないけど、
十分なくらいファンからも愛されていると思うけどな。
「良い所だよ、ここ。こうやって星を仰ぐとさ、自分の悩みはちっぽけなものだなぁって感じるんだよね」
服が汚れるのもお構いなく、凛ちゃんは仰向けになって寝転ぶ。
「アンタも寝転がってみたら? 気持ちいいよ?」
「よっと……。東京でも、こんなに星が見れるんだな」
いつから夜が明けて来たか分からなくなる都会のネオンから離れて、小さな星々で出来た海を仰ぎ見ると、
ここが同じ東京だということを忘れてしまいそうになる。
ただただ綺麗で――、ロマンチックな気持ちにさせる。
「田舎から来たばっかの人みたいなこと言うね」
隣の子が毒舌を吐かない限りは。
620: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:11:17.13 ID:b9Fq4I+K0
「一番最初のオーディションの後、プロデューサーが私達3人を連れて来てくれたんだ」
「見てご覧、あの町の光の数だけ人が生きている。貴女たちはあの光に負けないぐらい輝きなさい、光の数だけファンを増やしなさい。ってね」
「可笑しいよね。私たち3人の初オーディションは、本当に散々だったのに。3人が3人とも自己嫌悪に陥って、解散しちゃうんじゃないかって思ったのに。プロデューサーはそんなこと言うんだよ?」
「君たちもそう言う時が有ったんだね」
「むしろ無い方が有り得ないよ。愛梨みたいな天才だって、いつかは壁にぶち当たる。才能が有っても、1人で何かを成し遂げるなんて不可能だよ」
「だね。良く分かるよ」
「話戻すね。レッスンの時とか厳しくて怖い人だと思ってたから、怒られるのも覚悟してたのに、自信満々に私に任せなさいって言ってくれてさ」
「この人は私たちを信じてくれている、だから信じようって決めたんだ」
もしプロデューサーが男の人だったら、今頃3人とも恋い焦がれていたかもね、と小さく呟く。
「オーディションに受かった時も、落ちた時も、CDデビューが決まった時も。私たちはここに来て寝転がった。最初の頃の気持ちを忘れたくないからね」
「ここは、私たち4人にとって大切な場所なんだ」
テレビでも見たことがないぐらい、柔らかな表情で語る。クールで格好良いアイドル渋谷凛は1つの姿、これが素の彼女なんだろう。
622: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:14:17.49 ID:b9Fq4I+K0
「そうか……。3人とも本当にプロデューサーのことが好きなんだね」
「うん。好きだよ。だからあの人と一緒に、トップを目指したい。そのためには、後ろを向かないって決めたから」
「もたもたしてたら、アンタら置いてくからね? 悪いけど、止まる気がしないし」
「奇遇だね。俺らもここで満足するほど目標は低く設定していないよ」
「ふふっ、期待しといてあげる。それじゃ、行こっか。そろそろ家に帰らないと、お母さんが心配しちゃうし」
「今度はちゃんと家まで送らせてくれよ?」
2人同時に立ち上がり、服に付いた土を叩き払う。
「あっ、流れ星」
車に戻ろうとすると、キラリとこぼれる一筋の流れ星。
「――」
「願い言えた?」
「心の中でね。なんとかギリギリ」
624: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:18:25.20 ID:b9Fq4I+K0
トップアイドル、トップアイドル、トップアイドル。色々省略してるけど、伝わってくれただろう。
これで俺がトップアイドルになるなんてオチは勘弁願いたいが。
「ねぇ、凛ちゃん」
「ん? 何?」
「どうして、俺をここに連れて来たの?」
NG2とそのプロデューサーにとって、ここは犯すことの出来ない聖域のはず。なのに彼女は、俺を招待してくれた。
「……何でだろう? なんとなく、かな」
「なんとなくって」
「なんとなくはなんとなく。それ以上でも以下でもないよ。私もよく分からないや。良いじゃん、私が良いって言ったんだしさ。でも、アンタは特別なのかな」
「へ?」
「そうだ。美穂でも連れてきたらいいよ。きっと喜ぶから」
「その一言が余計だって……」
でもまぁ、美穂は喜ぶだろうな。
626: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:21:20.37 ID:b9Fq4I+K0
『メープルナイト。この番組は高垣楓がお送りします』
丘から車で走ること20分。ラジオから流れるしっとりとした音楽が良いムードを作るけど、俺たちは会話を交わすことなかった。
「ここで良いよ」
凛ちゃんの指示に従って車を走らせていたが、花屋に着く前に止めて欲しいと言われた。
「ん? 良いの? 花屋はまだ先じゃ」
「大丈夫。花屋の前にスタンバってるかもしれないし」
パパラッチか。いつもと違う車で、しかも別事務所のプロデューサーが送っていたとなると、
あちらさんに好き勝手邪推されちゃいそうだしな。
「あー。そういうことね。でも大丈夫? ストーカーとかいたら」
「これでも私たち、護身術は教えて貰ってるから。アンタより強いと思うよ?」
卯月ちゃん未央ちゃんはともかく、凛ちゃんは本当に強そうだから困る。
『キェェェェェ!!』
木刀とか持って暴れてても違和感があまりないな。言ったら怒られそうだし黙っておこう。沈黙は金だ。
629: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:27:29.25 ID:b9Fq4I+K0
「そうですかい。それじゃあ、またね」
「うん。ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
手を振る彼女が家に入ったことを確認して、俺も帰ることにする。
「とりあえず明日は美穂を迎えに行かないとな」
川島Pから送られていたメールを見て住所を確認する。なんだ、川島家結構近いじゃん。
『ブラックホールに消えたやつがいる~』
「懐かしい曲だな……」
ラジオから流れる歌を口ずさみながら、俺は闇夜の中を車で駆けて行く。
何となく今日は、1人で当てもなく流したい気分になったのだ。
631: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:32:03.99 ID:b9Fq4I+K0
――
「ブラックホールに消えたやつがいる~」
デレデレデレデレデ
「あ・れ・は なんなんじゃ なんじゃ なんじゃ にんにんじゃ にんじゃ にんじゃ」
「川島さんやっぱり上手いなぁ」
「でもなんでこの曲歌ってるんだろ……。時代を感じるよ」
「ノリノリですねー」
「三味線ロック……。有りですね!」
夜も遅いというのに何盛り上がっているかというと、川島さんの部屋には家庭用カラオケがあったのだ。
『今日は寝ずに恋バナ大会だよ! ま・ず・は! 恋するはにかみ乙女みほちーから!』
『わ、私!?』
『そりゃあねぇ。あの後何が有ったか、根掘り葉掘り聞かせてもらいますよ!』
最初こそは乙女のパジャマパーティーらしく、私に対して集中砲火を放っていたけど、
川島さんがゲーム機を持ってきた頃から雲行きが変わってきた。
633: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:35:40.55 ID:b9Fq4I+K0
『あれ、これカラオケじゃないですか!』
『ストレス発散にはちょうどいいのよ。折角だからする?』
『え? 良いんですか? 近所迷惑とか』
『このマンション防音がしっかりしているから、どんなに騒いでも聞こえることは無いわよ』
『良いですねー! 私カラオケ好きですよ! 何歌おっかな……』
『それじゃあ一番! 本田未央! 持ち曲歌いまーす!』
『待ってましたー! フッフー!』
と言った風に恋バナはいったん中断、川島さんプレゼンツのカラオケ大会が始まったのだ。
『あ、あれ!? み、みんなの恋の話は!?』
『カクレンジャー 忍者 忍者』
『え、えー!? 酷い!』
私に聴きたいことだけ聞いておいて、自分たちの話題には全く触れなかったことにムッとしたけど、
カラオケなんて久しぶりだ。騒いでも問題がないというのなら、目一杯楽しんじゃおう。
635: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:38:09.12 ID:8QFbjOP/0
『忍者戦隊カクレンジャー』
「ふぅ、気分が良いわね。スッキリしちゃうわ」
「流石川島さん! 実にロックで痺れましたよ!」
「どの辺がロックなのかしら?」
「次みほちーだよ?」
「あっ、うん。それじゃあ……」
この曲にしよう。リモコン取出しポパピプペ。
『Dazzling World』
「おっ、ダズリンじゃん」
「コホン。so I love you I love you♪」
ああ、そうだったんだ。今になってようやくパズルがそろった。気付くのが遅いぐらいだよ。
タケダさん、アキヅキさん、そして私。世代を超えて、思いは受け継がれていく。グルグルと輪り、人々の心に残っていくんだ。
アキヅキさんの託した思いを、私は大事にしていかなくちゃ。
637: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:39:55.39 ID:8QFbjOP/0
「え、えっと。ありがとうございました?」
「美穂ちゃん良かったですよ。次は私ですね!」
「あれ? メール来てる」
歌い終わって一息つくと、携帯が光っていることに気付いた。アドレスは……、さっきの名無しさんだ。
『ごめんなさい。名前を書くのを忘れていたわね。服部瞳子です』
「瞳子さん!!」
予想外の名前に思わず叫んでしまう。もしこの部屋の防音設備が整ってなかったなら、隣の部屋の人が怒って殴り込みに来ていただろう。
「へ? トウコサン?」
「あっ、ごめん。大声出しちゃって」
「そう言えば、本番中も瞳子さんって言ってましたよね」
「小日向さんの知り合い?」
「はい。私にとって、初めての先輩なんです」
639: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:40:51.21 ID:8QFbjOP/0
本当は卯月ちゃんだけど、彼女は同級生なのであまりそんな気にならない。
「服部さんのことですか? 私のプロデューサーが、私の前にプロデュースしていたアイドルなんです」
「とときんの前の女ってとこだね!」
「その言い方はどうかと思うわよ」
「えっと……。これ、瞳子さんが見てくれてたってことだよね? 良かった……」
ホッと一息ついて、彼女に返信する。
『見てくれたんですね! ありがとうございます! もし今日の放送で、またアイドルに戻りたいって思ってくれたなら凄く嬉しいです』
「かえって来るかな……」
歌え騒げと皆が盛り上がる中、私は落ち着いた気持ちでいた。
今日の放送で、彼女を勇気づけることが出来たなら。
眠くなるまで宴は続く。私は彼女からの返信を待ち続けたけど、プロデューサーが迎えに来ても、返事は来なかった。
644: 11話 Time after time~花舞う城で~ ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:02:11.56 ID:lFXqKYyj0
――
「き、緊張するな……」
「そ、そそそうですね!」
「2人とも、緊張しても仕方ないですよ。ほら、堂々と待ちましょう!」
「うむ。人事を尽くしてきたはずだ。後は、天命を待つしかないよ」
「そ、そうですね。よーし、深呼吸深呼吸……」
私と彼は思いっきりちひろさんに背中を叩かれる。それでも私のドキドキは止まることを知らず、加速していく。
世間では大学の合格発表が行われているのだろうけど、私にとっても合否発表の日だった。
IAノミネートのカギを握る、運命の36週。それが今日のランキングだ。
「どっとっぷTV今週のランキング発表!」
「来たっ!」
「うぅ……」
天に祈るような気持ちで、私は結果を待つ。お願い、どうか――。
645: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:08:15.17 ID:LZSWfxJX0
43位 New 小日向美穂 Naked Romance
「43位……」
今まで積み上げてきたものが、砂のように崩れ落ちていくように。私はガックシと項垂れてしまう。
「クソッ、力及ばず、か……」
「落ち込まないでくださいよ、2人とも。初登場でこれは結構すごいことですよ? ね、社長!」
「ちひろくんの言うとおりだよ。たらればの話をするのは趣味じゃないが、もし君たちが出会うのがもっと早ければ、20位以内には入っていただろうね」
「それでも、デビューで43位というのは誇ってもいいことだよ。胸を張りたまえ。君たちは良く頑張った」
社長たちはそう言うけど、私は嬉しさよりも悔しさが勝っていた。
「私、悔しいです」
「悔しいと思えるのは、それだけ必死で頑張って来たってことだよ。私たちは、君たちの活動をよく知っている。私から賞を与えたいぐらいだよ」
「それに、これで君たちのプロデュースが終わったわけじゃない。これからリベンジのチャンスはいくらでも有る。IUでトップを目指して、頑張って行こうじゃないか」
「……はい!」
646: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:10:28.75 ID:/C8ZBh1Q0
IAはダメだった。したくないけど、時間が足りなかったと言い訳ができるかもしれない。
だけどIUはそうもいかない。純粋な実力勝負だ。
私だって、もう新人という括りにはならないだろう。
「美穂、今まで以上に大変な日々を過ごすことになると思うけど、1つ1つ着実にこなしていこうな」
「プロデューサー、お願いしますね!」
「それにさ……。こういうこと言うと怒られそうだけど、IAに受からなくてよかったかなって思ってるんだ」
「へ? どういう意味ですか?」
「IAにノミネートされたアイドルのプロデューサーには、ハリウッドで1年間研修を受ける権利を得るんだ。だからノミネートされていたら、彼はアメリカへ飛び立っていただろうね」
初耳だった。IAにノミネートされたら、何かしらご褒美が有るんじゃないかと思ってたけど、
プロデューサーがアメリカに行くことになっていたなんて。
凄く名誉なことのはずなのに、私は受からなくてよかったかな、なんて思ってしまった。
本当に甘いよね、私は――。
647: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:15:24.52 ID:LZSWfxJX0
「ふむ、1位はNG2か……。それに21位に十時君も入っている」
「本当に恐ろしいですね。愛梨ちゃん、普段はポンコツな子なのにステージ映えするしなぁ」
「ポンコツって……言い過ぎですよ」
ランキングはホームページでも見ることが出来るそうで、1位から100位までサッと眺めてみる。
栄えある1位はやはりというべきかNG2だ。そして個人として、3人とも20位以内に入っている。
言い換えれば、20ユニット中4組がNG2というわけだ。流石としか言いようがない。
「過去にユニットと個人でランクインするということもあったけど、3人というのは初めてかもしれないね。新たな世代、か。私も歳を取るわけだ」
感慨深そうに社長は漏らす。
「でも、愛梨ちゃんは凄いです」
「うん。こいつは驚いたよ。あの子は本当に底が知れないな」
驚くべきは、21位の愛梨ちゃん。ボーダーラインの20位までにギリギリ入っていないけど、
デビューしてわずか2、3ヶ月でここまで上り詰めたことが、彼女の才能の恐ろしさを物語っている。
言い換えれば、愛梨ちゃんの才能と努力以上に、20位以上のアイドルは努力しているってことだ。
648: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:26:53.90 ID:rnkhTBvv0
「服部Pも鼻が高いだろうな」
「この勢いで、瞳子さんも戻ってきてくれればいいけど……」
「そうだね。服部Pにとって、服部さんは特別なアイドルなんだろうしね。もちろん、愛梨ちゃんがおざなりってわけじゃないよ?」
服部Pも愛梨ちゃんに真摯に向き合っていることぐらい分かっている。そうでもないと、ここまでの結果は残せない。
だけど愛梨ちゃんのことを思うと、歯がゆくも思う。
愛梨ちゃんの原動力であるプロデューサーの原動力は、今でなお瞳子さんなんだから。
携帯のバイブが着信を知らせる。一瞬だけ彼女から返事が来たことを期待したけど、内容はくだらない迷惑メールだった。
瞳子さんから返信は未だに返って来そうにない。こちらから催促する話でもないし、
彼女の気持ちが整理出来るまで、気長に待つしかないよね。
「さぁ、今日は帰りなさい。明日から、また頑張ろうではないか」
「はい。失礼いたします」
「バイバイ、美穂」
事務所を出て、誰もいない最終バスに乗る。私1人だけ乗せているのに、わざわざ一番後ろの席を選んでしまうのは、
誰に対して遠慮してしまっているのだろうか。
649: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:30:36.68 ID:LZSWfxJX0
――
美穂が帰った事務所で、残った仕事を片付けていると社長が声をかける。
「さっきのことだが」
「? なんでしょうか?」
「君は、本当にアメリカに行く気はなかったのかい?」
ハリウッド留学は非常に魅力的な話だ。ショービジネスの世界で生きる者なら、
一度は夢見る輝かしい世界だ。
事実俺も、プロデューサーという仕事をしていくにつれて、ハリウッドへの憧れは生まれてきた。
ポンとお金を出されたら、喜んで飛ぶだろう。英語だって必死で勉強し直す。
だけど皮肉なことに、ハリウッドへの憧れが強くなると同時に、美穂に対する思いも変質していった。
俺は彼女に恋している、独占したいと思っている。それは否定しようのない事実。
「俺のすべきことは、美穂をトップアイドルに導くことですから」
その言葉に他意はない。彼女に出会った時から、変わることのない願いはたった1つだ。
650: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:32:27.99 ID:rnkhTBvv0
「そうか……。しかし、君も分かっているはずだ。いずれ、小日向くんだけを見ることが出来なくなる日が来ることを」
「事務所の経営の軌道が乗ってこれば、新たなアイドル候補生とプロデューサーをスカウトしようと考えている。君にとっては耳にタコが出るぐらい聞いた話だろうが、我が事務所は小日向くんの個人事務所じゃないからね」
「それは……、分かっています」
何度も言われて、何度も自分に言い聞かせたことだ。
俺たちは現状に満足しちゃいけない。美穂にも偉そうに言ったことなのに、自分に跳ね返ってくる。
「でもまあ、逆に言えば他に手を回す余裕が出来たぐらい、小日向くんは活躍してくれているということ。彼女を導いたのは、他でもない君だよ」
「ありがとうございます」
「さてと、私も帰るとしようか。どうかね? 一杯」
「奢っていただけるのなら」
「言うようになったじゃないか。ちひろくんも来るかい?」
「いえ。今日中に仕上げないといけない仕事が有りますので。御2人で楽しんで来てください!」
「では、今日は男同士の飲みと行こうか!」
「お供します」
あーだこーだ考えても進まない。今はIUに向けて、頑張って行かないと。
651: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:37:31.04 ID:LZSWfxJX0
――
3月20日。天候は晴れ。熊本城は満開の桜に包まれていた。
「カーット! 小日向さん今のは最高だった! それじゃあいったん休憩取りましょう!」
「ふぅ……」
春の強い風が吹き、桜のシャワーが私たちに降りかかる。
「なんというか、なかなか幻想的な光景だな。タイムスリップしたみたいだ」
「やっぱりそう思いますか?」
今回は歴史ものの映画の撮影なので、出演者は皆時代劇衣装を着ている。カメラが回れば、一瞬にして戦国時代にタイムスリップしちゃうんだ。
「うん。しかし……よく似合ってるよ、その着物」
「えへへ。紗枝ちゃんに着付けを教えて貰ったんですよ。どうですか?」
くるりくるりと回ってみる。この歳になって自分で着付けが出来ないのもどうかなと思っていたところなので、
紗枝ちゃんの存在は実にありがたかった。
「紗枝ちゃんって……。あぁ、小早川さんね。一緒のレッスンスタジオにいた着物の子……で当ってるよね?」
「そうですよ。私の後輩アイドルです」
後輩の部分を強調して答えてやる。
652: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:39:46.44 ID:rnkhTBvv0
小早川紗枝――。京都言葉を流暢に操り、マイクの代わりに扇子を持ち舞い踊る、前代未聞の純和風アイドルだ。
彼女の名前を知ったのはファーストホイッスルオーディション。私の後にパフォーマンスをしたのが彼女だった。
その時はそんな子もいたなぁって程度だったけど、ある日のレッスンスタジオにて。
『あれ? あなたは……小日向はんではおまへんどすか』
『へ? おまんがな?』
『私です。憶えてはりますか? 小早川紗枝どす』
『小早川紗枝……あっ、前のオーディションにいた!』
名前が分からなくても、姿を見れば一発で思い出せる。レッスンスタジオというのに、彼女は着物を着ていたからだ。
『光栄どす、小日向さん』
『えーと、でも小早川さんがどうしてここに……』
『それはレッスン以外にないでしょう!』
トレーナーさんが言うには、彼女がいつもレッスンをしているスタジオが、急な都合で使えなくなったらしく、
今日だけレッスンを代わりに見て欲しいと頼まれたらしい。
確かに、レッスンスタジオにアイドルが来る理由なんて、それしか無いだろうけど。
653: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:44:31.26 ID:LZSWfxJX0
『そういうことです。よろしゅう頼んます』
『こ、こちらこそよろしくお願いします! 小早川さん』
『紗枝でええですよ』
『そうですか? じゃあ、紗枝ちゃんって呼びますね』
『そうだ! これも何かの縁。折角ですので、小日向さん。小早川さんに色々教えてあげてください』
『わ、私がですか!?』
『ええ。教えるのも良いレッスンになりますよ、先輩さん』
『あんじょう頼んます』
と交流が生まれて今に至る。
ちなみに紗枝ちゃんは佇まいから大人っぽく見えるけど、
私の方が芸歴も年齢も上だったみたいで、いろいろ教えて欲しいとちょくちょくメールが来る。
本当の意味での後輩は、彼女が初めてだ。
相馬さんも愛梨ちゃんも私より年上だったしね。
654: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:50:28.56 ID:n6CXJYLk0
『れっすんみてもらえまへんか?』
見た目に違わないというと失礼な気もするけど、機械関連は苦手なのか、
メールはいつも全文字ひらがなというのが、なかなかに微笑ましい。
「紗枝ちゃんも一緒に仕事できれば良かったんですけどね」
「今回は縁がなかったな。小早川さんに合う役が有るかと聞かれあら、微妙なところだし」
「残念です」
流石に紗枝ちゃんのためだけに役を作ってくださいとは言えない。今のスタッフ、キャストがベストメンバーであれば、
私はそれに恥じない演技をするまでだ。
「まっ、小早川さんもこれから台頭してくるだろうし、今後に期待だね」
「ですね」
いつか一緒のステージに上がることが出来るのかな? 想像しただけで楽しみになってくる。
「休憩終わりまーす! それじゃあシーン72から……」
「よしっ、美穂行って来なさい」
「はい。プロデューサー」
撮影再開。台本もちゃんと読み直したし、みんなの足を引っ張ら無いよう頑張らなくちゃ!
655: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:54:34.08 ID:LZSWfxJX0
――
「カーット! カットカーット!!」
「ホント、可愛いな」
赤い着物を着こなし手毬をつく彼女を見て、心の中で思ったことがそのまま出てしまう。
「IAのノミネート発表が良い感じに作用してくれたかな」
IUで戦える力をつけるべく、美穂と毎日を全力で駆け抜けてきたが、ここ最近の彼女の仕事に対する情熱は並々ならぬものじゃない。
やっぱり親友たちがノミネートされたことが、美穂にとっていい刺激となったのだろう。
ダントツの支持を得てノミネートされたNG2と、20位以内に食い込むことは出来なかったものの、
IA協会による予備選考を1位通過したことで選ばれた愛梨ちゃん。
特にこの2組のノミネートは、美穂のハートに火をつけるのには十分なぐらいだった。
『愛梨ちゃんにも先を行かれちゃって悔しいですけど、IUでは絶対リベンジして見せます! プロデューサー、一緒に頑張りましょう!』
656: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:56:01.91 ID:n6CXJYLk0
愛梨ちゃんの超スピードノミネートに少なからずショックを受けてしまうんじゃないかと危惧したが、
そう力強く宣言する美穂を見ると、杞憂に終わってしまった。
「強くなったのかな」
いや、初めて出会った時からそうだった。彼女は自信なさげで気の弱い性格だけど、
これと決めたら貫き通す芯の強い子だったじゃないか。
高校も卒業して、美穂はより一層大人へと近づいていく。いつの日か、一緒にお酒を飲んだりするのだろうか。
「発想がお父さんだな……」
ここ4か月ほどで一気に老けたような気がする。気のせいかな?
ああ、お父さんといえば。
「母さん! 美穂が! 美穂が!」
「美穂ちゃーん! 可愛いぞー!!」
「お父さん、あまりはしゃぎすぎると怒られちゃうわよ? ねえ、プロデューサーくん?」
「ほ、程々にお願いしますね? 君らも、あんまり叫ばないの!」
657: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:01:52.91 ID:LZSWfxJX0
撮影場所が美穂のホームグラウンド熊本ということで、小日向パパとママ、小日向美穂応援団の皆様が応援に駆け付けてくれました。
彼らとはクリスマス以降だけど久しぶりに会ったけど、相も変わらず美穂バカっぷりを発揮していて安心してしまう。
今日は生で美穂の仕事振りを、しかも戦国姫小日向美穂を見れるということで、みんなテンションが高く、
さっきも騒がしくし過ぎてスタッフさんに注意を食らったところだ。
どうにも美穂の周りには、本人以上に喜び騒ぐ人が集まるみたいだな。俺も含めて。
「でも七五三も恥ずかしがってた美穂が、お姫様の服着て映画に出るなんてね」
「美穂ちゃんは最高です! よ」
「ああ、涙腺が弱くなってきたよ……」
「もう、お父さんったら」
恥ずかしからと七五三を嫌がるロリ美穂か……。容易にシチュエーションが想像出来て頬が緩んでしまう。
「やっぱり、君に美穂を預けて正解だったよ。ありがとう、プロデューサーくん」
「そうね。最初は少し不安だったけど、美穂とも上手くやってるみたいだし。合格点を上げて良いかしらね?」
658: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:05:50.93 ID:n6CXJYLk0
「合格点?」
御袋さんはニタニタといやらしい笑みを浮かべる。あー、この笑顔は良くないことが起きる前兆――。
「それはもちろん、美穂の旦那さんに決まってるじゃない」
「許さんぞおおおおお!! 一〇〇年早いわあああ!」
「のわっ!」
案の定親父さんが噴火する。そういや最近阿蘇山噴火してないなぁ。
「美穂を嫁にしたければ、私を倒してからにしろおおお!!!」
「お、落ち着いてください!!」
「ラウンド1……ファイッ!」
「君らも煽らないで!! お願いだから!」
「一撃で仕留めてやるぞおおおお!」
「カーット! その人たち! 騒ぐんならどっかに行ってくれ!! 撮影の邪魔!」
659: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:11:37.64 ID:LZSWfxJX0
「あっ、すんません」
そりゃ監督も怒るだろう。ちらりと美穂を見ると申し訳なさそうに俯いていた。美穂は悪くない、悪いのは俺たちだ。
「はいはい、お父さん。殺り合うなら邪魔にならない所でしてくださいね」
「良し分かった!」
「解説は私がしますよー!」
「いやいや止めてくれませんか!? ぎゃおおおおん!」
「カーット! いい加減にしてくれー!」
その後俺と親父さんは監督にこってりとしぼられましたとさ。
「もう……。プロデューサー、お父さんが迷惑かけてごめんなさい」
「いや、俺も同罪みたいなものだよ。クランクアップお疲れさん」
撮影がひと段落ついて、美穂の登場パートの撮影は終了する。
初の大役ということで、最初の内は緊張のあまりガチガチだったけど、次第に場の空気にも慣れていき、
小日向美穂にしか出来ない、お姫様を演じることが出来たんじゃないかと俺は思う。
監督も、この役は美穂が演じたことで命が生まれた! と太鼓判を押してくれた。もしかしたら、次回作にも呼ばれるかもな。
660: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:15:11.40 ID:n6CXJYLk0
「それ歩きづらくない?」
「歩きづらいですけど……、でももう着ることがないのかなぁって思うと寂しく思えちゃって。ちゃんとスタッフさんの許可は得てますよ?」
桜散る道をぎこちなく姫装束で歩く彼女は、とても現実離れした可愛さを持っていて。
着ている服が物珍しいのもあってか、観光客の視線を集めてしまう。
「ママー、お姫様がいるよー!」
「あら、本当ね」
ふふん、ボウヤ。この子をアイドルの世界に連れて行ったのは俺なんだぜ。と心の中で自慢する。
「私がお姫様だったなら、プロデューサーはお殿様かもしれませんね」
殿様かぁ。殿様って言ったら、真っ先にバカ殿が出て来てあまりいい印象が無いんだよな。
でもこんな可愛いお姫様と一緒に入れるなら、殿様というのも悪くない。
「その服、汚さないように気を付けなよ? えっと、この辺に……。おっ、いたいた」
「こっひはほー!」
「お父さん、もうお酒飲んでる……。プロデューサーは飲み過ぎないでくださいね」
父親のだらしない姿に呆れたように溜息をつく。でもその言葉、ブーメランだよ。
661: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:20:04.46 ID:LZSWfxJX0
「ああ、うん。美穂も間違えて飲んじゃわないようにね」
「?」
あの日みたいなことが起きたら、言い訳のしようがない。間違いなく親父さんに阿蘇山に投げ込まれてしまう。
咲き誇る桜の下、小日向家と小日向美穂応援団は花見をしていた。撮影を見て帰るだけじゃ味気ないと、御袋さんが提案したみたいだ。
「さぁ! プロリューシャーくん! 君も飲たまへ!」
「は、はぁ。ではいただきます」
親父さんにお酌してもらいちびちびと飲む。今日は車じゃないので、お酒は解禁だ。
しかし何でこう桜の下で飲むお酒は美味しいんだろうね。
「こうやってお花見するのって久しぶりです」
「俺もだな。地元民なのに熊本城で花見したことなかったし」
「それは、熊本県民失格ですね」
「そ、そこまで言われるとは思ってなかったな……」
「ふふっ、冗談です。プロデューサーの熊本城での初花見を一緒に過ごすことが出来て、私は嬉しいですよ」
662: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:25:25.59 ID:n6CXJYLk0
お酌を注ぎながらそんなこと言う彼女に不覚にもドキリとしてしまう。
「なぁ、美穂」
「どうかしましたか?」
「今からさ、2人で」
「よーし! お父さん歌っちゃうぞぉ!」
「フー!! お父さーん!!」
「曲はぁ、マイプリティドーターの持ち曲のぉ、Naked Romance!」
「待ってましたぁ!!」
「お父さん!?」
言葉の続きはかき消されて、黄色い声援が残る。
小日向美穂応援団はわいわいと騒ぎ、親父さんはどこから取り出したのかマイク(ラムネ)片手に、娘の曲を歌い始める。
カラオケ音源はというと、スマホから流れているみたいだ。
663: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:30:45.42 ID:LZSWfxJX0
「チュチュチュチュワ! 恋しちゃってるぜぇ!」
「いよっ! お父さん日本一ー!」
「お、お父さん……」
美穂からすれば堪ったもんじゃないだろうが、この光景は笑われても仕方ない。
顔を真っ赤にしたおっさんが、あの恥ずかし可愛い歌を熱唱するというシチュエーションの破壊力は抜群だ。
どこからかともなく写メられた音もしたし。着物を着ている美穂よりも目立ってしまっている。
撮るべきはむしろ美穂じゃないのかね。まぁ隠し撮りしてるようなら、プロデューサーとしてガツンと言うけどさ。
「チュチュチュチュワ! テンキュー!」
歌い終わると周りから笑いと喝采が生まれる。親父さんは至って満足げだ。娘の方はというと、
「あ、穴が有ったら入りたいです……」
スコップを渡したら、そのまま掘り進んじゃいそうなぐらい顔を真っ赤にしている。
「あー、なんと言うか……。ドンマイ?」
「プロデューサぁ……。逆勘当ってありますか? もしなければ願いを1つ使ってお父さんを一撃でシトメテ……」
訂正、スコップを渡したら切りかかってしまいそうだ。だんだんと彼女の瞳からハイライトが消えていく。ヤバいって!
664: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:35:09.34 ID:vZA7jksj0
「早まるな! そ、そうだ! この辺散歩しないか? あの人らは勝手に盛り上がるから、俺らだけでさ」
親父さんたちに邪魔されて言えなかったけど、ようやく言えた。
「2人でですか?」
「そう! ほら、撮影も終わってるだろうし、城に行ってみない? 撮影じゃなくて、普通に。観光客としてさ」
「え、えっと。分かりました。2人でか、えへへ……」
なんとか思いとどまってくれたみたいだ。美穂にそんな病んだ表情は似合わない。
誰かを幸せにする笑顔こそが、彼女の最高の武器だ。
「おじ様素敵ー!」
「アンコール行くぞー! だいたいどんな雑誌をめくったってダーメー」
「溜め息出ちゃうわー! フォー!!」
そんな俺の苦労はどこ吹く風、諸悪の根源の親父さんと、煽り続ける応援団はさらに盛り上がる。
あの子ら、酒飲んでないよな? 素面だよな?
「私もうここにはいたくないです。恥ずかしい……」
「……ですな」
665: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:40:24.07 ID:LZSWfxJX0
「あら、2人でどこかに行くの? 良いわねぇ、青春よねぇ。私もこういう服着てデートしてみたかったわねぇ」
「あはは……」
「こっちは気にしなくていいわよ。お父さんマイクを持つとなかなか離さないから」
こっそり抜け出そうとするも、御袋さんに捕まってしまう。どうやら邪魔する気は更々ないようだ。
「あっ、ちゃんと節度を守ったお付き合いをしてね! プロデューサーくんもオオカミさんにならないようにね!」
「じゃあ美穂、行こうか」
「あっ、はい」
御袋さんの戯言は無視するのが一番だ。きっと振り向けばあの悪戯っぽい笑顔をしているんだろうな。
「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよぉ!」
異様な盛り上がりを見せる小日向パパリサイタルをBGMに、俺たちは歩き出した。
目指すは熊本城。お姫様の帰還だ。
668: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:03:29.53 ID:WS8XI9rC0
――
「はぁ、お父さん……」
どうにも私の周囲には私以上に騒がしい人が集まるみたいで、やはりというべきか、
騒ぎ過ぎて何回も撮影が中断してしまったぐらいだ。
『カーット!』
あの時の監督の顔は思い出したくない。鬼と形容するのも生易しい位の形相だった。
その怒りを向けている相手が、スタッフや私たち出演者じゃなくて、私のお父さんとプロデューサーだったというのも、なんとも情けなくなる。
撮影は無事終わり、監督さんも、
『娘の晴れ舞台だから舞い上がったのかね?』
と笑ってくれたけど、それでも申し訳なさでいっぱいだった。
「もういっちょ行くぞー!」
お酒に酔って熱唱する父親と盛り上がる友達を背に、プロデューサーと一緒に歩き出す。目指すは熊本城だ。
あの場所に居続けたら、羞恥心のあまり我を失ってしまいそうだった。
669: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:09:20.30 ID:YM2VWW+t0
「やっぱり歩きにくいですね」
着物が似合うのと着慣れるのはまた別の話だ。私はこれまでてんで着物に縁が無かった。
有ったとしても七五三ぐらいで、だいぶ前の話。
撮影中は動くシーンも少なく、なんとか出来たけど、はた目から見れば、ぎこちなく歩く私は滑稽に映ることだろう。
「着替えた方がよかったんじゃないの?」
「い、いえ! 今日はこの着物でいるって決めたんです」
1日中着続けたら願いが叶うなんてことは無いけど、なんとなく返却するのが勿体無く感じた。
どうか今日1日だけは、戦国姫でいらせてください。
「まぁそう言うなら無理強いはしないよ。そうだなぁ……。背中、貸そうか?」
「へ?」
「ほらっ。おんぶする形になれば美穂も歩かなくて済むでしょ? こけて足をくじく前にさ」
そう言って彼は、乗ってくれと言わんばかりに手を後ろに回してしゃがむ。
670: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:14:48.90 ID:WS8XI9rC0
「え、えーと……」
「ほら。お乗りくださいまし、お姫様」
「わ、分かりました。それじゃあ、失礼します」
こうやって負ぶってもらったのって、小学校の時以来だ。
足をくじいて泣いた私を、お父さんは背負って歩いてくれた。
調子外れな鼻唄を一緒に歌いながら、家へと帰る。あの時のお父さんの大きな背中は忘れることが出来ない。
ふとお父さんの背中と、目の前の彼の背中が重なって見えた。
もちろん2人は別人だ。共通しているのは、私に対して厳しいようで甘いところ。私の喜びを、私以上に喜んでくれる人。
だからこそ、私は彼に惹かれていったのかな。
「よっと」
「重く、ないですか?」
ホイホイ言われるままに乗ってみたけど、大丈夫だよね? 最近少し太った気もするけど……。
「いや、全然。気にするこたぁないよ。軽い軽い」
「そ、それなら! 良かったです!」
彼も強がっているようには見えないので、一安心。
671: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:26:07.27 ID:YM2VWW+t0
「それでは美穂姫、お城へと参りましょう」
紳士的な口調でそんなことを言うもんだから、急に恥ずかしさがこみあげてくる。
顔は見えないけど、彼は笑いながら言っているんだろう。
「み、美穂姫は恥ずかしいです!」
「あはは、ごめんごめん」
私が来ている衣装のせいもあるけど、プロデューサーが馬のように思えてきた。
ニンジンを吊るせば走ってくれるのかな?
「プロデューサーの背中、大きいですね」
「そう? 中肉中背とは言われるけど、背中が大きいなんて初めて言われたや。というより、こう誰かをおんぶしたこと自体そう無いから、言われようもないんだけど」
「お父さんみたいです」
「お父さん、か。喜んでいいのかな?」
「はい。喜んじゃってください」
きっとそれは、私から彼へと送る最大級の褒め言葉だ。
672: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:35:02.06 ID:WS8XI9rC0
「~♪」
「鼻唄歌って。上機嫌だね」
男の人の背中に負ぶさっているだなんて、恥ずかしくて気がどうにかしちゃいそうなシチュエーションなのに、
服越しに伝わる彼の温度が私の心を落ち着かせる。
彼の体温の効能はランダムだ。ある時は私をドキドキさせて、またある時は安らかにしたり。
本当に不思議な生き物だ。学会に提出すれば、きっと人類の役に立つことだろう。
「ふふっ」
「どうかした?」
ノーベル賞を受賞する彼の姿を想像するだけでおかしくて、笑ってしまう。
「お城に着けば」
「ん?」
「お殿様の服って借りれますか?」
「さぁ。どうだろうね。そもそも有るのかな? スタジオじゃないし」
「もし借りれたら、プロデューサー、着てみてください」
「オレェ?」
673: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:48:38.29 ID:YM2VWW+t0
「あだっ! 筋違えるかと思ったよ」
素っ頓狂な声をあげてこちらに振り向くけど、首が曲がりきらず痛そうな顔をする。
「はい。私が着ても、仕方ないと思います」
「それは違いないけどさ」
「それに、お姫様がいれば、お殿様がいてったいいじゃないですか」
「俺なんかで良いの?」
「プロデューサーだから良いんですよ」
「まっ、借りれたら着てみるか。似合わないからって、笑わないでよね」
「笑いませんよ」
熊本城は撮影スタジオじゃないから貸してくれると思えないけど、
彼がお殿様の服に着替えたら、お城の高い所から夕暮れの桜並木を2人っきりで見下ろしてみよう。
「さてと、着いたよ」
きっと、何物にも代えることの出来ない光景が待っているはずだ。だって隣に、彼がいるから。
674: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:54:55.52 ID:WS8XI9rC0
「夕暮れやっとあの子といい感じ、ってか」
「それ、どこかで聞いたことあります」
川島さんが歌ってたっけ。不思議と今の状況にマッチして、恥ずかしさがこみ上げてきた。
「昔の戦隊ヒーローの歌だよ。しかし、壮観だなぁ」
「はい。こんな光景を今まで見てこなかったなんて、勿体無かったです」
「同感だよ」
2人揃って地元民失格だなと小さく笑う。
結局お殿様の服を借りることは出来なかったけど、隣に彼がいることに変わりはない。それだけで十分だ。
沈みゆく夕日が照らす桜並木は、ほんのりと紅に染まり神秘的で。
ここから飛び込んだら、そのまま異次元へと飛び込んで行けるんじゃないかと思えたぐらい。
「えいっ」
こんな光景はもう二度と見ることが出来ない。そう思うと自然に携帯を取り出して、何枚か写メっていた。
675: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 18:17:50.17 ID:YM2VWW+t0
「少し遠いですね」
「写真に残すより記憶に残したいよね、こういう光景はさ」
距離があるので、大きくは撮れなかったけど、私はこれでも満足だった。
網膜に深く焼きついた光景は、忘れろという方が無理な話だ。
そうだ。後でブログにアップしてみよう。記念すべき初投稿にふさわしい写真だ。
「そうだ」
「ん? どうかした?」
いつまでも見ていても飽きの来ない光景だけど、ここに来て桜を見るだけと言うのも何か勿体なく感じた。
だからこんな突拍子のない提案もしちゃうのも、仕方ないことだろう。
「ここで踊ってみて良いですか?」
「踊る? その恰好で?」
「いえ。折角の衣装なんですし、踊ってみようかなって思って」
676: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 18:28:08.09 ID:WS8XI9rC0
激しい踊りは無理でも、紗枝ちゃんのように緩やかな舞は問題ないよね。
何回かレッスンを一緒にしたので、それっぽい動きは出来るはず。
「じゃあ見てて上げるよ」
「はい。それじゃあ……」
BGMは遠くから聞こえる花見客の喧騒。きっとお父さんはまだはしゃいでいるんだろうな。
記念だからと貰えた撮影小道具のセンスを開き、紗枝ちゃんっぽく踊ってみる。
アイドルたるもの、何事にもチャレンジだ。余裕が出来てきたら、日舞を学んでみるのも面白いかも。
「あっ、プロデューサー。お酒、どこから持ってきたんですか?」
「ん? 本当はダメなんだろうけどさ、気分だけでも殿様になろうかなって」
「もう、殿。飲み過ぎはダメですよ?」
「ふふっ、苦しゅうないぞ」
なんて言ってみるけど、目の前の彼にちょんまげが生えたみたいで、お城で2人っきりという異常な状況も手伝って、
私もムードに酔ってしまう。身も心もお姫様になって、彼を喜ばすように舞い続ける。
今だけはお殿様だけのお姫様、あなただけのアイドル。
678: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 18:35:18.41 ID:YM2VWW+t0
「どうでした?」
緩やかな舞も、見ていた以上にしんどいもので、息も切れ切れに彼に尋ねてみる。
「うん。舞も結構良かったね。今後のプロデュースの参考になったよ」
うんうんと頷く彼も満足そうで、小さくガッツポーズをする。
「さあて、あんまり長くいるわけにもいかないし、そろそろ親父さんが禁断症状おこしそうだ」
どうだろう? お父さんのことだから、歌い疲れて寝ているんじゃないかな?
「帰りますか。ほいっ」
行きと同じように、おんぶをする準備は万全だ。
「それじゃあお言葉に甘えて……」
正直に言うと、負ぶってもらう必要は全くない。
歩きにくいのは確かだけど、そこまで距離があるわけでもないし、彼も軽いと言っても、
女の子1人背負って歩くんだ。しんどいことに変わりないだろう。
だけどこう、彼とくっつくと心が満たされるようになってしまったので、
私からすれば願ったり叶ったりだったりする。
日に日に意地悪な女の子になっていくのは、貴方のせいですよ?
681: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:04:15.21 ID:WS8XI9rC0
「あら、美穂。足怪我したの?」
「何々? 美穂ちゃんプロデューサーに乗っちゃってるの?」
「え、えっと。着物だと歩きにくいだけ、だよ」
「ぐごー、ぐごー。美穂はわたしゃない……ぐごー」
花見のシートに戻ると女性陣が迎えてくれた。周りを巻き込んで騒ぎ倒したお父さんはというと、
気持ちよさそうにいびきをかいて眠っている。
起きていても騒音、寝ていても騒音。普通にしている分には真面目な人なんだけどな。お酒って怖い。
「嘘だぁ。本当は美穂ちゃん。プロデューサーさんの背中に胸を押し付けてたんじゃないの?」
どうなんどうなん? と小突きながら、友達が囃し立てる。
「え、ええ!? そ、そそそんなことないよ! で、ですよね!?」
「そ、そうだね! な、何もなかったね!」
目は泳ぎ、声は上ずるプロデューサー。本当にこの人ときたら、正直な人だ。
って私無意識のうちに押し付けてたってことだよね!?
682: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:14:01.02 ID:YM2VWW+t0
「プ、プロデューサー!?」
「お、俺は知らないよ! 何も!」
声から顔まで、彼のあからさますぎる対応は、周囲を煽るのに十分な材料だった。
「ははぁん。これはクロですなぁ」
「美穂も女の武器を自覚し始めたころかしら?」
「うぅ……、そんなつもりなかったのにぃ」
「あはっ! あははははっ! 笑っとけ笑っとけ!」
「プロデューサーも笑ってないで助けてくださいよー! 気をしっかりしてください!」
お母さんたちに囲まれて逃げ場を失った私たちは、やいのやいのと良いように弄られる。
「ぐごー、ぐごー」
救いがあるとすれば、迷惑なぐらい騒ぎ立ててもお父さんが起きなかったことかな。
もしお父さんに胸を押し当てていたなんてことが耳に入ったら、プロデューサーは桜の下に埋められちゃう。
683: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:17:05.09 ID:WS8XI9rC0
「ふぅ、今日も疲れたなぁ」
花見から帰って、久しぶりに実家に帰る。
殆どの荷物は東京にあるけど、やっぱり17年間過ごした部屋は落ち着く。
懐かしい匂いが有ると言えばいいのかな? いつ帰ってきても、私を優しく迎え入れてくれるのだ。
「直ぐに東京に戻らないといけないか……」
ファーストホイッスルに出たことで、私のスケジュール帳はギッシリと埋められるようになった。
仕事が増えてウハウハなんだけど、こう実家に帰る時間が取れなくなったのは寂しい。
今回だってそう。映画の撮影という仕事で熊本に来ただけ。
ホテルよりも実家の方がいいだろうと言うプロデューサーの配慮があって、私は実家に帰ることが出来た。
この仕事がなければ、東京で他の仕事をしていたはずだ。
毎日忙しいけど、アイドル活動も軌道に乗って来て、とても充実している。
だけど悲しいことに、人間は満足できない生き物。売れ始めたら売れ始めたで、いつもどおりの日々が恋しくなってきた。
それは単なるわがままだ――。自分にそう言い聞かせてベッドに横になる。
684: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:40:41.57 ID:YM2VWW+t0
「あっ、ブログだ」
今日撮った写真を眺めていると、ブログに投稿しようと考えていたことを思い出す。
小日向美穂Official blog。投稿件数は0。出来立てだから仕方ないよね。
タイトルの名前は、事務所のみんなで考えて決まったものだ。こういうのって、名前決める時が一番楽しかったりするよね。
『クマさんダイアリー』、『美穂さんは明日も頑張るよ』、『こひなたですが?』……と色々な案が出たけど、
悩みに悩んで私が選んだのは、
『小日向美穂、一期一会』
映画のタイトルから名前を借りたけど、自分でもいいタイトルだと思う。
この業界に入ってから、私は多くの出会いと別れを経験した。
それは私たちが生きていくうえで、これからも避けては通れないことだ。
確かに別れは辛いことだ。だけどその度、新しい出会いに期待する。
これからも素敵な出会いがたくさんありますように、本気の私を見て貰えますように――。
そんな願いを込めてブログのタイトルに決めた。
「うーん、でもどう書けばいいかな? 日記なんてつけたことないし……」
685: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:58:34.90 ID:WS8XI9rC0
プロデューサー曰く、業界内ではゴーストライターを使って、ブログをやっていることの方が多いみたいだけど、
私は自分の言葉でファンと交流を持ちたいから、助けを借りずに自分で書くことにした。
プロデューサーも私ならそう言うと思っていたみたいだったけど、いざ書こうとなるとなかなか言葉を紡げない。
「他の皆はどういうこと書いているんだろ?」
そう言えば未央ちゃんはブログやっているって言ってたよね。本田未央と検索っと。
本田未央 不憫
本田未央 ブログ
本田未央 ミツボシ
本田未央 NG2
本田未央 本田味噌
検索結果には思わず首を傾けたくなるようなワードもあったけど、ブログはキチンと見つかった。
『ガチャをひいたら私です!』
「どういう意味なんだろう、このタイトル……」
プロフィールには語感で決めたと書いてるけど、妙にリズム感が有って面白いタイトルだ。
686: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:10:58.54 ID:YM2VWW+t0
「えっと、顔文字かぁ……」
タイトルの意味は分からなかったけど、ブログの書き方は非常に参考になる。私も真似してみよう。
仕事のこと、友達とのこと。テレビでは見られない素の未央ちゃんが、ありありと書かれていた。
コメント数もビックリするぐらい多く、彼女の人気っぷりを物語っている。
「あっ、オーディションの後の写真だ」
参考として読むつもりだったけど、読んでいくうちに夢中になっていき、最初の投稿まで読破してしまった。
『今日から頑張ります!』
そう名付けられた初投稿には、卯月ちゃんと凛ちゃんと見覚えのある女性が写っている。
というよりも、この写真は見覚えがある。卯月ちゃんに見せて貰ったものと同じだ。
だから4人目の彼女はNG2のプロデューサーさんだよね。結局今の今まで会ったことは無いけど、
3人の話を聞くに、厳しいけど優しい人と言うのは共通認識みたいだ。
「このころはまだコメントが無いんだね」
デビューして数ヶ月の間は、コメントも片手で数えるぐらいしかなかったけど、徐々に増えていって、
IAノミネートした今となれば、コメント数も4ケタをゆうに超えている。
「凄いな……」
何気ない彼女の日常に、これだけ多くの人がコメントしている。実際見ているだけの人もいるから、
読者はもっともっといるだろう。ただただ感嘆の溜息だけがもれるばかりだ。
687: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:24:10.11 ID:WS8XI9rC0
「いけない! 夢中になっちゃった!」
時計を見るとまだ日は変わってないものの、どうやら長い間読み更けいたようだ。
「えーと……。変に難しい言葉使わなくていいよね?」
頭の中で思いつくままに書いていく。
「こんな感じで良いかな? プロデューサーに確認してもらおうっと」
書き上げた内容をコピペして、彼にメールする。一応誤字脱字は無いよう確認したつもりだ。
「~♪」
音楽プレイヤーで李衣菜ちゃんおススメの洋楽ロックソング集(実は同じ事務所の別の子が作ったらしい)を聞きながら待っていると、
曲が終わったと同時に彼から返事が帰って来た。何と言うナイスタイミング。
『読んだよ。問題はないと思うよ? 美穂らしさが出てて。強いて言うなら、初投稿だからこれから応援してくれる人に向けて自己紹介的なのをした方がいいかもね』
「あっ、本当だ。忘れてた」
いきなり投稿して桜が綺麗でしたって言うのも変だよね。自己紹介文も考えなくちゃ。
事務所のHPに載っているプロフィールを引用して……、こんな感じで良いかな?
688: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:35:58.14 ID:YM2VWW+t0
自己紹介
シンデレラプロダcクション所属アイドルの小日向美穂 (コヒナタ ミホ)と申します!
主にお仕事情報や、日常のワンシーンの写真を載せて、コメントとかを書いていこうかなと思ってます!
タイトルの一期一会は、私の好きな言葉です。これからもたくさんの出会いがあること、
そして読んでくださった皆様にも素敵な出会いがあって欲しいと願って付けました。
よろしくお願いします!
プロフィール
ニックネーム 美穂
性別 女性
誕生日 20??年12月16日
血液型 O型
職業 アイドル
出身地 熊本県
将来の夢 目指せ、トップアイドル!
689: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:51:07.59 ID:exWCFwMn0
20XX年 3/20
『初めてでドキドキしますね!』
始めまして、小日向美穂ですっ(*´(ェ)`)ノ
アイドルやってます!
こうやってブログを書くのも、少し恥ずかしいんですけど、ファンの皆様と近い距離で交流出来たらなと考えています
お仕事情報とか、写メが中心になるかなと思いますが、頑張ってやっていきたいです
この写真は今日私の地元熊本で撮った写真です! 熊本城から見る桜って、凄く綺麗ですね。ロマンチックでお勧めです
後この姿は、今年の夏に全国で放映される映画『戦国SAGA』での私の役どころ戦国姫です!
初の映画出演と言うことでドキドキ(/(エ)\)していますけど、凄く面白い映画になっていますので、公開を楽しみに待っててくださいね!
ブログのこともアイドルのことも、まだまだ始まったばかりですが、よろしくお願いします!(。・(エ)・。)/
690: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:06:57.34 ID:fzxEJmZw0
完成したものをもう一回彼に送る。今度はOKの指示が出たので、そのまま投稿する――
「こ、このボタンを押せば……」
はずだったけど、やれ見られるのが恥ずかしい、やれコメントで文句言われたらどうしようと葛藤して、
書き込むまでに洋楽ロックが2曲終わってしまった。
「せーのっ」
投稿。最初だから緊張しているだけ、次からはちゃんと出来る! と自分を鼓舞する。
「コメントとかちゃんとつくかなぁ……」
未央ちゃんのブログを見た後なので、余計心配になってくる。
「み、見ない方がいいよね! うん! 明日見よう!」
反応が有れば嬉しいけど、もしコメントが無かったらと思うと怖くなり、布団に潜り込ん夢の世界へと逃げ込もうとする。
「眠れない……」
ひだまりの下じゃいくらでも寝れるのに、こういう時に限って眠れなくなるのはどうしてだろう。
「確認……しちゃおうかな?」
691: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:25:22.46 ID:exWCFwMn0
投下したのが2時間程前。おっかなびっくり携帯を開けて、ブログへと飛ぶ。
『初めてでドキドキしますね!』コメント(373)
「ええっ!? ウソっ!」
多くて10有れば良いかなぐらいで考えていたから、この数字には驚きを禁じ得なかった。
「え、えっと……。どういうこと? え?」
予想外のコメント数に意識が飛んでしまいそうになるけど、何とか持ち直す。最初の投稿なのに、なんでこんなに……。
「ま、まさか……。炎上している!?」
炎上するような要素は無いはずだ。それなのに、このコメントの数。一体何がどうなって……。
「確認しなきゃ……」
恐る恐るコメント欄を見る。
1 トミコさん
ブログ開設したんですね
小日向さんの姿、いつもテレビで見ています
頑張ってください。私も頑張ってます
2 F見Y衣さん
初コメです! 小日向さんのブログが始まると公式HPに書かれていたので、飛んできました
毎日が忙しいと思いますが、お体に気を付けて頑張ってくださいね!
3 キバゴさん
キバー!(頑張ってください!)
692: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:41:00.56 ID:fzxEJmZw0
「炎上、してない?」
一通りのコメントを確認して、ホッと一息。事務所の方でフィルターがかかっているのか分からないけど、
私に対する中傷コメントは今のところ0だった。
「公式HPに書かれていたって……。もしかしてリンク貼ったのかな?」
正直なところ突発的にブログを始めたようなものだから、方々にアナウンスが出来ていなかったけど、事務所のHPを確認すると、
私のブログへのリンクが新しく出来ていた。こんな遅い時間なのに、ちひろさんがしてくれたのかな。
「ありがとうございます、ちひろさん」
このお礼はお土産でしよう。く○モングッズとか喜ぶかな?
「私も世間に認知され始めたってことだよね?」
373件。もしかしたらこれからも増えていくと思うけど、これだけのファンが私を応援してくれている。
「えへへっ、やる気出ちゃうな」
このまま小躍りしたい衝動に駆られたけど、夜も遅いのでやめておく。
「これ1件1件コメント返しってのは、難しいかな……」
出来ることならしてみたいけど、一度やると今後も続けなくちゃいけないし、プロデューサーも首を縦に振らないだろう。
直接交流できるツール故に、それに伴う危険も重々承知している。
693: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:50:36.09 ID:exWCFwMn0
「今考えても仕方ないかな?」
流石にこんな時間に彼にメールをするのも気が引ける。疲れているだろうし、明日相談してみよう。
「結構時間立っちゃったな。起きれるかな?」
目覚まし時計をちゃんとセットしたことを確認し、布団を被る。
明日も朝の便で帰らなくちゃいけないし、心配事も解消されたので、今度こそ眠気に従って夢の世界へ飛び込もう。
「ごめんね、眠かったでしょうに」
枕元には東京から持ってきたプロデューサーくん。結構大きな荷物で持ち運びには不便だけど、
これが有ると気持ちよく眠れる気がするので、遠くの仕事の時は持って行くようにしている。
「おやすみなさい」
「」
当然彼はしゃべらないけど、なんとなくおやすみって言ってくれている気がして。
心地良い眠りへの切符を持って、夢の世界に。良い夢見れると良いな――。
元スレ
SS速報VIP:美穂「小日向美穂、一期一会」