実に九ヶ月のご無沙汰でした。
もう既に覚えてる方なんておられないかもですが。
はい、偽物語のアニメ化にテンションが上がったせいもあり、前作の続きとか書いてみました。

<前作>
暦「今更するような話でもないけれど」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1298294837/


火憐「兄ちゃん、あんま無茶ばっかすんなよな」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1300547192/


今回ので阿良々木三兄妹全制覇だぜ!
さておき、一点ご注意頂きたいのですが、今回のお話はあくまでも前回の続きということでご理解願います。
なので勿論、撫子は阿良々木さんの可愛いだけの後輩だし、八九寺は今日も元気に街を徘徊してるということで。パラレル万歳。

そう言えば偽物語アニメ化もそうですが、もうすぐ恋物語ですね。
語り部が阿良々木さんじゃないとのことで、雑談成分少なめなんだろうなあというのがちょっとだけ残念だったり。
物語シリーズは阿良々木さん達の仄かにエロスパイスが効いた雑談が一番好きなんですよね。
もちろん楽しみで楽しみで仕方ないのは間違いないですが。

とりあえず年内完成は難しいかもですけど、出来る限りそれを目指して頑張ってきますのでよろしくです。
まあアニメ偽物語を楽しむ前の肩慣らし程度に、軽い気持ちで読んで頂ければ。




2: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 22:44:41.41 ID:myjtRBn70

『かれんハート』



 001.

 阿良々木火憐がぶつかった問題と、その時あいつが出した答えについて、少し思い返して語ってみようと思う。
僕の妹であり、月火の姉であり、ファイヤーシスターズの実戦担当であり。
六月生まれの十五歳、栂の木二中の三年生、普段はジャージ姿で街を闊歩していて、その身長たるや悔しくも今では僕よりも高い。
武闘派で馬鹿で猪突猛進、思い立つより先に行動し、石橋が壊れる前に渡ろうとする、そんなキャラクター。

 けれど勿論、そんな今更な記号をここで殊更語りたいわけではなく。
そして当然、思い返して自然と笑みが浮かぶような、そんな愉快なエピソードを語りたいわけでもなく。
どころか、いっそ僕にとってはある種の苦みと渋みを伴って思い起こされるような、そんな物語をこそ、僕は語ろうと思っている。




3: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 22:50:01.56 ID:myjtRBn70

 ちなみに、あいつとのエピソードでそもそも僕が楽しかったなあとか良かったなあとか、素直にそうとだけ思えるようなエピソードなんてほとんどない。
全く無いと言い切ってしまうのはさすがに憚られるけれど、それでも容易にそんな出来事を思い返すことができない時点で、まあ推して知るべしといったところだろう。
どんな出来事も、思い返せば渋いものがどうしたって混じってしまうのが実情なのだ。
正義を標榜して止まず、他人の為と宣言して止まず、今までも今もこれからも、あいつは無茶をして止まない。
そんなあいつの行動の結果、そんなあいつの為に、どれだけ僕が方々を駆けずり回ってきたことか。
これこそ今更の殊更に、語るつもりも思い返すつもりもないけれど。

 誤解のないように明言しておくと、決して僕がそれを後悔しているということはない。
嫌気が差しているわけでもないし、怒りを覚えることもない。そんなことあるわけがないのだ。
楽しいだけのエピソードがなくとも、僕の記憶にある出来事において、負の感情だけで染まるエピソードもまた、決して存在しないのだから。
どんな出来事にもまた、思い返せば良いことがどうしたって混じってしまうのだから。




4: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 22:52:57.34 ID:myjtRBn70

 これから思い返す物語もまた、そんなエピソードの一つに過ぎない。
楽しいだけの話なんかでは断じてなく、どころかいっそ苦しくて悔しくて悲しくて空しくなるような、そんな出来事だ。
一つ語る前に断っておくと、この物語には決して終わりはない。
どころか始まりすらきっとない。あるとすればそれは、僕の誕生とか火憐の誕生とか、あるいはあの子――松木茜の誕生とかに遡ってしまう。

 終わりは見えず、始まりさえ見当たらないという、およそ物語としての形を為してもいないような話を、それでも僕は語りたいと思っている。
それが僕にとってのみならず、火憐にとってさえきっと、苦渋や煩悶や懊悩を伴う記憶であると、そう理解していてもなお。
他の様々な思い出と同じく、それが辛いだけのものではないという確信があるからこそ。
だからこそ、僕が見て、聞いて、感じたことを、そのままに。
自制と自戒をもって、反省を促しながら称賛を送るように、今ここに提示しよう。




5: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 22:57:32.13 ID:myjtRBn70

 もっともこれは、あくまでも阿良々木火憐の物語であり、故にこそ阿良々木暦の物語なんかではない。
であれば、只の傍観者でしかないような、どころかむしろ間抜けな闖入者だったのではないかと思ってしまうような、そんな立ち位置だった僕が語っていいことかどうかは分からないけれど。
それでも今、敢えて今、僕が語ることに意味はあると思っている。
少なくとも、僕にとっては間違いなく。

 火憐が――僕の妹が、何にぶつかり、何を考え、何を選び、何を決めたのか。
愛すべき妹であるところの火憐の、その珍しくも孤独な闘いの記録と、孤高な決断の記憶を、ここで明らかにしよう。
それを見てどう感じるかは人それぞれだろう。そこに僕が何かを言うつもりなんてない。
ただ僕もまた、あいつのことを想いながら語ってみよう。




6: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:00:18.59 ID:myjtRBn70

 002.

 後日談というか、今回のオチというか、そこに至るまでのあれこれ。
翌日、いつものように火憐と月火に起こされる――という語り口は、誠に遺憾ながら使えなくなって久しいのが現状だったりする。
何のことはない、目覚めのタイミングがばらばらになってしまったというだけのことなんだけど。
それはさておき、今日一番に目が覚めたのは、他でもないこの僕だった。

 快適な目覚めとは、何歩譲っても口にできないような、どころか脳裏に浮かぶことさえ無意識が拒絶するような、そんな覚醒の瞬間だった。
ぶっちゃけ気分が悪い。すごく悪い。大事なことだから二回言った。
朝日が射し込んできたからとか、起床時間になったからとか、そんな前向きな理由では決してなく、単に痛みの為に目が覚めたのだ。
それは不快指数も上昇しようというものである。いっそ梅雨時のそれも真っ青なくらいに。
聖人君子ならばともかく常人であれば、程度はどうあれ朝一番で痛痒を味わわせられたりすれば、それは不愉快にならぬはずもないだろう。




7: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:02:25.54 ID:myjtRBn70

 体は起こさず、視線だけを胸元にやってみる。
予想通りと言うべきか、あるいは予定通りと言うべきなのか、小さい方の妹である月火が、僕の胸にその頭を押しつけるようにして眠りこけていた。
そこだけ切り取って見ればどうだろう、可愛い妹にべったり懐かれているという微笑ましい光景になるのかもしれないけれど、しかしそれは残念ながら事実とは異なる。
何しろ目を覚ます原因となった苦痛は、まさにその月火の頭によってもたらされているのだから。
どんな夢を見ているのか、時々ぐりぐりごりごりその額を擦りつけてきていて、正直ちょっと痛いのだ。
まさかわざとやってるんじゃなかろうな、と勘繰りたくなるくらいに。

 そしてもう一人の妹たる火憐はというと、視線だけ下に向けた今の状況では、その足しか視界に収まっていない。
僕の腹の上に乗っかっている足だけ。
多分上半身はベッドの下に落ちてるんだと思う。
あるいは月火に蹴落とされたか。
この末妹の身の上を思い返すに、勘繰ろうと思えば、その行為それ自体に懸念を覚えることもできなくはないけれど、まあそれは杞憂というものだろう。
単に寝相が悪いだけだ、それも姉妹二人揃って。あるいは兄妹三人揃ってと言うべきかもしれない。
狭いシングルベッドで三人が寝ているという現状を思えば、それは寝相以前の問題な気がしないでもないけど。




8: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:06:30.99 ID:myjtRBn70

 閑話休題。
とにもかくにも残念極まりないことに、僕がこいつらと一緒に寝るようになって久しい。
その期間は丁度、冒頭で述べたような語り口が使えなくなってからのそれとほぼ一致している。
つまり端的に言うと、僕と一緒に寝るようになってから、こいつらの寝起きははっきりと悪化しているということだ。
もしくは、僕の睡眠環境が悪化しているという風に見ることもできるだろうか。
まあ別に遅刻するようになったわけでもなく、どころか一応多少なりとも余裕を持って登校できている現状から判断するに、悪化という言葉を使うのに抵抗がないでもないけれど。

 しかしまあ二人揃って、よくもこれだけ気持ち良さそうに眠ってるもんだ、と呆れるやら感心するやらである。
この狭いベッドの上で窮屈な姿勢を強いられてるだけでも大概だが、まだ夏の名残りを強く残すこの時期、僕なんか正直暑苦しくて敵わないというのに。
それともまさか、僕だけが例外なのだろうか? この程度のこと、耐えられない方がおかしいとか?




9: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:09:34.74 ID:myjtRBn70

 いやでも冷静に考えれば、人間の平熱と言えば36度くらいなわけで、そんな熱源とぴったりくっついて布団にこもっていれば、それは冬だって結構厳しいのではないかと思うのだ。
かてて加えて現在のこの気温の高さである。
普通の人間ならば、やはり暑さに耐えかねるのが自然なあり方だろう。

 うーん、だとすると例えば戦場ヶ原と同衾するような事があっても、こんな風に暑苦しさと不快感に見舞われることになるのか?
何と夢のない話だろう。そういうのはもっとこう、幸せな感情を想起させてくれていいものだろうに。
そんなのは男の勝手な幻想だと言われてしまえばそれまでの話とは言え、しかしそれをよもや恋人ではなく妹達にぶっ壊されることになろうとは。
本当に傍迷惑な奴らだ。毎度のことながら、余計なことしかしやがらねえ。

「……何か不快な思考を感知したぞ」
「どういう目覚め方だよ」




10: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:14:02.25 ID:myjtRBn70

 何がスイッチになったのかは分からないけれど、もそもそと動く気配がすると同時に、火憐の声が聞こえてきた。
どこか間延びした響きがあるのは、寝惚け半分だからだろうか。
それはさておき、僕の思考を読み取って起きるんじゃない。野生動物か、お前は。

「野生の感覚っつーか、あれだ、女の直感って奴だぜ」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」

 浮気男の思考を読み取ったみたいな言い方すんな。
どっちにしたって普通じゃないだろう。
というかそもそも兄と妹の会話ですらないぞ。

「とりあえず、おはよう兄ちゃん、いい朝だな」
「おはよう火憐ちゃん。ベッドから転がり落ちていてもなおその台詞が言えるのは大したもんだけど、まずは僕の腹から足をどけろ」
「りょーかーい」




11: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:18:21.65 ID:myjtRBn70

 言うが早いか、その場で足を上げ、くるっと後方に回転して立ち上がる火憐。
いやしかし、とても寝起きとは思えない鋭敏な動作だ、いつものことながら。
何ていうか本当に野性味を感じさせるよなあ、こいつ、寝起きでもすぐに体を動かせるって。
頭の方が活動できていない辺りは残念極まりないけど。

「っと、あー何で転がり落ちたんだって思ったら、また月火ちゃんが兄ちゃんの上を占領してたのか。ずるいよなあ」
「何だよずるいって?」
「だって二人はベッドで、あたしだけ床っておかしいじゃん。寝る時はちゃんと一緒なのにさ」
「お前の寝相が悪いんだろ」
「じゃあ兄ちゃんが止めてくれよ。ぎゅーってして」
「こんだけ暑いのに、その上密着なんてできるか」
「望む所じゃねえの?」
「僕はお前みたいにドM極めてないんだよ」




12: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:23:49.31 ID:myjtRBn70

 自分を基準に物事考えるんじゃないと言うんだ。
何でわざわざ妹を抱きしめて暑さに耐えながら眠らなきゃならないのか。
というか寝れやしねえよ、そんなの。
社会的な観点から考えれば、むしろ永眠させられかねないけれど。

「まあいいや。それより月火ちゃんは……うーん、すげー気持ち良さそうに寝てるなあ。起こすのが可哀想なくらいだぜ」
「今の時間考えたら、起こさない方が可哀想なんじゃないか?」

 呑気なことを言っている火憐を横目に、部屋の時計を確認する。
着替えて支度して朝食とって、と考えたら、そろそろリミットに近い時間を、それは既に指し示していた。
三人揃って、今日はちょっと遅めの目覚めである。
それは決して慌てる程の時間ではないにせよ。
まあだからと言って、別に落ち着く必要があるわけでもないんだけど、僕も火憐もそのことには触れない。




13: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:28:30.95 ID:myjtRBn70

「だけどさあ、ほら見てみろよ兄ちゃん、月火ちゃんのこの顔。緩んでるよ。緩みきっちゃってるよ。たれぱんだも土下座して謝るレベルだぜ、これ」
「たれぱんだに土下座されても分かんねえよ。区別つかないだろ、普段と」
「心眼開けば余裕さ」
「まず心眼開くのが余裕じゃねえよ。つーか心眼開いてまでたれぱんだなんぞ見たかねえよ。もうブームも去って久しいだろ、あんなの」
「バカ兄貴!」

 突然ぐーで殴られた。
寝転がってる僕の頬をすくいあげるようにして。もちろん月火には掠りもしない。
冷静に振り返ってるけど、実はちょっと泣きそうなくらい痛かった。
こいつは本当に、いらんところでばっか無駄に高い技術を発揮しやがって。
実は僕の事が嫌いだったりするんじゃないのか? まさかそういう落ちなのか?
というか容赦が無さ過ぎだ。朝も早くから目の前で星が散ったぞ。




14: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:33:25.54 ID:myjtRBn70

「たれぱんだを馬鹿にするんじゃねえ! みんな一生懸命やってんだぞ!」
「何でお前がたれぱんだの立ち位置で文句言ってんだよ。どうでもいいだろ、そんなこと。向こうも商売なんだし」
「どうでもいいって何だ! 言っていいことと言わなきゃ駄目なことがあるぞ!」
「結局全部言っていいんじゃねえか」
「あれ?」

 そこで勢いを失くして首を傾げる火憐。
寝起きという事を考慮に入れてもなお、相も変わらず残念な頭の持ち主だった。
首を捻る火憐を無視して、胸元の月火の方へ視線を向けてみるも、やはり起きる気配は微塵もない。
聞こえてくるのは安らかな寝息のみ。




15: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:36:41.47 ID:myjtRBn70

「しかし月火ちゃん起きないな、こんだけ騒いでんのに」
「うん、ちょっと珍しいよな、元々寝つきはいい方だけどさ」
「そうだな。とりあえず僕的には大人しく寝ててくれてるから、その点は助かるけどな」
「あー、昨日は酷かったもんな。兄ちゃんの悲鳴で目を覚まして何事かと思ったら、月火ちゃんと兄ちゃんがこんがらがってたしさ。ちょっと衝撃的だったぜ」
「あれは痛かった。滅茶苦茶な絡まり方してるように見えて、その実すげえ的確に腕とか足とかの関節極められてたし」
「だよな。それでいて月火ちゃんはノーダメージだから、全然止めようともしねえし。いやさすがにあたしもちょっと同情したよ、あれは」
「他人事みたいに言うんじゃねえよ、お前だって似たようなことやってるだろ。三日前のSTFは強烈だったぞ」
「何だよ、過ぎたことをぐちぐち言うなよな」
「言いたくもなるわ。日替わりで技かけてきやがって。つーか何で空手やってるのにプロレス技だよ」
「そんなの知らねーよ。大体兄ちゃんだって、あたし達のおっぱいに顔面埋めてたこと何度もあるじゃん。これで相手があたし達じゃなかったら、セクハラで訴えられるぜ」
「相手がお前達だからいいんだよ」
「まあいいけどさ」




16: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:40:44.93 ID:myjtRBn70

 いいのかよ、と突っ込みを入れたかったけど、それは色々と致命的なので止めておく。
突っ込みを入れるまでもなく、既に致命というか絶命って感じがしないでもないけど。
その辺は寝起きという点を考慮して、大目に見てもらえれば喜ばしい。

「とにかくそろそろ月火ちゃんを起こしてやろうぜ。時間的にもいい頃合いだろ」

 というか、多分月火の涎だろうけど、胸元がちょっとべっとりしてて結構不快なのだ。
学校に遅れないように、というのもあるにはあるけれど、正直いい加減に起きて着替えたいというのがもう偽らざる本音である。

「そうか? 涎とかってもさ、今日なんて可愛いもんじゃん」
「涎がそもそも可愛いもんじゃないだろ」
「けど月火ちゃんさあ、何日か前なんて兄ちゃんの鎖骨を甘噛みしてたぞ。起きるまでずっと」
「何事だよそれ! 初耳だぞ!」
「そりゃ初めて言ったし」




19: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:47:27.24 ID:myjtRBn70

 何か肩の辺りがべっとりしてる日があると思ったら!
寝汗にしては酷いなとは思っていたけど、いや夏の暑さも吹っ飛ぶような、まさしく戦慄の出来事だ。
関節技くらってたことなんて生温く感じるわ。

「いいじゃん別に、甘噛みくらい。本気噛みなら文句言うのも分かるけどさ」
「そういう問題か?」

 いやまあ確かに、そのくらいなら別にそこまで盛大に文句を言う程のことでもないのかもしれない。
少なくとも、関節が音を立てる程に攻めたてられている状況と比較すれば、被害の度合いは段違いではある。
けれど、それよりもまず兄の鎖骨を甘噛みする妹という存在に対して、注意とか心配とかが山盛りあるのだ。
もう一つおまけに、僕の身の上――吸血鬼の残滓であるという事実を考えると、首の辺りに噛みつくという行為そのものが、何と言うかご法度な気がしてならない。
そもそも今の僕の吸血鬼性なんて高が知れてるし、されるだけなら問題ないのかもしれないけれど、一抹の不安があるのは事実だ。




20: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:55:48.39 ID:myjtRBn70

「念の為に聞いとくけど、逆に僕がお前達の体のどっかに噛みついたりとかしたことなんてないよな?」
「多分ねーよ。兄ちゃんからアクション起こす時の目標って、大抵おっぱいだけだし。精々揉まれるくらいだぜ」
「じゃあ大丈夫だな」

 何か色々大丈夫じゃない気もするけど、その辺は深く考えたら終わりだと思うので置いておく。
というか、何で月火が僕の鎖骨を甘噛みなんてしてたのか、ということの方が問題なのだ。
一晩中ずっと忍の肋骨を弄ってたことがあるらしい僕が言うのもなんだけど。
何だというのだろうか、僕らのこの骨に対する並々ならぬ執着心は。
あれか、うちの家系は骨フェチの気でもあるのだろうか。

 知りたくも考えたくもない仮説だった。何そのマニアックな性癖。
毎度のことながら、どうしてこんなにもマイナーなジャンルへの開拓に意欲的なんだろう、僕達は。
これで両親の馴れ初めにまで骨という単語が関わっていようものなら、発作的に家出してしまうかもしれない。
いや聞いたことなんてないから分からないけど。
そもそも知りたいと思ったこともないとは言え、改めて絶対に聞かないでおこうと心に決めておく。




21: ◆/op1LdelRE 2011/12/18(日) 23:59:25.48 ID:myjtRBn70

「ときに火憐ちゃんは、何かときめきを感じる骨とかあるか?」
「何馬鹿なこと言ってんだよ兄ちゃん、犬じゃあるまいし」
「あー、まあ普通はそうだよな」
「あたしは断然筋肉さ」
「同レベルじゃねーか」
「今まで言わなかったけど、兄ちゃんの三角筋とか広背筋とかさ、見てて正直うっとりすることあるよ」
「朝っぱらから問題発言を連発してんじゃねえよ」

 僕が着替えてる時に、こいつは一体何を見てるんだ。いやむしろ何を考えてるんだ。
元より本来の意味でもそうだけど、本当にこいつには迂闊に背中を見せられないな。




22: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:02:31.84 ID:YIzNxz740

「あ、でも丁度いいじゃん。兄ちゃんの前の方は月火ちゃん、後ろの方はあたしが担当ってことにすればさ」
「何がいいんだよ、つーか何もよくねえよ。本当にもう、何でお前達はこう揃いも揃って変な層を開拓するのに躍起になってるんだ。何の罰ゲームだよ」
「そんなん言うけどさ、兄ちゃんが好きなおっぱいなんて脂肪の塊だぜ、脂肪。骨とか筋肉とかと比べてどうよ? どっちが格好良いかって話だろ」
「馬鹿お前何も分かってねえよ何も分かってねえよお前馬鹿、おっぱいは脂肪の塊なんかじゃねーよ、そうじゃないんだよ、おっぱいには男の夢とかロマンとかが山盛り詰まってるんだよ」

 聞き流せないことだったし、興も乗ってきていたので、ここは思い切り声高に主張しておくことにする。
寝起きのハイテンションということでお目溢しがもらえるはずだ。と思う。
世の大半の男子の心の声の代弁でもあるだろうし。
我ながら、妹相手に朝っぱらから何を力説してるのか、と壮絶に疑問を覚えないでもなかったけれど。




23: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:06:14.37 ID:YIzNxz740

「ふーん、へー、じゃああれか、あたしのおっぱいにも兄ちゃんの夢とか詰まってんの?」
「当然だ」

 何が当然だよ。
誰よりもまず自分がそう突っ込みたかったけど、色々と台無しなので黙っておいた。
こういうのは勢いが大事なのである。というか勢いだけで流してしまわなければならないのだ。
そうでなければ只の変態になってしまう。
どうでも変態の謗りは免れないという可能性についてはここでは言及しない。

「へへっ、何かちょっと嬉しいかも」
「Mカッコいいっていうか只の変態じゃないか、それ。いや僕が言うのもなんだけどさ」

 しかし、我らが火憐さんの発想は、更にその上を行っていた。
照れ笑いしながらのその発言には、驚かざるを得ないというか轟かざるを得ないというか。
言わせた僕が考えていいことじゃないだろうけど、正直引くわ。
まあでも傍から見れば五十歩百歩なんだろうなあ、僕も火憐も。




24: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:10:10.35 ID:YIzNxz740

「んー、何の騒ぎ……?」
「あ、月火ちゃん、起きた?」

 突っ込み不在の度し難いこの状況に待ったをかけたのは、ようやくのこと目を覚ましたらしい月火だった。
むしろもっと早く目を覚ましてもよさそうな騒ぎ具合だったと思うんだけど。
どうやら、かなり本気で熟睡していたらしい。
それが故か、ベッドのすぐ横から覗きこむ火憐の問いかけに対してこいつが返したのは、とても大きな欠伸だった。

「ふわあ……うん、おはよ、火憐ちゃん」
「おはよう月火ちゃん、今日もいい朝だぜ」
「うん、そうだね。よく眠れたよ」
「それなら、いい加減に僕の腹の上に居座るのを止めようぜ」




25: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:14:33.77 ID:YIzNxz740

 そもそも目が覚めたんなら、さっさと体を起こせば良いものを、何で動こうとすらしないのか。
というか、僕は一体いつまで月火を腹の上に乗せていればいいのか、誰かそろそろ教えてほしい。
いっそ火憐がこいつを引っ張り起こしてくれれば話が早いんだけど、残念ながら僕のその望みが叶えられることはなかった。

「おはよう、お兄ちゃん。いい朝だね」
「おはよう、だからとにかくまずどいてくれ」
「む、お兄ちゃん何? そのぞんざいな挨拶。朝の挨拶は大切なんだよ」
「朝の挨拶を気に掛ける余裕があるなら、その内の何割かでも僕の体の心配に向けてくれてもいいだろ」
「それって私が重いってこと? そんなこと言ったら折るけど」
「何を!? いやだから別に重いとか言ってないだろ。着替えられないからどいてくれってだけだよ」
「ふーん、じゃあお兄ちゃん、やり直しね」
「何をだよ?」
「朝の挨拶に決まってるじゃない。『おはよう月火ちゃん、愛してるよ』――はい大きな声で」
「言えるか!」




26: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:18:46.69 ID:YIzNxz740

 寝起きの頭でこいつは何を馬鹿なこと口走ってやがる。
というか、何で朝っぱらからご近所向けに妹ラブを宣言するような真似をしなきゃならんのか。
そんな下らないことを考えている暇があるのなら、さっさと体を起こして着替えて飯食って学校に行ってろという話だ。
せめて僕だけでもそうさせてほしい。

 しかし現状、月火は僕を解放してくれるつもりは全く無いらしく、やれやれと頭を振って溜息をついている。
およそ人の腹の上に居座っている人間がとっていいような態度ではなかった。

「はー、私の知らない間に、お兄ちゃんは朝の挨拶も出来ない子になっちゃったんだ。悲しいね、悲しい限りだよ」
「普通におはようって言っただろ」
「愛がこもってなかったよ」
「こめるかそんなもん」
「こめろよ!」
「何でそこでキレるんだよ!」




27: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:23:00.39 ID:YIzNxz740

 起きて早々激しいなおい!
しかしまあ、ピーキーなのは今に始まった話じゃないけど、最近裾野が広がってきたというのか、一段とキレ易くなってきてる気がするぞ。
全く、これがキレ易い最近の若者というやつなのか?

「ていうかお兄ちゃん、今のは減点だよ。減点1だね」
「何だよ、減点って」
「私の好感度に決まってるじゃない」
「知らねえよそんなもん」

 何が決まってるんだか。そもそもどうでもいいよ、そんなことは。
何が悲しくて妹の好感度が下がらないようにしなきゃならないんだ、という話である。
いやむしろ、何が嬉しくて妹の好感度を上げるようにしなきゃならないんだ、という話かもしれない。




28: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:27:05.38 ID:YIzNxz740

「そんなこと言っていいの? もし好感度が下がっていってマイナスまで突入したら……」
「どうなるんだよ?」
「剥ぐ」
「何を!? つーかどこを!?」
「それが嫌ならハグすればいいんだよ、ほら」
「それはもうほとんど脅迫だあ!」

 愛も何もあったもんじゃなかった。
ちょっと某南斗の人を彷彿とさせるような感じ。あの殉星の人。
それはさておき、現代日本においては、そんなやり方じゃ普通は相手の好感度が下がるだろう。
もっとも、僕からの好感度とかを気にされても困るんだけど。




29: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:30:11.43 ID:YIzNxz740

「え? お兄ちゃんから私への好感度なんて、もう限界突破でメーター振り切れてるって知ってるから、いいよ別に」
「よくねえよ! つーか何を勝手に好感度マックス設定にしてくれてるんだよ!」

 僕はゲームキャラクターなんかじゃないんだぞ。
そんな簡単に、且つ勝手気ままに、好感度を外から弄られては堪ったものではない。
しかし月火は、余裕そのものという態度をまるで崩すことなく、しかしその相好をこそ盛大に崩していた。

「何言ってるのよ。こないだだって血相変えて助けにきちゃってさ。泣きそうな声で何度も名前呼んじゃってさ。慈愛顔で私の頬を撫でてたじゃない。あー恥ずかしい恥ずかしい」




30: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:34:07.89 ID:YIzNxz740

 月火が攫われて、僕が助けに行って、ということは確かにあった。
まあその辺の詳しいことは前話を参照してほしい。
あの時のこと(犯人のこととかその動機のこととか)は、結局誰にも詳しくは話していない。
だから月火からすれば、あの時の体験は結構トラウマ的というか、怖い目に遭ったという記憶でしかないはずなのに。
それが何でむしろ嬉しそうに話すのか、正直理解に苦しむ所だった。
そりゃまあ、本当にトラウマを抱えられたりするよりは余程いいことだとは言え。

 しかし今の月火の発言から考えると、何気に色々と誇張されてしまっているように思えるんだけど、気のせいだろうか。
そもそもそんなドラマチックなシーンだったかなあ? あれ。
大体からして、別に僕が泣いてるような場面なんて一度としてなかっただろうに。
慈愛顔はどうか知らないけど。いやでも多分してないと思う。そのはずだ。
とにかく、あの時はさらっと流したけど、こいつの中では本当に月9枠レベルのメロドラマが展開していたことになっているのかもしれない。
何ともぞっとしない話である。
実際のところ、ぞっとするような話にならなかったからこそ出来るやり取りではあるにせよ。




31: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:38:06.27 ID:YIzNxz740

「全くもう本当にもう、シスコンの兄を持つ妹は苦労するよ。苦労しちゃうよ。涙を呑んで耐えちゃうよ」
「誰がシスコンだ。あらぬ嫌疑をかけるんじゃない。ていうか別に耐えんでもいいだろうに」
「あーあー、いいよなあ、月火ちゃん」
「火憐ちゃんも、羨ましがってんじゃねえよ。縁起でもねえ」

 月火の戯言はさておき、そもそも何もなかったというのは結果論でしかなく。
冗談でも、それこそ演技でもそんな発言は止めてほしいところだ。
もう決して、あんな心情を二度と味わいたくはない。
そうしないことをこそ、今の僕は信条としているのだから。




32: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:42:39.20 ID:YIzNxz740

「まああれだね、結局何だかんだ言って、この物語におけるメインヒロインは私ってことなんだよ。幸せの青い鳥は家にいるっていうのが定説だしさ」
「むうっ、それじゃあたしの立場がねーじゃねーか」
「何を悔しがってんだよ」

 起き上がって胸を張る月火と、それを羨ましげに見ている火憐。
何? このカオスな雰囲気。
爽やかな朝の空気は、綺麗さっぱり雲散霧消してしまっていた。

 それはさておき、月火が起き上がった関係で、僕はこいつを下から見上げる体勢になっているわけで。
視界の先に広がるのが只の平野ではなく、なだらかな丘陵だということから、なるほど日々こいつも成長しているのだなあと今更ながらに実感する。
それは決して拝む程のものではないにしろ。まあ将来に期待というところだろう。




33: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:47:10.40 ID:YIzNxz740

「ん? 何かお兄ちゃんから良からぬ思考を感知したよ」
「お前まで訳の分からんことを言ってるんじゃない」

 変なところで鋭さを発揮させやがって。
今のは、あくまでも兄として妹の成長に対して感慨にひたっていただけだというのに。
しかしまあ忍もそうだけど、何でこいつらは初期のキャラをこうも着実に破壊し続けているのだろうか。
全く、朝僕を起こしに来る妹というキャラだけで本当に十分だったのになあ。

「じゃあ兄ちゃん、あたしがピンチになった時も助けに来てくれよな」
「いや実際助けに行ったこと何度もあるだろ」




34: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:51:55.95 ID:YIzNxz740

 そして火憐もまた、キャラに似合わないことを言い出していた。
というか馬鹿なことを言い出していた。
まさか蜂の騒ぎの時のことを忘れたわけでもあるまいに。
いや、そうでもないか、こいつの場合。
正直な話、素で忘れている可能性は否定できない。何しろ本当に馬鹿だから。
まあそれはさておくにしても、そもそもあの時僕は助けに行ったにも関わらず、その守る対象――すなわち火憐に思いっきり迎撃されてしまったわけで。
それで助けに来いとか言われても、という話である。
あるいはその出来事すら忘却の彼方なのか。
いずれにしても、先の妄言を撤回する気はさらさらないようだ。

「んー、そりゃそうだけどさあ。何つーかこう、どうせならもっとヒロインっぽく助けられたいんだよ、あたしは」
「ならまずお前がヒロインっぽくなるのが先だろう」




35: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 00:56:41.75 ID:YIzNxz740

 普段の火憐は、どっちかっていうと助けに行く方である。
自分の妹をこういう風に評するのは二重の意味で悩ましいんだけど、実に男前なのだ、こいつは。
悲しくもヒロインには程遠い妹キャラだった。
ごめん言い過ぎた、別に悲しくはないな。
そんな厄介事なんて無い方がいいんだし。
そもそも、今更こいつにヒロインっぽくなられてもなあ。

「あたしじゃメインヒロインになれねえってのか!?」
「お前は何を目指してるんだ!?」
「くそー、兄貴ラブなキャラ設定はあたしだけのものじゃなかったのかよ」
「いい加減その設定に縛られるの止めとけよな」




36: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 01:01:07.27 ID:YIzNxz740

 悔しがるポイントも目指すべきポイントも、どうしようもないレベルで、絶望的なまでにずれていた。
寝起きのテンションの高さを言い訳にしても看過できないような、そんな戯言の応酬になってきていたけれど。
さすがにこれ以上はちょっと色々な意味で限界だろうというところで、時間の方も限界を迎えたらしい。
セットしていた目覚ましが、それはもうけたたましく鳴り始める。
即座に停止させると、それを潮に僕達は揃ってベッドを下りて着替えを始めた。

「お兄ちゃん、今日は遅くなるの?」
「いや、今日はどこにも寄る予定なんてないし、早く帰ってくるよ」
「ふーん、じゃあ夕食はいつもと同じ時間でいいよね?」
「そうだな、それでいいよ」




37: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 01:05:18.62 ID:YIzNxz740

 今日は両親とも遅くなるとかで、夕食の支度は月火がしてくれるらしい。
火憐はともかく、月火は家事全般一通りこなせるのだ。
正直その点は感謝している。というか、ぶっちゃけこういう時は妹万歳ってすら思う。
何なら思いっきり胴上げしてやってもいいくらい。
実際美味しいしなあ、月火の作る食事って。

「何か今また月火ちゃんに負けた気がした……?」

 火憐がまた無駄に鋭い感覚を発揮して首を傾げていたが、それはさておき。
着替えて、食事して、支度して。
三人で連れ立って玄関を出ると、そこで一旦立ち止まる。
妹達と行動を共にするのはここまでだ。
何しろ向かう先が、僕と妹達で全然違うのだから。




38: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 01:09:45.91 ID:YIzNxz740

「じゃあ行ってらっしゃい、お兄ちゃん。車に気をつけてね」
「お前たちも気をつけてな。あんまり無茶ばっかすんなよ」
「何言ってんだよ、正義の実現の為には多少の無茶は付き物さ」
「だからそれを程々にしろってんだ。何だよ、また厄介事に首突っ込んでんじゃないだろうな?」
「大丈夫だよ、私達が今抱えてるのは一つだけだし」
「あるんじゃねえか」
「だーかーらー、困ってる人がいたら動くのは当たり前だろ。兄ちゃんに迷惑はかけねーから心配すんなって」

 そう言って駆け出す火憐と月火。
迷惑も心配もかけられまくってるんだけど、どの口がそんなことを言ってやがるのか。
知らず肩を竦めつつ、その背中を見送る。
有り余るエネルギーがそうさせるのか、朝一番とは思えないダッシュ力だった。
あっという間に角を曲がり、その姿が見えなくなってしまう。
帰ってからまた釘を刺しておかないとなあ、とか考えつつ、僕もまた学校へと足を向けた。




39: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 01:14:46.41 ID:YIzNxz740

 今更改めて言うまでもなく、あいつらの活動に無茶は確かに付き物だった。
くどかろうとうざかろうと、やはり何度だって言って聞かせるしかないだろう。
いずれ頭に浸透してくれる日が来てくれたらいいなあ、という希望を抱きつつ。
今のところ、僕のその努力が実を結ぶ気配は微塵もないけれど。
まあ気長に行こうと、そう考えていた。

 しかしてこの時僕は、まあ当然のことながら、それ以上に深くは考えていなかった。
何の兆しも前触れもない状況では、致し方ないところなんだけれど。
まさか付き物の無茶に、無茶な憑き物が付随してくることがあるだなんて。
残念ながら、僕は微塵たりとも察知することはできなかったのだ。




46: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:12:59.95 ID:YIzNxz740

 003.

「今回も私の出番が無いと思ったでしょう? それは浅はかというものよ」
「何の話だ? 戦場ヶ原」
「いえ、気にしないで。ちょっと意図しない形でフェイントが成功した気がして、少し不愉快だっただけだから」
「ものすごく気になるんだけど」
「デリカシーのない男ね、相変わらず。黙っていることさえできないなんて。やっぱり骨の髄まで恐怖を叩きこんでおくべきだったかしら」
「お前は僕をどうしたいんだよ。つーか怖えよ」
「躾は初めが肝心なのよ」
「人をペット扱いするなよな」

 かくも残念なやり取りを交わしているのは、お昼休みの中庭での一時のこと。
しかし、昼休みに恋人と二人きりで過ごしているという設定に間違いはないはずなのに、何でのっけからこうも殺伐としているのだろうか。
基本的に悪意しか感じ取れないのは、決して僕の気のせいではないと思う。




47: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:17:44.57 ID:YIzNxz740

 とりあえず、事のついでみたいに僕を攻撃、もとい口撃するのは止めてほしい。
戦場ヶ原が更生したというのは確かなことなんだろうけれど、それは手が出難くなったというだけで、舌鋒の鋭さはほとんど変わっていないような気がするのだ。
そして現状、その矛先は概ね僕に対してのみ向けられている。
喜ばしくも嘆かわしい話だった。

「あら、私がこんな風に会話してあげるのは阿良々木くんだけよ。自慢していいわ」
「誰に自慢するんだよ、そんなの」
「そうね、ごめんなさい。自慢する相手なんていないんだったわね」
「そこを謝るなよ! そういう意味で否定したわけじゃないから!」

 人を話し相手もいないような寂しい子呼ばわりするのは止めてほしい。
そうじゃなくて、どこの世界に罵られることを自慢するような間抜けがいるのか、という意味で否定したのだ。
残念ながら、いや残念でも何でもないけど、とにかく僕は罵られて喜ぶ趣味もないし、罵られることを声高に自慢するような酔狂な真似をする意思もない。




48: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:22:22.73 ID:YIzNxz740

「神原あたりにすれば、尻尾を振って羨ましがるかもしれないわよ」
「お前の神原に対する認識も大概ひどいな」
「良い意味で言ってるのよ」
「悪い意味にしか聞こえないぞ」

 今のやり取りのどこに良い意味を見出せばいいんだろうか。
尻尾を振ってとか、犬じゃないんだから。
もっとも神原の普段の言動を考えると、犬と表現することそれ自体は、比喩として割と適切かもしれないと思えてしまうんだけど。
あの忠実っぷりを動物で例えるなら、確かに犬ってのは結構合ってる気もするしなあ。

「ちなみに阿良々木くんを動物に例えるなら、そうね、ダニ……蚊……蚤……悩ましいところだわ」

 それはきっと、吸血動物という観点から例えられたものだと僕は信じる(それでもせめて蝙蝠辺りにしてほしかったと思うのは贅沢だろうか)。
決してそこに別の意味なんてないんだと信じたい。
それにしても、こいつはどうしてこう僕の心を折りたいんじゃないかと疑いたくなるようなやり取りばかり繰り返してくれるのだろう。
どんな層に向けたサービスなのか、一度確認しておいた方がいいのかもしれない。




49: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:27:05.95 ID:YIzNxz740

「ところで阿良々木くん、勉強の進み具合はどうなのかしら?」
「また唐突に話を変えてきたな」
「だから神原と被虐自慢を繰り広げるといいわ。どちらがよりひどく罵られたか、より喜びを感じたか。さぞ盛り上がる事でしょうよ」
「いや別に話を戻してほしいわけじゃないからな!」

 そんな気遣いはいらない。
というか、そもそもそれは気遣いじゃない。
分かっててやってる気がしないでもないけれど。




50: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:30:31.57 ID:YIzNxz740

「何よ、勝手な人ね。阿良々木くんは私にどうしてほしいの?」
「どうしてほしいというか、普通に会話してくれればそれでいいんだけど」
「してるじゃない。この上何が望みなのかしら。本当に卑しいったらないわね」
「……無意味に僕を罵倒しない方向で、ぜひ」
「無意味だなんて失礼ね。まあ阿良々木くんが失礼じゃなかったことなんて、一度たりともありはしないけど。これもあなたの成長を願えばこそよ。言ってなかったかしら? 私は叩いて伸ばすタイプなの」
「いやお前の教育方針がどうとかじゃなくて、そもそも僕が叩かれて伸びるタイプだとは限らないだろう」

 世にどれ程、過大な期待をかけられてその才能を潰された子供がいたことか。
確かに今、僕は戦場ヶ原(と羽川)に勉強を教えてもらう立場だけど、教育方針というものは、やはり相手に合わせて考えるべきだと思うのだ。
端的に本音を言ってしまえば、もうちょっと優しくしてくれると嬉しい。




51: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:34:09.98 ID:YIzNxz740

「阿良々木くんがどういうタイプでも関係ないわ。私は全力で叩くのみよ。潰されたくなければ伸びなさい。あるいは潰されて延びなさい」
「僕は鉄じゃねえよ! 斬新な教育方針にも程があるだろ! お前はそれでいいと思ってるのか!?」
「ええ勿論よ、伸びても潰れても、どちらに転んでも私は楽しめるもの。せいぜい足掻きなさいな」
「なあ戦場ヶ原、僕達付き合ってるんだよな?」
「何を今更。私のあなたへの想いこそ本物よ。疑われるなんて悲しい限りだわ」
「じゃあとりあえず、もうちょっと穏やかな話をしようぜ。罵倒とかそういうのは止める方向で」
「それは甘えね。刺激のない人生なんて無価値だと思わない? 言わば、私は阿良々木くんの人生に価値を与えてあげているようなものよ。むしろ感謝したらどうかとすら思うわ」
「その発想はなかったぞ」

 刺激がすなわち罵倒と等価であるというのは、さすがにどうかと思う。
というか、罵倒されなきゃ価値が無い人生って何なんだよ。
そこまでして僕の人生に疑問符を投げかけたいのだろうか。
この間までのデレ(というかドロ)なガハラさんは、一体全体どこへ消えてしまったのだろう。




52: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:38:15.47 ID:YIzNxz740

「阿良々木くん、私気付いたのよ」
「何をだよ」
「ただデレただけのキャラなんて無個性に等しいということをよ。そんなことだからモブキャラに、更生して面白くもなんともないキャラになっちゃった、とか言われるんだわ」
「モブキャラって」

 八九寺の言い分もまあ大概だったけど、戦場ヶ原も負けちゃいなかった。
一応どころじゃなく、あいつもメインキャラで且つ人気キャラなのになあ。
というか、そもそも戦場ヶ原って、八九寺を見ることができなかったはずなんだけど。
メタ的なやり取りをしてでも、言い返さなければ気が済まない程の発言だったのだろうか? あれ。




53: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:41:12.57 ID:YIzNxz740

「ええ、屈辱だったわ。これ程恥辱に震えたのは、阿良々木くんに告白させられたあの時以来ね。本当に忌々しい」
「戦場ヶ原、お前実は僕のこと嫌いだろ?」
「え? むしろ愛してるわよ。私が死ぬ時にはあなたの骨を抱いて逝きたいと思うくらいに」
「僕が先に死ぬのは確定なんだな」

 というか、戦場ヶ原、お前もか。
お前も骨にときめきを感じるのか。

「誰のでもじゃないわよ。阿良々木くんの骨だけ」
「何だろう、素直に喜べない」




54: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:45:16.59 ID:YIzNxz740

 まあ普通の感覚なら、喜ぶべきところでも何でもないのかもしれないけど。
しかし、何となく羽川のあの台詞を彷彿とさせる言い回しになっている辺りは、計算してのことなのだろうか。キャラ作りの一環だったり?
全くもう、揃いも揃って皆が皆、どうして同じようなことをしているんだろう。
新しいキャラ作りなんてしないでくれた方が良かったのになあ、いや結構本気でそう思う。

 まあ一番酷いのは、断然忍なんだけど。
あいつ、完全に初期のキャラが無くなっちゃってるしなあ。迷走甚だしいというか。
早いこと落ち着くべきところで落ち着いてほしいと思うのだ。
願わくば、それが百年先まで僕がときめきを感じられるような設定であってくれると、なお喜ばしい。




55: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:49:29.38 ID:YIzNxz740

「不愉快な思考を察知したわ」
「何で僕の心はこんなに簡単に読まれるんだ?」
「顔に出てるのよ、私以外の女との未来予想図を考えてるって」
「ちなみにあれだ、勉強は超順調だぞ。次の模試では合格安全圏内に入れるんじゃないかって思う」
「唐突に話を変えたわね」
「そんなことはないぞ」

 もちろん僕は話を戻すようなことなんてしないから安心してほしい。
さあ戦場ヶ原、学生らしい話に花を咲かせようじゃないか。




56: ◆/op1LdelRE 2011/12/19(月) 23:55:11.06 ID:YIzNxz740

「私としては、もう少しさっきの話を追求しても良いのだけど。事と次第によっては、花が咲くのは阿良々木くんの体かもしれないわよ」
「何その形容! 僕の体をどうするつもりだ!?」
「赤い薔薇って綺麗だと思わない?」
「超怖え!」

 言葉通りの意味なのか、比喩的表現なのか、どちらにしても僕の体が鮮血に染まるイメージしか出てこない。
そしてその花と一緒に、きっと僕の命も散るのだろう。
詩的に素敵な死刑宣告だった。って洒落になってない。

「まあいいわ。クリーニング代も馬鹿にならないし」
「……」




57: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:00:10.93 ID:NA3PzXhq0

 クリーニング代に助けられた事実に感謝するべきなのか。
それともクリーニング代にすら劣る命の価値に涙するべきなのか。
それが問題だ。

「私の寵愛を受けられる事実に感謝して、私に見出された命の価値に感涙なさい」
「何つーか絶好調だな、ちょっとあの頃のお前を思い出すよ」
「私は負ける訳にはいかないのよ、あんな乳臭い小娘に」
「そんなに八九寺に対抗意識を燃やさんでも」
「一度、徹底的に大人の女の魅力というものを教えてあげないといけないと思ってるわ、阿良々木くんのその体に」
「エロい意味にも痛い意味にも聞こえる言葉だな、それ」

 というか、エロい意味でも痛い意味でも、どちらにしても痛い発言だった。
しかし、それがさながら規定事項であるかのように、僕は痛めつけられる運命にあるらしい。
全く痛々しいことこの上なかった。




58: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:04:59.73 ID:NA3PzXhq0

「まあその辺の話は、学び舎でするようなことではないわね」
「既にして手遅れな感は否めないけどな」
「それで、本当に勉強は順調なの? 嘘だったら熱した半田を飲ませるわよ。ボトルで」
「何のボトルだよ! つーかそれ幾ら僕でも死ぬから!」
「鉛フリーな半田だから安心して。まだしも環境には優しいわ」
「まず僕に優しくしてくれるって発想はないのか?」
「あら、環境なんてどうでもいいと言うの? 酷い人ね。そういう心構えの乏しさが、地球環境を悪化させているということを理解しているのかしら。脳の貧しい人間はこれだから」
「もういっそストレートに馬鹿って言ってくれよ……というか、それなら最初から半田を持ち出さなきゃいいだろうに」
「そもそも嘘をつかなければいいのよ」
「いやまあそうかもしれないけどさ」

 何か釈然としないというか。
別に嘘をつくつもりもないけど、不必要に罵倒された感が果てしなく否めない。
ガハラさん絶好調である。
あるいは舌好調であると言うべきかもしれない。




59: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:10:17.40 ID:NA3PzXhq0

「どうも最近の阿良々木くんの周辺環境を考えると、ちょっと勉強に集中できるような状況とは思えないのよね」
「何だよそれ、確かに色々厄介事に巻き込まれてるっていうか首を突っ込んでるっていうか、そういう自覚はあるけどさ」

 確かにまあ、怪異絡みの厄介事だけでも、ここ最近で何度遭遇したことか。
心配をかけているという点では、実際申し訳ない気持ちもある。
だけどそれでも、勉強を蔑ろにしているわけではない、という確信もあるのだ。
ちゃんとやるべきことはやっている。
家庭教師役をしてくれている戦場ヶ原にも羽川にも、これは胸を張って言えることだった。

「そうじゃなくて。最近たまに妹さん達とメールのやり取りをしてるんだけど」
「マジで!? 初耳だぞ!」
「当たり前じゃない、初めて言ったもの」
「うわー……」




60: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:14:09.98 ID:NA3PzXhq0

 はっきりと怖い。
戦場ヶ原とあいつらがメールのやり取りとか、地雷の敷き詰められた平原を千鳥足でうろつく様なものじゃないか。
いらんこと、良からぬことを暴露されてる危険性が高過ぎて、何の突っ込みもできねえよ。

「元々は、阿良々木くんのプライベート情報を秘密裏に暴露してもらいつつ、将来を見据えて二人と良好な関係を築いておこうという作戦だったのよ」
「それを今僕に暴露してどうするんだよ」

 全然秘密裏でも何でもなかった。
どこまでもオープンマインド、これが所謂見える化というやつなのだろうか。
告げられる身として正直に言わせてもらうならば、いっそのこと最後まで隠していてほしかったというのが本音である。




61: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:17:12.01 ID:NA3PzXhq0

「最初はまあ狙い通りだったわ。色々な情報をもらえたし、それなりに仲良くなれたとも思うし」
「何を知られたかはともかく、まあ仲良くする分にはいいことなんじゃないか?」
「面白い話もたくさんあったわよ。寝言の実況中継とか、思わず深夜ラジオに投稿しようと思ったくらいね」
「まだ投稿続けてたのかよ」

 『林檎をむいて歩こう』さん、まだ現役だったんだ。
その事実に対する感想はさておき、公共の電波で僕のネタを広めるのは止めてほしいぞ、切実に。
どんな恥の上塗りだよ。




62: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:21:14.78 ID:NA3PzXhq0

「ひどいものだと、『オスカルオスカル』って何度も連呼してることがあったそうよ」
「どんな夢見てたんだ僕!?」
「私が聞きたいわね。何? その身長でアンドレ気取り? 恥を知りなさい」
「身長は関係ないだろ!? つーかもっと他に突っ込む所あるだろうに! そもそも夢の内容なんて自分で選べるか!」
「あぁ、無意識の願望というやつだったのかしら。夢の中でくらい高身長でいたかった、と。無様ね。でも現実を直視できないその哀れな姿を見ていると、憐憫の情すら湧いてくるわ。とっても優しくなれそうよ」
「何で僕はこんな寝言如きでそこまで憐れまれてるんだ……」

 夢やら寝言やらにまで責任なんぞ持てるか。
というか、まず僕の方が不思議なんだから。何で今ベルサイユのばら?
高身長キャラなら他にもいるだろうに、一体このチョイスはどういうことなのだろうか。

 しかしまあ、僕の妹達は兄のプライバシーを一体何だと思っているのか。
これは一度本気で説教してやる必要があるだろう。
そんな風に考えていたのだが、本当の爆弾はこの後にこそ控えていたらしい。




63: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:25:55.35 ID:NA3PzXhq0

「ちなみにその寝言の最中は、阿良々木くん、ずっと火憐さんを抱きしめていたらしいわ」
「……へ、へぇ、そうなんだ」
「それどころか、抱きしめながらずっと頬ずりしてたみたいよ。それはもう愛おしげに」
「いや、ちょっと待ってくれ、戦場ヶ原。まずは冷静になろう」
「えぇ、私は冷静だわ。ここまで心が冷たく静かなのも珍しいくらいに」
「そういう意味じゃなくて!」
「ちなみにこれが、その時の写真ね」

 開いた戦場ヶ原の携帯の、その画面一杯に広がる写真に映っているのは、確かにベッドの上で火憐を抱きしめて惰眠をむさぼる僕の姿。
どうやらその時、僕の夢の中では火憐がオスカル役だったらしい。こっちはまだ何となく納得できなくはないな。
しかしひどい写真だった。
客観的に見たら、間抜けそのものである。我ながら。
コメントする余力も申し開きの余地も、欠片すら残っていなかった。




64: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:29:14.18 ID:NA3PzXhq0

 現在の僕の胃の状態など露知らず、画面の中の僕は幸せそうに眠りこけており。
この暑い中抱きつかれている火憐もまた、何故か暴れるでもなく、寝転がったままそれを享受していた。
何なら画面の見えないところで(映っているのは肩から上だけだった)、抱きしめ返してるんじゃないのかってくらい。
じゃなくて、もう突き飛ばしてくれよ、いっそのことさあ。
何でこいつは受け入れちゃってるんだよ、本当に。

「月火さんが、わざわざ連写して送ってくれたのよ、ほら、パラパラ漫画みたいでしょう?」
「……ごめんなさい」

 表情を動かさないまま、僕に対して携帯の画面を突きつけた体勢で、かちかちと指だけ動かし続ける戦場ヶ原。
微妙に頭の位置が動いていて、確かにパラパラ漫画のように見えなくもなかった。
妹に頬ずりする兄(というか自分)という構図でさえなければ、いっそ指差して笑っていたかもしれない。
でも現実には笑える絵でも何でもなく、僕はごく自然に頭を下げていた。
頭を上げられなかった、と言うべきかもしれないけれど。




65: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:33:33.41 ID:NA3PzXhq0

「あら、どうして謝るのかしら。謝らなければならないようなことをしたの?」
「いや、そんなことはないぞ、断じて」
「何度も一緒に寝てるのに?」
「あいつらどこまで暴露してるんだ!?」
「そこまでは分からないけど、でも多分これ、全部ひっくるめて月火さんの作戦じゃないかしら。考え無しにやってるんじゃなくて、むしろ考え抜いて、計算してやってるような気がするのよね」
「何だそれ?」

 作戦とか計算とか言われても。
そりゃ、あいつはファイヤーシスターズの参謀担当だけど、戦場ヶ原とのメールのやり取りで、何の策略を練る必要があるんだ?
そもそも、あいつらは特に戦場ヶ原を敵視してるわけではなかったはずだけど。




66: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:37:36.43 ID:NA3PzXhq0

「ええ、嫌われてるとかじゃないと思うわ。別に悪意は感じないもの。ただ、どうにも見せつけられてるというか、自慢されてる感じはするのよね。私に向けたメッセージみたいなものかしら。自分達は阿良々木くんとこんなにも仲良しですー、べったりですー、ねっとりですー、いいでしょー、みたいな」
「ねっとりとか言わないで」
「実際メールのやり取りでも、最初の方こそ妹としての兄情報だったけど、途中からは女としての男情報に変わってるわね、視点が」
「何考えてんだ、あいつら……」

 月火と抱き合って寝てる僕の写真とか、火憐が寝惚けて僕の首にチョークスリーパーかけてる写真とか、もう出るわ出るわ。
それでも幸いにも、僕があいつらの胸に顔面を突っ込んでるところとか、あいつらにちゅーしちゃってるところとか、そういう危ない写真はなかった。
その辺の分別というか優しさは、あいつらにもあったらしい。ちょっとほっとする。




67: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:42:37.11 ID:NA3PzXhq0

「随分想われているようね、妬ましい限りだわ」
「いやちょっと待って、ごめん、でもこれはあれだ、僕達流のコミュニケーションというか――」
「勘違いしてほしくないんだけど」
「え?」

 それこそもう土下座すら選択肢に入れようとしていた僕に、しかし思いもよらず落ち着いた声がかかる。
顔を上げてみても、戦場ヶ原の表情には、怒りのような感情は微塵も見つけられなかった。

「私は別に、怒っているわけではないのよ」
「え? そうなの? てっきり――」
「もちろん思う所がないわけでもないわ、少なからず嫉ましくて妬ましいのは事実よ。でも、それが阿良々木くんだし」
「……」




68: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:47:14.26 ID:NA3PzXhq0

 どういう意図での発言だろう。
何というか、素直に喜んでいい状況ではないと思うけど……ていうか、これが僕とか言われても。
妹とべたべたするのが僕なの? 戦場ヶ原の中ではそうなの? と結構な疑問を覚えないでもない。
しかし戦場ヶ原にとってみれば、僕のそれは疑問でも何でもないようだ。

「怪異絡みのごたごたに馬鹿みたいに突貫するのも、見も知らない誰かを助ける為に命をかけるのも、妹さん達といちゃいちゃするのも、全部ひっくるめて阿良々木くんを構成している要素なわけでしょう。それをとやかく言う意思なんて、私にはないわよ」
「褒められてる気がしないけど」
「別に褒めてなんていないわ、事実を言ってるだけ。だから阿良々木くん、何であれ、それがあなたを構成している要素なら、私は丸ごと全部受け入れるのみよ」
「……ありがとう、って言えばいいのかな?」
「意味が分からないわね。それならむしろ愛してると言えないものかしら」
「もちろん、僕の戦場ヶ原に対する想いも本物だぞ」




69: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:51:53.15 ID:NA3PzXhq0

 さっきの言葉を返しておくことにしよう。
これは実際、偽りなき本心だ。
全く、本当に僕には勿体ないくらいの彼女さんである。

「でも、まさか妹さんが最大のライバルになってこようとは、本当に夢にも思っていなかったわ。獅子身中の虫、とは少し違うかもしれないけど。ねえ虫……阿良々木くん」
「お前うっかりでも僕のことを虫とか呼びそうになるなよ。つーかそれだとお前、虫を彼氏にしてることになるんだぞ? はっきりとどん底じゃねえか」
「阿良々木くんと一緒に落ちるなら、それも悪くはないわね。地獄の底でも愛し合いましょう」
「何でお前の愛情表現って、いちいち痛々しいんだろうな、しかし」
「まあそれはさておき。とにかく私が気にしているのは、阿良々木くんが妹さん達といちゃいちゃし過ぎて勉強が疎かになっていないか、という一点のみよ」
「いちゃいちゃはともかく、勉強はちゃんとやってるよ、そこは本気で手抜き無しだ」
「……どうやら本当らしいわね。それならいいわ」




70: ◆/op1LdelRE 2011/12/20(火) 00:55:52.27 ID:NA3PzXhq0

 しばらく僕の目を見ていたが、納得したように頷く戦場ヶ原。
これが羽川だったなら、妹達に対する所業で何時間か説教くらってそうなもんなんだけど。
どうやら戦場ヶ原にとっては、それは瑣末なことらしい。
器が大きいというか何というか。
これ程の女の子にここまで想われているというのは、実際身に余る幸福と思わずにはおれない。

 例えば、火憐や月火とかだったらどうなんだろうな?
さすがにこのレベルでの惚れた腫れたはないんじゃなかろうか。
もっとも、同じくこのレベルでの悪口雑言もないんだろうけど。
結局この日は徹頭徹尾、戦場ヶ原のペースだった。
そんな日常もしかし悪くないと思えてしまう辺り、僕も相当重症なのだろう。




75: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:04:50.22 ID:yFmtmbLq0

 004.

「阿良々木先輩、猥談の時間だぞ!」
「そんな時間はない!」

 放課後、用事があるという戦場ヶ原や羽川と別れ、家路につくことしばし。
相も変わらず軽快な調子で駆けてきた後輩――神原駿河の口から、相も変わらぬ軽率な言葉が飛び出し、気付けば全力で突っ込みを入れていた。
こいつは本当に、通学路で何を馬鹿なことを口走ってやがるんだ。
まさか周りに人がいなければ何を言ってもいいとか思っているのだろうか? 実に嘆かわしいことこの上ない。




76: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:08:59.51 ID:yFmtmbLq0

「ふむ、これはどうしたことか。今日は随分とノリが悪いようだが、体調が優れないのか? 阿良々木先輩」
「普段から僕がノリ良く猥談に付き合ってるみたいな言い方をするな。体調に問題なんかねえよ」
「あぁ、もしかして生理だったのか? それは失礼をした」
「僕は男だ! その疑いがまず失礼だろうが、全く。つーかいい加減挨拶代わりに下ネタ使うのは止めたらどうなんだ」

 およそ現代社会を生きる一般人、というか女子高生にあるまじき発言だった。
もしかしたりするわけあるか。お前は僕をどんな目で見てやがる。
全くもって度し難いことだが、しかしこれもセクハラになるんだろうか? とりあえず、訴えて勝てるかどうかは微妙なところだと思うけど(まず訴えた時点で僕の負けっていう気もする)。
爽やかな放課後が、それはもう色々と台無しだった。




77: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:12:51.88 ID:yFmtmbLq0

「しかし阿良々木先輩、何でも今日の昼休みに、中庭で戦場ヶ原先輩と人に見せられない且つ聞かせられないようなあれこれを楽しんでいたそうじゃないか。今更私と猥談に興じることに抵抗を感じる必要もあるまい」
「そんなこと誰に聞いた? って確認するまでもないか、また戦場ヶ原がお前に誤解を招く様な物言いで色々と吹きこんだわけだな」
「いや、詳しく聞いたわけではないぞ。とは言え、戦場ヶ原先輩と私はツーカーの間柄だからな、ちょっと聞けば大抵のことが伝わるのは、まあ確かにその通りだ」
「見え透いた嘘を、と言いたいところだが、お前達の場合は何か普通にあり得そうな気もするのが怖い」
「具体的には、一声聞けば今日の下着の色や柄まで伝わる」
「いらんことしか伝わってねえじゃねえか」
「もちろん一声返す際には、私の下着の色や柄を全力で発信しているぞ」
「それ本当に戦場ヶ原に伝わってるのか? つーかそもそも伝えたいのか?」

 結局、下着の事しか疎通する気がないんじゃないか。
何のツーカーだよ。いや何がツーカーだよ。
もう勢いだけで発言するのは止めとけよな。
お前にとっての大抵ってのは下着の話だけなのか?




78: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:19:02.67 ID:yFmtmbLq0

「あまり細かいことを気にされるな、禿げるぞ」
「禿げてたまるか」
「もげるぞ」
「何が!?」
「もぐぞ」
「お前がかよ!」
「ところで話は変わるのだが」
「また唐突だなと思わないでもないけど、まあいいや、何だ?」
「うむ、そうだな、では最近の私の性的嗜好についての話を少々」
「聞きたくねえよ、そんなの」

 微塵も話が変わっていなかった。
いや、変えようとして失敗した、というのが正しいのかもしれない。
神原は確かに、それこそエロがエロ着てエロ歩いてるようなやつだが、今の言い回しは不自然さの方が目立ってしまっている。
何か言いよどんだのだろうことは、こいつがエロいということと同じくらいに明白だ。




79: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:25:31.16 ID:yFmtmbLq0

「エロ言い過ぎだ、阿良々木先輩。興奮するではないか」
「すんな。じゃなくて、今お前話逸らしただろ、何か僕に言い難いことがあるんだな? もしかして、今日僕を追いかけてきたのも、その話をする為だったんじゃないのか?」
「何と、やはり阿良々木先輩には隠し事はできないな。まさか今の些細なやり取りで、そこまで正確に私の思考を推察されてしまうとは。相も変わらぬ頭脳の冴え、まさしく端倪すべからざる洞察力と言わざるを得まい。結婚してくれ」
「話が飛び過ぎだろ! 何でいきなり求婚だよ!」
「あぁ、すまない、驚嘆のあまり欲望が口をついてしまった」
「せめて願望って言葉を使ってくれよ! 何か生々しいから!」
「生々しいのは当然だろう、私はまだ生娘だからな。その点は安心してくれてもいい」
「どういう理屈だ。安心というか、むしろ心配になるよ、主にお前の将来が」
「そう思うのならば、ずっと私の傍にいてくれればいいぞ。なに心配はいらない、金銭的な問題は全てこちらで解決させるから。阿良々木先輩は身一つで私の所に来てくれれば、それで大丈夫だ」
「もっと生々しくなった!?」

 というか求婚ネタをいつまでも引っ張るんじゃない。
折角僕が話の方向を元に戻そうとしてるのに、勢い余って逆方向に逸れてしまってるじゃないか。
とんだ舵取りもあったものである。




80: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:33:54.31 ID:yFmtmbLq0

「では、未来予想図の話は一旦置いておくとしようか」
「そんな話はしていない」
「ちなみに未来予想図なら、私はⅡの方が好きだ」
「僕も同感だが、今はその話も不要だ」
「クラクション五回連発で愛してるのサインだったか」
「近所迷惑この上ねえ!」

 住宅街で何するつもりだよ。むしろ嫌われてんじゃねえのか、それ。
びっくりするだろうなあ、ブレーキランプと思ってるところでクラクション鳴らされまくったら。
好きだとか公然と公言しておいて、何でそんな平然と間違ってんだよ、お前は。
そもそも未来予想図とか、お前の妄想をそんな勝手に自分に都合の良い言葉に変えるんじゃない。そんなに簡単に夢を現実にされて堪るかというんだ。
全くもう、本当にどこまで自分の感情に忠実なんだ、こいつは。ちょっと羨ましくなってくるぞ。
しかしここまで奔放になれたら、きっと人生もっと楽しいんだろうなあ。




81: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:37:26.55 ID:yFmtmbLq0

「む、阿良々木先輩からエロスを求める思考を察知したぞ」
「お前の感知能力は本当に残念な性能だな。少なくとも僕の思考は察知できてねえよ、それ」

 むしろお前、自分で自分の思考を察知したんじゃないのか? 猫が自分の尻尾を捕まえようとする感じで。
折角真面目に聞く姿勢を取った僕が馬鹿みたいだろ、全く。
話の腰を折らずにいられないその姿勢は、いい加減どうにかしてほしいと切に願うぞ。

「そうだな、では改めて仕切り直そうか」
「あぁ、話を戻してくれ」
「お色直しをお望みか?」
「ちょっとしか話が戻ってないぞ、結婚ネタはもういいんだって」
「そうか、ではそろそろ本題に入るとしよう。さて何処から説明したものか……うん、順を追って話した方がいいだろうな。実は昨夜、勉強中にラジオを聞いていた時のことなのだが」
「そう言えば、お前も例の番組のリスナーなんだったよな」

 『すぶりをするそぶり』さん。
こちらはこちらで現役だったみたいだ。




82: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:41:59.41 ID:yFmtmbLq0

「うむ、面白い話も多いし重宝している。それはさておき、昨日の番組の中で少し気になる話があってな」
「気になる話?」
「ああ。相談コーナーでのお便りで、内容は『周りを不幸にする人間がいるのだが、どうすればいいか』というものだった」
「何つーか扱い辛いネタだな」
「DJは、空気が読めずに迷惑をかけている人と考えたようだったが」
「なるほど、そういう解釈か。でもその言い方だと、お前は違うのか?」
「その通りだ。私はその質問は、文字通り言葉通り何らの誇張もない、そのままの意味だと思っている」
「よく分からないな、つまりどういうことなんだ?」
「実は同じ話を、私は後輩の中学生から直に聞いているのだ」
「何だって?」
「つまり、周囲に不幸をもたらす人間がいて困っている、と相談を受けたんだ、つい先日。それも複数の子から」




83: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:46:14.33 ID:yFmtmbLq0

 また随分話が飛んだものだと思ったけれど、神原の表情は真剣そのもの。
軽い調子やふざけた空気や茶化すような雰囲気は、微塵も窺えない。
すなわちこの話は、冗談でも何でもなく、本当にこいつが耳にしたことであり。
そして何より、こいつがそれを深刻に受け止めているということを意味している。

 しかし周囲に不幸を呼ぶ、か……話が抽象的過ぎてどうにもぴんと来ないな。
とは言っても、実際に神原が後輩達から相談を受けて、ラジオに相談を持ちかける人間すらいて。
同じ話がこれだけ重なっているとなると、さすがに単なる気のせい、考え過ぎ、錯覚、と片付けてしまうわけにもいかないだろう。

「けど、どうにも想像し難いな。それはあれか、その人に関わると事件やら事故やらに巻き込まれたりするとか、そういう意味なのか?」
「おぉ、実に鋭いな、全くもってその通りだ。しかし一般に直感が鋭く働くのは女性の方だとよく言われるが、そんな性別の壁すら容易く凌駕するその超感覚には舌を巻くぞ。さすがは阿良々木先輩だ。いや、やはりここはらぎ子ちゃんと呼ぶべきか」
「そのネタ懐かしいな! つーか何を勝手に人の性別変えてんだよ。僕の性別は壁なんか凌駕したりしねえよ」
「変えたというよりも、替えた感じで」
「替えねえよ、替えられねえよ、僕は生まれてこの方、心も体も男であり続けてるよ。水をかぶろうがお湯をかぶろうが替わったりするわけあるか」




84: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:50:36.41 ID:yFmtmbLq0

 シリアスモードが終わるの早過ぎだろ。
せめて話が一段落するくらいまで持たねえのかよ。
お前は本当に、雑談したいのか相談したいのか、どっちなんだ。

「そう問われれば、猥談したいと答えるが」
「答えんでいい。それよりさっきの話の続きだ」
「ああ。とにかくその後輩の話では、今阿良々木先輩が言われたように、関わる人間を揃って不幸にしてしまう少女がいる、ということらしいのだ」
「不幸って一言で言うけど、具体的には? 実害とかあるのか?」
「程度の差はあれ、実際に被害は出ているようだな。事故にあったり、病気したり、恋人と別れたり、物を失くしたり、成績が急に落ち込んだり」
「そういう感じか」




85: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:53:28.57 ID:yFmtmbLq0

 なるほど、それは確かに不幸だ。不幸であり実害ではある。
しかし分からない――どうしてそれが誰かのせいにされてるんだ?
言い方は悪いけど、そういうことは誰だって巻き込まれ得るし、当然ながら誰かにその責を求めることなんて出来ようはずもない。
それって只の八つ当たりなんじゃないのか、とさえ思ってしまうんだけど。

「いや、それがどうやら噂元である当人が公言しているらしいのだ。自分に関わると不幸になるぞ、と。だから自分に関わるな、と」
「何だって? いやでもそれはちょっと……」
「疑問に思う気持ちは当然だ。関わった人達も、最初は一笑に付していたらしい。中二病をこじらせたみたいにな。しかし実際に、一人の例外もなく軒並み不幸事に巻き込まれていくにつれて、その言葉が信憑性を持つに至ったようだな」
「なるほどな。で、それを僕に話すってことは――」
「もちろん、怪異が絡んでいるのではないか、と私は疑っている」




86: ◆/op1LdelRE 2011/12/21(水) 23:57:14.35 ID:yFmtmbLq0

 少し苦々しげな表情で頷いてみせる神原。
確かに、偶然と片付けるには余りにも作為的で、さりとて人為的と断ずるには余りにも不自然。
はっきりと怪しく、くっきりと異なっている。

 しかしそういうことか。怪異の関連を疑っていたのなら、最初こいつが話し難そうにしていたのも頷けるな。
実際に神原は、関わることで様々な辛苦を味わってきたのだから。
叶うならば関わりたくないというのも当然だ。
それでもなお、こいつは僕に話した――ということは、そうしなければならないだけの、何か理由があったということになる。
普通に考えれば、まあ答えは容易に想像できるけれど。

「それじゃあ、要するにあれか、お前は僕にその問題を解決してほしいってことなのか? それか忍とかに聞いて、その正体を調べてほしいとか?」
「いや違う。そうではなく、むしろその逆なんだ」
「逆? 僕に解決してほしくないって? どういう意味だよ」




87: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:01:08.71 ID:4PSOmpZQ0

 当てが外れた。
何だか意味が分からなくなってきたぞ。
それだったら、何でこんなことを僕に話したんだろうか?
神原が黙ってれば、それこそ僕は知ることすらなかっただろうに。

「正確には、関わらないようにしてほしい、と言いたかったのだ。そも事態の解決をお願いできる立場でもないしな」
「放っとけってことか? お前まさか、自分一人で解決しようとか考えてるんじゃないだろうな」
「いや、自分の身の程はしっかりと弁えているさ。もし怪異が絡んでいるのならば、素人の私には何もできないし、そうでなくとも人間関係の問題であれば、尚更高校生の私が口を出すわけにもいかないだろう。私自身関わるつもりはないのだ。冷たいかもしれないが」
「冷たいってことはないだろう。正しい判断だと思うぞ」

 幾らまだその左腕の存在があるといっても、また抜群の身体能力を持っているといっても、それでも神原には専門の知識や技術があるわけでもなく、またそれ用の道具すら持ってはいない。
カテゴライズするならば、やはり一般人の方になるだろう。
そうでなくとも、そもそも基本的に、怪異の類には近づこうとしないという心構えこそが大事なのだ。
関わらずに済むなら、それに越したことはないのだから。




88: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:05:59.76 ID:4PSOmpZQ0

「もちろん後輩にもそう話している。聞いた話からすれば、自ら関わろうとしない限り実害はなさそうだったしな。何にしても落ち着くまでは近づかないようにするのが一番だろう」
「そりゃそうだ。でも神原さ、言いたいことは分かったけど、それだけの為にこんなに詳しく話したのか? そもそもお前に聞かされるまで、僕はそんな話全然知らなかったぞ。何で話す必要があったんだ?」

 神原が、僕の身を心配してその話をしたんだとしたら、むしろ逆効果な気さえする。
知ってしまえば、それで関わりが生まれることにもなりかねないのだから。
進んで関わろうとするかどうかはさておいても。

「だから関わらないようにしてほしいんだ。もちろん阿良々木先輩もそうだが、相談してきたのが女子中学生だと言っただろう。そのコミュニティにおいて厄介事が起こってるんだ。誰が一番危ないかと言えば……」
「あいつらか!」




89: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:09:15.75 ID:4PSOmpZQ0

 栂の木二中のファイヤーシスターズ。
失念していた――むしろ一番最初に思い当たるべきだったのに。
確かに神原の言う通り、中学生の間でそういう事態が起こっているのなら、それがあいつらの耳に入らないわけがない。
またそれで実害が発生しているのなら、あいつらが行動しないはずもない。
中学生同士の喧嘩や揉め事ならともかく、もし怪異が絡んでいるのだとすれば、あいつらの手に負える問題じゃない。
そもそも怪異になんて関わらせてはいけないのだ――火憐にしても、月火にしても。

「全くその通りだ。火憐ちゃん達が怪異に絡むなど、想像もしたくない。あの子達は、明るい日の下でのみ活動するべきだろう」
「あぁ、教えてくれてありがとう。あいつらに何と言って聞かせたものかは――今はちょっと思いつかないけど、何とか考えて話してみるよ」
「ぜひそうしてほしい。もし私にできることがあれば、何でも言ってくれ」

 そう言ってくれた神原には、本当に感謝の念を禁じ得ない。
初めて火憐と引き合わせた時には、正直どうなることかと変な懸念を持っていたりしたものだけど、まさしく杞憂だった。
こうして気にかけてくれているというのは、少し申し訳なく思う反面、やはり嬉しいものだと思う。




90: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:13:19.82 ID:4PSOmpZQ0

「何か他に知ってることとかはないか? 何か言い忘れてることとかさ」
「他の情報か。私も後輩の話とラジオで聞いただけだからな。申し訳ないが、正直そんなに実のある話ができるとは……」
「ちょっとでも情報は多い方がいいし、気になったこととか、些細な事でも話せる範囲で全部教えてくれたら助かるんだけど」
「ふむ、そうだな――昨日の投稿者の中に『恋するウサギちゃん』というラジオネームの人がいたんだが」
「どこかで聞いたようなラジオネームだけど、それがこの件を相談したリスナーなのか?」
「いやそうではなく。阿良々木先輩ならもちろんご存じのこととは思うが、ウサギというのは極めて性欲が旺盛な生き物だ。ともすれば、日がな一日腰を振ってるような絶倫っぷりで、果たして恋をする暇などあるものだろうか?」
「何の話だよ! 気になったことったって、別にこの件に無関係のことまで全部話せなんて言わねえよ! つーかその知識を何故僕が当然知っているものと考えた!? そもそもそういう突っ込みはタブーだ!」

 真面目な姿勢が続いているものと思った途端にこれだ。
お前は何か、真剣な話を一定時間以上続けることができないとか、そういう残念な特性でもあるのかよ。
心の底から難儀な話だ。まあ神原らしいと言えばそれまでなのかもしれないけれど。
本当にこいつだけはキャラが全くぶれないな。良かれ悪しかれ。




91: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:17:30.67 ID:4PSOmpZQ0

「いやでも気になるではないか、何を考えてそんなラジオネームにしたのだろう、と」
「普通はならねえよ。そんな捻くれた裏なんてあるわけないだろ。大体そんなの比喩表現じゃねえか」
「しかし数多存在する小動物の中で、敢えてウサギを選んだというその事実に、私はこの投稿者が伝えようとしているエロスを察知せずにはおれないのだ」
「それははっきりとお前の勘違いだ」

 残念ながら、やはり神原の感知能力は、妹達や戦場ヶ原には遠く及ばないらしい。
あるいは逆に感度が良過ぎて、全く無関係な人間の思考を察知しているかだろう。
とんだ混線模様もあったものだ。
いずれにしても何の役にも立ちはしない。




92: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:21:20.87 ID:4PSOmpZQ0

「断言されては困るな。だってウサギだぞ、ウサギ。雄と雌を一緒のケージに入れておいたら、ごく自然に、さも当然のように交尾に走る、そんな生き物じゃないか」
「いつまで引っ張るんだ、その話。大体お前、小動物みたいな捕食される側の生物の性欲が強いのは、生存本能の観点からはごく自然な事だろう。ウサギだけが特別なわけでもねえよ」
「なるほど、それももっともな話だな。いやさすが阿良々木先輩、その慧眼には心から感嘆せずにはいられないぞ。ではその論に倣うならば、例えば阿良々木先輩も、命の危険に迫られれば性欲が高まるのだろうか?」
「お前は僕に何を期待している!?」
「もちろん阿良々木先輩のナニに期待しているのだが」
「だから安易に下ネタに走るのを止めろというのに」

 ああ言えばこう言う。
全ての道をエロに通じさせるのは止めてほしい。
本当に油断も隙もないというか。




93: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:25:06.93 ID:4PSOmpZQ0

「心外だな、むしろ油断も隙も意図的に作り出しているつもりだぞ、私は」
「服に手をかけるな! そういう意味じゃねえよ!」
「欲情してくれたか?」
「絶望したよ!」
「そうか、私のこの体では阿良々木先輩の劣情を引きだすには至らないのか。せめて十年前に出会えていれば……っ」
「お前十年前からそんなキャラか!? つーか僕のストライクゾーンをどこまで下げるつもりなんだよ!」

 何でそこでお前が落ち込むんだよ、むしろ僕が落ち込むわ。
落ち込んだ奈落の底で、更に自分で穴掘って沈むわ。
お前、僕を敬愛してる振りして、実は貶めたいだけなんじゃないのか?




94: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:31:03.99 ID:4PSOmpZQ0

「それこそ心外、いやさむしろ侵害だ。私は全身全霊をかけて阿良々木先輩を敬愛している。望まれれば足だって舐めるぞ、小指から順番に」
「そんなもん望まねえよ!」
「新しい世界が開けるかもしれないぞ」
「開きたくねえよ、そんなもん」
「何故だ?」
「疑問に思うな! 僕にそんな趣味は無い!」
「いやはや、阿良々木先輩も変な所で意固地になられるものだな、遠慮などせずとも良いのに」
「まずお前が遠慮してくれ」

 さすれば、穏やかに和やかに恙無く話も進行できるだろうに。
真面目な話がメインだったはずなのに、結局いつも通りの雑談に戻ってしまったじゃないか。
とりあえず知ってることは全て話してくれたみたいだから、別にいいんだけど。




95: ◆/op1LdelRE 2011/12/22(木) 00:37:01.59 ID:4PSOmpZQ0

 しかし改めて考えると、実に厄介な話だった。
最近はちょっと仲良くなってきたとは言え、基本的に僕の言うことに素直に耳を傾けてくれたりはしないのだ、火憐にしても月火にしても。
むしろ言い方を誤れば、火に油を注ぐ結果にもなりかねない。
大人しくするどころか、勢いを増して突貫してしまう可能性すらある。

 さてどう話をしたものかと、神原と別れて一人になった家路で考えはしたものの。
家に着いて玄関の扉を開けるその時になっても、妙案が浮かぶことはなかった。
というか妙案どころか、話の切り出し方さえ纏まっていない始末。
悲しいことに、そんな短時間で良いアイデアが閃くことを僕の頭に期待する方が酷な話だということなのだろう。
そう考えると、神原の感知能力をどうこう言う資格は、残念ながら僕には無いのかもしれない。決して撤回するつもりはないけれど。




99: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:07:57.32 ID:oPLXH+5g0

 005.

「ただいまー」
「おかえりー、早かったね、お兄ちゃん」

 ここまできたら悩んでも仕方ないか、と開き直って家に入ると、月火が一人でソファに座ってテレビを見ていた。
最近はファイヤーシスターズの別行動も増えてきたとか聞いていたが、どうやら今日もそうらしい。
間が悪いと言うか何と言うか。
一緒にいてくれれば話も早かったのに。

「火憐ちゃんはどうした? 一緒じゃないのか?」
「その内帰ってくると思うよ」
「いや、そりゃそうだろ、家出したわけでもあるまいに」
「火憐ちゃんの場合、もし家出することがあっても、夕方になったらそれを忘れて帰ってきそうでもあるけどねー」




100: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:12:23.31 ID:oPLXH+5g0

 あり得る話だ。実にあり得てしまう話だ。
何というか、家出する出来事それ自体よりも悲しくなってくる話ではあるけれど。
しかし別行動はさておくにしても、火憐の不在をまるで気にしていない月火というのも珍しい。

「つーか、何か今日の月火ちゃん、ちょっと火憐ちゃんにそっけなくないか?」
「んにゃんにゃ、そういうわけじゃなくってさ、ついさっきまで一緒にいたんだよ。何してるかも知ってるしね。ていうか、火憐ちゃんてば私が止めたのに飛び出してっちゃってさあ」
「意味が分からん、何の話だよ」
「それよりまず着替えてきたら? 汗かいてるでしょ。見てて暑苦しいし」

 ソファに座ったまま、頭だけこちらに向けつつ月火。
ふんにゃりとソファに垂れてるその様は、暑さが原因というわけではなく、単にリラックスしてるからってだけだと思うけど。
しかしまあ、帰宅したらまず着替えろってのももっともな話だ。
速足で部屋に上がり、手早く部屋着に着替えて下に降りる。




101: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:17:43.46 ID:oPLXH+5g0

「それで、火憐ちゃんはどこに行ったんだ?」
「んー……」

 改めて尋ねてみると、月火はちょっと考える仕草をした後、ぱんぱんと自分の隣を叩く。
そこに座れってことか? 別にソファでお隣さんしなきゃならない状況でもないと思うんだけど。
でもまあ、何かそうしないと話してくれないみたいな雰囲気なので、素直に移動することにする。
これからしようとしている話を考えると、機嫌を損ねるのは得策じゃないし。

「む……やっぱり固い」
「いきなり膝枕かよ」
「もうちょっと柔らかくできないの?」
「できるかそんなもん」
「叩いたら柔らかくならないかな」
「なるか、豚カツ作ってるんじゃないんだから」




102: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:26:16.86 ID:oPLXH+5g0

 僕が隣に座るや否や、ころんと寝転がって頭を太ももに乗せてくる月火。
足もソファのサイドに放り出し、もう完全に人の足を枕に休む気全開だった。
和装でそんな動きをすれば、当然裾の辺りがはだけちゃって素足から下着から丸出しになるというのに、直そうという気配すらない。
いつものことながら、とても他人には見せられない格好だ。

 しかし別にそうしたいわけでもないけれど、何と言うか立場が逆な気がしないでもなかった。
実際、男の膝枕なんて気持ち良いもんでもないだろうに。
特に僕の場合は、元々細身の上に体脂肪率も低いから、枕っていうよりむしろ枕木に近いと思うぞ。
いや別に噛んじゃったわけではなく。

 それにしても、太ももに頭を乗せているのに膝枕とはこれ如何に?
言葉の乱れとはよく聞く話だが、それならこれも太もも枕と呼ぶのが正しいのではないだろうか。
そこはかとなく語呂も語感も悪いけどさ。




103: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:31:15.88 ID:oPLXH+5g0

「辞書引いたら分かることだけど、膝には『座った時の太ももの上側の部分』って意味があるから、膝枕で合ってるよ」
「マジか?」
「マジだ」

 知らなかった。
いやちょっと驚いたぜ、その豆知識。
この言葉、実は正しかったんだ。日本語侮れねえ。
もっとも、こんなこと知ってても何の役にも立たないだろうけれど。
まあ豆知識なんて、得てしてそんなものである。

「で、膝枕なんて楽しいのか?」
「悪くはないかな。それよりお兄ちゃん、先に聞いとくけど、今日のご飯何がいい?」
「ん? 別に何でもいいよ。月火ちゃんが作ってくれたご飯って大概美味しいしさ」




104: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:36:09.69 ID:oPLXH+5g0

 月火の作る食事はこれまで何度も口にしてきたけれど、外れだった例がない。
そつなくこなすというか、何を作っても普通に美味しいので、特に注文をつけることなんてないのだ。
むしろ何を作ってくれるのか楽しみにしているくらいである。
大体からして、作ってもらう立場の癖にこの上更に注文をつけられる程、僕の面の皮は厚くないぞ。

「そう言ってくれるのは、まあ嬉しいけどさあ。作る側からしたら何でもいいってのが一番困るんだよね」
「困られても。だって実際何でもいいし。出されたら何でも食べるよ」
「熊の手とかでも?」
「それは止めて」

 というか家にあるのか? 今? あれって確か結構な高級食材じゃなかったっけ?
そもそも食べたことはおろか、現物を見たこともないんだけど。
一般家庭に属する阿良々木家においては、そんなの全く縁の無いもののはずだ。
しかし、ここでじゃあ食べるとか言おうものなら、本当に手に入れて来かねないのが僕の妹達なわけで。
下手な突っ込みは、謹んで慎ませて頂くことにしよう。




105: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:41:20.86 ID:oPLXH+5g0

「それじゃあジャンルだけでも指定しなさい」
「何で命令形に変わった?」
「指定しろ」
「和食でお願いします」

 思わず敬語を使ってしまう。
これ以上答えなかったら、それこそ僕の足が食材にされていたかもしれないと思う程に、それは冷たい視線だった。
勝手に人の膝を枕に使っておきながら、そこには一切の容赦も躊躇もありはしない。
阿良々木月火は今日も平常運転のようだ。

「和食ね……うん、それなら今ある物で大丈夫かな。じゃあ楽しみにしてて」
「楽しみにしとく。それで、火憐ちゃんはどうしたんだって話だけど」
「あー、えっとね、まあ朝も少し言ったけどさ、今ちょっと問題があってね」
「周りを不幸にする人がいるとかって話か?」
「何で知ってるの? お兄ちゃん」




106: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:45:57.51 ID:oPLXH+5g0

 目を丸くして、素で驚く月火。
普段垂れ目なだけに、より驚いてる感じが伝わってくる。
僕が知ってるのがそんなにおかしいか? と思うも、よくよく考えれば事は中学生のコミュニティでの出来事。
一介の高校生に過ぎない僕が知ってるのは、確かに不思議に思っても仕方ないか。

「今日の帰りしなにそういう話を聞いたんだよ」
「あ、もしかして撫子ちゃんに?」
「いや、違うぞ。お前は面識なかったっけ? 神原だよ」
「神原さん? 火憐ちゃんと時々遊んでくれてる人だっけ」
「らしいな。まあその神原が、後輩にそういう相談を持ちかけられたりしてるんだと」

 火憐と違い、神原の名前にそれ程反応を見せない月火。
こいつは神原とはほとんど接点がないし、それも無理からぬところか。
それに一応は文化系の部活に籍を置いている身でもあり、体育会系の人間の話にはあまり興味が無いのかもしれない。
実際のところ、羽川に対してこそ憧憬の視線を送ってたりするもんなあ、月火の場合は。




107: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:50:55.54 ID:oPLXH+5g0

「そっか、でもじゃあ割と大事になってるんだ。どうしたもんだろ。あ、もしかしてそれで私達に釘刺しに来たわけ? 全く、相変わらず心配性なんだからもー」
「心配性でもなんでもいい。釘刺しに来たのはその通りだよ。僕だけじゃなくて、神原にも頼まれてるんだ。危険があるかもしれないから止めてあげてくれってな」
「危険ねえ……もしかしてお兄ちゃん、何か心当たりがあるの?」

 驚きに丸くなっていた目が、今度はすーっと細くなる。
睨む程ではないが、僕の目を真っ直ぐに見上げるその視線は、心の内を見透かそうとしているかのようで。
ファイヤーシスターズの参謀担当を担っているその頭脳が、無駄にフル回転を始めてしまったらしい。
全く、いらん時に直感働かせやがって。事実その通りだから困る。

 しかしこういう時の月火は、実際相当切れるだけに、下手な誤魔化しは逆効果に働く可能性が高い。
そしてまた生来の性格もあり、抑えつければ爆発するのだ。反発ではなく。
一体ここからどうやって説得まで持っていくか。これは難題だ。
くそ、仕方ない。あんまり使いたくはない手だが、止むを得ないな。次善の策だ。




108: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 22:57:40.92 ID:oPLXH+5g0

「穿って物事を考えるんじゃない、純粋にお前達のことを心配しての話だよ。実際、事故とかに巻き込まれてる人もいるって聞くじゃないか」
「本当にそれだけ? 何か隠してるんじゃないの?」
「別に何も隠してないぞ。大体相手は関わるなって言ってて、実際関わらなければ何も無いんだから、しばらく様子見ってことにしといた方がいいんじゃないのか? それに、この前のことだってあるだろ。またお前があんな目に遭ったら、僕は……」

 ここで心配げな表情&優しく髪を撫でる動作! 正しく妹の身を案じる兄の挙動である。
月火は結構感情的に動くキャラクターなので、こちらも情に訴えた方が、聞き分けが良くなる可能性は高いのだ。
押して駄目ならデレてみろって感じで(この場合、引くのは僕じゃなくて周囲だ)。
もちろん妹にデレるような真似なんて、決してしたくはないんだけど。

 しかし案の定、効果は覿面だったらしい。
探るような素振りが一転、不敵なというか不遜なというか、何とも言えないにやけた表情に変わる。
何だよ、その満更でもなさそうな感じは。




109: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:02:33.85 ID:oPLXH+5g0

「ふーん、そっかー、そうなんだー。まあそうだよね、お兄ちゃんはシスコンだもんね。私達のことが心配で心配で仕方ないんだよね。全くしょうがないなあもう」

 ここは我慢だ。決して突っ込んではいけない。
ここで突っ込んだら全てが台無しになってしまう。
実際、怪異が絡んでいるかもしれない事象に、こいつらが首を突っ込むのだけは、何としても阻止しなければならないのだから。
その為ならば、敢えてシスコンの汚名だって被ってやるさ。それも名誉の負傷だと割り切ってしまえばいい。
まあ名誉の負傷というか、むしろ不名誉で不肖って感じがしないでもないけれど。

「うんうん、私達のことが好き過ぎて心配過ぎて泣きそうになってるお兄ちゃんが可哀想だから、今回だけは言うことを聞いてあげよう」
「ああ、ありがとうな」
「何だったらちゅーしてあげてもいいよ、素直になったご褒美に」
「いらねえよ」




110: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:07:31.47 ID:oPLXH+5g0

 にやにやしながらそんなことを言ってくる月火。
即座に拒否したのに、得意げな表情は全く崩れなかった。僕が否定する事まで織り込み済みか。
何だかいいようにからかわれている気がして、ちょっといらっとする。くそっ、やっぱりちゅーしてやろうか。

 しかし正直ここで僕がキスしたところで、月火のこの余裕を崩せるとも思えないんだよなあ。
むしろした方がこいつの思う壺って気さえする。
舌を入れたりとかしたら、多少は驚くかもしれないけど。
真に遺憾ながら、今更キスくらいで動揺するような妹じゃなくなってしまったのだ。慣れとはかくも恐ろしい。
やれやれ、寝込みにキスされて僕を突き飛ばしていた頃の、あの初心な月火は一体どこに行ってしまったんだろうか。
まだ中学生の身空の癖に、何とも嘆かわしく実にけしからん話である。
ちなみに今この場において、じゃあ誰のせいでこいつがこんな風になってしまったんだ、という至極もっともな突っ込みをする者はいない。




111: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:12:53.80 ID:oPLXH+5g0

「まあでも正直に言っちゃうと、元々私も今回は動くかどうか決めかねてたんだよね」
「え? そうなのか? ちょっと意外だぞ、それ」

 にやけた表情を元に戻した月火のその口から、本当に意外な言葉が飛び出した。
正義を標榜して止まないファイヤーシスターズにしては随分と珍しい。
普段から、僕が何を言っても聞きもしないで、嬉々として厄介事に首を突っ込んでるくせに。
何か心境の変化でもあったのか?

「んー、まあ心境の変化みたいなのも無くはないけどさ。そもそも今回の問題って微妙じゃない。結局その子が何してるのかっても、不幸になるぞって言ってるだけだもん」
「僕もそう聞いてるよ」
「お呪いとかかもしれないけどさ、これだけじゃ何の因果関係も見出せないし、決め手に欠けるんだよね。被害があるにしろ、実際に暴力を振るわれたわけじゃないし、呪詛を吐かれたわけですらないし」
「まあ証明はできないよな。言われた通りに不幸になったとしても」
「そうなんだよ。お兄ちゃんも言ってたけど、近づくなっていうのが向こうの望みでもあるわけだし、実際近づかなければ何もないんだから、まずはしばらくそっとしとくのが良いかなって思って。徒に騒ぎを大きくしてもね。何にしても双方落ち着いてからじゃないと」




112: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:19:31.93 ID:oPLXH+5g0

 おや、何とも冷静で理知的な判断じゃないか。
普段から火の無い所に火種を蒔く方が多いのに、中々どうして今回は随分大人な感じの対応だな。
これは本当に何かあったのか、と心配になるぞ、むしろ。

「ていうか、実はその子、病気みたいなんだよね」
「なに? 病気?」
「うん。詳しくは知らないけど、生まれつき体質が弱くて色々持病もあるとかで、入退院を繰り返してるんだって、生まれた時からずっと」
「それは聞いてなかったな」

 なるほど、それなら月火が躊躇しているのも頷けるな。
仮にその子が本当に周囲に迷惑をかけていたとしても、さすがに病人を相手にしていつものように暴れることはできないだろう。
というか、一応正義の味方を公言してるこいつらが、そんな非道な真似なんてそもそもできるわけもないけど。




113: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:25:56.14 ID:oPLXH+5g0

「まあね。さすがに病院で暴れるわけにはいかないしさ」
「暴れること自体がそもそも駄目なんだけどな」

 それはともかくとして、まあ月火に動く意思がないというのなら、まずはそれでいいのだ。
後は今回の件が怪異絡みかどうかの確認だけど、それはまたやり方を考えることにしよう。
いや、ちょっと待った、大事なことを忘れてる。

「だから火憐ちゃんはどうしたんだって。まさか、あいつ一人で動いてるのか?」
「そうなんだよ。様子見てから判断しようって言ったんだけど、全然聞いてくれなくて」
「それはやばいだろ! 病人相手にあいつが暴れたりなんてしたら……」

 総毛立つ感覚が走る。
これはやばい。非常に非情にやばい。
下手すれば刑事事件、下手しないでも民事事件は避けられない!?




114: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:31:21.88 ID:oPLXH+5g0

「いやいやいや、お兄ちゃん何を心配してるのよ。いくら火憐ちゃんでも、病身の女の子を相手に暴力振るったりするわけないじゃん」
「そりゃそうかもしれないけど、でも体質が弱いし持病もあるような相手なんだろ、あいつが凄むだけでも相当なショックを与えちゃうんじゃないのか?」
「だから心配し過ぎだって。方向的には怒りに行ったってより友達になりに行ったって感じだったし」
「それはそれで厄介な気がするぞ」

 生まれてからずっと病気を抱えて生きてきて、周囲に不幸を云々言い出したような子が、少なくとも見た目は元気一杯で青春謳歌してます的な子に友達になろうって言われて、素直に喜ぶとは考え難いぞ。
というか、それでなくても、事がはっきりするまで関わりを持たせないのが先決なのに。
全くもう、どうしていつもいつもこうまで猪突猛進なんだ。
少しくらい大人しく待てないもんか? 鉄砲玉かよ、本当に。

「でも火憐ちゃんてば、その子が何処にいるのか知りもしないのに飛び出してったから。ちょっと見つけられるとは思えないよ」
「何だそりゃ。そんな肝心な所も知らないで、一体どうやってその子を見つけるつもりなんだよ、あいつ」
「どうなのかな。この辺にある病院の数なんてそんなに多くないし、片っ端から受付とかで聞いて回れば見つかるって考えてるんじゃない?」
「ああそうか、あいつならそうするかもな。けどさ、そういうことって、普通は聞いても中々教えてもらえないんじゃないのか? そもそも知らない人が来てもそんな簡単には通してはくれないだろ。患者のプライバシーとかもあるしさ」
「うん。知り合いならともかくね。だから火憐ちゃんも、すぐそのことに気付くよ、きっと。偶々病院に入るところとか出るところとか、タイミングが合えば別だけど、そんな偶然そうそうないと思うし」




115: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:36:36.05 ID:oPLXH+5g0

 だからその内諦めて帰ってくるはずだよ、と締める月火。
楽観的だなと思う気持ちもなくはないけれど、しかし実際のところ、こいつの言う通りなのだ。
現時点では、僕にできる事は何もない。
病院を回る為か、携帯の電源を切っているらしく、かけてみたけれど繋がらないし。
そもそも行き先が病院だというのなら特に危険もないだろうし、探しに行って入れ違いになっても困るわけで。
となると、やっぱり大人しく家で帰りを待っているのが一番早い気がする。
火憐が帰ってきたら、じっくり膝を突き合わせて話をすればいいだけのことなのだ。

 月火が言うように、あいつがそもそも情報を持っていないのなら、結局は諦めて帰って来ざるを得ないだろう。
情報収集みたいな裏方の仕事は基本的に月火が担当していて、あいつはあくまでも実戦担当なんだから。
そうである以上、あいつも最後は月火を頼るはずだ。今までがそうだったように。

「じゃあまあ火憐ちゃんが帰ってくるまで待つとするか」
「うん。きっと夕飯までには帰ってくるよ」




116: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:43:19.46 ID:oPLXH+5g0

 そう言うなり、テーブルの上に手を伸ばして、読みかけっぽい雑誌を取る月火。
膝枕は維持したまま、ソファの外で足をぷらぷらさせつつ、どうやら本気でこのまま寛ぐことにしたらしい。
僕の意向と自由は完全に無視で。

「いやもう膝枕はいいだろ、僕も上に本を取りに行きたいんだけど」
「別にいいじゃない、テレビでも見てたら」
「今の時間に見たい番組なんてやってねえよ」
「じゃあ私のパンツでも見てたら」
「いつもと違うんならそれもありだろうけど、今日もいつもと変わらず白じゃねえか」
「至高の白だよ」
「お前の嗜好なだけだろ」
「というかちゃんと見てよ、いつもと変わらずじゃないから。今日のは下ろし立てだし」
「ん? あ、ホントだ、この柄は知らない」




117: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:48:17.55 ID:oPLXH+5g0

 なるほど、よくよく見れば、色こそ白だけど細部に違いがあるな。
まあだからといって、別にそんな偉そうに主張する程のことでもないんじゃないかと思う。
そんな見せつけてこられても、という感じだ。
そこまで見せたいのか? あるいは感想待ちなのか?

「つーかお前、まさか外でもこんなことやってるわけじゃないだろうな」
「そんなのするわけないじゃん、見せるのはお兄ちゃんと火憐ちゃんにだけだよ」
「それならいいけど。しかしなかなか凝ったデザインだな、それ」
「でしょ。まあこだわり派の私としても、これは納得の逸品だよ。久々に衝動買いしちゃったね」
「パンツで衝動買いとか、いっそ感心するくらい新しいな」




118: ◆/op1LdelRE 2011/12/23(金) 23:53:06.55 ID:oPLXH+5g0

 とか何とか、まあいつも通りのパンツ談義に花を咲かせる。
どうせこうなったら、月火は意地でも梃子でも動こうとしないだろうし。
不毛な言い争いをして無駄に神経をすり減らすくらいなら、寛いでいた方が幾らかましというものだ。
その寛ぎ方にもよるんだろうけれど。
まあ夕暮れ前のリビングで妹のパンツを観賞するくらいのことなら、普通によくある光景だろう。別段珍しくもおかしくもない。ないはずだ。
人間諦めが肝心なのである――という言葉はしかし、僕達が言うとそれだけで皮肉になるんだよなあ。

 閑話休題。
膝にささやかな重みを感じつつ、そうしてこうしてのんびりと火憐の帰宅を待つ。
すぐに帰ってくるだろうことを期待して。
けれどそんな僕達の予想に反して、火憐の帰宅は、夕飯の準備に月火が立ってしばらく経つまで待たなければならなかったのだけれど。




125: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 22:42:17.54 ID:p+nkYkgT0

 006.

「ただいまー……」

 日が傾き始め、台所に月火が立つこと暫し。
リズミカルな包丁の音が終わり、良い匂いが漂い始める頃になってようやく、そんな火憐の帰宅の声が玄関から聞こえてきた。
普段と違って、頼りなげな、疲れ切ったかのような、そんなか細い声音。
常に元気が有り余っているかのような火憐にしては、本当に珍しい。
気になって立ち上がり、玄関の方に向かう。

「お帰り火憐ちゃん、どうかしたのか?」
「あ、兄ちゃん、ただいま。うん、ちょっと疲れたっていうか」

 廊下を歩いてくる火憐は、肩を落とし、いかにも疲れ切っていますと言わんばかりの力無い表情をしていた。
なんだなんだ、熊にでも出くわしたか? って、その程度(?)のことで、こいつがここまで疲れ果てるわけもないか。
自室へ向かおうとしているその背中に、気になって問いかけてみる。




126: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 22:45:04.57 ID:p+nkYkgT0

「大丈夫か? もうすぐ夕飯できると思うけど」
「あー……ごめん、今はちょっと無理」
「そうか、じゃあちょっと横になってろよ。食事の時には呼ぶからさ」
「うん、そうする」

 それだけ言うと、引きずるような足取りで二階に上がっていく火憐。
その後姿からは覇気というものが全く感じられず、さながら敗残兵のような哀愁すら漂っていた。
何も言えずに、ただ緩慢な動きで部屋に入っていくその姿を見送る。
本当は早いこと話をしておきたかったんだけど、さすがにあの状態では、何を言っても頭に入らないだろう。

「ありゃ相当きてるな、何があったんだ?」
「お兄ちゃーん、火憐ちゃんどうかしたのー?」




127: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 22:48:34.75 ID:p+nkYkgT0

 と、台所の方から聞こえてくる月火の声。
火を扱ってる最中だけに、その場を離れられないのだろう。
ちょっともどかしげな響きなのは、疲れ切った風な火憐の声を気にしているからか。
リビングに戻ると、月火が顔だけこちらに向けていた。

「んー、何かかなり疲れてるみたいだった。ちょっと休むってさ」
「そうなの? どうしたんだろう、いつもだったらフルマラソン完走しても、その流れで筋トレに入るくらいなのに」
「いや、見た感じ肉体的な疲れってよりも、精神的な疲れの方が大きいっぽかったぞ」
「行った所で何かあったのかな? ひどい追い出され方したとか、嫌なものを見たとか。大丈夫かなあ、ちょっと心配」

 眉を寄せて、二階の方へ視線を向ける月火。
それは僕も同感だった。
あそこまで疲弊しきっている姿を見るのは、例の蜂の騒ぎの時以来だ。
もっとも、あの時は自力で動くことも困難だったわけで、それよりはましなのかもしれないけれど。
しかし本当に一体何があったんだろうか。




128: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 22:52:28.83 ID:p+nkYkgT0

 調理の手は止めていないけれど、月火の表情は冴えないままだった。
制止を振り切って飛び出したのは火憐の方なんだから、別に月火に非なんてないんだけど、それでも無理やりにでも止めておけば良かったとか考えているのかもしれない。
ちょっとそわそわと落ち着かないように見えるし、今もきっと様子を見に行きたいんだろう。

「疲れてるだけなら、ちょっと寝れば回復するとは思うけどな」
「それだけならいいけど、何か落ち込むようなことがあったのかも。ねえ、お兄ちゃん、ちょっと様子を見てきてあげて」
「そうだな……」

 つられて、というわけでもないけど、二人の部屋の辺りを見上げる。
月火の心配も分かるし、それに事が事だ。
単純な疲労とかならいいけど、上で倒れてたりしたら洒落にならない。
念の為に確認はしておいた方がいいか。




129: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 22:58:49.09 ID:p+nkYkgT0

 リビングを出て、二階へと上がる。
そして、静かに二人の部屋の扉を開けて、中を覗き込んだ――が、火憐の姿は見当たらなかった。
二段ベッドに寝転がってもいないし、もちろん机に向かってるわけでもないし、また床に倒れ伏しているわけでもない。
あいつが一度この部屋に入るのは、実際に目で見て確認してたんだけど、はて何処に行ったのか。

 まさかと思って僕の部屋に向かうと、果たせるかな、そのまさかだった。
音を立てないように注意しつつゆっくりとドアを開けると、僕のベッドの上に火憐の姿が見える。
耳を澄ませば小さくも規則正しい寝息が聞こえてくるところからして、どうやら既に寝入っているらしい。
相変わらず寝つきのいいやつだ。
というか、自分のベッドで寝ろよな、全く。
安堵か呆れか、自分でもよく分からないけれど、小さく軽く息をつく。

 一応何ともないことだけは確認しておこうと思い、静かにベッドの方に向かう。
既に日は沈みかけていて、部屋も薄暗くなってはいるが、僕にとってはその程度何の影響もない。
夜目が利くというレベルではないのだ、吸血鬼の名残りというものは。




130: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 23:02:51.41 ID:p+nkYkgT0

「なんつー格好だよ、こいつは本当に」

 僕のベッドの上で、火憐は完全に熟睡していた。
本当に疲れ果てていたらしく、部屋でジャージだけ脱いですぐにこっちに来たのか、下着の上にTシャツ一枚という格好で。
しかも何故か僕の寝巻をしっかりと抱きしめながら、ベッドで丸くなっている。
それは溜息もつきたくなるというものだ。

 まだ暑さの残る季節とはいえ、こんな格好では風邪を引かないとも限らない。
それでなくとも、女の子がお腹を冷やすのは良くないだろう。
タオルケットを持ってきて、起こさないようにゆっくりとかけてやる。
その瞬間、しんどそうだった表情が少しだけ緩んだ気がした。




131: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 23:05:24.01 ID:p+nkYkgT0

「こりゃ夕食も無理かな?」

 もう一つ溜息。
額にかかっていた前髪をゆっくり横にやり、手を当ててみるが、とりあえず熱はないようだ。
呼吸が乱れているでもないし、特におかしな様子もなく、本当にただ熟睡しているだけと考えていいだろう。

 だとすれば、まずはゆっくり寝かせてやるのが一番か。
どうしてそこまで疲れているのかということが気にはなるけれど、だからと言って起こすのも可哀想だし。
まあ一食くらい抜いてもどうということはないし、そっとしておくことにしよう。
軽く頭を撫でてやり、静かに部屋を出た。




132: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 23:09:18.56 ID:p+nkYkgT0

「お兄ちゃん、どうだった?」

 一階に戻ってリビングの扉を開けると、月火はエプロンを外しているところだった。
どうやら食事の準備は終わったらしい。
あるいはこれから二階に上がろうとしていたのか。
ぱたぱたと駆けよってきて、そわそわした感じで尋ねてくる。

「とりあえず大丈夫だと思う。今は完全に熟睡してるよ。本気で疲れてたみたいだ。今は寝かせといてやるのがいいだろうな」
「風邪とかじゃない?」
「多分な。そんな苦しそうな感じもしなかったし、熱もなかったし」
「そっか、なら大丈夫かな」
「何故か僕のベッドで僕の寝巻を抱きしめながら寝てたけど」
「じゃあ問題ないね。いつもの火憐ちゃんだ。うん、きっと快眠だよ」




133: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 23:17:45.66 ID:p+nkYkgT0

 ぱっと笑顔に変わる月火。
いや、安心できたのはいいことだけど、その判別方法はどうだろう。
何というか信憑性ってものが微塵も無いように思うんだけど。
というか、いつもああなのだろうか?

「いつもだよ。今じゃお兄ちゃんの匂いが傍にないと熟睡できないって言ってた」
「別の意味で病気だ!」
「かく言う私もそうだしね」
「お前もかよ!」

 むしろ別の意味で心配になってくるぞ。
それじゃあ自宅以外でどうやって寝るんだよ。
修学旅行とかどうするつもりなのだろうか。




134: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 23:23:13.58 ID:p+nkYkgT0

「もちろんタオルケット持ってくよ。お兄ちゃんの匂いがばっちり移ってるやつ」
「……まあいいけどさ」
「お兄ちゃんが外泊する時は、私達のを貸したげるから」
「それは不要な気遣いだ」

 まあ枕が変わると眠れないとかそういうのもあるし、タオルケットを持っていくくらいなら、別に変に思われることもないだろう。
理由を知られたらちょっと問題かもしれないけど、そんなことをわざわざ突っ込んでくるようなやつもいないと思うし。
とりあえずこれ以上この話題を続けると、また変な方向に話が逸れて行きそうな感じがするので、今は棚に上げておく。
いつか思いっきり頭上に落ちてきそうな気がしないでもないけれど。

「じゃあ先にご飯にしよっか」
「ああ、そうだな」




135: ◆/op1LdelRE 2011/12/25(日) 23:28:35.30 ID:p+nkYkgT0

 ということで、火憐はそっとしておくことにして、二人で夕飯を取ることにする。
希望通りの和食にして、想像通りの美味。さすがの腕前だった。
食べた後は、月火が後片付けで、僕は風呂掃除。
それが終わって、湯を張って、先に月火が風呂に入って。

 それだけの時間が経ってもなお火憐は眠ったままで、下りてくるような気配は全くなかった。
もちろん僕も月火も、疲れているのだから休ませてあげようと判断していたから、その睡眠を邪魔しようという意思を持つことはなく。
結局その日、僕達は火憐から話を聞く事も、また火憐に話をする事もできずじまいになってしまうのだけれど。

 後から思えば、その判断は迂闊だったと、想像力の枯渇だったと、そう言わざるを得ないだろう。
例え蛇蝎の如く疎まれることになろうと、ここで無理やり叩き起こしてでも話をしていれば。
そんなことを思えるのは後になってからでしかなく、まただからこそ後悔という言葉があるわけで。
詰まる所、僕達は事態の悪化を食い止めるチャンスを、残念ながらこの時自ら手放してしまっていたのだ。




147: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:26:08.48 ID:Q2xwK9J+0

 007.

「お前様よ、これは少し問題ではないか?」

 月火が風呂から上がって程なく、僕も風呂に入ることにして。
そうして体を洗っていると、深刻そうな表情で、忍が僕の影からその姿を現した。
ワンピース姿ではなく、一糸纏わぬ全裸で。
裸の付き合いだ、という突っ込みは今更なのでしない。
忍は風呂が結構お気に入りらしく、最近では僕が入る時にいつもこうやってご登場召されるのだ。
珍しくも何ともないというよりも、むしろ現れなかったら心配になるくらいである。
なので、忍の登場自体は別にどうこう言う程のことではなく。
気になるのは、その発言の方だった。

「しかしどうなんじゃろうな、一糸纏わぬとか言いよるが、実際糸一本なんぞ纏っておろうとおるまいと大して変わらんと思うのじゃが。わざわざ言及するほどのことか? 期待し過ぎじゃろ、たかが糸に。全く日本語というのは、どうしてこう極端な例ばかり引き合いに出すのかのう」
「どうでもいいよそんなの! つーか問題って何だよ忍。もしかして火憐ちゃんに怪異でもついてるのか?」




148: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:30:22.54 ID:Q2xwK9J+0

 問題と聞かされては、さすがに雑談に興じてばかりもいられない。
火憐のやつ、ただ疲れているだけだと思ったけど、今もただ眠っているだけだと思ったけど。
実はそうではなかったのだろうか?
すわ一大事かと色めき立ったところで、忍が重々しげに口を開いた。

「いや、儂の出番がここまでなかったことが問題じゃろうと」
「そんなことかよ!」
「そんなこととは何じゃ、随分な言葉ではないか。ここまでで既に何行の文章が消費されてきたと思うとる?」
「知らねえよ、そんなの」
「ここまでで既に何文字の言葉が消費されてきたと思うとる?」
「言い直すな。意味は変わらねえよ。というか意味が分からねえよ」

 全く、メタな発言は止めろと言っているのに。
大体そういうのは八九寺の専売特許だろう。
新しいキャラの模索は結構だが、他のキャラの特性にまで手を伸ばすのは感心しないぞ。




149: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:34:48.26 ID:Q2xwK9J+0

「そもそもお前様もお前様じゃ。本妻とも呼ぶべき儂を放ったらかしにして、脇役共とちゅっちゅちゅっちゅいちゃつきおってからに」
「だから何でそういちいちお前の言い回しは中途半端に古いんだよ」
「挙句その冷たい態度ときたか――ふん、もうよいわ、どうせ泣くのはいつも女なんじゃ」
「お前本当にどんどんキャラが迷走していくな。どこ目指してるんだよ」

 素か演技か、拗ねたようにぷいっとそっぽを向いて見せる忍。
いや、そもそもここまで脇役は一人もいなかったはずなんだけど。
それ以上に、というかその中に戦場ヶ原がいたんだけど。
本当にもう、みんな揃いも揃って自分以外のやつに厳し過ぎるんじゃないのか?
ちょっとは落ち着いてほしいものだと切に思う。

 けれどそんな僕の内心など何処吹く風で。
忍はくるりとその場で一回転して、僕の足の間に腰を下ろした。




150: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:39:08.58 ID:Q2xwK9J+0

「ほれ、何をしとる。儂の身体も綺麗にせんか」
「はいはい」
「はいはナメック語じゃ」
「ナメック語なんて知らねえよ!」
「なんじゃい、ナメック語も知らんとは。我が主殿の無知ぶりも驚嘆に値するものがあるのう」
「じゃなくて! ナメック語の存在は知ってるけど、そんなの喋れねえって言ってんだよ」
「愚かじゃな、儂ならポルンガを呼び出す呪文も覚えておるぞ」
「それは僕も知ってる。つーか普通はそれくらいしか覚えてないだろ」

 どうやら忍は今、かの大作にはまっているらしい。
伝説の吸血鬼がどんどん世俗にのめり込んでいくようで、正直ちょっと責任を感じないでもなかった。
威厳も何もあったもんじゃないというか。
まあ本人が楽しんでるんだから、それはそれでいいのかもしれないけど。




151: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:43:39.09 ID:Q2xwK9J+0

 そんなやり取りをしつつ、お湯を頭からかけてやり、その流れるような金髪を丁寧に洗う。
別にこうして髪を洗ってやるのも今に始まったことではなく、どころか何度もやってることなんだけど、いつ見ても本当に綺麗だとその度に感動してしまう。
夜の世界に生きる吸血鬼でありながら、昼の世界でこそ映えるだろう鮮やかな輝きを誇る金色。
指を通せば、背筋がぞくぞくするほどに滑らかな手触りで、比喩抜きで手の上をはらはらと流れ落ちて行く。
いやもうトリートメントなんて不要なんじゃないのか、というか下手したら本来の綺麗さを損なっちゃうんじゃないのか――なんて思ってしまうくらいにさらさらで。
まさにパーフェクト。非の打ちどころがないとはこのことか。
毎度のことながら、触れているだけでどきどきしてくる。

 至高・至上に触れているという、そんなえも言われぬ高揚感と。
禁断・禁忌に触れているかのような、そんな有無を言わせぬ背徳感が。
もうどうしようもなく僕の心を震わせてくる。
ぶっちゃけ胸を撫でるよりもよっぽどときめく。
それは決して忍の胸が平らだからとかではなく、純粋にこの髪の魅力故の話だ。
いや魅力というか、これはもう魔力と言った方が適切かもしれない。
何しろさっきから動悸が全然鎮まらないのだ。何この胸の高鳴り。
このままじゃ僕は、骨フェチならぬ髪フェチに目覚めてしまうかもしれない。それも忍限定の。
じゃあもう忍フェチでいいじゃんとか、そんな馬鹿なことまで考えてしまう始末であり、全くもって始末に負えない。




152: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:47:49.83 ID:Q2xwK9J+0

「ええい、毎度のことと言うならいい加減に慣れんか。髪を洗う度にそうもどぎまぎされては、こっちの方が恥ずかしくなるわ」
「いやいや、そうは言うけどさ、これはしょうがねえよ。綺麗過ぎるもん。こんなの慣れるもんじゃないって普通。つーか忍はもうちょっと自分の魅力ってものを意識するべきだと思うぞ」
「む……ま、まあそれもそうじゃな。全ては儂が可愛すぎるのが原因か。うむうむ、それならば仕方ないかもしれんのう」
「いや本当に、こればっかりは突っ込みようもないぜ。というか、この場面で突っ込むとか口にするのが既にヤバいよな、何かもう」
「そういうことは思ってても口に出すでないわ、今でも十分ぎりぎりなんじゃぞ」

 閑話休題。
髪を洗い、身体を洗い、お互い綺麗さっぱりしたところで立ち上がり、揃って湯船へ。
後ろから忍を抱く格好で、一息に身を沈める。
浴槽の縁から零れる湯と共に、一日の疲労が流れ出て行くようだ。
日本人で良かった、と思う瞬間でもある。実に心地良い。




153: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:51:04.99 ID:Q2xwK9J+0

「その意見には同意せざるを得んな。確かにこの感覚は悪くない」
「忍も風呂の良さが分かるんだな」
「分からいでか。西欧などではシャワーで済ませるのが基本じゃからのう、斯様な文化を日々味わえるのは僥倖と思うておるよ」
「そりゃ良かった。で、さっきの話の続きだけど」
「儂の立ち位置の話か?」
「じゃなくて、火憐ちゃんの話だ」
「ふん、他の女の話か」
「僕の家族の話だよ」
「同じ事じゃ。とは言えまあ、お前様の血族とあれば、そうそう無下にもできんか」
「心遣い痛み入るよ。それで火憐ちゃんだけどさ、何かの怪異に憑かれてるとか、そういうことはないか?」




154: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 00:55:51.26 ID:Q2xwK9J+0

 ただ単に疲れているだけであれば、特に問題視しなくても大丈夫だろう。
むしろしばらくでも大人しくしていてくれるのなら、話をしようと思っている僕からすれば助かるくらいだ。
けれど、もし何がしかの怪異に憑かれているのであれば、断じて放置はしておけない。
その僕の問いに、忍は軽く眉を寄せて考え込む仕草を見せる。

「ふーむ、しかし期待されておるところ悪いが、今の時点では儂には何も言えんぞ」
「何だよそれ、分からないってことか」
「端的に言えばそうじゃな。いや実際さっき見た限りでは、直接何かに憑かれておる気配はせんかったよ。そこは安心しても良かろう。しかし間接的な影響を受けておる可能性となると、これを否定する事は難しい」
「それって、例えば蜂の時みたいになってたりしたらってことか?」
「然り。実際そういう影響下にあった過去を持っとるわけじゃしな。同じような事態に見舞われる可能性が無いとは言えんよ」

 大仰に頷く忍。
その動きに合わせて、浸かっているお湯に小さな波が広がった。
ゆっくり浸透してゆくその波面と、それに合わせてゆらゆら揺れる金髪に視線を送りつつ考える。




155: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:00:32.38 ID:Q2xwK9J+0

 今の火憐が、直接的に怪異の影響下にあるわけじゃないというのは、ひとまず安心できる情報だ。
ただ間接的な影響を受けている可能性があると言われると、確かにそれは僕も否定できない。
実際、あいつがあんなに疲れ切ってしまうなんて、極めて珍しいことなのだから。
どのくらい珍しいかと言うと、水晶竜から飛竜の槍を盗める確率くらい。

「そこまでレアか」
「数える程しか見たことないからな」
「まあ本気で手に入れたければ、ジュラエイビスで何度もリセットしてチャレンジした方が効率的じゃぞ。頑張れば最大六本ゲットできる」
「そこで話を広げなくていいから。つーかお前は何でそんなに詳しいんだよ」

 ひょっとしてこいつ、僕の影の中でDS以外のハードでも遊んでんのか? ゲームボーイアドバンスとか。
どんだけゲーム好きだよ、偉そうに講釈たれやがって。一端のゲーマー気取りか。
全く、怪異の王たる吸血鬼が踏ん反り返って口にするような情報じゃないだろ、そんなの。




156: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:04:54.85 ID:Q2xwK9J+0

「しかしそうなるとちょっと厄介だぜ。蜂の時みたいに高熱が出るとか、目に見えて分かり易い効果とも限らないし。どうやって調べればいいかな」
「直接話をすれば良いじゃろ。その会話の内容やその時の身体の様子から、何なりと判断もできよう」
「ああ、まあそりゃそうだ」
「それ程気になるのならば、いっそ叩き起こしてでも聞いてみればどうじゃ」
「さすがにそれは可哀想だろ。疲れてるのは本当みたいだし、まあ一晩ゆっくり休ませてやって、明日の朝にでも聞くことにするよ」
「かかか、お優しいことじゃ。寝床を取られ寝巻を取られ、それでも構わんと」
「ああ、ベッド取られてたな、そういや。寝巻は何着かあるからまだいいけど」

 自分の匂いが精神安定剤にされている点は、とりあえず脇に置いておくとして。
確かに喫緊の問題は、僕が今夜どこでどうやって寝るか、だ。
これはちょっと難しい判断が要求されるな。




157: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:08:11.62 ID:Q2xwK9J+0

「さすがにリビングのソファじゃ月火ちゃんと抱き合って寝るにも狭いしなあ」
「何故抱き合って寝ることが前提なんじゃ?」
「それに、もし月火ちゃんのおっぱいに顔面埋めてる所なんかを目撃されたりしたら、さすがにちょっとまずいだろうし」
「いや、抱き合って寝ている姿を見られる時点で相当まずい気がするんじゃが」
「なあ忍、どうしたらいいと思う?」
「どうにでもせいよ、儂は知らん」
「そんなつれないこと言うなよ」
「全く馬鹿馬鹿しいのう。ちゅーかそれは何じゃ、お前様だけが大人しくリビングのソファで寝ることにすれば、それで済む話ではないのか?」
「え? 一人で寝るの?」
「妹御も妹御じゃが、お前様も大概重症じゃな」




158: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:12:21.53 ID:Q2xwK9J+0

 卵が先か、鶏が先か。
火憐と月火がいつもくっついてきて、それが当たり前になってしまったせいで、結局僕も相当な深みに嵌っていたらしい。
言われてみて気付いたが、僕もあいつらと一緒に寝るのが当たり前の前提になっていた。
それこそ一人で寝ることができなくなっている可能性だって否定できないくらいだ。
何てこった――これじゃあいつらの作戦勝ちってことじゃないか。やってくれるぜファイヤーシスターズ!

「お前様が勝手に負けておるだけじゃろう。しかも自ら望んで」
「まあそこはそれ、とりあえずまた今度考えることにしよう」
「勝負も思考も放棄しとるし」

 呆れ顔の忍だったが、僕が湯船から立ち上がると、まあ好きにせいと言い残して影に沈んだ。
身体を拭かなくてもいいって便利だなあ、と変な所で感心する。
僕はその辺どうにもならないので、浴室から出て普通にバスタオルで身体を拭く。
ほこほこしながらリビングに戻ると、空調で程良い気温になっていて、すごく気持ちが良い。
とりあえず部屋を軽く見回したけど、やっぱり火憐が下りてきている気配はなかった。
空腹もあるだろうに、それをものともせず睡眠を続行しているようだ。




159: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:17:41.02 ID:Q2xwK9J+0

「火憐ちゃん、結局下りてきてないのか」
「うん、ちょっと今日は無理かな。私も見てきたけど、本気で熟睡してたもん。象が横を通っても起きないよ、あれじゃ」
「どんな仮定だよ」

 むしろどんな家庭だよって突っ込むべきかもしれない。
阿良々木家で象を飼っていたような過去はないし、未来でもその予定はないというのに。
というかそんな状況なら、幾ら疲れていても武闘派なあいつは目を覚ますんじゃないかなあ、身の危険を察知して。
まあ現状そういう事態は起こり得ないわけで、だとすれば起きないだろうという推測に間違いはないだろうけれど。

「夜中に起きてくるかもしれないけど、今は寝かせておいてあげるのがいいね、きっと」
「そうだな」




160: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:21:19.30 ID:Q2xwK9J+0

 そうして僕らは二階に上がることはせず、一階で夜を過ごす。
ソファで寝転びながら単語帳を捲って、頭にそれを刻み込む作業。
集中して取り組んでいれば、時間の経つのは早いもの。
月火が小さく欠伸をしたのを目にして、その単語帳を閉じる。
そろそろ寝る時間か。

「火憐ちゃん、結局下りてこなかったね」
「あぁ。まあしょうがないだろ。もういい時間だし、僕らもそろそろ寝るか」
「うん、騒がしくして起こしちゃったら可哀想だし、大人しく寝よう。お兄ちゃんのベッドは火憐ちゃんが使ってるし、今日は私達のベッドの方で寝るしかないね。二人なら何とかなるよ」
「そうだな、そうするか」

 どうするかと聞く間もなく、月火が迷いなく提案し、僕も躊躇いなくそれに乗る。
二人の合意なんだから、何の問題もないだろう。
他の選択肢なんて、この際脇に放り投げておく。
いいじゃないか、誰が不幸になるわけでもないんだから。
何か影の中で、忍が呆れた感じの溜息をついているような気がしたけれど、それははっきりと無視しておくことにする。




161: ◆/op1LdelRE 2011/12/29(木) 01:28:25.53 ID:Q2xwK9J+0

「それじゃお休み、お兄ちゃん」
「ああ、お休み、月火ちゃん」

 静かに二階に上がり、ベッドに揃って寝転がる。
もちろん僕達が寝るのは下段の方だ。
さすがに上段で二人寝るのはちょっと危険な気がするので。
当然のことだが、上段と下段で別れるとか、そんな案は俎上にも上らなかった。
しかしまあ寝れないことはないけれど、やはり少し窮屈に思えてしまうな。
やっぱり上段を支える柱が四方にあるからだろうか?
そんな益体もないことを考えつつ、僕も目を閉じた。

 静かな部屋の中、程なくして聞こえてきた月火の寝息を耳にしている内に、僕も眠気が強くなってくる。
珍しくも、火憐のいない二人だけの時間。
そう言えば、こうやって月火と二人で寝るのって初めてじゃないかな、とかそんな考えがふっと脳裏を過ぎった。
けれどそんな詮無い思考も束の間の事。
すぐに意識が途切れてしまい、今日という一日はこうして終わりを告げた。




167: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:21:22.56 ID:RDeGcmxV0

 008.

 こんな夢を見た。
ただただ走り続ける夢。
息が切れても、膝ががくがくしてきても、それでも尚。
文字通り夢中で、ただ無心に、それこそ憑かれたように走り続けている夢。

 それは何かから逃げている、というわけではなく。
むしろその逆で、何かを追いかけている夢だった。
それが何かは分からない。
だけどその夢の中で、僕はただ何かを追いかけて走り続けていた。
何を、も。何で、も。そんなことも分からないままに、それでもきっと全力で。

 手を伸ばせば届きそうなのに。
それなのに必死に伸ばしてみても、僕の手は決してそれに届かず。
苦しくも、悔しくも、狂おしくも、触れることすら叶わない。
けれど絶対に諦めきれなくて。
だから走り続けて、追い続けて、手を伸ばし続けていた。




168: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:23:08.40 ID:RDeGcmxV0

 呼吸も続かず、肺腑は悲鳴を上げ、なのに止まろうという気には全然ならなくて。
ただ追い立てられるかのような焦燥感に突き動かされるままに。
胸の内を黒く塗りつぶそうとする不安を振り払うように。
ひたすらに走り続ける、そんな夢だった。

 起きる直前まで、きっとそれは続いていた。
最後の最後、手を伸ばした瞬間に何かに触れたような気がして。
そこで突然目が覚めた。

「……夢?」

 知らず洩れた呟きは、驚く程に掠れていた。
心臓は早鐘のように僕の体を打ち、びっしょりと寝汗をかいていて、口の中はからからだ。
正しく最悪の目覚めと言っていいだろう。
ぶっちゃけ昨日の比じゃないくらいに気分が悪い。




169: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:26:33.22 ID:RDeGcmxV0

「何の暗示だよ、全く」

 緩慢な動きで手を頭にやり、くしゃりと髪を潰す。
寝巻と言わず素肌と言わず、汗でじっとりと濡れているのがよく分かる。
そのせいか、咽喉は痛みすら感じるほどに渇いていた。

 ふと視線を下に向けると、月火が僕の腹の上で、そのちっさい身体を丸めるようにして眠りこけていた。
僕と違って、物凄く幸せそうな寝顔で。
何故かぎゅっと僕の寝巻を掴んだまま。
その表情を目にして、少しほっとする。

 そこで改めて、昨日の晩に眠りについたのが、いつもの僕のベッドじゃなくて妹達のベッドだということを思い出した。
だけどこの寝起きの悪さというか不快感は、寝る場所が変わったことが原因ではなく、そしてもちろん腹部に月火の重みを感じているからでもなく。
間違いなくそれは、ついさっき起きる直前まで見ていた夢によるものだろう。
得も言われぬ不安と焦燥感が、今も心に燻ぶり続けている。




170: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:35:06.24 ID:RDeGcmxV0

 特に何かを考えたわけでもないけれど、そっと手を月火の頭にやり、ゆっくりと撫でてみる。
忍とはまた違う、けれどとても滑らかな手触り。
指の間をさらさらと流れる黒髪に、荒れた心も凪いでいくかのようだった。
これはあれか、僕にとっても月火は精神安定剤的な効果を持っているということなのか。
あるいは本当に髪フェチに目覚めてしまったのかもしれない。

 だとすれば実に由々しき事態だ。
誰が得するんだよ、そんな性癖。
しかし骨フェチと比較した場合、果たして一体どちらの方が正常に近いだろうか?
まあ正直大差ないだろうとは思う。八九寺辺りに聞いたら、汚物を見るような目で思いっきり罵ってくれそうだ。
うーん、それはそれで結構くるものがあるな。




171: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:41:01.65 ID:RDeGcmxV0

「ん……ん?」

 そんな馬鹿なことを考えながら頭を撫でていたのだが、その感触のせいか、月火が軽く身じろぎをした。どうやらお目覚めらしい。
とろんとした目つきで、ゆっくりと僕の方に顔を向けてくる。
しかしまあ元々たれ目なだけに、寝起きだと普段の三割増しで眠そうに見えるな。
そんな見るからに眠そうな目が、僕のそれと合ったところで少し見開かれた。

 起こされて怒るのか、と思ったけれど、その予想は残念ながら大外れだったらしい。
月火の口が柔らかな笑みを形作ると同時、僕を見つめるその瞳が、深海のように深く濃密な輝きを帯びてゆく。
まるで吸い込まれてしまいそうな、あるいは呑み込まれてしまいそうな、そんな錯覚を抱かせるような深い色合い。
覗きこんでいるのか覗きこまれているのか、それすら分からなくなってくる。

 思わず知らず息を呑む。
月火の手がゆっくりと僕の顔に伸び、やんわりと掴まれ、けれど目と目は離せないまま。
何故かは分からないけれど、完全に圧倒されていた。
さっき見た夢のせいで、思考が止まっているのも一因だろう。
でもそれを差し引いても、今の月火の目は、何かが普段と違っている。
怖いとかじゃないけれど、何か背中がぞわぞわしてくるような、そんな落ち着かなくなる眼差し。
そしてまた、いっそ妖しさすらまとわせている面差し。
夢見心地とでも呼ぶべきだろうその表情が、少しずつ僕の顔に近づいてくる。




172: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:48:58.84 ID:RDeGcmxV0

 もしかしたら僕と同じように、こいつも何か変な夢でも見ていたのかもしれない。
寝起きの頭では、そんな風に緩い思考を続けることしかできず、どころか声をかけることさえ忘れていて。
だから月火が口づけてきても尚、舌を入れてきても尚、僕はぴくりとも動けなかった。

 寝起きだからということもあるんだろうけれど、非常に緩慢な動き。
僕の口腔内を、ゆっくりとゆっくりと、その形状を確かめるかのように、その感触を味わうかのように、月火の舌が緩々と撫で上げていく。
ともすれば余裕すら窺わせるその動きは、素でやってるんなら、それこそ神原のエロさを軽く超えてるって太鼓判を押してやりたいくらいだった。

 だけどまあ幸いなことにというべきか、あるいは災いなことにというべきか。
物凄く現実的で且つ単純な理由の為に、この行為で怪しい気分になるようなことはなかった。
突然月火がくっつけていた口を離す。



173: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:52:57.29 ID:RDeGcmxV0

「うええええ……気持ち悪ぅ」

 口を離してすぐ、すなわち月火の寝起きの第一声がこれだった。
先に言われた感がもう半端なかった。
実際、月火のその感想は、僕が抱いたそれと全く同一なのだ。

「何これ、ねちゃねちゃしてるっていうか、べとべとしてるっていうか……」

 寝起きなら当然なのかもしれないけれど、僕の口の中は結構からからで、そして月火もまたそうだったらしく。
すなわちお互いの口腔内がかなり乾燥していたせいで、幸か不幸か何とも後味の悪い感触しか残らなかったのだ。
不味い物を食べさせられたような月火の表情だけど、多分僕も似たような顔をしていることだろう。

「ちょっと濃過ぎるよ、味が」
「変な言い方すんな」

 味とか言うな、味とか。
口が臭いとか言われるよりはマシだけど。
いやいやいや、そうじゃなくてそうじゃなくて。




174: ◆/op1LdelRE 2012/01/06(金) 23:56:31.23 ID:RDeGcmxV0

「何でいきなりキスしてきてんだよ、お前は」
「うん、寝起きにキスなんてするもんじゃないね」
「違う、時間のことなんて言ってない」

 そうじゃなくて、何がお前をそうさせた?
舌突っ込んでくるのに微塵の躊躇いもなかったぞ。
今だって平然としてやがるし。
寝起きにしても突き抜け過ぎだろ。
こんなもん羽川とかに知られたら、果たしてどれほど怒られることか……

「あれ? 何その反応? え? 何、ちょっと待って、これ夢? まさかさっきのが夢?」
「何を言ってるのか分からないけど、とりあえず今は現実だぞ」
「嘘! 本当に?」
「何で疑うんだよ、お前は」
「このっ!」
「痛いっ!?」




175: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:00:22.70 ID:9m5XEMeC0

 月火が、何かちょっとショック受けたみたいな表情をしたかと思うと、突然グーで殴ってきた。
それもわざわざ抉り込むように、僕の頬を目掛けて。
一切の躊躇も容赦もない、寝起きと思えないくらいに鋭い一発だった。
普通に痛い。頬がじんじんする。
本当にもう、何で僕は朝っぱらから妹に暴力を振るわれているんだろうか。

「あぁ、じゃあやっぱり夢じゃないんだ、さっきのが夢だったんだ……」
「自分の頬で試せよ!」
「駄目だよ、自分じゃ手加減しちゃうもん」
「僕には手加減しないのか」

 分かっていたことだけど、基本僕の扱いがぞんざいなのは正直どうにかしてほしいと思う。
まあ待遇改善の要求はいつでもできる(というかいつもしてる)ので、とりあえず置いておくとして。
今は、よく分からないけど何故か人の身体の上で随分とへこんでいるらしい月火へのフォローを優先しなければならないようだ。
しかしまあ、いきなり人を殴っておきながら何でお前の方が落ち込んでるんだよ。




176: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:03:29.21 ID:9m5XEMeC0

「何なんだよ月火ちゃん。何があったんだ? 変な夢でも見たのか?」

 自分の見た夢を思い出しながら尋ねる。
普通は夢が繋がるようなことなんてないんだから、意味のない想像かもしれないけど。
それでも、その夢という単語は結構重要なキーワードだったらしい。

「変な夢じゃないよ! いやちょっと変わってるって意味ではそうかもだけど、でもすごい夢だったんだから!」

 かっと目を見開いて、ばっと顔を上げた月火が、それこそ僕の鼻に食いつかんばかりの勢いで、顔を寄せつつ捲し立ててきた。
何でそんな盛大に勢い付いてるんだよ。ちょっと引くぞ。
しかし残念ながら月火はそんな僕の心境を慮る気はないらしく、勢いそのままに喋り続ける。

「私達二人が夫婦だった!」
「すげえ変な夢じゃねえか!」




177: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:07:44.70 ID:9m5XEMeC0

 紛うこと無く変な夢だ。というかあり得ない。
そりゃ夢なんだから無茶苦茶な設定だってあり得て然るべきなのかもしれないけど、幾らなんでもそれはないぞ。
何しろ僕達は兄妹なのだ。生まれてこの方兄妹じゃなかったことなんて一瞬たりともない。だというのに、何なんだその設定は。
夢ってのはあれか、そんな大前提まで引っ繰り返すのか? そんなのありなのか?

 でもなるほど、さっきの僕を見る目の変な輝きってそういうわけだったのか。あれ妹が兄を見てるって目じゃなかったもんなあ。
何というかもう僕が見ていた夢とのあまりの落差に、ちょっとくらくらしてきた。
もっとも、くらくらしてるのは僕だけで、月火の目はむしろきらきらしてるんだけど。

「違うんだって違うんだって。もうすっごい自然なの。超ナチュラル。何? 夫婦? 当たり前じゃん見たら分かるでしょ、みたいな。何て言うかほら、比翼の鳥とか連理の枝とか、そういうレベルだったよ。もう世界一夫婦って感じ」
「どんな感じだよ」




178: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:11:14.94 ID:9m5XEMeC0

 いやちょっと待ってほしい。そんな正論口にしているかのように妄言語られても。置いてけぼりにも程があるぞ。率直に言ってドン引きだ。
けれど月火の方はというと、そんな自分に一切の疑問を覚えていないようで、それはもう凄まじい勢いで乗りに乗っていた。
仄かに紅潮させた頬とかちょっとうっとりした瞳とかは、発しているその言葉を無視しさえすれば、それなりに可愛い姿と言えなくもないんだろうけれど。
全くもって、朝も早くから下段のベッドでどたばたどたばたと一体何をしているのかという話である。
けれど如何ともし難いことに、僕らの間の温度差は、熱平衡など何処吹く風とばかりに広がる一方だった。

「だからもうさあ、本当に違和感がすごいの、今。すっごい違和感ありまくり、あり得ない。むしろさっきのが現実でしょって。今が夢に決まってるじゃんって。早く起きないとって。胡蝶の夢の話とかあるじゃない、今丁度そんな気分だよ」
「知らねえよ、そんなこと言われても。つーかあれだ、お前多分まだ寝てるんだって、頭というか理性が」
「あーもー何で伝わんないのかなあ、こんなのおかしいよ。ていうか、そもそも何で私お兄ちゃんとか呼んでんの? 意味分かんない」
「こっちが意味分かんねえよ。僕とお前は兄と妹。それ以上でもそれ以下でもないだろ」
「それ以上だよ、超それ以上だったよ。うん、やっぱり名前で呼ばないとぴんとこないよね。お早う、暦」
「僕の違和感がマジぱねえ! つーかガハラさんにも名前で呼ばれたことなんてないのに!」




179: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:14:44.83 ID:9m5XEMeC0

 いいとこ千石に暦お兄ちゃんって呼ばれるくらいだというのに。
全く、僕の初めてを妹の身で軽やかに奪っていくんじゃない。
(厳密には神原に呼ばれたことがあったような気がしないでもないけど)
もっともそんな僕の主張なんて聞く耳持たず、月火は一人で得心が行ったような表情をしていた。

「うん、やっぱりこっちの方がしっくりくるね」
「僕は全然こねえよ」
「えー? じゃあお兄ちゃん、こうなったらもう病院行こう」
「奇遇だな、今丁度僕もお前を病院に連れて行く必要性を感じ始めていたところだ」
「DNA検査だよ、もうDNA検査受けるしかないよ。真実を確認しないと」
「いや待て、お前何言ってんだよ、ちょっと落ち着けって」
「落ち着け? そうだね、私達が義理の兄妹だったって落ちを着けよう。それで一件落着だよ」
「そんな落ちは断じて着かない!」

 お前、安易に阿良々木家にスキャンダルを巻き起こそうとしてんじゃねえよ。
というか真実って何だよ、真実って。まさか僕が橋の下で拾われてきたとか言うつもりじゃないだろうな?
そんなこと両親が聞いたら泣くぞ。多分。
つーか普通に家族会議開催だ。下手したらもっとひどいことにもなりかねない。
どう考えても穏便に話が収まるストーリーにはならないだろう。




180: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:19:20.75 ID:9m5XEMeC0

 しかし何が厄介かといって、月火には(というか誰にも)話していないけど、こいつが僕と似たような身の上だという点が問題なのだ。
僕と似て非なる、そして火憐とも似て非なる身の上。
人間とほぼ同じだとは言え、定義上はそれは擬態と分類されてしまう――しでの鳥。ホトトギス。それが月火の真実。

 つまるところ、今の月火の妄言というか暴言は、落ちこそ着けられないけれど、核心は突いてしまっているのだ。
もちろん意図せずして、意図しない形ではあるにせよ。
影縫さんと対峙したあの時、義理の妹なんて萌えるだけだと言い放ちはしたものの、しかしこれは決して他の誰かに知られていいことではなく、それこそ僕が墓の下まで持って行くべき秘密なのである。
果たして僕が、人として墓の下に行くようなことがあるかどうかはさておくとして。

 実際のところ、もし仮に病院で検査なんかを受けたとしても、この事実が発覚することはまずないだろうとは思う。が、決して断言も楽観もできない。
ほとんど完全な擬態だと聞いてはいるけれど、DNAの細部までそうなのかとなると正直何の保証も根拠もないのだから。
もしも万が一、何か決定的な違いがあれば。あってしまえば。
それこそ本当のスキャンダルだ。何もかもが台無しになりかねない。
ましてやこんな理由で発覚することになったりなんてしたら、本当に泣くに泣けない話になってしまう。




181: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:22:25.64 ID:9m5XEMeC0

「真実とか何とかじゃなくてさ、ほらとりあえず深呼吸深呼吸」

 勝手に飛び出していかないように、ぎゅっと抱きしめつつ、ぽんぽんと背中を軽くゆったりとしたリズムで叩く。
寝起き故の暴走だろうし、まずはとにかく冷静にさせる事が先決だ。
しばらくじたばたしていた月火も、僕の胸の中で深呼吸してる間に、少しずつ落ち着いてきたらしい。
動きを止めると、こちらの方にちょっと恨みがましい視線を向けてくる。

「うー……じゃあ何? あの幸せな生活は全部夢だったって、そういうこと?」
「あのって言われても知らんけど、まあそういうことだな」
「もう少ししたら子供も生まれるはずだったのに?」
「もちろんそれも夢に決まってる」




182: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:24:34.00 ID:9m5XEMeC0

 というか、どんだけ長い夢だったんだよ。
何か中国の故事でそんな感じの話があったよなあ、邯鄲の夢だっけ。そっちに比べたら大分短いようだけど。
しかし安易に告白シーンだとかラブシーンだとかの夢じゃないって辺りが、また変にリアルな感じだな。
結婚式よりも夫婦生活を、ウェディングドレスよりもマタニティドレスを、こいつは夢に見るのか。
いや正直ちょっと驚くわ。
非現実極まりない夢なのに、何でそれ以外のところが妙に現実的なんだよ。

「子供の名前をお兄ちゃんが火憐ちゃんと一緒になって考えてて、結局意見がぶつかり合って、最後は火憐ちゃんのドラゴンスープレックスホールドでフィニッシュになったのも?」
「それはいろんな意味で本当に夢で良かったと思うぞ」

 だから何でそんなに変なところでリアルっぽさを出すんだよ、お前は。
火憐ちゃんに腕を極められながら頭を床に沈められてる僕の姿が、もうありありと思い浮かぶじゃねえか。
全くもって縁起でもないというか。まさか正夢になったりしないだろうな。
それは洒落にならないぞ、割と本気で。




183: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:27:20.13 ID:9m5XEMeC0

「――はあ」

 しばらく唸っていた月火だが、突然その全身から力が抜けて、僕の上に沈み込んだ。ぺったりと。
完全に脱力していて、ぴくりとも動く気配が無い。
そんなにショックだったのか?

「どうしたんだよ、何もそんなに落ち込まなくてもいいだろ」
「落ち込むよ、こんなの落ち込むに決まってるよ。何かもう視界が真っ暗。持ち上げられて奈落の底に突き落とされた感じ。今日はもう何もしたくない……」
「そこまで!?」




184: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:29:15.35 ID:9m5XEMeC0

 効果線が幾重にも頭上で重なっているかのように見える程に、月火は落ち込んでいた。
というか沈み込んでいた。
ガハラさんに死ぬほど罵倒された僕だって、ここまでへこまないだろうってくらい。
いやこの表現もどうだろう、言ってて自分がへこむんだけど。

「希望を与えられてから取り上げられるのって、何も与えられないより辛いんだから」
「……」

 ちょっと居心地の悪い空気だった。
何を言えばいいのか分からないっていうか、何を言ったらいけないのか分からないっていうか。
なので僕は黙ったまま、月火の背中をぽんぽんと叩き続けていた。
随分ショックを受けてるみたいだし、少しでも気が楽になってくれれば、とか考えながら。




185: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:32:06.30 ID:9m5XEMeC0

「――まあいいか」
「いいのかよ!?」

 ややあって顔を上げた月火は、既にけろっとしていた。
いやいいんだけどさ。いいんだけど、ちょっと立ち直り早過ぎねえ?
何かもやもやする。もう不完全燃焼感が尋常じゃなかった。
さりとて、ここでまた火種を投下する蛮勇なんて僕は持ち合わせてはいないけど。

「まあ無いものねだりしても仕方ないしね。今はお兄ちゃんも私達の傍にいてくれてるんだし、それでいいよ」
「じゃあそろそろ起きようぜ。火憐ちゃんの様子も見てやらないといけないし」
「あ、そっか。もう起きてるかな、火憐ちゃん」

 がばっと身を起こす月火。
それに僕も続き、二人で部屋を後にする。




186: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:35:40.04 ID:9m5XEMeC0

「火憐ちゃーん、起きてるー?」

 呼びかけながら僕の部屋の扉を開ける月火。
部屋に僕がいないと普通に手で開けるんだな、こいつ。
そんな感想はさておき、部屋に入ってはみたものの、どこにも火憐の姿はなかった。
ベッドの上にも、あいつが抱きしめていた僕の寝巻が残っているだけ。
月火がそのベッドに手を伸ばす。

「うーん、何か起きてもう大分経つみたいだよ」
「ああ、まあ寝るのが早かったしな、起きるのが早くなるのも当然っちゃ当然か」

 僕らが夕飯を食べようって時から寝ていたわけだから、そりゃとっくに起きていても何らおかしくはない。
そこはおかしくないが、気になることが一つ。
この部屋にいないということは、火憐は既に活動を始めているということであり、すなわちもう着替えも終わっているということになるだろう。
つまり僕達が寝ていた部屋に、あいつは一度は来ているはずなのだ。
それなのに、僕達に対して何のアクションも起こさなかったというのは、ちょっと不自然なように思う。




187: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:40:45.12 ID:9m5XEMeC0

 部屋の時計を見ると、今の時刻は普段の起床時間とそう違わない。
いつもなら寝こけている僕らを起こしてくれていたはずだ。
あるいはそれこそ自分一人のけ者にされたって憤慨しながらでも。
微かでも確かな違和感だった。
それよりも何か優先すべき事柄でもあったのだろうか?

 二人揃って、首を傾げつつ階下に向かう。
ご飯でも食べているのかと食卓に向かっても、やはりどこにも姿は見えず。
一応食事はしたらしく(冷蔵庫に入れておいた昨夜の火憐の分の夕飯だ)、洗い終わった食器が乾燥器に入れてあったけれど、それだけ。
洗面所にも、風呂場にも、家の中のどこにも火憐の姿はなかった。
玄関にあいつの靴が見当たらないことから、どうやら既に外出しているらしい。
僕と月火を完全に無視した格好である。




188: ◆/op1LdelRE 2012/01/07(土) 00:44:36.08 ID:9m5XEMeC0

「こんな朝早くから、どこ行ったのかな?」
「学校とか道場とかか? でもそんな所に早朝からは行かないよなあ」

 謎だった。
火憐の思考と行動が全然読めない。
いや読めないっていうなら普段からずっとそうなんだけど。

「しょうがないね。とにかく今日学校に着いたら、火憐ちゃんのクラスを見に行ってみるよ」
「そうだな、頼んだ。もし何か変な様子だったら携帯に連絡してくれ」
「うん、そうする」

 疑問は残っていたけれど、学生たる僕達に頭を抱えていられる程の余裕なんてないわけで、とりあえず手早く着替えて食事を済ませて、二人で揃って家を出た。
もちろんその間、火憐が家に戻ってくることはなく。
何となくもやもやした気持ちのまま、僕達は大人しくそれぞれの学校へとその足を向けることにする。
微かな違和感と、そして夢で覚えた焦燥感は、ずっと僕の心に燻ぶり続けていた。




198: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:24:05.52 ID:kRVNTTpf0

 009.

 学校についてからも。
授業中も、休憩時間も、昼休みにも、そして放課後になっても。
月火からの連絡はなかった。
もちろん火憐からの連絡もなく。
なので、今日は一日中気もそぞろだった。
便りがないのは無事な証拠と言うけれど、今日に限ってはむしろ凶事の証拠なんじゃないかという馬鹿な考えさえ浮かぶ始末。

 あいつらが連絡無しで無茶をするのは、別に珍しい事でも何でもない。
どころか、むしろいつものことだと呆れながらに認めざるを得ないのが実情だ。
それがどうしてこんなにも気になるのかと言えば、今朝僕が見た変な夢が原因なんだと思う。
それが何を暗示しているのかは正直分からないけれど、何故かあれからずっと、心の中の焦燥感が、じわじわと滲む不安が、全く消えてくれないのだ。
少なからず怪異と関わり、一度ならず修羅場に叩き込まれてきた経験が、無意識に警鐘を鳴らしているような、そんな気がする。
決して潜り抜けてきたと言えるような経験ではないのだから、何の信憑性もない、どころか誰かに話しても一笑に付されるような感覚だとは思うけれど。




199: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:27:20.46 ID:kRVNTTpf0

 それでも僕はその直感を信じることにした。
というより、信じて動かないことには落ち着かない。
神原とも約束したし、何より僕の妹達の身の安全にも関わることなのだ。
何もなければ、それこそ心配性の過保護と僕が笑われてそれで終いの話だ。

 さて動くと決めたはいいけれど、じゃあどうするかというのが肝心だ。
火憐や月火は昨日のことがあるし、何より下手に突っついて藪蛇になっても困る。
できれば別方面からのアプローチが望ましい。
そして幸いにも、僕にはその選択肢がちゃんと残されている。
女子中学生のコミュニティでの話なら、もう一人何か知っているかもしれない心当たりがあるのだ。
ということで学校が終わってから、その心当たりの子が帰宅する頃合いを見計らって、携帯で電話をかけてみる。
果たせるかな、読み通り彼女は既に在宅だった。




200: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:31:03.91 ID:kRVNTTpf0

「あ、暦お兄ちゃん」

 受話器から聞こえてきた千石の声。
心無し普段のそれよりも弾んでいるように聞こえて、知らず口元が緩む。
元より極度の恥ずかしがりというか小動物的なところのある女の子だけに、直接面と向かわずに済む電話での会話だと、それなりに感情が表に出やすくなるようだ。
何にしても、話し易いというのは双方にとって良いことだと思う。
しかし千石も普段からこんな感じで明るく話すようになれば、それこそクラスの中心にもなれるだろうになあ。
まあその辺は個人の考え方によるものだから、僕が触れていい事でもないけれど。

 閑話休題。
そういうわけで、心当たりというのは千石撫子その人だ。
もちろんただ知り合いの中学生だから連絡したというわけではなく、昨日のやり取りで月火がその名を口にしていたからこその判断である。




201: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:38:20.80 ID:kRVNTTpf0

「うん、その話は撫子も知ってるよ。というか、その子は同じ学校の同級生なの。クラスが違うからほとんど面識なんてないんだけど」

 久しぶりの挨拶もそこそこに質問をぶつけてみると、存外あっさりと肯定の言葉が返ってきた。
千石が話してくれたところによると、件の人物の名前は松木茜。
月火も言っていた通り、大病を患っていた過去があり、また生来病弱でもあったそうで、入退院を幾度となく繰り返していて、学校も休みがちだったらしい。
出席日数は常にぎりぎり、体育の授業はいつも見学、保健室の常連等々、およそ病弱と聞いて連想できる要素はほとんど詰まっている感じだった。
しかし最近はよく学校に顔を出すようになったのだという。
病弱な体質が改善されたというわけではないにせよ、いわゆる小康状態になったということか。
そしてそれから、問題のエピソードが始まったそうだ。

「撫子は直接話したことないし、今まで全然話題にもなってなかったんだけど。でも、最近になって急にそういう噂が流れるようになったみたいだよ」
「最近になって急に? どういうことだ? 前まではそんな周囲に恨み辛みを吐くようなことはなかったってことか」
「どうなのかな……でも、元々はあんまり目立たない子っていうか、そんな印象に残るような子じゃなかったと思う」
「それが、いきなり周囲の人間に、自分に関わるなって言い始めたのか」
「うん、そうみたい」




202: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:42:38.93 ID:kRVNTTpf0

 心境の変化か、あるいは信教の変化か。
もっとも、ただそれだけの話なら特に問題視することではないかもしれない。
中二病的な言動なんて、誰もが一度は通る道だと思うし。多分。
それよりもまず、その発言に付随してきた効果の方が問題なのだ。

「それで千石、その子が自分で言ってるんだよな、自分に関わると不幸になるぞって」
「うん。クラスでも、その、気になって話に行って、事故にあったりした子とかいて……」

 力無く話す千石。最後の方は消え入りそうな声だった。
クラスで実際にそういう事が起きているのなら、それも無理のない反応だろう。
しかしそうなると、もちろんまだ因果関係ははっきりしていないにしろ、放置しておくことはできない。
その子の言葉が力を持ってしまっている可能性を、何がしかの怪異性がそこに介在している可能性を、否定することはできない。
やはり直接会って確認した方が良さそうだ。




203: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:44:41.91 ID:kRVNTTpf0

「じゃあさ、ちょっと教えてほしいんだけど、その子には何処に行ったら会えるんだ?」
「え? どうして暦お兄ちゃんがその子に会おうとしているの?」

 受話器から聞こえてきた不思議そうな声。
電話の向こうでは、実際に首を傾げているのかもしれない。
まあ至極もっともな疑問ではある。
事情を知っていれば、普通は遠ざかろうとするものだしな。
しかし次の瞬間、息を呑むような音が耳に響いたかと思うと、震える声で千石がとんでもないことを口にした。

「まさか暦お兄ちゃん、本当に火憐さんが言ってたみたいに女子中学生に見境なく興奮するようになっちゃったの!?」
「何でそうなるんだ!?」




204: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:49:05.68 ID:kRVNTTpf0

 思わず大声を出してしまう。
話の流れがおかしいだろう、前後の文脈に微塵の繋がりもないじゃないか。
というか何よりもまず、火憐のやつ千石に何を吹き込んだんだ?
って、あれ?

「ちょっと待ってくれ、千石。まずその前提は否定しとくとして、何で火憐ちゃんの名前がそこで出てくるんだ?」
「えっと、昨日火憐さんから電話があってね、色々とお話をしてたの」
「お話?」

 何だろう、嫌な予感がするというか。
昨日から今日にかけての火憐の行動の根拠が、そこにありそうな感じがひしひしと。
何をしていたのか、何があったのかと不思議に思ってはいたけれど。

「うん、暦お兄ちゃんが今聞いてきてることと同じだったよ。それを教えてほしいって」
「マジか……」




205: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:52:41.89 ID:kRVNTTpf0

 千石の言葉に絶句してしまう。
さすがに想定もしていなかった――火憐がまさか自分の相方たる月火ではなく、他の情報源に自らアプローチしていようとは。
いや冷静にその出来事だけ見れば、それはいいことなんだとは思う。
何かあれば月火にばかり頼っていたのが、自分で考えて行動するようになったという点でも。
しかし何もこんなタイミングで進化しなくてもいいものを。
この場合、果たして間が悪いのは火憐なのか僕なのか。

「突然電話がかかってきたからびっくりしたんだけど――えっと、話しちゃいけなかったのかな?」
「あぁ、いや、悪いとかじゃないぞ。大丈夫。大体もし悪いとしたら、それは聞いてきた火憐ちゃんの方だから」

 受話器の向こうで声のトーンが明らかに落ちたので、急いで否定しておく。
そうしないと、千石は気に病んじゃうだろうからなあ。
実際、聞かれて答えただけのことで良いも悪いもないし。




206: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 00:56:55.44 ID:kRVNTTpf0

「で、でも、ほとんど暦お兄ちゃんのお話ばっかりだったから。大丈夫だよ」
「うん、それはそれで何かもう既に全然大丈夫じゃなさそうな気配が思いっきりするんだけど、とりあえず確認しておこうか、何の話をしてたんだ?」
「暦お兄ちゃん元気かなって聞いたら、そこからずっと火憐さんのターンだった。三十分くらい続いたかな」
「うわあ……それは何と言うか、大変だったな」
「延々とのろけを聞かされてる気分だったよ」

 あれ? 何か急に声が低くなったような……すごい不機嫌になったみたいな感じがするぞ。
いやいやいや、千石に限ってまさかそんな嫉妬してるみたいなこと、あるわけないよな。
いかんいかん、何か自意識過剰だぞ、我ながら。
あれだ、きっと受話器を持ち直したとかで声が届き難くなっただけだろう。
全く、千石は僕を兄のように慕ってくれているというのに、その僕が変に穿って考えるなんて……反省しないと。

「とりあえず千石、火憐ちゃんの言う事は話半分っていうか話十分の一くらいに聞いとけばいいよ。あいつ何でも大げさに言うし」
「『兄ちゃんの趣味がやばい』とか、『野菜使うとか意味分かんねえ。初めてでそんなん頼まれても困るぜ』とか言ってたんだけど」
「忘れるんだ千石、それは火憐ちゃんの妄言だ」




207: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:00:54.76 ID:kRVNTTpf0

 あいつはもう……本当に本当に本当に、何考えて生きてやがる。
いやむしろ生きてるんだからちゃんと考えろという話だ。
何を困ってやがるんだよ、何で頼まれること前提だよ、誰がお前にそんなもん頼むか。
全く、よりにもよってこの純情一途な千石に、何て馬鹿な事を吹き込もうとしているんだ。
千石の真っ白な心が僅かでも汚れてしまったら、そんなの世界の損失だぞ。一体どうやって責任とるつもりだよ。
そもそも自分の趣味を棚に上げて、よくもまあ僕の趣味を……いやまあその点は置いておくとして。

「だから気をつけた方がいいって言われたんだけど――こ、暦お兄ちゃんは、撫子にお野菜で何をするつもりなのかな?」
「いやいや違うから違うから。大丈夫、何もするわけないだろ、大体この紳士が服着て歩いてるような僕がそんなまさか」
「服着ないで歩く紳士はいないと思うけど」
「とにかく心配するな千石、それは火憐ちゃんの妄言つーか暴言だから。僕がお前に何かするなんてことはないぞ」
「え? 何もしてくれないの?」




208: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:09:00.38 ID:kRVNTTpf0

 どういう意味だろう? 何か受話器の向こうでがっかりしたみたいな、期待外れだみたいな、そんな気配を感じるんだけど。
あぁそうか、あれだ、普通の遊びにも付き合ってもらえないのか、みたいな意味で言ったわけか。健全な意味で。
単に僕と一緒に遊ぶことを楽しみにしてくれてるだけなんだよな、うん。
というか、そんな変な意味なんてあるわけないじゃないか。千石に限って。
全くもう、火憐ちゃんとかの発想に僕まで引きずられてどうするんだよ。反省反省。

「いやそうじゃなくてさ、千石が嫌がるようなことはしないって意味だから。安心してくれ」
「え? あ、そっか、そうだね、そういうことはちゃんと段階を踏んで行かないと駄目だよね」
「うん。うん?」
「それじゃあ、次に会う時を楽しみにしてるから。少しずつステップアップしていこうね」
「あ、ああ、そうだな」

 何だろう、僕はまた期せずして意図せずして地雷を踏んでしまったような気がするんだけど。
考え過ぎかな? 考え過ぎだよな。
どっちにしても、これ以上この話を続けるのは危険そうだ。




209: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:12:35.81 ID:kRVNTTpf0

「それで千石、話を戻すけどさ、火憐ちゃんに話した内容って」
「えっとね、最近暦お兄ちゃんの秘蔵本に載ってる人が軒並み低年齢化してきてる傾向があるから、そろそろ女子中学生っていうポジション自体に興奮するようになってきてる気がするって……」
「その話はもういいよ! つーかそれ違うから! じゃなくて昨日火憐ちゃんに教えたっていう話を聞かせてほしいんだよ!」
「そっちの話なの? でもどうして?」
「んー……」

 またしても不思議そうに問われて、ちょっと言葉に詰まる。
さて、どこまで話したものだろうか?
現状その子が怪異と関わりがあるかどうかも全然定かではないのだ。
あくまでも、その危険があるから、その懸念があるから、ということで僕が勝手に動いているだけの話で。
こんなことに千石を巻き込むのはどうかと思うし、ましてや本当に怪異が絡んでいるようなことがあれば、尚更関わらせるべきじゃない。

 とはいっても。
これで相手が妹達ならともかく、千石はちゃんと話せばしっかり聞いてくれるし、しっかり注意しておけばちゃんとそれを守ってくれるだろう。
それに千石自身、既に怪異とは無関係な身の上ではないのだから、むしろ危険性を説明しておいた方がいい気もする。
これ以上変な方向に話が逸れるのも勘弁だし。




210: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:17:44.42 ID:kRVNTTpf0

「えっとな、これはまだ可能性の話だから誰にも言わないでほしいんだけど、昨日火憐ちゃんがその子に会いに行ったみたいでさ、そこで何かあったかもしれないんだ」
「え? 何かって――それじゃあ、まさか火憐さんも事故とかに!?」
「あぁいや、今はまだそんな大きな問題は起きてないよ。だけどこのまま放っておけばどうなるか分からないし、それにもしかしたら今回の件には怪異が絡んでいるかもしれないって思って」
「怪異が?」
「可能性の話だけどな。だからそれを確認しようと思うんだ。単なる偶然ならそれでいいけど、もしそうじゃなくて怪異が関係してるんなら、やっぱり放っておけないからさ」
「そうなんだ。うん、分かったよ」

 それから千石は、その子の住所や通っている病院なんかの情報を教えてくれた。
お節介な人間はいるもので、その子の見舞いの為にという名目で、同級生の間で連絡網みたいに回されていたみたいだ。
それはそれで思うところがないでもなかったけど、でも助かったのは事実なので、その疑問はひとまず置いておくことにする。
それこそ僕が口を出すようなことでもないし。




211: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:21:30.38 ID:kRVNTTpf0

「しかし火憐ちゃん、それ聞いただけで突貫しやがったのか……毎度のことながら短絡的で参るな、本当に」

 詳しく聞いて、改めて頭を抱えてしまう。
バックグラウンドも碌に調べようとせずに突っ込んでいったって、何の話ができるんだよ。
そんなの説得以前の問題だ。
一体どうやって事態を収拾させるつもりだったのやら。
しかしそれでその結果が昨日の疲労困憊だったわけだから、やはり盛大に失敗したのだろう。
手痛い拒絶か、あるいはもっと悪しざまに罵られでもしたのかもしれない。
成長したというさっきの感想は思い違いだったのか――何と言うか、少し悲しくなってくるな。

「げ、元気出して、暦お兄ちゃん。そうだ、撫子が面白い話をしてあげる」

 僕が電話の前で落ち込んでいると、千石がまた凄いことを言い出した。
何も自分から話の内容のハードルを上げんでも良かろうに。
普段は大人しめなのに、どうしてこういう時は妙に強気になれるんだろうか。微妙に謎だ。
千石はしかし、あくまで強気のまま話を続ける。




212: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:24:39.34 ID:kRVNTTpf0

「この街にね、『アンドレアンドレ』って寝言を言いながら自分の妹を抱きしめて頬ずりする人がいるんだって。ちょっと変態さんだよね」
「林檎をむいて歩こうっ!?」

 あいつ! 戦場ヶ原! 何てやつだ……何が思わず投稿しようと思っただよ、しっかり投稿してばっちり採用されてるじゃねえか!
あり得ないだろ、自分の彼氏の恥を公共の場に晒して楽しいのか!?
いやまあ楽しいんだろうなあ、きっと。うん、何か納得してしまった。

「あれ? 暦お兄ちゃんも知ってたんだ、このお話」
「そうだな、そういえば千石もあのラジオのリスナーだったんだよな」

 『大熊猫大好き』さん。何かこれで三役揃い踏み、みたいな感じがしたのは僕の気のせいだろうか。
何にしても、さして広くもないこの街で、さして多くもない僕の知り合いの中でさえ、これ程の聴取率を誇る番組なら、僕も一度聞いておいた方がいいのかもしれない。
聞きたくないネタが御披露される瞬間に出くわす危険性はかなり高そうけど。




213: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:28:03.65 ID:kRVNTTpf0

「とりあえず千石、教えてくれてありがとう、助かったよ」
「ううん、いいよ、暦お兄ちゃんの為だもん」

 そんなことを言ってくれる千石。
全く、何て良い子なんだろうか。僕なんかの為にここまで言ってくれるなんて。
余計な時間を取らせてしまって、本当に申し訳なく思えてくるな。

「あとさ、もしまた火憐ちゃんから電話があったら、僕に連絡するように伝えてくれないか?」
「うん、任せて」
「頼んだ。それじゃまたな、千石」
「また遊びに来てくれる?」
「あぁ、時間ができたら連絡するよ」
「楽しみにしてるね」




214: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:31:40.74 ID:kRVNTTpf0

 そう言って電話を切る。
まあ千石が僕をこうして兄のように慕ってくれるのは嬉しいことだし、それならその期待には出来るだけ応えてあげたいとも思う。
でもそれは、とにかく目の前の厄介事を片付けてからの話だ。
何しろ千石に話を聞いても、僕の中の不安と焦燥感は、和らぐどころか増す一方だったのだから。

 元より病弱で大人しく目立たない女の子。
その子に何かがあって、あるいは何かと遭って、そして何かが変わってしまった。
千石の言葉から、その声の調子から、とてもそこにポジティブな要素は見出せない。
もし本当に怪異が絡んでいるような事があれば、絶対に放置はしておけない。
ましてや、火憐が深みに嵌るような事は、断じてあってはならないのだ。

 携帯をポケットにしまい、自転車にまたがる。
千石に教えてもらったその子の家も、そして病院も、徒歩で行くには少し遠い。
走り始めて、まずはその行き先を病院に定めた。
自転車を漕ぎながら、自分の影に意識を送る。
ゆらりと、その影は小さな反応を返してきた。




215: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:35:23.12 ID:kRVNTTpf0

「忍、起きてるよな?」
「ついさっき起こされたわ。前髪娘との会話で訳の分からんテンションに陥りおって。全くお前様の気の多さには、ほとほと呆れ返るばかりじゃ」
「いや違うんだって。やっぱり千石は戦場ヶ原達とは違うからさ、接し方っつーか距離感っつーか、そういうのが難しいんだよ」
「聞こえの良い言葉で誤魔化すでない、性癖を突っ込まれた時のことを言うておる」
「性癖言うな」
「そういえば、つい先日なぞ極小の妹御の茶杓や茶筅に並々ならぬ熱視線を注いでおったな。妙な興奮状態で。はてお前様の想像の中で、極小の妹御はどのようなことをされておったのやら」
「ちょっと待て、何でそれをお前が知ってる? よりにもよってそのタイミングで起きてたのかよ」
「全く、道具本来の使い方を絶望的に無視しおって。発明した先人が泣くぞ。筆ペンやら歯ブラシやら爪切りやら、一体お前様は何処を目指しとるんじゃ?」
「止めよう、その話はここまでだ。これ以上は各方面に差し障りがある」
「事ここに至って、今更そのようなものがあるとも思えんがの」




216: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:40:18.18 ID:kRVNTTpf0

 あるんだよ、主に僕の世間体とか好感度とか、そういう方面だ。
しかし爪切りって何だ? 記憶にはないけど、しかし何故か妙にときめきを感じる単語だな。
そう遠くない未来に、新しい世界を開いてくれそうな予感がそこはかとなく。
まあそれはそれとして。

「とにかくさ、忍。今からその子の所に行こうと思うんだけど」
「好きにすればよかろう、儂は別に止めはせんよ」
「じゃなくて」
「ふん、分かっておるわ。影から観察しておいてやればいいんじゃろ?」
「ああ、頼むよ」
「うむ、まあお前様は件の女子中学生を、いつも通り舐めるように視姦しておればよい」
「よくねえよ。つーかいつも通りって何だ、いつも通りって」
「詳しく言うてほしいのか?」
「じゃあ忍、行くぞ!」




217: ◆/op1LdelRE 2012/01/09(月) 01:52:25.33 ID:kRVNTTpf0

 皆まで言わせず、自転車を漕ぐ速度を上げる。
でも何だな、ペアリングされてるってのは、意思疎通がやり易い点は凄く有利だけど、何から何まで筒抜けになってしまうって点は物凄く不利だよな。
これ以上僕のイメージダウンに繋がる話は、ちょっと本気で勘弁願いたいところなんだけど。

「そんなもん今更じゃろ。全く往生際が悪いのう」
「やかましい」

 こうして忍と二人、一路目的地の病院へ向かう。
もちろんその子に会えるかどうかなんて分からない。
故にこそ、その子を探すのは明日にして、家で火憐と月火の帰りを待つ、という考えも一瞬心に浮かんだ。
だがしかし、すぐにその案は放棄した。
それは、家で二人と話すのはいつでもできると考えたからであり、またとにかく一秒でも早くその子を確認しておくべきだと判断したからでもある。

 僕のその判断は、決して間違いではなかったと思う。
けれど、間が悪かったとは言わざるを得ないだろう。
後にして思えば。




224: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:17:33.57 ID:g5ZB1KKd0

 010.

「あれ? 火憐ちゃんじゃないか」
「ん? 妹御がどうかしたか?」
「いや、あそこの病院の入り口から今……あ、走って行っちゃったよ。相変わらず速いな」

 忍と一緒に自転車で走ることしばらく、ようやく遠目に目的地たる病院が見えてきた所で、その入り口から火憐が飛び出てくるのに気付いた。
けれど、声をかけるかどうかを考えるより早く、あるいはいっそ僕の声よりも速く、火憐はたーっと走り去ってしまう。
残念ながら、あいつは僕達に気付かず、どこか別の所に向かったようだ。
時間か方向がもう少し違っていれば、直接話をすることもできただろうに、どうにも昨日から随分と間が悪いというかタイミングが悪いというか。
あるいは運が悪いのか。
また少し心がざわつくような気がした。




225: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:21:07.83 ID:g5ZB1KKd0

「しかしお前様よ、この距離でよう識別できたの。儂でもそうはっきりとは分からんかったぞ。そんなに視力が良かったか?」
「いや、他の人間じゃ見分けはつかなかったと思うけど、相手が火憐ちゃんだったからな。そりゃ僕に識別できないはずがないだろ」
「理由になっとらんわ」
「まあぶっちゃけ匂いで分かったんだけどな」
「ぶっちゃけるな、変態度がより増しおったぞ」
「おい、何で信じるんだよ」

 冗談に決まってるだろ。というか明らかに突っ込み待ちだって分かるだろ。
犬じゃあるまいし、この距離で匂いなんて嗅ぎ分けられるか、至近距離ならまだしも。
というか、ジャージ姿だから見分けられただけって気付けよ、お前も。
全く、挙句の果てに変態呼ばわりとは。

「いや、お前様ならあり得そうじゃし。ちゅーか普通は冗談でもそんな発想は出んわ。もうそんなボケが出てくること自体が変態の証左と言うてもよかろう」
「あり得ねえしよくもねえよ、小差で変態は免れてるだろう、この程度なら」
「まあ自分で小差と認めておるだけマシかもしれんのう」 



226: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:24:48.69 ID:g5ZB1KKd0

 僕が変態の誹りを回避した(?)ところで、病院の入り口に到着。
千石の話では、その子は病院では中庭にいることが多いらしいので、真っ直ぐにそこへ向かうことにする。
噂通りであれば、きっとそこに一人でいるはずだ。
果たせるかな、それが幸か不幸か、間が良いのか悪いのか、廊下を曲がって中庭が見えてきたところで、僕はそこにいる人影に気付いた。

 何かを一目見ただけで色々読み取れるような、そんな洞察力も推理力も、残念ながら僕にはない。
むしろ察しが悪いとか言われることの方が多いくらいだ。
ガハラさんなら直球で頭が悪いと言ってくれる。
まあ彼女の鋭利極まる舌鋒は、オブラートに包んだところでその攻撃力を一切減ずるものではないだろうけれど。

 閑話休題。
とにかくそんな鈍い僕でさえも、ベンチに座って目を閉じているその人影から、健康という単語とは微塵も縁がなさそうな青白くか細いその少女から。
何か言葉にできないような不穏な気配を感じずにはいられなかった。
貝木を始めて見た時と似ているような、けれど決定的に違う何か。
不吉ではなく、不幸――何とも言い得て妙だと思う。




227: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:29:13.42 ID:g5ZB1KKd0

「あんた誰? わたしに何か用?」

 近づいてくる僕の姿に気付いたのか、少女が目を開いてこちらに視線を向けてくる。
というよりも、睨みつけてくると言った方が適切かもしれない。
歓迎されていないどころか敵意剥き出しなその眼差しは、噂がある程度の事実に基づいているだろうことを、何よりも雄弁に物語っていた。

「お前が松木茜、か?」
「気安く名前を呼ばないで。呪うわよ」
「呪いなんて使えるのか?」
「出来なくはないわ」
「けど名前呼ぶなって言われてもな。じゃあ何て呼べばいいんだ?」
「呼ぶ必要なんてないでしょ、今すぐ回れ右して消えて」

 取り付く島もないとはこのことか。
敵意に満ちた目には、一切の揺らぎもない。
名前を呼ぶ前に人を呼ばれそうな勢いだ。
けれど僕だって、それじゃあ仕方がないな、で引き下がるわけにはいかない事情がある。




228: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:33:41.72 ID:g5ZB1KKd0

「少し聞きたいことがあるんだよ、それだけ確認すればすぐに帰るさ」
「鬱陶しいわね、本当に。今日は厄日かしら、呼んでもないのに次から次へと全く……」
「それだよ、僕の前に来客があったんだな、ジャージ着てる長身の女子中学生」
「何? あんたあいつの関係者? それなら丁度いいわ」

 そこでようやく視線が和らいだ。ほんの少しだけ。
決して警戒を解いたわけではなく、ただ話をする為に睨むのを止めただけで、その声に滲む敵意はなお変わらず。
正直やり辛いんだけど、とりあえず会話が成立するのであれば、今はそれで良しとすべきかもしれない。

「丁度いいって何だよ」
「二度と来るなって言っといて。顔見るだけでむかつくのよ。昨日あんだけ言ってやったのに、今日も学校さぼってわたしを探してたみたいだし、ホントいい迷惑」
「随分な言い方だな、あいつが何か変なことでも言ったのか?」
「優等生的な素敵発言を山ほどね。虫唾が走るわ」
「あー、まあ大体想像はつくな」
「噂を聞きつけてお説教しに来る偽善者は今までもいたけど、あいつの暑苦しさは段違いだわ。どうしてくれようかと考えていた所よ」




229: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:41:10.06 ID:g5ZB1KKd0

 視線のみならず、声にも表情にも、はっきりと苛立ちの色が浮かんでいた。
その姿に、その言葉に、また不安をかきたてられてしまう。
ふと神原や千石の言っていた事が脳裏を過ぎる。

「不幸になるって話か」
「あら、知ってたの? なら話が早いわ。あんたもさっさとわたしの視界から消えなさい。不幸になりたいんなら別だけど」
「不幸になりに来たわけじゃないな、不幸になるのを止めには来たけど」
「それならさっさとあいつを説得することね、二度とわたしの所に来ないように。全く、自分の女の首根っこくらいしっかり捕まえときなさいよ、見た目通りに冴えない男ね」
「好き放題言いやがって。つーか、あいつは僕の妹だ」

 顔見れば分かるだろう、初対面でも大抵の人に血縁関係を看破されるぞ、僕達は。
とも思ったが、あるいはそもそもこの子は僕達の顔なんて碌に見ていないのかもしれない。
死ぬほど興味が無さそうだし。あるいはいっそ死ねとさえ思ってる可能性も否定できないくらいだ。

「何だ、随分小さい兄貴ね。中学生にしては老けてると思ったけど、まさかそのなりで高校生以上だなんて」
「身長のことは言うな」
「別にどうでもいいわ。とにかく用は終わったでしょう。さっさと消えなさいよ」




230: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:46:50.25 ID:g5ZB1KKd0

 終いにはしっしっと手で追い払うような仕草をする始末。
話は終わったとばかりに、既にその目は僕の方に向けられてすらいない。
年上を敬えとか言うつもりはないけど、それでも初対面の人間に対してそこまでするか?

「あいつと話はするよ、帰ってから。その前にもう一つ聞いておきたいことがあるんだけど」
「そう、でもわたしにはあんたと話すことなんて何もないわ」
「何でわざわざ自分から敵を作るような発言をするんだ?」
「あんた、人の話聞いてた?」
「聞いてるよ。で、何でだ?」
「……あんたに答えてやる理由なんてないでしょ、それを教えたからってどうなるっていうの?」
「いや、何か手助けできることがあるかもしれないって思って」
「ふん、何だ、あんたも妹と同じタイプなのね。揃いも揃って鬱陶しい」

 再び僕を睨んでくるその視線には、これまで以上に強い敵意が込められていた。
いっそ憎しみすら想起させるほどの強い眼差し。




231: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:50:37.15 ID:g5ZB1KKd0

「正義の味方なんてお呼びじゃないわ、そんなのわたしにとっては敵と同じよ」
「敵って」

 吐き捨てるように言い切られて、言葉を失う。
正義の味方という言葉を幼稚と捉えたが故の反駁――ではなく。
善良であることに羞恥と抵抗を感じがちな思春期故の反発――でもなく。
それは、ただただ憎々しげで刺々しい、敵意と害意と悪意に満ち満ちた、少女の純粋な主張だった。
決して悪を自認しているというわけではなく、けれど正義は自分の味方をしないと、そう確信しているような言い様。

「わたしの味方じゃないならそんなのいらない。そもそも誰が助けてくれなんて言ったのよ。いい顔したいだけの偽善者が、わたしに関わってこないで」
「いやだからちょっと人の話を――」
「お前様よ」

 と、影から伝わってくる忍の声。
目の前の少女の視線は、しかし向かう方向もそこに乗せている感情も変わってはいなかった。
どうやらこの声は、僕にしか聞こえないように調整されているらしい。




232: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:54:20.73 ID:g5ZB1KKd0

「何も喋らんでいい、そのまま聞け。詳しい事は後で話すが、今はとにかくここを離れよ、これ以上この小娘の傍におるべきではない」
「何? 急に固まっちゃって。気持ち悪いわね」

 怪訝そうな少女の声は、ほとんど耳を素通りしていた。
忍からの忠言――いや警告か、とにかくその言葉が、頭の中をぐるぐる回っているせいだ。
こんなタイミングで口出ししてくるということは、掛け値無しに本物だったということか。
この子の嘘でもはったりでもなく、紛れもない怪異の絡む事象。
だから一旦戻れと。この場は引き下がれと。

 だけど、もし忍の言う通りだとすれば、尚更この子を放置していいはずがない。
火憐は昨日も、そして今日もここに来ていたのだ。
そして間違いなく、明日も来ようとするだろう。
この子の元に。怪異の傍に。危険の中に。
それが明白である以上、それこそ何としても今日中に解決しなければならないんじゃないのか?




233: ◆/op1LdelRE 2012/01/11(水) 23:58:40.23 ID:g5ZB1KKd0

「詳しくは後で話すと言うたじゃろう、黙って言う事を聞かんか。そも、これ以上ここにおってお前様に何ができる? とにかく出直しじゃ」

 僕の心中に伝わる忍の声に、焦りと苛立ちが混じる。
それはそのまま、現状の危険度の高さというか余裕度の無さというか、そういうのを示しているのだろう。
実際、今のこの状況では僕にできることは何もないし、確かにこれ以上粘っても、きっとこの子の態度を更に硬化させるだけだとも思う。
であれば忍の言うように、ここはひとまず引き下がるしかないのかもしれない。

「分かったよ、今日はこのまま帰る」
「二度と来ない、という言葉も付け加えてもらえないかしら」

 辛辣な言い様だった。
まあ歓迎されるとは思ってないけど、それにしたって容赦がないというか。
次に会った時、普通に会話できる気が全くしない。
でも、だからと言って諦めるわけにはいかないのだ。




234: ◆/op1LdelRE 2012/01/12(木) 00:02:42.05 ID:jPP5u08T0

「それは約束できないな、病院に担ぎ込まれることだってあるかもしれないだろ」
「そうならないようにすることね」

 そんな味もそっけもない別れの言葉を頂戴しつつ、踵を返して出口へと足を向ける。
当然と言おうか、その僕の背には、もう何の視線も言葉も向けられることはなかった。
ちらりと振り返ってみると、もう完全に僕の事は意識の外らしく、何か考え事をしているような表情が目に映る。
何かを考えているような、あるいは何かを願っているかのような。
その姿に、何とも言えない不安を覚える――が、今の僕にできることなんて何もなく。
正に後ろ髪を引かれるような思いで、その場を後にするしかなかった。
そのまま廊下を歩き、出口を出て、自転車の方へと向かおうとしたところで。

「お前様! 止まれ!」

 忍の影からの声に、浮きかけたその足を止める。
言葉に従ったわけではなく、それはもうただの反射だった。




235: ◆/op1LdelRE 2012/01/12(木) 00:07:30.38 ID:jPP5u08T0

 そこで、僕が忍に何事かと聞き返そうとするのと。
止まった足を改めて踏み出そうとするのと。
そして正にその足のほんの少し先へ重そうな植木鉢が落下してきたのと。
それらはほとんど同時だった。

「な……!」
「危ない所じゃったの、お前様よ」

 落下した植木鉢が粉々に砕ける重々しい音に、一瞬体がびくりと震えた。
突然の出来事に思わず硬直してしまったところで、忍に声をかけられて我に返る。
眼前には、広範囲にぶちまけられた植木鉢の破片と大量の土。
かなり上の階から落下してきたのだろう。

 危なかった――もし忍が声をかけてくれていなかったら、きっと思いっきり頭に直撃していたはずだ。
もちろんこれくらいで死ぬとは思えないけれど、無事で済むとも限らないし、こんな公共の場で再生なんてしたら、それこそ誰に見られるか分かったものじゃない。
改めて肝が冷える思いがした。




236: ◆/op1LdelRE 2012/01/12(木) 00:13:15.94 ID:jPP5u08T0

「忍、これ、まさかあの子の仕業か?」
「直接的には否じゃ。が、間接的には是と答えざるを得ん」

 そりゃまあついさっきまで中庭にいた子が、幾らゆっくり歩いていたとはいえ、僕が病院を出るより早く上階まで駆け上がって、重い植木鉢をここまでタイミングよく落下させることなんてできないだろう。それは分かる。
しかし間接的にっていうのは一体どういう意味なんだ?

「それも含めて後で話してやるわ。それよりさっさとこの場を離れた方が良かろう。お前様も病院で騒ぎを起こしたくはあるまい。近くには誰もおらんようじゃし」
「このまま放置していくのはちょっと抵抗あるけど、でも確かに変な疑惑を持たれても困るしな」

 幸か不幸か、周りに他の人はいないようなので、ここは退散するのがいいだろう。
このままここにいても何が起こるか分からないし、それに人が集まってきたら、それこそ僕が病院で暴れているみたいなレッテルを貼られかねない。
なので、心の中でごめんなさいと唱えつつ、足早に病院を後にした。




243: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:23:09.27 ID:GEdRxIvx0

 011.

「悪魔じゃよ」

 忍を前籠に乗せ、病院を後にして、ゆっくりと自転車を漕ぎながらの帰り道。
夕暮れの中を家に向かいつつ、改めて忍に説明を求めた。
幸いこの時間ならば人通りもほとんどなく、僕らが不審に思われるようなことは、まあまずないだろうと思う。
それよりも、今は事態の説明をしてもらうことが最優先なのだ。
家に帰り着くまでなんて待っていられない。
そんな僕に対して、忍は先の言葉で返してきた。

「悪魔?」
「うむ。彼の病弱娘には悪魔が憑いておる」
「マジでか」
「マジでじゃ」




244: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:25:49.04 ID:GEdRxIvx0

 悪魔。
言葉としてはさして珍しくもないものだが、現象としては大抵の人には全く馴染みのない存在。
しかし残念ながら、僕は、いや僕達はそうではなかった。
神原の身に起きた出来事は、決してまだ過去と言えるような状態にはなく、その意味では正しく現在進行形で関わっていると言うべきかもしれない。

「もっとも猿の小娘の時とはまた様相がかなり違うようじゃが」
「まあそりゃ悪魔って一口に言っても、いろんなのがいるんだろうけどさ」

 僕達が関わったあの悪魔――レイニーデビルも、その中の一種に過ぎない。
単に僕が知らないだけで、それこそ数えきれないくらいいることだろう。
それにしても、まさか悪魔とは予想外だった。
こうなってくると、神原がこの話をいち早く聞かせてくれたのは改めて僥倖だったと言うほかないな。
あいつもまさかここまでの事態を予想していたとは思わないけど、それでも今回の事態に悪魔が絡んでいるとなると、その直感の鋭さには舌を巻かずにおれない。
というか、もしかしたら皆の中で実はあいつの感知能力が一番凄いのかも。




245: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:29:13.32 ID:GEdRxIvx0

「彼の病弱娘、名を何と言うたか?」
「松木茜、だったな」

 悪魔憑き――暗喩を覚えたのはただの錯覚か、あるいはただの偶然か。
名前を確認したところから、忍も同じ感想を持ったんだろうけれど。

「ときにお前様よ、花言葉は知っておるか?」
「馬鹿にすんな、花言葉くらい知ってるよ」
「では、茜の花言葉は?」
「え? 茜って花なの? 色じゃなくて?」
「やはり馬鹿じゃな。この知ったかぶりが」
「仕方ないだろ、普通の男子高校生は花の名前とかいちいち覚えてねえよ。ちくちく僕を馬鹿にすんな」
「こんなもん基礎知識じゃろうが。アカネ科の多年草じゃよ。その根で染めた色を茜色というわけで、どちらかというと色の方が後付けになる」
「へー、そうなのか。それでその花言葉って何なんだ?」
「誹謗、中傷、不信――といったところじゃな」
「何だよそれ。ひどい意味だな。普通花言葉ってもうちょっとロマンチックというか綺麗な意味のものなんじゃないのか?」
「戯けが。別に花言葉はロマンチストの為のものではないわ」
「まあその辺はどうでもいいとして。でも成程、言われてみれば姓名が出来過ぎなくらいに現状を示してるな」




246: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:32:07.52 ID:GEdRxIvx0

 魔が憑き、誹謗・中傷を浴び、あるいは浴びせ、不信に陥る、か。
そんなわけもないだろうけれど、ここまでくると作為的にすら感じてしまうな。

「まあ当然それを見越しての名であるわけもないし、またその姓名故にああなったわけでもない。名前で怪異が憑くなら一億総怪異憑きになっておるわ」
「だよな。普通なら」
「うむ、こんなものは所詮は偶然やこじつけに過ぎん。けれど同時に、それが怪異を為す一要素となっておることもまた否定はできんが」

 名前だけでそうなった訳ではもちろんないけれど、しかし怪異を呼び寄せる一要素、一因にはなっている可能性があるということか。
けれど既に事態が起こってしまった以上、それは今考えるべき事ではない。
重要なのは、現実に怪異が憑いた、その経緯の方だ。




247: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:35:23.04 ID:GEdRxIvx0

「元々病弱って言ってたし、もしかしたら戦場ヶ原の家庭と似たようなことがあったのかもしれないな」
「そうじゃな、病弱娘の関わっておる悪魔の状況もあるしの」
「状況? つーか悪魔って言ったよな、そもそもあの子に憑いてるのってどんな悪魔なんだ? 神原の時とは全然違うんだろ?」
「勿論じゃ。ちゅーかかなり珍しい状況と言ってもいい。実際のところは、病弱娘に悪魔が憑いておるというよりも、病弱娘が悪魔を所有しておるという方が近い」
「何だそれ、使い魔とかそういうのか?」
「それなら使役と言うわい。所有と言うたじゃろう。病弱娘が身に着けておる何かの装飾品に悪魔が封じられておるようじゃ。あるいは、悪魔の封じられた装飾品を病弱娘が身に着けておる、という方が適切か」
「封じられてる?」
「うむ。悪魔が死ねばその心の臓が宝石となって残るという逸話もあるが、まあそれに程近い状態じゃ」
「悪魔が封じられてるって、まさかあの子が悪魔退治をやったってことか?」
「それはなかろう。彼奴には何の力も感じぬしな。実際やったのは別の者と思うぞ。力を持った人間にやられたか、あるいは別の上位の悪魔にやられたか、といったところじゃろ。その後に何があったかは分からんが、いずれにせよ怪異譚として語るならば既に終わっておる筈の話なんじゃがな」
「文字通り往生際が悪かったわけだな。で、その封じられてる悪魔ってどんなやつなのかは分かるのか?」
「そこまでは分からん。何しろ封じられてしもうとるからのう。まあそんな状態で未だ永らえておるところから察するに、それなりに力を持った存在ではあったろうが、しかしこの様では元が何だったのかなぞ想像もつかんわ」

 肩を竦めつつ忍が言う。
その辺りが分かれば、何かのヒントになるかもしれないと思ったんだけど。
まあ分からないなら仕方ないか。




248: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:39:04.21 ID:GEdRxIvx0

「しかし悪魔を宿した宝石とか、何ともぞっとしない話だな、全く」
「別段珍しいことでもないぞ。悪魔とまではいかずとも、呪いの宝石の話となれば枚挙に暇はない。今回の石もその一例に過ぎんよ」

 忍はそんな僕の感想に対して事もなげに返してくる。
確かに呪いの宝石なんて割とよく聞く話ではある。実際に見たことまではないけれど。
有名どころだと、ホープダイヤモンドとかは宝飾関係に疎い僕でも耳にしたことがあるし。

「でもさ、封じられてるんなら問題ないんじゃないのか? 言い方は悪いけど死に損ないみたいなもんなんだろ、それが何で今こんな問題を起こしてんだよ」
「悪魔単体ならそうじゃな。誰の手にも触れず放っておかれれば、いずれ消え去っておったはずじゃ。問題は今それが人の手に渡っておることにある」
「どういうことだ?」
「宝石の悪魔が未だ永らえておるのは、精気を得ておるからに他ならん。あの病弱娘からな。恐らく願いを叶える代償として、彼の悪魔は精気を奪っておるんじゃろう」
「魂を奪う契約ってことか?」
「いや、もっと切実じゃよ。例えば餓死寸前の人間なら、数多の財宝よりも僅かの食糧に飛びつくじゃろ。彼の悪魔も同じじゃ。追い詰められて切羽詰まって形振り構わず病弱娘に取り憑いたんじゃ。僅かの精気を渇望してな。あるいは寄生という方が的確かもしれんが」
「無茶苦茶だな」
「死に瀕すれば、何者とて足掻くものじゃろう。出来得る限り。それがたとえどれ程みっともなかろうともな」




249: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:42:31.08 ID:GEdRxIvx0

 少し遠い目をする忍。
その目に、その心に、去来するものは春の頃の記憶だろうか。
僕もまた、夏休み前のあの日を少し想った。
僅かな沈黙があったが、気を取り直して再度会話の口火を切ることにする。

「まあ状況はさておき、願いを叶えるっていうのが問題だよな。どうもいいイメージないんだけど。具体的に何が起こってるんだ?」
「そうじゃのう。端的に言ってしまえば、病弱娘が何事かを願い、それに即した形で悪魔が術を行使する、といったところか。両者の間でどんなやり取りが為されておるかまでは分からんが」
「そうか。じゃあその術っていうのが何なのかは分かるか?」
「うむ。恐らく彼の悪魔は『移動』の術式を使っておる」
「移動?」
「割と知られた術じゃよ。人をどこかに移す、物をどこかに隠す、気移り、心変わり、もちろん自身の移動も含め、そうした術を使える悪魔は少なくない」

 例えば、財宝を管理する為に随時その場所を変えるもの。人や物を一瞬で別の場所に移してしまうもの。記憶や心を何処かへやってしまうもの――等々、指折り数えつつ忍が言う。
しかし成程、確かに思えば神隠しとかもそういう現象だし、天狗の逸話でも似たようなのを聞いたことがあるな。




250: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:46:12.94 ID:GEdRxIvx0

「でもさ忍、その移動の術が『自分に近づく人間を不幸にする』っていう話とどう繋がるんだよ」
「移動の対象は物質に限らん。概念や感情、感覚のようなものまで含まれる。運気、巡合が対象となれば、不幸に見舞われることもあろう。さっきお前様の頭上に植木鉢が降ってきたじゃろ、あれもそうじゃ。お前様の運気がどこかへ追いやられ、不運になったが故に遭遇した事故じゃよ、あれは」
「それじゃ結構やばいんじゃないのか? 今までも結構な数の人が不幸事に巻き込まれてるって話だし、つまりそれだけ術が使われてるってわけだろ? あの子の身体は大丈夫なのか? 体質が弱い上に更に精気を奪われるって相当危ない気がするんだけど」
「いや、先々までは分からんが、当面その心配はいらんと思うぞ」
「何で分かるんだ?」
「然程強力な術でもないからじゃ。そも、自身に近寄ってくる人間のみを対象にその運気を余所へやる、という程度の規模であれば、そう大きな影響はあるまい。さっき見た限りでも然程に精気を削られてはおらんかったし」
「でもそれだけじゃ安心とは……」
「無論安泰とは言えんよ。しかし悪魔の方でも病弱娘が存命の方が都合は良いはずじゃからな。何せ死なれてしまえばそれで終いじゃ。少なくとも次の宿主が見つかるまでは、命を危険に晒すことの無いように留意するとは思うが」
「じゃあ、とりあえず今すぐどうこうなることはないって考えていいのか」
「あくまで現状維持のままならばな。病弱娘が欲を出したり、あるいは何かの事情で範囲や規模を大きくし始めたら危険じゃぞ。それがそのまま奪われる精気の量に直結するのじゃから」

 ぎろりと、まるで警告するように忍が睨んでくる。
事実それは僕に注意を促すものだったのだろう。
まあ改めて言われるまでも無く、それは僕も考えていたことだ。




251: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:50:07.38 ID:GEdRxIvx0

「しかしそうなると僕も迂闊には近づけないな」
「近づくことそれ自体が迂闊というんじゃ。変に刺激してみい、何をやらかすか分かったものではないぞ。それこそ不幸どころかもっと性質の悪いことにもなりかねん」
「それは分かるけどさ、でもだからって手をこまねいてもいられないだろ。まさかこのまま放っておいたら悪魔が解決してくれるってわけでもあるまいに」
「当たり前じゃ。お前様も知っての通り、悪魔というものは人の願いを叶える為の存在などではない。あくまでも人から何かを奪う事を目的として、仮初の願いを実現させておるに過ぎん。いずれ所有しておること自体が間違いなんじゃ。今のままでも事態は悪化の一途を辿る。それが速いか遅いかの違いはあるにせよ」
「接近も放置も安易にはできない、か。難しいな――まあどうするかは後で考えよう。それで今実際に不幸事に巻き込まれてる人を助ける方法はあるのか?」
「そうじゃな。簡単なのは病弱娘に近づかんようにすることじゃ。元より運気やら巡合やら感情といったものは絶えず移ろうものじゃからな。病弱娘が自分に近づく者しか標的にしとらん以上、たとえ一時的にどこかへ追いやられようとも、距離をとり時間を置けば、やがてはあるべき形に戻ろう。まあ数日もあればな」
「それでも数日かかるのか。なあ、何か他の手段はないのか? もっとすぐに解決できるようなさ。例えばその宝石をぶっ壊したりとかしたらどうだ?」
「かかか、相変わらずお前様は妹御が絡むと荒っぽくなるのう。まあ他の手段もなくはない。病弱娘に宝石を手放させることができれば、それが最良じゃ」
「宝石を手放させる、か」
「もっとも今日の様子から判断するに、そう易々とは行きそうにないがの」

 改めて今日のやり取りを思い返してみる。
向けられる視線には悪意と敵意しかなく、悪魔の力による災禍へ僕を叩き込むことに、まるで抵抗を感じている様子はなかった。
あれじゃあ僕の説得なんてとてもじゃないけど聞く耳を持ってもらえるとは思えない。
それどころか、余計に意地になったりとか僕への害意が増えるのみとか、そういう風に事態が悪化する可能性の方が余程高そうだ。




252: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:54:53.83 ID:GEdRxIvx0

「参ったな――最悪、力尽くで奪うしかないか。そういうことはしたくないけど」
「いや、したいしたくない以前にそれは無意味じゃよ。物理的な距離を取ればいいという話ではない。病弱娘が自らの意思で放棄せねばならんのじゃ。精神的に悪魔と決別できねば、死ぬまで離れることはできんよ。どうあれ彼奴は願ってしまっておるからのう」
「マジか。じゃあ例えば、僕がその宝石を奪ったとしても――」
「すぐに持ち主の元に戻るじゃろうな。壊すよりも先に。病弱娘諸共潰すのであれば別かもしれんが、それは出来んじゃろ。どうあれ彼奴が望み、願い、阿ればこそ悪魔はそこにおるんじゃ。他人にはどうすることもできん。そんなことをしても、お前様が女子中学生に狼藉を働いたという結果が残るのみじゃよ」
「最悪だな」
「そしてお前様はとっ捕まって、晴れて公に性犯罪者の仲間入りをすることになるじゃろうな」
「最低だな!」

 その後付けははっきりと要らないだろう。
というか宝石を奪う際に、僕が何をすると思ってやがる。
人をセクハラの常習犯みたいに言いやがって。




253: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 00:57:39.34 ID:GEdRxIvx0

「いや、お前様が女子中学生を前にして理性を保てるとは思えんし」
「そろそろお前の中の僕への認識について徹底的に矯正する必要がありそうだな。女子中学生なら誰でもいいとか、どこの変態だよ。僕があの子に欲情するとか、はっ、そんなの絶対あり得ないね」
「疑わしいのう。その自信はどこからくるんじゃ。ちゅーかそれは余りに自分を過大評価しておらんか?」
「してねえよ。あんなに敵視されて興奮なんてするか。むしろ冷静になるわ。大体じゃれ合う相手なら八九寺と妹達で間に合ってんだよ、僕は」
「ハチクジとじゃれ合うのは、恐らく女子中学生とじゃれ合うよりも更に犯罪的じゃと思うぞ」

 半眼で見てくる忍。
いい突っ込みじゃないか。返す言葉もねえよ。
まあこんな下らない話をしている場合じゃないのだ。
そろそろ真面目な話に戻るとしよう。




254: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 01:03:02.24 ID:GEdRxIvx0

「何にしても、結局は正攻法で説得するしかないってことだな」
「そうなるのう。言うてもお前様にそれは難しかろうが」
「まあ確かにあの子が僕に心を開いてくれるかどうかとなると、ちょっと難しいかもしれないけど」
「いや、その前にお前様が心を閉ざす結果になるかもしれんなと」
「何されるんだよ僕!」
「何をされるというか、まあお前様があの病弱娘を説き伏せようとしておるところなぞ、傍目には不良がか弱い婦女子をひっかけておるようにしか見えんじゃろうからな。やっぱり通報されるのが落ちじゃろ」
「そんな落ちは断じて着けない!」
「着けるのは儂でもお前様でもなかろう。故にこれは避けられんと思うぞ」

 真面目な話に戻ったのに、どうしても忍は僕にとっ捕まってほしいらしい。甚だしく遺憾に思う。
けれどまあ、その懸念を否定しきれないのも事実ではある。
何しろ今の今まで何の面識もなかったってだけでもハードルが高いのに、かてて加えて対象たる少女――松木茜は、周囲の人間全てに対して明白な拒絶と敵意を示しているような状況なのだ。
幾ら僕が紳士だと言っても、その壁を取り払うのは容易ではないし、不用意に近づいてちょっかいをかければ通報されかねないというのは一理ある話だ。




255: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 01:08:19.13 ID:GEdRxIvx0

「もう一つ、注意しておくことがある」
「まだあるのか、何だよ?」
「人や物を移動させられても、一目見ればすぐに分かる。しかし概念やら感情やら感覚やらが移ろうても、傍から見れば違いなぞ分からん」
「そういう術をかけられても気付くことができないってことか」
「如何にも。儂のように怪異そのものという存在ならともかく、これは人の身ではどうにもならん。もちろんお前様の吸血鬼度を極端に上げればその限りではなかろうが、そういうわけにもいかんしな」
「そりゃまあ日常生活に支障が出るのは論外だし、吸血鬼度を過剰に上げるってのは現実的じゃないな」
「であれば、お前様には悪魔の術を回避する手立てはないということになる。ましてや悪魔の術は無意識に作用するものじゃからな、術にかかっていると気付くことすらできんじゃろう。肝に銘じておれ」

 僕を睨むようにしながらの忍の警告。
その論に従うならば、やはり松木を刺激しないというのは絶対条件になるだろう。
下手に近づいて僕が標的にされることのないようにしないと、と改めて気を引き締める。

 とにかく僕がまず優先すべきは、彼女をどうやって説得するか考えることではなく、彼女が何を望んでいるのかを知ることだ。
そこが分かれば、そしてそれを解決することができれば、悪魔に頼るようなこともなくなるだろう。
と、ここでふと疑問が浮かぶ。




256: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 01:14:29.07 ID:GEdRxIvx0

「なあ忍、その悪魔って精気を奪ってはいるけど、一応は松木の願いに添って術を使ってるんだよな? もちろん良い意味ではないにしてもさ」
「うむ。まあ形の上ではな」
「なのに病気が治ってないってことは、あいつは自分の身体が治ることを望んでないのか?」

 周囲を不幸にするという問題は起こっているのに、松木の身体は今もなお生まれつきの虚弱体質や持病を抱えたままだった。
ということは、悪魔に自身の回復を願っていないということになり、それがどうにも不自然に思えるのだ。
むしろそれを一番最初に願うのが自然ではないだろうか。

「至極もっともな疑問じゃな」
「まさか本当に治りたくないって思ってんのかな?」
「その可能性は低いと思うが――しかし今は病状も安定しとるという話じゃしな。あるいはそれで別の願いが優先されとるだけかもしれんぞ」
「病気の治癒より周りの人間の不幸を願う事が優先か――いやでも悪魔のやることだし、それが本当の願いだとは限らないよな」

 そう、神原の時のように。
結果として願いが叶った形になっているだけで、彼女が望んだ事態にはなっていないという可能性もあるだろう。
実際に松木が何を一番に願っているのかは、全然想像もつかないけれど。
しかし病気の治癒か――アプローチとしては、ありかもしれないな。




257: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 01:21:48.95 ID:GEdRxIvx0

「ちなみに忍さ、お前なら――吸血鬼の血なら、松木の身体を治してやれたりとかしないか?」
「ん? 何じゃい、儂に人間の治療をせいと言うのか? 怪異の王たるこの儂に」
「いや、もちろん無理にとは言わないけど、念の為の確認だよ。吸血鬼の血なら治せるのかどうかって」
「ふん、可能ならお前様がやるつもりなんじゃろ、結局」
「そうだけど」
「まあお前様がやる分には好きにして構わんが――しかし残念ながらそれは無理な注文じゃよ。吸血鬼の治癒能力の本質はあくまでも原状回帰じゃからな。体質改善やら体質強化やらはできん。彼奴の本来あるべき状態が然様に虚弱なものであるのならば、儂らに今更できることは何もないぞ」
「そうか、それじゃあ諦めるしかないな。でもそうなると、どうやってアプローチすればいいんだか……」
「正直なところを言わせてもらえば、距離をとって近づかんようにしてほしいがのう。少なくとも解決の糸口が見えるまでは」
「それができれば苦労はしないよ」

 正確には、火憐にそれをさせられれば、だけど。
仮に僕や忍が松木にノータッチでいようとしても、火憐はきっと止まらない。
今日彼女の所に来ていたように、明日もそうするだろう。
たとえその結果、自分の身に不幸が舞い込んでくることになろうとも、躊躇うことなく。




258: ◆/op1LdelRE 2012/01/15(日) 01:25:15.05 ID:GEdRxIvx0

「ならばまずはターゲットを妹御の方に変えるべきじゃな。そも、既に関わりが生まれてしまっておるんじゃ、妹御を放置するのは如何にも不味い。深みに嵌れば抜け出せなくなるぞ」
「そうだな、まずは火憐ちゃんを止めるのが最優先だな」

 松木の問題については、何しろ情報が少な過ぎる。
僕に何ができるか考えるのは、とにかくもっと情報を集めて本当の望みに当たりをつけてからだろう。
何よりもまず僕がしなければならないのは、火憐の安全の確保なのだから。
まずはあいつと膝を突き合わせて話をすることにしよう。

「ベッドで抱き合って話をする、の間違いではないのか?」
「その可能性は否定しない」
「いやそこは否定せいよ。話が続かんではないか」
「僕はお前に嘘を吐きたくないんだ」
「なお悪いわ」

 そんなやり取りをしながら。
火憐をどう説得するかを考えながら。
逸る気持ちを抑えつつ、僕達は家路を急いだ。
まさか家に帰り着いた時に、そんな算段が全て吹っ飛ぶことになってしまうとは夢にも思わず。




264: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:01:31.74 ID:hestCFaO0

 012.

 何の前触れもなかった。
事態を連想させる、何らの兆候も気配もなかったはずだ。
しかし僕が家に帰り着いた時、既に事態は決定的に動いてしまっていた。
月火から何の連絡もなかったということは、しかし無事の知らせを示すものでもなかったということらしい。

「何だ何だ?」

 玄関を開けたその瞬間に、家の中が只ならぬ空気というか異様な雰囲気に満ち満ちていることを肌で実感した。
何よりも、耳に遠く響く怒声が。
聞き慣れたはずの二人の妹達の、しかし聞いたことのない罵り合うようなやり取りが。
今の状況が如何に尋常ならざるものなのかを、僕に嫌と言うほど思い知らせてくれていた。

 まず自分の耳を疑い、次いで自分の頭を疑い、そこでようやく何より先に行動を起こさなければならないということに思い至った。
それ程までに混乱していたのだ。
罵り合う? 火憐と月火が? あのべったりねっとりのファイヤーシスターズが? いつも一緒で、それこそ比翼の鳥かってくらいに(同性だけど)仲良しこよしなあの二人がか?
自分の正気を、世の常識を疑いたくなるくらいに、それは異質で不自然で非現実的な、まさしく非常に非情な異常事態だった。




265: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:05:53.88 ID:hestCFaO0

「何だよ! 月火ちゃんの臆病者! 根性無し!」
「何さ! 火憐ちゃんの馬鹿! 分からず屋!」

 靴を脱ぐのももどかしく、一度ならず転びそうになりながら、それでも急いで玄関から廊下を抜けてリビングの扉を開けると、部屋の中央で火憐と月火が睨み合っているという信じ難い光景が視界に飛び込んできた。
互いが親の仇を見るような目で。
共にその拳を力強く握り締めたまま。
ともすれば互いに噛みつかんばかりの勢いで。
ちょっとじゃれ合うような、たまにあるそんなやり取りなんかではなく、本気も本気な喧嘩腰。

 見下ろす火憐の視線は炎のように熱く。
見上げる月火の視線は刃のように鋭く。
引く姿勢など僅かさえ見られず。
思わず声をかけることすら躊躇してしまう程に、まさしく火花散るやり取り。
現状手が出ていないのが、不謹慎にも不思議に思えてしまうくらいだ。
僕が帰ってきたことにも気付かないのか、吐き出す言葉は益々ヒートアップしていく。




266: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:08:10.45 ID:hestCFaO0

「困ってるやつを助けてやるのが正義だろ! その心を忘れたってのかよ! 何時からそんな腑抜けちまったんだ!?」
「だからって皆に心配かけてどうすんのって言ってるじゃない! 何で分かんないのよ! そんなのでよく正義とか口にできるね! 優先順位も分からなくなるくらい馬鹿になっちゃったの!?」
「何言ってやがる! 人を助けるのに順位なんかつけんな!」
「つけるに決まってるでしょ! 当たり前の事じゃない! 周りの人達を困らせてまでするのは、もう正義でも人助けでもないよ!」
「ちょっ、ちょっと待ったちょっと待った! おい待てストップ! そこまでだ!」

 眼光鋭く睨み合いながら続くやり取りを見せつけられて、やっと気を取り直す。
じっとしてなんていられるわけもなく、とにかく割って入ってみたけれど。

「兄ちゃんは引っ込んでろ!」
「お兄ちゃんは黙ってて!」

 一蹴だった。
あぁでも、一応僕の声は聞こえているらしい。
周りが見えなくなる程に熱くなっているようにも見えたんだけど――じゃなくて!




267: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:11:43.19 ID:hestCFaO0

「引っ込んでも黙ってもいられるか! 何だよお前達、何で喧嘩してんだよ、とにかくまず落ち着いてだな……」
「これが落ち着いてなんていられるかよ! 月火ちゃんがこんなに薄情な臆病者だなんて知らなかったぜ!」
「それを言うなら火憐ちゃんの方じゃない! ふんだ、馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、まさかここまでひどかったなんてね。脳みそ何処に置いてきちゃったのよ」
「何を! 言わせておけば!」
「何よ! 私一つも間違ったこと言ってないじゃない!」
「だから止めろって!」

 火憐が月火に、月火が火憐に。
今度こそ本当に互いが互いに掴みかかろうとしたので、咄嗟に自分の身を二人の間に割り込ませることでその激突を止める。
おかげで二人の身体が僕にぶつかるわ、行き場を失くした二人の手が僕の両腕に食い込むわで散々だ。
というか、二人の爪が皮膚にかなり食い込んでて結構痛い。お前ら力入り過ぎだろう。
でもそれ以上に、この状況はすなわち、今僕が止めなかったら二人は本当に本気で取っ組み合いを始めていたことを意味しているわけで。
物理的以上に、精神的にショックを受けずにはおれない。




268: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:15:00.61 ID:hestCFaO0

「兄ちゃん止めんなよ! この薄情者は一度引っ叩いてやんないと分かんねーんだ! 邪魔するんなら兄ちゃんから殴るぞ!」
「今度はお兄ちゃんに八つ当たり? なっさけない! 正義の体現が聞いて呆れるよ。人に迷惑かけて、友達に心配かけて、お兄ちゃんを困らせて、そんな様で正義を名乗ってよく恥ずかしくないね」
「このやろ! 黙って聞いてりゃ偉そうに!」
「何よ! そういうことは一度でも黙って素直に聞いてから言いなさいよ!」
「はん、聞きたくねーな、どうせまた適当言ってあたしをだまくらかすつもりだろ?」
「だまくらかす? 何それ、どういう意味? 本気で言ってんの?」
「どういう意味も何もねーだろ、いつもそうじゃねーか。凄んで見せれば黙ると思ったら大間違いだぜ、この口だけ女」
「力尽くでしか人を黙らせられない火憐ちゃんに比べたらずっとマシじゃん、この暴力女」
「この……やっぱ一発殴らなきゃ分かんねーみてーだな」
「ほらすぐに手を出そうとする。ホント野蛮だよね。言っとくけど黙って殴られるつもりなんてないから。きっちり返すよ、三倍で」

 僕を挟んで睨み合い、僕越しに罵り合う。
刺々しさは更に鋭く、苛立ちを超えて憎々しげに。
互いが互いの為に命をかけられる程に、想い合い通じ合っていたはずの二人が。
僕の目の前で、負の感情を、言葉を、互いにぶつけ合っている。




269: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:19:24.90 ID:hestCFaO0

 これは何の悪夢なのか――信じられないし、信じたくない事態だった。
左右の眼に映る二人の姿が、左右の耳に届く二人の罵詈雑言が、遥か遠くの世界の出来事にすら思える。
こんなの見たくも聞きたくもなかった。
それでもこれは紛れも無く現実であり。
臆していても黙していても何も解決しない。どころか悪化の一途を辿るのが落ちだろう。
だとすれば、目を閉じるより、耳を塞ぐより、口を出した方が余程いい。

「おい、だから何の話なんだって。順を追って説明しろよ」
「兄ちゃんには関係ねー、これはあたし達の問題だ」
「お前達が喧嘩してるのに関係ないわけあるか、何があったんだよ一体」
「昨日お兄ちゃんとも話してたことだよ。結局火憐ちゃん、あれから一人で突っ走っちゃってたの。今日なんか学校サボってその子に会いに行ってたんだよ、信じらんない」
「信じられねえのはあの子のことを放っとけって言ってる月火ちゃんの方だぜ。困ってるやつがいるのに、それを無視しろとか。あり得ねえだろ」
「違うでしょ、動くのはもうちょっと様子を見てからにしようって言ってるの。何が起こってるのか分かんないけど、本当に危ない目に遭ってる人もいるんだから」
「じゃあ尚更放っとけねーだろ、何で分かんねーんだよ、そんなことで怖気ついてて正義の味方が務まるかってんだ」
「だから! そうじゃなくて皆が心配してるって言ってるでしょ! 火憐ちゃんこそ何で分かんないのよ。大体その子も関わらないでほしいって言ってるんだから、詳しい事が分かるまではそうしといた方がいいじゃない。変に刺激して余計に問題がこじれたらどうするつもりよ」
「じゃあ月火ちゃんはあの子を見捨てろっつーんだな!? 困ってるやつを見て見ぬふりして、自分達だけめでたしめでたしとか、そんなことできっか!」
「見捨てろなんて言ってないでしょ! ホントちゃんと人の話聞きなさいよ! 頭だけじゃなくて耳まで悪くなっちゃったの!?」
「待てって、だからお前らちょっと落ち着け!」




270: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:24:36.89 ID:hestCFaO0

 またしてもヒートアップしそうだったので、割り込んで話を中断させる。
でもなるほど、このやり取りである程度事情が見えてきた。
問題はやっぱり、あの松木茜という女の子が引き起こした騒動にあるようだ。
月火は昨日僕と話した時に約束した通り、しばらく様子見という方針で。
だけど火憐はそれを良しとせず、単独で行動を開始していて。

 勿論これだけのことなら、然程に珍しい状況ではない。
意見の食い違いなんて、こいつらの間でも少なからずあることだ。
けれど、こんなに意見を対立させて、真っ向からぶつかるような事態となると、僕の記憶の中を探ってみてもほとんど見当たらない。
ましてやこんな派手な喧嘩にまで発展するなんて。

 いつもなら、こんな風に話がこじれるようなことはまずない。
大抵の場合、月火が火憐の方針に流されるか、火憐が月火の誘導に乗せられるかして、すぐに意見が一つにまとまるからだ。
元より火憐は、一度こうと決めたことは絶対に譲ろうとしないけれど、しかし火憐がこうと決めてしまえば、いつも月火の方が折れる。
何時ぞや自分で話していたように、月火の信じる正義は火憐のそれであり、また僕のそれであると、そう捉えているからだ。
(逆に火憐が何かを決める前ならば、月火が自分に都合の良い方向に話を持って行こうとしたりすることもあるけど)




271: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:29:22.57 ID:hestCFaO0

 しかし今回は違う。決定的に、絶対的に、それこそ絶望的なまでに違ってしまっている。
なぜなら、今回ばかりは月火の方にも曲げられない理由――あるいは根拠があるからだ。
昨日僕と交わした約束が。自分の友人関係や神原といった他の人達の言葉が。
今、月火を後押ししている。

 こんな前提があってしまえば、話し合いで解決しないのも無理はない――何しろお互い譲歩する意思が全くないのだから。
そうして平行線のまま話を続けている内に、お互い頭に血が上ってしまい、ついには喧嘩にまでなってしまったということなのだろう。
間が悪いと言うべきなのか、運が悪いと言うべきなのか、あるいは性質が悪いと言うべきなのか。
例えば、昨日の内に火憐と話ができていれば。
いや、昨日でなくても、今日ここで月火とやり合うより先に火憐と話ができていれば、こんなことにはならなかったはずなのに。

 しかし今はそんなことを悔んでいる場合ではない。
出来過ぎなくらい間の悪い状況に疑問を覚えている場合でもない。
とにかく、今は二人を止めるのが先決だ。




272: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:32:47.74 ID:hestCFaO0

「事情は何となく分かったけどさ、何も喧嘩しなくてもいいじゃないか」
「言う事聞かない月火ちゃんが悪い」
「火憐ちゃんでしょ」
「だから止めろって」
「何だよ、兄ちゃんはどっちの味方なんだ?」
「お兄ちゃんも私達と同じだよ、火憐ちゃんを止める為に昨日だってずっと待ってたのに」
「兄ちゃんまで――」
「ちなみに神原さんって人もだよ。お兄ちゃんに火憐ちゃんを関わらせないようにしてほしいって言ってたんだって」
「……」

 僕と神原の名前を出されて、言葉を失う火憐。
唇を噛み締めるようにしながら、こちらを睨んでくる。
悔しそうな表情。
握り締めたその拳が、微かに震えていた。




273: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:38:19.69 ID:hestCFaO0

「……何だよ皆して。そんなにあたしのやろうとしてることはおかしいのか? あの子を助けたいって思うのは間違いなのかよ?」
「間違いとは言わないし、おかしいとも言うつもりはないぞ」
「言ってんのと同じだろ。兄ちゃんまでそんなこと言うなんて幻滅だぜ。助けてやりたいとは思わねーのか?」
「思ってるけど、まだあの子の事情も何も全然分かってないだろ。下手に動いて問題をこじらせても不味いし、まずは落ち着くまでそっとしといてやった方がいいじゃないか」
「何だよそれ、結局兄ちゃんも腰が引けてんのかよ。そんなこと言ってる間に、知らない人が不幸事に巻き込まれたり、あの子が不幸になったりするかもしれないってのに」
「それで突っ込んでいったら、今度は火憐ちゃんが危ないかもしれないだろ。それは僕だって黙ってられないぞ。月火ちゃん達もその事を心配してるんだ。それを無視するのはちょっと違うんじゃないか?」
「もういいよ! 話してても埒があかねー。あたしは自分だけで動く。兄ちゃんの手も月火ちゃんの助けもいらない。二人で仲良く日和ってろ!」

 業を煮やしたのか、話を打ち切って身を翻す火憐。
悔しさを超えて怒りも露に。
放つ言葉にもそんな感情が強く滲んでいる。




274: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:41:30.26 ID:hestCFaO0

「おい火憐ちゃん……」
「寝る! 部屋に入ってくんなよ!」

 吐き捨てるようにそう言い残すと、火憐はリビングの扉を乱暴に開け、どかどかと足音を響かせながら出て行った。
追いかけることも声をかけることもできず、僕はただ黙ったままその背中を見送ることしかできず。
程なくして、階段を上がる振動が響き、部屋を蹴り開ける音と叩きつけるように閉める音がして、ようやく静かになる。
そこで隣に視線を送ると、月火もまた怒りの表情そのままに二階の部屋辺りを見上げていた。

「もうっ! もうもうもうっ! 火憐ちゃんの馬鹿っ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!」
「おい、聞こえるぞ」
「いいよ聞こえても! むしろ聞かせるよ! 拡声器どこ!?」
「ねえよ、そんなの。本当頼むからこれ以上喧嘩すんのは止めてくれよ」




275: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 00:50:04.02 ID:hestCFaO0

 地団駄を踏む月火を何とかなだめつつ、僕も上へと目をやった。
全く、この二人の喧嘩なんて心臓に悪いにも程があるぞ。
それでなくても今回の問題には怪異が絡んでいる上に、解決策も未だに全然思いついていない状況で、更に問題が詰み上げられてしまうなんて。
本当に頭が痛くなってくる。それは僕だって文句の一つも言いたくなるというものだ。
もっともさっきのやり取りを顧みるに、今の火憐には何を言っても大人しく聞いてくれることはないだろうけれど。
散々詰られて殴られて終いになりそうですらある。

「とりあえず火憐ちゃんのことは一旦置いとけ。説得するにしろ何にしろ、まずはお互い頭を冷やさなきゃ駄目だろ」
「いいよもう! 火憐ちゃんのことなんか知らない!」
「お、おい、どこ行くんだ?」
「お風呂! ご飯は冷蔵庫にあるから勝手にチンして食べて!」




276: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 01:00:50.47 ID:hestCFaO0

 まさしく憤懣遣る方ないといった表情で洗面所に向かう月火。
乱暴に扉を開け放ち、足で蹴りつけるように閉める。
僕の食事のことを覚えていてくれたのはありがたいけれど――あんなやり取りの後だけに、全然美味しく頂ける気がしないのが、心から残念でならない。
それでも食べないわけにもいかないし、と冷蔵庫にあった自分の分の夕食を取り出して席に着く。
しかしと言おうか、やはりと言おうか。
一人で食べること自体はさして珍しくもないし、用意されていた食事もいつも通り良い味だったのは間違いないのに。
作ってくれた月火には申し訳ないけれど、何とも味気無い食事だった。

 食事を終えて程なく。
身体の熱も頭の熱も未だ冷めやらぬ、といった感じの風呂上がりの月火と入れ替わりに、僕も浴室に向かう。
この日は何故か忍が影から出てくることはなく、これまた何とも味気ない入浴だった。
いや別に忍を味わったことなんてないんだけど。
何にしても、僕の意気は消沈するばかりで、浮上の気配は微塵もなかった。




277: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 01:06:57.62 ID:hestCFaO0

「……何で僕の部屋に鍵がかかってるんだ」
「火憐ちゃんが寝てるんでしょ、放っとけばいいよ」
「放っとくって言ったってお前」

 風呂から上がって、やはりぎすぎすした空気が充満したままのリビングで、気まずい時間を過ごして。
そろそろ寝ようかと二階に上がったのだけれど、開かずの間になっていたのは僕の部屋だった。
火憐のやつ、自分の部屋でもないのに僕に入ってくるなとか言ってやがったのか。
そりゃまああれだけ派手な喧嘩をした後だから、しばらく月火と顔を合わせたくないのは分かるし、だから二人の部屋に閉じこもる訳にはいかないって事情も分かるけど。
しかしまあ寝巻は階下にあったからいいにせよ、僕は明日の学校の準備とかどうすればいいんだよ。

「ほら、寝るよ」
「いやだから――ってお前こんな力強かったか!?」

 僕の寝巻の襟首を掴み、ずるずると引きずるようにして、昨日と同じく二人の部屋に向かう月火。
内心を反映しているかのようなその力尽くの振舞いに、これは本気で怒っているなと改めて認識せざるを得なかった。
これは結構長期化してしまうかもしれない。
何とも頭の痛い話だ。
自室を自由に使えなくなるって点も含めて。




278: ◆/op1LdelRE 2012/01/17(火) 01:13:41.69 ID:hestCFaO0

「これは、さっさと解決しないと大変なことになるなあ」
「もうなってるから」

 月火のもっともな突っ込みを受けつつ、昨日と同じく二段ベッドの下段に入る。
昨日のように気分良く眠りにつけるわけではなかったけれど。
それでも暗闇の中で寝転がっていれば自然に眠気は襲ってくるようで、すぐに小さな月火の寝息が聞こえてきた。

 僕はというと、暫く天井を見上げながら善後策を考えていた。
火憐の単独行動、ファイヤーシスターズの喧嘩、松木茜という少女の身の上、その周辺で起こる不幸事、悪魔の存在。
問題はどんどん詰み上がっていくのに、解決する為に必要な情報がまだ全然出てきていないというのが本当に厄介極まりない。
四段消しを狙ってるのに、いつまで経ってもテトリス棒が出てこないような感覚というか。

 そんな思考を続ける中で、なぜか心に浮かんでくる焦燥感と違和感に気付く。
何かを見過ごしているような、何かを忘れているような。
そんな感覚が、心の片隅にいつまでも汚泥のようにへばりついていた。




287: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 00:48:48.83 ID:AkiEv/lv0

 013.

「お兄ちゃん、起きてよ。ほらほら早くってば、さっさと起きないと遅刻しちゃうでしょ、もう」

 ゆさゆさと、僕の体が揺さぶられている。
それに気付き、意識が少しずつ覚醒していく。あくまで少しずつ。
まだまだ眠気の方が優勢らしく、どうにも目覚めが遅い。
寝つきが悪かったのか、あるいは眠りが浅かったのか、揺さぶられている自分の体がまるで他人のそれであるかのように、僕の頭の反応も鈍かった。
またこう、ゆっくりと揺らされているというのが、逆に眠気を誘っているという可能性もあるだろう。
そんなことを考えてしまうと、意識はやがて睡眠の方へとその天秤を傾けてしまい――

「何寝直そうとしてんのよ! 起きろって言ってんでしょ!」
「ぐぇっ……!」

 瞬間、怒りの叫びと共に鳩尾付近へ鋭い一撃を頂戴し、一気に意識が覚醒へと導かれる。
というかむしろ覚醒を遥かに超えて、いっそ喪失してしまいそうな程の苛烈さ。
朝も早くから衝撃が体を突き抜けるというのは、久しく忘れていた感覚だった。
叶うならばずっと忘れていたかったと切に思う。




288: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 00:53:22.71 ID:AkiEv/lv0

「何よ、その蛙が潰れたみたいな声。全く大げさなんだから」
「――蛙を潰したことがあるのか、お前は」
「ある訳ないじゃん、お兄ちゃんならともかく」
「それは僕が潰したという意味か? それとも僕を潰したという意味か?」

 どちらだとしても全力で否定させてもらうけど。
それはさておき、じんじんと鈍い痛みが未だ残る部分を手で抑えつつ見上げた目に映るのは、僕の上に跨ったまま拳を握り締めている月火。
どうやらそれを僕の腹部に振り下ろしたということらしい。
いっそ潔い程に、兄に対するリスペクトというものを放棄した振る舞いだった。

 毎度の事とはいえ、こいつの沸点は低過ぎる。
そもそも人を起こす手段として、揺さぶるの次に殴るを選ぶとか、残念過ぎるだろう。
しかも躊躇うことなく鳩尾狙いとか。
本当にもうこいつは、僕を起こしたいのか落としたいのか、一体どっちなんだ。
まあどっちだとしても結果は同じなので、これは意味のない疑問かもしれない。




290: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 00:59:35.68 ID:AkiEv/lv0

 閑話休題。
しかし、寝ている僕の上に跨って体を揺らす月火、という絵面は果たしてどうなんだろう。
冷静に考えてしまうと、割と宜しくない気がするんだけど。
僕が寝ていたからまだセーフだろうか? あるいは寝ていたからこそアウトだろうか?
これは中々に判断が難しいところだ。

「馬鹿なこと考えてないで、ほら、いいからさっさと起きてってば。もう結構時間やばいんだから」
「ん? おぉ、いつの間にこんな時間に」
「お兄ちゃんが寝てる間に決まってるじゃない」
「ええい、人のせいにばかりしやがって。お前だった今まで寝てたんだろ? って、そういえば火れ……」
「あ?」

 火憐の名前を口にしようとした瞬間、物凄い目で睨まれた。
どうやら一晩経っても、こいつの怒りはまるで収まる気配を見せていないらしい。
余計なことを言ってまた爆発されても困るので、さすがに黙らざるを得なかった。
決して1オクターブくらい下がったような月火の声に気圧された訳ではないことを、兄としてのプライドにかけて誓っておこう。




291: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:08:03.91 ID:AkiEv/lv0

「と、とにかく時間がないんだろ、さっさと着替えて飯食おうぜ」
「そうだね、じゃあ部屋に戻って着替えてきたら?」
「あぁ、そうするよ」

 凍てつくような月火の目から逃れる為、じゃなくて制服に着替えて学校へ行く準備の為、重い足取りで自分の部屋へ向かう。
というかもう足取り以上に気が重い。
これで部屋に入って火憐のやつまで怒りを持続させたままだったらと思うと、吐く息まで重くなってくる。
その時は、間違いなく躊躇いなく罵倒と共に蹴りが飛んでくるだろうから。
戦々恐々としながら、中の様子を窺うようにしつつ、部屋の扉をそーっと開ける。
およそ自室に入ろうとしているとは思えないような動きで開いた扉の向こうには、しかし幸か不幸か火憐の姿は見当たらなかった。




292: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:12:59.58 ID:AkiEv/lv0

 もうどこかに出かけたのか、と一人首を傾げながら、自室へと足を踏み入れる。
乱れたままのベッドに手を当ててみたが、既に温もりはほとんどなかった。
どうやら昨日と同じく、僕らよりもかなり早く起きていたらしい。
そして僕らを起こすでもなく、放ったらかしにして、そのまま一人で家を出たのだろう。
まあ昨日の今日である。僕らと話をする気にならなかったとしても何らおかしくはない。
むしろ関わってこようとしない方が当然とすら思える。
あれだけ派手なやり取りをしたわけだし。

 しかしやはり月火と同様に、火憐もまた怒りを持続させていることは間違いなさそうだ。
思わず知らず溜息を吐いてしまう。
次の二人の邂逅を考えると、朝から本当に気が重い。
色々なものを引きずりながら、手早く着替えて学校の準備を済ませると、部屋を出て階段を下りる。
食卓へ向かうと、月火が手際よく二人分の朝食を用意してくれていた。
流し込むように取る食事は何とも味気ないが、時間もないし贅沢も言えない。
さっさと食事を終え、二人で並んで家を出る。




293: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:16:43.68 ID:AkiEv/lv0

「じゃあ月火ちゃん、気をつけてくれよ、その、色々とさ」
「心配しないでいいよ、外ではしないようにするから。皆に心配かけたくないしね」

 僕の言葉に、表面上穏やかな感じで返す月火。
それはとりあえず喧嘩はしないという意思表示ではあるものの、決して昨夜のあれを終息させようという意思表示ではなく。
あくまでもファイヤーシスターズの持つ影響力を考慮して、他の問題を起こしたりしないように努力するという意思表示に他ならず。
であれば当然、今日もまた、二人の帰宅後に神経をすり減らすような攻防が繰り広げられる可能性が非常に高いということになる。
故に必然、その時の喧騒が僕の心に容易に思い浮かんできてしまい。
自然と気持ちも気分も深く沈み込んでしまう。
まだ一日は始まったばかりだと言うのに。
とはいえしかし、今の僕にできることなんて、ただ静かに歩いていく月火の背中を祈るような気持ちで見送って、大人しく学校に向かうことくらいだった。




294: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:28:44.06 ID:AkiEv/lv0

 014.

「おぉ、阿良々木先輩ではないか」

 暗澹たる思いを抱えたまま学校へ行き、ろくに集中できないまま授業を受けて、気がつけば放課後。
妙案が浮かぶでもなく、勉強にも身が入らず、散々な一日だった。
上手く行かず、それで落ち込んで、それ故にまた失敗して、という負のスパイラル。
その惨憺たる有様には、我ながら悲しくも情けなくもなってしまう。
憂鬱な気分のまま、しかし教室に残っていても仕方がないし、と重い足取りで学校を出ようとして。
正門を出た丁度その時に、後ろから追いかけてきたと思しき神原に声をかけられた。
振り返った僕の目に映る神原の表情は、今の僕とはまさに正反対というか、いつも通りの快活さに溢れていて。
その眩しい姿に、思わず嘆息してしまう。
正直、勝手ながらその元気を少し分けてほしいとすら思ったりもした。
全く、想像以上に僕も参っているようだ。




295: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:32:18.98 ID:AkiEv/lv0

「よぉ、神原」
「どうされたのだ? 随分と元気が無いようだが」
「ちょっと色々あってな」
「ふむ、また厄介事なのか? あぁ、そう言えば後輩達から話は聞いたぞ」
「話? 何のことだ?」
「先日お願いしたことじゃないか。上手いこと説得してくれたようで一安心だ。何でも月火ちゃんだったか、どうやら彼女の方から、例の少女にはしばらく関わらないように、と皆に号令がかかったそうだ。彼女の意に異を唱えるような命知らずはいないだろうと、後輩からは聞いているぞ」
「号令って――まあでも大げさ過ぎるくらいの方が騒ぎを鎮静化し易いのかもしれないな。あんまり信じたくはないんだけど、あいつらの影響力って結構強いらしいから」
「いやさすがは阿良々木先輩の妹さんだ。一声でここまでしっかり皆の足並みを揃えさせられるというのは、まさしく能力の高さと人望の厚さの証左とも言えよう。伊達にファイヤーシスターズの参謀担当は名乗っていないな。実に見事だ」

 感心しきりといった風に何度も頷く神原。
正直月火の本性を知っているだけに、その意見に素直に賛同する気にはなれないんだけど、それでも今回あいつが上手いことやってくれたというのは信じても良さそうだ。
何にしても、これ以上の被害の拡大を防げそうだというのは僥倖と言っていいだろう。
この点に限れば、ではあるけれど。

「それはいいんだけどな……」
「? まだ何かあるのか? あるいは何かあったのか?」
「それが昨日、妹達がその事で喧嘩しやがってさ。片やその子を放っとけないから関わろうとしてて、片や被害を抑える為にまずは様子見って考えてて、結果見事に正面衝突だよ」




296: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:35:25.97 ID:AkiEv/lv0

 そうして昨日のやり取りを簡単に説明する。
身内の恥を晒すようなことに抵抗がないでもないけれど、神原も知っている火憐のことだし、他の人に言いふらすようなやつでもないし、何より僕自身誰かに聞いてほしかったのだ。
手詰まりの閉塞感に、黙ったままではいられなかったというところもある。
なので、こうして誰かと話すことで少しでも気持ちが整理できればと思い、渡りに船とばかりに話してみたわけだ。
神原は何度も相槌を繰り返し、真剣な表情で聞いてくれていた。

「なるほど、それで阿良々木先輩はそのように消沈されておられるのだな。何とも痛ましい限りだ。望むならば私が全力で慰めて差し上げるが」
「遠慮しとく、どうせベッドの上で、とか言うつもりだろ」
「うむ、野外はまだ私達には早いと思うしな」
「早い遅いの問題じゃねえよ」
「阿良々木先輩は早いのか?」
「その質問に下手に答えるのは宜しくない気がするので置いておくけど、何にしても慰められてる場合じゃないよ。さっさと問題を解決させないとな」
「ふむ、それは申し訳なかった、私がお願いをしたせいで……」
「あぁ、いや、それは違うぞ。むしろお前のおかげで月火ちゃんは止められたんだしさ。感謝こそすれ文句なんてある訳ねえよ」
「そうか、そう言って頂けると助かる」
「昨日僕もその子の様子を見に行ったんだけど、確かに何かありそうな感じだったよ。具体的なところはまだ分からないけどさ」




297: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:39:58.31 ID:AkiEv/lv0

 正確に言うと、忍のおかげである程度のことは把握できていた。
松木茜というその少女に憑いた悪魔。それにより引き起こされた災禍。
ただ神原に悪魔の話をするのは余計な負担をかける恐れがあったので、そこは曖昧にぼかしておく。
関わらずに済むならば、やはり関わらない方がいい。

「そうか、やはり怪異絡みの可能性が高いということか」
「みたいだな。まあこっちの事は僕に任せておいてくれよ。忍もいるし滅多なことはないと思うから」
「了解だ。しかし怪異が関わっているのなら、くれぐれも注意してほしい」
「分かってるよ。無茶はしないようにする――けどなあ、まあ月火ちゃんは大人しくしてくれるみたいだからいいとしても、火憐ちゃんの方が……」

 昨日の喧嘩を思い出して、また少し憂鬱になる。
今日も早朝から家を飛び出していたけれど、またあの子の所に行っているのだろうか。
僕や神原が反対していることを知ってもなお突貫しているのでは、今更僕が何を言っても無駄かもしれない。
これ以上突っついても、それこそ余計に意地になるだけかもしれないし、全くもって度し難い話だ。




298: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:46:36.67 ID:AkiEv/lv0

「ふむ、そうか、火憐ちゃんは止められなかったか。まあそれはそれで仕方がないかもしれないな。とにかく月火ちゃんや他の皆を止められたのだから、とりあえず今はそれで良しとすべきではないか?」
「ん? あ、あぁ、まあそうだな」

 何だろう、また少し違和感があった。
そう言えば、ここまでの神原との会話で、何故か全然火憐の話が出ていなかったような……?

「言って止まらぬならば、今は触れずにおくしかないだろう。下手に刺激するよりはまだ良い。ひとまず彼女のことは置いといて、阿良々木先輩、まずは自身の安全に注意を払ってほしい。今更私如きに指摘されることでもないだろうが」
「もちろんそれは気をつけるよ――ところで神原、気のせいかもしれないけど、何か今日のお前、ちょっと火憐ちゃんにそっけなくないか?」

 神原は月火とはほとんど接点がなく、火憐としか交流はなかったはず――もちろん接点が無いからといって月火を軽んじるようなことはないだろうけれど、それでもやはり心配の第一位には火憐の方が来るのが自然ではないだろうか。
なのに、今日の神原の言葉には、月火や僕に対する心配の念は強く感じるけれど、火憐に対しては余りにも淡白だ。
まるで全く交流の無い他人に向けるかのような物言いに、どうしても疑問を、違和感を、覚えずにはおれない。

「うーん、決してそのようなつもりはないのだが。ただ阿良々木先輩の話を伺う限り、それは火憐ちゃんの自業自得というところが大きいだろう。あまり強く言っても意固地になるだけだろうし」




299: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:52:43.34 ID:AkiEv/lv0

 小首を傾げるようにしながら、少し困ったような表情で神原が言う。
言っている事は分からないでもない。
事実、火憐は周りが止めても全くそれを聞かずに自分から首を突っ込んでいるのだから、確かにそれで何かあったとしても自業自得としか言えないだろう。
理屈の上ではその通りだ。
けれど、こいつがそんな言い方をすること自体が不自然な気がする。
それでも心配して世話を焼こうとするような、こいつはそういうやつだったと思うんだけど。

 やはりどうにも微かな違和感が頭を離れない。
何かが違うような、何かを忘れているような、そんな気がしてならない。
しかし、それ以上は考えが進まなかった。
何かがおかしいと思う自分と、今回はそれも仕方ないだろうと考える自分と。
思考と思考がせめぎ合い、やがて膠着状態に陥り、思索はそこで中断されてしまう。




300: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 01:58:02.76 ID:AkiEv/lv0

「まあいいか。とりあえず神原、僕はもうちょっと調べてから動いてみるよ」
「そうか、ではここでお別れだな、名残惜しいが致し方あるまい。では次は是非大人の階段を共に上ろうではないか」
「さりげなく欲望を織り交ぜんな。普通にまた明日でいいだろ」
「それでは私の個性が伝わらないだろう?」
「もう十分伝わってるから」

 そんないつも通りのやり取りで神原と別れの言葉を交わす。
その背中を見送ってから、僕も足を家の方角へ向ける。
そうして歩きながら、ポケットから携帯を取り出した。
千石に連絡を取る為だ。
正直なところ、千石を巻き込むことに抵抗はあるけれど、事が中学生の間で起きている問題で、且つ妹達から話を聞くことが難しい現状では、僕には他に話を聞ける人がいないのである。
申し訳なく思いつつも、携帯で番号を探し、通話ボタンを押した。




301: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:02:00.79 ID:AkiEv/lv0

 015.

「もしもし、暦お兄ちゃん?」

 幸いにも在宅だったようで、千石には電話をかけてすぐに繋がった。
しかし、受話器の向こうから聞こえてくる声がやや暗いような気がして、少し不安になる。
タイミングが悪かったのか、それとも何か嫌なことでもあったのか。
現状が現状だけに、些細な事でも心配になってしまう。

「いきなりでごめんな、今大丈夫か?」
「あ、うん、撫子は大丈夫だけど――」
「どうかしたのか? 何か問題があるなら言ってくれよ、僕の話はまた後でもいいからさ」
「ううん、そうじゃなくて、月火ちゃん達がね」
「あいつら、また何かやらかしたのか?」
「えっと、その、月火ちゃんと火憐さんが喧嘩してるって話を聞いたから、大丈夫かなって、ちょっと心配で」
「まじかよ……」




302: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:06:09.76 ID:AkiEv/lv0

 か細い声で囁くように言う千石。
元より争い事とは無縁の子だけに、周りでそういうことがあるというのは、ましてやそれが知り合いとなれば、やはりショックは小さくないのだろう。
本来なら僕がここで千石を気遣ってあげるべきだし、実際そうしたいとも思うけれど、でも僕は僕でかなり動揺してしまっていたので、そんな気遣いなんて全くできなかった。
全くもって申し訳なくも情けなくもなってしまう話だ。

 そんな風に沈んだ調子の千石が、それでもたどたどしく語ってくれたところによると、昨日に続いて今日も単独行動だった月火に対して、火憐のことを聞こうとした子がいて、その子がまあ大層睨まれたんだとか。
僕自身が朝に体験したことだから、その子がどれだけ震え上がったかは想像に難くない。
さてもそんな状況にあれば、二人の間で何があったかなんて、誰だって想像するより先に理解に至るだろう。

「だから今ね、学校でも結構話題になってるの。昨日暦お兄ちゃんが言ってたあの子のことも、結局月火ちゃんが一人で動いて騒ぎを鎮めちゃってたし、ファイヤーシスターズの解散危機とか騒がれてるよ」
「そんなことになってんのか――参ったな、そんな大事にはしたくなかったんだけど」
「ねえ、暦お兄ちゃん、その、本当に二人はそんなひどい喧嘩をしてるの?」
「ん? あぁ、昨夜からちょっとな。松木って子への対応方針で完全に対立しちゃって、派手にやらかしてるんだ。まだ互いに全然怒りも興奮も冷めやらぬって感じだよ。一応これは他の人には言わないでくれ」
「うん、もちろんだよ。撫子と暦お兄ちゃん二人だけの秘密にするよ。絶対に言わないから安心して」
「お、おう、そこまで気合い入れてくれなくても大丈夫だけど」




303: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:11:45.37 ID:AkiEv/lv0

 そんな二人だけとか強調されても、火憐と月火は僕達以上によく知っているんだけど。
まあ、それだけ僕の言葉を真摯に受け止めてくれているということだろうし、僕もまた紳士として無粋な突っ込みはしないでおくことにしよう。
そんな善意にケチをつけるような真似なんてするわけにもいかないし。
全く、あいつらもこれくらい素直だったら助かるんだけどな。
そんなことを考えていると、そこで千石が少し声を潜めて、あるいは眉を顰めてか、少し気になる事を口にする。

「それにしても、火憐さんもどうしてそんなに強情なのかな、意地を張ってないで謝っちゃえばいいのに」
「千石?」
「迷惑かけたり心配かけたりなんてよくあることだけど、すぐにごめんなさいってしちゃえば、そんな拗れることなんてないんだから」
「ちょっと待った、千石は何か聞いてるのか? 何で二人が喧嘩してるのかって。もしかして中学生達の間じゃ原因が全部火憐ちゃんにあるとかって話になってんのか?」
「え? 皆が心配して止めてるのに、火憐さんがそれに聞く耳持たないで暴走しちゃってるって聞いてるんだけど――あれ? 違うの?」
「いや、違うっていうか……」




304: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:17:44.45 ID:AkiEv/lv0

 受話器の向こうで小首を傾げているような気配がする。
そして僕もまた、その言葉に首を傾げずにはいられなかった。
千石はきっと、純粋に自分の得た情報から状況を判断しているのだと思う。
当然ながら、そこに悪意のようなものはない。そんな子ではない。
けれど、それで得られた結論に、どうにも違和感を覚えずにいられないのだ。

 千石はあくまでも情報の受信側である。
元より火憐や月火に対して特に悪感情を持ってもいないだろう。
しかしそんな彼女ですら、今回は火憐に非があるという結論を導き出してしまっている。
だとすれば、そもそも皆の間で流れているその情報自体に偏りがあるのではないだろうか。
そしてそれは取りも直さず、その偏りのある情報こそが、今の彼女達のコミュニティにおける共通認識だということを意味している。

 月火を擁護――というよりも火憐を非難するような、そんな空気が。
月火の行動を肯定し、火憐の行動を否定するような、そんな気配が。
今まさに、あいつらのコミュニティに――大げさに言ってこの街の中学生達の間に、広がってしまっている。
このことを、痛烈に、痛切に、痛感せざるを得なかった。
それはつまり単純な話、今の火憐には一人として味方がいないということだ。




305: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:24:00.19 ID:AkiEv/lv0

 もちろんそのことについて、火憐に原因がない訳ではない。
状況的には確かにそれに近い感じだし、決してその認識が間違っているとは言えない。
しかし、それにしたって余りに極端に過ぎないだろうか?
そもそもこの程度のことで、ここまで火憐が冷遇されるような事態になってしまうものだろうか?
僕は、何かを見落としてはいないだろうか?

 考え出すと、どうにも心がもやもやして仕方がない。
違和感と、そして同時に何かを忘れてしまっているかのような焦燥感が、昨日からずっと心に燻ぶり続けていた。
そんな風に、またしても僕が内心で思考のせめぎ合いを繰り広げている間に、千石は言葉を続ける。

「皆がそう言ってるよ。今回は月火ちゃんが正しいって。火憐さんが間違ってるって」
「そう、なのか。いやまあ確かに今回は月火ちゃんの判断が正解なんだけど――でも火憐ちゃんが間違ってるかってなると、どうなのかな……?」




306: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:27:28.67 ID:AkiEv/lv0

 最後の方は、千石への言葉というよりも独白のようなものだったのだけれど。
彼女はそうは捉えられなかったらしい――そういう意味では、これは僕が迂闊だった。
受話器の向こうで息を呑む気配がする。
が、時既に遅し。

「あ……ご、ごめんなさい」
「いや違う違う、別に千石を責めてる訳じゃないよ。ちょっと気になっただけだから」
「うん、でも、その、ごめんなさい」

 慌てて否定したけれど、千石の声は少しずつ小さくなっていき、終いには消え入りそうになっていた。
その申し訳なさそうな響きに、少し胸が痛む。
今のは僕の失言だろうに、何とも申し訳なくなってくる。
本当に千石を責めている訳ではないんだけど……

 しかしどうにも上手くいかないというか、昨日からずっと僕の調子は狂いっ放しだった。
勉強にも身が入らないし、詰まらないミスばっかりするし、いいアイデアも浮かばないし、思考も全然まとまらないし、何をするにも集中できず、挙句の果てに周囲への気遣いすら希薄になっている。
反省しないとな、本当に。




307: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:29:31.89 ID:AkiEv/lv0

「ごめん千石、僕が悪かった。さっきの事は本当に気にしないでくれ。とにかく状況は分かったよ。僕も今回の問題は早いこと解決させたいからさ、ちょっと協力してくれないか?」
「え、うん、それはいいけど、撫子で力になれるかな?」
「ああ、とにかく今は情報が欲しいんだ。松木って子があんなことを言い始めた理由とか、何を望んでいるのかとか、それが分かるヒントになるような。どんな小さな事でもいいから、何か知ってる事があれば教えて欲しい」
「知ってる事? でも、昨日お話したことくらいしか撫子も知らないの。その、お友達ってわけでもないし」
「うーん、そうか、それじゃあ仕方ないか」
「あ、でも……」
「ん? 何か思いついたか?」
「えっと、暦お兄ちゃんが必要としてる情報じゃないかもしれないけど、その子、今日からしばらく学校をお休みするみたい。検査入院だって聞いたけど」
「検査入院?」
「うん、詳しくは分からないけど、そうなんだって。だから皆、当分会う事もないねって、そういう話をしてるよ」




308: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:34:06.40 ID:AkiEv/lv0

 千石の言葉に、改めて考えてみる。
果たしてこの情報は、僕らにとって吉報なのか、あるいは凶報なのか。
被害の拡大を防ぐという点においては、きっと良いことだと思う。
月火の号令と重なって、これで積極的に関わっていこうとする人はもう出てこないだろうし。
もちろん月火も、そして千石も、あるいは神原も、そんな僕に近しい人達にも、これ以上害が及ぶ危険はほとんど無くなった。
その点では、まずは一安心と言ってもいいはずだ。

 だけど、どうにも嫌な予感が拭えない。拭いきれない。
検査入院という話だけど、もちろんそれが定期的なものであるなら問題はない――が、もしそうでなければ?
これが表向きの理由でしかなく、実際は病状の深刻化を意味するものだったら? その為の入院だったら?
そして僕は、そうなる可能性があることを知っている。それを導き得る事態が存在することを知ってしまっている。
もしも松木が、何か規模の大きな、あるいは範囲の広い、そんな新しい願いを持ってしまっていたら、それを悪魔が聞き届けていたら――
その危険がある以上、やはりあの子を放置してはおけないだろう。
しかしそうは言っても、アプローチする方法が未だ見つからない現状では、結局打つ手がないのは同じだ。
僕が迂闊に近づいて彼女を刺激してしまえば、それこそ誰に累が及ぶか分かったものではない。
さて、どうすればいいだろうか?




309: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:38:37.34 ID:AkiEv/lv0

「暦お兄ちゃん?」
「あぁ、悪い千石、ちょっと考え事してた。とにかく話を聞かせてくれてありがとう。参考になったよ」
「ううん、こんなことで役に立てるなら」
「それと今更言うまでもないかもしれないけど、問題が解決するまでは、千石もその子になるべく近づき過ぎないようにしてくれ」
「うん、怪異が関係してるなら、撫子が何かしようとしても暦お兄ちゃんの邪魔になっちゃうもんね」
「ごめんな、また解決したら教えるから」
「分かった。暦お兄ちゃんも気をつけてね」

 千石との通話を終えて、携帯をポケットに入れる。
多少なり情報を入手できたとは言え、まだ事態の解決には遠い。
月火や千石達がこれ以上この問題に関わることは無さそうだというのはいいにしても、肝心の解決方法は未だ全く思いつかないのだから。

 それから家へと向かって歩きながらも、思考は続けていた――が、やはりどうにも上手くまとまらない。
心の中がざわつき、焦燥感と違和感が混じり合い、暗く濁ってゆく様な感覚。
考えようとしているのに、その思考が的外れな方向へ逸れてしまっているような。
悩んでいるのに、その悩みの内容がぼんやりしてしまっているような。
重大な問題のはずなのに、些細な問題を前にしているかのような、そんな緊張感と集中力の欠如。




310: ◆/op1LdelRE 2012/01/23(月) 02:46:48.85 ID:AkiEv/lv0

 もやもやした気分を抱えながら、緩慢な思考を続けながら、一人道を歩く。
何かが違うような、何かを忘れているような、何かが引っかかるような。
そんな違和感と焦燥感が、頭にこびり付いて離れない。
でもその正体が分からない。
そんな思考を、もう幾度となく繰り返している。
何が分からないのか、何で分からないのか、考えれば考えるほどに混乱してしまう。正に袋小路。
解決すべき問題を前にして、それに取り組むでもなく傍観しているような気分がして落ち着かない。
哲学者でもあるまいに、僕は何を悩んでいるのかと、そうしてまた思考が脱線していく。

 何かがおかしい、でも何がおかしいのかが分からない。
そんな疑問の堂々巡りを続けている内に、気がつけば日暮れ。
妙な違和感と焦燥感を抱えながらの帰宅。
事態はなお動かず、僕はなお気付かず、ただ時間だけが無為に過ぎてしまっていた。




319: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:20:00.42 ID:xbngZ8B+0

 016.

 明けて次の日。
休日ということもあり、目覚ましをかけることなく寝ていたのだが、普段とそう変わらない時間に眠りから覚めてしまった。
重い瞼に重い気分、鈍い思考と鈍い動き、どうしようもなく憂鬱な目覚め。
そんな覚醒とあっては、すぐに体を起こす気にもなれず、まるで頭も回らず。
梅雨時の空よりもどんよりした気持ちで、しばらく天井を見上げていた。
悪夢にうなされたような記憶はないんだけど、あるいは忘れているだけで、もしかしたら嫌な夢でも見ていたのかもしれない。
もっとも寝入りの時からして気が重かったのだから、寝起きでそうなってしまうのも、まあ頷ける話ではある。

 昨日、悩んで頭を抱えながら帰宅して、それからも散々だった。
火憐と月火はなお冷戦状態で、互いに一言さえ言葉を交わすことなく、険悪なムードを隠そうとすらせず、たまに顔を合わせれば睨み合いになり。
一触即発というそんな状況に、僕はずっとはらはらしっ放しだった。
二人が接近する度に緊張を強いられてしまい、身体より心の方が疲弊してしまったくらいだ。




320: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:23:52.50 ID:xbngZ8B+0

 両親にも色々と聞かれたけれど、まさか本当の事を言う訳にもいかず、とにかく曖昧にぼかすしかなかった。思春期だからとか何とか。
もちろんその説明で納得したわけでもないだろうけど、それでも姉妹が喧嘩しているくらいの事で逐一口を出すつもりはないようで、両親の方は一応しばらく静観することにしてくれたらしい。
突っ込んだ所を聞かれなくて済んだのは良かったけれど、結局事態がまるで解決の見通しも立っていないということに変わりはなく。
板挟みの状況に、僕は一人神経をすり減らしながらの夜を過ごしていた。
世に言う中間管理職という役職にいる人達は、こういう気分を日々味わっているのだろうか。
だとすれば、よくぞそんな苦行に耐えているものだと、尊敬の念を覚えずにはいられない。

 しかし実際、火憐と月火の間で散らされている火花へと身を投じるというのは、物凄いストレスだった。
それこそ野生動物なら即座に逃げ出すんじゃないかってくらいに剣呑な空気。
とても話や説得なんてできるような雰囲気ではなく、どころか火憐に至っては目が合えば僕をも睨みつけてくるのだから。
そんな状況とあっては、こちらとしてももう接触すること自体を諦めるしかなく、近づくという選択肢すら頭から完全に放棄していた。

 全く、吸血鬼だてらに頭も胃も痛くなってくる話である。
月火は火憐を無視し、僕は火憐を放置し、火憐もまた僕らに近づいてくることはなく。
ぎすぎすした空気には閉口し、意地を張り続けている火憐には開いた口が塞がらない。
自分達の家なのに、居心地の悪さに全然気が休まらなかった。
眠りにつくまでずっとそうだったのだから、夜が明けた所で何も変わってはいないだろう。




321: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:26:51.55 ID:xbngZ8B+0

「はあ……」

 今日これからのことを思い、知らず零れる溜息。
しかし溜息をつくと幸せが逃げるとは言うものの、そもそも溜息をついてしまうような心境の人間の中に、逃げるほど幸せが残っているものなのだろうか。
というか、逃げ出すだけの幸せがある人間なら、そうそう溜息なんてつかないような気がするんだけど。

 そんな馬鹿なことを考えていたところで、不意に腕に鋭い痛みが走る。
反射的に視線を向けると、月火の手が僕の腕をがっしりと掴んでいた。
皮膚に爪が食い込む程に力が込められたその手は微かに震えていて。
眉根を寄せる寝顔に浮かぶその表情は、はっきりと苦悶の色に満ちていて。
食い縛るようにしている口元から漏れる呻きに、はっと気を取り直す。

「どうした月火ちゃん! おい! 大丈夫か!?」




322: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:31:00.00 ID:xbngZ8B+0

 珍しくも僕が妹を起こすという構図がそこにあったが、もちろんそんなことに気を回す余裕なんてなかった。
掴まれていない方の腕で、月火の肩をゆさゆさと揺さぶる。
ここまで月火がうなされる姿なんて見た記憶はない(いつも僕が起こされる立場だったというのもあるけれど)。
なので正直なところ、僕はみっともないくらいに取り乱してしまっていた。
何しろ体調に異常がある可能性を全く考えられなかったのだから。

 とはいえ、今回はその行動は正解だったらしい。
ややあって、ゆっくりと月火の瞼が開き、僕の目に焦点が合わせられる。
強張っていた体からも、少しずつ力が抜けていく。
そこでようやく僕の腕も解放され、血が通うような感覚が走る。どれだけ全力で握り締めていたのやら。

「お兄ちゃん……?」
「どうしたんだよ、月火ちゃん。随分うなされてたぞ」

 一つ瞬きした後、掠れたか細い声で僕を呼ぶ月火。
繰り返される呼吸は荒く、重そうな瞼の奥の瞳には疲労の色が濃く、汗もびっしょりかいていて、前髪は顔に張り付いてしまっていた。
とても一晩ゆっくり寝たとは思えないような姿だ。
心配になり、汗ばんだその頬を撫でてやりつつ、瞳を覗き込むようにしながら声をかけてみる。




323: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:34:34.51 ID:xbngZ8B+0

 全く頭が働いていないらしく、無言のままそれから何度か瞬きを繰り返していた月火だったが、少しして僕の胸元に転がってきた。
何も言わずに腕を僕の背に回し、目を閉じて顔を胸に押し付けてきて。
そしてそのまま、ぎゅっと僕の体を抱きしめてくる。
背中を掴む月火の手は、微かに震えている気がした。
傍で見ているこちらの方が不安になってしまうような所作。

「おいどうした? 大丈夫なのか? 何なんだよ、嫌な夢でも見たのか? まさか体の調子が良くないのか?」
「……分かんない」
「は? 何だって?」
「だから分かんないの! よく分かんないけどやな気分なの! しばらく黙ってて!」

 僕の体を抱きしめたまま、甲高い声でキレる月火。
というか、何でその矛先が僕に向けられているのかが分からない。
まあその声の調子を聞く限り、体に異常があったとかではなさそうなので、その点は一安心だけど。




324: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:38:07.38 ID:xbngZ8B+0

 しかしどうやら相当嫌な夢を見たようだ。
その内容を覚えていないというのは、言葉通りなのか言いたくないだけなのか。
まあこいつが見た夢の内容についてはともかく、その原因は容易に想像できる。
それはきっと、僕と同じだろうから。

 火憐との不和――思った以上にこの事実は、僕らの心に大きな負荷をかけてしまっているらしい。
一つ屋根の下で暮らしている人間とぎすぎすしていれば、それは負担になって当たり前ではあるにせよ。
これは何とか早いこと解決させないと、本当に体調にも障ってきそうだ。
精神的にもしんどいことこの上ないし。

 胸元でうーうー唸っている月火の頭を、そっと撫でてやる。
怒るかなとも思ったけれど、特に何も言ってくることはなく。
しばらくそうして過ごしている内に、どうにか心が落ち着いてきたようで。
一度ゆっくりと大きな深呼吸をしてから、マーキングする動物よろしく、月火が僕の胸に頭や頬を擦りつけてくる。




325: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:42:56.85 ID:xbngZ8B+0

「はぁ……あーもー最悪。超最悪。何この気分。むかむかしてくる。何で休みの朝からこんな気分になんなきゃなんないのよもー」
「ぐりぐりすんな、地味に痛いから」
「何だろこれ、凄いやな感じ。悪い夢とか最近全然見てなかったのに。ていうかいい夢見ることの方が多かったのに。何なのよホントにー」
「まあ忘れとけって、嫌な夢のことなんか。ほら起きるぞ」
「えー、いいじゃない、もうちょっとごろごろしてようよ、折角の休みなんだし」
「休みだからこそ、だらけててどうすんだって話だろ。大体僕は受験生なんだぞ」
「何よ、偉そうに優等生ぶっちゃってさ。ぶっ飛ばすよ?」
「物騒なこと口走ってんじゃねえよ、人の胸に頬擦りしながら。しかも手でも撫で回してるとか。どこの痴女だよ、お前は」
「ちょっと人聞きの悪いこと言わないでよね。これはあれだって、ただ妹として兄の成長具合が気になっただけだよ」
「それはだけと言い切っていいことなのか?」

 その発想は、兄を持つ妹として些か斬新過ぎる気がする。
もっとも第三者的観点から見れば、僕が言えたような立場じゃないって気もするけど。
きっと正しく五十歩百歩だろう。
これ以上突っ込んでも墓穴を掘るだけだろうし、とりあえず棚に上げておくことにする。




326: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:48:59.08 ID:xbngZ8B+0

 しかしまあ、相も変わらず僕達は一体どこに向かっているのだろう?
果たしてこのまま進んで良いものかと、ちょっと不安に思わないでもない。
とか、そんな下らないことを考えている間も、僕の胸を撫でる月火の手の動きは止まっていなかった。
男の胸なんて撫でて何が楽しいんだろうか? あるいはもう僕が月火の胸を撫でてやるべきなのか?
そんな風に僕が結構な疑問を抱えている内に、月火がちょっとうっとりしたような表情で小さく頷く。

「うん、でもなかなかいい体してると思うよ、お兄ちゃん。適度に鍛えられててさ。これなら九十点以上を上げてもいいかな」
「そんな評価はいらない」
「照れなくてもいいのに」
「照れてなどいない」
「デレればいいのに」
「何でだよ!?」

 今のやり取りのどこにデレる要素があったよ?
というかデレるの僕かよ。益々もってあり得ないだろ。
本当にこいつは勢いだけで何を口走ってやがるのか。
しかし最近気付いたことだけど、寝起きの月火って頭が変な方向に暴走してるよな。
とんだアイドリングもあったものだと思う。




327: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:53:37.72 ID:xbngZ8B+0

「あー、何か喋ってたら目が冴えてきちゃった」
「いいことじゃねえか、じゃあ今度こそ起きようぜ」

 最後にぽんぽんと背中を優しく叩いてやって、僕の方から体をずらしてさっさと起き上がることにする。
うつ伏せの状態でまだ不満げな声を上げていた月火だったが、それでもさすがに諦めたらしく、小さく溜息を一つ。
気怠げな様子で頭を上げ、そこでようやく体を起こす動作に移る。ゆっくりと。

 何気なくそちらへ視線をやり、そこで初めて月火の状態に気付き、思わず絶句してしまう。
どうやら今日は相当寝相が悪かったらしく、浴衣の前が完全にはだけてしまっていたのだ。
それはもう、帯がなかったら全部ずり落ちてたんじゃないのかってくらいに。
実際それは既にもう服の体を為してはおらず、ほとんどパンツ一枚と変わらない姿である。
だというのに、こいつは胸を隠す気も胸元を直す気も全く無いようで。
あられもない格好に恥じ入る様子など微塵もなかった。
いやもう本当に言葉も無いわ。




328: ◆/op1LdelRE 2012/01/25(水) 23:57:57.44 ID:xbngZ8B+0

「何? 私のおっぱいがどうかした?」
「どうかしたというか、まずその質問がどうかしてるというか。つーか気付いてるんなら直せよ。丸出しだぞ」
「そう言うわりには視線固定されてるよね。そんなに気になるんだ。見たいんなら素直にそう言えばいいのに」
「馬鹿言え、そんなわけあるか。これはあれだ、ただ兄として妹の胸の成長具合が気になっただけだ」
「それをだけって言い切れるのも凄いと思うよ」

 至極もっともな指摘だった。因果応報とはこのことか。いや多分違うけど。
とは言え、当の本人がそれを気にした様子でもないので、ここはさらっと流しておいた方がいいだろう。
と、そこでようやく月火も浴衣を直し始めた。
特に隠すわけでもなく、別に見せようとしているわけでもなく、何というかごく自然に。
結婚二年目の夫婦でもあるまいに、もう少し恥じらいというか、ちょっとぐらい気にしたらどうなんだと思わないでもない。
まあ風呂上がりに半裸でうろつくようなやつだし、家の中で無防備なくらいなら特別問題視する程のことでもないのか?




329: ◆/op1LdelRE 2012/01/26(木) 00:04:14.19 ID:X9pkvxlo0

 しかし改めてその胸部をじっくり眺めてみると、やっぱり前に見た時より成長しているなと確信する。
もちろんまだまだ羽川とかと比べられるような世界には程遠いとはいえ、それでもこれは、そこへ近づく為の価値ある一歩だと思う。
果たして伸び代がどれだけ残されているかは分からないけれど、兄としてこれからもずっと見守っていこうと改めて心に誓った。

「やっぱり何か邪な思考を感じるんだけど」
「気のせいだ。いいからシャワーでも浴びてこいよ。汗びっしょりだぞ」
「それはお兄ちゃんもだよ。何? もしかしてお兄ちゃんも嫌な夢見たの」
「多分な、よく覚えてないけどさ」
「ふーん、何でだろね、二人揃ってなんて。まあ今更どうでもいいか。じゃあお風呂行ってくるね」
「そうしろ、僕は後でいいから」
「何なら一緒に入る?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、さっさと行ってこい」




330: ◆/op1LdelRE 2012/01/26(木) 00:12:41.83 ID:X9pkvxlo0

 そうして先に月火を風呂にやり、上がってきた所で交代して僕もシャワーを浴びる。
汗を流したところで、ようやく人心地ついた気がした。
風呂上がりに遅めの朝食をとり、二階に上がって自室に入ると、当然と言おうか、既にそこに火憐の姿はなく。
思わず知らず、小さな溜息が零れる。
きっと今日も、昨日までと同じように一人で動いているのだろう。
それに気付き、浮かんでくるのは呆れの気持ち――が、それと同時に何故か焦燥感も心に湧き上がってくる。

 軽く首を振って気を取り直すと、手早く外出の準備をする。
特に当ても無く、見込みも望みも薄いとはいえ、こんな状況で部屋で大人しく過ごすなんて到底無理だ。
全然心が落ち着かない。
勉強道具を鞄に詰めて、部屋を出て階段を下りる。
リビングを覗くと、月火が一人でソファに座って、何かの雑誌を読みつつ寛いでいた。
と、声をかける前に僕に気付き、顔を上げてこちらに視線を向けてくる。

「お兄ちゃん、お出かけ?」
「ああ、図書館行ってくる」
「行ってらっしゃい、勉強頑張ってね」
「おう。それじゃ留守番よろしくな」




331: ◆/op1LdelRE 2012/01/26(木) 00:17:14.92 ID:X9pkvxlo0

 もちろん図書館に勉強に行くというのは表向きの理由だ。
実際には事態解決の方法を考える為の外出である。
もし今回の件でまだ僕が動いていると知ったら、それがまた月火を動かす引き金にもなりかねないし。
その意味では勉強に出掛けるというのは、疑われる危険の少ない実に良い口実だった。

 そうして家を出て、一人で図書館へと向かう。
その道すがら、頭はずっと今回のことで一杯だった。
何をすればいいのか、何をすべきなのか、何ができるのか。
松木は何を望んでいるのか、どうすればそれを知ることができるのか。
そして、一体どうすれば事態を解決できるのか。

 しかしやはり、考えはそこから先に進んでくれない。
昨日までと同じく、思考に全然集中できていなかった。
まるで心の中に僕の思索を邪魔する何かがあるかのように、思考はずっと停滞し続けていて。
身も心もただ、惑い、迷い、彷徨い、戸惑い、揺蕩い、流離い、ぐるぐると同じ所を回っていた。
頼りなく、さながら迷子のように。










元スレ
SS速報VIP:月火「火憐ちゃんも、お兄ちゃんのことどうこう言えないよね」