腹ペコシスターに愛の施し──具体的には餌付けをするシリーズです。
時間軸としては本編に位置していて、第二部と言ったところです。第二部は中二病要素マシマシになります。苦手な方には申し訳ありません。
ラストがやっぱりなんちゃってシリアスですがあんま気にしなくってOKです。
よろしければ是非。よろしくお願いします。
2: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:32:12 ID:bOw
【オードブル:恋人特権】
◇
階段を上り屋上へ出ると、澄み渡るような空が待ち構えていた。
最近ぐんぐんと増してきた熱気が顔に刺さる。
ごくりと唾を飲み、ぷはあと息を吐く。
たいした理由もないのに、必要以上に感傷的になる。夏だから、それも仕方のないことだ。
実際は休日だというのに、たまった書類を片付けるという名目で出勤という、なんとも格好のつかない事実があるのみである。ついたため息には、一言では説明つかない様々な感情が織り混ざっている。
金網の向こうには、並び立つ白いビル群と、それを取り囲むように植えられた緑があった。
人が人形のように蠢いている。よくできたゲームソフトと区別がつかないような、現実の中の非現実の一端が、確かにそこにあった。
風が吹くと、街の匂い──それはひどく人工的だ──が鼻をくすぐる。
そして────からん、からんと、金属が転がる音が聞こえた。
「あら────いい風、ですね。」
「いや、いい風、とかではなく。何してらっしゃるんですか、高垣さん。」
「……晩酌?」
「……可愛く言ってもダメですよ。大体今真っ昼間なんですが。」
「あら、可愛いだなんて。プロデューサーさん、お上手ですね。」
「都合のいいところばかり取らない……ってうわっ!? 何本飲んでんですか!? にー、しー、ろー……しかもワインまで!?」
「……えへ。」
「小首を傾げながら新しい缶を開けないでください!」
「開いてしまったものを無駄にするのは良くないですよね……空けるまで、飲んでもいいでしょうか?」
「……マジでそこまでにしといてくださいよ……」
「はーい。」
……そう言って彼女──高垣楓は腰に手を当て、缶底を天へと傾けながら一口、二口とビールを流し込んでいく。
「っっっっっはぁーーーー!」
……やってる行為自体はその辺のおっさんと変わらない……いや、比較しても酷いだろう。
どこのおっさんが正午になろうかという時間帯から、勤務先のビルの屋上でビールをかっくらっているというのか。おっさんは元気に真面目に頑張ってるんだよ畜生。おっさんの取り柄はそんくらいしかないんだよ畜生。
「……でも、プロデューサーさんはあまりおっさんという感じもしませんよ?」
「急に心を読まないでください!?」
「ゆっくりならいいんですか?」
「ダメです」
「むう。もう、意地悪ですね。」
「そもそも心を読めることを想定していないんですよ。」
「でもプロデューサーさん、わかりやすいですよ。それこそ、事務所で一番じゃないかってくらい。」
「本当に!? え、あの熊みたいな男よりも!?」
「砂川さんは……まあ、同点ですね。」
マジか。アイドルが昼から飲んだくれているよりもそっちのがよっぽど衝撃なんだが。
え、本当に? もしその認識が事務所一般に広まっているならば早急に対策を考えねばならない。……むう。今度から少し低い声で喋ってみるか。大人っぽさが出るかもしれない。
そんなくだらないことを考えているのが伝わってしまっているのだろうか。くっく、と高垣さんが小さく笑う。そして脈絡なく、今の俺に対する豪速球を投げ込んできた。
「そういえば、クラリスちゃんとはご一緒じゃないんですか?」
「シスターですか? 彼女は今日はオフなので……」
「はい、存じています。ですからプロデューサーさんも、どうしてこちらにいらっしゃってるのかなぁと」
「……お仕事ですから。」
──強引に話を終わらせたが、それにしたって下手な話の持って行き方だ。
頭は暑さにやられそうなのに、背中には冷や汗がだらだらと流れる。
「プロデューサーさん、クラリスちゃんとはデートとかデートとかデートとか、行かれたんですか?」
「……まあ、えっと。」
それなりには。と言ったものの、思い返せば思い返すほど、具体的な記憶が浮かばない。焦りはさらに加速する。
あの冬の日──お互いの想いを伝え合ってから、はや数ヶ月。
「彼女がアイドルを終えるまで。」
そう言った俺の思いは、まだ変わっていない。……変わってはいない、のだが。
どうも周りからのアプローチというかヘルプというかプレッシャーというか、そういう”お節介”は日に日に増すばかりだ。
まあ、周りには「お互いの想いを確認しました」としか伝えていなんだから、当然なのだけど。
それにしてもあの日以来、実に多くのアイドルから冷やかしまじりの祝福の言葉をもらうようになった。それだけ周りから見れば俺たちの心のあれこれはダダ漏れだったということか。……むう。確かにわかりやすい……のかもしれないな。気をつけねば。
「……まあ、今日はシスターにとっても久しぶりの休みですから。しっかり休息をとってもらえればな、と。」
高垣さんは、ご機嫌そうな表情はそのまま、少しだけ目を細めた。
──それだけで視界に映る温度の色が変わった気がする。名実ともに「トップアイドル」の名を恣にする彼女だからこそ為せる技だろう。
彼女は髪をかきあげる。夏の太陽がそれを絵画にし、夏の風がそれを音楽にした。
「──好きな人と一緒にいられる以上に、心が休まる時なんてあるんでしょうか?」
「────。」
……この人は、なんでか、こう。
心にくるというか、本質を突くというか。
正直、だからなのか。
まっすぐ、射抜くような瞳で俺を見つめる。
それに気圧され、言葉を発することができない。
そのまま数秒間見つめあったまま、ようやく俺はなんとか息を吐き出し、降伏の姿勢を取った。
「──電話、出てくれますかね……」
「──待っていると思いますよ」
「そうですかね……」
「ええ、きっと。」
……その言葉には、確信めいた力強さがあって。
それに背中を押されるように、俺は彼女の番号をタップする。
呼び出し音が鳴る。
その最初の音が全てを奏できる前に、不自然にその音が鳴り止んだ。
「……はい、プロデューサーさん……?」
「……シスター。今、いいですか……?」
「はい……?」
「シスター、今、何をやってますか。」
「……プロデューサーさんと、お話をしています……。」
「そうですね……俺が電話する前は、何を?」
「……えっと……」
「あ、もしかして、お取り込み中でしたか? そうだったら、すいません……!」
「あ、えっと、その……」
「────?」
「え、えっと……ぷ、プロデューサーさんのことを、考えていました……。」
「────────。」
思わず、左手で顔の下半分を覆ってしまう。
喉の奥がきゅうと締まる。耳鳴りがしているような気がする。
下唇を、強く噛む。何度も何度も強く噛む。
舌が閉じられた口を割る。もにょもにょとしているうちに、ほおの筋肉が自然に上へ上へと引っ張られる。
ヤバい。止まんねぇ。
「プロデューサーさん……?」
彼女が、何も言葉を発さない俺を心配するように声を出す。
違うんです、シスター。喋らないんじゃなくて、そうじゃなくて──。
それでも、なんとか心を落ち着ける。俺のすることで彼女を不安になんてさせたくないし。何より、俺が彼女を笑顔にしたいんだ。
これは、エゴかもしれないけど。
でもきっと、俺が幸せに思うことが、彼女にとっても幸せであると信じて──結局、そんな思い上がりこそが恋人の特権なのかもしれない──言葉を作って紡ぐ。
「……シスター。今から事務所、来れませんか?」
「事務所ですか……? はい、大丈夫ですが、急なお仕事が入ったのでしょうか……?」
「──いや。会いたいんです、俺が。シスターに。」
「──────。」
「来れ、ますか──?」
「行きます──!」
「……今日は、ドイツ料理を作ってお待ちしています。ビールにも合う、美味しいやつを」
「わぁ……! 楽しみにしています!」
そう言って、電話は切れた。
電話を持った腕をだらりと下げる。瞬間、視界が開けた気がする。
そこに彼女はいないはずなのに。
彼女を思っただけでこんなにも、自分の感覚が洗練されていくなんて。
昔の自分だったらわからなかったな、絶対。
「──クラリスちゃん、来られるんですか?」
全部わかっているのに(なにせ目の前で全部会話を聞いていたのだ)、いかにも何かがありましたか、なんて言いたげな雰囲気で彼女が話しかけてくる。
まったく、彼女の掌の上で踊らされているな。でも、今回はきちんとお礼申し上げねばなるまいか。
「ええ。高垣さん、ありがとうございました。」
「私は何も。ただお酒を飲んでいただけですから」
「いえいえ、そんなことは……ってあれ!? それさっきと違う缶……また開けたんですか!?」
「……ふふっ。」
「可愛く言ってもダメです! 今度という今度はごまかされませんよ!」
「そんなぁ。」
「くっ……これで幾多の人間が甘やかしてきたのでしょうが、今日の俺は引きませんからね!」
「……いじわる。」
「……今開けたのは、ここで飲んじゃダメです! ……今からビールに合うおつまみ作りますから。」
そう言うと、彼女の表情がぱあと明るくなる。その少女性は得ようとしても得られないものだ。天性の素質と形容してしまえば話は早いが、簡単な言葉で額縁を与えてしまうのが失礼だと感じるくらい、彼女の持つ空気感は世界と隔絶したもののように感じられた。
「ドイツ料理を楽しみにしているやつは、どこのどいつだー。はーい、私です。」
……まあ、こんな点も含めて、彼女らしいといえば彼女らしいのだ。
これが高垣楓。うちのプロダクションの誇るトップアイドルにして、時代をも超える歌姫。
その素顔の一端が、確かにここにあった。
【メインディッシュ:ホッペルポッペル】
◇
さて、今日はビールにもぴったり朝ごはんにもぴったり、いろんな場面で大活躍する「農家のオムレツ」こと『ホッペルポッペル』をつくろう。もしかしたら、バウエルン・フリューシュトックと呼ぶ方が一般的かもしれない。まあ、それは置いといて。
早速作っていこうか。今回は酒飲みもいるしシスターもいるから、四人分くらい作っておけば大丈夫かな……
◯
────じゃがいもを二個、よく洗ってからラップに包み、500W で 5 分 30 秒ほど温める。火傷をしないように取り出し、皮がついたまま 1 cm くらいの大きさに角切りにする。
皮は剥いても構わないが、個人的には、皮がある方がホクホク感が増すように思う。そこは個人の好みだ、いろいろ試してみてくれ。
────次に玉ねぎ二分の一を微塵切りにする。小さい玉ねぎなら一個分使っても構わない。
────さらにベーコン二枚を 1 cm 幅に切る。角切りのベーコンがあれば、それを使った方がじゃがいもとの相性も良く、より美味しくいただけると思う。でも、スライスした薄切りのやつでも十分美味しい。
────ボウルに卵三個を割り入れ、塩ひとつまみ、コンソメ小匙 1、牛乳小匙 2(まろやかな風味が好きならば大匙 1ほど)を入れ、混ぜる。……秘密だが。ここに隠し味として「白だし」を小匙半分ほど入れることで、風味が劇的に良くなる。
和風料理に用いられる白だしだが、実は洋風の料理にも合うのだ。特に卵料理。
────フライパンにバターを 10 g 落とし、温めて溶かす。バターが全部溶けたら、弱火にしてじゃがいもを炒める。この時、焼き色をつけたいのであまりじゃがいもを動かさないのがポイントだ。表面に少し焦げがついてきたら、一度じゃがいもを取り出す。
ただし、面倒ならそのまま続けても構わない。
────さらにフライパンにサラダ油を小匙半分ほど入れる(じゃがいもが入っている場合は必要ない)。そして玉ねぎ、ベーコンの順にフライパンに投入し、よく炒める。動物性の油は、他の油が存在するとそれに触発されてよく油を出すようになる。理由は……よく知らない。
────玉ねぎが飴色に変わったくらいのタイミングで、卵液を投入する。三秒だけ火を強火にしてから、切ってしまう。あとは余熱を使って、卵をオムレツ状にまとめる。最後にブラックペッパーを一振り……二振りくらいしようか。これで、出来上がり。
────ドイツの農家風オムレツ、「ホッペルポッペル」だ。
○
「──さ、高垣さん、できましたよ」
「わぁ……! いい香り。それにボリュームもたっぷりですね。」
「はい。家飲みだったらこの分量で三時間半いけますよ。ソースは俺です」
「プロデューサーさんも、家飲みとかなさるんですね。」
「まあ。でも俺発信じゃなくて、熊からお誘いがかかってくるんですよ。」
「本当に、仲がよろしいんですね。」
「腐れ縁ですよ。一緒にいいことも悪いこともしたんで。」
「……私、お二人を見ていると、すごく羨ましくなることがあるんです。腹を割って話せると言うか、心の裏側まで知り尽くして、隠すなんて行いに意味がなくなる間柄に。」
「……ま、まあそう言われると少し気恥ずかしいですが……そんな素敵な関係ってわけでもないですよ。あいつがバカで、俺もバカで、お互いがバカだって知ってるだけですから。」
「──男の子……って感じですね。」
「……まあ、いつまで経っても、男は男ですよ。────…………誰であっても、ね。」
「──はい。」
少し伏し目がちな視線の意味が、痛いほど伝わる。
この女性(ひと)は────優しい人だから。
仕方がなかった、どうすることもできなかったことについて、何度も何度も思い返してしまう。
叶うならいつかそれが、終わりますように。そしてそれを終わらせてやれるのは、「あいつ」しかいないんだって──いや、「あいつ」だって、それはわかってるはずなんだ。
「……最近、またあの人と会ったんです。デートですよ、デート。」
「……そうですか。元気に、してますか? あいつ。」
「はい。……照れ屋なところは相変わらずでしたけど……優しいところも、そのままで……」
「……」
「『笑っていて』と。言われました。私が笑顔でいるだけで幸せなんだって、言ってくれました。」
「あいつらしいですね。」
「はい。」
────沈黙。酒が入っていながらこんな暗い話は──いや、違うか。酒が入っているから、こんな話ができるんだろう。
だから俺も。高垣さんに倣って。
ぷしゅり。
「あ、プロデューサーさん……お仕事なのに、いいんですか?」
「……まあ、たまった書類の処理だけなんで。バレなきゃいいんですよ、バレなきゃ。……部長とかちひろさんには、黙っててくださいね?」
「ふふっ……はい。──……あ、でも。私たちだけの秘密には、なりませんね。」
高垣さんがそう言うのが早いか遅いか、給湯室のドアが開かれる。
おずおずと、金色の髪が揺れる。
眉根が下がっていて、どうしましょうか、入ってきても良かったんでしょうか、などと今にも言い出しそうだ。
──あれ。
まずい。
なんだかこう……シスターがちょっと困ってる姿が、なんか、こう……なんていうんだ……
バカ正直に言うと、クるな。
「シスター。おいで。」
そう声をかけると、トテトテと、胸の前で手を軽く握りながらゆっくりと歩いてくる。
……あー。ダメだダメだ。約束の時まで、ダメだからな。頑張れ俺。
「楓さんもいらっしゃったんですね」
「はい。お邪魔しています。私も一緒にいただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんです! その……お聞きしたい話もありまして……」
「はい、私で良ければ。……話してばかりもなんですから、そろそろ……」
「そ、そうですね。すいません、プロデューサーさん。今日もいただきます。」
「ええ、もちろん。シスターのために作ったんですから、美味しく食べてください。」
……自分で言ってなんだが、だいぶ恥ずかしいことを言ってしまった。
シスターの顔は赤く染まっている。新鮮なトマトのようだ。
高垣さんはそれをみて、グイッとビールを仰ぐ。そのおっさんっぽい仕草、ホント事務所の外ではやらないでくださいね?
さあ、ボリュームたっぷり、ハフハフホフホフの食感と優しい舌触りがたまらない、このドイツ料理をつまみながら、背徳の一杯をいただくことにしますか。
────いただきます。
【デザート:そして夜を超えて】
◇
──プロデューサーさんが連れられていってしまいました。
今日は休日とは言え、職場でお酒を飲んでいる姿を部長さんに見つかってしまったら、返す言葉もなかったのだと思います。何も言わず、親指だけで『上の階に来い』と指示する部長さんの姿は、私の目から見ても人間離れした力強さを感じました。
そう言うわけで、今この場にいるのは楓さんと私だけです。
プロデューサーさんには申し訳ないのですが、でも、少し良かったなと安心してしまいます。
何しろ楓さんへの質問をプロデューサーさんに聞かれるのは──少し問題がありそうなので。
「その──楓さん。お聞きしたいことが、あるのですが。」
「はい、なんでも。」
彼女はビールを飲み干すと、静かに缶を机におき、私の話を待ちます。
「お聞きしたいことは、プロデューサーさんとの関係のことで……」
「それは、『どちらの』ですか?」
「────目の前の道は、各々によって異なります。」
「──なら、私の話ですね。なんとなく、そうだと思っていました。」
「……どう、でしょうか。」
「…………彼はまだ、生き方を見つけられないでいます。一度失ったものを、信じることができないと言った方がいいんでしょうか……」
「失敗したならば、間違っているはずだと。」
「ええ、おそらく。……偶然という言葉を、彼は好みませんでしたから」
「……そうですか。」
「クラリスちゃんも、あの人のことを気にかけてくれるのね。」
「ええ。──私がスカウトされる前。シスターとして奉仕していた教会によく来てくれていましたから。身寄りのない子供たちとも遊んでくださって、本当に──。」
いい人でした。その最後の一言を言うのが躊躇われて。
そんなことはわかっている。
そんなことは知っている。
そんなことは──もう、いいのでしょう。
「……壊れてしまったものが治らないのって、不思議だなって、最近思うんです。」
「楓さん……」
「だって、あんなに楽しかったのに。私と彼との間には──きっと、小梅ちゃんや、凛ちゃんや、藍子ちゃんともそうだったと思うんですが──絆を超えた、何かがあったはずなんです。
心の奥底でつながっていた。何も言わなくてもわかってくれた。だから、なんでも話すことができた。
そんな、お話の中みたいな、現実のものとは思えない関係が──。」
「──……」
「でも、失ってしまった今は、それが夢のようにしか思えなくて。確かにこの手にあった、忘れないようにと大事にしていたはずの思いが、いつからか砂細工にすり替わっていて──それが本物だったんだって、思い出すことすら難しくなってきちゃいました。」
私は、何も言いませんでした。
言葉をかけることは簡単です。慰めることは簡単です。一瞬の救いを、希望を与えるのは簡単なのです。
でも、彼女が──私がその場にいたわけではないのですが、しかし、「あの日」。
心にぽっかりと穴が空いてしまった人たちにできることは……待つことだけだと、そう思うのです。
手を差し伸べることはできる。
でも、その手を取ることを強制してはならない。
救われることを押し付けてはならないのだと──遠い昔、私はあの吸血鬼から学んだのだから。
だから、今日も私は願いを込めて、その言葉を遠く中空へと放つのです。
届くことを目的とせず。
叶うことを願いとせず。
──ただ、呟くように。
「皆さまに、心からの救いがありますように────。」
○
……全く、ひどい目にあった。確かに酒を飲んだのはよくなかったかもしれないが、それなら高垣さんはどうなるんだ。そう言い返したところ「今はお前の話をしているんだ」と。
そんなやりとりを、小学生の頃、担任の先生とやり合ったことを思い出した。
体は大きくなった。いろんなことができるようになった。
でも、精神年齢はあの日のままなのかもしれないな。
給湯室に戻ると、シスターだけが座っていた。……高垣さんはおそらく、また屋上だろう。
「シスター」
声をかけると、ピクリと体が震える。……いつも思うのだが、えらい隙が大きいのではないだろうか。そんなんじゃあ退魔のお仕事に支障が出るんじゃないかな、なんて考えをさらりと流す。
「どうでした? 美味しかったですか?」
「──はい! ほくほくのじゃがいもの風味がオムレツに加わることで、オムレツの優しさを色濃く残しながら、主食としても成立するような満足感に包まれた料理でした……!
後半は少しケチャップを足して食べてみたのですが、その酸味がいいアクセントになり、また違う味わいが楽しめて……!」
「はは、それはよかった。喜んで頂けたなら、何よりです。」
「はい、また自分でも作ってみようかなと……──。」
「──?」
「……プロデューサーさん。私、今とても、幸せです。」
「は、はぁ……それは、良かったです……?」
「──あなたと共にいられることが、幸せです。」
「ほわぁ!?」
「こうして、共に食卓を囲み、共に語らい、共に過ごす時間がある──そんな当たり前のことを、きちんと ”奇跡” だと感じられることが、幸せなのです。」
「え、えと──……。」
「だから私は、今この時が続いていくことを願います。思い出は額縁に入れた瞬間に、真実から絵画へと変わってしまって──それは、思い出を待ち続けている人からすると、とても悲しいことですから。」
「──……」
「本当なら、すべての人が等しく幸せでいられる世界ならばい良いのですが……」
「……なかなか、そうはいきませんよね。」
「……はい。」
○
お互いに思うことは、楓さんと「彼」のことなのでしょう。
あり得ないはずの if と、あり得たかもしれなかった if をひとまとめにして、私たちは思うのです。
────もしあの人が、今ここにいたのなら。きっと楓さんは、凛さんは、小梅さんは、藍子さんは──もっと笑って、もっと幸せで。そして、アイドルの道を続けてはいないのでしょう。
そんな運命の入れ違いで、今の私たちがいる──それは正しく、奇跡と呼ばれるものなのでしょう。
「幸せ、か……」
プロデューサーさんがどこか遠くの景色を見ているかのような目で、ポツリと呟きます。
「……シスターが幸せと言ってくれるなら、俺もそうですよ──それだけで今日一日、良い日だなと思って眠れます。」
あいつもそうなら良いんですけど、と。そう会話を閉じた貴方の目はやはり、遠く澄んでいました。い、いきなり、そこまではっきりと感情を伝えられると、その……こ、困ります。言葉が出ませんから……そんな思いをひとまとめにして、貴方の手に私の手を重ねます。
いつもより、冷えているのがわかりました。その熱は、貴方の心が泣くために使われてしまったのでしょう。
だから、この手に熱を込めて──もう少しだけでも、貴方を感じられるように。
○
「お嬢さま。今日は冷えますので、お体に触ります」
「千夜ちゃんは心配性だね。これくらいなら大丈夫だよ。」
「ですが……」
「ほら見て、月──赤く染まってる」
「……ストロベリームーンにしても、出来過ぎですね……お戯れが過ぎますよ。」
「えー? ふふっさすがに月を赤く染めるなんて大それた力はないよー。ただ、そうだね……」
彼女がどこにいるかわかったから、少し喜んじゃってるのは確かかもね?
以上です。
謎シリアスぶち込むの趣味なので、苦手な方にはすいません。料理パートだけ見てくだされば十分ですので……
これ、実際めっちゃうまいですしお腹いっぱいになるので、ぜひ試してみてください。
また、いつもは変なssばかり書いてます(最近の3つです)。
これらも含め、過去作もぜひよろしくお願いします。
【シャニマスss】夏影【樋口円香】
https://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1590923594/l10
【モバマスss】Tears【ライラ】
https://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1590225891/l10
【シャニマスss】夏露に溶けた恋【八宮めぐる】
https://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1589610010/l10
元スレ
【オードブル:恋人特権】
◇
階段を上り屋上へ出ると、澄み渡るような空が待ち構えていた。
最近ぐんぐんと増してきた熱気が顔に刺さる。
ごくりと唾を飲み、ぷはあと息を吐く。
たいした理由もないのに、必要以上に感傷的になる。夏だから、それも仕方のないことだ。
実際は休日だというのに、たまった書類を片付けるという名目で出勤という、なんとも格好のつかない事実があるのみである。ついたため息には、一言では説明つかない様々な感情が織り混ざっている。
金網の向こうには、並び立つ白いビル群と、それを取り囲むように植えられた緑があった。
人が人形のように蠢いている。よくできたゲームソフトと区別がつかないような、現実の中の非現実の一端が、確かにそこにあった。
風が吹くと、街の匂い──それはひどく人工的だ──が鼻をくすぐる。
そして────からん、からんと、金属が転がる音が聞こえた。
3: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:32:25 ID:bOw
「あら────いい風、ですね。」
「いや、いい風、とかではなく。何してらっしゃるんですか、高垣さん。」
「……晩酌?」
「……可愛く言ってもダメですよ。大体今真っ昼間なんですが。」
「あら、可愛いだなんて。プロデューサーさん、お上手ですね。」
「都合のいいところばかり取らない……ってうわっ!? 何本飲んでんですか!? にー、しー、ろー……しかもワインまで!?」
「……えへ。」
「小首を傾げながら新しい缶を開けないでください!」
「開いてしまったものを無駄にするのは良くないですよね……空けるまで、飲んでもいいでしょうか?」
「……マジでそこまでにしといてくださいよ……」
「はーい。」
4: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:32:38 ID:bOw
……そう言って彼女──高垣楓は腰に手を当て、缶底を天へと傾けながら一口、二口とビールを流し込んでいく。
「っっっっっはぁーーーー!」
……やってる行為自体はその辺のおっさんと変わらない……いや、比較しても酷いだろう。
どこのおっさんが正午になろうかという時間帯から、勤務先のビルの屋上でビールをかっくらっているというのか。おっさんは元気に真面目に頑張ってるんだよ畜生。おっさんの取り柄はそんくらいしかないんだよ畜生。
5: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:32:53 ID:bOw
「……でも、プロデューサーさんはあまりおっさんという感じもしませんよ?」
「急に心を読まないでください!?」
「ゆっくりならいいんですか?」
「ダメです」
「むう。もう、意地悪ですね。」
「そもそも心を読めることを想定していないんですよ。」
「でもプロデューサーさん、わかりやすいですよ。それこそ、事務所で一番じゃないかってくらい。」
「本当に!? え、あの熊みたいな男よりも!?」
「砂川さんは……まあ、同点ですね。」
マジか。アイドルが昼から飲んだくれているよりもそっちのがよっぽど衝撃なんだが。
え、本当に? もしその認識が事務所一般に広まっているならば早急に対策を考えねばならない。……むう。今度から少し低い声で喋ってみるか。大人っぽさが出るかもしれない。
そんなくだらないことを考えているのが伝わってしまっているのだろうか。くっく、と高垣さんが小さく笑う。そして脈絡なく、今の俺に対する豪速球を投げ込んできた。
6: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:33:07 ID:bOw
「そういえば、クラリスちゃんとはご一緒じゃないんですか?」
「シスターですか? 彼女は今日はオフなので……」
「はい、存じています。ですからプロデューサーさんも、どうしてこちらにいらっしゃってるのかなぁと」
「……お仕事ですから。」
──強引に話を終わらせたが、それにしたって下手な話の持って行き方だ。
頭は暑さにやられそうなのに、背中には冷や汗がだらだらと流れる。
「プロデューサーさん、クラリスちゃんとはデートとかデートとかデートとか、行かれたんですか?」
「……まあ、えっと。」
それなりには。と言ったものの、思い返せば思い返すほど、具体的な記憶が浮かばない。焦りはさらに加速する。
7: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:33:32 ID:bOw
あの冬の日──お互いの想いを伝え合ってから、はや数ヶ月。
「彼女がアイドルを終えるまで。」
そう言った俺の思いは、まだ変わっていない。……変わってはいない、のだが。
どうも周りからのアプローチというかヘルプというかプレッシャーというか、そういう”お節介”は日に日に増すばかりだ。
まあ、周りには「お互いの想いを確認しました」としか伝えていなんだから、当然なのだけど。
それにしてもあの日以来、実に多くのアイドルから冷やかしまじりの祝福の言葉をもらうようになった。それだけ周りから見れば俺たちの心のあれこれはダダ漏れだったということか。……むう。確かにわかりやすい……のかもしれないな。気をつけねば。
「……まあ、今日はシスターにとっても久しぶりの休みですから。しっかり休息をとってもらえればな、と。」
高垣さんは、ご機嫌そうな表情はそのまま、少しだけ目を細めた。
──それだけで視界に映る温度の色が変わった気がする。名実ともに「トップアイドル」の名を恣にする彼女だからこそ為せる技だろう。
彼女は髪をかきあげる。夏の太陽がそれを絵画にし、夏の風がそれを音楽にした。
8: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:33:48 ID:bOw
「──好きな人と一緒にいられる以上に、心が休まる時なんてあるんでしょうか?」
「────。」
……この人は、なんでか、こう。
心にくるというか、本質を突くというか。
正直、だからなのか。
まっすぐ、射抜くような瞳で俺を見つめる。
それに気圧され、言葉を発することができない。
そのまま数秒間見つめあったまま、ようやく俺はなんとか息を吐き出し、降伏の姿勢を取った。
「──電話、出てくれますかね……」
「──待っていると思いますよ」
「そうですかね……」
「ええ、きっと。」
……その言葉には、確信めいた力強さがあって。
それに背中を押されるように、俺は彼女の番号をタップする。
呼び出し音が鳴る。
その最初の音が全てを奏できる前に、不自然にその音が鳴り止んだ。
9: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:33:59 ID:bOw
「……はい、プロデューサーさん……?」
「……シスター。今、いいですか……?」
「はい……?」
「シスター、今、何をやってますか。」
「……プロデューサーさんと、お話をしています……。」
「そうですね……俺が電話する前は、何を?」
「……えっと……」
「あ、もしかして、お取り込み中でしたか? そうだったら、すいません……!」
「あ、えっと、その……」
「────?」
「え、えっと……ぷ、プロデューサーさんのことを、考えていました……。」
「────────。」
10: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:34:14 ID:bOw
思わず、左手で顔の下半分を覆ってしまう。
喉の奥がきゅうと締まる。耳鳴りがしているような気がする。
下唇を、強く噛む。何度も何度も強く噛む。
舌が閉じられた口を割る。もにょもにょとしているうちに、ほおの筋肉が自然に上へ上へと引っ張られる。
ヤバい。止まんねぇ。
11: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:34:39 ID:bOw
「プロデューサーさん……?」
彼女が、何も言葉を発さない俺を心配するように声を出す。
違うんです、シスター。喋らないんじゃなくて、そうじゃなくて──。
それでも、なんとか心を落ち着ける。俺のすることで彼女を不安になんてさせたくないし。何より、俺が彼女を笑顔にしたいんだ。
これは、エゴかもしれないけど。
でもきっと、俺が幸せに思うことが、彼女にとっても幸せであると信じて──結局、そんな思い上がりこそが恋人の特権なのかもしれない──言葉を作って紡ぐ。
「……シスター。今から事務所、来れませんか?」
「事務所ですか……? はい、大丈夫ですが、急なお仕事が入ったのでしょうか……?」
「──いや。会いたいんです、俺が。シスターに。」
「──────。」
「来れ、ますか──?」
「行きます──!」
「……今日は、ドイツ料理を作ってお待ちしています。ビールにも合う、美味しいやつを」
「わぁ……! 楽しみにしています!」
そう言って、電話は切れた。
電話を持った腕をだらりと下げる。瞬間、視界が開けた気がする。
そこに彼女はいないはずなのに。
彼女を思っただけでこんなにも、自分の感覚が洗練されていくなんて。
昔の自分だったらわからなかったな、絶対。
12: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:34:57 ID:bOw
「──クラリスちゃん、来られるんですか?」
全部わかっているのに(なにせ目の前で全部会話を聞いていたのだ)、いかにも何かがありましたか、なんて言いたげな雰囲気で彼女が話しかけてくる。
まったく、彼女の掌の上で踊らされているな。でも、今回はきちんとお礼申し上げねばなるまいか。
「ええ。高垣さん、ありがとうございました。」
「私は何も。ただお酒を飲んでいただけですから」
「いえいえ、そんなことは……ってあれ!? それさっきと違う缶……また開けたんですか!?」
「……ふふっ。」
「可愛く言ってもダメです! 今度という今度はごまかされませんよ!」
「そんなぁ。」
「くっ……これで幾多の人間が甘やかしてきたのでしょうが、今日の俺は引きませんからね!」
「……いじわる。」
「……今開けたのは、ここで飲んじゃダメです! ……今からビールに合うおつまみ作りますから。」
そう言うと、彼女の表情がぱあと明るくなる。その少女性は得ようとしても得られないものだ。天性の素質と形容してしまえば話は早いが、簡単な言葉で額縁を与えてしまうのが失礼だと感じるくらい、彼女の持つ空気感は世界と隔絶したもののように感じられた。
「ドイツ料理を楽しみにしているやつは、どこのどいつだー。はーい、私です。」
13: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:35:08 ID:bOw
……まあ、こんな点も含めて、彼女らしいといえば彼女らしいのだ。
これが高垣楓。うちのプロダクションの誇るトップアイドルにして、時代をも超える歌姫。
その素顔の一端が、確かにここにあった。
14: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:35:21 ID:bOw
【メインディッシュ:ホッペルポッペル】
◇
さて、今日はビールにもぴったり朝ごはんにもぴったり、いろんな場面で大活躍する「農家のオムレツ」こと『ホッペルポッペル』をつくろう。もしかしたら、バウエルン・フリューシュトックと呼ぶ方が一般的かもしれない。まあ、それは置いといて。
早速作っていこうか。今回は酒飲みもいるしシスターもいるから、四人分くらい作っておけば大丈夫かな……
15: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:35:54 ID:bOw
◯
────じゃがいもを二個、よく洗ってからラップに包み、500W で 5 分 30 秒ほど温める。火傷をしないように取り出し、皮がついたまま 1 cm くらいの大きさに角切りにする。
皮は剥いても構わないが、個人的には、皮がある方がホクホク感が増すように思う。そこは個人の好みだ、いろいろ試してみてくれ。
────次に玉ねぎ二分の一を微塵切りにする。小さい玉ねぎなら一個分使っても構わない。
────さらにベーコン二枚を 1 cm 幅に切る。角切りのベーコンがあれば、それを使った方がじゃがいもとの相性も良く、より美味しくいただけると思う。でも、スライスした薄切りのやつでも十分美味しい。
────ボウルに卵三個を割り入れ、塩ひとつまみ、コンソメ小匙 1、牛乳小匙 2(まろやかな風味が好きならば大匙 1ほど)を入れ、混ぜる。……秘密だが。ここに隠し味として「白だし」を小匙半分ほど入れることで、風味が劇的に良くなる。
和風料理に用いられる白だしだが、実は洋風の料理にも合うのだ。特に卵料理。
────フライパンにバターを 10 g 落とし、温めて溶かす。バターが全部溶けたら、弱火にしてじゃがいもを炒める。この時、焼き色をつけたいのであまりじゃがいもを動かさないのがポイントだ。表面に少し焦げがついてきたら、一度じゃがいもを取り出す。
ただし、面倒ならそのまま続けても構わない。
────さらにフライパンにサラダ油を小匙半分ほど入れる(じゃがいもが入っている場合は必要ない)。そして玉ねぎ、ベーコンの順にフライパンに投入し、よく炒める。動物性の油は、他の油が存在するとそれに触発されてよく油を出すようになる。理由は……よく知らない。
────玉ねぎが飴色に変わったくらいのタイミングで、卵液を投入する。三秒だけ火を強火にしてから、切ってしまう。あとは余熱を使って、卵をオムレツ状にまとめる。最後にブラックペッパーを一振り……二振りくらいしようか。これで、出来上がり。
────ドイツの農家風オムレツ、「ホッペルポッペル」だ。
16: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:36:12 ID:bOw
○
「──さ、高垣さん、できましたよ」
「わぁ……! いい香り。それにボリュームもたっぷりですね。」
「はい。家飲みだったらこの分量で三時間半いけますよ。ソースは俺です」
「プロデューサーさんも、家飲みとかなさるんですね。」
「まあ。でも俺発信じゃなくて、熊からお誘いがかかってくるんですよ。」
「本当に、仲がよろしいんですね。」
「腐れ縁ですよ。一緒にいいことも悪いこともしたんで。」
「……私、お二人を見ていると、すごく羨ましくなることがあるんです。腹を割って話せると言うか、心の裏側まで知り尽くして、隠すなんて行いに意味がなくなる間柄に。」
「……ま、まあそう言われると少し気恥ずかしいですが……そんな素敵な関係ってわけでもないですよ。あいつがバカで、俺もバカで、お互いがバカだって知ってるだけですから。」
「──男の子……って感じですね。」
「……まあ、いつまで経っても、男は男ですよ。────…………誰であっても、ね。」
「──はい。」
17: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:36:31 ID:bOw
少し伏し目がちな視線の意味が、痛いほど伝わる。
この女性(ひと)は────優しい人だから。
仕方がなかった、どうすることもできなかったことについて、何度も何度も思い返してしまう。
叶うならいつかそれが、終わりますように。そしてそれを終わらせてやれるのは、「あいつ」しかいないんだって──いや、「あいつ」だって、それはわかってるはずなんだ。
「……最近、またあの人と会ったんです。デートですよ、デート。」
「……そうですか。元気に、してますか? あいつ。」
「はい。……照れ屋なところは相変わらずでしたけど……優しいところも、そのままで……」
「……」
「『笑っていて』と。言われました。私が笑顔でいるだけで幸せなんだって、言ってくれました。」
「あいつらしいですね。」
「はい。」
────沈黙。酒が入っていながらこんな暗い話は──いや、違うか。酒が入っているから、こんな話ができるんだろう。
18: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:36:42 ID:bOw
だから俺も。高垣さんに倣って。
ぷしゅり。
19: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:36:56 ID:bOw
「あ、プロデューサーさん……お仕事なのに、いいんですか?」
「……まあ、たまった書類の処理だけなんで。バレなきゃいいんですよ、バレなきゃ。……部長とかちひろさんには、黙っててくださいね?」
「ふふっ……はい。──……あ、でも。私たちだけの秘密には、なりませんね。」
高垣さんがそう言うのが早いか遅いか、給湯室のドアが開かれる。
おずおずと、金色の髪が揺れる。
眉根が下がっていて、どうしましょうか、入ってきても良かったんでしょうか、などと今にも言い出しそうだ。
──あれ。
まずい。
なんだかこう……シスターがちょっと困ってる姿が、なんか、こう……なんていうんだ……
バカ正直に言うと、クるな。
20: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:37:08 ID:bOw
「シスター。おいで。」
そう声をかけると、トテトテと、胸の前で手を軽く握りながらゆっくりと歩いてくる。
……あー。ダメだダメだ。約束の時まで、ダメだからな。頑張れ俺。
「楓さんもいらっしゃったんですね」
「はい。お邪魔しています。私も一緒にいただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんです! その……お聞きしたい話もありまして……」
「はい、私で良ければ。……話してばかりもなんですから、そろそろ……」
「そ、そうですね。すいません、プロデューサーさん。今日もいただきます。」
「ええ、もちろん。シスターのために作ったんですから、美味しく食べてください。」
……自分で言ってなんだが、だいぶ恥ずかしいことを言ってしまった。
シスターの顔は赤く染まっている。新鮮なトマトのようだ。
高垣さんはそれをみて、グイッとビールを仰ぐ。そのおっさんっぽい仕草、ホント事務所の外ではやらないでくださいね?
さあ、ボリュームたっぷり、ハフハフホフホフの食感と優しい舌触りがたまらない、このドイツ料理をつまみながら、背徳の一杯をいただくことにしますか。
────いただきます。
21: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:37:23 ID:bOw
【デザート:そして夜を超えて】
◇
──プロデューサーさんが連れられていってしまいました。
今日は休日とは言え、職場でお酒を飲んでいる姿を部長さんに見つかってしまったら、返す言葉もなかったのだと思います。何も言わず、親指だけで『上の階に来い』と指示する部長さんの姿は、私の目から見ても人間離れした力強さを感じました。
そう言うわけで、今この場にいるのは楓さんと私だけです。
プロデューサーさんには申し訳ないのですが、でも、少し良かったなと安心してしまいます。
何しろ楓さんへの質問をプロデューサーさんに聞かれるのは──少し問題がありそうなので。
「その──楓さん。お聞きしたいことが、あるのですが。」
「はい、なんでも。」
彼女はビールを飲み干すと、静かに缶を机におき、私の話を待ちます。
22: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:38:10 ID:bOw
「お聞きしたいことは、プロデューサーさんとの関係のことで……」
「それは、『どちらの』ですか?」
「────目の前の道は、各々によって異なります。」
「──なら、私の話ですね。なんとなく、そうだと思っていました。」
「……どう、でしょうか。」
「…………彼はまだ、生き方を見つけられないでいます。一度失ったものを、信じることができないと言った方がいいんでしょうか……」
「失敗したならば、間違っているはずだと。」
「ええ、おそらく。……偶然という言葉を、彼は好みませんでしたから」
「……そうですか。」
「クラリスちゃんも、あの人のことを気にかけてくれるのね。」
「ええ。──私がスカウトされる前。シスターとして奉仕していた教会によく来てくれていましたから。身寄りのない子供たちとも遊んでくださって、本当に──。」
いい人でした。その最後の一言を言うのが躊躇われて。
そんなことはわかっている。
そんなことは知っている。
そんなことは──もう、いいのでしょう。
23: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:38:25 ID:bOw
「……壊れてしまったものが治らないのって、不思議だなって、最近思うんです。」
「楓さん……」
「だって、あんなに楽しかったのに。私と彼との間には──きっと、小梅ちゃんや、凛ちゃんや、藍子ちゃんともそうだったと思うんですが──絆を超えた、何かがあったはずなんです。
心の奥底でつながっていた。何も言わなくてもわかってくれた。だから、なんでも話すことができた。
そんな、お話の中みたいな、現実のものとは思えない関係が──。」
「──……」
「でも、失ってしまった今は、それが夢のようにしか思えなくて。確かにこの手にあった、忘れないようにと大事にしていたはずの思いが、いつからか砂細工にすり替わっていて──それが本物だったんだって、思い出すことすら難しくなってきちゃいました。」
私は、何も言いませんでした。
言葉をかけることは簡単です。慰めることは簡単です。一瞬の救いを、希望を与えるのは簡単なのです。
でも、彼女が──私がその場にいたわけではないのですが、しかし、「あの日」。
心にぽっかりと穴が空いてしまった人たちにできることは……待つことだけだと、そう思うのです。
手を差し伸べることはできる。
でも、その手を取ることを強制してはならない。
救われることを押し付けてはならないのだと──遠い昔、私はあの吸血鬼から学んだのだから。
だから、今日も私は願いを込めて、その言葉を遠く中空へと放つのです。
届くことを目的とせず。
叶うことを願いとせず。
──ただ、呟くように。
「皆さまに、心からの救いがありますように────。」
24: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:39:09 ID:bOw
○
……全く、ひどい目にあった。確かに酒を飲んだのはよくなかったかもしれないが、それなら高垣さんはどうなるんだ。そう言い返したところ「今はお前の話をしているんだ」と。
そんなやりとりを、小学生の頃、担任の先生とやり合ったことを思い出した。
体は大きくなった。いろんなことができるようになった。
でも、精神年齢はあの日のままなのかもしれないな。
給湯室に戻ると、シスターだけが座っていた。……高垣さんはおそらく、また屋上だろう。
「シスター」
声をかけると、ピクリと体が震える。……いつも思うのだが、えらい隙が大きいのではないだろうか。そんなんじゃあ退魔のお仕事に支障が出るんじゃないかな、なんて考えをさらりと流す。
「どうでした? 美味しかったですか?」
「──はい! ほくほくのじゃがいもの風味がオムレツに加わることで、オムレツの優しさを色濃く残しながら、主食としても成立するような満足感に包まれた料理でした……!
後半は少しケチャップを足して食べてみたのですが、その酸味がいいアクセントになり、また違う味わいが楽しめて……!」
「はは、それはよかった。喜んで頂けたなら、何よりです。」
「はい、また自分でも作ってみようかなと……──。」
「──?」
「……プロデューサーさん。私、今とても、幸せです。」
「は、はぁ……それは、良かったです……?」
「──あなたと共にいられることが、幸せです。」
「ほわぁ!?」
「こうして、共に食卓を囲み、共に語らい、共に過ごす時間がある──そんな当たり前のことを、きちんと ”奇跡” だと感じられることが、幸せなのです。」
「え、えと──……。」
「だから私は、今この時が続いていくことを願います。思い出は額縁に入れた瞬間に、真実から絵画へと変わってしまって──それは、思い出を待ち続けている人からすると、とても悲しいことですから。」
「──……」
「本当なら、すべての人が等しく幸せでいられる世界ならばい良いのですが……」
「……なかなか、そうはいきませんよね。」
「……はい。」
25: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:39:31 ID:bOw
○
お互いに思うことは、楓さんと「彼」のことなのでしょう。
あり得ないはずの if と、あり得たかもしれなかった if をひとまとめにして、私たちは思うのです。
────もしあの人が、今ここにいたのなら。きっと楓さんは、凛さんは、小梅さんは、藍子さんは──もっと笑って、もっと幸せで。そして、アイドルの道を続けてはいないのでしょう。
そんな運命の入れ違いで、今の私たちがいる──それは正しく、奇跡と呼ばれるものなのでしょう。
「幸せ、か……」
プロデューサーさんがどこか遠くの景色を見ているかのような目で、ポツリと呟きます。
「……シスターが幸せと言ってくれるなら、俺もそうですよ──それだけで今日一日、良い日だなと思って眠れます。」
あいつもそうなら良いんですけど、と。そう会話を閉じた貴方の目はやはり、遠く澄んでいました。い、いきなり、そこまではっきりと感情を伝えられると、その……こ、困ります。言葉が出ませんから……そんな思いをひとまとめにして、貴方の手に私の手を重ねます。
いつもより、冷えているのがわかりました。その熱は、貴方の心が泣くために使われてしまったのでしょう。
だから、この手に熱を込めて──もう少しだけでも、貴方を感じられるように。
26: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:39:46 ID:bOw
○
「お嬢さま。今日は冷えますので、お体に触ります」
「千夜ちゃんは心配性だね。これくらいなら大丈夫だよ。」
「ですが……」
「ほら見て、月──赤く染まってる」
「……ストロベリームーンにしても、出来過ぎですね……お戯れが過ぎますよ。」
「えー? ふふっさすがに月を赤く染めるなんて大それた力はないよー。ただ、そうだね……」
彼女がどこにいるかわかったから、少し喜んじゃってるのは確かかもね?
27: 名無しさん@おーぷん 20/06/07(日)00:42:44 ID:bOw
以上です。
謎シリアスぶち込むの趣味なので、苦手な方にはすいません。料理パートだけ見てくだされば十分ですので……
これ、実際めっちゃうまいですしお腹いっぱいになるので、ぜひ試してみてください。
また、いつもは変なssばかり書いてます(最近の3つです)。
これらも含め、過去作もぜひよろしくお願いします。
【シャニマスss】夏影【樋口円香】
https://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1590923594/l10
【モバマスss】Tears【ライラ】
https://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1590225891/l10
【シャニマスss】夏露に溶けた恋【八宮めぐる】
https://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1589610010/l10
【モバマスss】腹ペコシスターの今日の一品;ホッペルポッペル