98: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:48:26.98 ID:+IqVL7Wl0


カフェを出ると、時刻は夕方に差し掛かっていることに気付いた。志希と二時間近く話し込んでいたらしい。

『ダメだった(><)』

携帯にはPからのそんなメッセージが届いていた。やはり神崎Pからは何も聞き出せなかったのか、それとも……。まぁ別に構わない。
蘭子に電話すると、撮影は既に終了し、つい今しがた寮に帰りついたということだった。ボクは無理を承知で、今から訪ねさせてほしいこと、そして出来れば泊めて欲しい旨を伝えた。
蘭子は快諾してくれた。

ボクの往く道が、夕陽に焼かれて燃えている。その朱さは蘭子と初めて邂逅した日の色と、とてもよく似ていた。




99: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:48:53.79 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Shiki≫

「ではお先に失礼するよ」

そう言って飛鳥ちゃんは行ってしまった。あたしを一度も振り返りもせず、さっさと。
飛鳥ちゃんの背中が見えなくなる頃、席に残っていた飛鳥ちゃんの匂いもほとんどが風に流されていた。

「あ」

奢るって言ったくせに、飛鳥ちゃん精算し忘れてる。別にいいけどさ。

たぶん、らしくないことをしてる。
引き留められるならまだしも、あたしが誰かを引き留めようとするなんて。
飛鳥ちゃんのくせになまいきだぞーって、今度言ってやろうかな?

「また、飛鳥ちゃんとステージ立ちたいな………」

そろそろ席を立とうと思ったとき、近くの席にいた知らない大人が夕陽の色に言及して、深いため息をつくのが聞こえた、
あたしがその赤色を見ると、レイリー散乱という言葉が頭に浮かんだだけだった。




100: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:49:21.90 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

蘭子の住む寮に来たのは今日が初めてだったけれど、ボクが来ることは蘭子から寮母さんに伝えられていたようで、スムーズに蘭子の部屋の前まで案内をしてもらえた。
そのドアは馬蹄を象ったアイテムの他、呪物と呼んだ方が良さそうな興味深い品々で装飾されていた。
ドアをノックすると――

『我が城の門を叩く者は誰か』

――ドアの向こう側から、そう尋ねられた。
当然のごとく『ボクだよ』と答えようとして違和感を覚えた。ノックに対する反応があまりに早く、しかもドア越しでも分かるくらいに声の発生源が近かったのだ。
ボクの訪問を今か今かとドアの前で待ち構えている蘭子の姿を幻視して、胸がむず痒くなる。これは“応え”なくては嘘だろう。

「……ボクに名などない。あるのは渾名だけ。ナハトイエーガー、闇を駆ける狩人。人間たちにはそう呼ばれている」
『……………フヒ!』

ドア越しでも蘭子が小躍りする気配が伝わってくる。そしてすぐに『ンンッ』と小さな咳払い。

『……き、貴殿が、神をも屠るという闇の暗殺者だとっ?』
「フッ……。神殺しか。随分と昔の話を知っているんだね」
『幼き頃、乳母が御伽噺として語ってくれたわ。……しかし! 神に弓引く異端者が、何故我が城に?』
「黒翼の薔薇姫よ。キミに、危機が迫っている…!」
『なっ!? 辺獄碑文に記されし審判の刻はまだ先のはず……っ!』
「ボクはそれを伝えに………くっ!」
『むっ!? 何事か?』
「来る途中、エルキュールの矢を受けてね。歳は取りたくないものだ……」
『エルキュ……ヒュドラーの毒か!』
「ボクのことは構わない……。薔薇姫、急ぎ備えを!」
『……貴殿の言葉を信用したわけではない――』

ガチャリ……。
そこで初めてドアが開かれる。

「――しかし、傷つき訪れた者に施しもせずでは、一城の主の沽券に関わるわ。さぁ、まずは矢傷の治療を」

姿を見せた蘭子は顔を紅潮させ、満足げな笑みを浮かべていた。

「……蘭子」

数瞬前までは、もう少しこの寸劇を続けようと思っていた。しかし、蘭子の視界に捉えると、そんな思惑は何処かへ吹き飛んでしまった。

「蘭子……っ!」
「へひぇ!?」

気付けば蘭子の両肩をガッシリと掴み、鼻先が触れ合わんばかりに顔を寄せていた。背後でドアの閉まる音がした。

「なっ、なんぞ……っ!?」
「蘭子、あぁ、蘭子……っ!」
「あ、飛鳥? なに? どどど、どうしたの……っ!?」

目をパチクリする蘭子に、ただひたすらにときめいてしまう。我ながらなんて変質者だろう。これじゃPや神崎Pのことをとやかく言えないな。

「蘭子っ!」
「ひゃいっ!?」
「ボクは! キミと一つになりたい!」
「……へっ? はっ? なななな、な、んですとっ!? ち、契りの言葉か……っ!?」
「契り……そう、そうだ。約束する。ボクはキミの全てを受け入れると!」
「ぷぴゃーーっ!!!???」
「だから、蘭子の全てを観測させてほしい!」
「ぴっ………………………」
「あ、あれ? 蘭子?」

いつの間にやら、蘭子の顔は茹でダコがごとく朱に染まっていて――

「きゅう~~~………」

――膝から崩れ落ちた。

「蘭子……っ!?」

何があった!? いや、待てよ? 自分の言動を思い返してみると、勢いに任せてちょっとすごいことをしたような……?

「あ……ち、ちがっ、これはプロポーズとかじゃなくてっ! 蘭子、蘭子? 蘭子ォオーーーーっ!」
「………ぴよ………ぴよよ………」

蘭子が目覚めるまでにはしばらくの時間が必要だった……。




101: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:49:52.31 ID:+IqVL7Wl0



「不死鳥の羽ばたきーーっ!」

蘭子の部屋は寮ゆえか、ボクが住むマンションの部屋よりも手狭だった。その限られたスペースの少なくない面積を占有するのが天蓋付きベッドであり、そこに横たわっていた蘭子が跳ね起きた。

「回復したようだね」

ベッドの上で立ち上がり元気よくポージングをする彼女を、ボクはフローリングに座りながら見上げた。

「不覚をとったわ……。夢魔の囁きのなんと甘美なことよ……」
「すまない蘭子……。ボクはどうやら冷静さを欠いていたようだ」
「こ、今回に限り不問に付す……っ!」

ボクから目を逸らし、壁とにらめっこする蘭子。その顔色が元に戻ると、思い出したように、蘭子が普段使っているであろう勉強机の椅子をボクに勧めてくれた。好意を有難く受け取り、腰かけることにした。蘭子はそのままベッドに座った。

「して……此度の訪問、いかなる導きによるものか?」
「さっきも言いかけたけれど、蘭子の全てを観測したいんだ」
「か、観測……っ!?」

胸元を隠すように蘭子は自らの肩を抱き、ボクに怪訝な視線を送ってくる。正直、怪しむようなその目には傷ついた。だけど、明らかにボクが悪かった。
なんだよ観測って。普通はしない言い回しだ。身体測定を類推してもおかしくはない。密室で二人きりで身体測定したいなんて言われたら、怯えて当然じゃないか。

「違う違うそういう意味じゃないっ!」
「ま、まさか我に迫る危機とは飛鳥自身!? しかし飛鳥たっての願いであれば………あぁでもでもぉ~~……」
「ああっ! 違うからっ! 端的に言うと、蘭子のことをもっと教えて欲しいってことだよ!」
「………え? ほ、ホントに……?」
「ホントに! ボクが蘭子におかしなことをするはずがないだろ?」
「そ、そうだね……。ごめんね。ちょっとびっくりしちゃって。エヘヘ……」

どうやら誤解が完全に解けたようだ。

「蘭子のことをもっと知りたい。蘭子がこれまで何を見て、何を感じて今に至っているのか。そしてどうして魂の力を使えるようになったのか……」
「………」
「それはきっと蘭子のとてもデリケートな部分に触れることになるのだと思う。でもどうか、教えて欲しい」
「飛鳥……」
「白状するよ。これは、ダークイルミネイトを続けるためじゃない……。ボクがただひたすらに、蘭子のことを知りたいんだ! そう、これはボクの我儘……!」
「……………ふ」
「蘭子……?」
「ふは……フハハ……ハーッハッハッハ!」
「っ!?」

二部屋向こうまで届きそうな盛大な哄笑だった。蘭子は再び立ち上がり、左手で顔を覆いながら、右手をボクに向ける。

「貴殿の切なる願いは深淵の泉を揺らしたわ」
「つ、つまり……?」
「今こそ語りましょう。秘められし我が冒険譚を!」
「蘭子……っ!」

ボクの願いは蘭子に受け入れられたらしい。知らず両手は、喜びを訴えるように強く握り締められていた。
蘭子は右手の中指にいつも付けている赤い宝石のついた指輪を、慈しむように撫でている。

「邂逅と希望、別離と絶望、そして奇跡の物語……。全て語るには悠久の刻を要するでしょう。その覚悟はあるかしら?」
「たとえテッペンを越えようとも一向に構わない」
「死をも恐れぬとは……。フッ、益々興が乗ったわ」

明日の午前中の授業は睡魔との戦いになるかもしれないが、どちらの優先度が高いかなんて考えるまでもない。

「そして全てが終局を迎える頃……然る後………えっと……」
「ん?」
「わ、私の話の後は……飛鳥の話が聞きたい、な……?」
「……ああ、喜んで!」
「エヘヘ……」

そしてボクたちは語り始めた。




102: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:50:22.65 ID:+IqVL7Wl0




≪Review by Asuka≫

その夜、蘭子の口から語られたのは、驚くべき内容だった。
別のセカイのもう一人の蘭子との出会い。彼女たちの不思議な交流。絶望に満ちた別れ。そして失意のどん底にあった蘭子の前に突然現れた神崎P。
常識的には信じ難いその物語を、しかし、ボクは全て真実として受け入れることが出来た。

ボクも語った。
幼少の頃に感じていた些細なことから、黒歴史として封印した幾つもの記憶も曝け出した。それに加えて、ALDや“台本”についてもだ。蘭子は終始興味を持ってくれたので、実に喋り甲斐があった。

そうやって、ボクたちはとても長い時間語り合っていた感覚があったのだが、実際には一時間ほどしか経っていなかった。不思議なこともあるものだ。

こうして語り合ったところで、蘭子と共鳴できる確証はなかった。
しかし少なくとも、蘭子が生き方の軸にしている記憶を知らないまま、彼女と共鳴することは土台不可能な話だったのだと思う。




103: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:50:51.78 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

「じゃあ、再生ボタンは神崎Pが押してくれ」

Pが神崎Pにレッスンルームの音響設備のリモコンを手渡す。

「……フン」

神崎Pは受け取ったリモコンを一瞥してから、いかにも不機嫌といった表情をボクに向けた。
ボクは隣にいる蘭子とアイコンタクトを取り、頷き合う。準備は万端だ。蘭子に背を向け、曲始めのポージングをとる。
四人だけのレッスンルームが静まり返る。
昨夜、蘭子と深く語り合ったからといって、“力”を妨げない方法、いや、蘭子と共鳴する方法が判明したわけではない。しかし“きっと大丈夫だ”という根拠のない自信はあった。

しっかりと見ておけよ神崎P。お前が軽んじた二宮飛鳥の本領を。お前の予想を裏切ってやる。お前の期待なんて知ったことか。ボクの……ボクと蘭子の覚醒した真の力を刮目しろ。
さあ来い。さあ押せ。どうした。ほら――。
そのとき、ジワリ、と背筋に不思議な温かさを感じた。それは“リンク”だった。ボクと蘭子を繋ぐ、不可視のライン。この世の如何なる回線よりも早く、正確に、膨大な情報を送受信することが出来る魂の回廊。ボクと蘭子が溶け合い、補い合い、共鳴するための。
錯覚なんかじゃない。
蘭子がこの曲で思い描く世界観が流れ込んでくる。それのなんと荘厳で気高いことか。

「いざっ!」
「さあっ!」

神崎Pへの催促が完璧に同期する。この程度のこと、背を向け合っていても今のボクたちにとっては容易いことだった。

「チッ……もういいわ」
「は……?」

神崎Pは手に持っていたリモコンを棚に置いた。音楽は再生されていない。

「P、これからのスケジュールだけど」
「うん、なになに?」
「は? いや、おい、テストはどうした、神崎P……!」

Pを伴ってレッスンルームの外へ出ていこうとする神崎Pを呼び止める。

「チッ……もういい、と言ったの」
「はぁ? 何を言って……? テストさえも受けさせないつもりか!?」
「あ~~飛鳥。合格だってさ」
「えっ?」
「チッ!」

合格? まだワンフレーズさえ歌っていないのに?

「チッ……やらなくても分かるわ。貴女だけよ、分かってていないのは。チッ」
「はぁ? 一体何を……?」
「今のお前たち、輝いてるぜっ!」
「は……?」
「チッ!」

何とも要領を得ない答えしか返ってこない。何なんだよ一体。

「飛鳥。たぶん、コレ……」
「ん? 蘭子? それは……?」

蘭子がキラキラと輝いて見えた。空気中の埃が光を受けて煌めくのに似てなくもないが、それとは一線を画する高貴な輝きがあった。その光の粒子は意思を持っている様に蘭子の周囲を浮翌遊している。そしてそれはボクの周囲にもあって……。

「これは……まさか……!」
「チッ……どうやらリンクは成功したようね。ならもう演るまでもない……レッスンルームなんかでその力を解放するのは勿体ない。本番で存分に奮いなさい。チッ!」
「つまり……?」
「合格満点、ダークイルミネイト結成決定っちゅーことだ!」
「~~~~~ッ!」
「やったぁ! 飛鳥~~~っ!」
「チッ! チィ…ッ!」

ダイブしてきた蘭子を受け止め、合格の歓びを共有する。
というかさっきから神崎P舌打ちし過ぎだろ。ボクと蘭子がユニットを組むことになったのがそんなに悔しいのか。やれやれ、最高の気分だね。




104: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:51:39.05 ID:+IqVL7Wl0


「おっ、そうだそうだ。じゃ、飛鳥、アレやるか!」
「え? あれって?」
「アレじゃん、アレ。三か月半ぶりのアレだよ。飛鳥の好きなア~レ」
「えっと……?」
「ムッ、秘められし呪言か……?」

何だっけ? 何かあったっけ?
Pの勿体ぶった言い方に蘭子も気になるのか、視線をボクとPの間で行ったり来たり。
三か月半前といえばちょうどALDを振り始めた頃で……それはボクのアイドル活動では大きな転機で……あ。

「いや、待て、しなくていい、蘭子の前でそんな恥ずかしいこと」
「あーダメダメもう限界だやるぞアレやるぞ……!」
「おい、やめろって、てゆうかいつ好きだと言った!?」
「な、なな何事? 世界の終わりかっ?」
「おぉん! いっきまーすっ!!」
「ああもう!」

Pがレッスンルーム中央まで転げていき、妙な体術で跳ね起きる。そして蘭子とは正反対のベクトルの至極ダサいポージングを決めて――

「一大叙事詩 ASUKA The Idol! 長き暗黒時代を抜け、今ここに、あぁっ! 今ここに! Fourth Stage が開幕したことを! い! ま! こ! こ! にィィ! 宣言するぅっ!!」

――やりやがった。最高の出力だったな。蘭子の前で。恥ずかしい。何の罰ゲームだこれ。

「フッ……二宮飛鳥にお似合いの茶番ね」
「ぐうっ……!」

の音も出ない。神崎Pのまともな一言に、ボクは膝から崩れ落ちる。
しかし蘭子はといえば。

「何ぞコレーーっ!?」

瞳を爛々と輝かせていた。ひょっとしてツボに触れてしまったのか?

「我が友~!我も! 我もああいうの欲しい!」
「えぇっ……!?」

蘭子の全力おねだりに、神崎Pは困惑しているようだった。そして消えそうな声で「考えておくわ……」と呟いたのだった。




105: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:52:07.38 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

三万を超すオーディエンスの歓声。その大気のうねりは雷鳴をも遥かに凌駕する。
流石は十一月公演。年に四回しかない大規模合同ライブの一つだけある。

「準備はいいか?」

Pの問いかけにボクと蘭子は笑みを返す。
セトリも中盤を過ぎ、巨大なドーム会場は客席からステージ、そして舞台袖に至るまで隈なく強烈な熱気に包まれている。
火傷しそうな程の熱量に身体が震えてくる。無論、武者震いだ。拳を握ればいくらでも力が湧いてくる感覚がある。高まりに高まったこのエネルギーを、解放するときが愉しみでしょうがない。
ステージ上では、ボクたちの出番の一つ前のユニット、トライアドプリムスが歌い終え、仲睦まじいトークを繰り広げていた。

『じゃ、そろそろ次の子たちにバトンタッチだね』

渋谷凛が言う。

『次は先週結成が発表されたばかりの、ダークイルミネイトってユニットだな。メンバーは神崎蘭子と二宮飛鳥。加蓮は知ってるんだっけ?』

ややボーイッシュな言葉遣いは神谷奈緒。

『飛鳥のことはね~。半年くらい前にアタシと肇と三人でユニット組んでたから』

北条加蓮と会うのは久しぶりだった。

『でも今の飛鳥、前とは比べ物にならないくらいに成長してる』

さっき楽屋でした“打ち合わせ”から早速脱線し始める北条加蓮。

『この子ら、最近かなり話題になってるよな~。もう一人の神崎蘭子って子はライブのパフォーマンスがスゴイらしいし』

神谷奈緒が脱線に追従する。

『飛鳥だってスゴイよ? ステージが壊れる中で歌っちゃうんだから』
『ソレほんとなのかなぁ~? 尾びれ背びれが付いてないか?』
『アタシ現地で見てたんですけどー!?』
『へぇ……そんなにスゴイいんだ。ダークイルミネイトの二人は……!』
『あぁほら、凛が対抗心出しちゃってるし!』

随分と持ち上げられたものだ。いやハードルを上げられているのかな? これが先輩方の洗礼……。望むところだ。
くつくつと、Pがニヤついていた。僕も、蘭子も、神崎Pさえも、笑っていた。

「頃合いね。さぁ、蘭子」
「うんっ!」
「ぶちかましてやれ、飛鳥」
「あぁ! ……ってキミは相変わらずウインクが下手だな」

蘭子が「スゥ~~~!」と大きく息を吸い込む。そして――

『ハーッハッハッハーーーーッ!』

――会場中に彼女の哄笑が響き渡った。
ザワつく観客席。

『なんだなんだ!?』
『ダーク…イルミネイト……っ!』
『これは神崎蘭子ちゃんの声かな~~』

トライアドプリムスの三人はもうほとんどアドリブだった。

『歌姫たちの呼び声に誘われ降臨してみれば、此度のミサには魔翌力が満ち満ちているようね』

蘭子もアドリブだ。そしてボクも――

『今宵のライブ、終わりはまだ遠い。一度ここらで気分転換をしてみようじゃないか。といっても、休憩にはならないと思うけどね』
『片翼を持つ我らダークイルミネイトの魂の輝き……胸に刻むがいいわ』
『そういうことさ。若輩だが、仕事はキッチリとこなさせてもらうよ』

蘭子と手を握り合う。

『蘭子……』
『飛鳥……』
『さあ、往こうか…!』
『うむっ!』

会場が暗転。舞台上へと進み出る。




106: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:52:34.21 ID:+IqVL7Wl0


暗黒の大空間に、数限りない星々が煌めいていた。まるで銀河だと思った。
色とりどりということは、ボクたちのペンライトを必ずしも全員が用意してくれてはいないということ。だがまぁ、今回の出演者の中ではボクたちが最もキャリアが浅いし、常務のゴリ押しを後ろ盾にした“サプライズ枠”での急な参戦だったから仕方ない。
ボクたちの衣装はお揃いの漆黒のドレスと編み上げブーツ。違いといえばウエストを飾る花の他、数点のアクセサリとスカートの裾から覗くフリルの色が紅か蒼かくらい……の筈だった。しかしどういうわけか、蘭子の身に付けるそれは、ボクのものとは全く異なって見えた。

そうか……!

そもそもの違和感の正体に気付く。未だ暗闇の中だというのに、見えていたんだ。蘭子の姿がハッキリと。その不可思議を現実のものとしているのは周囲に漂う淡い煌めき……蘭子から滲み出る未知の粒子であり波。
客席からもどよめきが起こり始めている。
中央まで到着して然る後、場内の照明が復活する。

…………!!!

会場中が息を呑む雰囲気があった。
スポットライトに照らされた蘭子は、神々しいまでの輝きを放っていたのだ。
輝きに手を触れると、それは蘭子から生じていながらボクにも親和性があり、まるでボクから生じたものでもあるかのように馴染んでいく。

そしてダークイルミネイトのステージが幕を開ける。

歌い、舞い踊り、ボクたちの世界観を送りつけてやる。

歓声を上げることも、呼吸さえも忘れて、ステージを見つめるオーディエンスたち。
彼らの視線は、しかし、ほとんどが蘭子へと向いていた。
まぁ、そうなるだろうね。想定の範囲内だ。
でもだからといって、それに甘んじていられるほど良い子でもないんだよボクは……っ!

「――――ッ!!」

敢えてだ。ユニゾンを崩すほどに声量を上げてやる。ここにボクも立っていることを主張してやったのだ。当然に耳目はボクへと殺到する。ダークイルミネイトはデュオユニットだと思い出させることが出来た。
ライブは生モノ。守破離って言葉もある。この程度の演出、構わないだろう?

「~~~~っ!!」

そこですかさず、蘭子が意趣を返してくる。振り付けにアドリブのポージングを紛れ込ませながら、強烈に声帯を震わせた。ボクへの注目を奪い返そうと!
嗚呼! 蘭子! それでいい! 忖度なんて要らない! だってボクらは同士であり、パートナーであり、同時に最大で最高のライバルなんだから!

………!!!

彼らは皆、目を皿のようにしたまま微動だにしていない。ボクたちに圧倒されていた。
こういうのもたまには良いかもしれない。だけどやはり……物足りない!

――そうだろ、蘭子?
――うん! 飛鳥!

ボクたちはセカイに対して、不敵に笑って見せる。
突如として鮮烈な光景が脳裡に流れ込んでくる。

熱砂、硝煙、旋風、獄炎、閃光……!

それは蘭子の記憶だった。別のセカイの彼女を通して視た、蘭子の現実。
受け取ったイメージに身を任せる。触れて、感じて、理解する。そしてボクの物語を注入して、蘭子へと送り返す。




107: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:53:34.94 ID:+IqVL7Wl0


「フフ……っ!」

片割れから再び届いた情報。ボクの送ったイメージに、蘭子のテイストが付加されたモノ。ブラッシュアップしてまた送り返してやる。
繰り返す。何度も何度も繰り返す。ボクたちのイメージが交錯し、錬磨され、重なり合っていく。
時間を超越した何処かで、ボクたちは確かにレゾナンスしていた。
そうして至った一点――ボクと蘭子が紡ぎ出したセカイ――は最早このセカイの現実と化した。

「――むんっ!」

蘭子の可愛らしいかけ声で解放されるエネルギー。光の粒子がボクらの祈望を実現せんと意思を持ったように躍動し始める。渦を巻きながら上昇する様は、中二病理患者でなくとも一度は妄想したことのあるであろうオーラそのもの。それがボクからも滲み出ている!
なんてカッコイイんだ!
オーラは優に十メートルは立ち昇った後、薔薇の花が開くように四散してゆく。
粒子のおよそ半分は客席へと向かい、オーディエンスの持つ全てのサイリウムを強制的にアメジスト色の光彩へと変貌させた。
残りの半分はボクたちごとステージを覆い尽くして――。

――――!!!???

観客たちの混乱は無理もない。
突如として、暗黒時代の巨大な廃城が眼前に現出したのだから。
そこに在ったはずのステージセットもドームの壁も天井も、何もかもをぶち抜いて、そんなものは無視されて、ボクたちのイメージ通りに上書きされていたんだ。

「え~~い!」

知覚領域の全てを極彩色の輝きが埋め尽くす。

――――!!!

そうしてようやく、歓声が堰を切ったように溢れ出した。いや、絶叫の方が近いかも? まぁ、皆瞳を輝かせているから別にそれでもいいか。

――さあ、飛鳥っ!
――っ!

音楽は続いている。が、最早ダンスなどボクらのステージには必要なくなっていた。蘭子に手を引かれ、一歩進むごとに歓声が上がる。
ブーツで踏みしめる感触と響く足音は紛れもない本物。以前、蘭子のライブで幻視したものとは一線を画するリアリティ。そこに現出していたのは、本物の石造りの廃城だったんだ。

カツーン!

決定的な一歩。今、蘭子は石造りの階段に足をかけた。そしてそれが当然と言わんばかりに次の一歩を踏み出す。ボクも続いて上がっていく。
ボクたちの重力を支えている “コレ”は何なのか?
そこに在るはずの壁がなく、在るはずのない構造物がある。

――触れられる夢幻。
――それは正しくセカイの理への叛逆。
――魂の共鳴によって実現される奇跡の御業。
――楽園へ至る禁忌。

階段を上った先の踊り場でボクたちは最後のレゾナンスをした。
ダークイルミネイトの魂を歌に載せて、ただひたすらにオーディエンスへと訴えかける。

――こんなに素敵なことがあるんだ。このセカイも捨てたもんじゃないだろう?

――――ッ!

歌が終わる。
空間を埋め尽くす喝采。
セカイが変革する兆しを、ボクは確かに感じ取っていた。

ボクたちが階段を下り切ると同時に廃城は光の泡となって消滅し、元のドーム会場に戻った。




108: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:54:07.93 ID:+IqVL7Wl0



「ふぃ~~終わった終わった~~」

他の出演者への挨拶回りを終えて、ボクたち四人は楽屋に戻ってきた。
Pは早速ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めている。
神崎Pは禍々しい程の不機嫌顔をしている……が、それはボクたちのステージが終わった時からずっとだ。大方、ボクに小言が言えずイラついているのだろう。フン。
蘭子は未だライブの熱が冷めていないようで、夢見心地な表情。ポワポワという擬音が聞こえてきそうだ。
まぁ、ボクも蘭子と似たようなものだけど。

「フフ……夢のような時間だった……」

今日のライブは本当に凄かった。ボクたちが受けた歓声はこれまでで最大だったし、その後の盛り上がりも半端じゃなかった。
正直なところ、ダークイルミネイトの盛り上がりが今日のピークになるだろうと予想していた。ボクたちに超常的なパフォーマンスと比べれば、他のどんなステージでも見劣りするだろうと思っていたから。でもそれは浅はかな考えだったと反省しなくてはならない。彼女たちにとっては――超一流のアイドルにとっては――自分たち以外のステージの盛り上がりを維持し、更に加速することは決して難しいことではないらしい。
冷静に評価すれば、ボクたちのアイドルとしての実力はこの規模のライブに出てくる先輩方には、まだ及ばないということだ。

ただやはり。この十一月公演で最も話題になるのはダークイルミネイトだろう。

SNSを覗いてみれば、早速ボクたちのパフォーマンスについて様々な憶測が飛び交っていた。最新の舞台技術とか、集団催眠とか、疲労による幻覚とか、あとは、サクラ要員がステマしているとか。まぁ、ボクたち以外に理解るわけもなし。

「へぇ……! 蘭子、見てみなよ」
「ほぇ? ……わぁ~! 増えてる~!」

フォロワーの数を見てみるとこの短時間の間に、ボクも蘭子も万単位で増えていた。分かりやすい成果というのは嬉しい。これで念願の十万台に突入だ。
とはいえ、蘭子のフォロワー数との差は特に縮まらず、いまだ彼女の半分程度のまま。彼女パートナーを名乗るならば、もう少し近づきたいところだな……。

「あ~、そうそう」

Pがおもむろに、かつわざとらしく切り出す。

「この後の“お愉しみ”についてだけどさぁ。キミらが着替え始める前に決めとこっか」

瞬間、楽屋に緊張が走る。お愉しみとは言わずもがな、打ち上げ――すなわち、ご馳走……!
ここに存在しているのは最早アイドルとプロデューサーではない。血に飢えたケモノども。となれば先手必勝――

「麻婆豆腐」
「ハンバーグ!」
「焼肉!」
「うお、すげぇ勢い。ウケる。あ、俺はピザを推す」

――考えることは皆同じか。
見事に割れた。何故だ? 打ち上げと言えば焼肉と相場が決まっているだろうに。いや、ハンバーグとピザはまだ理解できるけど、神崎P、お前……。




109: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:54:36.61 ID:+IqVL7Wl0


「麻婆豆腐で打ち上げなんて聞いたことがない。そこはせめて中華だろう。シンプルに頭がおかしいのかい?」
「貴女はまだ麻婆豆腐の奥深さを知らないお子様だということよ」
「キミはただの麻辣ジャンキーだろう。健全なボクたちまで巻き込まないでほしいね。ひょっとして、受肉するときにバグでも起きたのかな? それなら憐れんでやってもいいよ」
「ッ……! 蘭子に聞いたのね……。まぁ、別に構わないけれど。貴女こそ、打ち上げといえば、二言目にはいつも焼肉……。あんな煙いだけのものを有難がるなんて、どこの原始人かしら」
「なんだと!? 焼肉を愚弄するのか!」

まったく、神崎Pが同じ空間にいるといつもこうだ。最近はPだけじゃなく蘭子までもが、ボクらの言い争いをただのBGMのように受け流しているし。

「あ、あの……P、さん……ハンバーグの美味しいお店、知ってますか……?」
「沢山知ってるよ~! ひき肉の配合が神ってるお店とか、目の前で火柱上げながら焼いてくれるお店とか。どういうのがいい?」
「う、う~~ん……ヘルファイア……かな」
「おっけーおっけー………てか、待って。さっき何か重要なカミングアウトしなかった? ジュニクって? 確認しちゃったの? ねぇ?」

Pがボクと神崎Pをまじまじと見つめてくる。が、放っておこう。神崎Pの身の上話なんて全然したいと思わないし。

「フン……それより。事実として意見は割れている。最終的には一つを選ばなくてはならないのだが、さて、どうやって決めようか」

じゃんけんはダメだ。蘭子曰く、神崎Pは元上位存在だけあって身体能力も人間離れしているらしい。仮にP並みとすると、こちらの出す手に反射神経で即応するなど造作もないはずだ。
まぁ正直、麻婆豆腐以外ならどれでも構わないのだけどね。

「あっ! 飛鳥、アレ! 我、アレ使いたい!」
「アレ……?」

蘭子が何か思いついたらしく、鼻息荒く迫ってくる。

「えっと、アレ、とは……?」
「無論、ラプラスの魔に抗う呪物のこと!……えっと、何て呼んでたっけ…? あ、そうそう! ALD!」
「あぁ……なるほどね」

何かを決めるためにALDを振るという行為をここ最近してなかったので、その発想がなかなか出てこなかった。アレを使うとなると、純粋に四分の一の確率で麻婆フェスになってしまうが……まぁ、蘭子の頼みなら仕方ないか。

「P、久しぶりに使ってみていいかい?」
「あ~~、まぁいいけど……それも蘭子ちゃんに言ったのね」
「あっ……あぁ、すまない。話の流れでね……もしかして、不味かったかい?」
「うんにゃ、もう別にいいよん。それに丁度いい機会だし、神崎Pに聞いてみるか」
「私……? さっきから何について喋っているのかしら?」
「あぁ、それはな……」

Pが胸ポケットに指を突っ込んで、ALDを摘まみ出した。見るのは久しぶりだが、ずっとPの胸ポケットに収まっていたようだ。そういえば、どこかに放置していても一定時間が過ぎれば、自動的に彼の元に瞬間移動で戻ってくるんだったか。改めて考えても訳の分からない機能だな。

「わぁ~、キレイ~~!」

蘭子がPの指元に顔を寄せて、その不思議な輝きをしげしげと見つめる。そしてPが蘭子に向けて「ほい」とALDを差し出すと――

「ダメよ!!」
「ひゃあっ!?」

――神崎Pが、ALDを受け取ろうとしていた蘭子の右手を、鷲掴みにした。




110: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:55:06.06 ID:+IqVL7Wl0


「……あらら。もしかして、ヤバいヤツだったか?」
「ッ……!」

一瞬、神崎Pの表情が理解できなかった。いつも余裕ぶって、人を見下しているような態度の神崎Pからあまりにかけ離れた雰囲気……。単純に焦っているのだとなかなか気付けなかった。いや、焦りだけではなく、怯えている?

「そ、そういうことだったのね……以前のアナタ達の不可解な仕事選びはコレを使って……!」
「神崎P、やはりこれはお前が昔いた場所と関わりのあるモノなのか?」
「P……これは……………」

神崎Pは黙り込み、まるで苦渋の決断をするときのように目を固く瞑り。

「今……私に、言えることは、とても、少ない……」

慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を吐いていく。

「一つだけ、聞かせて。貴方は、これを、これからも、使うの……?」
「…………」
「な、なんぞ……?」

急に凍り付いた空気に蘭子が狼狽している。にもかかわらず、神崎Pは青ざめた顔色でひたすらにPを見つめていたので、かなり深刻な状況らしいことがボクにも理解った。

「………いや、使わねぇよ? 今だって言われなくちゃ出さなかっただろうしな。ちょっと前までは使ってたけど、もう使うことは、二度と、無いだろうな」
「………そう。貴方は、もう、二度と、使わないのね……」
「……?」

一瞬だけ、神崎Pがボクへと視線を向けた。

「あぁ。使わねぇし、誰にも、使わせるつもりは、無い」

Pの言い方のちょっとした違和感……。神崎Pの質問に答える体であったのに、神崎Pに言っている様には見えなかったのだ。例えるなら、天井裏に語りかけるような……?
そしてPもボクへと視線を向けてくる。その眼差しには、ボクへ理解を求める雰囲気があった。

「………」

Pがそう言うのならボクは別に構わない。元よりPが持ち主なのだから、彼が誰にも使わせない、と言うのなら従うまでさ。
ボクは頷いた。するとPはウインクをしたのだが、それはそれは見事なものだった。なんだ、出来るんじゃないか。

「あぁん! もっと見たかったのにぃ~~。現世の試練か……」

PはそれからすぐにALDを懐に戻してしまったので、蘭子は不満げだった。しかし三人で示し合わせて、打ち上げをハンバーグ専門店ですることを提案すると、蘭子の興味はお店の方へとシフトした。
打ち上げのお店が決まる頃には、Pはいつも通りのお調子者に戻っていた。
神崎Pも一見すると普段の不愛想を取り戻していた。だけど結局は打ち上げの最中にボクへ小言を吐くことは一度もなく、それが妙に居心地が悪くて……もっと言えば、凶兆のように思えた。




111: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:55:37.23 ID:+IqVL7Wl0




≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

天界から堕天して人間として活動していると、予期していなかった幾つかの問題が出てきた。

一つ。私の食の嗜好に関しての神経設定について。
人間に三大欲求があることは理解していた。堕天前に一通り観察した限りでは、その生理的な欲求に囚われ、健全な生活をないがしろにしてしまう人間は掃いて捨てるほどいた。だからこそ受肉に際して、性欲は抑え気味に、睡眠は三十分でも問題ないように、味覚は――何でも美味しく感じてしまう舌だと、食に多大な労力を割いてしまう可能性があったので――ピーキーに設定したのだが……。
性欲と睡眠欲についての設定は奏功したといってもいい。しかし、味覚については完全に失敗したと言わざるを得ない。肉の身体から生じる欲求の強さについて、私は随分と見誤っていたのだ。
“ソレ”しか美味しいと感じないのなら、際限なく“ソレ”を求めるのが人間の性らしい。
私にとっての“ソレ”とは麻婆豆腐だった。
ひょっとすると、他二つの欲求を抑えた歪みが麻婆豆腐への執着として顕れているのだろうか……?
食事と言えば麻婆豆腐の私を変人扱いする人間はままいるが、それは別にどうでもいい。
心の底から残念に思うのは、蘭子と同じものを食べて「美味しいね」だなんて感想を言い合うことが非常に難しいことだ。

一つ。魂の力を扱うための三つの段階について。
私がまだ天使だった頃には意識したことも意識する必要も無かったのだが、魂の力を扱うには三つの段階があるらしい。
一段階目が、まず元となる最初の波動を出すこと。そして二段階目が、その波動を増幅させること。そしてこの二つが完璧にできて初めて三段階目である、無限のエネルギーにアクセスすることが可能になる。
蘭子が自力で体得していたのは一つ目だけだった。二つ目の増幅させる方法については、私も蘭子も皆目分からなかった。そもそもが超感覚的な事象であるため、『増幅させる』という定性的なことは伝えられても、では具体的にどうすればそれが成されるのかについては一切教えることが出来なかった。
いや、他人が魂の力の引き出し方を具体的に教えることなど不可能なのだ。天使でさえも出来ないはずだ。魂の形は各々全く異なる。故に励起させる手順も手法も千差万別。もし仮に『こうしてみなさい』だなんて指示したとしても、それは蘭子を混乱させるだけで良い結果に繋がることは無いだろう。それならば何も伝えない方がまだマシだ。

一つ。二宮飛鳥について。
蘭子は魂の波動を増幅させられなかったが、最初の波動だけでも他の誰にも真似できない現象を起こすことが出来た。それは特にアイドルのパフォーマンスでは絶大な威力を発揮する。魂の力を全て引き出すことは不可能だが、それでも尚、遠からず蘭子はアイドルの頂点に立つと私は確信していた。
そこに現れたのが二宮飛鳥。私と蘭子の間にやたらと割り込んでくる憎っくき小娘だ。コイツは一体何なのだろう……?
二宮飛鳥には魂の最初の波動を出すことは出来なかったが、他者の波動に共鳴する才能があった。おそらくは一ノ瀬志希やPとのライブでその端緒を掴み、蘭子とのライブで見事に開花させたのだ。そしてそれによって、蘭子だけでは不可能だった虚空からの物質化も、一時的ではあるものの成功した。
二宮飛鳥が何故そんな才能を持っているかを知る術は無いし、知ったところで蘭子に活かすことは出来ない。
蘭子単独では魂の波動を増幅させられないと分かったときに、多少残念に感じたのは事実だ。しかし、実のところ、蘭子の発した波動を二宮飛鳥が増幅する形がベストだったのかもしれない。もし仮に単独で全ての力を引き出してしまったなら、最早人間のままでいることは出来ないだろうから。




112: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:56:26.96 ID:+IqVL7Wl0


一つ。Pについて。
私の肉体を形成する際には、Pの肉体を参考にして同程度のスペックになるように各細胞を設定したはずだった。しかし実際に見るPは時折、想定以上の能力を発揮することがあった。
あの崩壊するステージの裏でPが見せた認識能力。アレは明らかに人間の限界を超えていた。元のセカイ線を観察した限りでは、そこまでの能力があるとは思えなかったが……。つまりは“そこまで”困難な状況に直面しなかったから手を抜いていただけ、ということだろうか……?
彼について理解できないことは他にもあった。
元のセカイ線でPがプロデュースすることになるのは養成所に通っていた少女だったはずなのに、私が干渉して生み出したこのセカイ線では何故か二宮飛鳥をプロデュースしている。彼の周囲には一切干渉しなかったのにだ。この矛盾については長らく、私が堕天したことによるバタフライエフェクトによるものだろうと強引に納得していた。だが、これについてはようやく原因が分かった。私が干渉を行使したあのとき、Pの周囲にも干渉があったのだ。それがALD。

一つ。ALDについて。
一目で気付いた。ゾッとする程に美しい光彩は、このセカイのモノではない。ならば間違いなく“あの”天使によるものだ、と。
天界を漂っていた私に付き纏い、あまつさえ干渉に割り込んできた、あの嫌な感じの天使。
私とは全く異なる奇妙な堕天方法なのは感じていたが、まさかあんな形で降りてきていたとは。
Pの考察通り、ALDはこのセカイに落とされたあの天使の“影”なのだと思う。あの天使の本体は今も天界とこのセカイの次元の狭間にいて、ALDを通してじっと観察しているのだ。
ALDの効力について、Pは『決定済みのセカイ線の運命に揺らぎを与えられる』と考えていた。私が天使だった頃にはそんなことを考えたりしなかったが、恐らく可能なのだろう。可能だから、そして、Pという人間なら“そういう”使い方をしてくれると予測したからあの形を採ったのだ。そう理解する方が自然だ。
しかし分からない。セカイ線に揺らぎを与えてどうしようというのだ? セカイ線の分岐を発生させたいということなのだろうか? それは何の為に?何かの実験? ただの興味本位?
Pと二宮飛鳥はALDをかなりの回数振っていたらしい。気付かないだけで、もう分岐は発生しているのだろうか? それとも分岐を発生させるためには、揺らぎの蓄積が必要? 分岐が発生するとして、それはALDを振った瞬間なのか、実際に行動に移した瞬間なのか、それともかなりのタイムラグがあったりするのか?
疑問は尽きないが、ただの人間になってしまった私には最早知りようがなかった。
無性に不安になっていた。特に、あの天使の目的が分からないことがとても不安だった。あの天使の目的は分からないが、きっと碌でもないことに違いない。それだけは直感的に分かっていたのだ。
PはもうALDを振らないと宣言してくれた。それはあの天使も聞いていたはずだ。だから後は祈るしかない。これ以上この“戯れ”を続けていても意味が無いと理解してくれることを。そしてこのセカイから去って行ってくれることを。


漠然とした恐怖の正体に、私は本当は気付いていたのだと思う。
頭の片隅に漂っていた或る予感を、しかし、“ルール”があるから“それ”だけは無いと無視をしたのだ。
天界における絶対のルール。それを破った者は例外なく消滅させられる。だから大丈夫だと信じた。信じようとした。そうしなくては平静を保っていられなかったから。

ALDの存在を知った日の数か月後、私は己の愚かさを思い知ることになった。

『どんなルールにも抜け穴はある』なんてこと、人間社会で過ごした一年足らずの間でさえも何度となく目の当たりにしたというのに、私は“そのとき”が来るまで気付くことが出来なかったのだ。




113: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:56:54.77 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

ダークイルミネイトの初ライブの翌日、志希に呼び出された。
それは願っていもないこと。先日相談に乗ってもらったお礼を改めてしようと思っていたから。
待ち合わせ場所は先日と同じ会社内のカフェ。

「……驚いた。キミが先に来ているなんてね。明日は槍が降るのかな?」
「ん………」

果たして志希は、先日と同じテーブルについていた。
ボクよりも早く着いて、おとなしく着席しているなんて相当珍しい。

「今日はジンジャーエールだけか……フフ。前ので懲りたのかい?」
「………ん」

注文したコーヒーがやって来るまで他愛もない話を振ってみたが、志希の反応は薄い。というよりは、視線をあっちやこっちへやって落ち着きがない。さっき後ろから見た時にはおとなしくしているように見えたのに。

「それで急に呼び出したりして……いやキミは大抵が急だが、どうしたんだい?」

サーブされたコーヒーに砂糖を溶かし込みながら本題に入る。すると、ピクッと志希の肩が震えた。

「………昨日の飛鳥ちゃんたちのライブ………あたしも、観に行ってた」
「へぇっ! そうだったのかい! 来てるなら言ってくれれば良かったのに。でも、素直に嬉しく思うよ」

志希とはお互いのライブの日程も教え合っていて、都合がつく場合にボクはよく志希のライブを観覧しに行っていたのだけれど、志希が来てくれることはほとんど無かった。

「で、どうだったかな? ボクたちダークイルミネイトのパフォーマンスは。是非とも忌憚のない意見を聞きたいね」
「ッ……!」

一般のオーディエンスには概ね好評だったが、トップアイドルと言っても過言ではない志希の目にはどう映ったのか。

「また、Dimension-3 で、ライブしたいにゃあ………」
「ん……? あぁ、そうだな。ボクも以前よりは成長しているという自負がある。今ならもっと良いステージに出来るだろうね」
「――っ! ホントっ!? いいの?」
「わっ……! テーブルを揺らすんじゃないっ」

志希が身体を乗り出してきた勢いで、コーヒーとほとんど手の付けられていなかったジンジャーエールの水面が大きく揺れた。それに気も留めず志希は、瞳をクワッと開いてボクを見つめてくる。というかボクたちのライブの感想は……?
志希の髪の毛先がコーヒーに浸かりそうになっていたので耳に掛けてやろうとする。が、その右手を握られた。

「いつから? すぐできる?」
「志希……? いや、すぐには無理だよ。しばらくはダークイルミネイトで活動するし」
「だ、ダメだよ……すぐに始めないとULに間に合わなくなる……」
「UL……なるほど、やはりもう“そういう”時期なんだな……」




114: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:57:21.44 ID:+IqVL7Wl0


ULとはすなわち、ウルトラライブ。毎年三月の末に開催される、一組のユニットだけによる超大規模のライブのこと。そしてこの一組とは、二月中旬に行われる人気投票イベント――通称“総選挙”――でトップに選ばれたユニットである。
ULはうちのプロダクションに属しているアイドルなら全員が目指すべきステージだと言われていて、実際、四月から二月中旬までの約11か月の間に結成された全てのユニットが投票対象となる。だが、現実的に選ばれる可能性があるのは、既にかなり人気のあるアイドル達によるユニットだけ。つまり中堅以下のアイドルには縁の遠いイベントだといえる。
そのため、ULを本気で目指すかどうかで十一月頃からの活動の仕方は大きく異なる。目指さない者たちは、これまで通り一か月程度の期間限定ユニットを組みながら、自分の可能性を広げ、ファンを増やしていくのが一般的。一方、目指す者たちは、ここからは投票が終わるまでユニットを固定する。その勝負ユニットは、過去に結成していたユニットを再結成することもあるし、初めて結成するユニットになることもある。彼女達にとってこれまでの期間は、勝てるユニットを見極めるための準備期間の側面もあったというわけだ。
ULについては随分前にPから聞いたっきり、慌ただしい毎日の所為で忘れていた。それが再び意識に上がったのが、昨夜の打ち上げの最中。まさか昨日の今日で、志希の口からも聞くことになるとは思いもよらなかった。

「ねぇ、飛鳥ちゃん……。あたしと……Dimension-3 で、UL目指そ……?」

痛みを我慢しているような表情と、羽音のようなか細い声だった。

「志希………」

ひょっとしなくても、これはラブコールなのだ。一ノ瀬志希という超人気アイドルから、ボクみたいな中堅への、勿体無いお誘いなのだ。これ以上に光栄なことなんて他に無いと、志希と組んだことのあるボクだからこそ本気で思う。

「誘ってくれてありがとう、志希……」
「じゃ、じゃあっ……!」
「でも、ボクは断らなくてはならない」
「……………えっ」

昨日の打ち上げで、ボクたち四人は宣言したんだ。

「ボクは、蘭子と……ダークイルミネイトで、ULを目指す」

確認するように、ボクは昨日と同じように宣言した。
そのとき、志希の目尻に何かが滲み出したように見えたのはボクの幻覚だろうか。
志希は沈黙したままゆっくりと上体を前に折り、額をテーブルに着けて静止する。何かを考えているのか、ピタリと止まっている。
そのまま一分近く経った。志希の思考時間にしては異常と言っていい程に長かった。

「…………………ぅ」
「う……?」
「うにゃーーーーっ!!」
「うわっ!?」

ガバっと上体を起こした志希が奇声を発する。そこにいたのはもう、ボクには手の負えないいつもの一ノ瀬志希だった。

「いーもん、いーもん。志希ちゃん、組んじゃうんだから。ずっとオファー受けてたユニット!」
「………フフ。ということはULをかけて、ボクたちと争うことになるね」
「ふーん。あたしたちと張り合えるつもりなんだー?」
「むっ……? 聞き捨てならないな。確かにボクたちは一年目のルーキーだが――」
「もう飛鳥ちゃんなんて知らなーい。バイバーイ!」
「えっ、おい、志希……!」

そしてあっという間に志希は行ってしまった。
去り際に見せた不敵な笑みはとても彼女らしくて、決して一筋縄ではいかないことがボクにも予想できた。それはそれで、とても愉しみではあったのだけれど。




115: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:57:56.70 ID:+IqVL7Wl0




「――おっ? この感じ、来たな……」
「どうしたんだい、P?」

Pの居室での打ち合わせが終わり、コーヒーブレイクしていると、彼が妙なことを口走った。そして携帯を取り出し、画面を何度かタップすると「うむ」と頷いた。

「SNS、見てみ」
「ん? 何か事件でも……?」

ボクも携帯を取り出し、アイコンをタップして―――そこでドアがノックされた。

『P、いるわね?』

この声は……。
「どうぞー!」とPが答える。現れたのは神崎P。と、その後ろに蘭子もいた。

「やってくれたわね、二宮飛鳥……」
「は……? いきなり現れたと思ったら、何を言うんだキミは?」
「いいから早く“それ”を見なさい」
「SNSのことか? まったく、Pといいキミといい、一体何が……?」
「戦乱の幕開けである!」

蘭子に手を振りつつ、携帯に目を落とす。“それ”はすぐに見付かった。

『あたしたちUL目指しま~~す♪ #新ユニット #LiPPS』

「………んんっ?」

志希の投稿だった。
その投稿の反響度合いを示す数値はスロットマシンのごとく変動し続けていて、ボクの動体視力では当面の間読めそうにない。そうこうしていると、メッセージと一緒に投稿された画像が少しずつ解像度を上げていく。

「この人たち、知っているぞ……っ!」

そこにいたのは志希を含めて五人。いまだアイドル界隈に疎いボクでさえ、彼女たちについては名前まで覚えている。いや誰だって、彼女たちを一度でも目にしたら忘れられないんじゃないだろうか。

速水奏。塩見周子。城ケ崎美嘉。宮本フレデリカ。そして、一ノ瀬志希。

リラックスルームでの談笑風景を無造作に撮ったであろうその写真は、しかし、そのままセンター街の巨大広告に使えそうな程、絵になっている。悪魔的に魅力的なビジュアル力だ。美人度でいえば神崎Pが上なのだろうが、ヤツは人を寄せ付けない類の美貌だと思う。一方、彼女達のソレには、人を惹き付けてやまない魔性があった。
当然ビジュアルだけでなく、ダンスとボーカルも極めて高いレベルであることをボクは知っている。そして各々が持つ、唯一無二の強烈な個性……。
アイドルヒエラルキーの最上位五人をそのまま選んできたと言っても過言ではないような、ハッキリ言って、えげつないユニットだ。
早過ぎるだろ、志希……。 ユニットを組むとは言っていたけれどさ! まだ二時間も経ってないぞ!
というか志希は、彼女たちの誘いを断ってまでDimension-3を再結成したがっていたということか? 志希はそれ程にボクと……!

「フフ……」
「何その気持ちの悪い顔は」
「へっ!? し、失礼だなキミは……!」

蘭子がボクの隣に、神崎PはPの隣に腰を下ろした。
神崎Pはいつにも増して厳しい視線をボクへと突き刺してくる。

「フン、まぁいい……。“やってくれた”とはどういう意味かな? またいつもの難癖かい?」
「蘭子の仕事を増やさないでほしい、ということよ」
「は……? この新しいユニット……LiPPSか……とどういう関係があるんだ?」
「まだ理解していないのね。ハァ~~…」
「これ見よがしに溜息をつくんじゃない……!」

ボクと神崎Pの会話のドッチボールを、Pと蘭子が苦笑いを浮かべながら見ている。どうやら事情を呑み込めていないのはボクだけらしい。




116: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:58:33.42 ID:+IqVL7Wl0


「LiPPSが結成されてしまったのは、アナタの所為よ」
「………はぁ? ボクにどういう関係があるっていうんだ……!」
「一ノ瀬志希の心情なんて考えもせず、彼女の誘いを無下に拒絶したのでしょう?」
「なっ……!? な、んで……それを……!」
「調子に乗って宣言するアナタの小憎たらしい顔が、あぁ……ありありと目に浮かぶわ」
「っ……!」

何だコイツ!? まるでさっきのボクたちを見ていたような……! でもそんな……ボクはそこまでおかしな対応をしただろうか?
そこでふと、志希の目に潤みがあったことを思い出してしまった……。

「で、でも……仕方ないじゃないか! ダークイルミネイトでULを目指すと、昨日約束したんだから……!」
「何を伝えるかよりも、どう伝えるかの方が大切だということは往々にしてあるのよ。もっと、彼女の想いに寄り添った対応で誘導すれば、LiPPS結成を防ぐことができていたのに」
「無茶を言うな! 志希を思い通りに誘導なんて、出来るわけがないだろう……っ!」
「あら、ごめんなさい? 履いて捨てる程ありふれているただの中学生には難しかったわね?」
「くっ……!」

本当にこの性悪女は……! どこからでもディスってくるな。

「それにね、別に一ノ瀬志希の誘いに乗っても良かったのよ?」
「は……?」
「そうすれば当初の予定通り蘭子はソロユニットで活動できるし、Dimension-3が相手なら、UL出場もずっと簡単に――」
「こらーー!!」
「っ!?」

蘭子の可愛らしい叫びがボクと神崎Pの間に割り込んできた。

「プロデューサー、またやってる! 飛鳥にばかりキツく当たって……そういうのダメっていつも言ってるのに!」
「で、でも蘭子……二宮飛鳥の所為で蘭子の負担が……」
「い! い! の! 飛鳥と一緒なら頑張れるもんっ!」
「あ、う………」

飼い主に叱られた小型犬のように、神崎Pがシュンとする。
でもボクには彼女を笑える程、まだ事態を把握できていなかった。

「つ、つまり、どういうことなんだ? P、説明を求める」
「うぃっす!」
「真実の扉が今開かれる!」

Pがソファから立ち上がり、ガラガラとホワイトボードを引っ張り出してくる。そしてボードの中央に黒ペンで『LiPPS つよい』と書いた。それ書く必要あるのか?

「飛鳥にはまだ言ってなかったが、事は概ね予測通りに進んでいる。神崎Pのディスりは単なる憂さ晴らしだ。気にするな」
「全く以て気にしていないが? たかが子犬の遠吠えなんて可愛いものさ」
「犬の遠吠えなんて聞こえなかったけれど? もしかして耳が腐ってるのかしら」
「んもう! な、か、よ、く!」

神崎Pと視線で殴り合う。黙りなさいって? それはお前の方だろうが。

「LiPPSな。現状、あの子たちに勝てるユニットは無い。総合力では史上最強のユニットと言ってもいい。飛鳥と神崎ちゃんでも、正面からやり合ったら勝ち目はない」
「くっ……そこまでなのか……っ!?」
「何よりもまず、今からUL総選挙まで、あと三か月しかないのがネックだな。元々のファン数が違い過ぎるんだ。そもそも勝負の盤上に乗るのだって、あの子たちレベルのフォロワーをゲットしてなくちゃならないわけだが、それはもう普通のペースでは不可能だ」
「今年のULは諦めると……?」
「ん? 諦めたいのか? それなら別に……」
「一度吐いた唾は飲み込みたくはない……!」

ボクの言葉に蘭子が「うんうん」と力強く首肯した。




117: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:59:25.16 ID:+IqVL7Wl0


「んじゃあさ、飛鳥。どうすればいい?」
「むっ……?」

いや寧ろ、ボクが教えて欲しいんだが? 反射的にそう返そうとして、踏み止まった。
これはPとの会話……。ボクに答えられないことを、わざわざ聞いてくるだろうか? 彼は大抵、ヒントを与えてくれている。

「………」

――総合力“では”――正面からやり合っ“たら”――あと三か月――普通のペース“では”――。

既に嫌な予感がしていた。

「その前に聞いてみたいのだけれど……。三か月で無理なら、何か月あれば可能なんだい?」
「九か月」

即答。どうやら今回のボクの推測は当たっているようだ。全然嬉しくない。せめて六か月と答えて欲しかった。

「そうか……やるんだな、三倍の頻度でライブを……」
「That's right!」

LiPPSほどの怪物ユニットだ。あらゆるメディアを自由に使い、戦略的に選挙戦を進めていくだろう。だがそれに張り合おうとあちこちに手を出したとしても、LiPPSの総合力に勝てるはずもない。なら、勝てる可能性のある部分でひたすら戦えばいい。ボクたちの場合、それは当然ライブになる。幸いにもアイドルとしては王道の領域だ。そして時間が足りないのであれば、密度を上げてやればいい。
まったく、笑ってしまう程に単純明快だ。まぁ、時に人はそれを脳筋と呼ぶけどね!

「………え? 三倍?」

自分で言っておきながら改めて疑いを抱いてしまう。

「はい、コレあげる」

Pが差し出してきたこれからのスケジュールは、目を覆いたくなるほどの過密スケジュールだった。
ライブの回数を三倍に増やすため、休日は三つか四つの現場をハシゴすることになるらしいし、平日の夜にライブが組まれていることがあった。ヘリ移動が普通にあった。ライブ出演に時間が割かれるからといって、レッスン時間が減るということでもない。新曲も出していかなくてはならないから、寧ろレッスンの時間はこれまでより増えていた。

「あとさ、そろそろ学校の勉強も頑張ろうな、飛鳥!」
「えっ!?」
「何意外そうな顔してんだよ。中学生の本分は勉強じゃろがい。分かんねぇトコは教えてやるからな」
「…………えっ!?」
「……蘭子もよ」
「ぴっ!?」

青い顔に冷や汗を浮かべながら、蘭子が頬を引き攣らせる。それはきっとボクも同じだっただろう……。




118: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 14:59:53.23 ID:+IqVL7Wl0




≪Review by Asuka≫

LiPPSの結成宣言から一週間の内に、十のユニットがUL総選挙レースに名乗りを上げた。ダークイルミネイトもその内の一つだった。
十組程度のユニットで総選挙を競うというのは例年に比べれば遥かに少ないらしいが、それも無理からぬことだろう。今年はULを目指す、イコール、LiPPSなんていう怪物ユニットと張り合うことになるわけで、例年なら半分以上を占めるという『ワンチャンあるかも』勢は軒並み来年以降を見据えたのだ。
つまり名乗りを上げたのはLiPPSを相手にして尚、勝算を見出すことが出来るユニットであり、実際ボクたち以外のユニットにはかなりの実力派や有名人が揃っていた。
そんな例年とは雰囲気の違う選挙レースにおいて、ボクたちダークイルミネイトは“浮いて”いた。それも、かなり浮いていた。いや正確には、名実ともに有する他のユニットの陰に隠れてしまい、話題に上がることさえほとんどなかった。
短いキャリアながらもそれなりに成果を上げてきたつもりだったのだけれど、他の猛者たちと比べられると、地力も地盤もまだまだだったということだ。

こうして厳しい現実を目の当たりにしつつ、ダークイルミネイトの戦いが始まった。それはまさに怒涛の日々だった……。
物理的限界に近い密度で組まれるライブ日程。それに対応するための過酷で濃密なレッスン。隙間時間には鬼畜教師Pによる勉強会。そして毎秒繰り出される神崎Pの小言、悪態、嫌味、侮蔑……これはいつも通りか。
蘭子と一緒じゃなければ、とてもじゃないけど走り続けられなかった。蘭子にカッコ悪いところを見せてなるものか、という意地がボクを支えていた。

ステージでの“共鳴”は必ず成功するわけではなかった。
歌声をハモらせる程度のことではやはりダメなのだ。成功させるには、何かとてもタイトな条件があるようだった。
『蘭子に合わせよう』だなんて考えているときには大抵失敗した。一方 、成功するときにはまるでそれが当然であるがごとく、なんの困難さもなく成功した。
“共鳴”についての傾向がここまで把握できたのは年が明ける頃だった。選挙レースが始まってから二か月が経っていた。
ちょうどその頃からレッスンを効率よく吸収するコツが掴めてきて、生活に多少の余裕が持てるようになっていた。
久しぶりに各ユニットの勢力図を調べてみると、随分と様変わりしていて驚いた。十のユニットのほとんどが事実上の脱落をしていたのだ。
彼女たちの最大の敗因はLiPPSに真っ向から挑んでしまったこと。正々堂々、と言い換えても良いが、その場合勝つのはより実力のある方だ。
テレビ、ラジオ、雑誌、ネット配信など、LiPPSが何らかのメディア展開をすれば、皆こぞって追従した。いや、せざるを得なかったのだ。そこで追い縋らないと、あっという間に先へ行かれてしまうのだから。しかしその全てとライブにおいても、LiPPSは他のユニットを圧倒的に凌駕した。彼我の反響の大きさの違いを何度も見せつけられれば、選挙レースに意味を見出し続けることは難しいだろう。

そして二月に入り、選挙レース期間中において最大で最後のライブ、二月公演を残すのみとなった。




119: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:00:21.00 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

「皆様~~本日は~~お忙しい中ご足労いただき~~まことに~~まことに~~ありがとうございますぅ~~」

明日の大一番に備えたレッスンを終え、蘭子とPの居室に来てみればコレだ。蘭子もとうとうPの奇行に慣れ切ってしまったようで、ボク同様眉一つ動かさない。

「本日お集まりいただきましたのは~~他でもありません~~」

Pの居室は以前と比べると随分と広くなった。室内の調度品もたぶんかなり高価なものだろう。仕事ぶりを認められて会社から良い待遇を受けるのは正当な権利だが、こうも頻繁に部屋が変わるとどうにも落ち着かない。ただ、これからは居室が変わることはそうそう無いらしい。

「そういうのはいいから早く始めろ」
「約束の刻まであと僅か」
「P、真面目に」

すでに室内にいた神崎Pにも嗜められ、Pが頬を膨らませた。イラっとくるだけで、壊滅的に可愛くない。

「はいはいわかりましたよ。ちゃきちゃき進めりゃいいんですね。わかりましたよ。わかりましたから」

不貞腐れながらPが壁際のホワイトボードに文字を書きつけていく。

『二月公演 とても大事!』

いつも思うが書く必要があるのかそれは?

「明日の二月公演の出演順がさっき決定した。それがこれだ」

渡された紙に目を落とす。まず最初に見たのはトリ。そこには――。

「トリはやはりLiPPSか……」
「そして我らはその前座……血が滾るわ」
「つまり。今、ダークイルミネイトが二番手」
「そうだ。俺たちは間に合ったんだ」

年に四回ある一際大きなライブの中で、明日開催される二月公演は他とは異なる趣旨がある。UL総選挙の投票日直前であるため、特に公演の後半は実質的な頂上決戦の様相を呈することになるのだ。そのため、出場ユニットと順番は選挙レースの動向を反映したものとなる。だからこそ前日になってようやく出演順が決定されるのだ。そして当然、公演のトリは最有力と目されるユニットに任される。
選挙レースが始まってからのボクたちの目標は、二月公演時点で二番手につけておくことだった。

「そんで、こっちの“仕込み”ももう終わってる」

Pが携帯にSNSのタイムラインを表示させながら、悪そうな笑みを浮かべる。

「まるでヴィランだなボクらは……フフ」

“仕込み”とは扇動。つまり『この二月公演を最も盛り上げたユニットに投票しよう』という世論誘導。数か月の選挙レースでやってきたことや各ユニットの地盤をすべて一度フラットにして、最後の一発勝負で決めてしまおうという、クイズ番組の最終問題もかくやの恐ろしい風潮を意図的に作り出したのだ。
どんな方法でこれを成したのか全く理解らないが、Pと神崎Pにかかれば可能らしい。
この展開にはLiPPS側が乗り気だったのもプラスに働いたのかもしれない。彼女たちは負けるはずがないと思っているのか、それともただ単に面白そうだからなのか……。後者のような気がする。




120: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:01:01.99 ID:+IqVL7Wl0


「明日、ダークイルミネイトがステージに立ち、“共鳴”を成功させれば、勝つことができる」
「約束された勝利のミサー!」
「ついにここまで来たか……」
「蘭子のおかげでね」

いちいちうるさいなこの女は。

「そ~こ~で~、今の状況を改めて鑑みてみるわけですがぁ~~」
「ん……?」
「世間的には知名度も実力もLiPPS圧勝で『ULはLiPPSで決まりでしょ~~?』って感じじゃん? でも、ダークイルミネイトのライブを知っている人間にとっては、ひょっとしたらgiant killingもあるのでは? なんて思っていたりいなかったり……」
「フム……」
「うむうむ……」
「そんな何かが起こるかもしれない大一番のライブを前に、キミたちが気を付けるべきことは、なんでしょーかっ? はいそこ、早かった二宮飛鳥さん!」
「えっ!? いや、挙手した覚えはないんだが……」

まぁいい。Pの言動にツッコんでいたら日が暮れて朝が来る。

「……ひねりの無い回答で申し訳ないが。十全なパフォーマンスを発揮できるように、心身共に万全の状態でステージに臨むこと……かな」

身体の調子を整えておくことは当然として、ボクと蘭子の“共鳴”には、特に精神的なファクターが強く関わっている。ライブに対して意欲的な気持ちを共有出来ていることは必須だ。

「ほーん、具体的には?」
「…………健康的な食事と早く寝ること」

自分で言ってて面白みが無さ過ぎて悲しくなる。『具体的には?』って嫌な言葉だ。神崎Pが薄く鼻で笑ったのがイラつくけど、見なかったことにする。

「あぁ、あと就寝前に蘭子に電話しようかな」
「するーー!」
「チッ……」
「おーけーおーけー、まぁ、いいだろう」

Pの言葉に若干の引っかかりを覚えなくもないが、これ以上何に気を付けるのか、とも思う。だから気にしないことにした。
それから程なく打ち合わせは終わった。
蘭子と神崎Pは以前から予約していたレストランへ行ってから帰るのだという。「二人で」とやたら強調してきた神崎Pがウザかった。

「じゃあ、ボクも帰ることにするよ」
「おう、おつかれちゃん。出来れば飛鳥も食事に連れて行ってやりたかったんだけど、予定が入っててな」
「構わないよ。その代わり……というわけでもないけど、明日のライブ後は空けてあるんだろうね?」
「もっちろん」
「ならいい。豪勢な食事というのは特別な日に食べるくらいが性に合っている。それに、これでも体重が気になるお年頃なのさ」
「そんな気にしなくてもいいのになー。もっと肉つけた方が健康的だし」
「おや? キミはふくよかな女性が好みなのか? これはますます太るわけにはいかないな」
「……最近さぁ、飛鳥も神崎ちゃんも俺への当たり強くない? 泣いていい?」
「フフッ。まずは自分の奇行を省みることをお勧めするよ」

バカみたいな軽口を叩き合いながら、ボクも部屋を出ようとドアノブに手をかける。
そこで「飛鳥」と、やや真面目な声音で呼び止められた。

「明日は十一時きっかりに飛鳥のマンションに迎えに行く」
「ん? それはさっき聞いたが……?」

そしてPと共にライブ会場へ向かうのだ。明日のライブでは久しぶりに早めに会場入りして、夕方の開幕までの間ゆっくりと英気を養っておくと、さっき打ち合わせで話していた。

「一応言っておくが、それまでは玄関のドアを開けないことをお勧めする」
「……? あぁ、物騒な世の中だしね……?」
「んーー、そゆこと!」

改めて言う程のことかと思わなくもないが、心配してくれているのだから有難く受け取っておこうか。




121: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:01:32.32 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by the greatest mercenary≫

「Hey guys! Make sure your weapons are in perfect condition! After work tomorrow, you'll all be millionaires!!」

「「「「「「「「「「「yeahhhhhhhhhhaaaaa!」」」」」」」」」」」








122: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:02:08.37 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

目覚まし時計代わりのラジオが起動する数秒前に目が覚めた。
寝起きの気分は爽快。大一番が控える日としては最高のスタートだった。

シャワーを浴びる。
朝食にはお気に入りの比率に配合したシリアルを摂る。
身支度を整える。
Pが迎えに来るまでにはまだ時間があった。
ラジオの放送局を変えていく。
以前ライブを大成功させたご褒美としてPから贈られた、ニキシー管がふんだんに配されたラジオ。この最高のガジェットがボクの日常に溶け込んで久しいのに、周波数を表示するニキシー管のフィラメントの揺らめきが、今日はやけに新鮮に見える。
ついボーっと見つめてしまい、ラジオの音声は右から左へ。

「掃除でもするか……」

掃除も二十分とかからなかった。

「……やれやれ」

昨日からずっと頭の片隅に居座っている言葉があった。

『“共鳴”を成功させれば、勝つことができる』

ならば共鳴が成功しなかった場合は……?
そもそも共鳴だって、成功確率は上がっているけれど、成功させようとして成功させられるものではない。いやむしろ、そういう前のめりな気分のときは不思議と失敗することが多かったような……? 成功するときは、不思議と、勝手に、必然的に、なるべくしてなるように、成功するのだ。
今日は絶対に成功させなければ――待て、ダメだ。こんな風に気負うのはよくないぞ……!そうだ、こういうときは逆に考えるんだ。別に失敗してもいいさ、と。

「いや、失敗したらダメだろ……!」

気付けばじっとりと手汗をかいていた。
よくない。よくないな。考え過ぎはよくないぞ。

「気分転換だ」

壁に掛けた幾つかのヘッドホンから無造作に選んで一先ず首にかける。イヤホンジャックをオーディオに繋ぎ、再生しようとしたところで手が止まった。丁度そのとき、ラジオから今日のライブについての話題が聞こえてきたからだ。
特に目新しい情報は無かった。ただ、無視することも出来ず聞き入ってしまい、気付くとボクはただのリスナーとなっていた。流石は熟練のラジオDJだ。

――ピンポーン!

来客を知らせるチャイムが鳴り響く。
時刻を確認すると、いつの間にやら十一時五分前になっていた。ラジオは良い時間潰しになってくれた。

「はーい、すぐ行くよ」

ドアに向かって言いながら、コートを着込みバッグを肩に掛けて玄関へ向かう。
チェーンを外し、サムターン錠を摘まむ。指先で感じる金属の冷たさがやけに刺々しく、それはまるでボクに何かを訴えかけようとしているようで――何か違和感……。Pは何と言っていたっけ……?
『十一時頃に』いや。『十一時きっかりに』だ。
今はまだ五分前。これを『きっかり』とPが言うだろうか? 彼ならコンマ一秒の狂いもなくチャイムを鳴らしそうなものだが……。

――かちゃり

しかし、身体に沁みついた動作が勝手に先を行っていた。

――ガコッッッ!!!

「ッ!?」

錠を閉め直す間も無く、瞬時にドアノブが角度を変える。物凄い勢いでドアの向う側から掴まれたのか。そして凄まじい勢いでドアが開かれた。

「なっ、なんだお前は――ッ!?」

ドアの向こうにいたのはPではなく、全く見覚えのない男。

「オトナシク、シロンダ」
「何を――ムグッ!?」

叫び声を上げる間もなく口が男の手に覆われる。と同時に視界がグルンと回った。身体が持ち上げられたのだ。両脚も掴まれていることに気付く。男は二人いた。




123: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:02:36.38 ID:+IqVL7Wl0

男二人はボクを抱えていながら、ボクの全速力よりも遥かに速く、マンションの出口へと向かって行く。

「ム~~~~ッ!」

両方とも外国の――白人らしい。かなりの体格の良さだ。まったく抵抗できない。なんだこれは? ドッキリ企画というヤツか? いや、うちの会社ではドッキリの類は厳に禁じられていると聞いた。ならばこの男たちは……?
全身に寒気が走った。“拉致”の言葉が頭に過ったから。ボクは今、犯罪に巻き込まれようとしているのだ!
マンションのエントランスを抜けたすぐそこにマイクロバスが停車していた。それにボクは押し込められた。ボクが迂闊に開錠してからまだ30秒も経っていないだろう。
“プロ”だと思った。何のかは理解らない、とにかくプロの手並みだと感じた。
ドアが閉まるのも待たずにマイクロバスは猛スピードで走り出す。

「テアラナ、コトヲ、シテ、ゴメンデス」

三人目の男が登場。ソイツは――またもや白人だったが――ボクが拉致られてくるのをマイクロバスの中で待ち構えていた。一見すると精悍な顔立ちのナイスミドルだが、顔面のあちこちに数多くの傷痕があった。いや顔だけでなく、首にも耳にも袖から覗く腕にも無数の傷があった。全身がそうなのかもしれない。服装はグレーのモザイクのような……都市迷彩という柄だっけ?
ナイスミドルはボクに柔和な印象を与えようとしているのか、薄い笑みを浮かべている。だが、目だけは機械じみた冷徹さを感じた。
ボクをここまで運んだ二人の男の内、片方は見るからに粗暴な雰囲気を放っている若者で、ボクを威嚇するようにガンをつけてくる。
もう片方の男はボクには興味が無いようで、気怠げに前方の座席で運転手のナビをしていた。
運転手は眼鏡をかけた黒人だった。
四人のチームらしい。
マイクロバスの車内を見渡せば、それは以前仕事で乗ったものとはかなり違った構造だった。運転席と助手席は普通だが、それより後ろには座席が極端に少なく、代わりに様々な機材や何らかの道具が収納されているであろうコンテナボックスなどが置かれている。さながら移動基地だ。
この拉致のための偽装車両? 映画などで見たことがあるな。こんな状況でなければさぞ心躍っただろうに、正直なところ、まだ涙が出てないのが不思議なくらいに怖い……。

「きっ、キミたちは一体――」
「Hey ! Shit down !」
「――くっ!?」

肩を抑えつけられて、座席に無理矢理座らされる。やったのはボクに最初に接触した荒くれっぽい男だ。

「No, No, No…….Treat her リスペクタフリー。イッヒューハートハー、ユーウィルベイ――」

ナイスミドルが鋭い眼光を荒くれ男に向けながら流暢に英語を喋り始めた。

「――O.K. boy ?」
「……Yes, sir !」

彼の言葉は英語なこともあってほとんど聞き取れなかったが、どうやら荒くれ男は乱暴さを叱られていたようだ。
荒くれは少しシュンとした表情を見せた後、これ見よがしに丁寧な手付きでボクにシートベルトを装着させた。シートベルトはボクを拘束するためのモノでもあるのか、固定金具には錠前のような器具が付いていた。体勢をずらしていけばベルトをすり抜けることも出来るが、それを見逃す程彼らは愚鈍ではないだろう。




124: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:03:48.89 ID:+IqVL7Wl0


「ブカガ、ゴメンデス。ケガハ、ナイデス?」
「あ、ああ……」
「Good ! So, イマカラ、アナタノ、ジョウキョウヲ……Ah~…English OK ?」
「えっ、い、いんぐりっしゅ……? あ……あ、りとる……!」
「OK. ウェル……」

ナイスミドルが、胸のポケットからメモ帳を取りだして、ペラペラとページを捲っていく。

「……ガッリ。 アナタノ、ジョウキョウデス。ヒトツメ。アナタノ、アンゼン、ホショウ、シマス。アンシン、シテ、O.K.ヨ」
「………」

あのメモ帳はカンペか。クソ。ウェルってなんだよウェルって……!

「フタツメ。コレカラ、ニジュウイチジ、マデ、コノ、クルマノ、ナカデ、イテモライマス」
「にじゅういち……? 二十一時……? は? それって……!」
「ミッツメ。アバレル、ムダデス。ワタシタチ、ツヨイノデ」

二十一時とは今日のライブの終了予定時刻。つまりこのままここに捕らわれたままだとステージに立つことが出来ないわけで、その場合当然の結果としてダークイルミネイトはLiPPSに敗北することになる。

「ふっ、ふざけ――」
「ドンムー !」
「――くっ!?」

問い質そうと身体を前傾させただけで、荒くれがまたボクの肩を抑えつけてきた。それを即座にナイスミドルから厳しい口調で諫められ荒くれは手をどかしたけれど、ボクにしか聞こえないくらいの小声で所謂フォーレターワードを呟いていた。
どいつもこいつも、ボクの言葉を聞くつもりは毛頭無いらしい。車が風を切る音だけが無情に響いている。

車が高速道路へと進入していく。最初の分岐で進んだのは、やはりライブ会場の方向とは違うルートだった。
マイクロバスは今、前後を軍用ジープのようなゴツい車に挟まれて走行している。前後の車もコイツらの一味らしい。
拉致されてからどれくらいの時間が経ったか気になって眼球の動きだけで車内を探ると、機材の操作盤の中に時計が見つかった。この状態になってからまだニ十分ほどしか経っていなかった。こんな穏やかじゃない場所であと十時間も過ごさなければならないと思うと気が狂いそうだ。
そういえばPは今どうしているのだろう? 彼のことだから、十一時きっかりにボクの部屋を訪ねただろうけど、インターホンを鳴らしてもボクが出てこないのをどう解釈するのか…? 眠りこけていると思っていないだろうか? それかちょっとコンビニまで外出してるのだろうと、しばらく部屋の前で待っていたり?
でも……。どっちにせよ、普通は一度携帯に連絡してみるくらいのことはするんじゃなかろうか? 早い段階で取り上げられたボクの携帯はバッグと一緒にボクから離れた座席に置いてある。しかし、この二十分間では何も受信していない。

「……………」

そうしてやっと気付いた。いや、思い出した、と言うべきかもしれない。

「アイツ………」

全部知っていたな!?
昨日の打ち合わせでのPの妙な問いかけは“コレ”のことを言っていたんだ…!アイツなら予知していたとしても不思議はない。ボクが結局五分前にドアを開けてしまうことも知っていたに違いない。連絡をしてこないのは、ボクの状況を知っているからというわけか……!

「アイツゥ……ッ!」
「What… ?」

頭に血が上りそうだ……! だ、だが……こういうときこそcoolにならないとな。うん。いつもPの掌の上で踊らされるなんて、ボクらしくないからね!




125: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:04:24.05 ID:+IqVL7Wl0


「フム……」

ならばPはすでに動いているはずだ。ベストな結果につながるように、虎視眈々と機を窺っているのだろう……! そうして颯爽と現れて、慌てふためくボクにいつものニヤケ顔を向けるつもりだな? ならば彼が現れたとき、ボクが先に笑ってやろうじゃないか……!

「Hey, boy. ワッラライダー?フロッウェンワッザガイデア?」
「Rider? ウェア~~……Oh!」

ナイスミドルが指差す方を見てみると、一台のバイクがボクたちに並走していた。あまりに自然に走っていた為、いつからそこにいたのか分からなかった。
妙なバイク乗りだった。モトクロスで使われるようなバイクに、背広姿で跨っている。かなりミスマッチ。フルフェイスヘルメットを被っているから顔は分からないが――

「――あ、コイツか」

ライダーがメットを外すと、そこには今一番ひっぱたきたい顔があった。Pのすっとぼけた顔だ。

「ディーメッ!! ダ、ガイ、イズ、カミンッ!!」
「Realy!? How fast!」
「Foooooo!! イッツァバロゥ!!!」

男たちが急に色めき立ちはじめる。そして野獣のような鋭い目をしながら、マイクロバスに設置されていたボックスに向かう。
その間Pはずっとボクの方を見ていた。この非常時にも関わらず、オフィスにいるときのような間の抜けた顔で、首元を指差している……?

「ん……? なんだ? 何が言いたい……?」

目をしばたたかせて見ても、Pの意図が理解らない。首をかしげると、Pは事も無げに両手をバイクハンドルから放して、耳の下辺りで軽く手を握った。あぁ、これは首に掛けているモノ――ヘッドホン――を見ろ、のジェスチャーか。

「あ、あれっ? コレは……?」

まだ自宅にいる時に首に掛け、結局音楽を聴かないままだったヘッドホン。それに改めて触れてみて、初めて違和感に気付いた。こんな形の……触れるだけでも分かる、無骨でダサいヘッドホンなんて、ボクは所有していなかったはずだ。

「Hey, girl !!!」
「へっ!? なに!?」

ほとんど怒声のような大声でナイスミドルがボクに言う。その目はゾッとするほどにギラついていた。

「ワスレテタヨ。ヨッツメ! ジャマスルゥゥ! ヤツハ――」

ナイスミドルたちがボックスから取り出した “ソレ”を認識すると同時に、ボクの首に掛かっているモノの用途が理解できた。

「――Dead or Alive!!!!!」

奴らが手にしていたソレを一斉にPに向ける。ソレはこの国では絶対に目にしちゃいけない殺戮の象徴――銃だった。
ライフル? マシンガン? 詳細な分類は理解らないが、明らかに威嚇のためではないソレを、運転手以外の三人が並走しているPへと向けている。
そう、ボクの首に掛かっていたのは、爆音から耳を守るイヤーマフだったのだ。慌てて装着する。Pはいつから仕込んでいたのだろうか――ってゆーか気付けよボク!

ズダダダダダダダダッッ!!!!!
ズドンッ!! ズドンッ!! ズドンッ!!
ぱららららららららららららららら!!!!

「うわぁーーーーーっ!!!!」




126: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:05:25.28 ID:+IqVL7Wl0


イヤーマフ越しにもかかわらず、恐ろしい程の轟音が鼓膜を叩いてくる。まるで耳たぶが工事現場だ。もしイヤーマフが無かったらボクの耳は向こう数日オシャカになっていたに違いない。音に加えて、網膜が焼けそうなくらい火花も乱舞している。
銃口がボクに向けれらているわけではないのに、轟音と閃光の嵐の中ではただ身を丸めていることしかできなかった。銃声の圧でエクステが踊り、肌がヒクつく。夏の夜にしか嗅いだことのなかった匂いが、鼻腔を満たしていく。嗚呼、夜空の花を見る度に今日のことを思い出すことになってしまうのかクソッタレ!

「ここは日本だぞーーーーっ!!!」

ボクの叫びなんて掻き消されてしまう。銃声は尚も止まない。百発なんてとっくに超えているだろう。
そうだPは? Pはどうなった!? こんな集中砲火喰らったらいくらPと言えども……。

「P……ゴ、ゴクリ……」

もしかすると閲覧注意なシーンが……? 恐る恐る視線を上げてみる。
だが。いた。Pはいた。そうかー。無事かー。P、そっかー。何だコイツ。
上半身をウネウネとくねらせたり、ウイリーしたり、くるんとバイクごと前転したりと、変態的な軌道で相変わらず近くを並走している。表情はいかにも涼しげだ。コーヒー豆を挽いているときの方がよっぽど真剣みがある。あ、前後のジープからも銃撃されているらしいな。一発も当たってないみたいだけど。

「Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k!!!!!」
「Why? ワァアアアイッ!? ワッツゴーリンウォン!?」
「ガッッッデンッ!!! イズディッサルーモアッマンッ!?」
「What are you ファキンドゥーインッ!? キルヒンッ!! Hurry! Hurry!!!」

男たちは目を剥き、口角に泡を溜めながら叫んでいる。
SNSにアップすればバズること間違いなしの曲乗りを披露しながらPはまだボクを見ていた。その口がゆっくりと動いている。この期に及んでまだ何かを伝えようとしているらしい。読唇しろということか?

「えむ? えう……? え……えん……? えんよい……? えん……じょ……い……あぁ」

『Enjoy!』

ボクに伝わったのを見て、Pが満足げに頷いた。

「Pのアホーーーっ!!」

あっ! Pが後ろに向けて何か投げた?

ドッグオォォォオオおおおんッッッ!!!

「うっわぁああ!?」

後ろを走っていたジープが派手過ぎる音をたてて跳ね、前転を試みて中途半端に止めたようにノーズから地面へと不時着した。何故そうなったのかは理解らないが、廃車なのは間違いない。




127: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:06:01.62 ID:+IqVL7Wl0


「Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k!!!!!」

荒くれのボキャブラリがクライシスだ。気怠げ男は顔を青くしつつも撃ち続ける。ナイスミドルは……手を止め、無線を使っていた。

キキキキィイイイイ――!!!

前方でけたたましいブレーキ音が轟き、前を走っていたジープが真横に来たと思った次の瞬間――

「フグッ!?」

横Gで身体が揺さぶられ――

グワシャンッッ!!!!

「ひょああああっ!?!?!?」

マイクロバスとジープが横っ腹を衝突させていた。荒事のスペシャリストたちだからできる、完璧なコンビネーションだった。
バキバキバキと金属の破壊音が鳴り響く。二台の大型車両にサンドイッチされては、あんな華奢なバイクはひとたまりもないだろう。人間は言わずもがなだ。ただし……。
早々にナイスミドルが「yeah!!」とガッツポーズをキメている。他の男たちは手を叩き合って大笑いして口々にスラングを並び立てている。
数秒の後、ジープが離れていく。

ガシャン! がぎぎぎいぃ~~……。

アスファルトの上を金属が滑る音が遠ざかっていく。後方を見やったときにはもうかなり距離があって、バイクがどれ程の破壊を受けたのかさえ判然としなかった。
ただし。ボクには理解っている。
脱落したのはバイクだけであり、この男たちはぬか喜びをしているということを。あの程度の奇襲で二宮飛鳥のプロデューサーがどうにかなるわけがないのだ。

ドッグオォォォオオおおおんッッッ!!!

「「「「ワッ !?」」」」

ついさっきも同じような光景を見たな。バイクをサンドした隣の車線を走っていたジープが、急にスピンをして側壁に衝突し、製造中のバームクーヘンを早回ししたようにローリングをし始めていた。こっちも廃車決定だ。
彼らの表情から喜悦が霧散し、身体を硬直させる。ボクを含めたぶん全員が「もしかして…?」の想像を膨らませていた。
奇しくもそのとき、大型の観光バスを追い抜いた。そのバスの車体に嵌め込まれた数十枚の窓ガラスに、ハイウェイでは有り得ない像が映り込んでいる。ボクらの乗るマイクロバスのルーフの上に人影が!

「あっぷであ!!」

男たちが天井に銃口を向ける。しかし最初の誰かが引き金を引くのよりも早く――

ボゴンッッ!!

「ゴッ――!?」

運転手の直上の天井が陥没していた。その凹みは正確に運転手の脳天へと衝撃を与えたらしい。

「ワッザヘルッ!!!!」
「うわああああっ! こっ、これえぇ! 大丈夫なのかぁああっ!?」

ハンドルを操作する者が昏倒し、マイクロバスが激しい蛇行を始める。シートベルトで固定されているボク以外は皆盛大にズッコケた。しかも運転手はアクセルを踏んだまま気絶してしまったようで、スピードは落ちるどころかどんどん加速していく。




128: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:06:39.31 ID:+IqVL7Wl0


「Arghhhhhhhhhh!!!!!!!」

ナイスミドルが叫ぶ。彼だけはズッコケたのではなかったらしい。銃器が納められたボックスの方へと意図的にダイブしていたのだ。新たな長物を取り出して、半分床に寝たような体勢で天井へと銃弾をばら撒き始める。

バタタタタタタタタッ!!!!

「Boys!!! テイカッガンッ!!!」

その雄姿は恐慌状態に陥りかけていた荒くれ男と気怠げ男を立ち直らせる。しかもナイスミドルは右手のみで銃を操りながら左手でボックスを漁り、彼らへ得物を放り投げていく。この咄嗟の判断といい、さっきのジープとの連携といい、このナイスミドルは相当の腕利きなのかもしれない。

「Fire! Fire!! Fire!!!」
「ダイッ! ダイッ! ダァアアアアアアアイッ!!!」
「ダァーイッ!! ファッキンガーーーイッ!!!」

―――――――!!!!!

銃声。閃光。咆哮。
身体の芯まで痺れるような強烈な刺激が延々と続く。マイクロバスの広い天井に隈なく穴が開いてゆく。

「Stop Firing!!!」

永遠にも感じられた破壊の嵐がナイスミドルの指示でパタリと止んだ。マイクロバスは相変わらず猛スピードで疾走しているけど、今それについて頓着できる者は誰もいなかった。
天井は正にハチの巣状態。もし仮にこの天井の向こうに人間が立っていたならば、“普通は”原型を留めていないだろう。
無数に空いた穴から外気が入り込み、亡霊の泣き声のような不吉な風切り音をかき鳴らしていた。
車内に差し込む幾筋もの光条の鮮明さが硝煙の濃さを物語っている。そういえば、そろそろ正午か。今日はなんて天気が良いのだろう。

……コンッ

「「「「……?」」」」

快晴なのは間違いない。だと言うのに、天井に何かが降り注いだ音がした。

コンッ、コツン、コンッ、コンッ、ココンッ、コツンコツンッ、ココンコココココッ!

そしてどしゃ降り。雹のような硬質な“何か”が大量にルーフに降り注いでいる……!
天井を見上げようとも、開きに開いた穴から差し込む逆光の所為で、何が起こっているのか把握することができない。

「……What…?」

穴から転げ落ちてきたその“何か”を、最初に摘まみ上げたのは気怠げ男だった。




129: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:07:14.95 ID:+IqVL7Wl0


「………ア……Unbelievable」

小豆ほどの大きさの“何か”が、降り注ぐ光を受けてキラリと輝いた。それは新品の十円硬貨と似た光沢で――つまりは弾頭だった。
その意味するところを理解して、全員が青ざめていく。てゆうか、ボクも流石に引く。あれだけの銃弾を以てしても、Pには通用しないどころか……意味が理解らない。
そして、Pのターンが始まった。

――ギャキキィキギギギギギギイッ!!

「What!?!?!」
「うああああ!? オイP! これはちょっともおおおーー!!」

悪魔の断末魔のような破壊音を伴って運転席近くの天井から現れたのは、回転する鋼鉄の牙、チェーンソー。銃が殺戮の象徴ならば、チェーンソーは恐怖の象徴か。それが車内という閉鎖空間の中、数歩しか距離の無い場所で暴れまわっている。決して許容することの出来ない恐怖に全身が硬直する。

「HyeaaaaaaaAAAAAAAA!!!!」

一番近い位置にいた気怠げ男が、情けない叫び声を上げながらドアをこじ開け、車外へと逃げ出していった。時速百キロは越えているだろうに、大丈夫なのだろうか? まぁ特殊な訓練を受けているだろうから問題ないのだろう。

ギャルン! ギャルンッ! ギャルルルルルルウウウウッッ!!!

天井から覗いた刃は上下動を繰り返し、天上を切り裂きながら後部座席へと行進し始める。向かう先は次に近い位置にいた荒くれ男だ。

「スィット!!」
「――えっ!?」

荒れくれがボクへと振り返り、手を伸ばして――あっ、コイツ、ボクを盾に……っ!

――ギャギッギギギッギギ!!!

「Why!?」
「ひゃあああーー!?」

第二のチェーンソーが、荒くれとボクの間に割って入ってきた。第一の方とは二メートル近く離れているように見えるが、一体全体どうなっているのか? 考えても無駄だろうな。

ギャルンギャルンンギャギャルルルッル!!
ギキィイイイッギイイギギギルルルッル!!

前からと後ろから、二つのチェーンソーが荒くれ男に迫っていく。近づくに従って、荒くれはお行儀よく直立不動の姿勢をとった。

「……ヘルッ! Help! Help meeeee!!!」

更に近づく。とうとうつま先立ちになる。

ウオオオオオオンッツ!!

あと三センチでミンチというところでチェーンソーの前進は止まり、空転してみせた。煽られた荒くれはバレエダンサーのような横歩きで、気怠げ男と同じように車外へダイブしていった。
そうなればチェーンソーの向かう先はもう一つしかない。

「Fu〇king monster…!」

ナイスミドルは既に両手に鉈のような大きな刃物を装備していた。まだやる気らしい。なんて胆力だこの男、スゴイぞ。




130: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:07:43.47 ID:+IqVL7Wl0


ギィイイインッ!! ガギギギッ!! ギャギャガガ!!

叩く! 叩く! 叩く!
チェンソーの横っ面に猛烈な連打を叩きこんでいく。座席がほとんど無いとはいえ狭い車内で、なんて俊敏な身のこなしだろう。
しかし――

バギギギギギギイイイイ!!!

「GuuooOOOH!!!!」

とうとう最後尾まで追い詰められてしまった。
ナイスミドルは膝をつきながらも、鉈をかかげてチェンソーの進行を押しとどめようとしている。だが牙の回転は着実に鉈の刀身を削り取っていく。もう時間の問題だ。

「Please!! セイヒンッ! アイサレンダーーーッ!!! プリ―ストピッ!!」
「えっ!? 愛されプリンストン……?」
「プリーーーーッ!!!」
「ごめん理解らない……っ!」

必死の形相で何かを訴えかけてくるけど、ボクにはどうしていいのか……。なるほど、英語ができないとこういうときに不便なのか…。“こういうとき”がそう何度もあってたまるか!

――ギャルルルルギッギギギッ!!!

「ファッ!?」
「あっ」

そこに第三のチェンソーが現れた。終わった。
それは腕が二本しかないナイスミドルを嘲笑うかのように、彼の正中線目がけて前進していく。

――バキィィイン!!!

鉈の寿命もそこで尽きた。

「ドウシテ?」

さっきまでは龍虎さえ屠れそうであった彼が、今はもう子猫のような哀愁を漂わせている。

――ウォオオオオンッ!!!

しかしケルベロスは止まらない。けたたましいエンジン音を轟かせながら今にも――

「Pぃーー! もういいっ! この人戦意喪失してるからーーっ!!」
「ストッストッ! ストオオッ! ノホオオオオOOOOO!!!!!!」

――ギャルルルルルウルウウルウウウ!!!!!

「ひぃいいいっ!!!」

もう見ていられない。ボクは彼から目を背け、縮こまるようにして全てが終わるのを待つことしか出来なかった。
ナイスミドルの絶叫が段々と弱々しくなっていくのが逆に恐ろしかった。

――ウォオオオンウォオン………

しばらくするとチェンソーのエンジン音が途絶えた。いつの間にかマイクロバスの走行も止まっていた。

「………ッ!」

意を決して、視線を上げていく。スプラッタは好きじゃないが、状況を確認しないわけにもいかないのだ。

「うっ……! なんて、無残な……」

そこにあったのはグロな光景ではなく、とりあえずは安心できたが……ナイスミドルは最早ナイスミドルではなかった。上半身裸のショーパンモヒカン男だった。白目を向いて泡まで吹いている。周囲に散乱した布切れや頭髪がただただ汚い。よくもまぁチェンソーで器用なことが出来るものだ。




131: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:08:40.18 ID:+IqVL7Wl0


「どう? 楽しんでくれた?」

切り取られた天井からPが顔を覗かせる。『大将やってる?』みたいな感じで。そうだった…。コイツはこういう男だった。さっきまでビクビクしていたのが馬鹿らしくなって全身からすごい勢いで力が抜けていく。
ヌルりと車内に降りてきたPはボクのシートベルトを解き、立ち上がらせてくれた。
車の近くにトイレと思しき小さな建物がある。どうやらパーキングエリアまで来ていたらしい。

「こ、これは……これは一体何だったんだ? 何故ボクはこんな目に……」
「ブックメーカーって分かるか?」
「………賭け事の?」
「そうそう」

ブックメーカーとは賭け屋。賭博はこの国ではごく限られた領域でしか認められていないが、海外ではもっとオープンな国があるらしい。そしてその賭けの対象は幅広く、競馬やスポーツの勝敗に始まり祝祭日の天候にまで及ぶ……。ということは聞いたことがあった。

「何年か前から、UL総選挙の順位も賭けの対象になっててな。例年はどのユニットが優勝するかの予想はかなり分かれるんだけど、今年はぶっちゃけLiPPS一択だったじゃん? だから、いたんだよ。ほとんど全ツッパしちゃったお金持ちのオジサンが何人もな」

昏倒したままの元ナイスミドルと運転手を縄で縛りながら、Pが説明してくれた。
かいつまんで言うと――選挙レースが始まった当初は、世界中の誰もがLiPPSが優勝すると思っていた。しかし紆余曲折を経て、“万が一”が起こり得る状況になってしまった。そこでもう後に引けないお金持ちオジサン連合が裏社会の力を借りて、不安要素たるボクたちを棄権させようとしている――ということだった。
ボクたちの純粋な営為が勝手に賭けの対象にされていることは腹立たしいが、スケールが大きすぎてイマイチしっくりこなかった。

「って、蘭子! 蘭子は無事なのかっ!?」
「あぁ、神崎ちゃんにはアイツが――」
「蘭子! 頼む、無事で……っ!」

急いで携帯で蘭子にコールする。三コールしてもまだ出ない。嫌な予感がチラついて――

『プッ……!』
「ら、蘭子!? 無事か!? 蘭子?」
『ッ!!! ~~~~ッッ!!!!』
「蘭子っ!? 蘭子なのかっ!? 蘭子ぉ!」

蘭子の息遣いらしきものが聞こえる。しかしそれは荒々しく、最悪の光景が脳裏に過る。

『バタタタタタタタタッツ!!!!』
「――ッ!?」

鼓膜をつんざくような轟音。今のボクは知っている。銃声だ。

「ああっ!! そんな!? 蘭子! 蘭子ぉーーっ!!」
『…………すっ』
「っ!? 蘭子? 無事なのか……っ!?」
『――すっっっっごぉおおいっ!!!』
「……………なんて?」

それは、これまで聞いたことのないくらい元気な、蘭子の声だった。

『すごいすごいすごーーーーい!! 我が友ーーっ! いっけぇええっ!! きゃーーー!!! かっこいい~~~~っ!!』
「あ、あの……蘭子……?」
『飛鳥!? 何? どうしたのっ!?』
「あ、えっと……どうしたの、はボクの台詞なんだけど……」
『えっ!? ごめ――ドガガガガガッ――聞こ――バキキーーキッ!!――い! こっち騒がしくて!』

現在進行形で激しく鉄火場のような音がするんだけど、当の蘭子の声には悲壮感などはなく、寧ろ楽しんでいるようで……。どうやらボクをPが助けに来たように、蘭子の方には神崎Pが行っているらしい。

「あぁ、うん。蘭子が楽しんでいるなら、いいんだ。うん」
『飛鳥――ダンッ!ダンッ!ダンッ!――は大丈――パララララッ!――あっ! うしろーー! 我がと――ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!』
「くっ!?」

雷鳴のような轟音に、思わず携帯を遠ざけていた。離した携帯からは、次いで爆発音らしき音が聞こえてくる。

「ら、蘭子……?」
『す、すご……。え? すごひっ……ま、まっぷたつ……とらっく、まっぷたつ……え? え?すご~~~っ!!!』
「あぁ……なんともないみたいだね」
『あっ、ごめんね飛鳥っ! こっち目がはな――ドッガァァアアン――旦切るね。また後でねっ! 闇に飲まれよーーっ!! プツッ――』
「あぁ、うん、やみのまー……」




132: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:09:14.46 ID:+IqVL7Wl0


Pが苦笑していた。

「あっちも大丈夫そうだな」
「あぁ、うん……」
「トイレ行っとく?」
「あぁ、うん……」

花を摘み、ほっと一息。
洗面台で手洗いをする。そのとき煙の匂いがした。それはボクのエクステからだった。
なんてことだ。おろしたてのエクステに硝煙の匂いが付いてしまっているじゃないか!
なんだか猛烈に腹が立ってきた。そうだ、ボクは怒っていい。

「Pっ! おいっ!」
「おっ」

トイレから駆け出て、Pに詰め寄る。

「キミは知っていただろう!? 全部!」
「たはー! バレたかぁー!」
「ばか! この、ばかぁ! ボクがどれだけ怖い思いをしたのか理解っているのか!?」

Pの肩をポコポコ叩く。

「すまん。例によってこの展開が最適なんだ」
「またそれか…! だとしても、もっとこう……あるだろう!?」
「それにさぁ、飛鳥だって言ってたじゃん?」
「は? 何を…?」
「カーチェイス、してみたいって」
「………っ!」

言ったっけ?
あ……言ったような気がしなくもない……? いや待てよ……!

「違うっ! ボクが言ったのは“バイク”チェイスだ……! 頬で風を切る疾走感……胸のすくようなアクションシーン……! ボクが求めていたのはそういうのだ!」
「さっきもアクションシーンあったじゃんよー」
「あんなのほとんどホラーだろうっ! チェンソーで車を切り刻むヒーローなんていてたまるか……!」
「そっかーバイクチェイスかぁー」
「そうだ。バイクチェイスだ。ボクがしたいのは」
「…………………フヒ」
「っ!?」

それが失言だったことにPの表情で気が付いた。悪巧みをするときのいやらしい笑みだった。ボクはまた誘導に引っかかってしまったのだ。

「オーケー!! ならばやりましょうバイクチェイス!」
「まっ!? 待て待て待て待てっ! 違うぞそういうことじゃない!」
「Come on!!! ブケファラスっ!」
「は? ぶけふぁ……?」

――シュゴオオオォーーッ!!

「なっ!? 何かが……来るっ!?」

トイレの向こうから――トイレの建物を飛び越えて――ソイツはやって来た。

――ダキュッッ!! キキキィイイイーッ!!

そして着地と同時に白煙を上げながら旋回し、ボクの前でピタリと止まった。

「こっ、これは……!」

それは漆黒のボディを持った……おそらくはバイクに分類される車両だった。バイクだと思ったのは前後に付いているタイヤが一輪ずつだからだが、こんなフォルムのバイクは見たことがない。いや、あるにはあるけど、それはSF映画だとかに登場する空想の産物だった。
そもそもこれは本当にバイクなのだろうか? Pの叫びに呼応して飛び出してきたように見えたし、今だって誰も跨っていないのに二輪のみで自立したまま静止している……。

「これはブケファラス号。俺が一から組んだ特製のバイクさ。ぶっちゃけ、めっちゃ先の技術を仕込んでる。結構カッコいいだろ?」

――シュイイイイインン

モーター音に似た駆動音と共に漆黒のボディにブルーライトのラインが浮き上がった。それはまるで闇夜に煌めく流星のようだ。
ボクの中にある中二スピリットが、確かに激しく疼いている。




133: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:09:44.04 ID:+IqVL7Wl0


「ちょ、ちょっと待ってくれ! お金持ちどもの悪巧みはもう終わったんだろう? なら後は会場へ向かえばいいだけ……もうバイクチェイスなんてする必要はないじゃないか」
「ん~~、それがなぁ~~、全ッッッ然ッ、終わってないのよ。映画で例えると、今はまだオープニングみたいなもんで、このパーキングエリア出るときにタイトルがバーンって出る感じ?」
「は……? ふ、ふざけるな……さっきのチェンソー乱舞、どう見たってクライマックスシーンだろ!」
「おっ、掴みはオッケーってことかな」
「ボクの心はもう劇場から帰宅済みだ……っ!」
「でも実際、今の会場周辺は傭兵さんたちで寿司詰めみたいなもんよ? このままじゃあ、流石に近づけない。つーわけでしばらくは遠くで暴れて敵を引き寄せて、現地の数を減らしていくんだ。今のところ、敵は神崎ちゃんの方に集中してるが、間もなくこっちにも――」
「あーーーーっ! うあーーーーーっ!!!」
「飛鳥が壊れてしまった」
「鬱憤を解放しているんだばか!」
「ウケる」

大声を出してほんの少しだけ冷静さが戻ってきた……ような気がするがそれこそ気のせいかもしれない。

「ほ、他に方法は……?」
「無いんだなこれが。俺と一緒にブケファラスで飛び回るか、大人しく監禁されるか……どちらかしかない」
「ぐぅぅ~~~……っ!」

約三か月前のヘリコプター飛び乗り事件の圧倒的な無力感と恐怖は、今なおボクのトラウマだ。
そしてボクの直感が告げている。今回はその比ではないと……!
スピードの化身のようなフォルムをしているこのバイクは、絶対に乗ったらヤバいヤツだ。しかも運転するのはP……。ああーーーっ! どうしてボクのアイドル活動にはこうもトリッキーな困難が付いて回るのか!?
……でもコイツ、メチャクチャかっこいいんだよな……!

――シュイイイイインン……ブォフォォオオーー

なんて重みのある排気音! 装甲が動くギミックもあるのか……!
い、一度跨るくらいなら……?

「おっと、来なすったぜ?」
「っ!?」

閑散としていたパーキングエリアに、地響きを携えて車両群がなだれ込んでくる。どれも普段はお目に掛かれない無骨な造形だ。装甲車というヤツだろうか?

「よっしゃ! 行くか、飛鳥っ!」
「ボクはまだ乗るなんて………くそぉーーーー!」

しかしボクはもう乗るしかなかった。
Pの腰に腕を回し、全力でしがみつく。

「く、くれぐれも安全運転で――」
「オラオラオラァーー!アイドル二宮飛鳥様のお通りだぞーー!」
「――うわあああっ!? 速いいぃいいーーっ!!」

瞬きの内にボクたちは風になる。
そしていとも容易く敵の包囲網を抜け、ハイウェイを疾走し始めた。
全編アクションシーンのドンパチ映画の開演だ。




134: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:10:22.49 ID:+IqVL7Wl0




『さよなら、アスカ。あなたとのドライブ、たのしかったわ』
「そ、そんなっ!? ブケファラス! “ソレ”はダメだ……っ!」

ボクの言葉を無視して愛馬がスラスターを駆動した。漆黒のボディに刻まれた蒼の刻印が強く脈動し始める。それは破滅への序曲。
ボクの左腕に描かれた幾何学模様はいずれも赤く光っている。それの意味するところ、兵装の残弾ゼロ。
左目の網膜投影ディスプレイにはブケファラスからの別れを告げるメッセージが次々と表示されていく。
数百キロを走破し、幾度の戦闘を経て百八種の兵装も使い切った今、ブケファラスが武器とできるのは最早己の躯体だけ。損傷だらけのボディから噴き出す火花は、まるでブケファラスの血液のように見える。限界を超えてエネルギ―を絞り出すつもりか。

『Good luck, My idol!』
「行くなーーーっ!!」

スラスターが蒼い炎を噴射するとブケファラスが宙へ浮き、上空へと加速していく。向かう先はボクたちの前にはだかった最後の難敵、アパッチヘリ。
星々の瞬く夜空にブルーライトの軌跡が走る――!

――ゴシャャアアッッ!!

ブケファラスの捨て身の吶喊は見事ヘリの横っ腹を捉えた。ブケファラスが突き刺さった箇所では早くも小規模な爆発が起きている。プロペラも破壊したようで、ヘリは完全に制御不能状態に陥った。そして二機は混然一体となって海へと墜落し、海中へと没していった。

「ブケファラスゥウウーーーっ!!」
「大丈夫だ、アイツの本体はクラウド上にある!」
「そうなのぉ!? そういうことはもっと早く言ってくれないかなっ!?」

ボクの絶叫を返せと言いたいところだけど、無事なら良かった。

「それはそうと、行くぞ。時間がない!」
「ああ!」

会場に隣接する駐車場に着いたまでは良かったが、思った以上に時間を取られてしまった。
随分と遠回りをする羽目になったものだ。しかし今ようやく、目と鼻の先に今日の目的地を捉えた。
ボクたちは真っ直ぐに、煌々と光り輝くドーム会場へと駆けて行く。

――――!!!!!!

入るまでもなく理解った。会場の盛り上がりは最高潮に達している。歓声のうねりがここまで伝わってくる。それもそのはず。時間的に二月公演のメインイベント、UL選挙直前の頂上決戦が始まろうとしているのだ。故に一刻も早く舞台袖へと到着しなくてはならない。
そして遂にドームのスタッフ通用口まで到達したのだが――

「I've been waiting for you!」
「おっ、来やがったな~~」
「コイツらは……!」

通用口近くの物陰から数人の男たちが現れた。その内の一人には見覚えがあった。半日前、Pによって無残な姿に変えられた“元”ナイスミドルだ。

「Fight me, fu〇king monster!!!」

とはいえ、彼にとってはもうボクのことはどうでもよくて、ただPにリベンジしたいだけらしい。これはもしかして、仕事や損得とは切り離された漢たちの最後の戦い、というヤツじゃなかろうか? 中々にアツい展開だけれど……。というか、この人のメンタル鋼鉄なのか? あれだけやられたのにまだPに立ち向かえるなんて。

「行け飛鳥! ドーム内に入ればコイツらはもう手出しできない!」
「で、でも……!」
「心配ねぇよ。俺がこんな奴らに負けるわけないだろぉ?」
「いやキミの心配じゃない。あまりやり過ぎてやるなと、そういうことが言いたいんだ」
「あっ、そっちスか」

Pを残してボクはドームへと足を踏み入れる。背後からは「アチョーー!」という奇声が聞こえたが、ボクにはもう彼らの冥福を祈ることしかできなかった。




135: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:10:56.45 ID:+IqVL7Wl0


――――!!!!

小規模な地震かと間違う程に会場全体が揺れていた。オーディエンスたちが足を踏み鳴らし、ダークイルミネイトの登場を待ち構えているのだ。
『ある程度のことは運営スタッフに伝えてあるから、とにかくステージへ向かへ』とPは言っていた。通路をひた走り、舞台袖へと向かう。

「はぁっ、はぁっ……!」

体力はもう限界といっていい。足がふらついて気を抜くと転げそうだし、頭も重く感じる。まるで一日中テスト勉強をさせられたような怠さがある。今日はずっと慣れないドンパチをしていたんだから無理も無い。よくここまでたどり着いたよ、ほんとに……。

「飛鳥っ!」
「蘭子……っ!」

そしてようやくボクたちは出会った。
蘭子はボクとは別の通用口からここ、舞台袖を目指していたらしい。

「あぁ、蘭子、無事でよかった……!」
「うん! 飛鳥もっ!」

彼女の服を見れば、ここまでの道程は決して楽なものではなかったことが理解る。いつにも増して気合の入ったゴシックドレスだというのに、所々に破れや汚れがあった。おのれ傭兵どもめ。
どちらからともなく手を取り合うと、今日ボクたちが見てきた光景がおおよそ伝わってくる。

「な、なんと……無数の魔具を備え、空をも駆ける鉄騎とは……!」
「フフフ。蘭子は……なるほど強化外骨格か! 興味深い……っ!」

あの女もなかなか良いセンスをしているじゃないか。そういえば姿が見えないが、大方Pのように最後の始末でもしているのだろう。

「だが、今は――」
「うむっ――」

積もる話は後でいい。今はまず、全てをぶつけにステージへ。
ステージへ駆け往くボクらを見咎めた運営スタッフたちが驚愕の叫びを上げた。

「えっ!? 衣装は!?」 「メイクもしてない!?」 「もう観客待たせられないぞ!」

頭を抱える彼らを余所に、ボクたちは止まらない。止まる必要なんてない。
ボクたちが着るはずだったステージ衣装は楽屋にあった。一歩たりとも入っていないその楽屋の内装をボクたちは知っている。部屋のどの位置に衣装が置かれているのかも知っている。ボクたちの身体に衣装のイメージを重ね合わせる。

――ボクたちは既にステージ衣装を身に纏っていた。

ステージに立つ最高のボクたちをイメージする。

――メイクも既に完了していた。

疲労なんてとっくに消え失せているどころか、全身に力が漲ってくる。
ボクと蘭子の共鳴は、過去最高の重なりを記録している。今のボクたちなら何だって出来るという確信がある。
今日一日、色々あったけれど、結局のところ、ボクたちの踏み台にしかならなかったワケだね!

「えぇ~~…。なんなんアレ? 見た、奏ちゃん?」
「え、えぇ……」

ボクたちの次に控えるLiPPSの面々も、既に舞台袖に来ていたらしい。ボクたちの変わり身を見て、皆目を丸くしていた。いや、志希だけはほとんど睨みつけるような強い視線をボクに送ってきている。
だけどボクはもう、蘭子と響き合いたいということだけしか考えられなくなっていた。

「さぁ、往こうか……!」
「覚醒の時は来た……!」

この一歩で、ダークイルミネイトはステージの中央へと転移する。

―――――!!!

光の粒子が天高く巻き上がっていく。その中心でボクたちはポージングしていた。
種も仕掛けもない純然たる奇跡に、オーディエンスたちは沸きに沸く。初っ端からそんなにはしゃいで最後までもつのかな?
ダークイルミネイトの幻想はドーム会場を、常識を、そして世界を侵食していく。
故に、ボクたちが歌い終わった時点ですべての結果は決まっていたのかもしれない。




136: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:11:24.92 ID:+IqVL7Wl0




≪Review by Asuka≫

二月公演のトリであるLiPPSのステージが終わった数時間後、UL総選挙の投票期間も終了した。
結果が発表されたのは翌日のゴールデンタイムのこと。

総選挙で一位に輝きULの出場権を得たのは、ダークイルミネイトだった。

絶対的ユニットであるLiPPSを差し置いてトップに立ったボクたちは、一躍“時の人”というヤツになってしまった。殺到する各種マスメディアの対応にほぼ丸二日を費やす羽目になった。

それが一段落して、ようやくボクたちはULに向けての打ち合わせに入ることが出来た。




137: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:11:52.80 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

UL総選挙において一位に輝いたということは、“名実”の少なくとも“名”についてはトップアイドルであると言っても過言ではない。すると自動的にその担当は最高のプロデューサーであるはずだということになるようで、遂にPの居室は――神崎Pの居室もだが――最高ランクのものとなった。

「太っ腹というか、なんというか……」

無暗矢鱈に広くて豪奢な部屋だった。仮眠室はまだしも、給湯室――というよりはキッチンと呼ぶべきか――トレーニングルーム、シャワールームまで完備されている。いっそここを別の会社の事務所にすることもできるだろう。最初期の部屋とは比べるべくもない程に良い環境なのだろうけど、昔の部屋程度の方が落ち着くのではないかとも思った。しばらくすればこの部屋にも慣れるのだろうか?
そんなPの居室にダークイルミネイトの関係者四人が集まっている。時刻はちょうど午前十時になった。

「UL……ウルトラライブについて改めて説明しておくとだな……」

Pがホワイトボードに単語を書き込みながら説明をしてくれた。
今でこそ総選挙はULに出演するユニットを選ぶためのものと認識されているが、十年ほど前までは単なる人気投票の意味合いが強かったそうだ。当時の一位のユニットへのご褒美は単に『どんな願い事でも叶えてもらえる』というものだった。しかし、歴代のほとんどのユニットが最大で最高のライブ――つまりUL――をすることを願ったので、いつしか総選挙イコールULという一般認識になったのだという。

「ここで嬉しいのは、願い事を叶えてもらえるっていう副賞はまだ生きてるってことだな」
「へぇ……!」
「しかも、昔と比べれば会社も随分大きくなってきているのもあって、願い事の回数にも制限がないんだ。まぁ期限はULが終わるまでだけど」
「なっ!? それは真か……!」
「い、いや待つんだ蘭子。こんなうまい話そうそうあるはずがない。どうせ使える金額に上限があったり……」
「……まぁ、ほぼ無いと思っていいぞ、上限」
「えっ……!?」
「一応予算としては……ちょっと耳貸して。これホントは教えちゃダメなヤツだから」
「ん…?」
「はぇ…?」

Pに耳を寄せるボクと蘭子。

「……ひへ!?!!?!?!?!?!?」
「……ふぁ!?!?!?!!!!???」

彼の口から出た額は想像を遥かに超えていた。確かにどうすれば使い切れるのか見当もつかない。別に使い切りたいわけでもないが。

「ただ注意点としては、これはシンデレラにかけられる魔法みたいなものなんだ」
「と、いうと?」
「バッグも買える、車も買える、家も買える。でもULが終わったら全部消えてしまう。つまりはボッシュート。形あるものでUL後も残るのはULのライブデータだけ。それを会社は売りまくるっちゅーわけだ」
「あぁ……なるほどねぇ……」
「現世とは残酷なもの……」
「だからお勧めの願い事は、豪華な食事やアクティビティ系のリクエストだな。たとえば、南極の氷でジュースを飲みたいって言えば翌日には叶うし、宇宙遊泳したいなら三日ほどで叶うだろう」
「フフッ……! ジュースは普通のロックアイスでいいけどね」

だけど宇宙遊泳は正直かなり興味をそそられる。検討してみようか…?

「まぁでも、フタリハアンマリツカエンカモダケドナ……」
「え…? 何て?」
「いや、まぁ、二人次第だな。うん。へへっ!」

Pのヘッタクソなウインク。それを目にしたとき、正体不明の不安が胸に去来した。

「……おい。何か嫌な予感が――」
「――P、そろそろ本題に入りましょう」

そこで今日初めて神崎Pが喋った。
本題とはULの内容についてのことだ。蘭子は早速そちらの方に意識が移ったようだった。ボクの経験則からすると、こういった胸騒ぎを放置すると碌なことにならないのだが、ここで話を止めようとすると、神崎Pの小言が出るのが容易に想像できたので一旦引いておくことにした。

「そんなわけで。ULではダークイルミネイトの二人がやりたいと願う事の全てをやっていい」
「ふ、ふお………」
「開催場所も開催時間も観客数も曲数もステージセットも! キミたちの自由だ! 会社が総力を挙げて全てを実現してくれる!」
「ふおおおおーーっ! あっ……い、衣装も…好きなの着ていいの……?」
「もちろんだよ! 何着でもいいよ! 小道具もだよ!」
「わふぉおおーーーーーーーーーっ!!!」
「それらを手掛けるのは世界中の超一流のプロだ。そして最高のユニットであるキミたちが演る。つまり、今この星でできる最高のエンターテインメントになるな」
「いいやっあふぅううーーーーーーっ!!!」

蘭子が歓喜の叫びを上げる上げる。彼女の喜びようには、神崎Pさえも微笑を見せるほど。当然ボクの心も躍っていた。ついさっき感じた不安なんて吹き飛んでしまうくらいに。




138: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:12:37.54 ID:+IqVL7Wl0


「じゃあどんなステージにしたいか、だけど……二人とも持ってきてる?」
「……ああ、持ってきているよ」
「っ! う、うむ………」

昨夜Pから打ち合わせで必要だからと、アイデアなどをまとめたものがあれば持ってきてほしいと言われていた。ボクの場合、それはこれまでに描き貯めていた漫画だった。

「これが……これがボク、二宮飛鳥のセカイ観のすべてだ……!」
「ふおおぉ……! これが我が片翼の……っ!」

バッグから取り出したソレをテーブルに叩きつけるように置いた。
描きも描いたり五百ページ超。一本の物語というわけではないし、ただのラフ画のページもある。でもいずれのページにもボク独自のセカイ観のカケラが散りばめられているという自負がある。
妄想を曝け出すことに気恥ずかしさを感じないわけではない。しかし今更Pに対して何を取り繕うのかという感じであるし、蘭子には見てもらいたいという気持ちが圧倒的に勝る。神崎Pは……まぁ、こき下ろされたとしてもいつも通りだし気にするもんか。

「ぁぅ………」

目が合うと、蘭子は頬を赤くして俯いた。蘭子が胸に抱くのはいつか見た魔導書。その羊皮紙の表紙に触れている彼女の指先が小さく震えている。

「―――ッ!!」

まるで間欠泉が噴き上がるように、蘭子が勢いよく立ち上がる。その双眸には既に覚悟の炎が宿っていた。

「い……幾星霜の時を経て、我らは遂に約束の地へと至った……! いっ、今こそ……今こそまさに! 相克のとき……っ!」

ふと、蘭子と初めて会った日の燃えるような夕陽が脳裏に過った。その紅が時を超え、今再びボクの網膜を痺れさせているのだ。
夕陽を受けたように顔を真っ赤にした蘭子が天高らかに魔導書を掲げ――

「もうどうにでもなっちゃえ~~~~~っ!」

――ドスンと、テーブルの上に開帳した。

「こっ、これは……すごいな……!」
「あっ……ぁぅぅ……はじゅかしぃぃ~~……」

偏執的と言っても良さそうな詳細な書き込みに、蘭子の筆致の熱量に、ボクは圧倒されてしまった。横から覗き込んでくるPも感心するように唸り声を出している。
神崎Pは担当なだけあって、以前から閲覧を許可されていたのだろう。魔導書ではなく、ボクの漫画の方を見ていた。
しばしの間お互いの妄想を読み耽る。休憩を取るのも忘れて、ランチにはケータリングをつまみながら没頭した。
案の定、蘭子の書には難解な部分が多かった。ボクの漫画もそれなりに濃ゆいと思うが、蘭子の魔導書よりは取っつき易いだろう。それもあってか、読み終えるのは蘭子の方が早かった。

「……蘭子、このメタファーについてだけど――」
「フム! その呪言の真に意味するところを語るには、まず枢密聖書第四節の――」
「ぅぐっ…!」
「……つまりね、二宮飛鳥。蘭子が言いたいのは――」

それならばと、蘭子に解説してもらいながら読み進めようとしたところ、更に難解に感じてしまうこともあった。神崎Pの解説が無かったら倍以上の時間が掛かったかもしれない。このときばかりは神崎Pに感謝した。




139: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:13:33.83 ID:+IqVL7Wl0

セカイ観の共有が進むにつれ自然と、ULでは一続きの空想の物語を魅せよう、という方向に落ち着いていった。

「つーことは、歌とダンスに演劇の要素を加えて~~ってこれ、ミュージカル?」
「だな……。フフッ、悪くない」
「絢爛豪華たる歌劇! わぁぁ~~素敵……」
「いいんじゃないかしら」

ある意味とてもボクたちらしい妙案ではないだろうか。
大枠が定まったところで、改めてどういう物語にするかの案を出し合う。曲、ストーリー、舞台セット、演出などについても好き勝手に提案していく。

――天使族と悪魔族。闇の居城。厭世した魔王。神の走狗たる暗殺者。宿命の邂逅。

「それでね! ここで、どぉおん!ってお城が崩れて! それから歌が始まって!」
「なるほど、歌唱しながらの剣戟か! 滾るね……!」

――敗北と勝利。繰り返される決闘。敵対者との奇妙な友情と信頼。

「フム……この辺りで一つ、幕間劇…癒しを感じるシーンを入れてはどうかな?」
「それーー! 最後に思い出すと効いてくるやつーー!」

――明かされる真実。共闘。傷ついてゆく戦友。絶体絶命の窮地。

「P、さっきの演出だけど、出来るかな?」
「あぁん? 出来るかな、じゃねぇだるぉ~~?」
「フッ! そうだったね。や――」
「――やるのよ」
「おい、取るな!」
「えっ!? なにそれなにそれーー?」

――小さな奇跡。避けられぬ悲劇。別離。そして……。

ほとんどはボクと蘭子が喋っていて、Pと神崎Pはたまに補足ながら基本的にはずっと機械じみたスピードでキーボードを叩いていた。二人はこの場で早速、各部門への発注書を作成していっているようだった。

「よーし、でけたでけた」
「ん……誤字も……無さそうね」
「すごい量だな……」
「おっきなお豆腐みたい~」

結局、コピー機が出力したULに関する書類は、ボクと蘭子のアイデアノートの厚みを軽く超えた。

「新曲は出来上がってきたものから順次レッスンしていこう。早いモノなら三日程度で上がってくると思う」
「たった三日で? 流石お金に物を言わせるだけあるね」
「言い方。脚本も上がってきたら改めて皆でチェックしよう」
「わぁ~~楽しみだなぁ~~」

そういえば新曲は何曲になるんだっけ? 勢いに任せるまま話していたからよく理解らなくなってしまった。ダークイルミネイトの持ち歌は既に六曲あるけど、これだけじゃ足らないだろうし――。

「――おーーっと! もうこんな時間か!」

急にPが大きな声を出した。確かに、時計を確認するともう十九時を回っていた。十時間近くぶっ続けで話し合いをしていたようだ。あまりに愉し過ぎて全く意識してなかった。言われてみれば全身が疲労感に包まれている。それに何より。

「お腹、空いたわね」

神崎Pの言葉に全員が頷いた。

「じゃあ、食事に行くかい? 仕事が残っているならこれで解散でも構わないけど」
「ご飯行きたーいっ!」
「ノンノン! それには及ばんぞキミたちィ」
「へ……?」
「キミたちが得た絶対特権、忘れたのか?」
「ま、まさか……!」
「いいの!?」
「何食べたい?」
「焼肉!」「ハンバーグ!」
「キミたち好きだねぇ。オッケー」

そう言ってPは何処かへ電話を掛けた。

「ニ十分ほどで準備が出来るだってさ。その間に……」
「ん?」




140: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:14:01.37 ID:+IqVL7Wl0



「――こっ、これは……!」

社屋の最上階の一室の扉を開くと、そこは素敵空間――近未来とスチームパンクが同居するカオスな住空間となっていた。ULが終わるまでの間、ここがボクの住まいになるのだという。生活に必要な部屋、設備、アメニティも全て揃っている。

「ほあああああ~~~~っ!」

開けたままだったドアから、隣の部屋に入っていった蘭子の歓喜の叫びが聞こえてきた。あっちは蘭子テイストの部屋になっていたのだろう。

「ULに出るユニットメンバーがここに住むのは毎年のことなんだが、その一番の理由はセキュリティのためだな。今二人は世界で最も注目されてる人間だから。あとはここの方がリクエストに対応しやすいから、という理由もある」

何処かへ遠出したいときには屋上のヘリポートが使えるらしい。なるほど……至れり尽くせりだな……。

「一つ下の階にはエステサロンや宴会場の他、ボーリング場やバッティングセンターなど一通りのアミューズメント施設もあって自由に使るぞ。やったね」
「へぇ…! それは良いね」
「マァ、ツカウジカンガアレバダケドナ……」
「え? 何て?」
「いや、何でもないよぉおおっと、そろそろ食事の用意ができたみたいだな、お腹ペコペコだぜぇー行こ行こ」
「あっ、おい……」

小走りで部屋を出ていくPを追っていく。まぁ、いいか。

階下の一室に用意されていたのは、超一流の料理人の手による最高の料理だった。ボクたちは大いに食事を愉しんだ。

「ULに向けてのレッスンはチョットタイヘンダケド、頑張ろうぜ!」

そんなPの言葉に、ボクと蘭子は力強く頷いた。




141: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:14:27.61 ID:+IqVL7Wl0




――また騙された!! 無理だ! 嫌だ! 逃げ出したい!!

「何をしている二宮っ!! 動け! まだ音楽は続いているぞ!?」

手を置いた膝が痙攣じみた震えを起こしている。ほんの少し視線を上げるだけでも今のボクには重労働で、歯を食いしばって見上げた先には鬼がいる。やはりこれは悪夢ではないのだ。

「ストップ! 最初からやり直しだ」

金棒ならぬ竹刀を携えたマスタークラスのトレーナー、青木麗女史が無慈悲な裁定を下す。彼女に視線を送られた青木明さんが機器を操作すると、曲は止まってしまった。折角中盤に差し掛かっていたのにまたオジャン。まるで賽の河原だ。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

すぐ隣りにいる蘭子の荒々しい息遣いに、心底申し訳ない気持ちになる。
そしてもう何十回目かも分からないイントロが流れ始める。麗氏が“早く最初のポーズを取れ”と鬼の形相で威圧してくる。

「ハァッ! ハァッ! くっ……!」
「二宮! 足! 下がってるぞ!」

足を上げて運ぶ、腕を振って戻す。腰を左へ回す右へ回す。自分の身体がラジコンみたい。自由にはもう動けない。一挙手一投足の全てに“動かす”という強い意思が無ければ動けない。いや、もう、有っても動けなくなっている。

「だから足ィッ!! ……チッ! ストップ!」
「なっ……!? ハッ、ハアッ……!」

キュッ、とステップの音がしたっきり、レッスンルームにまたしばしの静寂が訪れる。しかし今回は再開のかけ声はすぐにはかからなかった。麗氏は腕組をしながら、無言のままボクを睨みつけている。
ボクらを左右からビデオ撮影している青木聖さんと青木慶さん、そして音響機器を操作している明さんは、憐れみの表情を浮かべていた。

「なぁ、二宮。お前もしかして……」
「ハァッ、ハァッ………?」
「お前もしかして、“床マニア”なのか?」
「……は? ゆ、ゆか……まに…あ?」
「そうだろう? 私には分かるんだ。 なあ、“床マニア”だろう? そうだろう? そうなんだな?」
「床……? い、一体何を……っ!?」

背筋に悪寒が走った。麗氏が嗤っていたからだ。恐ろしい程に嗜虐的な笑みだった。

「はははは! そうか! お前、足の上げ方が悪いと思ったら、そうだったか! 床が好きすぎて片時も離れたくないんだな?」
「な、な、なにを……? い、意味が理解らない……っ」
「分かっているから、恥ずかしがるな! 私が手伝ってやる。愛しの床に、熱いベーゼを好きなだけさせてやるぞ」
「な、なにを……何を言っているんだ貴女は……!」

話が通じなさ過ぎて、ボクは恐怖を感じていた。しかし、それはほとんど死刑宣告だということは何故か理解してしまっていた。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ………!」

蘭子はボクに視線を送ってはいるけど、一言さえ発する余力はないようだ。鬼教官は蘭子にも目をつける。

「神崎ィィィ~~~!」
「ぴっ!?」
「何、涼しい顔してる? まさか高みの見物気取ってるのか?」
「ぴっ、ぴぴぴっ、ぴっ、ぴっ……!」

小刻みに顔を横に振る蘭子は、ライオンに睨まれたハムスターに見えた。

「お前はある意味、二宮よりも深刻なんだぞ? 理解してるのか?」
「ぴぃ~~~っ!」
「歌はともかく、お前のダンスは明らかに二宮以下だ。手品みたいな芸当で誤魔化してきたツケだな。しかもその手品、失敗することもあるんだってな? ん? そんな不確かなモノに頼ってステージに立って良いと思っているのか? んん~? ファンが許しても私は許さんぞ?」
「しょっ、しょんなぁ~~……」

絶望するように蘭子は両膝を床に付いた。
嗜虐的な表情から一変して、清々しい笑顔で麗氏が続ける。

「だが、もう大丈夫だ! 全て私に任せるがいい。この一か月間で何処に出しても恥ずかしくないアイドル……どんな状況でも戦えるパフォーマーに鍛え上げてやる!」
「あわっ……あわわわ……」
「ひっ、ひっ、ひっ……!」
「お前たちのような気骨のあるのはそうそういない。お前たちの情熱に、私も全身全霊で応えようじゃないか。まさか、ULのために新曲を十曲以上も作るなんてな。しかも演劇とミュージカルの要素もあるとは!」
「そっ、それは……!」

Pと神崎Pに騙されたんだ。蘭子と夢想を繰り広げて、アレもしたいコレもしたいと試しに言ってみただけなのに、アイツらご丁寧に全部取り入れやがったんだ! その結果、ダークイルミネイトとしては十曲、ソロでは五曲ずつの新曲が生み出されることとなった。しかもそれに加えて、演劇やミュージカル部分もある! 少しは加減しろ! 多少はボクたちの自業自得もあるけどさ!?

「よし! 休憩はこれくらいでいいだろう。再開だ。まだ一曲目じゃないか。サクサクいこう。時間は待ってくれないからな!」

音楽が流れ始める。なんという無慈悲。
今日のレッスンが終わったとき、ボクはまだ生きていられるのか全く自信がなかった。




142: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:14:54.50 ID:+IqVL7Wl0




「今日はここまでだ。このドリンクを飲んでおくように。疲労回復に効果があるぞ」

麗氏はそう言い、二つの水筒を残して退出していった。他三人のトレーナーたちも続いて出ていった。残ったのはボクと蘭子。
ボクは麗氏の予告通り、床と熱烈なキスをしていた。たぶん蘭子も似た状態だろう。

「………らんこ………いきてるか?」
「………………………………きょむ」

もう一ミリも動けない。寝返りを打つことさえも不可能だ。
このまま寝てしまおうかと本気で考え始めた頃、レッスンルームのドアが開かれた。

「ウィーっス、おつかれー」
「あぁ、蘭子、なんて姿に……」

入ってきたのはPと神崎P。ボクらは彼らに上体を起こされた。

「おいおい大丈夫かよ?」
「…………」

大丈夫に見えるか? 聞かなくても分かるだろう。視線だけで怒りを伝えてやる。

「まっ、いつものことだし別にいいよな!」
「…………!」

ついに開き直りやがったなコイツ……。
蘭子の方を見やると、ぐったりした彼女を神崎Pが甲斐甲斐しく介抱していた。

「……ね、ねぇ……ぷろでゅうさぁは……しってたの……? こんなに、たいへんな、れっすんになるって……しってて、なにも、いってくれなかったの……?」
「ら、蘭子……っ! 私は……蘭子の思い描く通りのステージが見たくて……蘭子なら、きっと乗り越えられると信じているから……! だ、だから……!」
「………………そう……やっぱり…しってたんだね…………ぐすっ」
「ああああ! 許して蘭子ーーっ!」

神崎Pが世界の終わりを目にしたように絶叫した。良い気味だ。

しかし、ULに向けてのレッスンが始まって初日でこれとは。先が思いやられるな……。




143: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:15:22.33 ID:+IqVL7Wl0




≪Review by Asuka≫

ULに向けてのレッスンは過酷を極めた。
シンプルに覚えることが多すぎた。完全なキャパオーバー。しかしそのことに気付いたときには遅かった。もう全てが動き出していたから。

思い出すことすらしたくもない、地獄のような毎日だった。
だがしかし、どうにかこうにか、着実にボクと蘭子は前へ進んでいった。

習得した曲は順次レコーディングとMV撮影を行い、リリースしていく。少しでも暇があればインタビューを受けULのPRもした。
ULの二週間前にはパンフレットが出版された。蘭子肝入りの凝った装丁のそれはパンフレットでありながら百ページを超えた。難解なシーンが複数ある物語を、そのパンフレットで事前に予習しておいてもらうのが狙いだった。そこそこ値が張る仕様になってしまったけれど、完売したようで何よりだ。

ULが近づくにつれて益々、ボクたちは世間の注目を浴びるようになってくる。
テレビ点ければどの時間帯でもダークイルミネイトが特集され、ラジオではボクたちがこれまでに歌ってきた曲ばかりがリクエストされ、そしてネットでは日夜活発な議論がなされている。

世界中がダークイルミネイトと、ダークイルミネイトの起こす奇跡に期待していた。




144: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:16:23.79 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

遠く、ボクを呼ぶ声が聞こえる……。
何事かを呼び掛けてくる……。

――覚醒せよ。時が来たぞ。

ボクの身体は動かない。まだその時ではないんだ。

――おーい朝だぞー。二度寝かー?

うぅ……嫌だ……もう少しこのままで……。

――ドン! ドン! ドン!

おいやめろ。眠気が覚めてしまうじゃないか。あと五分……三十分寝ると決めたんだよボクは。

『あすちゃん! 早く起きなさい! 朝ごはんの時間だよ!』

インターホン特有のやや割れた音声がやたらと鼓膜に響く。
枕元のタブレットで防犯カメラの画面を呼び出すと、ドアの前にはやはりPがいた。朝一で見るにはちょっとキツイ顔。しかもドアップだ。

『おっ? だんまりか? この俺に対して籠城か? こんな鍵、俺にかかればなぁ――』

――シュコンッ! カコン! カシュ!

一呼吸の間に三個のドアロックが開錠された。残りあと二個。どれも生体認証キーだぞ、どうなってるんだ。

「あぁもううるさいなぁ! 今日ぐらい寝坊してもいいじゃないか! あと、あすちゃんって言うな!」

一週間前から会場でのリハーサルも始まっていた。そして昨日のレッスンで、ULの全プログラムについて遂にマストレ氏から「及第点」の太鼓判を貰った。ULの二日前にしてやっとだ。決戦前日である今日ぐらいは優雅な朝を過ごしたいのに。

『なんだよ、起きてんじゃねぇか。最後まで気ぃ抜いたらいかんぜよ』
「あ、あと五分だけ……!」
『そんなこと言って三十分寝るつもりだろ?』
「くっ……!」
『神崎ちゃんはもう起きてるっていうのに、うちの子ときたら……』
「そんな……蘭子がもう起きているだって……?」
『煩わしい太陽ね!』
「ら、蘭子……!」

それは確かに蘭子の声だった。蘭子の方がよっぽど寝坊していると踏んでいたのに……!

「………むっ?」

いや、何かおかしい……。さっきの蘭子の声には心をくすぐる響きが微妙に足りないのだ。機器を介していたとしてもボクが間違えるはずがない。そしてタブレットには依然としてドアップのPしか映っていない。

「P、そこをどいて蘭子を映してくれないか?」
『……………フッ。成長したな飛鳥よ』
「蘭子の声真似をするなーーっ!」

ほんと何でもアリだなコイツ。

『神崎ちゃんも全然起きてくる気配ないんだよなぁ~』
「それは仕方のないことさ。この一か月、片時も心休まることがなかったんだから。今日の寝坊くらい、誰が咎めるだろうか? いや、咎めないね。じゃあそうゆうことでおやすみ」
『神崎Pが神崎ちゃんの部屋に入って、もう十分くらい経つのにだぜ?』
「…………なっ、なんだと?」

蘭子とお泊り会をしたことのあるボクは知っている。寝起きの蘭子はそれはもうポワポワのフニャフニャな悪魔的な可愛さで……。所謂蘭子ガチ勢のあの女が理性を保っていられるわけがないのだ!

「蘭子の貞操が危ない!」

ベッドから飛び起きて、部屋を出る。Pには構わず、隣の蘭子の部屋へ。

「くっ!? 神崎Pめ、鍵を閉めたな……!」

蘭子の部屋の鍵はボクの部屋と同様に生体認証タイプだが、ボクでも開錠できるように登録してある。とはいえ一つ一つ開けていくのが今はひたすらまどろっこしい。

「っ! 開いた! 蘭子……っ!」

蘭子の部屋に駆け込む。と、そこには――

「……チッ!!」

――今まさにベッドに潜り込もうとしている神崎P。神崎Pが摘まみ上げている毛布の隙間から、蘭子の白い胸元が覗いている。




145: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:16:50.78 ID:+IqVL7Wl0


「何を、しているんだ?」
「…………」
「おいっ! 何事もなかったように入っていくんじゃない!」
「シッ! 静かに。蘭子が起きてしまうわ」
「っ!?」

この女には幾度となく睨まれてきたが、今ほどの剣幕は見たことが無い。これもう事案だろ。

「ぅにゅ………ふ………ん?」
「「……!」」

寝息が途切れ、蘭子はクシクシと目を擦る。そしてボクと神崎Pが見たのは、幸福を絵に描いたような甘い微笑みだった。

「わぁぁ……あすかとぷろでゅぅさぁだぁ……いっしょに、ぽかぽかしよぉ…?」
「――かっ、可愛っ!」
「――ぐぅぅ~~っ!」

ボクも神崎Pも、もう蘭子しか見えなくなって……蘭子を真ん中に“川の字”に――

「おーーい、そろそろ起きようぜーー?」

――ニュッ、とPが開いたままのドアから顔を出した。いいところだったのに……!

「貴方は――」
「お前は――」
「「入ってくるなーーっ!!」」

ボクが投げつけたのはクッション。神崎Pはおそらくは小銭を、マシンガンの様に弾き飛ばす。

「ぎゃーーーっ!!」

世界の中心のビルの最上階にダミ声悲鳴が響き渡った。残念ながら、それで蘭子は完全に起きてしまった。やれやれ。




146: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:17:52.79 ID:+IqVL7Wl0




この日のレッスンは最終チェックがメインで、いつもより早めに切り上げることができた。
夕方からはこの一年で知り合ってきたアイドルやプロデューサーたちを招待して、盛大なパーティーを開いた。失踪していた志希も簀巻きの状態で連れて来てもらえて、絶対特権って本物なのだと感じた。出来ればもう何回かやりたかったな。



「………ふぅ」

さっきまでどんちゃん騒ぎをしていたのに、今ではもう自分の部屋で一人きり。本番の明日に疲れが残るといけないからと、パーティーは二十時過ぎにはお開きになってしまった。この酷い落差、いくらボクでも物寂しさを覚えたって不思議じゃないだろう。
時刻は九時。昨日までならまだレッスン真っ最中の時間だ。
妙に落ち着かない気分だった。明日のことが気になってソワソワしてしまうのだ。あと今日のレッスンが軽かった所為で体力が有り余っているからかもしれない。

「フム………」

三十分だけ汗を流すことにしよう。
二階下のULユニット専用のレッスンルームに向かった。


「――ハァッ、ハァ、ハァ……」

アップテンポさで上位に入る三曲を立て続けに演ってみた。しかし、どうにもしっくりこない。ほぼ完璧なパフォーマンスではあるのだが……。
そこで、ボクはやはり、“アレ”を試してみたくてレッスンルームに来たのだと気が付いた。

「えっと………頭と胸の中をグルグルにして……だっけ?」

以前、蘭子に教えてもらった“力”を使う方法を思い出す。正直全然理解らないが、蘭子自身もよく理解っていないようだった。ひょっとすると試してみたら案外ボクも……?

「ムムム…………!」

イメージする。頭の中、胸の奥で何かが光るのを……! あっ! 光ってる! 光ってるぞコレ……! よし、イケる! イケるはず…! うおおおおおお――

「――えいっ!!!」

ボクが右手を前に振り出すと………!!

「……………………くっ!」

何も起きない。起きるわけがない。うん。そんな気はしてた。

「――ブフッ!」
「っ!? だ、誰だ……っ!?」

背後で急に誰かが咳き込んだ。このレッスンルームにはボクだけしかいないと思っていたのに。




147: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:18:37.53 ID:+IqVL7Wl0


「お前……いつの間に……っ」
「ン、ンフ……!」

振り向いてみればそこにいたのは神崎Pだった。入り口近くに突っ立って、こちらを見ていた。そして気付いた。この女は咳き込んだのではなく、噴き出した……つまり、ボクの一連の動作を嘲笑したのだ。
耳の裏がカッと熱くなる。まぁ、さっきの動作は傍から見れば意味不明……“痛い”ものだったかもしれないけどさ。

「ふ、ふん……!」

大方、忘れ物でも取りに来たのだろう。神崎Pのことなんて無視して、振りつけの確認っぽいことをして誤魔化すことにした。

「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……………………」
「……………………」

なんで出ていかないんだよ……。神崎Pは何かを探すでもなく、出入り口近くの壁にもたれ掛かったまま無言で佇んでいる。

「……何か?」
「いえ、別に?」
「じゃあ、出ていってくれると有難いんだが? ボクにも繊細なとこがあってね。気が散るんだよ」
「………………」

しかし、神崎Pは出ていこうとはしなかった。何なんだこの女?
もういいや。あと一曲演って終わりにしよう。そう決めて、音楽プレイヤーのリモコンを手に取る。
そこで神崎Pが口を開いた。

「貴女には無理よ」
「……何?」

ボクは聞き返しながらも同時に、それは蘭子のように“力”を使うことについて言っているのだと、理解していた。

「蘭子が何故、魂の力を引き出せるのか。それはあの子の元々の優れた素養以上に、奇跡のような偶然が数限りなく重なったことが重要なの。その結果、蘭子は感覚的に法則のようなものを見出し、力を引き出せるようになった」
「………」

別のセカイの蘭子と同じ姿のお姫様との魂の交流のことだろうか。

「とはいえ蘭子自身も原理は理解していないし、そもそも教えられる性質のものではない。魂の形は人によって千差万別で、故にそこにアクセスする感覚も人それぞれになるから。受肉するまでは使えていた私でさえ、今はもう使えない。使用するための条件はそれくらいピーキー」
「……無理と言われて、ハイソウデスカ、なんて納得するぐらいなら、ここまで来てないんだよ。何か……何でも良いから……ヒントのようなものはないのか?」

ボクは蘭子が起こす奇跡を増幅させることは出来る。どうやらそれは事実らしい。しかしボクだけでは奇跡は起こせない。蘭子がいないと始まらない。つまり蘭子が“主”でボクは“従”なんだ。ファン界隈でもそう認識されている。見も蓋もない言い方をすれば、ボクは蘭子の引き立て役とさえ思われている。ある意味ではそれは事実なのかもしれない。だけど、それに甘んじていられるほどボクは大人じゃない。
ボクは蘭子と対等な存在になりたいんだ。

「………」

何かを考え込むように、神崎Pはしばし沈黙する。その眉間に段々と皺が寄っていく。

「貴女も世間も誤解しているようだけれど、蘭子と……いえ、蘭子に限らず、他者と共鳴できる貴女の才能は………まぁ、蘭子の次に希少と言ってもいいわ。それどころか、“素質”に限って言えば蘭子さえも凌ぐかもしれない……」
「………ん?」

もしかしてこれは褒めている? 神崎Pがボクを…? 槍か血の雨が降りそうだな。てゆーか、嫌そうな顔で人を褒めるな。




148: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:19:05.83 ID:+IqVL7Wl0


「だから……。貴女も無自覚に、魂の波動を発している可能性はある。例えば感情が高ぶっているときや、何かを心から楽しんでいるときなんかに」
「それは本当か……っ?」
「でも、蘭子のように収斂させることは出来ないでしょうから、その出力は極々僅か……蘭子のような、目に見える現象が起こせる程ではないと思うわ」
「くっ……」
「指向性のある力を引き出すには、感覚的ながらも何らかの確信が必要なのよ。そしてその確信に至ることこそが絶望的に難しい。この次元に住まう者にとっては、まず不可能と言っていい」
「結局ダメじゃないか……」

ガクッ……。まぁそんなにうまい話はないか。
頭を垂れるボクを余所に「だからこそ、その不可能を突破した蘭子は尊いのよ」とクスリと笑う神崎P。

「……仮に、の話になるけれど」
「っ! 何でも良い。言ってくれ」
「貴女を研究所に監禁して――」
「は?」
「――四六時中、ありとあらゆる観測機器を向けていれば、有益なデータが得られるかもね。運が良ければ」
「却下だ」
「試しに十年ほどどうかしら?」
「却下だ!」
「資金や機器は私が都合してあげるけど?」
「却下っ!!」
「……冗談よ」

いや、本気の目だっただろ。まったく……。隙あらば、だな、この変態女は。

「別に貴女が蘭子と同じことを出来るようになる必要はない……いえ、出来るようになってはいけない」
「……フンッ! まぁ、ボクは蘭子のライバルでもあるわけだし、彼女のプロデューサーならそう言うだろうね」
「そういう意味ではないわ」
「ん?」

そのときの神崎Pの表情はよく理解らなかった。期待しているようでもあり、不安がっているようでもあり……、少なくとも冗談とか意地悪を言う雰囲気ではなかった。

「もし貴女が単独でそこに至ってしまったら……」
「至ってしまったら……?」

ゴクリ……。

「……いえ、有り得ないわね。こんなIFを考えても仕方がない」
「途中でやめないでくれないかな!?」

なんだよもう、スッキリしないなぁ……。

「そんな有り得ないことを目指すよりも、貴女は出来ることを“もっと”しっかりやりなさい」
「もっと…? 自分で言うのもなんだが、共鳴による増幅はもう十分していると思うが?」
「まだよ。魂の力のポテンシャルはあんなものではないわ。まだ0.1パーセントさえも引き出せていない。貴女の理解がまだ浅い所為よ」
「なっ……!?」

それはボク次第でもっとスゴイことが出来るってことか? にわかには信じがたいが……。

「貴女がしっかりやれば、最早二宮飛鳥が神崎蘭子のオマケだなんて考える人間は、一人としていなくなる。それは保証するわ」
「………っ!」

見下しでも嘲りでもなく。神崎Pの眼光は挑戦的なそれだった。“やれるものならやってみろ”と言葉以上に伝わってくる。

「あぁ。やってやるさ……! 明日は覚悟しておくんだな!」
「………そう。一応、期待しておくわね」
「それはどうも」

そして神崎Pはレッスンルームを出ていった。
彼女が一体何をしに来たのかは理解らなかったけど、いつの間にかモヤモヤした気分は晴れていた。ボクにとっては悪くない気分転換になった。
その後はボクも部屋に戻り、シャワーを浴び、ベッドに潜り込むとすぐに眠りに落ちた。




149: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:19:38.50 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by one of the audience≫

古城の回廊を一人の暗殺者が進んでいく。
暗殺者が身に付けるはフード付きの漆黒のマント……。妖精の加護を受けた逸品で、色と形を装着者の思い通りに変化させることが出来る。闇に潜んで好機を窺う暗殺者には垂涎の機能であるが、それはあくまで本来の機能から派生したものの一つであり、本領は戦闘時にこそ発揮されるのだという。
腰に携えるレイピアは神代のドワーフが鍛えた魔剣……。優美にして華奢な拵えからは想像が難しいが、触れる全てを概念ごと切断するという恐ろしい呪詛がかけられている。

自らを神の代弁者と標榜する天使族。その尖兵がこの暗殺者である。下界に、神に仇なす不届き者が現れれば、暗殺者は何処からともなくやって来る。そして罪深き者どもに鉄槌を下し、全てを灰燼に帰すのだ。

月光が刹那、フードの奥を垣間見せた。そこにあったのは、艶やかな唇と双眸の煌めき。それで思い出した。最高にして最強の武具を纏ったこの暗殺者が、実は少女の姿かたちをしていることを。
いや、果たして“少女”と言っていいのだろうか? 人に非ざる存在の時間感覚は人間のそれとはかけ離れ過ぎている。この暗殺者も少女の姿をしてはいるがその実、人間の数百……いやひょっとすると数千、数万倍の年齢に達していることもあり得る。

『………ッ』

舌打ちか歯軋りか判然としなかったが、ともかく少女は苛立っている。
彼女がこの回廊を往くのは今日が初めてではない。過去に一度“失敗”し、惨めに敗走したことがあるのだ。幾多の怪物や軍団を屠ってきた彼女にとって、あの敗北は耐えがたい屈辱なのだろう。故に、一から鍛え直し、再びこの古城へとやってきた。目的は勿論、反逆者の烙印を押された、この城の主の抹殺である。

『――っ!?』

突如、壁面の燭台に火が灯り始めた。闇に包まれていた回廊が、一つまた一つと灯っていく燭台によって照らされていく。少女の近くから灯り始めた光の行く先には――

『薔薇の…闇姫……っ!』
『フフ……禍々しい月夜ね』

――黒衣の少女がいた。
暗殺者が“薔薇の闇姫”と呼んだように、彼女の身を包む黒のドレスは色とりどりの薔薇でデコレートされている。その衣装の手の込みよう、豪奢さは遠目からでもはっきりと分かる。ドレスだけではない。全身を飾るアクセサリにも贅が凝らしてある。並みの女性であれば“服に着られる”状態になりそうなものだが、この少女は見事に着こなしていた。
この薔薇の闇姫こそが古城の主であり、つまりは暗殺者の標的である。
闇姫の美し過ぎる姿に目を奪われ数瞬我忘れてしまったが、ある違和感に気付いた。この着飾り方は少し前の場面――暗殺者が初めて闇姫と対峙した場面――よりも明らかに盛られている。これから二度目の殺し合いになるということが分かり切っているというのに。

『その装束はどういう了見だ!?』

暗殺者が声を荒げて問い質す。彼女も同様の疑問を抱いたのだ。

『フム……貴女をもてなすため誂えたのだけれど、お気に召さなかったかしら?』
『貴様はどれだけボクを愚弄すれば気が済むのか……っ!』

熱風が“轟”と周囲を駆け巡る。気付けば、暗殺者のマントが紅に染まっていた。熱の発生源はそこである。これこそが妖精仕込みのマントの本領……装着者の闘志に呼応して灼熱を撒き散らす悪辣な攻防一体。只の人であれば剣の間合いに入ることさえも叶わずに焼殺されるだろう。事実、暗殺者の周囲の石造りの床や壁が赤熱し始め、ついには燭台の一つがドロリと溶け落ちた。

『情熱的な子ね』

その光景を闇姫は涼し気に眺めている。暢気に、と言ってもいいかもしれない。流石は一度暗殺者を退けただけある。

『お前もこうしてやる。ボクを舐めたことを後悔させてやるからな……!』

暗殺者は魔剣を抜刀し、闇姫へと宣戦布告する。

『……それも良いわね。ただし、それが貴女自身の意思ならば……』
『は……? どういう意味だ……?』
『……フッ、フフフ……ハーッハッハッハーーーーッ!』
『ッ……!』

突然哄笑し始めた闇姫が、右脚を軸にその場でクルリと回転する。そして、再び暗殺者と対峙した彼女の姿は一変していた。背に見事な黒翼を生やし、右手には混沌の化身のような禍々しい造形の杖が出現していた。
黒翼は闇姫が悪魔族であることの証左だった。
杖は超一級の神器である。曰く、遥か昔に神が世界を開闢するのに使用したという言い伝えが残っており、魔翌力を注げば如何なる奇跡も起こせるのだという。しかし、並みの術者では触れるだけで魔翌力を吸い尽くされ絶命してしまうため、この魔杖を扱い得るのは規格外の魔翌力容量を有する者だけ。そして闇姫の魔翌力容量には底が無かった。
故に、いかに百戦錬磨の暗殺者でも分が悪く、実際に一度目は敗走する羽目になったのだ。

『まぁいいわ……。夜会はまだ始まったばかり。まずはこの血の滾りを鎮めましょう……』

闇姫が杖を天に掲げ、呪文を囁いた。

『クッ!? 悪魔め……っ!』

杖が光を放ったかと思えば、古城が生き物のように形を変えていく。石壁が倒れ床となり、床からは新たな壁がせり上がってくる。そうして出来上がったのは円形のダンスホールだった。




150: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:20:27.39 ID:+IqVL7Wl0


――ギリキリギリキリギリキリギリキリギリキリ

古城のダンスホールに、いや、会場全体に弦楽器の悲鳴が響き渡る。ダンスホールと姿を変えたステージの向こう側――つまり舞台裏――に控えるオーケストラが演奏を始めたのだ。
ヴァイオリンかヴィオラかよくわからないが、おそらくは二人の奏者が、狂おしい程の不協和音を奏でている。それは二宮飛鳥が演じる暗殺者の歯軋りであり、また同時に、神崎蘭子が演じる薔薇の闇姫の心臓の高鳴りなのだろう。

『さぁ、いらっしゃい。夜が明けるまで踊り狂いましょう?』
『――ッ!』

暗殺者が剣を振りかざし、闇姫へと肉薄する――と同時に本格的な演奏が開始される。壮大でありながら激しく、攻撃的な曲調……ゴシックメタルというものだろうか? ともかく戦闘曲としては申し分ない。

――――――!!!!

暗殺者の剣を闇姫はワルツのステップを踏むようにヒラリと躱す。空振りに終わった斬撃は、しかし背景の石壁を切り裂き、瓦解させ、ホールに土煙を起こした。

――今こそ雪辱を晴らすとき。お前の命運もここまでだ。前のボクとは一味違うぞ。

演奏に合わせて、暗殺者が歌い叫ぶ。なるほどこの場面はミュージカルパートらしい。

――何故貴女はここに来てしまったの? 我に会わなければ幸せな奴隷でいられたのに。嗚呼、運命は廻り始めてしまったのね。

鬼気迫る暗殺者とは対照的に、闇姫は冷静沈着もとい憂鬱な雰囲気さえある。しかし実力は未だ闇姫に軍配が上がるのか、反撃はせずとも余裕をもって暗殺者の攻撃を躱し続ける。

――何を言っている? さあ戦え。先に貴様の城を瓦礫にしてやろうか。

――戦う理由が何処にあるの? 我が何をしたというの? 世界の果ての廃城に閉じこもっていただけ。

――うるさいぞ背教者。お前が悪魔だからだ。黒い翼。世界中の罪を煮詰めたような色だ。なんておぞましい。

――黒が悪と、白が善と、誰が決めた? この黒翼は我の誇り。世の悲しみを包み込む漆黒。

――天使の翼を見ろ。神に賜りし純白の翼。この世で最も尊き色。

――この世の全ては悲しみに満ちている。純白などありはしない。純白こそが欺瞞の証だと何故気付かないの?

――やめろ。神の御業を愚弄するな。

――我の知る最も尊き色、それは灰。世界の色そのもの。

――やめろ。お前の言葉は耳障りだ。

暗殺者の足が止まり、頭を抑える。

――己が名も知らぬ悲しき走狗よ。貴女の翼はどうしたの?

――やめろ。

――貴女の背の傷痕が全ての歪み。

――やめろ。

――もがれた翼の尊き色を我は知っている。

――やめろ!

魔剣一閃。床から壁に亀裂が生じる。




151: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:20:57.26 ID:+IqVL7Wl0


――ボクと戦うつもりがないなら、こちらにも考えがある。お前の同胞から片付けてやる。家族はどこだ? 友でもいいぞ。

完全に悪党の台詞だが、子供でも分かるだろう。それは勢いに任せた稚拙な虚仮威しだと。にもかかわらず、闇姫の顔色が変わる。狼狽え、悲しみ……最終的に怒りへと。どうやら闇姫の逆鱗であったらしい。

――ッ!

今夜初めて、闇姫が杖を攻撃に使用する。稲妻が天空より降り注ぐ。暗殺者は寸でのところで飛び退いて、乾いた音が石床を叩いた。

――もう誰もいない! 我は一人! 皆、天使どもに滅ぼされてしまった!

再び、稲妻が迸り暗殺者が躱す。

――いえ。我の他にあと一人いた。

――やめろ!

――やっと見つけた我の同胞。世界の希望。

――言うな!

暗殺者が闇姫へと疾駆する。襲い来る稲妻は魔剣で両断する。

――例えもがれていようとも、貴女の白銀の美しさは隠せない。

――やめろおおおおおーーー!!

マントが限界を超えて赤熱する。途轍もない熱量と閃光。まるで地上に堕ちた太陽。何も見えなくなる。

『ハァ、ハァ、ハァ………』

視界が回復したとき、ダンスホールは完全に崩壊していた。瓦礫が散乱し、あちこちで火が上がっている。その中央で暗殺者が闇姫に馬乗りになっている。両手で持った魔剣の切っ先を今にも胸に突き立てようとして、しかし、彼女は止まっていた。

『さぁ、貫きなさい。同胞の手にかかって逝けるなら悪くはない』
『ふざけるな……! 貴様……! ボクは……ボクは……お前なんて知らない……』
『そうね。だからこれから知ればいい』
『っ……! 畜生……お前、許さない。絶対に許さない……』

結局、暗殺者が闇姫に剣を突き立てることはなかった。
立ち上がり、呆然とステージ外へと歩いていく。

『勘違いするな。手を抜いた貴様に勝っても意味がないからだ……』 
『いいわ。何度でも来なさい。次は紅茶を用意しておくわ』
『……莫迦かお前。……いや、それはボクもか………』
『フフフ……』

そして舞台は暗転した。




152: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:21:26.01 ID:+IqVL7Wl0



「……すっげぇ」

俺がどうにか絞り出せた言葉はこれだけだった。雄叫びみたいな歓声を上げてる元気のある奴らもいるけど、俺みたいなのも結構多そうだ。
パンフレットによるとここまでが第一部。
腕時計を確認すると、開演から既に一時間半程経っていることに気付いた。そういえば、三月末の日没後だというのに、開演以来寒さを感じたことが無い。十万人分の熱気の所為だろうか。
『―The Lost Myth― 払暁ノ鎮魂歌 ~聖魔ハ相克ス~』と題された今年のUL公演は、例年のULとは何から何まで違う。歌あり、演技あり、歌劇あり、殺陣あり、破壊ありの正にカオスの様相を呈している。まずステージ構成からして特殊だ。会場の中央には大きなステージがあるが、それを取り囲む形で観客席があり、その更に外側の円周上に六つのステージがある。中央ステージから始まったULは、すぐに外部ステージの一つへと移った。六つのステージを文字通り使い“潰し”ながら物語を展開していくのだ。そして最終的に中央ステージに戻るのだろう。舞台が反対側に進んでしまっても、中央ステージや上空に浮かんだモニターで物語が追えるのは嬉しい。
事前販売されたぶっといパンフレットによると今年のUL公演は三部構成。第一部は蘭子てゃ演じる薔薇の闇姫と、飛鳥きゅん演じる紅蓮の暗殺者の紹介的なシーンに多くの尺が取られていた。続く第二部では二人の因縁と情が絡み合っていく。コール出来る曲が多いのが第二部とのこと。第三部では和解した二人が天使族に対して戦いを挑む。しかし、その戦いの結末についてはパンフレットでは秘せられていた。
設定やストーリーを考えたのは主演の二人らしい。中学生が考えたにしてはよくできているが、世に溢れる創作物と比較すると特に秀でているわけではない。むしろ凡庸と言ってもいい。しかし公演としてはすごい……迫力が尋常じゃない……。
毎年ULでは最新鋭の舞台技術が投入されるし、採算を度外視したような豪華なステージセットも組まれる。それは今年も同様。いや、ダークイルミネイトによるULは過去のものとは一線を画していると言ってもいい。あまりに真に迫っている。よくこれだけの舞台を用意したものだと感服してしまう。これについては彼女たちのプロデューサーの尽力によるものか。一年目のアイドルをULに送り込んでくるプロデューサーは、やはり尋常ならざる傑物らしい。

「やべぇ……どうなるんだこれ……!」

そして何より楽しみなのは、例の“奇跡”がまだ起こっていないということだ。何度か現地で見た、舞台演出などでは到底説明不可能な奇跡としか言いようのない現象、不可思議な体験。それがまだ起こっていないのは“敢えて”なのだろう。ここぞというタイミングで一気に解放される気がする。現段階でさえ半端じゃない迫力なのに、それが合わさったら一体どうなってしまうのか。期待は募るばかりだ。




153: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:22:03.10 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

とても順調だ。
第一幕では未曾有の舞台演出でオーディエンスを圧倒し、第二幕ではボクたちの世界観にグっと引き込むことができた。確かな手応えがある。
台詞も歌も振りもほとんど完璧。地獄のレッスンは確かに報われた。
最新の技術による演出も正常に機能している。流石はボクらのプロデューサーが監修し、調整しただけある。
後は第三幕において蘭子と今日初めての共鳴を果たせば、公演としては成功裡に終わるだろう。そして今日に限っては共鳴が不発となることは有り得ないと確信している。
いや、確信して“いた”。第二幕が終わるまでは……!

第三幕が開始する前にはやや長い休憩時間が取られていた。その間にボクたちは衣装を着替え、息を整えた。それでもまだ時間に余裕がある。既に開演から三時間以上経過しており、この休憩の主目的はオーディエンスがお手洗いに行くことだから。

「…………」

次に立つステージの袖で静かに佇む。
裏方のスタッフさんたちはキビキビと動き続けている。彼らの指揮をしているのはPだ。遠目からでも的確な指示を飛ばしているのが伺える。
蘭子はボクよりステージに近い場所で神崎Pとじゃれ合っている。その表情には気力が漲っていた。蘭子には何の心配も要らなさそうだ。
ボクはステージをじっと見据える。傍から見れば、クライマックスに向けてコンセントレーションを高めているように思われるかもしれない。しかし、違った。蘭子の漆黒と対になる、浮世離れした美しい白銀の衣装に身を包みながら、ボクはただの中学生のように思い悩んでいた!

「…………っ」

昨夜、神崎Pに『やってやる』と大見得を切ったのにも関わらず『結局ボクは何も掴めていないのでは?』という不安が首をもたげてきたのだ。心身のコンディションは最高だから過去最高の共鳴になることは確信していたのだけど、それは例えば0.1だったものが0.2になる程度のもので、目指すべき境地には未だ遠く及ばないのかもしれない、と。
神崎Pはボクの『理解が浅い所為』だと言っていた。
そもそも理解とは一体何だ? ボクは共鳴を、なんとなく雰囲気でやっているだけなのに。これまでも、そして今日も“ノリ”でやろうとしていた。それは神崎Pの意図していることとは全く異なると、今になって気付いてしまったのだ!
認めなくてはならない。ボクはまだ何も理解していない!

「ぁ……マ、マズい……」

考えれば考える程、理解らなくなっていく。まさにドツボ。
最悪なのは、いつものようにノリでやっていれば、完璧ではないにしてもこれまでで最高の共鳴ができて公演は大成功していたはずなのに、今ではもうそれすら危うくなってしまっていること……。こんな余計なことを考えまくってしまっている状態では、生気漲る蘭子と対等に響き合うことはまず不可能だ。

「スゥ~~~、ハァ~~~……」

まずは落ち着こう。うん。クールになれ二宮飛鳥。Be cool 。深呼吸で自律神経を落ち着けて……あれ? 寧ろ息苦しい……吸い過ぎか?
Be cool だぞ二宮飛鳥。別の方法を採ろう。
こういうときは、なんだっけ……精神統一するのに良い方法があったような……えっと……ルーティン? そうだ、ルーティンだ。久しぶりだなこの単語思い出すの。実のところ、ボクにはルーティンらしいルーティンはないんだけどね。敢えて言うならPとの会話だろうか? 何かしら不安があるときには大抵P が話しかけてきて、バカバカしいやりとりをしている内に気分が楽になっていたりするんだ。Pの手が空いたときを見計らって声を掛けるか――

「………おや?」

“それ”を見つけたのは、このときだ。
何の気なしに視線をやや前方に流してみると“それ”を見つけた。一辺2センチ程度の小さな立方体。各面に付けられた点の印によって1から6までが表現されているタイプの、つまりは最も一般的なサイコロが、床に転がっていたんだ。




154: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:22:30.61 ID:+IqVL7Wl0

公演の小道具にサイコロなんてない。ということはスタッフの誰かの私物だろうか? ポケットに入れていたのがポロリと転げ落ちたりしたのかもしれない。
そこにある理由はともかく、人が忙しなく行きかう場所だし、万が一誰かが踏んづけて転んだりしては大変だ。そう思ってボクはそのサイコロを拾い上げた。

「フフッ……」

それはやはり何の変哲もないただのサイコロだったのだけど、それによって呼び起こされる記憶があった。数か月前までの、あらゆる選択肢をALDに委ねていた賑やかな日々のことだ。
蘭子と神崎Pに潰されまいと藁にも縋る思いだったとはいえ、改めて考えても奇行以外の何物でもないな。
そういえば、ステージ崩壊ライブ以後はALDはめっきり振らなくなったし、ALDを見た神崎Pが血相を変えた一件からは完全に封印扱いで、いつしか意識することも無くなっていた。

「フム……」

ナイスアイデア……かどうかは不明だが、とにかく一つのアイデアが降りてきた。このサイコロとPを使って、ボクの調子を取り戻すためのアイデアだ。
以前ALDでやっていたように、このサイコロの1から6の面それぞれに特定のアクションを設定した後、振って、出た目のアクションをPにやらせよう。あの男にはこれまで散々無茶なことをさせられてきたんだから、このくらいのお遊びに付き合わせてもいいだろう。寧ろまだお釣りがくるぐらいだ。それも大量に。

「1は、拳を突き合わせるヤツ……フィストバンプ、だっけ?」

洋画なんかでお決まりの挨拶だ。クライマックスシーンの前にさり気無くやると、結構絵になるんだよね。

「2は…………」

やれやれ、早速詰まってしまった。1はすんなり出てきたことから考えるに、ボクが深層心理的に求めているのはフィストバンプなのかな? とはいえ折角思い付いたアイデアだし、このまま引き下がるわけにはいかない。

「2は、ハイタッチ……」

1と同じようなものかもしれないけど、まぁいいや。

「3は…………」

やっぱりなかなか浮かばないな……もう面倒くさくなってきた。適当に決めてやろう。
3は、宴を愉しむバイキングたちが腕を組んでグルグル回るヤツ。4は、ボクの良い所を十個言わせる。5は……、頭を、撫でてもら……いや、撫でさせる。6は………アレにしよう。うん。まぁ、そうそう6なんて出ないし? 出ないよね? 六分の一?

「えいっ……」

そして、近くにあったコンテナボックスの上へサイコロをほうった。
コンコロコロと、勿体ぶるように焦らすように転がるサイコロ。それはまるで踊っているかのようでもあったが、然る後、物理法則に従い、ピタリと、有無を言わさず静止した。

「あっ……」

出た目は6だった。マーフィーの法則、侮りがたし……。
振り直すことも考えたけど、ALDのときのルール、“振り直さない”、“出目は絶対”を思い出してしまう。

「ま、まぁ……仕方ないよね……」

それに、ボクとPはともにアイドル界という戦場を駆け抜けてきた戦友みたいなものだし?ここで変に意識するのはそれこそ変だし? 欧米では普通のことだし? まぁ、ここは欧米ではないんだけども、この公演は全世界に配信されているしグローバルな感覚を身に付けることは決して悪いことじゃないからね?




155: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:22:58.53 ID:+IqVL7Wl0


「よし……」

遠くにいるPを見ると、ちょうど彼の作業も一段落したようだった。
何度か手を振るとPはこちらに気付いてやってきた。

「飛鳥、今まで何処にいたんだ?」
「着替えてからはずっとここにいたけど……?」

幕間に入るとまずは控室で衣装を着替えた。その後はすぐにこの舞台袖へとやってきて悶々としていたのだが。

「あっれぇ~? マジでぇ?」
「何かおかしいかい?」

珍しく驚きの声を上げながら、ボクの顔をじっと見つめるP。

「あ、マジらしいな……」

そして彼は納得の言葉を口にしたのだけど、その表情は全然納得いってなさそうだった。何がそんなに引っかかるのか理解らない。というか、ボクからPが見えていたのだから、Pからもボクが見えていて当たり前だろうに。光の加減であちらからは見えなかったのかな? それか忙しさのあまり、Pでさえも注意力が散漫になっていたとか? いや、そんなことは別にどうでもいい。

「そ、それよりも、P……っ!」
「んお?」

あ……。なんて切り出そう……? 改まって言うとなると、これかなり恥ずかしいヤツでは……!?

「え、えぇと………っ」
「……ふむ。不安か? 飛鳥よ」
「っ!」

本当にこのPという男はよくわかっている……。でも見透かされているとか、値踏みされているとか、そういう感じではない。どれかというと、見守られている、というのが近いようで、決して悪い気はしない。

「もしかして喉乾いてんじゃない? ここにホラ、ちょうど飲み物が――」

Pが差し出してきたのは色々と論外な品だった。

「……公演中に炭酸を飲むわけにはいかないね。それに何より、それはキミの飲み差しだろう?」
「バレたか!」
「フフッ!」
「ヘへッ!」

いつかの記憶がフラッシュバックする。こうしてふざけたやり取りをしていると、さっきまでの不安がバカバカしくなってくる。
実を言うとこの時点で既に気分は晴れていたかもしれない。
まぁでも、出た目は絶対だからね……?

「ん………」

Pに向かって、両腕を軽く開いて見せる。
“こんなこと”をしたのは初めてだけれど、ビジュアルレッスン等の様々な修行を積んできただけあって、ボクの意図はPに確と伝わったという手応えがあった。

「え…? ちょ、ま? え、まっ、ちょえ……?」
「オイ……ボクにだって羞恥心はあるんだが……?」

異様に挙動不審になるP。そんな反応をされると、何かおかしなことをしているような気になるじゃないか…!

「だって……なぁ? こう来るとは思わなかったっていうか……え? いいの?」
「女の子が“こう”してるんだ。わざわざ言葉にするのは野暮だと思わないかい?」
「た、たしかに……!」

一歩、Pが近づいて。そして――

「ぁ………」

頬で感じるPの体温はとても心地よかった。吸い込む空気に混じる、いくつかの匂い。ワイシャツの洗剤の香りと、その奥の彼の体臭。芳香とはいえないけれど不思議と落ち着く匂いだった。




156: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:23:28.72 ID:+IqVL7Wl0


「……もう少し、強くてもいい」
「はいよ」
「んっ……」

腰に掛かる力が強まる。あばら骨で感じるPの指先には妙にゾクゾクするものがあった。知らず、ボクの腕の力も強まっていた。少し窮屈で、少し息苦しい。それなのに、このまま眠れそうなくらいの安心感がある。

「今日、この日……。気付いてるか、飛鳥?」
「あぁ……愚問だね……」

今日は3月25日。一年前の今日、ボクはPに出逢った。それまでのボクは、空想を膨らませることはあったけれど、こんな未来を想像したことはなかった。たった一年でボクのセカイは変わってしまった。

「この一年、お前には無茶ばかりさせたな」
「本当にね? ボク以外の子に同じことをさせるのはお勧めしないよ」
「ごめんて。次の一年はじっくりいくからさ」
「へぇ、どんな風に?」
「これまではライブに偏り過ぎてたけど、アイドルにはもっと色んな可能性がある。たとえばラジオ番組持ってみたり」
「それはマストだね。うん。必ずだよ」
「アイアイサー」
「他には?」
「もちろん、映画やドラマに出演するとか、舞台もいいよな」
「いいね。……でも、今日の公演を越えるモノが作れるだろうか?」
「飛鳥がいて、俺もいるわけじゃん? イケるでしょ」
「Pがそう言うならそうなんだろうね。とても楽しみだよ」
「……俺も」

そのとき、「ふわぁぁぁ~~!」と可愛らしい鳴き声が聞こえた。蘭子だ。やれやれ見られてしまったらしい。

「フン。こんなときに何をしているのかしらね」
「シーー!! 邪魔しちゃダメーー!」

ボクとPは彼女たちの声を聞かなかったことにした。
第三幕の開演までにはまだ少し時間があるし、もう少しこの温かさを感じていたかったから。




157: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:24:17.09 ID:+IqVL7Wl0


「フフッ」
「どうした?」
「ん~ん、何でもないよ……フフ」

ボクがいて、Pがいて、蘭子がいて、あと、神崎Pもいて……。最高の舞台があって、オーディエンスたちがいて……。
“全て”が此処にあると感じていた。
ボクの目の前には、無限の可能性が広がっている。間違いなく、最高に素晴らしい未来が待っている。可能性とは希望のことなのだ。
惜しむらくは、一歩一歩進む度に未来が過去へと確定していくこと。そのときにはもう、今この瞬間に感じている無限の可能性は収束しきっているのだから。
いや……。ボクの共犯者は、ボクの片翼は、そんなに大人しくはないか。そのときにはきっとまた別の無限の可能性を生み出しているだろうね!
だけど今は敢えて、こう言おう。心の底からの――ボクの魂からの――呟き。

「時よ止まれ。セカイはかくも美しい」

出来ることならば、“今”をずっと留めておきたい。そんな荒唐無稽の願いを、つい、抱いてしまった。

「そういやさぁ。さっきお前に呼ばれたとき、俺はてっきりアレかと思ったんだけどな」
「アレって?」
「フィストバンプしたいのかなって」
「え……?」

しかしPの何気ない一言に、ボクの高翌揚感は霧散していく。

「俺の“予測”も案外あてになんねぇな。それかもう、とっくに“台本”なんて――」

不気味な違和感が、踵の先から一気にうなじまで立ち昇ってくる。心地よかった圧迫感が、今ではもうただの息苦しさになっている。Pの言葉も耳に入ってこない。
当たっている……。フィストバンプは確かに第一案だった。いや、ボクがサイコロを見つけなければ、そして変なルールを付けて振ったりしなければ、必然的にPにはフィストバンプを求めることとなっただろう。つまり、Pの予測を超えたのはボクではなく、あのサイコロで――

「うっ……!?」
「なっ!?」
「あっ……!?」
「っ!?」

――唐突に。あまりに唐突に、ボクたち四人は同時によろめいた。
眩暈のような感覚があった。周囲のスタッフたちは変わらず作業を続けている。異常を感じたのはボクたちだけらしい。




158: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:25:10.35 ID:+IqVL7Wl0


「なっ、なんだ……!?」

視界がおかしい。目に映る全ての輪郭がブレている。自分の掌さえもがブレて見える。

「っ……!」

風圧を受けたような感覚が全身に走る。その直後、“ブレ”が遠ざかっていくのが見えた。

「……は?」

遠ざかっていくのは“ボク”だった。二宮飛鳥が遠ざかっていく。あれは間違いなくボクだ。でも、何かおかしい。身に付けているのは部屋着なのだ。しかもそのボクが居るのは自室……それも静岡の実家の自室だ。自室のベッドに寝そべり、死んだ魚のような目で携帯の画面を眺めている。その画面に映るのは、豪華絢爛なステージで、独り舞い歌う神崎蘭子……?

「蘭子、だけの、UL……?」

蘭子の方へ振り返ろうとして、しかし、ボクが見たのはまた別のボクだった。それはボクが、東京から静岡へ向かう新幹線に乗車する瞬間だった。
そのボクの向こうにまた別のボクがいる。ステージから楽屋へ戻って来るなり膝をついて、床に爪を立てている。
その向こうのボクは……顔を青くして、舞台袖から蘭子のステージを眺めていた。
そして見覚えのある部屋――まだ小さかったPの居室。そこでボクたちは向かい合っていて………。そこにはボクが二人いた。一人は手にALDを持っている。もう一人はコーヒーカップを持っている。そこが終わりらしい。

「ボクは何を見て……っ!?」

コーヒーカップを持った方のボクが遠ざかっていく。どんどん。加速度的に速く、遠ざかっていく。
見えなくなるまではあっという間だった。おそらくもう二度と見ることが出来ない程の遥か彼方へ行ってしまったのだろうと、何故かそう感じた。

「今のは、一体……?」

白昼夢? いや、デジャヴ、の方が近いだろうか?
幻覚にしては異様に生々しいのに、思い返そうとするとあっという間に記憶から消え去っていく。実際一呼吸置くと、ただのデジャヴと変わらない程に何もかもが曖昧になっていた。
不可解な点があるとすれば、四人の人間が同時にデジャヴを見るなんてことは寡聞にして知らないことだ。

「この感覚は……まさか……!」

Pがいつになくシリアスな表情で呟いた。Pは何か思い当たることがあるのだろうか?

「振って、しまったのね……」

神崎Pが元から白い顔面をより一層白く、いや蒼白にしながらそう言った。
神崎Pの『振る』という単語にボクはすぐに思い至った。さっき振って6の目が出たサイコロのことを。

「ふ、振ったって、コレのことかい?」

ポケットに入れていたサイコロを取り出して三人に見せる。

「でもこれは……さっきそこで拾った何の変哲もない――」
「――なんだそれっ!? そんな完璧な立方体がこの世にあるワケが……」
「えっ?」

Pが血相を変えて自分のスーツの胸ポケットをまさぐる。

「はぁっ!? マジかよ! 無ぇぞ!?」
「えっ? えっ?」
「な、なんぞ? さっきから何が起こってるの……?」

Pと神崎Pの視線がボクの掌の上のサイコロに注がれる。
改めて見てもやはりそれはただのサイコロで――え?。この面、目が消えている……あっ、こっちの面もだ……いや、見た瞬間に消えた? そもそもこんな色をしていたか? 面毎に違う色だなんて、こんなの……こんなのまるで……!

「そう……騙されたのね……」

ボクが手にしていたのはALDだった。見るのは久しぶりだけど、その淡くも美しい色を忘れるわけがない。




159: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:25:52.03 ID:+IqVL7Wl0

いつの間にサイコロから入れ替わっていたのだろう? 騙されたって? もしかして元からALDだったのか? 何故こんなことを? いや、誰が……?

「今、セカイが分岐したわ……。そして……」

いつだって不遜な態度の神崎Pが、自分の肩を抱きながら、教師に叱られる直前の児童のように震えていた。

「来る……!」
「っ……!」

やや強引にPに手を取られ、ボクは彼の背中側に引き寄せられる。その拍子に手から転がり落ちたと思ったALDは――転がり落ちるはずのALDは――物理法則を無視して空中で静止していた。

「えっ…!?」

立方体が歪んで見えた。いや、変形……平べったくなっていく…? 目を瞬いているといつの間にか、ただの正方形になっていた。立方体がただの薄っぺらい正方形になっていたのだ。その形は更に変わっていく。正方形の上辺が下がっていく。すぐにぱっと見でも正方形ではなくなる。その面積を段々と減らし、長細くなり、上辺と下辺が重なり、線となった。
その異様な光景をよく見ようと、Pの背中から顔を出そうとすると、Pに止められる。
今度はその線が短くなっていく。それは導火線のようにも見えた。この線の両端が一点に重なるとき、何かが起きる予感があった。
そして、線は点となり、蒸発するように消滅した。

――――■■■■■■!!!!!

「うおおっ!?」
「くっ!?」
「きゃあっ!?」
「ぅっ……!」

名状しがたき不吉な音がどこからか鳴り響いた。
音の発生源は空からのようでもあり、耳元からのようでもある。それと同時に襲ってきた強烈な悪寒にボクは、ボクたちは、一様に呻き声を上げた。
たじろいでいるのは、ボクたちだけじゃなかった。そこかしこで悲鳴が上がり始めていた。周囲のスタッフたちも、会場の数万のオーディエンスたちも、同じものを味わっているらしい。
数多の悲鳴さえも掻き消すように、不吉な音は鳴り続いている。終末の到来を知らせるラッパの音というのは、あるいはこれだったのかもしれない。




160: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:26:25.36 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

悲鳴と絶叫で会場が埋め尽くされていく。
大気に満ち溢れる“悪意”と周囲に現れ始めた“兆し”から、直感的に、本能的に、根源的に、そして何より経験的に、これから何が起こるのかが私には分かってしまった。

「待て、触るなっ!」

Pが二宮飛鳥の右手を鷲掴みにして止めた。
二宮飛鳥が触れようとした先の空間には“歪み”が生じていた。ラグビーボール程度の大きさの空間が、揺らぐ水面のように歪んでいる。そこだけでなく、視界の至る所で歪みが生じている。まずは物質密度の低い空間から摂取していくということか。おそらくはこれと同じことが宇宙全体で起こり始めているのだろう。

「し、浸食が始まったわ……」
「知ってんのか、神崎P!?」

さっきPは二宮飛鳥が歪みに触れるのを止めたが、実のところそれは意味のないことだ。触ったところでどうにもならない。どうにもならないし、どうにもできない。間もなくその空間に触れることさえ出来なくなる。穴が開いたように何も無くなるのだ。しばらくすれば全ての空間は無くなり、生きとし生けるものは一切身動きが取れなくなる。つまり俎上の魚。次に歪むことになるのはその生きとし生けるものたちだ。

「セカイは崩壊する……このセカイの全ては天使に……上の次元に住まう存在に、摂取される……! あのサイコロは天使だった。ずっとこの瞬間を待っていたのよ……!」
「な、なんだと……!」

蘭子と二宮飛鳥が同時に「コラプスの夜……」と呟いた。

「何故こんな……。“ルール”があるのに……っ!」

自問しながら、本当は分かっていた。あの天使はルールの穴を突いたのだ。

『セカイ線を崩壊させた天使は高次存在に消滅させられる』という、天界における公然のルールがあったわけだが、セカイ線を崩壊させんとする天使はまず必然的にセカイ線に干渉を行うことになる。すると当然、その時点でセカイ線は分岐する。天使が崩壊させ摂取するのはその真新しい方のセカイ線だ。
つまり、セカイ線の崩壊の前には必ず“天使の干渉による”セカイ線の分岐が起こっている。それは今の状況とはほんの少し異なる。今さっきセカイ線の分岐を起こしたのは一体誰なのだろう? ALDに化けていたあの天使なのか? それともALDを振った二宮飛鳥なのか? これを明確にすることはとても難しいのでは……?
また、天界から見た場合、今の分岐は“非常に目立たない”ものだったように思う。天使が干渉もしていないのに独りでに分岐が起こったように見えたのではないだろうか? 無限にあるセカイ線の中で天使の干渉なく生じた分岐など、大樹に芽吹いた一枚の葉よりも遥かに些細な変化だ。いかに高次存在といえど、これから起きる無法を見落としてしまうこともあり得るのでは……?

「な、何を言っているんだキミは……!」
「神崎P……」
「………」

わからない……。すべて推測だ。高次存在が動き出すトリガーが本当は何なのかなんて、結局は高次存在以外には知りようがない。
一つ確かなのは、この天使は天界で見たときには老いていながらも強い生命力を宿していたということ。
コイツは繰り返しているのだ。ルールに穴があることを知り、高次存在に罰されることもなく、何度もこうしてセカイ線を崩壊させているのだ。そして今これからはこのセカイ線が……!

「……説明を…知っているなら説明を……!」

まだ二宮飛鳥は理解していないらしい。最後の一押しをしたのはアナタだと言うのに……いや、二宮飛鳥を責めるのはお門違いか。さっき普通のサイコロに擬態していたように、この天使がその気になれば、任意の人間に対して既定行動からの逸脱を誘発することができるだろうから。
それにそもそも、コイツをこのセカイ線に引き込んでしまったのは私だ。あぁ、そうか……。この天使が私の干渉に紛れ込んできたのも、高次存在の目を欺くための策の一つだったということか……。私はなんて迂闊なことを……!

「闇にィイイ……! ン飲まれよ~~~っ!!」
「「「!?」」」

その蘭子の大声は雄叫びと言ってもよかったかもしれない。あまりの唐突さには率直に言って心臓が止まかと思った。しかしその衝撃は私を幾分か正気に戻してくれた。




161: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:26:57.71 ID:+IqVL7Wl0


「………ぷ、プロデューサー、大丈夫……?」
「っ……!」

おそらく蘭子もまだ事態を飲み込めていない。だから蘭子が感じているのは原因の分からない圧倒的な恐怖だけのはずで……だというのに、私のことを気遣おうとしている。
何をやっているんだ私は! 私が堕天したのは蘭子を導くためだろう!! 私が狼狽えていてどうする!!

「――っ!」
「わっ!?」

思い切り自分の両頬を叩く。ピリッとした痛みと引き換えに、恐怖感をシャットアウトする。

「恥ずかしいところを見せてしまったわね……。もう大丈夫よ、蘭子」
「……うむっ! それでこそ我が導き手!」

クリアになった頭で伝えるべきことを考える。
口惜しいが認めなくてはならない。この天使に対して私が出来ることは何もない。そして、仮にこの宇宙に存在する全ての兵器を使ったとしても、掠り傷一つ付けることさえ不可能だ。相手にならない。蟻が象に勝つ事象は確率としては起こり得るが、それは少なくとも同じ次元にいるから。我々と天使とでは文字通り次元の違う生き物なのだ。
故に天使に勝てる確率はゼロ。……しかしそれは普通のセカイ線であればの話だ。

このセカイ線には蘭子がいる。二宮飛鳥がいる。
奇跡を百乗したようなこんなセカイ線、少なくとも私は見たことが無い。

二人が操る魂の力と天使の力は本質的に同じモノ。この二人であれば天使に対抗し得る。
とはいえ二宮飛鳥はまだ本質を掴んでいないようだし、勝率は1%も無いだろう。しかし他の方法など思いつかない。
そんな絶望的な戦いに少女二人を送り出さなくてはならないなんて、自分の無力さが呪わしい。しかし私は更に罪を重ねる。

「薔薇の闇姫、紅蓮の暗殺者……。貴女たちの双肩……いえ、双翼に、セカイの命運が掛かっているわ」
「ほう…!」
「……っ」

二人の少女を焚き付ける。
導くだの何だのと言いながら、結局私にできるのは送り出すことだけ。であれば、たとえ僅かでも勝率を上げられるなら、いくらでも諧謔を重ねよう。それは図らずも、アイドルをステージに送り出すというプロデューサーの仕事に似ていた。
プロデューサーの手腕とは畢竟、アイドルをどれだけ良いコンディションでステージに立たせられるか、その一点に尽きるのかもしれない。ふとそんなことが頭に過った。




162: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:27:27.35 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

「――この浸食を止めるには貴女たちの共鳴波動をぶつけてやればいい」

やや持ち直したとはいえいまだ青い顔の神崎Pが可笑しなことをのたまっている。明らかに戯言だ。

「フフン! 血が滾るわ!」

蘭子は……蘭子、キミは何故そんな無邪気な表情をしているんだ? 感じていないのか、この恐怖を。聞こえていないのか、会場に轟く悲鳴が。

「ひっ……!」

一番近くにあった空間の歪みが、今ほんの少しだけど確実に大きくなった。理解を越えたそんな異物が周囲に何十箇所と発生している。何なんだよコレ…。舞台袖の外でもこの歪みに気付いたのか、悲鳴が上がっているし。
何が起こっているのか全く理解らないのに、途轍もなく恐ろしいことが始まるという確信があった。
神崎Pはまだ捲し立てるように喋っている。内容は笑えないくらいに中二病。お前もこっち側だったのか。
もう嫌だ。ボクには理解っているんだぞ。それはボクたちの気分を上げようとしているんだろ? 下手くそめ。そんな震え声でやっても、騙せるのは人の良い蘭子ぐらいだ。Pぐらい巧くやってみろよ。……やってくれよ。ていうかPもPだ。ずっと黙り込んで、何を考えている? 何も考えられないのか、キミが? そんな……そんなのもう……!

「――きっと敵は油断している。付け入る隙はそこにある。真に調和した共鳴ならば勝機はあるっ! いえ、勝たなくてもいい。厄介な相手だと、そう思わせることが出来さえすれば、このセカイから去っていくはずよ」
「我らには造作もないこと。血塗られし宿命に今こそ終止符を打たん! さぁ、我が片翼よ!」

蘭子がボクへと手を差し伸べた。しかしボクはその手を呆然と見つめることしか出来ない。

「……片翼! さぁ!」
「っ……」
「いざ!……………あ、あれ? 飛鳥?」

何、やって当然みたいな顔してるんだよ蘭子。これまでのライブとはワケが違うんだぞ? 恐ろしくないのか? 周囲の人間みたいに泣き叫んでいないだけでも褒めてもらいたいくらいなのに。それを何だって? ボクたちでコレに……軍隊よりも、異星人よりも遥かに強大な相手に立ち向かうだって?

「……蘭子……どうしてキミはそんなに……」
「私は信じているから。私のプロデューサーを……そして飛鳥を!」
「……!」
「だから……っ!」

再び蘭子が手を差し伸べてくる。よく見ればその白い手は小さく震えていた。やはり無理だよ……。
確かにね、このまま何もしなければ最悪の結末が待っているんだろう。でもだからといって足掻いてどうにかなるとも思えない。ボクたちに出来るのはせいぜい幻覚のような現象を起こすことだけなんだから。それならばいっそ最後の瞬間くらいヌルイ夢を見ていたい。そうだろう……?




163: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:28:09.59 ID:+IqVL7Wl0


「――えっ?」

驚いて、情けない声が出た。
今度こそボクは蹲ろうとしたんだ。
なのに。
なのに、ボクときたら、一歩、蘭子へと踏み出していた。
それは完全にボクの意思を無視した歩みだった。あろうことか更に一歩。二歩。三歩。
そしてボクは蘭子の手を取った。

「ら、蘭子……?」
「飛鳥……!」

――ふっとアイデアが湧くように、ボクはとても多くの気付きを得た。

蘭子と初めて会った日。パーゴラから立ち去ろうとするボクの足を前に進めたものが何であったのかを、ボクはようやく識った。

「引かれたのか……」

そう、引かれた。文字通り、引かれた。惹かれたんじゃない。純然たる物理現象によって、蘭子へと引き寄せられたんだ。
なんだ……始めから理解っていたじゃないか。

引き寄せる力………引力………万有引力…………重力………ブラックホール………イベントホライズン………特異点………無限………Dimension………。

ボクの頭の中で幾つものワードがグルグルと旋回する。それらはボクのこれまでのエクスペリエンスと衝突しながら溶け合っていく。
そしてボクの脳裏に一つの結論が導かれた。

「そうか……魂の力、その本質は、重力エネルギーか……!」
「……!」

ボクの呟きに、神崎Pが瞠目する。

「……まったく、気付くのが遅いのよ。まぁでも……及第点をあげてもいいわ」
「それはどーも」

相変わらずの減らず口。この女の曲がった臍には筋金でも入っているのか。
何はともあれ、曖昧模糊としていたボクの共鳴理論に大幅なアップデートがかけられた。

「蘭子……今一度、キミの魂の音色を聞かせてくれないか?」
「容易いこと!」

不敵な笑みを浮かべた蘭子が「えい!」とポージングをとる。
不可視の何かが蘭子から放出されたのが分かった。意識を集中させると、鈴の響きの様に感じられる。




164: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:28:41.77 ID:+IqVL7Wl0

これまで蘭子との共鳴はなんとなく雰囲気で行っていたが、それを切り替える。未知な部分は未だ多いけれど、自然の法則に基づく現象であるという確証を得た今、精度を高めより深く響き合うことが可能なはずだ。
ボクの全細胞を以って、蘭子の音色を観測する。

音色……音……音波……いや、周波数……重力……なるほど重力波だったのか……

回す。回す。いくらでも回してやる。蘭子に固有の周波数はきっと有るから、合うまで回してやる。
人生イチの集中力の冴え。
いつしかボクは“ノブ”を幻視していた。周波数を合わせる為のロータリーノブ。それをイジった経験は人一倍多いという自負がある。だからだろうか。イマジナリーなノブはボクにとても馴染んだ。
上へ下へ回しに回して、ここだ、という周波数を見つけた。しかし何か物足りない。確かにピタリと合っているのだけれど、不思議と合わせきれていない感覚もある。このままでは起こせる現象に質的な変化が起きるとは思えない。

――Dimension.

なるほど。ボクはまた既成概念に囚われていたようだ。
X軸、Y軸、Z軸、時間軸の四つがボクたち人間の認識できる次元だが、他にも幾つかの次元があるらしいという理論は聞いたことがある。
イマジナリーノブを改めて精査する。
ビンゴ!
“莠疲ャ。蜈”の軸で回せるじゃないか。
いや、まだあるな?
“繧阪¥縺倥£繧”の軸に、“荳?§蜈”の軸……あぁ、“竇ァ谺。縺偵s”の軸もか。こうなったら全ての軸で合わせてやる!
発見した“上”のノブの調整には難儀した。言わば、正攻法では永遠に解くことの出来ない組み合わせゲーム。でもこれこそが、ボクのシンパサイザーとしての本領だったらしい。
まるでそうなるのが必然だったかのように、或るところでピタリとノイズの類が消え失せた。

―――――!!!!!

鈴の音などではなかった。余剰次元にまで響き渡る荘厳なオーケストラサウンド。それこそが蘭子の真なる魂の音色だった。

「すごい……これが、蘭子の……っ!」

蘭子を見れば、まだ「えい!」というポーズのままだった。不思議なことに、イマジナリー上のチューニングには何秒もかかっていなかったようだ。
彼女の周波数を完璧に認識した状態で、ボクは共鳴のトリガーを引く。その刹那、ボクたちのセカイは変貌した。セカイに対する認識が、絢爛たる極彩色に移り変わったのだ。まるでカレイドスコープのように。

こうして、ボクたちはセカイの秘密へと到達した。




165: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:29:37.96 ID:+IqVL7Wl0


自然界には四つの力がある。電磁気力、弱い力、強い力、重力。その中でも重力は他の三つの力に比べると異様に弱い。それは何故か? 重力のエネルギーの大半は、この3+1次元のセカイの外側、つまり別の次元へと漏れ出していくからだ。
これはさっきまで知らなかった知識。今知っているはずのない知識を、しかしボクたちはもう知っている。到達するということは、こういうことなのだ。もう“流入”は始まっている。

魂の力が起こす重力波動が一定レベルまで高まった時点でまず、魂の存在座標を感じ取ることが出来た。ボクたちの魂は3+1次元の一つ上の次元の極狭い範囲、つまりこのセカイを包む膜の上に存在していた。
重力波動を更に強めていくと、その膜の外側にまで重力を及ぼし始める。すると当然、セカイの外側で無秩序に漂っていた重力エネルギーを引き寄せ膜上で収束し始めることになり、結果、膜に穴が開く。そうなれば、セカイの外側にある大量の重力エネルギーに自由にアクセス可能となるのだ。
そして魂には、流入させたエネルギーを扱うための機能が元から備わっていた。いや、エネルギーの流入によって、その機能に“入電”された状態となったというべきか。それは魂に付属されている超高性能な観測機器や演算装置のようなもの。ボクたちの視界がカレイドスコープじみたものになったのは、それらによりあらゆる情報を認識できるようになったからだった。

「これならいける……っ!」

蘭子と頷き合う。
ボクたちの手中には既に、ゼロをいくつ繋げても足らない莫大過ぎるエネルギーが集まっていた。今のボクたちに不可能は無い、という実感がある。
とはいえ、これでようやく天使の領域に足を踏み入れたというだけ。相対するは悪意に満ちた老練なる天使。ヤツは単体でボクらと同等かそれ以上の能力を持つのだろう。未だこちらの劣勢は変わらないが――。

「魂を励起させなさい。魂の昂りは出力を爆発的に上昇させるわ」
「それはつまり、テンションを上げろ、ということかな?」
「まぁ……その認識でいいわ」
「えっと、じゃあ………あっ!」
「そうだね蘭子。ボクもそれだと思う」

この場――アイドルのステージ――でテンションを上げるものといえば、それはもう音楽以外には有り得ない。
絶賛発狂中の楽団員のみなさんに代わり、ボクと蘭子で数十の楽器を演奏する。アップテンポで攻撃的なメロディが会場に轟いた。

「闇ノ楽団の結成である!」

楽器に触れたことが無いとか遠隔操作だとかなんていうことは、ボクたちには最早関係がない。念じれば楽器を手足の様に動かせるし、その最も美しい演奏方法も容易に解析可能だった。
UL第三幕は奇しくも、薔薇の闇姫と紅蓮の暗殺者改め白銀の騎士が、天使族との死闘を繰り広げる章だ。多少のアドリブを入れる必要はあるが、この状況を利用してやろうじゃないか。

「じゃあそろそろ行こうか。あまり待たせるとオーディエンス……というより、セカイが保たない」
「うむ! 我らが威光をセカイに示さん!」

ステージへと歩み始めたそのとき

「……飛鳥!」

Pに呼び止められた。




166: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:30:16.60 ID:+IqVL7Wl0


「どうした、P……?」
「あ~~、なんだ、その………」

こんな風に言い淀む彼は本当に珍しいのだけど、それはほんの僅かの間だった。雑念を払うように頭を振るといつものPに戻り、ニヤつきを浮かべながら、サムズアップをボクに向けてくる。

「ぶちかましてこい!」
「ああ!」

ボクも同じポーズで応えた。
そして蘭子と共にステージへ駆け出していく。

―――――!!!!!!

ステージから見る景色は阿鼻叫喚と呼ぶべきものだった。泣き叫ぶ者、怯え蹲る者、血走った目で哄笑する者……数万のオーディエンスたちは漏れなく正気を失っていた。この公演の主役であるボクと蘭子が登場したというのに、誰も気にも留めない。ここに至ってボクはようやく状況を把握し、発露すべき感情を理解した。

「ふざけやがって……!」

身体が瞬時に燃え上がった。比喩でもなんでもなく、ボクは炎を纏っていた。大気を歪め、石造りの土台を赤熱させるほどの熱量がボクの身から迸る。猛烈な怒りがそうさせた。

「よもや、よもや……フクククッ!」

蘭子も相当頭にキているらしい。その瞳は憤怒の真紅に輝き、上空には季節外れの積乱雲を発生させていた。
折よくBGMは長いイントロを終えようとしていた。

「無辜なる民にまで害を為すとは、天使族の名も地に堕ちたようね!」
「世界の終焉こそが貴様らの総意だというのなら、ボクたちは抗ってやる!」

まず会場のこの雰囲気をどうにかしなければ。




167: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:31:03.83 ID:+IqVL7Wl0

狙うは会場周辺に発生している夥しい数の空間浸食――半径300メートルの領域内に100万箇所以上――狙うと意識したとほぼ同時に、その全ての正確な空間座標が認識できた。上も下も死角も関係なく、領域内の全てが認識下となっていた。
招待した両親や北条加蓮をはじめとした友人たちがいるのが理解った。絶対に行かないと言っていた志希も一般のオーディエンスに紛れて来てくれていた。気の毒に、みんな怯えている。
会場内で理解らないものは何一つ無い。存在する全て――物質、人間、動物、植物、大気、それらを構成する元素、匂い、温度、音波、電磁波、そして素粒子の量子的なふるまいまでも含めた全てが手に取るように理解る。その一つ一つがどういう来歴でここに在るのかも理解るし、これからどう動いていくのかさえも。

開戦だ。
歌い始めると同時に、ボクは炎を、蘭子は雷を解き放つ。

――ゴァアアアアッ!!!

半径300メートルが火炎と雷光で満たされ、空間浸食は消滅していく。ただしこれはあくまで演出。炎と雷に紛れる形で放っているエネルギー波が本命だ。もちろん寸分たがわずに全的中。会場内は正常な物理法則を取り戻した。
ボクたちは炎と雷を操作して場を整える。辺り一面が炎で包まれ、上空からはしきりに稲光が地表へと走る。まるで地獄が顕現したかのような光景だが、最終決戦の舞台としてはもってこいだろう。ちなみにこの炎と雷が人を害することはない。そのようにアルゴリズムを組んでいるから。

――――!!!

オーディエンスたちの歓声が上がる。やっと彼らの耳目がボクと蘭子に集めることができた。
この期に及んで一連の超常現象がULの舞台演出だと思っている人はいない。彼らの歓声はいまだ、救いを求める悲鳴に近かった。
あぁ、理解っているよ。ボクたちはこう見えてファンを大切にする方だからね。

「ハーッハッハッハーーーーッ! 恐るるに足らず、天使族!」
「天上の楽園で胡坐をかいている者どもなんて、所詮こんなものか」
「さぁ、終焉を始めましょう」
「ここからはボクらのターン。震えて爆ぜろ……!」

これからの展開を踏まえ、ボクたちはまず翼を欲した。欲すると同時に大鷲のものよりもずっと大きな、広げれば3メートルにもなる大翼がボクたちの背に出現する。蘭子には漆黒の、ボクには白銀の翼だ。ボクたちの衣装にもよくマッチしている。もちろん、万能兵装としても使用可能な脳波感応型の超科学デバイスだ。現行科学では百年かけても到達できないテクノロジーがマイクロ秒以内に実現できた。

「「――むんっ!」」

翼を大きくはためかせ、バイオレットのオーラを纏い、二重螺旋を描きながら天高く飛翔、あっという間に上空三千メートルに達する。この辺りで良いかと静止してニ秒後、ドンッ、という爆音が上がってきた。なるほど、音は意外と遅いらしい。
頭上には未だ高き星空が広がり、足元直下には会場の照明が、遠方では街の光が灯っている。その一つ一つがこのセカイの営みの証。もし仮にボクたちが負ければ、全てが灰燼に帰すことになる。そんな非道、許すことはできない。




168: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:31:32.77 ID:+IqVL7Wl0

認識領域を拡張していく。今度は少し伸ばして半径6500kmほど。つまり地球をすっぽりと覆う範囲となるが――それは何の難しさもなかった。人間の脳では処理しきれないはずの膨大な情報量も不思議と苦にならない。魂側の演算装置による情報処理は実にスマートだ

「わぁ、ウジャウジャ……」

ウンザリといった風の蘭子の呟きには全面的に同意。空間浸食は本当にいたるところに満遍なく発生している。宇宙全体に発生しているというのも本当らしいな。
地球上すべての地域が混乱の極みに陥っていた。軽く京の位に達している空間浸食一つ一つにマーキング、と同時に、混乱の最中で発生した事故などで負傷していた人や不治の病に侵されている人の治療と、その他道義上捨て置くことができない様々な事柄の整理を行っておいた。
そして、浸食体に向けて力を解き放つ――その数瞬前、付近の浸食体どもがボクたちに殺到してきた。

「「―――!」」

蘭子とのゼロ秒の意思疎通。
ボクは八人に分身し、蘭子の盾となるべく彼女の周囲を取り囲む。ボクの手にあるのは優美な造形のレイピア。

「フン。千枚におろしてやる……!」

斬る。斬る。斬る。斬る――!
迫りくる無数の浸食体を、八人のボクが斬って斬って斬りまくる。
斬撃にエネルギーを乗せて、一太刀ごとに数十を両断していく。それが八倍。しかも斬撃速度は天井無しに増していける。
遥か下、地上からの歓声が聞こえてくる。3Dホログラム映像での生中継は好評なようだ。
そうこうしていると蘭子の溜めが完了した。
蘭子は禍々しい造形の杖を天に掲げ「えーーい!」と叫ぶ。その刹那、蘭子の足元を中心に半径6500kmの超巨大魔法陣が出現。淡く紫色に光るその魔法陣には隙間なく紋様が描かれている。紋様が胎動するように数度明滅すると陣の下、つまり地球側へと凄まじい量の魔翌力が噴出した。その様はまるで風、土、水、火を司る龍神たちが暴虐の限りを尽くすがごとく、進路上にある浸食体を食い散らかしていく。そして瞬く間に、地球上に発生していたすべての浸食体が一掃された。もちろんそれ以外には一切の破壊はない。

―――――!!!!

地上に降り立ったボクたちは大歓声に出迎えられた。それは会場のオーディエンスたちからのみならず、世界中から届いていた。ありとあらゆる電子機器をハッキングして、ボクたちの雄姿を地球の隅々にまで配信していたからね。
正気を取り戻してきた会場の全スタッフに、舞台を続行するよう念話を飛ばす。楽団員のみなさんには楽器をお返しする。彼らの立ち直りは早かった。流石は超一流のプロ集団。
第三幕二曲目のイントロが流れはじめる。一曲目と同様に戦闘シーン用の曲だが、こちらは疾走感が前面に出ている。

「――むっ!」
「来たな、第二波……っ!」

上空に夥しい数の浸食体が姿を現した。第二ラウンドの開幕だ。迎撃するために再び上空へと舞い上がる。
今度現れた浸食体はこれまでのラグビーボール大の透明の浸食体とは異なり、形状、サイズ、色も様々だった。アメーバ状のものの他、球状や四角錘などの幾何学的形状のものも沢山いる。保有する機能によって形状や色が分けられているらしい。広範囲攻撃タイプ、突撃自爆タイプ、高速移動タイプ、高耐久タイプ、エネルギー吸収タイプ――いや、どうでもいいか。ボクたちにとっては全て雑魚だ。




169: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:32:02.95 ID:+IqVL7Wl0


「我が力の前にひれ伏すがいい!!」

身体に漲るエネルギーを全力全開で奮い、邪なる敵に天罰を下す。
痛快。この一言に尽きる。
既にカンストに至っていたかと思われたボクたちの能力は、しかし、力の操作の効率化と歓声による魂の励起で更なる成長を続けている。その成長速度に敵は全く付いてこれていないのだ。
ひょっとするとボクと蘭子の力は、あっけなく天使とやらの力を越えてしまったのかもしれない!

「木偶の棒め! 止まって見えるぞ!」

超高速で繰り広げられる空中戦。
ボクたちの航行速度は最早、音を基準にしても全く足りない。亜光速の領域にまで踏み込んでいる。飛行経路を示す光の道筋が夜空を華やかに彩っていく。光速に近づいた影響で、眼球で捉える景色は歪み、リング状の光のグラデーションが見えてくる。
亜光速移動により生じる衝撃波は、そのエネルギーを即座に物質化することで軽減する。どういう物質にするか? もちろんダイヤだ! 既得権益の上で胡坐をかいているヤツらに一泡吹かせてやりたいと常々思っていたんだ! さぁ! 来場してくれた記念に一万カラットをプレゼントだ! もちろん一人一個ずつ!

「うおおおおーーー!!!」
「はああああーーー!!!」

第三幕三曲目のラスサビに合わせて、ボクたちは雄叫びを上げる。空中戦もたっぷり魅せたし、ここで区切りにするのだ。おあつらえ向きに、これまでで最大最強の浸食体が現れていた。ちょっとした山ぐらいのサイズの真っ赤な正二十面体だが、今のボクたちならいけるはず!

「「てやぁあああーーー!!!」」

溜め込んだエネルギーを一気に放出したボクと蘭子は正しく光の矢となり、ボスクラスの浸食体に吶喊――そして見事貫き、その余波で他の浸食体も蒸発させた。

―――――!!!!!!

歓声がボクたちを讃えた。
さっきサービスしたダイヤには誰一人目もくれず、オーディエンスたちが歓声を上げる。悪くない気分だ。
しかしまだ終わりではない。またずらりと新手の浸食体が出現した。

「……フン、しつこい奴らだ」

新たな局面に呼応するように第三幕四曲目が流れ出す。予定より少し早いがもういいだろう。
オーディエンスたちへはもう十二分に魅せた。彼らに認識できるレベルの演出はやり尽くしたと言える。つまりこれ以上はマンネリってヤツさ。

「決めるぞ、蘭子!」
「うん! いこう、飛鳥!」

ボクたちは向き合い、両の手で指を絡ませ握り合う。
やはりこうして直に触れ合っているときが、最も効率のいい共鳴が実現するみたいだ。そしてその分“膜”に開く穴も大きく出来る。




170: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:32:38.89 ID:+IqVL7Wl0

認識領域をいけるところまで拡張する。大宇宙、このセカイ中に撒き散らされた無数の浸食体を、それらを操る天使を、逆に喰らってやるのだ。

「「…………!」」

ボクたちの認識は地球を飛び出し、月に達する。金星、火星、水星、そして太陽に。
認識領域の拡大速度は指数関数的に増大しとっくに光速を越えている。魂による認識、つまり上の次元を経由した観測がそれを可能にしている。
木星を越え、海王星を越え、太陽系を抜ける。
まだだ。まだこんなものではない。
プロキシマ・ケンタウリ、シリウス、プレアデス星団、オリオン大星雲………。

「「………っ!!」」

情報量の爆発的な増加に、一瞬だけ認識がサチりかける。が、即座にアルゴリズムのアップデートで対応――

「「まだまだぁあああアーーーッ!!!」」

――渦上の構造を確認――遂に天の川銀河を眼下に収める。四千億もの恒星、一万ものブラックホール、その全ての情報が流れ込んでくる。なんて美しい調和……目に見える奇跡がここにある……。
アンドロメダ銀河、銀河、銀河、銀河……銀河群、銀河団、銀河団………ラニアケア超銀河団――

「――あっ!」
「飛鳥……っ!?」

そこでボクは、思わず我を忘れた。
ニ億四千万光年先のそこにいたのだ。人類とは異なる、文明を持つ存在が。異星人が本当にいた! 可哀想に、彼らも天使の襲来に恐慌状態に陥っていた。
地球とは随分と異なる生態系だが、科学力は地球よりもよっぽど進んでいる。彼らは思考し、喜び、怒り、悲しみながら暮らしている。友情がある、愛情がある。太古の昔から連綿と続く物語がある。
その感動にボクは我を忘れてしまった。それが蘭子との共鳴を乱すこととなった。

「くっ、すまない……っ!」

認識領域の拡大がそこで止まる。
ええい、ならばひとまずここまでだ。領域内の浸食体どもにはマーキング済み。いくぞ!

「「とりゃああああーーーーーー!!!」」

エネルギー解放。
半径五億光年にボクらのエネルギー波が瞬時に充満――浸食体を一匹残らず殲滅することに成功した。




171: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:33:43.87 ID:+IqVL7Wl0


「フハッ! アーーハッハッーーー!!」

笑いが止まらない。たまらず地球を一周してしまう。
ボクたちはすごいものを観た! 天上に輝く星々の意味が理解る! 人類未踏の知恵の果実がそこかしこに散らばっている! 絢爛豪華なフェスがいつまでも続くかのようだ!
しかし、まだだ。まだ全てに至っていない。もう一度だ。
そして今度こそ、大宇宙を手中に収め、天使を滅ぼしてやる!

「さあ、蘭子! もう一度だ! 今度は集中を乱したりしない!」
「…………」
「蘭子……?」

差し伸べた手を蘭子が取ることはなかった。蘭子は険しい表情で、上空を睨んでいた。

「何、アレ……?」
「へ?」

ボクたちが浮翌遊している場所から更に10メートルほど高いところに、小さな何かが漂っていた。どうやら、こぶし程度の大きさの、矢印の形状に似たものがクルクルと回転しているらしい。色は黒い。

クルクルクルクルクルクル……………ピタッ!

その回転がピタリと停止した。矢印の先端を、真っ直ぐ、ボクに、向けた、状態で。

「――っ!?!?!?!」

瞬間、ボクの全細胞にアラートが鳴り響く。

これはダメなヤツだ!
今ボクはマーキングされたんだ!

比較してようやく気付いた。これまでの浸食体なんて天使からすればお遊びですらなかった。ただエンターキーを押してプログラムを走らせていただけだった。
この矢印からは天使の明確な意思……悪意を感じる。ボクたちは天使を本気にさせてしまったのだ。
もう一度、だなんて悠長なことを言ってる場合じゃなかった。さっきのが最初で最後のチャンスだった! それをボクはミスってしまった!!

「うわっ!! うわああああ〝あ〝あ〝ーーーー!!!」
「あ、飛鳥ぁああーーっ!?」

加速し、蛇行し、光速を越え、量子化する。
しかし、矢印を振り切ることが出来ない。ピタリとボクと同じ距離を保っている。どこまでも付いてくる。
斬りかかろうとすればその分遠ざかる。ならばとエネルギー波を喰らわせてやる。

「消えろぉおおおおーーーっ!!!」
「お願い! 落ちてーーーっ!!!」

蘭子もそれに加わる。
ありったけをぶち込む。それは全的中した。なのに……。

――キュゥゥウウウウン

矢印はビクともせずそこに在った。
あろうことか、ボクたちのエネルギー波は吸収されてしまったようだ。黒かった矢印の色がだんだん白っぽく変わってゆく。いや、輝き始めている。エネルギーの充填状態を表しているのは明らかだった。その輝度がマックスとなったとき……何が起こるか? その想像が外れることはないだろう。
逃げることは出来ず、破壊も不可能。どうすればいい?

「ハッ……!」

ならばハッキングだ!
ボクを追尾するプログラムを解き明かし、無力化してやればいい。映画とかでもよくあるヤツだ!
矢印をしかと認識し、クールに解析を開始する。同時に解析完了までの推定時間がはじき出される。

――解析完了まで約28恒河沙年。

「えっ…………」

ボクの思考は停止した。
矢印は強烈な光を放ちながら明滅を開始する。その周期がどんどん早くなってゆく。




172: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:35:00.38 ID:+IqVL7Wl0


「は、離れるんだ。蘭子……」
「………ッ!!」

せめて最期に蘭子の姿を目に焼き付けようと彼女を見れば、悲壮な面持ちでエネルギーを練っていた。
ごめん、蘭――

「――えっ!?」

一瞬、何が起こったのか理解できなかった。まるで強風に吹かれたような感覚だけがあった。
だけどすぐに理解した。
ボクと蘭子の位置座標が、そっくりそのまま入れ替わっていた。所謂テレポーテーションだ。
そして今、矢印は蘭子を向いている。蘭子はボクの身代わりになったのだ……!

「ばっ! ふざけるな蘭子ーーーっ!!!!」
「絶対障壁最大展開ぃいーーーっ!!」

矢印と蘭子の間に数億枚の魔法障壁が出現。そのとき矢印の輝きが臨界を迎え破壊光線を放出。

――バキィキィキィキィインンン!!!!

「うっ!?」

大鏡がハチャメチャに割れるような破壊音が轟く。迸る閃光に目を開けていられなくなる。
そして――

――パキィイイイイインンン………

一際甲高い音が鳴ったのを最後に、一帯に夜が戻った。

「ら、蘭子……?」

周囲には砕かれた障壁の残滓が漂うばかり。さっきまでそこに居たはずの蘭子がいない。代わりに、何かが放物線を描き落下していく。

「――ッ!」

ボクは墜落していく何かに力を行使し、空中に留めようとした。なのに、物体を浮かせるくらいワケないはずなのに! 力が上手く使えなくなっていた!

――がしゃああああんん!!

結局落下の勢いを殺し切れず、それはステージのセットへと激突した。

「嫌ぁぁあああーーー!!!」

そこへ金切り声を上げながら駆け寄る女性、神崎P。彼女は血走った目で瓦礫と化したセットを掘り返してゆく。

「そ、そんな……まさか……!」

そして神崎Pが抱え上げたのは、ボロ雑巾のように傷ついた蘭子だった。

「嫌っ! 嫌あああっ! 蘭子ぉおおおおーーーっ!!!」

「あっ……ああっ…………ボクが……ボクのせいで……」

視界が揺れる。と思っていたらガタガタと身体が震えていた。倦怠感が全身に重く圧し掛かってくる……。
え? 誰かがボクを呼んでいる? なんだ? 誰? あ、Pか? 地上からボクに何かを叫んでいる? 何? 手をブンブン振って、何だ? え? はやく、おりて、こい……?

「………あ」

落ちる蘭子を止められなかった理由。倦怠感の理由。蘭子とのリンクが切れたから。加えて、翼も何者かにより消滅させられていた。
そんなボクはもうただの少女。
ただの少女は空を飛ぶことはできない。

百メートル以上の上空から、ボクは真っ逆さまに墜落していった。





173: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:35:45.12 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by P≫

セカイ分岐が起こったとき、俺は本当の自由を取り戻したののを感じた。それはちょうど一年ぶりのことだった。そして全てを思い出した。
飛鳥に伝えるべきことがあったということも思い出した。
しかし同時に、それは俺にはどうしたって伝えることが出来ないと諦めることになった。
だから俺は「ぶちかましてこい!」と、そんなことしか言えなかった。

実際、飛鳥と神崎ちゃんはよくやってた。
俺でさえ見失いそうになるほどの速度で空を駆け、現実離れした方法で敵を倒していく。
このままいけば本当に天使とやらを撃退できるんじゃないかとも思えた。

飛鳥の様子がおかしくなった直後、神崎ちゃんがやられた。敵の攻撃をまともにくらい、墜落してきた。落下の衝撃の大半は翼が相殺したようだが、既に重傷。あと数分も持ちこたえられないだろう。
となると問題は飛鳥だが、呆然と空を漂ったままでいる。飛鳥へと必死に呼びかけても反応が薄い。
そんでやっぱり落ちた。

「ずおりゃああッ!」

飛鳥の落下予測地点へ向け、俺は疾走する。陸上界真っ青の弾丸スタートダッシュだ。
このまま落下地点に到達して飛鳥を無事に受け止めることは容易い。そんなこと俺には朝飯前。
んでも、現実はそんなに甘くはないよなぁ。てか現実って何だ。笑えないぜまったくよぉ。
飛鳥が落ち始めてからまだ一秒も経っていないのに、落下速度は既に終端速度を超え、更に増大していく。なんつー加速度。天使は重力エネルギーを操るらしいから、こんなのお手のものってか。

――じゃあ急がねぇとな!

俺の肉体の全細胞一つ一つに指令を下し、最適な走法で疾駆する。身一つで空気の壁をぶち破った三人目の人間、それが俺。

そのとき、俺の理性が『待った』をかけてきた。『死ぬことになるぞ』と。『どうせ二宮飛鳥も助けられないぞ』と。だから『無意味に決まってる』と。

――うるせええええええ!!!

今この瞬間だろうがよ、俺がずっと求めていたのは!
理性が拒絶し、確率にそっぽを向かれて、それでも尽きない心の底からの衝動! しょうもない“台本”にずっと抑えつけられてきたソレが、今この瞬間には解放されている。
しかも『決まってる』だと? 逆だろうが! 分岐したてのこのセカイはまだ何も決まってねぇはずだ!
それに何より! プロデューサーがアイドルほっとけるかよ!!

「――ッ!!!!!!!」

落下地点には俺が先に着いた。
脚部の骨にヤバい感じのヒビが入っている。まぁいい。もうあまり関係ないし。痛覚遮断も必要ない。こっからの俺の仕事は痛みを感じる前に終わるから。
目と鼻の先には半端ないスピードで俺の胸に飛び込んでくる二宮飛鳥。問題はここからだ。
脳の処理速度を最大限に引き上げる。足りない。脳の限界を超えて引き上げる。疑似的な時止めが実現した。




174: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:36:13.65 ID:+IqVL7Wl0

コマ送りの世界で、俺は注意深く飛鳥の身体に手を伸ばしていく。
まずは両手で飛鳥の重心に触れ、僅かな運動エネルギーを回収する。そして左手は上半身へ、右手は下半身へ滑らせていく。滑らせながら運動エネルギーを回収し続ける。飛鳥の肉体に負担をかけないよう少しずつ。回収した運動エネルギーは剛体化した細胞を伝わせて左の足先へと伝達し、解放――爪先から土踏まずまでの体組織が粉々に分断された。
運動エネルギーの回収を続行する。超速で動かしている両腕があっという間にズタボロになっていく。ギリギリ形を保っていればそれでいい。

左踝が、左脛が、左膝が、右爪先が、右踝が、右脛が……。

――まだだ。まだ全然スピードが殺せていない。

左膝が、右膝が、左腿が、左大腿骨が、右腿が、右大腿骨が……。

――あぁ、クソ、そういうことかよ。ここにきて加速度増してんじゃねーか。容赦無さ過ぎだろ。

臀部が、骨盤が……。

――クソ。クソ。クソ。

腹筋が、大腸が、腰椎が……。

――クソ。クソ! クソ!!!

アバラが、肺が、心臓が……。

――ああああ!くっそおおおおお! 飛鳥! 飛鳥!!

頸椎が、顔面が、頭蓋骨が……。

――飛鳥! 飛鳥! 飛鳥!!!!

脳が……。

――――――!!!



――パァンッ!!!



こうして俺の肉体は粉々に吹っ飛んだ。
俺の肉体を使い尽くしても結局、飛鳥の落下速度は半分にもできなかった。
しかし飛鳥を助けることには成功した。
それは何故か?

だって俺だぜ?







175: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:36:55.03 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by Asuka≫

――パァンッ!!!

「ぅぐっ!?」

激しい衝撃が全身を駆け巡った。
フワフワとした心地。思考がまとまらない。確かボクは墜落して……そして、どうなった?
やはり死んでしまったか? 物凄いスピードで落ちていたような気がするし……。

「ぅ……く……っ」

いや。動く。手も脚も感覚がある。
しかし、この泥濘は何だ? 何故か全身がヒリヒリするけど、そこまでの痛みではないし、
ボクが出血しているわけではなさそうだが……。

「は……あぁ……!」

P……? そうだ。Pがいた。落下の瞬間、一瞬だけPが見えた。P、何処だ? 嗚呼、嫌だ……目を開きたくない………。

「な、んだ……これ………っ」

ボクが墜落したのはステージの上だったようだけど、その床がペンキ缶をぶちまけたように酷く汚れていた。
そしてこのドス黒い大輪の華が泥濘の正体で、その中央にいるのがボクだった。
いや、ボク以外にも何かある。
泥濘の中から出てきたのは、男性もののスラックスとワイシャツとネクタイ。ネクタイには見覚えのあるネクタイピンが付いている。それはボクがPの誕生日にプレゼントしたものだった。

「………は、ははは……P……キミが何者か、ようやく理解った………」

ボクの脳裏に、Pと過ごしたこの一年間の記憶が駆け巡っていた。本当によく理解らない男だった。でもそうだったのか……Pは……。
カオスを支配し、銃弾の雨を摘まみ、独力でオーパーツをクラフトする、得体の知れなかったPという男。その正体……。

「さては、ただのバカだな……? ただの、バカな、中二病の、カッコつけだ……っ!」

――へへっ! バレたか! まっ、別に隠してなかったけどな!

「ふ、ふざけるな……なに、軽く人間越えてるんだよ……ああああっ!! なんで、こんな……ボクなんかを……!」

どうやったのかなんて理解らない。Pのことだ、どうせ出鱈目な方法に決まっている。何もかも理解できない。この期に及んで、ボクなんかを助けてどうなるっていうんだ!? しかも自分を犠牲にして!

「蘭子! お願いよ蘭子! だめ、いかないで! 蘭子ーーっ!」

悲痛な叫びが耳をつんざいた。神崎Pだった。
彼女たちはステージの反対側にいた。

「あああっ! こんなことになるならっ! 私は……っ! 何のために堕天したのっ!? こんなことに! なるなら! なると分かっていたら……っ!」

仰向けに横たわった蘭子の胸部に、神崎Pが腕を突き立て、一定のリズムで圧迫を加えている。リズムに合わせ、蘭子の足先だけがユサユサ揺れている。




176: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:38:00.64 ID:+IqVL7Wl0


「そんな……嘘だ………っ!」

凍る。骨が、臓腑が、心が凍ってしまう。

「うあああーーー! 蘭子ぉおおおーーー! Pぃいいいいーーー!」

蘭子もPもボクをかばって。ボクの所為で……! こんなことになるなら、いっそのことボクが! そうだよ! グレートヒェンはボクの役だったじゃないか! なのになんで!?

――ちょっといいか、飛鳥? 今、敵はどうしてる?

敵。天使。奴は今……。

「あ……あぁああ………っ!」

上空に視線を向けると、ビルほどの大きさの空間が激しく歪んでいた。その歪みこそがヤツ本体だと直感した。
どうしようもないくらいに絶対的な存在。おまけに悪意に満ち満ちている。そこにいるというだけで寿命が縮んでいくのを感じる。
顕現した天使を前に、過熱していた会場の空気も凍結していた。悲鳴を上げることさえ誰にも出来ない。ただ茫然と、審判が下されるのを待っている。
鳴動する大気は天使の哄笑だった。ダークイルミネイトという障害を排除したという、勝利宣言。だからこそ、ヤツは姿を現したのだろう。

――そうか、笑っているか。これは傍受されてないってことだな。ならいけるわ。

こんなことになるならULを目指すんじゃなかった! ALDを振るんじゃなかった! アイドルになるんじゃなかった!
こんなことになるなら…………Pと出会うんじゃなかった!

――おいおい悲しいこと言うなよ。でも、それ核心な。って、ちょいちょい。そろそろ落ち着け、飛鳥よ。ゆう程余裕ねぇんだから。

気が狂いそうだ。いや、もう狂ってる? さっきから幻聴が聞こえるし。

――なあ、飛鳥! ちょっとマジで聞いて? ねぇ! あすちゃん!?

なんだよもう、幻聴のくせにグイグイくるな!? あと、あすちゃんって言うな!

――だーかーらー! 大丈夫だって! 神崎ちゃんも俺も、まだなんとかなるから!

「…………へ?」

幻聴だと思っていた妙な声。頭の中に直接染み込むようなその感覚は、蘭子と共鳴による意思疎通を行う感覚と似ていたのだ。




177: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:38:31.05 ID:+IqVL7Wl0

変な声は依然ごちゃごちゃとしゃべくっている。この独特のウザさ……たとえ妄想であったとしても、ボクから出たモノとは思えなかった。

「………P、なのか?」

――俺だよ! 俺俺! Pくんだよう!

うわ、ウザい。

「でもなんで……Pの身体は……」

――俺の肉体はたしかに消滅した。だがしかし。脳細胞の最後のひとかけらまで無意味化した直後、ほんの僅かな極小の時間だったが、俺の自我が存続していることに気付いたんだ。認識速度をカリッカリに上げてたお陰だな。

「は……?」

――肉体とは別の軸の、生命を駆動する根源、つまり魂。その刹那の間、俺は魂そのものとなっていた。それが認識できたから力を引き出すことが可能になった。バグ技みたいなもんらしいから、時間制限ありだし出力も小さいけどな。まぁ、少女一人を受け止めるのと、“伝える”ぐらいならいけるっぽい。

「き、キミの言うことは、いつもワケが理解らないんだが……?」

その悪癖、死んでも直らないんじゃ、もうボクが合わせるしかないじゃないか……!

――死んでねぇって。

言葉の綾だよ! というか、思考を読むな!

「伝える……って?」

――なぁ、飛鳥。俺に聞きたいことないか? 聞こうと思っていたのに、何故かいつも聞きそびれてしまう……。そんなことに心当たりはないか?

「Pに、聞きたいこと……?」

直ぐにピンとくることがあった。
“どうしてボクをスカウトしたのか?”
いや、そもそも。
“どうして一年前のあの日、キミは雑木林から出てきたのか?”

――それだ。

あの日のことはよく覚えている。ボクの運命を一変させた日だから。
あのときPは“口笛の音を辿ってきた”と言った。でもそれはPの冗談だったはずだ。なぜならボクは口笛を吹くのを失敗したし、仮に口笛を吹いていたとしても遠くまで聞こえるわけがないんだから。

――でも、俺は確かに聞いたんだよ。いや“観た”というべきか。お前の口笛は、ずっと、俺に観えていた。

「い、いったいどういう……?」

――合わせろ、飛鳥。今の俺たちなら出来るはずだ……。

合わせる……?
Pの魂……その周波数………?
……白――白煙―――――
白光が視界を埋め尽くして――――――。




178: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:39:08.79 ID:+IqVL7Wl0


―――――――

―――――

――いつの間にかボクは“教室”にいた。
少年少女がそこかしこにいる。彼らの体格と教室内の掲示物から中学二年生の教室だということがわかった。しかし、ボクの通っている学校じゃない。
視界が勝手に動く。手足もだ。
ボクが身に付けているのは半袖のカッターシャツに、学生ズボン。
これはまさか、Pの記憶……?
いつだったか、Pはこれまで見たものを全て覚えていると言っていた。そして全てのものが見えているとも言っていた。この視界はそれと符合する。
しかし、記憶にしてはあまりに鮮明で、しかも情報量が膨大。
クラスメイト全員の喋っている内容がわかる。彼らの体調がわかる。光の波長がすべて見える。電磁波に含まれる情報さえ読むことが出来る。これがPのクオリア……。さっきまでのボクと蘭子のクオリアとほとんど同じじゃないか……。
夏休みが明けて間もない頃の、休み時間の記憶らしい。
視界の持ち主であるPはクラスメイトたちと談笑しているところだった。だが、その感情は死んでいた。無理もない。Pには今日一日何が起きるのか全て正確に予測してしまっているのだから。不明なことなんて何一つない。というより、全て勝手に台本として決められている。しかもその台本から外れることは出来ない。全てが決められた通りに流れる日々に面白味を感じることは確かに難しい。

『あ………』

しかし、そんな面白みのないセカイに“異物”が入り込んできた。
Pでさえ理解できない、ある“波”を発見したのだ。台本にもその波のことは記されていない。
Pの心は色を取り戻し、夢中になってその波を観測する。
それは教室の窓から見える山の向こうから来ているようだが、発信源はわからない。遠いのか、あるいは案外近いのか?
波がどういう情報を含んでいるのかもよくわからない。ただのノイズなのか、それとも自分が読み取れないだけなのか……。
ただ解析の仕方によっては、口笛の切ないメロディーのように捉えることもできた。

『おー! Pのヤツ、またやっとる!』

クラスメイトの少年たちがニヤニヤしながらこちらを見ていた。彼らにはこの不思議な波は見えていないらしい。

『あー、それな。先週あたりからよく黄昏れとるよなぁ』
『カッコつけや、カッコつけ』
『中二病、っつーんよな』

口々に勝手なことをいう友人たち。そんな『次のテストのヤマ、知りたくねーようだな』とPが言い返せば、一転して『P大明神』とゴマを擂ってくる。

『いつも何見とるん?』
『いや、カッコつけとるだけやろ』
『フッ。お前ら、浅い、な? Pのやることやで? そんなわけないやろう』

眼鏡をかけた賢そうな男子が得意そうに喋り始める。

『俺は気付いたで。Pのその仕草に規則性があるとゆうことをな!』
『……へぇ、なによ?』

眼鏡くんの言葉にPも興味を示した。

『方角や。教室やグラウンドや下校時、いろんな場所や時間にそれやっとるけど、Pが向く方角はいつだって同じなんよ。そんでその方角の先にあるものこそ、東京!』
『………なるほど』

言われてみれば。
頭の中で正確な地図を組み上げ、これまで波がやって来た方向を記してみると、確かにいずれの延長線上にも東京があった。

『P、このやろっ! 俺らの町捨てて東京行くんかー!?』
『いや、Pみたいなスゲー奴が、和歌山の田舎町で終わる方がおかしいやろ』

騒ぐ少年たち。Pは結構人望があるらしい。

『あ、ちょうど良いやん!』
『だな!』
『何が?』
『来月の修学旅行で東京行けるやん。東京の何がPを呼んでんのか、探そうぜ!』
『さんせーい!』




179: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:40:09.52 ID:+IqVL7Wl0



再び白光に包まれる。

晴れると、目の前に東京のシンボルとも言うべき大きくて赤いタワーがあった。

『なぁP、ここか? ここがええんやろ?』

眼鏡くんが期待の籠った眼差しで聞いてくる。
だが、Pは首をかしげるしかなかった。実際わからないのだ。

『えー! ちげぇの? 東京っつったらここだろー!』
『いかにも田舎モンの発想過ぎねぇ?』
『んだとコラァ!?』
『てか、そもそもよー。東京ってだけで何か探すの無理ゲーちゃう?』
『今更そもそも論を言うんじゃねー!』

Pそっちのけで少年たちが騒いでいる。やれやれと、彼らを眺めていたそのとき、“波”を観測した。

『あーー! 中二病やっとる!』
『おっ手掛かり! どの方角や? 地図地図』
『えっとぉ~~……』
『………はぁ!? これ、和歌山の方やん!』
『どーゆーこーとー!?』
『おいもしかして。いっぺん東京行きたいなぁ~~そんで来れたらもうええわ~~……ってことじゃねぇよな?』
『ファ~~~!! ま、まさかPくん、ホームシック~~~?』
『ざけんなーー!』
『しゅ~~りょ~~!! オラ、ギロッポン行くぞーー!』

Pを残して少年たちは次の目的地へと歩き始めた。
念の為、頭の中で地図を開き、今向いている方向を記してみる。それは確かに、和歌山に向いていると言えなくはない。しかし実家や学校からは随分とズレていて、違和感があった。
その地図に和歌山にいたときの観測方向を重ねてみる。するとこれらの方向は決して平行ではないことが分かった。つまり交点があった。そしてその交点は静岡県内のとある地域の狭い範囲内に集中していた。

『静岡…………』

視界が白く染まる。

――だが、この日を最後にパタリと波は届かなくなった。
――静岡に何かがあると感じていながら、俺は行くことが出来なかった。台本的にはそもそも波を観測してないことになってたんだろうな。だから静岡に行く動機も発生しないってわけだ。

Pが中二だったとき。それは約十年前ということになる。暑い時期。その頃、ボクは……ボクは何をしていた……?




180: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:41:04.67 ID:+IqVL7Wl0


視界が晴れてくる。
オフィス、今の会社の一室。上司が『担当アイドルを決めるよう』にと言っている。
その後Pの自宅にて、突然ALDが出現した。同時に、単なる驚きとは別種の何か途轍もない感覚に襲われた。それは台本から解放された“自由”だった。

『静岡へ行かなくては!』

新幹線に駆け込み、ローカル線に乗り換え、降りた駅は、ボクのよく知る駅……。
薄暗くなってきた街の中、何か手掛かりはないかとPは周囲を見回す。
そのとき十年ぶりに“波”を観測した。それは昔と違い、とてもか細いものだったが、確かにあの波だった。
波がやってくる方向へと一心不乱に直進する。線路を飛び越え、民家を横切り、雑木林を抜け、そして……

『聞こえたんだ、口笛が。その音を辿ってきたら、キミがいた』

そこにいたのはエクステが印象的な少女……二宮飛鳥。
あの波を発していたのはボクだった。

視界が白く染まる。

――俺にとっては口笛としか解析できなかった波だが、飛鳥ならちゃんと理解るだろう?

そうか……受け取ってくれていたのか……Pが……。

Pの記憶から数十個のデータが流れ込んでくる。その容量は口笛の音楽データにしては有り得ないほどに大きい。それも当然だ。3+1次元以外の軸も含んだデータなのだから。それはPが何度も観測しずっと保持していた、ボクの魂固有の波形データだった。
客観的な観測データがあればあっけないほどに簡単だった。寧ろ、何故これまでできなかったのか不思議なくらいだ。
今、ボクには自分の魂が確と認識できていた。ゆえに、魂の波動を起こすことも、増幅して無限へアクセスすることも簡単にできた。
あまりに簡単すぎてつまらないと思った。出力はこっちが上のようだけど、蘭子と共鳴する方が圧倒的に楽しかった。

――じゃ、ASUKA The Idol Fifth Stage 開幕といこうか!

だから、さっさと終わらせてしまおう。
一人遊びは嫌いじゃないけど、仲間と響き合う楽しさを知ってしまったらもう元には戻れないのさ。




181: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:42:13.02 ID:+IqVL7Wl0


白煙が晴れる。

ボクの意識はステージに戻ってきた。例によって、時間はほぼ進んでいなかった。
Pの肉体を再構成し、蘭子の傷を治療する。

「う………ぐ………!」
「……んっ………にゅむ………」

二人とも大丈夫そうだ。神崎Pが「蘭子!」と喜びの声を上げ抱きしめた。チッ、今は譲ってやる。
三人は舞台袖に転移させておく。

「さて……」

上空の天使を見据えると、ヤツは敵意を剥き出しにして威圧してきた。
そんなにはしゃいでどうした? 予想外なことでも起こったのかい?
実のところ、天使というのも全知全能からは程遠いのかもしれないな。

『■■■■◇■◇――!!』

天使が耳障りな咆哮をあげながら矢印の雨を降らせてくる。さっきボクと蘭子を苦しめたあの矢印、それが無数に降り注ぎ、先端をボクに向ける。
エネルギー充填、明滅、放出、無数の破壊光線がボクに迫る。しかし――

「……今、何かしたか?」

――それはもう、ボクを傷つけるには悲しいくらいに出力不足だった。

――――!!!!!

セカイ中のオーディエンスが応援してくれる。それがボクの魂をより高みに押し上げていく。
今なら理解る。この天使はとても矮小な存在だ。他者の魂を踏みつけにしてまで、意地汚く生き永らえようとする下劣な老いぼれ。
無理矢理に絞り出させるようにして得たエネルギーなんかで魂が励起するはずがない。ましてや、そんな体たらくでアイドルに勝てるわけがない!
そう。依然、ここはアイドルのステージ。貴様はただのイチ演出に過ぎない!




182: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:42:55.59 ID:+IqVL7Wl0


「よくも我が片翼を! たとえこの身が滅びても、貴様だけは絶対に許さない!」

まぁ、こんなところかな。
多少のアドリブは必要だけど、大筋のストーリーは変わらない。ミュージックをスタートする。ULにおいて最も激しく、ダンサブルな曲だ。

「うおおおおーーー!! 封印されし左腕の雷帝よ! その力をボクに示せっ!!」

左手から発した紫電を全身に纏い、頭髪をいい感じに逆立てる。見るからに命を削りながらの限界突破状態だろう?
オーディエンスは流石だね、ちゃんとついてきている。状況が飲み込めていないのは、お前だけだぞ老いぼれ!

「■■■■■!!!!!」

老いぼれ天使がボクに襲い掛かってくる。四方八方から放たれるエネルギー波を躱し、弾き、打ち返す。
ボクも見た目重視の攻撃魔法を放って会場に華を添える。

『■■■★★■――!!』

ボクの攻撃だけ当たるからって、みっともない叫びを上げるんじゃない。オーディエンスが引いてしまうだろう?
やれやれ。この役者、大根過ぎる。クビだ。

「えいっ」
『■〝■〝■〝★〝■〝★〝★〝―〝―〝―〝!!!!』

戯れに放ったボクの斬撃が天使の生命エネルギーをごっそりと削いだ。
それでやっとボクに勝つことは到底不可能だということを認めたらしい。
天使のエネルギーの運用方法がガラリと変わる。

「……■…■……◇……□………」

あれは……転移? このセカイから脱出するつもりか。

「奈落の底で詫び続けろーーーー!」

ボクはトドメの一発を放つ。が、ヤツが逃げる方が一瞬早かった。悪運の強いヤツだ。

――――――!!!!!!!

今日最大の歓声が上がった。
オーディエンスたちには、ボクが天使を消滅させたように見えたらしい。実際、ヤツのプレッシャーは消え去っている。つまり、セカイの危機を脱したということだが、それで終わりにしてやるほどボクもお人好しではない。

「逃がすものか……!」

引導を渡してやる。




183: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:43:28.16 ID:+IqVL7Wl0

ヤツを模倣して術式を構築していく。なるほど、これは中々に興味深――

「だめよ!!!」

――そのとき突然、神崎Pが叫んだ。観客のことは慮外といった風の大声、今にもステージ上へ飛び出そうかという程の剣幕だった。

「危機は去ったわ! それ以上はだめ! もう何もしなくていい!」
「見逃せと言うのか!? ヤツは必ず別のセカイで同じことを繰り返すぞ!」
「そういう意味じゃない! 二人だから平気だったの! 一人だけでそれ以上進んではいけない!」
「意味が理解らないな。アレは放っておいていい存在じゃない!」

それに今目を離している隙に妙なことを企んでいる可能性もあるし。

「急いでるんだ。後で聞いてやるから」
「まっ待ちなさいっ! ダメなの! それ以上天使化したら戻れなくな――」
「――術式、展開!」

瞬間、ボクの認識は宇宙の全てに行き渡った。
こうなってしまえば、広大なはずの宇宙は“ビー玉”でしかなかった。ラムネ瓶の中のビー玉を眺める手軽さで宇宙の全てが見渡せる。
逃れようとする天使もすぐに見つけられた。どうやらセカイの膜を越えるのにも手こずるほどに弱体化していたらしい。

『〝★〝★〝■〝★〝■〝★〝★〝―〝―〝!!』

だからうるさいって。幾ら喚いても……ん? なんだいこのデータは? これで見逃せって?
フムフム……。

『繧ェ繝シ繝医?繧ソを繧ッ繝ゥ繝輔ヨス方法』
『螟ゥ菴ソ繧貞シア菴の事象に灘喧縺忌吶k譁ケ豕』
『逾槭&縺セについての考察』

興味ないね。
じゃあ、さよならだ。

『□〝―〝―〝―〝―〝―〝―〝―〝!!!!』

そして今度こそは、ボクは天使を消滅させた。重力子一つ残さず、一バイトの情報も残さず、キレイさっぱりと。




184: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:44:21.17 ID:+IqVL7Wl0



「――――ふぅ」
「あっ! 飛鳥っ!」
「おお、お疲れちゃん! いやまだ公演終わってねえけどな」
「っ………!」

舞台袖に意識を合わせたボクを三人が迎えてくれた。

「良かったぁ~~! やっぱり飛鳥はしゅごいよ~~!」

可愛い顔をクシャっとしながら蘭子がボクの胸に飛び込んでくる。当然ボクは彼女を受け止め、熱い抱擁を――

「ふぇえっ!?」

――することができなかった。
蘭子はボクの身体をすり抜けてしまったのだ。蘭子はズッコケて床に膝を付いた。
一体何が起きた?
神崎Pが「やはり……」と呟き、ボクを見据える。

「二宮飛鳥、アナタはもう完全に天使化してしまった……」
「なん……だと……?」
「存在の軸にする次元が変わってしまった。だからもう、このセカイにいることは出来ない。アナタは旅立たなくてはならないの。天使がいるべき、上の次元のセカイ……天界へと」
「…………は? いやいや、待て待て待て………!」

何故そうなる!? 天使化? じゃあ、この状態を解けばいいだけじゃ――

「……あれっ?」

――解けない。なんで!? いや、そもそもどうやってこの状態になったんだっけ?

「やはり、出来ないのね……」
「ま、待て! こんなのちょっと工夫すれば……!」

改めて、いつもの感覚を取り戻そうとしてみる。だが理解らなかった。いや、理解るはずがない。だって、今の状態こそが自然だという感覚があるんだから。

「あ、飛鳥……!」

蘭子が慌てた声を出し、明後日の方向を指差した。その先にはなんと――

「な……っ!?」

――空間浸食が発生していた。それは他ならぬボクが生じさせているものだと、感覚的に理解った。

「そういうことなの。天使がこの次元に在ること、それ自体がセカイ崩壊をもたらしてしまう。このままアナタがここに留まれば……!」
「ッ……!」
「えっ? えっ? でも、だ、大丈夫だよね…っ? 天界って、プロデューサーがいたとこだよねっ? そこからプロデューサーはやって来たって。だ、だったら、飛鳥だって、一度天界に行って、それから戻ってくることも出来るってことだよね……?」
「それは…………」

蘭子の指摘はもっともだと思った。しかし神崎Pは苦痛に耐えるように、表情を曇らせる。

「……天界へ行った後、力の制御の仕方を身に付ければ、私のように人間として受肉することは可能。それはとても容易い。でも……それが可能になる頃には、間違いなく、このセカイを見失っているわ」
「ど、どういうこと……?」
「二宮飛鳥はまだ成りたて。天使としては、自分の意思で歩くことも出来ないし五感の使い方も知らない赤子といってもいい。そんな状態で天界へ行けば必ず迷子になる。そして天使としての身のこなし方を覚える頃には、最早辿って戻ることなんてできない程に離れた場所にいるでしょう」
「っ……!」

言葉を失う蘭子を余所に、ボクは妙に納得してしまっていた。
さっき天使を滅ぼすために行ったセカイの果て。そこでボクはセカイの外には出なかった。出ることは出来たけど、敢えて出なかった。戻ってこられなくなるかも、という予感があったからだ。

「……他のセカイはどれくらいある?」
「無限よ。天使でさえ全貌が掴めないクラスの」
「やはり……そうか………」
「天使にとってさえ無限に広い天界で、無限に存在するセカイの中からたった一つのセカイを見つけようとすること……それは想像を絶する長い旅路になる。それでも尚、辿り着ける可能性は限りなくゼロに近い。実際、私は――」
「うぅ~~~っ!」
「――っ!? 蘭子……」

言葉を続けようとした神崎Pの胸に蘭子が飛び込んだ。そして「イジワル言わないでぇ!」と鼻声で訴える。
神崎Pは蘭子の背をただ撫で続ける。




185: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:45:03.77 ID:+IqVL7Wl0

重く、いっそ痛いくらいの沈黙がボクたちに覆いかぶさっていた。だというのに――

「でもよ~~~~」

――なんだその間の抜けた声は。おいP。

「睨むなって」
「……何?」
「でも、ゼロ、じゃあないんだろ? なら、イケるでしょ!」
「っ……!」

親の顔より見飽きたもの。Pの不敵な笑み。
厄介だなぁ。これに当てられると、ボクは返さなくては気が済まなくなる。だって負けた気がするから。

「フッ……! まったく、キミというヤツは……!」
「アナタ達、私の言っていることが理解できていないの……!?」
「神崎Pってさぁ~、結構アタマ硬いとこあるよな」
「ンフ! そう言ってやるな、P。可哀想じゃないか」
「私は……ただ事実を……っ」
「でもでも、プロデューサーなんて夢売る仕事してんだし、もっとこう、友情パウワとか、LOVEとか、信じてみてもよくね? てか、さっきのヤツに勝ったのって結構スゴくね?」
「っ! そ、それは………」
「それになにより、二宮飛鳥さんだぜ? 名実ともに超一流アイドルのっ!!」

おい、神崎Pをイジるのはいいが、ボクまで変な持ち上げ方をするな。

「超!一!流!のアイドルとは……っ! さぁ、飛鳥、このちゃんねーに教えてやれ!」
「えっ?」

超一流のアイドル……。いつだったか、Pと馬鹿話で盛り上がったな。たしか……超一流のアイドルとは、その者にしかない輝きで世界を照らす存在であり、そして……。

「予想を裏切り、期待を超える者……」
「That's right! 飛鳥が俺たちの想像を超えてくるの、メチャクチャ楽しみだぜ!」
「っ……!」
「フフフッ!」

不思議なものだ。この男が宣言するだけで、その気になってしまうんだから。
でももう一つ、ボクが帰ってこられる理由がある。

「蘭子……」
「ふぇ……?」

それはもう一人の超一流アイドル。

「お願いがある」
「……う、うん! なんでもする!」
「歌を、歌ってほしいんだ……」
「歌……?」
「ボクのことだけを想って歌ってほしい。一曲でいい。それを辿ってボクは帰ってくるから」

ボクの声がPに届いていたように、蘭子の歌ならボクに届く。どれだけ離れていても絶対に。

「……フフッ……フハハハ……ハーッハッハッハーーーーッ!」
「堂に入った見事な三段笑い。やるな蘭子」
「いいわ! 我が片翼の願いならば、全身全霊を以って応えましょう!」

憂いは霧散した。
無意識的な空間浸食はゆっくりだが確実に進んでいる。となれば後は旅立つのみ。
セカイの外へ出るための術式を構築していく。

「飛鳥――」

その最中にPが語りかけてくる。

「忘れるな。お前はどこに行ってもアイドルだ……!」
「あぁ……理解ってるよ、P」

彼の言わんとするところ。アイドルに失敗はない。仮に失敗と呼ぶべきモノがあるとしたら、それは諦めたときだけ。
そしてボクは諦めない。絶対に。

「さぁ……往こうか」




186: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:46:47.42 ID:+IqVL7Wl0


認識領域が拡張していく。

そして。セカイの膜を――――――

――――――――――――

―――――――――

―――――

――越えた。

越えたんだよな……?
暗い……。
強いて言うなら深海のよう……? 何かがボクを取り囲んでいるのを感じるけれど、見ることが出来ない。
ボクの身体を何かが撫でている。緩やかな水流のようなものが……。勢いは強くはない。でも念の為、何処かに流されてボクのセカイを見失わないよう、手で触れておこう。
あぁ……この流れは情報か……初めて観測する多種多様な情報の波……。
そうか……暗いんじゃない。閉じていただけか。感覚を開けば――

――ッ!?

なんてことだ!
無数のセカイがそこにある! 宇宙の星々なんて目じゃないほどの数と密度!世界中のビー玉を小さな水槽に押し込めたような……! 概算してみようという気さえ起らない。
この一つ一つがセカイなのだ。セカイの色は多種多様。何の条件で決まるのだろう?

――そうだ!

ボクのセカイはどんな色に見えるのかな?

………なるほど。“邏ォ髮サ”色かぁ……。うん、いいね!

……ん? あれ?

何故だ? どこにも蘭子がいないぞ? いや、Pもいない……!?
いや待てよオイ……。

このセカイ、ボクのじゃない!!!!

何故? ボクが出てきたセカイにはずっと手で触れていたのに!
……ん?……手とは何だ? 右手? 左手? 今のボクに手なんて……。
なら、触れていると思っていた手は何だったのか? ボクは、何をしていたのか……?

――そんなはずは……っ!

待て待て落ち着け。近くにあるはずだ。まずはこのセカイを手掛かりにして……。
はぁっ!?!? また変わってる!? 何もかも違う!? ビー玉じゃない? これは紐? ワイヤー? なんで!? 何が起こっている!? ボクは何を見ている!?
だめだ! ゆっくりと元の場所に戻るんだ! ………戻る? なにで? 足? 足って何?

―――ああああああっ!?!?!?!?!

流れていく。
流されていく。どこまでも。どこまでも。止まらない。止まれない。
本当に神崎Pの言った通りに……っ!
そんな!? これは! この広さは……! この速度は……!
ダメだ。落ち着いて。元の場所に……………あ。あ。あ。あああああああ。ああああああああ。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ああああああっ!!!!!」




187: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:47:21.74 ID:+IqVL7Wl0



暗黒。
あるいは白。
もしかすると空。


「……………………えっ?」

気付けばボクは何も無い空間にいた。
情報渦巻く天界とは似ても似つかない、あまりにも何もない空間。

「な、なんだここは……?」

ここも天界の一部なのだろうか? 何も無いくせに、広さだけは莫大らしいが……。

「――じょ、冗談だろっ!?」

違った。何も無いどころか、有り過ぎるんだ……。天使のスペックを以ってさえ防衛本能が働いて、端っから観測を遮断してしまうほどに……!
空間を構成するグリッド一点ごとに、さっき天界で流れ込んできた膨大な情報を遥かに凌駕する量が、折り畳まれた状態で格納されている!

「ッ……!?」

何かが居る。姿は見えないが、確かに居る。
この空間に住まう者なのか?
ソイツはボクを見ている。観察している。無限遠の彼方から、擦れ合うぐらいの至近から。じーっと、ボクを……。

「…………」

何も発することが出来ない。発せたところで、そもそも意味がないだろうけど。きっとボクの思考なんて丸裸にされている。
そんな絶対的な存在から、何か思念らしき情報が伝わってくる。

「………えっ?」

それは、感謝と謝罪。
しかし余りにも身に覚えがない。

「一体オマエは…………いや、もしかして“アナタ”は……」

ボクの問いかけにはやはり答えてはくれない。
そして空間から絶対的存在の気配が薄れてゆき……。

―――――ッ!?!?!?!!?!

激動する感覚。
ボクの存在座標は天界に戻っていた。
ボクの意に反する移動は続く。やはり止められない。
一体どれだけ遠くへ流されたのか。いつになれば止められるようになるのか。




188: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:48:00.86 ID:+IqVL7Wl0




蘭子。蘭子。蘭子。どこにいる? 歌を。キミとまた響き合いたい。響き合うんだ。キミの笑顔が見たい。ボクは此処にいる。お願いだ。蘭子。声を歌を聞かせてくれ。蘭子。



どこだP。キミに会いたい。本当のことを言うよ。ボクはキミの冗談が好きなんだ。P、お願いだ。聞かせてくれ。まだキミと話したいことがまだある。したいことがたくさんあるんだ。




あああ。蘭子。P。wheこに……bクは此erにいる。

イruんだ/

らnk0たのmuuあを縺ゅ=?吶♀縺ゅ≠@@t歌wo

縺翫∴縺ing?◆縺吶¢縺たno P P P P P◆P P P!!!!s縺ゅ≧縺?m?翫=!!!帰ッ豁、蜃ヲ縺?繧医く繝溘′螂ス縺◇□諢帙@縺ヲ蘭蘭蘭蘭rrrrrr繧繝◆懊◆◆◆け縺縺オ縺悶¢繧九↑繝懊け縺ッ蟶ー繧狗オカ蟇セ縺ォ蟶■ー繧玖ォヲ繧√↑縺?ォヲ繧√↑縺?≠縺阪i繧√↑縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠縺?>縺?>縺?>縺?>隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑P縺隲ヲ繧√ヲ蘭繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺p隲ヲ繧翌蘭蘭蘭√↑縺繧√↑縺隲繧√↑縺隲ヲP繧√↑縺ヲ繧r√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲pヲ繧√蘭↑縺隲蘭隲隲rr隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




189: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:48:53.50 ID:+IqVL7Wl0




≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

「さぁ……往こうか」

そう言い残して二宮飛鳥は姿を消した。

「ぁ……あすか……うぅ……っ」
「蘭子……」

よろめいた蘭子を抱き支える。
二宮飛鳥がこれから味わうだろう果てしない孤独を、この子もうっすらと理解しているのかもしれない。

「蘭子……。行きなさい」
「………ぐすっ。うん……っ!」

涙をぬぐい、舞台袖からステージへと、蘭子は一人で歩み出る。

「白銀の騎士の挺身により危機は去った」

怒涛の展開の連続で呆けていたファンたちはしかし、蘭子の纏う悲壮な雰囲気に目を覚ました。

「彼の者はもう……此処にはいない。傷を癒すため、深なるセカイへと旅立った」

鬼気迫る蘭子の言葉に会場中の人間が息を呑む。

「しかし、我らは双翼。片翼が引かれ合うは世の摂理……。永劫の先、約束の彼方で、我らは必ず相まみえる……!」

夜空に引いた一筋の白墨のような、切ないメロディが大気を震わせはじめる。

「故に、これより奉じるは別れの歌ではない」

徐々に、徐々に、濃度を増していく音色――蘭子の魂の響き。

「再会を期する、歓喜の歌である!!」

蘭子の想いがそのまま具現化したような歌声だった。
二宮飛鳥に会いたい。ただそれだけの願いを込めた歌。
それは言葉を越えて、何者にだって伝わるだろう。

しかし……。
それでもやはり私は、二宮飛鳥の帰還には極めて悲観的だった。

「実際、私は見つけられなかったのだから……」

天使の永い寿命を使ってひたすら探し続けた“何か”。それは結局見つけられなかった。二宮飛鳥のしようとしていることは、それとほとんど同じ難易度なのだ。
しかし私の場合は、神崎蘭子という尊い存在に会えた。これは私にとって望外の奇跡であった。

だけど、何か、引っかかる。

「……!」

思い出した。
天界を彷徨った末の今際の際に蘭子を見つけ、堕天を決めたあのとき。その決断はある意味妥協であったはずなのに『これで正解だ』という声が私の内側から聞こえていた。そのことを今、思い出したのだ。




190: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:49:48.36 ID:+IqVL7Wl0

あの声を発したのは、魂のとても深い場所だった。それはひょっとすると、私の封印された領域からだったのでは……?
私が誕生した瞬間から謎に存在していた、魂の中の不可侵、不可知領域……。

「まさか………」

見つけられなかったわけではない……?

「なぁ、飛鳥……。もーいいんじゃねぇか?」

混乱する私の隣でPが呻くように言った。

「なぁ? もう……さ、サビ入ったぜ? そろそろ帰ってこねぇとさぁ……この後、どうすんだよ……神崎ちゃん一人で〆させんのか……?」
「P……」
「おい……もう近くまで来てんだろ? あとは降りてくるだけだよな……!? なぁ~~~~飛鳥よぉぉ……!」

Pは身体を震わせ、とうとう膝をついてしまった。
二宮飛鳥が堕天してくるとしたら今だという彼の考えは正しい。いくら二宮飛鳥が長い旅路の果てにここを見つけたとしても、堕天する時間は任意に選ぶことが出来る。それならば、今を選ばない理由はない。
しかし、Pはまだ思い至っていないようだけれど、このケースには一つ大きな落とし穴がある。それは、二宮飛鳥が堕天を実行するとき、必ずセカイ分岐が発生してしまうということ。つまり仮に二宮飛鳥がこのセカイに辿りついたとしても、どうしたって二宮飛鳥が堕天するセカイと堕天できなかったセカイの二つが生じてしまうのだ。そして我々には最早、ここがハズレのセカイなのか、それとも単に二宮飛鳥が失敗したのか、知る術はない。

蘭子の歌は既にラスサビに突入している。
蘭子が止め処なく頬を濡らしていることは誰の目にも見えるだろう。

「何をしているのよ、二宮飛鳥……っ!」

今日だけは蘭子の涙を拭う大役を任せてやろうというのに……!

そしてあえなく、蘭子の歌唱は終了した。
圧巻のパフォーマンスを目の当たりにした会場は、まるで時が止まったように静まり返っていた。
私もただ蘭子を見つめていた。




191: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:50:44.85 ID:+IqVL7Wl0


「な、なぁ……神崎P……」

もう少し余韻に浸らせてほしいのだけれど、そんな私にPが声を掛けてくる。

「なんか、お前、光ってね?」
「……………えっ?」

何を馬鹿なことを、と思った。でも確かに、手のひらが、腕が、脚が、光を放っていた。
なにこれ? と口にする前に、大気に漂っていた蘭子の歌声の最後の一小節が、私の中にするりと滲み込んでくる。

――ガチャリ

鍵の開く音が。そのとき確かに聞こえた。
開いたのは私の魂の深層領域の封印だった。

「こっ、この“光”は……っ!!!」

解錠と同時に本格的に放出され始めた光は際限なく強まり、このセカイの遥か遠くまで遍く照らしてゆく。
その光には極めて特徴的な波長があることに気付いた。この輝きは私の記憶に印象深く残っている。天界を彷徨う中で何度か観た、セカイ線を覆い隠し、天使にも不可侵の領域にしていた光にとてもよく似ていたのだ。
封印されていた領域から膨大な情報が流れ出してくる。


「ッ…………そう……そうだったのね……」


それは記憶だった。とある少女の大切な記憶。




192: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:51:15.54 ID:+IqVL7Wl0






「私は………








ボクだったのか……」








私<ボク>は全てを思い出し、理解した。

こうして私の永い旅路はついに終了したのだ。




193: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:52:33.11 ID:+IqVL7Wl0


≪Congratulation!≫
≪Congratulation!≫
≪Congratulation!≫

「ッ!?」

突然視界に祝いの言葉が浮かび上がる。これもそういう“プログラム”なのだろうか?

私<ボク>は頭の中を整理する。

天界に旅立ったボクはやはりこのセカイを見失った。
そして永い旅路を経ても辿り着くことは出来ず、あるとき記憶の劣化が始まっていることに気付いた。最初はまだ重要度の低い記憶が失われていくだけだが、その進行は止められず、遅かれ早かれかけがえのない記憶まで侵されることになるのは明らかだった。
そこでボクは賭けに出た。
ボクのボクたる情報のすべてを魂の深層領域に封印し、それを持ち運ぶ自動人形<オートマタ>を創り出した。
その自動人形には二つの極めて単純な命令を与えておいた。
一つ目は、“何か”を見つけるまで天界を旅し続けること。
二つ目は、決して諦めないこと。
“何か”とは『神崎蘭子が二宮飛鳥だけのことを想って歌う歌の波動』であり、それこそが封印を解くパスワードでもあった。
この方法により天界の捜索範囲は飛躍的に伸びることになるが、“何か”を見つけられなければボクは永遠に目覚めることができない……。そういう賭け。蘭子との再会をどうしても諦められなかったボクの大勝負だった。

無数のセカイを観察していく過程で、自動人形が自我を発生させたのは完全なる偶然だった。誤算といってもいい。その偶発的に発生した自我が私……今は神崎Pと名乗っている個体。

そして最大の誤算。

「……見つかるわけがなかったのね。“まだ”だったのだから……っ!」

つまり私が発生した時点では、まだこのセカイは存在していなかったということだ!
因果があべこべになってしまっている。こんなの莫迦げている!
しかし心当たりがある。
ボクが天界に入った直後に遭遇した“大いなる存在”だ。
きっと彼の者と別れた時点で“飛ば”されていたのだ。天使でさえ遡れない、本当の意味での“過去”へと。
そして彼の者の目的こそ、無法者の排除。天界にルールがあるように、彼の者の干渉の仕方にもルールがあるのだろう。それに私とボクは巻き込まれ、都合よく使われた。だから“感謝と謝罪”だったのだ。




194: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:53:20.95 ID:+IqVL7Wl0


「な、何が起こっているんです…?」
「あぁ……そう、よね………」

セカイを包み込む光を放ち終わっても、私の身体は光を湛えていた。
これから始まるのは肉体の改変……私の肉体は二宮飛鳥のものに変換される。そういう“プログラム”。自動機械が自我を持つだなんて、あの子は予見していなかったのだから、当然そうなる。
私は消滅し、二宮飛鳥に統合される。それは元に戻るというだけのこと。
だとしても……!

「……嫌………消えたくない………っ」

蘭子の将来をずっと見ていたい。
Pともっと競い合いたい。
私という存在はイレギュラーだったかもしれないけれど、この気持ちは本物なのだ……。
それとあと、二宮飛鳥には言いたいことがあり過ぎる! せめて一言『不親切過ぎる』ぐらいは面と向かって言わせてほしい。
でも、もうどうしようもないのだ。
私とボクの魂は深層で絡みついている。これを瑕疵なく分離させることなんて、たとえ天使でさえ――

≪Is that what you want? ≫

「………………えっ?」

封印解除に伴う単なる演出プログラムだと思っていたポップアップが、まるで意思を持っているかの様に質問してきた。

≪Okay. This is my thanks.≫

「な、何を……っ!?」

私の真横に光の繭が出現する。程なく解けた繭の中には、魂の入っていない少女の肉体があった。ふらつき、倒れようとする空っぽの少女をPが抱きとめる。

「――っ!?」

奇跡の御業はまだ終わらない。
何者かが、私<ボク>の深い場所に手を触れた。その見えざる手は、いとも容易く、不可能を越え――そして私<ボク>たちの魂は完璧なかたちで分離された。

「んっ…………」
「っ………ほんっと! お前ってヤツは……! 飛鳥ぁあああ~~~!!!」

この瞬間、二宮飛鳥が再誕した。
ステージの蘭子が二宮飛鳥の姿を認め、大急ぎで駆け寄ってくる。




195: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:55:42.21 ID:+IqVL7Wl0


≪You have reached a singularity≫
≪Congratulation!≫
≪And≫
≪Goodbye!≫

アナタは誰なのか、なんて聞く必要はない。人知を超え、天使の能力さえも越える存在を表す言葉はそう多くないのだから。でも強いて言うなら“ロマンチスト”だろうか。

全てがお膳立てされていたわけではないのだろう。ましてや、なるべくしてこの今があるわけでもない。

神崎蘭子の歌声は、時空を超え、次元を超え、そして因果律さえも越えて、二宮飛鳥に届いた。

これがシンプルでロマンティックな真実。


そして因果律を越えたことでこのセカイは光に包まれた。
セカイを駆け巡ったあの光を感じて、聡い者は気付いただろう。魂の力には無限の可能性があるということを。
そんなセカイでは、これからどんなことが起こるのだろうか?

「………フフッ」

ふと抱いた疑問を私はすぐに手放した。
最早、何者にとっても原理的に不可能なのだ。



此処は既に特異点。
事象の果ての向こう側。
次のセカイ<シンセカイ>。


この未来<さき>はもう、誰にも観測<み>ることは出来ない。














196: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2020/09/02(水) 15:56:08.30 ID:+IqVL7Wl0





≪Unobservable≫





元スレ
SS速報VIP:超次元偶像二宮飛鳥のセカイ