過去作
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし後編
白菊ほたるのコミュ2に日野茜が乱入してきた話
【モバマス】ほたるのひかりが眩しくて
【モバマス】安部菜々「ほたるちゃんの」日野茜「初仕事です!!」
【モバマス】悪魔とほたる
【モバマス】白菊ほたる「私は、黒猫が苦手です」
【モバマス】ありがちな終末
【モバマス】安部菜々と24人の千川ちひろ
白菊ほたる「黄昏に迷い道」
【モバマス】面接官「ところで白菊さん。貴女、凄くエロいですね」白菊ほたる「え」
岡崎泰葉「ヴォカリーズ」
【モバマス】あの子の知らない物語
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし後編
白菊ほたるのコミュ2に日野茜が乱入してきた話
【モバマス】ほたるのひかりが眩しくて
【モバマス】安部菜々「ほたるちゃんの」日野茜「初仕事です!!」
【モバマス】悪魔とほたる
【モバマス】白菊ほたる「私は、黒猫が苦手です」
【モバマス】ありがちな終末
【モバマス】安部菜々と24人の千川ちひろ
白菊ほたる「黄昏に迷い道」
【モバマス】面接官「ところで白菊さん。貴女、凄くエロいですね」白菊ほたる「え」
岡崎泰葉「ヴォカリーズ」
【モバマス】あの子の知らない物語
白菊ほたると不思議体験その2
【モバマス】響子「混ぜる」ほたる「混ざる」
集中すると周りが見えなくなるのは、私のわるい癖かもしれません。
『これだ!』というものが見えたが最後、私の目にはそれしか映らなくなってしまうのです。
止まるのも戻るもの、引き返すのもぜったいだめ。
とにかく『それ』だけを追い求めて、人の助言もろくすっぽ聞こえなくなってしまうのです。
「ほたる、知っているか」
あの日パスタ屋さんで、私のプロデューサーさんが何気なく口を開いた時もそうでした。
私の前にはトマトのパスタ、プロデューサーさんの前にはシンプルなオイルのパスタ。
プロデューサーさんは、そのパスタの皿を指して、こう言ったのです。
「このパスタはな、別名を『絶望のパスタ』と言うんだそうだ」
……と。
2: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:51:06 ID:kCT
絶望のパスタ。
プロデューサーさんの言葉を聞いたとたんに私の頭はその言葉でいっぱいになって、そのあとも続いているプロデューサーさんの言葉が全く聞こえなくなってしまいました。
絶望のパスタ。
プロデューサーさんの前にあるそれは、ニンニクとトウガラシのパスタ。
本当はもっと長い名前があるのですが、私も皆も単にペペロンチーノと呼んでいる、シンプルなパスタです。
絶望のパスタ。
どうしてそのパスタが、絶望のパスタと呼ばれるのでしょう。
味でしょうか。
辛いものがあまり得意でない私は、ペペロンチーノを食べたことがありませんが、そのパスタは、絶望の味がするのでしょうか。
私の知っている、絶望の味がするというのでしょうか?
それとも味ではなく、見た目を指して絶望と言うのでしょうか。
たしかに、パスタの上に平然と散らばる赤トウガラシは、辛いものが苦手な私には少し恐ろしげにも見えます。
それとも、他の何か?
作り方?
におい?
私はプロデューサーさんの言葉も、自分のパスタの味も思い出せないほど集中して、絶望のパスタの事だけを考えていたのです。
◇
◇
◇
絶望は、砂の味がします。
舌の先がざらつくような、乾燥した無感覚の味。
心が本当に弱ってしまったとき、私の口にする食べ物はどれもその味がしていたような気がします。
そんな味が、このパスタからするというのでしょうか。
あれから何日かすぎた日曜日。
私はあるお店で、たった今テープルに届けられた熱々のペペロンチーノを眺めながら、そんなことを考えていました。
絶望のパスタ。
あれからずっと、私の頭はその言葉でいっぱいです。
その言葉を私に教えてくれたのはプロデューサーさんなんですから、お願いすれば意味を教えてくれるのかもしれません。
だけどあのとき『絶望のパスタ』のことを考えるのに夢中になってお話を聞いていなかったのに、もう一度お話してくださいというのはさすがにきまりが悪くて。
となれば、後は自分で確かめてみるしかありません。
ペペロンチーノ。
ペペロンチーノってどういう意味ですかと店員さんに尋ねたら、トウガラシって意味ですよ、と教えてくれました。
パスタの本当の名前はアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。
アーリオがニンニク、オーリオがオイル、ペペロンがトウガラシで、材料の名前がパスタの名前になっているんです。
見た目もシンプルなら名前もシンプル。
そういえばペペロンチーノは、どのお店でもたいてい一番安いパスタでしたが、さて、このシンプルな見た目の中に、どんな絶望が隠されていると言うのでしょう。
艶々としたパスタにトウガラシの輪切りが乗ったパスタからは、ニンニクのいい香りがします。
そういえば、念願かなってアイドルになってからはニンニクのお料理もあまり食べないようにしていたのですが、なんだか食欲を刺激する香りですよね。
以前もお話ししましたが、私は辛いものがちょっと苦手。
本当ならトウガラシをよけてしまいたいところなのですが、絶望の味を確かめるためにはトウガラシも避けては通れない道でしょう。
フォークを手にして、トウガラシごとくるくるとパスタを巻いて、意を決して……ぱくり。
あれっ、あまり辛くない。
確かにトウガラシに当たると辛いのですが、バスタ自体までがそんなに辛いというわけではありません。
辛さは奥のほうにぴりりとあって、ニンニクの香りと一緒に食欲をかき立てます。
お塩、ニンニク、トウガラシ。
他に何の味がするというわけでもないのですが、不思議と後を引いて、食べ飽きなくて。
最後のほうではさすがに汗が吹き出してきましたが、初めてのペペロンチーノはちょっと大人な感じのする、とても美味しいパスタだったのです。
そういえば、プロデューサーさんがパスタを食べるときは、いつもこのペペロンチーノでした。
私はトマトソースのパスタばかり食べていましたが、その気持ちもちょっと解るような気がします。
なんだか、こっちの方が麺のお味がよく解る気がするんですよね。
とはいえ。
私はごちそうさまとお皿に手を合わせてから、はてと首を傾げました。
このパスタのどこが、絶望のパスタなのでしょう。
ふつうに美味しくて、絶望とは縁遠い感じがします。
もしかしたら、この辛さの感じを絶望にたとえているのでしょうか。
ハンカチで汗をふきふき、そんなことを考えます。
最初は大したことないけど、後になってじわじわと効いてきて、しまったと思う時には逃れられない。
それは確かに、絶望に似ている気がします。
でもメニューを見ると、トウガラシを使ったパスタはほかにもいくつかあるようです。
私は店員さんを呼び止めて、絶望のパスタって知っていますかと聞きました。
店員さんは『さあ?』って笑いました。
◇
◇
◇
「ほたるちゃん、またパスタにするの?」
1週間後くらいのランチタイム、ペペロンチーノを頼む私に泰葉ちゃんが渋い顔をします。
「あんまり炭水化物と油ばかりの食事を続けるのはよくないよ」
確かにここしばらくお昼はペペロンチーノばかりですから、泰葉ちゃんの指摘はもっともなのですが、まだ絶望パスタの謎は解けていないのです。
スマホで検索すれば解るのかもしれないですが、私が触ると機械ってすぐ壊れますから、これはいろいろ考えてこれだという答えが出なかったときの最後の手段。
いいえ、正直に言うと、私はスマホで簡単に正解を見つけてしまいたくない、と思っていたのです。
なぜこのパスタが絶望のパスタなのか。
それを考えながらペペロンチーノを食べるのが、なんだか楽しくなってきてしまったからです。
◇
◇
◇
「こら白菊! レッスン前にニンニクを食べてくる奴があるか!!」
「すみません、すみません!」
さらに1週間後、マストレさんに怒られて頭を下げる私です。
ペペロンチーノの日々は続いています。
ランチにペペロンチーノを食べて、絶望の理由を考える。
具がぜんぜん乗ってないから見て絶望、とかそういうことでしょうか。
いえ、ペペロンチーノは大抵の店で一番安いパスタです。
もしかしたら『絶望はどこにでもある』という、深い示唆があるのかも。
あっ、そういえば今日はニンニクの匂いでマストレさんに怒られました。
このニンニクの口臭が絶望の由来でしょうか。
確かに、アイドルがライブでニンニクの匂いをさせていたら、ファンのみなさんを絶望させてしまうかもしれません……。
ふと。
色々、色々、『絶望』について想像を巡らせているうちに。
私は、自分は昔と、ちょっと変わったかもしれない、と思いました。
絶望。
絶望。
今の事務所にスカウトしてもらう前。
泰葉ちゃん、千鶴ちゃん、裕美ちゃん。
大事な仲間に、友達に会う前、絶望はいつも、私に近い場所にあった気がします。
私と絶望は見えない紐で繋がっていて、絶望はその紐をたぐり寄せてじわじわと近付いてくるのです。
私はあのころ、じわじわと近付いてくる絶望の気配をいつも背中に感じていた気がします。
そして、そのことを、見ないように。
背中に追いついてくる絶望に、気がつかないふりをしていたような気がするのです。
振り返ってしまったら。
自分の背後に積み重なった、たくさんの不幸とそれが作り出した残骸を目の当たりにしたら、すぐにでも絶望に捕まって、二度と絶望から逃げられなくなってしまうような気がしていたから。
あのころはこんなふうに、冗談でも『絶望』について考えるなんてできませんでした。
私は、変わったのかもしれません。
絶望は、不幸は、今でも私と繋がっています。
それはやっぱり今でもゆっくりと紐をたぐり、私に近付いて来ているのでしょう。
だけど私はそれを知っていても、今を笑うことができるようになりました。
それはきっと、絶望が追いついたその時も、側にいてくれる人が居るんだと、信じられるようになったからなのです。
「……あっ」
思いを巡らせた顔のひとつに、私ははたと思いあたりました。
絶望のパスタ。
そういえば私は、ペペロンチーノを作るところを、まだ見たことが無かったのです。
◇
◇
◇
「というわけでお願いします、裕美ちゃん」
お部屋に押し掛けて、ペペロンチーノを作ってくださいと手を合わせる私。
「いいけど、どうして私なの?」
突然の訪問に、首を傾げる裕美ちゃん。
表情をよく映す紅い瞳に『?』が浮かんでいる気がします。
「ええと、イタリア料理といえば裕美ちゃんかなと思って」
適当な言い訳をする私。
嘘です、裕美ちゃんに作ってもらいたかったんです。
「言っておくけど、パエリアはスペイン料理だからね?」
まあ作れるんだけど、なんて笑って、裕美ちゃんは髪を束ねてエプロンをつけて、ささっと料理の用意を整えてくれました。
「ありがとうございます。あの、何か手伝える事が」
「いいよ。手早くやっちゃう料理だし、タイミングがシビアだから1人でやっちゃうのがかえってらくちんだもん」
「じゃあせめて、お皿を出しておきますね」
私といっこしか違わないのに、裕美ちゃんはとてもお料理上手。
そして、誰かとご飯を食べるのが、大好きな女の子です。
ひとつのお皿からみんなで取り分けて食べるのが好き。
美味しいお菓子を、誰かとわけて食べるのが好き。
裕美ちゃんとわけっこしてごはんを食べると、幸せな気持ちが湧いてくるような気がします。
裕美ちゃんも、すてきな笑顔を見せてくれます。
だから私は、裕美ちゃんと一緒に何かを食べるのが大好きなのです。
多めの塩でパスタを茹でて、フライパンでニンニクとトウガラシを炒めて、茹で汁を加えて馴染ませたら、茹で上がったパスタを絡めてできあがり。
裕美ちゃんが手早いのもありますが、ペペロンチーノの作り方はみた目通り至ってシンプル。
簡単なサラダと常備菜を添えて二人分ができあがるまで、あっと言う間のことでした。
「さあ、残さず召し上がれ」
「いただきます」
笑顔で促す裕美ちゃんに手を合わせて、私はペペロンチーノを見つめました。
シンプルな作り方の、そっけないパスタ。
だけどそのパスタは、なんだかお店のそれより美味しそうに見えました。
「裕美ちゃん、知ってますか」
私はふと、口を開きました。
「ペペロンチーノって、絶望のパスタって言うんだそうです」
「あ、知ってる!」
裕美ちゃの笑顔が、ぱっと輝きました。
「ニンニクとトウガラシぐらいしか無いような絶望的な時でも美味しく作れるバスタだから『絶望のパスタ』なんだって。おもしろいこと言うよね」
あっさりと探していた答えが飛び出してきて、それが予想とだいぶ違ったもので、私はまじまじとアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを見つめました。
だとすれば、これは『希望のパスタ』なのです。
どんな苦しいときでも、手の中にあるものがちょっとだけでも、すてきに美味しいものが作れるんだっていう、希望の味。
「本当の絶望パスタっていうのは別にあるって聞いたこともあるけど、私はこっちのほうが好きかな」
簡単で美味しいし、と無邪気に笑ってパスタを食べる裕美ちゃん。
私もです、とうなづいて、私もパスタを口にします。
「……おいしいです」
「ね、美味しい」
今日は上手にできたよって笑う裕美ちゃん。
ペペロンチーノは今までのどれより、美味しい気がします。
「ねえ、裕美ちゃん」
口の奥にぴりりとトウガラシの気配を感じながら、私はふわふわな髪の親友を見つめて、言いました。
「いつか本当に絶望して、何もかもなくしてしまう時が来たら……私、その時はまた、裕美ちゃんのこのパスタを食べたいな」
「えっ、そんな時はもっと美味しいものたくさん作ってあげたい」
「ううん、これがいいんです」
私は本当に、そう思いました。
だって、本当に絶望しても、何もかもがなくなっても。
本当に、ニンニクとトウガラシくらいしか買えなくなっても。
それでも裕美ちゃんが約束を守っていいと思ってくれたなら。
近くに居てくれたなら。
このパスタを作ってくれたなら。
それはきっと、希望の味がするはずなのですから。
「ありがとう、裕美ちゃん」
突然神妙に頭を下げる私を見て、裕美ちゃんはきょとんとした顔をしていました……。
(おしまい)
元スレ
絶望のパスタ。
プロデューサーさんの言葉を聞いたとたんに私の頭はその言葉でいっぱいになって、そのあとも続いているプロデューサーさんの言葉が全く聞こえなくなってしまいました。
絶望のパスタ。
プロデューサーさんの前にあるそれは、ニンニクとトウガラシのパスタ。
本当はもっと長い名前があるのですが、私も皆も単にペペロンチーノと呼んでいる、シンプルなパスタです。
絶望のパスタ。
どうしてそのパスタが、絶望のパスタと呼ばれるのでしょう。
3: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:51:40 ID:kCT
味でしょうか。
辛いものがあまり得意でない私は、ペペロンチーノを食べたことがありませんが、そのパスタは、絶望の味がするのでしょうか。
私の知っている、絶望の味がするというのでしょうか?
それとも味ではなく、見た目を指して絶望と言うのでしょうか。
たしかに、パスタの上に平然と散らばる赤トウガラシは、辛いものが苦手な私には少し恐ろしげにも見えます。
それとも、他の何か?
作り方?
におい?
私はプロデューサーさんの言葉も、自分のパスタの味も思い出せないほど集中して、絶望のパスタの事だけを考えていたのです。
4: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:53:27 ID:kCT
◇
◇
◇
5: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:53:50 ID:kCT
絶望は、砂の味がします。
舌の先がざらつくような、乾燥した無感覚の味。
心が本当に弱ってしまったとき、私の口にする食べ物はどれもその味がしていたような気がします。
そんな味が、このパスタからするというのでしょうか。
あれから何日かすぎた日曜日。
私はあるお店で、たった今テープルに届けられた熱々のペペロンチーノを眺めながら、そんなことを考えていました。
絶望のパスタ。
あれからずっと、私の頭はその言葉でいっぱいです。
その言葉を私に教えてくれたのはプロデューサーさんなんですから、お願いすれば意味を教えてくれるのかもしれません。
だけどあのとき『絶望のパスタ』のことを考えるのに夢中になってお話を聞いていなかったのに、もう一度お話してくださいというのはさすがにきまりが悪くて。
となれば、後は自分で確かめてみるしかありません。
6: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:54:23 ID:kCT
ペペロンチーノ。
ペペロンチーノってどういう意味ですかと店員さんに尋ねたら、トウガラシって意味ですよ、と教えてくれました。
パスタの本当の名前はアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。
アーリオがニンニク、オーリオがオイル、ペペロンがトウガラシで、材料の名前がパスタの名前になっているんです。
見た目もシンプルなら名前もシンプル。
そういえばペペロンチーノは、どのお店でもたいてい一番安いパスタでしたが、さて、このシンプルな見た目の中に、どんな絶望が隠されていると言うのでしょう。
艶々としたパスタにトウガラシの輪切りが乗ったパスタからは、ニンニクのいい香りがします。
そういえば、念願かなってアイドルになってからはニンニクのお料理もあまり食べないようにしていたのですが、なんだか食欲を刺激する香りですよね。
以前もお話ししましたが、私は辛いものがちょっと苦手。
本当ならトウガラシをよけてしまいたいところなのですが、絶望の味を確かめるためにはトウガラシも避けては通れない道でしょう。
フォークを手にして、トウガラシごとくるくるとパスタを巻いて、意を決して……ぱくり。
あれっ、あまり辛くない。
確かにトウガラシに当たると辛いのですが、バスタ自体までがそんなに辛いというわけではありません。
辛さは奥のほうにぴりりとあって、ニンニクの香りと一緒に食欲をかき立てます。
7: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:55:44 ID:kCT
お塩、ニンニク、トウガラシ。
他に何の味がするというわけでもないのですが、不思議と後を引いて、食べ飽きなくて。
最後のほうではさすがに汗が吹き出してきましたが、初めてのペペロンチーノはちょっと大人な感じのする、とても美味しいパスタだったのです。
そういえば、プロデューサーさんがパスタを食べるときは、いつもこのペペロンチーノでした。
私はトマトソースのパスタばかり食べていましたが、その気持ちもちょっと解るような気がします。
なんだか、こっちの方が麺のお味がよく解る気がするんですよね。
とはいえ。
私はごちそうさまとお皿に手を合わせてから、はてと首を傾げました。
8: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:57:13 ID:kCT
このパスタのどこが、絶望のパスタなのでしょう。
ふつうに美味しくて、絶望とは縁遠い感じがします。
もしかしたら、この辛さの感じを絶望にたとえているのでしょうか。
ハンカチで汗をふきふき、そんなことを考えます。
最初は大したことないけど、後になってじわじわと効いてきて、しまったと思う時には逃れられない。
それは確かに、絶望に似ている気がします。
でもメニューを見ると、トウガラシを使ったパスタはほかにもいくつかあるようです。
私は店員さんを呼び止めて、絶望のパスタって知っていますかと聞きました。
店員さんは『さあ?』って笑いました。
9: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:57:32 ID:kCT
◇
◇
◇
10: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)20:59:14 ID:kCT
「ほたるちゃん、またパスタにするの?」
1週間後くらいのランチタイム、ペペロンチーノを頼む私に泰葉ちゃんが渋い顔をします。
「あんまり炭水化物と油ばかりの食事を続けるのはよくないよ」
確かにここしばらくお昼はペペロンチーノばかりですから、泰葉ちゃんの指摘はもっともなのですが、まだ絶望パスタの謎は解けていないのです。
スマホで検索すれば解るのかもしれないですが、私が触ると機械ってすぐ壊れますから、これはいろいろ考えてこれだという答えが出なかったときの最後の手段。
いいえ、正直に言うと、私はスマホで簡単に正解を見つけてしまいたくない、と思っていたのです。
なぜこのパスタが絶望のパスタなのか。
それを考えながらペペロンチーノを食べるのが、なんだか楽しくなってきてしまったからです。
11: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:00:43 ID:kCT
◇
◇
◇
12: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:01:02 ID:kCT
「こら白菊! レッスン前にニンニクを食べてくる奴があるか!!」
「すみません、すみません!」
さらに1週間後、マストレさんに怒られて頭を下げる私です。
ペペロンチーノの日々は続いています。
ランチにペペロンチーノを食べて、絶望の理由を考える。
具がぜんぜん乗ってないから見て絶望、とかそういうことでしょうか。
いえ、ペペロンチーノは大抵の店で一番安いパスタです。
もしかしたら『絶望はどこにでもある』という、深い示唆があるのかも。
あっ、そういえば今日はニンニクの匂いでマストレさんに怒られました。
このニンニクの口臭が絶望の由来でしょうか。
確かに、アイドルがライブでニンニクの匂いをさせていたら、ファンのみなさんを絶望させてしまうかもしれません……。
13: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:02:34 ID:kCT
ふと。
色々、色々、『絶望』について想像を巡らせているうちに。
私は、自分は昔と、ちょっと変わったかもしれない、と思いました。
絶望。
絶望。
今の事務所にスカウトしてもらう前。
泰葉ちゃん、千鶴ちゃん、裕美ちゃん。
大事な仲間に、友達に会う前、絶望はいつも、私に近い場所にあった気がします。
私と絶望は見えない紐で繋がっていて、絶望はその紐をたぐり寄せてじわじわと近付いてくるのです。
私はあのころ、じわじわと近付いてくる絶望の気配をいつも背中に感じていた気がします。
そして、そのことを、見ないように。
背中に追いついてくる絶望に、気がつかないふりをしていたような気がするのです。
14: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:03:22 ID:kCT
振り返ってしまったら。
自分の背後に積み重なった、たくさんの不幸とそれが作り出した残骸を目の当たりにしたら、すぐにでも絶望に捕まって、二度と絶望から逃げられなくなってしまうような気がしていたから。
あのころはこんなふうに、冗談でも『絶望』について考えるなんてできませんでした。
私は、変わったのかもしれません。
絶望は、不幸は、今でも私と繋がっています。
それはやっぱり今でもゆっくりと紐をたぐり、私に近付いて来ているのでしょう。
だけど私はそれを知っていても、今を笑うことができるようになりました。
それはきっと、絶望が追いついたその時も、側にいてくれる人が居るんだと、信じられるようになったからなのです。
「……あっ」
思いを巡らせた顔のひとつに、私ははたと思いあたりました。
絶望のパスタ。
そういえば私は、ペペロンチーノを作るところを、まだ見たことが無かったのです。
15: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:05:22 ID:kCT
◇
◇
◇
16: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:05:44 ID:kCT
「というわけでお願いします、裕美ちゃん」
お部屋に押し掛けて、ペペロンチーノを作ってくださいと手を合わせる私。
「いいけど、どうして私なの?」
突然の訪問に、首を傾げる裕美ちゃん。
表情をよく映す紅い瞳に『?』が浮かんでいる気がします。
「ええと、イタリア料理といえば裕美ちゃんかなと思って」
適当な言い訳をする私。
嘘です、裕美ちゃんに作ってもらいたかったんです。
「言っておくけど、パエリアはスペイン料理だからね?」
まあ作れるんだけど、なんて笑って、裕美ちゃんは髪を束ねてエプロンをつけて、ささっと料理の用意を整えてくれました。
「ありがとうございます。あの、何か手伝える事が」
「いいよ。手早くやっちゃう料理だし、タイミングがシビアだから1人でやっちゃうのがかえってらくちんだもん」
「じゃあせめて、お皿を出しておきますね」
17: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:07:01 ID:kCT
私といっこしか違わないのに、裕美ちゃんはとてもお料理上手。
そして、誰かとご飯を食べるのが、大好きな女の子です。
ひとつのお皿からみんなで取り分けて食べるのが好き。
美味しいお菓子を、誰かとわけて食べるのが好き。
裕美ちゃんとわけっこしてごはんを食べると、幸せな気持ちが湧いてくるような気がします。
裕美ちゃんも、すてきな笑顔を見せてくれます。
だから私は、裕美ちゃんと一緒に何かを食べるのが大好きなのです。
多めの塩でパスタを茹でて、フライパンでニンニクとトウガラシを炒めて、茹で汁を加えて馴染ませたら、茹で上がったパスタを絡めてできあがり。
裕美ちゃんが手早いのもありますが、ペペロンチーノの作り方はみた目通り至ってシンプル。
簡単なサラダと常備菜を添えて二人分ができあがるまで、あっと言う間のことでした。
「さあ、残さず召し上がれ」
「いただきます」
18: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:07:29 ID:kCT
笑顔で促す裕美ちゃんに手を合わせて、私はペペロンチーノを見つめました。
シンプルな作り方の、そっけないパスタ。
だけどそのパスタは、なんだかお店のそれより美味しそうに見えました。
「裕美ちゃん、知ってますか」
私はふと、口を開きました。
「ペペロンチーノって、絶望のパスタって言うんだそうです」
「あ、知ってる!」
裕美ちゃの笑顔が、ぱっと輝きました。
「ニンニクとトウガラシぐらいしか無いような絶望的な時でも美味しく作れるバスタだから『絶望のパスタ』なんだって。おもしろいこと言うよね」
19: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:07:48 ID:kCT
あっさりと探していた答えが飛び出してきて、それが予想とだいぶ違ったもので、私はまじまじとアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを見つめました。
だとすれば、これは『希望のパスタ』なのです。
どんな苦しいときでも、手の中にあるものがちょっとだけでも、すてきに美味しいものが作れるんだっていう、希望の味。
「本当の絶望パスタっていうのは別にあるって聞いたこともあるけど、私はこっちのほうが好きかな」
簡単で美味しいし、と無邪気に笑ってパスタを食べる裕美ちゃん。
私もです、とうなづいて、私もパスタを口にします。
「……おいしいです」
「ね、美味しい」
今日は上手にできたよって笑う裕美ちゃん。
ペペロンチーノは今までのどれより、美味しい気がします。
20: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:08:06 ID:kCT
「ねえ、裕美ちゃん」
口の奥にぴりりとトウガラシの気配を感じながら、私はふわふわな髪の親友を見つめて、言いました。
「いつか本当に絶望して、何もかもなくしてしまう時が来たら……私、その時はまた、裕美ちゃんのこのパスタを食べたいな」
「えっ、そんな時はもっと美味しいものたくさん作ってあげたい」
「ううん、これがいいんです」
21: ◆cgcCmk1QIM 21/03/07(日)21:08:24 ID:kCT
私は本当に、そう思いました。
だって、本当に絶望しても、何もかもがなくなっても。
本当に、ニンニクとトウガラシくらいしか買えなくなっても。
それでも裕美ちゃんが約束を守っていいと思ってくれたなら。
近くに居てくれたなら。
このパスタを作ってくれたなら。
それはきっと、希望の味がするはずなのですから。
「ありがとう、裕美ちゃん」
突然神妙に頭を下げる私を見て、裕美ちゃんはきょとんとした顔をしていました……。
(おしまい)
白菊ほたる「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」