過去作
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし後編
白菊ほたるのコミュ2に日野茜が乱入してきた話
【モバマス】ほたるのひかりが眩しくて
【モバマス】安部菜々「ほたるちゃんの」日野茜「初仕事です!!」
【モバマス】悪魔とほたる
【モバマス】白菊ほたる「私は、黒猫が苦手です」
【モバマス】ありがちな終末
【モバマス】安部菜々と24人の千川ちひろ
白菊ほたる「黄昏に迷い道」
【モバマス】面接官「ところで白菊さん。貴女、凄くエロいですね」白菊ほたる「え」
岡崎泰葉「ヴォカリーズ」
【モバマス】あの子の知らない物語
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし
【モバマス】ほたると菜々のふたりぐらし後編
白菊ほたるのコミュ2に日野茜が乱入してきた話
【モバマス】ほたるのひかりが眩しくて
【モバマス】安部菜々「ほたるちゃんの」日野茜「初仕事です!!」
【モバマス】悪魔とほたる
【モバマス】白菊ほたる「私は、黒猫が苦手です」
【モバマス】ありがちな終末
【モバマス】安部菜々と24人の千川ちひろ
白菊ほたる「黄昏に迷い道」
【モバマス】面接官「ところで白菊さん。貴女、凄くエロいですね」白菊ほたる「え」
岡崎泰葉「ヴォカリーズ」
【モバマス】あの子の知らない物語
白菊ほたると不思議体験その2
【モバマス】響子「混ぜる」ほたる「混ざる」
「大変だよ、みんな大変だよ!!」
関裕美が血相変えて千鶴と泰葉のもとに飛び込んでくる。
どうしたのと首を傾げるふたりに、裕美は驚きの事態を告げる。
「ほたるちゃんに、猫耳が生えたんだよ!!」
いやそんな馬鹿なと取り合わない千鶴と泰葉の眼前に、すぐさま証拠が付きつきられた。
すなわちネコミミぷるぷる震わせて不安そうな顔したほたるが、裕美の後ろからぴょこんと顔を覗かせたのである。
2: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)16:57:43 ID:uHFJ
千鶴と泰葉の歓声がハモる。
「うわあ可愛い! かわいい!!」
歓声をあげる岡崎泰葉。
ご存じの通り彼女はアニマル付箋を愛用し、かたくなに動物をさん付けで呼ぶかわいいもの好きなのである。
「写メとっていいかな、写メ」
興奮を隠せない松尾千鶴。
これまたご存じの通り松尾千鶴もまた可愛いもの好きに定評がある。
体格に比して大きめの、感情豊かにぴこぴこ動く黒いネコミミを頭にくっつけたほたるを前にして2人が平静を保てるはずがあろうか。
もちろんそんなはずはない。
かわいさ堪能し放題、親友の地位を利用してかわいがり放題モフり放題である。
とはいえねこみみほたるを囲んでかわいさを堪能していた2人が血相変えて慌て出すのにも、そう時間はかからなかった。
「かわいい、わしゃやしゃー……って、あれ!?」
「どうしたの泰葉ちゃん」
「これ、ふつうの耳がなくない?」
「え……本当だ。ほたるちゃん、これ、大丈夫なの?」
泰葉に指摘されて、不安げにほたるにまなざしを送る千鶴。
しかし、ほたるは困った顔でこう言ったのだ。
「ごめんなさい、2人が何を言ってるか、解らないんです。今朝から、猫の言うことしか解らなくて……」
……と。
そう、猫耳が生えたかわりにほたるの頭からは人間の耳が失せ、人間の言葉を解さなくなっていたのだ。
「なるほど、考えて見れば猫の耳は猫の言葉を聞くためのものだよね」
真面目くさった泰葉。
「ならばその耳が人の言葉を聞く道理はない。人間の言葉が解らなくなるのも当然の流れというものかもしれないね……」
真面目くさってるが実はパニクって何言ってるか解らなくなってる泰葉なのであった。
「いや、そんなバカな!」
対してわかりやすく虚空にツッコミを入れる千鶴だが、こっちもテンパり具合ではどっこいどっこいだ。
「いやそんなバカなって言っても、実際こうなってるんだから仕方ないじゃない」
むくれる泰葉。
「いや、それはそうかもしれないけど……え、これ本当に私たちの言うことが解ってない?」
もしかして、一大事なのでは。
今更顔を青くする千鶴。
「もう、だから言ったのに! だから最初からそう言ってるのにー!!」
友人の一大事をようやく把握して慌て出すふたりにおかんむりの関裕美であるが、裕美だって今朝ネコミミ生えた白菊ほたるが助けを求めて部屋に転がり込んで来たときは、かわいさ余って大興奮、しばらく事態に気付かず撮影会とかやってたのであるが、まあ今はそれは置いとこう。
ともかく、正しく現状を把握した三人は、慌てた。
どうしよう、なにがどうなってるんだろう、どうすればいいんだろう。
「病院に連れて行く?」
まず真っ先に常識的な提案をするのは泰葉だが、どう考えても病院で注射を打てばどうにかなるという話ではなさそうだし、ほたるは注射が大の苦手だとほかの2人。
「とりあえずねこみみもいでみようか」
どんな時も火の玉剛速球な裕美であるが、これは流石にほか2人に大慌てで止められた。
「とにかく私たちだけで話していてもどうにもならないし、事務所の頼りになりそうな誰か……あ、そうだ、依田さんに相談してみたらどうかな?」
「それだよ千鶴ちゃん!」
友人がそっとお出ししてきた常識案に笑顔を輝かせる裕美。
だって突然猫の耳が生えるとか、いかにもこう怪奇現象っぽいし!!
「あ、でも、それ無理だね」
対して渋い顔の泰葉。
「依田さんは来週末まで実家に里帰りしてるの。なんか大事な用事があるとかで」
「うう、こんな時に限って」
開いたと思った希望の道が速攻で閉じてしょんみりする裕美。
「こうなったらやっぱりなんとかしてもいでみるしかないかな……」
「あ、あの、大丈夫ですから」
ふわふわ髪の親友が剣呑なこと考えてそうな気配を察して、諫めに入るのは当の白菊ほたるである。
「あの、文字は読めますし、こうして口も聞けますから。とりあえずその、ご迷惑をおかけしますけど、伝えたいことは筆談でお願いできれば当面は……」
「あ、そうなんだ、よかった。いやよくはないけど」
事態はなにひとつ解決していないが、意志疎通ができるのはひとつ明るい材料だ。
『ほかに体の調子、おかしかったりしない?』
とりあえず早速筆談を試してみる千鶴。
「はい。ほかはむしろ、いつもより調子がいいくらいで……」
「そう、本当によかった……」
自分のメモを読んでともかくも笑顔を見せるほたるに、千鶴は目に見えて胸をなで下ろす。
「『耳をもいでみるのととりあえず注射してみるのとどっちがいい?』……っと」
「いやいや、とりあえずそれはいったん置こう。ね?」
そんなほっとする流れをよそに物騒なメモをしたためる裕美を慌てて泰葉が諫めたりしてるが、まあ置いといて。
「とにかく意志疎通ができて、健康に問題がないのなら、ほたるちゃん自身にいろいろ聞くことも、誰かと相談することもできるんだから……というか柿じゃないんだから気軽に耳をもごうとしちゃだめ」
「い、言われて見れば、そうだね」
常識的な説得を受けて、ようやくほっと肩の力を抜く裕美。
大変だよと知らせに来た彼女が、たぶん一番パニクっていたのだ。
だがとにかくも意志疎通ができて、緊急性が薄れたとなれば、色々考える余裕ができる。
そうなれば、やっぱり裕美がまず考えるのはほたるの気持ちの事である。
『大変だったよね。本当にどこもいたくない?』
「はい、大丈夫です。びっくりしたし、ちょっとやっぱり、不安ではあるけれど」
赤い瞳いっぱいに浮かべた心遣いとともに渡されたメモに、笑って答えるほたる。
まさか目の前の裕美がたった今まで自分の耳をもごうかと考えていたとは聞こえていないからこその笑顔であるが、まあそれはさておき。
「これからどうしたらいいかとか、どうなってるのかとか。やっぱり色々考えなくちゃいけないことがありますから。不安がってる暇、ないですよね」
そう言ってえいっ、って作るほたるの笑顔がなにより今不安な証なのだと、まさか気がつかない三人ではない。
『そうそう。不安がっててもしかたないからね』
まず泰葉が同意して拾い上げる。
『というか今日はもう一生分驚いちゃったし、少しは落ち着かないとね』
千鶴が水を向ける。
『そうだ、みんなで気晴らしにスイーツバイキング行ってみない? この間話してた店、今日割引なんだって』
ほたるちゃん甘いもの好きだし、気晴らしになればいいな、と思いつつ提案する裕美。
これにはほたるも思わずにっこり、ネコミミについて悩むのはいったん後回し、まずは気晴らし、たらふく甘いもの食べて気力を蓄えようということになったのである。
そして、これがまずかった。
スイーツバイキングに連れて行ったら、甘いものに目がないほたるは超喜んだ。
それはいい。
それはいいが、猫の目のようにめまぐるしくいろんなスイーツに目移りしてるうちにほたるの瞳孔は猫のように縦長になって人の文字が読めなくなっていたし、
お店の紅茶にあちちと舌を出すほたるを見て裕美が何の気なしに『あれっ、ほたるちゃんて猫舌だっけ』と言ったら舌が猫のそれになって人の言葉が話せなくなってしまったのだ。
ここまでわずか2時間。
猫ですら恩を忘れる暇のない、電光石火の展開である。
「どどどどどどどうしよう!?」
「どうしようったって、どうしようったって」
「こんなことってある? こんなことってある?」
もはやにゃーとしか言えないほたるの周りをぐるぐる回り、三人は慌てる。
「私がスイーツバイキング行こうとか言い出したから!!」
「いやそのりくつはおかしい」
「そうそう、こんなことになるって解るわけないじゃない」
うわあんほたるちゃんごめんなさいと今にも泣き出しそうな裕美を必死こいてなだめる泰葉と千鶴だが、彼女たちだって困り果てた。
とにかく展開がめちゃくちゃすぎてこの後どうしていいか解らないのだ。
だけどとにかく、このまま3人で慌てた困ったとバターになるまでほたるの周りをぐるぐる回ってるわけには行かない。
「とにかく一度事務所に戻って、皆に相談しよう」
自分たちの手に余るなら、抱え込まずにまずは助言を仰ぐべきだ。
泰葉の提案にうなづいて、裕美たちはとにかくほたるの手を引いて事務所に戻り、そして当然のように、
『キャーほたるちゃんがネコミミだにゃあ!!』
『うわあ可愛いなでさせて撫でさせて』
『やばい撮影会しよう撮影会』
『ちょっとサンプルとらせてサンプル』
……と、正しく状況を説明する前にひと騒ぎあったわけであるが、そこは省略する。
「病気や薬でどうこう、という話じゃなさそうだにゃー」
しばらく不安そうなほたるの頭部を確認した後、そう呟いたのは一ノ瀬志希である。
「元々あった人間の耳は痕跡もない。逆に新しい耳の周囲はきちんとそれに対応した形状に変化してる。人間の体が外的な要因で変形することはあるものだけど、骨や神経が1日2日でここまで変化するというのは、ちょっと考えられないね」
それはつまり、科学的にはお手上げ、という話である。
「晶葉ちゃんの科学力で、ほたるちゃんの言葉が翻訳できたりしない?」
「そうそう、翻訳する機械とかロボットとか」
「作れなくはないけど、時間がかかる」
千鶴と泰葉の提案に渋い顔をするのは池袋晶葉。
「じっさいポータブルな翻訳機なんかが販売されているぐらいだし、そういう機械の仕組みを利用すれば双方向翻訳装置は作れる。
だけど結局その機械でほたるの言葉を通訳するためには、会話が成り立つぐらい語彙を収集する必要があるだろう? 実用に足るものを作ろうとしたら年単位の時間がかかるぞ」
言われてみればその通り。
つまり、そちら方向もお手上げというわけだ。
ではどうすればいいのだろう。
「そうだ、雪美さんに頼んでみてはどうかしら」
やはりなんとかして耳でももいでみるしかないのであろうか……と一同の思案が煮詰まりかかったところで、黒川千秋が提案する。
「ほたるさんは猫の言葉は解るのでしょう? そして雪美さんはペロの言うことが解る。そして当たり前だけどペロは猫よ」
つまりペロを仲介することで、ほたるとの会話を通訳してもらおうと考えたわけである。
確かにこれは期待のもてそうなアイデアだ。
「まかせて……ペロに、おねがいしてみる」
事情を聞いて真剣にうなづく佐城雪美に事務所一同まずは安堵の息を漏らし、あとはにゃーにゃー言うほたるにふむふむ頷くペロさんの様子に固唾を飲んだ。
これで話が通じれば、ほたるの不安も紛れてくれるだろうか。
これからの対策について考えることもできるだろうか。
しかし、しばらくほたると話し込んでいたペロさんからの報告を受けて、雪美はぺしょんと困り顔。
「おことわりします、って、言ってる……」
「えーっ!?」
驚く一同。
「ほたるちゃんとの通訳を断ると、ペロちゃんがそう言ってるの?」
「……そう、なの」
努めて冷静に事情を確認する泰葉に、雪美はちいさくうなづいた。
「でも、でも、それは困るよ」
いったん繋がったかに見えた望みがまたも途切れて、裕美は余裕を失った。
「ほたるちゃんだって不安なはずだし、心配なの。ね、雪美ちゃんなんとかペロにお願いして……」
「あ、ペロちゃん!?」
千鶴が慌てた声を上げる。
雪美に言い募る裕美を後目に、当のペロはそしらぬ顔でふいっと窓から逃げ出してしまったのだ。
「待ってえ!!」
「いや裕美ちゃんが待って!?」
窓から飛び出してペロを追いかけようとする裕美を慌てて取り押さえる泰葉。
「どんなに運動が得意な人でも、好き勝手に逃げる猫を捕まえるのは無理だよ。無理したら裕美ちゃんがけがしちゃう」
そう、たとえ日野茜でもネコミミアイドルを自称する前川みくでも、本気で逃げる猫を追跡するのは不可能だ。
つまり裕美たちには、唖然とペロを見送る以外、なにもできることはなかったのである。
「とにかく、ペロちゃんが自分から戻ってきてくれるまで、雪美ちゃんとペロちゃんを仲介した翻訳作戦は諦めるしかないね。頭を切り替えていこう」
まだペロを追いかけて行きたそうな裕美に、区切りをつけるように促す泰葉。
「……どうしてペロちゃんは、断るって」
裕美はそれでも窓から目をそらさず、弱った言葉をこぼしていた。
「……わからない」
雪美もまた、困惑した様子で首を振った。
「はじめはやってくれる、って言ってた……だけど、ほたるのお話聞いて、急に」
「ほたるちゃんの話を聞いて?」
え、なんだそれと目を丸くする千鶴。
つまりほたる自身が通訳されるのがイヤだと言いでもしたと言う事だろうか。
いやしかし、当のほたるは不安げにネコミミをピコピコさせてべそかいていて、とても通訳されるのがイヤで断りましたって顔ではない。
ペロの意図、ほたるのどんな言葉を聞いて断るに至ったのか、それはもはや知る由もない。
「ともかく、明日からの事をどうにかしないとな」
事態の変化についていけず見守るに徹していたプロデューサーが、ここでようやく口を開いた。
ほたるはもはや人の言葉が話せず、聞けず、読めない。
読めないということは書けないということで、現時点でほたるは周囲とのコミュニケーションが不可能な状態にある。
とにかくまず明日からの仕事を調整し、学校などに休学の手続きを取り、効果があるかどうかはとにかくとして一度大きな病院で詳細な検査を受ける算段を整えて。
同時に噂が広まらないようにマスコミ対策をして……と、プロデューサーとちひろには現実としてすぐさま対応しなくてはならない事が山積みとなったのだ。
事務所の雰囲気はあわただしくなり、いきおいアイドルたちも平静ではいられなくなる。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
なんとかしてほたるちゃんの話を聞いてあげられないか?
どうしたらほたるちゃんは元に戻るんだろう?
もしかして、ずっとこのまま?
無理を言って依田さんに早く帰って来てもらうわけにはいかないのか。
みんなでなんとかしてペロさんを連れ帰って……。
出てくる話は深刻なものばかりで、当然皆の顔も深刻なものにならざるを得ない。
そしてそうなると、それを見るほたるのネコミミもぺしょんと伏せて、表情も沈んだものになるのが道理だった。
言葉は通じないが、それでも自分の顔をみると皆の目が不安な色を帯びるということは伝わってしまうのだろう。
ほたるはだんだんと部屋にこもって、皆の前に姿を表さなくなっていった。
◇◇◇
◇◇◇
数日が経過した。
「……」
深夜、寮の屋上で、関裕美はひとり俯いている。
この数日、状況に改善の兆しは無し。
ペロは戻らず、ほたるも皆も沈むばかり。
そして、ほたるが沈むにつれて、裕美はよりいっそう力を落としている。
「……私のせいだ」
なにせ、ほたるが人の言葉を読めず話せないという状況に陥ったのは、彼女が気晴らしにと発案したスイーツバイキングがきっかけだ。
いや予想するのは無理だったよ、どう考えても裕美ちゃんのせいではないよという常識的な慰めは彼女には通じない。
関裕美はいついかなる時も、こうと思いこんだら動かない少女なのである。
自分のせいで、友達がえらい事になった。
いや本当に自分のせいかと言われると微妙なところはあるけど、とにかく自分の行動がきっかけでこうなった。
何かしてあげたい。
いろいろ考えた。
いろいろしてみた。
だけど、必死になればなるほど、ほたるは悲しそうな顔をするばかりである。
自分が必死なのが、気に病んでいるのか伝わるのだろう。
そういうことに、痛みを感じるのが、ほたるという少女なのだ。
でも、ならば。
「私は、ほたるちゃんにどうしてあげればいいんだろう」
「にっこり、すると良いですねー」
誰に向けたわけでもない呟きに、ひょっこりと答えがあった。
振り向けば褐色の肌、金色の髪。
ライラさんがいつの間にか、そこに居た。
裕美自身はライラさんと親しいわけではないが、千鶴がお下がりの服を譲ったり、親身になって世話をしているのは知っていた。
いや、それよりも、今は。
「にっこり?」
「はい」
端的な問いにゆったり頷くライラさん。
「側に来たら、にっこり。見かけたら、にっこり。それが一番でございます」
「……でも」
裕美は眉を寄せて、また俯いた。
「ほたるちゃんは今、すごく困ってるのに」
「ライラさんは日本に来たとき、日本語、すこしのすこししか解らなかったです」
裕美に並んで、はるか遠くを見るような瞳をするライラさん。
「そのときうれしかったのは、商店街のみなさんがライラさんをにっこり見ていてくれたことでしたね」
ライラさんは日本語が怪しかった。
日本の事も解らなかった。
失敗もしたし、怒られもした。
母国から持ってきたお金はたちまち減って、明日の暮らしも不安になった。
それでもライラさんが毎日頑張れたのは、穏やかに笑って、そんなライラさんを受け入れてくれる人々がいたからだ。
実際のところ、そうした人たちがライラさんの問題を直接解決してくれたわけではない。
日本語は自分で勉強するしかない。
仕事もそう。
ライラさんが抱えている問題は、不安は、結局ライラさんが自分で解決するしかないことだった。
それでも、人々の笑顔を見ると、ライラさんは自分がそこに居ていいのだと感じた。
自分がこの場所でがんばっていけると、信じることができたのだ。
「だから、にっこりです。それだけでよいのですね」
「……本当に?」
「はいです」
なお不安そうな裕美に、悠然と請け負うライラさん。
「ここに居ていいと思えること、とても大事です」
たぶんそれは、先が見えないときだからこそ、何をしていいか解らない時だからこそ、なお。
「……うん」
裕美は頷いた。
決めた。
そして、一度決めたら関裕美は一直線に突き進むのだ。
◇◇◇
◇◇◇
翌日、裕美は事務所の皆に頼み込んだ。
難しいことではない。
ただ、笑おうと言ったのだ。
ほたるの前では、笑顔でいよう。
それは、いつもそうしていたはずのことだ。
言葉が解っているときも、自分たちは、ほたると……友達と一緒にいるときは、笑っていたはずだ。
正直なところ、今だって、何をしたら問題が解決するかは解らない。
だけど、前と同じように接することはできるはずだ。
無理に何かしようとするんじゃない。
必死な顔を見せるんじゃない。
ただ、ここがほたるちゃんの場所なんだと。
それは変わらないんだと、思ってもらうことは、できるはずだと言うのである。
ほたるの耳をどうにかはできないとしても、それだけは、絶対に、できる。
そう力強く言う裕美に、皆もまた、頷いた。
……そして、ほたるの周囲は、変わっていった。
ほたるが顔を見せたとき、そこには変わらない笑顔があった。
いつものように皆が笑い、いつものように手招きし、いつものようにふれあった。
言葉は解らないままだ。
不安も、耳も、消えないままだ。
それでも、ほたるの周りにあったものが、今も変わらずにそこにあるのだということは伝わっていく。
それは、もちろん、解っていたはずのことだ。
自分を案じて皆が不安な顔をしているのも、必死になってくれているのも。
今もプロデューサーたちが自分のために働いてくれていることも、ほたるには解っていたはずだ。
だけど、もし。
自分がいる場所に、不安と、必死の顔しかなかったら、人は何を感じるだろうか。
自分を案じてくれていることが解っていてもなお、自分がここに居てよいのか、迷惑をかけているのではないかと、考えずには居られないのではないか。
結局それに『違うよ』と伝えるには、笑顔しかなかったのだ。
ほたるの表情が、和らいでゆく。
猫の耳は、まだそこにある。
だがほたるは落ち着いて、皆と過ごせるようになった。
ひとりで居るときも、穏やかな顔をするようになった。
ときにはひとりで寮を歩き、屋上で風を浴びる。
猫のようにひとり、風に目を細める。
ときには誰かと一緒に日差しを浴びて、ながいこと静かに過ごす。
そんな光景を、皆が見て。
それが皆に受け入れられた日常となったその日。
まるで何事もなかったかのように猫の耳は消え、白菊ほたるは人の言葉を取り戻したのだった。
◇◇◇
◇◇◇
「ほー、わたくしの居ない間に、よもやそのようなことがあったとはー」
予定より長い帰省から戻って事情を聞き、依田芳乃は深々と頭を下げた。
「電話のない山に居りましたゆえ、事を知ることかなわず。お力になれませんでー」
「い、いいよいいよ。せっかくの帰省だったんだし、とにかく事件は丸く収まったんだから」
年下の自分に向けて、本当に深々と頭を下げる芳乃にかえって恐縮し、裕美はだから顔を上げてくださいと頼み込んだ。
そう、ほたるは元に戻り、日常は帰ってきた。
すべては終わり、だから本当に、もういいのだ。
ただ……。
「そもそもどうして、ほたるちゃんに猫の耳が生えたんだろう。ペロちゃんはどうして、通訳してくれなかったんだろう。芳乃さんには、解る?」
そう、事が終わってどうしても解らないのは、そこだ。
「終わった異変は、後知恵で語ってはならぬこと。ましてその場に居なかった身なれば、ほんとうのところは解りませぬー」
芳乃はそう前置きして、そして『ですが』と続けた。
「言葉で伝えられても、何度言われても、解り切れぬものというのは、あるのではないでしょうか。本当に大事なことを心から知るには、言葉が邪魔になるときも、あるのではないでしょうか」
意外なことを言われた、というように目を丸くする裕美を見つめたまま、依田芳乃は静かに語る。
「聞こえれば、解らねばなりませぬ。解り切れぬことを心の底に隠したままに。……こたび、聞こえなかったからこそ、伝わるかもしれない、解り切れるかもしれないものがあった。そのためにペロさんはあえて力を貸さなかったのではないでしょうか」
ああ、そうか。
関裕美は得心した。
ほたるちゃんは、知るべきことがあった。
私たちは、伝えなきゃいけないことがあった。
「……伝わった、かな」
言葉がなくても交わしあった笑顔を思い出して、裕美は呟く。
「はい、きっと」
芳乃は穏やかに請け負った。
……それから二度と、ほたるの頭に猫耳が現れることは無かった。
だけど、もし再びほたるの頭に猫の耳が現れても、再び言葉が通じなくなっても今度はきっと、大丈夫だ。
関裕美は、そう信じることができた。
あの日の黒猫はきっと、ここが居場所だと知ってくれたはずなのだから。
(おしまい)
元スレ
千鶴と泰葉の歓声がハモる。
「うわあ可愛い! かわいい!!」
歓声をあげる岡崎泰葉。
ご存じの通り彼女はアニマル付箋を愛用し、かたくなに動物をさん付けで呼ぶかわいいもの好きなのである。
「写メとっていいかな、写メ」
興奮を隠せない松尾千鶴。
これまたご存じの通り松尾千鶴もまた可愛いもの好きに定評がある。
体格に比して大きめの、感情豊かにぴこぴこ動く黒いネコミミを頭にくっつけたほたるを前にして2人が平静を保てるはずがあろうか。
もちろんそんなはずはない。
かわいさ堪能し放題、親友の地位を利用してかわいがり放題モフり放題である。
とはいえねこみみほたるを囲んでかわいさを堪能していた2人が血相変えて慌て出すのにも、そう時間はかからなかった。
3: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)16:58:05 ID:uHFJ
「かわいい、わしゃやしゃー……って、あれ!?」
「どうしたの泰葉ちゃん」
「これ、ふつうの耳がなくない?」
「え……本当だ。ほたるちゃん、これ、大丈夫なの?」
泰葉に指摘されて、不安げにほたるにまなざしを送る千鶴。
しかし、ほたるは困った顔でこう言ったのだ。
「ごめんなさい、2人が何を言ってるか、解らないんです。今朝から、猫の言うことしか解らなくて……」
……と。
4: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)16:59:33 ID:uHFJ
そう、猫耳が生えたかわりにほたるの頭からは人間の耳が失せ、人間の言葉を解さなくなっていたのだ。
「なるほど、考えて見れば猫の耳は猫の言葉を聞くためのものだよね」
真面目くさった泰葉。
「ならばその耳が人の言葉を聞く道理はない。人間の言葉が解らなくなるのも当然の流れというものかもしれないね……」
真面目くさってるが実はパニクって何言ってるか解らなくなってる泰葉なのであった。
「いや、そんなバカな!」
対してわかりやすく虚空にツッコミを入れる千鶴だが、こっちもテンパり具合ではどっこいどっこいだ。
「いやそんなバカなって言っても、実際こうなってるんだから仕方ないじゃない」
むくれる泰葉。
「いや、それはそうかもしれないけど……え、これ本当に私たちの言うことが解ってない?」
もしかして、一大事なのでは。
今更顔を青くする千鶴。
5: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)16:59:55 ID:uHFJ
「もう、だから言ったのに! だから最初からそう言ってるのにー!!」
友人の一大事をようやく把握して慌て出すふたりにおかんむりの関裕美であるが、裕美だって今朝ネコミミ生えた白菊ほたるが助けを求めて部屋に転がり込んで来たときは、かわいさ余って大興奮、しばらく事態に気付かず撮影会とかやってたのであるが、まあ今はそれは置いとこう。
ともかく、正しく現状を把握した三人は、慌てた。
どうしよう、なにがどうなってるんだろう、どうすればいいんだろう。
「病院に連れて行く?」
まず真っ先に常識的な提案をするのは泰葉だが、どう考えても病院で注射を打てばどうにかなるという話ではなさそうだし、ほたるは注射が大の苦手だとほかの2人。
「とりあえずねこみみもいでみようか」
どんな時も火の玉剛速球な裕美であるが、これは流石にほか2人に大慌てで止められた。
「とにかく私たちだけで話していてもどうにもならないし、事務所の頼りになりそうな誰か……あ、そうだ、依田さんに相談してみたらどうかな?」
「それだよ千鶴ちゃん!」
友人がそっとお出ししてきた常識案に笑顔を輝かせる裕美。
だって突然猫の耳が生えるとか、いかにもこう怪奇現象っぽいし!!
「あ、でも、それ無理だね」
対して渋い顔の泰葉。
6: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:00:18 ID:uHFJ
「依田さんは来週末まで実家に里帰りしてるの。なんか大事な用事があるとかで」
「うう、こんな時に限って」
開いたと思った希望の道が速攻で閉じてしょんみりする裕美。
「こうなったらやっぱりなんとかしてもいでみるしかないかな……」
「あ、あの、大丈夫ですから」
ふわふわ髪の親友が剣呑なこと考えてそうな気配を察して、諫めに入るのは当の白菊ほたるである。
「あの、文字は読めますし、こうして口も聞けますから。とりあえずその、ご迷惑をおかけしますけど、伝えたいことは筆談でお願いできれば当面は……」
「あ、そうなんだ、よかった。いやよくはないけど」
事態はなにひとつ解決していないが、意志疎通ができるのはひとつ明るい材料だ。
『ほかに体の調子、おかしかったりしない?』
とりあえず早速筆談を試してみる千鶴。
「はい。ほかはむしろ、いつもより調子がいいくらいで……」
「そう、本当によかった……」
自分のメモを読んでともかくも笑顔を見せるほたるに、千鶴は目に見えて胸をなで下ろす。
「『耳をもいでみるのととりあえず注射してみるのとどっちがいい?』……っと」
「いやいや、とりあえずそれはいったん置こう。ね?」
そんなほっとする流れをよそに物騒なメモをしたためる裕美を慌てて泰葉が諫めたりしてるが、まあ置いといて。
7: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:01:54 ID:uHFJ
「とにかく意志疎通ができて、健康に問題がないのなら、ほたるちゃん自身にいろいろ聞くことも、誰かと相談することもできるんだから……というか柿じゃないんだから気軽に耳をもごうとしちゃだめ」
「い、言われて見れば、そうだね」
常識的な説得を受けて、ようやくほっと肩の力を抜く裕美。
大変だよと知らせに来た彼女が、たぶん一番パニクっていたのだ。
だがとにかくも意志疎通ができて、緊急性が薄れたとなれば、色々考える余裕ができる。
そうなれば、やっぱり裕美がまず考えるのはほたるの気持ちの事である。
『大変だったよね。本当にどこもいたくない?』
「はい、大丈夫です。びっくりしたし、ちょっとやっぱり、不安ではあるけれど」
赤い瞳いっぱいに浮かべた心遣いとともに渡されたメモに、笑って答えるほたる。
まさか目の前の裕美がたった今まで自分の耳をもごうかと考えていたとは聞こえていないからこその笑顔であるが、まあそれはさておき。
8: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:02:16 ID:uHFJ
「これからどうしたらいいかとか、どうなってるのかとか。やっぱり色々考えなくちゃいけないことがありますから。不安がってる暇、ないですよね」
そう言ってえいっ、って作るほたるの笑顔がなにより今不安な証なのだと、まさか気がつかない三人ではない。
『そうそう。不安がっててもしかたないからね』
まず泰葉が同意して拾い上げる。
『というか今日はもう一生分驚いちゃったし、少しは落ち着かないとね』
千鶴が水を向ける。
『そうだ、みんなで気晴らしにスイーツバイキング行ってみない? この間話してた店、今日割引なんだって』
ほたるちゃん甘いもの好きだし、気晴らしになればいいな、と思いつつ提案する裕美。
これにはほたるも思わずにっこり、ネコミミについて悩むのはいったん後回し、まずは気晴らし、たらふく甘いもの食べて気力を蓄えようということになったのである。
そして、これがまずかった。
9: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:03:28 ID:uHFJ
スイーツバイキングに連れて行ったら、甘いものに目がないほたるは超喜んだ。
それはいい。
それはいいが、猫の目のようにめまぐるしくいろんなスイーツに目移りしてるうちにほたるの瞳孔は猫のように縦長になって人の文字が読めなくなっていたし、
お店の紅茶にあちちと舌を出すほたるを見て裕美が何の気なしに『あれっ、ほたるちゃんて猫舌だっけ』と言ったら舌が猫のそれになって人の言葉が話せなくなってしまったのだ。
ここまでわずか2時間。
猫ですら恩を忘れる暇のない、電光石火の展開である。
10: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:04:39 ID:uHFJ
「どどどどどどどうしよう!?」
「どうしようったって、どうしようったって」
「こんなことってある? こんなことってある?」
もはやにゃーとしか言えないほたるの周りをぐるぐる回り、三人は慌てる。
「私がスイーツバイキング行こうとか言い出したから!!」
「いやそのりくつはおかしい」
「そうそう、こんなことになるって解るわけないじゃない」
うわあんほたるちゃんごめんなさいと今にも泣き出しそうな裕美を必死こいてなだめる泰葉と千鶴だが、彼女たちだって困り果てた。
とにかく展開がめちゃくちゃすぎてこの後どうしていいか解らないのだ。
だけどとにかく、このまま3人で慌てた困ったとバターになるまでほたるの周りをぐるぐる回ってるわけには行かない。
「とにかく一度事務所に戻って、皆に相談しよう」
11: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:06:33 ID:uHFJ
自分たちの手に余るなら、抱え込まずにまずは助言を仰ぐべきだ。
泰葉の提案にうなづいて、裕美たちはとにかくほたるの手を引いて事務所に戻り、そして当然のように、
『キャーほたるちゃんがネコミミだにゃあ!!』
『うわあ可愛いなでさせて撫でさせて』
『やばい撮影会しよう撮影会』
『ちょっとサンプルとらせてサンプル』
……と、正しく状況を説明する前にひと騒ぎあったわけであるが、そこは省略する。
「病気や薬でどうこう、という話じゃなさそうだにゃー」
しばらく不安そうなほたるの頭部を確認した後、そう呟いたのは一ノ瀬志希である。
「元々あった人間の耳は痕跡もない。逆に新しい耳の周囲はきちんとそれに対応した形状に変化してる。人間の体が外的な要因で変形することはあるものだけど、骨や神経が1日2日でここまで変化するというのは、ちょっと考えられないね」
それはつまり、科学的にはお手上げ、という話である。
「晶葉ちゃんの科学力で、ほたるちゃんの言葉が翻訳できたりしない?」
「そうそう、翻訳する機械とかロボットとか」
「作れなくはないけど、時間がかかる」
千鶴と泰葉の提案に渋い顔をするのは池袋晶葉。
12: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:07:09 ID:uHFJ
「じっさいポータブルな翻訳機なんかが販売されているぐらいだし、そういう機械の仕組みを利用すれば双方向翻訳装置は作れる。
だけど結局その機械でほたるの言葉を通訳するためには、会話が成り立つぐらい語彙を収集する必要があるだろう? 実用に足るものを作ろうとしたら年単位の時間がかかるぞ」
言われてみればその通り。
つまり、そちら方向もお手上げというわけだ。
ではどうすればいいのだろう。
「そうだ、雪美さんに頼んでみてはどうかしら」
やはりなんとかして耳でももいでみるしかないのであろうか……と一同の思案が煮詰まりかかったところで、黒川千秋が提案する。
「ほたるさんは猫の言葉は解るのでしょう? そして雪美さんはペロの言うことが解る。そして当たり前だけどペロは猫よ」
つまりペロを仲介することで、ほたるとの会話を通訳してもらおうと考えたわけである。
13: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:07:34 ID:uHFJ
確かにこれは期待のもてそうなアイデアだ。
「まかせて……ペロに、おねがいしてみる」
事情を聞いて真剣にうなづく佐城雪美に事務所一同まずは安堵の息を漏らし、あとはにゃーにゃー言うほたるにふむふむ頷くペロさんの様子に固唾を飲んだ。
これで話が通じれば、ほたるの不安も紛れてくれるだろうか。
これからの対策について考えることもできるだろうか。
しかし、しばらくほたると話し込んでいたペロさんからの報告を受けて、雪美はぺしょんと困り顔。
「おことわりします、って、言ってる……」
「えーっ!?」
14: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:08:46 ID:uHFJ
驚く一同。
「ほたるちゃんとの通訳を断ると、ペロちゃんがそう言ってるの?」
「……そう、なの」
努めて冷静に事情を確認する泰葉に、雪美はちいさくうなづいた。
「でも、でも、それは困るよ」
いったん繋がったかに見えた望みがまたも途切れて、裕美は余裕を失った。
「ほたるちゃんだって不安なはずだし、心配なの。ね、雪美ちゃんなんとかペロにお願いして……」
「あ、ペロちゃん!?」
千鶴が慌てた声を上げる。
雪美に言い募る裕美を後目に、当のペロはそしらぬ顔でふいっと窓から逃げ出してしまったのだ。
「待ってえ!!」
「いや裕美ちゃんが待って!?」
窓から飛び出してペロを追いかけようとする裕美を慌てて取り押さえる泰葉。
「どんなに運動が得意な人でも、好き勝手に逃げる猫を捕まえるのは無理だよ。無理したら裕美ちゃんがけがしちゃう」
そう、たとえ日野茜でもネコミミアイドルを自称する前川みくでも、本気で逃げる猫を追跡するのは不可能だ。
つまり裕美たちには、唖然とペロを見送る以外、なにもできることはなかったのである。
15: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:09:07 ID:uHFJ
「とにかく、ペロちゃんが自分から戻ってきてくれるまで、雪美ちゃんとペロちゃんを仲介した翻訳作戦は諦めるしかないね。頭を切り替えていこう」
まだペロを追いかけて行きたそうな裕美に、区切りをつけるように促す泰葉。
「……どうしてペロちゃんは、断るって」
裕美はそれでも窓から目をそらさず、弱った言葉をこぼしていた。
「……わからない」
雪美もまた、困惑した様子で首を振った。
「はじめはやってくれる、って言ってた……だけど、ほたるのお話聞いて、急に」
「ほたるちゃんの話を聞いて?」
え、なんだそれと目を丸くする千鶴。
つまりほたる自身が通訳されるのがイヤだと言いでもしたと言う事だろうか。
いやしかし、当のほたるは不安げにネコミミをピコピコさせてべそかいていて、とても通訳されるのがイヤで断りましたって顔ではない。
ペロの意図、ほたるのどんな言葉を聞いて断るに至ったのか、それはもはや知る由もない。
16: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:10:31 ID:uHFJ
「ともかく、明日からの事をどうにかしないとな」
事態の変化についていけず見守るに徹していたプロデューサーが、ここでようやく口を開いた。
ほたるはもはや人の言葉が話せず、聞けず、読めない。
読めないということは書けないということで、現時点でほたるは周囲とのコミュニケーションが不可能な状態にある。
とにかくまず明日からの仕事を調整し、学校などに休学の手続きを取り、効果があるかどうかはとにかくとして一度大きな病院で詳細な検査を受ける算段を整えて。
同時に噂が広まらないようにマスコミ対策をして……と、プロデューサーとちひろには現実としてすぐさま対応しなくてはならない事が山積みとなったのだ。
事務所の雰囲気はあわただしくなり、いきおいアイドルたちも平静ではいられなくなる。
17: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:11:09 ID:uHFJ
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
なんとかしてほたるちゃんの話を聞いてあげられないか?
どうしたらほたるちゃんは元に戻るんだろう?
もしかして、ずっとこのまま?
無理を言って依田さんに早く帰って来てもらうわけにはいかないのか。
みんなでなんとかしてペロさんを連れ帰って……。
出てくる話は深刻なものばかりで、当然皆の顔も深刻なものにならざるを得ない。
そしてそうなると、それを見るほたるのネコミミもぺしょんと伏せて、表情も沈んだものになるのが道理だった。
言葉は通じないが、それでも自分の顔をみると皆の目が不安な色を帯びるということは伝わってしまうのだろう。
ほたるはだんだんと部屋にこもって、皆の前に姿を表さなくなっていった。
◇◇◇
18: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:11:26 ID:uHFJ
◇◇◇
数日が経過した。
「……」
深夜、寮の屋上で、関裕美はひとり俯いている。
この数日、状況に改善の兆しは無し。
ペロは戻らず、ほたるも皆も沈むばかり。
そして、ほたるが沈むにつれて、裕美はよりいっそう力を落としている。
「……私のせいだ」
なにせ、ほたるが人の言葉を読めず話せないという状況に陥ったのは、彼女が気晴らしにと発案したスイーツバイキングがきっかけだ。
いや予想するのは無理だったよ、どう考えても裕美ちゃんのせいではないよという常識的な慰めは彼女には通じない。
関裕美はいついかなる時も、こうと思いこんだら動かない少女なのである。
自分のせいで、友達がえらい事になった。
いや本当に自分のせいかと言われると微妙なところはあるけど、とにかく自分の行動がきっかけでこうなった。
何かしてあげたい。
いろいろ考えた。
いろいろしてみた。
だけど、必死になればなるほど、ほたるは悲しそうな顔をするばかりである。
19: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:11:53 ID:uHFJ
自分が必死なのが、気に病んでいるのか伝わるのだろう。
そういうことに、痛みを感じるのが、ほたるという少女なのだ。
でも、ならば。
「私は、ほたるちゃんにどうしてあげればいいんだろう」
「にっこり、すると良いですねー」
誰に向けたわけでもない呟きに、ひょっこりと答えがあった。
振り向けば褐色の肌、金色の髪。
ライラさんがいつの間にか、そこに居た。
裕美自身はライラさんと親しいわけではないが、千鶴がお下がりの服を譲ったり、親身になって世話をしているのは知っていた。
いや、それよりも、今は。
「にっこり?」
「はい」
端的な問いにゆったり頷くライラさん。
20: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:13:14 ID:uHFJ
「側に来たら、にっこり。見かけたら、にっこり。それが一番でございます」
「……でも」
裕美は眉を寄せて、また俯いた。
「ほたるちゃんは今、すごく困ってるのに」
「ライラさんは日本に来たとき、日本語、すこしのすこししか解らなかったです」
裕美に並んで、はるか遠くを見るような瞳をするライラさん。
「そのときうれしかったのは、商店街のみなさんがライラさんをにっこり見ていてくれたことでしたね」
ライラさんは日本語が怪しかった。
日本の事も解らなかった。
失敗もしたし、怒られもした。
母国から持ってきたお金はたちまち減って、明日の暮らしも不安になった。
それでもライラさんが毎日頑張れたのは、穏やかに笑って、そんなライラさんを受け入れてくれる人々がいたからだ。
実際のところ、そうした人たちがライラさんの問題を直接解決してくれたわけではない。
日本語は自分で勉強するしかない。
仕事もそう。
ライラさんが抱えている問題は、不安は、結局ライラさんが自分で解決するしかないことだった。
21: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:13:37 ID:uHFJ
それでも、人々の笑顔を見ると、ライラさんは自分がそこに居ていいのだと感じた。
自分がこの場所でがんばっていけると、信じることができたのだ。
「だから、にっこりです。それだけでよいのですね」
「……本当に?」
「はいです」
なお不安そうな裕美に、悠然と請け負うライラさん。
「ここに居ていいと思えること、とても大事です」
たぶんそれは、先が見えないときだからこそ、何をしていいか解らない時だからこそ、なお。
「……うん」
裕美は頷いた。
決めた。
そして、一度決めたら関裕美は一直線に突き進むのだ。
◇◇◇
22: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:13:58 ID:uHFJ
◇◇◇
翌日、裕美は事務所の皆に頼み込んだ。
難しいことではない。
ただ、笑おうと言ったのだ。
ほたるの前では、笑顔でいよう。
それは、いつもそうしていたはずのことだ。
言葉が解っているときも、自分たちは、ほたると……友達と一緒にいるときは、笑っていたはずだ。
正直なところ、今だって、何をしたら問題が解決するかは解らない。
だけど、前と同じように接することはできるはずだ。
23: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:15:13 ID:uHFJ
無理に何かしようとするんじゃない。
必死な顔を見せるんじゃない。
ただ、ここがほたるちゃんの場所なんだと。
それは変わらないんだと、思ってもらうことは、できるはずだと言うのである。
ほたるの耳をどうにかはできないとしても、それだけは、絶対に、できる。
そう力強く言う裕美に、皆もまた、頷いた。
……そして、ほたるの周囲は、変わっていった。
ほたるが顔を見せたとき、そこには変わらない笑顔があった。
いつものように皆が笑い、いつものように手招きし、いつものようにふれあった。
言葉は解らないままだ。
不安も、耳も、消えないままだ。
それでも、ほたるの周りにあったものが、今も変わらずにそこにあるのだということは伝わっていく。
それは、もちろん、解っていたはずのことだ。
自分を案じて皆が不安な顔をしているのも、必死になってくれているのも。
今もプロデューサーたちが自分のために働いてくれていることも、ほたるには解っていたはずだ。
だけど、もし。
自分がいる場所に、不安と、必死の顔しかなかったら、人は何を感じるだろうか。
24: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:15:42 ID:uHFJ
自分を案じてくれていることが解っていてもなお、自分がここに居てよいのか、迷惑をかけているのではないかと、考えずには居られないのではないか。
結局それに『違うよ』と伝えるには、笑顔しかなかったのだ。
ほたるの表情が、和らいでゆく。
猫の耳は、まだそこにある。
だがほたるは落ち着いて、皆と過ごせるようになった。
ひとりで居るときも、穏やかな顔をするようになった。
ときにはひとりで寮を歩き、屋上で風を浴びる。
猫のようにひとり、風に目を細める。
ときには誰かと一緒に日差しを浴びて、ながいこと静かに過ごす。
そんな光景を、皆が見て。
それが皆に受け入れられた日常となったその日。
まるで何事もなかったかのように猫の耳は消え、白菊ほたるは人の言葉を取り戻したのだった。
◇◇◇
25: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:16:11 ID:uHFJ
◇◇◇
「ほー、わたくしの居ない間に、よもやそのようなことがあったとはー」
予定より長い帰省から戻って事情を聞き、依田芳乃は深々と頭を下げた。
「電話のない山に居りましたゆえ、事を知ることかなわず。お力になれませんでー」
「い、いいよいいよ。せっかくの帰省だったんだし、とにかく事件は丸く収まったんだから」
年下の自分に向けて、本当に深々と頭を下げる芳乃にかえって恐縮し、裕美はだから顔を上げてくださいと頼み込んだ。
そう、ほたるは元に戻り、日常は帰ってきた。
すべては終わり、だから本当に、もういいのだ。
ただ……。
「そもそもどうして、ほたるちゃんに猫の耳が生えたんだろう。ペロちゃんはどうして、通訳してくれなかったんだろう。芳乃さんには、解る?」
そう、事が終わってどうしても解らないのは、そこだ。
26: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:16:32 ID:uHFJ
「終わった異変は、後知恵で語ってはならぬこと。ましてその場に居なかった身なれば、ほんとうのところは解りませぬー」
芳乃はそう前置きして、そして『ですが』と続けた。
「言葉で伝えられても、何度言われても、解り切れぬものというのは、あるのではないでしょうか。本当に大事なことを心から知るには、言葉が邪魔になるときも、あるのではないでしょうか」
意外なことを言われた、というように目を丸くする裕美を見つめたまま、依田芳乃は静かに語る。
「聞こえれば、解らねばなりませぬ。解り切れぬことを心の底に隠したままに。……こたび、聞こえなかったからこそ、伝わるかもしれない、解り切れるかもしれないものがあった。そのためにペロさんはあえて力を貸さなかったのではないでしょうか」
ああ、そうか。
関裕美は得心した。
ほたるちゃんは、知るべきことがあった。
私たちは、伝えなきゃいけないことがあった。
27: ◆cgcCmk1QIM 21/06/17(木)17:16:45 ID:uHFJ
「……伝わった、かな」
言葉がなくても交わしあった笑顔を思い出して、裕美は呟く。
「はい、きっと」
芳乃は穏やかに請け負った。
……それから二度と、ほたるの頭に猫耳が現れることは無かった。
だけど、もし再びほたるの頭に猫の耳が現れても、再び言葉が通じなくなっても今度はきっと、大丈夫だ。
関裕美は、そう信じることができた。
あの日の黒猫はきっと、ここが居場所だと知ってくれたはずなのだから。
(おしまい)
【モバマス】黒猫ほたる顛末記