SS速報VIP:番外固体「病み止めさん」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1311862467/1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:14:27.31 ID:cERe2Nkx0
一方通行の目の前には、地獄の門がある。
あまつさえ、彼はその鍵をも保持している。しかし、それがかの原典をも畏怖させる、狂気と悪夢に満ちた欲望の遺物であることを知らない。
だからこそ、その鍵を駆使して禍々しきその門を潜り抜け、閻魔の待つその地へと続く黄泉の坂へと立ち入る意思をも持っている。それを阻むものは無く、あれど不幸なことにころとに、やはりここに無い。
鍵をさしこみ、回す。
かけらの抵抗も無く、すとりと錠が上がり、立ちふさがるとびらが、すっと力を抜く。
ノブに手を掛け、わずかな抵抗を感じつつ回す。
引く。
きり、と無理やり染み出したかのような、かすかなかすかな音を立て、地獄への道が開かれる。
2: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:14:56.99 ID:cERe2Nkx0
その道は、柔らかな照明が溢れている。暖色で纏められたマットや壁紙には、きっと心をこめて選んだのであろうと思わざるを得ないような、愛情や慕情が感じられた。それはいささか過剰にも思えたが、まあ悪くは無い。
その”愛情”に向け、一方通行はぶっきらぼうに呼びかける。
「帰ったぞ」
「あ、お帰りなさい!ってミサカはミサカは力いっぱい自分の存在を証明したり!」
声を上げたのは小さい少女だった。ばたばたばた、とやかましい音を立て、キッチンと玄関とを隔てる扉を開け、満面の笑顔を浮かべてこちらへと走ってくる。頭には三角巾が装着されていた。
このままこちらへと飛び込んでくることを前もって察知した一方通行は、右足を少し後ろへと移動させ、衝撃に備える。
どすん、と鈍い衝撃が腹部に伝わる。
「・・・だからいちいち突っ込ンでくんじゃねェっつってンだろォが!」
いつものように、小さなその少女の脳天に、三角巾越しとはいえ容赦の無いチョップを食らわす。「はぎゃ!」と可愛い声を上げ、少女は涙目で訴える。
「暴力反対!!」
一方通行はそれをほほえましく思っていることは内緒で、ぶっきらぼうに杖をいつもの場所へ立てかけた。
キッチンに入ると、すでに食事が用意されている。サラダや汁物、飲み物やご飯と共に、コロッケが二人分テーブルに置かれていた。この量の料理を、この小さい少女が一人で作ったわけではないだろう。彼女にはその知識も無ければ、経験も手際も無い。
「番外個体は今日はいねェのか?」
「なんか調子が悪いって言って帰っちゃったの、ってミサカは残念そうにこぼしてみたり」
「そうか」
おそらく、番外個体もいると思ったのだろう。どちらかというと、少女よりも一方通行のほうが残念そうな顔に見えた。それを察知してか、少女が言った。
「あのね!今日のコロッケはミサカが作ったんだよ!ってミサカはミサカは自慢げに胸を張ってみたり!!」
「あァ?食えンのかよ、それ」
「もっちろん!特にアナタのは特別製なんだから!ってミサカはあなたにお食事を急かしてみたり!」
はいはい、と適当にあしらうころには、彼の表情はいつものものに戻っていた。
「おら、飯にすンぞ。冷めねェ内に食ってやるから、手ェ洗って来い」
はーい、と素直な声を出し、少女は洗面所へと走っていく。それを目で追った後、一方通行は家用の杖をつきながらキッチンの流し場で手を洗う。うがいを追え、手を拭いたところで少女が舞い戻り、二人は席につき、食事が始まる。
「いただきまーす!」
「・・・おい、頭巾取れ。行儀悪ィだろ」
「・・・取らなきゃダメ?実は少し髪型失敗しちゃって、あんまりアナタに見せたくないのだけど、ってミサカは言い訳がましい理由を述べてみたり・・・」
一方通行は、ダメだ、と言おうとしたが、まあ、そこまで強行に出るものでもないかな、と思い直した。
大体この場には二人しかいないのだ。行儀も何も、細かいことを言うことは無いのかもしれない。
「俺だけン時はいいけどな、外では取れよ」
「ホント!いいの!ありがとう!ってミサカは心から安心してみたり」
少女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべていた。あんまり喜ばれるのですこし背中がむず痒くなった一方通行は、仏頂面でぼそぼそと小さく「・・・いただきます」と呟いて、食事を始めた。
箸を件のコロッケに付け、口に運ぶ。目前の少女が恐る恐る聞く。
「・・・ど、どう?」
「どうって、普通に旨ェけど」
それを聞いて、少女は傍目にもわかるほど旨を撫で下ろす。
先ほどは「食えるのか?」なんてことを言ったものの、実際のところこの料理はそんな壊滅的なものではないだろう、とは思っている。見た目は変ではないし、たぶん結構多くの部分を番外個体が手伝っているだろう、という予測もあった。少女が料理をし始めたのはごく最近だったし、先ほどまで彼女が居たと、少女が言っていたからだ。
しかし。
噛んでいると、なにやら奇妙な食感があることにだんだんと気づき始める。それは糸のようで、それでいて強靭で、細かった。一方通行はため息をつく。
「またかよ」
ぺっ、とその遺物を吐き出すと、茶色い糸のようなものが出てきた。
これが髪の毛である、ということを、一方通行は知っている。
ここ最近、急に食べ物に混じり始めたので、恐らく目の前の少女のものであろう、と思っている。彼女が三角巾を付けているのは、たぶんその対策なのだろう。
「あわわ!ご、ごめんなさい!、ってミサカはミサカは心からの謝罪を表明してみたり」
「別にいい」
正直気分がいいものではなかったが、避ければ食べられないという訳でも無い。彼女は気をつけているようだし、第一番外通行のもので無いという可能性も十分にある。変な所で甘い彼は、別に少女を怒るでもなく食事を続行する。
しかし、その日は妙に”それ”が多かった。
「・・・ちと入りすぎじゃねェのかァ?」
「うう・・・ごめんなさい、ってミサカはミサカは小さくなってみたり・・・でも、それだけ入っていれば、一つくらい飲み込んじゃってもおかしくないね!」
「あァ?なンか言ったか?」
「別に?ってミサカはミサカはにっこり微笑んでみたり!」
一方通行は胡散臭げに少女の顔を見つめるが、それはどう見ても歓喜に満ちていた。この顔を壊すのも忍びないと思ったか、それ以上は何も言わず食事に戻る。
すぐにまた止まる。
「くっそ、まただ」
そう忌々しげに呟き、一方通行はまた何かを吐き出す。
つばに塗れた髪の毛が、皿の上に溜まっていく。
それを、うっとりと、みつめ。
そして、少女は---打ち止めは、嗤う。
彼女の三角巾の下には、無理やり髪の毛を抜かれて出来た、小さな小さな、それでいて痛々しい禿が、隠れている。
部屋の中は、しん、と静まり返っている。
打ち止めは、この空間が、時間帯が、嫌いではない。ここは、このときは、もっとも安寧と平穏を感受できる場所であり、時だった。それが何故なのかは上手く説明できないのだが、彼女はつい最近そのことに気づいた。気づいただけで、そのままだ。
逆に、何故そんなことを考えなければならないのか。
この世界にある理由の99%は下らないものだし、これもその一つに違いない。
理由など有ろうが無かろうが、打ち止めはすべてが動きを止めたこの空間が、すべてが生気を失ったこの時間帯が好きだった。そのことが、悪いことであるはずもない。
打ち止めは、その空間に足を踏み出す。
自分が動くことで、それらは皆去っていく。動かないはずも物が逃げ、死んでいるはずの物が生き返り、彼女の好きなその場所を乱していく。そうまでしても、歩く。
そこには、底知れない欲望があった。
その欲望もまた、彼女が好むものだった。
停止した空間に時間を叩き込み、打ち止めはキッチンのシンクに辿り着く。
「うふふ」
食事時を思い出す。
あの時--。
彼は、皿に溜まったあの髪の毛を--。
あの人が口に入れた髪の毛を--。
確か三角コーナーに捨てたのだったか--。
「うふふ」
打ち止めは手探りで”それ”を探る。
”それ”は変わらずじっとりと濡れ、
肌に刺さるような硬さと共に、在った。
そっと、手で掬う。
「うふふ」
打ち止めは”それ”を-- 一方通行の唾液と、生ごみの汁に塗れた自らの髪の毛を --愛おしそうに見つめ、
そして、頬ずりした。
「うふふ」
彼女がいるその部屋は、再び動きを止めていた。すべてが生気を失い、すべてが静かで、そしてすべてが死に絶えた空間がそこには戻っていた。
その中を、打ち止めの恍惚とした声だけが、ゆらゆらと漂っていた。
「うふふ」
---。
一体どれほどの時間、そうしていただろうか。
打ち止めは気づく。どこかで何かが、再び動き始めていることに。
この部屋は、この空間は、未だ何者にも犯されはしないだろう。しかし、どこかで蠢き始めた何かは、直にこの部屋へと辿り着くだろう。そして恐らく、それを留めることは誰にも出来ない。
仕方が無い。今日はここまでだ。
彼女は名残惜しげに頬から”それ”を離し--最後に一度香りを味わう。
「ふあ」
ああ、とつい声が漏れる。目がとろんと泳ぎ、手から”それ”が零れ落ちそうになる。脳天を貫くその刺激が、彼女の意識を無理やり高翌揚させる。
でも、と自らに言い聞かせる。
もう私は普通に戻らなければならないのです。
打ち止めは、今度は洗面所へ向かう。
鏡と向かい合うと、頭の右上が少し禿た自分が、こちらをうっとりと見つめていた。
そして彼女はポケットをごぞごぞと探り、そこから接着剤を取り出した。
「はあ」
どこか遠くで蠢き始めた何かが、少しずつこの場所へ近づいていくのを感じながら、
打ち止めは、つい数時間前に自分で抜いたその髪の毛を、
一本、一本、丁寧に、元の場所へと植えていった。
日が昇り始めるころにはその作業は終わった。
先ほどまで合ったはずの禿は消え、打ち止めの髪の毛は元の形を取り戻していた。
念のために様々な角度から見てみるが、特に問題は無さそうだった。
ひとしきり確認してから、ぽつりと呟く。
「・・・これでずうっと、ミサカのそばにはアナタが居るね」
打ち止めは嗤いながら布団に戻っていく。
「おら、起きろ。寝坊だ」
「うみゅー、あと十分、ってミサカは今世紀最後のお願いをしてみたり・・・」
「ンな大事なもンここで使うンじゃねェよ」
割と情け容赦なく掛け布団を奪われ、しかたなく打ち止めは起き上がる。眠い目をこすりながらぼーっとしていると次第に目が冴えてきた。
そして、一方通行がまじまじと自分の頭を見ていることに気づいた。
「・・・どうしたの?ってミサカはミサカは少し心配になってみたり・・・」
「お前別に髪の毛変じゃねェじゃン。なンで昨日、あンな頑なに隠してたんだァ?」
「それは!女の子の修正スキルなのだ!」
打ち止めはそう言って胸を張る。そして、こう聞いた。
「どう?どこからどう見ても普通の女の子でしょ?ってミサカはミサカは胸を張ってみたり!」
一方通行は何も気づかなかった。だから、何も考えずにこう答えた。
「そうだな」
打ち止めは、それを聞いて、ニコリ、と嗤い、そして、言った。
「うふふ」
番外個体は、実は少し焦っている。
事の発端は、一方通行が本格的に一人暮らしを始めると言い出したことだった。
「話があンだけど」
「ん~、何?ひょっとしてミサカに惚れちゃった?」
「・・・・・・」
「な、何黙ってんのよ、図星?」
「・・・俺この家出ることになったわ」
「!?」
「は?」である。晴天の霹靂、という奴だ。その話を最初に自分へ打ち明けてくれたのは嬉しかったのだが、内容が内容である。よく解らないモヤモヤが胸中に沸き起こり、どういうわけか自分が急速に不機嫌になっていくのを感じた。
で、「勝手にすれば」とかなんとか吐き捨てて、その後は気まずくなって、顔を合わせる度にそっぽを向いたりしていた。そうこうしている内に一方通行はさっさと家族内への話を済ませ、着々と準備を整えていった。その手際と言ったら、見事としか言い様が無く、そんなそつの無さもまた気に入らない。
そんな感じで、別にいいし、と意地を張っていると、とんでもない爆弾が飛び込んできた。
「なんでアンタも荷造りしてんのよ」
「え?ミサカもあの人と一緒に暮らすって言わなかったっけ?ってミサカはミサカは同棲を告白してみたり!」
衝撃である。許し難き展開である。一人暮らしをする、と言っていたではないか。そのくせして、このようなガキンチョと共に暮らすとはどういうことか。幼いとは言え女である。果たして、本当に一方通行はロリコンだとでもいうのだろうか、と考え、多少落ち込む自分を無理やり怒りへと持っていく。
だが、黄泉川たちの話を聞くと、どうも自分の想像とは違うようだった。打ち止めは相当に食い下がり、あの権利を得たらしい。そのために、黄泉川や芳川をも巻き込み、ほぼ力ずくで一方通行が根負けするまで持って言ったらしい。
それを聞き、怒りはすべて敗北感へと変わって行った。途方も無く悔しく、そして打ち止めが羨ましかった。でも、今更「私も一緒に」だのと言えるはずも無い。
でも言いたくて溜まらない。
そのとき、番外個体は初めて、自分が一方通行へ抱くこの感情が何であるか、やっと受け止めることが出来た。
もう遅いのだろうか。
そんなことは無い、と思う。
状況は厳しい。
しかし、如何に絶望的であろうとも、頑張ってはいけないという決まりなど無いのではないだろうか。
そんな訳で、番外個体は積極的なアプローチを開始した・・・となれば良かったのだが、何分不便なパーソナリティーとDNAに邪魔をされ、欠片とデレたりとか素直になったりとか言うことが出来ない。あんだけ決意したのに、と情けなさに枕をぬらすこともしばしばだった。
そんな中、どうにかこうにか彼の家へ行く理由をひねり出すことが出来たのは、成長と言えなくも無い。
例えそれが、「あんたをミサカの料理の実験台にしてやる」などという、情けなくなるまでに素直でない理由だったとしても。
「クッソ、気持ち悪い・・・」
そんな訳で、番外個体は悪化した体調を押して、いじましくも一方通行宅へ夕飯を作りに来たりしているのであった。以前訪れた際、コロッケをこねている最中に急に気持ち悪くなり、それからその不快感が消えない。三日ぶりにこの家に来れたのは、完治とは行かないまでも、ある程度回復したからだ。
とはいえ、傍目から見るととんでもなく調子が悪く見えるらしい。打ち止めは盛んに何度も水を持ってきてくれた。よく冷えた水ではあったが、どういうわけか不味く感じられた。体調の影響で、味覚も多少狂っているようだ。なんてこった、と宙を仰ぐ。これじゃあ味見が出来ないじゃないか。
「大丈夫?ってミサカは本当に心配してみたり」
「大丈夫大丈夫。問題ないって」
意地を張っている、というのは自分でも自覚している。でもそうまでするのは、やはり横に居る、自分と同じ顔をした、女の子に理由がある。お子様お子様なんて馬鹿にはするが、それでもこの少女は女の子なのだ。
そして彼女は、自分よりはるかに積極的で、素直でかわいらしい。羨ましいくらいに。しかし、その羨ましさを公表することは、彼女のプライドを自らぶち壊す行為ですらある。
だから番外個体は意地を張らざる得ない。
・・・というのは正直なところ建前であり、本当の理由は、
「ただいまァ」
・・・・・・。
こっちが本当の理由だったりするのだが、本人は気づかないふりをしてたりする。恋する乙女はめんどくさいのである。
んで、一方通行は番外個体の顔を見て一番最初に何を言ったか。
「お前帰れ」
酷すぎる。
「・・・帰れって?どういうこと?」
「ンなひでェ顔色で出歩いてンじゃねェよ」
「別の問題ないし。大丈夫だし」
「嘘つけバカ。さっさと帰って寝ろ」
「だから大丈夫つってんじゃん。ついに耳まで悪くなった?もう大丈夫なところ無いんじゃないの?」
一方通行が、面倒くさそうに頭を掻く。どういうわけか、その動作も気に入らない。腰元に打ち止めが抱きついているのも気に入らない。心配そうに二人の顔色を伺うその表情が、気に入らない。彼女に当たるのは間違いだとわかっていても、湧き上がる不快感を消すことが出来ない。
「・・・大体、ミサカが何しようが勝手でしょ。アンタに行動を制限される覚えなんて無いんだけど」
啖呵を売るその一方で、なんか違うんだよな、という思いもわきあがる。本当にやりたいことはこういうことじゃないんだよな。でもなんでこうなっちゃうんだかな。
「とにかく、帰んないから。アンタは向こうでマスでかいてて。以上」
そう言って、無理やり会話を終わらせ、俎板に向き直る。背中で話しかけんなオーラを撒き散らしつつ、目前の大根を無慈悲に千切りにしていると、一歩通行は諦めたように奥の部屋へ移ろうとした。しかし、
「痛っ」
番外個体が急に包丁を放り出し、ぱっと俎板から離れる。それは反射的なものだったので、慌てて元の作業に戻ろうとしたのだが、右手を一方通行にガシリと捕まれる。しまった、と思うまもなく、つかまれた手の人差し指から、赤い液体がポトリと落ちた。
「・・・だから言っただろォがバカ」
指先には、今しがた出来た切り傷があった。白い俎板の上にも、一滴赤色のしずくがこぼれていた。危害を加えた張本人である包丁は、思いのほか平静さを装っていて、そりゃないよ、と頭を抱えたくなる。一方通行はこんな小さな怪我と顔色を関連付けて、また彼女に帰宅するよう言ってくるだろう。さっき嫌になるほど繰り返したそのやりとりをもう一回やるとなると、正直気が重い。
面倒臭いな、と思っていると、一方通行が掴んだ右手を持ち上げ、
「え?」
傷がついた、番外個体の右手の人差し指を、
ペロリ、と舐めた。
ぴきん、と番外個体の活動が停止した。
「・・・・・・」
「ったく、気をつけろ。で、今日は帰れ。無理すっと、もっとやべェ怪我すンぞ」
「・・・・・・」
「おい、聞いてンのか!?」
番外個体はやっとのことで、顔を真っ赤にしながら「・・・うん」と言った。
それを、打ち止めは、見ていた。
打ち止めが、人を殺せるような目でそれをにらんでいたことに、二人は気づかない。その憎悪は、間違いなく番外個体へと向けられている。肉親に向けることが適うとは思えぬその苛烈な目の中には、また違った感情も含まれている。
俎板には、依然変わらず番外個体の左手が置かれている。
すらりと細く長い指が、俎板の上においてある。
あの指の。
あの指の先に、傷が付いたのだろうか。
そして、打ち止めの右手には、包丁が握られている。
ごくり、と彼女は息を呑む。脈拍が上がる、脳みそに血液がなだれ込む。暴れまわった何かが、彼女の耳元でささやく。
斬れ、斬れ、斬れ。
彼女は嗤い、手に持った包丁を、俎板に置かれた指に向かって、思いっきり振り下ろした。
「骨に当たって幸いだったよ」
冥土帰しがため息をつきながら言った。実際その通りだった。打ち止めの力がそれほどなかったことも、恐らくは幸いしたのだろう。仮借ない力で振り下ろされた包丁は、指と手を分割するまでには至らなかった。びっくりするほど大量の血液が流れ、キッチンは地獄絵図になったが、とりあえずは傷が残る程度で済みそうだった。
「しかし、君がちゃんと監督しなきゃダメだよ」
「ああ、解ってる。しばらく料理はさせねェ」
「頼むよ?いくら成長したとはいえ、あの子はまだ子供なんだからね」
しかし、冥土帰しはうすうす疑問に思っている。それは長年傷を見てきたからこそ、解ってしまう事実だった。その上で、一方通行が自分なりのストーリーを持っているのであれば、それを明かす必要は無いのかもしれないとも思う。
しかし、彼の疑問が晴れる訳ではない。
要するに。
何故、打ち止めは、”自分の指”に”思いっきり”包丁を振り下ろしたのだろう。
一方通行が冥土帰しに今後についての話を聞いている最中、打ち止めは待合室のソファで手持ち無沙汰に座っていた。怪我をした左手の薬指には包帯が巻かれ、その下には8針縫った、未だ痛々しい傷跡が残っている。
打ち止めはまじまじとその包帯を見つめ、呟いた。
「・・・これじゃああの人に舐めてもらえないなぁ」
暗がりの待合室で、非常灯が、ゆらりと瞬いた。
なかなか突き抜けた青空が、「これでもか!」と言わんばかりに広がっている、そんな日の朝。
一方通行はよく解らない銅像の前で深くため息をつく。急いで来たため息が切れており、ぜぇぜぇと体が必死に酸素を求めるような状況でも、ため息というのはしっかり出てくれる、というどうでもいい真実に気づかされ、多少感嘆を覚えた。
何がいけないか、といえば、結局のところ自分の不注意なのだと思う。かけたと思っていたはずの目覚ましが全く鳴らなかった、というのが実際の理由なのだが、そんな情けないことを言える訳も無い。
寝る前に電池残量まで確認したのに、この結果。恐らくは寝ている間に自分でスイッチを切ったのだろう。どれだけ可能性が低かろうと、それしか思いつかない。自分のクソさにはほとほと呆れる。打ち止めが居れば起こしてくれたかもしれないが、生憎彼女は昨日の夕飯を食べた後、黄泉川の家に泊まりに行ってしまった。なんでも、「黄泉川が寂しがっているから来てくれない?」と芳川に頼まれたらしい。
まあ、なんにしろ今日のことを教えてないのだから、なんとかなった可能性はあまり無かったのだが。
腕時計に目をやる。長針がそろそろ10の数字を追い越そうとしていた。貫禄の1時間50分遅刻。なかなか豪勢に、時間を浪費したものである。普段ならばかなり眠りは浅いほうなのだが、今日ばかりは変によく眠れてしまった。頭のどこかで、少し興奮していたのかもしれない。
さらに悪いことに、携帯電話も何故か見つからなかった。枕元に置いたような気もしたのだが、そこまではっきりとした記憶も無い。跳ね起きた後手当たり次第に引っ掻き回したが見つからず、そのせいで連絡も取れない。
そんな訳で、一部の望みを賭けてここまで賭けてきたのだが。
ガシガシと頭を掻く。さて、どうしたものか。待ち合わせ場所には着いたものの、約束の時間を既に二時間近く過ぎている。しかも、連絡の一つも入れていない。自分だったら100%ブチ切れて帰っている。
そんな中でも。待っていてほしい、というのは、やはり贅沢な望みなのだろう。
それでも諦めきれず辺りを銅像の周りを一周する。ひょっとしたら裏に居るかもしれない、などという淡い期待を抱きつつ覗いてみるが、居ない。ふむ、誰かが居るような気はしたのだけど。
一周して元の場所に戻る。
そこで一方通行は目を見張る。
「マジかよ・・・」
ちゃりんちゃりん、と喫茶店のドアに付いたベルが鳴る。そこから今しがた出てきた人影はやけに見覚えのあるものだったが、正直信じられずに頭を整理する。なんど瞬きしても変わらない。
その人影は悠然と、しかし妙に堂々と歩いて来る。それは一方通行に安心と同時に、途方も無い疲労感を感じた。
一体何言やいいんだよ。
「さて」
ゆったりと、一方通行の前まで歩いてきたその人物は、やけに笑顔で言った。
「何か言うことはないのかな?一方通行」
一方通行は目の前の彼女---番外個体に一言「スマン」と言う以外に、一体何が出来ただろう。
「まさか、学園都市第一位って奴が、遅刻しそうなときは連絡を入れる、なんて常識を知らないくらいに浮世離れしてるとは知らなかったね。いや、いいご身分なことで」
「スマン」
「で、何?携帯電話も保持しておられないとは。下々の量産型戦闘クローンとは連絡取る必要も無いって訳ですか」
「・・・スマン」
一方的にこちらが悪いので、ただただ小さくなる。
クローン云々の下りも、普段であれば正すところだが、そんなことをいえるような立場でも無い。小さくなる、と言っても、そっぽを向いて小さな声で「スマン」と言うことしか出来ない自分のチンケなプライドは、我ながら歯噛みするほど哀れだった。
それでも、番外個体は、満面の笑みから少しだけ素を見せた。
「・・・まあ、でも、怪我とか無いみたいだし、良かったよ。さすがに血まみれでそこらへん回るわけにもいかないしねぇ」
・・・ひょっとして。
番外個体は、一方通行がそこらへんで「誰かと戦ってきた」と思っているのだろうか・・・。
確かに以前はよく”仕事”をやっていたのだが、ここ数年はそれらも解決し、全くと言っていいほど荒事には手を出していないのだが・・・
もしくはそれを髣髴とさせるような出来事でもあったのだろうか。
「ん?どしたの?」
「いや、なんでもねェ」
まあ、いいや、と思い直す。今更一方通行なんぞを襲っても、メリットなんてありはしないのだ。
第一、「いや、実は寝坊しただけなンだが」とか、言えるはずがないではないか。目覚まし時計が止まっていた、とか、このタイミングで言える猛者は、おそらくあの幻想殺しくらいのものだろう。
黙っていよう、と心に決めた。世の中には、秘密にしておいた方が良いこともある。
そう一人で決意した一方通行を見て、番外個体は怪訝気に首を傾げ、しばらく眉を顰めていたが、最終的には「まあいいや」と前に向き直り、一方通行はほっと胸を撫で下ろす。
「で、今日は何してくれる訳?」
「あァ?」
「そっちから誘っといて、まさかノープランって訳は無いでしょ?」
一方通行は一瞬動きを止め、その後なるべく平静を装って「あァ」と返すと、番外個体がバカにするように口を歪めた。
「ま、うすうす解ってたけどね」
結局近場の喫茶店に入ることにした。
そこは番外個体が待っている間に入っていた店であり、なんでもそこのランチがえらくおいしそうに見えたらしい。せっかくなのでそこに行こう、ということになった。大遅刻のおかげで、時間も丁度お昼時だったので、まあ丁度いいと言えなくも無い。
と言っても、起き抜けで杖を突きつつ不自由な体で全力疾走してきた一方通行は思いのほか体力を浪費しており、正直なところあまり食欲が湧いてこない。
「んじゃ、とりあえずドリンクで粘って、落ち着いたら食べりゃいいんじゃないの」
「ンじゃそれで。金は俺が払う」
「さすがにこの状況で割り勘とか言ってきたらドン引きだけどね」
そこまで混雑していない店内は、手を上げるだけですぐに店員を呼び止めることが出来た。とりあえずブラックコーヒーを二つ注文する。落ち着いた返答と共に、オーダーを伝えられた厨房からいやに威勢の良い声が聞こえる。
「ブラックコーヒー二つってわけよ!」
「超了解しました!」
一方通行は遠い目をしてかぶりを振る。聞き覚えが、あるような、無いような。
気のせいだろう、と頭を振る。因みに声は男の声であった。そこの諸君、世の中そんなに甘くないのだ。
「それにしても、今日は一体なんなのさ。急にデートのお誘いとか、ミサカちょっと気持ち悪いんだけど」
「最近体調悪そうだったし、呼び出してダメそうだったら病院ぶち込ンでやろうと思ってな」
「あっそ、一方通行に心配されるなんて、いや、ミサカもか弱い乙女になっちゃったもんだね」
そう軽口をたたいた後、「そもそもそんなわるくなかったし」などとは言っていたが、さすがにいつもよりファンデーションの塗りが厚いことくらいは一方通行にも見抜けた。顔色をごまかすためだろう。目の隈も隠しきれてない。
結構長引いているようではあるが、黄泉川や打ち止めなんかに探りを入れてもらっても、なんとなく吐き気がする、くらいのものらしい。後は味覚がおかしいとか、むくみがあるとかだ。なので、そこまでたいしたことではないのだろう。
だったらせめて、気分くらいは晴れさせてやりたい、というのが、今回の表向きな理由だった。
「・・・ま、何事もねェならそれでいいさ」
そう言って、一方通行は目の前のブラックコーヒーを一口飲んだ。阿呆かと思うぐらい熱く、口に入れた瞬間に吐き出しそうになったが、自分の中の忍耐と情熱を総動員し、なんとか表情を変えずに飲み込んだ。見栄というのは、男にとって結構大事なものなのだ。
なんとなく視線を感じたので、気づかれたかと番外個体を伺うが、あちらもあちらでコーヒーを飲んでいたようで気づかなかった。
「熱っ!」
結局、一方通行と番外個体は、その日一日を思う存分に楽しんだ。
_____。
次の日の朝、黄泉川家から帰ってきた打ち止めが唐突に言った。
「昨日は楽しかった?ってミサカはあなたに尋ねてみたり」
「あァ?」
「番外個体と遊びに行ってたんじゃないの?ってミサカはミサカは羨ましさを抑えつつ至極冷静にたずねようと努力してみたり」
ぎくり、と体を強張らせる。いったいどこからバレたのか・・・
「ミサカに知らないことなんて無いのだ!ってミサカはミサカはネットワークの存在を隠しつつミサカの万能性をアピールしてみたり」
「マジかよ。ぜんぜん気づかなかった」
「ふふふ、あなたが目覚まし時計がならなくて2時間遅刻したことも、その後番外個体と一緒にカフェでランチをしたことも、ゲーセン行ってUFOキャッチャーでクソでかいカエルのぬいぐるみを取ったことも知ってるもんね!ってミサカはミサカは情報通を気取ってみたり!」
畜生、と一方通行は頭を抱える。全部筒抜けじゃないか。ミサカネットワークの恐ろしさをまざまざと感じた。一人にさえ見つかれば、それは一万人の知ることとなる。この情報拡散速度の速さ。この町には、自分のプライベートなど、ひょっとして既に無いのではないだろうか。
「ん?」
あれ?と一方通行は少しだけ引っかかるものを感じた。なにかが、何かがおかしいような気がする。ありえないことが、一つ起こっているような。
打ち止めが嗤う。
「うふふ」
彼女のポケットに手を入れた時、この家の鍵の冷たい感触が、じわりと指先に伝わったことに。
彼女の背負うリュックの中で、彼女のものではない携帯電話が震えていたことに。
当たり前だが一方通行は気づかなかった。
番外個体は黄泉川家の便器に伏し、荒い息をついている。
胃液の苦々しさが口中に広がる。鼻腔へと逆流した刺激が、無理やり涙を押し出す。それを垂れ流すままにし、再び来る激流に耐える。全くと言っていいほど勢いを失った、未消化の食物と体液の集合体を、数秒間の無呼吸と苦悶の果てになんとか対外へ出す。
気管になだれ込んだ異物が無理やり咳を誘発した。また数秒呼吸が止まる。勢い良く飛び出す呼気に乗って、残りかすが飛び出し、口を覆った手を汚した。
胃の中が空になり、それでもなお収縮を繰り返す食道を必死に押しとどめると、少しずつ息を吸えるようになってくる。とりあえず、今日のところはそれで終わりのようだった。
いくらか楽になってきた。未だに多少気持ち悪さは残るが、それでも先ほどよりはマシだ。すっかり体力を使い果たし、どたりと腰を落としてトイレの壁に寄りかかる。汚物と唾液で汚れた顔をトイレットペーパで拭く。いつまで拭っても取れない不快感は、実際なかなかのものだ。
大きく深呼吸をする。何分かそうしてるうちに、やっと呼吸が落ち着き、心臓の鼓動も緩くなってきた。
少し長引きすぎじゃないか、と思った。
もう二週間ほどになる。ずっと意地を張って来たが、ここまでくるとさすがに不安を覚えずには居られない。本格的に何かの病気なのかもしれない。冥土帰しに聞けば解るかもしれない。
しかし・・・それでも手の施しようが無ければどうすればいいのだろう。たとえば、無理やり成長させられたクローンに訪れた、特性の難病だったりしたら・・・
不安を振り切るように首を振る。今考えても意味の無いことだった。ごくりと唾を飲むと、のどの奥を、つんとした刺激と苦味が駆け抜けた。口内のぬるりとした感触が気味悪い。
とりあえず、何かで口をゆすごう。
番外個体は妙に泡立った吐瀉物に、ほんの少し意味ありげな視線を落とし、水洗トイレのレバーを引く。大量の水によって、泡と汚物はほんの数秒で下水管の中へと消えた。
携帯電話が見つかった。
どこにあったのか、といえば、洗濯機の中にあった。なんでもポケットの中に入れて、そのまま洗ってしまったらしい。しかも、見つけた打ち止めが乾かさずに電源を入れてしまっていた。
「こりゃ無理かもしれねェな・・・」
完全にブラックアウトしたディスプレイを見つめながら一方通行は呟く。学園都市第一位の頭脳を駆使すれば修理できないこともないが、通電してメモリが飛んでいるとすれば、使えるようになってもあまり意味は無い。
電話帳のバックアップはあるが、メールの内容はさすがに戻ってこねェかもな、とある程度被害の目算を立てる。
「ごめんなさい、てミサカはミサカは心からの謝罪を表明したり・・・」
「仕方ねェさ。俺の不注意だ。新しい奴買ってくるか」
なんとなく腑に落ちないものを感じるが、それでも事実として、携帯は洗濯機の中から見つかった。ということは、やはり忘れて脱ぎ捨てた服と一緒に突っ込んだのだろう。
「しかし参ったな・・・」
「どうしたの?ってミサカはミサカは何か危急の用事でもあるのかと問いただしてみたり」
「いや、昨日会ったときも番外個体は調子悪そうだったからな。少しからかってやろうと思ったンだが」
今から携帯電話ショップによって、新しい携帯を買って、データを移行して・・・とやりたいところだが、今日は今から外せない用事があった。一連の流れを行えるほどの時間的余裕は無い。
冥土帰しのところに行っていれば、状態も解るだろうか、と思い、打ち止めに電話をかけさせる。すると、何故だか恥ずかしがって打ち止めが受話器を持って奥の部屋まで引っ込んだため、通話が終わるまでコーヒーを飲みながら待っていた。
戻ってきて聞くと、「まだ番外個体」は着ていない、ということだった。
「それにしちゃやけに長い電話だったな」
「女の子にはいろいろと理由があるのだ!ってミサカはミサカは大袈裟に胸を張ってみたり!・・・ねぇ、調子だったら、ミサカネットワークでわかるかもしれないよ?ってミサカはミサカは提案してみたり」
「便利だなオイ」
「番外個体も最近はネットワークに接続しているみたい、ってミサカはミサカは説明しながらMNWにアクセーーース!!」
あらぶるワシのような奇妙なポーズと隣部屋まで聞こえるような大声を出し、そのままMNWから情報を収集する打ち止め。一部たりとも動かない彼女を一方通行が半目で静かに見つめる。
限りなくシュールな時間が五秒ほど続いた後、打ち止めがおずおずと言った。多少正気に戻ったらしい。
「・・・確かに番外個体はあんまり元気が無いみたい、ってミサカは悲しくなったり」
昨日の今日で治るようなもんでもないのだろう、と心配ながらも納得する。気を紛らわせるように、カップを手に持ちポッドからコーヒーを注ぐ。
「症状とかも解るのかァ?」
「吐き気、味覚の変化・・・」
一つ一つを挙げながら、だんだんと打ち止めの顔が険しくなっていく。怪訝に思いながらも、コーヒーを飲みつつ尋ねる。
「どうした?」
「・・・これって妊娠時の症状じゃないの?ってミサカはイヤーな予感に胸をざわつかせてみたり・・・」
「さすがにねェだろ」
「わからないよ?ってミサカは釘を刺してみたり。番外個体は美人さんだし大人びてるし、スタイルだってボンキュッボンでえろちっくなんだからお相手が居てもおかしくないよ!ってミサカは力説してみる!」
その可能性があるのだということは自分にもよく解っている。解っているんだ、と自分にだけ聞こえる声で呟く。そのままもやもやを押しとどめるように、コーヒーをのどに流し込むと、何故だか妙に苦く感じられた。
打ち止めは、多少の動揺を必死で隠そうとする一方通行を、じとっとした湿気に満ちた目で見ていた。
相手が自分を見ていないと確信できるからこそできるような、そんな暗い目だった。
「というか、妊娠最初期の症状なんてものは軽い風邪みたいなものだから、そこまでえげつない吐き気とかを感じることは無いんだよね。つわりはだいたい四週目くらいから出始めるのが普通だから、それまでは生理の遅れや基礎体温の上昇なんかで妊娠を知るのが一般的だよ」
「え?何の話?」
「いや、とりあえず説明しとかないと、後で突っ込まれるかもしれないからね。そういうことをされてしまうと、シリアス分がぼろぼろになってしまうんだ。あ、もちろん読んでくれている人を非難しているわけじゃないからね。そもそもちゃんと調べて書かないのがいけないんだ。間違えるやつが悪いんだ。」
なにやらよく解らないことをにこやかに力説する冥土帰しに着いて行けず、とりあえず番外個体は「はぁ、そうですか」と返事をする。その生返事にとりあえず満足したようで、急になんとなくシリアスな顔に戻って診察が再開される。忙しい御仁である。
「それで、強烈な吐き気と肌荒れ、胸のむかつき、のどの痛みが自覚症状だったっかな?」
「うん」
「味覚も多少変化したと。実際に口内、食道共にかなり荒れているね。で、症状が一週間以上続いている」
「そう。最初はただの風邪かな、とも思ったんだけどね。あんまり続くもんだから、ちょっと来てみた」
「なんですぐ来なかったんだい?」
冥土帰しはにこやかに言った。
「君が健康的に不安定な体質であることは、未だ調整を受けなければならないことからもある程度わかっているだろう?なのに、なんで来なかったんだい?」
「だから、ただの風邪だと思ってたんだって。悪かったとは思ってるよ」
その言葉を聞き、冥土帰しは彼女の目をじっと見つめる。番外個体はふっと目をそらし、参ったな、という風に頭を掻く。
「・・・次からは、体に異変を感じたらすぐに来て欲しいな」
「解ったって。約束するよ。で、診断は?」
「これだけじゃぁちょっと解らない。何と言っても、君は普通の人間じゃあないからね」
その言葉は、外に、この症状は簡単には治まらないかもしれないということを示している。普通のアプローチではなく、特別な手段が必要になる。
だからこそ、ただの風邪といえど気を抜くことは出来ない。ようするに、彼女たちはそれほどまでに朧な存在だった。普通の人が耐えられるはずの流れにも、容易く屈しかねない。とても不自由だ。劣等といっても差し支えない。
そんな枷をはめられた存在であっても、生まれてきたことは尊いと信じて、この医者は生きているのだろうな、と思った。
今となれば、彼女としても、その考えに依存は無い。この世界は尊い。とても。
「ほかに何か気づいたことはないかい?」
「気付いたことねぇ」
「なんでもいいよ。目覚めが悪くなったとか、すぐ目がかすむとか」
ううむ、と腕組みをし思い浮かべる。自分の体の不具合は全て伝えた。これは簡単なのだ。要するに、現在感じている不調を列挙していけばいいのだから。
それでダメとなると、今度は難しい。普段と違うところを挙げていけばいいとは解っているのだが、その普段の自分ってやつがなんなのか、正直よく解らない。そんなに自分を意識して日々をすごしているわけでは無いのだ。
必死でうんうんうなって考えた末、やっと思いついたことを無理やり言おうとしたが、やはり止めた。「ゲロが泡立っていた」という響きは面白いが、何かの役に立つとも思わない。
その裏に、大事にしたくないという感情があったことは解っていた。気持ち悪いが、死ぬほどでは無い。死なないのであれば、あの人にわざわざ心配をかけることも無い。
「・・・無いね。それくらいだよ」
「本当かい?」
「うん」
言いながら、冥土帰しの顔が急速に曇っていくのを見て、どうやらこれはまずいっぽいな、と思った。
ただ、その顔の険しさは。正直なところ想定外のものだった。もう少し、納得に近いものが良かったのだが、これだけシリアスな表情になるとは。
話を切り替えるかのように、切り出す。
「で、ミサカは何のビョーキな訳?そんな顔するってことは、当たりはついてるんでしょ?」
冥土帰しはしばし逡巡し、思考を巡らせたあげく、番外個体の質問には答えず内線を手に取る。
「もしもし・・・ああ、僕だよ。今すぐに胃洗浄の用意をしてくれ。至急だ」
聞きなれぬ言葉に少しだけ動揺した。
「・・・胃洗浄?」
「ま、念のためってやつだよ」
冗談めかして言った冥土帰しの顔は、言葉とは裏腹に全く笑っていなかった。
「・・・思ったとおりだ。まあ、本当は外れていて欲しかったけど」
冥土帰しがため息をつきながら、小さなビンに入ったサンプルを振る。ろ過抽出され、無色透明になった液体が、空気を含んで泡だらけになる。
「洗剤、だね。詳しく調べてみないとわからない」
「それが・・・」
「そう、君の胃の中から出てきたよ」
冥土帰しは役割を終えたそのビンを仕舞う。身になれぬ、しかも不自然なことを胃に課され、既に顔色を悪くしている番外個体の顔にショックが浮かぶ。
無理も無い。誰も、自分の体の中に洗剤がたっぷり入っているとなど思わない。
だけど、と冥土帰しは喉の奥で呟く。君は、君は知っていたんじゃあないかい?
もちろんそれは番外個体に聞こえない。だから彼女は戸惑いがちにこう聞いた。
「なんで・・・?」
「さあ?でも、食器とかに少し残っていた洗剤が溜まって・・・なんて量じゃあ無かったよ。ある程度まとまった量の洗剤を飲んでいなければ有りえない様な量だった。」
やっと実感が沸いてきたのか、番外個体は顔をしかめる。「おえ」と芝居っけたっぷりにえづくが、顔色は以前青いままで、逆に対処の仕様が無い陰鬱さを際立たせる。冥土帰しは笑わず、ただじっと彼女をみている。
「何か心当たりは無いのかい?何か変な味がするものを飲んだとか、食べたとか」
「心当たりって言われてもねぇ・・・」
そう言いながら番外個体は顎に指を当てて考えるそぶりをする。うーん。と声を出しつつ、悩んでいる。ように見える。
しかし、冥土帰しはある程度解っている。彼女には、既に何らかの心当たりがあるということに。
それでも言わないということは、やはり打ち止めの言うことは正しいのかもしれない。
番外個体が来る前に、打ち止めから電話があったのだ。最近精神的にすこしおかしくなっている個体が居る、という内容だった。
「・・・誰だい?それは」
「誰にも言わないで欲しいのだけど、番外個体なの、ってミサカは打ち明けてみたり」
番外個体が一方通行へ好意を持っている、ということは、冥土帰しもすこし知っていた。打ち止めからの情報によると、一方通行のほうはそうでもなく、かなり連れない態度を取っているという。
だから、彼の気を引くために、洗剤を飲み、体調不良を装っているようだ、というのが、電話の内容だった。MNW内の負の感情を集めてしまっているから、それにパーソナルの人格が耐えられていないのかもしれないと、それなりに理屈だったことを言ってはいたが、俄かには信じられない。
しかし、実際に彼女の胃から洗剤が検出されている。打ち止めがどんなに進めてもなかなか病院に来ようともしなかったらしく、自覚症状も教えてはくれたがひどく限定的だった。
なにより、洗剤を飲んだ量からして絶対に心当たりがあるはずなのに、それを言おうとしないことが、冥土帰しの確信を深めた。
しかし、確証は無い。証拠が無い以上、患者を疑うことは出来ない。
冥土帰しは考えをめぐらせる。
まさか洗剤を飲んでいたとは、と番外個体は衝撃を感じていた。そんなことが原因だったとは、かけらも思いもしなかった。
そんなイレギュラーな自体を、あんな曖昧な自覚症状を聞いただけで見抜く冥土帰しは、やはり人知を超えた名医である、といたく感服した。ただ、妙に洗剤の危険性を強調された。また、三日後に必ず診察を受けに来るとも約束させられた。
冥土帰しの手腕に驚くと共に、番外個体は恐怖を感じる。
『何か心当たりは無いのかい?何か変な味がするものを飲んだとか、食べたとか』
あった。あるのだ。番外個体には、何か変な味が、変な舌触りがするものを飲んだ覚えが確かにある。
そしてそれは、一方通行の家で飲んだ、水であり、牛乳であり、オレンジジュースであった。違和感はあったが、断らなかった。それは混じりけのない善意だと思っていたし、だからこそそれは受け入れなければならないと、そう思っていた。そして、それがどのようなシチュエーションで出されたか、その全てを覚えている。
あの時それを冥土帰しに伝えなかったのは、確証が無かったから、そして身近な人を疑いたくは無かったからだ。
何かいやな予感がした。それもとてつもなく嫌な予感が。
確かめなければならない、と番外個体は決意する。勘違いだとしても、確かめなければならない。何事も無ければ、それでいいのだ。それが一番いいのだ。
しかし、彼女は少しずつ追い詰められている。
夕日が沈む。
闇が。
”病み”が。
番外個体に、手を伸ばす。
「心が不安定?」
一方通行は何を言っていいか解らず、ただ冥土帰しが言ったことを鸚鵡返しに答える。
冥土帰しはその反応を見越していたように応対する。「ああ」。一方通行からは、未だにショックが抜け切っていない。
無理も無いのだろう、と理解できる面もあるが、それと同時に多少の苛立ちも感じる。
その苛立ちがどこから来ているのか、それを説明するのは容易いが、彼の信念はそれを許さない。
そもそも、簡単に自分へ帰ってくるような叱責など、する価値も意味も有りはしない。
それは逃避と同じものだし、逃げたからと言って何かが解決するわけでもない。
結局は誰かが向き合わねばならないのだ。それを人任せにするのは、冥土帰しの信念にそぐわない。
「・・・まあ、あくまで可能性が高い、というだけだよ。確かに条件は揃っているんだ。彼女はクローンだし、自己があやふやな部分もあっておかしくない。そもそも体こそ成長はしているけれど、精神は生まれて数年しか経っていないわけだからね。負の感情を集める、というイレギュラーもあるわけだから、一定のレベルのストレスがかかれば耐え切れなくなる、ということも十分有りえる話だろう。もっとも、僕にとっても初めてのケースだから、手探りにならざるを得ないのは情けないのだけどね」
そう、だから、本来ならば、もっと密に観察しておくべきだったのだ。
それさえしていれば、こんなに不確定な情報を渡すことも無かったし、より的確な対応が出来ただろう。
番外個体一人にそれだけの時間を割く余裕が無かったことは解っている。
ただ、事が起これば後悔せざるを得ない。それだけの話だ。
自分の無力さを痛感する、などと思い上がるつもりは無いが、だからといって前向きに受け止められるわけでもない。
「・・・彼女の胃から洗剤が検出されたよ」
「・・・はァ?」
「洗剤を飲んでいたんだ。随分と体調が悪かったらしいじゃないか。彼女は。なんで病院に連れてこなかったんだい?」
「それは・・・アイツが嫌がったからだ」
「だと思ったよ。なんで嫌がったのか、というのも、それを発覚するのを嫌ったから、というもので納得出来なくも無いね」
言葉の端々に棘が混じるのを、冥土帰しは止められない。目の前の聡明な白い若者も、それに気づいているだろう。
しかし、彼が冥土帰しを責める事は無い。その優しさと自責の念に付け込んで憂さ晴らしをしている自分には、ほとほと呆れる。
それがまた自己嫌悪を呼び起こすので、結局負の感情は消えずに残る。阿呆らしいどうどう巡りだ。誰も幸せにならない。
全く。僕はこれでも、医者だというのに。
冥土帰しはため息をつく。
「なンで・・・」
「うん?」
「なンで、アイツが自分で洗剤を飲んだと解った?」
「ああ、それは・・・」
しばし言葉が止まる。果たして言ってよいのだろうか、という疑問が急に湧いたからだ。
愚問だった。言わざるを得ないに決まっている。冥土帰しは閉鎖病棟のような場所に番外個体を突っ込む気など毛頭無い。
ゆえに彼女は自宅療養することになるが、その際に家族の手助けが必須である。だから今、こんなあやふやな状態で一方通行と話し合いをしているのだ。
打ち止めが彼と共に暮らしている以上、隠す意味は無い。だというのに、何故躊躇ったのだろう。
第六感、という奴だろうか。
「・・・打ち止めが見たらしい」
だとしても。その第六感が正しかったとしても、言わないなどという選択肢は存在しない。
「あァ?」
「番外個体が夜中に洗剤を飲んでいるのを、打ち止めが見たと言っていた。ひどく心配した様子で話してくれたよ」
「嘘だろ?」
衝撃を受ける彼に追い討ちをかけるべきか、冥土帰しは一瞬迷った。
ひどく個人的なことを、第三者である冥土帰しが明かしてしまっていいものか。
無論結論は決まっているのだ。明かす。それが治療に必要であれば、そうするべきだ。
それでも躊躇うのは、彼が人間だからだ。体の中身はメスを眼球で確認できるが、人の心の中身は解らない。
神業のような技術を持っていても、神ではない。神であれば、学園都市などという魔窟は出来ていない。
そんなことを考えながら、搾り出す。絞らねば、出てこぬ。
「・・・どうやら、君の気を惹きたかったようだよ」
一方通行の目がギラリと光った。彼の表情がむやみに酷薄さを増した。
この瞬間の罪悪感は、たまらなく嫌いだ。やらなければならないから、やる。
それだけを盾にし、人混みをまい進する戦車のようだ。正義を盾に、踏み込むべきでない場所へ、進み、壊し、荒らす、そんな存在。
「ふざけたこと言ってンじゃねェよ」
「・・・まあ、老人の戯言と思って聞いてくれると嬉しいんだけれどね?」
ここで彼を追い詰めない辺りが、冥土帰しが冥土帰しである所以であるのだが、得てして本人はそんな美点に気づかない。
それは他人への理解と通じているのだが、ただただ人の心を操った後ろめたさだけが残る。
「君にとって、妹達は、その名の通り妹のようなものかもしれない。
でも、男女であるということも、紛れの無い事実なんだ。君がそう認識していないからといって、彼女達の感情を蔑ろにする権利は誰にも無いよ」
一方通行は何も言わず、打ちのめされたかのように、ただ頭を抱える。
一度対応を話し合いたいので、時間を合わせてみんなで来てほしい、と冥土帰しは言った。
みんなというのは、一方通行と打ち止め、そして黄泉川、芳川のことだ。
「やることがやることだからね。命にかかわることをしないとも限らない。なるべく目は多いほうがいい。
幸い彼女も、人に見つからないように行動を起こしているわけだから、その隙が無ければこれ以上のことが直近で起こることは無いだろう」
「・・・大丈夫なのか?そうやって追い詰めちまって」
「大丈夫じゃなくなるだろうね。だから、それまでに解決への糸筋をつけるしかない」
冥土帰しが解決・・・もとい治療を急ぐのは、それが命の危険に繋がりかねないからだろう。
体調を崩すことを目的としている以上、目的が達せられなければさらにエスカレートするのは必然だ。
本来ならば、俺がもっと気を配るべきだったのだ、と一方通行は臍を噛む。自分が一人暮らしをはじめ、彼女から目を離した。
黄泉川と芳川は番外個体と一緒に住んでこそいるが、二人とも仕事が有る身で、一日中彼女の面倒を見られるわけでは無い。
言わんとしている事を悟るくらいの頭はある。要するに、あの家に戻るべきなのだ。戻った上で、家族内で相談し、交代で彼女の監視をしたほうがいい、ということだ。
そうすることに、特に不都合は無い。問題は、そうしなければならないところにある。
そうしなければならないような状況に追い込んでしまったことにある。
そうしなければならない状況に追い込むまで、何もしてこなかったことにある。
誰が。愚問だ。自分に決まっている。
そこに突き付けられているのは、自らが番外個体に対し、何の支えにもなっていないという現実だ。その現実を、見ようともしていなかった事実だ
信じられない。そう思った。だけど、そう感じた自らを信じられるほどに、一方通行は傲慢では無かった。肯定的ではなかった。そして何よりも臆病だった。一万人は殺戮したその記憶が、彼にその咎を課して離れない。
一方通行は両手をすり合わせ、せわしげに足踏みし、足首が草臥れるまで足掻き、
「・・・解った」
そして遂に、立派な立派なこの名医を疑うことが出来なかった。
。。。。
「しらなーいほうがーああましだったー」
打ち止めはご機嫌に歌いながら合挽き肉をこねている。
牛乳とパン粉、事前にみじん切りにしてもらったたまねぎなんかと一緒に。
指を怪我してから、包丁を触らせてもらえないので、刻み物系は一方通行が外出前に全部こなして行ってくれた。
だから彼女がやることは、材料をこね合わせて、形を整えておくくらいだ。
小さな手で、非力ながらも肉をこねるその姿は、非常にかわいらしさを感じさせるものだった。
「ふふふーんふふふーんふーんふーん」
歌詞がわからない部分は適当に鼻歌で済ます。
そうこうしてる内に、打ち止めはこねるのをやめ、適当な大きさを取り出して、形を整える作業に移る。
「しーんじつーはーあーしたもーわーたーしをきぃーっとー」
泣かせるだろう。
そう歌いながら、キッチンにパシンと音が鳴った。取り分けた肉を左右の手にたたきつける音だった。そうやって、空気を抜いていく。
ぱん、ぱんと小気味良い音が鳴る中も、打ち止めはかわいらしく歌っていた。
「まってるひとはいなーいーけーどー」
ぱしん、ぱしん。
一つ出来上がって、次の肉を手に取る。
ぱしんぱしん。ぱしんぱしん。
最後のフレーズを歌いきる前に、ハンバーグが三つ出来上がった。打ち止めは歌うのを止め、それらをお皿に並べ、ラップをかけて冷蔵庫へ仕舞う。焼き始めるのは、あの人が帰ってきてからでいいだろう。
ぱたん、と閉める。
黒い外装に反射し、自分の顔が移っている。微妙に曲面となっているからか、彼女の顔は横に引き伸ばされていた。なんだか、嗤っている様だった。
「・・・・・・」
黙って見続けても、どんな表情をしても、冷蔵庫に映った自分の顔は嗤い続けていた。
そっと右手でほほを撫でる。未だ洗っていないその手には、ひき肉の残りかすが脂と共に塗れ、すすす、となめくじが通り過ぎたような紋様を浮かび上がらせた。
その中に一筋、赤い筋が背骨のように通っていた。
何の色か。愚問だ。血に決まっている。
今日のハンバーグは特製だ。なんと言っても、私の血液が入っているのだから。
少しならば味も変わらないし、むしろ髪の毛よりもずっと大事な意味を持つのだと、どこぞのシスターが言っていた。
打ち止めはそんな記憶を反芻し、満足したように頷く。
そして、ぼそっと、最後のフレーズを呟く。
「・・・そーとはもっとーあめー」
歌い終わり、にこりと嗤った。
「うふふ」
---。
番外個体が家に帰ると、芳川がダイニングキッチンに座っていた。
奇観だ、と番外個体は思った。とはいえ、特に珍しい光景でもない。
彼女は家にいるとき、ソファに寝転がってその体を弛緩するに任せているか、もしくはダイニングキッチンでティーカップを片手に、
優雅だかニートだか解らないような笑みを浮かべながら、コーヒーだか紅茶だかを感想も無く口にしているかのどちらかなのだから、
むしろ馴染み深いとすらいえる。
実際には、その座り方は、多少の上品さと大半のだらけを交えた、なかなか難易度の高そうな居住まいだった訳だ。
さらに残念なことに、彼女の手の届く範囲に、湯気が立ち上るようなティーカップは見当たらない。
ついでに言えば、人間は何の理由も無く、ダイニングキッチンにたった一人で座らない。
休もうとしているはずなのに、休み難い場所に敢えて佇む。
なるほど、確かに奇観である。人がそのような奇妙さを構成する一翼を担うためには、そうなるだけの理由が無ければならない。
日常と現実を照らし合わせて、ババ抜きのように同じカードを捨てていき、残るものがあれば、
恐らくはそれが彼女を奇景の一翼とならしめた要因だ。
ババを自分が携えているときの後ろめたさは幾度か味わったことが有る。
同種の情が湧くことが、彼女の懸念を少しずつ濃くしていく。
芳川は、しっかりただいまを叫んで部屋に入ってきた影を見つめ、その上でわざわざ姿勢を正して言った。
「おかえりなさい」
ああ、こりゃ伝わってるな、と番外個体は思った。
一抹の期待をかけてはいたが、この不自然さが仮に自分と関連なき何かであるとするならば、これはもう天佑としか言い様がない。
身に過ぎた幸運だ。時と場合によっては、そんな神様の気まぐれを信じてもいいのだが、すべてを任せるほどの信頼度などもちろんありはしない。
自分が病院に行ったこと。そして恐らくは、症状や、原因も、彼女たちは知っているはずだ。
自分が冥土帰しのところへ行った時点でこうなることは解っていたし、納得も出来る。
何を差し置いても彼女は自らの保護者だし、家族だ。共に暮らす家族が病気になったことを知らない、などという状況が、不自然なものであるということは、クローンの自分でも十分理解できる。
私は自然でありたいのだ。たとえどんなに、出自がイレギュラーであったとしても。
とはいえ、これから事情を説明したりすることを考えればさすがにうんざりする。
包み隠さずすべて・・・といければいいが、そうもいかない事情がある。
「おう、いつの間に帰ってたじゃん?」
声と気配を感じつけて、黄泉川が奥の部屋から笑顔で出てくる。
何もそんなに頑張んなくてもいいんじゃないかな、と思った。それくらい、悲しいことにナチュラルでは無かった。
そのことに、少しだけ衝撃を受けた。
考えれば、彼女たちはどちらも独身だ。保護者としての経験はあっても、親として生活したことはあるまい。
悪がきを矯正したことはあっても、家庭、という狭くて密なコミュニティで発生した問題に、リーダーシップを取って適切に対処するどころか、それに対して頭を悩ましたことだってそう無いだろう。
確かに彼女たちは、家族というラベルを貼って生活している。
しかしそれは、自然に組みあがり、時をかけて醸成し、世界の中にバランスを保ちつつ根を下ろしたような高級な代物では無い。
吹けば飛ぶようなバランスの中で、必要に駆られた、というよりは、欲求に起因して無理やり組み立てられた、雨風をしのげるだけのテントに過ぎないのだ。
いつかはその場所に太い大黒柱が立ち、頑丈な壁と屋根を備えた安らぎの場が出来るかもしれない。
でも今はそのときではない。そこまで至ってはいないのだ、と番外個体は思った。
急に吹いた、得体の知れない風におびえるこの二人、そして自分が、それを如実に浮き上がらせた。
そんな、そんなか弱い場所に。
--- 大丈夫?ってミサカは本当に心配してみたり ---
この爆弾は、耐えられるのだろうか。
ゴクリ、と唾を飲む。
洗剤の、味がした。
不意に蘇った、ぬりりとした感触に、心臓の鼓動が跳ね上がる。
まだ残っていたのだろうか。そんなわけは無い。なにせ胃洗浄までしたのだ。
うがいだって何度もやった。だからそんなはずは無い。無いのだが。
もしも、と考える。吐き気がぶり返す。しかし、トイレに駆け込むわけには行かない。
それを悟らせてはいけない。いつのまにか口内からいずこへと去っていった唾を動員するが、上手くいきそうにもない。
「早く席につくじゃん。ご飯にするじゃん」
「あ、ごめん」
黄泉川に急かされ、番外個体は物思いから逃れて洗面所へ至る。
ばしゃばしゃ、と敢えて音を立てながら手を洗う。
あの二人がこちらを目で追っているのは、この音がうるさいからだ。そうに違いない。
普段はほとんどしないうがいの音も、がらがらと盛大に響かせる。
タオルを使わず、手を振って水を落とす。そこら辺は水浸しになるが、知ったことではない。
自分でも、何を考えているのかよく解らなかった。解らないまま椅子に座る。
「いただきます」
「いただきます」
その日、黄泉川と芳川は何も聞いてこなかった。
番外個体はそれに多少安心する。しかし同時に、これはひどくまずいことになるのではないか、という予感と懸念が湧き上がるのを感じた。
―――――。
次の日、道すがらに御坂美琴と会った。
「ありゃ、お姉さまじゃん。何してんの?」
「え、いや、ちょっとね。あはは」
ごまかそうと試みてはいるようだが、激しく動揺しているのはバレバレだった。
なんでかな、と考えるまでも無い。右手にはすぐそこのスーパーで買ったと思わしき食材がぱんぱんに入っている。
美琴は寮生活で、自炊することがそう多いわけではない。にもかかわらず何かを作るのであれば・・・
「・・・なに、ヒーローさんのトコ?」
「な、なんで解るの!?」
「いや、なんでって言われても」
ホントにばれないとでも思っていたのだろうか。
「・・・まあ、それはいいんだけどさ。大丈夫な訳?
この前長居しすぎて門限破って寮監に締め出されたときに、しばらく来るなって怒られたって言ってなかったっけ」
「べ、別に怒られて無いし!ちょっと注意されただけだし!」
「はいはい。で、その注意をしっかり守っていたお姉さまが、どんな心変わりでそんなに食料を買ったのか教えていただけませんかね」
割と傍若無人なところもある美琴ではあるが、それでも上条当麻に「やるな」と言われたことはやらないように心がけているはずだった。
なぜなら、彼に嫌われたくは無いからである。御坂美琴は未だに絶賛片思い中なのである。
「これは・・・その・・・あの、と、当麻が風邪で倒れたらしいから、あそこは大食いの同居人とかもいるし、仕方なく行かなきゃなって思っただけよ!それ以外に他意はないの!ホントよ!?」
「何?メールで来てくれって頼まれたの?良かったね、めっちゃ前進してるじゃん」
「ち、違うけど・・・でもなんか三日くらい学校にも来てないって土御門が・・・」
「風邪云々すらも推測かよ」
「うん」
「じゃあダメじゃん」
「でもこういうときにポイント稼がないとあのシスターに負けちゃうじゃない・・・」
その気持ちは解る。まるっきり構図が自分と同じなのだ。美琴もまた、一歩先んじられた焦りと共に、それでも諦めずに前に進もうとしている。
立場の似通う相手の境遇に、共感を抱かないわけが無い。
「・・・ま、いいんじゃない?お見舞いくらい。違っても笑い話になるでしょ」
「お見舞いって言えば、なんか最近多いのよね。
黒子は車に轢かれるし、佐天さんも急に上から落ちてきた鉢植えがぶつかって肩骨折しちゃったし」
「うっわ、呪われてんねぇ。ちょっと半径2m以内に近づかないでくださいね、不幸が伝染するから」
「ちょっとひどすぎない?それ」
うひゃひゃひゃひゃ、と指を刺してからかう。美琴も番外個体の口が悪いことを知っているから、呆れ顔で受け流す。
なんとなく心地がいい。どこまで踏み込んで良いのか、などといったつまらないことを考えず、ただ自然に話し、動く。
余計な思考が省かれたこのやり取りは、素敵だ。
美琴も。美琴も、冥土帰しに何かを聞いたら、黄泉川たちのようになってしまうのだろうか。
「・・・どうしたの?やけに元気ないわね」
「そんなことないんだけどね」
無理やりごまかす。ホントにごまかせると思っているわけではない。
ただ、美琴ならば、この誤魔化しに乗ってくれるかもしれないな、と思ったに過ぎない。
「・・・ま、いいわ。あんた、これから一方通行のところに行くんでしょ?」
「うん」
「やけにあっさり認めるわね。私の遺伝子なら、もっと、こう、面倒くさい感じに・・・」
「いや、ミサカ結構大人だからさ」
「はいはい。じゃあ、ついでにさ、一方通行にお礼言っといてよ」
「へ?何で?」
「佐天さんが、チンピラに絡まれた時に、助けてもらったんだって。しかも、三回。
あの子もどんだけ運悪いのよって話よねー。その末に骨折までするんだから、不幸としか言い様がないわ」
え、と口から漏れた。
番外個体は、誠に不本意ながら、表情から笑みを消してしまった。
そこにはむき出しになった畏れが浮かび、本能的に保とうとされた笑顔が唇の端でぴくぴくとのた打ち回っていた。
一瞬の後自分を取り戻したあとも、顔の筋肉は思うようにならず、出来の悪い福笑いのような、アンバランスな形状を維持していた。
「・・・あんたやっぱりどこかおかしいんじゃないの?」
美琴が心配そうに、そして訝しげに番外個体の顔を覗き込む。
佐天と一方通行の間に関わりがあった、という事実に、衝撃を受けていた。
まあ、この町はあまり治安が良いほうでは無いが、とはいえ三回は多い。多いが、ありえないというほどでもない。
不自然ではあるが、”常人ならば”わざわざチンピラに絡まれにいったりはしないだろう。だから恐らくは”偶然”なのだ。
そしてその三回とも一方通行が絡んでくるのは、まあ説明できる。一方通行の今の仕事は、黄泉川の見習いみたいなものだ。
通報を受ければ駆けつけるし、監視カメラに何か移れば直行する。
無論それをしているのは彼だけではないが、スピードや戦闘能力が突出しているため、自然と仕事量も多くなる。
だが、仮に。仮にだ。
それを”偶然ではない”と考える奴がいたとする。
彼女が・・・佐天が”一方通行に近づくために、わざわざ襲われた”と思い込んだ人間がいたとする。
普通では無い。常人ではありえぬ思考である。
だが、もしも居たとすれば・・・
それを排除するために、”頭の上に植木鉢を落とし”ても、おかしくは無いんじゃないだろうか。
たとえば、人に洗剤を飲ませるように。
番外個体は、表情を戻せないまま、なんとか呟く。
「大丈夫」
そう、大丈夫。まさか、まさか、ね。
その後、五分とたたずに御坂美琴とは別れたのだが、その状況たるやずいぶんと不自然なものだった。
正直なところ、上手くやれば、もう少し自分の動揺は隠せたのではないかと思う。
実際には、自分が衝撃を受けて立ち直れていないことを、いとも簡単に看破され、その原因を追究されてもそんなものをは無いと突っ張るばかりだった。
いまどき小学生でも、もう少しマシなごまかし方が出来るだろう。
こういうとき、やはり人生経験というのは大事だと感じる。
自分には、コミュニケーションにおける場数が足りていないのではないか、と番外個体は一人算段をつけていた。
今後、より多様な相手と、豊富な言語のやり取りをすることで、柔軟で自らの意図に沿う言葉の使い方が身につくはずだと信じている。
悲しむべきは、その”柔軟なやり取り”に対するノウハウが、今身についていなかったことだ。
あれではいくら訝しがられても仕方が無い。余裕の無さが如実に表れてしまった。一人目的のマンションへの道を歩く間にも、脳裏に酷く分の悪いシナリオが渦巻いて消えない。
居心地の悪い、芳川と黄泉川の笑顔が纏わりつく。
立ち止まる。目を瞑る。
首を左右から挟み込む、肩こりのような圧迫感が、無理やり背筋をやたらめったらに引っ張り、硬直させていた。
知らない間に、知らない場所に力が入っている。
自分で肩を揉んでも、大して改善しなかった。
諦めて、大きく伸びをし、背中を伸ばす。
崩れるように震える二の腕が、少しだけ筋肉がほぐれたことを伝える。
ついでに深呼吸をしよう、と息を吸い始めたが、クラクションの音で中断する。
後ろから車が近づいていた。いそいそと横に避けると、白の軽トラは耳障りなブレーキの異音を響かせながら、ディーゼルの濁った排ガスを、人を不快にさせるために調節させたに違いない温度でたたき付けていった。
風がそれらの痕跡を粗方捨て去った後には、当然のように、深呼吸をする気など消えていた。番外個体は再び歩を進める。
さて、と敢えて呟く。
自分は、今何をしようとしているのか。正直なところ、自分でも上手く掴めては居なかった。
一方通行の家に行く・・・と、とりあえず一応の目的はあるが、そこで何をしようというのか。
一方通行と話したい、という訳でもない。そもそもこの時間に、彼は居ない。
主の居ない家に、一体何があるのか。
主が居ないからこそ見える物も、あるのだろうか。
ある、と彼女は知っている。
いや、恐らくは、でも間違いなく"奴"が本来の姿を見せるのは、きっと主が居ぬ時だ。
かちゃり、とポケットに突っ込んだ右手が、冷えた鍵に当たる。
いっそ、無くなってはくれないだろうか、と下らない期待すら浮かぶ。
いや、無くならなくてもいい。例えば、道に迷うとか。道端に、産気づいてる妊婦さんが倒れているとか。道に迷ったおばあさんが途方にくれているとか。そういった、やむにやまれぬ事情があって、辿り着けない。そういう状況が都合よく訪れたりはしないだろうか。
まあ、しないだろう。それこそ、小学生と変わらない願望だ。てんで現実味が無い。
おかしいな、と人差し指で鍵を弄る。
これを貰った時、間違いなく、それは伝説の剣だった。これさえあれば、なんでも出来ると思った。欲して欲して溜まらないそれは、目の前のものをすべて切り払う力があった。目的の場所は遥か遠くでは会ったけれど、目指す資格は与えられたと信じられた。
今、その剣は光ずるずると濁ったものに変容させ、不気味な空気をまとい、部不相応な切れ味だけを自慢げに強調している。絶大な威力を発揮するけれど、いつのまにやら袋小路に迷い込まされる。
こんなはずじゃあ無かった。どこで誤ったのだろう。
それとも、なにも間違ってはいなかったのだろうか。
所詮は、こうなるしかなかったのだろうか。
ぴたり、と足を止めると、目の前にマンションがあった。
どんなに考え事に気を取られても、ここには辿り着いてしまう。体が覚えていた。
番外個体はその堂々たる威容を見上げ、一つだけため息をつき、すべての考え事を捨て、階段を上る。
一段一段階段を上るにつれ、知らず知らずのうちに胸中を保護していた、有象無象の理屈が、一枚一枚剥がれていく。
望まざるも、棘に塗れた本質が、少しずつ姿を現していく。
何故ここに来たのか。解っているが、解るのは面倒なのだ。
それは実に厄介で、扱いづらく、手にあまり、難解で、その上慎みが無い。
表れたが最後、解決するまで消えることが無い。
そしてなにより、どうすれば解決するのか解らない。
だというのに。
番外個体は足を止める。目の前に、見慣れたドアがある。
見慣れた埃の跡。見慣れた傷。見慣れた表札。間違えようが無い。
どれだけ似ているドアがこのマンションにあろうと、間違えるわけがない。
鍵を取り出しかけ、止めた。
敢えて呼び鈴を押してみる。理由は自分でも解らなかった。
合鍵を得て以来、聞く機会など無かった、懐かしい音が響く。
まるで別の部屋の前に居るようだった
中から可愛らしい声がする。ぱたぱたと足音が聞こえ、無防備なことに、外に居るのが誰なのか確かめもせず、かちゃりとドアが開く。
最後の期待も見事に蹴破られ、打ち止めが笑顔で姿を現す。
「あ、番外個体じゃん!ってミサカはミサカは驚いちゃったり。なんで合鍵を使わなかったの?ってミサカはミサカは今の今まで見ていたカナミンをすっぽかさなければならない事態を齎したことを憤慨してみたり」
「ああ、ごめん。鍵忘れちゃってさ」
「嘘でしょ?」
打ち止めが、それはそれは、壮絶な可愛い笑顔で言った。
「嘘だよね?本当は、この家の鍵は、アナタの右ポケットに入っているんだよね?
ヨミガワの家を出る前に何度も確認していたよね?途中でお姉さまに会った後も、
ずっと右手で弄繰り回していたよね?なのになんで使わなかったのかな?
ミサカに嫌がらせをしたかったのかな?ミサカがこの時間にカナミンを見ていることは、
ネットワークにつながっている個体なら全員知っているはずだよね?
途中で何度も立ち止まったり、妙にゆっくり歩いたりしていたみたいだし、
やっぱりミサカがカナミンを楽しんでいるところを狙ってきたようにしか思えないのだけど、
ってミサカはミサカは推測してみたり」
ぞっと、した。
何に、か。その露出に、だ。
まったく隠そうともしない、混じりけの無い歪んだ確信を、真正面から見せ付ける、その態度に、だ。
それでもまだ、なんとかなるんじゃないかと、態度を決めきれない自分との対比に、だ。
もう隠さないのか。お前は。
こちらは、まだ隠し続けてくれると。欺き続けてくれると思っていたのに。
「・・・なんで、そんな細かいところまで知ってるのかな?
ひょっとして、ミサカをストーキングしてる固体でもいるのかな。
レズの趣味は無いから、ちょっとお断りしたいんだけど」
このままぶつかったら不味い、ということは、うすうす解っている。
すぐそばの食器箪笥がカタカタと震えた。
理由はいまいち解らないが、要するに、帰れと言いたいのだろうな、と勝手に思った。
巻き添えを食いたくない気持ちはよく解る。
しかし、残念ながら今の自分に箪笥なんぞの意見を聞き入れてやる余裕などありはしない。
「話を逸らさないでほしいなぁ、ってミサカはミサカは困惑しちゃったり。
やっぱりミサカの推測は正しかったのかな?ってミサカは悲しくなってみたり。
ミサカの考えが全部当たっちゃってるから、そうやってどうでもいいことにお話を持っていこうとしているんでしょ?
そうだよね?番外個体ってそういうところは直したほうがいいと思うの、
ってミサカはミサカは忠告してあげるの。だってあの人、嘘をつかれるのが嫌いだって
言っていたもの。あなたのそういう癖をここで直しといて上げれば、あの人が感じるストレスも
すこし減るかもしれないものね」
打ち止めの言葉は、悠々たる清水のように途切れなく、更地に伸びる蟻の行進のように絶え間なく、そして無能な働き者のように、詳細で、綿密で、的を射ていない。
倒錯し、暴走し、それでもなお勤勉に頭脳を働かせているその様は、まるで。
まるで。
飛び出そうになる言葉を、済んでの所で飲み込む。まだだ。まだ駄目だ。
まだ駄目だが、しかし。
一体、何を言えば良いというのだろう。
何も。
何も思いつかない。
だから番外個体は。
「・・・洗剤、アンタでしょ」
「そうだよ」
自ら、世界を崩さなければならなかった。
「随分、あっさりと、認めるんだね」
「大丈夫だよ、アナタしか聞いていないし、レコーダーの類も持ってきてないみたいだしね。
それに携帯電話を忘れてくるくらい、ミサカへの嫌がらせに夢中だったみたいだしね、
ってミサカはにっこり優しく微笑んでみたり」
言われてポケットをまさぐると、確かに携帯電話の硬質な感触がどこにもなかった。
右手で頭を抱える。どれだけ抜けているんだ、アタシは。
考える、が、策もなしに妙案が浮かぶわけも無い。自然、対抗策はローテクにならざるを得ない。
そして、ローテクの中で、今の状況を証明できるようなもの。そんなものは無い。
何も言わないということは、もはやが手が無いということを証明しているに過ぎない。
だから言う。いわざるを得ない。それが、最後の癖に、どうしようもなく弱い切り札だとしても。
「・・・これをミサカが黙っているとでも思うわけ?」
これで駄目なら、もう終わりだ。
「全部言っちゃうよ?あの人にも、冥土返しにも、黄泉川にも芳川にも、お姉さまにも。
そしたら、アンタも困るでしょ?ひょっとして、ガキだからそこまで頭が回んなかったのかな?」
「何を言っているの?」
打ち止めが、初めて醜悪に嗤った。
「言えないでしょ?番外個体は。だって、あの人が好きなんだもん」
何も、言えない。
もう何も言えなかった。
「ミサカは知ってるんだよ?冥土帰しに心当たりは無いかって聞かれたでしょ?
でも、アナタは無いって答えたんでしょ?なんでかな?」
「・・・・・・」
「ミサカはね、知ってるの。番外個体は、あの人の生活を壊したくなかったんだよね。
あの人は昔とっても大変な目にあって、でも最近やっと身の回りも平和になってきて、
少しずつ落ち着くようになって来たよね。昔はいつもピリピリしていたけれど、
最近はなんだかとっても優しい笑顔をミサカにくれるんだよ?
アナタはあの人が、不幸になって欲しくないんだよね。
だからきっと、アナタはミサカを悪者になんて出来ないよ」
完全に見透かされていた。全くもってその通りだ。
番外個体は、恐らくこのことを誰にも言うことが出来ないだろうと、自分でもうすうす感づいていた。
彼女は、一方通行がとても不幸な青年だと、知ってしまっている。
周囲から疎まれ、嫌われ、謗られ、貶され、道具のように扱われ、おおよそ普通でない人生を怒ってきたことを知っている。
望まぬうちに、血みどろの闘争に巻き込まれ、命を磨り潰すことにたいする感傷を無理やり麻痺させ、下らぬバランスゲームに翻弄されてきたことを知っている。
その彼が、やっと安らぎを得たのだ。
それが仮初で、紛い物で、幻想に限りなく近かったとしても、そこで安寧を得たことに変わりは無い。
その場所を壊すことなど、出来ようものか。
「その気持ちはね、ミサカもすごく解るの」
苛立たしいことに、この少女も、一方通行の安らぎを構成する一つの要素なのだ。
「ミサカもね、あの人に悲しい思いをして欲しくないの。
あの人は優しいから、自分にすこしでも関わりのある人が死んじゃったりしたら、とても哀しむの。
だから、なるべくあの人の周りの人には、傷ついて欲しくないなぁ、って思うの、
ってミサカはミサカは本心を打ち明けてみたり」
「洗剤飲まされたアタシは胃袋がズタズタになってるんだけど」
やっとの思いで放った皮肉は、さも当然のように返された。
「でも、あの人は気づいてないでしょう?」
そして、番外個体は気づかれないことに全力を注ぐだろう。
「ミサカだって誰か指を折ったり、頭に植木鉢を落としたり、線路に突き落としたり、階段に転がしたりしたいなって思うときもあるんだよ?
これって、人間にとって当然の感情だよね、ってミサカはミサカは尋ねてみたり。
だってあの人はミサカのものなのに、勝手に近づいてくるんだもの。
あの人は優しいから誰でも邪険には扱わないけれど、でもあの人は心のそこではもっとミサカだけと居たいって思っているの。
そんなあの人の希望を、叶えてあげたいでしょう?だから、ミサカはなんとかしてあの人の願いをかなえてあげたいと思うのだけど、
ミサカが本当に誰かを怪我させちゃったらあの人は哀しむの。だからミサカは、そんなことは出来ないの。
だってミサカはあの人のことが大好きなんだもの。でも事故だったら仕方が無いと思わない?」
「普通の人間は”事故”で洗剤は飲まないけど」
「それは”あなたが勝手に飲んだ”んだよ?」
畜生。そこまで計算しているのか、この女は。
「感謝してね?ミサカが冥土帰しに、”最近番外個体が精神的に不安定みたいなの”って伝えておいてあげたから。
体調が悪のに意地を張って病院にも行こうとしなくて、あの人に無理やり行かされたら、
胃の中に洗剤が入っていて、理由を聞いても”心当たりは無い”なんて言うんだから、
冥土帰しじゃなくても感づくよね。
”ああ、こいつは自分で洗剤を飲んでいるんだな。それをしらばっくれようとしているんだな”って、
とミサカはミサカは自らの名推理を披露してみたり」
「穴だらけの計画だねぇ。上手くいくの?そんなの」
「いっちゃったんだよねぇ」
そうだ。
間違いなく、打ち止めが言った様なシナリオでことが運んでいる。
可能であれば誰にも知らせず、一方通行が知らないところで問題を解決しようとした結果、報告が遅れた。
自分の周囲の人間は、皆打ち止めの情報を既に聞いている。
半信半疑だろうが、番外個体が何か言った所で、もはや後出しじゃんけんだ。
番外個体の言うことに、最早信頼性など無い。
「ミサカもね、ホントはこんなことしたくなかったの」
そんなことを、この状況で、こんなにも悲しげに言えるこの女に、適うわけが無い。
敗北感よりも、徒労を重く感じた。
「でも仕方がないよね。あの人のそばにはミサカが居るべきなんだもん。
ミサカが居なきゃあの人はご飯も食べれないし、お風呂にも入れないし、トイレにもいけないし、
ミサカを撫でることもできないんだもの。あの人はミサカはとっても大事にしてくれるんだもの。
でもいろんな人があの人に近づいてきて、ミサカとの仲を引き裂こうとするんだよ。
ほんと嫉妬とかイヤになっちゃうよね、ってミサカはミサカは憤慨してみたり」
「引き裂こうとしたわけじゃあないよ」
ただ、私は見て欲しかっただけなのに。
「ミサカは思うのだけど、あの人もさすがにアタマがおかしい人の近くに居たいとは思わないんじゃないかなぁ。
夜な夜なおきて、洗剤を飲むなんて、信じられないくらい異常だよね。
そうやってかまって貰いたがってるなんて、狂ってるよね。
そんな狂っている人から付きまとわれたら、あの人も困るだろうなぁ。
ひょっとしたら、あの人は優しいから邪険にはしないかもしれないけど、周りの人は口さがないことを言うんじゃないかなぁ」
何が言いたいのかは解っている。解っているけれど、何もいえない。どうしても言葉が出てこない。
ひっく、としゃくりあげる音が聞こえた。力を目一杯にこめた、首が、頭が、背中が、拳が、震えた。
私は、ただ場所が欲しかっただけなのだ。あの人のそばに居ても問題ないような、そんな場所が。
自分が本当に欲しかった場所は、ひょっとしたら打ち止めのそこなのかもしれない。
そこを取られたのは、自分の怠慢と意気地の無さのせいだ。だから誰にも文句を言うことは出来ない。
それでも諦めたくなかっただけなのだ。だから、真正面からチャレンジしたのに。
適わないかも知れないと思いながら、それでも勇気を振り絞って戦ったのに。
相手は戦うことすらしないで、土俵に立つ資格を奪おうとしている。
こんなことが。
「こんなことが・・・」
あっていいのだろうか。
おかしいじゃないか。ここは、ここはそんな世界じゃないはずじゃないか。
「ミサカがね、番外個体に頼みたいのは一つだけなの、ってミサカはその一つを提示するよ」
打ち止めが、幾度目か解らぬ嗤いを浮かべた。
何度でも言う。その笑顔は、とても無邪気で、素敵で、可愛くて。
きっと神様とやらが笑顔を浮かべたら、こんな顔をするに違いない。
「もうあの人と会わないで。出来るよね?だって、アナタはあの人のことが大事だものね?
あの人がキチガイに付き纏われてるなんてうわさを流されるのは可哀想だものね?
それにあなたも、あの人に近づかなければ、指を折られたり、植木鉢を落とされたり、
階段から突き落とされたりなんて事故に遭わずに済むかもしれないよ?
それはとってもいいことだよね」
いいことなわけがないだろう、と思った。
泣きながら思った。
たぶん、これだけ涙を流したのは、生まれて初めてだろうな、と思った。
泣いていると、あんまりうまく呼吸が出来ないことを知った。
出そうとすると、どんな声も情けなくなることを知った。
打ち止めが、答えを促す。
「返事は?」
番外個体は、しゃくりあげ、震えながら、短く答えた…。
※そんな訳で安価です。
Q:番外個体の答えは、一体どちらでしょうか?
A「……はい」
B「……いやだ」
片方がハッピーエンド、もう一方はバッドエンドです。
因みにどっちがハッピーエンドかは内緒です。
週末はちょっと留守にするので、月曜日にこのスレを覗いたときまでの多数決で決めます。
因みに同数だったらバッドエンドに進みます。是非ご参加ください…
では。
ここいらで締め切ります。ありがとうございました。
というか、全部で7票くらいかと思ってたらめちゃくちゃ伸びてて焦った。
集計めんどい、とか思ってたんだけど、こりゃもう間違いなくBですね。
正確な集計とかはめんどいんで暇になったら数えます。ていうか誰か数えて。
正直言いまして、もともと淡々とバッドエンドに突き進んむ予定だったので、
ここからどうハッピーエンドに持ってくかってビジョンはぜんぜん無いんですよね。
伏線とかもぜんぜん張ってないし。
だから、それにはかなり強引な何かが必要になりそうだなぁ、と思うわけです。
もし番外さんがそれを引き当てる強運があるんなら、無理やりにでもはっぴぃえんどにしてやるぜ、っと思ったわけです。
個人的なアレで恐縮なんですが、このSSの番外さんは、なんだか臆病だな、と思います。
それより臆病なのが一方さんな気がします。でも、先に勇気を出すのも、きっと一方さんなんだろうな、と思います。
だから、いつか書くかもしれないハッピーエンドは、きっとそんな話になると思います。
そんな訳で皆さん。ごめんなさい。バッドエンドです。
悲しくて、吐き気がして、ひょっとしたら打ち止めだけは幸せになれるかもしれない、
そんな話になりそうです。うう、気が重い。
「・・・・・・いやだ」
それは、ぞっとするほど燃え滾り、灼熱の空気を携えて、耳に流れ込んだ。
「本気?ってミサカはミサカは念を押してみたり」
番外個体は何も答えない。
本来、この質問への答えに是も非も無い。yesだ。これ以外、彼女が言うべき言葉は見当たらない。
いろいろ策を練られたとは言っても、追い込まれたのは自らの責任だ。
自分が選択を間違え続けたからここまで来てしまった。
一番最初に、一方通行の言うとおり、意地を張らずに病院まで行っていれば、こんなことは起こらなかった。
だから、一方通行にまで迷惑をかけるのは、自分のプライドに似た何かがどうしても許せない。
そして、自分が一方通行に纏わりつくことは、彼の迷惑になるだろう。
だから、離れる。それ以外に選択肢は無い。
でも、言った。「いやだ」と
それは、果たして正しいのだろうか。
番外個体はじっと黙り、俯き、一体どうすればいいものかと、己が脳を素早く、乱雑に働かせる。
働いたからと言って答えが出るわけでも無いが、それでも考える。が、時間が足りない。
「本気なんだ」
生憎ながら、これは本音ではあるものの、本気であるかどうかは未だに自分でも解らない。
しかし、打ち止めの中では、番外個体はここまでされても引くことを知らぬ、雄雄しく猛々しい信念の女である、という認識が定まったようである。
強硬な相手を如何にして屈服させるのか。
そして、彼女が今までどのような手段を用いてきたのか。
「じゃあ仕方ないなぁ、ってミサカは残念な胸中を披露してみたり」
何を言えば、これを回避できたのだろう。
打ち止めが、手塩にかけて育てた牛を屠殺場へ送り出す農夫のような、そんな哀しみに満ちながらもどこか事務的な言葉を発すると、
奥の部屋から同じような顔をした、中学生ほどの少女が六人ほど出てきた。
妹達。奇妙にも、全員が耳にヘッドフォンを付けている。手には電気警棒やら、スタンガンやら、バットやら。物騒ないでたちだ。
もうどうしようもない。腹を括った。
自然に涙は消えている。
「言っておくけれど、逃げても無駄だよ?外にも7人いるからね」
「・・・随分と大所帯じゃん。そんなに大勢の人間を動かすくらいの人望があんたにあったんだねぇ。意外意外」
「ありがとう。ついでに、言うとお部屋の中には10人居るんだ。
みんなを隠すのは大変だったんだよ?ってミサカはミサカは苦労を思い出してため息をついてみたり」
「あっそ。・・・で、ミサカをどうするつもりな訳?」
「どうもしないよ?ただ、説得しようかな、と思っているの。
ミサカはあの人のことを考えないアナタと違って、一方通行のことが大好きだから、キチガイさんには近づいて欲しくないの。
でも、ミサカはおてての力じゃキチガイさんに適わないから、どうしようか困っちゃった。
だから頼んだら、妹達が是非協力させてくれって言ってくれたから、この部屋まで来てもらったの。」
眉尻を下げる打ち止めの周りを、無表情で、死んだ目をした妹達が取り囲んでいる。
いや、取り囲まれているのは番外個体の方なのかもしれない。良く見れば、彼女達は一人ひとり、じりじりとポジショニングを整えている。
きっと背後にも居るのだろう。
「 キチガイさんだったら、きっと自分の妹だろうがなんだろうが、怪我させてでもあの人に付き纏おうとするんだろうね。
でも、そんなのおかしいよね。そんなことしたら、あの人も大迷惑だよね。だから、ミサカはキチガイさんを説得しようと思うったの。でも、まあ・・・」
打ち止めの顔が、初めて歪んだ。
右側の、唇の端だけを、無理やり糸で引っ張り挙げたような、酷く歪んだ笑み。
やりたくて、やりたくて、でもやる機会が無くて。
ついぞその場にめぐり合ったと思いきや、あまりにやらなかったが故に不完全になってしまった。
そんな笑みだった。歪んでいる。歪みすぎている。
「聞き分けが無いのなら、すこしくらいお仕置きしなきゃね、ってミサカはミサカは心から嗤ってみるの」
じわり、と妹達がにじりよる。
もう逃げるしかない。幸い、能力は自分の方が上だ。包囲をぶち抜けば、道は出来る。
さて、どこをぶっ壊すか、とあたりを見回したとき、気付くのだ。
どの逃げ道にも、妹達が立っている。
故に、動きが一瞬止まった。
自分は、この妹達を躊躇無くなぎ倒すことが出来るのだろうか・・・。
その一瞬を利用して、背後から急速に間合いを詰めた妹達の一人が、番外個体の頭に躊躇無く鉄パイプをたたき付けた。
―――――。
―――――。
目を覚ますと、湿気た空気が鼻から入りこんできた。
ほっぺたに、何か冷たい板のようなものを押し付けられているような気がした。
しばらく状況を精査すると、それが床であることが解ってきた。要するに、彼女は今フローリングにほっぺをくっつけている。
快適さは欠片も無い。だから、自分が望んでそんな体勢を取っているわけでもなさそうだ。
たたずむ場所は暗闇で、奇妙な音が聞こえた。音楽とも。曲ともいえないような代物だ。
「目は覚めましたか、とミサカは問いかけます」
聞き覚えの有る声が聞こえたが、さすがに声だけでは誰なのか解らない。
なんといっても、似た声を持つ人間は一万人ほど居るのだから。
「・・・誰?」
「ミサカが誰なのか、というのは非常に深遠で微妙な問いであるように思います。
未だにミサカはアイデンティティーを持ちえておらず、自らの判断よりも重要な命令に縛られています。
その命令の元に動く個体が一万存在するのであれば、それはもはや個人ではなく、一つの生命として捕らえてよいでしょう。
ミサカはその生命の、たった一つの細胞に過ぎません。
故にミサカなりの定義で言えば、ミサカは妹達という個体であり、その中で12346号という役割を果たす存在、
ということになるでしょう、とミサカは自らの見解を伝えます」
「・・・難しい」
「そうです、難しい。しかし、思索は容易です。
問題は結果が存在しないことであり、思索が難解なわけではありません、とミサカは補足します」
とりあえず、番外個体に理解できたのは、彼女が12346号という個体だ、ということだけだった。
かなり変わった個体のようなので、多少興味深くもあるのだが、状況が状況だけに苛立ちを感じる。
妙に回りくどい物言い。頭の処理速度が追いつかないのか、ズキズキと痛みを感じる。
その頭の痛みで、先ほど誰かにぶん殴られたことを思い出す。そこから芋づる式に、自体の全貌がなんとなく見えてきた。
そういえば、何やら腕も後ろで縛られている。縛り方こそシンプルだが、人を拘束する方法としてはそこそこ有効にも思える。
「さて、今後のあなたですが」
12346号の言葉は、事務員のおばさんがマイクを通して「至急窓口まで来てください」というくらい心がこもっていなかった。
「現在のところ、すぐに取り蚊からなければならないことはありません」
「そりゃうれしいね」多少は軽口をたたく余裕が出てきた。
「そして、本日26時に、この部屋に五人ほど男性が来る予定です。」
途端に何を言えばいいのか解らなくなった。
「彼らは妹達が入手した、錠剤タイプの筋弛緩剤を保持しています。
試験的に14510号に投与した際は、30分ほどで効果が現れました、とミサカは人体実験の存在を公にします。
あなたは、今の拘束を受けたまま、この部屋に留まって頂きます。
私は男性が来ると同時に退室します。
そして、この部屋にあなたと、前述の男性五人の総勢六人のみがいる状況を作り上げます、とミサカは今後の予定を説明します」
「・・・何やれってのよ」
「それを決めるのはミサカではなく当事者です。
ミサカが出来るのは状況を作り上げることであって、未来を操ることではありません。
そこで何が起ころうと、それはあなたの意思と行動の上に伴った結果なのだとミサカは思うのです。
無論、それが願望に沿うものであるという保障は無いのですが」
その物言いは理解できなくも無い。
だが、ここまで見事にお膳立てをしておいて、その言い様は無いだろう、とも思った。
きっと、あまり教育上よろしくないことを考えて、こんなシチュエーションを作り上げたに違いない。
そして、番外個体が持つ、その流れに対するカウンターの手段はほとんど無い。
ちらり、と12346号が腕時計を見た。
「さて、あなたが自ら目覚めた結果、まだ多少時間が残っています。何か質問事項はありますか、とミサカは尋ねます」
「これ、外してくれない?」
言いながら、背中を見せて、そこに括られた腕をクイっと動かすと、12346号は機械的に首を横に振った。別に期待していたわけでは無いが、やはり多少落ち込む。
「何かほかに質問事項はありますか?」
「ん・・・いいや、何も無いよ。そういや、こんくらいクソな世界だったなって思い出した」
「クソな世界、とは?」
「ミサカ如きが頑張ったってシアワセになれないような世界ってこと」
12346号は意外そうな声を漏らした。
「ふむ、そういう言葉を聴くと、あなたもその他妹達と同じ部分を持っているのだな、と感じますね、とミサカは素直な感想を述べます。これで、ミサカの考える仮説も多少裏付けられたように思います」
「・・・あ、そ」
仮説、というのが多少気になるが、別にどうでもいいかな、と思い聞かなかった。
が、ふと顔を上げると、えらく期待に満ちた目がこちらを見つめていた。
「・・・聞いて欲しいの?」
「いえ、そんなことはありませんが、とミサカは本心を隠しつつ言い張ります」
「あっそ・・・で、仮説って何よ」
12346号がカッと目を見開いた。大して表情は変わっていないが、心の中では「よくぞ聞いてくれました」とでも思っているのだろう。
こんな状況でありながら、多少の可愛げを感じる。
「あなたは、自らのことを人間だと思っていますか?」
「・・・はぁ?」
「実のところミサカは自分が人間であるとはどうしても思えないのです。
冥土帰しも、一方通行も、お姉さまも一方通行も、皆ミサカ達を人間だと定義していくれるのですが・・・どうも納得が出来ません」
腕を組み、深く頷くその様は、奇妙でぎこちなくはあるが、しかし何故だかとても人間らしかった。
なのに、多少の切なさを感じるのは何故なのだろう。
「要するに、ミサカは”人間らしく無い”のです」
番外個体の印象とは正反対のことを、自慢げに12346号は言った。
「故にミサカは思索しました。果たして人間らしさとは一体なんなのか。
その為にはまず定義をしなければなりません。そしてそれは、妹達には無く、お姉さま達にはあるものでなければなりません。
出生や成長過程の違いは適当では有りません。何故ならば、らしさ、とは内面の問題であるからです」
「あっそ・・・で、結論は出た訳?」
「はい」
無感動な声なのに、昂ぶりが感じられる。
番外個体は思った。ひょっとして、結構貴重な体験をしているのじゃないだろうか。
そんな感慨を踏み越え、12346号は言った。
「ミサカには、現状を変えようとする意思が無いのです」
そう言って、満足げに頷く。
「ミサカ達は皆、現状を受け入れることを基本線として行動しているように思います。少なくともミサカはそうです。
心の奥では何かを求めていたとしても、それを得るために現状を変化させることを避けます。
具体的に言えば、ミサカは一方通行にある程度の好意を抱いてはいますし、恋愛映画などで見られるようなお付き合いをしてみたいという願望もありますが、
それを叶えるために具体的なアクションを起こすつもりはありません。
何故ならば、ミサカと一方通行ではつりあわないということを理解しているからです、とミサカはぶっちゃけます」
「ちょ、ちょっと待って!?今なんかすごいこと言わなかった!?」
「他にも10032号は上条当麻に明確な行為を抱いてはいます。しかし、口ではお姉さま達と張り合っていますが、心の底では諦めており、
現在はお姉さまとコミュニケーションを取る為の手段でしか有りません。上位個体ですら、求めるのは現状維持であり、それ以上でも以下でも無いのです。
そして、それを不満に思っていない点が、人間とミサカ達を分かつ大きな要素であると思います」
ちらりと打ち止めの、最後に見せたあの笑みが頭を過ぎる。
つまるところ、番外個体が現状を崩そうとしたからこそ、打ち止めはああなった、と言う事なのだろうか。
「様々なサンプルから検証を重ね、ミサカはこの仮説をくみ上げました。
5000パターンほどを検証した結果、この理屈はどうやら確からしいということが解りました。
しかしたった一つだけ傷があるのです。それがあるため、これはいかなる思考経路を用いても推測のままであり、事実にはなりえないのです」
「・・・ふーん。まあ、でもどうしようもないこともあるんじゃない?あたし達がクローンだって事実は変えられないしねぇ」
「本当にそうなのでしょうか?」
「そりゃそうでしょ。過去は変えらんないよ」
「本当に変えられないのでしょうか?
ミサカ達は、変える努力もしていませんし、変えようとすら思っていません。
その状況で”変えられない”と判断するのは、何か間違っているのではないでしょうか。
可能性を追求しているかどうか、という問題です。ミサカ達が全力を駆使し、
長期間思考を続ければ、時間を戻す方法が見つかるかもしれません。
しかし、ミサカ達はそんなことをするつもりはありません。そうなったらいいな、と思いながらも、
何もしないことに痛痒を感じない。つまるところ、それがミサカの欠陥であり、
人間らしくない所以なのだ、とミサカは考えます」
「めんどくさい個体だなぁ」
「否定するつもりはありません、とミサカは・・・」
ぴんぽん、と来客を告げるベルが鳴った。
12346号は言葉を止め、何か考えた後、腕時計に目をやる。
「どうやら、時間のようです、とミサカは事実を伝えます。ミサカは離脱します」
「あっそ」
「因みに、これは独り言なのですが」
12346号はそう前置きして、こんなことを言い捨てた。
「向かいのマンションには上条当麻の家があります。発見されると面倒ですので、カーテンは開けないでください。あと、問題ないとは思いますが、ここは二階です。飛び降りても上手くいけば怪我をしないでしょう」
「え・・・?ちょ、ちょとまって!?それってどういう・・・」
12346号は、振り返らずに部屋から出て行く。
―――――。
鍵を開けると、チンピラ風の若い男が六人、ニヤニヤした顔で立っていた。
「・・・五人、の約束だったはずですが」
「細けぇこと言うなよ」
そう言って、一人が凄んで顔を近づけてきた。ちらりと、微妙な太さの腕を見る。大して努力をするわけでもなく、自然についたような、そんな筋肉だった。
無感動にその腕を見ると、向こうは威圧されて目を逸らしたと取ったらしく、下卑た声でゲラゲラと笑った。
「・・・まあ、いいでしょう。こちらです」
男達を先導し、先ほどの部屋へと案内する。当たり前だが、変わらず番外個体が寝ていた。
「明朝の八時には来ますので、それまで絶対に彼女を逃がさないでください。特に規制事項はありません。
前後左右の部屋は開けてあります。この部屋全体にはキャパシティダウンを流してあるので、能力は使えません。
よろしいですか?とミサカは確認します・・・ああ、すいません。無能力者でしたね」
「・・・バカにしてんのか?あァ!?」
「いえ、滅相もありません。あくまで確認です。事実の確認は嘲りではないと認識していたのですが」
12346号は、言いながら小さなビニール袋を取り出した。中には三錠の白い錠剤が入っている。
「筋弛緩剤です。一錠で十分ですが、予備に三つ入っています。効果が現れれば、拘束は外しても問題ないでしょう」
「どれくらいで効くんだ?」
「そうですねぇ・・・」
12346号は少しだけ考えるそぶりを見せた。
「10分くらいだったように記憶していますが」
男の一人がひったくるようにそのビニール袋を取り、早速錠剤を番外個体に飲ませようとした。
12346号は、それを冷たい目でじっと見ていた。番外個体は特に薬を飲むことに抵抗している様子も無い。ただ驚いたような目でこちらを見返していた。
「・・・んだよ。まだあんのか?」
「ひょっとして仲間に加わりてーのか?」
下らない冗談に、六人の男が一斉に笑う。
「いえ、お邪魔いたしました、とミサカは皆様に退室を告げます」
12346号は、振り返らずに部屋から出て行く。
―――――。
12346号は部屋を出ると、階段を上に登った。
特に何か意味があった訳でもない。ただ、どこにも行く場所は無かった。あっても、そこには行きたくは無かった。
だから、屋上へ行った。六階建てのマンションだった。
言ってみると、柵は思いのほか高かった。しかし、端のほうに人が一人通ることが可能な穴が開いていることを12346号は知っていた。彼女はその穴を抜け、屋上の縁に立つ。
これ以上近づいたら吸い込まれるかもしれない、そんなことを感じ、20cmほど離れたところで立ち尽くす。
下らない夜の光景だった。
縁から見渡したところで、閑静な住宅地で、真夜中に動くものなど見つからない。
街頭も乏しいし、そもそも彼女が見下ろすのは、ベランダに面した駐車場だった。
12346号はその駐車場を見つめた。ふと腕時計を見ると、先ほどあの部屋を出てから五分ほどしか経っていなかった。
それから十分後、少しだけ怒声が聞こえた。
あまりに聞こえた音は小さくて、一体何を言っているか解らない。が、どこかの誰かがこんな真夜中に、窓を開けて大声で叫んでいるようだった。
そして、駐車場を走る人影が見えた。
その人影は妹達と似ていたが、彼女より多少成長しているようだった。
「ふむ」
12346号はあごに手を当て、嘆息する。
「やはり、傷は傷のままでしたか、とミサカは感慨を抑えきれずに一人呟きます」
人影は――番外個体は、上条当麻の住んでいるマンションの影に消えていく。
彼女は現状に安寧とすることを良しとしなかった。もてる力の限りを尽くしてあの部屋から逃げ出したのだろう。
まだ薬が効ききっていないとはいえ、あの状態から逃げ出したのだから、大したものだ。
それは、世の中に仕方の無い事など無いという、雄弁な証明であるように、12346号は感じた。
さて、そんなことが、自分にもできるのだろうか?それとも、番外個体だけが、ミサカの中で特殊な個体なのだろうか。
同じように生まれたにも関わらず?
その数分後、遅れて出てきた先ほどの馬鹿な男共が、騒がしく怒鳴りあっていた。
何を話しているのだろうか。自分たちの不注意や弱さを棚に上げ、お互いに責め合っているのだろうか。
それとも、いたいけで素性も解らぬ少女の戯言に騙され、獲物に逃げられたことを憤っているのだろうか。自分如きが人を操れたのだとしたら、それもなかなか愉快なことだ。
「やれやれ、思索ははじめからやり直しですね、とミサカは残念な思いを隠せません」
その声は、やはり感情が篭っていなかった。しかし、何故だか不思議と楽しげだった。
――――。
めちゃくちゃ体がだるかった。
手にも足にも力が入らない。これでいて、まだ薬が効ききっていないというのだから、参ってしまう。
しかし、足を止めるわけにはいかない。そんな余裕は無い。
「ちくしょう・・・」
この感じでは、どの道遠くまで行くことは出来ない。
一瞬道路に出てタクシーでも、という考えも過ぎったが、閑静な真夜中の住宅街に、
きまぐれな車がたまたま通りかかる幸運に賭けれるほど、あのクソ野郎共が待っていてくれるとも思えない。
であるならば、やはり近くの知り合いの家に転がり込むべきだろう。
それに。
(確か、お姉さまは上条当麻の家に行くって言っていた筈・・・)
今の番外個体を、周囲の目は精神病患者としてみている。
だとすれば、見知らぬ人の家に転がり込んで、何を訴えたところで全てを戯言と処理されてしまう可能性が高い。
しかし、ひょっとして美琴であれば、しっかり自分の言うことを効いてくれるのではないか、という期待があった。
無論それは、大した根拠も無いのだが、しかし赤の他人に頼るよりはよっぽど現実味がある。
上条当麻の部屋の番号は覚えていた。以前、一方通行へ連れられてきたことがある。
あの時は、確かみんなを集めて鍋でもやろうと打ち止めが言い出して・・・。
止めよう、と首を振る。今考えることでは無い。
思うように動かない体で階段を登り、やっとのことで部屋の前まで辿り着く。
当たり前だが、ドアには鍵がかかっていた。しかし、もれてくる光を見るに、中の人間はまだ起きているようだ。
罠かもしれない、なんてことは解っている。
だが、他の選択肢は無いし、あの時の12346号の言葉を、なんとなく疑いたくない自分が居た。
彼女は自分で何かを考えた上で行動しているようだった。
であるならば、自分は12346号の不興をかったわけではないのだから、わざわざ罠にはめられる理由が無い。
そう思うことにした。
祈るような思いでチャイムを押す。
ぴんぽん、という、音が聞こえた。この音を聞きつけて、奴らが来てしまうのではないか、とも思ったが、耳を澄ましても何の音も聞こえない。
どうやらまだ時間はありそうだ。
ほんの少しだけ安心し、もう一度チャイムを押そうとしたときに、ガチャリと鍵が開く音がした。
「ううう・・・眠いんだよ」
眠そうな目を擦りながら、インデックスが出てきた。
「・・・わーすと?どうしたの?こんな世の中に」
「いや、ちょっとね」
さすがにインデックスに事情を話す気にもなれず、すこし言葉を濁すと、怪訝げな笑みを帰された。
まあ、当然といえば当然だ。面識こそあるが、ぶっちゃけた話、番外個体が一人で部屋を訪ねてくるほど親しくなど無い。
でも、ここ意外に寄る辺が無いのもまた事実だ。さて、なんと説明したものか、と番外個体が悩んでいると、乱れた衣服や、飛び出す際についた擦り傷を見て、インデックスが鋭く言った。
「・・・ひょっとして、誰かに追われてるの?」
「あー・・・」
もう、これは誤魔化しても意味が無いだろう。
「・・・ま、実はそうなんだよね」
「入って」
インデックスが体を寄せ、道を開けた。断る余裕など無かった。
悪いね、と呟きながら玄関に入るが、そこにある段差を超えるだけ足を上げることすら出来なかった。
自分でも驚いているうちに、けっつまずいてすっころぶ。
「だ、だいじょうぶなのかな!?」
「・・・いや、ごめん。ちょっと安心しちゃってさ」
「起きれる?」
「まあ、頑張れば」
壁や下駄箱に掴まりながら結構必死に体を起こすと、インデックスが肩を貸してくれた。
「大丈夫だよ」
そう言ってニコリと微笑む。天使のような笑みに見えた。
「ここにはとうまの右手があるからね」
なんとなく、それで安心した。その感覚が、とても懐かしかった。
考えてみれば、ここ最近は考えなければならないことが多すぎた。
だというのに、時間は余りにも少なかった。
この部屋に居れば、とりあえずは考える時間が得られる。
そして、ささやかだとしても休息を得ることが出来るはずだ。
「あれ?上条当麻は?」
「当麻なら、今お風呂に入ってるんだよ」
言われてみれば、シャワーの音が漏れ聞こえていた。
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。
「・・・家主の許可とんなくていいの?」
「困ったときはお互い様なんだよ」
その表情は、二人の間にある確かな信頼関係を想起させて、多少の羨ましさすら沸き起こる。
お姉さま、あんたのライバルは結構強敵みたいですよ。
そんな軽口が思い浮かぶくらいの余裕が有り難かった。
インデックスに力を借りて、ぱたり、とベッドに倒れこむ。
柔らかいマットレスに頬を埋める。完全に薬は聞いていた。
もう動けない。動きたくない。目を閉じる。このまま寝てしまいそうだった。
ああ、起きなければ。せめてお姉さまが来るまでは。来て、事情を話して、見方に引き入れて、少なくとも中立まで持っていって。
やっとそれで、今日のところの身の安全が保障される。
そんなことを考えて、自分を律しても、この眠気には勝てそうにも無い。
それは最早、生理的で、本能的で、不可避の感覚に思えた。学校に行く前に、どうしても二度寝してしまう、その感覚に似ていた。
「わーすと」
インデックスが、自愛に満ちた声で言った。
「安心して寝ていいんだよ。そばについててあげるから」
くそう、と番外個体は思った。ちょっと適わないなあ。
そう思いながら、彼女はいつしか眠った。
目を覚ますと、本当にインデックスが横でにこにこ笑っていた。
置いてあった時計を見ると、26時45分を指している。
自分が駆け込んでから、だいたい30分くらい、という所だろうか。
緊張の中にあったせいか、眠りはかなり浅かったようだ。
「よく眠れた?」
「・・・ん、まあまあかな」
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。
体を起こす、というシンプルな動作にも結構な労力が必要ではあった。
しかし、起こせた。なんとか無理が利くくらいには回復しているらしい。
しかし頭痛が酷い。上手く演算が出来るのかどうか、正直なところ試す気にもなれない。
どちらかといえば、こちらの効果を狙った薬だったのかもしれない。
となれば、自分の力だけでは限界がある。誰かに助けを仰ぐ必要がある。
でも、何かが頭に引っかかる。今必要なのはそれでは無いと、頭の中で誰かが叫んでいる。
酷い頭痛が、思考を邪魔する。
何を、何を見落としている?
「そういえば、今日お姉さま来なかった?」
とりあえず、聞くべきだと思ったことを聞いてみる。
インデックスと上条当麻は信頼できる相手ではありそうだけれど、身内では無い。所詮は他人だ。
100%心を許すことは出来そうに無い。
それにいくら上条当麻とはいえ、数人の男相手では分が悪い。
美琴であれば火力の面でも申し分ない。そこいらのスキルアウトにも、妹達にも負けることはないだろう。
インデックスが勢い込んで立ち上がった。
「美琴なら、ちょっと前に出てったばかりかも!呼んでくるよ!」
そして、返答はかなりベストに近いものだった。帰ったばかりなら、そう遠くまで行っていない筈だ。
思わずガッツポーズが出そうになる。
ただ、インデックスが外出しようとしていたので止める。
「ちょ、今外出ると危ないよ。電話で呼ぼう」
インデックスは、惚れ惚れするほど猛々しく言った。
「大丈夫だよ。危なかったらすぐ逃げてくるから」
そう言われ、ポカンとした番外個体を尻目に、風のように出て行く。
止める間もなかった。というより、止める力も無かった。
かみそりで切りつけられたような罪悪感がさっと肌を撫でた。
しかし、どうすることも出来ない。
今走って間に合う、ということは、美琴が帰ったのは、番外個体が来る直前だったのだろう。
それならば近くに居てすぐみつかるはずで、そこまでの危険もないはずだ、と自分に言い聞かす。
でも、やはり何かが頭にかかっている。
頭痛とは別の部分で、脳みそのどこかに不愉快な棘を撒き散らしている。
何だ?
何がおかしい?何が狂っている?
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。
ひょっとして。
ひょっとして全てが狂っているのだろうか。
不吉な想像にぞっとする。まさか、そんなわけが無い。あるはずが無い。あるはずが無いのだ。
力を尽くしてあの部屋から逃げ出し、必死の思い出辿り着いたこの場所が袋小路であるなんて、そんな訳が無い。
この部屋は間違いなく上条当麻の部屋で、彼は理由も無く人を売るような人間じゃあ無い。
インデックスだって善良で、平等な人間だ。しかるべき理由が無ければ、知り合いを窮地に追い込んだりはしない。
それに、お姉さまも来る。
冷静に考えれば、門限がある彼女が未だこの近辺に居るのは不自然だ。不自然だが・・・そうだ。
お姉さまは割りと門限破りも頻繁にしているようだし、つい長井をし過ぎたのだろう。
で、遅くなったから、折角だから泊まって行け、なんて言われて、舞い上がったんだろう。
そして、小腹が空いて、すこし買出しに行った、とか。そんな感じに違いない。
そう、そうに違いない。あと五分もすれば、インデックスと一緒にお姉さまがやってきて、話を聞いてくれて、
疑いつつも中立を保ってくれて、そしたらやっと安心して寝られるんだ。そうに違いない。
違いないのに。そうに違いないのに、何が引っかかっている?何を見落としている。
何を忘れているのだろう?
そんな不安を振り払うように頭を振ると、出窓が目に入った。
さっきまでは気にも留めなかったが、方角的に道路に面した位置に設置してある。
覗けば、ひょっとしたらインデックスがお姉さまを連れてくるのが見えるかもしれない。
見えたら少しは安心できるだろうか。
そう考えたとたん、自然に体が窓のほうへと擦り寄った。多少の期待を抱いて、出窓から外を覗く。
深夜ということもあり、外は誰も歩いていなかった。
例の男どもの姿も無い。かなり注意してみてみたが、見渡せる限りでは妹達の姿も無い。
そんな全く無人の道に、人影が現れた。さっきこの部屋を出ていったばかりのインデックスだ。
まだインデックスがここらに居て、かつ道に人影は無い。
ということは、彼女が美琴を連れて戻ってくるまでには、すこし時間がかかりそうだ。
念のため、鍵を閉めておいたほうがいいかもしれない。
などと考えていると、インデックスが足を止めた。
おや?と思い、注視していると、足を止めたのは、丁度ゴミ捨て場の前だった。
インデックスは、そのゴミ捨て場をがさがさと漁る。
しばらくいくつかのゴミ袋を持ち比べた挙句、一つを選び出し、中身を確認する。
お目当てのものが見つかったらしい。
その時、番外個体は、インデックスがにやりと嗤ったのが、確かに見えた。
見えるはずが無いのに。
インデックスは、そのゴミ袋を手に取ると、きびすを返し、今来た道をたったった、と走る。
もうすぐ、”美琴を連れてくる”と言った彼女は、この部屋まで戻ってくるだろう。
あのゴミ捨て場で見つけた、ゴミ袋を一つ取って。
気づくと手が震えていた。
不意に現れた、辻褄の合わない何かが齎そうとする現実が、番外個体の目前にはっきりと広がっていた。
何が、と呟く。
一体、何が起こっているのだ。
頭がついていかない。意味が解らない。何故そんなことをする?何故ごみ袋を持ってくる?
あの笑顔は絶対に作り物ではなかったはずだ。じゃあ、一体、何故?何が?どうして?
呆然と、いつの間にやら再び無人になった道を見つめ、混乱に訳がわからなくなっていたその時。
不幸にもふと気づいた。
何にか。
ずっと頭に引っかかっていた、ものに、だ。
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いていた。
そう、響き続けている。
そういえば、番外個体がこの部屋に入ってきたときも、
―――静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。―――
あの音は、していたのでは無かったか?
さらりと、亡霊の冷たい手のひらが、脳みそから無理やり熱を奪っていく―――。
ざあざあと、ひと時の揺らぎも無く、シャワーの水が浴室の床をたたく音が聞こえる。
その音はいつまで行っても変化が無い。つまりは、ずっと同じものを叩いていると言うことだ。
どくり、と心臓がなり始める。喉の奥が、きゅっと引っ張られた。
溜まっても居ない唾を飲み込むと、大きな空気の塊が胃に落ちてくる。
嫌な予感がする。
そして、この嫌な予感は、今日悉く当たっている。ありがたくも無い予知能力だ。
番外個体は震えながら立ち上がる。
そして、壁伝いにゆっくりと浴室へ近づく。
ざあざあと鳴るシャワーの音が、少しずつ近づく。
一歩一歩、浴室へ近づくにつれ、床が冷たくなっていく。
ひんやりとした感触が、足の裏を通してふくらはぎへと上ってくる。
見てはいけない、と何かががなり立てる。そう、見てはいけない。きっと見ないほうがいい。
それも解る。だが、それでもひきつける何かが、あの音にはあるのだ。おぞましい何かが。
遂に、浴室の前まで辿り着く。
ざあざあと、以前変わらずシャワーの音がする。
曇りガラスの向こうには、当たり前のように人影があった。
しかし、あるだけだ。黒い影のようなそれは、たたきつけるシャワーの水流を欠片も乱さない。
そして、その人影は恐らく、”座っていない”。
心臓が、どくり、どくりと、波打つ。ねっとりとした血液が、むりやり体中に送られるのを感じる。
そっと、浴室のドアに手をかける。
ゆっくり、ゆっくりと戸を開ける。
空けた先には、浴室の床に寝転がり、シャワーの水を浴びる上条当麻の姿があった。
番外個体は、その姿を見たとたん、ああ、これは死んでいるな、と判断した。
上条当麻は仰向けに寝転がり、苦悶に満ちた表情を体に貼り付けていた。
腹部は切り裂かれており、いくつかの重要な臓器が切り取られていた。
切り口は酷く雑だった。切り分けてから整えればいいからと、とりあえず包丁でぶつぎりにしたような、そんな粗雑さだ。
当たり前だが、治療目的では無いだろう。そもそも、治療のために、浴室で心臓を切り取るバカは居ない。
流され続けたシャワーは、その肢体から発されるべき匂いを、不思議なまでに消していた。
きっと当初は、あふれ出る血液を、この水流が必死で押し流していたのだろう。
今となってはその水は、腹部に溜まっているくせに場違いなくらい透き通り、ひょっとしたら飲めるかもしれないと、錯覚するくらいだ。
溜まった水に、まだ切り取られていない腸がぷかぷかと優雅に浮いていた。長の先っぽだけは、他よりも切り口が異なっていた。
なんとなく解る。たぶんあれは、歯形だ。おそらくインデックスの。
「うぐ」
そんなことを考えながら、吐いた。
激しく吐いた。胃が空になり、胃液がつき、空気まで吐き出してぺしゃんこになるまで吐いた。
どんなに吐いても吐き気は収まらなかった。
落ち着こうとするたびに、先ほど見てしまった浴室の光景が脳裏に蘇った。
もういやだ、と思った。
気づくと、激しくしゃくりあげている自分が居た。
まただ、また涙だ。昼にも情けなく泣いたばかりだというのに。
こんなのばっかりだ。異常と異端と異次元と異世界に満ちたあの空間だ、あの人種だ、あの世界だ。
ミサカは普通で居たいだけなのに。普通であれば良いのに。
幸せになれなくとも、普通でありさえすれば、もうそれで良いのに。
いやおうなしに、キチガイ共が近づいてくる。
一体なんだというのだろう。あんな狂った奴らに、一体どうやって対峙しろというのだろう。
その時、番外個体は遅まきながらやっと気づいたのだ。
自分一人では、あんな奴らと戦えない。
もういやだ。逢いたいよ。一方通行。
あなたが「助けに来たぜ」と言ってくれさえすればそれでいい。
そのまま見捨ててくれてもかまわない。それだけで、ミサカは救われるんだ。
やっとそのことに気づいたんだ。
だから、今だけは。今だけは、来てよ。お願いします。
でも、来ない。
来るのは一方通行では無い。
がちゃり、とドアが鳴った。
それを聞き、番外個体は、びくり、と身を強張らせる。
まだ終わってはいない現実が、また彼女の前に現れようとしていた。
玄関から、インデックスが姿を現した。
「わーすと?」
今までと変わらぬ、天使の様な無邪気な声だ。
そう、無邪気で、天使のようで、優しく、慈愛に満ちて。
そして彼女は、手にゴミ袋を持っている。
なんとなく、中身の見当はついていた。
何故だろうかと心当たりを探すと、さきほどの浴室の絵がふたたび広がった。
そうだ。あの時、浴室の床は見た。
では、肝心の浴槽には、一体何があったのだろう?
思い返したくない。しかし、見えたものを忘れられるはずも無い。
あの浴槽には、”常盤台の制服を着た何かが浮いていた”。
「つれてきたよ」
インデックスはそう言って、ゴミ袋に手を入れる。
あは、あはは、と乾いた笑い声が聞こえた。
一体どこから来てるのか、と思ったら、自分の出した声だった。
顔が引きつった。笑い声がとめられない。
あは、あはは。なんだろう。この笑い方は。なんだか、どこかで、聞いたことがあるような気がする。
どこで聞いたのだろう。
ああそうだ、あれは打ち止めだ。打ち止めが嗤っているときのあの感じと、そっくりなのだ。
「はい、これ」
インデックスが、ゴミ袋から”何か”を取り出した。
それはサッカーボール大の”何か”だった。
“何か”からは見覚えの有る糸のようなものが何本も生えていた。
“何か”には目があり、鼻があり、口があり、耳があった。
そのパーツや配置は、とても見覚えがあるものだ。
そう、勿論だ。だって、自分と同じなのだから。
「あは、あははは、あは」
インデックスは、生首を―――御坂美琴の生首を嬉しそうに掲げた。
「あはははは!あはははははははははははは!!」
解ってしまった。
ここに救いは来ない。どんなに願っても来ない。
あるのは動かしがたい現実で、一人ではどんな力をこめても意味が無い。
せめてもう一人居ればという、ささやかな願いすらも叶わない。
どんな些細な希望も、控えめな夢も、謙虚な未来も、一つたりとも思い通りにならない。
何も自分の意思は通らない。
ならば、自分の生きている意味とはなんなのだろう。
生まれた意味とはなんなのだろう。
何故自分はここに居るのだろう。
解っている。それは、生まれて一番初めに植えつけられている。
一方通行を殺さなければならない。
何故ならばそれこそが、番外個体が生きている、最初にして唯一の目的なのだから。
今までも平穏は、それに気づくための壮大なプロローグに過ぎなかった。
番外個体は哄笑を止め、にやりと嗤う。
「うふふ」
この瞬間、番外個体は間違いなく、”壊れた”。
なるほど地獄だ。
とある場所の、とあるアパートというか、寮というか。とにかく有り触れて、平凡で。代わり映えの無いドアを潜り抜け、黄泉川は納得した。
天気は快晴。降水確率0%。雲ひとつ無く、外では鳥がちゅんちゅんと鳴き、爽やかな風が肌を撫で、ゴミ置き場さえも綺麗にされている。
どこにも落ち度の無い朝だ。こんな朝を迎えたからには、その日一日を、少なくとも午前中くらいは限りなくポジティブに過ごさなければならない。
それが恵まれた天気を与えられた者の義務である。
しかし、ここは地獄だ。
死と苦痛が溢れかえるその場所で、天気の良し悪しなど気にするのとは、いやはや、なんとも贅沢だ。
そんなものに救いを見出すのではなく、もっと建設的に物事を捉えるべきなのだろう。
如何にして苦痛を軽減するか。如何にして死を避けるのか。如何にして地獄を逃れるのか。
そして、如何にすれば地獄へと辿り着かずに居れたのか。
黄泉川が、番外個体との生活の末に行き着いたのは、つまるところ、そんな血なまぐさい場所だった。
地獄に番外個体が入っていったことは、既に監視カメラで見た。
その時は必死の体だったし、救いを得たような安心しきった顔だったのも、見た。
そして1時間後に部屋を出て行く時、彼女は嗤っていた。
泣きそうな子供のような顔で、無理やり高笑いを搾り出しながら嗤っていた。
その一時間に何があったのかは解らないが、事実はそうなっている。
そしてその部屋には、さっきまでいくらかの肉片と一人の少女が居た。
肉片に溢れた部屋の中に居た真っ白な少女は、部屋の真ん中で不気味に嗤い、
そして生身の肉片を使ったジグソーパズルに興じていた。
すこし前まで平穏を絵に描いたような場所だったこの部屋で、目を見開き、難解で希少で、完成の無いパズルに従事する彼女は、悲しいことに実に平凡でなかった。
残った肉片を全部集めると、一人分よりもすこし少ないくらいだった。
でも、首は二つあった。
のこりの欠片も探してはいるが、正直なところ、もう見つからないのではないかと思っている。
妙に綺麗になったゴミ置き場を思い出す。
部屋にあった、本来外気を吸うべきでないたんぱく質の欠片の数々は丁寧に集められ、いずこかへと運ばれていった。
どうなるかは知らない。研究所の真似事のような場所へと運ばれて、司法解剖でもされるのだろうが、一体何の意味があるのだろう。
趣味の悪いジョークが幅を利かせた結果、死因が未知の病原菌だったとして、それを細切れの肉片へ告げることにいかほどの必要性があるのか。
そこにはシュールレアリズムに溢れた自己満足しか存在しないように思える。
やらなければならないからやる。意味も無いのに。必要も無いのに。
この世界は、何故かそうしなければならない。
そうやってごてごてに装飾を貼り付け続け、無理やり作り上げた城壁に溢れている。
そんな外面がなければ、社会はまともに動かない。
いままでの黄泉川愛穂には、それが奇妙で、不可思議で、非効率で苛立たしかった。
何故よりシンプルに物事を行えないのか。
目標への道のそこかしこに、只管邪魔が入るのは何故なのか。
具体的に言えば、何故自分は正義を行う際に、わざわざ上司のパワーゲームに付き合わねばならないのか。
目前に居るのがたとえ明確な悪であり、罪であっても、そこに手出しが出来ない理由が存在する場合が有る、その訳は何なのか。
ずっと解らなかった。だからこそ、不満だった。
しかし、今ならば解る。
そうしなければきっと人間は生きていけない。
物事を真正面から見つめることに耐えられない。
解りきっている結果を、正しいと判断するのが自分であることが恐ろしい。みんなそうおもっている。
だから意味も無く隣の部屋のメイドに聞き込みをしたり、変わらぬ監視カメラの映像を何度も再生したり、
粉々になった肉片に埋もれた胃の消化物を調べているシュールな検察官の叩き出す結果を待ったりしている。
でも、何が起ころうか事実は変わらない。
昨日の深夜、番外個体はこの部屋に入っていった
その一時間後、彼女はハイになってまたこの部屋を出て行った。
翌朝踏み込むと、部屋の中にはそこかしこに肉片が飛び散り、舞い散り、こびりつき、
中心では嗤う白い少女が狂っていた。
そして――すこし前から番外個体は精神を病んでいた。
誰だって、何が起こったのかくらいは想像できる。
― 狂った女が、二人殺してバラバラ死体にしたみたいだ。で、それを見てたシスターさんが狂っちまって、死体をずっと組み立てようとしてるんだ。 ―
黄泉川は、隣部屋の住人が寄越した初期通報の録音テープを何度も聴きなおす。
そんなわけは無い、とおもう一方で、その否定に根拠は無い。
通報人の見解が正しいかはわからなくても、辻褄の合った理屈が八割がた事実に沿うのもまた事実だ。
悲しいことに、それを完全に跳ね除けるほどの向こう見ずさは彼女には無かった。
一体。
一体何を間違えたのだろう。どこを直せば、こんな地獄に辿り着かずに済んだのだろう。
もし次があるのであれば、絶対に間違えない、と黄泉川愛穂は心に誓う。
勿論次など無い。時間が巻き戻らない限りは無い。
故に、この思考に意味は無い。考えても無駄なのだ。
それでも思わずに居られない。次こそは、次こそは、絶対にこんなことにはしない。
次なんてものがもう二度と来ないことも、黄泉川愛穂は悲しいことによく知っている。
でも、もし来るのなら。
自分は一体、どうするべきなのだろう。
―――――――。
その一報を聞いたとき、冥土帰しはコーヒーを飲んでいた。
本来なら、今日は久々に何の予定も無い一日のはずだった。
日々の診察や回診は日課として、それ以外にはなんの予定も無い。
難易度の高い手術に緊張する必要もないし、下らない各種医療機関との協議や、病院間のパワーバランスの調整、
ベッドの稼働率が超過していることに対する懸念、資金繰りに関する悩みなども、奇跡的に同じタイミングでひと段落ついていた。
やっと自分おやりたいことをする時間が取れたという訳だ。
そんな一日を大いに満喫するため昨日は大いに頑張った。
明日の回診も、すぐに終わる。
それどころか、研修医に任したっていいだろう。
最近の彼女は経験こそ浅いものの、それなりに技術が身についてきている。
もともと頭もいいので、知識も深い。
それならば、いっそ彼女にすべてをやらせて、自分はそれを横目で見つつ何か別のことをしてたっていいだろう。
そんな甘いことを考えながら寝ていると、二時ごろにたたき起こされた。
重傷を負った人間が一人担ぎこまれてきたのだと言う。しかも自分の見知る相手だという。
まあ、仕方が無い、と思いつつも、急いで、しかし真剣に患者の下へ向かうと、随分と酷い状態だった。
頭に鈍器で殴られたような傷、腹部には安全靴で思いっきりけられたと思しき酷い痣が何個もある。
そのうちのいくつかが原因となって肋骨を四本折り、折れた骨が肺に突き刺さり、血の混じる泡を吐いて、うーうーと呻いていた。
普段から感情を示さぬ目には光が無い。意識はほぼ無いようだ。
とりあえず一刻を争うので、すぐに手術に取り掛かる。
腹を開けてみると肝臓が一部破裂していて、あふれ出した血液がぴゅっと勢い良く飛び出してきた。
そんな血の海を片っ端から吸い取り、今回は使い物にならない研修医や彼女の姉妹から血液をがんがん輸血し、
骨を抜いて肝臓と肺を縫合して、同時並行で幸いにも骨や脳に深刻な異常の無かった頭部の傷を処置して、
ようやく安定したのは6時間後だった。とりあえず一命を取り留めることくらいは出来た。
死ぬことはないし、たぶん後遺症も残るまい。まあまあの結果だ。
で、手術が終わったのはいいのだが、身内があんなことになったことによる動揺で、研修医の方は使い物にならなかった。
そんな訳で、彼女の分の仕事を冥土帰しがやらざるをえず、せっかくの休日はぱあになりそうだ。
徹夜でやった大仕事からくる気だるい疲労と眠気に対抗すべく、一方通行が見たら発狂するような、
自ら淹れた絶望的に濃くて不味いコーヒーを、不味い不味いと思いながらちびちび味わっていた。
「番外個体が猟奇的に人を殺した」というニュースが飛び込んできたのは、丁度そんな時だった。
たぶん、もっと前から鳴っていたのだと思う。
ただ、手術中は出るわけが無いし、終わった後も携帯電話の存在など気にもせずにコーヒーを淹れたりしていた。
気づいたのは一通りの作業が終わってゆっくりしている時だ。
ぶぶぶぶ、と机に小刻みな振動が伝わり、見ると携帯電話がアメンボのように雑然とした机の上を彷徨っていた。
出ると、黄泉川だった。その名前を見た瞬間、番外個体絡みの話なのだろう、とは予想がついた。
勿論中身は、想像をはるかに超えたものだった。
黄泉川は、ただただ淡々と、冷静に、事実だけを述べていった。
その事実の組み合わせは、中であったことを想像させるには十分だった。
つー、つー、つー、と、すぐ近くで耳障りな異音を律儀に繰り返す携帯電話を耳から離す。
冥土帰しは黙ったまま先ほどまで飲んでいたコーヒーを流しに捨てた。
特に意味は無い。ただ単に、もう一口も飲みたくないし、飲めるとも思えなかった。
不思議なほど動揺は少ない。医者をやっていれば、こういうことがよくある、とは言わないが、死ぬほど珍しいという訳でもない。
特に冥土帰しのように、ゼネラルに治療に関わる医者にしてみれば、自然と多くなる。
手術を怖がるばかりに自殺した患者だっていた。
被害者は学生らしい。間接的に冥土帰しが殺したようなものだろう。
仕方ない。とは思わない。どうしようもない、とも思わない。
でも起こってしまったのだ。取り消すことは出来ない。それは医者だからこそ、よく知っている。
いつだって全力は尽くしている。それが誤っていたとしても、それを取り戻す機会など来ないのだ。
次など無い。
そう、次なんてありはしないのだ。思い悩んでいても、どうしようもない。
まあ、それでも気が滅入るのは当然のことだ。そんな気分を紛らわすように、着信履歴を見た。
黄泉川が一体何度自分に電話をかけたのかにほんの少しだけ興味があったからだ。
そして、冥土帰しはそれを心から後悔する。
「ああ」
冥土帰しは携帯電話を取り落とす。あいた右手で目を胃覆う。背中に力が入らず体を折る。
何も言わなかった。言わないようにしていた。なのに、つい言葉が漏れてしまった。
押しとどめていた後悔と失望と諦念と怨嗟が、関を切ったようにあふれ出し暴れ狂った。
すこし立てば、また押さえ込めるだろう。
でも、これはたぶん、とても大切なことなのだと、何かが叫んでいた。
そこは、番外個体からの着信履歴でびっしりと覆い隠されていた。
全く、何故なのか、何の理由があるのかも解らない。
ただただそこに、一秒や二秒、それよりももっと少ない着信がズラリ。
本人がやったのか?
人を殺した、その場所で?肉片の真ん中で?狂った少女の隣で?
やったとすれば間違いなく異常だ。異常ならばやってもおかしくない。
だが、本当にそうなのか?
自分は一体どうするべきだったのだろう。
どうすれば、彼女を救えたのだろう。
冥土帰しが落ち着くまで少しかかった。そしてその30分後、バラバラになったのが誰かを知り、彼はもう一度同じ思いを味わうことになる。
―――――。
電話をした。
何度も何度も電話をした。
出て欲しかった。出てくれれば、それでよかった。
それだけでよかった。でも、出てくれなかった。
この気分はよく解らない。私は、彼を[ピーーー]。それ以外に生きる理由が無い。
でも、電話には出て欲しい。そして電話で何を言って欲しいのかも解らない。
だからその後、手当たり次第に電話をしたんだ。
お姉さまにも、冥土帰しにも電話した。でも、誰一人として出てくれなかった。
電話が留守番電話に繋がるたびに、乾いた電子音が電波に届かないだの電源が切れているだのと伝えるたびに爪を噛んだ。
そしてもう一度電話をかける。
一つの指の爪がボロボロになっても噛み続けると、なんだか味が出てくる。
しょっぱいような気もするし、甘いような気もする。
味が濃いからごくごくと飲み干しは出来ないけれど、こうやってなめているだけならば飽きない。
だから今度は舐めた。ぺろぺろと舐め続けた。
そうしたら、いつの間にか左手が真っ赤になっていた。
一体何事かと思えば、どうやら噛み続けた親指から流れたものらしい。
傷口を電気で焼くと、血は止まった。
そして黄泉川に電話した。彼女が出なければ、次は芳川だ。
別に順番に意味は無い。電話帳を送っているときに行き過ぎてしまったとか、その程度の下らない理由だ。
でも、芳川に電話をかけることはなかった。黄泉川は出た。
そう、出たのだ。何を言われたのかは、正直なところ、何も覚えていない。
でもその後、迷いが少し消えていた。それだけは覚えている。
それはつまり、一方通行を[ピーーー]、という行為に一歩前進した、ということだ。
―――――。
ぴんぽん、とベルが鳴った。
遅い朝食を取っていた一方通行は、口へと運ぼうとした食パンを虚空で止める。
打ち止めは妹達の会合があると言って、やけに焦って出て行った。
そんなものネットワーク上でやればいいのではないかと思ったのだが、実際に顔を合わせることに意味があるらしい。
未来都市でわざわざ出す絵日記のようなものだろうか。
それとも、デジタルを信頼しきれない故に、多大な労力を使ってローテクにこだわるスパイの様なものなのだろうか。
関連の無い思考ばかりだが、とりあえず言えるのは、現在この家に一方通行しか居ない、ということだ。
ついでに言えば今日は仕事も休みだ。
何故こんな中途半端な時に休みなのか、といえば、昨日有給を使わせてほしいと上司に頼んでみたら、本当に取れてしまったからだ。
そして何故休みを取ろうと思ったのか、といえば、それはやはり番外個体のことがあったからだった。
(やっぱり、一度話を聞いてみなきゃなンねェな…)
理由は単純で、彼女とじっくり話す時間が欲しかった。ただそれだけだ。
あの時、冥土帰しが言った「番外個体の精神に異常がある」だのという言葉を、一方通行は頭から否定することが出来なかった。
違う、ということは、なんとなく確信があった。
それは直感であり、曖昧で、不確かで、脆くて細い理屈の上にのみ成り立つことを許された戯言だった。
少なくとも、第三者にはそうにしか見えないし、そう捉えられたのであれば、この直観は責任逃れの虚言にしか見えるまい。
番外個体と最も関わりが深かったのが自分であることには不思議と自信を持っていて、
そうであるならば彼女の心が本当に崩壊したのであれば、最も責任が深いのは自分に違いない。
だから一方通行は、番外個体が病んだ、などという事実が誤りであるという自分の判断を信じられずに居るのだ。
信じてはならないように思えるのだ。既に一万人を殺戮した彼には、そんやって自らの責任から逃げ込めるようなスペースは残されていない。
本来あるはずの空間は、既に血に塗れた死体で溢れている。なのに誰かがそれを持ち出そうとすれば、一方通行は全力で阻止するだろう。
空間は満たされてなければならない。それが一方通行にとっての平穏だ。
そうやって、彼は逃げている。変化を恐れ、背負うことを美徳とし、流した血を阿呆らしくも守っている。
それこそが自分のあるべき姿だと信じて生きている。
だから、他人から"責任から逃げている"と思われることは、彼にとって存在意義をあやふやにされているに等しい。
でも、他人からそう思われることを忌避する自分は、何かとても大事なことに対して不義理であるような、そんな気がした。
ぴんぽん、とベルが鳴る。
顔も洗っていないので、正直出たくはない。が、誰も居ない以上は自分が応対せざるを得まい。
というか、そもそもこんな瑣末な日常にさえ鬱陶しさを感じるようであれば、番外個体に相対することなどできないだろう。
こんな状況になってしまったからには、彼女と会うにはやはりそれなりの覚悟が必要なのだ。たとえ結末がなんであろうと受け入れる、という覚悟が。
受け入れた上で、対処すればいい。変えられるのは未来であって、現在ではない。現在を受け止るのを拒否する理由は無い。
一方通行は一口だけかじったパンを更に戻して立ち上がる。
歩きながらコーヒーで口内のものを胃に押し流し、カップをシンクに置いて玄関へ向かう。
ぴんぽん、とベルがまた鳴った。
一方通行は「はいはい」と返事を返しながら、内鍵に指をかける。かちゃり。
ドアを開けると、昼間になり掛けた時間帯に特有の、暖かさと肌寒さと湿り気をぼうっきれであいまいにかき混ぜたような空気が室内に流れ込んできた。
そして、そんな悪くない風の向こう側に、一人の女が立っていた。一方通行は見知った顔が出てきたことで、苛立ちが半分、安心が半分。
だから、つい不機嫌そうな声が出る。照れ隠しにも聞こえるし、本心とも取れる。便利な言葉だ。
「…なンだよ。お前合鍵持ってンだろォが」
女は俯いたまま何も言わなかった。一方通行は少し怪訝に思う。まあ、今までも時々、何も喋らないことはあった。
喧嘩をした後とかは、何を話しかけても取りつくしまもない有様だった。
でも、何かがその時とは違うんじゃないか、と少し感じるのだ。
たぶんこの直観は合っている。でも、だからといってそれにちゃんと準ずる事が出来る人間が一体どれ程居るのかは解らない。
なんとなく、いつ爆発するかわからない爆弾を処理するような、そんな気分だ。
やったことの無い経験に己が状況を照らし合わせていると、ふと冥土帰しの言葉が頭を過る。「彼女の胃から洗剤が検出されたよ」
電話が鳴ったのは、丁度そんな時だった。
鳴っているのは据え付けの電話だ。携帯電話は水没して以降、未だ手元に無い。
部屋の奥から元気なアニメソングが流れ出し、外の音さえも吸いだされた、空虚な室内に満ちていく。
静かな静かなこの部屋は、電話の音が響いても、愚かしいほどに静かだ。
その静かさが、何故か一方通行から非日常を蹴落とした。
ごく自然に電話が置いてあるキッチンへと向かう。玄関の彼女はそのまんま。
何もおかしなことは無い。彼にとって、この部屋に彼女が来るのは日常なのだ。当然なのだ。
わざわざイギリスからやってきた、第三王女だったりするわけではない。
ならば、何故厚く遇する必要があるというのか。
実際に、彼の後を追って彼女はキッチンまでやってきて、洗い場の前で立ち止まった。
それを横目で観たあと、目を離す。
この瞬間、彼は間違いなく、彼女と"普通に"接して居た。
色々なことがあって、間違いなく彼女は普通では無かったのに。
それはたぶん、ものすごく素敵なことで、ものすごく不幸なことだった。
一方通行は電話と相対し、受話器を取った。
しかし、全く言葉が聞こえてこない。でも、こちらには相手が解っている。
何故ならば、ウィンドウに名前が出ている。
登録してあった電話番号が、この電話が誰からかかってきたのかを、律義に、能天気に映している。
「何黙ってンだよ。黄泉川」
それは悪魔の言葉だ。誰も知らないのに、地獄の鍵になってしまった、そんな悪魔の言葉だ。
少しだけ、奇妙な何かが一方通行の所にやってきたことに彼は気付いた。
今すぐこの電話を切るべきなのだ、という予感が漠然とした。
たぶんこの直観は合っている。でも、だからといってそれにちゃんと準ずる事が出来る人間が一体どれ程居るのかは解らない。
漠然とした、正しい直観とやらを信じきれない一方通行は、受話器を離せない。
「おい、なんか言え。切ンぞ」
受話器の向こうにいるであろう黄泉川に呼び掛ける。
そして、やっと声が聞こえた。
『……、……な……じゃん』
「あァ?聞こえねェよ。もっとでけェ声出せ」
『……、最低なことをしちゃったじゃん』
声が震えていた。吐息も妙に荒い。ずずず、と何かを啜る音がする。
「…泣いてンのか?」
『御坂美琴が死んだのは、あいつが入ってくる前だったじゃん。凶器の指紋も中にいたシスターのだった。あいつは無関係じゃんよ』
「はァ?何言ってンだよ。悪ィ夢でも見たのかァ?」
当たり前というべきか、鈍いというべきか解らないが、このときの一方通行には、黄泉川の行っていることが欠片たりとも解らなかった。
とりあえず彼に理解できることといえば、電話をかけてきたこの女が酷く動揺しているということ。
そのためかは知らないが、話す中身も要領も得ず、まとまってもいない。
頭の中一杯に散らばったものを、手当たり次第に拾っては言葉にしているだけであろう、ということ。
それはつまり、彼が黄泉川のことを心配しているということだった。
彼女の話していることよりも、その声色に気を取られた。
だから、唐突に出てきたその名前に気づくことに遅れてしまった。
遅れてしまったから、過敏に反応してしまった。
ひょっとしたら、その名前を口にせずに済んだかもしれないのに。
『なのに私は勘違いしてたじゃん。だから、折角電話をかけてきたあいつに・・・』
「・・・ちょっとまて」
もう少し、もう少しだったのに。
もう少しだけ待てれば、ひょっとしたら。
「お前・・・今、超電磁砲が、死んだ、とか言わなかっ」
ぐさり。
「たか・・・あ・・・・・あァ?」
ぐさり?
「・・・・・・・・・・・・・・?」
ずるり、と、体の中から何かが抜けていく感触がした。
何が?
「・・・・・・あァ・・・・・・・・・?」
背中の辺りから生暖かい何かが溢れて、右足を上から順番に覆っていった。
濡れて皮膚に張り付く衣服が気持ち悪い。
濡れて?何故濡れる?
不意に腹の底から灼熱の液体が駆け上がってきた。
気づいたときには瞬間移動したかのように口内に満ちている。
居眠り中の唾液のように、ごく自然に口の端から漏れたその液体は、とめどなく顎まで伝った上で、表面張力では耐え切れず、一滴ずつ落ちていく。
目を落とせば、すぐにその液体の色が解る。
当たり前だが、その色は、鮮やかな鮮やかな赤色だった。
「・・・・・・・・・・・・かは」
くるり、と、自分でも驚くほど自然に首を後ろに向けると、
赤く染まった包丁を両手で携え、酷く歪んだ顔でガタガタと震える番外個体が嗤っていた。
「・・・・・・きひひっ!」
―――――。
手ごたえは、想像とは違った。
もっとすんなり行くのかな、とも思っていたし、骨かなんかに当たって結局上手く刺さっていかないんだろうな、とも思っていた。
実際にどうだったかというと、それもよく解らない。でも、たぶん思っていたのとは違う。それはたぶん間違いない。
「・・・・・・きひっ!」
引きつるように笑い声が出た。包丁を握った両手がびっくりするほど熱かった。
何かと思えば、ただ血に塗れているだけだ。
無性に舐めたい。それが駄目ならこの手を洗いたい。洗い流したい。
それを自分が何故しないのかも解らない。
解らない。解らないことばかりだ。
解っているのは、刺した感触が想像したものとは違うという、実体験くらいだ。
目前の一方通行が右足から崩れた。
糸の切れた操り人形のようだ、などというありきたりな感想を抱いた。
操っていたのは誰なのだろう。少なくとも私ではない。
操れていれば、こんなことにはなっていない。
でも仕方が無い。この世界は誰も信じられないのだ。
みんなが自分のことをキチガイだと言う。誰一人として彼女の危機を助けてはくれない。
だからもう仕方が無い。自分が生きる為にはするべきことをしなければならない。
自分がするべきことは何か。それはたった一つだけ残っている。
私が製造されたときに課された、唯一無二のオーダーが。
「・・・が・・・・・・か・・・・」
声にならぬ声が、足元に横たわる男から出ていた。口の中に溜まった血が気道を塞いでいるのだろう。
そこをこじ開けようとする反射の成れの果てが、弱弱しい咳と次から次へと溢れる血染めの泡だ。
見たことが無い、訳では無い。むしろ見慣れている。
そういえば、人を刺した事だって初めてじゃあ無かった。だから、感触も覚えている。
じゃあなんで思っていたのと違ったのだろう。
そんな血なまぐさいことを忘れてしまうくらい、平和にボケていたのだろうか。
「ぎゃは」
なんで。
なんでボケてしまったのだろう。
知っていたはずなのに。解っていたはずなのに。
どうせこいつらは、私の味方のふりをして、影で笑ってるんだ。
ちっとも言うことを信じてはくれやしない。
それが黄泉川との電話でよく解った。
私は一方通行を殺すために生まれて。一方通行をボロボロにするために生まれて。
そのどちらかが済めばもう生きている意味なんて無いのに。
なのになんで生きてしまったのだろう。
一方通行が殺せなくなった時点で死ぬべきだったのに。
そうすればこんなことにはならなかったのに。
「はは・・・きゃはは・・・・・・」
そうだ。私はこの男を殺せない。
それは今この手が証明している。
人を刺し、血まみれになった男を見、あられもなくガタガタと震えるこの手が示している。
包丁が手から落ちた。がらんと音がした。
何故今まで持っていられたかも解らないくらいの震えだった。
殺せない。殺せないはずだ。なのに。
「なンで」
声が聞こえた。足元から。
「なンで」
殺したくなんて無かった。
でも仕方が無いんだ。私はこの男を殺すために生まれてきたんだ。
殺さないと生きている意味が無いんだ。
「なンで」
じゃあ、なんで今まで殺さなかったんだ。
「なンで」
「煩い!」
好きだったからだ。
「なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで」
大好きだった。
世界中の誰よりも好きだった。誰を敵に回したって良かった。
自分の生きる意味なんてどうでもよかった。
だって、あなたこそが、私の生きる意味だったんだ。
じゃあ、その人を刺した今は?
もう好きじゃないの?
そんなことはない。
今でも好きだ。
「なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。 なンで」
耳を押さえる。
煩い。
あなたが。
あなたが何か意味をくれるって言ったから。
だから信じていたのに。
なのになんで助けに来てくれなかったの。
なんで電話に出てくれなかったの。
「なんでよ・・・」
あなたが信じられなくなったから、生まれた意味にすがった。
じゃあそれが無くなったら、どうすればいいのだろう。
とっくに結論は出ている。
一方通行が死んでしまえば、番外個体に生きる意味など無い。
いつの間にか、足元からの声は聞こえなくなっていた。
一方通行から流れ出した血は、静かに静かに流れ続け、いつの間にか番外個体の周りを囲っていた。
番外個体はそんな血だまりのなかで嗤った。
「うふふ」
しゃがんで床に落ちていた包丁を取る。
もう、彼女の手は震えていない。
―――――。
―――――。
その部屋は血の香りで埋まっていた。
むせ返るほど濃厚な、生を感じるその空気を打ち止めは吸う。
鼻腔から味すらも感じさせる、得難く希少なその空間に佇む事が出来る彼女は、酷く贅沢であり、また貧しくも有った。
喜ばしいことに、彼女は貧困を知らない。なので、贅沢さのみに身を浸すことが出来る。
ああ。
このむせ返るほどに濃厚な、"あの人"の香り。
それを感受できるこの世界を、邪魔するものは、もう無い。
もっとも邪魔だったものは、今この部屋の真ん中で、首元に刃物を突き刺して寝ている。
あらあら、育ちの悪い寝相だこと。
この部屋まで来るために、十重二重の囲みを圧倒的な暴力で打ち破り、自分の姉妹を幾人も病院へと送り込んだあなたには、そのお姿がお似合いだわ。
あなたのお仲間も昨日お仕置きしておいたし、やっぱり因果応報って奴があるんでしょうね。
一歩一歩歩みを進めると、親指に生ぬるい液体が触れた。
ぬちゃっとしていて、さらりとしていて、ああ、まるでつかず離れず纏わりつく子犬のようだ。
やっぱり寂しかったんだね。
こんな女じゃ足りないよね。
全く、私が居なきゃ駄目なんだから。
ひたひた、ひたひた。
いつの間にか、あなたがミサカを囲んでいる。
あらあら、慌てなくても大丈夫だよ。
ミサカがあなたから離れる訳がないでしょう。
ゆっくりと膝をつく。
じわじわと、床に敷き詰められた血液に、自分の体が触れていく。
圧倒的な満足感が満ちた。
空気などで無く。まやかしでもなく。文字通り、ミサカは今、あなたに包まれている。
そっと手を伸ばしすと、あなたの頬に触れられる。
少しだけ濡れていた。なんでだろう。
ああ、泣いているんだね。
なんで泣いているんだろう。
きっとミサカが来て嬉しかったんだね。
ミサカが来るのを待っていたんだね。
もう、そんな泣くことないんだよ。
だってミサカは、ずっとあなたのそばにいるんだよって、ミサカはミサカは告白しちゃったりなんかして。
誰も居ない部屋の中で。
誰もこの世界に生きていない空間の中で。
打ち止めは今幸福を感じていた。
今までなかなか手に入らなかった彼が、遂に自分のを包んでくれているという満足が、
自分の邪魔をしていた目障りな猫が消えてくれたという幸運が、
彼女に圧倒的な幸せを与えていた。
そんなどこまでも狂ったその場所で、
打ち止めは、嗤った。
「うふふ」
静かで誰も来ないその場所に、打ち止めはいつまでも佇んでいた。
いつまでも。いつまでも。
番外個体「病み止めさん」 <おしまい>
<エピローグ>
「第七学区の廃ビルに、最近妙な噂が立っているんです」
「妙な噂って・・・どんなだよ」
「なんでも、小さな女の子が、男の人を超介護しているそぅです」
「いい話じゃねーか」
「そこまでの経緯が超重要なんです。なんでも、その二人は付き合ってたらしいのですが・・・」
「小さい女の子が?」
「はい」
「男の人って何歳?」
「さあ、たぶん超大人だと思いますけど」
「ロリコンじゃねーか」
「まあ、それはいいとして」
「よくねーよ。犯罪だぞ」
「その二人にちょっかいを出してきた女が超居たらしいんですね」
「たくさん居たってことか?」
「いや、超一人です」
「紛らわしいわ!」
「でもその二人の愛は硬く、思い通りにならない女は次第に超精神を病み、その結果二人を超殺して自殺してしまったそうです」
「・・・・・・」
「犯行現場は凄惨以外の何者でもありませんでした。キッチンは血でびたびた。頚動脈が切れたために血液が鉄砲のように噴出し・・・」
「・・・・・・」
「その血の勢いを使って、天井には『愛』と書かれていたそうです」
「どんだけ器用なんだよ」
「まあ、あくまで超噂なので」
「都市伝説って奴か」
「はい。続きなんですが、踏み込んでみると、何故かカップルの死体が消えていたそうです。残っていたのは二人を殺した女の死体のみ。
そんな訳で、例の廃ビルにはそんな男女の霊が夜な夜な現れるそうです」
「踏み込んだって、誰がだよ」
「さあ」
「いい加減な話だな。そもそもなんで男は介護されてんだよ。意味わかんねーし」
「浜面はそういう細かいことを気につるから超小者のままなんです」
「超小者!?どういうこと!?ミクロってこと!?」
「ミジンコぐらいですかね。顕微鏡使わなくてもギリギリ見えます」
「やったね!人間の視力も捨てたもんじゃないね!ってなるか!」
「あ、あとこんな噂もあります。ある家でバラバラ死体が発見されたんですが、その死体を使って超遊んでいた少女がいたらしいのです」
「嫌な絵だな」
「その子が遊んでいた死体を集めてみると、どうも超変なところがある、と」
「何が変だったんだ?」
「残っていた頭は女だったのですが、体のパーツが全て男だったそうです」
「・・・・・・」
「どんなに探しても、男の頭と女の体のパーツは見つからなかったそうです。そうこうしているうちに、生き残った少女も消え、事件は迷宮入りとなりました」
「・・・・・・」
「先ほどの介護をしている女の子の霊は、この時の少女だという噂もありますね」
「・・・・・・」
「そんな訳でですね」
「イヤだ!絶対行かねぇ!」
「なんですか浜面。ひょっとして超ビビリましたか?」
「当たり前だ!んな気色悪い場所に好んで行けるか!」
「仕方がありません。滝壺さんにメールしましょう。『浜面が超ビビリで話になりません』っと」
「・・・実際の話よぉ、そういうところには、あんま近づかない方がいいと思うぜ?」
「怖いからですか?ビビリだからですか?」
「いやまあそうなんだけど」
「あっさり認めましたね」
「なんつーかさ、そういうのって、『感染する』気がするんだよな・・・」
「・・・・・・」
「この都市もさ、たぶん最初っからキチガイみたいな奴が満ちてた訳じゃねぇとおもうんだよ。
でもさ、"そういうところ"にいると、染まってくんだよ。いつの間にか、キチガイに成り下がってんだよ。
だからさ、得体の知れないものには、あんまり近づかない方がいいと思うぜ?」
「・・・・・・」
「・・・聞いてる?」
「『大丈夫。知ってる』だそうです」
「送ったの!?何送ってんの馬鹿なんじゃないの!?折角いいこと言ったのに!!」
―――――――。
――――。
―――――。
話を終えた浜面が去っていく。
どこに帰るかは知っている。彼の行くアパートでは既に滝壺が夕食を作り終えて待っている。
そしてそこは、絹旗が帰るべき場所では無い。
理解しているが、寂しさが無いといえば嘘になる。
でも、まあ仕方が無い。
我慢しよう。今更誰にも言えないけど、たぶん私も、あのバカ面のことが好きだった。
でもあの人は滝壺さんを選んだ。私は滝壺さんも大好きだ。
だから仕方が無い。
まだ私も若いんだし、もっといい男がいつかきっと見つかるに違いない。
だから、この思いは、日の目を見ずにどこかに消すんだ・・・。
「本当にそれでいいの?」
声が、した。
振り向くのを躊躇った。
何故だろう。無視しようとしたのだろうか。
それとも、本物の怪異にたじろいだのだろうか。
「そんなの気にすることなんかないんだよ。好きなんでしょう?大好きなんでしょう?
だったら自分のものにしちゃうんだよ。仕方がないんだよ。だって好きなんだもん」
浜面の言葉を思い出す。
でもさ、"そういうところ"にいると、染まってくんだよ。
だからさ、得体の知れないものには、あんまり近づかない方がいいと思うぜ?
解っている。
でも、でも。
なんて魅力的な言葉であることか。
「だってその人は、あなたから大事な人を奪っちゃったんだよ?
だからこっちだって奪い返してやるんだよ。
気にすることなんかないんだよ。そうすれば、ずっと大事な人と一緒にいられるんだよ」
ああ。
凝り固まった首が、ばねで押さえつけられたように、ゆっくりゆっくりと後ろを向いた。
そこには、一人のシスターが居た。
真っ白な服を着たシスターだ。
浜面がもう一度頭の中で叫んだ。
だからさ、得体の知れないものには、あんまり近づかない方がいいと思うぜ?
もう遅い。遅いのだ。
「うふふ」
厳かに、気味悪く、美しく嗤った彼女は、胸に紙袋を抱えていた。
丁度、男の人の生首が一つ入りそうな大きさだな、と、絹旗は思った。
<終わり>
・・・・・・。
はい、今度こそ本当に終わりです。
腑に落ちないところもあると思うけど、いやーな雰囲気だけ感じてくれればそれでOK。
文章とストーリーのクオリティの糞さに絶望したから、もしハッピーエンド書くとしたら、全面的に書き直すと思う。
そん時は新スレ立てるかもしれません。時期的には、どんなに早くても11月半ば。
まあ、こんな糞な話だったけど、読んでくれた人はホント感謝です。
最終回見て「こんなオチかよ」って落胆した人ごめんなさい。でも感謝。
なんか本文読んでわかんないトコあったら書いてくれれば答えます。
若しくはハッピーエンド書くときに無理やり回収します。
では。
元スレ
その道は、柔らかな照明が溢れている。暖色で纏められたマットや壁紙には、きっと心をこめて選んだのであろうと思わざるを得ないような、愛情や慕情が感じられた。それはいささか過剰にも思えたが、まあ悪くは無い。
その”愛情”に向け、一方通行はぶっきらぼうに呼びかける。
「帰ったぞ」
「あ、お帰りなさい!ってミサカはミサカは力いっぱい自分の存在を証明したり!」
声を上げたのは小さい少女だった。ばたばたばた、とやかましい音を立て、キッチンと玄関とを隔てる扉を開け、満面の笑顔を浮かべてこちらへと走ってくる。頭には三角巾が装着されていた。
このままこちらへと飛び込んでくることを前もって察知した一方通行は、右足を少し後ろへと移動させ、衝撃に備える。
どすん、と鈍い衝撃が腹部に伝わる。
「・・・だからいちいち突っ込ンでくんじゃねェっつってンだろォが!」
いつものように、小さなその少女の脳天に、三角巾越しとはいえ容赦の無いチョップを食らわす。「はぎゃ!」と可愛い声を上げ、少女は涙目で訴える。
「暴力反対!!」
一方通行はそれをほほえましく思っていることは内緒で、ぶっきらぼうに杖をいつもの場所へ立てかけた。
3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:15:32.81 ID:cERe2Nkx0
キッチンに入ると、すでに食事が用意されている。サラダや汁物、飲み物やご飯と共に、コロッケが二人分テーブルに置かれていた。この量の料理を、この小さい少女が一人で作ったわけではないだろう。彼女にはその知識も無ければ、経験も手際も無い。
「番外個体は今日はいねェのか?」
「なんか調子が悪いって言って帰っちゃったの、ってミサカは残念そうにこぼしてみたり」
「そうか」
おそらく、番外個体もいると思ったのだろう。どちらかというと、少女よりも一方通行のほうが残念そうな顔に見えた。それを察知してか、少女が言った。
「あのね!今日のコロッケはミサカが作ったんだよ!ってミサカはミサカは自慢げに胸を張ってみたり!!」
「あァ?食えンのかよ、それ」
「もっちろん!特にアナタのは特別製なんだから!ってミサカはあなたにお食事を急かしてみたり!」
はいはい、と適当にあしらうころには、彼の表情はいつものものに戻っていた。
「おら、飯にすンぞ。冷めねェ内に食ってやるから、手ェ洗って来い」
はーい、と素直な声を出し、少女は洗面所へと走っていく。それを目で追った後、一方通行は家用の杖をつきながらキッチンの流し場で手を洗う。うがいを追え、手を拭いたところで少女が舞い戻り、二人は席につき、食事が始まる。
4: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:16:09.11 ID:cERe2Nkx0
「いただきまーす!」
「・・・おい、頭巾取れ。行儀悪ィだろ」
「・・・取らなきゃダメ?実は少し髪型失敗しちゃって、あんまりアナタに見せたくないのだけど、ってミサカは言い訳がましい理由を述べてみたり・・・」
一方通行は、ダメだ、と言おうとしたが、まあ、そこまで強行に出るものでもないかな、と思い直した。
大体この場には二人しかいないのだ。行儀も何も、細かいことを言うことは無いのかもしれない。
「俺だけン時はいいけどな、外では取れよ」
「ホント!いいの!ありがとう!ってミサカは心から安心してみたり」
少女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべていた。あんまり喜ばれるのですこし背中がむず痒くなった一方通行は、仏頂面でぼそぼそと小さく「・・・いただきます」と呟いて、食事を始めた。
箸を件のコロッケに付け、口に運ぶ。目前の少女が恐る恐る聞く。
「・・・ど、どう?」
「どうって、普通に旨ェけど」
5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:16:38.28 ID:cERe2Nkx0
それを聞いて、少女は傍目にもわかるほど旨を撫で下ろす。
先ほどは「食えるのか?」なんてことを言ったものの、実際のところこの料理はそんな壊滅的なものではないだろう、とは思っている。見た目は変ではないし、たぶん結構多くの部分を番外個体が手伝っているだろう、という予測もあった。少女が料理をし始めたのはごく最近だったし、先ほどまで彼女が居たと、少女が言っていたからだ。
しかし。
噛んでいると、なにやら奇妙な食感があることにだんだんと気づき始める。それは糸のようで、それでいて強靭で、細かった。一方通行はため息をつく。
「またかよ」
ぺっ、とその遺物を吐き出すと、茶色い糸のようなものが出てきた。
これが髪の毛である、ということを、一方通行は知っている。
ここ最近、急に食べ物に混じり始めたので、恐らく目の前の少女のものであろう、と思っている。彼女が三角巾を付けているのは、たぶんその対策なのだろう。
「あわわ!ご、ごめんなさい!、ってミサカはミサカは心からの謝罪を表明してみたり」
「別にいい」
正直気分がいいものではなかったが、避ければ食べられないという訳でも無い。彼女は気をつけているようだし、第一番外通行のもので無いという可能性も十分にある。変な所で甘い彼は、別に少女を怒るでもなく食事を続行する。
6: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:17:15.36 ID:cERe2Nkx0
しかし、その日は妙に”それ”が多かった。
「・・・ちと入りすぎじゃねェのかァ?」
「うう・・・ごめんなさい、ってミサカはミサカは小さくなってみたり・・・でも、それだけ入っていれば、一つくらい飲み込んじゃってもおかしくないね!」
「あァ?なンか言ったか?」
「別に?ってミサカはミサカはにっこり微笑んでみたり!」
一方通行は胡散臭げに少女の顔を見つめるが、それはどう見ても歓喜に満ちていた。この顔を壊すのも忍びないと思ったか、それ以上は何も言わず食事に戻る。
すぐにまた止まる。
「くっそ、まただ」
そう忌々しげに呟き、一方通行はまた何かを吐き出す。
7: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) 2011/07/28(木) 23:17:44.50 ID:cERe2Nkx0
つばに塗れた髪の毛が、皿の上に溜まっていく。
それを、うっとりと、みつめ。
そして、少女は---打ち止めは、嗤う。
彼女の三角巾の下には、無理やり髪の毛を抜かれて出来た、小さな小さな、それでいて痛々しい禿が、隠れている。
29: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:15:38.76 ID:cdJkpsgg0
部屋の中は、しん、と静まり返っている。
打ち止めは、この空間が、時間帯が、嫌いではない。ここは、このときは、もっとも安寧と平穏を感受できる場所であり、時だった。それが何故なのかは上手く説明できないのだが、彼女はつい最近そのことに気づいた。気づいただけで、そのままだ。
逆に、何故そんなことを考えなければならないのか。
この世界にある理由の99%は下らないものだし、これもその一つに違いない。
理由など有ろうが無かろうが、打ち止めはすべてが動きを止めたこの空間が、すべてが生気を失ったこの時間帯が好きだった。そのことが、悪いことであるはずもない。
打ち止めは、その空間に足を踏み出す。
自分が動くことで、それらは皆去っていく。動かないはずも物が逃げ、死んでいるはずの物が生き返り、彼女の好きなその場所を乱していく。そうまでしても、歩く。
そこには、底知れない欲望があった。
その欲望もまた、彼女が好むものだった。
30: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:16:16.14 ID:cdJkpsgg0
停止した空間に時間を叩き込み、打ち止めはキッチンのシンクに辿り着く。
「うふふ」
食事時を思い出す。
あの時--。
彼は、皿に溜まったあの髪の毛を--。
あの人が口に入れた髪の毛を--。
確か三角コーナーに捨てたのだったか--。
「うふふ」
33: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:18:03.68 ID:cdJkpsgg0
打ち止めは手探りで”それ”を探る。
”それ”は変わらずじっとりと濡れ、
肌に刺さるような硬さと共に、在った。
そっと、手で掬う。
「うふふ」
打ち止めは”それ”を-- 一方通行の唾液と、生ごみの汁に塗れた自らの髪の毛を --愛おしそうに見つめ、
そして、頬ずりした。
「うふふ」
彼女がいるその部屋は、再び動きを止めていた。すべてが生気を失い、すべてが静かで、そしてすべてが死に絶えた空間がそこには戻っていた。
その中を、打ち止めの恍惚とした声だけが、ゆらゆらと漂っていた。
「うふふ」
34: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:18:36.20 ID:cdJkpsgg0
---。
一体どれほどの時間、そうしていただろうか。
打ち止めは気づく。どこかで何かが、再び動き始めていることに。
この部屋は、この空間は、未だ何者にも犯されはしないだろう。しかし、どこかで蠢き始めた何かは、直にこの部屋へと辿り着くだろう。そして恐らく、それを留めることは誰にも出来ない。
仕方が無い。今日はここまでだ。
彼女は名残惜しげに頬から”それ”を離し--最後に一度香りを味わう。
「ふあ」
ああ、とつい声が漏れる。目がとろんと泳ぎ、手から”それ”が零れ落ちそうになる。脳天を貫くその刺激が、彼女の意識を無理やり高翌揚させる。
でも、と自らに言い聞かせる。
もう私は普通に戻らなければならないのです。
35: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:19:09.69 ID:cdJkpsgg0
打ち止めは、今度は洗面所へ向かう。
鏡と向かい合うと、頭の右上が少し禿た自分が、こちらをうっとりと見つめていた。
そして彼女はポケットをごぞごぞと探り、そこから接着剤を取り出した。
「はあ」
どこか遠くで蠢き始めた何かが、少しずつこの場所へ近づいていくのを感じながら、
打ち止めは、つい数時間前に自分で抜いたその髪の毛を、
一本、一本、丁寧に、元の場所へと植えていった。
日が昇り始めるころにはその作業は終わった。
先ほどまで合ったはずの禿は消え、打ち止めの髪の毛は元の形を取り戻していた。
念のために様々な角度から見てみるが、特に問題は無さそうだった。
36: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:19:40.39 ID:cdJkpsgg0
ひとしきり確認してから、ぽつりと呟く。
「・・・これでずうっと、ミサカのそばにはアナタが居るね」
打ち止めは嗤いながら布団に戻っていく。
37: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:21:25.93 ID:cdJkpsgg0
「おら、起きろ。寝坊だ」
「うみゅー、あと十分、ってミサカは今世紀最後のお願いをしてみたり・・・」
「ンな大事なもンここで使うンじゃねェよ」
割と情け容赦なく掛け布団を奪われ、しかたなく打ち止めは起き上がる。眠い目をこすりながらぼーっとしていると次第に目が冴えてきた。
そして、一方通行がまじまじと自分の頭を見ていることに気づいた。
「・・・どうしたの?ってミサカはミサカは少し心配になってみたり・・・」
「お前別に髪の毛変じゃねェじゃン。なンで昨日、あンな頑なに隠してたんだァ?」
「それは!女の子の修正スキルなのだ!」
打ち止めはそう言って胸を張る。そして、こう聞いた。
「どう?どこからどう見ても普通の女の子でしょ?ってミサカはミサカは胸を張ってみたり!」
38: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/07/30(土) 02:21:52.27 ID:cdJkpsgg0
一方通行は何も気づかなかった。だから、何も考えずにこう答えた。
「そうだな」
打ち止めは、それを聞いて、ニコリ、と嗤い、そして、言った。
「うふふ」
54: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:23:56.47 ID:uf6TKcUL0
番外個体は、実は少し焦っている。
事の発端は、一方通行が本格的に一人暮らしを始めると言い出したことだった。
「話があンだけど」
「ん~、何?ひょっとしてミサカに惚れちゃった?」
「・・・・・・」
「な、何黙ってんのよ、図星?」
「・・・俺この家出ることになったわ」
「!?」
「は?」である。晴天の霹靂、という奴だ。その話を最初に自分へ打ち明けてくれたのは嬉しかったのだが、内容が内容である。よく解らないモヤモヤが胸中に沸き起こり、どういうわけか自分が急速に不機嫌になっていくのを感じた。
で、「勝手にすれば」とかなんとか吐き捨てて、その後は気まずくなって、顔を合わせる度にそっぽを向いたりしていた。そうこうしている内に一方通行はさっさと家族内への話を済ませ、着々と準備を整えていった。その手際と言ったら、見事としか言い様が無く、そんなそつの無さもまた気に入らない。
55: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:24:56.95 ID:uf6TKcUL0
そんな感じで、別にいいし、と意地を張っていると、とんでもない爆弾が飛び込んできた。
「なんでアンタも荷造りしてんのよ」
「え?ミサカもあの人と一緒に暮らすって言わなかったっけ?ってミサカはミサカは同棲を告白してみたり!」
衝撃である。許し難き展開である。一人暮らしをする、と言っていたではないか。そのくせして、このようなガキンチョと共に暮らすとはどういうことか。幼いとは言え女である。果たして、本当に一方通行はロリコンだとでもいうのだろうか、と考え、多少落ち込む自分を無理やり怒りへと持っていく。
だが、黄泉川たちの話を聞くと、どうも自分の想像とは違うようだった。打ち止めは相当に食い下がり、あの権利を得たらしい。そのために、黄泉川や芳川をも巻き込み、ほぼ力ずくで一方通行が根負けするまで持って言ったらしい。
それを聞き、怒りはすべて敗北感へと変わって行った。途方も無く悔しく、そして打ち止めが羨ましかった。でも、今更「私も一緒に」だのと言えるはずも無い。
でも言いたくて溜まらない。
56: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:25:45.72 ID:uf6TKcUL0
そのとき、番外個体は初めて、自分が一方通行へ抱くこの感情が何であるか、やっと受け止めることが出来た。
57: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:26:42.23 ID:uf6TKcUL0
もう遅いのだろうか。
そんなことは無い、と思う。
状況は厳しい。
しかし、如何に絶望的であろうとも、頑張ってはいけないという決まりなど無いのではないだろうか。
そんな訳で、番外個体は積極的なアプローチを開始した・・・となれば良かったのだが、何分不便なパーソナリティーとDNAに邪魔をされ、欠片とデレたりとか素直になったりとか言うことが出来ない。あんだけ決意したのに、と情けなさに枕をぬらすこともしばしばだった。
そんな中、どうにかこうにか彼の家へ行く理由をひねり出すことが出来たのは、成長と言えなくも無い。
例えそれが、「あんたをミサカの料理の実験台にしてやる」などという、情けなくなるまでに素直でない理由だったとしても。
58: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:27:32.20 ID:uf6TKcUL0
「クッソ、気持ち悪い・・・」
そんな訳で、番外個体は悪化した体調を押して、いじましくも一方通行宅へ夕飯を作りに来たりしているのであった。以前訪れた際、コロッケをこねている最中に急に気持ち悪くなり、それからその不快感が消えない。三日ぶりにこの家に来れたのは、完治とは行かないまでも、ある程度回復したからだ。
とはいえ、傍目から見るととんでもなく調子が悪く見えるらしい。打ち止めは盛んに何度も水を持ってきてくれた。よく冷えた水ではあったが、どういうわけか不味く感じられた。体調の影響で、味覚も多少狂っているようだ。なんてこった、と宙を仰ぐ。これじゃあ味見が出来ないじゃないか。
「大丈夫?ってミサカは本当に心配してみたり」
「大丈夫大丈夫。問題ないって」
59: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:28:57.72 ID:uf6TKcUL0
意地を張っている、というのは自分でも自覚している。でもそうまでするのは、やはり横に居る、自分と同じ顔をした、女の子に理由がある。お子様お子様なんて馬鹿にはするが、それでもこの少女は女の子なのだ。
そして彼女は、自分よりはるかに積極的で、素直でかわいらしい。羨ましいくらいに。しかし、その羨ましさを公表することは、彼女のプライドを自らぶち壊す行為ですらある。
だから番外個体は意地を張らざる得ない。
・・・というのは正直なところ建前であり、本当の理由は、
「ただいまァ」
・・・・・・。
こっちが本当の理由だったりするのだが、本人は気づかないふりをしてたりする。恋する乙女はめんどくさいのである。
60: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:29:48.27 ID:uf6TKcUL0
んで、一方通行は番外個体の顔を見て一番最初に何を言ったか。
「お前帰れ」
酷すぎる。
「・・・帰れって?どういうこと?」
「ンなひでェ顔色で出歩いてンじゃねェよ」
「別の問題ないし。大丈夫だし」
「嘘つけバカ。さっさと帰って寝ろ」
「だから大丈夫つってんじゃん。ついに耳まで悪くなった?もう大丈夫なところ無いんじゃないの?」
一方通行が、面倒くさそうに頭を掻く。どういうわけか、その動作も気に入らない。腰元に打ち止めが抱きついているのも気に入らない。心配そうに二人の顔色を伺うその表情が、気に入らない。彼女に当たるのは間違いだとわかっていても、湧き上がる不快感を消すことが出来ない。
61: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:31:10.02 ID:uf6TKcUL0
「・・・大体、ミサカが何しようが勝手でしょ。アンタに行動を制限される覚えなんて無いんだけど」
啖呵を売るその一方で、なんか違うんだよな、という思いもわきあがる。本当にやりたいことはこういうことじゃないんだよな。でもなんでこうなっちゃうんだかな。
「とにかく、帰んないから。アンタは向こうでマスでかいてて。以上」
そう言って、無理やり会話を終わらせ、俎板に向き直る。背中で話しかけんなオーラを撒き散らしつつ、目前の大根を無慈悲に千切りにしていると、一歩通行は諦めたように奥の部屋へ移ろうとした。しかし、
「痛っ」
番外個体が急に包丁を放り出し、ぱっと俎板から離れる。それは反射的なものだったので、慌てて元の作業に戻ろうとしたのだが、右手を一方通行にガシリと捕まれる。しまった、と思うまもなく、つかまれた手の人差し指から、赤い液体がポトリと落ちた。
「・・・だから言っただろォがバカ」
62: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:32:07.94 ID:uf6TKcUL0
指先には、今しがた出来た切り傷があった。白い俎板の上にも、一滴赤色のしずくがこぼれていた。危害を加えた張本人である包丁は、思いのほか平静さを装っていて、そりゃないよ、と頭を抱えたくなる。一方通行はこんな小さな怪我と顔色を関連付けて、また彼女に帰宅するよう言ってくるだろう。さっき嫌になるほど繰り返したそのやりとりをもう一回やるとなると、正直気が重い。
面倒臭いな、と思っていると、一方通行が掴んだ右手を持ち上げ、
「え?」
傷がついた、番外個体の右手の人差し指を、
ペロリ、と舐めた。
ぴきん、と番外個体の活動が停止した。
「・・・・・・」
「ったく、気をつけろ。で、今日は帰れ。無理すっと、もっとやべェ怪我すンぞ」
「・・・・・・」
「おい、聞いてンのか!?」
番外個体はやっとのことで、顔を真っ赤にしながら「・・・うん」と言った。
63: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:33:13.91 ID:uf6TKcUL0
64: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:33:49.55 ID:uf6TKcUL0
それを、打ち止めは、見ていた。
65: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:34:48.12 ID:uf6TKcUL0
打ち止めが、人を殺せるような目でそれをにらんでいたことに、二人は気づかない。その憎悪は、間違いなく番外個体へと向けられている。肉親に向けることが適うとは思えぬその苛烈な目の中には、また違った感情も含まれている。
俎板には、依然変わらず番外個体の左手が置かれている。
すらりと細く長い指が、俎板の上においてある。
あの指の。
あの指の先に、傷が付いたのだろうか。
そして、打ち止めの右手には、包丁が握られている。
ごくり、と彼女は息を呑む。脈拍が上がる、脳みそに血液がなだれ込む。暴れまわった何かが、彼女の耳元でささやく。
斬れ、斬れ、斬れ。
彼女は嗤い、手に持った包丁を、俎板に置かれた指に向かって、思いっきり振り下ろした。
66: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:35:53.32 ID:uf6TKcUL0
「骨に当たって幸いだったよ」
冥土帰しがため息をつきながら言った。実際その通りだった。打ち止めの力がそれほどなかったことも、恐らくは幸いしたのだろう。仮借ない力で振り下ろされた包丁は、指と手を分割するまでには至らなかった。びっくりするほど大量の血液が流れ、キッチンは地獄絵図になったが、とりあえずは傷が残る程度で済みそうだった。
「しかし、君がちゃんと監督しなきゃダメだよ」
「ああ、解ってる。しばらく料理はさせねェ」
「頼むよ?いくら成長したとはいえ、あの子はまだ子供なんだからね」
しかし、冥土帰しはうすうす疑問に思っている。それは長年傷を見てきたからこそ、解ってしまう事実だった。その上で、一方通行が自分なりのストーリーを持っているのであれば、それを明かす必要は無いのかもしれないとも思う。
しかし、彼の疑問が晴れる訳ではない。
要するに。
何故、打ち止めは、”自分の指”に”思いっきり”包丁を振り下ろしたのだろう。
67: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/03(水) 19:36:58.03 ID:uf6TKcUL0
一方通行が冥土帰しに今後についての話を聞いている最中、打ち止めは待合室のソファで手持ち無沙汰に座っていた。怪我をした左手の薬指には包帯が巻かれ、その下には8針縫った、未だ痛々しい傷跡が残っている。
打ち止めはまじまじとその包帯を見つめ、呟いた。
「・・・これじゃああの人に舐めてもらえないなぁ」
暗がりの待合室で、非常灯が、ゆらりと瞬いた。
82: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 12:55:52.41 ID:uE1AYYAt0
なかなか突き抜けた青空が、「これでもか!」と言わんばかりに広がっている、そんな日の朝。
一方通行はよく解らない銅像の前で深くため息をつく。急いで来たため息が切れており、ぜぇぜぇと体が必死に酸素を求めるような状況でも、ため息というのはしっかり出てくれる、というどうでもいい真実に気づかされ、多少感嘆を覚えた。
何がいけないか、といえば、結局のところ自分の不注意なのだと思う。かけたと思っていたはずの目覚ましが全く鳴らなかった、というのが実際の理由なのだが、そんな情けないことを言える訳も無い。
寝る前に電池残量まで確認したのに、この結果。恐らくは寝ている間に自分でスイッチを切ったのだろう。どれだけ可能性が低かろうと、それしか思いつかない。自分のクソさにはほとほと呆れる。打ち止めが居れば起こしてくれたかもしれないが、生憎彼女は昨日の夕飯を食べた後、黄泉川の家に泊まりに行ってしまった。なんでも、「黄泉川が寂しがっているから来てくれない?」と芳川に頼まれたらしい。
まあ、なんにしろ今日のことを教えてないのだから、なんとかなった可能性はあまり無かったのだが。
83: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 12:56:51.78 ID:uE1AYYAt0
腕時計に目をやる。長針がそろそろ10の数字を追い越そうとしていた。貫禄の1時間50分遅刻。なかなか豪勢に、時間を浪費したものである。普段ならばかなり眠りは浅いほうなのだが、今日ばかりは変によく眠れてしまった。頭のどこかで、少し興奮していたのかもしれない。
さらに悪いことに、携帯電話も何故か見つからなかった。枕元に置いたような気もしたのだが、そこまではっきりとした記憶も無い。跳ね起きた後手当たり次第に引っ掻き回したが見つからず、そのせいで連絡も取れない。
そんな訳で、一部の望みを賭けてここまで賭けてきたのだが。
ガシガシと頭を掻く。さて、どうしたものか。待ち合わせ場所には着いたものの、約束の時間を既に二時間近く過ぎている。しかも、連絡の一つも入れていない。自分だったら100%ブチ切れて帰っている。
そんな中でも。待っていてほしい、というのは、やはり贅沢な望みなのだろう。
それでも諦めきれず辺りを銅像の周りを一周する。ひょっとしたら裏に居るかもしれない、などという淡い期待を抱きつつ覗いてみるが、居ない。ふむ、誰かが居るような気はしたのだけど。
84: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 12:57:46.23 ID:uE1AYYAt0
一周して元の場所に戻る。
そこで一方通行は目を見張る。
「マジかよ・・・」
ちゃりんちゃりん、と喫茶店のドアに付いたベルが鳴る。そこから今しがた出てきた人影はやけに見覚えのあるものだったが、正直信じられずに頭を整理する。なんど瞬きしても変わらない。
その人影は悠然と、しかし妙に堂々と歩いて来る。それは一方通行に安心と同時に、途方も無い疲労感を感じた。
一体何言やいいんだよ。
「さて」
ゆったりと、一方通行の前まで歩いてきたその人物は、やけに笑顔で言った。
「何か言うことはないのかな?一方通行」
一方通行は目の前の彼女---番外個体に一言「スマン」と言う以外に、一体何が出来ただろう。
「まさか、学園都市第一位って奴が、遅刻しそうなときは連絡を入れる、なんて常識を知らないくらいに浮世離れしてるとは知らなかったね。いや、いいご身分なことで」
「スマン」
「で、何?携帯電話も保持しておられないとは。下々の量産型戦闘クローンとは連絡取る必要も無いって訳ですか」
「・・・スマン」
85: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 12:59:09.98 ID:uE1AYYAt0
一方的にこちらが悪いので、ただただ小さくなる。
クローン云々の下りも、普段であれば正すところだが、そんなことをいえるような立場でも無い。小さくなる、と言っても、そっぽを向いて小さな声で「スマン」と言うことしか出来ない自分のチンケなプライドは、我ながら歯噛みするほど哀れだった。
それでも、番外個体は、満面の笑みから少しだけ素を見せた。
「・・・まあ、でも、怪我とか無いみたいだし、良かったよ。さすがに血まみれでそこらへん回るわけにもいかないしねぇ」
・・・ひょっとして。
番外個体は、一方通行がそこらへんで「誰かと戦ってきた」と思っているのだろうか・・・。
確かに以前はよく”仕事”をやっていたのだが、ここ数年はそれらも解決し、全くと言っていいほど荒事には手を出していないのだが・・・
もしくはそれを髣髴とさせるような出来事でもあったのだろうか。
「ん?どしたの?」
「いや、なんでもねェ」
まあ、いいや、と思い直す。今更一方通行なんぞを襲っても、メリットなんてありはしないのだ。
第一、「いや、実は寝坊しただけなンだが」とか、言えるはずがないではないか。目覚まし時計が止まっていた、とか、このタイミングで言える猛者は、おそらくあの幻想殺しくらいのものだろう。
黙っていよう、と心に決めた。世の中には、秘密にしておいた方が良いこともある。
そう一人で決意した一方通行を見て、番外個体は怪訝気に首を傾げ、しばらく眉を顰めていたが、最終的には「まあいいや」と前に向き直り、一方通行はほっと胸を撫で下ろす。
「で、今日は何してくれる訳?」
「あァ?」
「そっちから誘っといて、まさかノープランって訳は無いでしょ?」
一方通行は一瞬動きを止め、その後なるべく平静を装って「あァ」と返すと、番外個体がバカにするように口を歪めた。
「ま、うすうす解ってたけどね」
86: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 12:59:39.23 ID:uE1AYYAt0
87: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:00:23.17 ID:uE1AYYAt0
結局近場の喫茶店に入ることにした。
そこは番外個体が待っている間に入っていた店であり、なんでもそこのランチがえらくおいしそうに見えたらしい。せっかくなのでそこに行こう、ということになった。大遅刻のおかげで、時間も丁度お昼時だったので、まあ丁度いいと言えなくも無い。
と言っても、起き抜けで杖を突きつつ不自由な体で全力疾走してきた一方通行は思いのほか体力を浪費しており、正直なところあまり食欲が湧いてこない。
「んじゃ、とりあえずドリンクで粘って、落ち着いたら食べりゃいいんじゃないの」
「ンじゃそれで。金は俺が払う」
「さすがにこの状況で割り勘とか言ってきたらドン引きだけどね」
そこまで混雑していない店内は、手を上げるだけですぐに店員を呼び止めることが出来た。とりあえずブラックコーヒーを二つ注文する。落ち着いた返答と共に、オーダーを伝えられた厨房からいやに威勢の良い声が聞こえる。
「ブラックコーヒー二つってわけよ!」
「超了解しました!」
一方通行は遠い目をしてかぶりを振る。聞き覚えが、あるような、無いような。
気のせいだろう、と頭を振る。因みに声は男の声であった。そこの諸君、世の中そんなに甘くないのだ。
88: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:01:10.57 ID:uE1AYYAt0
「それにしても、今日は一体なんなのさ。急にデートのお誘いとか、ミサカちょっと気持ち悪いんだけど」
「最近体調悪そうだったし、呼び出してダメそうだったら病院ぶち込ンでやろうと思ってな」
「あっそ、一方通行に心配されるなんて、いや、ミサカもか弱い乙女になっちゃったもんだね」
そう軽口をたたいた後、「そもそもそんなわるくなかったし」などとは言っていたが、さすがにいつもよりファンデーションの塗りが厚いことくらいは一方通行にも見抜けた。顔色をごまかすためだろう。目の隈も隠しきれてない。
結構長引いているようではあるが、黄泉川や打ち止めなんかに探りを入れてもらっても、なんとなく吐き気がする、くらいのものらしい。後は味覚がおかしいとか、むくみがあるとかだ。なので、そこまでたいしたことではないのだろう。
だったらせめて、気分くらいは晴れさせてやりたい、というのが、今回の表向きな理由だった。
「・・・ま、何事もねェならそれでいいさ」
そう言って、一方通行は目の前のブラックコーヒーを一口飲んだ。阿呆かと思うぐらい熱く、口に入れた瞬間に吐き出しそうになったが、自分の中の忍耐と情熱を総動員し、なんとか表情を変えずに飲み込んだ。見栄というのは、男にとって結構大事なものなのだ。
なんとなく視線を感じたので、気づかれたかと番外個体を伺うが、あちらもあちらでコーヒーを飲んでいたようで気づかなかった。
「熱っ!」
89: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:01:47.71 ID:uE1AYYAt0
90: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:04:58.34 ID:uE1AYYAt0
結局、一方通行と番外個体は、その日一日を思う存分に楽しんだ。
91: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:05:43.74 ID:uE1AYYAt0
92: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:06:47.57 ID:uE1AYYAt0
_____。
93: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:07:36.29 ID:uE1AYYAt0
次の日の朝、黄泉川家から帰ってきた打ち止めが唐突に言った。
「昨日は楽しかった?ってミサカはあなたに尋ねてみたり」
「あァ?」
「番外個体と遊びに行ってたんじゃないの?ってミサカはミサカは羨ましさを抑えつつ至極冷静にたずねようと努力してみたり」
ぎくり、と体を強張らせる。いったいどこからバレたのか・・・
「ミサカに知らないことなんて無いのだ!ってミサカはミサカはネットワークの存在を隠しつつミサカの万能性をアピールしてみたり」
「マジかよ。ぜんぜん気づかなかった」
「ふふふ、あなたが目覚まし時計がならなくて2時間遅刻したことも、その後番外個体と一緒にカフェでランチをしたことも、ゲーセン行ってUFOキャッチャーでクソでかいカエルのぬいぐるみを取ったことも知ってるもんね!ってミサカはミサカは情報通を気取ってみたり!」
畜生、と一方通行は頭を抱える。全部筒抜けじゃないか。ミサカネットワークの恐ろしさをまざまざと感じた。一人にさえ見つかれば、それは一万人の知ることとなる。この情報拡散速度の速さ。この町には、自分のプライベートなど、ひょっとして既に無いのではないだろうか。
94: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/07(日) 13:08:10.67 ID:uE1AYYAt0
「ん?」
あれ?と一方通行は少しだけ引っかかるものを感じた。なにかが、何かがおかしいような気がする。ありえないことが、一つ起こっているような。
打ち止めが嗤う。
「うふふ」
彼女のポケットに手を入れた時、この家の鍵の冷たい感触が、じわりと指先に伝わったことに。
彼女の背負うリュックの中で、彼女のものではない携帯電話が震えていたことに。
当たり前だが一方通行は気づかなかった。
104: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 22:56:46.73 ID:JxXw2vZG0
番外個体は黄泉川家の便器に伏し、荒い息をついている。
胃液の苦々しさが口中に広がる。鼻腔へと逆流した刺激が、無理やり涙を押し出す。それを垂れ流すままにし、再び来る激流に耐える。全くと言っていいほど勢いを失った、未消化の食物と体液の集合体を、数秒間の無呼吸と苦悶の果てになんとか対外へ出す。
気管になだれ込んだ異物が無理やり咳を誘発した。また数秒呼吸が止まる。勢い良く飛び出す呼気に乗って、残りかすが飛び出し、口を覆った手を汚した。
胃の中が空になり、それでもなお収縮を繰り返す食道を必死に押しとどめると、少しずつ息を吸えるようになってくる。とりあえず、今日のところはそれで終わりのようだった。
いくらか楽になってきた。未だに多少気持ち悪さは残るが、それでも先ほどよりはマシだ。すっかり体力を使い果たし、どたりと腰を落としてトイレの壁に寄りかかる。汚物と唾液で汚れた顔をトイレットペーパで拭く。いつまで拭っても取れない不快感は、実際なかなかのものだ。
大きく深呼吸をする。何分かそうしてるうちに、やっと呼吸が落ち着き、心臓の鼓動も緩くなってきた。
少し長引きすぎじゃないか、と思った。
もう二週間ほどになる。ずっと意地を張って来たが、ここまでくるとさすがに不安を覚えずには居られない。本格的に何かの病気なのかもしれない。冥土帰しに聞けば解るかもしれない。
しかし・・・それでも手の施しようが無ければどうすればいいのだろう。たとえば、無理やり成長させられたクローンに訪れた、特性の難病だったりしたら・・・
不安を振り切るように首を振る。今考えても意味の無いことだった。ごくりと唾を飲むと、のどの奥を、つんとした刺激と苦味が駆け抜けた。口内のぬるりとした感触が気味悪い。
とりあえず、何かで口をゆすごう。
番外個体は妙に泡立った吐瀉物に、ほんの少し意味ありげな視線を落とし、水洗トイレのレバーを引く。大量の水によって、泡と汚物はほんの数秒で下水管の中へと消えた。
105: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 22:59:01.32 ID:JxXw2vZGo
携帯電話が見つかった。
どこにあったのか、といえば、洗濯機の中にあった。なんでもポケットの中に入れて、そのまま洗ってしまったらしい。しかも、見つけた打ち止めが乾かさずに電源を入れてしまっていた。
「こりゃ無理かもしれねェな・・・」
完全にブラックアウトしたディスプレイを見つめながら一方通行は呟く。学園都市第一位の頭脳を駆使すれば修理できないこともないが、通電してメモリが飛んでいるとすれば、使えるようになってもあまり意味は無い。
電話帳のバックアップはあるが、メールの内容はさすがに戻ってこねェかもな、とある程度被害の目算を立てる。
「ごめんなさい、てミサカはミサカは心からの謝罪を表明したり・・・」
「仕方ねェさ。俺の不注意だ。新しい奴買ってくるか」
なんとなく腑に落ちないものを感じるが、それでも事実として、携帯は洗濯機の中から見つかった。ということは、やはり忘れて脱ぎ捨てた服と一緒に突っ込んだのだろう。
「しかし参ったな・・・」
「どうしたの?ってミサカはミサカは何か危急の用事でもあるのかと問いただしてみたり」
「いや、昨日会ったときも番外個体は調子悪そうだったからな。少しからかってやろうと思ったンだが」
今から携帯電話ショップによって、新しい携帯を買って、データを移行して・・・とやりたいところだが、今日は今から外せない用事があった。一連の流れを行えるほどの時間的余裕は無い。
106: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:00:14.86 ID:JxXw2vZGo
冥土帰しのところに行っていれば、状態も解るだろうか、と思い、打ち止めに電話をかけさせる。すると、何故だか恥ずかしがって打ち止めが受話器を持って奥の部屋まで引っ込んだため、通話が終わるまでコーヒーを飲みながら待っていた。
戻ってきて聞くと、「まだ番外個体」は着ていない、ということだった。
「それにしちゃやけに長い電話だったな」
「女の子にはいろいろと理由があるのだ!ってミサカはミサカは大袈裟に胸を張ってみたり!・・・ねぇ、調子だったら、ミサカネットワークでわかるかもしれないよ?ってミサカはミサカは提案してみたり」
「便利だなオイ」
「番外個体も最近はネットワークに接続しているみたい、ってミサカはミサカは説明しながらMNWにアクセーーース!!」
あらぶるワシのような奇妙なポーズと隣部屋まで聞こえるような大声を出し、そのままMNWから情報を収集する打ち止め。一部たりとも動かない彼女を一方通行が半目で静かに見つめる。
限りなくシュールな時間が五秒ほど続いた後、打ち止めがおずおずと言った。多少正気に戻ったらしい。
「・・・確かに番外個体はあんまり元気が無いみたい、ってミサカは悲しくなったり」
昨日の今日で治るようなもんでもないのだろう、と心配ながらも納得する。気を紛らわせるように、カップを手に持ちポッドからコーヒーを注ぐ。
「症状とかも解るのかァ?」
「吐き気、味覚の変化・・・」
一つ一つを挙げながら、だんだんと打ち止めの顔が険しくなっていく。怪訝に思いながらも、コーヒーを飲みつつ尋ねる。
「どうした?」
「・・・これって妊娠時の症状じゃないの?ってミサカはイヤーな予感に胸をざわつかせてみたり・・・」
「さすがにねェだろ」
「わからないよ?ってミサカは釘を刺してみたり。番外個体は美人さんだし大人びてるし、スタイルだってボンキュッボンでえろちっくなんだからお相手が居てもおかしくないよ!ってミサカは力説してみる!」
その可能性があるのだということは自分にもよく解っている。解っているんだ、と自分にだけ聞こえる声で呟く。そのままもやもやを押しとどめるように、コーヒーをのどに流し込むと、何故だか妙に苦く感じられた。
打ち止めは、多少の動揺を必死で隠そうとする一方通行を、じとっとした湿気に満ちた目で見ていた。
相手が自分を見ていないと確信できるからこそできるような、そんな暗い目だった。
107: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:01:12.88 ID:JxXw2vZGo
「というか、妊娠最初期の症状なんてものは軽い風邪みたいなものだから、そこまでえげつない吐き気とかを感じることは無いんだよね。つわりはだいたい四週目くらいから出始めるのが普通だから、それまでは生理の遅れや基礎体温の上昇なんかで妊娠を知るのが一般的だよ」
「え?何の話?」
「いや、とりあえず説明しとかないと、後で突っ込まれるかもしれないからね。そういうことをされてしまうと、シリアス分がぼろぼろになってしまうんだ。あ、もちろん読んでくれている人を非難しているわけじゃないからね。そもそもちゃんと調べて書かないのがいけないんだ。間違えるやつが悪いんだ。」
なにやらよく解らないことをにこやかに力説する冥土帰しに着いて行けず、とりあえず番外個体は「はぁ、そうですか」と返事をする。その生返事にとりあえず満足したようで、急になんとなくシリアスな顔に戻って診察が再開される。忙しい御仁である。
「それで、強烈な吐き気と肌荒れ、胸のむかつき、のどの痛みが自覚症状だったっかな?」
「うん」
「味覚も多少変化したと。実際に口内、食道共にかなり荒れているね。で、症状が一週間以上続いている」
「そう。最初はただの風邪かな、とも思ったんだけどね。あんまり続くもんだから、ちょっと来てみた」
「なんですぐ来なかったんだい?」
冥土帰しはにこやかに言った。
「君が健康的に不安定な体質であることは、未だ調整を受けなければならないことからもある程度わかっているだろう?なのに、なんで来なかったんだい?」
「だから、ただの風邪だと思ってたんだって。悪かったとは思ってるよ」
108: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:02:02.15 ID:JxXw2vZGo
その言葉を聞き、冥土帰しは彼女の目をじっと見つめる。番外個体はふっと目をそらし、参ったな、という風に頭を掻く。
「・・・次からは、体に異変を感じたらすぐに来て欲しいな」
「解ったって。約束するよ。で、診断は?」
「これだけじゃぁちょっと解らない。何と言っても、君は普通の人間じゃあないからね」
その言葉は、外に、この症状は簡単には治まらないかもしれないということを示している。普通のアプローチではなく、特別な手段が必要になる。
だからこそ、ただの風邪といえど気を抜くことは出来ない。ようするに、彼女たちはそれほどまでに朧な存在だった。普通の人が耐えられるはずの流れにも、容易く屈しかねない。とても不自由だ。劣等といっても差し支えない。
そんな枷をはめられた存在であっても、生まれてきたことは尊いと信じて、この医者は生きているのだろうな、と思った。
今となれば、彼女としても、その考えに依存は無い。この世界は尊い。とても。
「ほかに何か気づいたことはないかい?」
「気付いたことねぇ」
「なんでもいいよ。目覚めが悪くなったとか、すぐ目がかすむとか」
ううむ、と腕組みをし思い浮かべる。自分の体の不具合は全て伝えた。これは簡単なのだ。要するに、現在感じている不調を列挙していけばいいのだから。
それでダメとなると、今度は難しい。普段と違うところを挙げていけばいいとは解っているのだが、その普段の自分ってやつがなんなのか、正直よく解らない。そんなに自分を意識して日々をすごしているわけでは無いのだ。
109: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:02:42.59 ID:JxXw2vZGo
必死でうんうんうなって考えた末、やっと思いついたことを無理やり言おうとしたが、やはり止めた。「ゲロが泡立っていた」という響きは面白いが、何かの役に立つとも思わない。
その裏に、大事にしたくないという感情があったことは解っていた。気持ち悪いが、死ぬほどでは無い。死なないのであれば、あの人にわざわざ心配をかけることも無い。
「・・・無いね。それくらいだよ」
「本当かい?」
「うん」
言いながら、冥土帰しの顔が急速に曇っていくのを見て、どうやらこれはまずいっぽいな、と思った。
ただ、その顔の険しさは。正直なところ想定外のものだった。もう少し、納得に近いものが良かったのだが、これだけシリアスな表情になるとは。
話を切り替えるかのように、切り出す。
「で、ミサカは何のビョーキな訳?そんな顔するってことは、当たりはついてるんでしょ?」
冥土帰しはしばし逡巡し、思考を巡らせたあげく、番外個体の質問には答えず内線を手に取る。
「もしもし・・・ああ、僕だよ。今すぐに胃洗浄の用意をしてくれ。至急だ」
聞きなれぬ言葉に少しだけ動揺した。
「・・・胃洗浄?」
「ま、念のためってやつだよ」
冗談めかして言った冥土帰しの顔は、言葉とは裏腹に全く笑っていなかった。
110: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:03:18.31 ID:JxXw2vZGo
111: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:05:35.68 ID:JxXw2vZGo
「・・・思ったとおりだ。まあ、本当は外れていて欲しかったけど」
冥土帰しがため息をつきながら、小さなビンに入ったサンプルを振る。ろ過抽出され、無色透明になった液体が、空気を含んで泡だらけになる。
「洗剤、だね。詳しく調べてみないとわからない」
「それが・・・」
「そう、君の胃の中から出てきたよ」
冥土帰しは役割を終えたそのビンを仕舞う。身になれぬ、しかも不自然なことを胃に課され、既に顔色を悪くしている番外個体の顔にショックが浮かぶ。
無理も無い。誰も、自分の体の中に洗剤がたっぷり入っているとなど思わない。
だけど、と冥土帰しは喉の奥で呟く。君は、君は知っていたんじゃあないかい?
もちろんそれは番外個体に聞こえない。だから彼女は戸惑いがちにこう聞いた。
「なんで・・・?」
「さあ?でも、食器とかに少し残っていた洗剤が溜まって・・・なんて量じゃあ無かったよ。ある程度まとまった量の洗剤を飲んでいなければ有りえない様な量だった。」
やっと実感が沸いてきたのか、番外個体は顔をしかめる。「おえ」と芝居っけたっぷりにえづくが、顔色は以前青いままで、逆に対処の仕様が無い陰鬱さを際立たせる。冥土帰しは笑わず、ただじっと彼女をみている。
112: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:06:23.82 ID:JxXw2vZGo
「何か心当たりは無いのかい?何か変な味がするものを飲んだとか、食べたとか」
「心当たりって言われてもねぇ・・・」
そう言いながら番外個体は顎に指を当てて考えるそぶりをする。うーん。と声を出しつつ、悩んでいる。ように見える。
しかし、冥土帰しはある程度解っている。彼女には、既に何らかの心当たりがあるということに。
それでも言わないということは、やはり打ち止めの言うことは正しいのかもしれない。
番外個体が来る前に、打ち止めから電話があったのだ。最近精神的にすこしおかしくなっている個体が居る、という内容だった。
「・・・誰だい?それは」
「誰にも言わないで欲しいのだけど、番外個体なの、ってミサカは打ち明けてみたり」
番外個体が一方通行へ好意を持っている、ということは、冥土帰しもすこし知っていた。打ち止めからの情報によると、一方通行のほうはそうでもなく、かなり連れない態度を取っているという。
だから、彼の気を引くために、洗剤を飲み、体調不良を装っているようだ、というのが、電話の内容だった。MNW内の負の感情を集めてしまっているから、それにパーソナルの人格が耐えられていないのかもしれないと、それなりに理屈だったことを言ってはいたが、俄かには信じられない。
しかし、実際に彼女の胃から洗剤が検出されている。打ち止めがどんなに進めてもなかなか病院に来ようともしなかったらしく、自覚症状も教えてはくれたがひどく限定的だった。
なにより、洗剤を飲んだ量からして絶対に心当たりがあるはずなのに、それを言おうとしないことが、冥土帰しの確信を深めた。
しかし、確証は無い。証拠が無い以上、患者を疑うことは出来ない。
冥土帰しは考えをめぐらせる。
113: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:07:15.31 ID:JxXw2vZGo
まさか洗剤を飲んでいたとは、と番外個体は衝撃を感じていた。そんなことが原因だったとは、かけらも思いもしなかった。
そんなイレギュラーな自体を、あんな曖昧な自覚症状を聞いただけで見抜く冥土帰しは、やはり人知を超えた名医である、といたく感服した。ただ、妙に洗剤の危険性を強調された。また、三日後に必ず診察を受けに来るとも約束させられた。
冥土帰しの手腕に驚くと共に、番外個体は恐怖を感じる。
『何か心当たりは無いのかい?何か変な味がするものを飲んだとか、食べたとか』
あった。あるのだ。番外個体には、何か変な味が、変な舌触りがするものを飲んだ覚えが確かにある。
そしてそれは、一方通行の家で飲んだ、水であり、牛乳であり、オレンジジュースであった。違和感はあったが、断らなかった。それは混じりけのない善意だと思っていたし、だからこそそれは受け入れなければならないと、そう思っていた。そして、それがどのようなシチュエーションで出されたか、その全てを覚えている。
あの時それを冥土帰しに伝えなかったのは、確証が無かったから、そして身近な人を疑いたくは無かったからだ。
何かいやな予感がした。それもとてつもなく嫌な予感が。
確かめなければならない、と番外個体は決意する。勘違いだとしても、確かめなければならない。何事も無ければ、それでいいのだ。それが一番いいのだ。
しかし、彼女は少しずつ追い詰められている。
114: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/09(火) 23:07:55.66 ID:JxXw2vZGo
夕日が沈む。
闇が。
”病み”が。
番外個体に、手を伸ばす。
131: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:11:41.54 ID:MiGCtrRP0
「心が不安定?」
一方通行は何を言っていいか解らず、ただ冥土帰しが言ったことを鸚鵡返しに答える。
冥土帰しはその反応を見越していたように応対する。「ああ」。一方通行からは、未だにショックが抜け切っていない。
無理も無いのだろう、と理解できる面もあるが、それと同時に多少の苛立ちも感じる。
その苛立ちがどこから来ているのか、それを説明するのは容易いが、彼の信念はそれを許さない。
そもそも、簡単に自分へ帰ってくるような叱責など、する価値も意味も有りはしない。
それは逃避と同じものだし、逃げたからと言って何かが解決するわけでもない。
結局は誰かが向き合わねばならないのだ。それを人任せにするのは、冥土帰しの信念にそぐわない。
「・・・まあ、あくまで可能性が高い、というだけだよ。確かに条件は揃っているんだ。彼女はクローンだし、自己があやふやな部分もあっておかしくない。そもそも体こそ成長はしているけれど、精神は生まれて数年しか経っていないわけだからね。負の感情を集める、というイレギュラーもあるわけだから、一定のレベルのストレスがかかれば耐え切れなくなる、ということも十分有りえる話だろう。もっとも、僕にとっても初めてのケースだから、手探りにならざるを得ないのは情けないのだけどね」
132: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:12:41.99 ID:MiGCtrRP0
そう、だから、本来ならば、もっと密に観察しておくべきだったのだ。
それさえしていれば、こんなに不確定な情報を渡すことも無かったし、より的確な対応が出来ただろう。
番外個体一人にそれだけの時間を割く余裕が無かったことは解っている。
ただ、事が起これば後悔せざるを得ない。それだけの話だ。
自分の無力さを痛感する、などと思い上がるつもりは無いが、だからといって前向きに受け止められるわけでもない。
「・・・彼女の胃から洗剤が検出されたよ」
「・・・はァ?」
「洗剤を飲んでいたんだ。随分と体調が悪かったらしいじゃないか。彼女は。なんで病院に連れてこなかったんだい?」
「それは・・・アイツが嫌がったからだ」
「だと思ったよ。なんで嫌がったのか、というのも、それを発覚するのを嫌ったから、というもので納得出来なくも無いね」
言葉の端々に棘が混じるのを、冥土帰しは止められない。目の前の聡明な白い若者も、それに気づいているだろう。
しかし、彼が冥土帰しを責める事は無い。その優しさと自責の念に付け込んで憂さ晴らしをしている自分には、ほとほと呆れる。
それがまた自己嫌悪を呼び起こすので、結局負の感情は消えずに残る。阿呆らしいどうどう巡りだ。誰も幸せにならない。
133: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:13:31.85 ID:MiGCtrRP0
全く。僕はこれでも、医者だというのに。
冥土帰しはため息をつく。
「なンで・・・」
「うん?」
「なンで、アイツが自分で洗剤を飲んだと解った?」
「ああ、それは・・・」
しばし言葉が止まる。果たして言ってよいのだろうか、という疑問が急に湧いたからだ。
愚問だった。言わざるを得ないに決まっている。冥土帰しは閉鎖病棟のような場所に番外個体を突っ込む気など毛頭無い。
ゆえに彼女は自宅療養することになるが、その際に家族の手助けが必須である。だから今、こんなあやふやな状態で一方通行と話し合いをしているのだ。
打ち止めが彼と共に暮らしている以上、隠す意味は無い。だというのに、何故躊躇ったのだろう。
第六感、という奴だろうか。
「・・・打ち止めが見たらしい」
だとしても。その第六感が正しかったとしても、言わないなどという選択肢は存在しない。
134: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:14:45.61 ID:MiGCtrRP0
「あァ?」
「番外個体が夜中に洗剤を飲んでいるのを、打ち止めが見たと言っていた。ひどく心配した様子で話してくれたよ」
「嘘だろ?」
衝撃を受ける彼に追い討ちをかけるべきか、冥土帰しは一瞬迷った。
ひどく個人的なことを、第三者である冥土帰しが明かしてしまっていいものか。
無論結論は決まっているのだ。明かす。それが治療に必要であれば、そうするべきだ。
それでも躊躇うのは、彼が人間だからだ。体の中身はメスを眼球で確認できるが、人の心の中身は解らない。
神業のような技術を持っていても、神ではない。神であれば、学園都市などという魔窟は出来ていない。
そんなことを考えながら、搾り出す。絞らねば、出てこぬ。
「・・・どうやら、君の気を惹きたかったようだよ」
一方通行の目がギラリと光った。彼の表情がむやみに酷薄さを増した。
この瞬間の罪悪感は、たまらなく嫌いだ。やらなければならないから、やる。
それだけを盾にし、人混みをまい進する戦車のようだ。正義を盾に、踏み込むべきでない場所へ、進み、壊し、荒らす、そんな存在。
「ふざけたこと言ってンじゃねェよ」
「・・・まあ、老人の戯言と思って聞いてくれると嬉しいんだけれどね?」
ここで彼を追い詰めない辺りが、冥土帰しが冥土帰しである所以であるのだが、得てして本人はそんな美点に気づかない。
それは他人への理解と通じているのだが、ただただ人の心を操った後ろめたさだけが残る。
「君にとって、妹達は、その名の通り妹のようなものかもしれない。
でも、男女であるということも、紛れの無い事実なんだ。君がそう認識していないからといって、彼女達の感情を蔑ろにする権利は誰にも無いよ」
一方通行は何も言わず、打ちのめされたかのように、ただ頭を抱える。
135: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:15:38.91 ID:MiGCtrRP0
136: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:17:15.72 ID:MiGCtrRP0
一度対応を話し合いたいので、時間を合わせてみんなで来てほしい、と冥土帰しは言った。
みんなというのは、一方通行と打ち止め、そして黄泉川、芳川のことだ。
「やることがやることだからね。命にかかわることをしないとも限らない。なるべく目は多いほうがいい。
幸い彼女も、人に見つからないように行動を起こしているわけだから、その隙が無ければこれ以上のことが直近で起こることは無いだろう」
「・・・大丈夫なのか?そうやって追い詰めちまって」
「大丈夫じゃなくなるだろうね。だから、それまでに解決への糸筋をつけるしかない」
冥土帰しが解決・・・もとい治療を急ぐのは、それが命の危険に繋がりかねないからだろう。
体調を崩すことを目的としている以上、目的が達せられなければさらにエスカレートするのは必然だ。
本来ならば、俺がもっと気を配るべきだったのだ、と一方通行は臍を噛む。自分が一人暮らしをはじめ、彼女から目を離した。
黄泉川と芳川は番外個体と一緒に住んでこそいるが、二人とも仕事が有る身で、一日中彼女の面倒を見られるわけでは無い。
言わんとしている事を悟るくらいの頭はある。要するに、あの家に戻るべきなのだ。戻った上で、家族内で相談し、交代で彼女の監視をしたほうがいい、ということだ。
そうすることに、特に不都合は無い。問題は、そうしなければならないところにある。
そうしなければならないような状況に追い込んでしまったことにある。
そうしなければならない状況に追い込むまで、何もしてこなかったことにある。
誰が。愚問だ。自分に決まっている。
そこに突き付けられているのは、自らが番外個体に対し、何の支えにもなっていないという現実だ。その現実を、見ようともしていなかった事実だ
137: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:18:00.16 ID:MiGCtrRP0
信じられない。そう思った。だけど、そう感じた自らを信じられるほどに、一方通行は傲慢では無かった。肯定的ではなかった。そして何よりも臆病だった。一万人は殺戮したその記憶が、彼にその咎を課して離れない。
一方通行は両手をすり合わせ、せわしげに足踏みし、足首が草臥れるまで足掻き、
「・・・解った」
そして遂に、立派な立派なこの名医を疑うことが出来なかった。
138: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:18:26.36 ID:MiGCtrRP0
。。。。
139: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:19:46.54 ID:MiGCtrRP0
「しらなーいほうがーああましだったー」
打ち止めはご機嫌に歌いながら合挽き肉をこねている。
牛乳とパン粉、事前にみじん切りにしてもらったたまねぎなんかと一緒に。
指を怪我してから、包丁を触らせてもらえないので、刻み物系は一方通行が外出前に全部こなして行ってくれた。
だから彼女がやることは、材料をこね合わせて、形を整えておくくらいだ。
小さな手で、非力ながらも肉をこねるその姿は、非常にかわいらしさを感じさせるものだった。
「ふふふーんふふふーんふーんふーん」
歌詞がわからない部分は適当に鼻歌で済ます。
そうこうしてる内に、打ち止めはこねるのをやめ、適当な大きさを取り出して、形を整える作業に移る。
「しーんじつーはーあーしたもーわーたーしをきぃーっとー」
泣かせるだろう。
そう歌いながら、キッチンにパシンと音が鳴った。取り分けた肉を左右の手にたたきつける音だった。そうやって、空気を抜いていく。
ぱん、ぱんと小気味良い音が鳴る中も、打ち止めはかわいらしく歌っていた。
140: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:20:22.46 ID:MiGCtrRP0
「まってるひとはいなーいーけーどー」
ぱしん、ぱしん。
一つ出来上がって、次の肉を手に取る。
ぱしんぱしん。ぱしんぱしん。
最後のフレーズを歌いきる前に、ハンバーグが三つ出来上がった。打ち止めは歌うのを止め、それらをお皿に並べ、ラップをかけて冷蔵庫へ仕舞う。焼き始めるのは、あの人が帰ってきてからでいいだろう。
ぱたん、と閉める。
黒い外装に反射し、自分の顔が移っている。微妙に曲面となっているからか、彼女の顔は横に引き伸ばされていた。なんだか、嗤っている様だった。
141: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/18(木) 23:23:01.98 ID:MiGCtrRP0
「・・・・・・」
黙って見続けても、どんな表情をしても、冷蔵庫に映った自分の顔は嗤い続けていた。
そっと右手でほほを撫でる。未だ洗っていないその手には、ひき肉の残りかすが脂と共に塗れ、すすす、となめくじが通り過ぎたような紋様を浮かび上がらせた。
その中に一筋、赤い筋が背骨のように通っていた。
何の色か。愚問だ。血に決まっている。
今日のハンバーグは特製だ。なんと言っても、私の血液が入っているのだから。
少しならば味も変わらないし、むしろ髪の毛よりもずっと大事な意味を持つのだと、どこぞのシスターが言っていた。
打ち止めはそんな記憶を反芻し、満足したように頷く。
そして、ぼそっと、最後のフレーズを呟く。
「・・・そーとはもっとーあめー」
歌い終わり、にこりと嗤った。
「うふふ」
158: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:37:10.36 ID:sKaiGv7q0
---。
番外個体が家に帰ると、芳川がダイニングキッチンに座っていた。
奇観だ、と番外個体は思った。とはいえ、特に珍しい光景でもない。
彼女は家にいるとき、ソファに寝転がってその体を弛緩するに任せているか、もしくはダイニングキッチンでティーカップを片手に、
優雅だかニートだか解らないような笑みを浮かべながら、コーヒーだか紅茶だかを感想も無く口にしているかのどちらかなのだから、
むしろ馴染み深いとすらいえる。
実際には、その座り方は、多少の上品さと大半のだらけを交えた、なかなか難易度の高そうな居住まいだった訳だ。
さらに残念なことに、彼女の手の届く範囲に、湯気が立ち上るようなティーカップは見当たらない。
ついでに言えば、人間は何の理由も無く、ダイニングキッチンにたった一人で座らない。
休もうとしているはずなのに、休み難い場所に敢えて佇む。
なるほど、確かに奇観である。人がそのような奇妙さを構成する一翼を担うためには、そうなるだけの理由が無ければならない。
日常と現実を照らし合わせて、ババ抜きのように同じカードを捨てていき、残るものがあれば、
恐らくはそれが彼女を奇景の一翼とならしめた要因だ。
ババを自分が携えているときの後ろめたさは幾度か味わったことが有る。
同種の情が湧くことが、彼女の懸念を少しずつ濃くしていく。
159: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:38:08.18 ID:sKaiGv7q0
芳川は、しっかりただいまを叫んで部屋に入ってきた影を見つめ、その上でわざわざ姿勢を正して言った。
「おかえりなさい」
ああ、こりゃ伝わってるな、と番外個体は思った。
一抹の期待をかけてはいたが、この不自然さが仮に自分と関連なき何かであるとするならば、これはもう天佑としか言い様がない。
身に過ぎた幸運だ。時と場合によっては、そんな神様の気まぐれを信じてもいいのだが、すべてを任せるほどの信頼度などもちろんありはしない。
自分が病院に行ったこと。そして恐らくは、症状や、原因も、彼女たちは知っているはずだ。
自分が冥土帰しのところへ行った時点でこうなることは解っていたし、納得も出来る。
何を差し置いても彼女は自らの保護者だし、家族だ。共に暮らす家族が病気になったことを知らない、などという状況が、不自然なものであるということは、クローンの自分でも十分理解できる。
私は自然でありたいのだ。たとえどんなに、出自がイレギュラーであったとしても。
160: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:39:11.01 ID:sKaiGv7q0
とはいえ、これから事情を説明したりすることを考えればさすがにうんざりする。
包み隠さずすべて・・・といければいいが、そうもいかない事情がある。
「おう、いつの間に帰ってたじゃん?」
声と気配を感じつけて、黄泉川が奥の部屋から笑顔で出てくる。
何もそんなに頑張んなくてもいいんじゃないかな、と思った。それくらい、悲しいことにナチュラルでは無かった。
そのことに、少しだけ衝撃を受けた。
考えれば、彼女たちはどちらも独身だ。保護者としての経験はあっても、親として生活したことはあるまい。
悪がきを矯正したことはあっても、家庭、という狭くて密なコミュニティで発生した問題に、リーダーシップを取って適切に対処するどころか、それに対して頭を悩ましたことだってそう無いだろう。
確かに彼女たちは、家族というラベルを貼って生活している。
しかしそれは、自然に組みあがり、時をかけて醸成し、世界の中にバランスを保ちつつ根を下ろしたような高級な代物では無い。
吹けば飛ぶようなバランスの中で、必要に駆られた、というよりは、欲求に起因して無理やり組み立てられた、雨風をしのげるだけのテントに過ぎないのだ。
いつかはその場所に太い大黒柱が立ち、頑丈な壁と屋根を備えた安らぎの場が出来るかもしれない。
でも今はそのときではない。そこまで至ってはいないのだ、と番外個体は思った。
急に吹いた、得体の知れない風におびえるこの二人、そして自分が、それを如実に浮き上がらせた。
161: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:39:57.76 ID:sKaiGv7q0
そんな、そんなか弱い場所に。
--- 大丈夫?ってミサカは本当に心配してみたり ---
この爆弾は、耐えられるのだろうか。
162: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:41:49.54 ID:sKaiGv7q0
ゴクリ、と唾を飲む。
洗剤の、味がした。
不意に蘇った、ぬりりとした感触に、心臓の鼓動が跳ね上がる。
まだ残っていたのだろうか。そんなわけは無い。なにせ胃洗浄までしたのだ。
うがいだって何度もやった。だからそんなはずは無い。無いのだが。
もしも、と考える。吐き気がぶり返す。しかし、トイレに駆け込むわけには行かない。
それを悟らせてはいけない。いつのまにか口内からいずこへと去っていった唾を動員するが、上手くいきそうにもない。
「早く席につくじゃん。ご飯にするじゃん」
「あ、ごめん」
黄泉川に急かされ、番外個体は物思いから逃れて洗面所へ至る。
ばしゃばしゃ、と敢えて音を立てながら手を洗う。
あの二人がこちらを目で追っているのは、この音がうるさいからだ。そうに違いない。
普段はほとんどしないうがいの音も、がらがらと盛大に響かせる。
タオルを使わず、手を振って水を落とす。そこら辺は水浸しになるが、知ったことではない。
自分でも、何を考えているのかよく解らなかった。解らないまま椅子に座る。
「いただきます」
「いただきます」
その日、黄泉川と芳川は何も聞いてこなかった。
番外個体はそれに多少安心する。しかし同時に、これはひどくまずいことになるのではないか、という予感と懸念が湧き上がるのを感じた。
163: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:42:58.54 ID:sKaiGv7q0
―――――。
次の日、道すがらに御坂美琴と会った。
「ありゃ、お姉さまじゃん。何してんの?」
「え、いや、ちょっとね。あはは」
ごまかそうと試みてはいるようだが、激しく動揺しているのはバレバレだった。
なんでかな、と考えるまでも無い。右手にはすぐそこのスーパーで買ったと思わしき食材がぱんぱんに入っている。
美琴は寮生活で、自炊することがそう多いわけではない。にもかかわらず何かを作るのであれば・・・
「・・・なに、ヒーローさんのトコ?」
「な、なんで解るの!?」
「いや、なんでって言われても」
ホントにばれないとでも思っていたのだろうか。
164: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:44:18.28 ID:sKaiGv7q0
「・・・まあ、それはいいんだけどさ。大丈夫な訳?
この前長居しすぎて門限破って寮監に締め出されたときに、しばらく来るなって怒られたって言ってなかったっけ」
「べ、別に怒られて無いし!ちょっと注意されただけだし!」
「はいはい。で、その注意をしっかり守っていたお姉さまが、どんな心変わりでそんなに食料を買ったのか教えていただけませんかね」
割と傍若無人なところもある美琴ではあるが、それでも上条当麻に「やるな」と言われたことはやらないように心がけているはずだった。
なぜなら、彼に嫌われたくは無いからである。御坂美琴は未だに絶賛片思い中なのである。
「これは・・・その・・・あの、と、当麻が風邪で倒れたらしいから、あそこは大食いの同居人とかもいるし、仕方なく行かなきゃなって思っただけよ!それ以外に他意はないの!ホントよ!?」
「何?メールで来てくれって頼まれたの?良かったね、めっちゃ前進してるじゃん」
「ち、違うけど・・・でもなんか三日くらい学校にも来てないって土御門が・・・」
「風邪云々すらも推測かよ」
「うん」
「じゃあダメじゃん」
「でもこういうときにポイント稼がないとあのシスターに負けちゃうじゃない・・・」
その気持ちは解る。まるっきり構図が自分と同じなのだ。美琴もまた、一歩先んじられた焦りと共に、それでも諦めずに前に進もうとしている。
165: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:45:03.61 ID:sKaiGv7q0
立場の似通う相手の境遇に、共感を抱かないわけが無い。
「・・・ま、いいんじゃない?お見舞いくらい。違っても笑い話になるでしょ」
「お見舞いって言えば、なんか最近多いのよね。
黒子は車に轢かれるし、佐天さんも急に上から落ちてきた鉢植えがぶつかって肩骨折しちゃったし」
「うっわ、呪われてんねぇ。ちょっと半径2m以内に近づかないでくださいね、不幸が伝染するから」
「ちょっとひどすぎない?それ」
うひゃひゃひゃひゃ、と指を刺してからかう。美琴も番外個体の口が悪いことを知っているから、呆れ顔で受け流す。
なんとなく心地がいい。どこまで踏み込んで良いのか、などといったつまらないことを考えず、ただ自然に話し、動く。
余計な思考が省かれたこのやり取りは、素敵だ。
美琴も。美琴も、冥土帰しに何かを聞いたら、黄泉川たちのようになってしまうのだろうか。
166: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:46:09.15 ID:sKaiGv7q0
「・・・どうしたの?やけに元気ないわね」
「そんなことないんだけどね」
無理やりごまかす。ホントにごまかせると思っているわけではない。
ただ、美琴ならば、この誤魔化しに乗ってくれるかもしれないな、と思ったに過ぎない。
「・・・ま、いいわ。あんた、これから一方通行のところに行くんでしょ?」
「うん」
「やけにあっさり認めるわね。私の遺伝子なら、もっと、こう、面倒くさい感じに・・・」
「いや、ミサカ結構大人だからさ」
「はいはい。じゃあ、ついでにさ、一方通行にお礼言っといてよ」
「へ?何で?」
「佐天さんが、チンピラに絡まれた時に、助けてもらったんだって。しかも、三回。
あの子もどんだけ運悪いのよって話よねー。その末に骨折までするんだから、不幸としか言い様がないわ」
167: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:46:38.07 ID:sKaiGv7q0
168: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:47:06.82 ID:sKaiGv7q0
え、と口から漏れた。
169: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:48:06.45 ID:sKaiGv7q0
番外個体は、誠に不本意ながら、表情から笑みを消してしまった。
そこにはむき出しになった畏れが浮かび、本能的に保とうとされた笑顔が唇の端でぴくぴくとのた打ち回っていた。
一瞬の後自分を取り戻したあとも、顔の筋肉は思うようにならず、出来の悪い福笑いのような、アンバランスな形状を維持していた。
「・・・あんたやっぱりどこかおかしいんじゃないの?」
美琴が心配そうに、そして訝しげに番外個体の顔を覗き込む。
佐天と一方通行の間に関わりがあった、という事実に、衝撃を受けていた。
まあ、この町はあまり治安が良いほうでは無いが、とはいえ三回は多い。多いが、ありえないというほどでもない。
不自然ではあるが、”常人ならば”わざわざチンピラに絡まれにいったりはしないだろう。だから恐らくは”偶然”なのだ。
そしてその三回とも一方通行が絡んでくるのは、まあ説明できる。一方通行の今の仕事は、黄泉川の見習いみたいなものだ。
通報を受ければ駆けつけるし、監視カメラに何か移れば直行する。
無論それをしているのは彼だけではないが、スピードや戦闘能力が突出しているため、自然と仕事量も多くなる。
170: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/08/22(月) 18:48:54.64 ID:sKaiGv7q0
だが、仮に。仮にだ。
それを”偶然ではない”と考える奴がいたとする。
彼女が・・・佐天が”一方通行に近づくために、わざわざ襲われた”と思い込んだ人間がいたとする。
普通では無い。常人ではありえぬ思考である。
だが、もしも居たとすれば・・・
それを排除するために、”頭の上に植木鉢を落とし”ても、おかしくは無いんじゃないだろうか。
たとえば、人に洗剤を飲ませるように。
番外個体は、表情を戻せないまま、なんとか呟く。
「大丈夫」
そう、大丈夫。まさか、まさか、ね。
197: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:03:17.21 ID:oMBg+ofh0
その後、五分とたたずに御坂美琴とは別れたのだが、その状況たるやずいぶんと不自然なものだった。
正直なところ、上手くやれば、もう少し自分の動揺は隠せたのではないかと思う。
実際には、自分が衝撃を受けて立ち直れていないことを、いとも簡単に看破され、その原因を追究されてもそんなものをは無いと突っ張るばかりだった。
いまどき小学生でも、もう少しマシなごまかし方が出来るだろう。
こういうとき、やはり人生経験というのは大事だと感じる。
自分には、コミュニケーションにおける場数が足りていないのではないか、と番外個体は一人算段をつけていた。
今後、より多様な相手と、豊富な言語のやり取りをすることで、柔軟で自らの意図に沿う言葉の使い方が身につくはずだと信じている。
悲しむべきは、その”柔軟なやり取り”に対するノウハウが、今身についていなかったことだ。
あれではいくら訝しがられても仕方が無い。余裕の無さが如実に表れてしまった。一人目的のマンションへの道を歩く間にも、脳裏に酷く分の悪いシナリオが渦巻いて消えない。
居心地の悪い、芳川と黄泉川の笑顔が纏わりつく。
198: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:04:07.42 ID:oMBg+ofh0
立ち止まる。目を瞑る。
首を左右から挟み込む、肩こりのような圧迫感が、無理やり背筋をやたらめったらに引っ張り、硬直させていた。
知らない間に、知らない場所に力が入っている。
自分で肩を揉んでも、大して改善しなかった。
諦めて、大きく伸びをし、背中を伸ばす。
崩れるように震える二の腕が、少しだけ筋肉がほぐれたことを伝える。
ついでに深呼吸をしよう、と息を吸い始めたが、クラクションの音で中断する。
後ろから車が近づいていた。いそいそと横に避けると、白の軽トラは耳障りなブレーキの異音を響かせながら、ディーゼルの濁った排ガスを、人を不快にさせるために調節させたに違いない温度でたたき付けていった。
風がそれらの痕跡を粗方捨て去った後には、当然のように、深呼吸をする気など消えていた。番外個体は再び歩を進める。
199: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:06:37.09 ID:oMBg+ofh0
さて、と敢えて呟く。
自分は、今何をしようとしているのか。正直なところ、自分でも上手く掴めては居なかった。
一方通行の家に行く・・・と、とりあえず一応の目的はあるが、そこで何をしようというのか。
一方通行と話したい、という訳でもない。そもそもこの時間に、彼は居ない。
主の居ない家に、一体何があるのか。
主が居ないからこそ見える物も、あるのだろうか。
ある、と彼女は知っている。
いや、恐らくは、でも間違いなく"奴"が本来の姿を見せるのは、きっと主が居ぬ時だ。
かちゃり、とポケットに突っ込んだ右手が、冷えた鍵に当たる。
いっそ、無くなってはくれないだろうか、と下らない期待すら浮かぶ。
いや、無くならなくてもいい。例えば、道に迷うとか。道端に、産気づいてる妊婦さんが倒れているとか。道に迷ったおばあさんが途方にくれているとか。そういった、やむにやまれぬ事情があって、辿り着けない。そういう状況が都合よく訪れたりはしないだろうか。
まあ、しないだろう。それこそ、小学生と変わらない願望だ。てんで現実味が無い。
おかしいな、と人差し指で鍵を弄る。
これを貰った時、間違いなく、それは伝説の剣だった。これさえあれば、なんでも出来ると思った。欲して欲して溜まらないそれは、目の前のものをすべて切り払う力があった。目的の場所は遥か遠くでは会ったけれど、目指す資格は与えられたと信じられた。
今、その剣は光ずるずると濁ったものに変容させ、不気味な空気をまとい、部不相応な切れ味だけを自慢げに強調している。絶大な威力を発揮するけれど、いつのまにやら袋小路に迷い込まされる。
こんなはずじゃあ無かった。どこで誤ったのだろう。
それとも、なにも間違ってはいなかったのだろうか。
所詮は、こうなるしかなかったのだろうか。
200: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:08:06.35 ID:oMBg+ofh0
ぴたり、と足を止めると、目の前にマンションがあった。
どんなに考え事に気を取られても、ここには辿り着いてしまう。体が覚えていた。
番外個体はその堂々たる威容を見上げ、一つだけため息をつき、すべての考え事を捨て、階段を上る。
一段一段階段を上るにつれ、知らず知らずのうちに胸中を保護していた、有象無象の理屈が、一枚一枚剥がれていく。
望まざるも、棘に塗れた本質が、少しずつ姿を現していく。
何故ここに来たのか。解っているが、解るのは面倒なのだ。
それは実に厄介で、扱いづらく、手にあまり、難解で、その上慎みが無い。
表れたが最後、解決するまで消えることが無い。
そしてなにより、どうすれば解決するのか解らない。
だというのに。
番外個体は足を止める。目の前に、見慣れたドアがある。
見慣れた埃の跡。見慣れた傷。見慣れた表札。間違えようが無い。
どれだけ似ているドアがこのマンションにあろうと、間違えるわけがない。
201: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:10:03.44 ID:oMBg+ofh0
鍵を取り出しかけ、止めた。
敢えて呼び鈴を押してみる。理由は自分でも解らなかった。
合鍵を得て以来、聞く機会など無かった、懐かしい音が響く。
まるで別の部屋の前に居るようだった
中から可愛らしい声がする。ぱたぱたと足音が聞こえ、無防備なことに、外に居るのが誰なのか確かめもせず、かちゃりとドアが開く。
最後の期待も見事に蹴破られ、打ち止めが笑顔で姿を現す。
「あ、番外個体じゃん!ってミサカはミサカは驚いちゃったり。なんで合鍵を使わなかったの?ってミサカはミサカは今の今まで見ていたカナミンをすっぽかさなければならない事態を齎したことを憤慨してみたり」
「ああ、ごめん。鍵忘れちゃってさ」
「嘘でしょ?」
打ち止めが、それはそれは、壮絶な可愛い笑顔で言った。
「嘘だよね?本当は、この家の鍵は、アナタの右ポケットに入っているんだよね?
ヨミガワの家を出る前に何度も確認していたよね?途中でお姉さまに会った後も、
ずっと右手で弄繰り回していたよね?なのになんで使わなかったのかな?
ミサカに嫌がらせをしたかったのかな?ミサカがこの時間にカナミンを見ていることは、
ネットワークにつながっている個体なら全員知っているはずだよね?
途中で何度も立ち止まったり、妙にゆっくり歩いたりしていたみたいだし、
やっぱりミサカがカナミンを楽しんでいるところを狙ってきたようにしか思えないのだけど、
ってミサカはミサカは推測してみたり」
202: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:11:32.47 ID:oMBg+ofh0
ぞっと、した。
何に、か。その露出に、だ。
まったく隠そうともしない、混じりけの無い歪んだ確信を、真正面から見せ付ける、その態度に、だ。
それでもまだ、なんとかなるんじゃないかと、態度を決めきれない自分との対比に、だ。
もう隠さないのか。お前は。
こちらは、まだ隠し続けてくれると。欺き続けてくれると思っていたのに。
「・・・なんで、そんな細かいところまで知ってるのかな?
ひょっとして、ミサカをストーキングしてる固体でもいるのかな。
レズの趣味は無いから、ちょっとお断りしたいんだけど」
このままぶつかったら不味い、ということは、うすうす解っている。
すぐそばの食器箪笥がカタカタと震えた。
理由はいまいち解らないが、要するに、帰れと言いたいのだろうな、と勝手に思った。
巻き添えを食いたくない気持ちはよく解る。
しかし、残念ながら今の自分に箪笥なんぞの意見を聞き入れてやる余裕などありはしない。
「話を逸らさないでほしいなぁ、ってミサカはミサカは困惑しちゃったり。
やっぱりミサカの推測は正しかったのかな?ってミサカは悲しくなってみたり。
ミサカの考えが全部当たっちゃってるから、そうやってどうでもいいことにお話を持っていこうとしているんでしょ?
そうだよね?番外個体ってそういうところは直したほうがいいと思うの、
ってミサカはミサカは忠告してあげるの。だってあの人、嘘をつかれるのが嫌いだって
言っていたもの。あなたのそういう癖をここで直しといて上げれば、あの人が感じるストレスも
すこし減るかもしれないものね」
203: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:12:04.81 ID:oMBg+ofh0
打ち止めの言葉は、悠々たる清水のように途切れなく、更地に伸びる蟻の行進のように絶え間なく、そして無能な働き者のように、詳細で、綿密で、的を射ていない。
倒錯し、暴走し、それでもなお勤勉に頭脳を働かせているその様は、まるで。
まるで。
飛び出そうになる言葉を、済んでの所で飲み込む。まだだ。まだ駄目だ。
まだ駄目だが、しかし。
一体、何を言えば良いというのだろう。
何も。
何も思いつかない。
だから番外個体は。
「・・・洗剤、アンタでしょ」
「そうだよ」
自ら、世界を崩さなければならなかった。
204: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:12:57.39 ID:oMBg+ofh0
「随分、あっさりと、認めるんだね」
「大丈夫だよ、アナタしか聞いていないし、レコーダーの類も持ってきてないみたいだしね。
それに携帯電話を忘れてくるくらい、ミサカへの嫌がらせに夢中だったみたいだしね、
ってミサカはにっこり優しく微笑んでみたり」
言われてポケットをまさぐると、確かに携帯電話の硬質な感触がどこにもなかった。
右手で頭を抱える。どれだけ抜けているんだ、アタシは。
考える、が、策もなしに妙案が浮かぶわけも無い。自然、対抗策はローテクにならざるを得ない。
そして、ローテクの中で、今の状況を証明できるようなもの。そんなものは無い。
何も言わないということは、もはやが手が無いということを証明しているに過ぎない。
だから言う。いわざるを得ない。それが、最後の癖に、どうしようもなく弱い切り札だとしても。
「・・・これをミサカが黙っているとでも思うわけ?」
これで駄目なら、もう終わりだ。
「全部言っちゃうよ?あの人にも、冥土返しにも、黄泉川にも芳川にも、お姉さまにも。
そしたら、アンタも困るでしょ?ひょっとして、ガキだからそこまで頭が回んなかったのかな?」
「何を言っているの?」
打ち止めが、初めて醜悪に嗤った。
「言えないでしょ?番外個体は。だって、あの人が好きなんだもん」
何も、言えない。
もう何も言えなかった。
205: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:13:58.87 ID:oMBg+ofh0
「ミサカは知ってるんだよ?冥土帰しに心当たりは無いかって聞かれたでしょ?
でも、アナタは無いって答えたんでしょ?なんでかな?」
「・・・・・・」
「ミサカはね、知ってるの。番外個体は、あの人の生活を壊したくなかったんだよね。
あの人は昔とっても大変な目にあって、でも最近やっと身の回りも平和になってきて、
少しずつ落ち着くようになって来たよね。昔はいつもピリピリしていたけれど、
最近はなんだかとっても優しい笑顔をミサカにくれるんだよ?
アナタはあの人が、不幸になって欲しくないんだよね。
だからきっと、アナタはミサカを悪者になんて出来ないよ」
完全に見透かされていた。全くもってその通りだ。
番外個体は、恐らくこのことを誰にも言うことが出来ないだろうと、自分でもうすうす感づいていた。
彼女は、一方通行がとても不幸な青年だと、知ってしまっている。
周囲から疎まれ、嫌われ、謗られ、貶され、道具のように扱われ、おおよそ普通でない人生を怒ってきたことを知っている。
望まぬうちに、血みどろの闘争に巻き込まれ、命を磨り潰すことにたいする感傷を無理やり麻痺させ、下らぬバランスゲームに翻弄されてきたことを知っている。
その彼が、やっと安らぎを得たのだ。
それが仮初で、紛い物で、幻想に限りなく近かったとしても、そこで安寧を得たことに変わりは無い。
その場所を壊すことなど、出来ようものか。
206: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:15:15.29 ID:oMBg+ofh0
「その気持ちはね、ミサカもすごく解るの」
苛立たしいことに、この少女も、一方通行の安らぎを構成する一つの要素なのだ。
「ミサカもね、あの人に悲しい思いをして欲しくないの。
あの人は優しいから、自分にすこしでも関わりのある人が死んじゃったりしたら、とても哀しむの。
だから、なるべくあの人の周りの人には、傷ついて欲しくないなぁ、って思うの、
ってミサカはミサカは本心を打ち明けてみたり」
「洗剤飲まされたアタシは胃袋がズタズタになってるんだけど」
やっとの思いで放った皮肉は、さも当然のように返された。
「でも、あの人は気づいてないでしょう?」
そして、番外個体は気づかれないことに全力を注ぐだろう。
「ミサカだって誰か指を折ったり、頭に植木鉢を落としたり、線路に突き落としたり、階段に転がしたりしたいなって思うときもあるんだよ?
これって、人間にとって当然の感情だよね、ってミサカはミサカは尋ねてみたり。
だってあの人はミサカのものなのに、勝手に近づいてくるんだもの。
あの人は優しいから誰でも邪険には扱わないけれど、でもあの人は心のそこではもっとミサカだけと居たいって思っているの。
そんなあの人の希望を、叶えてあげたいでしょう?だから、ミサカはなんとかしてあの人の願いをかなえてあげたいと思うのだけど、
ミサカが本当に誰かを怪我させちゃったらあの人は哀しむの。だからミサカは、そんなことは出来ないの。
だってミサカはあの人のことが大好きなんだもの。でも事故だったら仕方が無いと思わない?」
207: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:16:32.97 ID:oMBg+ofh0
「普通の人間は”事故”で洗剤は飲まないけど」
「それは”あなたが勝手に飲んだ”んだよ?」
畜生。そこまで計算しているのか、この女は。
「感謝してね?ミサカが冥土帰しに、”最近番外個体が精神的に不安定みたいなの”って伝えておいてあげたから。
体調が悪のに意地を張って病院にも行こうとしなくて、あの人に無理やり行かされたら、
胃の中に洗剤が入っていて、理由を聞いても”心当たりは無い”なんて言うんだから、
冥土帰しじゃなくても感づくよね。
”ああ、こいつは自分で洗剤を飲んでいるんだな。それをしらばっくれようとしているんだな”って、
とミサカはミサカは自らの名推理を披露してみたり」
「穴だらけの計画だねぇ。上手くいくの?そんなの」
「いっちゃったんだよねぇ」
そうだ。
間違いなく、打ち止めが言った様なシナリオでことが運んでいる。
可能であれば誰にも知らせず、一方通行が知らないところで問題を解決しようとした結果、報告が遅れた。
自分の周囲の人間は、皆打ち止めの情報を既に聞いている。
半信半疑だろうが、番外個体が何か言った所で、もはや後出しじゃんけんだ。
番外個体の言うことに、最早信頼性など無い。
208: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:18:04.32 ID:oMBg+ofh0
「ミサカもね、ホントはこんなことしたくなかったの」
そんなことを、この状況で、こんなにも悲しげに言えるこの女に、適うわけが無い。
敗北感よりも、徒労を重く感じた。
「でも仕方がないよね。あの人のそばにはミサカが居るべきなんだもん。
ミサカが居なきゃあの人はご飯も食べれないし、お風呂にも入れないし、トイレにもいけないし、
ミサカを撫でることもできないんだもの。あの人はミサカはとっても大事にしてくれるんだもの。
でもいろんな人があの人に近づいてきて、ミサカとの仲を引き裂こうとするんだよ。
ほんと嫉妬とかイヤになっちゃうよね、ってミサカはミサカは憤慨してみたり」
「引き裂こうとしたわけじゃあないよ」
ただ、私は見て欲しかっただけなのに。
「ミサカは思うのだけど、あの人もさすがにアタマがおかしい人の近くに居たいとは思わないんじゃないかなぁ。
夜な夜なおきて、洗剤を飲むなんて、信じられないくらい異常だよね。
そうやってかまって貰いたがってるなんて、狂ってるよね。
そんな狂っている人から付きまとわれたら、あの人も困るだろうなぁ。
ひょっとしたら、あの人は優しいから邪険にはしないかもしれないけど、周りの人は口さがないことを言うんじゃないかなぁ」
209: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:18:39.03 ID:oMBg+ofh0
何が言いたいのかは解っている。解っているけれど、何もいえない。どうしても言葉が出てこない。
ひっく、としゃくりあげる音が聞こえた。力を目一杯にこめた、首が、頭が、背中が、拳が、震えた。
私は、ただ場所が欲しかっただけなのだ。あの人のそばに居ても問題ないような、そんな場所が。
自分が本当に欲しかった場所は、ひょっとしたら打ち止めのそこなのかもしれない。
そこを取られたのは、自分の怠慢と意気地の無さのせいだ。だから誰にも文句を言うことは出来ない。
それでも諦めたくなかっただけなのだ。だから、真正面からチャレンジしたのに。
適わないかも知れないと思いながら、それでも勇気を振り絞って戦ったのに。
相手は戦うことすらしないで、土俵に立つ資格を奪おうとしている。
こんなことが。
「こんなことが・・・」
あっていいのだろうか。
おかしいじゃないか。ここは、ここはそんな世界じゃないはずじゃないか。
210: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:19:55.66 ID:oMBg+ofh0
「ミサカがね、番外個体に頼みたいのは一つだけなの、ってミサカはその一つを提示するよ」
打ち止めが、幾度目か解らぬ嗤いを浮かべた。
何度でも言う。その笑顔は、とても無邪気で、素敵で、可愛くて。
きっと神様とやらが笑顔を浮かべたら、こんな顔をするに違いない。
「もうあの人と会わないで。出来るよね?だって、アナタはあの人のことが大事だものね?
あの人がキチガイに付き纏われてるなんてうわさを流されるのは可哀想だものね?
それにあなたも、あの人に近づかなければ、指を折られたり、植木鉢を落とされたり、
階段から突き落とされたりなんて事故に遭わずに済むかもしれないよ?
それはとってもいいことだよね」
いいことなわけがないだろう、と思った。
泣きながら思った。
たぶん、これだけ涙を流したのは、生まれて初めてだろうな、と思った。
泣いていると、あんまりうまく呼吸が出来ないことを知った。
出そうとすると、どんな声も情けなくなることを知った。
打ち止めが、答えを促す。
「返事は?」
番外個体は、しゃくりあげ、震えながら、短く答えた…。
211: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/02(金) 22:23:47.46 ID:oMBg+ofh0
※そんな訳で安価です。
Q:番外個体の答えは、一体どちらでしょうか?
A「……はい」
B「……いやだ」
片方がハッピーエンド、もう一方はバッドエンドです。
因みにどっちがハッピーエンドかは内緒です。
週末はちょっと留守にするので、月曜日にこのスレを覗いたときまでの多数決で決めます。
因みに同数だったらバッドエンドに進みます。是非ご参加ください…
では。
261: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/05(月) 20:57:40.34 ID:WRTHIMZz0
ここいらで締め切ります。ありがとうございました。
というか、全部で7票くらいかと思ってたらめちゃくちゃ伸びてて焦った。
集計めんどい、とか思ってたんだけど、こりゃもう間違いなくBですね。
正確な集計とかはめんどいんで暇になったら数えます。ていうか誰か数えて。
正直言いまして、もともと淡々とバッドエンドに突き進んむ予定だったので、
ここからどうハッピーエンドに持ってくかってビジョンはぜんぜん無いんですよね。
伏線とかもぜんぜん張ってないし。
だから、それにはかなり強引な何かが必要になりそうだなぁ、と思うわけです。
もし番外さんがそれを引き当てる強運があるんなら、無理やりにでもはっぴぃえんどにしてやるぜ、っと思ったわけです。
個人的なアレで恐縮なんですが、このSSの番外さんは、なんだか臆病だな、と思います。
それより臆病なのが一方さんな気がします。でも、先に勇気を出すのも、きっと一方さんなんだろうな、と思います。
だから、いつか書くかもしれないハッピーエンドは、きっとそんな話になると思います。
そんな訳で皆さん。ごめんなさい。バッドエンドです。
悲しくて、吐き気がして、ひょっとしたら打ち止めだけは幸せになれるかもしれない、
そんな話になりそうです。うう、気が重い。
300: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 21:54:54.91 ID:f2Wg4NdF0
「・・・・・・いやだ」
301: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 21:55:38.40 ID:f2Wg4NdF0
それは、ぞっとするほど燃え滾り、灼熱の空気を携えて、耳に流れ込んだ。
「本気?ってミサカはミサカは念を押してみたり」
番外個体は何も答えない。
本来、この質問への答えに是も非も無い。yesだ。これ以外、彼女が言うべき言葉は見当たらない。
いろいろ策を練られたとは言っても、追い込まれたのは自らの責任だ。
自分が選択を間違え続けたからここまで来てしまった。
一番最初に、一方通行の言うとおり、意地を張らずに病院まで行っていれば、こんなことは起こらなかった。
だから、一方通行にまで迷惑をかけるのは、自分のプライドに似た何かがどうしても許せない。
そして、自分が一方通行に纏わりつくことは、彼の迷惑になるだろう。
だから、離れる。それ以外に選択肢は無い。
でも、言った。「いやだ」と
それは、果たして正しいのだろうか。
302: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 21:57:04.62 ID:f2Wg4NdF0
番外個体はじっと黙り、俯き、一体どうすればいいものかと、己が脳を素早く、乱雑に働かせる。
働いたからと言って答えが出るわけでも無いが、それでも考える。が、時間が足りない。
「本気なんだ」
生憎ながら、これは本音ではあるものの、本気であるかどうかは未だに自分でも解らない。
しかし、打ち止めの中では、番外個体はここまでされても引くことを知らぬ、雄雄しく猛々しい信念の女である、という認識が定まったようである。
強硬な相手を如何にして屈服させるのか。
そして、彼女が今までどのような手段を用いてきたのか。
「じゃあ仕方ないなぁ、ってミサカは残念な胸中を披露してみたり」
何を言えば、これを回避できたのだろう。
打ち止めが、手塩にかけて育てた牛を屠殺場へ送り出す農夫のような、そんな哀しみに満ちながらもどこか事務的な言葉を発すると、
奥の部屋から同じような顔をした、中学生ほどの少女が六人ほど出てきた。
妹達。奇妙にも、全員が耳にヘッドフォンを付けている。手には電気警棒やら、スタンガンやら、バットやら。物騒ないでたちだ。
もうどうしようもない。腹を括った。
自然に涙は消えている。
303: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 21:59:50.42 ID:f2Wg4NdF0
「言っておくけれど、逃げても無駄だよ?外にも7人いるからね」
「・・・随分と大所帯じゃん。そんなに大勢の人間を動かすくらいの人望があんたにあったんだねぇ。意外意外」
「ありがとう。ついでに、言うとお部屋の中には10人居るんだ。
みんなを隠すのは大変だったんだよ?ってミサカはミサカは苦労を思い出してため息をついてみたり」
「あっそ。・・・で、ミサカをどうするつもりな訳?」
「どうもしないよ?ただ、説得しようかな、と思っているの。
ミサカはあの人のことを考えないアナタと違って、一方通行のことが大好きだから、キチガイさんには近づいて欲しくないの。
でも、ミサカはおてての力じゃキチガイさんに適わないから、どうしようか困っちゃった。
だから頼んだら、妹達が是非協力させてくれって言ってくれたから、この部屋まで来てもらったの。」
眉尻を下げる打ち止めの周りを、無表情で、死んだ目をした妹達が取り囲んでいる。
いや、取り囲まれているのは番外個体の方なのかもしれない。良く見れば、彼女達は一人ひとり、じりじりとポジショニングを整えている。
きっと背後にも居るのだろう。
304: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:00:35.16 ID:f2Wg4NdF0
「 キチガイさんだったら、きっと自分の妹だろうがなんだろうが、怪我させてでもあの人に付き纏おうとするんだろうね。
でも、そんなのおかしいよね。そんなことしたら、あの人も大迷惑だよね。だから、ミサカはキチガイさんを説得しようと思うったの。でも、まあ・・・」
打ち止めの顔が、初めて歪んだ。
右側の、唇の端だけを、無理やり糸で引っ張り挙げたような、酷く歪んだ笑み。
やりたくて、やりたくて、でもやる機会が無くて。
ついぞその場にめぐり合ったと思いきや、あまりにやらなかったが故に不完全になってしまった。
そんな笑みだった。歪んでいる。歪みすぎている。
「聞き分けが無いのなら、すこしくらいお仕置きしなきゃね、ってミサカはミサカは心から嗤ってみるの」
じわり、と妹達がにじりよる。
もう逃げるしかない。幸い、能力は自分の方が上だ。包囲をぶち抜けば、道は出来る。
さて、どこをぶっ壊すか、とあたりを見回したとき、気付くのだ。
どの逃げ道にも、妹達が立っている。
故に、動きが一瞬止まった。
自分は、この妹達を躊躇無くなぎ倒すことが出来るのだろうか・・・。
その一瞬を利用して、背後から急速に間合いを詰めた妹達の一人が、番外個体の頭に躊躇無く鉄パイプをたたき付けた。
305: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:02:06.31 ID:f2Wg4NdF0
―――――。
306: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:03:04.78 ID:f2Wg4NdF0
―――――。
目を覚ますと、湿気た空気が鼻から入りこんできた。
ほっぺたに、何か冷たい板のようなものを押し付けられているような気がした。
しばらく状況を精査すると、それが床であることが解ってきた。要するに、彼女は今フローリングにほっぺをくっつけている。
快適さは欠片も無い。だから、自分が望んでそんな体勢を取っているわけでもなさそうだ。
たたずむ場所は暗闇で、奇妙な音が聞こえた。音楽とも。曲ともいえないような代物だ。
「目は覚めましたか、とミサカは問いかけます」
聞き覚えの有る声が聞こえたが、さすがに声だけでは誰なのか解らない。
なんといっても、似た声を持つ人間は一万人ほど居るのだから。
307: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:04:44.04 ID:f2Wg4NdF0
「・・・誰?」
「ミサカが誰なのか、というのは非常に深遠で微妙な問いであるように思います。
未だにミサカはアイデンティティーを持ちえておらず、自らの判断よりも重要な命令に縛られています。
その命令の元に動く個体が一万存在するのであれば、それはもはや個人ではなく、一つの生命として捕らえてよいでしょう。
ミサカはその生命の、たった一つの細胞に過ぎません。
故にミサカなりの定義で言えば、ミサカは妹達という個体であり、その中で12346号という役割を果たす存在、
ということになるでしょう、とミサカは自らの見解を伝えます」
「・・・難しい」
「そうです、難しい。しかし、思索は容易です。
問題は結果が存在しないことであり、思索が難解なわけではありません、とミサカは補足します」
とりあえず、番外個体に理解できたのは、彼女が12346号という個体だ、ということだけだった。
かなり変わった個体のようなので、多少興味深くもあるのだが、状況が状況だけに苛立ちを感じる。
妙に回りくどい物言い。頭の処理速度が追いつかないのか、ズキズキと痛みを感じる。
その頭の痛みで、先ほど誰かにぶん殴られたことを思い出す。そこから芋づる式に、自体の全貌がなんとなく見えてきた。
そういえば、何やら腕も後ろで縛られている。縛り方こそシンプルだが、人を拘束する方法としてはそこそこ有効にも思える。
308: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:05:57.22 ID:f2Wg4NdF0
「さて、今後のあなたですが」
12346号の言葉は、事務員のおばさんがマイクを通して「至急窓口まで来てください」というくらい心がこもっていなかった。
「現在のところ、すぐに取り蚊からなければならないことはありません」
「そりゃうれしいね」多少は軽口をたたく余裕が出てきた。
「そして、本日26時に、この部屋に五人ほど男性が来る予定です。」
途端に何を言えばいいのか解らなくなった。
「彼らは妹達が入手した、錠剤タイプの筋弛緩剤を保持しています。
試験的に14510号に投与した際は、30分ほどで効果が現れました、とミサカは人体実験の存在を公にします。
あなたは、今の拘束を受けたまま、この部屋に留まって頂きます。
私は男性が来ると同時に退室します。
そして、この部屋にあなたと、前述の男性五人の総勢六人のみがいる状況を作り上げます、とミサカは今後の予定を説明します」
「・・・何やれってのよ」
「それを決めるのはミサカではなく当事者です。
ミサカが出来るのは状況を作り上げることであって、未来を操ることではありません。
そこで何が起ころうと、それはあなたの意思と行動の上に伴った結果なのだとミサカは思うのです。
無論、それが願望に沿うものであるという保障は無いのですが」
その物言いは理解できなくも無い。
だが、ここまで見事にお膳立てをしておいて、その言い様は無いだろう、とも思った。
きっと、あまり教育上よろしくないことを考えて、こんなシチュエーションを作り上げたに違いない。
そして、番外個体が持つ、その流れに対するカウンターの手段はほとんど無い。
309: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:06:49.82 ID:f2Wg4NdF0
ちらり、と12346号が腕時計を見た。
「さて、あなたが自ら目覚めた結果、まだ多少時間が残っています。何か質問事項はありますか、とミサカは尋ねます」
「これ、外してくれない?」
言いながら、背中を見せて、そこに括られた腕をクイっと動かすと、12346号は機械的に首を横に振った。別に期待していたわけでは無いが、やはり多少落ち込む。
「何かほかに質問事項はありますか?」
「ん・・・いいや、何も無いよ。そういや、こんくらいクソな世界だったなって思い出した」
「クソな世界、とは?」
「ミサカ如きが頑張ったってシアワセになれないような世界ってこと」
12346号は意外そうな声を漏らした。
「ふむ、そういう言葉を聴くと、あなたもその他妹達と同じ部分を持っているのだな、と感じますね、とミサカは素直な感想を述べます。これで、ミサカの考える仮説も多少裏付けられたように思います」
「・・・あ、そ」
仮説、というのが多少気になるが、別にどうでもいいかな、と思い聞かなかった。
が、ふと顔を上げると、えらく期待に満ちた目がこちらを見つめていた。
310: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:07:51.60 ID:f2Wg4NdF0
「・・・聞いて欲しいの?」
「いえ、そんなことはありませんが、とミサカは本心を隠しつつ言い張ります」
「あっそ・・・で、仮説って何よ」
12346号がカッと目を見開いた。大して表情は変わっていないが、心の中では「よくぞ聞いてくれました」とでも思っているのだろう。
こんな状況でありながら、多少の可愛げを感じる。
「あなたは、自らのことを人間だと思っていますか?」
「・・・はぁ?」
「実のところミサカは自分が人間であるとはどうしても思えないのです。
冥土帰しも、一方通行も、お姉さまも一方通行も、皆ミサカ達を人間だと定義していくれるのですが・・・どうも納得が出来ません」
腕を組み、深く頷くその様は、奇妙でぎこちなくはあるが、しかし何故だかとても人間らしかった。
なのに、多少の切なさを感じるのは何故なのだろう。
「要するに、ミサカは”人間らしく無い”のです」
番外個体の印象とは正反対のことを、自慢げに12346号は言った。
311: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:09:11.71 ID:f2Wg4NdF0
「故にミサカは思索しました。果たして人間らしさとは一体なんなのか。
その為にはまず定義をしなければなりません。そしてそれは、妹達には無く、お姉さま達にはあるものでなければなりません。
出生や成長過程の違いは適当では有りません。何故ならば、らしさ、とは内面の問題であるからです」
「あっそ・・・で、結論は出た訳?」
「はい」
無感動な声なのに、昂ぶりが感じられる。
番外個体は思った。ひょっとして、結構貴重な体験をしているのじゃないだろうか。
そんな感慨を踏み越え、12346号は言った。
「ミサカには、現状を変えようとする意思が無いのです」
そう言って、満足げに頷く。
「ミサカ達は皆、現状を受け入れることを基本線として行動しているように思います。少なくともミサカはそうです。
心の奥では何かを求めていたとしても、それを得るために現状を変化させることを避けます。
具体的に言えば、ミサカは一方通行にある程度の好意を抱いてはいますし、恋愛映画などで見られるようなお付き合いをしてみたいという願望もありますが、
それを叶えるために具体的なアクションを起こすつもりはありません。
何故ならば、ミサカと一方通行ではつりあわないということを理解しているからです、とミサカはぶっちゃけます」
「ちょ、ちょっと待って!?今なんかすごいこと言わなかった!?」
「他にも10032号は上条当麻に明確な行為を抱いてはいます。しかし、口ではお姉さま達と張り合っていますが、心の底では諦めており、
現在はお姉さまとコミュニケーションを取る為の手段でしか有りません。上位個体ですら、求めるのは現状維持であり、それ以上でも以下でも無いのです。
そして、それを不満に思っていない点が、人間とミサカ達を分かつ大きな要素であると思います」
ちらりと打ち止めの、最後に見せたあの笑みが頭を過ぎる。
つまるところ、番外個体が現状を崩そうとしたからこそ、打ち止めはああなった、と言う事なのだろうか。
312: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:09:58.38 ID:f2Wg4NdF0
「様々なサンプルから検証を重ね、ミサカはこの仮説をくみ上げました。
5000パターンほどを検証した結果、この理屈はどうやら確からしいということが解りました。
しかしたった一つだけ傷があるのです。それがあるため、これはいかなる思考経路を用いても推測のままであり、事実にはなりえないのです」
「・・・ふーん。まあ、でもどうしようもないこともあるんじゃない?あたし達がクローンだって事実は変えられないしねぇ」
「本当にそうなのでしょうか?」
「そりゃそうでしょ。過去は変えらんないよ」
「本当に変えられないのでしょうか?
ミサカ達は、変える努力もしていませんし、変えようとすら思っていません。
その状況で”変えられない”と判断するのは、何か間違っているのではないでしょうか。
可能性を追求しているかどうか、という問題です。ミサカ達が全力を駆使し、
長期間思考を続ければ、時間を戻す方法が見つかるかもしれません。
しかし、ミサカ達はそんなことをするつもりはありません。そうなったらいいな、と思いながらも、
何もしないことに痛痒を感じない。つまるところ、それがミサカの欠陥であり、
人間らしくない所以なのだ、とミサカは考えます」
「めんどくさい個体だなぁ」
「否定するつもりはありません、とミサカは・・・」
ぴんぽん、と来客を告げるベルが鳴った。
12346号は言葉を止め、何か考えた後、腕時計に目をやる。
「どうやら、時間のようです、とミサカは事実を伝えます。ミサカは離脱します」
「あっそ」
313: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:11:04.76 ID:f2Wg4NdF0
「因みに、これは独り言なのですが」
12346号はそう前置きして、こんなことを言い捨てた。
「向かいのマンションには上条当麻の家があります。発見されると面倒ですので、カーテンは開けないでください。あと、問題ないとは思いますが、ここは二階です。飛び降りても上手くいけば怪我をしないでしょう」
「え・・・?ちょ、ちょとまって!?それってどういう・・・」
12346号は、振り返らずに部屋から出て行く。
314: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:12:24.28 ID:f2Wg4NdF0
―――――。
鍵を開けると、チンピラ風の若い男が六人、ニヤニヤした顔で立っていた。
「・・・五人、の約束だったはずですが」
「細けぇこと言うなよ」
そう言って、一人が凄んで顔を近づけてきた。ちらりと、微妙な太さの腕を見る。大して努力をするわけでもなく、自然についたような、そんな筋肉だった。
無感動にその腕を見ると、向こうは威圧されて目を逸らしたと取ったらしく、下卑た声でゲラゲラと笑った。
「・・・まあ、いいでしょう。こちらです」
男達を先導し、先ほどの部屋へと案内する。当たり前だが、変わらず番外個体が寝ていた。
「明朝の八時には来ますので、それまで絶対に彼女を逃がさないでください。特に規制事項はありません。
前後左右の部屋は開けてあります。この部屋全体にはキャパシティダウンを流してあるので、能力は使えません。
よろしいですか?とミサカは確認します・・・ああ、すいません。無能力者でしたね」
「・・・バカにしてんのか?あァ!?」
「いえ、滅相もありません。あくまで確認です。事実の確認は嘲りではないと認識していたのですが」
315: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:13:11.23 ID:f2Wg4NdF0
12346号は、言いながら小さなビニール袋を取り出した。中には三錠の白い錠剤が入っている。
「筋弛緩剤です。一錠で十分ですが、予備に三つ入っています。効果が現れれば、拘束は外しても問題ないでしょう」
「どれくらいで効くんだ?」
「そうですねぇ・・・」
12346号は少しだけ考えるそぶりを見せた。
「10分くらいだったように記憶していますが」
男の一人がひったくるようにそのビニール袋を取り、早速錠剤を番外個体に飲ませようとした。
12346号は、それを冷たい目でじっと見ていた。番外個体は特に薬を飲むことに抵抗している様子も無い。ただ驚いたような目でこちらを見返していた。
「・・・んだよ。まだあんのか?」
「ひょっとして仲間に加わりてーのか?」
下らない冗談に、六人の男が一斉に笑う。
「いえ、お邪魔いたしました、とミサカは皆様に退室を告げます」
12346号は、振り返らずに部屋から出て行く。
316: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:14:11.28 ID:f2Wg4NdF0
―――――。
12346号は部屋を出ると、階段を上に登った。
特に何か意味があった訳でもない。ただ、どこにも行く場所は無かった。あっても、そこには行きたくは無かった。
だから、屋上へ行った。六階建てのマンションだった。
言ってみると、柵は思いのほか高かった。しかし、端のほうに人が一人通ることが可能な穴が開いていることを12346号は知っていた。彼女はその穴を抜け、屋上の縁に立つ。
これ以上近づいたら吸い込まれるかもしれない、そんなことを感じ、20cmほど離れたところで立ち尽くす。
下らない夜の光景だった。
縁から見渡したところで、閑静な住宅地で、真夜中に動くものなど見つからない。
街頭も乏しいし、そもそも彼女が見下ろすのは、ベランダに面した駐車場だった。
12346号はその駐車場を見つめた。ふと腕時計を見ると、先ほどあの部屋を出てから五分ほどしか経っていなかった。
317: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:15:43.12 ID:f2Wg4NdF0
それから十分後、少しだけ怒声が聞こえた。
あまりに聞こえた音は小さくて、一体何を言っているか解らない。が、どこかの誰かがこんな真夜中に、窓を開けて大声で叫んでいるようだった。
そして、駐車場を走る人影が見えた。
その人影は妹達と似ていたが、彼女より多少成長しているようだった。
「ふむ」
12346号はあごに手を当て、嘆息する。
「やはり、傷は傷のままでしたか、とミサカは感慨を抑えきれずに一人呟きます」
人影は――番外個体は、上条当麻の住んでいるマンションの影に消えていく。
彼女は現状に安寧とすることを良しとしなかった。もてる力の限りを尽くしてあの部屋から逃げ出したのだろう。
まだ薬が効ききっていないとはいえ、あの状態から逃げ出したのだから、大したものだ。
それは、世の中に仕方の無い事など無いという、雄弁な証明であるように、12346号は感じた。
さて、そんなことが、自分にもできるのだろうか?それとも、番外個体だけが、ミサカの中で特殊な個体なのだろうか。
同じように生まれたにも関わらず?
318: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/11(日) 22:16:10.74 ID:f2Wg4NdF0
その数分後、遅れて出てきた先ほどの馬鹿な男共が、騒がしく怒鳴りあっていた。
何を話しているのだろうか。自分たちの不注意や弱さを棚に上げ、お互いに責め合っているのだろうか。
それとも、いたいけで素性も解らぬ少女の戯言に騙され、獲物に逃げられたことを憤っているのだろうか。自分如きが人を操れたのだとしたら、それもなかなか愉快なことだ。
「やれやれ、思索ははじめからやり直しですね、とミサカは残念な思いを隠せません」
その声は、やはり感情が篭っていなかった。しかし、何故だか不思議と楽しげだった。
333: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:25:51.08 ID:/vGtjKVa0
――――。
めちゃくちゃ体がだるかった。
手にも足にも力が入らない。これでいて、まだ薬が効ききっていないというのだから、参ってしまう。
しかし、足を止めるわけにはいかない。そんな余裕は無い。
「ちくしょう・・・」
この感じでは、どの道遠くまで行くことは出来ない。
一瞬道路に出てタクシーでも、という考えも過ぎったが、閑静な真夜中の住宅街に、
きまぐれな車がたまたま通りかかる幸運に賭けれるほど、あのクソ野郎共が待っていてくれるとも思えない。
であるならば、やはり近くの知り合いの家に転がり込むべきだろう。
それに。
(確か、お姉さまは上条当麻の家に行くって言っていた筈・・・)
今の番外個体を、周囲の目は精神病患者としてみている。
だとすれば、見知らぬ人の家に転がり込んで、何を訴えたところで全てを戯言と処理されてしまう可能性が高い。
しかし、ひょっとして美琴であれば、しっかり自分の言うことを効いてくれるのではないか、という期待があった。
無論それは、大した根拠も無いのだが、しかし赤の他人に頼るよりはよっぽど現実味がある。
上条当麻の部屋の番号は覚えていた。以前、一方通行へ連れられてきたことがある。
あの時は、確かみんなを集めて鍋でもやろうと打ち止めが言い出して・・・。
止めよう、と首を振る。今考えることでは無い。
334: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:27:17.11 ID:/vGtjKVa0
思うように動かない体で階段を登り、やっとのことで部屋の前まで辿り着く。
当たり前だが、ドアには鍵がかかっていた。しかし、もれてくる光を見るに、中の人間はまだ起きているようだ。
罠かもしれない、なんてことは解っている。
だが、他の選択肢は無いし、あの時の12346号の言葉を、なんとなく疑いたくない自分が居た。
彼女は自分で何かを考えた上で行動しているようだった。
であるならば、自分は12346号の不興をかったわけではないのだから、わざわざ罠にはめられる理由が無い。
そう思うことにした。
祈るような思いでチャイムを押す。
ぴんぽん、という、音が聞こえた。この音を聞きつけて、奴らが来てしまうのではないか、とも思ったが、耳を澄ましても何の音も聞こえない。
どうやらまだ時間はありそうだ。
ほんの少しだけ安心し、もう一度チャイムを押そうとしたときに、ガチャリと鍵が開く音がした。
「ううう・・・眠いんだよ」
眠そうな目を擦りながら、インデックスが出てきた。
「・・・わーすと?どうしたの?こんな世の中に」
「いや、ちょっとね」
さすがにインデックスに事情を話す気にもなれず、すこし言葉を濁すと、怪訝げな笑みを帰された。
まあ、当然といえば当然だ。面識こそあるが、ぶっちゃけた話、番外個体が一人で部屋を訪ねてくるほど親しくなど無い。
335: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:28:18.89 ID:/vGtjKVa0
でも、ここ意外に寄る辺が無いのもまた事実だ。さて、なんと説明したものか、と番外個体が悩んでいると、乱れた衣服や、飛び出す際についた擦り傷を見て、インデックスが鋭く言った。
「・・・ひょっとして、誰かに追われてるの?」
「あー・・・」
もう、これは誤魔化しても意味が無いだろう。
「・・・ま、実はそうなんだよね」
「入って」
インデックスが体を寄せ、道を開けた。断る余裕など無かった。
悪いね、と呟きながら玄関に入るが、そこにある段差を超えるだけ足を上げることすら出来なかった。
自分でも驚いているうちに、けっつまずいてすっころぶ。
「だ、だいじょうぶなのかな!?」
「・・・いや、ごめん。ちょっと安心しちゃってさ」
「起きれる?」
「まあ、頑張れば」
壁や下駄箱に掴まりながら結構必死に体を起こすと、インデックスが肩を貸してくれた。
「大丈夫だよ」
そう言ってニコリと微笑む。天使のような笑みに見えた。
「ここにはとうまの右手があるからね」
なんとなく、それで安心した。その感覚が、とても懐かしかった。
考えてみれば、ここ最近は考えなければならないことが多すぎた。
だというのに、時間は余りにも少なかった。
この部屋に居れば、とりあえずは考える時間が得られる。
そして、ささやかだとしても休息を得ることが出来るはずだ。
336: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:29:21.53 ID:/vGtjKVa0
「あれ?上条当麻は?」
「当麻なら、今お風呂に入ってるんだよ」
言われてみれば、シャワーの音が漏れ聞こえていた。
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。
「・・・家主の許可とんなくていいの?」
「困ったときはお互い様なんだよ」
その表情は、二人の間にある確かな信頼関係を想起させて、多少の羨ましさすら沸き起こる。
お姉さま、あんたのライバルは結構強敵みたいですよ。
そんな軽口が思い浮かぶくらいの余裕が有り難かった。
インデックスに力を借りて、ぱたり、とベッドに倒れこむ。
柔らかいマットレスに頬を埋める。完全に薬は聞いていた。
もう動けない。動きたくない。目を閉じる。このまま寝てしまいそうだった。
ああ、起きなければ。せめてお姉さまが来るまでは。来て、事情を話して、見方に引き入れて、少なくとも中立まで持っていって。
やっとそれで、今日のところの身の安全が保障される。
そんなことを考えて、自分を律しても、この眠気には勝てそうにも無い。
それは最早、生理的で、本能的で、不可避の感覚に思えた。学校に行く前に、どうしても二度寝してしまう、その感覚に似ていた。
「わーすと」
インデックスが、自愛に満ちた声で言った。
「安心して寝ていいんだよ。そばについててあげるから」
くそう、と番外個体は思った。ちょっと適わないなあ。
そう思いながら、彼女はいつしか眠った。
337: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:30:38.98 ID:/vGtjKVa0
目を覚ますと、本当にインデックスが横でにこにこ笑っていた。
置いてあった時計を見ると、26時45分を指している。
自分が駆け込んでから、だいたい30分くらい、という所だろうか。
緊張の中にあったせいか、眠りはかなり浅かったようだ。
「よく眠れた?」
「・・・ん、まあまあかな」
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。
体を起こす、というシンプルな動作にも結構な労力が必要ではあった。
しかし、起こせた。なんとか無理が利くくらいには回復しているらしい。
しかし頭痛が酷い。上手く演算が出来るのかどうか、正直なところ試す気にもなれない。
どちらかといえば、こちらの効果を狙った薬だったのかもしれない。
となれば、自分の力だけでは限界がある。誰かに助けを仰ぐ必要がある。
でも、何かが頭に引っかかる。今必要なのはそれでは無いと、頭の中で誰かが叫んでいる。
酷い頭痛が、思考を邪魔する。
何を、何を見落としている?
「そういえば、今日お姉さま来なかった?」
とりあえず、聞くべきだと思ったことを聞いてみる。
インデックスと上条当麻は信頼できる相手ではありそうだけれど、身内では無い。所詮は他人だ。
100%心を許すことは出来そうに無い。
それにいくら上条当麻とはいえ、数人の男相手では分が悪い。
美琴であれば火力の面でも申し分ない。そこいらのスキルアウトにも、妹達にも負けることはないだろう。
338: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:31:36.84 ID:/vGtjKVa0
インデックスが勢い込んで立ち上がった。
「美琴なら、ちょっと前に出てったばかりかも!呼んでくるよ!」
そして、返答はかなりベストに近いものだった。帰ったばかりなら、そう遠くまで行っていない筈だ。
思わずガッツポーズが出そうになる。
ただ、インデックスが外出しようとしていたので止める。
「ちょ、今外出ると危ないよ。電話で呼ぼう」
インデックスは、惚れ惚れするほど猛々しく言った。
「大丈夫だよ。危なかったらすぐ逃げてくるから」
そう言われ、ポカンとした番外個体を尻目に、風のように出て行く。
止める間もなかった。というより、止める力も無かった。
かみそりで切りつけられたような罪悪感がさっと肌を撫でた。
しかし、どうすることも出来ない。
今走って間に合う、ということは、美琴が帰ったのは、番外個体が来る直前だったのだろう。
それならば近くに居てすぐみつかるはずで、そこまでの危険もないはずだ、と自分に言い聞かす。
でも、やはり何かが頭にかかっている。
頭痛とは別の部分で、脳みそのどこかに不愉快な棘を撒き散らしている。
339: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:32:19.56 ID:/vGtjKVa0
何だ?
何がおかしい?何が狂っている?
340: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:33:29.31 ID:/vGtjKVa0
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。
341: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:34:26.28 ID:/vGtjKVa0
ひょっとして。
ひょっとして全てが狂っているのだろうか。
342: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:35:42.82 ID:/vGtjKVa0
不吉な想像にぞっとする。まさか、そんなわけが無い。あるはずが無い。あるはずが無いのだ。
力を尽くしてあの部屋から逃げ出し、必死の思い出辿り着いたこの場所が袋小路であるなんて、そんな訳が無い。
この部屋は間違いなく上条当麻の部屋で、彼は理由も無く人を売るような人間じゃあ無い。
インデックスだって善良で、平等な人間だ。しかるべき理由が無ければ、知り合いを窮地に追い込んだりはしない。
それに、お姉さまも来る。
冷静に考えれば、門限がある彼女が未だこの近辺に居るのは不自然だ。不自然だが・・・そうだ。
お姉さまは割りと門限破りも頻繁にしているようだし、つい長井をし過ぎたのだろう。
で、遅くなったから、折角だから泊まって行け、なんて言われて、舞い上がったんだろう。
そして、小腹が空いて、すこし買出しに行った、とか。そんな感じに違いない。
そう、そうに違いない。あと五分もすれば、インデックスと一緒にお姉さまがやってきて、話を聞いてくれて、
疑いつつも中立を保ってくれて、そしたらやっと安心して寝られるんだ。そうに違いない。
違いないのに。そうに違いないのに、何が引っかかっている?何を見落としている。
何を忘れているのだろう?
そんな不安を振り払うように頭を振ると、出窓が目に入った。
さっきまでは気にも留めなかったが、方角的に道路に面した位置に設置してある。
覗けば、ひょっとしたらインデックスがお姉さまを連れてくるのが見えるかもしれない。
見えたら少しは安心できるだろうか。
そう考えたとたん、自然に体が窓のほうへと擦り寄った。多少の期待を抱いて、出窓から外を覗く。
343: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:36:43.34 ID:/vGtjKVa0
深夜ということもあり、外は誰も歩いていなかった。
例の男どもの姿も無い。かなり注意してみてみたが、見渡せる限りでは妹達の姿も無い。
そんな全く無人の道に、人影が現れた。さっきこの部屋を出ていったばかりのインデックスだ。
まだインデックスがここらに居て、かつ道に人影は無い。
ということは、彼女が美琴を連れて戻ってくるまでには、すこし時間がかかりそうだ。
念のため、鍵を閉めておいたほうがいいかもしれない。
などと考えていると、インデックスが足を止めた。
おや?と思い、注視していると、足を止めたのは、丁度ゴミ捨て場の前だった。
インデックスは、そのゴミ捨て場をがさがさと漁る。
しばらくいくつかのゴミ袋を持ち比べた挙句、一つを選び出し、中身を確認する。
お目当てのものが見つかったらしい。
その時、番外個体は、インデックスがにやりと嗤ったのが、確かに見えた。
見えるはずが無いのに。
インデックスは、そのゴミ袋を手に取ると、きびすを返し、今来た道をたったった、と走る。
344: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:37:18.86 ID:/vGtjKVa0
もうすぐ、”美琴を連れてくる”と言った彼女は、この部屋まで戻ってくるだろう。
あのゴミ捨て場で見つけた、ゴミ袋を一つ取って。
345: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:37:56.00 ID:/vGtjKVa0
気づくと手が震えていた。
不意に現れた、辻褄の合わない何かが齎そうとする現実が、番外個体の目前にはっきりと広がっていた。
何が、と呟く。
一体、何が起こっているのだ。
頭がついていかない。意味が解らない。何故そんなことをする?何故ごみ袋を持ってくる?
あの笑顔は絶対に作り物ではなかったはずだ。じゃあ、一体、何故?何が?どうして?
呆然と、いつの間にやら再び無人になった道を見つめ、混乱に訳がわからなくなっていたその時。
不幸にもふと気づいた。
何にか。
ずっと頭に引っかかっていた、ものに、だ。
346: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:38:34.23 ID:/vGtjKVa0
静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いていた。
347: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:39:11.65 ID:/vGtjKVa0
そう、響き続けている。
そういえば、番外個体がこの部屋に入ってきたときも、
―――静かな部屋に、ざあざあと、シャワーの音が響いている。―――
あの音は、していたのでは無かったか?
348: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:40:42.39 ID:/vGtjKVa0
さらりと、亡霊の冷たい手のひらが、脳みそから無理やり熱を奪っていく―――。
ざあざあと、ひと時の揺らぎも無く、シャワーの水が浴室の床をたたく音が聞こえる。
その音はいつまで行っても変化が無い。つまりは、ずっと同じものを叩いていると言うことだ。
どくり、と心臓がなり始める。喉の奥が、きゅっと引っ張られた。
溜まっても居ない唾を飲み込むと、大きな空気の塊が胃に落ちてくる。
嫌な予感がする。
そして、この嫌な予感は、今日悉く当たっている。ありがたくも無い予知能力だ。
番外個体は震えながら立ち上がる。
そして、壁伝いにゆっくりと浴室へ近づく。
ざあざあと鳴るシャワーの音が、少しずつ近づく。
一歩一歩、浴室へ近づくにつれ、床が冷たくなっていく。
ひんやりとした感触が、足の裏を通してふくらはぎへと上ってくる。
見てはいけない、と何かががなり立てる。そう、見てはいけない。きっと見ないほうがいい。
それも解る。だが、それでもひきつける何かが、あの音にはあるのだ。おぞましい何かが。
遂に、浴室の前まで辿り着く。
ざあざあと、以前変わらずシャワーの音がする。
曇りガラスの向こうには、当たり前のように人影があった。
しかし、あるだけだ。黒い影のようなそれは、たたきつけるシャワーの水流を欠片も乱さない。
そして、その人影は恐らく、”座っていない”。
心臓が、どくり、どくりと、波打つ。ねっとりとした血液が、むりやり体中に送られるのを感じる。
そっと、浴室のドアに手をかける。
ゆっくり、ゆっくりと戸を開ける。
349: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:41:17.33 ID:/vGtjKVa0
空けた先には、浴室の床に寝転がり、シャワーの水を浴びる上条当麻の姿があった。
350: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:43:01.03 ID:/vGtjKVa0
番外個体は、その姿を見たとたん、ああ、これは死んでいるな、と判断した。
上条当麻は仰向けに寝転がり、苦悶に満ちた表情を体に貼り付けていた。
腹部は切り裂かれており、いくつかの重要な臓器が切り取られていた。
切り口は酷く雑だった。切り分けてから整えればいいからと、とりあえず包丁でぶつぎりにしたような、そんな粗雑さだ。
当たり前だが、治療目的では無いだろう。そもそも、治療のために、浴室で心臓を切り取るバカは居ない。
流され続けたシャワーは、その肢体から発されるべき匂いを、不思議なまでに消していた。
きっと当初は、あふれ出る血液を、この水流が必死で押し流していたのだろう。
今となってはその水は、腹部に溜まっているくせに場違いなくらい透き通り、ひょっとしたら飲めるかもしれないと、錯覚するくらいだ。
溜まった水に、まだ切り取られていない腸がぷかぷかと優雅に浮いていた。長の先っぽだけは、他よりも切り口が異なっていた。
なんとなく解る。たぶんあれは、歯形だ。おそらくインデックスの。
「うぐ」
そんなことを考えながら、吐いた。
激しく吐いた。胃が空になり、胃液がつき、空気まで吐き出してぺしゃんこになるまで吐いた。
どんなに吐いても吐き気は収まらなかった。
落ち着こうとするたびに、先ほど見てしまった浴室の光景が脳裏に蘇った。
351: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:43:40.87 ID:/vGtjKVa0
もういやだ、と思った。
気づくと、激しくしゃくりあげている自分が居た。
まただ、また涙だ。昼にも情けなく泣いたばかりだというのに。
こんなのばっかりだ。異常と異端と異次元と異世界に満ちたあの空間だ、あの人種だ、あの世界だ。
ミサカは普通で居たいだけなのに。普通であれば良いのに。
幸せになれなくとも、普通でありさえすれば、もうそれで良いのに。
いやおうなしに、キチガイ共が近づいてくる。
一体なんだというのだろう。あんな狂った奴らに、一体どうやって対峙しろというのだろう。
その時、番外個体は遅まきながらやっと気づいたのだ。
自分一人では、あんな奴らと戦えない。
352: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:45:43.27 ID:/vGtjKVa0
もういやだ。逢いたいよ。一方通行。
あなたが「助けに来たぜ」と言ってくれさえすればそれでいい。
そのまま見捨ててくれてもかまわない。それだけで、ミサカは救われるんだ。
やっとそのことに気づいたんだ。
だから、今だけは。今だけは、来てよ。お願いします。
353: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:46:23.77 ID:/vGtjKVa0
でも、来ない。
来るのは一方通行では無い。
がちゃり、とドアが鳴った。
それを聞き、番外個体は、びくり、と身を強張らせる。
まだ終わってはいない現実が、また彼女の前に現れようとしていた。
玄関から、インデックスが姿を現した。
「わーすと?」
今までと変わらぬ、天使の様な無邪気な声だ。
そう、無邪気で、天使のようで、優しく、慈愛に満ちて。
そして彼女は、手にゴミ袋を持っている。
なんとなく、中身の見当はついていた。
何故だろうかと心当たりを探すと、さきほどの浴室の絵がふたたび広がった。
そうだ。あの時、浴室の床は見た。
では、肝心の浴槽には、一体何があったのだろう?
思い返したくない。しかし、見えたものを忘れられるはずも無い。
あの浴槽には、”常盤台の制服を着た何かが浮いていた”。
354: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:47:17.06 ID:/vGtjKVa0
「つれてきたよ」
インデックスはそう言って、ゴミ袋に手を入れる。
あは、あはは、と乾いた笑い声が聞こえた。
一体どこから来てるのか、と思ったら、自分の出した声だった。
顔が引きつった。笑い声がとめられない。
あは、あはは。なんだろう。この笑い方は。なんだか、どこかで、聞いたことがあるような気がする。
どこで聞いたのだろう。
ああそうだ、あれは打ち止めだ。打ち止めが嗤っているときのあの感じと、そっくりなのだ。
「はい、これ」
インデックスが、ゴミ袋から”何か”を取り出した。
それはサッカーボール大の”何か”だった。
“何か”からは見覚えの有る糸のようなものが何本も生えていた。
“何か”には目があり、鼻があり、口があり、耳があった。
そのパーツや配置は、とても見覚えがあるものだ。
そう、勿論だ。だって、自分と同じなのだから。
「あは、あははは、あは」
インデックスは、生首を―――御坂美琴の生首を嬉しそうに掲げた。
355: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/09/18(日) 01:48:21.69 ID:/vGtjKVa0
「あはははは!あはははははははははははは!!」
解ってしまった。
ここに救いは来ない。どんなに願っても来ない。
あるのは動かしがたい現実で、一人ではどんな力をこめても意味が無い。
せめてもう一人居ればという、ささやかな願いすらも叶わない。
どんな些細な希望も、控えめな夢も、謙虚な未来も、一つたりとも思い通りにならない。
何も自分の意思は通らない。
ならば、自分の生きている意味とはなんなのだろう。
生まれた意味とはなんなのだろう。
何故自分はここに居るのだろう。
解っている。それは、生まれて一番初めに植えつけられている。
一方通行を殺さなければならない。
何故ならばそれこそが、番外個体が生きている、最初にして唯一の目的なのだから。
今までも平穏は、それに気づくための壮大なプロローグに過ぎなかった。
番外個体は哄笑を止め、にやりと嗤う。
「うふふ」
この瞬間、番外個体は間違いなく、”壊れた”。
381: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:18:07.65 ID:u3zlPTQd0
なるほど地獄だ。
とある場所の、とあるアパートというか、寮というか。とにかく有り触れて、平凡で。代わり映えの無いドアを潜り抜け、黄泉川は納得した。
天気は快晴。降水確率0%。雲ひとつ無く、外では鳥がちゅんちゅんと鳴き、爽やかな風が肌を撫で、ゴミ置き場さえも綺麗にされている。
どこにも落ち度の無い朝だ。こんな朝を迎えたからには、その日一日を、少なくとも午前中くらいは限りなくポジティブに過ごさなければならない。
それが恵まれた天気を与えられた者の義務である。
しかし、ここは地獄だ。
死と苦痛が溢れかえるその場所で、天気の良し悪しなど気にするのとは、いやはや、なんとも贅沢だ。
そんなものに救いを見出すのではなく、もっと建設的に物事を捉えるべきなのだろう。
如何にして苦痛を軽減するか。如何にして死を避けるのか。如何にして地獄を逃れるのか。
そして、如何にすれば地獄へと辿り着かずに居れたのか。
黄泉川が、番外個体との生活の末に行き着いたのは、つまるところ、そんな血なまぐさい場所だった。
382: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:19:43.90 ID:u3zlPTQd0
地獄に番外個体が入っていったことは、既に監視カメラで見た。
その時は必死の体だったし、救いを得たような安心しきった顔だったのも、見た。
そして1時間後に部屋を出て行く時、彼女は嗤っていた。
泣きそうな子供のような顔で、無理やり高笑いを搾り出しながら嗤っていた。
その一時間に何があったのかは解らないが、事実はそうなっている。
そしてその部屋には、さっきまでいくらかの肉片と一人の少女が居た。
肉片に溢れた部屋の中に居た真っ白な少女は、部屋の真ん中で不気味に嗤い、
そして生身の肉片を使ったジグソーパズルに興じていた。
383: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:21:48.69 ID:u3zlPTQd0
すこし前まで平穏を絵に描いたような場所だったこの部屋で、目を見開き、難解で希少で、完成の無いパズルに従事する彼女は、悲しいことに実に平凡でなかった。
残った肉片を全部集めると、一人分よりもすこし少ないくらいだった。
でも、首は二つあった。
のこりの欠片も探してはいるが、正直なところ、もう見つからないのではないかと思っている。
妙に綺麗になったゴミ置き場を思い出す。
部屋にあった、本来外気を吸うべきでないたんぱく質の欠片の数々は丁寧に集められ、いずこかへと運ばれていった。
どうなるかは知らない。研究所の真似事のような場所へと運ばれて、司法解剖でもされるのだろうが、一体何の意味があるのだろう。
趣味の悪いジョークが幅を利かせた結果、死因が未知の病原菌だったとして、それを細切れの肉片へ告げることにいかほどの必要性があるのか。
そこにはシュールレアリズムに溢れた自己満足しか存在しないように思える。
やらなければならないからやる。意味も無いのに。必要も無いのに。
この世界は、何故かそうしなければならない。
そうやってごてごてに装飾を貼り付け続け、無理やり作り上げた城壁に溢れている。
そんな外面がなければ、社会はまともに動かない。
384: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:23:19.81 ID:u3zlPTQd0
いままでの黄泉川愛穂には、それが奇妙で、不可思議で、非効率で苛立たしかった。
何故よりシンプルに物事を行えないのか。
目標への道のそこかしこに、只管邪魔が入るのは何故なのか。
具体的に言えば、何故自分は正義を行う際に、わざわざ上司のパワーゲームに付き合わねばならないのか。
目前に居るのがたとえ明確な悪であり、罪であっても、そこに手出しが出来ない理由が存在する場合が有る、その訳は何なのか。
ずっと解らなかった。だからこそ、不満だった。
しかし、今ならば解る。
そうしなければきっと人間は生きていけない。
物事を真正面から見つめることに耐えられない。
解りきっている結果を、正しいと判断するのが自分であることが恐ろしい。みんなそうおもっている。
だから意味も無く隣の部屋のメイドに聞き込みをしたり、変わらぬ監視カメラの映像を何度も再生したり、
粉々になった肉片に埋もれた胃の消化物を調べているシュールな検察官の叩き出す結果を待ったりしている。
385: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:24:10.62 ID:u3zlPTQd0
でも、何が起ころうか事実は変わらない。
昨日の深夜、番外個体はこの部屋に入っていった
その一時間後、彼女はハイになってまたこの部屋を出て行った。
翌朝踏み込むと、部屋の中にはそこかしこに肉片が飛び散り、舞い散り、こびりつき、
中心では嗤う白い少女が狂っていた。
そして――すこし前から番外個体は精神を病んでいた。
386: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:25:04.54 ID:u3zlPTQd0
誰だって、何が起こったのかくらいは想像できる。
― 狂った女が、二人殺してバラバラ死体にしたみたいだ。で、それを見てたシスターさんが狂っちまって、死体をずっと組み立てようとしてるんだ。 ―
黄泉川は、隣部屋の住人が寄越した初期通報の録音テープを何度も聴きなおす。
そんなわけは無い、とおもう一方で、その否定に根拠は無い。
通報人の見解が正しいかはわからなくても、辻褄の合った理屈が八割がた事実に沿うのもまた事実だ。
悲しいことに、それを完全に跳ね除けるほどの向こう見ずさは彼女には無かった。
387: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:26:01.30 ID:u3zlPTQd0
一体。
一体何を間違えたのだろう。どこを直せば、こんな地獄に辿り着かずに済んだのだろう。
もし次があるのであれば、絶対に間違えない、と黄泉川愛穂は心に誓う。
勿論次など無い。時間が巻き戻らない限りは無い。
故に、この思考に意味は無い。考えても無駄なのだ。
それでも思わずに居られない。次こそは、次こそは、絶対にこんなことにはしない。
次なんてものがもう二度と来ないことも、黄泉川愛穂は悲しいことによく知っている。
388: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:26:50.30 ID:u3zlPTQd0
でも、もし来るのなら。
自分は一体、どうするべきなのだろう。
389: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:28:01.53 ID:u3zlPTQd0
390: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:28:40.25 ID:u3zlPTQd0
―――――――。
その一報を聞いたとき、冥土帰しはコーヒーを飲んでいた。
391: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:30:07.27 ID:u3zlPTQd0
本来なら、今日は久々に何の予定も無い一日のはずだった。
日々の診察や回診は日課として、それ以外にはなんの予定も無い。
難易度の高い手術に緊張する必要もないし、下らない各種医療機関との協議や、病院間のパワーバランスの調整、
ベッドの稼働率が超過していることに対する懸念、資金繰りに関する悩みなども、奇跡的に同じタイミングでひと段落ついていた。
やっと自分おやりたいことをする時間が取れたという訳だ。
そんな一日を大いに満喫するため昨日は大いに頑張った。
明日の回診も、すぐに終わる。
それどころか、研修医に任したっていいだろう。
最近の彼女は経験こそ浅いものの、それなりに技術が身についてきている。
もともと頭もいいので、知識も深い。
それならば、いっそ彼女にすべてをやらせて、自分はそれを横目で見つつ何か別のことをしてたっていいだろう。
392: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:31:39.44 ID:u3zlPTQd0
そんな甘いことを考えながら寝ていると、二時ごろにたたき起こされた。
重傷を負った人間が一人担ぎこまれてきたのだと言う。しかも自分の見知る相手だという。
まあ、仕方が無い、と思いつつも、急いで、しかし真剣に患者の下へ向かうと、随分と酷い状態だった。
頭に鈍器で殴られたような傷、腹部には安全靴で思いっきりけられたと思しき酷い痣が何個もある。
そのうちのいくつかが原因となって肋骨を四本折り、折れた骨が肺に突き刺さり、血の混じる泡を吐いて、うーうーと呻いていた。
普段から感情を示さぬ目には光が無い。意識はほぼ無いようだ。
とりあえず一刻を争うので、すぐに手術に取り掛かる。
腹を開けてみると肝臓が一部破裂していて、あふれ出した血液がぴゅっと勢い良く飛び出してきた。
そんな血の海を片っ端から吸い取り、今回は使い物にならない研修医や彼女の姉妹から血液をがんがん輸血し、
骨を抜いて肝臓と肺を縫合して、同時並行で幸いにも骨や脳に深刻な異常の無かった頭部の傷を処置して、
ようやく安定したのは6時間後だった。とりあえず一命を取り留めることくらいは出来た。
死ぬことはないし、たぶん後遺症も残るまい。まあまあの結果だ。
393: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:32:50.35 ID:u3zlPTQd0
で、手術が終わったのはいいのだが、身内があんなことになったことによる動揺で、研修医の方は使い物にならなかった。
そんな訳で、彼女の分の仕事を冥土帰しがやらざるをえず、せっかくの休日はぱあになりそうだ。
徹夜でやった大仕事からくる気だるい疲労と眠気に対抗すべく、一方通行が見たら発狂するような、
自ら淹れた絶望的に濃くて不味いコーヒーを、不味い不味いと思いながらちびちび味わっていた。
「番外個体が猟奇的に人を殺した」というニュースが飛び込んできたのは、丁度そんな時だった。
394: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:33:54.91 ID:u3zlPTQd0
たぶん、もっと前から鳴っていたのだと思う。
ただ、手術中は出るわけが無いし、終わった後も携帯電話の存在など気にもせずにコーヒーを淹れたりしていた。
気づいたのは一通りの作業が終わってゆっくりしている時だ。
ぶぶぶぶ、と机に小刻みな振動が伝わり、見ると携帯電話がアメンボのように雑然とした机の上を彷徨っていた。
出ると、黄泉川だった。その名前を見た瞬間、番外個体絡みの話なのだろう、とは予想がついた。
勿論中身は、想像をはるかに超えたものだった。
黄泉川は、ただただ淡々と、冷静に、事実だけを述べていった。
その事実の組み合わせは、中であったことを想像させるには十分だった。
395: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:35:00.64 ID:u3zlPTQd0
つー、つー、つー、と、すぐ近くで耳障りな異音を律儀に繰り返す携帯電話を耳から離す。
冥土帰しは黙ったまま先ほどまで飲んでいたコーヒーを流しに捨てた。
特に意味は無い。ただ単に、もう一口も飲みたくないし、飲めるとも思えなかった。
不思議なほど動揺は少ない。医者をやっていれば、こういうことがよくある、とは言わないが、死ぬほど珍しいという訳でもない。
特に冥土帰しのように、ゼネラルに治療に関わる医者にしてみれば、自然と多くなる。
手術を怖がるばかりに自殺した患者だっていた。
被害者は学生らしい。間接的に冥土帰しが殺したようなものだろう。
仕方ない。とは思わない。どうしようもない、とも思わない。
でも起こってしまったのだ。取り消すことは出来ない。それは医者だからこそ、よく知っている。
いつだって全力は尽くしている。それが誤っていたとしても、それを取り戻す機会など来ないのだ。
次など無い。
そう、次なんてありはしないのだ。思い悩んでいても、どうしようもない。
398: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:42:05.33 ID:u3zlPTQd0
まあ、それでも気が滅入るのは当然のことだ。そんな気分を紛らわすように、着信履歴を見た。
黄泉川が一体何度自分に電話をかけたのかにほんの少しだけ興味があったからだ。
そして、冥土帰しはそれを心から後悔する。
「ああ」
冥土帰しは携帯電話を取り落とす。あいた右手で目を胃覆う。背中に力が入らず体を折る。
何も言わなかった。言わないようにしていた。なのに、つい言葉が漏れてしまった。
押しとどめていた後悔と失望と諦念と怨嗟が、関を切ったようにあふれ出し暴れ狂った。
すこし立てば、また押さえ込めるだろう。
でも、これはたぶん、とても大切なことなのだと、何かが叫んでいた。
399: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:45:25.26 ID:u3zlPTQd0
そこは、番外個体からの着信履歴でびっしりと覆い隠されていた。
400: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/02(日) 22:48:37.37 ID:u3zlPTQd0
全く、何故なのか、何の理由があるのかも解らない。
ただただそこに、一秒や二秒、それよりももっと少ない着信がズラリ。
本人がやったのか?
人を殺した、その場所で?肉片の真ん中で?狂った少女の隣で?
やったとすれば間違いなく異常だ。異常ならばやってもおかしくない。
だが、本当にそうなのか?
自分は一体どうするべきだったのだろう。
どうすれば、彼女を救えたのだろう。
冥土帰しが落ち着くまで少しかかった。そしてその30分後、バラバラになったのが誰かを知り、彼はもう一度同じ思いを味わうことになる。
427: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 13:59:24.23 ID:JYG99qEM0
―――――。
電話をした。
何度も何度も電話をした。
出て欲しかった。出てくれれば、それでよかった。
それだけでよかった。でも、出てくれなかった。
この気分はよく解らない。私は、彼を[ピーーー]。それ以外に生きる理由が無い。
でも、電話には出て欲しい。そして電話で何を言って欲しいのかも解らない。
だからその後、手当たり次第に電話をしたんだ。
お姉さまにも、冥土帰しにも電話した。でも、誰一人として出てくれなかった。
電話が留守番電話に繋がるたびに、乾いた電子音が電波に届かないだの電源が切れているだのと伝えるたびに爪を噛んだ。
そしてもう一度電話をかける。
一つの指の爪がボロボロになっても噛み続けると、なんだか味が出てくる。
しょっぱいような気もするし、甘いような気もする。
味が濃いからごくごくと飲み干しは出来ないけれど、こうやってなめているだけならば飽きない。
だから今度は舐めた。ぺろぺろと舐め続けた。
そうしたら、いつの間にか左手が真っ赤になっていた。
一体何事かと思えば、どうやら噛み続けた親指から流れたものらしい。
傷口を電気で焼くと、血は止まった。
そして黄泉川に電話した。彼女が出なければ、次は芳川だ。
別に順番に意味は無い。電話帳を送っているときに行き過ぎてしまったとか、その程度の下らない理由だ。
でも、芳川に電話をかけることはなかった。黄泉川は出た。
そう、出たのだ。何を言われたのかは、正直なところ、何も覚えていない。
でもその後、迷いが少し消えていた。それだけは覚えている。
それはつまり、一方通行を[ピーーー]、という行為に一歩前進した、ということだ。
428: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:01:37.16 ID:JYG99qEM0
―――――。
ぴんぽん、とベルが鳴った。
遅い朝食を取っていた一方通行は、口へと運ぼうとした食パンを虚空で止める。
打ち止めは妹達の会合があると言って、やけに焦って出て行った。
そんなものネットワーク上でやればいいのではないかと思ったのだが、実際に顔を合わせることに意味があるらしい。
未来都市でわざわざ出す絵日記のようなものだろうか。
それとも、デジタルを信頼しきれない故に、多大な労力を使ってローテクにこだわるスパイの様なものなのだろうか。
関連の無い思考ばかりだが、とりあえず言えるのは、現在この家に一方通行しか居ない、ということだ。
ついでに言えば今日は仕事も休みだ。
何故こんな中途半端な時に休みなのか、といえば、昨日有給を使わせてほしいと上司に頼んでみたら、本当に取れてしまったからだ。
そして何故休みを取ろうと思ったのか、といえば、それはやはり番外個体のことがあったからだった。
(やっぱり、一度話を聞いてみなきゃなンねェな…)
理由は単純で、彼女とじっくり話す時間が欲しかった。ただそれだけだ。
あの時、冥土帰しが言った「番外個体の精神に異常がある」だのという言葉を、一方通行は頭から否定することが出来なかった。
違う、ということは、なんとなく確信があった。
それは直感であり、曖昧で、不確かで、脆くて細い理屈の上にのみ成り立つことを許された戯言だった。
少なくとも、第三者にはそうにしか見えないし、そう捉えられたのであれば、この直観は責任逃れの虚言にしか見えるまい。
番外個体と最も関わりが深かったのが自分であることには不思議と自信を持っていて、
そうであるならば彼女の心が本当に崩壊したのであれば、最も責任が深いのは自分に違いない。
だから一方通行は、番外個体が病んだ、などという事実が誤りであるという自分の判断を信じられずに居るのだ。
信じてはならないように思えるのだ。既に一万人を殺戮した彼には、そんやって自らの責任から逃げ込めるようなスペースは残されていない。
本来あるはずの空間は、既に血に塗れた死体で溢れている。なのに誰かがそれを持ち出そうとすれば、一方通行は全力で阻止するだろう。
空間は満たされてなければならない。それが一方通行にとっての平穏だ。
そうやって、彼は逃げている。変化を恐れ、背負うことを美徳とし、流した血を阿呆らしくも守っている。
それこそが自分のあるべき姿だと信じて生きている。
429: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:02:33.02 ID:JYG99qEM0
だから、他人から"責任から逃げている"と思われることは、彼にとって存在意義をあやふやにされているに等しい。
でも、他人からそう思われることを忌避する自分は、何かとても大事なことに対して不義理であるような、そんな気がした。
ぴんぽん、とベルが鳴る。
顔も洗っていないので、正直出たくはない。が、誰も居ない以上は自分が応対せざるを得まい。
というか、そもそもこんな瑣末な日常にさえ鬱陶しさを感じるようであれば、番外個体に相対することなどできないだろう。
こんな状況になってしまったからには、彼女と会うにはやはりそれなりの覚悟が必要なのだ。たとえ結末がなんであろうと受け入れる、という覚悟が。
受け入れた上で、対処すればいい。変えられるのは未来であって、現在ではない。現在を受け止るのを拒否する理由は無い。
一方通行は一口だけかじったパンを更に戻して立ち上がる。
歩きながらコーヒーで口内のものを胃に押し流し、カップをシンクに置いて玄関へ向かう。
ぴんぽん、とベルがまた鳴った。
一方通行は「はいはい」と返事を返しながら、内鍵に指をかける。かちゃり。
ドアを開けると、昼間になり掛けた時間帯に特有の、暖かさと肌寒さと湿り気をぼうっきれであいまいにかき混ぜたような空気が室内に流れ込んできた。
430: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:03:26.29 ID:JYG99qEM0
そして、そんな悪くない風の向こう側に、一人の女が立っていた。一方通行は見知った顔が出てきたことで、苛立ちが半分、安心が半分。
だから、つい不機嫌そうな声が出る。照れ隠しにも聞こえるし、本心とも取れる。便利な言葉だ。
「…なンだよ。お前合鍵持ってンだろォが」
女は俯いたまま何も言わなかった。一方通行は少し怪訝に思う。まあ、今までも時々、何も喋らないことはあった。
喧嘩をした後とかは、何を話しかけても取りつくしまもない有様だった。
でも、何かがその時とは違うんじゃないか、と少し感じるのだ。
たぶんこの直観は合っている。でも、だからといってそれにちゃんと準ずる事が出来る人間が一体どれ程居るのかは解らない。
なんとなく、いつ爆発するかわからない爆弾を処理するような、そんな気分だ。
やったことの無い経験に己が状況を照らし合わせていると、ふと冥土帰しの言葉が頭を過る。「彼女の胃から洗剤が検出されたよ」
431: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:04:01.50 ID:JYG99qEM0
電話が鳴ったのは、丁度そんな時だった。
432: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:04:48.75 ID:JYG99qEM0
鳴っているのは据え付けの電話だ。携帯電話は水没して以降、未だ手元に無い。
部屋の奥から元気なアニメソングが流れ出し、外の音さえも吸いだされた、空虚な室内に満ちていく。
静かな静かなこの部屋は、電話の音が響いても、愚かしいほどに静かだ。
その静かさが、何故か一方通行から非日常を蹴落とした。
ごく自然に電話が置いてあるキッチンへと向かう。玄関の彼女はそのまんま。
何もおかしなことは無い。彼にとって、この部屋に彼女が来るのは日常なのだ。当然なのだ。
わざわざイギリスからやってきた、第三王女だったりするわけではない。
ならば、何故厚く遇する必要があるというのか。
実際に、彼の後を追って彼女はキッチンまでやってきて、洗い場の前で立ち止まった。
それを横目で観たあと、目を離す。
433: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:05:34.85 ID:JYG99qEM0
この瞬間、彼は間違いなく、彼女と"普通に"接して居た。
色々なことがあって、間違いなく彼女は普通では無かったのに。
それはたぶん、ものすごく素敵なことで、ものすごく不幸なことだった。
434: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:06:23.16 ID:JYG99qEM0
一方通行は電話と相対し、受話器を取った。
しかし、全く言葉が聞こえてこない。でも、こちらには相手が解っている。
何故ならば、ウィンドウに名前が出ている。
登録してあった電話番号が、この電話が誰からかかってきたのかを、律義に、能天気に映している。
「何黙ってンだよ。黄泉川」
それは悪魔の言葉だ。誰も知らないのに、地獄の鍵になってしまった、そんな悪魔の言葉だ。
少しだけ、奇妙な何かが一方通行の所にやってきたことに彼は気付いた。
今すぐこの電話を切るべきなのだ、という予感が漠然とした。
たぶんこの直観は合っている。でも、だからといってそれにちゃんと準ずる事が出来る人間が一体どれ程居るのかは解らない。
漠然とした、正しい直観とやらを信じきれない一方通行は、受話器を離せない。
「おい、なんか言え。切ンぞ」
受話器の向こうにいるであろう黄泉川に呼び掛ける。
そして、やっと声が聞こえた。
435: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:07:20.24 ID:JYG99qEM0
『……、……な……じゃん』
「あァ?聞こえねェよ。もっとでけェ声出せ」
『……、最低なことをしちゃったじゃん』
声が震えていた。吐息も妙に荒い。ずずず、と何かを啜る音がする。
「…泣いてンのか?」
『御坂美琴が死んだのは、あいつが入ってくる前だったじゃん。凶器の指紋も中にいたシスターのだった。あいつは無関係じゃんよ』
「はァ?何言ってンだよ。悪ィ夢でも見たのかァ?」
当たり前というべきか、鈍いというべきか解らないが、このときの一方通行には、黄泉川の行っていることが欠片たりとも解らなかった。
とりあえず彼に理解できることといえば、電話をかけてきたこの女が酷く動揺しているということ。
そのためかは知らないが、話す中身も要領も得ず、まとまってもいない。
頭の中一杯に散らばったものを、手当たり次第に拾っては言葉にしているだけであろう、ということ。
それはつまり、彼が黄泉川のことを心配しているということだった。
彼女の話していることよりも、その声色に気を取られた。
だから、唐突に出てきたその名前に気づくことに遅れてしまった。
遅れてしまったから、過敏に反応してしまった。
ひょっとしたら、その名前を口にせずに済んだかもしれないのに。
436: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:07:56.78 ID:JYG99qEM0
『なのに私は勘違いしてたじゃん。だから、折角電話をかけてきたあいつに・・・』
「・・・ちょっとまて」
もう少し、もう少しだったのに。
もう少しだけ待てれば、ひょっとしたら。
「お前・・・今、超電磁砲が、死んだ、とか言わなかっ」
ぐさり。
437: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:08:29.03 ID:JYG99qEM0
「たか・・・あ・・・・・あァ?」
ぐさり?
438: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:09:15.61 ID:JYG99qEM0
「・・・・・・・・・・・・・・?」
ずるり、と、体の中から何かが抜けていく感触がした。
何が?
「・・・・・・あァ・・・・・・・・・?」
背中の辺りから生暖かい何かが溢れて、右足を上から順番に覆っていった。
濡れて皮膚に張り付く衣服が気持ち悪い。
濡れて?何故濡れる?
不意に腹の底から灼熱の液体が駆け上がってきた。
気づいたときには瞬間移動したかのように口内に満ちている。
居眠り中の唾液のように、ごく自然に口の端から漏れたその液体は、とめどなく顎まで伝った上で、表面張力では耐え切れず、一滴ずつ落ちていく。
目を落とせば、すぐにその液体の色が解る。
当たり前だが、その色は、鮮やかな鮮やかな赤色だった。
「・・・・・・・・・・・・かは」
くるり、と、自分でも驚くほど自然に首を後ろに向けると、
赤く染まった包丁を両手で携え、酷く歪んだ顔でガタガタと震える番外個体が嗤っていた。
「・・・・・・きひひっ!」
439: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:10:41.21 ID:JYG99qEM0
―――――。
手ごたえは、想像とは違った。
もっとすんなり行くのかな、とも思っていたし、骨かなんかに当たって結局上手く刺さっていかないんだろうな、とも思っていた。
実際にどうだったかというと、それもよく解らない。でも、たぶん思っていたのとは違う。それはたぶん間違いない。
「・・・・・・きひっ!」
引きつるように笑い声が出た。包丁を握った両手がびっくりするほど熱かった。
何かと思えば、ただ血に塗れているだけだ。
無性に舐めたい。それが駄目ならこの手を洗いたい。洗い流したい。
それを自分が何故しないのかも解らない。
解らない。解らないことばかりだ。
解っているのは、刺した感触が想像したものとは違うという、実体験くらいだ。
目前の一方通行が右足から崩れた。
糸の切れた操り人形のようだ、などというありきたりな感想を抱いた。
操っていたのは誰なのだろう。少なくとも私ではない。
操れていれば、こんなことにはなっていない。
でも仕方が無い。この世界は誰も信じられないのだ。
みんなが自分のことをキチガイだと言う。誰一人として彼女の危機を助けてはくれない。
だからもう仕方が無い。自分が生きる為にはするべきことをしなければならない。
自分がするべきことは何か。それはたった一つだけ残っている。
私が製造されたときに課された、唯一無二のオーダーが。
440: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:11:31.33 ID:JYG99qEM0
「・・・が・・・・・・か・・・・」
声にならぬ声が、足元に横たわる男から出ていた。口の中に溜まった血が気道を塞いでいるのだろう。
そこをこじ開けようとする反射の成れの果てが、弱弱しい咳と次から次へと溢れる血染めの泡だ。
見たことが無い、訳では無い。むしろ見慣れている。
そういえば、人を刺した事だって初めてじゃあ無かった。だから、感触も覚えている。
じゃあなんで思っていたのと違ったのだろう。
そんな血なまぐさいことを忘れてしまうくらい、平和にボケていたのだろうか。
「ぎゃは」
なんで。
なんでボケてしまったのだろう。
知っていたはずなのに。解っていたはずなのに。
どうせこいつらは、私の味方のふりをして、影で笑ってるんだ。
ちっとも言うことを信じてはくれやしない。
それが黄泉川との電話でよく解った。
441: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:12:11.29 ID:JYG99qEM0
私は一方通行を殺すために生まれて。一方通行をボロボロにするために生まれて。
そのどちらかが済めばもう生きている意味なんて無いのに。
なのになんで生きてしまったのだろう。
一方通行が殺せなくなった時点で死ぬべきだったのに。
そうすればこんなことにはならなかったのに。
「はは・・・きゃはは・・・・・・」
そうだ。私はこの男を殺せない。
それは今この手が証明している。
人を刺し、血まみれになった男を見、あられもなくガタガタと震えるこの手が示している。
包丁が手から落ちた。がらんと音がした。
何故今まで持っていられたかも解らないくらいの震えだった。
殺せない。殺せないはずだ。なのに。
442: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:12:44.69 ID:JYG99qEM0
「なンで」
声が聞こえた。足元から。
「なンで」
殺したくなんて無かった。
でも仕方が無いんだ。私はこの男を殺すために生まれてきたんだ。
殺さないと生きている意味が無いんだ。
「なンで」
じゃあ、なんで今まで殺さなかったんだ。
「なンで」
「煩い!」
好きだったからだ。
443: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:13:23.32 ID:JYG99qEM0
「なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで」
大好きだった。
世界中の誰よりも好きだった。誰を敵に回したって良かった。
自分の生きる意味なんてどうでもよかった。
だって、あなたこそが、私の生きる意味だったんだ。
じゃあ、その人を刺した今は?
もう好きじゃないの?
そんなことはない。
今でも好きだ。
「なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。
なンで。なンでなンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。なンで。 なンで」
444: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:14:04.32 ID:JYG99qEM0
耳を押さえる。
煩い。
あなたが。
あなたが何か意味をくれるって言ったから。
だから信じていたのに。
なのになんで助けに来てくれなかったの。
なんで電話に出てくれなかったの。
「なんでよ・・・」
あなたが信じられなくなったから、生まれた意味にすがった。
じゃあそれが無くなったら、どうすればいいのだろう。
とっくに結論は出ている。
一方通行が死んでしまえば、番外個体に生きる意味など無い。
いつの間にか、足元からの声は聞こえなくなっていた。
一方通行から流れ出した血は、静かに静かに流れ続け、いつの間にか番外個体の周りを囲っていた。
番外個体はそんな血だまりのなかで嗤った。
「うふふ」
しゃがんで床に落ちていた包丁を取る。
もう、彼女の手は震えていない。
445: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:14:54.57 ID:JYG99qEM0
―――――。
446: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:15:43.63 ID:JYG99qEM0
―――――。
その部屋は血の香りで埋まっていた。
むせ返るほど濃厚な、生を感じるその空気を打ち止めは吸う。
鼻腔から味すらも感じさせる、得難く希少なその空間に佇む事が出来る彼女は、酷く贅沢であり、また貧しくも有った。
喜ばしいことに、彼女は貧困を知らない。なので、贅沢さのみに身を浸すことが出来る。
ああ。
このむせ返るほどに濃厚な、"あの人"の香り。
それを感受できるこの世界を、邪魔するものは、もう無い。
もっとも邪魔だったものは、今この部屋の真ん中で、首元に刃物を突き刺して寝ている。
あらあら、育ちの悪い寝相だこと。
この部屋まで来るために、十重二重の囲みを圧倒的な暴力で打ち破り、自分の姉妹を幾人も病院へと送り込んだあなたには、そのお姿がお似合いだわ。
あなたのお仲間も昨日お仕置きしておいたし、やっぱり因果応報って奴があるんでしょうね。
447: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:16:27.54 ID:JYG99qEM0
一歩一歩歩みを進めると、親指に生ぬるい液体が触れた。
ぬちゃっとしていて、さらりとしていて、ああ、まるでつかず離れず纏わりつく子犬のようだ。
やっぱり寂しかったんだね。
こんな女じゃ足りないよね。
全く、私が居なきゃ駄目なんだから。
ひたひた、ひたひた。
いつの間にか、あなたがミサカを囲んでいる。
あらあら、慌てなくても大丈夫だよ。
ミサカがあなたから離れる訳がないでしょう。
ゆっくりと膝をつく。
じわじわと、床に敷き詰められた血液に、自分の体が触れていく。
圧倒的な満足感が満ちた。
空気などで無く。まやかしでもなく。文字通り、ミサカは今、あなたに包まれている。
そっと手を伸ばしすと、あなたの頬に触れられる。
少しだけ濡れていた。なんでだろう。
ああ、泣いているんだね。
なんで泣いているんだろう。
きっとミサカが来て嬉しかったんだね。
ミサカが来るのを待っていたんだね。
もう、そんな泣くことないんだよ。
だってミサカは、ずっとあなたのそばにいるんだよって、ミサカはミサカは告白しちゃったりなんかして。
448: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:17:07.01 ID:JYG99qEM0
誰も居ない部屋の中で。
誰もこの世界に生きていない空間の中で。
打ち止めは今幸福を感じていた。
今までなかなか手に入らなかった彼が、遂に自分のを包んでくれているという満足が、
自分の邪魔をしていた目障りな猫が消えてくれたという幸運が、
彼女に圧倒的な幸せを与えていた。
そんなどこまでも狂ったその場所で、
打ち止めは、嗤った。
「うふふ」
449: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:17:33.40 ID:JYG99qEM0
静かで誰も来ないその場所に、打ち止めはいつまでも佇んでいた。
いつまでも。いつまでも。
450: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:18:21.09 ID:JYG99qEM0
番外個体「病み止めさん」 <おしまい>
451: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:22:04.66 ID:JYG99qEM0
<エピローグ>
452: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:23:26.71 ID:JYG99qEM0
「第七学区の廃ビルに、最近妙な噂が立っているんです」
「妙な噂って・・・どんなだよ」
「なんでも、小さな女の子が、男の人を超介護しているそぅです」
「いい話じゃねーか」
「そこまでの経緯が超重要なんです。なんでも、その二人は付き合ってたらしいのですが・・・」
「小さい女の子が?」
「はい」
「男の人って何歳?」
「さあ、たぶん超大人だと思いますけど」
「ロリコンじゃねーか」
「まあ、それはいいとして」
「よくねーよ。犯罪だぞ」
「その二人にちょっかいを出してきた女が超居たらしいんですね」
「たくさん居たってことか?」
「いや、超一人です」
「紛らわしいわ!」
453: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:24:18.25 ID:JYG99qEM0
「でもその二人の愛は硬く、思い通りにならない女は次第に超精神を病み、その結果二人を超殺して自殺してしまったそうです」
「・・・・・・」
「犯行現場は凄惨以外の何者でもありませんでした。キッチンは血でびたびた。頚動脈が切れたために血液が鉄砲のように噴出し・・・」
「・・・・・・」
「その血の勢いを使って、天井には『愛』と書かれていたそうです」
「どんだけ器用なんだよ」
「まあ、あくまで超噂なので」
「都市伝説って奴か」
「はい。続きなんですが、踏み込んでみると、何故かカップルの死体が消えていたそうです。残っていたのは二人を殺した女の死体のみ。
そんな訳で、例の廃ビルにはそんな男女の霊が夜な夜な現れるそうです」
「踏み込んだって、誰がだよ」
「さあ」
「いい加減な話だな。そもそもなんで男は介護されてんだよ。意味わかんねーし」
「浜面はそういう細かいことを気につるから超小者のままなんです」
「超小者!?どういうこと!?ミクロってこと!?」
「ミジンコぐらいですかね。顕微鏡使わなくてもギリギリ見えます」
「やったね!人間の視力も捨てたもんじゃないね!ってなるか!」
「あ、あとこんな噂もあります。ある家でバラバラ死体が発見されたんですが、その死体を使って超遊んでいた少女がいたらしいのです」
「嫌な絵だな」
「その子が遊んでいた死体を集めてみると、どうも超変なところがある、と」
「何が変だったんだ?」
「残っていた頭は女だったのですが、体のパーツが全て男だったそうです」
「・・・・・・」
454: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:25:06.55 ID:JYG99qEM0
「どんなに探しても、男の頭と女の体のパーツは見つからなかったそうです。そうこうしているうちに、生き残った少女も消え、事件は迷宮入りとなりました」
「・・・・・・」
「先ほどの介護をしている女の子の霊は、この時の少女だという噂もありますね」
「・・・・・・」
「そんな訳でですね」
「イヤだ!絶対行かねぇ!」
「なんですか浜面。ひょっとして超ビビリましたか?」
「当たり前だ!んな気色悪い場所に好んで行けるか!」
「仕方がありません。滝壺さんにメールしましょう。『浜面が超ビビリで話になりません』っと」
455: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:27:27.59 ID:JYG99qEM0
「・・・実際の話よぉ、そういうところには、あんま近づかない方がいいと思うぜ?」
「怖いからですか?ビビリだからですか?」
「いやまあそうなんだけど」
「あっさり認めましたね」
「なんつーかさ、そういうのって、『感染する』気がするんだよな・・・」
「・・・・・・」
「この都市もさ、たぶん最初っからキチガイみたいな奴が満ちてた訳じゃねぇとおもうんだよ。
でもさ、"そういうところ"にいると、染まってくんだよ。いつの間にか、キチガイに成り下がってんだよ。
だからさ、得体の知れないものには、あんまり近づかない方がいいと思うぜ?」
「・・・・・・」
「・・・聞いてる?」
「『大丈夫。知ってる』だそうです」
「送ったの!?何送ってんの馬鹿なんじゃないの!?折角いいこと言ったのに!!」
―――――――。
――――。
456: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:28:18.49 ID:JYG99qEM0
―――――。
話を終えた浜面が去っていく。
どこに帰るかは知っている。彼の行くアパートでは既に滝壺が夕食を作り終えて待っている。
そしてそこは、絹旗が帰るべき場所では無い。
理解しているが、寂しさが無いといえば嘘になる。
でも、まあ仕方が無い。
我慢しよう。今更誰にも言えないけど、たぶん私も、あのバカ面のことが好きだった。
でもあの人は滝壺さんを選んだ。私は滝壺さんも大好きだ。
だから仕方が無い。
まだ私も若いんだし、もっといい男がいつかきっと見つかるに違いない。
だから、この思いは、日の目を見ずにどこかに消すんだ・・・。
457: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:29:01.20 ID:JYG99qEM0
「本当にそれでいいの?」
声が、した。
振り向くのを躊躇った。
何故だろう。無視しようとしたのだろうか。
それとも、本物の怪異にたじろいだのだろうか。
「そんなの気にすることなんかないんだよ。好きなんでしょう?大好きなんでしょう?
だったら自分のものにしちゃうんだよ。仕方がないんだよ。だって好きなんだもん」
浜面の言葉を思い出す。
でもさ、"そういうところ"にいると、染まってくんだよ。
だからさ、得体の知れないものには、あんまり近づかない方がいいと思うぜ?
458: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:29:51.98 ID:JYG99qEM0
解っている。
でも、でも。
なんて魅力的な言葉であることか。
「だってその人は、あなたから大事な人を奪っちゃったんだよ?
だからこっちだって奪い返してやるんだよ。
気にすることなんかないんだよ。そうすれば、ずっと大事な人と一緒にいられるんだよ」
ああ。
凝り固まった首が、ばねで押さえつけられたように、ゆっくりゆっくりと後ろを向いた。
そこには、一人のシスターが居た。
真っ白な服を着たシスターだ。
459: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:30:38.14 ID:JYG99qEM0
浜面がもう一度頭の中で叫んだ。
だからさ、得体の知れないものには、あんまり近づかない方がいいと思うぜ?
もう遅い。遅いのだ。
「うふふ」
厳かに、気味悪く、美しく嗤った彼女は、胸に紙袋を抱えていた。
丁度、男の人の生首が一つ入りそうな大きさだな、と、絹旗は思った。
<終わり>
462: カロリーメェト ◆9OFSweNwT6 2011/10/16(日) 14:39:09.96 ID:JYG99qEM0
・・・・・・。
はい、今度こそ本当に終わりです。
腑に落ちないところもあると思うけど、いやーな雰囲気だけ感じてくれればそれでOK。
文章とストーリーのクオリティの糞さに絶望したから、もしハッピーエンド書くとしたら、全面的に書き直すと思う。
そん時は新スレ立てるかもしれません。時期的には、どんなに早くても11月半ば。
まあ、こんな糞な話だったけど、読んでくれた人はホント感謝です。
最終回見て「こんなオチかよ」って落胆した人ごめんなさい。でも感謝。
なんか本文読んでわかんないトコあったら書いてくれれば答えます。
若しくはハッピーエンド書くときに無理やり回収します。
では。
SS速報VIP:番外固体「病み止めさん」