SS速報VIP:和「あんたのなつやすみ」
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1: μ 2012/07/19(木) 19:31:17.97 ID:Jwj4hYrL0

……暑い。
非常に暑い。
尋常でないくらい暑い。
微動しただけで汗が吹き出し、瞬く間に全身を濡らす。
口を開いただけで喉の奥が灼け付く熱気。
夏の熱気は人間から思考力をいとも簡単に奪い去る。
私からも、あの子からも、判断力や気力を削ぎ落としていく。

気鬱。
後悔。
虚脱。
様々な感情、様々な感覚が私の全身を駆け巡る。

どうして……、
一体全体、どうしてこんな事になってしまったのかしら……?

自分でも分かるほどに大きく嘆息しつつ、
真昼だと言うのに薄暗い自室を軽く見回してみる。


「あぢゅいー……」


私の幼馴染みが全身を汗まみれにして、畳の上で寝転がっていた。
汗に濡れて、全身にシャツとホットパンツを貼り付けて、
ただこの夏の日が暮れる事だけを切実に願う表情を浮かべて、ただ寝転がる。
昨日から何一つ変わっていない光景。
つい私はまた嘆息してしまうのを禁じ得ない。

夏の日の唯は幼稚園の頃からいつもこんな様子だった。
暑さが苦手で、炎天下ではすぐに体調を崩して、
だからと言ってクーラーを使っても身体を壊す面倒な体質の幼馴染み。
本当に面倒臭い子だなあ、といつも思う。
この子にはいつも面倒を掛けられてばかりで、
一緒に居ながら気を抜けた事なんてほとんど無い。
でも、私は不思議とそれが嫌じゃなかった。
上手くは言えないけれど、それが私と唯の幼馴染み関係と言う物なのだろう。


「ねえ、唯……」


自分の汗が更に吹き出すのを感じながら、私は寝転がる唯の傍まで歩み寄る。
顔の前にしゃがみ込んで、止まらない汗に濡れる唯の頬に手を伸ばした。

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2: μ 2012/07/19(木) 19:32:02.57 ID:Jwj4hYrL0

「どうしたの?
和……ちゃん……?」


唯が焦点の合わない視線を私に向ける。
若干震えている声色から察するに、
発声にすらかなりの体力を使ってしまっているみたいだ。
また、汗が流れる。
私から、そして、唯の肌から。
唯とこんな同棲みたいな状況に追い込まれてから二日目。
私と唯はただただ夏の熱気に汗を流してばかりだ。
その原因の一端が私にあるとはいえ、少しだけ唯に申し訳ない気がしないでもない。
だけど、こればかりは私の未来のためにも譲るわけにはいかなかった。
この唯との奇妙な同棲生活には、私の未来が懸かっているのだ。
部屋にこもる気鬱の熱気には、私と同じく唯にも耐えてもらうしかない。


「唯、あんた……」


私は寝転がる唯に出来る限り優しい声を掛ける。
昨日から考えていた事を今こそ実行するべきだと思ったからだ。
正直、唯が居なければ、昨日の内に実行してしまうつもりだった。
背に腹は代えられないし、実を言うと普段から家族でそういう生活をしている事だしね。
だからこそ、これから私はそれを実行するべきなのだ。
それが私のためになり、結果的には唯のためにもなる。


「そんなに汗まみれになって……、凄く暑いわよね?
まあ、それはそうよね……。
こんな炎天下の日にカーテンまで閉め切ったりして、暑いに決まってるわ。
暑くない方がおかしいわよ、こんなの」


「じゃあ、和ちゃん……。
お願いだからクーラーを……」


「申し訳ないけど却下よ、唯。
長い付き合いだから知ってると思うけど、
真鍋家は摂氏四十℃を超えない限り冷房機器は使わないのよ。
それにクーラーを使うなんて、そんな危険な橋は渡れないのは分かっているでしょう?
扇風機なら回ってるいるんだから、どうかそれで我慢してちょうだい」


「扇風機でどうにかなる暑さじゃないんだよう……」


「それもそうでしょうね……、私だって暑いわよ、こんなの。
だから……」


言い様、私は肌に張り付く唯のシャツの裾を握る。
突然の急展開に唯が驚いた表情を見せたけれど、
私は唯のその表情を無視して、冷たく静かに言い放ってみせた。


「服を脱ぎなさい、唯。
この熱気に対抗する唯一の手段……、それは全裸になる事よ」


「ええ……ふぐっ!」


驚いたのか唯が大声で叫び出しそうになったから、
咄嗟に口の中に右手の指を四本突っ込んで食い止める。
もう……、全裸くらいで大袈裟な子なんだから……。
全裸なんて夏の暑い日には常識じゃないの……。
普段羞恥心が無いように見えるけれど、意外とこの子もそういう感情を持ってるのねえ……。

でも、唯には少し悪いと思うけれど、
これには何としても最後まで付き合ってもらうしかない。
そう、これは私の未来の懸かった唯との同棲生活。
自分の将来のため、高校二年生のこの夏、
私は唯を巻き込んででも、自宅に引きこもらなければいけないのよ……!



3: μ 2012/07/19(木) 19:32:48.25 ID:Jwj4hYrL0






事の発端は夏休みの直前の事だった。
両親が家族の前で思いも寄らない事を口にしたのだ。


「今年の夏休みにはハワイに行く」


口から心臓が放出されて、四散するかと思った。
正直、それくらい驚いた。
ハワイ……、考えるだけで魅了される魅惑の言葉だ。
ハワイ州ハワイ郡である。海外である。
鳥取県にある羽合町とはわけが違う。
海の向こうの南国、常夏の島、椰子の実、フラダンス。
思い浮かべるだけで胸が高鳴る。
海外旅行に行った事のない私にとって、ハワイはまさしく憧れの島だった。

そのハワイに行くだなんて、
生徒会で鉄面皮と呼ばれた事もある私だって胸の高鳴りを禁じ得ない。
遂に私も海外デビューをする日がやって来たわけだ。
勿論、念の為、両親には何度も確認した。
ハワイに行くつもりだったが、実際行ったのは鳥取の羽合だった。
なんて使い古されたお約束のネタに振り回されるのは嫌だものね。
だから、私は何度も何度も、しつこいくらいに日に二回は確認した。
両親は苦笑しながら、羽合じゃなくて海外のハワイだと何度も答えてくれた。
そこまでやってようやく、私は安心する事が出来たのだ。

どうやら本当にハワイに行くらしい……。
それをやっと自覚出来た私は、クラスメイト達にそれとなくその話をした。
うざったいかもしれない、とは思いつつも、皆に話さずにはいられなかった。
それくらい心が昂ぶっていたのだと思う。
嬉しくて、興奮して、皆とハワイの事を話したかったのだ。
律に羨ましがられた時なんか、舞い上がってしまって、
その後で律と何を話したのか自分でも憶えていないくらいだ。

私は初めての海外旅行に、ハワイに舞い上がっていたのよね……。
だから、クラスメイトだけじゃなく、
憂やさわ子先生、とみお婆ちゃん、生徒会の役員、
それどころか朝挨拶をするだけの近所のおばさんにまで、
誰にも訊かれていないのに、自分からハワイの話をしてしまっていた。
でも、それくらいなら問題無かったはずだ。
初めての海外旅行に舞い上がるのは、誰だって同じはずなんだしね。
……本当にハワイに行くのであれば、の話になるけれど。

結論から話そう。
今自室に引きこもっている事から分かるように、私はハワイには行けなかった。
旅行が頓挫したわけではない。
両親が嘘を言っていたわけでもない。
つまり……。


「今年の夏休みには(私達だけが)ハワイに行く」


という事だったわけなのよね。
流石にそれは盲点だったわ……。
そもそも、夏休みにハワイに行くのに、
夏休み直前でパスポートを発行していない時点で、私も気付くべきだったわけだけれど。
迂闊……、何て迂闊なの、私……。



4: μ 2012/07/19(木) 19:33:14.90 ID:Jwj4hYrL0

ちなみに両親は仕事の都合でハワイに行くだけらしい。
勘違いして空回っていたのは私だけだったという事だ。
空回りしてしまった事は無念で残念ではあるけれど、それは仕方が無い。
自分の空回り自体は自分自身で後悔して反省すればいいだけの事だ。

そんな事よりも大問題が一つあった。
夏休みにハワイに行くと周囲に言い触らしてしまった事だ。
訊かれてもいないのに、自分から……。
これは恥ずかしい……以上に、
私の将来に多大な影響を及ぼしてしまう気がするわ。
このまま私がハワイに行かないとなると、
私はありもしない事を自慢げに吹聴した見栄っ張りの大詐欺師という事になる。
今更勘違いだったと弁明してみた所で、その汚名を雪ぐ事は出来ないだろう。
それどころか虚言癖の生徒会役員として、各地から陰口を叩かれてしまうかもしれない。
勿論、それだけじゃすまない可能性まである。
ひょっとすると、ハワイに行きたがった可哀想な女子高生として、
噂好きで有名なお隣のおばさんに、未来永劫語り継がれる事になる可能性だってある。

それだけはどうしても避けたかった。
両親がハワイに行っている期間、私は誰にも姿を見られるわけにはいかない。
私の姿を視認された瞬間、私の将来は脆くも崩れ去る。
だけど、ハワイに行くお金なんて、当然持ち合わせていない。
何処かの田舎に逃げ込もうにも、その程度の予算すらも持ち合わせが無い。
となれば……。

ひきこもるしかない、と私は決心した。
この蒸し暑い夏の数日間、
ブラウン・レディのように限りなく影を薄くして、
誰にも悟られないように自宅にひきこもり続けるしかないのだ。
それが私の将来を守る唯一の手段なのだから……。



5: μ 2012/07/19(木) 19:33:42.58 ID:Jwj4hYrL0






【ひきこもりはじめ】


両親は早朝から出発していたらしい。
朝、目を覚ますと、机の上に二万円と手紙だけが置かれていた。


『のどかへ。
おかーさんたちはこれからハワイに行ってきます。
のどかなら心配ないと思いますが身体に気を付』


手紙をそこまで読んでから、すぐに視線を手紙から逸らす。
お母さん達には悪いけれど、今は手紙なんかを読んでいる時間は無いのだ。
周囲を窺ってみると、お母さん達はご丁寧に窓のカーテンを開けてくれていた。
朝陽に照らされて気持ちよく起床してほしいという親心なのかもしれない。
でも、残念ながら、今はそれは大きなお世話だった。
私は溜息を吐きながら家中のカーテンを閉めて、あらゆる場所の電気を消しに回った。
冷蔵庫くらいなら問題無いだろうけれど、
必要以上に電気を使ってしまっていたら、
お節介な近所の誰かに気付かれてしまうかもしれないものね。

最後に全ての窓と玄関の扉に鍵を掛け終わると、私は自室に戻ってから扇風機の前に陣取った。
こうしてしまうと、もう他にする事は無い。
幸いにと言うべきか、夏休みの宿題と読み終わってない本なら沢山残っている。
後は誰の目にも触れないように数日間を過ごせばいいだけだ。

……だけだったのに、
不意に耳に届いた声が私の計画の全てを壊す事になった。
よりにもよって初日から。
二冊ほど小説を読み終わった頃、聞こえてきたのだ。
聞き飽きるほど聞き慣れた幼馴染みの声が。
勿論、唯の声だった。
あの子の声は独特な上に甲高いから、昔から窓を閉め切っていてもよく私の耳に届いた。
どうして、唯が私の家の近くにまで来ているのかは分からない。
今、私がハワイに行っている事(になっている事)は知っているはずだから、
単に何となく、私の家の付近まで散歩に来ただけなのかもしれない。


「それって全然自然じゃないよねー♪」


どうやら放課後ティータイムの曲を口遊んでいるらしい。
唯には珍しく、夏の日だって言うのにとてもご機嫌な様子だ。
でも、唯のその能天気な声を聞いていると、自業自得とは言え、
こんな蒸し暑い日に室内でひきこもっている自分が嫌になって来る。

どうでもいいから、
早く帰ってくれないかしら……?

そう思いながら、
カーテンの隙間から外の様子を窺ってみたのが失敗だった。

思わず息を呑んだ。
唯が丁度窓の方に視線を向けていて、目が合ってしまったからだ。
唯の事だから、深い意味も無く窓に視線を向けていただけだと思う。
けれど、そんな事は関係無かった。
突然の事態に私は動揺して、唯も恐らく同じくらい動揺して、
数秒くらいそのまま見つめ合った後で、私は立ち上がって窓を開いた。



7: μ 2012/07/19(木) 19:34:21.43 ID:Jwj4hYrL0

「あれ……?
和ちゃん、何で? ハワイに行ってるはずじゃ……」


唯が首を捻りながら呟いていたけれど、
気が付けば私はそれを無視して唯の右手首を掴んでいた。
何をどうしたらいいのかは私の中でも答えは出ていなかった。
ただ、唯をこのまま帰すわけにはいかないという事だけは、私にもよく分かっていた。


「ちょっ……、えっ……?」


戸惑いの声を上げる唯の手首を引っ張って、
靴を履かせたままで窓越しに部屋の中に入らせる。
誰にも目撃されてないのを確認すると、
すぐに窓とカーテンを閉めてから唯の口を塞いでその場に座らせた。


「事情があるのよ。
大きな声を出さずに黙って聞いてくれるかしら?
……いいわね?」


そう言うと、私に口元を手のひらで押さえられながら、唯が小刻みに頷いた。
我ながら何だか無茶な事をしてしまった気がするわね……。
傍から見ていたら、間違いなく私の方が変質者だわ……。
でも、一先ずは一安心と言った所だった。
少し迷ったけれど、私は唯から手を離して事態をありのままに説明する事にした。
こうなってしまった以上、唯にも協力してもらうしかない。
私の将来のために、無理矢理にでも……。
かなり口が軽い唯の事だし、
隠し事をさせるのは無理だという事は経験でよく分かってるもの。


「素直に皆に話したらいいんじゃないの?」


私が事態を説明し終わった時、
唯は何でも無い事のように呑気に呟いていた。
予想通りとは言え、実際にやられてしまうと苛立たしいわね……。
私は少しだけ目を細めて唯を睨んでみたけれど、
それでも唯はそれを気にしない様子で軽く首を傾げてまた続けた。


「だって、そうでしょ?
別に和ちゃんが悪いわけじゃないんだし、単なる勘違いだったわけだし、
素直に事情を話せば、皆、「なーんだ」って笑ってくれると思うよ?
こんな暑苦しい部屋で汗を流してる必要なんて無いんだってばー」


呑気ね、と思った。
唯の呑気さは美点ではあるけれど、この状況では欠点でしかない。
生徒会に揉まれて世間の酸いも甘いも経験して来た私には分かる。
世間の荒波の中では、呑気な唯など狼の群れの中に迷い込んだ兎の如き物なのだ。
私は人差し指を立てて、まだ呑気で居る唯の瞳を覗き込んで口を開いた。
唯にはこれから私の共犯になってもらわなければならないのだ。


「甘いのよ、唯。物凄く甘いわ。
どれくらい甘いかと言えば、
チョコレートに練乳垂らして蜂蜜掛けて砂糖を練り込んだくらいに甘いのよ」


「私、それたまに憂に作ってもらうよー。
じゅるり……」


「あんたって本当に……。
まあ、いいわ。
とにかく、あんたはそれくらい甘過ぎるくらいの甘ちゃんなのよ、唯。
よく考えてごらんなさい。
私がハワイに行けなかった事を知った軽音部の部員がどう反応するかを」



9: μ 2012/07/19(木) 19:35:04.72 ID:Jwj4hYrL0

「別にちょっと笑って終わりだと思うよ?
りっちゃんくらいは少しからかって来るかもしれないけど、
りっちゃんってばああ見えて皆の事を考えてくれてる部長だから大丈夫だよー」


「そうね……、律はその程度の反応で終わるかもしれないわ。
でも、私が一番問題視してるのは澪なのよ。
あの子は危険ね。危険な香りが芳ばしいくらいに漂っているのよ……」


「澪ちゃんが?
でもでも、澪ちゃんって面倒見のいい思いやりのある子だし……」


「ええ、それは分かっているわ。
澪は思いやりがあって、皆の事を考えてるいい子よ。
それは二年で同じクラスになった私もよく分かってるわよ。

でもね、それが逆に怖いのよ。
ハワイ旅行は私の勘違いだったと話せば、澪も最初は笑って納得するでしょうね。
だけど、あの子はきっとその後に色んな事に考えを巡らせるはずなの。
妄想癖って程でもないけれど、あの子は何事も深読みする性質があるから。
それできっと一つの答えに辿り着くわ。
『和は本当はハワイに行きたくて悶々として、つい嘘を吐いてしまったんじゃないか』って。
辿り着くわ。ええ、きっとそうよ。
あの子ならきっとその答えを導き出すのよ……。
その日から私は澪に可哀想な子を見る目で見られ続けるんだわ……」


「か、考え過ぎだよ、和ちゃん……」


「最悪の事態は常に想定しておかなければならないのよ、唯……。
でも、澪にそう思われるくらいなら、私だってそんなに気にしないわ。
問題は澪と同じ様に考える誰かが出てくるかもしれないって事なの。
澪ならいいわ。
澪なら勘違いとは言え、私の相談に乗ろうともしてくれるかもしれない。
勘違いとは言え、それは私としても嬉しい事よ。
勘違いとは言え、ね。

でもね……、澪と同じ答えに辿り着いたからと言っても、
澪と同じ対応をしてくれる人達ばかりじゃないのよ、唯。
ハワイに行きたかった私がつい嘘を吐いてしまった。
その答えに辿り着いた誰かの中の一人に、
私を見栄っ張りだと思う誰かが出て来ない可能性はゼロではないの。
私を見栄っ張りだと思ったその誰かはきっと誰かに話し始めるわ。
「桜高の生徒会に所属している二年の真鍋和という生徒は見栄っ張りだ」って。
その噂はきっと音の速さどころか光の速さで町中に知れ渡る事になるのよ……。
そうなったら私の未来が……、私の将来が……!」


「だ、大丈夫だって……。
もしそんな噂が広がったとしても、すぐに忘れられちゃうってば……」


これだけ話しても、私の幼馴染みは事態の深刻さを全く理解していないようだった。
まったく……、本当に仕方の無い幼馴染みよね……。
でも、平和ボケと呼ばれて久しい現代っ子では、それが限界なのかもしれない。
自分の身に危機が迫らない事には、
現在そこに忍び寄る危険に気付く事も出来ないのはある意味当然でしょうね。
私は小さく嘆息した後、唯の両肩を掴んで顔を唯の顔の傍に寄せた。
これは私だけの問題じゃないって事を、唯にも自覚してもらわないといけないのだ。



10: μ 2012/07/19(木) 19:35:39.55 ID:Jwj4hYrL0

「いい? よく聞きなさい、唯。
これは私だけの問題じゃないの。
これはね、私の幼馴染みであるあんたにも危険が迫ってるって事でもあるのよ」


「わ……、私っ?」


唯が素っ頓狂な声を上げて怯え始める。
やっぱり、何も分かっていなかったらしい。
呑気な事だけれど、それは呑気な唯のままでいいと甘えさせていた私の責任でもあった。
私は唯を共犯関係に引きずり込むため……じゃなくて、
唯の呑気さをこれまで正して来なかった責任を果たすため、真剣な声色で続ける。


「よく考えるのよ、唯。
あんたは私の幼馴染みでしょう?
幼馴染みである以上、あんたもこの問題とは無関係ではいられないの。
恐らく私の噂が広まった後にはあんたの噂も広がるでしょうね。
「見栄っ張りで嘘吐きな真鍋和には平沢唯って幼馴染みが居るらしい」って。

後は大変よ。
あんたの姿を見かける度に、
「あれが平沢唯か」、「あの子も見栄っ張りなのかな?」、
「ギター弾けるってのも見栄なんじゃね?」、
「真鍋和の幼馴染みだしそうに違いないな」って噂がまた伝播していく事になるわ。
そうなってしまったが最後。
ただでさえ赤点がちなあんたの内申点に響いて、大学進学も危うくなるかもしれないのよ?」


「ええっ?
そ、それは困るよう……」


呑気な唯もようやく自分の置かれてしまった立場を理解してくれたらしい。
かなり怯えた表情で私に救いを求める視線を向けていた。
勿論、私は唯に救いの手を差し伸べるわ。心からそうしようと思う。
こうなってしまった以上、私達は一心同体の運命共同体。
後はこの困難に力を合わせて立ち向かっていくだけよ。
私は軽く微笑んで、唯が安心出来るように優しい言葉を掛ける。


「そのためにも、私達は二人で頑張っていかなきゃいけないの。
協力……してくれるわよね、唯?」


「ど……、どうしたらいいの、和ちゃん……?」


「二人で誰にも姿を見られずにこの数日間を乗り切るのよ、唯。
この家にひきこもって二人で共同生活をするの。
そうすれば唯の内申点に影響が出る事も無くなるわ」


「えー、それはやだよー……。
誰にも言わないから家に帰してよう、和ちゃん……」


何の悪気も無い顔で唯が平然とそう返す。
ここまで話させておいて、そう来るのね……。
そうよね……、唯ってそういう子なのよね……。
勿論、そんな唯の勝手を認めるわけにはいかないわ。
唯に任せておいたら、数日後どころか今日中に憂に話してるでしょうしね……。
やっぱり数日掛けて、決して口外しないように根気強く教育を施すしかないわ。
こうなると、もう手段を選んではいられない。
私は唯の耳元に口を寄せると、小さな声で、でも威圧的に囁いてみせる。



12: μ 2012/07/19(木) 19:36:29.20 ID:Jwj4hYrL0

「協力しないと、中学の修学旅行の時にあんたが起こした事件を言い触らすわよ?」


「ええ……はぐあっ!」


またしても大声で叫びそうになった唯の口の中に、私は指を四本突っ込んだ。
形振りなどには構ってはいられない。
本当の意味で私の未来が懸かっているのだから。
数秒後、唯が少しだけ落ち着いたのを見計らってから指を放すと、苦々しげに唯が呟き始めた。


「それはずるいよ、和ちゃん……。
あれは私と和ちゃんだけの封印された歴史だよう……。
大体、あれを言い触らしたら和ちゃんだって……」


「そうね、無傷では済まないでしょうね……。
でも、覚悟の上よ。
唯が協力してくれないのなら、あの事件と一緒に私も心中する心積もりよ」


「あんまりだー……」


唯が項垂れて呟く。
でも、項垂れながらも、唯は頷いてくれていた。
何はともあれ、こうして私達の共犯関係が始まる事になった。
唯と二人での最高最大のひきこもり生活が始まる。


「ところで和ちゃん……」


「どうしたのよ、唯?」


「ずっと和ちゃんの家にひきこもるのはいいとして、
よくはないけどいいとして……、憂に何て言ったらいいの?
いきなり何日も家を空けるなんて、いくら何でも無茶過ぎるよう……」


「そうね……。
急に私の家のハワイ旅行に付き合う事になったって電話で説明しておきなさい。
チケットが余って勿体無かったからって」


「和ちゃん……、本当にそれで通用すると思ってるの?」


「通用させるのよ。無理が通れば道理は引っ込むわ」


「何それー……」



19: μ 2012/07/24(火) 19:01:04.73 ID:A0mC0IWi0






【ひきこもり2日目】


ひきこもり生活の初日は何事も無く過ぎて行った。
全身を汗だくにしながらも、意外にも唯は扇風機だけで初日を耐えてくれた。
伊達にクーラーが苦手な体質ではないという事らしい。
それはそれで私には願ったり叶ったりだった。

ただ、普段から怠惰に過ごしてる印象の割には、
すぐにこのひきこもりの状況に退屈を覚え始めたらしかった。
唯は私の部屋の本棚にある漫画本を一通り読み終わると、
心底退屈そうに扇風機の前で無意味に声を出して宇宙人の声を再現し始めた。
いえ、実際に宇宙人の声を聞いた事は無いのだけれど。

唯は何とそれを一時間以上続けていた。
流石にこれ以上放置しているのも問題かと思い、


「あんた、普段ゴロゴロしてるのが好きなんだから、
こんな今こそ変な事せずにゴロゴロしてればいいじゃない」


と私が言うと、唯は扇風機から顔を逸らさずに不満そうに返答した。
勿論、宇宙人みたいな声で。


「モー……。
和チャン何モ分カッテナイヨー……。
何カシナキャイケナイ時ニー、
ソレデモゴロゴロスルノガ一番気持チイインダヨー?」


……まさしくニート予備軍に相応しい発言だった。
軽音部に入った事で少しは改善されるかもと期待していたのだけれど、
あの部活の申請用紙を出す事すら数ヶ月忘れていた部では、願うべくも無い事だったのかもしれない。
そういえば、ひきこもり初日、唯が私の自宅付近に居たのはやはり散歩のためだったらしい。
当然、単なる散歩のためではない。
夏休みの宿題を憂に急かされ、それから逃げるために散歩と言う名目で家から出たのだそうだ。
何て言うか、凄く唯らしい散歩の動機よね……。
私の幼馴染みは順調にニートへの道を歩んでるようだ。



20: μ 2012/07/24(火) 19:01:32.92 ID:A0mC0IWi0

私は肩を竦めて、唯の行動を気にするのをやめた。
この家から外出さえしなければ、唯が他に何をしてくれていても私に不満は無い。
幸い、読まずに積んである小説は二十冊以上ある。
トルストイの『戦争と平和』も全巻ある事だし、時間だけは無駄にせずにいられそうだ。
夏休みの宿題の読書感想文は、この『戦争と平和』についてでいいだろうしね。

数時間経って。
時計が十二時を指し示した頃。
扇風機に向けて喋っていた唯が目に見えて弱り始めた。
一番暑い時間帯に差し掛かり始めて、
室内に極悪と言っても差し支えないほどの熱気が籠っていたからだ。
もっとも、私も唯の事を言えた義理じゃない。
登場人物が五百人を超えると言う『戦争と平和』を読んでいるせいか、
脳内が多くの情報で綯い交ぜになった上に熱気で思考力も低下して……、
簡単に言うと、何をするのも面倒臭くなってきた。

部屋着は私の汗を吸って肌に纏わりつくし、
密着した部屋着に熱がこもって更に気鬱が私を支配しようとする。
唯も扇風機に喋り続けるのが嫌になったのか、
単に飽きたのか、身体中を汗まみれにして畳の上で寝転んでいた。
「あぢゅいー……」なんて言わなくても分かり切っている当然の事を口にして。

暑いのは私も同じだった。
この熱気をどうにかするのは不可能としても、
せめて私の肌に纏わりつく部屋着だけはどうにか出来ないのだろうか……。
新しい服を着てさっぱりするにしても、数には限りがあるわけだしね……。
だとしたら、私がこれから取るべき道は……。

うん、と私は一人で小さく頷く。
私は一つの答えに辿り着いたのだ。
たったひとつの冴えたやり方と称しても問題無いほどの解決策。
誰も損しない圧倒的に冴えた解決策にだ。
そもそも私は夏はいつもそうして過ごしているのだ。

だから、私は畳の上で寝転がる唯に伝えたのだ。
私の辿り着いたたったひとつの冴えたやり方を。
「服を脱ぎなさい、唯。
この熱気に対抗する唯一の手段……、それは全裸になる事よ」と。



21: μ 2012/07/24(火) 19:02:08.28 ID:A0mC0IWi0






唯が私から目を逸らして頬を紅く染めている。
恥じらいと言う物を知らない子に見えて、唯は意外な所で恥じらいを持っているのよね……。
中学時代のあの事件を少しだけ思い出す。
あの修学旅行の日も、唯は想像以上に恥ずかしがってしまっていた。
この子、ひょっとして今も……?
一瞬だけそう考えはしたけれど、私はまずはそれを気にせずに自らの部屋着を脱ぎ始める。


「ちょっ……、和ちゃん、本気で……っ?」


唯が動揺した声を上げて視線を私の方に戻す。
自分が脱ぐのは嫌でも、人の脱ぐ姿は気になるらしい。
唯ったら、やっぱり脱ぐ事に関して複雑な感情を持っているみたいね……。
そう考えながらも、私は肌に纏わり付いていた部屋着を一枚ずつ脱いでいく。
ショーツ一枚になった所で、私は唯を決心させるために声色を優しくして呟いてあげた。


「本気よ、唯。
そもそも私が冗談なんてあんまり言わない性格って事は分かってるでしょう?
それに私は自分が変な事をしているとは思っていないわ。
この部屋は蒸し暑い。蒸し暑いから脱ぐ。
人間として至れる完璧な帰結だと思うけれど?」


「それは……、そうかもだけど……」


「あんたも知ってるでしょう、唯?
私は家ではいつも薄着だって事を。
実はね、薄着と言うより、私、自宅で寝る時はいつも全裸なのよ。
勿論、あんたの家でのお泊まり会とかでは流石に服を着ていたけれどね。
私、人間が眠る時は全裸が正装だと思っている人間なの」


「やっぱり、そうなんだ……。
和ちゃんが私の家に泊まりに来た時、妙に寝相が悪いのが気になってたんだよね……。
あれは単に寝相が悪いんじゃなくて、
パジャマを着なれてないから寝苦しかったって事だったんだね……」


「そういう事だったのよ。
あんた、意外と鋭いじゃない。
とにかく、そういう事なのよ。
暑い時に服を着るなんて事、私には理解出来ないわ。
他人の目がある時ならともかく、周囲に居るのが身内だけなら、
真夏日は裸こそが人間として取るべき正装だとも思ってるくらいよ」


「それは流石に変だよ、和ちゃん……」


「どうしてかしら?
そもそも人間が服を着るのはどうしてか分かってるの、唯?
聖書の時代、人間は常に全裸で過ごしていたわ。
全裸をやめたのは知恵の実を得る事で恥じらいを知り、
裸と言う生物の本質から遠ざかってしまったからなのよ。

つまりね、生物の本質とは裸なの。
人間の文化的な行動を否定するつもりはないけれど、
だからと言って裸という生命の本質を否定するのも愚かな事よ。
特に今の私達は暑さと言う強大な外敵に立ち向かわなければならない状況に追い込まれているわ。
輝かしい未来を掴むためなのだから、恥じらいなんて今は必要無いのよ」


「で、でもでもー……」



22: μ 2012/07/24(火) 19:02:44.17 ID:A0mC0IWi0

ここまで言っても躊躇う唯の姿を見ながら、
私は最後に一枚残ったショーツを脱いで、畳の上に落とした。
扇風機の風が衣一枚纏っていない私の全身をくすぐる。
ああ、何て解放感なのかしら……。
体感温度自体はそう変わってはいないのだろうけれど、
肌に纏わりついていた異物感が消えた解放感だけで随分と違う。
やはり、真夏日の正装は全裸なのだ。
私はそれを深く実感した。

気が付けば私は笑顔になってしまっていたらしい。
私のその解放感に満ちた表情を見ていた唯が、躊躇いがちに自らのシャツに手を伸ばす。
私の様子を見ていて、全裸の素晴らしさを分かりかけて来たのだろう。
少し待っていると、唯はシャツを脱いで上半身裸になった。
中学生の頃から若干成長したように見える唯の乳房が露わになる。
まだ大きめとは言えないけれど、その形のいい乳房は少しだけ羨ましく思える。
唯は恥ずかしそうに胸元を押さえながらも、私の顔を見て少しだけ微笑んだ。


「ホントだ。
シャツを脱ぐだけで結構涼しくなるね、和ちゃん」


「でしょう?
唯に分かってもらえて、私も嬉しいわ。
これから先、自室での睡眠時は全裸をお勧めするわ」


「う、うん……。
考えてみるよ、和ちゃん……」


「でもね、唯。
まだ残ってるんじゃない……?」


そう呟きながら、私は唯のショーツを人差し指で示す。
唯もそこを私に指摘されると思っていたみたいで、
若干怯えた表情を見せながら、手のひらを胸元からショーツ付近に移動させていた。
唯がふるふると頭を左右に振りながら、上擦った声を出した。


「う、ううん!
これで十分だよ、和ちゃん!
上半身が裸なだけで私、十分に涼しくなったもん!
だから、ね……。もうこれ以上は……」


「そう……ね……。
そうよね……、ごめんなさい、唯」


私は唯から視線を逸らして残念そうな口振りで呟いた。
いくら自分が自室での全裸を好んでいるからとは言え、
その価値観を全て唯に押し付けてしまうのも可哀想だろう。
上半身裸になる決心をしてくれただけでも、私は唯に感謝すべきなのだ。
涼を取る意味では、上半身裸なだけでも十分に過ぎるのだから。



23: μ 2012/07/24(火) 19:03:49.90 ID:A0mC0IWi0

唯が心底安心した表情で微笑を浮かべる。
自分がショーツを脱ぐ事態に追い込まれなかった事がよっぽど嬉しかったらしい。


「よかったー……。
分かってくれたんだね、和ちゃん……」


「ええ、ごめんなさい、唯。
涼を取る意味でこれ以上服を脱ぐ必要は無いわ。
シャツを脱いでくれただけでも、涼を取る意味では私も満足よ。
ありがとう、唯。それと……。
ごめんなさいっ!」


そう言うが早いか、私は油断していた唯のショーツに自分の手を掛けた。
私はそのままショーツを引き摺り下ろそうとしたけれど、
珍しく唯も素早い反応を見せてショーツを握り締めていた。


「ええーっ!
もう満足って言ってくれたじゃんかー、和ちゃんー……!」


唯が憎々しげな様子で恨み節の籠った言葉を口にする。
そう言われても仕方が無かったけれど、
私は自分の湧き上がる好奇心を抑え切れなかったのだ。
恥じらいなんてほとんど持っていないはずの全裸への抵抗。
これには確実に何か深い意味があるはずなのだ。
その何かに対する好奇心を止める術を私は有していない。

好奇心……。
それは眼鏡を掛けた人間に共通して見られる特徴だと私は思う。
視力が落ちる原因は暗い所で本を読んだりするから、
という話をよく聞くが、それは単なる都市伝説でしかないという事を私はよく知っている。
そもそも視力が落ちるというという事は、退化というより適応に近い現象なのだ。
溢れ出る好奇心を抑え切れず、本を読み、テレビを鑑賞し、
テレビゲームをプレイし続けた結果、人間は視力が落ちるのだ。
読書をするのに必要な距離に最も適応した視力に落ち着くのだ。
それはつまり、好奇心を抑え切れなかった人間の辿り着く境地と言っていい。
眼鏡を掛けた人間は、そういう人間の集団なのだという事だ。
そして、私もその中の一人なのだ。


「やめてよー。恥ずかしいよ、和ちゃんー……!」


唯がショーツを引き摺り下ろそうとする私に抵抗して悲痛に呻く。
しかし、私としても今更止まるわけにはいかない。
もう戻る事が出来ない以上、前に進むしかないのだ。


「大丈夫よ、唯。痛くしないから。
痛くしないから……ね?
だから、安心してショーツを脱ぎなさい、ほら……!」


「目の色が変わってるよ、和ちゃん……!
やだよう……!
これじゃ、修学旅行の時と一緒だよう……!」



24: μ 2012/07/24(火) 19:04:24.65 ID:A0mC0IWi0

修学旅行の時と一緒……。
この唯とのひきこもり生活が始まる脅迫に使ったあの事件の話だ。
しばらくクラスメイトからからかわれ続けたあの事件の話だ。
唯に言われるまでもない。
こうしながら、私も同じ事を考えていた。

中学の修学旅行の時のあの事件……。
大した事件だったわけではない。
お風呂に入る時、今と同じ様に脱ぐのを嫌がっていた唯の服を私が脱がそうとしただけの事件だ。
それを目撃したクラスメイト達が勝手に大袈裟に騒いだだけなのだ。
丁度唯を押し倒すような体位になっていて、私もほとんど服を脱いでいたから、
そこはかとなく背徳的な雰囲気を漂わせてしまっていたのは、否定出来ないけれどね……。
あの修学旅行以来、長い間、唯と恋人扱いされてしまったのは、私としてもかなり辛い過去なのよね……。

いや、過去の辛い思い出の事はいい。
あの時、唯が執拗なくらいに服を脱ぐのを嫌がってた理由は、ある身体的特徴からだった。
今もあの時と同様に服を脱ぐのを嫌がっているという事は、つまり……。


「あぅんっ!」


妙な声を出して唯がその場に崩れ落ちた。
数秒争った結果、私は唯のショーツを引き摺り下ろす事に成功したのだ。
唯も唯なりに必死だったのだろうけれど、
ただでさえ暑さに弱い唯が全裸になって解放感を得た私に敵うはずがなかった。
私はショーツを投げ捨てると、一息だけ吐いて唯の下半身に視線を向けてみる。


「和ちゃんのいけずぅ……」


半泣きの唯が悔しそうに呟いていたけれど、
私はその唯の下半身の股間付近から目を逸らす事が出来なかった。
予想はしていた事なのだけれど、まさか本当に予想通りだとは思っていなかったのだ。
それでも私は絞り出すように訊ねていた。


「唯、あんたやっぱり……、
高校二年生になったって言うのに、『生えてなかった』のね……」


私の言葉を聞いた唯が畳の上に顔を沈める。
恥ずかしがってるのか悔しがっているのか分からなかったけれど、
その四つん這いの体勢では『生えてない』股間がよく見える事に唯は気付いてないのだろうか。
……その辺は深く考えない事にしましょう。

中学時代、唯が服を脱ぎたがらなかったのは、生えていなかったからだった。
生殖器付近に生える毛……、即ち陰毛が。
中学生で生えていない子は少数派ではあるけれど、そこまで数が居ないわけではない。
そんなに恥ずかしがる事ではないはずだが、唯としてはいたく恥ずかしい事らしかった。
「だって、憂だって生えてるんだよー!」と、あの日の唯は大声で叫びながら悲しんでいた。
本当に悲しいのは、姉に自らの陰毛の事を暴露された憂の方だと思うのは私だけだろうか。



25: μ 2012/07/24(火) 19:05:00.14 ID:A0mC0IWi0

……とにかく、中学時代、唯の陰毛は生えていなかった。
完全無欠に産毛すら生えていなかった。
それは単なる成長の遅れと称しても問題は無いはずだった。
でも、高校二年生にもなって生えていないとなると、かなり問題があるかもしれないわね……。

私はもう一度まじまじと唯の女性器付近を眺めてみる。
でも、どう観察してみた所で、唯の女性器付近に陰毛は一本たりとも生えていなかった。
中学時代と同じく、産毛すら生えていない。
当然剃っているわけでもないらしく、青髭の様な短い毛があるわけでもなかった。
生えていないのだ、完全に。
これはもう無毛症と断定しても差し支えは無さそうだ。
唯は……、人知れず、人に言えない悩みに苦しんでいたのだ……。

私は唯の肩に手を置いて、私の方に顔を上げさせた。
その瞳には涙を滲ませていたけれど、私は唯に優しく微笑んでみせた。
幼馴染みの苦しみには真摯に向き合う。
それが真の幼馴染みという物だと私は思う。
悩みを無理矢理暴露させたのは私自身だという事は、今は棚に上げておきましょう。


「顔を上げて、唯。
唯は……、ずっと無毛症に悩んでいたのね……。
これまで気付けなくてごめんなさい……。
でも、そんなに悩む事じゃないと思うわ。
確かに特徴的な体質かもしれない。恥ずかしいと思ってしまうのも当然よ。
それでも……、唯は唯なんだから……」


「でも、恥ずかしいんだよう、和ちゃん……。
妹の憂に毛が生えてるのは、悲しいけど私だって耐えられるよ?
でも……! でもだよ!
よりによってあのりっちゃんにも生えてたんだよ!
あの子供っぽいりっちゃんにもだよ!
りっちゃんのくせにずるいよ、りっちゃんのくせに……!」


酷い言い方だった。
律も確かに子供っぽい所はあるけれど、唯ほどじゃないと私は思う。
それにしても、律にも普通に生えていたのね……。
高二なんだから当然なんだけれど、
友達の陰毛の話を聞くのは何とも不思議な感じがするわね……。
いえ、私だって勿論生えているのだけれど……。


「あーあ……。
私、どうして和ちゃんの家で裸になってるんだろう……」



26: μ 2012/07/24(火) 19:05:41.98 ID:A0mC0IWi0

不意に唯が至極道理に適った事を呟いた。
今更だけれど、正論過ぎて私はそれに言い返せない。
唯が遠い目をして続ける。


「合宿……、行きたかったなあ……」


合宿というのは軽音部の合宿の事だろう。
そう言えば夏休みにムギの別荘に合宿に行くという話を聞いた覚えがある。
唯がその合宿に参加出来ないのは、私の責任と言えなくもない。
楽しみにしていただろうに、悪い事をしてしまったと私の胸が少し痛くなる。
謝罪の言葉を掛けようとした瞬間、唯が予想だにしていなかった言葉を口にした。


「あずにゃんと一緒にお風呂に入りたかったなあ……」


「お……風呂……?」


「そうだよ、和ちゃん!
お風呂ならあずにゃんも裸になってくれるよね?
それで私はあずにゃんに毛が生えてるかどうかチェックしたかったんだ!
あずにゃんは小っちゃくて可愛いから、きっと生えてないに違いないよ!
あー……、合宿でチェックしたかったなー……!
すっごく楽しみにしてたのにー……。
合宿が終わったら、りっちゃんに電話で聞いてみようかなー……」


「……そうしなさい」


私は半分呆れながら呟く。
唯が合宿に参加したかった真の理由は、
梓ちゃんの陰毛の有無を確認したかったから、って、あんたね……。
確かにお風呂くらいでしか、それを確認する機会は無いでしょうけれど……。
唯らしいと言うか……、何と言うか……。
もしかしたら、唯が梓ちゃんを気に入ってた理由の何割かはそれなのかもしれないわね。
小さくて子供っぽいから、陰毛も生えてないんじゃないか。
そう思っているから、唯は梓ちゃんを可愛がっているのかもしれない。
悲しい愛情だけれど、愛と言う物はそういうきっかけで始まる物なのかもね。
唯がそれでいいのなら、私に言える事は何も無いわ。
子供っぽさと陰毛の有無は一切関係無い。という事は唯には黙っておく事にしよう。



33: μ 2012/07/31(火) 19:20:27.80 ID:kRD46xys0

「ねえねえ、和ちゃん」


唯が口元に指を当てながら、首を捻って私に訊ねる。
全裸である事に対する恥じらいは一切無さそうだ。
どうやらショーツを脱ぎたがらなかったのは、
単に陰毛が生えていない事を私に知られたくなかっただけらしい。
流石は私の幼馴染みと言えるのかもしれない。


「どうしたのよ、唯?」


私が訊ね返すと、唯は自らの女性器周辺を指で示しながら続けた。


「ここの毛ってどうやったら生えるのかなあ……?」


「さあ……。
私も陰毛について詳しいわけじゃないから……。
逆に唯は陰毛を生やすためにはどうしたらいいと思っているの?」


「実はね、私だって努力してるんだよ、和ちゃん。
ヘアブラシでね、
「目を覚ませー、目を覚ませー」って言いながら、ここを叩いたりしてるんだ!」


「何よ、その育毛剤のCMみたいな行動は……」


「他に思い付かなかったんだもん……。
憂に相談するのも恥ずかしいし、一人で頑張ってたんだよう……」


唯も辛うじて姉としてのプライドは持っていたらしい。
年子とは言え、妹に陰毛の相談をするのは、唯のプライドが許さなかったのだろう。
同じ状況なら、私だって嫌だったに違いない。
私は軽く嘆息してから、過去得た知識を総動員して、陰毛について考えてみる。
多少時間は掛かったけれど、一つの答えを出してから、私は落ち込む唯の肩に手を置いた。



34: μ 2012/07/31(火) 19:22:03.82 ID:kRD46xys0

「あんたの行動、意外と間違っていないわよ、唯」


「えっ? ホント?」


「毛が何のために存在するか知ってるかしら?
毛はね、伊達や酔狂やお洒落のために生えてるわけではないの。
……そういう生物も居なくはないけど、今は置いておきましょう。

とにかく、毛は何のために生えているのか?
当然、弱い部分を保護するために生えているのよ。
腋や性器付近に多く生えるのも、その部分が急所になるからなの。
急所を保護するために毛が生えるのよね。

だとしたら、生やしたい部分に危険や刺激を与え続ければ、
その部分に重点的に毛が生えて来てもおかしくはないはずよ。
微々たる力かもしれないけれど、
生物はそんな風に進化する力があるはずだって私は信じているわ。
その調子で女性器に刺激を与え続ければ、将来的に唯の陰毛が生え揃う日が来るかもしれないわね」


「そんな日が……、来たら嬉しいな……。
私も大人になったら、大人になれるんだよね……?
大人の毛が生えて来るんだよね……?」


「ええ、信じましょう、唯。
信じる力は未来に繋がるはずよ。
それとあと一つ。
陰毛にはホルモンが関係してるって聞いた事があるわ」


「ええー……。
私、ホルモン食べるの苦手なんだけどなあ……。
だって、ぐにゃぐにゃして噛み切りにくいし……」


「第二次性徴で分泌される女性ホルモンが陰毛に関係してるのよ。
ホルモン分泌を無視して、陰毛を語る事は出来ないわ」


「スルーされた……」


「いい、唯?
女性ホルモンは女性的な曲線や乳房の発達、
肌の美しさ、生理、陰毛の有無に関係してくるの。
女性ホルモンを多く分泌させるためには、
俗には恋をすればいいと言われているけれど……、それは置いておきましょう」


「ひどいよ、和ちゃん!
私だって恋の一つや二つくらいしてるんだよー?」


「へえ……」


そう呟きながら、私は複雑な気分になっていた。
小学生みたいな精神構造のままの唯が恋をしてるなんて、
それも一つや二つもしてるなんて、嬉しいような、寂しいような……。
私の複雑な視線に気付いたのだろう。
唯が腰に手を当てて無い胸を張って自信満々に続けた。



35: μ 2012/07/31(火) 19:22:32.02 ID:kRD46xys0

「だって、私、あずにゃんの事大好きだし!
あずにゃん小っちゃくて可愛いよね!
毛だって絶対生えてないしね!
それとね、私、りっちゃんの事も大好きなんだ!
りっちゃんと居るとすっごく楽しいし、面白いし、小っちゃくて元気で可愛いもんね!
それに生えてるって言ってもちょっとだけだったから、それくらいならいいかなって思うんだ!」


まあ、ある意味予想通りの言葉だから、気にしない事にしましょう。
それにしても、好きな相手が梓ちゃんと律というのはいいとしても、
その基準が自分より小さくて陰毛が生えてなさそうな子というのはどうなのかしら……。
陰毛の有無がそんなにも唯を追い込んでいたなんてね……。

勿論、唯に陰毛が生えて来るのが一番いいという事は、私にもよく分かっている。
でも、世界は儘ならないという事を私はよく知っている。
世界は残酷で、理不尽で、自分の望んだようには動いてくれない。
万事が上手く行くとは限らないのだ。
……いや、別に私がハワイに行けなかった事を愚痴っているわけではない。

兎にも角にも、世界は儘ならない。
唯にはそれを受け入れる覚悟もしておいてもらった方がいいと私は思った。
私は出来る限り優しい声で唯にそれを伝える。


「ねえ、唯……。
今後ね、陰毛が生えて来なくても気にしない方がいいと思うわ」


「ええっ、いきなり酷いよ、和ちゃん!
私はやっぱり生えて来てほしいよう……」


「無毛症は希少価値があるのよ、唯。
世界的に見ると陰毛は生えてない方が美しいという見方も多いみたいよ。
陰毛が生えていようと生えていまいと唯は唯。
それは個性であって、恥じる事ではないわ。
辛い事かもしれないけれど、生えていない自分を受け入れるのも大切な事だと思うの」


「私の……個性……?
でも……」


「思い出して、唯。
中学の頃の修学旅行、一緒のグループだった近藤さんの事を」


「朋子ちゃんの事?
朋子ちゃんって言えば……、あっ!」


「思い出したみたいね、唯。
近藤さん、陰毛を綺麗に剃り上げていたわよね。
生えていないわけじゃなくて、剃っているのは一目瞭然だったわ。
見るからに不自然に短い陰毛が生えかけていたものね。
ねえ、近藤さんのその陰毛を見て、唯はどう思ったかしら?」


「私……は……」


唯が口ごもる。
その様子が全てを物語っていた。
無邪気で元気な唯に、人の悪口を言う事は出来ないのだろう。
こう言うのも申し訳ないけれど、それくらい近藤さんの陰毛は酷かった。



36: μ 2012/07/31(火) 19:23:42.70 ID:kRD46xys0

近藤さんにどんな事情があったのかは私も知らない。
彼氏に指示されたのか、剛毛な陰毛が恥ずかしかったのか、
その彼女の心の内を完全に理解する事は不可能だと思う。
でも、これだけは確実に言える。
無理矢理剃って女性器周辺に青髭のように残った生えかけの陰毛の様子は酷かったと。
壮年の男性の顎を見ているようだったと。
見るに堪えなかったと。

だからこそ、唯は私の言葉に頷いてくれたのだ。


「分かったよ、和ちゃん……。
毛は生えてほしいけど、個性って思えるか分からないけど……、
それでも朋子ちゃんよりマシ……じゃなくて、
生えて来なくても、それが私だって思えるように頑張るよ!」


「ええ、それが一番いいと思うわ。
いい子ね、唯……」


そう言って、私は汗に濡れる唯の頭を撫でた。
今後、どんなに苦しい事があっても、唯は前向きに生きてくれる事だろう。
私自身も、悩める幼馴染みを救えて、とても嬉しい。
猛暑日、こうして私達幼馴染み二人は絆を深める事が出来たのだった……。


「そういえば、和ちゃん」


「どうしたのよ、唯」


「和ちゃんの毛、凄いね!
綺麗な三角になってるよ! 自分でやってるの?」


「逆三角形と呼んでほしいわ。
あんたには分からない事だけど、陰毛の処理は大変なのよ……。
あの時、突然、見せる事になったら大変でしょ?」


「あの時……?
あの時……!
あの時ですか、和ちゃんっ!
駄目だよ、和ちゃんー!
和ちゃんは私のお婿さんになるんだからー!」


「いつ決めたのよ。
……そういえば、幼稚園の頃からよく言ってたわね。
でも、駄目よ、その意見は却下するわ、唯。
私は郊外の瀟洒な家でミートローフ焼いて家族の帰宅を待つ素敵なお嫁さんになるんだから」


「そっちっ?」



37: μ 2012/07/31(火) 19:24:12.05 ID:kRD46xys0






「和ちゃーん」


「どうかしたの、唯?」


「周りが暗くなって来たし、何か怖い話しようよー」


「怪談?
あんた、怪談苦手じゃなかった?」


「苦手だけど暑いのよりはマシだよう……。
蝋燭とかある? 百物語みたいにして、怖い話しようよ!
身の毛もよだつ怪談で全身涼しくなろう!」


「うーん……、まあ、いいんじゃないかしら。
他にやる事があるわけじゃないものね。
怖い話ってどんなタイプの話でもいいのかしら?
例えば幽霊、妖怪とかの話じゃなくて、殺人鬼や犯罪者の話をして、
幽霊や妖怪より人間の悪意の方が怖いって常套句で終わる話とかでもいいの?」


「うん、そういうのでもいいよ!
怖い話なら何でもオッケーです!」


「でも、一番怖いのが人間って当たり前で面白くないわよね。
幽霊や妖怪や悪魔より人間の方が怖いのって当然でしょ?
だって、それ全部人間の想像力が作った物じゃない。
それは創造者の人間の方が怖いに決まってるわよ」


「夢が無いなあ、和ちゃん……」


「夢……になるのかしら?
まあ、いいわ。
蝋燭なら箪笥の中に入ってたはずだから、マッチと一緒に持って来るわね」


「はーい、お待ちしてまーす」



38: μ 2012/07/31(火) 19:25:12.97 ID:kRD46xys0






「じゃあ、言い出しっぺだし、私が先に話すね。
信じてもらえないかもしれないけど、これって私に本当にあった話なんだよ。
幼稚園の頃、和ちゃんの家に遊びに行った時の話なんだけどね……」


「ちょっと待って。
私の家であった話なの?」


「うん、そうなんだ。
ほら、和ちゃんと憂と三人でかくれんぼした事あったでしょ?
あの日ね、押し入れの中に隠れてたんだけど、
中々和ちゃんが見つけてくれなくて退屈で押し入れの中にある物をいじってたんだ。

その中にね、一つ変な物を見つけたんだよ。
今の私の手のひらくらいの大きさの紙の箱なんだけどね、
気になって開いてみたら、箱の中に変な景色が広がってたんだ。
極彩色って言うのかなあ……。
目に痛いくらいの毒々しい色合いの森みたいな所の中にね、
一センチくらいの小っちゃい丸裸の小人みたいな生き物がいっぱい居たんだよ。
皆、全身が緑色でね、目が大きくて、小さな宇宙人?
そんな感じだったなあ……。

その宇宙人はしばらく私に気付かない様子で何かしてたんだけど、
二分くらい見てたから流石にその中の誰かが私に気付いたみたいで、私の方を見たんだ。
宇宙人が皆で私の方を指差して何か言ってるみたいだったんだけど、
その声も小さ過ぎてね、よく聞き取れなくてどうしようかって悩んでたら、急にね……。


「あーあ、見つかっちゃったわね」


って、声が耳元で聞こえたんだ。
小さな宇宙人の声じゃないよ。
耳元で聞こえたんだもん、小さな宇宙人のはずないよね?
その時の私もそう思って後ろを振り返ってみたんだけどね……。
居たんだよ、宇宙人が。

小さな宇宙人じゃなくてね、
大人の男の人くらいの緑色の宇宙人がね、いつの間にか私の後ろに居たんだ。
狭い押し入れの中にいきなり入り込めるわけないのに……。
私、びっくりしちゃって、叫びそうになったんだけど、
その口元が大きな宇宙人の手のひらに押さえられちゃったんだよね。
その手のひらは何て言うかなあ……、そう、スイカだよ。
スイカみたいな臭いとヌルヌルした感触の手のひらだったなあ。

それでね。
その宇宙人……、スイカ星人が言ったんだ。



39: μ 2012/07/31(火) 19:25:39.80 ID:kRD46xys0

「騒がないで。驚かせてごめんなさいね。
私達、ちょっとここに住まわせてもらってるの。
でも、貴方に見つかっちゃったから、もうここには居られないわね。
騒がずにその箱を私に渡してくれたら今から出て行くわ、それでいい?」


だから、私は口元を押さえられたまま、
スイカ星人に言われた通りに小さなスイカ星人が入った紙の箱を渡したんだ。
そうしたら、スイカ星人は嬉しそうに私の頭を撫でてくれて、
そのまま紙の箱と一緒に押し入れの中から居なくなっちゃったんだよね……。
押し入れを開けもしないでだよ?
本当に気付いたら押し入れの中から居なくなっちゃってたの。
ワープでも使ったのかなあ……。
それから私、スイカ星人の事ばかり考えててぼーっとしてたせいで、
和ちゃんの足音に気付けないで、その後すぐに和ちゃんに見つかっちゃう事になったんだよね。

そのスイカ星人の正体は今も分かんないし、
これからも分かんないままだろうけど、それでもいいかなって思うんだ。
分かんない事は、分かんないままでもいいんだよね。
和ちゃんの家の押し入れに何の用があったのかも分かんないけど、
もしかしたらあの紙の箱が宇宙船で、その修理でもしてたのかもしれないね。
これで私に本当にあった話はおしまいだよ。
和ちゃんはどんな話をしてくれるのかな?
スイカ星人の正体が分かる話とか知ってたら、話してくれると嬉しいな」


「知ってるわけないでしょ、そんな話……」



49: μ 2012/08/04(土) 19:42:25.76 ID:+h5IACDF0






【ひきこもり3日目】


「唯、ハワイは何処にある島か知ってる?」


「え? 南の島だよね?」


「具体的にはどの辺りに?」


「イ……インドシナ海?」


「確かに南の方ではあるけど……。
でも、そうじゃなくて、太平洋よ、太平洋。
太平洋の南の方に浮かんでいる島……、それがハワイなのよ」


「それがどうかしたの、和ちゃん?」


「南の島と言ったら日差しが厳しいわよね?
その南の島のビーチの波打ち際で、大体の人が何をやっているか知ってる?」


「うーん……、寝転がってるイメージがあるよ。
こんがり日に焼けて小麦色の肌を作りたい! って感じなのかな?
私は日焼けは痛いからあんまりしたくないけどねー……」


「そうよ、唯」


「ふぇっ?」


「ハワイのビーチの波打ち際……、
観光客は寝転がって日焼けオイル、もしくは日焼け止めを塗っているわ。
全身に塗りたくっているわ。
それがハワイのために必要な事なのよ」


「どういう事……?」


唯が不思議そうに首を捻って私に訊ねる。
もう……、唯ったら……。
ここまで言っても理解してくれないなんて、
唯は本当に今の状況の事の重大さを分かっているのかしら?
私は右手で眼鏡を掛け直し、腰に手を当てながら唯に言ってみせた。



50: μ 2012/08/04(土) 19:42:53.30 ID:+h5IACDF0

「よく考えなさい、唯。
ハワイ帰りという事になっている私達は、
夏休み後、クラスメイトから質問攻めに遭う事になるはずよ。
「ビーチはどうだった?」、「日本人ってどれくらい居た?」、
「日焼け止めとかちゃんと塗った?」、「カメハメハ大王饅頭売ってた?」、
そんな多くの質問を何人から何度も訊ねられる事になるでしょう。

その時、その質問に即答出来なかったらアウトなのよ。
一瞬でも口ごもってみなさい。そこから私の計画の全てが瓦解するわ。
特に唯はただでさえ嘘を吐くのが苦手なんだから、
妙に鋭い事がある律辺りに突っ込まれるとすぐ馬脚を露わす事になるでしょうね。
だから、ハワイの知識はこれから唯にじっくりと教え込ませてもらうけれど、
それでもね、単に机の上で勉強するだけでは分からない事があるものよ。

勿論、それは実践よ。
ハワイに行った人がほぼ確実にやる事を実践しておかなければ、
私達の嘘はすぐに見抜かれて、噂となって町中に広まってしまう事になるわ。
それだけは避けなければならないのよ」


「それは何となく分かったけど……、
結局、何を実際にやるの、和ちゃん?
……ひょっとして、日焼けオイルとか?」


「そうよ、さっきも言ったでしょう、唯。
ハワイ……、いいえ、ビーチの波打ち際の人達は、
ほぼ確実に日焼けオイルか日焼け止めを塗っているわ。
だからこそ、私達はそれを綺麗に塗れる練習をしておかなければならないの。
特に私達は一週間以上の長い期間、
ハワイに滞在してる事になっているわけだから、
そんじょそこらの海の家の店員以上の実力を身に着けておくべきなのよ」


「そんじょそこらって、和ちゃん……」


「というわけで、唯……」


言い様、私は箪笥の上に置いていたそれを手に取って唯に見せ付けた。
そう。これから私達はハワイのために多くの努力を重ねなければならないのだ。


「今から風呂場に行ってオイルを塗る練習をするわよ。
全身にムラなくオイルを塗れるよう、しっかり気合いを入れるのよ。
特にあんたはかなり不器用なんだから、頑張ってよね」


「別にやる事も無いし、それはいいと思うんだけど……。
今、和ちゃんが手に持ってるのって、オリーブオイルだよねー?
それ塗るの? 大丈夫?」


「日焼けオイルは現地で調達するつもりだったから家に無いのよ。
でも、心配しなくても大丈夫。
肌のケアにオリーブオイルを塗る事があるって聞いた事があるわ。
それに食べられる物なんだから、肌に塗っても平気なはずよ」


「ええー……」



51: μ 2012/08/04(土) 19:43:33.94 ID:+h5IACDF0






風呂場、すのこを敷いてその上に唯をうつ伏せに寝転がらせる。
これからオイルを塗る練習を始めるわけだけれど、
唯が既に不満そうに頬を膨らませて愚痴をこぼしていた。


「すのこの上に寝転がるのって結構痛いよ、和ちゃん……」


「我慢なさい、これもハワイのためよ。
私だって次に寝転がる予定なんだから、お互い様になるでしょう?
変に動かないでよ、唯。
私だってオイルを塗る経験なんて少ないんだから」


「あ、何回か塗った事あるんだね」


「ええ、生徒会の皆と海に行った時に何度かね。
あの時は上手くオイルを塗れなくて恥ずかしい思いをしたものよ。
だからこそ、ハワイ帰りの私達はオイル塗りの腕を上げておかないと」


「そういえば、和ちゃん。
水着の紐は外しておかなくていいの?
ドラマとかだとよく水着の紐を外してから塗り始めたりしてるけど……」


「あれは日焼けオイルを塗る場合ね。
よく憶えておきなさい。日焼け止めの場合は水着の紐を外す必要は無いの。
その辺を知っておかないと、いざという時に恥を掻くわよ。
と言うか、唯……。
水着の紐も何も、今あんた全裸じゃない……」


「そうでした」


てへっ、と舌を出して唯が自分の頭を軽く叩いた。
軽音部顧問の山中さわ子先生が何度か見せた事がある仕種だ。
人に影響されやすい唯の事だから、いつの間にか自分の癖として身に着けたんだろう。
その調子でオイル塗りもすぐに習得してくれるといいんだけど……。
そう思いながら、私はオリーブオイルを手のひらいっぱいに垂らしてみる。


「うわぁ……」


私が呟くより先に唯がそう呻いていた。
実際問題、私も呻き声を上げたい気分だった。
覚悟してはいた事だけれど、こんなに肌に絡みつく感触だとは思っていなかった。
正直、かなり気持ち悪い。
しかし、私は首を振って、その嫌悪感をどうにか振り払う。
気持ち悪かろうとどうだろうと、私は後ろを振り返っているわけにはいかない。
ハワイのために、将来のために、私は前に進むしかないのだ。



52: μ 2012/08/04(土) 19:43:59.93 ID:+h5IACDF0

「じゃあ、塗るわよ、唯」


「ほ……、ほいさ!」


躊躇いがちな唯の言葉を皮切りに、
私はまず唯の背中にオリーブオイルを塗り始める。
背中全体に塗り広げる事自体は簡単だった。
けれど、オリーブオイルの量が多過ぎたのか、
オイルが唯の背中から肩や胸の方にどんどん流れ落ちていく。
これでは素人丸出しだ。
焦って流れ落ちるオイルをどうにか手で追い掛け、
私の手の中に唯の小ぶりな乳房の感触が広がったと思うと……。


「うぁんっ!」


突然、唯が小さな悲鳴を上げた。
その悲鳴の甲高さから考えるに、私の指先が唯の乳首を少し擦ってしまったようだ。
唯が軽く頬を赤くして、私の方に顔を向ける。


「も……、もー……。
和ちゃんったら何してるのー……?」


「ごめんなさい、唯。
オイル塗るのが存外に難しくて……。
でも、自分の実力不足が分かって逆によかったかもしれないわね。
今、練習しておかなかったら、
自分のオイル塗りが未熟って事すら分からなかったわけだから……。
って……、何、上半身起こしてるのよ、唯」


「いやー、ちょっと……」


唯が非常に悪い顔をして微笑んでいた。
この子がこんな顔をしている時は大抵ろくな事にならない。
念の為身構えていると、やっぱりそれは突然起こった。


「隙ありっ!」


「えっ?」


私は軽く叫び声を上げてしまう。
狭い風呂場の中で、唯が唐突に私に飛び掛かって来たからだ。
唯の平たいながら女性の肉体の感触を私は全身で感じる。
幼馴染みの全裸の肉体を……、感じる……。
唯に馬乗りになられた私は少し上擦った声で唯に訊ねる。


「な……、何をするのよ、唯……」


「くすぐったい事したお返しだよー!
ほらほら、和ちゃんも喰らえー!」


そう言って、唯が私の手からオリーブオイルを奪い取る。
そのまま中身を私の身体の上にぶちまけた。
オイルが絡み付き、唯と私の肉体を更に全身で絡ませる。
二人の全身が溶け合うように繋がっていく……。



53: μ 2012/08/04(土) 19:45:01.42 ID:+h5IACDF0

「お返し!」


「あっ、ちょっ……、唯っ……!」


止める間もなく唯が私の乳房に手を伸ばしていた。
唯の熱、オリーブオイルのぬめり、
妙に技巧のある唯の指先に、私は自分の乳房に複雑な感覚を覚えていた。
時に強く、時に弱く、私は乳房を唯に弄ばれる。
ギターを始めたからだろうか、その指捌きはとても繊細だった。


「もう……、唯ったら……、やめなさっ……!」


「へっへっへー。
ここか? 和ちゃん、ここがええのんか?」


ずっと傍に居た幼馴染み。
成長して、二人とも若干ながら女性的な膨らみを持ち始めて来て、
狭い空間で二人とも全裸で(私は眼鏡を掛けているけれど)、
オイルの妙な感触と熱で絡み合いながら、私が思った事は……。
感じた事は……。
私は大きく息を吐いてから、唯にそれを伝える事にした。


「ねえ、唯……、やめましょう?
これ以上は……、これ以上は駄目よ、唯……。
だって……、だって、私達……」


「ええー、だって、和ちゃんの胸柔らかくて気持ちいいよ?
ずっとモミモミしてたいなあ……」


「揉ませてあげる……。
後でいくらでも揉ませてあげるから……。
今は駄目よ、唯。だって……」


「だって……?」


「凄く……暑いじゃないの……。
これ以上、二人で絡み合っていたら、熱中症で倒れるわよ……」


「うん……。
それは私も思ってたよ、和ちゃん……」



54: μ 2012/08/04(土) 19:45:45.63 ID:+h5IACDF0

げんなりした表情で唯が自分の汗を拭いながら呟く。
私も人の事を言えた義理ではないけれど、その唯の汗の量は尋常じゃなかった。
比喩ではなく、本当に滝のような汗だった。
唯と風呂場で身体を重ねて思った事は、何はともあれ暑い……。
それに尽きた。
同性で全裸も見慣れてる幼馴染みに胸を揉まれても、それ以上に思う事なんか無いわよね……。
私は唯から身体を離しながら、溜息がちに言った。


「さっさと練習終わらせて、扇風機に当たるわよ、唯……」


「うん……、それが一番だね……」


それから私達はオイル塗りの練習を即座に始めて即座に終えた。
暑さで追い込まれていたせいだろう。
幸いにもと言うべきか、無駄な力を入れずにオイル塗りのコツをすぐに掴む事が出来た。
唯も早く扇風機の風に当たりたいようで、私以上にすぐにコツを掴んでいた。
やる時はやる子なのよね……。
やるようになるまでが長いんだけれどね……。

こうして、ハワイのためのオイル塗りの練習は終わった。
これでクラスメイトからオイルの塗り方を聞かれても、何の問題も無いだろう。
ただ一つだけ気になった事がある。
オリーブオイルをシャワーで流す時の事だ。
シャワーの水がオイルに細かく弾かれ、
小さな泡が私達の全身を覆うように発生していたのが、ただただ気持ち悪かったという事だ。
今度練習する時はちゃんとした既製品を使おう。
私と唯は頷き合ってそう深く決心したのだった。



66: μ 2012/08/09(木) 19:16:30.05 ID:r4aBJIjh0






「次は私が怖い話をすればいいのよね、唯?」


「うん! 和ちゃんと怖い話する事なんて無かったから楽しみだなー」


「そうね、唯と怖い話をした憶えは確かに無いわね。
怪談とはちょっと違うかもしれないけど、
とりあえず私が怖いと思ってる事を話してみるわね。

唯は百匹目の猿現象って知ってる?
ある時にね、ある土地の猿が芋を洗って食べるようになったの。
それだけなら潔癖症な猿が現れたってだけの話で終わるわよね?
勿論、話はそれで終わらなかったのよ。

その猿の居る群れはその猿の芋洗いを真似するようになっていったんだけど、
芋洗いを真似する猿の数が一定数を超えた時に、不可思議な現象が見られるようになったの。
その猿が居る群れとは何の関係も無い遠方の猿山でもね、
続々と芋洗いをする猿が現れるようになっていったのよ。
当然だけど、その異なる猿山の猿を接触させたわけじゃないわ。
本当に何の関係も無い猿達なのに、全く同じ行動を取るようになっていたの。
同じ行動を取る猿が一定数……、仮にそれが百匹目とするけれど、
とにかく、その百匹目を超えた途端に、世界中にその行動が伝播するようになったってわけ。

シンクロニシティって言葉、唯も聞いた事くらいはあるでしょう?
『意味のある偶然の一致』。
偶然のように見えるけど、指向性を持った大いなる力の顕現としか思えない現象。
例えばある人物がプリンを食べようとした時に限って、必ず現れる誰かが居たという記録もあるわ。

そうなのよ。
無関係に見えて、生き物と生き物は繋がっているの。
どんな生き物も自分の意志とは別の大いなる意志で動かされてるの。
人はそれを集合的無意識やグレート・スピリッツと呼ぶ事もあるけれど、
それはつまり、私達の行動は自分でない大いなる意志に決められてるかもしれないって事。
私はそれが怖いのよね。
私自身で決めたと思っていた行動が、
本当は他の誰かの意志によって操作されてるかもしれないって考えるのがね……」



67: μ 2012/08/09(木) 19:17:04.86 ID:r4aBJIjh0

「それは……、確かに嫌だし怖いね……」


「でもね、唯。
そんな事より私にはもっと怖い事があるわ」


「えっ……?」


「百匹目の猿現象ってね……、実はデマなのよ」


「デマなのっ?」


「ええ、デマなのよ。
百匹目の猿現象は、それらしい話をそれらしくまとめただけって事が明らかになってるのよ。
シンクロニシティ自体もそれらしい現象はあるけれど、完全に確認されたわけじゃないわ。
さっき私が言った全てが確証のある話ではないの。

でもね、唯はそのデマを信じたでしょう?
人はそれらしい話をそれらしく話されると信じてしまうのよ、例え荒唐無稽な話でもね。
事実、百匹目の猿現象は、結構長い間信じられていたらしいのよ。

私にはね、それが怖いの。
さっき唯はすぐ私の話を信じてしまったけれど、
私自身だってそれらしい話をそれらしく話されると、唯みたいに信じてしまう可能性があるもの。
人は自分が思っている以上に、どんな話でもすんなりと信じてしまうものだから……。
要は人の話は自分の目で確認するまでは、話半分に聞いておきましょうって事よ」


「怖いよ、和ちゃん……。
怖い話をしていたはずなのに、
いつの間にかお説教になってるなんて……、和ちゃんって怖いよう……」



68: μ 2012/08/09(木) 19:21:06.54 ID:r4aBJIjh0






【ひきこもり4日目】


「ギターが弾きたいよー!」


空の色が夕闇を帯び始めた頃、
ようやく起きて居間に入って来た唯が突然そう言った。
昨晩から何も食べていないのに、元気な子よね……。
そう思いながら唯に視線を向けてみると、
食器棚に入れておいたはずのホワイトロリータをいつの間にか口にしていた。
起きて来ないと思ったら、単に私の部屋で寝ながらお菓子を食べていただけらしい。


「知ってるでしょうけど、ギターなんて私の家には無いわよ、唯」


唯から『戦争と平和』に視線を戻して、何事も無かったかのように呟いてみせる。
ようやく登場人物の名前の百人くらいを覚え始めて来た所だから、混乱しない内に読み進めておきたいのだ。
五百人以上の登場人物が居る小説だから、誰が誰なのかを覚えるだけでも一苦労なのよね……。
海外の名前だから、いまいち頭に入って来ないし……。


「えー……、冷たいよ、和ちゃんー……。
おもちゃでも何でもいいから、ギターみたいな楽器持ってないのー?
三日も触らないと、寂しくてしょうがないよう……!」


しかし、やっぱりと言うべきか、
唯はそんな私の考えなどお構い無しに、呻き声を出しながら私の背中に抱き着いた。
唯の小振りな胸の感触を背中に感じる。
その柔らかさを感じる以前にこもった熱ばかり感じて、洒落にならないほど暑さが増した。
私は溢れ出る汗を『戦争と平和』に垂らさないよう注意しながら、背中越しに唯の頭を撫でる。


「無い物は仕方ないでしょ、唯。
大体、あんた軽音部でギターの練習なんてほとんどしてないじゃない」


「してるってばあ……!
それにギターの事、すっごく大切にしてるんだよ!
一緒に寝てるし、服も着替えさせてるし、よく抱き締めてあげてるし、
そんな感じで身体があの子の事を覚えちゃってるから、一人寝が寂しいんだよう……!」


「各方面に誤解を与えそうな言い方はやめなさい。
巻き込んでる立場ではあるし、出来る限りの事はしてあげたいわよ?
でも、無い物はどうしようも……。
あ、そういえば一つそれらしい楽器があったわ」


「あるのっ?
この際、子供用のとかでもいいから貸して貸して!
我儘言わないから、弦に触れさせて!」


「ちょっと待ってなさい、唯。
私の部屋の押し入れに片付けてあるから取って来るわ」



69: μ 2012/08/09(木) 19:21:40.55 ID:r4aBJIjh0

そう言って私が立ち上がると、
「すぐ触りたいから私も一緒に行く!」と唯も立ち上がった。
ほんの一分で終わりそうな用事なのに、唯はその時間すらも惜しいらしい。
練習量はともかく、ギターの事を心から愛している事だけは確かみたいね。
愛し方のベクトルが通常とは全く異なっているけど、そこは唯だからしょうがない事よね。

私の部屋の押し入れのそれはすぐに見つかった。
そもそもハワイに持って行く予定だったから、探すほどの手間も無い。


「はい、どうぞ、唯。
近所に聞こえないくらいの音量で思う存分に弾きなさい」


私がそう言いながら私が唯にそれを渡すと、
唯は非常に微妙な表情を浮かべながら首を傾げた。


「和ちゃん……?
これ……って……、何……?」


「見て分かるでしょ、ウクレレよ」


「やっぱりっ!」


「どうしたのよ、唯。
ウクレレの何が不満なの?」


「不満ってわけじゃないけど……、
ウクレレかあ……、初めて触ったけど、うーん……。
だって、ウクレレ可愛くないんだよう、和ちゃん……」


「弦楽器に可愛いも何もないでしょ。
それに強いて言えばだけれど、ギターと比較すればウクレレの方が可愛いと私は思うわよ?」


「もーっ! 何を言ってるの、和ちゃん!
ウクレレも悪くはないけど、私のギターの方がすっごく可愛いよ!
可愛過ぎて、一日に何回もチューしちゃうくらいなんだからね!
憂だって私のギター、可愛いねって言ってくれてるし!」


平沢家の美的感覚は分からないわね……。
正直な話、ギターの可愛さは分からないけれど、
私にもウクレレに関しては退くわけにはいかないのだ。
私は唯の肩に手を置いた後、部屋に貼ってあるポスターを指し示してみせる。


「いい、あの人を見なさい、唯。
あんたはウクレレを極め、ハワイに認められたあの人の姿を神々しいとは思わないの?」



70: μ 2012/08/09(木) 19:22:15.02 ID:r4aBJIjh0

「あの人……って、高木○ーさん?」


「そうよ、伝説の高○ブーさんよ。
彼こそカメハメハ大王の子孫にも認められたウクレレ奏者なのよ?」


「えー、あの○木ブーさんが?
本当に本当の話なの?
面白い人だと思うけど、そんな凄い人だなんて知らなかったよ?」


「高木ブ○さんを甘く見ては駄目よ、唯。
彼はハワイにウクレレのプロ演奏者として招致された事まであるの。
まさに彼こそ日本に居ながらハワイを極めた伝説のハワイ人なのよ。
あんたももっと敬いなさい、唯」


「とりあえず、部屋にポスター貼るくらいには、
和ちゃんがブ○さんの大ファンだって事は分かったよ……。
和ちゃんが嘘を言うとは思わないし、本当は凄い人だったんだね、高木ブーさん……。
でも、ウクレレは可愛くないなあ……」


「何を言っているのよ。
あんまりウクレレを馬鹿にしていると、高木ブーさんに射撃されるわよ、唯。
彼はクレー射撃が趣味でもあるんだから」



71: μ 2012/08/09(木) 19:22:42.25 ID:r4aBJIjh0



「ええぅっ?
そ……、それは困るなあ……。
じゃあ、ちょっと弾いてみよ……」


まだ微妙そうな表情ながらも、唯はそう言ってウクレレを弾き始めた。
初心者なら弦を弾く事すらそれなりに苦労するはずだけれど、
流石に今までの軽音部の活動で下地が出来ているのか、ちゃんと音を出せていた。
お菓子ばかり食べているとは言え、これで一応は軽音部の面目が立ったという所かしら。

数分ほどウクレレを弾いた後、唯が少しだけ満足そうな顔を浮かべて言った。


「うん、ウクレレもそんなに悪くないかも。
あんまり可愛くないけど、贅沢は言ってられないもんね。
和ちゃんの家にいる間は、このウクレレを私の相棒にする事にするよ!」


「そうなんだ。それはよかったわ。
じゃあ、私、『戦争と平和』を読むね」


「はーい……、あ、ちょっと待って、和ちゃん。
私、ウクレレのコードがよく分からないんだけど、教えてくれる?」


「『戦争と平和』を読むわね」


「ひょっとして、和ちゃん……。
あれだけ言っててウクレレのコード知らないの?」


「『戦争と平和』があるから……」


「ハワイに憧れてウクレレ買ってそのまま放置?」


「『戦争と平和』……」


「うん、読んでて……。
私、自分でコード探してみるよ……」


「それじゃあ後でね、唯……」


そう言って唯と別れた数時間後、
持ってると噂の絶対音感を生かしたのか、唯はウクレレの全てのコードを見つけていた。
コードを見つけておきながら、弾けていたのは何故かチャルメラだけだったけれど……。
まったく……、凄いのか凄くないのか分からない子よね……。

それはともかくとして。
延々と演奏されるチャルメラをBGMに『戦争と平和』を読むのは想像以上の苦行で、
いつの間にか私の中の『戦争と平和』の登場人物のイメージが、全員中国系の顔になってしまった。
読書感想文を書く時にそのイメージで感想を書いてしまわないか、それが今から心配だ……。



78: μ 2012/08/16(木) 18:55:58.18 ID:gI7b/4fp0






「これは小学生の頃のキャンプの時にあった話なんだけどね……」


「キャンプと言えば……、
あんた、レトルトカレーじゃなくてカレールーを持って来たわよね」


「そうだったっけ?」


「そうよ。忘れたの?
まあ、話の腰を折るのは悪いわよね、続けて」


「うん、分かったよ、和ちゃん。
それでね、キャンプに行った時、テントの中で寝たでしょ?
テントってさ、寝る時に結構背中が痛いよね?
特に私達のテントを張った所は場所が悪かったみたいで、
しかも、私の寝る場所が一番小石がゴロゴロしてる所だったんだよね。
それで私、あんまり背中が痛いから夜中に目を覚ましちゃったんだ。

和ちゃんは起きた途端に、急にトイレに行きたくなっちゃう事って無い?
少なくとも私は結構あるんだ。
その時もお腹の調子が危険なくらいにトイレに行きたくなっちゃって、
でも、夜中に一人でトイレに行くのも怖いから和ちゃんに一緒に行ってほしかったんだけど……。
和ちゃんったらぐっすり寝てていくら揺らしても起きてくれないんだもん。
あの時は寂しかったなー……」


「その原因はあんたの責任でもあるとも思うわよ、唯。
あんた、ただでさえ、私に引っ付いてそのまま寝ちゃう事が多かったじゃない。
それに対応するためかどうなのか分からないけれど、
いつの間にか私は身体に多少の違和感があってもぐっすり眠れるようになってたのよね。
中学生になった頃から、少なくとも震度四の地震くらいじゃ目を覚ました覚えはないわ」



79: μ 2012/08/16(木) 18:56:37.26 ID:gI7b/4fp0

「それは鈍感過ぎだよ、和ちゃん……。
ま、いいや。
それでね、和ちゃんが起きてくれないから、
結局、私、一人で公衆トイレに行く事にしたんだよね。
キャンプ場だけあって明かりも沢山あるし、
トイレまでそう遠くないから何とか行けるはずって思っちゃったんだ。
その後、あんな怖い事が起こるなんて知らずにね……。

キャンプ場の夜道はちょっと怖かったけど、公衆トイレまではすぐに着けたんだ。
先生が見回りもしてくれてて、そういう意味でも結構安心してトイレに行けたんだよ。

でもね……。
はー、やっとおしっこ出来るー、
ってトイレに入った瞬間にね……、私、見ちゃったんだ……。
びっくりし過ぎちゃって、折角トイレの入口まで来たのに漏らしちゃう所だった……。

それがね……、トイレの中に居たんだよ……。
ねえ、和ちゃん……、トイレの中に何が居たと思う?
トイレの中に居たのはね……、
床から壁まで全部埋め尽くしちゃいそうなくらいの数の虫!
だったんだよ……。

あの光景は今でも思い出すなあ……。
私、虫は苦手な方じゃないんだけど、あれは本気で背中がゾッとしたよー……。
トイレの明かりに寄って来たんだろうね……。
蛾に蝶にカナブンにバッタにゴキブリにカブトムシやクワガタ……、
他にも色んな虫が居たんじゃないかなって思うんだけど、
とにかくもう数え切れないくらいの虫がうじゃうじゃしてたんだよ!
しかもね!
山の中の虫だから、どの虫もすっごく大きいの!
ゴキブリなんか十センチくらいあったと思うし、
蛾も私の手のひらくらいの大きさのが何匹も居たんだよ!

それで私、怖くなっちゃってトイレの入口から逃げ出しちゃったんだ……。
先生が寝る前にトイレを済ませておけって言った理由がよく分かったよ。
夜になるとあんなに沢山の虫がトイレの明かりに引き寄せられるからだったんだね……。
あんなトイレでおしっこするのなんて、絶対無理だよー……。
山って怖い……。虫って怖い……。
その事がよく分かったキャンプだったなあ……」


「それは確かに怖い話ね……。
でもね、唯、それよりも一つ大切な事を訊いてもいいかしら?
あんた、用を足しにトイレに行ったんでしょ?
その有り余る尿意は結局どうしたの?」


「えっ?
その辺の草むらで済ませたよ?
あんな虫だらけのトイレでおしっこするより、
草むらでおしっこする方がずっとマシだよ、和ちゃん」


「ええ、あんたならそう言うと思ってたわ。
小学生の時の事だから大目に見るわ。
でも、あんたももう高校二年生なんだから、
いつかまたそんな状況になった時にでも、草むらで用を足すのはやめておきなさい。
何処にカメラが仕掛けられてるか分からない御時勢だもの」


「分かってるよー、和ちゃん。
あ、でもね、前に海に遊びに行った時に、
確か澪ちゃんがりっちゃんが話したトイレの怖い話を怖がって外で……」


「ええ、もう全部分かったから、それ以上言わなくていいわ、唯」



80: μ 2012/08/16(木) 18:57:03.82 ID:gI7b/4fp0






【ひきこもり5日目】


午後三時過ぎ。
私の隣で唯がしつこく弾いているウクレレの音を、
環境音として聞き流せるくらいになった時、その人影は唐突に私の部屋の窓の前に現れた。
勿論、カーテンを閉め切っているから、その人影の正体が誰かは分からない。
でも、私の部屋の窓の前に誰かが立っているのだけは確かだった。

……曲者っ?

そう思った私は読みかけの『戦争と平和』を置いて、
ウクレレを弾いている唯の右手首を左手で強く掴んだ。
小さな音で弾かせているから大丈夫だと思うけれど、
何かの間違いで窓の外に居る人影にウクレレの音が聞こえてしまったら厄介だものね。
だけど、その私の咄嗟の行動が間違っていた。


「えっ、何、和ちゃんっ?」


唯は窓の外の人影に気付いていなかったらしく、
私に急に手首を掴まれた事を強く驚いて軽い叫び声を上げていた。
ああ……! この子ったら……、もう……!
心の中で軽く悪態を吐きながら、私は急いで唯の口の中に右手の指を三本突っ込む。


「ふえあっ!」


また変な声を上げさせてしまったけれど、そんな事を気にしている場合じゃなかった。
私は唯の舌を三本指で軽く摘みながら、顎で窓の人影を示してみせた。
それで唯もようやく人影に気付いたらしく、ウクレレを置いて小声で呟いた。


「……はえ?」


誰? と言いたかったのだろう。
しかし、私もその唯の問いに対する答えを有していない。
だからと言って、その答えを探すのも危険だった。
私達は自分達の存在を気取られるわけにはならない。
私達に出来るのは、その人影が窓の傍から去るのをじっと待つ事だけだ。


「黙ってなさい、唯」


私が耳元で囁くと、唯も神妙な顔付きで頷いてくれた。
どうやら人影に気取られないよう協力をしてくれるらしい。
私に巻き込まれてしまった立場だが、唯なりに私の将来を心配してくれているのだろう。
腐れ縁の幼馴染みの存在をこれほど嬉しく感じた事は無い。
唯が居てくれて、このひきこもり生活も退屈せずに居られるしね。
ありがとう、唯……。
今日の晩御飯は唯の好きなおかずを一品増しにしてあげる事にしましょうか。
材料があればの話だけれど……。

それから、三分くらい経っただろうか。
じっと息を殺して待っていると、やっとの事で窓の外からその人影が消えた。
やり過ごせたの……?
唯と二人でほっと小さく息を吐いて力を抜いた。
でも、それにしても、窓の外に居たのは誰だったのかしら?
単なる他人が三分も私の家の窓の傍に立っているとは思えないわよね。
私の知り合いだったのだろうか?

憂……かしら?
高校のクラスメイトの中でも私の家を知っている子は多くないし、
私の家の様子を探りに来る可能性がある子と言ったら憂くらいしか居ないはずだ。
唯に「和ちゃんのハワイ旅行に付き合う」って電話を掛けてもらったけれど、
あまりに突然過ぎるからか、流石の憂でも簡単には納得してくれなかったものね。
私が本当にハワイに行っているのか……。
それを不審に思って私の家に探りに来ていたとしてもおかしくはない。

もうちょっと憂への言い訳を考えるべきかしらね……?
私がそう思って首を捻っていると、不意に唯が立ち上がった。
小走りにカーテンの近くまで駆け寄って行く。



81: μ 2012/08/16(木) 18:57:42.22 ID:gI7b/4fp0

「唯、カーテンの隙間から覗くのは駄目よ」


私が念の為に言うと、唯が振り返って私に平手を向けた。
そのまま、中指と薬指の間を開く。
私と唯が子供の頃から何となく使っているサインだ。
深い意味は無いサインだけれど、今回は「了解」という意味で使ってくれたらしい。
四日前、私はカーテンの隙間から外を覗いたために、唯に私の存在を気付かれてしまったものね。
同じ轍を踏むわけにはいかないのは、唯も分かってくれているらしい。
そう。唯は隙間が出来掛けていたカーテンを閉め直すために、窓際に駆け寄ってくれたのだ。
結構気の利く子になったじゃない……。
そうやって目を細めていたその時の私は想像もしていなかった。
危機が一旦去った事で、気が緩み切っていたのだ。

唯がカーテンを閉め直した瞬間の事だった。


「ひえええええええっ!」


室内にまで聞こえてくる大きな叫び声が上がった。
当然だけれど、私達が上げた絶叫じゃない。
恐らくは窓の外に居た人影の上げた声だ。
しまった、と思った。
すっかり失念してしまっていた。
カーテンから人影が消えたからといって、その場から人が居なくなったわけではない。
人影が単に窓から少し距離を置いただけという可能性を、私は失念してしまっていたのだ。
人影の持ち主は見たのだろう。
カーテンを閉め直した唯の手か、或いはカーテンに浮かんだ唯の影を。

でも、そんな事はどちらでもよかった。
どうしたものか一瞬迷ったけれど、私はすぐに窓際まで駆け寄ってカーテンを開いた。
どうせ窓の外の人影にはこの部屋に誰かが居る事を気付かれてしまっている。
だとするなら、目撃者の正体を掴む事の方が先決だろう。
私は人影の持ち主を見逃す物かと、見慣れた自宅の窓の外を見回した。
人影の持ち主はすぐに見つかった。
彼女は腰を抜かしたように、その場に尻餅を付いていた。
その長い黒髪の持ち主は……。。



82: μ 2012/08/16(木) 18:58:13.18 ID:gI7b/4fp0

「澪っ!?」


私はつい軽く叫んでしまう。
憂ならともかく、どうして澪が私の家に?
確かに澪も何度か私の家に来た事はあったのだけれど……。
いいえ、そんな事は今はどうでもいいわね……。
私はカーテンを開いて窓を全開にすると、隣に居た唯の肩を軽く叩いた。


「唯っ!」


それだけで唯は私の意図を汲んでくれたらしい。
私が窓から外に飛び出すと、唯もそれに続いて飛び出してくれた。
大丈夫、何の問題も無いわ。
澪までの距離は約三メートル。
さっき辺りを見回してみた限りでは、他に人の姿も見えなかった。
澪を私の部屋まで連れ込むまで十秒も掛からない。


「あ、あれっ?
和に唯……っ? どうして家に……?
って言うか、何で裸で……っ?
ゆ……幽霊っ?」


私達の姿を認めた澪が、目を白黒させながら呻き始める。
幽霊と勘違いしているのが澪らしいと言うか何と言うかだけれど、私達には好都合だ。
私と唯は腰を抜かした様子の澪の腕を掴むと、一気に私の部屋まで引っ張った。


「うわわわわわわわわ!
やだー! 幽霊に呪われるのは、嫌だああああっ!
やあああめえええてえええええええっ!」


正直騒がしかったけれど、今はその口を閉じさせる時間も惜しい。
私達は澪の甲高い絶叫に耳が痛くなるのを感じながらも、
私の部屋に引きずり込んでから窓を閉じて、カーテンを完全に閉め切った。
また厄介な事になってしまったわね……。
それにしても、簡単だと思えたひきこもり生活がこんなに困難な生活だったなんて……。
これはニートの人達の見方を改めないといけないかもしれない



83: μ 2012/08/16(木) 18:58:41.75 ID:gI7b/4fp0






澪に事情を説明するよりも先に、
私達はまだ自分達が幽霊でない事を説明する事から始めなければいけなかった。
この家に居るはずの無い私達の姿を目撃した事以上に、
私達が何故か全裸で居る事の方を恐怖に思ってるようだった。
私達がこの家に全裸で居るのは、ハワイで私達が溺れ死んだから。
そうして、溺死した私達は未練を持った怨霊となり、日本まで戻って来た……。
澪はどうもそういう風に考えてしまったらしい。
微妙に理が通っているのが、何とも言えないわね……。

私達が幽霊じゃないと説明している間中、澪は半泣きだった。
半泣きで、


「やめてー!
和と唯のお墓参りはちゃんと毎年必ず行くから、ナスの牛で帰ってくれー!
私を天国に道連れにするのはやめてくれー!」


と喚いていた。
怖がりなのに、幽霊相手に説得に掛かるなんて、意外といい根性をしてるわね……。
自分が天国に行けると考えてる辺り妙にメルヘンだし……。

とにかく、その半泣きの澪相手に三十分ほど説明した頃、
澪はやっと私達が幽霊でない事と、ハワイに行けなかった事情を理解してくれた。
特に私達が幽霊でないと分かった途端、
私がハワイに行けずにひきこもっている理由の方は、案外と簡単に納得してくれた。
澪もこう見えて気弱な所のある子だから、私がひきこもる理由に関しては思う所があるのだろう。
澪だって自分が私と同じ立場なら、恐らくは同じ行動を取っていたはずだ。
まあ、澪は聡明で想像力のある子でもあるしね。


「だけど、和……」


私達が幽霊でない事に心底安心したのか、
とても安心した様子になった澪が不意に私に訊ねた。


「どうしたのよ、澪?」


「ひきこもる理由もハワイに行けなかった理由も分かったんだけどさ、
それにしたって、和と唯はどうして全裸で生活してるんだ?
クーラーを使えない理由は分かるんだけど、何も全裸にならなくたって……」


それに関しては私の不文律としか言えない。
蒸し暑いから脱ぎ、全裸で生活をする。
それが人間の正しい姿だというのは、私の中で揺るがない真実なのだ。
ただ、唯ならともかく、理屈を理解出来る澪にそれを説明するのは難しい気がする。
どう説明したものかと私が首を捻っていると、不意に澪が顔を赤くして語り始めた。



84: μ 2012/08/16(木) 18:59:43.77 ID:gI7b/4fp0

「ま……まさか……。
和と唯はそういう関係だったのか……?」


「はっ?
いきなり何を言うのよ、澪」


「いや、隠す気持ちは分かるよ、和、唯。
認められるようになって来たとは言え、まだまだ風当たりが強いもんな。
私達に言い出せなかったのも仕方ないよな。
でも、大丈夫だよ、二人とも。
私、二人の事、応援してるから!
友達の幸せを願わないなんて、友達失格だもんな!」


「だから、澪、そうじゃなくて……」


「いやー、女同士の幼馴染みは続かないってよく聞くけど、
和と唯が続いてたのはそういう理由からだったんだなー……。
幼馴染み以上の関係だったんだな、二人とも。
今考えると、唯も妙に和に引っ付いてたし、あれは恋愛感情からだったのか……。
そんな想い合う二人が夏の日に二人きりで居るんだもんな。
二人とも裸で過ごしたくなるのももっともだよ。
私だって……。

いやいや、それはともかく、羨ましいよ、和、唯。
末永く幸せにな!
律やムギ達には期を見て私の方からそれとなく伝えておくからさ。
あ、でも、梓はちょっとショックを受けるかもしれないな。
梓の奴、唯がよく抱き着くもんだから、
自分の事が好きなんじゃないかって思ってるかもしれないぞ。
梓が唯に感じてるのが恋愛感情じゃなくても、やっぱりショックだと思うよ。
後でちゃんとフォローしとけよ、唯」


「え……、何で……?
えっと……、よく分からないけど、うん……」


唯が困った顔を浮かべて軽く頷く。
そのまま私の方に顔を向けて首を傾げた。
今にも『澪ちゃんは何を言ってるの?』と訊ねた気だ。
説明してもいいけれど、説明してしまったら色々な物が変わってしまう気がするわね……。

それに、そんな事よりも、今は澪だった。
私の思った通り、澪は確かに聡明な子で想像力のある子だった。
主に駄目な方向にだけれど。
この駄目な方向に賢い子を放っておいたら、
確実にまずい事になるのは火を見るよりも明らかだわ……。

ハワイに行けなかった事は黙っていてくれるかもしれない。
いいえ、澪ならきっと黙っていてくれるでしょう。
だけれど、(澪の妄想の)私と唯の恋愛関係については、
間違いなく色んな尾鰭を付けて誰かに話してしまうでしょうね……。
特に澪は恋に恋する年頃の乙女だから、
それはそれは律の背中が痒くなるくらいロマンティックに語ってくれる事だろう。

……それは阻止しなければいけないわ。
中学時代、唯と私が恋人って噂が流れた時は本当に大変だった。
同性愛疑惑が流れる事が問題じゃないのよね。
幸いにと言うべきか、私の中学校は同性愛に理解のある生徒が多かった。
実際に何人か同性で付き合っている子も居たらしい。
それは何よりだけれど、私と唯は違うのだ。
唯は幼馴染みで、放っておけない子で、恋愛をする対象じゃない。
その子相手に恋人関係の噂を流される事ほど、困ってしまう事は無い。

だったら……。
そう考えた私は、まだ妄想を垂れ流している澪の肩を右手で掴んだ。
空いた左手で唯にサインを出しながら、真剣な表情で澪を見つめる。



85: μ 2012/08/16(木) 19:02:17.11 ID:gI7b/4fp0

「ねえ、澪……。
聞いてほしい事があるの……」


「い……、いきなりどうしたんだよ、和。
和には唯って相手が居るだろ……」


「いいから聞いて、澪。
私ね、このひきこもり生活に澪も参加してほしいなって思ってるのよ。
どう? 澪も一緒に暮らさないかしら?」


「それは無理だよ、和……。
まだ合宿の予定もあるし、宿題が終わってないんだよ。
大体、今日ここに来たのも、和の家に忘れた本を探すためだったんだよな。
読書感想文に使う本って伝えてたから、
ひょっとしたら和が自宅のポストにでも入れててくれないかなって期待してさ……。
妙な期待しちゃって悪いとは思ったんだけどさ……。
それに想い合う恋人の邪魔は出来ないしな。

でも、安心してくれよ、和。
和がハワイに行けなかったって事、誰にも言わないからさ。
特に律には秘密にしなきゃな。あいつ、口が軽い所あるからな。
私は絶対口を滑らさないよ、安心してくれ」


「それは心配してないわよ、澪。
でも、私は澪に居てほしいのよ。居てもらわないといけないの……。
だからね……」


言いながら、私は唯に目配せする。
こんな時に限ってだけど、唯は私の考えをしっかりと見抜いてくれているみたいだった。
伊達に私の幼馴染みをやっていないという事よね……。
瞬間、私はまた左手の中指と薬指の間を開いて、唯にサインを送った。
その一瞬後……、


「澪ちゃんのもーらいっ!」


無邪気な声を上げて、唯が澪のシャツの下に手を入れた。
そのまま胸の方を弄り始める。


「え……、ええっ?」


何が起こっているのか分からないといった表情で澪が戸惑いの声を上げる。
普段、身体的接触の多い唯とは言え、澪にここまで密着する事は無かったのだろう。
澪が戸惑ってくれるのはこちらとしても好都合だった。
戸惑う澪の胸元をまさぐり、数秒後澪のシャツの下から出した唯の手にはブラジャーが握られていた。
勿論、他の誰でもない澪のブラジャーだった。
どうやら上手くいったらしい。
問題としては澪が普通のブラをしているか、
フロントホックブラをしているかという点だったけれど、
胸の大きな子の類に漏れず、澪がしていたのはフロントホックブラだったらしい。


「なななななななななな、何をっ?」


ブラジャーを取られた澪が、自分の胸元を二の腕で押さえて声にならない叫びを上げる。
唯は澪のブラジャーを手に持ったまま、部屋から出て逃げ出して行く。


「ちょ……、唯……っ!」


唯を追い掛けようとする澪の肩を押さえ付けて動かさない。
唯とは別の意味で、澪をこのまま家に帰らせるわけにはいかないのだ。
不可抗力とは言え、こうなってしまった以上、
私の学園生活、私の将来のために、澪にも共犯になってもらうしかない。
私はあえて柔らかく微笑んで、澪に言ってみせた。



86: μ 2012/08/16(木) 19:02:42.85 ID:gI7b/4fp0

「ねえ、澪……。
澪も一緒にひきこもりましょう?
澪は私達の事を考えてくれてるのだろうけれど、それは誤解なのよ。
その誤解が解けるまで出来ればこの家に滞在していてほしいの」


「そ、それと私のブラを取ったのと、何の関係があるんだよー……!」


「澪に私の家に居てほしいからよ。
澪が私の家から出て行くのは私には止められないわ。
その気になれば、家からなんて簡単に出て行けるものね。
だからね、ブラジャーを預からせてもらうのよ。

ねえ、澪?
澪の家族か律か……、どちらでもいいけど、
澪が誰かの家にブラジャーを忘れて来たとしたら、皆はどう考えると思う?
『彼氏の家でブラジャーを外すような何かをしたんじゃないか?』って、
どうしてもそう考えてしまうのが人情というものではないかしら?」


「や……、やめてくれえ、和ああああああ……。
家族にそう思われるのも嫌だけど、律にそう思われるのはもっと嫌だあああああ……。
分かったよ、和ああああああ……。
ここで三人で暮らすよおおおおおお……」


項垂れて、澪がその場に崩れ落ちる。
どうして、律にそう思われるのがもっと嫌なのかしら……。
それは今の所は気にしない事にして、
とにかくこうして、私のひきこもり仲間がまた一人増える事になったのだった。
ひきこもり生活を続ける内に、澪の誤解を上手く解けるといいのだけれど……。
とりあえず、「真鍋家のハワイ旅行に付いて行く事になった」、
と後で澪に自宅や律達に電話して、そう説明してもらう事にしよう。

ちなみに澪のブラジャーは唯のスイカ星人の話を澪に聞かせた後で、
押し入れの奥深くに何故かあった手のひらくらいの大きさの紙箱の中に隠した。
スイカ星人の話でかなり怯えていたから、しばらくはブラジャーを隠しておけるはずだ。



91: μ 2012/08/18(土) 20:00:04.20 ID:nFXxOWGk0






「じゃあ、次は澪ちゃんの怖い話だねー」


「わ……、私も話すのか?
聞くだけで十分だよ、私は……」


「駄目だよー、ちゃんと皆で順番に怖い話をしなきゃ!」


「ううう……、私、怖い話なんてそんなに知らないぞ……。
……あ、そうだ。
前に律から聞いた怖い話があったんだ。
それを話させてもらうけど、いいよな?」


「律の怖い話……。
急に信憑性が皆無になったけれど、怖い話は信憑性の問題じゃないわよね。
大切なのは怖いかどうかなわけだし、いいわ、澪。
律から聞いたその怖い話、聞かせてくれるかしら?」


「うんうん!
私も澪ちゃんのりっちゃんの怖い話聞いてみたい!」


「その言い方だと律が怖いって話になりそうだな……。
まあ、いいか。じゃあ、話すぞ?

これは律が高一の頃の話らしいんだけど、
律の奴さ、ひょんな事からある呪いの調査をする事になったらしいんだ。
ある筋から入手した呪いのビデオを観てしまって、
一週間後に死ぬ呪いを掛けられてしまったらしいんだ。
律の奴……、そんな大変な事になってるんだったら、私に相談してくれればよかったのに……。

……それでさ、当然だけど、その調査は困難を極めたらしい。
そりゃそうだよな。
観たら一週間後に死んじゃうビデオの呪いなんて、どうやって解いたらいいんだよ……。
それで途方に暮れた律はある友達に相談を持ち掛けたらしいんだ。
プライバシーの問題から律はその子の名前を教えてくれなかったけど、
イニシャルはTらしくて、この話の最中はずっとTさんって呼び続けてたな」


「Tさん……?
ああ、TSUMUGI KOTO……」



92: μ 2012/08/18(土) 20:00:32.76 ID:nFXxOWGk0

「それで呪いのビデオの話なんだけど、
結局、何も出来ないまま呪いの期日がやって来ちゃったらしいんだ。
律はもうどうにもならなくなって怯えてたんだけど、
Tさんは最期まで一緒に居てくれるって言ってくれたらしくてさ、
呪いが執行される時まで二人で傍に居る事になったらしい。
妬けるよな、律の奴……。
あ、いや、それは今は置いといて、
とにかく、律とTさんは二人でTさんの別荘の中に籠っていたらしい。

そうして、呪いの執行の時間がやって来たんだ。
その瞬間、律は心の奥底から驚いたって言ってたよ。
不意に物音がしたと思ったら、
急に禍々しい空気が辺りに漂い始めたからなんだそうだ。
直後に律も気付いたらしい。
その別荘に置いてあったテレビの中から、
白い服を着た髪の長い女……仮に『貞子』として……が這い出て来ようとしている事に!

何とかしなきゃいけない……。
そう思いながらも、律は逃げる事も声を出す事も出来なかったらしい。
律に出来たのは、ただ目の前で起きてる異常事態を呆然と見つめる事だけだったんだ。
私はもう死ぬんだな……って、そう深く実感したらしい。

呆然としている間にも、その『貞子』はテレビから完全に這い出てた。
禍々しい雰囲気を漂わせて、世界全てを憎んでいるような視線を律に向けて、
一歩、もう一歩……、ただ律を呪い殺すために脚を進めて……。
その瞬間……!


「破ぁ!!」


という声がして唐突に別荘の扉が開いたかと思うと、
Tさんにそっくりな背の高い女の子が現れて、『貞子』にキャメルクラッチを極めていたんだ!
それはそれは見事なキャメルクラッチ……、和名『駱駝固め』だったらしい。
いつもプロレスごっこをやっている律でも到達出来ない、理想的な極め方だったそうだ。
それがあんまり見事な技だったおかげだろうな……。
『貞子』はその背の高い子に感服して、
「ごめんなさい、もうしません」って言いながらテレビの中に帰って行ったらしい。

後で律がTさんから聞いた話では、
その子はSちゃんっていう名前で、Tさんに仕える侍従部隊の一人らしかった。
まだ中学生くらいだろうにそんな実力を持ってるなんて……。
そして、Tさんはそんな凄い子を仕えさせてるなんて……。

セレブ生まれって凄い。
律は初めてその子についてそう思ったんだそうだ」


「そうなんだ。
じゃあ私、夕飯の支度するわね。
唯、今日の夕飯はあんたの好きなオムライスよ」


「わぁい、和ちゃん大好きー」


「ちなみに律が言うには、
『貞子』はエスパー伊東の様な声をしていたらしい……」



93: μ 2012/08/18(土) 20:00:59.42 ID:nFXxOWGk0






【ひきこもり6日目】


「律が……、律が『嫌いだ』って言ってたんだ……」


澪の半泣きの呻き声が私の家の中に響く。
唯も澪のスキャンティを手に持ちながら、複雑な表情を浮かべていた。
私も澪に何と声を掛けるべきか迷っていた。
それほどまでに声を出しづらい空気が、この空間にはあった。


「律が『嫌いだ』って言うんなら、私はこうするしかないじゃないか……」


また澪が嘆くように呻いたけれど、私にはどうする事も出来なかった。
仲がいい幼馴染みだとは思っていたわ。
でも、澪にとって律がこんなにも大きな存在だったなんて……。

発端はシャツを肌に纏わり付かせている澪の姿を見た事からだった。
胸が大きい子なだけあって、澪は私達の中でも体脂肪の多い子だった。
特に乳房の下に汗が溜まっているようで、
このままでは澪の乳房の付け根に汗疹が出来てしまう事が安易に予測出来た。

だから、私は言ったのだ。
「澪も私達と同じ様に全裸で生活すればいいのよ」と。
すぐに了承してくれると思っていたわけではないけれど、
私の言葉を聞いた後の澪の拒絶は、正直言って異常と言えるレベルだった。
特に異常だったのは、シャツよりもホットパンツを先に手で掴んだ事だ。
私の独断ではあるけれど、女性が誰かに脱げと指示された際、
通常ならば上半身の衣服を脱げと言われていると考えるのが普通ではないだろうか?

ヒトのメスはセックスアピールのために乳房を発達させたと聞いた事がある。
ヒトは二足歩行であるがゆえに、
他者に一番目につきやすいセックスアピールポイントが乳房だったからであらしい。
だからこそ、ヒトのオスはメスの乳房を見てしまうし、
メスは乳房を成長させ、上手く利用しようと考えてしまうのだ。
それが本能というものではないだろうか。

しかし、澪は乳房よりも即座に下半身を守った。
何か理由があるのね……、そう思った時には好奇心を抑え切れなかった。
気付けば私は傍に居た唯に手のサインを出した後、澪の両手を掴んでいた。



94: μ 2012/08/18(土) 20:01:29.53 ID:nFXxOWGk0

「ちょっ……、和……っ?」


動揺した表情を浮かべる澪を無視して、唯に顎でしゃくって指示を出す。
即座に私の意図を理解してくれた唯が、澪のホットパンツに手を掛けた。
そのまま楽しそうな表情を浮かべながら、唯は澪に言ってのける。


「いいじゃん、澪ちゃんー。
女同士なんだし、私達だって裸なわけだし、
真っ裸でも全然恥ずかしくないよー?」


「いやいやいや!
そういう問題じゃなくてだな……!
親しき仲にも礼儀ありと言うか、衣服を着用する事が人間の文化的行動と言うか……」


「……?」


「不思議そうな顔しないでくれよ!
だから、その……、とにかく……、やああめええてえええええええっ!」


澪の下半身を露わにする事に対する警戒は明らかに異常だった。
何かのコンプレックスでもあるのだろうか?
そういえば自分の陰核の大きさに劣等感を抱く女性は多いという話を聞いた事がある。
ひょっとすると、澪の陰核は常人よりもかなり大きいのかしら?
いいえ、もしかしたら……。
一つの結論に思い至った私は軽く唯に訊ねてみる。


「ねえ、唯?
澪って陰毛はちゃんと生えているわよね?」


当然だけど、私は澪が下半身を露出した姿を見た事は無い。
こんなにも下半身を露わにするのを拒絶するという事は、
それはつまり、唯と同じ様な悩みを抱えているからじゃないかって思ったのよね。
でも、唯は少し残念そうにかぶりを振ってから、私の質問に応じてくれた。


「うん!
去年の合宿でチェックしたんだけど、澪ちゃんの毛は凄かったよ!
剛毛でモッサモッサ!
いいなあ、羨ましい……」


無毛と剛毛のどちらがいいかという議論はさておき、
唯の言葉が本当ならば、澪の陰毛はモッサモッサの剛毛なのだろう。
勿論、それは予想通りでもある。
澪の乳房は大きいし、女性的な曲線も非常に美しい。
女性ホルモンが大量に分泌されている証拠だ。
女性ホルモンが大量に分泌されているという事は、陰毛が大量に生えていてこそ自然と言える。
だとすると、やっぱり陰核が大きい事の方が悩みなのかしら?
とにかく、確かめてみなければ、話は始まらない。


「唯、お願い」


「あいあいさー!」


私が指示を出すと、唯は遠慮なく澪のホットパンツを下着ごとずり下ろした。
そのまま流れるような動作で、脚を通して丸ごと手元に回収する。
見事な手並みだった。
もしかしたら、憂相手に何度かやった事があるのかもしれないわね。


「うわあああああああっ!」


最後の足掻きとばかりに、澪が悲痛な叫び声を上げる。
しかし、それでどうなるわけでもない。
そうして、抵抗虚しく露わになった澪の下半身は……。



95: μ 2012/08/18(土) 20:02:55.34 ID:nFXxOWGk0

「ええっ?」


思わず唯と私は同時に驚きの声を上げてしまっていた。
無かったのだ。
あるはずのものが。
モッサモッサに生え揃っているはずの……、澪の剛毛が。
いや、完全に無かったわけではない。
澪の女性器付近には、短い毛が細かく疎らに存在していた。
つまり、元々あったはずの陰毛を完全に剃り上げているという事なのだ。
そうやって戸惑う私達を尻目に、澪が言ったのだ。
「律が……、律が『嫌いだ』って言ってたんだ……」と。

掛けるべき言葉を見つけられないまま、私はただ静かに頭を回転させていた。
正直、多少動揺していてはいたけれど、落ち着かなければらないわよね。
冷静に……、冷静にならないと……。
円周率を数えて冷静になるのよ、和……。
円周率……、ほぼ3。
うん、少しだけ落ち着いたわ。
落ち着けた頭でもう少し考える事にしましょう。

律が嫌いだって言ってた。
ここで着眼すべきは『嫌いだ』より、『言ってた』という箇所でしょうね。
『言った』ではなく、『言ってた』という事は、
直接澪に対して言った言葉ではないという可能性が高いわ。
つまり、律の独白か雑談になるでしょうね。


「あ、そういえば!」


唯が何かを思い出したように澪のスキャンティを持ったまま、手を叩いた。
澪……、恥ずかしがり屋の割に、穿いている下着はスキャンティなのね……。
でも確か、一年の頃まで澪が穿いていたのは青と白の横縞のパンツだったはずよね。
一年の学園祭の頃にこけて下着を見られた事を心の傷にしているのかしら?
それで大人っぽい下着を穿くようになったとか?
……いえ、それは今は関係の無い事ね。
私は眼鏡を掛け直してから、首を傾げて唯に訊ねてみる。


「どうしたの、唯?
何か思い当たる事があるの?」


「うん!
合宿の時にりっちゃんに「唯って生えてないんだな」って言われたから、
私が「りっちゃんだってちょっとしか生えてないじゃん」って言い返したらね……、
「確かにそうだが剛毛よりはマシだろ?」って言ってた覚えがあるよ!」



96: μ 2012/08/18(土) 20:03:25.62 ID:nFXxOWGk0

なるほどね、と思った。
推定になるけれど、澪は律のその言葉を何処かで聞いていたのだろう。
その律の言葉が恐らく澪の胸の中に深い翳を落とす事になったに違いない。
一年生の頃には剛毛であったはずの陰毛を、
こんなにも執拗さを感じさせるほど剃り上げるくらいに。

それでも、律に罪は無いわ。
律も唯に指摘されたのが悔しくて言ってみただけで、
何も澪の事を引き合いに出したわけではないだろうしね。
問題なのは、その律の言葉を大真面目に受け止めた澪の方だ。
どれだけ律の事が大好きなのよ、澪は……。
思い返してみれば、教室で澪が私に話すのは律の話ばかりだった気もするわね。
幼馴染みとは言え、どうも律の事を考え過ぎ過ぎじゃないしら?

もしかすると、澪が私と唯の恋愛関係を勘違いしたのは、
自分が律と恋愛関係になりたいからなのかもしれないわね……。
私と唯と同じ様に、澪と律も幼馴染みなわけだし……。

だけど、それよりも何よりも、今は澪の陰毛の事の方が重要だった。
澪の青髭のようになっている陰毛を見ると、憐憫の感情が湧き上がって仕方が無い。
無毛と剃毛では全く違う。
無毛はそもそも陰毛が存在しないから肌が美しいままに残るけれど、
剃毛した陰部では疎らに細かい陰毛が残ってしまうから美しい肌とはとても言えない。
しかも、剃毛を続ける事で若干の剃り間違いの傷も残っている。
無毛と剃毛は違うのだ、悲しいほどに……。

それでも、澪は律に嫌われないために剃毛したのだろう。
それがどんな結果になるとしても……。
澪の律に対する深い愛情を感じて、私は少し律の事が羨ましくなった。
いつか私にも、それほどまでに自分を思ってくれる相手が現れるのだろうか……?

それはそれとして。
それから数分後には何とか澪を説得して、シャツも全部脱いで全裸になってもらった。
これでまた部屋を全裸で過ごす仲間が増えたわけね。
少しずつ部屋で全裸で過ごす良さを広められているみたいで、私も嬉しい限りだわ。



100: μ 2012/08/23(木) 17:59:10.66 ID:dH1sFtOv0






「次は私の怖い話だったかしら?」


「うん、次は和ちゃんの怖い話だよ」


「和の怖い話……。どんな怖い話なんだろう……」


「そうねえ……。
じゃあ、今回はこんな話でどうかしら?
今から話すのはある悪魔の話よ。

その悪魔の名前はミルメコレオ。
伝承によると頭だけがライオンで、
残りの部分が蟻って身体をしている悪魔らしいんだけどね……」


「何それー。
何か変な悪魔だね、和ちゃん」


「そうね。外見だけでも十分に変な悪魔よね。
でも、もっと変なのはその悪魔の生態なのよ。
このミルメコレオ……、訳して蟻ライオンは可愛そうな生態の持ち主なの。

頭がライオンでしょ?
頭がライオンだから当然肉を食べたいんだけれど、
身体が蟻だから上手く消化出来ないし、受け付けてくれないのよね。
蟻の身体が受け付けてくれるのは蟻の食べ物だけ。
だけど、だからと言って、ライオンのプライドが蟻の食べ物を食べる事を許さない。

だからね、このミルメコレオは生まれてもすぐ餓死してしまうのよ。
餓死する事が運命付けられているような、可哀想な悪魔なんだって事なの」


「切ない悪魔なんだな……。
生まれてもすぐ死んじゃう悪魔だなんて……」



101: μ 2012/08/23(木) 17:59:44.87 ID:dH1sFtOv0

「確かに切ない悪魔よね……。
でもね、澪。
この悪魔にはそれよりももっと切ない点があるの。

実はこの悪魔、旧約聖書をギリシャ語に翻訳される時、
ヘブライ語のある一説を誤訳したために生まれてしまった悪魔らしいのよ。
ヘブライ語には『老いた獅子は獲物なく滅ぶ』という言葉があるんだけど、
何故かギリシャ語の『ライオン』には『蟻』って意味もあったから起こった惨事らしいわ。
切なくて怖い話よね……、誤訳から産み出されてしまう悪魔なんて……」


「ねえ、和ちゃん……。
私としては笑えるお話だと思うんだけど……」


「何を言っているの、唯。
これほど怖い話が何処にあるのよ。
あんたは自分に無関係の話だって考えてるから、そういう事が言えるのよ。

よく考えてみなさい。
もし何かの天変地異で地球の文明が一度滅び去って、
後世の人類がどうにか少しずつ現代の文明を取り戻して来たとするわよね?
その後世の人類が卒業アルバムでも何でも、
あんたについて記された文献を見つける事もあるでしょうね。
その時、平沢唯を『ヒラサワ ユイ』じゃなくて、
『タイラ サワタダ』って誤読されたらどうなると思う?
きっと「男の名前なのに女の恰好をしてる奴がいるぞ!」って言われるわ。
しばらく笑われ続けるのよ、誤読によって……」


「ねえ、ひょっとして和ちゃん……」


「怖いのよ、誤読や誤訳は……。
誤訳によって悪魔まで産み出してしまうくらいに……。
誤読は……、怖い事なのよ……」


「小学生の頃、『和』の読み方が全然分からなくて、
同級生の皆から『わちゃん』ってしばらく呼ばれてた事、根に持ってる……?」


「本当に怖い……、怖い話よね……」



102: μ 2012/08/23(木) 18:00:15.41 ID:dH1sFtOv0






【ひきこもり7日目】


「和ちゃーん……、暇だよー……。
何かして遊ぼうよー……」


再放送の二時間サスペンスを観終わった後、唯が唐突にそんな事を言い出した。
さっきまで夢中でサスペンスを観てたのに、変わり身の早い子よね……。
私は少し嘆息しながら、唯の頭に軽く手を置いた。


「あんた二時間ドラマをずっと観てたじゃない。
それでも、まだ暇って言うの?
あんなに夢中で観てたんだから、その余韻に浸ってればいいじゃないの」


「分かってないよ、和ちゃん!
ドラマはジェットコースターなんだよ?
観ている時は楽しんで、観終わったらすぐに気持ちを切り替える。
それが正しいドラマの観方なんだって、りっちゃんが言ってた!」


「確かに律なら言いそうな事だけど……。
でも、それってつまり、ドラマから学んでる事が何も無いって事よね。
それもそれで正しい観方なんでしょうけれど……」


「そんな事無いって、和ちゃん。
私、今回のドラマ、すっごく勉強になったもん。
和ちゃんも横目で観てたみたいだから、凄く勉強になったんじゃない?」


「ええ、それは確かにそうかもしれないわね。
真相編があまりに衝撃的で、私だって驚いたもの。
被害者に掴み掛かられたから突き飛ばして過失で殺してしまった、
ってドラマはよくあるけど、それを同じドラマで三回も繰り返すとは思わなかったわ……。
犯人は誰も殺す気が無かった可哀想な人だった……、
的な演出なんでしょうけれど、これはいくら何でもやり過ぎね。
私が犯人の弁護士なら、例え真実でも弁護を投げ出したくなるレベルよ……」


「だからね、和ちゃん、私、思ったんだ。
誰かに急に掴み掛かられても、出来るだけ突き飛ばさないようにしようって。
軽く突き飛ばしただけで三人も死んじゃったんだよ?
気を付けないといけないよねー……」


「それは学ぶ点を間違ってるわよ、唯……。
誰かに掴み掛かられたらちゃんと突き飛ばして、
それで万が一その誰かを過失で殺してしまったら、警察に自首しなさい」


「ええー……。
そうなのかなあ……って、そうじゃないよ、和ちゃん!
ドラマの事はいいから遊ぼうよー。
テレビゲームとかボードゲームとか持ってないの?」


「トランプと麻雀ならあるけど……」


「私、麻雀のやり方分からないよ、和ちゃん……」


「そうね……。
あんた小学生の頃、ドンジャラのやり方も理解してなかったものね……。
だからって、三人でトランプしてもね……」



103: μ 2012/08/23(木) 18:00:58.30 ID:dH1sFtOv0

言いながら、私は部屋の中を見渡してみる。
だけど、やっぱり他に遊べそうな物は見当たらない。
幼い頃から読書を趣味にして来た私にとって、
テレビゲームやボードゲームの類とはほとんど無縁な物だった。
唯が私の家に持って来たゲームを何度かしてみた事があるくらいかしら?

と、そこまで考えてから、私は少し思い直した。
唯は暇だと言っていた。単に暇なだけなのだ。
別に私と遊べなかったとしても、暇潰しになる何かがあればそれで満足してくれるだろう。
我が家に何か暇潰しになる物があっただろうか?


「あっ」


思わず声を上げていた。
そういえば一つ暇潰しになりそうな物があった。
唯が好むかどうかは分からないけれど、
こんな状況なんだから唯もそう大きな声で不満を口にはしないはずだ。
私は立ち上がってから、棚の上に置かれていたそれを取って唯に手渡した。


「何これ? ビデオテープ?
ひょっとして、呪いのビデオとか?」


「の、呪い……っ?」


何故か楽しそうに唯が言って、それを聞いた澪が怯えた声を上げた。
澪も暇だったから私達の会話に耳を傾けてたみたいね。
私は少しだけ苦笑してから、澪の肩に軽く手を置いて言った。


「安心して、澪。
呪いのビデオじゃないわ……、って私の家にそんな物があるはずないじゃない。
あれは昔録画した単なる普通のアニメのビデオよ。
古い作品だから、懐かしくて逆に楽しめるかと思ったの」


「なーんだ」と唯が残念そうに呟いて、澪が胸を撫で下ろしながら苦笑した。


「そうなんだ……、よかった……。
今時、ビデオテープなんか持ち出して来るから、
何か曰く付きの物なんじゃないかって思っちゃったよ……」


「今時……、って、私の家ではまだまだ現役なんだけど……」


「えっ」


「えっ」



104: μ 2012/08/23(木) 18:02:34.46 ID:dH1sFtOv0

「そ、それよりもさ、古い普通のアニメって何なんだ?
『キャンディ・キャンディ』とか?」


「話を誤魔化したわね……。
まあ、それは別にいいんだけど、
『キャンディ・キャンディ』ってそれは流石に古過ぎよ、澪。
あのビデオに入ってるのは『あずきちゃん』よ」


「ああ、あのお姉ちゃんやお母さんによくいじめられる……」


「それは『あさりちゃん』ね。
まあ、二人とも黒髪の二つ縛りって共通点はあるけれど」


「あ、そっちか……」


「何でもいいから観よう観よう!
私、『あずきちゃん』って、再放送でちょっとしか観た事ないから楽しみー!」


そう言うが早いか、唯がビデオデッキに『あずきちゃん』のビデオテープを挿入する。
やっぱり暇が潰せれば何でもよかったらしい。
私と澪は苦笑しながら、何故か正座してテレビの正面に陣取る唯の隣に座った。


「じゃあ、再生するよー!」


唯がテレビの入力を切り替えて、ビデオの再生ボタンを押す。
この時の唯は本当に楽しそうだったし、
澪も懐かしいアニメが楽しみらしく、期待に胸を膨らませた表情をしていた。
この後、唯が口にする何でも無い思い付きが、
二人を強く苦しめる事になるなんて、その時の私達は思いもしなかったのだ……。



105: μ 2012/08/23(木) 18:03:00.50 ID:dH1sFtOv0






まずお約束ではなかった事を断っておきたいと思う。
『あずきちゃん』のビデオの中には確かに『あずきちゃん』の放送が録画されていた。
何かの間違いでアダルトビデオや呪いのビデオが録画されていたという事はなかった。
ある意味でそういうお約束的な事は起こらなかったのだ。

でも、今になって思うのだ。
そちらの方がずっとよかったのかもしれないと。
いいえ、何かの間違いで録画されていたアダルトビデオを観てしまって、
三人でしばらく気まずい空気を感じてしまう方が、確実にずっとよかった。

きっかけは私の何気無い一言だった。
「あずきちゃんって梓ちゃんに何となく似てると思わない?」、
と私は本当に何の深い意味も無くそう言った。
黒髪のふたつしばりな所、あずきちゃんの本名も『あずさ』な所、
少しだけ素直になれない所もあるその性格も含めて、何となく似ている気がしたのだ。

すると、唯が得意気にこう言ったのだ。
「あずきちゃんをあずにゃんの小学生の頃だと思って観てみよう!」と。
多少馬鹿馬鹿しいけれど、悪くない思い付きだとその時の私も思った。
何かを前提に劇作を鑑賞するのとしないのとでは、集中力や楽しみ方が全く変わって来る。
これならばいい暇潰しになるだろうと思った。
思ったのよね……。

その結果が現在の惨状だった。


「うわあああああああああ!
あずにゃんが、あずにゃんがああああああっ!」


唯が頭を抱えて悲痛な声を上げている。
きっかけは『あずきちゃん』の中のあるシーンだった。
『あずきちゃん』は少女漫画雑誌に連載されていた漫画で、
少女漫画雑誌だけあって、主人公のあずきちゃんは小学生だ。
小学生の女の子が転校生の男の子に恋をする。
それだけならそれなりにありがちな漫画なのだが……、
アニメで放映されたシーンに問題のそのシーンがあったのだ。


「あずにゃんが……、あずにゃんが小学生の頃に、
もうファーストキスを済ませてるよおおおおおお……」


唯が掠れた涙声で呻く。
そうなのだ。
主人公が小学生の女の子なのに、転校生の男の子とのキスシーンがあったのだ。
小学生の女の子なのに……。
あずきちゃんを梓ちゃんに見立てて鑑賞していた唯にとって、それはいたく衝撃的だったらしい。


「落ち着きなさい、唯。
あれはあずきちゃんで、梓ちゃん本人じゃないのよ」


私は唯の背中を擦りながら言ってみたけれど、
唯にとってそれは重要な事ではなかったらしく、激しく首を横に振りながら続けた。


「分かってる……、分かってるよう、和ちゃん……。
でも……、でもお……、
あずきちゃんが小学生でファーストキスを済ませてるって事は、
ひょっとしたらあずにゃんも小学生の頃にファーストキスを済ませてたり……。

やだあああああ、やだよおおおおおお!
ねえねえっ、和ちゃんはどう思うっ?
あずにゃん、小学生の頃にファーストキス済ませてると思うっ?」



106: μ 2012/08/23(木) 18:10:37.02 ID:dH1sFtOv0

そんな事無い、とすぐに返答してあげられればよかった。
普通に考えて、小学生の頃にファーストキスを済ませる女の子なんて極少数なわけだしね。
でも、私はすぐに返答出来なかった。
何故なら、梓ちゃんなら有り得るかもしれないって、一瞬考えてしまったからだ。
梓ちゃんは外見とは異なり、その内面はかなり大人びている。
落ち着いた性格で、大人びた梓ちゃんならあるいは既に……。

唯はその私の沈黙を肯定と受け取ったらしい。
辛そうな表情を浮かべて、またいたく悲しそうに嘆き始めた。


「やっぱりそうなんだああああ……。
あずにゃんの唇は小学生の頃に私の知らない男の子に奪われてるんだああああ……」


「だから、落ち着きなさい、唯。
あんた、キスなら幼稚園の頃に憂と何度もやってたじゃない。
その延長だと考えるのよ。そう考えなさい」


「妹とのキスと男の子とのキスは全然違うよ、和ちゃん……」


「ええ……、それはそうね……。
ごめんなさい、唯。
流石にこれは我ながら無理のある発言だったわ……。

でも、ほら、よく観て、唯。
あずきちゃんは結構男の子と遊んでる子でしょ?
男の子の友達が多い子はそういう事もあるのよ、きっと。
だけど、梓ちゃんは男の子の友達が多そうな感じはしないでしょ?
だからね、きっと梓ちゃんのファーストキスはまだ……」


「ま……、まさか……」


私の言葉を遮って次に呻き始めたのは澪だった。
何が起こったのかと思って澪に視線を向けると、
澪は唯と対照的に顔面を蒼白とさせて呆然として呟いていた。


「小学生の頃、律は男の子ともよく遊んでた……。
特に近所のトシ君とは私抜きで遊んでたみたいだし……。
まさか……、まさか律はトシ君と小学生の頃にファーストキスを……。
まさか……、ははは、そんな……、そんなまさか……」


しまった……。
澪に飛び火させてしまったらしい……。
確かに私の理屈では、梓ちゃんより律の方が先にファーストキスを済ませている事になってしまう。
しかも、その想像はあながち間違っていない気までしてくるわね……。
律は男の子の友達も多いみたいだし、
たまに見せる恥ずかしがり屋な所は男の子にも人気が出そうだ。
という事は、律の方こそが小学生の頃にファーストキスを……?



107: μ 2012/08/23(木) 18:11:05.58 ID:dH1sFtOv0

「そういえば……」


呟きながら、不意に唯が私の肩を掴んだ。
必死さが見て取れる表情で私の瞳を覗き込む。


「確か『あずきちゃん』ってアニメは小学生で終わったけど、
漫画の方は中学で転校生の子と離れ離れになった後の話もちゃんとあるんだよねっ?
和ちゃん、漫画持ってるっ?
中学生の頃のあずにゃんの方が今のあずにゃんの性格と近いはずだから、
中学生バージョンのあずきちゃんの漫画を読んで比べてみる!
中学生の頃のあずにゃん知らないけど!」


「え、ええ……。
漫画はお母さんが好きだから持ってたはずだけど……」


「和ちゃんのお母さんの部屋?
今すぐ取って来るっ!」


「わ……、私も……!」


唯に続いて澪が居間から飛び出して行く。
漫画ならお母さんの部屋にあったはずだけれど、
確か『あずきちゃん』の中学生の頃の話って……。
そこまで私が考えた瞬間、もう単行本を見つけたらしく、唯の声がまた響いた。


「わああああっ!
あずにゃん、中学一年生の夏休みでもう別の男の子とチューしてるー!」


「待て、唯!
それどころか五巻じゃ二股になってるぞっ!
二股……、中学生で二股……」


「あずにゃん酷い……。これは酷いよ……。
で、でも、流石に中学卒業の頃にはどっちか一人に決め……、って、わああっ!
中三の初詣、真夜中に密室で男の子と二人きりでチューしてる……。
って事は、この後、間違いなく……」


「そ、そういえば、律もトシ君と初詣に行った事があるって言ってたような……。
ま、まさか……、まさかああああ……」


「ちょ……っ、最終回見てよ、澪ちゃん!
あずにゃん、二十歳で双子産んで結婚したって書いてあるよ!
あ……、あんまりだ……。
これはあんまりだよ、あずにゃん……」


「何だよ、この展開……」


「誰得なの? 何得なの……?」


そう言った後で二人でその場に崩れ落ちて、二人ともしばらく肩を落として震えていた。
長い長い間、その場で何も言わずに蹲っていた。
『あずきちゃん』と梓ちゃんには何の関係も無い。
その言葉が二人の耳にやっと届いたのは、夜の闇がかなり深まってからの事だった。
二人にとっては、それほどまでに『あずきちゃん』の展開が衝撃的だったんでしょうね……。
私……、『あずきちゃん』の展開は結構好きなんだけれど……。



110: μ 2012/09/01(土) 19:09:00.47 ID:hnzHRHEQ0






「それじゃあ、次は澪の話よ」


「ま、また……?
前も言ったけど、そんなに怖い話のストック持ってないぞ……。
んー……、じゃあ、また律から聞いた話になるんだけど……」


「先が物凄く読めるけれど、とりあえず話してくれるかしら」


「分かったよ、和。
じゃあ……、話すぞ?

これは高二の一学期が始まるより少し前の話らしいんだけど、
律が例のTさんとある湖畔で遊んでいた時の事らしい。
Tさんが「湖に行ってみたい」って言われて、
それで近場のあの湖を二人で見に行く事になったらしいんだ。
と言うか、水臭いよな、律も……。
湖を見に行くんなら私……、
じゃなくて私達も誘ってくれればいいのにな。

まあ、今はそれは置いておこう。
それで律がTさんと二人で湖の周りを歩いていたらさ、
ある茂みの奥でとんでもない物を目撃しちゃったらしいんだ。
あ、いや、まだ怖い話じゃないんだけどな。
とんでもない物ってのは……、その……、えっと……、分かるだろ?
高二の一学期が始まる少し前って事は、春真っ盛りの時期だろ?
春丸出しの時期だよな?
だから……、その……、春は植物が芽生えて、動物の恋の季節で……。

あーっ、だからさ、律達は見ちゃったんだよ!
春の恋人達が身体とか唇とかを重ねてる所を!
何と言っても、春だもんな……。
野外でそういう事をするカップルも増えてたみたいなんだよ。
流石の律とTさんもそれにはびっくりしたらしくて、
二人で気まずい空気を漂わせたまま無言で湖の周りを散策してたらしい。

勿論、それだけじゃ怖い話にはならないよな。
そう。怖い話はここからなんだ。
律達が無言のままで散策して十分くらい経った頃だったらしい。
不意に湖畔を揺らすような大きな悲鳴が上がったんだ。
悲鳴がしたのはさっきカップル達が情事を行っていた茂みの奥の辺りみたいだった。
変な行為を女の人に強要したんじゃないか、
って一瞬律は思ったけど、放っておくわけにもいかないから駆け付けたらしい。
そういう所、困ってる人を放っておけない律らしいよな……。

それで茂みの奥の話に戻るんだけど、
そこでは半裸の男女が額から血を流して蹲っていたらしい。
死んではいなかったけど、かなりの重傷みたいだった。
「何があったんですか?」って律が聞くより先に、
律の腕がTさんに思い切り引かれてその場に倒れ込んじゃったらしい。
それで「いきなり何をするんだよ」って律がTさんに聞いたら、
Tさんは戦慄の表情を浮かべてある場所に指を差していたんだそうだ。
ある場所って言うのは、律がさっきまで立っていた場所だった。
その場所には手のひらよりも大きな石が落ちていたんだよ。
Tさんが手を引いてくれなけりゃ、その石が律に直撃してたのは間違いない。

でも、何処からそんな石が飛んで来たんだ?
自然にこんな大きな石が飛んでくるはずがない。
しかも、律を狙うみたいに飛んでくるはずがあるもんか。
そう考えた律とTさんは周囲を見渡して、遂にそいつを見つけたんだ。
居たんだよ、茂みの奥よりも更に奥まった場所に……。

ヒューマンガスみたいな仮面を被って、
上半身裸で手に大きな石を持った奇妙な男が……!」



111: μ 2012/09/01(土) 19:12:58.00 ID:hnzHRHEQ0

「ねえねえ、和ちゃん?
ヒューマンガス……って何?」


「映画の『マッドマックス2』に出てくるカリスマ的悪役の名前よ。
どうして澪があの映画の事を知ってるのかは分からないけれど、
多分、律が借りて来たのを一緒に観ていたんでしょうね」


「あ、『マッドマックス2』なら私も知ってるよ!
ヒューマンガスってあの人の名前だったんだー。
私、ジェイソンのお兄さんって呼んでたから、分かんなかったよー」


「あんたも色々観てるのねえ……。
って、唯、それよりも今は澪の話の続きを聞く事にしましょう」


「うんっ、分かったー。
中断させちゃってごめんね、澪ちゃん。
続けてくれていいよー」


「ああ、分かったよ、唯。
それでそのヒューマンガスなんだけど、
律達が自分の姿に気付いたのを認めると、
手に石を持ったまま律達の方に走り始めたらしいんだ。
目撃者の口を封じるつもりなのか、それとも他に理由があるのか、
そのどちらなのかは分からないけど、追い掛けて来る以上、律達はその場から逃げ出すしかなかった。
悪いとは思ったけど半裸のカップルをそのままにして、
Tさんと手を繋いで全速力でヒューマンガスから逃げ回ったらしい。
今までの人生でその時ほど本気で走った事は無かった、って律は言ってた。

でも、それも長くは続かなかった。
律の体力はもう少し残ってたらしいんだけど、
セレブなだけあって、一緒に走ってたTさんの体力が先に尽きちゃったんだ。
Tさんが脚を縺れさせて転んでしまって、
手を繋いでた律も一緒にその場に転んじゃったんだよ。
そうしてる間にもヒューマンガスは二人にどんどん近付いて来ていて、
だからと言って、律はTさんを見捨てて一人で逃げ出す事も出来なくて……。
律達にはもうどうしようもなくなって、
ヒューマンガスが遂に二人の傍で石を持った手を大きく振り上げた時……!


「破ぁ!!」


という甲高い声が湖畔に響いて、
気付いた時にはSちゃんがヒューマンガスに大外刈りを決めていたんだ!
勿論、攻撃はそれだけじゃ終わらなかった。
Sちゃんはヒューマンガスの身体を仰向けに倒して、
その左足首に自分の両足を引っ掛けると、その場で何回転もし始めたんだ。
その技こそまさしくスピニング・トーホールド!
近年、使い手が少なくなってきた技だけど、Sちゃんは本当に見事に極めていたらしい。
あんまりの激痛に耐えられなくなったんだろうな。
ヒューマンガスは悲痛な呻き声を出しながら、
「すみません! リア充を懲らしめたかっただけなんです!
すみませんすみません! 風紀委員気取りでした! 本当にすみません!」、
って、叫んでいたけど、Sちゃんが携帯で呼んだ警察が来るまで解放してもらえなかったらしい。

やっぱりセレブ生まれって凄い。
律は警察に連行されるヒューマンガスを横目に、
スピニング・トーホールドの練習をしながらそう思ったんだそうだ」


「それじゃあ、そろそろ寝ましょうか、唯。
蝋燭も勿体無いものね」


「ほーい」


「ちなみに律が話し終わった後に言ってたんだけど、、
ヒューマンガスはエスパー伊東の様な声をしていたらしい……」



112: μ 2012/09/01(土) 19:13:28.68 ID:hnzHRHEQ0






【ひきこもり8日目】


昨晩、早めに床に就いたせいか、私は五時前に目を覚ましてしまっていた。
一瞬、二度寝をしようかとも思ったけれど、
丁度『戦争と平和』の最終巻に差し掛かった事を思い出した私は、
読書のために布団の上で寝息を立てている唯と澪を起こさないよう居間に向かった。
夜明け前でまだ薄暗くはあったけれど、読書が出来ないほどではない。
それにすぐに陽も上るだろう。
私は居間の扇風機の前に陣取って、『戦争と平和』の読書に取り掛かった。

『戦争と平和』は壮大な物語だ。
登場人物も膨大だし、歴史と関係して重厚な展開が繰り広げられている。
壮大なだけに読み応えもあるし、それだけに胸に強く残り、
読み終えようとしている現在、私の中には深い満足感が生まれ始めている。
……のはよいのだけれど、この物語を読書感想文に選んだのは失敗だったかもしれない。
物語が壮大過ぎて、原稿用紙五枚以内に感想を纏められる自信が一切無い。
いくら何でも無理な気がするわ……。
これは適当に他の本を選び直した方がいいかもしれない……。

そう考えながら私が首を捻っていた時だった。


「う、うわわわわわわわっ!」


不意に澪の動揺した叫び声が上がった。
早朝だからまだよかったものの、
度々そんな大声を出されては、この家に誰かが居る事が気付かれてしまう。
私は『戦争と平和』を扇風機の横に置いて、澪の声がする自室の襖を開けた。


「ちょっと澪、そんな大声を出されたら……」


「ののの和……、ゆ、ゆゆゆ唯が!
唯がああああああ……!」


私の言葉が終わるより先に、澪が私の腕にしがみ付いて来ていた。
大きな胸を力いっぱい押し付けて、その表情は既に半泣きで蒼白だ。
よっぽど恐ろしい事があったのだろうか。
いえ……、そういえば澪は今、「唯が!」って言っていたわね……。
唯に何かが……?
私は眼鏡の位置を直して、澪が指差す唯の方に視線を向けてみる。

唯は静かに寝息を立てていた。
昨晩は九時頃に床に就いたというのに、唯らしくぐっすりとよく寝ている。
一見しただけでは唯の様子に変わりはなく思える。
けれど、澪は全身を震わせながら呻くように呟いていた。



113: μ 2012/09/01(土) 19:13:57.33 ID:hnzHRHEQ0

「ち、ちち血が……。
唯から血が……出てるんだよ、和……」


「出血……って何処から?
見た所、唯は落ち着いてるみたいだし、外傷は無さそうに見えるけれど」


「……花園から」


「えっ? 何処?」


「唯の……秘密の花園から……」


「何処よ、それ……」


私が若干呆れて訊ねると、澪は唯の下腹部の辺りを指差した。
そこでようやく私は気付いた。
澪の言う通り、唯の下腹部の女性器付近から出血している事に。
唯に何が起こったのか?
それを考える事こそ私がするべきだったのだろうけれど、
何より先に私は澪の顔を見ながら呟く事しか出来なかった。


「秘密の花園って、澪……」


「な、何がおかしいんだよ、和。
秘密の花園は秘密の花園だろ?
他にどんな呼び方があるんだよ……。
まさか、和……」


「普通に女性器って呼べばいいじゃないの。
秘密の花園よりはよっぽど一般的な呼び方だと思うわよ?
まあ、律の女性器の呼び方は絶対に違うと思うけれど」


「そ、そうだな……。
確かに律の秘密の花園の呼び方は……、あー……。
……って、そんな事はどうでもいいんだよ、和。
唯の奴、秘密の花園から血が出てるんだよ!
何があったのかは分からないんだけど、異常事態じゃないのか?
ひょっとしたら、痒かったから掻き過ぎて出血しちゃったとか……」


「いくら唯でもそれは無いわよ、澪。
出血するほど女性器を掻くなんて笑い話にもならないわ。
それに唯ったら布団に染みを作るくらい出血してるじゃない。
引っ掻き傷で出来た傷からだったら、ここまでの出血にはならないんじゃないかしら」


「だ……、だったら、何なんだよ、和。
それ以外にこんなに血が出る理由なんて……、あっ!」


小さな叫び声を上げた後、澪が急に私の腕から離れた。
何故か胸元を二の腕で隠しながら、上目遣いになって頬を赤く染める。



114: μ 2012/09/01(土) 19:14:34.38 ID:hnzHRHEQ0

「まさか和……、遂に唯との本懐を遂げたんじゃ……?
眠っている私の横で愛し合う全裸の二人は、
手を重ね、肌を重ね、唇を重ね、秘密の花園を重ねる……。
燃え上がる二人の艶めく指はお互いの秘密の花園の奥に奥に進み、
お互いが少女であった証を、想いを遂げ合った証として突き破る……。
結果、唯の秘密の花園からは破瓜の血が……!」


「落ち着きなさい、澪。
処女膜が破れてもそんなに破瓜の血は出ないらしいわよ。
布団に染みを作るくらいの大量の破瓜の血なんて、幻想だって話を聞いた事があるわ。
大体、もし私と唯が本当に性交したとしても、
破瓜の血をそのままにしておくはずがないでしょ?」


「それは……そうなんだけど……。
でも、それじゃ、この唯の血は……」


「ちょっと待って、澪。
何か臭わない?」


「臭う……って、私達の汗の臭いじゃなくて血の臭いだよな?
そりゃ、血が出てるんだから、血の臭いくらいは……」


「違うわ、そうじゃないのよ、澪。
血の臭いは勿論するけど、その中に変な臭いが混じってると思わない?
血の臭いは血の臭いなんだけど、ただの血の臭いとは違うような……。
って、あっ……」


「ただの血の臭いとは違う血の臭い……?
……ああっ!」


二人で軽く叫んでから、私達は唯の女性器に視線を向ける。
この量の出血、ただの血の臭いとは異なる臭い、
今も変わらず呑気に寝息を立てている唯の様子……。
これだけの条件が揃えば、女性なら誰でもすぐ辿り着ける答えがある。
つまり……。


「経血ね……」


「生理になったのか、唯……」


私、澪の順で肩を落として呟く。
そうだ。完全に失念してしまっていたわ。
女性器からの出血なんて、経血と考えるのが基本中の基本なのに……。
どうして私達はこんなに遠回りをしてしまったのかしら……。
澪の勘違いのせい……と言いたい所だけれど、必ずしもそうとは言い切れない。

澪と二人で顔を見合わせてみる。
早朝だと言うのに、二人とも汗だくで、
集中しなければ経血の臭いにも気付けないほど汗を掻いていた。
今まで自覚こそしていなかったけれど、
このひきこもり生活でかなり消耗してしまっていたらしい。
私の両親がハワイから帰って来るまで約一週間。
私達は誰にも気付かれずにひきこもり続ける事が出来るのだろうか……。


「わあっ……、やっぱりあずにゃんって生えてなかったんだー……」


恐らくは自分が生理になったという事にも気付かず、唯は幸せそうな寝言を呟いていた。
その姿を見ながら、ひょっとすると、と私は思った。
ある意味、ひきこもりのプロである唯だ。
このくらいのひきこもり生活なんて、そんな唯には大した事では無いのかもしれない。



117: μ 2012/09/06(木) 18:47:47.91 ID:Yxg6rKLQ0






「ほら、次は唯が怖い話をする番だぞ」


「あ、もう私の番?
うーん……、何かあったかなあ……。
あ、一つあったあった。
怖い話と言うか、不思議な話なんだけど、その話をするね。

ねえねえ、いきなりだけど私と憂ってよく似てるでしょ?
皆からそう言われるし、私自身もそう思うんだけどね。
だって、憂が髪を下ろしたら本当に鏡の中の私とそっくりなんだもん。
もしかするとね、自分の顔を見てた時間より、
憂の顔を見てた時間の方が長いかもって思うんだ。
だって、そうでしょ?
自分の顔は鏡を見ないと見れないけど、
憂の顔は見ようと思ったらすぐに見れるもん。

それでね、不思議な話っていうのはね、私が小学四年生の時にあった事なんだ。
その日はね、日曜日で学校もお休みで、
和ちゃんも用事があるって言ってた日だったから、私は朝の十時過ぎまで寝てたんだよね。
お休みの日のお寝坊って気持ちいいもんねー。
それで私は着替えてから朝ごはんを食べようと思って階段を降りたんだ。
一階では憂が朝ごはんの用意をして待っててくれたんだけど、
お父さんとお母さんの姿は見えなかったんだよね。
まあ、お父さん達はお休みの日は二人でよくお出掛けしてるし、
今日もそうなんだろうなあ、って私は別に気にせずに食卓の椅子に座ったんだ。

「おはよう」って私が声を掛けたらね、
憂がちょっと笑ってから私の椅子の隣に座ったんだけど、何か変だな、って思ったんだ。
だって、憂は私が朝ごはんを食べてる時は台所に立って、
私がごはんを食べるのを嬉しそうに見てくれてる事が多かったんだもん。
私ね、今日の憂は甘えん坊さんなのかなー?
って思いながら目を向けたんだけど、憂がいつもと違うリボンをしてる事に気付いたんだ。
いつもしてる黄色いリボンじゃなくてね、青っぽい感じのリボン。
憂が青いリボンをする事なんて滅多に無いから、私、訊いたんだよ?
「今日のリボン、いつもと違うね、憂」って。

でもね、憂は何も言わないで、ニコニコしてるだけだったんだ。
私の顔をじっと見てね、何も言わずに楽しそうに……。
何だかよく分かんなかったんだけど、
今日はそういう気分の日なんだろうって思ったから、
私はしばらく憂の好きにさせてあげる事にしたんだよね。
たまには憂がのんびり出来る日があってもいいもんね。
その日は予定も無かったし、一緒にのんびりしようって思ったんだ。

朝ごはんを食べ終わってから二時間くらい経ったかな?
二人で何もせずにゆっくりのんびりテレビを観てたんだけど、
外で車が停まる音がしたと思ったら、家の玄関の扉が開いた音がしたんだ。
お父さん達が帰って来たのかも。
私はそう思ってソファから立ち上がろうとしたんだけど、
いきなり憂に私の腕を服の上から掴まれて、悲しそうな表情をされたの。
まるで『行かないで』って言ってるみたいな顔だったな……。

二人の時間が終わっちゃうのが嫌なのかな?
って思って、私は悲しそうな顔の憂に言ったんだ。
「大丈夫。お昼ごはん食べたら、二人で公園に遊びに行こうよ」って。
それでも憂は悲しそうな顔のままで、
私の腕から手のひらの方に自分の手を動かして、私の手をぎゅって握ったの。
その時ね、私は変な感じがしたんだ。
憂とは何度も手を繋いだ事があるよ。
お風呂だって一緒に入るし、同じ布団で寝る事も結構あるもん。
でもね、その時の憂の手はね……、憂の体温はね……。



118: μ 2012/09/06(木) 18:48:36.56 ID:Yxg6rKLQ0

「ごめんね、唯ー。
お留守番ありがと、お昼ごはんすぐに用意するからね」


急にお母さんの声が聞こえて、私ははっとしたんだ。
憂の手の事を考えてたら、いつの間にかお母さん達が家の中に帰って来てたんだ。


「おかえりなさい、お父さん、お母さ……」


そう言おうとしたんだけど、その言葉は途中で止まっちゃた。
私、その時、すっごくびっくりしてたと思う。
だって、玄関の方の扉から、お父さん達と一緒に憂が帰って来てたんだから。
私ね、何が何だか分かんなくなっちゃって、
胸をドキドキさせながら、今まで一緒に居たはずの憂が居る場所に目を向けたんだ。
その場所……、私の隣のソファにはね、誰も居なかったんだ。
さっきまで確かに憂が座ってたはずなのに、何処にも姿が見えないの。
あ、正確に言うと憂はお父さん達の後ろに居たんだけど、そういう意味じゃなくて……。
『さっきまで私と一緒に居たはずの憂』がいつの間にか居なくなっちゃってたんだよね。



119: μ 2012/09/06(木) 18:49:03.90 ID:Yxg6rKLQ0

でもね、お父さん達の後ろに居る黄色いリボンをした憂の姿を見てたら、
私、思い出した事と気付いた事があったんだ。
思い出した事はね、その日の前の日にお母さんから聞いた話の事。


『明日の朝はお父さんとお母さんと憂で買い物に行くから、ちょっとお留守番してて。
朝ごはんは用意しておくから、目が覚めたら食べておいてね』


私、すっかり忘れちゃってたんだよね、その日の前の日にお母さんにそう言われた事。
そうなんだよ、和ちゃん、澪ちゃん。
その日の朝は私しか居ないはずだったんだよ。
でも、私しか居ないはずなのに、何故か家の中には憂が居て、
別の憂がお父さんとお母さんと一緒に家に帰って来たって事なんだ。

これってどういう事なんだろう?
そのヒントかもしれないのが、その話を思い出した後で気付いた事なんだよね。
憂に手のひらを握られたって言ったでしょ?
私ね、その時の違和感の正体に気付いたんだ。
何が変なのかって言うとね、憂の体温が私と全く一緒だった事なんだ。
いくらそっくりって言っても、私と憂の体温は全然違うもん。
憂は私より体温が低いから、夏なんか触らせてもらうと気持ちいいんだよ。
でも、その時の憂の体温は私と完全に一緒だったの。
自分の手が自分の手に握られてるみたいに。

後、もう一つ。
その時は気付かなかったんだけど、ずっと後になって気付いた事があるんだ。
憂が青っぽいリボンね……、私がお父さんから貰った物だったの。
ずっと後になって私の部屋の中から見つけたから、間違いないよ。
私だってたまにはリボンくらいするもんね。
つまり、憂じゃなくて、私が貰ったリボンを、憂がしてたって事になるよね?
ねえ、和ちゃん、憂がそんな事をすると思う?

ううん、その日、私と一緒に居たのは憂じゃなかったんだと思う。
憂じゃなくて、私と同じ体温をしてて、一言も喋らなくて、
憂の黄色いリボンじゃなくて、青っぽい感じのリボンをしてる私にそっくりな子。
その子……、もしかしたら……。
まあ、今でも正体がはっきりとしてるわけじゃないんだけどねー。
これで私のお話は終わりだよ。
怖い話じゃなくて、不思議な話だったけど、聞いてくれてありがとね」


「ゆ……唯、それってドッペルゲンガーなんじゃ……。
よ、よく生きてたな……。
ほら、よく聞くだろ?
ドッペルゲンガーの姿を見た者は死んじゃうって……」


「もう澪ちゃん、折角ぼかしてたのにー。
こういう話は結末をぼかした方が怖くなるって憂が言ってたのにー……」


「いいえ、安心しなさい、唯、澪。
それはドッペルゲンガーと言うより、自己像幻視かもしれないわ。
たまに脳が混乱して起こる事があるらしいのよ。
不意に自分がもう一人居るような感覚を覚える事がね。
特に唯の場合、自分にそっくりな妹が身近に居たわけだから、
自分がもう一人や二人居てもおかしくないって脳が捉えてる可能性もあるわ。
他者と自己の不分化といった所かしら。
幼年期には意外とありがちな事よ」


「和ちゃーん……。
怪奇現象を真面目に分析されると、すっごく恥ずかしいよう……」



120: μ 2012/09/06(木) 18:49:35.00 ID:Yxg6rKLQ0






【ひきこもり9日目】


「もう我慢出来ないよ、和ちゃん……」


「駄目よ、唯……。
それ以上はいけないわ、我慢しなさい」


「無理だよ!
だって、こんな感覚を私に教えたのは和ちゃんなんだよ?
もう……本当にどうにかなりそうなんだよう……!」


「それは悪かったと思ってるわ、唯。
でも、仕方ないのよ。こうするしかないじゃないの。
あんた、自分の状態が分かってるの?
これ以上はいけないの、分かってるでしょ?」


「でも……、でもぉ……。
こんなの初めてで、私だってこんな感覚に戸惑っちゃってて、
こんな感覚を知っちゃったら、もう元の生活に戻れないよう……。
和ちゃん、責任取ってよう……」


「責任は勿論感じているわ。
けどね、唯、あんただって了承しての事だったじゃない。
その感覚はあんた自身でどうにか解決しなければいけないものなの。
だから、それ以上いけないわ」


「やだやだ!
もうこんなの耐えられないよ!
こんな切なさを感じるくらいだったら、パンツなんて……!」


「駄目よ、唯!
そのショーツを脱いだら……って、ああ……。
あんたって子は……」


「えへへ、脱いじゃった。
はー、やっぱり気持ちいい……。
裸で過ごすのに慣れちゃったら、もう服なんてくすぐったくて着れないよねー……」


「その感覚は理解出来るけれど、今あんた生理なんだから……。
ほら、経血が床に垂れちゃってるじゃないの……」



121: μ 2012/09/06(木) 18:50:06.06 ID:Yxg6rKLQ0

呆れ顔で私は床に垂れた唯の経血を雑巾で拭いた。
家では全裸で生活している私だ。
床に垂れた経血の処理は私なりに慣れているつもりだ。
唯は私のその姿を見て、少し申し訳なさそうに頭を掻いていた。

そもそもは唯が久々に穿くショーツをくすぐったいと言い出した事が発端だった。
この家に住む以上は私としても唯に全裸で居てほしかったのだけれど、
唯が生理になってしまった以上、唯にはショーツを穿いてもらうしかなかった。
勿論、生理用品のナプキンをちゃんと固定するためだ。
構造上、ナプキンは下着と共に装着するしかない。
それで唯にショーツを穿く事を渋々許可したのだけれど、
この一週間以上にも及ぶひきこもり全裸生活に唯は適応してしまったらしく、
衣服で肌が擦れる事をくすぐったがり、殊更に嫌がるようになってしまったのだ。
唯の気持ちはよく分かる。
私も長い夏休みを終えた後に衣服を着用すると、
くすぐったくて仕方が無い事は多々あったものね。
けれど、私だって生理の時にはちゃんと下着を穿いていたのだ。
こればかりは唯に耐えてもらうしかない。

私は小さく嘆息すると、腰に両手を当てながら唯に言った。
ちなみに丁度タイミングが悪かったらしく、唯の膣口からは経血がかなり垂れている。


「分かって、唯。
ショーツがくすぐったいのは私にもよく分かるわ。
でも、経血を垂らしっぱなしにするわけにはいかないでしょ?
太股に垂れると洗い流しにくいしね。
こればかりはお願いよ、唯。
ちゃんとショーツを穿いて、お願い」


「えー……、でもー……」


唯が嫌そうに目を逸らし、その場に座り込まった。
そうされると更に床が経血で汚れてしまう。
どうしたものかしら……、と私が首を捻っていると、
不意に澪が左手に持ちながら居間に踏み込んで来て言った。


「なあ、和、こんな物見つけたんだけど……」


「突然何よ、澪……って、あっ」


私は感嘆の声を上げてしまっていた。
澪の左手に持たれている物を見て、目から鱗が落ちる気分になったからだ。
そうね、これを使えば条件はクリア出来るわ。
澪が持って来たのは生理用品のタンポンだった。
私は基本的にナプキンを使うから、恐らく私のお母さんがたまに使っている物だろう。
何度か自宅で見た事があるしね。
しかも、澪も何度かタンポンを使った経験があるのか、
タンポン挿入補助具のアプリケーターも持って来てくれていた。

これは好都合ね。
そう思った私は座り込む唯の肩を優しく叩いて言った。


「朗報よ、唯。ショーツを穿く必要は無いわ。
代わりにこれを挿入なさい。
これを挿入すればショーツ無しで好きに動き回ってくれても構わないわよ」


「えっ、本当?
……って、何それ?」



122: μ 2012/09/06(木) 18:50:36.12 ID:Yxg6rKLQ0

「タンポンよ、生理用品のタンポン。
あんた、知らないの?」


「うん、それに挿入って何処に挿入するの?
ひょっとして私のアソコに……?」


「あんたもあんたで古い女性器の呼び方ね……。
まあ、そのままの名前で呼びそうな律よりはマシでしょうけれど。
とにかく、そうよ、唯。あんたのアソコ……、女性器に挿入するの。
タンポンはナプキンと同じく吸収力に優れた素材で出来ていて、
あんたの経血を存分に吸い取ってくれるから、安心して挿入なさい」


「うーん……、でも、痛くないの、それ?」


どうかしら? と私はつい首を捻ってしまった。
私もそうタンポンを挿入した経験があるわけではないものね。
タンポンを挿入するのは生理なのに激しい運動をする場合くらいだもの。
例えばマラソン大会とか、そういう時くらいかしら。
その時に痛みを感じた記憶はあまり無いけれど、体質的なものかもしれないしね……。
唯にも自身の肉体で経験してもらうしかなさそうね。

私は唯の頭に軽く手を置き直してから続ける。


「とにかく、あんたの選択肢は二つよ、唯。
ショーツを穿いてナプキンを着用するか、
それとも、タンポンの初挿入に挑戦してみるか。
どっちでも構わないから、あんたの好きな方を選びなさい」


「うーん……、パンツはくすぐったいからやだし……。
じゃあ、タンポンってやつでお願いします!」


「分かったわ。
それなら、ほら……」


私は澪からタンポンとアプリケーターを受け取り、唯に手渡す。
これで問題も解決ね、と安心していたら、唯が不思議そうな顔で首を傾げた。


「どうやって使うの?」


「ああ、ごめんなさい、唯。
確かに初めてじゃ分からないわよね。
だったら、澪に説明書を持って来てもらうから……。

って、無理ね。あんた説明書読めないものね。
分かったわ、私が説明してあげるからその通りに挿入なさい」


「えー……?
よく分かんないから、和ちゃんが挿入してよう……」


「わ、私がっ?
って、何となくあんたならそう言う気がしてたわ。
仕方ないわね……、今回だけ特別に私が挿入してあげる。
次からは自分で出来るようにしっかり覚えるのよ?」


「ほーい」



123: μ 2012/09/06(木) 18:51:03.20 ID:Yxg6rKLQ0

唯が普段通りのやる気があるのか無いのか分からない声を上げる。
瞬間、私は嫌な気配を感じて振り返ってみた。
振り返ってみた先では、予想通り澪が頬を赤く染めて私達を見つめていた。


「ああ、やっぱり唯と和はそういう仲なんだ……。
誤魔化してるけど、やっぱり二人は愛し合ってる幼馴染みなんだな。
だって、そうじゃないか……。
私だって、律とタンポンの挿れ合いなんてした事無いのに……。
羨ま……けしからん、けしからんな……」


普通、タンポンの挿入し合いはしないんじゃないかしら、
と思いつつも、この澪の反応もある意味予想通りだったから放置する事にした。
私は出来るだけ澪を気にしないようにしながら、タンポンの紐を引っ張って伸ばしてみる。
うん、これなら内部で切れる事はなさそうね。
頷きながら、次にアプリケーターの中にタンポンを入れて、唯に声を掛けた。


「じゃあ、唯、股間を広げてくれるかしら?
そうそう、膣口がしっかり私に見えるように太股を手で持って」


「こ、こう……?
私、身体固いから結構辛いよ、和ちゃん……」


「うわっ、М字開脚だ……!
そこまでやらせられるなんて、和達はどれだけ進んだ仲なんだ……!」


私が唯に脚を開かせると、澪がまた黄色い声を上げて頬を染めていた。
いい加減静かにしてくれないかしら、この荒淫なクラスメイト……。
いけないいけない、今は澪の事を忘れないと……。
私は左手で唯の大陰唇を開きながら、右手で唯の膣口にアプリケーターを当てる。


「いい、唯?
息を吐きながら力を抜くの。決して力を入れちゃ駄目よ。
奥まで挿入するわけじゃないから安心して私に身を任せなさい。
ほら、息を吐いて、唯」


「分かった!
ヒッヒッフー……、ヒッヒッフー……」


「それはラマーズ法ね……。
まあ、それで力が抜けるんなら別にいいわ。
じゃあ、タンポンを挿入するわよ、唯。

……どう?
アプリケーターの目安まで挿入したけれど、違和感があるなら言いなさい。
変な感覚があったら失敗なんだから、言ってもらわないとこっちも困るわ」


「う、うん、意外と痛くないよ、和ちゃん。
その位置で大丈夫だと思う……!」


「よしよし、いい子ね、唯。
じゃあ、アプリケーターを抜くから、最後に少しだけ膣に力を込めなさい。

……うん、そう、そうよ。
後は紐を膣口から垂れるように伸ばして……、
ほら、これでタンポンの挿入は終わりよ、よく頑張ったわね、唯」


「ありがとー、和ちゃん!
初めてなのに上手くいったよ!
和ちゃんってタンポン挿れるの上手なんだね、凄い凄い!」



124: μ 2012/09/06(木) 18:52:28.92 ID:Yxg6rKLQ0

嬉しそうに言いながら、唯がその場で軽く飛び跳ねる。
それでも、唯の膣口からタンポンが飛び出したり、唯自身が痛がったりはしなかった。
どうやら完璧な場所にタンポンを挿入出来ているらしい。
初めてなのに、我ながら上手に挿入出来たものね……。
澪が後ろでまた何かを呟いていたみたいだけれど、
私はそれを無視して心地良い疲労感を全身で感じる事にした。

数秒間、素晴らしい満足感が全身を駆け巡る。
でも、すぐに何だか嫌な気分が全身に湧き上がって来てしまっていた。
嫌な気分の原因は唯の膣口から垂れるタンポンの紐だった。
膣口から垂れているその紐は私に何とも形容し難い不快感を湧き上がらせる。
タンポンの仕様上どうしようもないとは言え、
他人の膣口から妙な紐が垂れている光景は気になって仕方が無い。
その気持ちは澪も同じようだった。
不快そうな表情を浮かべ、私に視線を向ける。
『あれ、どうにかならないか?』とその視線は間違いなく言っていた。

唯もその私達の不快な表情に気付いたらしい。
自分の膣口から垂れるタンポンの紐に手を伸ばしながら苦笑した。


「あ、やっぱりぶらぶらしてると何か気持ち悪いよね?
どうにかした方がいいよね……。
でも、ふっふーん!
私、今、いい事を考えちゃったのです!
二人ともちょっと待っててね!」


その言葉が終わるか早いか、唯は居間から駆け出して行ってしまった。
澪と二人で顔を合わせて首を傾げ合っていると、
約一分後にひどく嬉しそうな表情の唯が戻って来て、
右手を前に出して左手を腰に当てた得意気なポーズを取った。


「じゃじゃーん!」


一見しただけでは何処が変わってるのか分かりにくかったけれど、
唯がタンポンの紐をどうにかした方がいいと言った以上、その女性器付近に何らかの変化が生じているのだろう。
私と澪は肩を竦めながら唯の女性器を確認してみる。
そうする事で、私達はやっと唯のその変化に気付く事が出来た。


「絆創膏って……」


澪がまた残念そうな表情で肩を落とした。
そう、唯の膣口付近には少し大きめの絆創膏が貼られていたのだ。
こうすれば確かにタンポンの紐が目立つ事はない。
ないのだが、澪にはそれが不満なようだった。



125: μ 2012/09/06(木) 18:52:55.75 ID:Yxg6rKLQ0

「なあ、唯……。
それは流石に無いんじゃないか?
秘密の花園に絆創膏を貼るなんて変だろ、流石に……」


「ええーっ……。
私はいいって思ったんだけどなあ……。
和ちゃんはどう思う?」


「そうねえ……、悪くないんじゃないかしら」


「悪くないのっ?」


澪が驚いた声を上げ、呆れた表情でその場に座り込んだ。
私は軽く微笑んでから澪の肩を軽く叩く。


「こうすればタンポンの紐は目立たないわ。
唯にしてはとても合理的な判断じゃない。
それに女性器を絆創膏で隠した姿……、前に本で見た事があるわ」


「どんな本を読んでるんだよ、和は……」


「普通の文芸書なんだけどね。
でも、文芸書を甘く見ては駄目よ、澪。
障子を勃起した男性器で突き破るような文芸書も一般向けに出版されてるんだから」


「文芸書怖い……。
私、読むなら普通の『赤毛のアン』とかがいい……」



126: μ 2012/09/06(木) 18:53:24.14 ID:Yxg6rKLQ0






「じゃあ、次は和ちゃんの怖い話の番だよ」


「分かったわ、私の怖い話の番ね。
私の怖い話は……。

………。
……。
…。

………………」


「ど、どうしたの、和ちゃん?
お腹でも痛いの?」


「無いわ」


「ほへ?」


「二人には悪いけれど、もう無いのよ、怖い話。
ごめんなさい、二人とも。
次の出番までには家の本で仕入れておくわ」


「おいおい、和……。
それはちょっと……」


「違うよ、澪ちゃん!」


「な、何だよ、唯。
急に大きな声を出すなってば……」


「よく考えてよ、澪ちゃん!
皆の辞書くらい物知りなはずの和ちゃんなのに、
お婆ちゃんの知恵袋みたいな和ちゃんなのに、
そんな和ちゃんの頭の中にもう一つも怖い話が残ってないなんて……。
こ、怖い……、怖いよ、澪ちゃん……。
和ちゃんに何が起こってるのか分からなくて怖いよう……」


「た、確かに怖いな……。
和の頭の中で一体何が起こってるんだ……。
ひ、ひええええ……、私もすっごく怖くなってきた……」


「あんた達、私の事を何だと思ってるの。
私にはそれが怖いわよ……」



132: μ 2012/09/11(火) 20:01:36.71 ID:xVTWQh8i0






【ひきこもりまくり】


陽も暮れかけた頃、やっとの事で私は『戦争と平和』を読み終わえられた。
この物語をどう読書感想文に纏めようかと頭を捻っていると、
不意に携帯電話が振動する音が居間のテーブルの上から聞こえて来た。
この振動のリズムパターンは……、唯の携帯電話ね。
唯もそれに気付いたらしい。
唯はウクレレを弾くのを中断して、
絆創膏以外は全裸という恰好のままで自分の携帯電話に駆け寄る。
携帯電話を手に取って画面に表示された名前を確認すると、嬉しそうな声を上げた。


「あずにゃんからだ。
わあっ、何だろ、何だろー?」


唯がそう言いながら携帯電話の通話ボタンを押そうとしたのを私は見逃さなかった。
私は瞬時に唯まで駆け寄って、携帯電話を持っているその右手首を私の右手で掴む。
そのままかなり久し振りに、唯の口の中に私の左手の指を五本捻じ込んだ。
唯は突然の事に動揺してるらしいけれど、
私は若干呆れながらも嘆息がちに言ってみせた。


「駄目よ、唯。
こちらから掛けるのは構わないけれど、
誰からの物でもあちらからの着信には出ちゃ駄目よ、って教えたでしょう?
前も説明したはずだけど、あんたが電話を取ってしまったら、あちらに通話料金が掛かってしまうじゃない。
その電話を掛けて来た誰かに何かの拍子でその通話料金を確認されてごらんなさい。
ハワイに掛けたはずなのに、電話料金が妙に安いって事に気付かれてしまったらどうなるかしら?

そうね、どんな鈍い子でも簡単に気付くはずよ。
私達がハワイに居るっていう話は嘘で、本当は日本国内の何処かに居るんじゃないか、って。
いいえ、もしかすると、その通話料金から逆算されて、
私達が同じ県内に居る事すら気付かれてしまうかもしれないわ。
だからね、私達の方が電話に出るわけにはいかないの。
分かってくれるわよね、唯?」


私が念を入れてその瞳を強く見つめると、
唯も私の言おうとしている事をどうにか分かってくれたらしい。
残念そうな表情で小さく頷き、自分の携帯電話をテーブルの上に置き戻してくれた。

私は唯の口の中から指を引き抜いてから、
震え続けるテーブルの上の唯の携帯電話を唯と二人で静かに見つめる。
意外にもそれからかなり長い間コールは続いていた。
軽く六十コール程度した頃、やっとの事で携帯電話の振動が止まった。
異常に長かったわね……。
それにしても、あの梓ちゃんがそんなにも唯と話したいとは思わなかった。
傍目からでは拒絶しがちに見えたけれど、案外と唯の事を気に掛けているという事なのかしら?
まあ、唐突に合宿の予定をキャンセルして、
ハワイに十日以上滞在している先輩の事なんて、誰でも気になるものかもしれないけれどね。


「何だ? 誰からの電話だ?
また憂ちゃんからの電話か?」


あまりにも長くコールが続いていたのが気になったのだろう。
ついさっきで読んでいたのか、手に『あずきちゃん』の単行本を持って澪が姿を現した。
私は知っている。
深夜、澪が私達に隠れてあずきちゃんのビデオを観ている事を。
そして、私達に隠れて感動の涙を流している事を。
気に入ってもらえたようで何よりね。



133: μ 2012/09/11(火) 20:02:27.47 ID:xVTWQh8i0

「ううん、違うよ、澪ちゃん。
さっきの電話はあずにゃんからだよ。
何の用事だったんだろうね……?」


唯が悲しそうな表情で澪の言葉に応じる。
その言葉を聞いてすぐ、澪もその表情を少しだけ曇らせた。
小さく口を開いて呟く。


「そっか……、そういえばもう合宿やってる時期なんだよな……。
そういえば、律からメールで聞いたんだけど、
結局、三人でムギの別荘で合宿する事になったらしいしな。
梓達、三人で上手くやってるかな?
特に梓は律の事をまだ苦手にしてるみたいだから、ちょっと不安なんだよな。
前みたいに突然部を辞めるなんて話にならないといいんだけど……」


「ええっ、そんなの嫌だよ、澪ちゃん……。
私、あずにゃんとずっと部活をやってたいよう……。
あずにゃん、やっと可愛い顔で笑ってくれるようになって来たのに……」


「ご、ごめんな、唯。
私、不安を煽る様な事、言っちゃったな……。
でも、きっと大丈夫だよ、唯。
律だけだと暴走するかもしれないけど、ムギが傍に居るんだしな。
ムギなら律の暴走を止めてくれるだろうし、
それにああ見えて律だって皆の事を考えてくれてる奴だからさ。
きっと律だってやっと出来た後輩の梓の事を大切に思ってるはずだよ」


「そうだよね……!
りっちゃんならきっとあずにゃんにいい先輩で居てくれるよね!」


唯が自分に言い聞かせるように呟き、それに応じるように澪が頷く。
それから二人して私の顔の方に視線を向けた。
責める風でもなく、懇願する風でもなく、ただ少しだけ寂しそうに……。
二人が何を言いたいのかくらい、私にもすぐに分かった。
私は軽く微笑んでから、猫背がちな二人の肩にゆっくりと手を置く。


「梓ちゃんに電話してもいいわよ、二人とも。
私が止めたいのはあちらからの着信に出る事だけだもの。
好きなだけ電話してくれていいわ。
こんな奇妙な同棲生活をする事になった一因は私にあるわけだし、
私だって生徒会役員として軽音部の合宿がどうなってるか興味あるもの。
律ならきっと大丈夫だと思うけれど、確認のために電話してみましょう、唯、澪」


「……うんっ!」


唯が嬉しそうに頷いて、テーブルの上の携帯電話を手に取った。
澪も嬉しそうな表情になって、でも、一つだけ言った。


「あ、携帯はハンズフリーモードにしてくれないか、唯。
だって、皆で一緒に話したいだろ?
多分、梓の傍には律もムギも居るんだろうし、
だったら、部室に居る時みたいにさ、皆でいつも通りに話そうよ」


「いいね、それ!
私と澪ちゃんと和ちゃんとあずにゃんとりっちゃんとムギちゃん、皆で話そう!」


私も? と訊ねるより先に唯が梓ちゃんに電話を掛け始めていた。
意外と行動の早い子ね……。
でも、別に悪くない考えだった。
唯達と旅行しているという設定上、私も唯の傍に居た方が自然だ。
唯の失言を防ぐ事も出来るし、何と言っても私も律達と話してみたかった。
うん、全然悪くない……、いいえ、とてもいい考えだと思うわ。

唯が携帯電話をハンズフリーモードに切り替えて四コールほどしただろうか。
そう会話を交わした事があるわけではないけれど、
何故か耳に残る声をしたあの子の声が、電波に乗って私達に届いた。



134: μ 2012/09/11(火) 20:06:59.76 ID:xVTWQh8i0

「もしもし?
唯先輩? 聞こえてますか、唯先輩?」


久し振りに聞けたその声にいたく感激したらしく、
唯は輝くような笑顔になって普段よりも更に甲高い声でその言葉に応じた。


「うんうん、ちゃんと聞こえてるよー。
本当に久し振りだよね、あずにゃん!
元気だったー?」


「元気かと言われたら、まあ、元気ですけど……。
って、お時間は大丈夫なんですか?
さっき電話した時は繋がらなかったから、海にでも行ってるのかな、って思ってたんですけど」


「あ、うん、時間は大丈夫だよ。
さっきはちょっと用があって外に出てただけなんだ。
それにあずにゃんと電話が出来るんなら、ちょっとした用があってもキャンセルしちゃうよ!」


「そ、それはどうも……。
って、それよりも唯先輩、酷いじゃないですか!
急に合宿の予定をキャンセルして、勝手にハワイに行っちゃうなんて。
あんまり突然過ぎるんで、憂も律先輩もムギ先輩も呆れるより先に心配してましたよ?
こう聞くのも変なんですけど、唯先輩、大丈夫なんですよね?
変な事に巻き込まれてたりしませんよね……?」


梓ちゃんって意外と頭の回る子なのね……。
それとも、梓ちゃんのように考える方が自然なのかしら?
散歩に出た当日、偶然出会った友人家族のハワイ旅行に同行する事になった。
……なんて、やっぱり少しだけ不自然だったのかしら?
でも、多少不自然だろうと、私は……私達はこの嘘を貫き通すしかない。

気が付けば、唯が変な汗を掻いて小刻みに震えていた。
何となく視線を向けてみれば、女性器に貼られた絆創膏が汗に濡れてはがれそうになっていた。
どれだけ動揺してるのよ、唯……。
昔から嘘を吐く時には多汗症な所があった子だけれど……。

私は一息嘆息してから、唯の頭を軽く撫でてあげた。
それで少しだけ落ち着く事が出来たのか、
相手から見えもしないのに大袈裟な身振り手振りを交えながら、どうにか言葉を続けた。


「や、やだなー、あずにゃん。
変な事ってどんな事に巻き込まれるって言うの?
私達、普通の高校生なんだから、そうそう変な事に巻き込まれたりしないよー!」


「それもそうなんですけどね……。
でも、唯先輩の声が元気そうで安心しました。
少なくともその様子たと元気な事には間違いないでしょうから、信じてあげます。
ハワイのお土産、ちゃんと買って来て下さいね?」


納得のいかない口振りではあったけれど、最後には語調に柔らかさが混じっていた。
その真偽がどうであれ、唯の言葉を信じる事に決めてくれたのだろう。
二人が順調に信頼関係を築けてるって証拠なんでしょうね。
部に所属していない私としては、それがちょっと羨ましい。

それにしても、そう言えばお土産の事を全く考えていなかった。
そうよね……、ハワイに行ったという事にしている以上、お土産を用意しておかなければいけないわ。
お父さん達に連絡して買ってもらうのも手間になるし、通販で探してみようかしら……?



135: μ 2012/09/11(火) 20:07:32.17 ID:xVTWQh8i0

「えへへ、ありがと、あずにゃん。
ハワイのお土産はちゃんと探しとくね。
でも、お土産だったら、あずにゃん達の方もよろしくね。
そっちは昨日から合宿なんだよね?
合宿のお土産、楽しみにしてるよー」


唯も落ち着いたようで、笑顔を交えて話を続けられているみたいだった。
この調子なら問題なく電話を終える事が出来そうね。
私が横から駄目出しをする必要も無さそうで何よりだわ。

また梓ちゃんの苦笑交じりの声が聞こえる。


「合宿のお土産ですか?
そう遠くに来てるわけではないですし、
初めての土地なんでいい名物があるかは分からないですけど、後でムギ先輩に訊いてみますね。
それよりもですね、合宿のお土産と言えば、
何よりもやっぱり上達した私達の楽器の腕前だと思うんですよ。
そのための合宿なわけですし、上達した私達の演奏で唯先輩も澪先輩もびっくりさせたいですから!」


「えへへ、楽しみにしてるよー。
ねえねえ、ところであずにゃん、皆とは楽しくやってる?
あ、楽しいのは心配しなくても大丈夫だろうけど、練習は出来てるのかなー?
りっちゃんの事だから、一日目は思い切り遊んじゃったんじゃないのー?」


唯が悪戯っぽく笑いながら梓ちゃんに訊ねる。
それは私としても気になる話だったから好都合だった。
こう言うのも何だけど、律には大雑把でいい加減な所がある。
部員が一年生だけとは言え、よく一年間も部長を務められたわね、って思った事も一度や二度じゃない。
どう考えても、律は部長向きの性格をしていないものね。

だけど、律には一つだけ部長に必要な資質を持っている事を私は知っている。
それは責任感だ。
何も考えていないように見えるけれど、律は本当は色んな事を考えている。
責任感を持って、皆を引っ張ろうとしているのだ。
空回る事も多いけれど、一生懸命皆を楽しませようと頑張っているのだ、律は。
部外者だからこそ、私にはそれがよく分かる。

ただそれはあくまで部外者の立場から見た時の話だ。
傍に居れば居るほど、律の良さは分かりにくい物だと私は思う。
特に梓ちゃんは律と知り合って日が浅いし、
生真面目なタイプだから、律に気を許せるのはまだ先の話になるだろう。
いつか梓ちゃんも律の明るさに馴染めればいいのだけれど……。

と私が真剣に考えていたら、梓ちゃんが意外にも明るい声で続けた。
予想外過ぎるほどに、明るくて楽しそうな声だった。



136: μ 2012/09/11(火) 20:08:00.43 ID:xVTWQh8i0

「そうなんですよ、唯先輩。
律先輩ったらですね、ムギ先輩の別荘に着いた途端に水着に着替えて飛び出して行ったんですよ?
予想はしてたんですけど、あまりの早業にびっくりしちゃいましたよ……。
ムギ先輩も一緒に遊びに出ちゃって、それから夕方まで遊び惚けちゃって。
もう……律先輩ったら……」


「ははっ、やっぱり律らしいな」


「あ、澪先輩の声?
澪先輩も傍に居るんですか?」


「ああ、ハンズフリーで唯と梓の話を聞かせてもらってたよ。
話に入る機会が無くて中々言い出せなくてごめんな、梓。
ちなみに和も隣で私達の会話を聞いてるよ。

それより、梓。
律の奴、やっぱり遊び惚けてたんだな。
仕方の無い部長だけど、悪く思わないでやってくれよ?
皆で泊まり掛けで遠出が出来て、はしゃいでるだけなんだと思うからさ」


「はい、分かりました、澪先輩。
律先輩の遊び癖には私ももう慣れましたしね。
でも、今近くに律先輩が居ないから言いますけど、律先輩って意外と凄いんですね!」


「……えっ?」


澪が驚いた声を上げて、釣られて私と唯も「えっ?」と呟いてしまった。
律が意外と凄い?
一体、どういう事なのかしら?
事態を掴めずに私達が首を捻っていると、梓ちゃんが嬉しそうな声色で続けた。


「ムギ先輩の別荘でですね、
律先輩が毎食ごはんを用意してくれるんですけど、すっごく美味しいんです。
今まで私の中で律先輩と料理が繋がってなかったから、びっくりしました!

それに昨日のお昼こそ遊び惚けてたんですけど、夕方から意外なくらいに練習してくれたんですよ。
普段遊んでる姿しか見ないのに、前見た時よりドラムのスティック捌きが上達してましたし、
夜は私の好きなアーティストについて、ムギ先輩に説明しながら夜通し語ってくれたんです。
律先輩の意外な姿が見れただけて、私、合宿に参加してよかったです!」


「そ、そうなんだ……」


複雑な表情で唯と澪が同時に呟く。
喜ぶべき事なんだと分かってはいるけれど、単純に喜んでいいものか迷っているのだろう。
私も自分の予想が完全に外れてしまって、少しだけ驚かされていた。
梓ちゃんの話を聞く限り、律は意外にもちゃんと部長の立場を果たしているらしい。
唯と澪が不在だし、ムギもしっかりして見えて抜けている所がある子だから、
自分がしっかりしないといけない、と律の部長としての決心がいい方向に働いたのだろう。
普段、律の遊んでる姿しか見ない梓ちゃんがそれを見て、かなりの好感を抱いたって事なんでしょうね。
それはとても素晴らしい事だ。
素晴らしい事なのだけれど……、この胸に湧き上がる不安感は何なのかしら?

不意に。


「きゃあっ!」


梓ちゃんの甲高い悲鳴が響いたかと思うと、
梓ちゃんとは別の調子のいい明るい声が聞こえて来た。


「唯達と電話してんのか?
私にも話させてくれよー、梓。
お、ハンズフリーのボタンはここか……。

よし、と。
やっほー、唯、澪、和ー。
ハワイで元気にしてるかー?
ハワイは羨ましいけど、いいもんねー!
ムギの別荘は豪邸だから、多分、おまえ達よりはいい生活出来てるもんねー!」



137: μ 2012/09/11(火) 20:09:29.65 ID:xVTWQh8i0

勿論、それは律の声だった。
さっきの梓ちゃん悲鳴からすると、梓ちゃんの手から携帯電話を奪い取ったという所らしい。
どうにも律らしいけれど、その後の梓ちゃんの反応が今までの梓ちゃんらしくなかった。


「もう……、律先輩ったらしょうがないですね……。
言ってくれれば電話くらい貸してあげますから、無理矢理奪い取らなくてもいいじゃないですか。
それにいきなりスカートをめくらないで下さいよ。
びっくりするじゃないですか」


「スカートめくり……っ?」


澪が驚愕の表情を浮かべて呟いていた。
澪にとってはそれほどまでに驚くべき事だったのだろう。
澪ほどではないけれど、私にとってもそれは驚くべき事だった。
梓ちゃんは生真面目なタイプの子で、
スカートめくりの様な悪ふざけには耐性が無く見えるし、実際にもそうなのだろう。
それなのに律には嫌がった素振りを見せていないし、その声色は優しくて逆に嬉しそうでもあった。
それはつまり……。


「えー、いいじゃんかよ、梓ー。
下には水着を着てるわけだし、裸だって昨日見せ合った仲だろ?
今更恥ずかしがる関係でもないじゃん」


「あはは、もう、誤解されるような事を言わないで下さいよー。
ムギ先輩と律先輩と私の三人でお風呂に入っただけじゃないですか。
そう言えば、律先輩ってあんな所にほくろがあったんですね。
意外な所にある可愛らしいほくろでしたね!」


「うっ……、それは内緒だって言ったじゃんかよー。
口が軽いぞ、梓ー!」


「律先輩がいきなり私のスカートをめくったお返しです!」


「だったら、私だって唯達に言っちゃうぞ!
おーい、唯、澪ー!
梓の奴だってなー、あーんな所やこーんな所にほくろが……!」


「そ……、それだけは内緒ですよ、律先輩……!」


律と梓ちゃんが電話の先で、
聞いているだけで恥ずかしくなるくらいのやり取りを始める。
部員同士が仲良くなるのはいい事だ。
お互いに気を許し合う事で到達出来る音楽もあるだろう。
ただ、これは何と言うか、急激に仲良くなり過ぎだった。

要因は色々と考えられる。
唯と澪の不在から必然的に生じる単純接触効果。
合宿と言う非日常により高揚する精神。
自分が梓ちゃんを支えなければと奮闘する律と、
普段見せない律のしっかりした姿にギャップを感じて惹かれる梓ちゃん。
そして、人を恋に燃え上がらせる夏の熱気。
二人が仲良くなる要因はいくらでもあったのだ。

何となく悪寒に背を震わせて澪に視線を向けてみると、
「私でも律にスカートをめくられた事なんてないのに……」と呟きながら呆然としていた。
これは後々が怖いわね……。

次に唯に視線を向けてみる。
唯の方は澪ほどではないけれど、悔しそうに肩を震わせて何事かを呟いていた。
よく耳を澄ませて唯のその小さな声を聞いてみると、
「あずにゃんの毛を私より先にチェックするなんて、りっちゃんずるいよ……」と呟いているみたいだった。
そうね……。あんたにとってはそれが一番の問題なのよね……。



138: μ 2012/09/11(火) 20:09:59.18 ID:xVTWQh8i0

「おっと、そういやムギを待たせてるんだった!
あんまり電話代を掛けさせるのも悪いから、とりあえず切るな!
三人とも元気そうでよかったよ。
じゃ、また電話してくれよな!」


「それではまた!
ハワイお土産話、楽しみにしてますね!」


律がまた気配りの出来る言葉を言って、
梓ちゃんがそれに加えて楽しそうな声を残すと通話が切れた。
最後まで妙に気配りの出来る律と、妙に楽しそうな梓ちゃんだったわね……。

一瞬後、私は強い視線を感じた。
確認するまでもない。
唯と澪の恨みがましい強い視線だった。
これほどまでの強い怨嗟を、私は今までの人生で感じた事は無かった。
私は一息嘆息してから、まずは話が簡単に終わりそうな唯に訊ねてみる。


「言いたい事があるなら、遠慮せずに早く言いなさい、唯」


「じゃあ、言うね!
ねえ、和ちゃん! りっちゃんってずるいと思わないっ?
私が居ない間にあずにゃんと仲良くなってるのもずるいし、
一緒にお風呂に入ってるって事は、あずにゃんに毛が生えてるかどうかもきっとチェックしてるよ!
しかも、私の知らないほくろの場所まで知ってるなんてずるいよずるいよー!
私もあずにゃんの秘密のほくろの場所知りたいよう!」


「脇の下とか乳房の裏とかでしょうね、多分。
そんなに知りたいなら、私が責任を取って後で律にメールで訊いてあげるわ。
それで問題無いかしら、唯?」


「あ、うん、問題無いです……」


こうして問題の一つは解決したわね。
さて、後は物凄い怨嗟の視線を向けて来る黒髪の同級生ね……。
私は意を決して黒髪の同級生に視線を向ける。


「和ぁ……」


半分死人の様な表情をしながらも、瞳だけは怨嗟に燃やして澪が呟く。
私は出来るだけ澪の視線を気にしないようにしながら、その肩に軽く手を置いた。


「落ち着きなさい、澪。
今の律と梓ちゃんは夏の熱気に惑わされて惹かれ合っているだけよ。
合宿が終わって二学期が始まれば元に戻るでしょうし、安心していいと思うわ」


「元に戻るかどうかは分からないじゃないか……。
大体、律は私相手にスカートめくった事無いのに、どうして梓だけ……」


「私、りっちゃんに何回かめくられた事あ……ほげっ!」


余計な事を言いそうだった唯の口の中に、左手の指を五本突っ込んで舌を掴んだ。
ある程度予想出来ていた事だけど、
つまり律はスカートめくりをしても許されそうな子を区別しているのだろう。
澪なんかスカートをめくった日には、しばらく泣いてしまいそうだものね……。
それは澪を大切にしているという意味でもあるけれど、
それを澪に直接伝えてしまったら、
『私はそんなに律に親しく思われてなかったのか……』と落ち込みそうだ。
さて、どう説得するべきかしら……?



139: μ 2012/09/11(火) 20:10:25.83 ID:xVTWQh8i0

私がそうやって頭を悩ませている間にも、
澪が誰に聞かせるだけでもなく長い長い独り言を呟いていた。


「どうしよう……、律が梓と付き合ったりしたらどうしよう……。
小柄な二人だからビジュアル的にも結構お似合いだし……。
律って梓みたいにちゃんと突っ込みを返す子の方が好きなのかな?
私だってちゃんと突っ込んでるつもりだけど、
よく考えたら叩いてばかりでワンパターンになってたかも……。
律はそんな私に飽きて目新しい梓に少しずつ惹かれてって……。
やだやだやだ、そんなのやだよ……!
同じ部内で律と梓のカップルを見続けるのなんて耐えられない……。
どうしようどうしようどうしよう……!」


極普通の女子高生同士が、
合宿で数日一緒に過ごしただけで恋は芽生えないとは思うけれど……。
ただその言葉を澪に届けても意味は無いでしょうね。
自身が律にこんなにも惹かれている澪だもの。
梓ちゃんが律に恋をしてもおかしくないと信じ切っている様子ね。
今の澪に何を言っても空々しい言葉にしかならないだろう。
だからこそ、私は律を信じた言葉を澪に届けるしかないのだ。


「ねえ、よく聞いて、澪。
律は飽きっぽくて大雑把な子よね?
夢中になっていたように見えても、すぐ新しい事に飛びつく子よね?
今は梓ちゃんに夢中に見えるかもしれないわ。
でも、それよりも、そんな飽きっぽい律とずっと一緒に居る自分を信じて、澪。
澪は誰よりも律の傍に居るの。
さっきも言ったけど、二学期になればきっと普段通りの律に戻るわよ。
そう心配しなくても、きっと律にとっては澪が一番好きな子なんだから……」


「和……、そう言われると照れ臭いけど、嬉しいよ……」


澪が温かい視線を私に向ける。
よかった……、どうにか分かってもらえて何よりだ。
これで澪も律の事を信じてひきこもり続けてくれる事だろう。
私の瞳を見つめながら、澪が静かに呟いた。


「なあ、和……。
律の様子は二学期には元に戻るとしてさ……、
合宿の残り四日間で律と梓の仲がただ事ではなく進んだらどうするんだ……?」


「さあ……。
じゃあ私、今から読書感想文書くわね」


「和ぁ……」



145: μ 2012/09/14(金) 18:52:23.47 ID:m+KlO7h40






「よし、怖い話するぞ、和、唯!」


「妙に乗ってるね、澪ちゃん」


「私は変わるんだ!
怖い話も克服して、最近、おざなりだった突っ込みも修正して、
新しい私になって、夫婦漫才と呼ばれてた私達じゃない新しい関係になるんだ……!
梓から律を取り戻すんだ……!」


「前向きで何よりね、澪。
ただ律は臆病なのに強がりな澪の事こそが好きだと思うけれど……。
でも、それは大きなお世話かしらね。
あんたの好きなようにやりなさい、澪。
とりあえず、どんな怖い話か楽しみにしてるわ」


「よし、じゃあ、話を始めるぞ。
これも前に律から聞いた話なんだけど……」


「……それだけで結末が読めたけど続けて、澪」


「ああ、分かったよ。
これはついこの前、一学期のテストが終わった直後の話なんだ。
赤点を取らず、幸いにも補習が無かった律はTさんと街に遊びに行ったらしい。
二人で街を回って、楽器屋なんかにも顔を出して、
テスト終わりの解放感もあって、結構楽しく遊んでたらしいんだよ。
どうして律、その時に私を呼んでくれなかったんだろうな……。
私だって律ともっと遊びたいのに……。

そ、それはともかくとしてだな、律は……」


「……ねえねえ、和ちゃん。
話の中のりっちゃんが澪ちゃんを遊びに誘ってないのって、
りっちゃんのお話が全部作り話だからだよね?
だってだって、この前のテストの後、
りっちゃん、澪ちゃんとしか遊びに行ってないはずだし……」


「静かになさい、唯。
怖い話の真偽なんてね、本当はどうでもいいものなのよ。
怖がれて涼しくなれればそれでいいの。
むしろ怖い話が本当にあった事だった方が困るでしょ?
そんなものでいいのよ、怖い話なんてものはね」


「ええーっ?
私、これまで話したの、全部本当にあった事なんだけどなあ……」


「スイカ星人、虫、ドッペルゲンガー……ね。
やめてよ、唯。
他の話はともかくとしても、スイカ星人が実在していたら困るじゃないの。
押し入れの中とは言え、不法滞在者が私の家に居たって想像はあまりしたくないわ」


「不法……滞在者……?」


「そうね、唯の話を聞いてずっと考えていたんだけど、
唯が見たスイカ星人は、状況的に見て私の家に無断で住んでいた不法滞在者でしょうね。
当時はこの家も改修前だったから、防犯に結構問題があったの。
窓を少し横に揺らすだけで、簡単にクレセント錠が外れるくらいだったものよ」


「それは危な過ぎるよ、和ちゃん……。
でも、それじゃ、スイカ星人のあの緑色の身体とスイカの臭いは?」



146: μ 2012/09/14(金) 18:58:01.77 ID:m+KlO7h40

「多分、近くの畑でスイカ泥棒をしてたんでしょうね。
近所にはスイカが収穫出来る畑もあるし、
緑色の身体は畑で人から目撃されにくい様に、緑色の服を着ていたと推察出来るわ。
保護色による擬態といった所かしら」


「何か急に現実的に考えて怖い話になって来たね……。
でもでも、それだけじゃ説明出来ない事もあるよ、和ちゃん!
私が紙の箱の中で見たあの小っちゃい宇宙人は?
あればっかりは不法滞在の人って話じゃ説明出来ないんじゃない?」


「髪の箱の中の小さな宇宙人の正体……。
答えは簡単よ。
その不法滞在者の持ち物のフィギュアだったんでしょうね。
唯の話を聞く限りは相当に凝った出来だったみたいだから、
その不法滞在者はそれを購入したせいで破産してしまった可能性もあるわね」


「無理がある……。いくら何でも無理があるよ、和ちゃん……。
ねえ、ひょっとして和ちゃん、
宇宙人が怖いから、そんな無理な想像をしてたり……?」


「そんな事は無いわよ、唯。
私はただ真っ当に現実的な推察をしているだけよ。
宇宙人が怖いなんてそんな事があるわけ……」


「「破ぁ!!」


甲高い声が野球場に響いたと思うと、
何とSちゃんがその幽霊にチキンウィングフェイスロックを極めていたんだ!
それがまたあんまり見事な技だったらしくてな……。
その三角頭巾を頭に着けたベタな幽霊は涙目で虚空に消え去って行ったんだそうだ。

セレブ生まれって凄い。
律はかき氷を食べてアイスクリーム頭痛になりながら、そう思ったらしい。

……って、そんなびっくりした顔してどうしたんだ、和?
私の話、そこまで怖かったか?」


「い、いいえ、何でも無いわ、澪。
単にタイミングが良過ぎて驚いただけよ。
と言うか、あんたの怖い話、ちゃんと続いていたのね……」


「何だよ、ちゃんと聞いてなかったのか?
とにかく、これで私の話は終わりだよ。

あ、ちなみに律が言うには、
そのベタな幽霊はエスパー伊東の様な声をしていたらしい……」



147: μ 2012/09/14(金) 18:58:40.91 ID:m+KlO7h40






【ひきこもりすぎ】


「ねえねえ、和ちゃん。
こんなの見つけたんだけどー!」


私の家の漫画も粗方読み終わって暇で仕方が無かったのか、
家中を何往復も徘徊していた唯が、手に白衣を持って嬉しそうに居間に戻って来た。
私は読書感想文を書くのを中断して、唯に少しだけ微笑んでみせた。
これ以上読書感想文を書いていても、いい文章を書けないだろうと思ったからだ。
頭の中から文章が湧いて来ないわけではない。
単に私の汗が物凄い速度で原稿用紙に落ちて、用紙が酷い事になってしまっているだけだ。


「懐かしいわね、その白衣。
お母さん、まだ残していたのね」


私が小さく呟くと、唯がその白衣を両手で広げる。
私のお父さんの物だから、それはまだ唯の手に余るくらい大きく見えた。
少しの間、唯はそうしていたけれど、すぐに表情を歪めてその白衣を畳の上に置いて苦笑した。


「手が疲れちゃった……。
見かけによらず、白衣って意外と重いよねー」


「そうね、生地が厚いからどうしてもそうなるのよね。
当然だけど清潔さを保つ必要があるし、
危険な薬品から自分の身を護る役割もあるから、必然的に重くなっちゃうのよね。
私のお父さんが大学生の頃に使っていた白衣だから、
今とは生地の材質なんかも変わっているかもしれないし。

……って、昔、唯に全く同じ話をした憶えがあるわね。
あんた、憶えてない?」


「んーと……、そうだったっけ……?」


「そうよ、確か私達が小学四年生の頃の話だったかしら。
今と同じ様にあんたがお父さんの白衣を見つけて、
「私、これ着てみたい!」って言った直後に袖に腕を通して……」


「あっ、思い出したよ、和ちゃん!
それで私、科学者ごっこやってたんだけど、
白衣が大きいし重いし暑いしで、大汗掻いて動けなくなっちゃったんだよね。
あの時はご迷惑をお掛けしました!」


「それは別にいいけど、唯……。
あんた今からその白衣どうするつもり?
また着るつもりなんじゃないでしょうね?」


「駄目……かな……?」


「別に駄目じゃないわよ。
それくらい私に断らなくてもあんたの好きにしたらいいと思うわ。
ただ、また暑さと重さで動けなくなる……、って事だけには気を付けてほしいけど」


「えっへへー、分かってますって、和ちゃん。
そうそう、それならいい事考えたよ!
ちょっと待っててね、和ちゃん!」



148: μ 2012/09/14(金) 19:00:59.23 ID:m+KlO7h40

それだけ言うと、私が返事するより先に唯が居間から駆け出して行った。
いつも慌しい子よね……。
そう考えながら麦茶を飲んでいると、
三分後くらいに唯が両手に多くの衣服を抱えて戻って来た。

これは何かしら?
と私が訊ねるより先に、また唯が居間から飛び出して行った。
まだ生理なのに、本当に慌しい子だ……。
少し呆れて今度は烏龍茶を飲んでいると、
今度は一分も経たない頃にお風呂場の方から悲痛な叫び声が響いて来た。


「ゆ、唯っ?
うわおいなにをするやめろぉ!」


「大丈夫だって、澪ちゃん!
痛くしないから! 怖くもしないから!
さあ、早くこっちこっち!」


本当に何をしているのだろう……。
それから更に三十秒程経っただろうか。
「お待たせしました!」と元気な声が響いたかと思うと、
唯が澪の腕を無理矢理引きながら、満面の笑顔で居間に姿を現した。

連れて来られた澪に視線を向けてみる。
どうやらお風呂場で水浴びをしていたらしく、髪や全身が水浸しで濡れていた。
普通なら目くじらを立てて注意する所だけれど、
私達の汗でそれ以上に床を濡らしている状況でそんな事を言っても意味は無いわね……。
私はほんの少し苦笑して、それからちょっとした違和感に気付いた。

澪が股間の周辺を、唯に掴まれていない方の右手で頻りに隠しているのだ。
これはここ最近の澪にしてはかなりおかしな行動だ。
唯ほどではないけれど、最近、澪もこの全裸の生活に慣れて来ている様に見えた。
一昨日の夜なんか、大股開きで眠っていたくらいだ。
勿論、起きている時も自分の裸身を隠す事は、全然無くなっていた。
だからこそ、おかしいのだ。
澪が自分の股間の周辺を隠すという事は。

私は眼鏡の蔓の位置を右手で直して、まじまじと澪の股間を見つめてみる。
異変にはすぐに気付く事が出来た。
澪の陰毛の様子がおかしいのだ。
女性器だけならともかく、流石に陰毛までは右手だけで隠し切れるものではない。
だからこそ、澪の陰毛の異変に気付けた。
陰毛かせ生えている箇所の左半分だけが不自然に短いという事に。

これはどういう事なのか……、って答えは簡単ね。
言わずもがな、澪の陰毛はかなりの剛毛だ。
剛毛という事は、剃っても即座に生え揃ってしまうという事よね。
そういえば、律と会う予定がしばらく無いせいか、
最近の澪は普段剃毛している陰毛を伸ばしたままにしていた。
傍目から見ても分かるくらい、その陰毛は生え揃い始めていたのだ。
流石は剛毛と言った所かしら。
多分、律と会う前日にでも、まとめて剃毛するつもりだったのだろう。

だけど、澪は今日突然に剃毛を行っている。
何故なのか、その気持ちは私にもよく分かった。
昨日、律と電話で会話をしたせいだ。
詳しく言えば、梓ちゃんが律と急接近している事に危機感を覚えたからだろう。
いつの間にか梓ちゃんは律と異常とも言えるほど仲を深めていた。
その後の様子を見る限り、澪にはそれがいたく衝撃的だったらしい。
恐らくは全くのノーマークだったのだろうと思う。
普段の梓ちゃんの様子を見る限り、律と急接近するなんて誰も思わない。
私だってかなり驚いたもの。
澪の驚きは私の何百倍にもなるでしょうね。



149: μ 2012/09/14(金) 19:01:30.10 ID:m+KlO7h40

だからこそ、澪は今日剃毛を始めたのだ。
律への気持ちを忘れないために。
油断せずに今後も律を想い続けるために。
本当に健気な子よね……。
そもそも、律の剛毛嫌いも澪の勘違いだと思うけれど、確証が無いのに伝えていいものなのかしら?

私は澪の律への強い想いを感じて頷きながら、
澪の陰毛から目を逸らして、半分だけ剃られた陰毛については触れない事にした。
これでも私と澪はクラスメイトなのだ。
澪が幸福に向かって進むのなら、それを陰ながら応援するのがクラスメイトだろう。
二学期が終われば、律と澪の関係の手助けをしたっていいと思う。
このひきこもり生活だけはやり遂げてもらわなければならないのは大前提だけれど。


「それでね、和ちゃん、澪ちゃん!」


不意に唯が楽しそうな声を上げる。
私は唯に視線を戻して、唯の次の言葉を待つ事にした。
すぐに唯は興奮を隠し切れない様子で続けた。


「私、面白い事を考えたんだ!
そこで出て来るのが、ここに集めましたたくさんの衣装であります!
ねえねえ、皆で色々着てみようよ!
そう! コスプレ大会ってやつだよ!」


「コスプレ大会……ね。
ある程度予測出来ていた事ではあるけど、本当にやるの、唯?」


「あ、勿論、ただのコスプレ大会じゃないよ!
裸のままで着ちゃおうって思ってるんだ!
折角、私達裸んぼなんだもん!
これを生かさないって道理は無いよ!」


「唯から道理って言葉が出るとは思わなかったわ……。
裸コスプレ大会なんて、あんたもまた妙な事を考えたものね。
まあ、丁度読書感想文を書くのに疲れて来た所だし、付き合ってもいいわよ」


「付き合うのっ?」


軽く叫んだのは澪だった。
澪としては早く残りの陰毛も剃ってしまいたい気分なのだろう。
唯も澪のその気持ちを分かっているらしく、意地悪く笑って誘惑を始めた。


「まあまあ、いいじゃん、澪ちゃん。
きっと楽しいよ?
りっちゃんだって澪ちゃんの色んな恰好を見てみたいって思ってるはずだよ!」


「そ……、そうかな……」


「そうだよ!
りっちゃんって、澪ちゃんの髪型を結構いじったりする事あるでしょ?
それは澪ちゃんを色々変えてみたいって気持ちの表れだよ!
澪ちゃんって素材を大切に思ってる証拠だよ!」


「わ……、分かった!
私も色んな衣装を着てみる! 私も着るよ!」


こうして、一人のクラスメイトが落とされてしまったのだった。
唯にすら手玉に取られるなんて、何て簡単な子なのかしら、澪って……。
まあ、律にもかなり影響されている子だから、
澪って子は人に感化されやすい子なのかもしれないわね。



150: μ 2012/09/14(金) 19:02:13.03 ID:m+KlO7h40

「じゃあ、早速始めようよ!
よーい、ドン!」


競争する必要は全く無いと思うけれど、唯が嬉しそうに手を叩いて宣言した。
よっぽど暇潰しに飢えているのだろう。
大体、お風呂場に居た澪を無理矢理連れて来るくらいだから、本気で暇でしょうがないんでしょうね。
唯を暇にさせてしまっているのは私の責任でもあるから、どうにかしてあげないとね。
私は苦笑しながら立ち上がって、その場に置いてあった服を手に取ってみる。

……あ。
初っ端からとんでもない物を引き当ててしまった。
正直抵抗はあるけれど、自分だけ我儘を言っていても仕方が無い。
当然だけれど、私はブラジャーもショーツも穿かずにそれを着用してみた。


「わー、和ちゃん、コケティッシュー!」


私の服装を見て、多分、意味も分からずに唯が歓声を上げる。
コケティッシュは確か日本で使われている意味では、
『独特な可愛らしさを持っている』だったはずだから、間違ってはいないのが唯らしいけれど。
私が着たのは古い時代の体操服……、要はブルマーだった。
私の物ではない。
そもそもブルマ―なんて穿いた事無いし、学校規定の体操服だって違う。
つまり、これは私のお母さんの物だ。
古さから考えるとお母さんが学生当時に穿いていたものだろう。
物を大切にする人だとは思っていたけれど、まさかこんな物まで取っているなんてね。


「ブルマなんて漫画くらいでしか見た事無いよー。
和ちゃんのお母さん、変なの残してるよねー」


言ってから唯が楽しそうな笑顔を見せる。
それに関しては反論の余地も無いから、私としては軽く苦笑する事で応じるしかなかった。
それにしても、お母さん……。
思い出が残っている物なのかもしれないけれど、流石にこんな物まで残さなくても……。

でも、お母さんの物持ちの良さより、私には気になる事があった。
こればっかりは非常に気になって仕方が無い。
私は体操服を乳房に触れさせないように前に伸ばしながら呟く。


「それにしても、この生地は酷いわね……。
乳房と乳首が擦れてとても痛いわ。
そもそもはアンダーシャツを着て着用する物なんでしょうけど、それを前提としないと辛いわ。
まあ、それはあんたにも言える事だけどね」


私が指摘すると、唯がかなり辛そうに苦笑した。
私が体操服を着ている間に唯が袖を通したのは、当然と言うか最初に見つけた白衣だった。
前を完全に綴じて一見しただけでは普通の白衣姿に見えるけれど、
その下の唯の身体が全裸という事を考えると、何とも言えない気分になる。
単なる全裸よりも恥ずかしい気がするわ。
そういえば、そういう服装の登場人物が出てくる文芸書、読んだ事あるしね。


「和ちゃーん……、おっぱいの先っぽが擦れて痛いよー……」


唯が表情を苦笑から半泣きに変えて、呻くように呟く。
それはそうでしょうね。
生地の厚さと丈夫さは体操服よりも白衣の方が遥かに上だもの。
それこそ画用紙に生の乳房を擦り付けているようなものだ。
うっ……、想像しただけでも、自分の乳首に嫌な感覚が……。
私の嫌そうな表情に気付いたようで、唯が今度は感心した素振りで呟いていた。


「変態さん、凄いね……」


「ええ、凄いわね……」



151: μ 2012/09/14(金) 19:02:53.15 ID:m+KlO7h40

唯の言葉に私は即座に頷いた。
ここで言う唯の『変態さん』は露出狂という意味だろう。
露出狂の変態は長いコートや白衣の下に全裸の肉体を隠している。
当然ながら、下着も何も着用せずにだ。
肉体の様々な部分が厚い生地に擦られる痛みを気にせずに……。
純粋に凄い事だと思う。
自分の歪んだ快楽のためとは言え、私にはそこまで出来る自信が無い。

と。


「おいおい、二人して何沈んだ顔してるんだよ」


不思議と元気そうな澪の声が聞こえた。
私と唯は澪の方に視線を向けてみて、思わず苦笑してしまった。
誰かがやるとは思っていたけれど、まさか澪が真っ先にやるとは思っていなかった。
他にもYシャツやダッフルコート、柔道着などの色んな衣装があるのに、澪はそれを選んだのだ。
エプロンを。
うん、エプロンをね。

勿論、エプロンの下は澪も全裸だ。
俗に言う裸エプロンだった。
誰に言われずとも真っ先にその恰好を選んだという事は、
つまり、律に見せたい一番の恰好が裸エプロンだという事なのだろう。
夫婦漫才と称される事の多い律と澪だけど、
まさかその内の片方が既にお嫁さんのつもりだったなんてね。


「変……かな……?」


私達が苦笑した事を不安に思ったらしく、澪が暗い声を出して目を伏せる。
澪の中では会心の出来だったのかもしれない。
唯が戸惑った表情で、澪の両肩に手を置いて目を合わせた。


「そ、そんな事無いよ、澪ちゃん!
裸エプロンは男の人の夢って聞いた事があるし!
りっちゃんもきっと喜んでくれる……かな……?」


言葉の最後で唯が私に顔を向けた。
だけど、向けられても困るわ。
裸エプロンは男の人の夢かもしれないけれど、残念ながら律は男の人じゃない。
むしろ女の子らしい所を多く持った子だと言えるだろう。
まだ一年少しの付き合いだけれど、
たまに見せる律の笑顔は間違いなく可愛らしい女の子だった。
大雑把で適当に見えるけれど、律も女の子なのだ。
そんな律が澪に限らず誰かの裸エプロンを喜ぶものなのかしら……?
喜ばない気がするわね……。


「なあ、それにしても、和……」


澪が純粋な疑問の表情を浮かべて首を傾げた。
私はとりあえず自分の疑問を捨てて、澪の疑問に向き合う事にした。



152: μ 2012/09/14(金) 19:04:25.76 ID:m+KlO7h40

「どうしたの、澪?」


「あ、うん、ちょっと疑問があってさ……。
男の人ってどうして裸エプロンで喜ぶんだろう?
セクシーな恰好だって事は分かるんだけどさ、
それなら最初から真っ裸の方が男の人は興奮するんじゃないか?
結局、裸が一番見たいわけなんだからさ」


「それは難しい問題ね……。
私にも完全に理解出来ているわけではないけど、こういう話を聞いた事があるわ。
男性は視覚的な性的興奮に弱く、女性は概念的な性的興奮に弱いらしいの。
読む人が居ないというわけではないけれど、女性で成人向け雑誌を読む人は少ないでしょ?
それは女性の性欲が弱いからではなくて、視覚的な性的興奮に食指が向かないかららしいの。

逆に男性は視覚的な性的興奮が大好きだから、
視覚的な物に様々な工夫を凝らすんじゃないかしら。
裸エプロン、エロティックなコスチューム、穴開きのショーツなんかにね」


「な、なるほどな……」


澪がまだ分かってない様子で首を傾げながら、私も一緒に首を傾げた。
私だって男性の事を深く分かっているわけではないものね。
でも、そんな風に男の人は女の人とは全然違うけれど、
それを理解出来ないと悩むよりは、多少なりとも学んでおくべきでしょうね。


「ねえねえ、だったらこの恰好は男の人に人気出るかなあ?」


不意に唯が場にそぐわないお気楽な声を上げた。
肩を竦めて視線を向けてみると、
いつの間にか白衣を脱いでいた唯が楽しそうに両手でピースサインをしていた。
私のスクール水着を着用して。
私は若干呆れた表情を浮かべながら、唯に向けて呟いてみる。


「人気はそれなりに出るでしょうけど、あんたどうして水着を着てるの?
裸のコスプレ大会じゃなかったの?」


「裸だよ?」


「……?」


「だから、ほら、水着の下は裸でしょ?
これこそ究極の裸のコスプレだよ!
裸エプロンに対抗した裸スクール水着だよ!」


ふんすっ! と唯が鼻息を荒くする。
スクール水着を裸で着用するのは当然なんだけど……。
そう私が言おうとした瞬間、唐突に澪がその場に倒れ込んだ。
熱中症で倒れたのかと思って、
その肩を叩こうとした瞬間、澪の押し殺した声が私の耳に届いた。


「ぷっ……くくっ……。
裸スクール水着……ぷくくっ……、当たり前の事なのに……。
くくくく……っ、あはははははははっ!」


最後には大笑いになっていた。
どうやら澪の笑いのツボに入ってしまったらしい。
笑い所がよく分からない子だけれど、
もしかしたら、その辺も律の教育の賜物なのかもしれないわね……。
昔は笑顔もそう見せなかった子だと聞いた事があるし……。

それからしばらくの間、澪は痙攣するみたいに笑い続けていた。
唯もそんなに受けるとは思っていなかったらしく、
戸惑った表情で私に助けを求めていたけれど、
放っておくのが一番だと諭して、二人でドクダミ茶を飲んで時間を潰した。
笑い終わったら、プーアル茶でも飲ませてあげる事にしよう。



154: μ 2012/09/18(火) 19:07:41.41 ID:ut//4wCb0






「それじゃ、今日は私が怖いと思う話をするわね。
前回お休みさせてもらった分、ちゃんと怖い話を仕入れて来たから安心して」


「そういえば、和の怖い話を聞くのは初めてだな……。
一体、和はどんな怖い話をするんだろう……」


「ふっふっふ、覚悟しといた方がいいよ、澪ちゃん。
和ちゃんの怖い話は、いつも冗談にならないくらい現実的に考えて怖い話だよー?」


「げ……、現実的に怖い話なのか?
私、そっちの話も苦手だ……。
幽霊やお化けの話なら普段意識しなきゃいいんだけど、
現実的に怖い話って事は日常生活の中で起こり得る怖い話って事だろ?
そんな話を聞いたら、つい意識しちゃうようになっちゃうじゃないか……。
和って……、意外と人を追い詰める事が得意な奴なんだな……」


「そうだよー?
和ちゃんは怖い子なんだよおー?
澪ちゃんも二年の残りの二学期と三学期、
和ちゃんに追い詰められないように気を付けるようにしなよー?」


「随分な言われようね……。
まあ、別に構わないけれど。
それじゃ私、今から仕入れて来た怖い話をするわね。

二人とも、冬虫夏草の事を知っているかしら?
冬の間は虫なんだけど、夏になると植物になってしまう摩訶不思議な生物の事よ。
私も最近知ったんだけど、あれはキノコとかの菌類が昆虫の幼虫に寄生し、
成長になるために幼虫が蓄えたその養分を利用して、菌糸を成長させる寄生植物らしいのよね。
植物ともまた少し違うけれど。
寄生生物が一番正しい呼称になるかしら?

寄生生物……。
他の生物の養分や行動を利用して成長、増殖、進化、分布をする生物の事ね。
その中には元々は外の世界で自由に生きていた生物も多かったらしいわ。
最初こそ人の世界で生きていたけれど、
他の生物に寄生する方が効率がいい事に気付いて、寄生生物になったらしいのよ。
それもその寄生生物の選択肢だったんでしょうね、苛烈な生存競争を生き延びるための……。

寄生される事には私だって流石に抵抗があるわ。
自分の中に得体の知れない生物が存在していて、
その生物に自分の内臓や養分を利用されているなんて、嫌な気分にならない人はいないと思うわ。
でも、寄生生物も、種類によっては私達の役に立っている種類も多いわ。
例えば寄生生物とは少し違うけれど、二人ともミトコンドリアの事くらいは知っているわよね?
真核生物の細胞に含まれる細胞の器官の事よ。

実はね、ミトコンドリアは正確には細胞の器官ではないらしいの。
遥か昔、真核生物の細胞がミトコンドリアと共生する事を選択して、
それ以来、私達は様々な系統に進化する事が出来るようになったらしいのよ。
何故かと言うと、真核生物の細胞は単独では上手くエネルギーが生産出来ないからなの。
その点、ミトコンドリアはエネルギーの生産に優れた構造を持っていた。
だから、細胞とミトコンドリアは共生を始めたのよ。
ある意味、最初の寄生生物と言ってもいいでしょうね、お互いに。

そのミトコンドリア以外にも、私達は様々な細菌や微生物と共生してるわ。
私達の身体は私達だけで保てているわけではないの。
それはもう寄生と言うよりも、共生と称しても問題無いでしょうね。

だけどね、共生と呼べない、呼びたくない関係性の寄生生物も多数存在しているわ。
サナダムシやカイチュウもそうだけれど、冬虫夏草なんかもまさにそうでしょうね。
これらの寄生生物は確実に片方を利用しているだけと言っても過言ではないわ。
特に私が一番恐ろしいと思うのは、ロイコクロリディウムね。
あんた達もテレビで一度くらいは観た事があるんじゃないかしら?
ロイコクロリディウムはカタツムリに寄生する寄生虫の名前よ。



155: μ 2012/09/18(火) 19:08:45.56 ID:ut//4wCb0

この寄生虫のする事は寄生なんて生易しいものではないの。
ロイコクロリディウムはね、カタツムリの脳を操作する事が出来るらしいのよ。
勿論、脳を操作すると言っても、完全に意のままに操作するわけじゃないわ。
カタツムリは鳥に捕食されないために暗い所を好むけれど、明るい所を好むように脳を操作するの。
する事はそれだけだけれど、ロイコクロリディウムにはそれで十分なのよね。
何故ならこの寄生虫の目的は、カタツムリを鳥に捕食させる事で、
カタツムリに寄生するよりも遥かに広範囲で自らの種を分布する事なんだから。
宿主に寄生するどころか、宿主の命すらも利用して自らの種を反映させる……。
まさに最も怖い寄生虫の一種と言えるでしょうね。

ねえ、唯、澪?
突飛な考えだけど、ここで想像してみてくれるかしら?
人間……、ヒトに寄生して、思考を操作する寄生生物が存在していたとしたら?
自分の意思で行動しているつもりが、体内の何物かにその思考を操作されているとしたら?
もしそんな事が現実に起こっていたとしたら……、この世界はどうなってしまうのかしらね……?
ひょっとしたら、今こうして話している私ですら、寄生生物に操作されている可能性も……。

これで私の思う怖い話は終わりよ」


「う……、うわあ……。
和ちゃんったらまた現実的に怖い話をしてくれるよね……。
寄生虫怖いよう……、下手に食べ物を食べられなくなっちゃうよう……」


「そうよ、唯。
寄生生物は怖い物なのよ。
だからこそ、将来ニートになんてならずに、両親に寄生しないよう頑張るのよ」


「寄生虫の話のはずがいつの間にかまたお説教になった!
和ちゃん、怖いよ……。
何でも私のお説教に繋げて話をする和ちゃんは本当に怖いよう……!」


「なるほど、そういう意味で和の話は怖いのか……。
私も今度同じ話で律にお説教してみようかな……」


「お説教好きがまた増えちゃったっ?」



156: μ 2012/09/18(火) 19:09:12.81 ID:ut//4wCb0






【ひきこもりの末期】


お昼過ぎ。
私達は扇風機の風に当たりながら、汗まみれでテーブルの上に寝込んでいた。
何か特別な事があったわけではなく、
単に今日がこの夏最大の猛暑日だったというだけの話だ。
テレビの天気予報の話だと、軽く三十五℃は超えるらしい。
暑さにそんなに弱いつもりはないけれど、
三十五℃を超える気温を密閉された空間で感じるのは流石に辛い。


「あっついねー……」


唯が冷凍庫の製氷機で作った氷で自分の頬を冷やしながら呟いた。
涼しくなるにはいい方法のように見えたけれど、実はそうでもなかった。
氷が溶ける度に冷凍庫に取りに行かなければいけないから、
その労力を考えるとあまり利口な方法とは言えないんじゃないかしら。
勿論、他に涼しむ方法があるわけでもないのだけれど。
正直、そろそろクーラーを使ってもいいんじゃないかとも思う。

でも、実は唯と澪には一つだけ言っていない事がある。
私の家のクーラーって壊れてるのよね……。
壊れて以来、扇風機だけの生活に慣れていたから、すっかり忘れていたけれど。
クーラーが壊れている以上、クーラーに頼る生活を送る事も出来ない。
扇風機だけでこの猛暑を乗り切るしかないのよね、結局……。


「でも、猛暑のおかげでダイエットの心配はしなくていいよな。
唯はいくら食べても太らない体質らしいけど、私としては助かるよ。
夏痩せだけが私の夏の楽しみなんだよな……」


気に入ったのか、澪がドクダミ茶を飲みながら軽く笑った。
そうとでも思わなければ、この猛暑を乗り越えられないというのもあるかもしれない。
だけど、それ以上に本当に喜んでいるようにも見えた。
豊満な乳房を持っている事だし、自分の体重についてかなり気にしているのかもね。
形はどうであれ、澪が前向きになれているのはいい事だと思う。

けれど、私は気付いてしまった。
澪の二の腕やお腹の周辺が、私の家に来た当初より膨らんで来ているという事が。
当然だけれど、妊娠と言うわけではない。
妊娠するような事をしたわけでもないでしょうし、
何より前に念の為確認してみた時、生理は私の家に来る四日前に終わったと言っていた。
つまり、生理周期的に妊娠はありえない。
という事は……。

正直、この事実を澪に伝えるべきか迷った。
この事実を知ってしまったら、澪は深い絶望に陥ってしまう事だろう。
猛暑を乗り越える気力すら失ってしまうかもしれない。
澪にとっては残酷過ぎる現実よね……。

けれど、私は澪にこの事実にして現実を伝える事に決めた。
いつかは分かってしまう事だし、やり直すなら早い方が澪としても望む所だろう。
私は二度大きく嘆息してから、お風呂場から体重計を持ち出して居間の床に置いた。
床に平行に置いて、目盛りをちゃんと正常な状態に直す。



157: μ 2012/09/18(火) 19:10:39.21 ID:ut//4wCb0

「……何をしてるんだ、和?」


事態を呑み込めていないらしい澪が首を傾げて私に訊ねる。
その表情にはまだ少し微笑みが残っていた。
きっと自分の夏痩せを期待して、最近体重計にも乗っていなかったのだろう。
このひきこもり生活が終わった時、どれくらい痩せたのかを実感するために。
でも、それは……。


「ねえ、澪、最近体重計に乗ってないんじゃないの?
折角だし、夏痩せの結果を確認してみましょうよ」


「夏痩せの結果……か。
本当はこの生活が終わってから確認したかったんだけど、そうだな。
今後の方針を決めるためにも、体重の確認くらいしておいた方がいいよな……。
分かったよ、和、久し振りに体重を計ってみる。
あ、恥ずかしいから体重計は見ないでくれよな?」


「了解よ、澪。
私も唯も目を閉じておくから、確認してみてちょうだい。
どれくらい変わったのかだけ教えてもらえれば十分よ」


言い様、私はテーブルの上に横たわる唯の目元を手で押さえる。
その後、私自身の目元も眼鏡の上から隠した。
私の動きに安心してくれたのか、
すぐに澪が体重計に乗ってくれる音がした。
これで……、よかったのよね……。


「な、なななななななな、何でっ?」


数秒後、予想通りの澪の叫び声が室内に響いた。
やっぱり、真実は澪にとって非常に残酷だったらしいわね……。
私は唯と自分の目元から手を離すと、
驚愕の表情で体重計の目盛りを見つめる澪の肩に手を置いた。


「澪」


私の声に気付いた素振りも見せず、澪は呆然と体重計の目盛りを見つめ続けていた。
大きく息を吸い込んで、私はもう一度澪の耳元で「澪」と囁く。
それでやっと私の存在に気付いたらしく、泣き出しそうな表情で私の方に視線を向けた。


「こ、ここ、これは何なんだよ、和っ?
どうしてなんだ?
どうして体重が減るどころかこんなに……っ!
そ、そうか……!
和が体重計に何か細工をしたんだな? したんだよな?
はっははは……、いやだなー、和。
こんな事されたらびっくりするじゃないのよ、もう!
びっくりするから、こういう冗談はやめてほしいわよ、和」


あまりに衝撃的だったのか、普段の口調も見失ってしまっているようだった。
残酷だと思ったけれど、私はそれに首を横に振る事で応じた。



158: μ 2012/09/18(火) 19:11:18.43 ID:ut//4wCb0

「違うわよ、澪。
体重計から降りて、ちゃんと目盛りを見てみなさい。
何処にも細工されてないし、細工しようもないでしょ?
それがあんたの今の体重なのよ、澪……。
現実から目を逸らしても、何かが好転するわけではないわ」


「で、でででで、でもっ……!
あ、あんなに汗掻いたのに……、夏痩せの効果が出てるはずなのに……!」


「残念だけど、澪は夏痩せについて一つ大きな誤解をしているわ。
夏痩せというものはね、現実には存在しないのよ。
汗を大量に掻くから、痩せているような気がしてしまうだけなの。
サウナと同じと言えば分かるかしら?
水分を大量に失うと人体の体重は確かにあっという間に減るわ。
けれど、人体は同じくらいあっと言う間に水分を吸収してしまうの。
体重だってあっという間に元通りなのよ。
そこにダイエット初心者の陥りがちな失敗があるって聞いた事があるわ。

夏は大量の汗を掻いてしまう。
汗を大量に掻くから、ちょっとくらい多めに食べても大丈夫のはず。
体力を付けるためにも、水分をたくさん取って、スタミナ料理も食べておこう……。
そうして過剰に摂取されたカロリーは、脂肪として人体に蓄えられていくのよ。
現実に夏に痩せる人も居るけれど、それは夏の暑さで汗を掻いて痩せたわけではないの。
単に夏バテで食欲を失って、結果的に体重が減ってしまっただけの話なのよ。

澪は私の家で汗こそ掻いていたけど、
直射日光を浴びてないからか、夏バテはしていなかったでしょ?
失った水分もお茶を飲んで補給していたし、ごはんもきちんと食べていたわ。
だからね、澪。
認められないかもしれないけれど、その体重計の目盛りは現実なのよ……」


「そんな……っ」


私に言われるままに体重計から降りた澪が、
何の細工もされてない体重計の目盛りを見ながらうつ伏せに崩れ落ちた。
一縷の望みすら失ってしまった澪の衝撃はどれくらいなのだろう。
私もそう体重が増えた事が無いから、澪の苦しみを完全には分かってあげられないと思う。
こんな時、私は澪に何をしてあげる事が出来るのだろう……。

刹那。
唐突に澪がうつ伏せの姿勢から仰向けの状態になると、
頭に両手を回してから膝を立てて、物凄い速度で腹筋運動を始めた。


「や、痩せなきゃ……!
律に会う前に少しでも痩せておかなきゃ……!」


鬼気迫る表情で澪の腹筋運動は続く。
絶望に陥るだけでなく、改善に向けて行動出来ているのは何よりだけど、
澪の今の行動は、物凄い勢いの腹筋運動のやり方は、大きく間違ってしまっていた。
それを指摘するべきだったのだろうけれど、私にはそれが出来なかった。
呆然と澪の動きを見守る事しか出来なかったのだ。


「す、凄いね……」


傍から澪の行動を見ていた唯も呆然とこぼしていた。
今回ばかりは私も唯と同じ意見だった。
この澪の動きは凄過ぎる。
具体的に言うと、澪の乳房の動きが凄過ぎる。
まさに千差万別の動きで縦に横に大きく揺れていたのよね。
元々乳房の大きな子だと思っていたけれど、
ブラジャー無しで動かすとここまで大胆に揺れる物だったなんて……。
頭の悪い表現だけれど、ぶるんぶるんぶるん、と言う音が聞こえて来そうだ。
これが俗に言う巨乳と言う物なのね……。



159: μ 2012/09/18(火) 19:12:18.96 ID:ut//4wCb0

数分、唯と二人で呆然と澪の乳房の動きを見守っていると、
不意に澪がその場に胸元を押さえて倒れ込んだ。
急激な運動で体力を使い尽くしてしまったのかと思ったけれど、そうではないみたいだった。
胸元を押さえながら、澪は辛そうな表情で呻くように呟いていた。


「に、肉離れ……。
胸の下と間が……、肉離れを起こした……」


「ええーっ……」


呆れたのか、それとも羨ましかったのか、唯がとても複雑な表情で小さく言った。
私も何とも言えない気分で、苦しむ澪に駆け寄る。
乳房の肉離れ。
乳房の大きな子には起こりがちな症状だと聞いた事がある。
筋肉で自在に動かせる部分ではないだけに、肉体を操作し切れず肉離れを起こしてしまうのだ。
スポーツブラの存在理由も、その点が大きいらしい。
乳房を揺らし過ぎる事は、女性にとって大きな負担になってしまうのだ。


「言うのが遅れてしまったけれど、無理をしたら駄目よ、澪。
特にダイエットには継続した運動が必要なの。
そんなハイペースで運動を行っても、筋肉が付くだけでダイエットには繋がらないわ。
協力するから、落ち着いて運動なさい。
ね?」


「う、うん……、分かったよ、和……。
でも、とりあえず、悪いけど今は肉離れを何とかして……」


「分かったわ」


とは言ってみたものの、私も乳房の肉離れの対処法を知っているわけじゃない。
肉離れした時の一般的な治療法と言えば……、そうね……。
結局、私は澪の乳房の肉離れの症状が軽くなるまで、
唯に見られながら澪の乳房の周辺を揉み続ける事しか出来なかった。


「変な光景だね……」


「それは思っていても黙ってなさい、唯」


唯の言う事はもっともだったけれど、
私はそれを気にしないように澪の乳房を揉み続けた。
救いと言えば、澪が変な反応をする事が特に無かったという事かしら。
一般的に誤解されがちではあるみたいだけれど、女性の乳房に性感帯はほとんど無い。
くすぐったさこそ感じる事はあるけれど、逆に言えばそれ以上の感覚は無いのだ。

私も何度か自分の乳房を揉んだ事はある。
でも、たまにくすぐったいと感じただけで、それ以上の感覚は湧き上がって来なかった。
澪の特に何も感じていない様子を見る限り、やはり私が異常というわけではなかったらしい。
よかった……。
ちょっと不安だったから、結構色んな本で調べたりしてたのよね……。
それで逆に変な知識が増えてしまった事もあったのだけれど……。

とにかく、その日はそれから澪のダイエットに付き合った。
律が細身な方だけに、澪も律に相応しい体型を保ちたいのでしょうね。
それにしても、このひきこもり生活が終わって、
律の姿を目前にした時、澪は一体どんな反応を見せるのだろう。
その日が楽しみ……なのだけれど、……あら?
お父さんとお母さんが帰って来る日っていつだったかしら?
確かもうすぐ帰ってくるはずだけれど、そもそも今日は何日の何曜日だったかしらね……?



160: μ 2012/09/18(火) 19:12:47.48 ID:ut//4wCb0






「私の怖い話の番だよね!
うーん……、どの話にしようかな……。
そうだ、これにしようっと!

ねえねえ、澪ちゃん、和ちゃん、二人は夜って怖いと思う?
私は半々かな?
夜だから楽しい事もあるし、夜だから怖いって思う事もあるし……。
でも、夜ってやっぱり怖い所もあるよね。
暗いし、静かだし、変な空気を感じる事もあるし、
茂みなんか見かけると、裏に何かあるんじゃないかって思っちゃうもん。
暗い夜の時間には、何かが居そうな気がするんだよね……。

今から話すのは、そんな夜の時間に起こった話なんだ。
去年の合宿でムギちゃんの家の別荘に泊まった夜にね、
皆で布団を並べて寝てたんだけど、私ね、急に目が覚めちゃったんだよね。
何でかは分かんないんだけどね。
おしっこに行きたくなったわけじゃないし、
暑苦しかったわけでもないし、本当に何でか急に目が覚めちゃったの。

しかも、妙に目が冴えちゃってて、
もう一回目を瞑っても、全然眠くならなかったんだ。
仕方が無いから、買い置きしておいたジュースでも飲もうかな。
って思って起きようとしたんだけど、その時になって初めて気付いたんだよね。
私の身体が全然動かないって事に。

これって金縛りって言うんだよね?
私、金縛りなんて初めてで、びっくりしちゃったんだけど、
でも、金縛りって単に自分の身体が動かなくなるだけだよね?
だから、別に他に怖い事も無いし、すぐに退屈しちゃったんだ。
早く終わらないかな、って心の中でずっと思ってたくらい。

それから十分くらい経った頃かな?
そろそろ本当に退屈になって来たし、
このまま目を瞑って寝ちゃおうかなって思った時、目の前に急に変な乗り物が出て来たんだ。
ううん、乗り物なのかどうなのかは分かんないんだけど、とにかく居たの。
UFOみたいな形で、光りながらふわふわ飛んでる二十センチくらいの何かがね。

宇宙人の乗り物なのかな?
って、不思議と怖い気分にもならないで、
そのUFOを見てたんだけど、急に私のおでこの上に降りて来たの。
それは別に痛くなかったからよかったんだけど、驚いたのはその後なんだ。
UFOの中からね、降りて来たんだよ、小さな生き物が。
ちょっとだけ宇宙人かと思ったけど、そうじゃなかったんだ。

私、びっくりしちゃった。
だって、そのUFOの中からね、
私と憂にそっくりな顔をした二人の小さな女の子が降りて来たんだもん。
その二人は五センチくらいの大きさで、
ミニチュアサイズの私のお気に入りの服を着てたの。
和ちゃんも知ってるでしょ?
ハネムーンって書いてあるあのシャツだよ。
憂にそっくりな方はアバンチュールってカタカナで書いてあったな……。

私、何が起こってるのか分からなくて、
凄く不安になって来たんだけど、その子達が私の鼻の頭に立って笑顔で言ったの。
「大丈夫だよ、すぐに直してあげるからね。
ちょっと故障してるだけだから、心配しなくてもいいよ」って。



161: μ 2012/09/18(火) 19:13:15.52 ID:ut//4wCb0

それから私の鼻の頭から降りると、
しばらく二人の小さな私達は何かをしてたみたい。
たまにチクッとする事があったから、本当に私を直してくれてたのかもしれないね。
直す……、って何を? とは思ったけどね。

また五分くらい経った頃かな?
その子達はまた私の鼻の頭の上に立って、笑顔で言ってくれたの。


「もう大丈夫。
これでまだしばらくは故障せずに活動出来るはずだよ。
貴方の人生、これからも精一杯楽しんでね!」


それだけ言うと、その子達はまたUFOに乗って何処かに行っちゃったんだ。
窓を開けてたから、もしかしたらそこから出てったのかもしれないよね。
ちなみにね、その子達の言った事は本当だったよ。
気が付けば身体が動くようになってたし、
眠くなったからそのまま布団の中で寝直したんだけどね。
それにね、それ以来、金縛りになる事も無かったんだ。
あの子達が私の身体をちゃんと直してくれたんだと思う。

でも……、ねえ、澪ちゃん、和ちゃん。
あの子達は誰だったんだと思う?
私と憂にそっくりな顔をしたあの小さな女の子達は……。

私ね、思ったんだ。
ひょっとしたら私は……、ううん、
この世界の生き物はあの小さな子達の大きなレプリカか何かで、
ずっとあの小さな子達にその行動を見守られてるんじゃないかって。
きっと、居るんだと思うな……。
私だけじゃなくて、澪ちゃんにも和ちゃんにも、
憂やりっちゃんやあずにゃんにも、もう一人の小さい自分が。
見守ってるのか監視してるのか、
どっちなのかはよく分からないけど、そんな風に夜に近くに居てくれる誰かがね……。

でも、そうだとしたら、大きなレプリカの私達は何なんだろうね?
本当に生き物なのかな?
それとも、ひょっとしたらだけど、
その子達の科学技術で作られたロボットみたいな物なのかも……。

……こんな所で私の今回のお話は終わりだよ。
次は澪ちゃんと和ちゃんのどっちが怖い話を聞かせてくれるのかな?」



163: μ 2012/09/20(木) 18:21:59.62 ID:xX5qScGu0






【ひきこもりの限界】


「ねえねえ、和ちゃーん……。
お腹空いたよう……、何かごはん作ってー……」


「……え、何よ、唯……?
寝てるのに、急に起こさないでくれるかしら……?
まだ外、真っ暗じゃないの……。
昨日のごはんの量、そんなに足りなかったの……?」


「ううん、違うよ、和ちゃん……。
ほら、これ、見てよー」


言って、唯が右手に持った何かを左手の指で指し示した。
枕の横に置いていた眼鏡を取って、鼻の先に掛けてそれを確認してみる。
唯が持っていたのは目覚まし時計だった。
アナログ式の目覚まし時計は十時過ぎを示していた。
ほら、やっぱりまだ十時じゃ……、えっ?
確か昨日は十一時頃に三人同時に就寝したはずじゃ……。


「マジでっ?」


私は驚いて、ついらしくない口振りで軽く叫んでしまっていた。
昨日、三人で十一時頃に就寝して、
現在、アナログの時計が十時を示していて、外がこんなに真っ暗という事は……。


「午後の……十時なの……?」


私が絞り出すような小声で訊ねると、唯もげっそりした表情で小さく頷いた。
もっとも、この子の場合は単にお腹が空いてるからなんでしょうけど……。

いえいえ、そんな事よりも……。
今までとりあえずは規則正しい生活を送ってきたつもりの私が、
一日中何もしないまま眠ってしまっていたなんて、何て不覚なんだろう……。
水は低きに流れ、人は易きに流れる、
とは言うけれど、まさか自分の身で経験する事になってしまうなんてね……。
恐ろしいわね、ひきこもり生活……。
もうすぐ夏休みも終わる事だし、しっかり生活のリズムを取り戻しておかないといけないわ。

ちなみに。
昨日のダイエットでよっぽど消耗したのか、
私が三人分の朝昼夜ごはんであるチャーハンを作ってる間も、
暇を持て余した唯がその額に『目』と書いている間も、澪は眠り続けていた。
額の第三の『目』だけ開いたまま、長い長い眠りに落ちていたのだった。



164: μ 2012/09/20(木) 18:22:35.99 ID:xX5qScGu0






「んー……、えーっと……、
今日は私の……、怖い話の番だったか……?」


「そうだけど、眠いようなら眠ってもらって構わないわよ、澪。
今計算してみたら、実に二十四時間以上眠ってるみたいだけど、
まだ眠いみたいだったら、そのまま眠気が取れるまで寝てしまいなさい。
『眠る』という行為は意外と体力とカロリーを使うものだから、
そのままずっと眠っていた方が、ダイエット効果があると思うわよ」


「そう……なのか……?
じゃあ、寝てた方が……、いいのかな……?
でも、怖い話だけは……、ちゃんと話すよ……。
それが終わったらまた寝ちゃうからさ……」


「そう……。
無理だけはしないのよ、澪」


「分かってるよ、和……。
じゃあ、話す……ぞ……?
これは律から聞いた話なんだけどな……、

この夏休み、律はTさんとホラースポット巡りをさ、したらしいんだ……。
和達も知ってるんじゃないか……?
ほら……、テレビでもよく取り上げられる……、あの峠だよ……。
それでさ、今まで話した展開から考えるとさ……、
何か怪奇現象か怖い事が……、起こったんじゃないか、って思うよな……?
でもな……、その日は何も起こらなかったらしいんだよ……。
単なる観光気分で、ホラースポット巡りが終わっちゃったらしいんだ……。
何だか拍子抜けな気分律達が家路に着いた時、
律はふと何者かの気配に気付いて、振り返ってみたらしいんだよな……。
その時、律は見たんだ……!


「破ぁ!!」


という声を上げながら、
幽霊やゾンビや宇宙人や悪魔や天使や魔法使いや……、
チュパカブラや暴れ牛や亀や赤い宝石を額に着けた白い小動物なんかを……、
ロメロ・スペシャル……吊り天井固めで葬り去っていくSちゃんの姿をさ……。
どうもSちゃんがさ……、
律達の安全を護るために……、警護してくれてたみたいなんだよな……。

律はSちゃんに感謝して「ウィー!」と言いながら、
やっぱりセレブ生まれって凄いって思っていたらしい……。
それだとホラースポット巡りの意味が無いんじゃないか、
って、頭の片隅で、若干そう思わなくもなかったそうなんだけどさ……」



165: μ 2012/09/20(木) 18:23:22.58 ID:xX5qScGu0

「そうなんだ。それは律も助かったわね。
じゃあ、もう寝ちゃいなさい、澪。
布団の用意はしておいたから、存分に眠るといいわ」


「うん……、お休みなさい、ママ……」


「あっ、澪ちゃんもう寝ちゃったよ、和ちゃん!
しかも、和ちゃんの事、ママって言ってた!」


「相当寝惚けてたんでょうね。
それにしても、結局、澪が話したのは律から聞いた話だけだったわね。
そういえば、一度澪のお母さんと話した事があるんだけど、
澪の口調って律の口調に影響されてこうなったらしいのよね。
口調まで影響されるなんて、律が澪の人生を変えたと言っても過言ではないわ。
そんな澪が久し振りに律に会ったらどうなってしまうのかしら……?
楽しみなような、怖いような……」


「きっと泣きながら抱き着いて、チューとかしちゃうんじゃないかな!
私、あずにゃんに久し振りに会ったら、同じ事をしちゃいそう!」


「やめてあげなさい、唯。
そんな事したら、多分、梓ちゃん泣くわよ。
あんたのそういう発想が怖いわ……」



166: μ 2012/09/20(木) 18:23:50.71 ID:xX5qScGu0






【ひきこもりの極限】


やっとの事で読書感想文を書き上げた私は、
唯達と三人で何となくお昼のサスペンスを鑑賞していた。
ちなみに読書感想文で『戦争と平和』について書くのは諦めた。
やっぱり物語が壮大過ぎて、感想を纏められそうにないのよね。
代わりに前に読んだ『罪と罰』について書いたのだけれど、
我ながらそれなりに出来のいい読書感想文が書けたと思う。

それにしても、サスペンスで真相を告白する時の場面のあの崖は何処なのかしら?
と特に感慨も無くサスペンスのクライマックスを鑑賞していると、
不意にテーブルの上に置いていた澪の携帯電話が振動を始めた。
三人で一斉に液晶画面に視線を向ける。
携帯電話の液晶画面には『律』と表示されていた。


「律っ!」


私が止める隙も無く、澪が携帯電話の着信ボタンを押していた。
そんなに律の動向が気になっていたのね、澪……。
通話料金で私達の居場所が分かってしまうんじゃないか、
と一瞬不安になったけれど、律なら大雑把だから気にしないかもしれない。
何ならもう日本に戻って来てて、東京観光して帰る予定って事にしてもいいし。
ただ、二人の話の内容自体は知っておきたいわね……。
私はハンズフリーボタンを押してから、そのまま澪の携帯電話をテーブルの上に置かせた。


「お、出るの早いな、澪ー。
そんなに私の声が聞きたくて寂しがってたのかー?」


律のお気楽な声が電波に乗って聞こえて来る。
その声を聞くだけで私達の事情を何も分かっていない事が分かる。
まずは一安心といった所かしら。
でも、油断は出来ない。
普段はいい加減で大雑把に見えるのに、律はたまに鋭い事がある。
ちょっとした事で私達の嘘に気付く可能性もあるから、気を引き締めないといけないわね。


「べ、べべ、別に律の声が聞きたかったわけじゃないぞ!
結局、合宿はどうなったんだろう、ちゃんと練習したのかな、
って、合宿に参加出来なかった身としては、気になっただけなんだからな!
それだけなんだからな!」


顔中を真っ赤にした澪が律の言葉に反論する。
典型的な素直になれない子ね……。
あれだけ律の事で一喜一憂していたんだから、少しは素直になればいいのに。
もっとも、二週間嘘を貫き通し続けている私に言えた事ではないけれど。


「ははっ、わーってるわよ、澪ちゅわん。
もう、澪ちゅわんったら冗談が通じないんだからぁー」


澪の言葉を悪く思った様子も無く、律の笑い混じりの声が響いた。
こんな態度の澪にはもう慣れているという事なのだろう。
流石は熟年の幼馴染みと言った所かしら。
対した澪の方は、電話で話しているという安心感があるからか、
心の底から残念そうな表情で肩を落として、大きな溜息を吐いていた。
素直になれなかった自分を後悔しているのだろう。
その表情を律に見せれば、律の態度も多少は変わるはずだけど、
それを澪自身に教えるのは、大きなお世話なのかもしれないわね。
私は軽く苦笑してから、澪達の会話を静かに見守る事にした。

次に会話を切り出したのは律だった。
特に何でも無い事のように、軽い感じで切り出していた。



167: μ 2012/09/20(木) 18:24:16.74 ID:xX5qScGu0

「でさ、合宿ならさっき終わって帰って来た所だよ、澪。
合宿じゃ結構遊びもしたけど、練習だって相当やったんだぜ?
少なくとも学校で部活やる時の三倍くらいはやったな、マジな話。
だから、今度セッションする時は澪達びっくりすると思うぞ?
私達の演奏の上達っぷりにな!」


「そっか……、それはよかったよ……」


呟きながら、澪は浮かない顔を浮かべていた。
浮かない顔なのは、合宿の事以上に気になる事があるからだろう。
勿論、梓ちゃんと律の事だ。
先日電話で話した時、梓ちゃんと律は妙に急接近していた。
いつも顔を合わせていても、旅先では違った印象を感じる物だから、
その結果、二人が急接近していても、何もおかしくは無い事なんだけれどね。
ただ、あまり仲の良さそうな二人ではなかっただけに、
二人の予想外の急接近に澪は気が気でない事も手に取るように分かった。


「ねえねえ、ムギちゃんは元気だったのー?」


急に唯が声を上げて電話の会話の中に入った。
澪は一瞬驚いた表情をしたけれど、電話の先の律の声は変わらず楽しそうだった。


「お、何だよ、唯も居たのか?
居るなら居るってちゃんと言っとけよー。
って、ま、いいけどな。

おう、ムギも元気だったぜ。
何か妙にぼんやりしてる事が多かったけど、元気には違いなかった」


「ぼんやり……? 夏バテなのかなあ……?
ムギちゃんとはこの前電話出来なかったから、気になってたんだよねー」


「いや、夏バテじゃないみたいだから、心配はしなくても大丈夫だぞ。
何か私と梓が遊んでたら、超うっとりしてこっちの方を見てたくらいだからさ。
まあ、楽しそうって言えば楽しそうだったから、そのままにしておいたんだけどな」


「超うっとりっ?」


澪が悲鳴みたいな小さな声を上げる。
何をそんなに驚く事があるのかしら?
と思ったけれど、少し思い返してみると思い当たる事があった。
前に教室で澪と弁当を食べていた時の話だ。
『ムギって部活ではどんな子なの?』って私が訊くと、
『真面目で頼り甲斐のある子だけど、
たまに私達の方を見てうっとりしてる事がある』と澪は答えたのだ。
『特に私が律を叩いた時なんかよくうっとりしてるよ』と後で付け加えて。

その時はよく分からなかったのだけれど、今なら何となく分かるわね。
つまり、ムギは女の子同士が仲良くしているのが好きな子なんでしょうね。
そういえば、一度ムギと帰り道が一緒になった時、
私と唯の関係について詳しく訊かれた事があったわね。
あれは私の事を知りたくもあったんでしょうけれど、
私と唯がどれくらい仲が良いのかを知りたかったのだろう。
勿論、その女の子同士が仲良くしてる度合いが、どの程度までが好きなのかは分からない。
単なる友人同士の接し合いが好きなのか、同性愛に興じる女の子同士が好きなのか……。
別にどちらでも構わないけれど、後者だとしたら澪には大問題に違いなかった。
後者だとすると、律と梓ちゃんが同性愛に見えるほど仲良く見えるという事だものね。
だからこそ、澪は悲鳴を上げたのだ。

澪の悲鳴が聞こえたらしい律は電話の先で苦笑したらしかった。
苦笑したような息遣いが電波に乗って聞こえた後、律が何でも無い事のように続ける。


「急に叫ぶなって、澪。
まあ、それ以外はムギも普通に元気だったよ。
海で泳いで、その後で練習して、夜には怖い話なんかしたりしてさ、
うん……、三人だけの合宿だったけど、結構面白かったなー。
特に梓の意外な所とかも見れたし、私的には大成功の合宿だったと思うぞ?」


「あずにゃんの意外な所っ?」



168: μ 2012/09/20(木) 18:24:59.53 ID:xX5qScGu0

次に叫んだのは唯だった。
澪も叫ぼうとしていたみたいだけど、唯に先を越されてその声を呑み込んでいた。
唯が所在無く両手を動かしながら、縋るように律に訊ね始める。


「ね、ねねねね、ねえ、りっちゃん……。
あずにゃんの意外な所って……、あずにゃんの意外な所って何なのっ?
まさかそんなに色んな所のホクロを見たの?
お風呂の中でお互いのホクロの数をチェックし合ったの?
二人のホクロの数だけしっぺし合ったりしたの?
ねえねえっ?」


「どうしておまえはそんなにホクロにこだわるんだ……。
大体、別に梓のホクロなんて数えねーし……。
強いて言えば首の裏側にホクロがあるんだなー、って思ったくらいだよ。
何だよ、二人のホクロの数だけしっぺって……。
大体、梓の意外だと思った所ってホクロとは何も関係ねーし……」


「じゃあ、何処が意外だったの?
ま……、まさかアソコ……?
あずにゃんのアソコの毛が何か……っ?」


「おまえは何を言っているんだ。
単に海で結構はしゃいでた梓が意外だったってだけだよ、分かれよ。
練習三昧になるかと思ったら案外遊びに付き合ってくれたし、肝試しもやってくれたんだぜ。
まあ、肝試しはムギを含めて、誰も怖がってくれなかったけどさ。
そうそう、まだ言ってなかったけど、実は合宿にさわちゃんが飛び入り参加したんだぜ。
やっぱ一人じゃ寂しかったみたいでさー。
来るなら来るって最初から言えばいいのになー」


「さわちゃんの事はいいから!
さわちゃんの事は後でいいから!
あずにゃんの……、あずにゃんの毛の事を教えて!
あずにゃんのアソコの毛の事をどうか私にー……!」


「もっと大切にしてやれよ、自分の部の顧問……。
って、どれだけおまえは梓の毛の事を重要視してやがる……。
しかも、アソコっておまえな……。

うーん……、でも、確かおまえ、
前の合宿で自分に怪我生えてない事を気にしてたよな。
唯にとっちゃそれだけ重大な問題って事か……。
しゃーねーな……、梓には悪いけど教えてやるよ。
言っとくけど、梓には私から聞いたって言うなよ?」


「うんうん、誰にも言わないから!
それでどうだったの?
あずにゃん、生えてなかったよね?
あれだけ小っちゃくて可愛いあずにゃんに、毛なんか生えてないよねっ?」


その言葉の後、唯が固唾を呑む音が聞こえた。
釣られて私も少し緊張してしまう。
私の予想では、恐らく梓ちゃんの陰毛は……。
数秒後、重苦しい律の言葉が電波に乗って届いた。



169: μ 2012/09/20(木) 18:25:31.60 ID:xX5qScGu0

「うんにゃ、生えてたよ」


「……えっ?」


「いや、私もびっくりしたよ。
実を言うとさ、唯って前例もあるから、
ひょっとしたら梓も生えてないんじゃないか、って思ってたんだよな。
でもさ、しっかり生えてたんだよ、そりゃもうもっさりと。
私より生えてるどころか、澪くらいモッサモサに生えてたな。

ちょっと意外だったけど、冷静になって考えりゃ当たり前だよな。
梓の奴はちっこいけどさ、それでも一応、高校一年生なんだもんな。
大体、梓がちっこいっつっても、小五くらいの大きさはあるわけじゃん?
小五くらいから毛が生えてる同級生も多かったわけだし、
梓の毛が生えてても全然おかしくないよなー」


「そんなー……」


唯が肩を落としてテーブルの上に突っ伏す。
私はその唯の頭に軽く手を置いて、撫でてあげた。
やっぱり、私の予想通りだったらしい。
小さな身体をしているとは言え、体型と陰毛の有無には何の因果関係も無いのだ。
梓ちゃんの陰毛が人以上に濃くても、律の言う通り何の不思議も無い。


「それ以外はっ?
それ以外、梓に意外な所は無かったのかっ?」


落ち込む唯を押し退けて、澪がそう叫んだ。
唯の件が一応解決してしまった以上、次は澪が律に質問を浴びせる番だった。


「何だよー、澪も唯もよー。
二人とも梓の事が大好きなんじゃねーか……。
話題にも上らない私としては傷付いちゃうわよん、よよよ……」


「い、いや、そういうわけじゃなくて……。
私は律の事が気になるから梓の事を訊いて……、
いや、だから……」


「冗談だってば、澪。
二人とも後輩の梓の事が気になってるんだろ?
先輩として正しい姿だよ、二人とも。
それは部長として嬉しい事だぞ。
うむ、そんな部員を持てて、私も鼻が高い高い」


律に冗談交じりに言われ、ばつが悪そうに唯と澪が縮こまった。
二人とも梓ちゃんより自分の事を気にしてしまっていたのだ。
その事に対して、申し訳ない気持ちになってしまったのだろう。
そんな二人の様子に気付いているのかいないのか、苦笑交じりに律が続けた。


「梓に他に意外だった所は無いと思うぞ、一応。
でも、梓が意外に乗りのいい奴だったって気付けただけで私は十分だよ。
真面目過ぎる後輩だと思ってたけど、私達と楽しそうに遊んでくれたんだもんな。
それだけであいつと残り二年、楽しい部活が出来るような気がするんだ……。
あいつと楽しい部活にしていこうな。

……って、これオフレコな!
さっきのあいつの毛の事と一緒にオフレコにしといてくれよ!」



170: μ 2012/09/20(木) 18:25:58.40 ID:xX5qScGu0

成長したのね、律、と私は思った。
律が部長で大丈夫なのかしら、
って思う事も結構あったけれど、合宿が律も梓ちゃんも成長させたみたいね。
この調子なら、軽音部は今までよりずっと素敵な部として発展していく事でしょう。

ふと視線を向けてみると、澪は安心したような表情を浮かべていた。
律と梓ちゃんが急接近した事には動揺したけれど、
危惧していたような急接近ではなかったからか、それに安心しているみたいだった。
私の視線に気付くと、澪は次に恥ずかしげな苦笑も浮かべた。
動揺ばかりしていた自分を恥じると同時に、成長した律の姿を嬉しくも思ったのだろう。
私も気にはなっていただけに胸を撫で下ろす気分だった。
梓ちゃんの陰毛の事以外は、合宿が滞りなく終わった事が私も嬉しい。

と。


「あっ、そういや……」


瞬間、律が何かを思い出したように続けた。
私と澪はそれに耳を傾け、唯も少し悲しそうな表情で顔を上げる。
小さく嘆息してから、唯が律に訊ねた。


「どしたの、りっちゃん?」


「もう一つだけ梓の事で面白い事を思い出したんだよ。
なあ、おまえ達もハワイに行ってるんだから、当然だけど海で泳ぎまくってるよな?」


「ま……、まあね。
勿論、一日中ハワイのシャイニングオーシャンで泳ぎまくりだよ!
アイム・スイミングだよ!」


「だよな?
私達もおまえ達ほどじゃないんだけど、それなりに泳いだんだよな。
日焼け止めは塗ったけど、身体中が日焼けで痛いの何のって。
まあ、それは普通の事なんだけど、凄いのは梓なんだよ。
梓の奴、すげーんだぜ?
合宿に来て一日海で遊んだだけで真っ黒に日焼けしちゃってさ、ありゃ凄かったなー……。
傍から見てるだけですっげー痛そうだしさ。
唯達もハワイから帰って来たら、梓の驚きの黒さを見てやれよ、びっくりするから。

そういや、明日日本に帰って来るんだっけ?
おまえ達は日焼けとか大丈夫なのか?」


「うん、日焼けは大丈夫だよ。
だって……、あっ」


瞬間、唯が口を閉じた。
『日焼けなんかしてないから大丈夫だよ』、
と言いそうになったのを止めてくれたのだろう。
よかった……。
私達は日焼けをしてないけれど、それを口にしたらあまりにも不自然だ。
律達と再会するまで、私達は日焼けしているという事にしておくべきだろう……。
……って。


「日焼けぇっ?」


今度叫んでしまったのは私だった。
しまった。私とした事が完全に失念してしまっていた。
日焼けオイルの塗り方を練習していたのに、それで満足してしまっていたのだ。



171: μ 2012/09/20(木) 18:26:27.89 ID:xX5qScGu0

「な、何だよ、和も居たのか?
居るなら居るって言ってくれって言ったじゃんかよー……。
それにしても、どうしたんだ?
日焼けでも痛いのか? 痛いなら薬でも塗って……」


律が電話の先で何かを言っていたけれど、
私はその律の言葉を聞いている余裕なんて無かった。
まずい……、これはまずいわ……。
私達は約二週間直射日光を浴びずに家の中にひきこもっていた。
その私達の肌は当然だけど、ほとんど日焼けをしていない。
少なくとも、ハワイに行っていたとは思えない驚きの白さをしている。
これをどういう嘘で乗り切ればいいのかしら……。

そう……、そうよ……。
ハワイに行った当初の一週間は海で泳いでいたけれど、
残り一週間は観光に没頭していたという言い訳はどうかしら?
駄目だわ……!
人体の皮膚の再生のサイクルは約二十八日間。
しかも、それで完全に日焼けが治るわけでもない。
何度も再生するうちに日焼けは無くなり、肌は白くなっていく……。
この日焼けの言い訳だけは、どうやっても通じない……!

律の言葉が確かなら、ひきこもり生活の終了まで、残り一日。
残り一日で私達に何が出来るというの……?
最後の土壇場、究極の問題が私達の前に立ちはだかってしまうなんて……。
私は……、私はこの問題に対してどう立ち向かっていくべきなんだろう……。



172: μ 2012/09/20(木) 18:26:54.68 ID:xX5qScGu0






【ひきこもりの終焉】


「和ちゃーん……、くすぐったいよう……!」


「我慢なさい、唯。
私だって身体中がこそばゆくて気持ち悪いくらいよ。
でも、今日を乗り越えれば少しは慣れていくはずよ。
だから、頑張って、お願い……!」


「う……、うん……」


私の家の玄関の前、私が懇願すると、唯は戸惑った表情で頷いてくれた。
今日一日……、今日一日を乗り切れば私の目的は達成されるのだ。
もう形振り構ってはいられないし、
衣服のこのくすぐったさにも耐えないといけない……。

今日はお父さんとお母さんがハワイから帰国してくる日だ。
正確には夕方過ぎに帰って来るらしいけれど、そんな時間まで待てなかった。


「そんな方法で本当に大丈夫なのか、和……?」


くすぐったそうにしながらも、澪が心配そうな表情で私に訊ねる。
澪の言い分も当然だけれど、私には他に方法が思い付かなかったのだ。
日焼けしていない私達の姿を誤魔化す方法……、
当然だけどそんな方法は一晩考えても思い付かなかった。
思い付かなかった代わりに、別の発想に辿り着いた。
日焼けしていないのが問題なのであれば、
本当に日焼けしてしまえば、何の問題も無いという答えに辿り着いたのだ。

勿論、一朝一夕で簡単に日焼けなんか出来るはずもない。
でも、この時代には、自在に日焼け出来る文明の利器が存在している。
そう、日焼けサロンだ。
この町にそんなお店が存在しているなんて知らなかったけれど、
意外に需要があるらしく、駅前に一店ある事が澪に携帯電話で調べてもらって分かった。
ならば、私達は一刻も早く日焼けサロンでこんがり焼けるだけだ。
お金なら問題無い。
二週間の生活費としてお父さん達が残してくれたお金が、まだ二万円ほど残っている。
「和ちゃんがケチで助かったよねー」とは唯の弁だけど、事実なので反論の仕様も無い。
それに私は自分の守銭奴さに感謝している。
最後の最後、問題を解決出来る余力が残っていたという事だものね。


「じゃあ、行くわよ、二人とも。
言っておくけど、知り合いに会っても気付かない振りをしていて。
最終目標はあくまで日焼けサロンで肌を日焼けさせる事よ。
それまではまだこのひきこもり生活が続いてると認識しておいて。
いいわね?」


「ほいさ!」


「わ、分かった!」


二人が頷いたのを見届けると、
私は玄関の扉を開いて二週間振りに服を着て外界に飛び出す。
その私の後に唯と澪が続いて来る。



173: μ 2012/09/20(木) 18:27:22.69 ID:xX5qScGu0

「うわっ、まぶしっ!」


呻いたのは唯だった。
久し振りの直射日光は暑いというより眩しかった。
暑さだけなら私の家の中の方が上かもしれない。
でも、日の眩しさと熱に照らされ続けるのは、ずっとひきこもっていた身としてはかなり辛い。
いきなり挫けそうになる自分自身を叱咤して、私は一歩、また一歩と駅前に足を進めていく。
これが最後の試練なんだから。
この試練を乗り越えれば、何の問題も無く高校生活を過ごせるんだから……!
そう自分に言い聞かせながら、三人で人目を避けて進んでいると不意に。


「あっ……!」


見知った顔が道路の先に立っている事に気付いて、私は唯達の足を止めさせた。
危なかったわ……。
これは偶然なのか、それとも神の悪戯なのか、
道路の先、ほんの二十メートルほどの距離に私は律の姿を発見していた。
見る限り、私達も行きつけのハンバーガー屋に向かっているみたいね。
まだ律が私達の姿に気付いている様子も無い。
用心しておいてよかったという所かしら。
でも、まだよ……。
まだまだ用心して進んで、ひきこもり生活を完璧な形で完遂しないと……。

と。
嫌な予感がした私は黒髪のクラスメイトに視線を向ける。
黒髪のクラスメイト……、
澪は久し振りに見る律の姿に居ても立っても居られない様子だった。
離れていた時間が澪の中の感情を遥かに増大させてしまったのだろう。
会えない時間が想いを強くしたのね、澪……。
……そんなロマンティックな事を考えている場合では無かった。
咄嗟に私は澪の手首を掴んで、耳元で重い口調で囁いてみせる。


「駄目よ、澪。
気持ちは分かるけれど、まだ駄目。
律と会うのは私達が日焼けをしてからよ。
それからなら、いくらでも会いに行っていいから……!」


「で、でも、律がすぐ傍に……。
久し振りに見る律の顔を見てたら私……、私……!」


「後で……、後でよ、澪……!
そうね……、今度、あんたと律のデートを協力するわ。
私と澪と律で何処かに遊びに行く約束をして、
当日になって私に急用が入ったって事にすれば、あんたと律の二人きりのデートよ。
どうか、それで手を打ってくれない?
お願いよ……!」


「う……、うう……、わ、分かったよ。
我慢する……、我慢するから……、約束だぞ、和……」


「当然よ、任せて」


二人で固く手を握り頷き合う。
念の為、唯の手首も握っておいて、これで問題はクリアされたはずね。
後は律が通り過ぎるのを待てば……。



174: μ 2012/09/20(木) 18:27:52.80 ID:xX5qScGu0

それにしても、危なかったわ。
久し振りに律の姿を見たけれど、予想以上に日焼けをしているわね。
日本の海で四日泳いだだけの律でさえ、あの日焼け具合なのだ。
ハワイに二週間行っていたはずの私達がこの肌の白さだと異常でしかないわ。
日焼けサロンでは念入りに焼いてもらう事にしなきゃね……。

そう思った瞬間、私達は気付いてしまった。
律が駆けて行った先に、ツインテールの子が立っていた事に。
普段と全く異なっているから、見落としてしまっていた。
肌の色が全然違っていたから気付けなかったのだ。
特徴的なツインテールにあの背丈……、間違いない、梓ちゃんだ。
これは予想外だった。
律は驚きの黒さと言っていたけれど、
まさか本当に梓ちゃんがこんなに日焼けしていたなんて……!

だけど、それだけなら問題無い。
これは単に律と梓ちゃんが待ち合わせをしていた、
ってだけの話であって、私達のこれからの行動には何の問題も無いわ。
むしろ梓ちゃんに気付かれる前に、
日焼けした梓ちゃんの姿を見ておけて幸運だったとも言えるわね。
こんなに日焼けしてるなんて、話には聞いていても想像も出来ない。
それこそ律が駆け寄って行かなければ、梓ちゃんの存在にも気付けなかっただろう。
大丈夫、私はまだついているわ……!

でも、私は不覚にも思いも寄っていなかったのだ。
澪の律に対する想いの強さに。
二週間律に会えなかった澪の寂しさに。

きっかけは合流した律が梓ちゃんの手を握った事だった。
これから二人で何処かに遊びに行くのだろう。
私はそれくらいに軽く考えていたのだけれど、
澪にとってはそれこそがいたく衝撃的な事だったのだ。


「ああああああああああああああああああっ!」


街中に響くのではないかと思えるほどの絶叫。
絶叫したのは、勿論澪だった。
半泣きで、絶望し切った表情で、喉の奥から叫んでいた。
周囲で歩いていた人達が足を止めて一斉に私達の方に視線を向ける。
勿論、それは道路の先に居た律達も例外ではなかった。


「あっれー、澪に唯に和じゃん?
どうしたんだよー、こんな所で?
もうハワイから戻って来たのかー?」


梓ちゃんの手を握ったまま、律が道路の先から駆け寄って来る。
ひきこもり生活の事なんか完全に忘れ去っている様子で、
澪が律達の繋がれた手を指し示しながら、呻く様な言葉を絞り出した。


「なななななな、何で二人とも手を繋いでででででで……!」


「何でって訊きたいのは私達の方なんだが……。
手……ってこれか?
いや、これから憂ちゃんと会う約束しててさ、
遅れちゃって悪いから二人で急ごうぜ、って意味で手を握っただけなんだが……」


「そ、そうなんだ、よかったー……」


「よかったって何だよ……。
いやいや、それより、おまえ達どうしてこんな所に居るんだよ?
何かやけに日焼けしてない気がするけど、実はハワイに行ってないんじゃないか?
なんてなー」


そう言ってから律が笑ったけれど、梓ちゃんも含めて誰も続いて笑わなかった。
そうしている間にも、私の頭は混乱の極致を極めていた。
まだ……、まだよ、和……。
まだ誤魔化せる、誤魔化せるはずよ……。
そうね……、この全然日焼けしてない肌は、
ハワイで凄く焼けて恥ずかしいから、化粧で白くしてるって事にすれば……。
誤魔化せる……、これならまだ誤魔化せるわ……!



175: μ 2012/09/20(木) 18:28:20.46 ID:xX5qScGu0

「この日焼けはね、律。
実は化粧で……」


「そういえば、唯先輩?」


私の誤魔化しの言葉は、梓ちゃんの質問に掻き消されてしまった。
まさか自分に話を振られるとは思っていなかったらしく、
唯は動揺して痙攣したように震えながら大汗を掻いていた。
震える唇を開いて、首を傾げる。


「ななな、何かな、あずにゃん……?」


「憂が心配してましたよ?
お姉ちゃんハワイでちゃんとやってるかな、って。
元気な姿をちゃんと憂に見せてあげて下さいよ?」


「う、ううう、うん、勿論ダヨ?
憂と会えるのが楽しみダナー?」


「それともう一つ質問があるんですけど、パスポートはどうしたんですか?
急にハワイに行くなんて、パスポートも必要なのに……」


「パ、パスポート……?
ももも、勿論、持ってるよ?
わわ、私、海外旅行した事あるもん!」


「憂が期限切れてるはずだ、って言ってたんですけど……」


「き、期限……っ?」



176: μ 2012/09/20(木) 18:29:04.38 ID:xX5qScGu0

唯が縋るような視線を私にぶつけて来た。
パスポート……。
うん、パスポートね……。
そういえば、あったわね、そういう面倒なしきたりが……。
すっかり忘れていたけれど……。
私は肩を落として太陽を見上げながら笑った。
久し振りの太陽はいやに眩しくて目に染みた。
何故だか太陽がぼやけた気がしたけれど、
それは涙で私の瞳が濡れてしまっていたからなのかしら……?
こうして、私の二週間に渡るひきこもり生活はいやにあっさりと終わった。

後の事は思い出したくないので、
これで私の一夏のひきこもり生活について語るのを終わろうと思う。
この後、予想していたほどには皆に馬鹿にされはしなかったけれど、
予想していた以上に皆から心配されてしまったのが逆に痛かったのだが、それはまた別の話だ。
ただ一つ言える事があるわ。
このひきこもり生活で学んだたった一つの事……。
それは……。







素直に生きよう!










         おしまい



177: μ 2012/09/20(木) 18:32:03.57 ID:xX5qScGu0



これにて終了です。
長々と馬鹿馬鹿しいお話でしたが、
これまでお付き合い頂いた方、どうもありがとうごさいました!


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