SS速報VIP:唯「ねえ、あの頃のわたし心配しなくてもいいよ」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1315651962/1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 19:52:42.48 ID:PhNH+igAO
わたし―平沢唯―が運転する車は道路を順調なペースで進んでいた。
フロントガラスごしに見える世界はすでに見馴れてしまったもの、建ち並ぶ規格化された住居、ソーラーパネルののった屋根、その切れ間にあるいくつかの昔ながらの家、大きなデパート、小さなコンビニなどで埋め尽くされていた。
わたしはそれらすべてに向けてため息をつく。
もう少しで家に帰ることができる。
学校勤めで疲れた体を癒してくれるのは、たとえ誰もいなくても、我が家だけだった。
2: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 19:54:15.48 ID:PhNH+igAO
すると、どこで道を間違ったのかいつもと違う道に出てしまい、右手に桜が丘高校が見えてきた。
今までの人生の中で最も輝いていた青春時代を過ごしたあの場所だ。
懐かしさと切なさが同時に込み上げてきて胸が締め付けられた。ふとみんなのことを考えてしまう。
たぶん高校生の頃のわたしだったら涙していただろう。でも25歳のわたしにはそれができないし、そのことがいいことなのかどうかさえわからなくなっている。
わたしたちはいつから道を違えてしまったのだろう。それとも最初からその道は別の方向を向いていたのだろうか。
そんなふうに感傷に浸っていると突然車内に音楽が鳴り響いた。
わたしはそれがビートルズのyesterdayだとわかったので、ポケットに入れてある携帯をとった。
運転中の相手に電話をかけるなんて非常識極まりないと勝手に思いながら、憂鬱な気分で電話に出る。
教師「唯先生、実はですね。明日は緊急の職員会議がはいったんですよ」
唯「え…わかりました」
教師「休みの日に大変だろうとは思いますが……」
唯「いえいえ、大丈夫です」
教師「ではそういうことで」
それで電話は切れた。
わたしはなんだかやりきれない気持ちになって思い切りアクセルを踏んだ。
今思えばそれが問題だったのだ。
目の前が不思議な光に包まれて、事故かなんかかと思って瞼を閉じて、開いたら見知らぬ場所にいた。
気づくとベンチに座っていた。どこにでもあるような緑色をしたベンチだ。太陽光が照りつけてきて屋外にいるのだとわかる。
自分がまだ車に乗ったままの格好、ハンドルを持つみたいに手をのばしている、ことに気づきあわてて姿勢を戻す。
周囲を見回したが幸いこちらを見ている人はいないみたいだった。
わたしは公園にいた。
中心に噴水が置いてあり、その周囲を取り囲むように4つベンチが置いてあるだけの簡素な公園だった。人はあまりおらず、鳩が我が物顔で公園を占有している。
不意にどこからか嗚咽混じりの泣き声が聞こえた。はじめは噴水の音かと思ったが、やはり誰かが泣いてるようだ。
わたしは改めて、今度は注意深く辺りを眺めまわす。
すると一人の少女が目に入った。俯いたまま、両手でその顔を押さえている。どうやらあの栗色の髮の少女が泣き声の正体みたいだ。
わたしはその少女からなんだか奇妙な感じを受けた。そのせいもあったのか、わたしは少女のほうへ近より、その肩を叩いていた。
唯「ねぇ、大丈夫?」
少女「ひぃぐ…えぐっ……あっ」
少女がこちらを振り向いた。その顔を見た瞬間、全身に驚愕が走る。数十秒そのままそこに突っ立っていた。
――それはわたしだった。
いやこれでは語弊がある。
――それは昔のわたしだった。
まさか自分を見間違えるわけもなし。
しかしその少女、平沢唯の方はわたしに対しなんの驚きも得ないみたいだった。
これはどういうことだろう?
考え出すと頭がパンクしそうなのでいったん疑問をわきに押しやり、持ち前の気楽さをもって彼女に意識を向ける。
大人唯「ほらっ、ハンカチで涙拭きなよっ」
唯「ぐすん…ありがとうございます……」
彼女は涙を拭き終えてしまうと、ぐちょぐちょになったハンカチを申し訳なさそうにわたしに返す。
大人唯「泣き止んだ?」
唯「…うん……もう大丈夫です」
大人唯「敬語なんか使わなくてもいいよー」
自分自身に敬語を使われるのはなんとも気持ちが悪い。
大人唯「さてと……」
どうしたものか。
とりあえず今の状況を把握する必要がある。
だからわたしは尋ねた。
大人唯「今って西暦何年?」
唯「……へっ?」
彼女はきょとんとしている。
それもそうだろう。普通の人が西暦何年?なんて尋ねる人を見かければ、キチガイだと思うか、未来人乙と軽くあしらうはずだ。
わたしは本当に未来人なわけだけど。
唯「……えーとね、2011年だよ?」
ということはここは7年前の世界?
7年前といえばわたしがまだ高校3年の頃だ。
あの光に包まれたときに過去にワープしたってことなのだろうか。あの車で。
そんなバックトゥーザヒューチャーがあっていいのかな?
もうひとつ新たな疑問が浮かんできた。ここはどこなのだろう。
バックトゥーザヒューチャー理論を用いれば過去に戻るはずの地点は同じなはず。なのにわたしはこの場所を知らない。
ここは桜が丘ではない。
大人唯「……ここはどこ?」
唯「お姉さん、次にはわたしは誰って言いそうだねー」
大人唯「あ、あはは…」
唯「ここはね〇〇県なんだって」
桜が丘からはかなり遠い場所だ。
大人唯「えっ?じゃあなんで君はこんなところに?」
言った後でしまったと思った。
わたしは彼女が桜が丘に住んでいることを知っているからそう思うが、そんな疑問を抱くことは普通ない。
けれども彼女はそんなことに気づいてないようすだった。あるいは誰かに話を聞いてもらいたがっていたのかもしれない。
唯「けんかしちゃったんだ……」
大人唯「けんか?なんでまた」
唯「わたし高校の友達とバンドやっててね、卒業ライブをすることになったんだけどわたしがやりたくないって言ったから」
大人唯「……」
思い出した。
あの頃、わたしは卒業ライブがしたくなくてみんなと口論になった。それでこんなところまでやってきたのだ。
唯「ライブをしたらね、終わっちゃう気がしたんだ……」
わたしは卒業するのが嫌だった。
同じ大学にいくとわかっていてもなんとなく今までのままじゃいられない気がした。大人になりたくなかった。
唯「……わたしってわがままなのかなあ?」
大人唯「うーんそうかも……でもその気持ちはすごくよくわかるな」
だけど今のわたしは別のこともわかっている。
終わりというのは何かをきっかけにぶつりと切れてしまうのではなくて、音楽がフェードアウトするみたいに徐々に消えていくものだということが。
大人唯「こういうのは誰かにぶつけちゃうのが一番いいよ」
あの頃のわたしも誰かすべてぶちまけられるような人を心の奥で欲していた。
だから彼女は話し出した。
部活のこと、それが失われてしまう気がしたこと、みんなには悪いと思ってること、だけどなんだか謝ってしまいたくないこと。
――わたしたちのバンドは放課後ティータイムっていうんだ
――いつもお菓子たべてばっかりなんだけどね
――でも演奏は誰にも負けてないんだよ
――あ、その部長ていうのがりっちゃんって言ってね、すごく一緒にいると楽しいんだ
――うん。みんなとはいつも一緒だから、よけい不安なのかなあ
――そうそう澪ちゃんはかっこよくてしっかりしてるって言ったけどすごく怖がりなんだ
――ムギちゃんはいつもはおしとやかなのにそこでは一番やる気だったんだよー
――あずにゃんをぎゅっとするとさ柔らかくてやめられないよ、えへへ
――うーん、そうかも。あずにゃんひとりになっちゃうもんね
――わたしから謝ったほうがいいよね。でもさ……ううんなんでもない
――誰かひとりでも欠けたら放課後ティータイムは成り立たないんだよっ
彼女は話している間ずっと生き生きとした顔をしていた。だからそのぶん時折見せた悲しげな姿が、さらにやるせないように感じられた。
ふと空を見上げるとすっかり赤くなっていた。少し話し込みすぎたみたいだ。
大人唯「帰れるの?」
彼女がほとんどお金を持っていないことを知りながら尋ねる。たしかわたしのときは警察にお世話になった。
唯「えっと、その、あ……だいじょうぶ……かな?」
大人唯「…わたしが桜が丘までならついていこっか?」
唯「えっ、でも……」
大人唯「いやいや大丈夫だよー。実はわたしも桜が丘に用事があるから」
これは本当だった。
わたしがワープしたはずのその地点に行けば、どうにかなるのではないかと考えていた。
唯「あ、ありがとうございますっ」
彼女はおおげさに頭を下げてみせる。
大人唯「いいっていいって。そうと決まればさっそくいこうかー」
こうしてわたしたちは駅に向かうことになった。
路上にはゴミが落ちていて、懐かしいなと思う。未来ではポイ捨ては法律で固く禁止になりゴミを路上に捨てる人はいなくなった。
大人唯「そういえば君はなんていう名前?」
唯「平沢唯だよ。お姉さんはー?」
大人唯「わ、わたし?わたしは……お姉さんって呼んでくれればいいかな」
唯「ええーずるいっ。だったら、わたしもお姉さんって呼ばれたいよー」
大人唯「もっと年とるまでがまんだね」
唯「ちぇっー」
駅についた。
あまり混んではいなかった。
大人唯「そうだ。一応家の人とかに連絡しといたほうがいいんじゃないかな?」
唯「お父さんお母さんは旅行中だし……」
大人唯「妹がいるじゃない」
唯「えっ?」
大人唯「あっ…」
唯「もしかして……」
大人唯「」
唯「超能力っ?」
大人唯「あ、はは……勘だよー、勘!」
唯「怪しい……」
大人唯「と、とにかく電話しないと」
唯「で、でもぉ……きっと憂怒ってるよ、なんて言ったら…」
大人唯「怒ってるわけないって、逆にとても心配してるしてるんじゃないかなあ。……だから電話しなさい」
唯「そっか、そうだよねっ」
彼女が電話している間に売店行ってチョコレートを買う。わたしはブラックで彼女のはミルクにしておいた。
わたしは彼女にミルクチョコレートを渡して、代わりに電話を受け取った。
大人唯「もしもし……お電話かわりました」
憂「す、すいませんっ。おねえちゃんが迷惑かけて……」
大人唯「あはは、大丈夫ですよ」
憂「あのお名前は?」
憂の声にどこか猜疑的な響きが混じる。
わたしは憂に怪しまれないよう嘘の名前をでっち上げた。
大人唯「わたしは…豊崎愛生っていいます。あの大丈夫です、怪しいものじゃないですから」
憂「えっ、あ、すいません」
大人唯「えっと、今日は電車で行けるところまで行って、ホテルに泊まるつもりです。ホテルについたらまた連絡しますね」
憂「あの…いろいろとありがとうございます」
大人唯「いえいえ平気ですよ、では唯さんにもどします」
わたしが女だったのもあり、憂も少しは安心してくれたようだった。
当の本人は、というとおいしそうにチョコレートを頬張っていた。
わたしはなんてお気楽なやつなんだと呆れたが、過去にタイムワープしたのに桜が丘につけばなんとかなると思ってる自分も、同じようなものなんじゃないかということに気づく。
わたしたちはどうやら似ているみたいだ。まあ、当然なんだけど。
電車の中はすいていて楽々席に座ることができた。窓の向こうを走っていく景色がなんだか新鮮な気がした。
わたしは一度友達にも連絡したほうがいいんじゃないかと勧めたが、彼女は曖昧な返事で濁すだけだった。その気持ちはわからなくはなかったので、わたしはそれ以上何も言わなかった。
唯「……ライブって楽しいものだったのになあ」
大人唯「まあライブにもいろいろあるんじゃないかな」
唯「お姉さんは大人だねー」
大人唯「そりゃ大人だもん」
唯「もしかして、ライブとかしたことあるー?」
大人唯「あるよ」
唯「じゃあバンド組んでるんだね?」
彼女の質問はわたしの心の深くをえぐった。
みんなの顔が脳裏に張り付いてとれなくなってしまう。
わたしが思い浮かべる放課後ティータイムのメンバーの姿は、彼女がさっき話していた桜高軽音部時代のものではなく、もう少し大人びた彼女たちだった。
大人唯「組んでた、だよ」
唯「そっかあ、どんなバンドだったのー?」
大人唯「えと、唯ちゃんたちと同じで5人組だったな。あ、やっぱりわたしたちも練習そっちのけでいつも遊んでばっかだったなあ」
唯「うんうん。やっぱり遊びは大切だよね」
大人唯「高校のときに結成して、わたしはギターだったんだけど最初はできなくてねー」
唯「あ、わたしもそうだったんだよー」
大人唯「一年たってかわいい後輩が入ってきて、五人がそろったんだ」
唯「あずにゃんみたいだねー」
大人唯「そ、あずにゃん」
唯「なんで解散しちゃったの?」
大人唯「なんでだろうねー。大学に行ってさ1年くらいは一緒にやってたのに。新しい友達もできて、バイトもはじめて、音楽以外の遊びも増えて、いつの間にか会う時間が減って、気づいたら終わってたんだよ」
唯「そんな……みんなとは今でも会ったりするよね?」
大人唯「それがぜんぜんなんだよ。大学の頃はまだバンドをやめても一緒に遊んだりしたけどね……仕事についてからはほとんど連絡もしなくなっちゃったよ」
唯「そっか……」
大人唯「でもわたしは思うんだ」
唯「うん?」
大人唯「やっぱりみんなといたあの頃が一番楽しくて、一番幸せだったなって」
唯「……わたしはみんなとずっと一緒にいたいな。永遠にバンドやろうって約束もしたし、あずにゃんもわたしたちと同じ大学に行くって言ってたし、きっとばらばらにならないよっ!……なりたくないよぉ」
大人唯「……そっか…」
だけどわたしも唯ちゃんの歳には同じことを思ってたんだよとは言えなかった。
彼女は変わらない未来を信じ、わたしは取り戻せない過去を憂いている。
電車が揺れるがたんごとんという音だけが響いていた。
終点になっていた町に降り立って、適当なホテルを探しそこに泊まった。憂には心配ないという連絡をいれた。
彼女は疲れていたのだろう、部屋に入るなりベッドに横になった。
わたしはしばらくの間外を見ていたが、何の気なしに彼女に目を移す。だらしなく口を開けて寝ていた。
まるで天使みたいな寝顔だと、自画自賛しておく。
朝が来た。
カーテンの隙間から漏れた光が眩しくて一度開けた目を閉じてしまう。
何故自分はこんなホテルにいるのだろう。少しずつ意識が覚醒して、その問に答えをあたえる。
横を見た。空っぽのベッドにはついさっきまで誰かが寝ていたあとがある。
わたしは飛び起きる。
彼女の姿は部屋から消えていた。
わたしが怪しい人だと思って逃げ出したのだろうか。それとも家に帰りたくなくなったのか。
わたしがベッドの上に座ってまだ寝ぼけた頭で考えていると、突然部屋のドアが開いた。
唯「おはようっ!」
大人唯「おはよ…」
唯「起きてたんだー。勝手にいなくなってごめんっ」
大人唯「どこへ行ってたの?」
唯「えへへ、ちょっと散歩ー」
大人唯「さんぽ?早起きなんて唯ちゃんのキャラじゃないよ」
唯「いやーせっかくだから町を見ておこうかなあって」
そうだった。
彼女は一応、悩みなり葛藤なりを持って家出した身なのだ。見知らぬ町を見て回りたいと思ってもおかしくないし、むしろ思うのが当然だろう。
大人唯「じゃあさ、今日一日はここを回ってみる?」
唯「え、ほんとっ?……で、でも」
大人唯「嫌ならいいけど」
唯「行きます行きます行かせてください」
大人唯「よしっ、決まり!」
わたしは憂に電話する。
最初は不安気にしていたが、姉の紆余曲折した思いを悟ったのか、最終的にはよろしくお願いしますと(たぶん)頭を下げた。もちろん、わたしは憂が許してくれることをわかっていた。
憂は結局のところ姉に甘かった。そしてそんな憂に甘やかされたわたしは自分に甘い。
早く行こうよと急かしてくる彼女を見て、わたしは苦笑した。
大人唯「あんなにいい妹は他にいないと思うから大切にしたほうがいいよ」
唯「自慢の妹だよー」
大人唯「ほんとだよ?妹を大事にしないと後悔するって」
唯「なんだか経験者は語るって感じだねっ」
憂は大学を優秀な成績で卒業し、今では就職した会社でもその才能を発揮しているらしい。
家から出てアパートで暮らすわたしとは違って、憂は実家で暮らしている。
しかし同じ桜が丘にいながら最近ではなんとなく疎遠になってしまっていた。
大人唯「そうだよー。だから唯ちゃんはしっかりと妹孝行しましょう」
唯「はーい」
よしっ帰ったら皿洗いを手伝おう、なんて意気込んでいる彼女を見て、わたしも未来に戻ったら、久しぶりに実家に帰ろうと思った。
朝食を食べたあとホテルを出た。
見知らぬ町の空気というのはどこか新鮮で清々しい気分になる。
大人唯「どっか行きたいとこある?」
唯「ううーん、何があるかわからないし……とりあえずアイスが食べたいっ」
というわけでわたしたちはコンビニでアイスを買い、しかもそのチョイスが見事に一致したので笑いあった。
大人唯「そうだ携帯のメールくらい確認したほうがいいんじゃないかな?」
わたしは軽音部の誰かが彼女に謝ってきた可能性があるのではないかと考えていた。だとしたらメールを無視するのはまずい。
唯「見たけどメールはなかったよー」
アイスを食べながらのんきに彼女は答える。
唯「今日は土曜で部活は休みだからわたしが家出したこと、みんなは気づいてないんじゃないかな」
大人唯「あ、そうだね」
唯「あ、でも和ちゃんからはメールがあったよ」
わたしははっとした。
大学が別々になってからというもの和ちゃんに会う機会はめっきり減って、あげくには今何してるのかも知らないままだ。
大人唯「どんな?」
唯「仲直りしたほうがいいんじゃないかって」
大人唯「それはそうだねー」
唯「もう……お姉さんまで…わたしだってわかってるけどさ」
唯「おおげさにけんかしちゃったし……わたしがうまく言いたいことが言えなかったせいだけど……りっちゃんも怒っちゃったから」
そうだ、りっちゃんが怒ったんだっけ。
そういえばバンドの活動に最後まで熱心だったのはりっちゃんだったなとわたしは思い出す。
みんなに集合をかけたり、クリスマス会を開こうと計画したり、大学ライブをしたりして。
今は澪ちゃんと同じ会社に入っていると澪ちゃんが電話で話してくれた。
ちなみに澪ちゃんとは最近まで電話で話していたが、なんでも部署が変わったとかで忙しくなったらしく、それからは連絡も途絶えてしまっている。
大人唯「りっちゃんもさ唯ちゃんと同じ気持ちだったんだよ、きっと」
唯「りっちゃんが?」
大人唯「そうだよ。唯ちゃんが卒業ライブをしたら軽音部が終わってしまう気がしたように、りっちゃんは軽音部を続けるために卒業ライブがしたかったんじゃない?」
唯「……あ」
大人唯「……ほらっおしまいっ!せっかくのアイス溶けちゃうよ?」
唯「う、うん…」
しかし彼女はうつむいたまま何かを考えていた。手に持ったアイスが少しずつ溶けはじめている。
大人唯「……えいっ……うまいっ」
唯「ああっ!わたしのアイスぅ……」
大人唯「ぼうっとしているのが悪い」
唯「お、大人げないよっ」
大人唯「えへへっ」
唯「わたしも……えいっ」
わたしは後ろに身をかわした。
大人唯「ざんねーん。7年はやかったね」
しかしその拍子にアイスが棒からするりと落ちてしまう。
大人唯「あっ」
唯「ぷぷっ……あはははっ」
大人唯「………ふふっ……あははっ」
わたしたちはあてもなく町をぶらぶら歩いた。
その町の名物を食べたり、CD屋に立ち寄ってみたり、お菓子を買ったりした。
昼過ぎになってファミレスに入った。なんだか食べてばかりだが平沢唯がふたりいればそうなってもおかしくはない。
客入りのピークの時間は過ぎていたが店内は混んでいた。人気急上昇中の若手バンドの曲が流れていて、それが店の雰囲気と全然合っていなかった。
唯「わたしこの歌好きなんだー」
わたしはそのバンドが3年もするとすっかり消えてしまうことを知っていたので、ちょっぴり切なくなった。
大人唯「若者向けって感じだね」
唯「じゃあお姉さんは好きじゃないんだねー」
大人唯「ひどいっ」
店員がやってきて席に案内された。
わたしはあまりお腹がすいているわけではなかったので軽いものを頼んだが、彼女は意気揚々とボリュームのあるものを選んでいて、時の流れを感じ苦笑する。
大人唯「そういえばわたしの後輩のバンドがねプロになったんだよ」
唯「ほんとっ?」
大人唯「うん。テレビとかにも出てるらしくてねー」
唯「すごいっ!なんていうバンドなのー?」
大人唯「ええーと……忘れた」
唯「そんなのってないよー」
大人唯「いやあー」
唯「ねえねえどういうバンドなの?カッコいい?」
大人唯「実は……ちゃんと聴いたことはないんだー……テレビに出たのも見てないし」
唯「ええっーわたしはあずにゃんがプロデビューしたら絶対CDも全部買うし、テレビだって見逃さないのになあー」
あずにゃんは放課後ティータイムが解散したあといつからかは知らないが、新しいバンドを組んでプロになった。
なんでも今じゃ若者にすごい人気らしくCDは売れるわテレビは出るわで、毎日のように抱きついていたあの頃に比べずいぶん遠い存在になってしまった。
わたしはまだあずにゃんのCDを聴くこともテレビに映る姿を見ることもできていない。
でも、例えばわたしに子どもができたりなんかして、その子どもに「お母さんは昔あの中野梓と一緒にバンド組んでたんだよ」なんて言いたくはなかった。
唯「ねぇ?バンドもう一回やろうってみんな誘わないの?」
大人唯「言えないよ…みんなそれぞれ忙しいし……」
唯「でも……」
大人唯「たぶん怖いんだよ」
唯「こわい?」
大人唯「そう」
唯「なんで?」
大人唯「大人になればわかる」
唯「ずるいよお」
大人唯「あはは」
そこでわたしは気づいてしまう。
わたしはまだあの夢のような日々を取り戻せると信じているんだということに。
なにか奇跡でも起きて、またあの頃のようにみんなで笑ったりはしゃいだりできると思っているんだということに。
彼女がデザートを食べたいと言ったので再びメニューを開く。わたしはあるものを見つけて嬉しくなった。
大人唯「わたしこれっ!」
唯「えーそれわたしが食べようとしたのにー。じゃあこれでいいや」
大人唯「いや、こっちにしたほうがいい」
わたしは半ば無理やり彼女に同じものを注文させる。
そのパフェ(正式:ビックチョコレートアンドスノウクリームゴールデンバナナパフェ)はわたしたち平沢唯の大好物だった。値がはるためふだんはあまり食べらなかったが、よく自分へのご褒美にした。
しかしそれはこの時代から一年後、つまり平沢唯大学一年のときに廃止されてしまう。
だからわたしはもちろん、彼女にもこれを食べさせておきたかったのだ。
数十分して、その巨大なパフェがやってきた。
わたしは久しぶりに見るその姿にはしゃいだ。彼女も喜んでスプーンを突き刺している。
しかしながら半分くらい食べたあたりで、わたしたちは後悔した。
食べ過ぎて前に突き出た腹をさすりながらわたしたちはファミレスを出た。
唯「次はどこ行こうかー?」
大人唯「や、休もうよ?」
唯「もうわたしは大丈夫だよっ!若いからねっ」
大人唯「あ、わたしも平気」
唯「見てゲームセンターがあるよっ」
大人唯「ゲーセンなんていつでも行けるじゃん」
唯「でもお姉さんと行きたいんだよー」
大人唯「そっかあ、じゃあ行きますかー」
唯「レッツゴー」
大人唯「ゴー」
ゲームセンターはどこにでもあるようなものだった。まあ逆に他にはないゲームセンターがあれば見てみたいけど。
きらびやかな内装が何となく目にしみた。ゲーセンなんて大人になってからは行くこともなかったので少し懐かしい。
唯「ゲーセンといえばねムギちゃんがとっても好きなんだよー」
彼女は言ってから軽音部のみんなのことを思い出し、自分が置かれた状況を再認識したのか悲しげな表情を浮かべた。
わたしはムギちゃんについて考える。
ムギちゃんは大学を卒業したあと自分の家の系列の会社に就職したはずだ。ムギちゃんは世間知らずなところがあるから、きっと苦労してるんだろうなとぼんやり思った。
いつの間にか彼女が消えていて、いつとったのかぬいぐるみを抱え現れた。
唯「見て見て!200円でとれたっ」
大人唯「はいはい」
唯「名前つけよっ」
大人唯「あはは………あっ」
唯「どしたのー?」
大人唯「うわー“k-on”のフィギュアだー。懐かしいなあ」
唯「えー“k-on”はまだ映画もあるしぜんぜん懐かしくないよー」
大人唯「ああ……そっか」
唯「ねえねえ、これやろうよー」
そう言って彼女はエアホッケーの台を指差す。
大人唯「おっ負けないよ」
負けた。
惨敗だった。
わたしはゲーム中一得点もあげることはできなかった。
逆に面白いように得点された。
結構自信があっただけにショックだった。
唯「お姉さん弱いねー」
これが歳の差というやつなんだろうか。
日々歳をとっていくのを怖れていた恩師の気持ちが今ならわかる。
――いや待ってよ。25ってそんな歳でもないよね。たしかに運動なんかしてないけどそれはどの時代だってそうだし。第一自分より年下の自分に負けるって悔しくない?訂正、かなり悔しくない?うんたまたまだ過去に戻ったからまだ身体がまだうまく動かないんだ次やれば……
大人唯「もう一回っ!」
唯「えー」
大人唯「もしかしてまた負けるのが怖いんだねー?」
唯「負けたのお姉さんのほうだよー」
大人唯「すいません。もう一回やらせてください」
結果からいえば五回やって全部負けた。
四回目なんか途中までリードしてたのに。わたしは罰としてエアギターを披露した。この歳のエアギターは致命傷になりかねないから困る。ギュインギュインギュイーン
ゲーセンから出るともう夕方になっていて歩いているうちに夕日が沈んでいった。
昼間とは打って変わり夜の町はひっそりしていてどこかよそよそしい感じがした。
唯「星がきれいだねー」
たしかに上方に視線を移すとと黒い空が黄色の星で塗りつぶされている。
月明かりがあたりを青白く染めていた。
どこからか波音が聞こえてきて近くに海があるのだなと思った。
彼女もやはり同じことに気がつき呟いた。
唯「海の音がするねー」
大人唯「見に行こっか?」
唯「うん」
わたしたちは音するほうに向けて歩き出す。少し肌寒かった。
夜は不思議な魔法が使えるみたいだ。
わたしたちはその魔法にかかってなんとなく静かになってしまう。
わたしと彼女はそれぞれの大切なものについて考えていた。
ときどき、どちらかがぽつりぽつりと何かを言って、そしてまた冷たい静謐に覆われる。
どのくらい歩いただろう。
潮の匂いが鼻腔をくすぐり歩くペースをあげた。狭い路地を抜けると広い場所に出た。
唯「海だあーっ」
目の前に黒々とした海が広がっていた。
月明かりがうねる海面に反射して歪んできらめく。
夜の海はきれいなんていう優しい感じではなく、もっと暴力的で神秘的で、なんだか隠し事をしているみたいだと思った。
砂浜に下りる前に近くの自販機でジュースを買うことにした。
コーラを買おうと思ったが贔屓にしているメーカーがなかったのでサイダーにする。ガチャガチャとおおげさな音をたてて缶を取り出した。
隣で彼女がコーヒーを選んでいるのが微笑ましい。
唯「……ん」
大人唯「どうかした?」
唯「……にがい」
大人唯「まったく……ほらっ交換しよっ」
唯「ありがと」
コンクリートの階段を下って砂浜に座る。おしりの辺りがざらざらとしていて、なんとなく落ち着かなかった。
わたしたちふたりは海を眺めたまま押し黙っていた。
波の砕ける音が耳の奥で響く。
ふと、海はずっと変わらないままなんだろうなという気がした。
久しぶりに飲んだコーヒーは少し苦かった。
しばらくして彼女が口を開く。
唯「あのさ……」
大人唯「…ん?」
唯「大人になったら大人になるのかなー?」
大人唯「……なっちゃうね……なりたくない?」
唯「うん……」
大人唯「そっか」
唯「今のままでいられたらなあー……あ、お姉さんも大人になりたくなかった?」
大人唯「そうだねー。まあ、今では立派な大人だけど……あはは」
沈黙。
波の音。
呼吸の音。
唯「でもね…」
大人唯「うん」
唯「お姉さんみたいな大人だったらいいかなーって」
大人唯「え……なんで?」
唯「だってお姉さんやさしいしクールだし一緒にいると楽しいもん」
大人唯「………」
唯「照れてるー」
大人唯「うるさいー」
唯「えへへ」
大人唯「わたしもひとつ唯ちゃんに教えてもらったよ」
唯「なあに?」
大人唯「昔の自分は今のわたしを応援してくれてるってこと」
唯「ほうほう」
大人唯「わたしね、昔の自分が今の自分を見たらねきっと失望しちゃうんじゃないかなって思ってた。でもさ、そんなことはなくて、今も昔もおんなじなんだろうなって」
唯「そりゃそうだよー」
大人唯「えっとね……つまりわたしがいいたいのはさ……今のわたしもなかなか悪くないってことかな」
唯「あーあ、自分で言っちゃったねー」
大人唯「あはは、だねー」
大人唯「あのね、やっぱりみんなには謝ったほうがいいと思うよ」
唯「じゃあ、お姉さんもみんなにもう一度会おうよって言ったほうがいいよー」
大人唯「うっ……それは」
唯「お姉さんは自分に甘いよっ」
大人唯「それは唯ちゃんもだよ」
唯「えへへっ」
そのとき、突然音楽が鳴り響いた。
アア-カミサマオネガイ フタリダケノ- ドリームタイムクダサイ
大人唯「わっ」
わたしは驚いて飛び退く。
少し遅れてこれが放課後ティータイムの“ふわふわ時間”だということに気がつく。彼女が一瞬嬉しげな表情をしたのが見えた。
大人唯「な、なに?」
唯「これわたしたちの歌なんだー。さわちゃんがパソコンで着信音にできるようにしてくれたんだっ」
そう言って彼女はポケットから携帯を取り出した。携帯からはまだ音楽が鳴り続けている。
そんなこともあったなとわたしは思い出す。たしかメンバーの着信音をふわふわ時間にしたんだっけ。
唯「あ、りっちゃんからだ……」
大人唯「はやししないと切れちゃうよ?」
彼女は大きく息を吸い込み、意を決したのか電話に出た。
唯「あ、り、りっちゃん?」
律『……憂ちゃんから聞いた。憂ちゃんをあんまり心配させるなよ』
唯「う、うん」
彼女は何て言ったらいいのかわからずおどおどとしている。
わたしはそんな彼女を見守っていた。
ふと、わたしと彼女の視線がぶつかった。彼女の顔に浮かんだ不安がありありと見てとれる。
わたしは微笑んだ。
その表情は自分でも意識しないうちに自然に顔に出た。
昔のような無邪気な笑顔を浮かべることはもうできないかもしれない。
だけど、誰かを、少なくとも自分くらいは安心させてあげたいなと思った。
わたしは口の動きだけで
「が、ん、ば、れ」
と伝える。
彼女は少しの間、言葉を読み取るためじっとこちらを見ていたが、やがて笑ってうなずいた。
唯「心配かけてごめんっ―――
――次は桜が丘~え~桜が丘~
車内アナウンスが聞こえて、心地よい揺れにうとうとしかけたわたしは現実に引き戻される。
車窓から入る光に目を細めた。
見慣れた景色がガラスに映って、でもどこか違う気もして、実はわたしは夢の中にいるんじゃないかという考えが頭をもたげる。
夢であろうとなかろうと、とりあえずわたしのこの奇妙な旅も終わりに近づいているみたいだ。
隣の席に視線を移すとこれまた奇妙な旅の仲間が熟睡している。昨日、夜遅くまで話し込んだせいか、電車に乗ってからはずっと寝ている。
大人唯「ほら、そろそろ着くよー?」
彼女の肩を揺する。
反応なし。
もっと強く。
反応なし。
おもいっきり頬をつねる。
唯「……ん…むにゃ」
大人唯「やっと起きた?ついたよ」
唯「あ…うん。目の前にケーキがたくさんあったから、夢かと思ってほっぺたつねったらホントに覚めちゃった……」
大人唯「それはお気の毒さま」
電車がゆっくりと減速したかと思うと、ぷしゅうという気の抜けた音を出してホームに停まった。
この駅でおりる人はわたしたち以外にはいなかった。
駅から出ると、未来とあまり変わっていない町並みが飛び込んできた。
大人唯「このへんでお別れだねー」
唯「……かな」
大人唯「え?」
唯「またあえるかな?」
大人唯「そうだなー唯ちゃんが大人になったら会えるんじゃないかな」
唯「大人?」
大人唯「そう」
唯「わかった!わたしがんばって大人になるよっ」
大人唯「立派な大人になってくれればわたしも嬉しいよ」
唯「なんで?」
大人唯「唯ちゃんの幸せはわたしの幸せだからだよ」
唯「じゃあーお姉さんの幸せはわたしの幸せだよっ」
大人唯「そっかー」
唯「……うん……あのね」
大人唯「なに?」
唯「…ありがとっ!」
大人唯「ふふっ……ばいばい」
わたしは彼女に背を向けて歩き出す。
彼女が後ろでばいばいと叫んでいた。心なしか涙声に聞こえたが、泣かなかっただけずっと立派だ。
今すぐ戻って抱きしめたいくらい。
だけどそうするわけにもいかない。
ひとりで歩くのは少し寂しかったが、それでも悪い気分じゃなかった。
桜が丘高校までの道筋は7年後とほとんど変わっていないため、すんなりと目的地にたどり着くことができた。
記憶を頼りにワープした地点をやみくもに探していく。学校の近くというのは間違えないはずだ。
もしかしてワープした地点に行けば未来に戻れるという楽観的な考え方自体が、間違えだったのかもと脱力感に襲われはじめたとき、探しものが目の前に現れる。
わたしの車は堂々と道路の脇にとめてあった。
たった二日半しかたっていないのに、その車はずいぶん懐かしく思えた。
鍵は差しっぱなしだったが誰かが中に入ったような形跡はなかった。
不思議といえば不思議だがとりあえずこうして車は戻ってきたのだ。あとはあの時のようにすれば未来に戻れる、はずだ。
考えていてもしかたないだろうし、わたしは車に乗ってバックする。
他の車が通るようすはない。
だいたいこのくらいだろうというところまで下がり、そこでいったん止まる。
出し抜けになぜ過去にきたのだろうという、本来ならば最初に思い浮かぶべき疑問が浮かんだ。
はじめはなにがなんだかわからなかったし、そのあとはもっと別のことに気をとられてしまったために、今の今まで保留になっていたのだ。
でも、まあいいやと思う。
けっこう楽しかったし、まあ理由なんてどうでもいいかって。
横を向いたら桜が丘高校が見えた。
ここに来る前に見たのとほとんど変わっていない。
明日から彼女たちはまたあそこでお茶したり、お菓子を食べたり、馬鹿な話をしたり、小突きあったり、けんかしたり、仲直りしたり、たまに演奏をしたりするんだろう。
彼女たちの笑い声や演奏がここまで聞こえてきたような気がした。
もしかしたらそれはわたしの頭の中から聞こえたのかもしれない。
わたしは少し切ない気持ちになったけど、いっしょに笑い声をあげたくもなって、アクセルを思い切り踏み込んだ―――
気づくとわたしが運転する車は道路を順調なペースで進んでいた。
フロントガラスごしに見える世界はすでになんども見馴れてしまったもの、建ち並ぶ規格化された住居、ソーラーパネルで埋め尽くされた屋根――なんだかデジャビュ。
唐突に携帯が鳴り出した。
わたしは考える。
結局のところもう昔にもどることはできない、過去は取り戻せないんだと。
だけど――別に昔みたいじゃなくてもいいんじゃないかな。
わたしたちは大人になってしまったけど、みんな変わり別々になった気がするけど……それでもわたしはわたしでりっちゃんはりっちゃんで、澪ちゃんは澪ちゃんで、ムギちゃんはムギちゃんで、あずにゃんはあずにゃんだ。
あの頃みたいじゃないかもしれないけど、あの頃みたいに楽しいはすだ。
だから、わたしは運転中の相手に電話をかけるなんて非常識極まりないと思っても、ほころびそうな笑顔を隠しきれなくて電話に出る。
頭の中ではさっきまで携帯から聞こえていた、女の子の歌声が鳴り響き続けていた。
おわりー
読んでくれた人はありがとー
今思ったけど大人唯って語呂悪いな…
>>92
まじか…
ずっと桜が丘だと思ってたorz
元スレ
すると、どこで道を間違ったのかいつもと違う道に出てしまい、右手に桜が丘高校が見えてきた。
今までの人生の中で最も輝いていた青春時代を過ごしたあの場所だ。
懐かしさと切なさが同時に込み上げてきて胸が締め付けられた。ふとみんなのことを考えてしまう。
たぶん高校生の頃のわたしだったら涙していただろう。でも25歳のわたしにはそれができないし、そのことがいいことなのかどうかさえわからなくなっている。
わたしたちはいつから道を違えてしまったのだろう。それとも最初からその道は別の方向を向いていたのだろうか。
3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 19:55:51.86 ID:PhNH+igAO
そんなふうに感傷に浸っていると突然車内に音楽が鳴り響いた。
わたしはそれがビートルズのyesterdayだとわかったので、ポケットに入れてある携帯をとった。
運転中の相手に電話をかけるなんて非常識極まりないと勝手に思いながら、憂鬱な気分で電話に出る。
4: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 19:56:45.64 ID:PhNH+igAO
教師「唯先生、実はですね。明日は緊急の職員会議がはいったんですよ」
唯「え…わかりました」
教師「休みの日に大変だろうとは思いますが……」
唯「いえいえ、大丈夫です」
教師「ではそういうことで」
それで電話は切れた。
5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 19:59:02.87 ID:PhNH+igAO
わたしはなんだかやりきれない気持ちになって思い切りアクセルを踏んだ。
今思えばそれが問題だったのだ。
目の前が不思議な光に包まれて、事故かなんかかと思って瞼を閉じて、開いたら見知らぬ場所にいた。
6: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:00:10.32 ID:PhNH+igAO
気づくとベンチに座っていた。どこにでもあるような緑色をしたベンチだ。太陽光が照りつけてきて屋外にいるのだとわかる。
自分がまだ車に乗ったままの格好、ハンドルを持つみたいに手をのばしている、ことに気づきあわてて姿勢を戻す。
周囲を見回したが幸いこちらを見ている人はいないみたいだった。
わたしは公園にいた。
中心に噴水が置いてあり、その周囲を取り囲むように4つベンチが置いてあるだけの簡素な公園だった。人はあまりおらず、鳩が我が物顔で公園を占有している。
7: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:01:37.53 ID:PhNH+igAO
不意にどこからか嗚咽混じりの泣き声が聞こえた。はじめは噴水の音かと思ったが、やはり誰かが泣いてるようだ。
わたしは改めて、今度は注意深く辺りを眺めまわす。
すると一人の少女が目に入った。俯いたまま、両手でその顔を押さえている。どうやらあの栗色の髮の少女が泣き声の正体みたいだ。
わたしはその少女からなんだか奇妙な感じを受けた。そのせいもあったのか、わたしは少女のほうへ近より、その肩を叩いていた。
8: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:02:59.42 ID:PhNH+igAO
唯「ねぇ、大丈夫?」
少女「ひぃぐ…えぐっ……あっ」
少女がこちらを振り向いた。その顔を見た瞬間、全身に驚愕が走る。数十秒そのままそこに突っ立っていた。
――それはわたしだった。
いやこれでは語弊がある。
――それは昔のわたしだった。
まさか自分を見間違えるわけもなし。
しかしその少女、平沢唯の方はわたしに対しなんの驚きも得ないみたいだった。
9: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:04:19.09 ID:PhNH+igAO
これはどういうことだろう?
考え出すと頭がパンクしそうなのでいったん疑問をわきに押しやり、持ち前の気楽さをもって彼女に意識を向ける。
大人唯「ほらっ、ハンカチで涙拭きなよっ」
唯「ぐすん…ありがとうございます……」
彼女は涙を拭き終えてしまうと、ぐちょぐちょになったハンカチを申し訳なさそうにわたしに返す。
大人唯「泣き止んだ?」
唯「…うん……もう大丈夫です」
大人唯「敬語なんか使わなくてもいいよー」
自分自身に敬語を使われるのはなんとも気持ちが悪い。
10: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:05:57.28 ID:PhNH+igAO
大人唯「さてと……」
どうしたものか。
とりあえず今の状況を把握する必要がある。
だからわたしは尋ねた。
大人唯「今って西暦何年?」
唯「……へっ?」
彼女はきょとんとしている。
それもそうだろう。普通の人が西暦何年?なんて尋ねる人を見かければ、キチガイだと思うか、未来人乙と軽くあしらうはずだ。
わたしは本当に未来人なわけだけど。
11: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:07:10.71 ID:PhNH+igAO
唯「……えーとね、2011年だよ?」
ということはここは7年前の世界?
7年前といえばわたしがまだ高校3年の頃だ。
あの光に包まれたときに過去にワープしたってことなのだろうか。あの車で。
そんなバックトゥーザヒューチャーがあっていいのかな?
12: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:08:22.16 ID:PhNH+igAO
もうひとつ新たな疑問が浮かんできた。ここはどこなのだろう。
バックトゥーザヒューチャー理論を用いれば過去に戻るはずの地点は同じなはず。なのにわたしはこの場所を知らない。
ここは桜が丘ではない。
13: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:10:51.68 ID:PhNH+igAO
大人唯「……ここはどこ?」
唯「お姉さん、次にはわたしは誰って言いそうだねー」
大人唯「あ、あはは…」
唯「ここはね〇〇県なんだって」
桜が丘からはかなり遠い場所だ。
大人唯「えっ?じゃあなんで君はこんなところに?」
言った後でしまったと思った。
わたしは彼女が桜が丘に住んでいることを知っているからそう思うが、そんな疑問を抱くことは普通ない。
14: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:12:42.91 ID:PhNH+igAO
けれども彼女はそんなことに気づいてないようすだった。あるいは誰かに話を聞いてもらいたがっていたのかもしれない。
唯「けんかしちゃったんだ……」
大人唯「けんか?なんでまた」
唯「わたし高校の友達とバンドやっててね、卒業ライブをすることになったんだけどわたしがやりたくないって言ったから」
大人唯「……」
思い出した。
あの頃、わたしは卒業ライブがしたくなくてみんなと口論になった。それでこんなところまでやってきたのだ。
15: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:15:09.07 ID:PhNH+igAO
唯「ライブをしたらね、終わっちゃう気がしたんだ……」
わたしは卒業するのが嫌だった。
同じ大学にいくとわかっていてもなんとなく今までのままじゃいられない気がした。大人になりたくなかった。
唯「……わたしってわがままなのかなあ?」
大人唯「うーんそうかも……でもその気持ちはすごくよくわかるな」
16: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:16:29.79 ID:PhNH+igAO
だけど今のわたしは別のこともわかっている。
終わりというのは何かをきっかけにぶつりと切れてしまうのではなくて、音楽がフェードアウトするみたいに徐々に消えていくものだということが。
大人唯「こういうのは誰かにぶつけちゃうのが一番いいよ」
あの頃のわたしも誰かすべてぶちまけられるような人を心の奥で欲していた。
だから彼女は話し出した。
部活のこと、それが失われてしまう気がしたこと、みんなには悪いと思ってること、だけどなんだか謝ってしまいたくないこと。
17: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:25:13.10 ID:PhNH+igAO
――わたしたちのバンドは放課後ティータイムっていうんだ
――いつもお菓子たべてばっかりなんだけどね
――でも演奏は誰にも負けてないんだよ
――あ、その部長ていうのがりっちゃんって言ってね、すごく一緒にいると楽しいんだ
――うん。みんなとはいつも一緒だから、よけい不安なのかなあ
――そうそう澪ちゃんはかっこよくてしっかりしてるって言ったけどすごく怖がりなんだ
――ムギちゃんはいつもはおしとやかなのにそこでは一番やる気だったんだよー
――あずにゃんをぎゅっとするとさ柔らかくてやめられないよ、えへへ
――うーん、そうかも。あずにゃんひとりになっちゃうもんね
――わたしから謝ったほうがいいよね。でもさ……ううんなんでもない
――誰かひとりでも欠けたら放課後ティータイムは成り立たないんだよっ
18: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:26:37.12 ID:PhNH+igAO
彼女は話している間ずっと生き生きとした顔をしていた。だからそのぶん時折見せた悲しげな姿が、さらにやるせないように感じられた。
ふと空を見上げるとすっかり赤くなっていた。少し話し込みすぎたみたいだ。
大人唯「帰れるの?」
彼女がほとんどお金を持っていないことを知りながら尋ねる。たしかわたしのときは警察にお世話になった。
19: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:27:34.45 ID:PhNH+igAO
唯「えっと、その、あ……だいじょうぶ……かな?」
大人唯「…わたしが桜が丘までならついていこっか?」
唯「えっ、でも……」
大人唯「いやいや大丈夫だよー。実はわたしも桜が丘に用事があるから」
これは本当だった。
わたしがワープしたはずのその地点に行けば、どうにかなるのではないかと考えていた。
唯「あ、ありがとうございますっ」
彼女はおおげさに頭を下げてみせる。
大人唯「いいっていいって。そうと決まればさっそくいこうかー」
こうしてわたしたちは駅に向かうことになった。
20: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:46:40.22 ID:PhNH+igAO
路上にはゴミが落ちていて、懐かしいなと思う。未来ではポイ捨ては法律で固く禁止になりゴミを路上に捨てる人はいなくなった。
大人唯「そういえば君はなんていう名前?」
唯「平沢唯だよ。お姉さんはー?」
大人唯「わ、わたし?わたしは……お姉さんって呼んでくれればいいかな」
唯「ええーずるいっ。だったら、わたしもお姉さんって呼ばれたいよー」
大人唯「もっと年とるまでがまんだね」
唯「ちぇっー」
21: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:48:11.44 ID:PhNH+igAO
駅についた。
あまり混んではいなかった。
大人唯「そうだ。一応家の人とかに連絡しといたほうがいいんじゃないかな?」
唯「お父さんお母さんは旅行中だし……」
大人唯「妹がいるじゃない」
唯「えっ?」
大人唯「あっ…」
唯「もしかして……」
大人唯「」
唯「超能力っ?」
大人唯「あ、はは……勘だよー、勘!」
22: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:50:35.04 ID:PhNH+igAO
唯「怪しい……」
大人唯「と、とにかく電話しないと」
唯「で、でもぉ……きっと憂怒ってるよ、なんて言ったら…」
大人唯「怒ってるわけないって、逆にとても心配してるしてるんじゃないかなあ。……だから電話しなさい」
唯「そっか、そうだよねっ」
彼女が電話している間に売店行ってチョコレートを買う。わたしはブラックで彼女のはミルクにしておいた。
23: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:52:22.10 ID:PhNH+igAO
わたしは彼女にミルクチョコレートを渡して、代わりに電話を受け取った。
大人唯「もしもし……お電話かわりました」
憂「す、すいませんっ。おねえちゃんが迷惑かけて……」
大人唯「あはは、大丈夫ですよ」
憂「あのお名前は?」
憂の声にどこか猜疑的な響きが混じる。
わたしは憂に怪しまれないよう嘘の名前をでっち上げた。
大人唯「わたしは…豊崎愛生っていいます。あの大丈夫です、怪しいものじゃないですから」
憂「えっ、あ、すいません」
24: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:53:25.17 ID:PhNH+igAO
大人唯「えっと、今日は電車で行けるところまで行って、ホテルに泊まるつもりです。ホテルについたらまた連絡しますね」
憂「あの…いろいろとありがとうございます」
大人唯「いえいえ平気ですよ、では唯さんにもどします」
わたしが女だったのもあり、憂も少しは安心してくれたようだった。
当の本人は、というとおいしそうにチョコレートを頬張っていた。
25: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:54:37.41 ID:PhNH+igAO
わたしはなんてお気楽なやつなんだと呆れたが、過去にタイムワープしたのに桜が丘につけばなんとかなると思ってる自分も、同じようなものなんじゃないかということに気づく。
わたしたちはどうやら似ているみたいだ。まあ、当然なんだけど。
26: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:55:40.13 ID:PhNH+igAO
電車の中はすいていて楽々席に座ることができた。窓の向こうを走っていく景色がなんだか新鮮な気がした。
わたしは一度友達にも連絡したほうがいいんじゃないかと勧めたが、彼女は曖昧な返事で濁すだけだった。その気持ちはわからなくはなかったので、わたしはそれ以上何も言わなかった。
27: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:56:42.52 ID:PhNH+igAO
唯「……ライブって楽しいものだったのになあ」
大人唯「まあライブにもいろいろあるんじゃないかな」
唯「お姉さんは大人だねー」
大人唯「そりゃ大人だもん」
唯「もしかして、ライブとかしたことあるー?」
大人唯「あるよ」
唯「じゃあバンド組んでるんだね?」
28: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 20:58:54.87 ID:PhNH+igAO
彼女の質問はわたしの心の深くをえぐった。
みんなの顔が脳裏に張り付いてとれなくなってしまう。
わたしが思い浮かべる放課後ティータイムのメンバーの姿は、彼女がさっき話していた桜高軽音部時代のものではなく、もう少し大人びた彼女たちだった。
大人唯「組んでた、だよ」
29: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:00:16.06 ID:PhNH+igAO
唯「そっかあ、どんなバンドだったのー?」
大人唯「えと、唯ちゃんたちと同じで5人組だったな。あ、やっぱりわたしたちも練習そっちのけでいつも遊んでばっかだったなあ」
唯「うんうん。やっぱり遊びは大切だよね」
大人唯「高校のときに結成して、わたしはギターだったんだけど最初はできなくてねー」
唯「あ、わたしもそうだったんだよー」
大人唯「一年たってかわいい後輩が入ってきて、五人がそろったんだ」
唯「あずにゃんみたいだねー」
大人唯「そ、あずにゃん」
唯「なんで解散しちゃったの?」
大人唯「なんでだろうねー。大学に行ってさ1年くらいは一緒にやってたのに。新しい友達もできて、バイトもはじめて、音楽以外の遊びも増えて、いつの間にか会う時間が減って、気づいたら終わってたんだよ」
30: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:01:34.61 ID:PhNH+igAO
唯「そんな……みんなとは今でも会ったりするよね?」
大人唯「それがぜんぜんなんだよ。大学の頃はまだバンドをやめても一緒に遊んだりしたけどね……仕事についてからはほとんど連絡もしなくなっちゃったよ」
唯「そっか……」
大人唯「でもわたしは思うんだ」
唯「うん?」
大人唯「やっぱりみんなといたあの頃が一番楽しくて、一番幸せだったなって」
31: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:10:28.63 ID:PhNH+igAO
唯「……わたしはみんなとずっと一緒にいたいな。永遠にバンドやろうって約束もしたし、あずにゃんもわたしたちと同じ大学に行くって言ってたし、きっとばらばらにならないよっ!……なりたくないよぉ」
大人唯「……そっか…」
だけどわたしも唯ちゃんの歳には同じことを思ってたんだよとは言えなかった。
彼女は変わらない未来を信じ、わたしは取り戻せない過去を憂いている。
電車が揺れるがたんごとんという音だけが響いていた。
32: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:11:57.30 ID:PhNH+igAO
終点になっていた町に降り立って、適当なホテルを探しそこに泊まった。憂には心配ないという連絡をいれた。
彼女は疲れていたのだろう、部屋に入るなりベッドに横になった。
わたしはしばらくの間外を見ていたが、何の気なしに彼女に目を移す。だらしなく口を開けて寝ていた。
まるで天使みたいな寝顔だと、自画自賛しておく。
33: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:13:45.74 ID:PhNH+igAO
朝が来た。
カーテンの隙間から漏れた光が眩しくて一度開けた目を閉じてしまう。
何故自分はこんなホテルにいるのだろう。少しずつ意識が覚醒して、その問に答えをあたえる。
横を見た。空っぽのベッドにはついさっきまで誰かが寝ていたあとがある。
わたしは飛び起きる。
彼女の姿は部屋から消えていた。
わたしが怪しい人だと思って逃げ出したのだろうか。それとも家に帰りたくなくなったのか。
わたしがベッドの上に座ってまだ寝ぼけた頭で考えていると、突然部屋のドアが開いた。
34: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:14:32.27 ID:PhNH+igAO
唯「おはようっ!」
大人唯「おはよ…」
唯「起きてたんだー。勝手にいなくなってごめんっ」
大人唯「どこへ行ってたの?」
唯「えへへ、ちょっと散歩ー」
大人唯「さんぽ?早起きなんて唯ちゃんのキャラじゃないよ」
唯「いやーせっかくだから町を見ておこうかなあって」
そうだった。
彼女は一応、悩みなり葛藤なりを持って家出した身なのだ。見知らぬ町を見て回りたいと思ってもおかしくないし、むしろ思うのが当然だろう。
35: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:15:54.27 ID:PhNH+igAO
大人唯「じゃあさ、今日一日はここを回ってみる?」
唯「え、ほんとっ?……で、でも」
大人唯「嫌ならいいけど」
唯「行きます行きます行かせてください」
大人唯「よしっ、決まり!」
36: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:17:51.71 ID:PhNH+igAO
わたしは憂に電話する。
最初は不安気にしていたが、姉の紆余曲折した思いを悟ったのか、最終的にはよろしくお願いしますと(たぶん)頭を下げた。もちろん、わたしは憂が許してくれることをわかっていた。
憂は結局のところ姉に甘かった。そしてそんな憂に甘やかされたわたしは自分に甘い。
早く行こうよと急かしてくる彼女を見て、わたしは苦笑した。
37: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:19:37.87 ID:PhNH+igAO
大人唯「あんなにいい妹は他にいないと思うから大切にしたほうがいいよ」
唯「自慢の妹だよー」
大人唯「ほんとだよ?妹を大事にしないと後悔するって」
唯「なんだか経験者は語るって感じだねっ」
38: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:20:15.04 ID:PhNH+igAO
憂は大学を優秀な成績で卒業し、今では就職した会社でもその才能を発揮しているらしい。
家から出てアパートで暮らすわたしとは違って、憂は実家で暮らしている。
しかし同じ桜が丘にいながら最近ではなんとなく疎遠になってしまっていた。
大人唯「そうだよー。だから唯ちゃんはしっかりと妹孝行しましょう」
唯「はーい」
よしっ帰ったら皿洗いを手伝おう、なんて意気込んでいる彼女を見て、わたしも未来に戻ったら、久しぶりに実家に帰ろうと思った。
39: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:21:23.70 ID:PhNH+igAO
朝食を食べたあとホテルを出た。
見知らぬ町の空気というのはどこか新鮮で清々しい気分になる。
大人唯「どっか行きたいとこある?」
唯「ううーん、何があるかわからないし……とりあえずアイスが食べたいっ」
というわけでわたしたちはコンビニでアイスを買い、しかもそのチョイスが見事に一致したので笑いあった。
40: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:22:36.20 ID:PhNH+igAO
大人唯「そうだ携帯のメールくらい確認したほうがいいんじゃないかな?」
わたしは軽音部の誰かが彼女に謝ってきた可能性があるのではないかと考えていた。だとしたらメールを無視するのはまずい。
唯「見たけどメールはなかったよー」
アイスを食べながらのんきに彼女は答える。
唯「今日は土曜で部活は休みだからわたしが家出したこと、みんなは気づいてないんじゃないかな」
大人唯「あ、そうだね」
41: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:24:03.84 ID:PhNH+igAO
唯「あ、でも和ちゃんからはメールがあったよ」
わたしははっとした。
大学が別々になってからというもの和ちゃんに会う機会はめっきり減って、あげくには今何してるのかも知らないままだ。
大人唯「どんな?」
唯「仲直りしたほうがいいんじゃないかって」
大人唯「それはそうだねー」
唯「もう……お姉さんまで…わたしだってわかってるけどさ」
43: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:26:09.95 ID:PhNH+igAO
唯「おおげさにけんかしちゃったし……わたしがうまく言いたいことが言えなかったせいだけど……りっちゃんも怒っちゃったから」
そうだ、りっちゃんが怒ったんだっけ。
そういえばバンドの活動に最後まで熱心だったのはりっちゃんだったなとわたしは思い出す。
みんなに集合をかけたり、クリスマス会を開こうと計画したり、大学ライブをしたりして。
今は澪ちゃんと同じ会社に入っていると澪ちゃんが電話で話してくれた。
ちなみに澪ちゃんとは最近まで電話で話していたが、なんでも部署が変わったとかで忙しくなったらしく、それからは連絡も途絶えてしまっている。
44: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:31:56.40 ID:PhNH+igAO
大人唯「りっちゃんもさ唯ちゃんと同じ気持ちだったんだよ、きっと」
唯「りっちゃんが?」
大人唯「そうだよ。唯ちゃんが卒業ライブをしたら軽音部が終わってしまう気がしたように、りっちゃんは軽音部を続けるために卒業ライブがしたかったんじゃない?」
唯「……あ」
45: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:34:48.27 ID:PhNH+igAO
大人唯「……ほらっおしまいっ!せっかくのアイス溶けちゃうよ?」
唯「う、うん…」
しかし彼女はうつむいたまま何かを考えていた。手に持ったアイスが少しずつ溶けはじめている。
大人唯「……えいっ……うまいっ」
唯「ああっ!わたしのアイスぅ……」
大人唯「ぼうっとしているのが悪い」
唯「お、大人げないよっ」
大人唯「えへへっ」
46: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:36:04.06 ID:PhNH+igAO
唯「わたしも……えいっ」
わたしは後ろに身をかわした。
大人唯「ざんねーん。7年はやかったね」
しかしその拍子にアイスが棒からするりと落ちてしまう。
大人唯「あっ」
唯「ぷぷっ……あはははっ」
大人唯「………ふふっ……あははっ」
47: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:37:06.45 ID:PhNH+igAO
わたしたちはあてもなく町をぶらぶら歩いた。
その町の名物を食べたり、CD屋に立ち寄ってみたり、お菓子を買ったりした。
昼過ぎになってファミレスに入った。なんだか食べてばかりだが平沢唯がふたりいればそうなってもおかしくはない。
客入りのピークの時間は過ぎていたが店内は混んでいた。人気急上昇中の若手バンドの曲が流れていて、それが店の雰囲気と全然合っていなかった。
唯「わたしこの歌好きなんだー」
わたしはそのバンドが3年もするとすっかり消えてしまうことを知っていたので、ちょっぴり切なくなった。
48: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:38:06.77 ID:PhNH+igAO
大人唯「若者向けって感じだね」
唯「じゃあお姉さんは好きじゃないんだねー」
大人唯「ひどいっ」
49: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:38:42.48 ID:PhNH+igAO
店員がやってきて席に案内された。
わたしはあまりお腹がすいているわけではなかったので軽いものを頼んだが、彼女は意気揚々とボリュームのあるものを選んでいて、時の流れを感じ苦笑する。
50: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:39:36.32 ID:PhNH+igAO
大人唯「そういえばわたしの後輩のバンドがねプロになったんだよ」
唯「ほんとっ?」
大人唯「うん。テレビとかにも出てるらしくてねー」
唯「すごいっ!なんていうバンドなのー?」
大人唯「ええーと……忘れた」
唯「そんなのってないよー」
大人唯「いやあー」
唯「ねえねえどういうバンドなの?カッコいい?」
大人唯「実は……ちゃんと聴いたことはないんだー……テレビに出たのも見てないし」
唯「ええっーわたしはあずにゃんがプロデビューしたら絶対CDも全部買うし、テレビだって見逃さないのになあー」
51: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:41:03.75 ID:PhNH+igAO
あずにゃんは放課後ティータイムが解散したあといつからかは知らないが、新しいバンドを組んでプロになった。
なんでも今じゃ若者にすごい人気らしくCDは売れるわテレビは出るわで、毎日のように抱きついていたあの頃に比べずいぶん遠い存在になってしまった。
わたしはまだあずにゃんのCDを聴くこともテレビに映る姿を見ることもできていない。
でも、例えばわたしに子どもができたりなんかして、その子どもに「お母さんは昔あの中野梓と一緒にバンド組んでたんだよ」なんて言いたくはなかった。
52: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:42:35.05 ID:PhNH+igAO
唯「ねぇ?バンドもう一回やろうってみんな誘わないの?」
大人唯「言えないよ…みんなそれぞれ忙しいし……」
唯「でも……」
大人唯「たぶん怖いんだよ」
唯「こわい?」
大人唯「そう」
唯「なんで?」
大人唯「大人になればわかる」
唯「ずるいよお」
大人唯「あはは」
53: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:44:51.31 ID:PhNH+igAO
そこでわたしは気づいてしまう。
わたしはまだあの夢のような日々を取り戻せると信じているんだということに。
なにか奇跡でも起きて、またあの頃のようにみんなで笑ったりはしゃいだりできると思っているんだということに。
54: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:45:48.77 ID:PhNH+igAO
彼女がデザートを食べたいと言ったので再びメニューを開く。わたしはあるものを見つけて嬉しくなった。
大人唯「わたしこれっ!」
唯「えーそれわたしが食べようとしたのにー。じゃあこれでいいや」
大人唯「いや、こっちにしたほうがいい」
55: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:47:02.66 ID:PhNH+igAO
わたしは半ば無理やり彼女に同じものを注文させる。
そのパフェ(正式:ビックチョコレートアンドスノウクリームゴールデンバナナパフェ)はわたしたち平沢唯の大好物だった。値がはるためふだんはあまり食べらなかったが、よく自分へのご褒美にした。
しかしそれはこの時代から一年後、つまり平沢唯大学一年のときに廃止されてしまう。
だからわたしはもちろん、彼女にもこれを食べさせておきたかったのだ。
数十分して、その巨大なパフェがやってきた。
わたしは久しぶりに見るその姿にはしゃいだ。彼女も喜んでスプーンを突き刺している。
しかしながら半分くらい食べたあたりで、わたしたちは後悔した。
56: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:48:35.74 ID:PhNH+igAO
食べ過ぎて前に突き出た腹をさすりながらわたしたちはファミレスを出た。
唯「次はどこ行こうかー?」
大人唯「や、休もうよ?」
唯「もうわたしは大丈夫だよっ!若いからねっ」
大人唯「あ、わたしも平気」
唯「見てゲームセンターがあるよっ」
大人唯「ゲーセンなんていつでも行けるじゃん」
唯「でもお姉さんと行きたいんだよー」
大人唯「そっかあ、じゃあ行きますかー」
唯「レッツゴー」
大人唯「ゴー」
57: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:50:54.79 ID:PhNH+igAO
ゲームセンターはどこにでもあるようなものだった。まあ逆に他にはないゲームセンターがあれば見てみたいけど。
きらびやかな内装が何となく目にしみた。ゲーセンなんて大人になってからは行くこともなかったので少し懐かしい。
58: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:52:12.42 ID:PhNH+igAO
唯「ゲーセンといえばねムギちゃんがとっても好きなんだよー」
彼女は言ってから軽音部のみんなのことを思い出し、自分が置かれた状況を再認識したのか悲しげな表情を浮かべた。
わたしはムギちゃんについて考える。
ムギちゃんは大学を卒業したあと自分の家の系列の会社に就職したはずだ。ムギちゃんは世間知らずなところがあるから、きっと苦労してるんだろうなとぼんやり思った。
いつの間にか彼女が消えていて、いつとったのかぬいぐるみを抱え現れた。
59: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:56:54.00 ID:PhNH+igAO
唯「見て見て!200円でとれたっ」
大人唯「はいはい」
唯「名前つけよっ」
大人唯「あはは………あっ」
唯「どしたのー?」
大人唯「うわー“k-on”のフィギュアだー。懐かしいなあ」
唯「えー“k-on”はまだ映画もあるしぜんぜん懐かしくないよー」
大人唯「ああ……そっか」
60: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:58:00.02 ID:PhNH+igAO
唯「ねえねえ、これやろうよー」
そう言って彼女はエアホッケーの台を指差す。
大人唯「おっ負けないよ」
61: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 21:59:21.94 ID:PhNH+igAO
負けた。
惨敗だった。
わたしはゲーム中一得点もあげることはできなかった。
逆に面白いように得点された。
結構自信があっただけにショックだった。
唯「お姉さん弱いねー」
62: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:00:21.04 ID:PhNH+igAO
これが歳の差というやつなんだろうか。
日々歳をとっていくのを怖れていた恩師の気持ちが今ならわかる。
――いや待ってよ。25ってそんな歳でもないよね。たしかに運動なんかしてないけどそれはどの時代だってそうだし。第一自分より年下の自分に負けるって悔しくない?訂正、かなり悔しくない?うんたまたまだ過去に戻ったからまだ身体がまだうまく動かないんだ次やれば……
大人唯「もう一回っ!」
63: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:01:36.18 ID:PhNH+igAO
唯「えー」
大人唯「もしかしてまた負けるのが怖いんだねー?」
唯「負けたのお姉さんのほうだよー」
大人唯「すいません。もう一回やらせてください」
64: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:02:36.65 ID:PhNH+igAO
結果からいえば五回やって全部負けた。
四回目なんか途中までリードしてたのに。わたしは罰としてエアギターを披露した。この歳のエアギターは致命傷になりかねないから困る。ギュインギュインギュイーン
65: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:04:03.85 ID:PhNH+igAO
ゲーセンから出るともう夕方になっていて歩いているうちに夕日が沈んでいった。
昼間とは打って変わり夜の町はひっそりしていてどこかよそよそしい感じがした。
唯「星がきれいだねー」
たしかに上方に視線を移すとと黒い空が黄色の星で塗りつぶされている。
月明かりがあたりを青白く染めていた。
どこからか波音が聞こえてきて近くに海があるのだなと思った。
彼女もやはり同じことに気がつき呟いた。
唯「海の音がするねー」
大人唯「見に行こっか?」
唯「うん」
わたしたちは音するほうに向けて歩き出す。少し肌寒かった。
66: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:05:21.04 ID:PhNH+igAO
夜は不思議な魔法が使えるみたいだ。
わたしたちはその魔法にかかってなんとなく静かになってしまう。
わたしと彼女はそれぞれの大切なものについて考えていた。
ときどき、どちらかがぽつりぽつりと何かを言って、そしてまた冷たい静謐に覆われる。
67: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:06:34.30 ID:PhNH+igAO
どのくらい歩いただろう。
潮の匂いが鼻腔をくすぐり歩くペースをあげた。狭い路地を抜けると広い場所に出た。
唯「海だあーっ」
目の前に黒々とした海が広がっていた。
月明かりがうねる海面に反射して歪んできらめく。
夜の海はきれいなんていう優しい感じではなく、もっと暴力的で神秘的で、なんだか隠し事をしているみたいだと思った。
68: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:08:19.18 ID:PhNH+igAO
砂浜に下りる前に近くの自販機でジュースを買うことにした。
コーラを買おうと思ったが贔屓にしているメーカーがなかったのでサイダーにする。ガチャガチャとおおげさな音をたてて缶を取り出した。
隣で彼女がコーヒーを選んでいるのが微笑ましい。
唯「……ん」
大人唯「どうかした?」
唯「……にがい」
大人唯「まったく……ほらっ交換しよっ」
唯「ありがと」
69: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:09:33.73 ID:PhNH+igAO
コンクリートの階段を下って砂浜に座る。おしりの辺りがざらざらとしていて、なんとなく落ち着かなかった。
わたしたちふたりは海を眺めたまま押し黙っていた。
波の砕ける音が耳の奥で響く。
ふと、海はずっと変わらないままなんだろうなという気がした。
久しぶりに飲んだコーヒーは少し苦かった。
70: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:11:59.89 ID:PhNH+igAO
しばらくして彼女が口を開く。
唯「あのさ……」
大人唯「…ん?」
唯「大人になったら大人になるのかなー?」
大人唯「……なっちゃうね……なりたくない?」
唯「うん……」
大人唯「そっか」
唯「今のままでいられたらなあー……あ、お姉さんも大人になりたくなかった?」
大人唯「そうだねー。まあ、今では立派な大人だけど……あはは」
71: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:13:45.72 ID:PhNH+igAO
沈黙。
波の音。
呼吸の音。
唯「でもね…」
大人唯「うん」
唯「お姉さんみたいな大人だったらいいかなーって」
大人唯「え……なんで?」
唯「だってお姉さんやさしいしクールだし一緒にいると楽しいもん」
大人唯「………」
唯「照れてるー」
大人唯「うるさいー」
唯「えへへ」
72: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:15:03.06 ID:PhNH+igAO
大人唯「わたしもひとつ唯ちゃんに教えてもらったよ」
唯「なあに?」
大人唯「昔の自分は今のわたしを応援してくれてるってこと」
唯「ほうほう」
大人唯「わたしね、昔の自分が今の自分を見たらねきっと失望しちゃうんじゃないかなって思ってた。でもさ、そんなことはなくて、今も昔もおんなじなんだろうなって」
唯「そりゃそうだよー」
大人唯「えっとね……つまりわたしがいいたいのはさ……今のわたしもなかなか悪くないってことかな」
唯「あーあ、自分で言っちゃったねー」
大人唯「あはは、だねー」
73: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:20:36.83 ID:PhNH+igAO
大人唯「あのね、やっぱりみんなには謝ったほうがいいと思うよ」
唯「じゃあ、お姉さんもみんなにもう一度会おうよって言ったほうがいいよー」
大人唯「うっ……それは」
唯「お姉さんは自分に甘いよっ」
大人唯「それは唯ちゃんもだよ」
唯「えへへっ」
74: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:22:01.25 ID:PhNH+igAO
そのとき、突然音楽が鳴り響いた。
アア-カミサマオネガイ フタリダケノ- ドリームタイムクダサイ
大人唯「わっ」
わたしは驚いて飛び退く。
少し遅れてこれが放課後ティータイムの“ふわふわ時間”だということに気がつく。彼女が一瞬嬉しげな表情をしたのが見えた。
大人唯「な、なに?」
唯「これわたしたちの歌なんだー。さわちゃんがパソコンで着信音にできるようにしてくれたんだっ」
75: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:22:57.40 ID:PhNH+igAO
そう言って彼女はポケットから携帯を取り出した。携帯からはまだ音楽が鳴り続けている。
そんなこともあったなとわたしは思い出す。たしかメンバーの着信音をふわふわ時間にしたんだっけ。
76: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:24:12.97 ID:PhNH+igAO
唯「あ、りっちゃんからだ……」
大人唯「はやししないと切れちゃうよ?」
彼女は大きく息を吸い込み、意を決したのか電話に出た。
唯「あ、り、りっちゃん?」
律『……憂ちゃんから聞いた。憂ちゃんをあんまり心配させるなよ』
唯「う、うん」
77: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:24:49.18 ID:PhNH+igAO
彼女は何て言ったらいいのかわからずおどおどとしている。
わたしはそんな彼女を見守っていた。
ふと、わたしと彼女の視線がぶつかった。彼女の顔に浮かんだ不安がありありと見てとれる。
わたしは微笑んだ。
その表情は自分でも意識しないうちに自然に顔に出た。
昔のような無邪気な笑顔を浮かべることはもうできないかもしれない。
だけど、誰かを、少なくとも自分くらいは安心させてあげたいなと思った。
わたしは口の動きだけで
「が、ん、ば、れ」
と伝える。
78: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:25:41.66 ID:PhNH+igAO
彼女は少しの間、言葉を読み取るためじっとこちらを見ていたが、やがて笑ってうなずいた。
唯「心配かけてごめんっ―――
79: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:26:21.38 ID:PhNH+igAO
――次は桜が丘~え~桜が丘~
車内アナウンスが聞こえて、心地よい揺れにうとうとしかけたわたしは現実に引き戻される。
車窓から入る光に目を細めた。
見慣れた景色がガラスに映って、でもどこか違う気もして、実はわたしは夢の中にいるんじゃないかという考えが頭をもたげる。
夢であろうとなかろうと、とりあえずわたしのこの奇妙な旅も終わりに近づいているみたいだ。
隣の席に視線を移すとこれまた奇妙な旅の仲間が熟睡している。昨日、夜遅くまで話し込んだせいか、電車に乗ってからはずっと寝ている。
80: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:27:40.50 ID:PhNH+igAO
大人唯「ほら、そろそろ着くよー?」
彼女の肩を揺する。
反応なし。
もっと強く。
反応なし。
おもいっきり頬をつねる。
唯「……ん…むにゃ」
大人唯「やっと起きた?ついたよ」
唯「あ…うん。目の前にケーキがたくさんあったから、夢かと思ってほっぺたつねったらホントに覚めちゃった……」
大人唯「それはお気の毒さま」
81: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:28:43.26 ID:PhNH+igAO
電車がゆっくりと減速したかと思うと、ぷしゅうという気の抜けた音を出してホームに停まった。
この駅でおりる人はわたしたち以外にはいなかった。
駅から出ると、未来とあまり変わっていない町並みが飛び込んできた。
大人唯「このへんでお別れだねー」
唯「……かな」
大人唯「え?」
唯「またあえるかな?」
大人唯「そうだなー唯ちゃんが大人になったら会えるんじゃないかな」
82: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:30:07.40 ID:PhNH+igAO
唯「大人?」
大人唯「そう」
唯「わかった!わたしがんばって大人になるよっ」
大人唯「立派な大人になってくれればわたしも嬉しいよ」
唯「なんで?」
大人唯「唯ちゃんの幸せはわたしの幸せだからだよ」
唯「じゃあーお姉さんの幸せはわたしの幸せだよっ」
大人唯「そっかー」
83: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:31:01.03 ID:PhNH+igAO
唯「……うん……あのね」
大人唯「なに?」
唯「…ありがとっ!」
大人唯「ふふっ……ばいばい」
わたしは彼女に背を向けて歩き出す。
彼女が後ろでばいばいと叫んでいた。心なしか涙声に聞こえたが、泣かなかっただけずっと立派だ。
今すぐ戻って抱きしめたいくらい。
だけどそうするわけにもいかない。
ひとりで歩くのは少し寂しかったが、それでも悪い気分じゃなかった。
84: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:32:00.91 ID:PhNH+igAO
桜が丘高校までの道筋は7年後とほとんど変わっていないため、すんなりと目的地にたどり着くことができた。
記憶を頼りにワープした地点をやみくもに探していく。学校の近くというのは間違えないはずだ。
85: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:33:29.84 ID:PhNH+igAO
もしかしてワープした地点に行けば未来に戻れるという楽観的な考え方自体が、間違えだったのかもと脱力感に襲われはじめたとき、探しものが目の前に現れる。
わたしの車は堂々と道路の脇にとめてあった。
たった二日半しかたっていないのに、その車はずいぶん懐かしく思えた。
鍵は差しっぱなしだったが誰かが中に入ったような形跡はなかった。
不思議といえば不思議だがとりあえずこうして車は戻ってきたのだ。あとはあの時のようにすれば未来に戻れる、はずだ。
86: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:35:23.22 ID:PhNH+igAO
考えていてもしかたないだろうし、わたしは車に乗ってバックする。
他の車が通るようすはない。
だいたいこのくらいだろうというところまで下がり、そこでいったん止まる。
87: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:36:29.21 ID:PhNH+igAO
出し抜けになぜ過去にきたのだろうという、本来ならば最初に思い浮かぶべき疑問が浮かんだ。
はじめはなにがなんだかわからなかったし、そのあとはもっと別のことに気をとられてしまったために、今の今まで保留になっていたのだ。
でも、まあいいやと思う。
けっこう楽しかったし、まあ理由なんてどうでもいいかって。
88: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:37:38.23 ID:PhNH+igAO
横を向いたら桜が丘高校が見えた。
ここに来る前に見たのとほとんど変わっていない。
明日から彼女たちはまたあそこでお茶したり、お菓子を食べたり、馬鹿な話をしたり、小突きあったり、けんかしたり、仲直りしたり、たまに演奏をしたりするんだろう。
彼女たちの笑い声や演奏がここまで聞こえてきたような気がした。
もしかしたらそれはわたしの頭の中から聞こえたのかもしれない。
89: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:38:32.98 ID:PhNH+igAO
わたしは少し切ない気持ちになったけど、いっしょに笑い声をあげたくもなって、アクセルを思い切り踏み込んだ―――
90: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:39:02.47 ID:PhNH+igAO
気づくとわたしが運転する車は道路を順調なペースで進んでいた。
フロントガラスごしに見える世界はすでになんども見馴れてしまったもの、建ち並ぶ規格化された住居、ソーラーパネルで埋め尽くされた屋根――なんだかデジャビュ。
91: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:39:50.18 ID:PhNH+igAO
唐突に携帯が鳴り出した。
わたしは考える。
結局のところもう昔にもどることはできない、過去は取り戻せないんだと。
だけど――別に昔みたいじゃなくてもいいんじゃないかな。
わたしたちは大人になってしまったけど、みんな変わり別々になった気がするけど……それでもわたしはわたしでりっちゃんはりっちゃんで、澪ちゃんは澪ちゃんで、ムギちゃんはムギちゃんで、あずにゃんはあずにゃんだ。
あの頃みたいじゃないかもしれないけど、あの頃みたいに楽しいはすだ。
93: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:41:02.01 ID:PhNH+igAO
だから、わたしは運転中の相手に電話をかけるなんて非常識極まりないと思っても、ほころびそうな笑顔を隠しきれなくて電話に出る。
頭の中ではさっきまで携帯から聞こえていた、女の子の歌声が鳴り響き続けていた。
94: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) 2011/09/10(土) 22:46:20.26 ID:PhNH+igAO
おわりー
読んでくれた人はありがとー
今思ったけど大人唯って語呂悪いな…
>>92
まじか…
ずっと桜が丘だと思ってたorz
SS速報VIP:唯「ねえ、あの頃のわたし心配しなくてもいいよ」