1: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 16:52:55.06 ID:N9h1Vzt80 BE:1515517875-2BP(2000)

 私は 努力の人間だ

 小さな頃 父の真似をしてギターを持ったあの日から

 私は 努力をしてきた

 毎日 毎日 自己を研鑽して

 幾度も 幾度も 自分の力を疑って

 そうして 私は 少しずつ自らの技術を高めていった

 それが 正しいのだと思っていたからだ

 努力をすれば報われる

 努力こそ 最も夢へと続く近道なのだと

 そう 思って15年

 私は 本当の 才能に 出会った



3: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 17:03:01.55 ID:N9h1Vzt80 BE:259803623-2BP(2000)

「梓、なあ、梓!」

 声がする。 
 凛とした声が、私の耳元で何かを言っている。声の主はなんとなく切羽詰まった感じで、その息が
これまたなんとなくくすぐったい。
「――?」
 目を開ける。
 ――ああ。そうだ。私は、眠っていたんだ。確か、2学期の中間テストに向けて夜遅くまで勉強して
いたため、眠気があったのだ。
 視界を動かして、声の主を確認する。秋山澪は半泣きの表情と声で私に呼び掛けていた。その背
後には顧問の山中さわ子。手にはメイド服一式。
 ……なるほど、私には瑣末な問題だ。とりあえず、睡眠をとりたい私に被害が及ばないのであれば、
澪はメイド服でもなんでも着ればいい。反則なまでに似合っているのだから、着ないと損だろう。
「はーなーしーてー」
 澪はさわ子の手に堕ち、ずるずると音楽室の影に引きずられていく。それを音だけで見送り、否、
聞き送り、私は二度寝を敢行する。

「よし唯! ムギ! カバディしようぜ!」

 ……なにが『よし』なんだろう。
 そもそも、カバディのルールを知っているのだろうか、彼女たちは。
 そんなわけで、私の二度寝は、ルールを模索しながら行われる奇行によって阻まれたのであった。



5: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 17:15:21.85 ID:N9h1Vzt80 BE:1948523459-2BP(2000)

 気がつけば、もう夕方になっていた。
 夏の気配はなくなり、日が落ちるのが早くなった。西から照りつける紅い太陽が私の眠気を消して
くれた。
 ……季節は秋。文化祭を終え、文化部はしばしの休憩といった時期だ。茶道部も、書道部なども今は
活動がないところが多い。
 無論、我らが軽音部も多分に洩れず、活動という活動は一切行われず、音楽室備え付けのアンプは
若干埃が被っている。
 こうして集まっているのも、ひとえに琴吹紬が持ってくるお菓子、ケーキ類目当てだ。私自身、楽しみ
に思っているのだが軽音部の活動として、今の状態は如何なるものなのだろうか。と疑問に思うことが
ある。放課後ティータイムというバンド名の由来だが、あまりにも比重が傾き過ぎていると日々感じる。
 ――だが、彼女たち。私も含めた軽音部は、これでいいのだと思っている。ギチギチの管理の元行わ
れる練習に意味はない。音を楽しむと書いて音楽なのだから、奏でる私たちが楽しまなくては意味が
ないのだ。それに気がついたのが、今月行われた文化祭。
 
 ……あそこまで、仲間を意識したことなんて、一度としてなかった。
 唯が風邪をひき、文化祭に出られないかもしれないと言われた時、私は唯先輩抜きなら、出ない方
がマシ。と言った。
 ――今となれば笑い話だが、あれは、私たちにとって恐ろしく重要なことだったのだ。たがが高校の文
化祭。そう切り捨ててしまうのは簡単だ。だが、私はそれができなかった。3回しかないイベントを、たっ
た1回でも取りこぼしてしまいたくないからだ。唯先輩がいない文化祭なんて、そんなモノはないものと
同義なのだ。

 だって――軽音部で本当に音楽が上手な人なんて、あの人しかいないのだから――



6: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 17:23:38.54 ID:N9h1Vzt80 BE:3507341099-2BP(2000)

 ――秋山澪。彼女は歌も上手く、ベースの腕前も目を見張るものがある。
 だが、それだってたかが知れている。高校生が練習したところで、限界がある。

 ――田井中律。彼女のドラムははっきり言って上手ではない。楽器、バンドを趣味として楽しんでいる
彼女には、これ以上の伸びしろなんてない。

 ――琴吹紬。彼女のキーボードは機械的だ。所詮はお嬢様が家の風習で習わされたピアノ。正確に
弾くことができても、それは決して人の胸に届くものではない。

 ――中野梓。私のギターは父と母から教わったもの。毎日練習し、技術を磨いたところで、凡庸たる
人間が到達できる場所なんて、結局は他人に褒められる程度だ。本物とは違う。贋作だ。

 ――平沢唯のギター。
 あの才能には、決して勝てないのが私たちだ。

 圧倒的な才能。それを意識しだしたのは夏休みのこと。夜、皆が寝ている時間に二人で練習した、
あの数時間で、私の音楽は変わった。



8: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 17:34:43.48 ID:N9h1Vzt80 BE:692808544-2BP(2000)

『ねえ、あずにゃん。ここなんだけどさ――』
 唯が慣れない手つきで新曲の1フレーズを弾く。どうやら、チョーキングのタイミングがわからないよ
うだ。
『えっと、それはですね――』
 手をとって説明する。ついさっきまで、アイスを異様に欲していた姿とは打って変わり、真剣な眼差
しで私の指を見つめる。
 ……本当に驚いた。この人だけは絶対に努力なんてしない人だと思っていたのに。
 新入生歓迎ライブから、この人のギター技術を見てきたけれど、私とは才能が違う。土台が違う。
所謂、デキが違う。私のギターは10年近くにも及ぶ努力によって支えられてきたが、この人のギター
はそういった努力という言葉を女々しいと感じさせるものだった。
 現に、今私が教えたところは、すでに完璧にこなしてしまっている。つまるところ、平沢唯という人間
は、神が遣わした天使なのだ。私のような凡人になにかを見せるかのような、圧倒的なセンス。そし
て、紛らわしい理屈をすべて吹き飛ばすほどに音楽を楽しむ純粋さ。これらを教えるために、神は彼
女を地に下ろしたのだ。

『できたー! あずにゃんはすごいね! ありがとうー!』

 擦り寄ってくることに関しては慣れた。
 しかし、彼女は――すでに私を凌駕していた。
 それなのに、彼女は私を凄いと言う。

 皮肉かと思ってしまう。
 天才の周りは、誹謗と羨望で満ちているのだから。



11: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 17:46:15.43 ID:N9h1Vzt80 BE:519606634-2BP(2000)

「あーずにゃん!」

 ふと我に返ると、私の体が重くなっていた。
 原因なんて知れたこと。唯がなにを理由かは知らないが抱きついているのだ。
「……どうしたんですか?」
「ううー。あずにゃんがぼーっとしてるから、危ないなーって思ったんだよ?」
「え? 私、ぼーっとしてました?」
「してたよー? もうみんなとは別れて、今は私たちだけだよ?」
 くるりと辺りを見渡すと、つい先刻までいた先輩たちはすでにおらず、今はアイスクリーム屋『ヴァニラ
アイスクリーム』の前にいた。
 なるほど、思索に耽っていて気付かなかった。今日はどうしてかわからないが、自分の世界に入って
しまう。
 唯は一瞬なにか思いついた表情を見せたあと、いつものとぼけた表情で財布を取り出す。どうやらア
イスを買うらしい。
「いいんですか? 憂に怒られますよ?」
「……」
 5秒ほど硬直。家でよく出来た妹が温かい食事を用意していると考えているのだろうか。
「……あずにゃん。何味がいい?」
 ――なにも考えていなかったようだ。

「じゃあ、大納言あずきで」

 私も小腹が空いたし、仕方がないから一緒にアイスを食べようと思う。
 このアイスは口止め料。憂に告げ口しないという約束で、おごってもらうことにした。



14: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 18:03:00.72 ID:N9h1Vzt80 BE:2727931897-2BP(2000)

 ――ここのアイスクリームはやたらと美味しい。
 価格はアイス一つ100円、ダブルで150円。トリプルでも200円という破格の値段だというの
に、人はなかなか来ない。穴場というやつだ。
 軽音部の面々や、憂や純と一緒に何度か来たことがあるが、私はこの店の裏メニューを知らな
い。在るというコトは先輩達から聞いたのだが、実際にどんなものかは知らないのだ。
 ……だが、今私は信じ難いものを目の前にしている。
 コーンの上に乗っている丸いアイスクリームが3つ。これはまだいい。チョコ、ストロベリー、オレ
ンジ味のトリプルアイスクリームは、私も好きな組み合わせの一つだ。
 問題はその上。今にも崩れそうな白いもの。アイスと同じ属性にあって、アイスとは相反する存在
が、その上に乗っている。

「アイスの上にソフトクリームなんて、ありえるんですか?」
「えへへー。凄いでしょー!」

 凄いを通り越して呆れている。
 ぐらぐらと揺れるアイスクリームは、ソフトクリームが乗ったコトでさらに頼りなく、今にも落ちてしま
いそうだ。
 それでも、唯は落とさない。
 アイスの申し子と真鍋和に呼ばれている由縁がそこにある――!

「ふっふっふ。この店の裏メニューを見つけるとは、DIO様に報告する必要があるな」

 この店の店長はそう言って、ガオンという音を立ててどこかに消えた。
 ――無論、彼は本編には一切関係しない。



15: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 18:19:34.17 ID:N9h1Vzt80 BE:2078424386-2BP(2000)

「美味しかったー!」
「もう、あんなに食べたらごはん食べられなくなるんじゃないのですか?」
「そんなことないよー。憂のごはん、美味しいもん」
 ……それに関しては同意。
 以前、一度だけ平沢宅にお邪魔し、憂の手料理を食べたが、その美味しさに驚きの色を隠しき
れなかった。私なんて、料理といったらおにぎり程度しかできないのに、同い年でもここまで違う
のかと思ったほどだ。
 はっきり言って、憂をお嫁に貰う人が羨ましい。あの料理を毎日食べられるのなら、どんな労働に
も耐えられるだろう。
「あ、今日あずにゃん家に誰もいないって言ってたよね? だったらうちに来なよー」
「――え? いいんですか?」
 本日、中野家には私以外誰もいない。
 両親が仕事の関係で千葉に行っているため、今日はコンビニで食事を済まそうと思っていたところで
ある。
 コンビニの弁当は好きではない。やはり、人が作ったご飯が、私は好きだ。
 故に、断る理由はなかった。憂の料理をもう一度食べられるのであれば、コンビニの弁当なんて問題
ではないのだ。



23: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 18:36:56.21 ID:N9h1Vzt80 BE:1039212083-2BP(2000)

「ただいまー」
「お、お邪魔します……」
 一度家に帰り、荷物をまとめて来たので、些か時間が遅い。時計を見ると、すでに長針は7の字を
指している。
 玄関からすでにいい匂い。これは――ハンバーグだろうか。憂手作りのデミグラスソースはお昼休
み、弁当を狙う目がクラス中から降り注ぐくらいだ。それを、温かい状態で食べることができる。クラス
の連中がそれを知ったら嫉妬に燃えることだろう。
「あ、梓ちゃん。待ってたよ」
 居間から駆けてくる憂の姿は、なんとなく新妻っぽくて、私の脳内物質を分泌させた。
 シチュエーションとしては、会社帰りで疲れた旦那のスーツを受け取る新婚ほやほやの新妻。
「……いい」
「え?」
 ――しまった。
 思わず声に出てしまった。唯が訝しげに私を見るが、それも一瞬。あまりの鈍感っぷりに全米が
泣いた。
「ういういー! ごはんごはんー!」
「もうできてるよ。お姉ちゃん。今日はハンバーグだよ」
「はんばーぐ! はんばーぐ! あずにゃん! ほら、はんばーぐ!」
 まるでマクラーレンピットにいるアメリカ人気歌手のように飛びはねながら居間に向かう唯の姿を
見ると、なんとなく頬が緩む。
 そこにいるだけで、笑顔の花が咲く。平沢唯という人間は、そういう風に出来ているのだ。
 まさに、生まれ持ったエンターティナー。私にはない、彼女の才能の一つである。

 ――ちなみに余談だが、トリプルアイス+ソフトの匂いは明らかに隠しきれるものではなく、唯は
憂に咎められたのであった。



27: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 18:51:09.61 ID:N9h1Vzt80 BE:519606443-2BP(2000)

「梓ちゃん」

 唯が入浴中。私は憂に連れられて憂の部屋に来ている。
 憂の神妙な表情は、否応にもこれから話す内容が決して軽いものではないコトを予感させる。
 部屋は薄暗く、灯りは外から入ってくる街灯の光しかない。
「お姉ちゃん。変じゃない?」
「……え?」
 憂の口から発せられた言葉。それは愛する姉の異変を、私に尋ねる内容だった。

 ――憂曰く、最近、唯はおかしいそうだ。
 二週間前の段階で、唯よりも憂のほうがリズムキープができており、言ってしまえば、音としての
クオリティは、憂が演奏した方が上だった。
 しかし、たった1、2週間で、唯のギターは変わった。
 難しい曲もわずか5回聞いただけでコピーできるようになり、さらにはそれにアレンジを加え、原曲
以上の出来にしてしまう、という話だ。
 
 ――そんなこと、できる筈がない。
 いくら天才といえど、そんなことができるのは人間じゃない。
 それが、ギターを始めて1年半の者なら尚更だ。


「あのね、梓ちゃん。
 ――お姉ちゃんって、なんなの?」

 恐怖に震えたような声で、憂は私に問うた。

 ――私は、それに答えることができなかった。



36: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 19:05:32.06 ID:N9h1Vzt80 BE:692808544-2BP(2000)

 ――憂が震えている。
 15年間一緒にいた姉が、まるでちがうモノになってしまうのが恐ろしいと、『平沢唯』を失うのが
厭なのだと、私に訴えるかのように。
「唯先輩は、天才だよ……それも、凡人なんかじゃ分からない、とびっきりの」
「梓ちゃんだって、ギター上手でしょう? お姉ちゃんよりも――」
「そんなことない。もう、私なんかじゃあ、唯先輩には敵わない。あの人が演奏した後に、私が演って
も、きっと歓声なんて起こらない」
「……」
 憂は口を紡ぐ。不安を体言化したような表情は、親友である私にも感染する。
「……お姉ちゃんは、一人じゃ何にもできないの……。私がいなくちゃいけない。
 ――でも! 時々怖くなるの。お姉ちゃんがギターを持つと、『この人はなんだってできる』って考えちゃ
って、まるで神様みたいに見えて……」
 平沢唯は神様に等しい。
 ギターを持てば、彼女は世界中のどんな兵器よりも強い。笑顔に勝る結果はなにもないのだから、笑
顔を生む彼女のギターはまさに最強だ。

「神様……なんだと思う。以前、澪先輩が、こんなことを言ってたんだよ。憂。
 ――音楽っていうものは、楽しんだモノが素晴らしいんだ、って。だから、世界の誰よりも音楽を楽し
み、楽しませることができる唯先輩は、神様なんだと思う」

 ――そう、あんな風に『音楽』が上手で、上手で、上手で、上手で、上手でどうしようもない人が――

 世界の誰からも愛される音楽家になれるのだろう。



42: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 19:17:17.02 ID:N9h1Vzt80 BE:1299015656-2BP(2000)

「――あのさ、梓ちゃん」

 憂は落ちつきを取り戻し、いつもの笑顔を見せる。
 きっと、彼女は認めてほしかったのだろう。共感したかったのだろう。
 
 自分の姉の、非凡と呼ぶにもはばかれる才能を。
 それに於ける、自らが抱いていた恐怖を。
 さらに、恐怖によって生まれる姉妹の溝。
 ――そして、大好きな姉の才能を嬉しく思うために。

 その対象に、私が選ばれたのなら嬉しい。
 これからも、唯の才能を見守りたいと思う。

 ――しかし、私たちは思い知る。

 神に等しき才能とはどういうものなのか。

 神に等しき才能を持つというコトの意味を。

 ――それを知るのは、それから暫く経ち、季節が一巡りした頃だった。

 

 ~第一部 END~



53: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 20:03:31.72 ID:N9h1Vzt80 BE:1039212083-2BP(2000)

 ――私、平沢唯は3年生になった。

 新入生は1人も入らなかったけれど、私は今のメンバーで放課後ティータイムだと思っている
ので、これはこれでいいのだと思う。
 八月の合宿も終わり、文化祭の練習をしているのが今日、10月10日のコト。
 紬が持ってきたケーキでお茶をするのもそこそこに、私たちは新曲を含めた5曲を練習してい
る。
 
 ――そこで、私は違和感を感じていた。


「みんな、こんなにへたくそだったっけ?」

 
 そんな、最低なコトを、考えていた。



55: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 20:14:19.14 ID:N9h1Vzt80 BE:1558818094-2BP(2000)

 考えてみれば、この違和感は去年からあった。
 あの時は、歯牙にもかけないような小さな違和感、不安だったため、気にもとめなかったが今は
その違和感があまりにも大きくなってしまっている。
 
 ――澪のベースには、力強さが足りない。

 ――律の走り気味のドラムが、赦せなくなっている。

 ――紬の丁寧過ぎるキーボードが面白くない。

 ――梓のギターが、あまりにも稚拙すぎる。

 そう、感じてしまう。

 そんなコトはない。みんな上手だ。
 思いこもうとしても、体は正直だ。平沢唯(わたし)という存在が、仲間の演奏を音楽として認めら
れない――。

「唯先輩……」

 後輩の梓が、私を心配したような顔で見る。
 心配なんてしてほしくないのに、私の表情は自然と曇る。
「あずにゃん……ごめん……」
「唯先輩は、なにもミスなんてしてませんよ?」
「そうだぞ。唯は完璧な演奏だったぞー」
 律も一緒に私を心配する。
 ――堪えられない。
 
 私を困らせているのは――貴女たちだというのに――



61: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 20:40:12.92 ID:N9h1Vzt80 BE:1558818094-2BP(2000)

 ――家に帰っても、私の心は休まらなかった。

 憂の顔が、明らかに私を心配している。
 私は、妹にそんな風に見られたくないのに。たった1人の妹に心配されるなんて、姉として失格だ。
「お姉ちゃん、ご飯……」
「……うん」
 それでも、食事は採らなくてはならない。憂にこれ以上心配させたくないということもあるが、なによ
りも、今、私は空腹だ。
 ……そう、食欲はあるのだ。
 故に、妹が作ったシチューを何杯もおかわりできたし、そのコトでほんの少しだけど元気になった気
がする。やはり憂が作った料理は最高だ。
「そういえば、お父さんたち、いつ帰ってくるのかなあ」
 食後のアイスを片手にテレビを見る。隣では洗い物を終えた憂もアイスを食べている。
「えっと――確か来週だったような――でも、すぐにまた1カ月イタリアだって」
 ――両親のことは大好きだ。小さな頃から、私たちを本当に可愛がってくれた。しかし、仕事のことも
あってか、両親は、私たちの運動会などの行事に決して来てくれなかった。



63: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 20:48:23.15 ID:N9h1Vzt80 BE:866010645-2BP(2000)

「……そう、だよね」
 バンドを始めた高校の文化祭にも、両親は一度も来てくれていない。仕方がないコトだと分かって
いても、寂しいという気持ちは隠せない。
 テレビには幼稚園の合唱大会のビデオが流れている。小さなハプニングが会場を沸かす、どこに
でもあるビデオの映像。
 それを、羨ましく思う。憂も、きっと同じ気持ちなのだろう。運動会といえば真鍋家のお弁当だった
私たちにとって、もはやお袋の味というのは真鍋の家のご飯なのだ。そんな私たちは、昔から授業
参観が大嫌いだった。
 ……私はいい。私は優秀な方ではなかったので、両親が恥ずかしい思いをせずにすむ。だが、憂は
いつも寂しがっていた。大事な妹の泣き顔を、私は見たなんてない。

「今の曲、弾いてあげようか? 憂」

 ギー太を持ち、先刻の曲『犬のおまわりさん』を演奏する。
 憂は寂しげな顔で聞いていた。
 ――私は、そんなつもりで弾いたのではないのに。



67: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 21:02:20.50 ID:N9h1Vzt80 BE:1515517875-2BP(2000)

「あの、さ。唯」

 ――音楽室。練習が始まる前のティータイムに、澪が私に話しかける。手には楽譜のような紙。
「なに? 澪ちゃん」
「これなんだけどさ。どう思う?」
 紙を私に渡す。どうやらこれは新曲の楽譜らしい。
「えと……いつもムギに作ってもらってるから、たまには私がーって思ったんだけど、唯の目から
見て、どうかな?」
「……」
 そう言われてしまったのなら仕方がない。さらりと流し読みする。
 
 ――否、そんなコトもできない。読んだフリをして、よかったよー、なんて言っておけばこの場は
乗り切れるのに、私の五感がそれを是とせず、頭の中ではこの楽譜通りの音が流れている。
 拒否したいのに、それができない。
 吐き気を抑えて、この地獄を堪える。
 堪えた分だけ、私のコップにストレスという水が溜まっていく。



70: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 21:09:23.73 ID:N9h1Vzt80 BE:3117636689-2BP(2000)

 ――あ、あ。

 声が、漏れる。
 それを抑える度に自分に嫌悪する。

「唯――!」

 声が聞こえる。

「み、お――ちゃん――」

 言葉が紡がれる。
 もう、私の意志とは関係ない。
 ヤメテ――やめて、やめてやめてま@おgj@あんbぴなwhんb:wらえんvばねあ。

「この曲、単調だよ。
 恥ずかしがり屋さんっていうのに、ずいぶんベースが前に出る曲なんだね――」

 それを最後に、私の世界は反転した。



75: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 21:20:35.43 ID:N9h1Vzt80 BE:346404342-2BP(2000)

 ――その日から、私の世界は音だけになった。

 部屋に籠り、窓を閉め切り、カーテンも閉める。
 それでも、外の音が不快だから、ガーゼを何重に合わせたモノを耳に貼りつけた。無論、耳栓もつけ
ている。
 今や、憂の声ですら単なる音だ。これでは、私がやりたかった音楽なんてできはしない。

 ――ああ。今や物事を考える声ですらも喧しい。
 それでも、人は考える。厭だと言っても、思考を停止するには死ぬしかないのだ。

「……」
 だが、私は死ねない。
 死にたくなんてない。
 痛いのは厭だし、なにより自分が消えるのが嫌だ。

 私は悪くない。
 私についてこれない、みんなが悪いのだ。
 私は、悪くない。

 こんなことを考えるのも厭になる。

 私は音楽家として最高の才能を持っていながら――
 ――人間として、最低の人格を持ってしまったのだ。



77: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 21:26:36.77 ID:N9h1Vzt80 BE:649507853-2BP(2000)

 死にたくない、という意識と。

 死んでしまいたい、という思考。

 私が悪い、という結論と。

 みんなが悪い、という嫌悪。

 音楽が楽しいと感じる感情が。

 音楽を憎いと思う愛憎へと変わっていく。

 ――コンコン。

 なんの、音?

 音なんて、なくなってしまえばいいのに――

「唯、先輩――」

 ド、ファ、ミレソドド?

 なんだ、貴女か。

 

 ~第二部 END~



85: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 22:21:39.58 ID:N9h1Vzt80 BE:1039212083-2BP(2000)

 唯がおかしくなった。
 憂はそのコトで自らに罪を感じていた。

『――私が、お姉ちゃんになにもしてあげられなかったから――』

 憂が私に、初めて涙を見せた。
 どんなことがあっても泣かなかった憂が、まるで子供のように泣き崩れたのだ。そんな姿を
見てしまっては無視なんてできない。憂のために、私はここにいる。

「お姉ちゃん。ノックしても返事しないよ?」
「でも、無断で入るわけにもいかないよ」

 コンコン。
 乾いた音が鳴る。
 それも、今の彼女には辛いのだろうが、我慢してほしい。

 ――ガチャリと扉が開く。かつて遊びにきた時とはちがう。あまりにも重い扉。

「――唯、先輩――」

 そこに、私が知っている平沢唯の姿はなかった。



86: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 22:35:30.09 ID:N9h1Vzt80 BE:173202522-2BP(2000)

 ベッドに横たわり、毛布に顔を埋め、全ての音を拒否する姿。

 私が歩み寄る、その足音にも怯えている。
 耳にはガーゼが貼ってあり、髪は手入れをしていないためかボサボサだ。私が尊敬していた平沢唯は
そこにはいない。
 
 そこにいるのは、音に憑かれた落日の天才。
 
「――」

 唯は何も言わない。
 ただ、ぼんやりと私を眺めている。壊れる直前の人間は、普通の人間では決してできないことが
できる。
 今、彼女が行っているのは世界の俯瞰。
 自分を含めた物事全てを客観的にみることができる。それ故に、自分の命も意味がないと思えば
簡単に捨ててしまうのだ。そこには、他人がどう思っているかなんて関係ない。
「だったら――」
 だったら、簡単な話だ。

 意味を、持たせてやればいい。

「来てください」

 唯の手を取り、強引に部屋から連れて出す。
 憂はにっこりと笑って一言――

「お姉ちゃんをお願いね。梓ちゃん」

 それは、2週間ぶりに見た笑顔だった。



87: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 22:46:52.55 ID:N9h1Vzt80 BE:173202522-2BP(2000)

 ――今日は、文化祭の日だ。

 私たち放課後ティータイムは、今年も講堂でライブをする。
 そう、放課後ティータイムが、行動でライブをするのだ。
 去年と同じように――唯が遅刻してしまうけれど、私たちは5人で放課後ティータイムなのだ。

「憂……」

 憂は、姉の為に文化祭を欠席した。
 彼女は、姉の為に女の子らしいことなんてまったくできなかった。
 私の右手にだらりと捕まっている、この人のために、自らを犠牲にしてきたのだ。

「だから――貴女は……無責任に笑ってあげなくちゃダメなんです! あの子が、捨ててきてよかった
と思えるくらい、馬鹿みたいに笑ってなきゃ――ダメなんです!」
 
 平沢唯。
 平沢憂。

 二人は、お互いがたった1人の姉妹なのだから――



89: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 22:56:14.32 ID:N9h1Vzt80 BE:2078424768-2BP(2000)

 講堂から漏れる、楽器の音。
 
 ギターが一本しかない音。
 走り気味のドラム。
 無機質と揶揄していたキーボード。
 控え目なベース。
 
 歌のない、曲。

「……」
「行きますよ」

 唯の手がガクガクと震えている。
 音の世界へ入門することを恐れ、足が前へと進まない。

「唯先輩。貴女が辛いのは知っています。
 でも、貴女よりも辛かった人物を、私は知っています。その人のために、私は貴女に無理をさせ
ます」

 力強く、唯をひっぱる。
 講堂の重い扉が開けば、そこにはピースが足りない演奏(パズル)があった。



92: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 23:11:54.51 ID:N9h1Vzt80 BE:1039212364-2BP(2000)

「唯先輩。行きますよ」
「……」

 唯は動かない。
 顔は青くなり、今すぐにも抜け出したいのに、動かないからだがそれをさせない。そのため、彼女は
入口で呆と突っ立ったままだ。
 見つめる先には、誰もその前には立っていないが、ギターだけが置いてあるマイクスタンド。放課後
ティータイムのボーカルは、平沢唯なのだから、いないからといって誰かが代役を立てるべきではない
のだ。
 さわ子先生がフライングVで演奏している。無論、彼女が演奏しているのは私のパートだ。

「唯先輩。
 私、貴女のコトを天才だと思ってます。いいえ、天才なんていう言葉にもカテゴライズされない。神
様みたいな存在にだってなれると信じています。これは私だけじゃない。澪先輩も、律先輩もムギ先
輩も、さわ子先生も――なによりも、憂もそう思ってます。
 だから、もう自分の才能に逃げないで、屈しないで、負けないで、自分の手綱をしっかり持って、世
界中の人に、私たちの音楽を聞かせてあげましょう。そうすれば、きっと親御さんだって――」

 そう、言い終わらない内に、唯は歩き出した。

 向かうはステージ。
 
 唯はにこりと笑い。一言だけ――

「なにしてるの? あずにゃん。行かないと澪ちゃんに怒られちゃうよ」

 ――ああ。それでいい。
 私は、貴女をずっと見ていたい――



93: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 23:29:21.48 ID:N9h1Vzt80 BE:2727931897-2BP(2000)

「いやー! なんにしても唯が来てくれてよかった!」
「本当だな……梓。ありがとうな」
「ありがとうございます。
 でも、唯先輩がその気になってくれなきゃ、アウトでしたよ」
「あずにゃん……大好きー!」

 抱きつくのは勘弁してほしい。
 でも、今日はいいか。

 ――結局、文化祭のライブは大成功だった。
 生徒会長の真鍋和の計らいで、唯が到着してから20分という持ち時間が消費されるという方法を
とったため、野球部の演劇はなくなったが、そのお陰で私たちは放課後ティータイムとして最後の
文化祭を最高の結果を出すことができた。
 ふわふわ時間。カレーのちライス。ふでぺん~ボールペン~。私の恋はホッチキス。の4曲を歌い
終えた唯の表情は、かつて音楽を心の底から楽しんでいたころと同じ表情をしていた。

「ういーういーういー」
「なあに? お姉ちゃん」
「……えと、ありがとね? ダメなお姉ちゃんでごめんね」

 唯の謝罪。それに憂は笑顔で――

「いいんだよ。私は、お姉ちゃんの笑顔が見たいんだから」

 これが高校生としての放課後ティータイム最後のライブ打ち上げ。

 先輩達は、もう卒業を待つだけとなった。



95: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 23:49:37.27 ID:N9h1Vzt80 BE:1818621667-2BP(2000)

 三月。先輩達にとっては旅立ちの日となった。
「卒業生代表! 真鍋和!」
「はい!」

 ――生徒会長、和先輩の答辞は彼女らしいしっかりとしたものだった。
 でも、和先輩は卒業後。イギリスに留学するらしく、最も遠い存在となるので式後は最も涙を流して
いたらしい。

「3組。秋山澪!」
「は、はいぃ!」

 ――声が裏返った澪先輩。この三年間で恥ずかしがり屋はいくらか直ったそうだけれど、私には
そうは見えない。卒業後は国立大学に合格が決まったらしい。



96: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/04(金) 23:50:31.25 ID:N9h1Vzt80 BE:1732020285-2BP(2000)

「琴吹紬!」
「はい!」
 
 ――いつだっておっとり。でも、私たちが脱線してしまう時の調整役だったムギ先輩は、卒業後には
お嬢様大学に入り、これからは少し束縛される生活になるらしい。

「田井中律!」
「へい!」
 
 ――おおざっぱだけれど、誰よりも繊細だった律先輩。卒業後は、以前から勉強していたデザインの
専門学校に進むらしい。私に服をデザインしてくれると言っていた。

そして――

「平沢唯!」
「ふぁ、っふぁい!!」

 眠っていたのか。唯先輩は気が抜けた声で立ち上がった。椅子が倒れ、ちょっとしたハプニングだ。
 唯先輩は、卒業後は芸能事務所に入って、CDを出すことが昨日決定した。文化祭を見にきた人の
中に、その手の専門家がいたそうだ。

 そうして、私たちの放課後ティータイムは解散した。
 明日からは、私は平沢唯のマネージャーとして、あの人を支えていく。

~第三部 END~



114: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 01:16:23.15 ID:jTUoRpPd0 BE:606208027-2BP(2000)

 季節は冬。私こと平沢唯は20歳になった。
 高校を卒業したのが2年前。それを思うと、遥か昔のようにもついこの間のようにも思えてくる。
 あの時の私は、今では芸能事務所に所属し、一人のアーティストとして活動している。

「あずにゃんあずにゃん。今日のCD。どうかな?」
「え? そんなの、凄いに決まってるじゃないですか。唯先輩が書いた詞に、唯先輩が作った曲で
すよ? それが売れない筈がないじゃありませんか」
「うー……」
「どうしたんですか?」
「あずにゃん……私、今のままでいいのかな……」

 放課後ティータイムとしてバンドをしていたあの時に比べて、私は音楽を楽しめずにいた。
 聞いてくれる人がいるのは、素直にうれしいけれど、たった1人で演奏する音楽は、やっぱり
ほんの少しさびしい気がする。
「いいんですよ。
 ……でも、またいつか、放課後ティータイムで演奏したいですね」
「……うん」

 それが叶うのはいつになるのだろうか。



115: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 01:23:13.30 ID:jTUoRpPd0 BE:1212414847-2BP(2000)

 テレビ朝日の楽屋で、不安に駆られる。
 ミュージックステーションに出られるのは、今でも信じられない。以前の私は、今日、一緒に出演する
人たちなんて完全にテレビの中の人であり、絶対に会える筈がないと思っていたのだから。
 ――つまり、嬉しいのである。
 それは、平沢唯という20歳の女の子が抱く喜び。夢がかなったという達成感が生み出したもので
ある。
 ……だが、嬉しさの反面には悲しさがあるのは道理だ。今の私たちは、それに関して憂いを持ってい
る。
「口パクなんて……厭だな……」
「ごめんなさい……私がしっかりマネージメントできていれば……」
「ううん。あずにゃんの所為なんかじゃないよ」
 アーティストとしての屈辱。
 それは他でもない。演奏したフリをさせられることだ。
 この番組は、いわゆるアイドルが主になって出演するため、歌を歌うコトに関しては重きを置いてい
ない。つまるところ、人気のアーティストやアイドルがテレビに出るという結果が重要なのであって、
歌なんてものはどうでもいいのだ。
 私はそれが厭だった。
 私はアーティストだ。歌手だ。演奏家だ。
 それなのに、私はこれから演技をする。強制(ギアス)じみた拘束から、私は抜け出せない。
 ――そこに才能なんて関係ない。飼われた犬は、教え込まれた芸で餌をねだるほかないのだから。

「平沢ユイさーん。スタンバイお願いしまーす」

 そうだ。
 私は『平沢ユイ』だ。一個人としての平沢唯を捨て、仕事人になろう。
 楽屋で待つ梓の表情は、なにかさびしげに見えた気がした。



117: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 01:43:51.02 ID:jTUoRpPd0 BE:519606926-2BP(2000)

「えと、ユイさんは高校時代にギターを始めたんだって?」
「はいー。軽音って、軽い音楽なのかなーって思ってて――」

 憧れのトーク。
 昨日の晩から、憂と一緒に練習したものだ。タ○リがするトークのパターンを、憂は理解し、それを
参考に、この場に於いて提示される話題を予想した。
 まず、音楽を始めたきっかけ。それから、デビューのコト。その程度で、私のトーク時間は終了す
る。初登場ならば、あまり踏み言ったことは聞かないのが、憂の予測結果だ。

「――それじゃあ、平沢ユイさんの新曲『ぐるぐるメリーゴーランド』お願いします」

 曲のスタンバイに入る。
 形骸化したような作業。
 ギターを弾くこともないのに、アンプにつないで準備する。
 歌を歌うことなんて在り得ないのに、マイクのチェックをする。
 憧れの場なのに、もう、全然ドキドキもわくわくもしない。

『――ぐるぐる回るよ』

 CD音源をそのままに、曲は始まった。



119: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 01:57:39.72 ID:jTUoRpPd0 BE:1948522695-2BP(2000)

 ――うんざりだった。

 ――それでも、観客のみんなはうれしそうだ。
 
 歌っていない私に、笑顔をくれる。
 演奏もしない私に、声援をくれる。
 
 そんなことをしてもらえる資格なんて、私にはない。私は、私を見に来てくれるファンの気持ちを
裏切っているようなものだ。
 ならば、それに答えなくてはならない。
 私が大切にしなくてはならないのは、タモ○でもなければ、事務所の社長でもない。
 今、私に声援と笑顔、そして勇気をくれる――ファンなのだから――

「あなたが馬で、乗り子が私? そうね、そうよ。これが私のメリーゴーランド」

 瞬間。会場が沸く。
 それは、ルールを犯した私への嘆きの声?
 それとも、歌を歌う私への賛美の声?
 ギー太の弦を弾き、演奏する私は、ようやくアーティストだ。
 音が二重になる。 

 ――ああ。それだっていいじゃないか。

 これで、私は私の一分(いちぶん)を通せたのだから。



122: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 02:12:55.19 ID:jTUoRpPd0 BE:1299015465-2BP(2000)

 ――その後。私たちは偉い人に物凄い勢いで説教を喰らった。

 それと同時に、テレビ朝日には出入り禁止。その上、久○雅○の宗教勧誘を断ってしまったためか、
TBSも出入り禁止となってしまった。
 だが、後悔はない。
 私はアーティストだ。決して、事務所の犬なんかじゃない。もとより、私には無理だったのだ。人付き
合いで成り上がっていくなんて、番組のシステムの為の歯車になるなんて、私という人間には無理が
あったのだ。
 それ故に、私はテレビ出演の悉くを断った。ミュージックステーションの事件以来。私の存在は有名
になっていたので、CDの売り上げは少しずつだが伸びていった。
 そして――

「……できた」

 完成したのは書き下ろしの曲を加えた自身初のアルバム『ぴゅあぴゅあ』である。



128: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 02:22:50.54 ID:jTUoRpPd0 BE:519606926-2BP(2000)

 ――初のアルバム、ぴゅあぴゅあは、本来では在り得ないほどに売れた。

 発売して、わずか1日でオリコンアルバムランキングでは1位を獲得することが決まり、それでも
尚、売り上げは伸びに伸びた。
 その影響か、今まで出してきたシングルも売れ、シングルチャートでも上位に食い込むほどにな
った。
「すごいですよ! ラジオでも先輩の曲を聴かない日はないです!」
「あははー。当たっちった。ブイ!」
 梓に向かってVサイン。CDジャケットは専門学校を卒業し、現在プロのデザイナーとして活躍して
いる律に頼んだことで、彼女の株も急上昇。仕事が絶えない状況だという。
 ――そうして決まった。夢。

 そう、武道館ライブだ。

「がんばんなきゃ! 私!」

 それが決まった日。両親からの着信。

 ――休みがちょうど武道館ライブの日だから、是非とも見に行きたい、という。

 初めて、私が両親にいいところを見せられる。
 そう思って、私は両親へ送る花束を考えていた。



131: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 02:30:32.19 ID:jTUoRpPd0 BE:1558818566-2BP(2000)

 ――ああ。そうだ。
 武道館ライブで、両親へと贈る歌を作ろう。
 運動会にも、合唱コンクールにも、授業参観にも、文化祭にも、卒業式にも来てくれなかった両親が、
私の立派な姿を見に来てくれる。
 それが嬉しくて嬉しくて、いてもたってもいられなかった。
 両親がベルギーのスパ・フランコルシャンから帰ってくるのはライブの日の朝。それまで時間はたっ
ぷりある。梓と憂と一緒にご飯でも食べてから、歌を作ろう。
 ……ああ! 駄目だ! 今から作んなきゃ!
「お姉ちゃん? なにしてるの? どたばたして」
 そわそわしているのは私だけではない。憂だって、明らかに落ち着いていない。憂は私のバックコー
ラスを担当するのだから、心象としては同じだろう。

「お父さんたちに、歌を作るのだ!」

「そっかあ! 私もうれしいよ。お父さんたちがこういう行事に来てくれるなんて、生まれて初めてだも
んね!」

 ――武道館ライブまで、あと3日。
 私はうきうきする気持ちを抑えて、練習に励んだ。



134: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 02:42:25.29 ID:jTUoRpPd0 BE:1212414274-2BP(2000)

 ――武道館ライブ2日前。
 私は舞台監督との打ち合わせで、両親への歌を予定に入れてもらった。
 ○本○美が、私の家の前で土下座をしにきた。

 ――武道館ライブ前日。
 両親への歌も完成し、プレゼントする花も決定した。前日というコトで、パーティーが催されたが、
私は気が乗らなかったため、すぐにホテルに帰って来た。かつて、マイケル・ジャクソンが宿泊
したという部屋で、自称マイケルの親友である○モリが土下座をしにきた。

 ……夜。私は眠れなかった。
 明日、両親が私と憂のために来てくれる。
 それは、運動会の前日。母や父にいいところを見せたいと意気込む子どもと同じ気持ち。久し
振りに憂と同じベッドで眠った。

 ――そうして当日。
 一本の電話が、早朝に届いた。

 

 ――両親が乗っている飛行機が墜落事故を起こした。

 セイゾンシャナシ。ゼンインシボウ。

 無機質な声に、私の世界は再び反転した。



139: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 02:51:32.18 ID:jTUoRpPd0 BE:1039212364-2BP(2000)

 ――信じられなかった。

 テレビをつけると、世紀の飛行機事故と銘打たれた事故が、一つのチャンネルを除く総ての局に
映っていた。
 
 あまりにも、現実味がない。
 あまりにも、本当ではない。
 こんなこと、在り得ない筈。
 
 手が震える。
 両親を喪ったという恐怖。
 絶対的な喪失感が、私を支配する。
 こんな気持ちで、ライブなんて出来る筈が、ない。



140: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 02:53:20.63 ID:jTUoRpPd0 BE:606207072-2BP(2000)

「お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん!」
 憂が、人目をはばからず、泣いた。
 今まで、ずっと頼りになる妹だった彼女が、今では本当に小さな妹になっていた。
 ――それならば、私は泣いてはいけない。
 だって、私はお姉ちゃんなのだから。
 お姉ちゃんは、絶対に泣いちゃいけないんだ。

「でも……これじゃあ……」

 バックコーラスなんて出来る筈がない。
 それに、今回のライブのスタッフの中に私と同じ境遇の人がいたらしく、バックバンドも不足している
という一報が入った。
 中止にするか? という問いに、私はやります、と答えた。ファンのために、両親の為に、憂のために
私は、歌う。
「私は――やらなきゃいけないの!」

「――だったら丁度いい。今が、放課後ティータイムの再結成だ――」

 ホテルのスイートルームに響く、凛とした声。
 振り向くと――そこには桜高の制服に身を包んだ4人の姿があった――

 ――あの時と変わらぬ、少女の姿で――



145: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:08:11.77 ID:jTUoRpPd0 BE:1169114639-2BP(2000)

 ――放課後ティータイム。

 私の原点であり、私が目指す音楽の完成形だ。
 目を瞑れば思い出す。
 
 初めての文化祭。澪が恥ずかしがりながらもボーカルを務め、伝説となる事件を起こしたこと。

 二回目の文化祭。私がギー太を家に忘れてしまい、走って取りに行ったこと。
 
 三回目の文化祭。梓が私のために、一生懸命になってくれたこと。

 私は、間違いなくあの時、音楽を楽しんでいたんだ。
 
 梓が言う。
「唯先輩は天才なんですから――」

 そんなことはない。
 私は天才なんかでもないし、神でもない。
 私はただの女の子。平沢唯だ。



146: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:12:27.01 ID:jTUoRpPd0 BE:2338227296-2BP(2000)

「ねえ、あずにゃん。
 私、やっぱり天才なんかじゃないよ」

「……そう、ですね。
 唯先輩は、唯先輩です――」

 照明が明るくなる。

 一曲目――ふわふわ時間――!

「キミを見てると、いつもハートドキドキ!」

 見ててね、お父さん。
 聞いてて、お母さん。

 私、天国に届くくらい、一生懸命歌うから――!



149: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:17:27.64 ID:jTUoRpPd0 BE:649508235-2BP(2000)

 ――そうして、二時間のライブ。その全ての曲が終わった。

 放課後ティータイムとしてのライブではないけれど、私の後ろにはかつての仲間がいる。それだけ
で、この武道館ライブは私の夢の具現化だ。

「最後に、今日早朝に起こった不幸な事故の被害にあった方へ、歌を贈ります。
 私自身、両親をあの事故で亡くし、途方にくれました。でも、その私をここに連れてきてくれたのは、
後ろにいる私の仲間と、誰よりも愛している、私の妹です。だから、私はここで歌を歌います――」



150: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:21:16.02 ID:jTUoRpPd0 BE:692809128-2BP(2000)

小さな頃から思ってた
すごく そばに いてほしい

あなたの大きな手で 抱いてほしかった
あなたの大きな胸に 抱かれたかった
遠くにいるから気がつかない
近くにいても気がつかない

だから 私は歌を歌うよ
あんな私が 大きくなったって伝えたい
側にいて 抱きしめて 笑いかけて
ご飯を食べて 一緒に寝て また起きて
そうして繰り返す 繰り返すことが幸せだから

小さなころから感じてた
あなたの愛で ここにいる
すごく 傍に いてほしい



152: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:26:07.00 ID:jTUoRpPd0 BE:346404724-2BP(2000)

 武道館は物音一つ立たなかった。

 みなが、私の歌を聴いてくれている。
 
 それを、全身で感じた。

 ずっと遠くにいた両親にささげる歌だった。
 小さな頃から、甘える日といったらクリスマスか誕生日しかなかった。
 だから、今度からは家族4人でいろんな所へ行きたいと思ったのだ。

 でも、それももう叶わない。
 山中に墜落した飛行機は燃えさかり、たった1人の生存者も出さなかった。
 これが、現実なのだ。

 ――深々と頭を下げ、舞台袖にはける。
 涙を、誰にも見せたくないから――



154: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:39:33.08 ID:jTUoRpPd0 BE:866010454-2BP(2000)

Epilogue

 ――それからの唯先輩の話をしよう。

 伝説の武道館ライブが終わり、唯先輩は両親の葬儀や様々なコトで忙しかった。
 しかし、それを支えたのが、やはり憂だった。憂は唯先輩が音楽に専念できるように、全ての
音楽以外の仕事を請け負った。
 憂も、なにかがしたかったのだろう。
 両親の為に。なにかを。

 澪先輩たち、放課後ティータイムのメンバーは、今ではそれぞれの夢に向かって頑張っている。
 あの武道館ライブ以降。放課後ティータイムの復活はない。しかし、私たちの心の中に放課後
ティータイムがある限り、あの時の夢を、きっと唯先輩が叶えてくれる。そう信じている。

 私は、今も変わらず唯先輩のマネージャーとして、毎日忙しい日々を送っている。音楽番組に
出演する際の注意点を説明し、CDの世界記録にも届く売上に出入り禁止となっていたテレビ
局のトップが土下座をしてきたのには驚いた。人間というモノは得てして現金なものである。

 ――それを変えるのが唯先輩の音楽だ。
 打算もなにもない。音楽というモノはそういうものだ
 

 ――そうして、5年の月日がたった。



156: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:51:24.63 ID:jTUoRpPd0 BE:3117636498-2BP(2000)

「HIRASAWA!!」
「ユイー!」
「アイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!」

 ここはイギリス、シルバーストン。世界平和を祈るチャリティーライブに招待された唯先輩が、
今、世界中の人々が見つめる舞台に立っている。
 日本は今、8月30日夜9時。テレビでは偽善チャリティーのランナーがゴールしたところだろう。し
かし、日本の人々はきっとそんなものは見てはいない筈だ。今、ここに本物がいるのだから。



157: 笑み社 ◆myeDGGRPNQ 2009/09/05(土) 03:52:24.78 ID:jTUoRpPd0 BE:1212414274-2BP(2000)

 ――本物の音楽で、世界を救う。
It redeems the world by genuine music. 

 それがテーマであるライブには、唯先輩の存在が必要不可欠だ。

「こんにちは。放課後ティータイムの平沢唯です。
 えっと、私が音楽を始めたきっかけは――軽い音楽だと思ってて――」

 さあ、今日も始まる。
 音を楽しみと書いて、音楽。
 軽い音楽と書いて、軽音。

「やっぱり、貴女は――神様なんですかね――」

 人をどん底に叩き落とす才能もあれば――
 ――人を幸せにする才能もある。

 私は知ることができた。
 本当の、『才能』というものを――

「――けいおん! 大好きー!!」

中 野 梓 が 才 能 を 思 い 知 る そ う で す
                                FIN


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「中野梓が才能を思い知るそうです」