1: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 08:48:06 ID:Sk8c

 ある秋の日。依田芳乃とプロデューサーの曲がりくねった旅の発端は、ほんの些細な出来事を装って現れた。

 いつものように事務所でお煎餅を食べていた依田芳乃が、不意にキョトンとした顔で手を止めたのである。

「どうしたんだ、芳乃」

「どうやら失せ物を探さねばななぬようですー」

 聞いてみたら神妙な顔をしてそう返され、プロデューサーは驚いた。彼が知る限り、依田芳乃はアイドルになって以来余程の事がない限り自分から物探しを始めることはない。彼女は常に誰かに請われて初めて失せ物探しを始めるのだ。



2: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 08:48:36 ID:Sk8c

「珍しいな」

「はいー。おそらく難儀な捜し物になろうかとー」

 すでに半開きになっていたプロデューサーの口はいまや驚きでまん丸に開かれていた。未だかつて依田芳乃が失せ物の難易度について口にしたことはない。

「つきましては、長くかかりそうなので休暇をいただければとー。できるかぎり早くー」

「わ、解った」

「あと難儀な道行きとなります故、そなたに介添えをお願いしたくー」



3: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 08:49:23 ID:Sk8c

 こういう頼みごとも初めてのことだ。驚いたところに畳みかけられるように三つ指ついて頭を下げられ、プロデューサーは再びあっさり頷いた。事情はよく解らないが、依田芳乃がこうまで言うのはただ事ではない。
八方手を尽くし千川ちひろとお得意先に百度ほども頭を下げてまとまった休暇を確保して、プロデューサーは依田芳乃と共に旅に出たのである……とはいえ。

 プロダクションを後にして、では行きましょうかと先を歩く旅装の依田芳乃を追いながら、プロデューサーは考える。介添え、手伝い。そうは言われても具体的に何をすればいいのだろう。



4: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 08:52:37 ID:Sk8c

 以前、白菊ほたるがスマホを無くしたことがあった。このとき助言を求められた依田芳乃は詳しい事情も聞かず『冷蔵庫の中は探したか』と答えて見せたものである。

 その言葉通り白菊ほたるのスマホは確かに朝冷蔵庫に入れたコンビニ袋の中から見つかったのであるが、どうして彼女が『そこにある』と考えたのかを理解できるものは居なかった。

 依田芳乃自身は常々自身が失せ物を見つけられるのは神秘の力ではなく、他者とはまた違った観点で物事を見ているからに過ぎない……と説明していた。

 だが仮に神秘の力ではなかったとしても、結局のところそれが依田芳乃にしか理解できない感覚・思考の産物であることには変わりは無く、余人にその論理や過程を理解することはできなかった。

 つまり要するに、彼女が失せ物を探す道行きに付き添ったところで、常人に手伝えることは何もないように思えたし、実際旅を始めて半日が過ぎても、プロデューサーにできることは何も無かったのである。



5: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 08:54:26 ID:Sk8c

「あちらに進んで見ましょうかー」

「解った」

「この分かれ道を右にー」

「うん」

 全て、かくのごとしである。

 依田芳乃は常に『この方向に進もう』と示すのみでたどり着くべき場所がどこであるかは決して口にしなかったし、何故そちらに進まなくてはならないのかを説明することも無い。

 ……いや、もしかしたらそれは、説明したくても出来ないものなのかもしれない。
 



6: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 08:57:59 ID:Sk8c

 かんなぎ。

 以前依田芳乃が自分をそう称したことがある。

 それは神の代弁者、依代となるものの名前だ。

 失せ物を探すときに発揮される彼女の慧眼が彼女自身の力では無くこの世ならざる何者かの声の代弁であるとするなら、周囲の者に筋立てた説明が出来ないもの当たり前だ。

 何せ、その『何者か』が何故それを知っていたのか、本当のところは依田芳乃自身にも解らないだろうから。
 



7: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:05:39 ID:Sk8c

 だが、そうすると、結局『介添えをしてほしい』と頭を下げて、自分を伴った理由は何なのだろう。

 それもまた、神のみぞ知るということなのだろうか。

 いや、長い旅になると言った。年頃の美少女の一人旅は危険が満載だ。依田芳乃がそういう悪意に絡め取られるところは想像もできないが、長い旅ともなれば信頼できる男性を伴いたいという気持ちも当然といえよう……などと、などと。

 プロデューサーはいらぬ思案を巡らせつつ、依田芳乃は淡々と。二人の旅は行く先も解らぬままに続いていく。

 だが、その旅の、『失せ物探し』の様子がいつもと違っていることは、やがてプロデューサーの目にも明らかになった。
 



8: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:06:42 ID:Sk8c

 それは、2日目のことだった。

 『この電車に乗りましょう』

 『ここで降りましょう』

 『あちらの方に歩いて行ってみましょう』

 初日と変わらず何かに引かれるように先を示していた依田芳乃が、あるときふと立ち止まり、深く考え込んだのである。

 それは電車を降りてから半日程もあちらにこちらにと歩き回って入り込んだ、暗い山奥でのことだった。

「どうしたんだ」

「……申し訳ありませぬー」
 
 身体の調子でも悪いのか。集中を乱してはまずいのではないかと思いつつもそんな心配が先に立ったプロデューサーを依田芳乃は振り返り、深々と頭を下げた。



9: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:15:12 ID:Sk8c

「どうやら、道を違えていたようです。先ほどの駅まで戻りましょうー」

 プロデューサーは呆然とした。依田芳乃がそんな風に失せ物の在処に惑うことは、これまでに無かったことだったからだ。

「……珍しいな」

「はいー」

 ……何かが、決定的にこれまでと違っている気がする。動揺を押さえて聞いた言葉に相槌を返す依田芳乃の表情は、日暮れの暗さでよく解らない。

「……駅に戻るのは、明日にしよう」

 プロデューサーはこの旅で初めて、依田芳乃の示した行き先に異議を唱えた。

「もう暗い。今日はもう宿を見つけて、休んで……」

 車を呼ぶから待っていてくれと呼びかけようとして、プロデューサーは目を見開いた。

 薄暗い景色の中、確かに依田芳乃がうすく微笑んだような気がしたからである。

◇◇◇



10: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:21:31 ID:Sk8c

 夜の山道を歩くことは恐ろしいことだ。

 普段の依田芳乃であれば平然と歩きそうな気もするが、先ほどの様子を見てそれをさせるわけにはとても行かない。

 山道を少し戻り、朽ちかかった停留所の中に彼女を座らせてからタクシーを手配して、プロデューサーはようやく息をついて空を見上げた。

 暗い山中のせいだろうか。空には距離感がおかしくなるほどの星、星、星。

「ずいぶんと、無駄に歩かせてしまいましたー」

「難儀な捜し物になると、自分で言ってたじゃないか」

 覚悟してるよと笑って見せると、冷えるだろうからと着せ掛けたプロデューサーの上着にくるまったまま、依田芳乃は頭を下げた。

 お願いしますにごめんなさい。この短期間にこう何度も彼女に頭を下げられたのも、考えて見れば初めてのことだ。

依田芳乃が誰に請われるでもなく失せ物を探し始めたこと。困難なものだと言ったこと。物探しの旅に道連れを求めたこと。道を間違えたこと。幾度も頭を下げること……。今回のことは、何もかもが異例づくしだ。



11: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:29:49 ID:Sk8c

「難しい捜し物なのか」

 思わず問う。

「……はいー」

 ほんのわずかな間を置いて、依田芳乃が頷く。

「誰の失せ物を探しているんだ」

「それは口にしてはならぬことゆえー」

「失せ物は、どんな物なんだ」

「それは、わかりませぬー」

 長く細く、彼女が息を吐く音がした。

「実のところ、そなたを捜し当てたときも、いったん離れて呼び止められるまではそれと知れませんでしたゆえー」

「……ああ」



12: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:36:30 ID:Sk8c



 依田芳乃と自分が出会った日の事を、彼は忘れたことが無い。

 撮影先で偶然立ち寄った神社で出会った彼女は、プロデューサーに憑いているという『悪いもの』を除いたあと、一旦は立ち去ろうとした。

 思わず呼び止めた彼を見て、依田芳乃は納得したと頷いて、言ったのだ。『わたくしを探していたのは、そなたでしたか』と。

 『共に道を切り拓くものを探していたのだろう』と。

 考えてみれば、あの時も依田芳乃は誰に請われるでもなく、自発的に捜し物をしていたのではないだろうか。

 共に道を切り拓くアイドル、依田芳乃を求めていたプロデューサーという男を。
 
 あの時から今日まで、プロデューサーは彼女が自発的に捜し物をする場面を見たことが無い。

 誰かの失せ物を見出す依田芳乃の慧眼は、常に誰かに請われて初めて発揮されるものだったのだ。だとすれば、あの時自分を見つけだそうとした事は、彼女にとって特別な意味がある行動だったのかもしれない。

 そして、今回の失せ物探しも……いや、そんなことより。
 



13: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:43:29 ID:Sk8c

「つまり芳乃は、見つけてみないと解らないものを探しているのか」

「見つけたとしても、見過ごすかもしれませぬー」

 ぽっかりと吐き出す白い息とともに、依田芳乃は訂正する。

「しるしは常に、とても微かなもの。見てただちにそれと感じるかは、さてー」

「……」

 今更ながらに、プロデューサーは息をのむ。どこにあるか、どんな姿をしているか。見てそれと解るかどうかも解らぬものを、彼女は探そうとしている。困難だと承知して、進む道に惑い、誰にも相談できず、悩みながら。

 依田芳乃は自らを『かんなぎ』と称したことがある。神の代弁者、依代。

 常ならぬ力を持ち他に見えぬものを感じ取る彼女を神のごとく受け止める者は多く、超越的な存在であると感じるものは多い。そしてそれは一面で真実なのだろう。

 だが、プロデューサーは考える。それらの力、常ならぬ彼女を知った上で慮る。彼女の不安と、心細さを。
 



14: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:48:02 ID:Sk8c

 頼るものもなく、先も見えぬ道を歩き、名も知らぬなにかを探す。  
 依田芳乃が何故そうすべきと考えたのか、プロデューサーは知らない。だが、そんな道行きが不安で無いわけがあるだろうか。

 かんなぎとしての彼女の力が、感覚が人に説明できぬものであるならば、それを相談できる相手もいない。助言を仰げる相手もない。探すべきがいかに困難であるとしても、依田芳乃はただ一人、悩み、考えて進まなくてはならないのだ。それはひどく心細い事のように思える。

 もう、山は暗い。依田芳乃がどんな顔をしているのか、彼の目には見えない。

 だが、彼女の目に不安があって欲しくはないと思う。心細い道を歩かせたくは無いと思う。それではプロデューサーとして、共に道を切り拓くものとして、あまりに情けないではないか。



15: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 09:55:26 ID:Sk8c



 プロデューサーは考える。彼女のために何ができるか。自分はこの旅で、何をするべきなのか。この旅でそれを考えることが出来るのは、自分しか居ないではないか。

 ……クラクションが鳴り、暗い山道にさっと眩しい灯りが射した。呼んだタクシーがようやく山を登って来たのだ。

 プロデュサーは、ヘッドライトに照らされる依田芳乃を見た。その目は、彼を見ていた。もしかしたら闇の中でも、彼女はずっと自分を見ていたのかもしれない。

 その眼差しに穏やかな信頼が輝いているのを、彼は決して見落とさなかった……。

◇◇◇
 



16: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:00:53 ID:Sk8c



「おはよう、芳乃」

「そなた、それはー」

 タクシーの運ちゃんの紹介でなんとか転がり込んだ民宿、一晩ぐっすり眠って次の朝。空きっ腹を抱えて宿の食堂まで出てきたところをプロデューサーに出迎えられ、依田芳乃は目を丸くした。彼の前には食膳のかわりに大判の図版や冊子がいくつも広げられていたのである。

「このあたりの地図や写真集だよ」

 笑って答えるプロデューサー。

「地図や写真から感じるものがあるかもしれないだろう? 無理を言って、宿のご主人にいろいろ集めてもらったんだ」

「……それは、つまり」

「道を共に切り拓く、だろう。役に立たないかもしれないが、役に立とうとはすると決めたんだ」



17: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:01:13 ID:Sk8c

 それにどれほどの意味があるのか、プロデューサーには解らない。だが、依田芳乃だけに考えさせ、ただ彼女の導きのままに付き添うだけを続けるなら、自分がここに居る意味は無い。彼女が捜し物を見つけるために、出来ることをしようと決めたのだ。だが。

「……とんちんかんな事をしているなら、言ってくれよな」

 結局のところ、依田芳乃が求める情報がどういうものであるのか、彼女に役立つヒントがどういうものであるのかは解らない。もしかしたらとんでもない的外れをやらかしている可能性もあるではないか。もしそうなら素直に指摘して欲しいと思うプロデューサーなのであった。

「……いいえ。いいえー」

 きまり悪げに頭を掻く彼に『そんなことない』と首をふって、依田芳乃はまた笑った。それはプロデューサーがこれまで見たこともないような、とびきりの笑顔だった。

◇◇◇



18: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:07:32 ID:Sk8c

 旅の様子は大きく変わった。

 プロデューサーは常に地図を広げ、たどりついた地域の事を調べ、依田芳乃にできる限りの判断材料を与えようとした。

 依田芳乃は嬉しげに、彼とともに地図を覗き込んだ。

 それまで先を歩く依田芳乃の背を見て歩いていたプロデューサーは、彼女と並んで歩くようになり、たくさんの言葉を交わすようになった。

 もちろんそれで旅の困難が減じたわけでは、ほとんどない。どこを目指すのか、どんなものを探しているのかさっぱり知れないという状況になんの変化があるわけでも無い。芳乃は何度も行く先に迷ったし、一度通った道を引き返すこともしばしばだ。



19: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:11:49 ID:Sk8c

 だけど長く続く旅の間、依田芳乃は笑っている。

「こちらに行ってみましょー」

「あ、行き道においしい煎餅屋があるらしいぞ」

「それは是非、寄って行かねばなりませぬー」

 そんな会話をして、寄り道をする余裕がある。無駄足をさせたと頭を下げることも、お願いしますと三つ指をつくこともない。だって今、依田芳乃は彼を引き回しているのではない。プロデューサーと一緒に道を探し、2人で歩いているのだから。

 自分がやっていることが超越した力を持つ依田芳乃にどれほど役だっているのか、結局のところプロデューサーには確信が持てない。だが、旅を共にする意味があるのかと考えることはもはやない。

 笑顔で、自分と肩を並べて道を探す彼女の姿を見れば、その答えは明らかだったし、もしも見当違いの事をしていると解ったなら、共に歩くために何をすればいいのかをまた考えればいいことだと思えたのだ。

 そして、幾度も道を誤り、長く長く遠回りをした末に。

 依田芳乃とプロデューサーは、とある離島にたどり着いたのである。

◇◇◇



20: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:18:19 ID:Sk8c

 それは日に一往復の連絡船でかろうじて本土と繋がる、人が50人と住んでいないような、小さな寂れた島だった。

 塩で焼け波で削られた護岸、赤錆びたトタンの倉庫、車が通る余地も無いような細い道。見慣れない離島の風景をプロデューサーが見回すうちに、依田芳乃はこれまでとうって変わった迷いのない様子で歩き出した。

「お、おい」

 呼びかけに、依田芳乃は答えない。わき目も降らずまっすぐに歩く彼女を見れば、プロデューサーにも失せ物が近いのだと理解できた。遅れてはならない。プロデューサーはぐんぐん離れる彼女の背中を追って走り出した。

 何かに引かれるように歩いていた依田芳乃がようやく立ち止まったのは、島の広場の入り口あたりだった。
 
 そこに、五歳ぐらいの女の子が居る。

 見たこともないその少女を、依田芳乃はまっすぐに見つめていた。



21: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:21:34 ID:Sk8c

「……知り合いか?」

「初めてお会いしましたー」

 あっさりと答えてから、依田芳乃は迷いなく少女に歩み寄ってゆく。プロデューサーはそれを追おうとして……立ち止まった。きーんと耳鳴りがする。何か、空気が違っている気がする。二人の出逢いは、決して邪魔してはならないものであるような気がしたのだ。

 依田芳乃は、少女に深く頭を下げた。

 いぶかしみもせず、少女もまた対面した依田芳乃に頭を下げた。

 二人は二言、三言と言葉を交わし、お互いに礼をして、別れる。

 少女は島のどこかへと歩いてゆき、依田芳乃はプロデューサーの元に戻ってきて、

「おかげで、失せ物が見つかりましたー」

 さばさばとした顔で、笑った。

 その軽やかな笑顔を見て、プロデューサーは二人の長い旅が終わった事を悟った。だが。
 



22: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:21:50 ID:Sk8c

「そなたのおかげで、間に合いました。まこと、お礼のしようもなくー」

「……結局、失せ物ってなんだったんだ」

 さっぱりわけが解らない、結局何がどうなったんだと唸るプロデューサーに、依田芳乃はどこか遠くを見るようにして答えた。

「失せ物は、わたくしから離れた『神』だったのですー」

「……」

「依田の力は、わたくし一人の力ではありませぬ。それはかんなぎの力。神の依代としての、似姿としての力……ですが、人は育ち、変わってゆくもの。いつまでも、神の似姿でいることはかないませぬー」

 不意を突かれて間抜けな顔をするプロデューサーに、依田芳乃は説明を重ねた。その瞳はいまだ、労るようにあの少女が歩み去った方向を見つめている。 



23: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:24:09 ID:Sk8c

「神はわたくしの中に在ることをやめ、あの少女をあらたな依代と定めました。されど、神の力は人を惑わせ、時に苦しめるもの。そうなる前に、わたくしの中に神の残滓があるうちに、あの少女に進むべき道を、その力が何であるかを示してあげたかったのですー」

 安堵するように、依田芳乃は息をついた。大きな責任を果たし終えたように、肩の荷をおろしたように。

「わたくしの願いは果たされましたー。最後に、わたくしの中から神が完全に失せる前に。あらたな依田を助ける事ができて、本当によかった」

 依田芳乃は居住まいをただし、晴れやかに笑う。そのために、彼女は旅を始めたのか。あの子を迷わせないために。あの子を苦しめないために。

「そなたのおかげで、依田の芳乃として、最後のつとめを果たすことができました。くじけず、やり通せた。それはまこと、そなたが居たからこそでしょー」

「……辛くはないのか」



24: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:24:42 ID:Sk8c

 その笑顔があまりに晴れやかで、わずかの悔いもないように見えて、プロデューサーは思わず聞いてしまった。依田芳乃が果たすべきつとめを、願いを果たせたのは解った。だけど、だけど。

「ずっと、自分の中にあった力を失うことは、怖くないのか。淋しくないのか?」

「ありますともー」

 不安はある、と依田芳乃は――いや、今ではただの『芳乃』は、素直に頷いた。

「されど、喜びもありますればー」

「……喜び」

「これからは、皆と同じ目で、同じものを見ていけるのです。そなたと、同じ夢を追う皆と同じ物を見て、歩いてゆけるのです」

 芳乃の頬に、紅がさした。はにかむような笑顔。
 



25: ◆cgcCmk1QIM 22/10/31(月) 10:25:03 ID:Sk8c

「……そしてきっと、そうして生きてゆくわたくしの側には、そなたが居てくれます。失せ物が出来たら、きっと一緒に探して旅してくれる……共にみちを拓く、なのでしょう?」

「ああ」

 芳乃が失ったものの大きさがどれほどのものであるか、不安がどれほどの物であるのか、実際のところは解らない。だが、彼女とともに歩く。ともに道を拓いてゆく。それだけは確かな彼の願いだった。

 だから、ためらわずに頷く彼の手を取って、芳乃は頷くのだ。

「それが解っているのだから、なにも恐れる必要はありません」

「ああ、きっと、そうだな」

 プロデューサーは芳乃の手を握り返した。共に道を拓いていけるのだと、それが確かなことなのだと。この長く曲がりくねった旅の中で、彼女が信じてくれたなら。

「一緒に行こう。ずっと」

「はい、共に」

 芳乃とプロデューサーは、手を取って歩き出した。
 これからを、2人で探して行くために。

 これからを、2人で拓いて行くために。
 

 (おしまい)


元スレ
依田芳乃『失せ物は其方と』